BCでのんびり過ごしている間に体力は元に戻ってきた。フィックスロープが山頂まで張られていない状況でこれからどのような段取りでアタックするのか素人には見通しが立たなかった。しかし、隊長はHimexだけが登山隊ではないし、他の隊と協力してフィックスを頂上まで伸ばし、登頂できるという考えだった。それが一体いつなのかは不明である。
私のアタックに関しては脳浮腫は今、大丈夫でも発症した同じ高度になると再び出てくると言われ、専任のシェルパを付けてアタックすると言う方向で共通理解ができていた。ただ今年の山が普通ではなく非常に危険で、ある意味命がけだから、そのことを家族によく話しておいてほしいとも言われた。死亡したあと、家族が隊長を告訴することが稀にあるらしい。万一の場合でも告訴しないようにとも。
しかし数日後に話は逆転してしまった。C3から上はシェルパも荷揚げその他いろいろな仕事があるので、私専任のシェルパを確保できないというのだ。
酸素ボンベと装着の練習
まいった!!、こんな方法でアタックを断念させられるなんて思いもしなかった。自分がもうだめだと納得して撤退するならまだしも、自分はまだ頑張ってみたいと思っているのにアタックできないとは。
つらい時間が過ぎた。でも隊長が私にアタックを断念させるということは自分では気がつかない部分でリスクがあるのだろうと考え、気持ちを落ち着かせた。「お母さん、無事に帰ってくれるだけで十分だから」という子ども達の顔も浮かんだ。
そうだ、石川直樹くんやSさんたちのような大経験者ですら撤退して下山したんだ。今年は山も登山条件も最悪の状況。ここで命を捨てる必要はない。生きていればこれからも山に登れるけど、ここで亡くなったり凍傷になって手足の指を切ったりしては将来はない。
ここに来るまでのさまざまなことを考えると断腸の思いだったが、撤退することにした。
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