1
小島ゆかり風に飛ぶ帽子よここで待つことを伝へてよ杳とほき少女のわれになにかあやふき感覚は来ぬ岩かげを声なき蝶のもつれつつ飛ぶわが髪より生れしならずやなまぬるき風を起こして黒揚羽とぶ若宮年魚麻呂わかみやのあゆまろといふ人の名をおもへばたのし春の早雲はやくも蟬はみな小さき金の仏にてせんせんせんせん読経のこゑす炎昼のわあんゆうんと歪ゆがみつつ樹木は蟬の声に膨らむ午後のかぜ瀞とろにしづみて夏ふかしあなひそかわれに魚の影あるくれなゐは不穏なるいろ花にあり火にあり女のくちびるにありその髪の濡羽色なるをみなにて抱けばほのあかき喉見ゆシーア族難民ゆゑにパキスタン国境に来て棒で打たるる秋のショールに肩つつまれて何をどう言ふともわれは難民ならず会議室の窓にひろがる鰯雲 ギリシャ以前に多数決なしみづからが釣りたる魚を食む子らは眼しづかに骨まで食べぬ石川原、草川原あり 蜻蛉せいれいのにほひにみちて秋の陽は照る玉のごと白湯さゆやはらかし生くる身のもやもやふかい冬のあさあけ弾丸の速さに雲へ飛び込みし冬の鳥あり のちしろき風椿さく下土黒しこの朝は霜の神殿ひそやかに建つ今しがた落ちし椿を感じつつ落ちぬ椿のぢつと咲きをり走り来て赤信号で止まるとき時間だけ先に行つてしまへり歳晩の鍋を囲みて男らは雄弁なれど猫舌であるみかんひとつころがり落ちてゆふやみにとほいわたしの声が聞こえる歌集『憂春』(平成17年・2005)
2024.06.01
閲覧総数 26
2
坂本野原生きている生きているけど生きている意味は今なお言い当てられず下町の雑然とした街並みが夢に出て来る今はもうない人生に意味はなけれど価値はあり竹内まりや喝破したりき*『人生の扉』ちょっとした楽しいことや理不尽なつらいこととか日替わりの日々仕事にも短歌は役に立っているマネジメントの言葉あやつる生きてゆく野辺に咲きわう光たち花や言葉や君のほほえみ蕗ふきの薹とう、独活うども食せり こしあぶら、薇ぜんまい、こごみ芽吹く春ゆく薔薇色の薔薇の花束とりあえず買い来て祝う結婚記念日便秘に効く毎朝爽快とかいうのついでに買いて喜ばれおりテクニック知るほど俳句つまらなく見えて短歌と全然違う日本国憲法全部書き写す寅子のことを娘に話すいとをかし春はあけぼの夏は夜女優は石田ゆり子なるらむ神獣をひたすら創る小松美羽ひがしのくにのあまのみつかい
2024.05.31
閲覧総数 58
3
平井堅LIFE is...~another story~
2024.05.30
閲覧総数 43
4
あけましておめでとうございます皆さまのご健康とご多幸を心よりお祈り申し上げます本年もよろしくお願い申し上げます佐佐木信綱(ささき・のぶつな)春ここに生あるる朝の日をうけて 山河草木さんかさうもくみな光あり歌集「山と水と」(昭和27年・1952)註「生(あ)るる」の読みは、作者の孫である歌人の佐佐木幸綱氏が確認している。上古語動詞「生(あ)る」の連体形。「生(あ)る」は、「生まれる」の意味だが、「生まれる」が「生む」の受身形であるのと違い、能動的・自発的であり、また神秘的・超越的な存在が出来(しゅったい)するニュアンスがある。現代でも、短歌表現では比較的普通に使われる。語源的には「あり(在、有)」と関係があるかも知れない。したがって、韻律上「朝」は「あした」と読むと思われる。
2011.01.01
閲覧総数 3150
5
永井祐(ながい・ゆう)パーマでもかけないとやってらんないよみたいなものもありますよ 1円第一歌集『日本の中で楽しく暮らす』(平成24年・2012)パーマでもかけてちったあシャレのめしてないとやってらんないっすよみたいな感じもありますよ。ポケットに1円。僕の価値も1円。註一読、これはたぶん石川啄木だなと睨んだ。しかもその代表作といえる二首「はたらけど/はたらけど猶なほわが生活くらし楽にならざり/ぢつと手を見る」や「友がみなわれよりえらく見ゆる日よ/花を買ひ来て/妻としたしむ」(第一歌集『一握の砂』明治43年・1910)あたりである。作者がこれらの名歌の高度なパスティーシュを意図したのかどうかは、知らないしさほど問題ではない。短歌は、発表されると同時に作者の手を離れ一人立ちする。読者である私にとっては、この歌の紙背に啄木が透けて見えることがリアルにほかならないだけである。明治の啄木青年は、赤貧洗うがごとき境涯にあって、自己憐憫や自慰・自愛的な感情で「ぢつと手を見」たり「花を買ひ来て妻としたし」んだりしたのだろうが、裕福ではないにしろ赤貧は洗ってないであろう平成の祐青年は、自嘲・諧謔的な感情で上掲のごとく言ったりするわけだ。どちらも程度の差はあれ多少の芝居っ気が入っていると思われる。最近はカメラもデジタルになってしまって、写真フィルムも富士フイルムの社名に残るぐらいになってしまったが、まだなんとか通用するであろう割と適切と思われる比喩としていえば、この歌は啄木というネガティブ(陰画、否定的)に対するポジティブ(陽画、肯定的)である。あるいは、永井祐という高次関数(ファンクション)を通して変換(デコード)された啄木である、ともいえるだろうか。この変換方式が合わないと「文字化け」して見えることは、パソコンをいじっている者ならよく知っている現象である。作者をめぐる毀誉褒貶には、一部にこうしたいわば「文字化け」めいた現象が起こっているのではないかと憶測しているところである。日本映画史上の最高傑作の一つとして名高い黒澤明監督『七人の侍』で、侍のリーダー勘兵衛(志村喬)が諄々と名台詞を言う。橋本忍ほか脚本。うろ覚え「明日はいくさという夜にはな、城の中でもこういうことがたくさん起きる。人間、明日の命も知れんとなると、ちょっと浮ついたことでもせにゃ息苦しくてかなわんのだ。若い者の気持ちにもなってやれ。無理もないのだ。」も思い出した。
2023.09.14
閲覧総数 84
6
米津玄師 毎日* 石川啄木 はたらけどはたらけど猶なほわが生活くらし楽にならざりぢつと手を見る
2024.05.31
閲覧総数 45
7
坂本野原岸田文雄新首相生出演のフジテレビ『日曜報道』を見つつ詠む相当に信用できる岸田氏と長らく生きてきた目には見ゆ友として人間として思うとき信頼できるタイプの男歴代の総理大臣 なんとなくこうだったなと我納得す自民党なんだかんだで何気なくツボな人選 バカじゃなかった甘利氏の六年前のしくじりをいつまでも言う野党の無策都道府県魅力度ランキングで昨年最下位47位から栃木県41位となりにけり地元は苦笑 どうでもいいよとりあえず衆院選が終わるまで時事ネタで行く心ゆゆしく
2021.10.10
閲覧総数 107
8
今年のNHK大河ドラマ『光る君へ』が最高に面白い。絶好調である。毎回ドラマチックかつロマンチックな展開で、心が揺さぶられる。まだ早春の今からこんなに面白くては、今後いったいどうなってしまうのか(いい意味で)先が思いやられる。特に昨10日放送の第10回は、なにげに神回と思った。□ 哀れ花山天皇 が、それよりまひろと道長の展開が速くないかざわつく「光る君へ」第10回【木俣冬氏 ヤフーニュース 10日】子供のころから親しんできた大河ドラマだが、私の知る限り、歴代の中でも五指に入る出来だと思う。日曜の夜が待ち遠しい。吉高由里子は、国民的大女優になりつつある。現在のわが国の人気女優を見渡しても、余人を以て代えがたい配役である。このあと、間違いなく歴史的傑作小説を物するであろう文人的な落ち着いた物腰と聡明な感じ。彼女はこの役を演ずるために生まれてきたと、私は確かちょっと前の詠草で(いくぶん大げさな表現で)短歌にしたが、その感想はますます裏付けられている。ただ、平安宮廷を描く以上やむを得ないのだが、登場人物が藤原姓ばかり(あとはせいぜい「源」ぐらい)という「藤原問題」をはじめ、かなり歴史ファン向けの「通好み」な作風になっており、見る側にも一定の教養が要求される感じだ。一般視聴者がなかなかついて来られないようで、視聴率は苦戦している模様だが、これはもうしょうがないよね。間違いなく、長く語り継がれる名作となりつつあるので、NHKのスタッフや上層部は、目先の数字なんか一切気にしなくていいと思う。芸術・芸能への評価って、しばしばこういう感じだから。生前はほとんど理解されず無名で、死後に評価・称賛された芸術家のなんと多いことか。ゴッホ、宮沢賢治はその典型である。芸術の歴史は、死屍累々・無念ゴロゴロの歴史である。・・・って感じか。「時代を先取りしすぎていた」「生まれてくるのが早すぎた」とかいわれる類いである。きのうも、若き藤原道長とまひろ(紫式部、こちらも藤原、遠い親戚)の情熱的な恋模様が美しく描かれたが、当時の慣例に忠実に、玉梓(たまずさ、詩歌によるラブレター)のやり取りで恋愛が進行する。道長のラブレターが、当時の貴族なら(当たり前の)必須科目の古今和歌集からの引用であるのに対し、まひろの返歌が読むのも相当難しい漢詩であるというあたりに、紫式部の文人(学者)としての教養とプライドあふれる人物像を垣間見せた面白さがあったのだが、こういう世界に少々は慣れ親しんでいる私(くまんパパ)にとっても、解読を断念するほどの高踏優雅な場面であり、ましてや多くの視聴者にはチンプン漢文であったかも知れない。それに続く、月の光の中でのラブシーン(ほぼ、今でいうベッドシーン)は、思わずうなるほどの美しさと激しさで魅了された。まさしく、シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』、『ハムレット』であった。稀に見る「ファンタジー大河」と言えよう。史料の少ない平安時代をこれ幸いと、オリジナル脚本の大石静はやりたい放題。ロマンチック盛り盛りマシマシで、空想の翼を自由奔放に羽ばたかせまくっている。うるさいアカデミズムや歴史マニア方面の一部からは、多少クレームが付き始めているとも仄聞するが、所詮エンタテインメントのドラマなのであるから、そう目くじらを立てなくてもいいだろうと、私は思う。この調子で、今後もガンガン行ってもらいたい。なにしろ、信頼しうるまともな同時代の参考資料は、ロバート秋山演ずる藤原実資が毎日小まめに書き綴った日記『小右記』ぐらいしかないといわれるのだから。その秋山も、コメディ・リリーフとして笑わせながら、けっこう重厚な存在感を示していて、役者開眼だね。道長役の柄本佑が、放送前のインタビューで「大石さんの脚本があまりにも情熱的なので、気恥ずかしさをこらえるのに苦労した」(うろ覚え)というようなことを言っていたと思うが、こうした場面のことであったかと納得。その柄本佑がいい。平安宮廷での権力闘争・謀略に邁進する父と兄たちに翻弄されつつ、自己を確立してゆく繊細かつ心優しき道長像を新たに創造している。この大抜擢といえるキャスティングは大当たりだったね。今のところ、若さ・未熟さを表現するため、わざと生硬(下手め)な芝居をしていることさえ、ありありと感じとれる。大河は長いのである。天才的な俳優である父親譲りの計算された演技がすばらしい。かつて、岸谷五朗もそんな感じだった。これは、一年間見ていられる。ほかにこの役を務められる若手中堅の人気演技派俳優は、菅田将暉ぐらいしか思いつかない。ただ、菅田はついこないだ同じ大河で大役・源義経をやったばかりだしな。そして、上手いが地味めなバイプレーヤーと思っていた段田安則が、「平安のゴッドファーザー」を見事に演じて、出色の貫禄と包容力。脚本の大石静が、『ゴッドファーザー』シリーズと『華麗なる一族』を参考にしたと言明してるだけあって、なかなかの「ブラック大河」でもあるが、まさしくマーロン・ブランドと北大路欣也を髣髴とさせる。しかもけっこう家族思いの温かい人間味やユーモアさえ宿っていてすばらしい。岸谷五朗演ずる父・藤原為時と娘・紫式部の関係性も、いろいろ波瀾もあったが本当にすばらしい。抑制された穏やかな演技の中に、冬を超えた春爛漫の温かい情愛が香り立っている。私にも、まもなく先生という敬称で呼ばれることになるであろう親孝行な娘がおり、とても人ごととは思えず、毎回うるうるして見ている。その娘は、吉高由里子と福田麻貴を足して2で割ったような顔をしているのである。* この記事は、もうちょっときちんと加筆修正して書こうと思ったのですが、仕事が忙しすぎて頭がぼやけておりまして、とりあえずこれで終わりにします。すみません。
2024.03.11
閲覧総数 849
9
よみ人知らずわが背子せこが衣ころものすそを吹き返し うらめづらしき秋のはつかぜ古今和歌集 171マイ・ダーリンの衣の裾に吹いて裏返しはっとするようにすてきな秋の初風。註背子せこ:古代の女性が、夫・恋人・父親・親戚など、主に年上の親しい男性に言った語。妹子(いもこ)の対語。が:格助詞。現代語の「の」に当たる。うら:心。心の中。ここでは「裏」と掛けている。ザブトン3枚。めづらし:動詞「愛(め)づ」から派生した形容詞。目新しく新鮮で、愛すべきものに言う。現代語「珍しい」とは、ニュアンスがやや異なる。 聖徳太子立像ウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン * 画像クリックで拡大。
2014.09.02
閲覧総数 384
10
松尾芭蕉いざさらば雪見にころぶ所まで句集「花摘」さようならばこれにて。私は雪見に行く。雪に躓(つまづ)くところまで、行けるところまで。註貞亨4年(1688)旧暦12月3日(新暦の今頃)、名古屋の門弟で書籍商・風月堂孫助(俳号:夕道)邸の雪見の宴に際しての初案「いざ出でん雪見にころぶ所まで」(真蹟懐紙)。推敲案「いざ行かん雪見にころぶ所まで」──句集「笈(おい)の小文(こぶみ)」所収。上記掲出作は最終決定稿。名句であるが、初案および「笈の小文」の第2案が良く、最終案(決定稿)はむしろ改悪ではないかというのが、大方の見巧者の意見であろう。僕もやや同感。侘び寂びを漂わせ脱俗洒脱といえる初案・第2案とニュアンスが変わり、離別句めいた妙な悲壮感を漂わせてしまっている。・・・好みの問題だとは思うが。
2010.01.15
閲覧総数 3896
11
■週刊文春「元少年A」直撃取材でネット炎上――「やるなぁ、センテンススプリング!」【産経ニュース 18日】
2016.02.18
閲覧総数 282
12
橘曙覧(たちばなのあけみ)たのしみは木の芽煮やして大きなる饅頭まんぢゆうをひとつほほばりし時志濃夫廼舎しのぶのや歌集 独楽吟どくらくぎん楽しみなのは、香ばしい茶を淹れて大きな饅頭を一つ頬張った時。註* 原文の「にやす」には、さんずいに「論」の字の旁(つくり)の文字が使われていますが、ネット上で表示できないので、やむなく「煮やす」と表記します。木の芽(を)にやす:茶を淹(い)れることの雅語的表現。茶を熱湯で濾し出す。「煮やす」には「業を煮やす」などの成句もある。
2009.02.11
閲覧総数 918
13
小野小町思ひつつぬればや人の見えつらむ夢と知りせばさめざらましを古今和歌集 552 恋歌二 思いながら寝たので、あの人が見えたのかしら。夢と知っていたなら覚めなければよかったのに。(拙訳)註大伴家持「夢(いめ)の逢ひは苦しかりけりおどろきてかきさぐれども手にも触れなば(夢の契りはつらい、目覚めて手探りしても何も触れないのだから)」(万葉集741)松岡映丘「うたたね」うたた寝に恋しき人を見てしより夢てふものは頼みそめてき古今和歌集 553 恋歌二 うたた寝に恋しい人を見てからは、夢ってものを頼りにしはじめたのよ。(拙訳)註うたた寝の夢幻境は誰しも好きだろうが、特に古来、文人・詩人たちに愛されてきた。大詩人ステファヌ・マラルメの傑作「半獣神の午後(牧神の午後)」も、真夏の森の木陰で半獣神ファウヌス(パン)がうたた寝をして美しい妖精(ニンフ)たちの幻影を見るという詩である。それにしても、現象としては似てるが、「居眠り」と言ったのでは、まるっきり風情がないざんすね。なお、うたた寝の「うたた」は「現(うつつ)」と同語源とする意見もある(国語学者・大槻文彦)。藤原隆信「うたたねの夢や現(うつつ)にかよふらむ覚めてもおなじ時雨をぞ聞く(うたた寝の夢は現実と往還するのだろうか、目覚めても夢の中で聞いていたのと同じ時雨の音を聞いている)」(千載和歌集407)いとせめて恋しき時はむばたまの夜の衣をかへしてぞ着る古今和歌集 554 恋歌二とっても恋しくてたまらない時は、夜の衣を裏返しにして着る。 註当時、寝巻き(またはその袖)を裏返して寝ると、恋しい人を夢に見るという伝承があった。また、恋するもの同士がそうすると、お互いを夢に見るとされていた。民俗学者で歌人だった折口信夫(しのぶ)は、この歌を「呪術的」と評している。万葉集2812「吾妹子に恋ひてすべなみ白妙の袖かへししは夢に見えきや(君に恋しているのに逢うすべがないので、白い寝巻きを裏返したのが夢に見えたかい?)」同2813「わが背子が袖かへす夜の夢ならしまことも君に逢へりしがごと(ダーリンが袖を裏返した夜の夢らしい、ホントにあなたに逢えたみたいね)」世評にたがわず、才女・小野小町の和歌は天才的といって差し支えないだろう。キュートであり、そこはかとなく妖艶・エロティックでもあるが、和歌という短詩形式のせいもあって、決して重くならず、軽やかな洒脱さをまとっている。それにしても、天下の美女(・・・なのかどうか、会ったことがないのでよく知らないが)小野小町を夜も眠れないほど恋焦がれさせた色男は、どこのどいつだ?やはり、噂どおり在原業平あたりか?・・・それとも谷原章介か?!
2007.02.27
閲覧総数 6300
14
正岡子規(まさおか・しき)瓶かめにさす藤の花ぶさみじかければたゝみの上にとどかざりけり(花瓶に挿した藤の花房は短いので、とても畳の上までは届かないだろうなあ。)瓶かめにさす藤の花ぶさ一ふさはかさねし書ふみの上に垂れたり藤なみの花をし見れば奈良のみかど京きやうのみかどの昔こひしも藤なみの花をし見れば紫の絵の具取り出いで写さんと思ふ藤なみの花の紫絵にかかばこき紫にかくべかりけり(藤波の花の紫を絵に書くのならば、濃い紫に書くべきだろうなあ。)瓶かめにさす藤の花ぶさ花垂れて病やまひの牀とこに春暮れんとす去年こぞの春亀戸かめゐどに藤を見しことを今藤を見て思ひいでつもくれなゐの牡丹ぼたんの花にさきだちて藤の紫咲きいでにけりこの藤は早く咲きたり亀井戸の藤咲かまくは十日とをかまり後のち(この藤は早く咲いた。亀戸の藤が咲くのは十日余り後か。)八入折やしほりの酒にひたせばしをれたる藤なみの花よみがへり咲く(丹念に醸された銘酒に浸したところ、萎れた藤波の花が蘇って咲いた。)明治34年(1901)晩春、東京・根岸の自宅(子規庵)で詠む。歌集「竹の里歌」(明治37年・1904)註当時としては不治の病であった脊椎カリエス(脊椎の結核)に臥した子規晩年の連作秀歌。一見淡々とした写生(写実)の中に、鬼気迫るほどの気魄が満ち満ちている名篇。
2010.05.22
閲覧総数 3548
15
大橋巨泉(おおはし・きょせん)みじかびのきゃぷりきとればすぎちょびれすぎかきすらのはっぱふみふみパイロット萬年筆「エリートS」コマーシャル・フィルム(CF)(昭和44年・1969)晩秋の短日の午後万年筆のキャップを取ればすぐにインクは滲み出してわが絶え間なき憂愁の思いは淀みなくすぐにすらすらと書きしるされてゆくのだろう。この縹渺たる落葉の並木道を踏みしだきながら。
2013.11.12
閲覧総数 47
16
俵万智(たわら・まち)むっちゃ夢中とことん得意 どこまでも努力できればプロフェッショナル『プロフェッショナル 仕事の流儀』NHK27日放送
2023.02.28
閲覧総数 943
17
清少納言(せいしょうなごん)枕草子 初段春は、あけぼの。だんだん白んでゆく山際が少し明るくなって、紫がかった雲が細くたなびいているの(が、すてき)。夏は、夜。月の出ている頃は言うまでもないわ。闇夜もなおさらね。蛍がたくさん飛び交っているの、また、たった一匹二匹などがほのかにぼんやり光っていくのも、すてき。雨なんかが降るのも、すてきね。秋は、夕暮。夕日が射して山の頂きに近づいたところへ、烏が寝床へ帰ろうと、三つ四つ、二つ三つなど急いで飛んで行くのさえ、しみじみする。まして、雁なんかの連なったのが、とても小さく見えるのは、すごくすてき。日が入り果てて、風の音、虫の音(ね)など、もう言葉では言い表わせないわ。冬は、早朝。雪が降ったのは、言葉にできないわ。霜がとっても白いのも、またそうでなくても、すごく寒いので火など急いで熾(おこ)して、炭を持って(廊下などを)渡っていくのも、(冬の朝に)とってもはまっているわね。昼になって、気温が暖かく緩んでくると、炭櫃(すびつ)、火桶の火も白い灰がちになって、格好悪い。(拙訳)【原文】春は、あけぼの。やうやう白くなりゆく山ぎは少し明りて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。夏は、夜。月の頃はさらなり。闇もなほ。蛍の多く飛び違ひたる、また、ただ一つ二つなどほのかにうち光りて行くも、をかし。雨など降るもをかし。秋は、夕暮。 夕日のさして、山の端いと近うなりたるに、烏の寝どころへ行くとて三つ四つ二つ三つなど、 飛び急ぐさへ、あはれなり。まいて、雁などの列ねたるがいと小さく見ゆるは、いとをかし。日入り果てて、風の音、虫の音など、はたいふべきにあらず。冬は、つとめて。雪の降りたるは、いふべきにもあらず。霜のいと白きも、また、さらでもいと寒きに、火など急ぎ熾して炭もて渡るも、いとつきづきし。昼になりて、温くゆるびもていけば、炭櫃、火桶の火も白き灰がちになりて、わろし。
2014.04.18
閲覧総数 1332
18
浅野内匠頭長矩(あさのたくみのかみ ながのり) 辞世風さそふ花よりも猶なほ 我はまた春の名残をいかにとかせん元禄十四年(1701)旧暦三月十四日(新暦4月21日)風を誘って自ら散る桜の花よりもなお急せいて(散ろうとしている)私はいったいこの春の心残りをどうしたらいいのだろうか。註日本史上、最も有名な辞世歌である。桜は散り際がもっとも美しい。それにおのが身をなぞらえて潔く死す、が、残念と怨みをのんで死ぬこともあわせて示唆している、凄絶な歌といえる。あの四十七士は、これに殉じたか。武士の嗜みとして最期に和歌を詠むという慣習も、美しい伝統であった。紀貫之「桜花さくらばな散りぬる風のなごりには水なき空に波ぞ立ちける」(古今和歌集 89)を踏まえていると思われる。春の名残:季節の春と自らの青春の残影を掛けている。享年35。いかにとかせん:「いかにと」(どのようにと)+「か」(疑問)+せん(せむ、・・・しよう)、反語的疑問形。強い詠嘆のニュアンスを帯びる。意味としては、現代語「いかんともしがたい」に近い。なお、「~とやせん」とする異本もあるが、意味は同じ。 長谷川貞信画 仮名手本忠臣蔵四段目ウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン * 画像クリックで拡大
2016.04.04
閲覧総数 17410
19
作者未詳誰たそ彼かれとわれをな問ひそ 九月ながつきの露に濡れつつ君待つわれそ万葉集 2240誰だあれはと、私のことを問わないでください。九月の雨に濡れつつ、あなたを待っている私なのです。註誰そ彼:「黄昏たそがれ」の語源。ただし、この歌の場合は「誰だあれは?」という本来の疑問の意味で、夕暮れ時とは無関係。薄暗くなって誰であるか分かりにくい時間帯を中世まで「たそかれどき」と呼び、その略で「たそがれ」となった。(われを)な(問い)そ:「な…そ」は穏やかな禁止を表わす用法。(どうか)…してくれるな。しないでくれ。作中の「われ」は(おそらく若い)女、「君」は男である。九月ながつき:旧暦の九月。新暦のほぼ10月に当たる。語源は「夜長月よながづき」が約つづまったものというのが定説。(われ)そ:強調の係助詞。後世の「ぞ」に当たる。…なのだ。だぞ。cf.)「うまし国そあきつ島大和の国は」。「な…そ」の「そ」とは別語。この歌は軽く脚韻を踏む意図があるのだろう。
2016.12.13
閲覧総数 24115
20
松尾芭蕉古き名の角鹿つぬがや恋し秋の月芭蕉翁 月一夜十五句皓々たる月光に照らし出された敦賀の湊を眺めているとこの世ならぬ気分に包まれてきて遠い昔の角鹿という古名が恋しくなった。註「奥の細道」には収録されなかったが、4つ前のエントリーの句と同じく、元禄2年(1689)旧暦8月中旬(新暦の10月初め頃)に越前(福井)敦賀で詠んだもの。なかなかロマンチックな雰囲気がある作品である。芭蕉自家薬籠中の用法である「や」の切れ字がまたしても効果的に使われて、余韻を醸し出している。角鹿つぬが:敦賀の古名。「日本書紀」にこの名で登場する。同様に、日本の地名・苗字には縁起を担いだ当て字が多いことはよく知られており、枚挙にいとまがない。山門→大和、黍の国→吉備の国、木の国→紀の国(紀伊国)、葭原(あしはら→よしはら)→吉原、窪田→久保田、新堀(にいぼり)→日暮里・・・等々。徳川という苗字も、江川→得川(えがわ→とくがわ)→徳川となったという説がある(・・・何かの本で読んだ覚えがあるが、どの本だったか出典は忘れて不詳)。
2009.12.01
閲覧総数 653
21
西行(さいぎょう)冬枯れのすさまじげなる山里に 月のすむこそあはれなりけれ玉葉和歌集寒々と冬枯れの見るからに荒涼とした山里に月だけがくっきりと澄みわたっているのがかなしいくらいに胸に沁みるなあ。
2013.02.27
閲覧総数 172
22
紀貫之(きのつらゆき)桜花さくらばな散りぬる風のなごりには 水なき空に波ぞ立ちける古今和歌集 89桜の花が散ってしまう風のなごりには水のない空に波が立っているのだなあ。註繰り返し打ち寄せる花吹雪を波に見立てたか、それとも、それを見ている作者の目にあふれた涙の海に立つ波か。
2016.04.02
閲覧総数 578
23
炭坑節月が出た出た 月が出た ヨイヨイ 三池炭坑の上に出た あんまり煙突が高いので さぞやお月さん 煙たかろ サノヨイヨイ一山 二山 三山越え 奥に咲いたる 八重つばき なんぼ色よく咲いたとて サマチャンが通わにゃ 徒あだの花あなたがその気で いうのなら 思い切ります 別れます もとの娘の十八に 返してくれたら 別れます晴れて添う日が来るまでは 心一つ 身は二つ 離れ離れの切なさに 夢でサマチャンと 語りたい香春岳かわらだけから 見下ろせば 伊田の竪坑たてこうが 真正面 十二時下がりの サマチャンが ゲージにもたれて 思案顔格子窓から 月がさす サマチャンの寝顔の 愛らしさ 外した枕をすけさしょか 思案なかばに 明けの鐘お札を枕に寝るよりも 月が差し込む あばら家で 主ぬしの腕かいなにほんのりと わたしゃ抱かれて 眠りたいたて杭ぐい 千尺二千尺 下くだりゃ サマチャンのツルの音 ままになるなら あの側で 私も掘りたや 黒ダイヤ伯爵夫人となるよりも 月の差し込むあばら家で 主さんお庭で藁仕事 わたしゃお側で 針仕事巻いた巻いた三十五函 そこで選炭婦が苦労する 棹取りゃ桟橋で花踊り ウロウロするのは お役人ダイヤモンドがほしいなら 一度来て見れ この鉱山へ 男盛りのサマチャンが 粋で掘り出す 黒ダイヤわたしのサマチャンとロを押す ヨイヨイ わたしゃ選炭場でボタを選える 見上げて見下ろす顔と顔 にっこり笑うて 知らぬ顔 サノヨイヨイ福岡県民謡
2014.09.08
閲覧総数 253
24
西行(さいぎょう)山深くさこそ心はかよふとも すまであはれは知らむものかは新古今和歌集 1630 / 明恵(みょうえ)上人伝記山深く分け入ってそれなりに心は通ったとしてもすまずに本当のもののあわれが分かるだろうか。註すまで:「住んでみずに」と「(心を)研ぎ澄ませずに」が掛けてある。
2011.11.30
閲覧総数 1041
25
菅原道真(すがわらのみちざね)このたびは幣ぬさもとりあへず手向山たむけやま 紅葉の錦にしき 神のまにまに古今和歌集 420 / 小倉百人一首 24この度の旅はあわただしくて幣ぬさも手に取れずに参りました。幣を手向けるべきこの手向山の紅葉の錦を奉納いたしますのでどうか神意のままに(ご笑納下さい)。註忙しくて奉納の用意が出来なかったので、代わりにこの山の美しい紅葉をまとめて神様に捧げます、という洒落た趣向の一首。・・・「この広い野原いっぱい咲く花を ひとつ残らずあなたにあげる 赤いリボンの花束にして」(作詞:小薗江圭子、作曲・唄:森山良子)みたいだなと、ちょっと思う(この)たび:「度」と「旅」を掛けている。幣ぬさ:神に捧げる供え物。また、祓(はらえ)の料とするもの。旅の折などには布または紙の細かに切ったものを持参し、道祖神(土地の神々)に奉った。古くは麻木綿(あさゆう)などを用い、のちには絹や紙を用いた。幣帛(へいはく)。御幣(ごへい)。玉串(たまぐし)。みてぐら。にぎて。秋の祭礼などにおける「初穂(はつほ)」(その年の初めての米などの収穫)や「真榊(まさかき)」の奉納もこの類い。この風習は現代にも残るが、「玉串料」「初穂料」などとして金銭で納めることが多い。とりあへず:手に取れず。準備・用意ができず。現代でも使う「とるものもとりあえず」という言い回しに原義が残る。手向山たむけやま:手向山八幡宮。奈良市雑司町にある神社。「(幣ぬさを)手向たむける」と掛けている。まにまに:随意に。意の儘に。現代語「ままに」の語源。 紅葉 / 御幣ウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン *画像クリックで拡大。
2016.10.17
閲覧総数 2955
26
The Beach BoysGod Only Knowsもし君がいなかったら僕はどうなっていたんだろう。それは神様しか知らない。
2024.05.31
閲覧総数 18
27
imase with PUNPEE& Toby FoxPale Rain
2024.05.31
閲覧総数 25
28
The BeatlesHere, There and Everywhereここに、そこに、そこかしこにきみの愛が満ちあふれているよ。
2024.05.28
閲覧総数 19
29
伊丹十三監督『タンポポ』挿話(通称)「最後のチャーハン」井川比佐志 三田和代同 英語字幕入り「タンポポで最も悲しいシーン」映画全体の本筋とは別の、わずか4分間のシーンだが、深く心に残る。世界映画史に残るといっていいのではないか。井川比佐志、三田和代の鬼気迫るほどの入神の演技に加え、せりふのない子役の動きまで、ほぼ完璧である。涙止めえず。唯一、臨終を告げる医者役の演技が上手くないと思っていたのだが、医者も人間である。手立ては尽くした。精一杯やった。礼も尽くした。もう帰りたいよという気分を表現していて、これはこれでいいのだと思い直した。映画好きであれば直ちに気づくことだが、このシーンは巨匠・小津安二郎監督の代表作で、日本映画屈指の名作『東京物語』で母親が亡くなるシーンへのオマージュと挑戦が入っているのだろう。そこで大声を立てて泣くのは、大女優・杉村春子だったが、(・・・これがまた、書けば若干長くなるのだが、書いてしまおうか。当時のこととて、割と優しいけれどもやはり威張っている父親に忍従気味の古いタイプの母親に反発して、手に職をつけて自立して、今は天下の大東京で美容院の経営者として成功している長女・杉村は映画の初めから母親にクールでドライで冷笑的な言動を繰り返す。見事な脚本と演出を得て、歴史的演技派大女優の面目躍如の独壇場である。母親の危篤に際しても、ますますそのドライな怜悧さは冴えわたる。女って、女に対してこうだよなと、いちいち思い当たって男は苦笑する。ところがそれが、長大な伏線であったと気づくのが、くだんの母親の臨終シーンであり、この瞬時、魂の叫びのように杉村春子が泣き崩れる。「ああっ」という声だったか。そしてすべての伏線が回収されたのである。脚本・監督のたくらみであり、ドラマツルギー・作劇の見本であると思う)この長女役の子役の泣き声は、それに勝るとも劣らないと思う。長男役の子役もいい。母の死を目前にして茫然としつつ父の命に従い、その最期のチャーハンを黙々と食う。かなしみは、やがてじわじわと後から襲ってくるだろう。かなしい。
2021.09.05
閲覧総数 1806
30
藤原長方(ふじわらのながかた)初雪のふるの神杉かみすぎうづもれて しめゆふ野辺は冬ごもりせり新古今和歌集 660初雪の降る布留(ふる)の社(やしろ)の神杉が雪に埋もれて標結う野辺は冬籠りしている。註布留(の社):石上神宮(奈良県天理市布留町)。「(初雪の)降る」と掛けている。しめゆふ(標結う):神域として注連縄(しめなわ)を張り、立ち入り禁止とすること。(冬ごもりせ)り:存続の助動詞(のちに完了の意味も)。「冬ごもりに入って(今もして)いる」。語源は動詞「あり」とされる。
2011.12.09
閲覧総数 404
31
川崎八重(かわさき・やえ、のちの新島にいじま八重) *あすの夜は何国いづこの誰たれかながむらむ なれし御城に残す月かげ明治元年(1868)旧暦九月二十二日(新暦11月6日)夜明日の夜はどのお国のどなたが眺めるのだろうか。慣れ親しんだお城に(われらの思いを)残す月光。註川崎八重:作者がこの歌を詠んだ(会津藩降伏の)時点で、苗字は川崎姓だったとする説(NHK大河ドラマ『八重の桜』はこれを採用)と、夫・川崎尚之助との婚姻関係は(ドラマの潤色と異なり)動乱の中ですでに解消していたとする説があり、後者の場合旧姓の「山本」となるが、厳密にはいずれとも定めがたい。ここではひとまず通説に従っておく。作者は、戊辰の役の重大局面であった会津戦争で、男たちに交じってただひとり敢然と、最新式の七連発スペンサー銃を携えて戦い、新政府軍の現場指揮官の一人だった薩摩藩砲兵隊長・大山弥助(のちの陸軍元帥・大山巖公爵)の右太ももに貫通銃創を負わせたと伝えられる女傑で、のちに人呼んで「幕末のジャンヌ・ダルク」「ハンサム・ウーマン」と称えられた。勇戦奮闘空しく会津藩が降伏した夜、下弦の月を眺めながら作者が若松城内の雑物蔵の外壁に簪かんざしで刻書したと伝えられる悲痛な一首で、一箇の和歌としても万感の思いの籠った絶唱といえる。作者は新島襄夫人となった明治時代には教育者・赤十字などの社会事業家として名士となり、多数の肖像写真が残されているが、この優しそうな女性のどこにこれほどの闘志が秘められていたのか、不可思議なほどである。御城:「みしろ」と読むか。会津藩・若松城(鶴ヶ城、現・福島県会津若松市)。「みそら(御空)」とする異伝もある。おそらく、口伝くでんのため異同が生じたものと思われる。→ ■ 会津戦争
2013.02.15
閲覧総数 1509
32
佐佐木信綱(ささき・のぶつな)春ここに生あるる朝あしたの日をうけて 山河草木さんかさうもくみな光あり歌集『山と水と』(昭和27年・1952)註「生(あ)るる」の読みは、作者の孫でやはり歌人の佐佐木幸綱氏が確認している。上古語動詞「生(あ)る」の連体形。「生(あ)る」は、「生まれる」の意味だが、「生まれる」が「生む」の受身形であるのと違い、能動的・自発的であり、また神秘的・超越的な存在が出来(しゅったい)するニュアンスがある。現代でも、短歌表現では比較的普通に使われる。語源的には「あり(存在する)」と関係があるかも知れない。したがって、韻律上「朝」は「あした」と読むと思われる。
2023.01.01
閲覧総数 344
33
武満徹ノヴェンバー・ステップス尺八、琵琶とオーケストラのためのNovember Steps For Shakuhachi, Biwa and Orchestra小澤征爾指揮尺八:横山勝也琵琶:鶴田錦史サイトウ・キネン・オーケストラ
2024.02.13
閲覧総数 47
34
TOKIOAMBITIOUS JAPAN!
2014.12.17
閲覧総数 4901
35
光森裕樹(みつもり・ゆうき)だとしてもきみが五月と呼ぶものが果たしてぼくにあつたかどうか歌集『鈴を産むひばり』(平成22年・2010)
2017.05.06
閲覧総数 975
36
私は別に皇室・皇族フリークでも何でもないし、追っかけてる暇もないけれども、コンビニやスーパーマーケットで時々男性・女性両週刊誌の関連記事を立ち読みするぐらいの興味はある。秋篠宮さまは、あのお髭でスリムでスタイリッシュなシティボーイ然とした風貌と、青年時代の「やんちゃ伝説」が尾をひいてか、率直に申し上げて、やや毀誉褒貶が多いおん方とお見受けつかまつるが、私はご人格識見、物腰、挙措動作を含め、昔から大ファンなのである。――比較など申し上げては非礼の極みであるが、皇族男子たるおん方は、人前で箸より重いものは持って戴きたくないし、ましてやハイキング途中のブランチとはいえ、群れなす報道陣のカメラの放列の前で「日清食品・カップヌードル」などをお召し上がりになるのはいかがなものかと、衷心より愚考したてまつる。細かいことを言うようですが、やはり、せめてお結び/握り飯をお召し上がりになるべきではないでしょうか。(なお、お結びの三角形は、京都・上賀茂神社の庭にある謎の三角錐の土盛りと同様、神道・原始宗教的なニュアンスがある形態であるとする説もある。)・・・年輩者は嘆いております。さて、最新号の「週刊新潮」掲載の「(紀子さまのご実家)川嶋家のルーツは会津武士」という記事に、歴史好きとして少なからず驚いた。紀子様の曽祖父に当たる池上四郎という人は、歴とした会津藩松平家家臣の子で、戊辰戦争時にはまだ幼かったため、あの少年決死隊・白虎隊には入隊していなかった(したがって、ほぼ全員討ち死の飯盛山の悲運を辛うじて免れた)そうであるが、会津若松・鶴ヶ城に籠って、官軍(天皇・新政府軍)を向こうに回して、子供ながらに勇戦奮闘したという。戊辰戦後の苛烈な処分で、若き藩主・松平容保は謹慎(のちに許されて日光東照宮宮司)、藩士らは斗南藩(青森)に改易、さらに明治維新の廃藩置県で藩自体消滅、その後池上氏は明治政府の警察畑で出世し、各地の警察署長を歴任したという。一昨年のNHK大河ドラマ「新選組!」を見た方はすぐ分かるだろうが、会津といえば幕末に最後まで徳川幕府を護ろうとした「朝敵・賊軍」、すなわち皇室の錦の御旗の仇敵の筆頭であった。皇室に対してはともかく、新政府エスタブリッシュメントの覇者となった薩長土肥閥に対しては、未だにわだかまりが消えていないことが、しばしばメデイアでも伝えられている。会津藩祖・保科正之は、徳川第二代将軍・秀忠が側室に産ませた隠れもない実子で、三代将軍家光の異母弟。四代将軍の後見人として江戸幕府の枢機にも深く参与した。言わば、「御三家」の次席といったところであった。徳川本家への忠誠は幕末まで続き、幕府アンシャン・レジーム(旧体制)に殉じた「新選組」が会津藩お預かりであったことはもとより、会津藩本体も、打ち寄せる官軍に死力を尽くした総力戦で臨み、敗れ去った。その女子供まで総動員した死闘ぶりは、官軍の猛者たちをして「敵ながらあっぱれ」と慟哭せしめ、一目置かれたことはよく知られている。最も武士らしい武士集団であったといえよう。会津藩出身で、明治時代になって新政府で重きを成した人物も多い。現代でいうと、日本最高の知性の一人である政治・経済学者で保守派論客イデオローグでもある小室直樹氏などが直ちに思い浮かぶ。地元・会津では沸いているという。そのはずであろう。かつて心ならずも官軍/朝廷/天皇家に仇なし弓を引いた会津武士の末裔が、今天皇になられる可能性のあるお子様の母となられた。以って瞑すべきである。PS.皇室について書くと、どうしても多少堅苦しい文章になるのはイナメない。当面このぐらいにしときますね。
2006.09.11
閲覧総数 1391
37
George MichaelCareless Whisper
2016.12.26
閲覧総数 328
38
よみ人知らず梅が香を袖にうつしてとどめてば 春は過ぐとも形見ならまし古今和歌集 46梅の香りを袖に移して留められたら春は過ぎても思うよすがになるだろうなあ。註てば:(もし)~することができたなら。完了の助動詞「つ」の未然形に「ば」がついたもの。形見:現代語の「形見」よりかなり意味は広く、銘記・記憶のよすがとなるもの全般についていう。
2014.03.22
閲覧総数 3716
39
加山雄三 feat. PUNPEEお嫁においで 2015
2017.03.16
閲覧総数 913
40
本居宣長(もとおり・のりなが)刈りはてぬかたへは麦の秋風に いつしかそよぐ小田の若苗歌集「鈴屋すずのや集」まだ麦をすっかり刈り終わらないかたわらには麦秋の風にいつしかそよいでいる小田の稲の若苗。註麦の秋:麦秋(ばくしゅう)。古来、晩春を洒落ていう「言葉のあや」の代表格。小田:「をだ(おだ)」と読むのだろう。
2013.05.24
閲覧総数 253
41
作者未詳 東歌あずまうたしもつけのみかもの山の小楢こならのす まぐはし児ころは誰たが笥けか持たむ万葉集 3424下毛野みかもの山に生える楢の若木のように目に美しいあの娘は誰の食器を持つのだろうか(誰の妻になるのだろうか)。【原文】(万葉仮名、真名・漢字)之母都家野 美可母乃夜麻能 許奈良能須 麻具波思兒呂波多賀家可母多牟註しもつけ:ほぼ現在の栃木県全域。野州。古代「東山道」八か国の一つ。古くは群馬県と栃木県地域を合わせて「毛野」と呼んでいたが、のちに上毛野(かみつけの)と下毛野(しもつけの)に分けられ、大化の改新後に那須地域を併合して「下野国(しもつけのくに)」となった。「上野(かみつけ)」はのちに音便化して「かうづけ→こうずけ」となった。栃木県央部を流れる「鬼怒川」の名は「毛野川」の転訛であるともいわれている。「毛」については、当時の辺境の原野の草深いさまを毛と表わした、または毛は二毛作の毛であり禾本科の穀物を指す、などが有力と思うが、毛人(毛深い野蛮人、縄文人・アイヌ人?)が住む土地の意味とする説もある。後者の説はセンシティブ(鋭敏)な問題も孕んでいる。いずれにせよ、当時の都・近畿から見た蔑称の響きを持っていることは否めないだろう。しもつけの:上記の歴史的経緯からすれば「下毛野」の意味である可能性が高いが、「の」を格助詞と見て「下野の」の意味にも取れる。いずれにせよ、歌の大意に影響はない。(小楢)のす:上代の接尾語「なす」(~のような、のごとくに)の東国訛りか。「なす」は、「くらげなす漂へる」(クラゲのように漂っている)や「雲の行くなす」(雲の行くごとくに)などの用例がある。まぐはし:「ま」は「目」。「目にも~、見るからに~」のニュアンスを付与する。「くはし」はきめ細やかで精妙な美しさを表わした形容詞で、のちに現代語の「詳しい」につながる意味が生じた。「かぐわしい(←香・くはし)」などの造語成分でもある。なお、古語の「うつくし」は「かわいい、愛らしい」の意味で、現代語の「美しい」とはかなり意味が異なる。みかもの山:三毳山。栃木県南部・佐野市付近の低い山。おそらく、「三鴨」または「御鴨」の意味で、全国に存在したという鴨信仰に関係があり、大和朝廷側の名づけだろうか。地元では「太田和山」と呼んでいたという記録があるという。古代には周辺に東山道の「三鴨の駅家(うまや)」または「美加保乃関(みかほのせき)」があったという記録があるが、遺跡の発掘などの考古学的証明はまだなされておらず、正確な場所は比定できていない。なお、「毳」の字は柔らかく細い「にこげ」の意味で、通常「かも」とは読まない(ただし11世紀末~12世紀成立の辞書で国宝の「類聚名義抄るいじゅみょうぎしょう 観智院写本」には「かも」の訓があるという)。この字が「みかも」に当てられたのは、時代を下った江戸時代ともいわれている。地名や苗字に吉祥または洒落た当て字を用いることは多数の例がある。児ろ:「子ら」の東国訛り。「ら」と複数の接尾語が付いているが、単数の意味である。「子ども」も複数の形だが、一人の子にも言う。笥け:容器、とりわけ食器をいった。味岡宏佳(あじおか ひろか) パブリック・ドメイン ウィキメディア・コモンズ三毳山写真 撮影・提供者:Ebiebi2 さん
2013.06.03
閲覧総数 3877
42
小林一茶(こばやし・いっさ)あの月を取つてくれろと泣く子かな『七番日記』(文化・文政時代、1810年代)註人口に膾炙した、一茶のほのぼの・しみじみとした代表作のひとつ。内容は明らかにユーモラスであり、やや川柳寄りかとも思うが、それほどカテゴリーにこだわる必要もないであろう。なお、初句を「名月を」とする別案も残されているので、この月が中秋の名月であることは疑いない。幼児は、しばしば些細なことで駄々をこねる。それをどこまで許すか。日本人はこれをかなりの程度まで許容し、むしろ微笑ましい・可愛らしいものとさえ感じる。この感性は、世界的に見て意外に珍しいことなのだという指摘がある。そういう意味では、この名句は、日本人の国民性の一端の機微を表現していると言えるかもしれない。ちなみに、今宵は「中秋の名月(十五夜)」だが、天文学上の望(ぼう、満月=太陽・地球・月がおおむね一直線上に並んだ状態)と、暦の上のいわゆる十五夜が一致することは、意外と稀なのだという。
2021.09.21
閲覧総数 396
43
坂本野原いつの間にそんな奇跡が起きてたの なんか短歌がブームらしくて16年短歌ブログをやってきて、やっと時代が追いついてきた(笑)チコちゃんの永山久夫先生はほぼ録画せり 九十一歳寅さんとさくらみたいなオズワルド伊藤と伊藤沙莉兄妹
2023.10.23
閲覧総数 96
44
Eric CarmenAll By Myselfすべてを自分ひとりでするなんてことになりたくないよ。ぼくにはきみが必要なんだ。
2024.05.28
閲覧総数 33
45
竹内まりや人生の扉ライブ
2024.05.29
閲覧総数 19
46
The Alan Parsons ProjectDays Are Numbers(The Traveller)
2024.05.28
閲覧総数 19
47
当地、栃木の地元紙「下野(しもつけ)新聞」に心霊写真(?)が載ったというので、だいぶ早めの「真夏の夜のミステリー」ってな感じで、大騒ぎになっている。・・・ってほどでもないか問題の写真は、7月4日(水)付け14面(スポーツ面)である。さまざまなスポーツの強豪として全国的にも知られる地元高校の選手を紹介する記事に添付されたものである。僕は、早大・大槻教授と同じく、この手のオカルト風の非科学的な話はまるで信じないので、多少は面白がるけれども、鼻で笑っておしまいなのですが、万一これで心が傷つく人でもいれば、この記事は削除する用意があります
2007.07.10
閲覧総数 557