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昨日、人権教育の授業研究会がありました。
授業研究会で私は記録の係でしたが、
助言者は 私が好きな S先生でした。こんな先生になりたいなって思う人の一人です。
s先生は自分の立場を明らかにして
部落差別問題に人間として、教師として、自然体で取り組んでいらっしゃいます。
常に、助言の時は授業者のあらを探すんじゃなくて、
自分のことを差し出し、こちらも自然と自分のことを重ねて話に聞き入ってしまう。
そういう素敵な先生です。
今回の助言から考えたこと
「学校は何をするところかな?」
先生の言葉からの抜粋と覚書です。
*******************
僕は今2年生の担任で、や~っと子どもたちが僕の話をちょっとは聞いてくれるようになりました(笑)
冬休み明け、2年生の子どもたちに話した
「あけましておめでとう」という気分には慣れないねって。
ひとつはパレスチナのガザ地区のイスラエルの侵攻。
それと仕事を失った人たちの派遣村の問題。
何故そういうことを2年生の子どもに話すかっていうと、
我が子が正月、テレビを見ていたら
「お父さん、この年越し派遣村にお父さんの知り合いはおらんとね?
教え子はおらんのね?」と不意に聞いてきたんです。
とても突き刺さった言葉でした。
人ごとだったなあと反省しました。
僕の先輩に破産して家族離散して、大阪にいき、人材派遣の仕事をしている人が居る。その先輩が。
「ここには毎日人が死ぬ。でもそれはニュースにはならない」といっていました。
その先輩の言葉をきいて、また自分が人ごとのようにこの問題を考えていたことに気づかされました。
担任した子どもたちが大人になって行き詰まった時に
「先生、いまこういう事になっている。どうにもならない」「きつい」って言ってきたときに
「よしよし、よかた~。とにかく小国に帰ってこい。いつでも帰ってこい」
と言えるふるさとづくりをしたい。そのために何をするか?
僕が居る学校って何することかな?
数字や言葉を単に覚えることだけなら学校はいらない、先生はいらない。
家で教育テレビでも見て、パソコンのソフトでやればいい。
何で嫌いな給食食べて、
短~い休み時間を友だちと時間精一杯遊んで、
やりたくない掃除をして、
勉強をして、わかんない、つまんない、おもしろくないとか言いながらも
子どもたちは学校に来るのか?
それって最後にはどういう形に終わるかというと、
そのクラスで「自分のことを語っていける」ということになったとき。
それは「自分のことをちゃんと受け止めてくれる」という信頼おける友だちが、
先生が、一人でもある事。そういう雰囲気がクラスにあること。
その 信頼を崩していくもの、それが「差別」 です。
人間の信頼の最大の裏切りは「親による裏切り」だと思います。
それが一番きつい。
教師の裏切りも子どもには大きいけど、親の信頼がしっかりあればそりゃたいしたことない。
水平社を創立した 西光万吉(さいこうまんきち: 奈良県生まれの社会運動家、文筆家。本名清原一隆。)
彼のお母さん、は死に際にこんな言葉を残して死んでいく
「ぼんをここにうんだのはこのわしや、
ここにうんだことをゆるしてくれ。」
我が子を産んだことを謝る母。それは我が子の存在を否定すること、
これは親の子に対する最大のうらぎりです。
また、「世の中を恨め、うらんで、うらんで、うら見尽くして生きろ。」
と言い残して死んでいった母親も居ます。
部落差別とは本当にすごい差別だと思う。
そういうことを親に語っていかせる。
そのむごさ、なんなのだろう。
だからこそ、私たちが、目の前にいる子どもたちが何に困っているのか?
寄り添っていくときにど真ん中にしたいこと。
子どもがどう感じているか、本当に何に困っているかと言うこと。
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こうしなければこの子は学校に言ったとき、大人になったとき困るだろう…
そういう見通しを持って大人は動こうとします。
子どもをしつけようと、教育しようとします。
そういう見通しは大事だし、確かな見通しを持つことはとても大事だから
私たちは日々自分の感性と視野をより豊かなものにするために
よく見て、よく感じて、よく味わって、よく楽しんで生きていくことが大事だと思います。
でも、近い将来、遠い将来のために
今 子どもが困っていること
それを見落としがちです。
甘え、わがままと、一掃しがちです。
子どもの困っていることをど真ん中に据えて
子どもと向き合い、話すこと。
きっとその大人の態度が子どもには残ります。
そして自分の力で歩き出す力をこどもたちはちゃんと持っていると思います。
それを信じて見守ること。
そういうことを考えた研究授業でした。
ありがとうございます。