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George HarrisonWhat Is LifeOlivia Newton-JohnWhat is Life人生とは何か。
2024年11月23日
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George HarrisonAll Things Must Passすべてのものは過ぎゆかざるを得ず。諸行無常、万物流転。
2024年11月22日
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George HarrisonYOU
2024年11月21日
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George HarrisonIsn't It A PityIsn't It A PityTake 27Isn't It A Pity初期 Demo VersionIsn't It a PityLive in Japan 1991at Tokyo Dome
2024年11月20日
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ヨハン・セバスティアン・バッハ管弦楽組曲 第3番第2曲アリア(G線上のアリア)小澤征爾指揮NHK交響楽団G線上のアリアヴォイセズ・オブ・ミュージックオリジナル古楽器小編成演奏G線上のアリアアルブレヒト・マイヤー:ファゴット(バスーン)G線上のアリアステファン・ハウザー:ヴィオロンチェロG線上のアリアナチュラルファーム:シンセサイザー
2024年11月20日
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谷川俊太郎さんに、思春期に魅了されて以来ずっと大ファンであり、ものすごく尊敬していた。92歳の天寿を全うされた。谷川氏が遺した厖大な、きわめて豊穣で多面的な作品群について、何かひと言で覆うというのはどだい無理な話だけれど、あえて僕の勝手な印象でいえば、「言葉とは何か、詩とは何か」を一貫して、いい意味で執拗に問い続けた作風の生涯だったと思う。その探求の道程が、また優れた詩作品として呈示されるという、ある意味で至福のループを持つ天賦の詩人だった。言葉の表現者として最も根源的で真摯なその姿勢によって、現代日本と世界に屹立しつづけた。一見シンプルだが、研ぎ澄まされた清澄な文体は、現代日本語でありながら、時に古事記や万葉集、ギルガメシュ叙事詩やホメロス、タゴールの詩のような古拙(アルカイック)な響きの気品を纏い、詩に必須の深みと、一定の謎めいた難解晦渋性・解釈の余地をも孕んでおり、僕はそういうところに特にわくわくさせられた。晩年には、俳句、とりわけ芭蕉的な感性にも接近、肉薄しておられた。宮沢賢治『雨ニモ負ケズ』を発見した一人である父で哲学者・文芸評論家だった谷川徹三氏に半ば捧げられたと見られる詩集『世間知ラズ』なども面白かった。結婚直前に、4℃の指輪と一緒に、この詩集を妻にプレゼントした。ちょっと気障だったかも知れないが、彼女も感動していた。その劈頭に置かれた力作『父の死』は異彩を放っている。詩歌は、よく(天から)降りてくるというが、谷川氏の場合は、(床の下の)地面から上がってくるのだと、どこかで言っていた。これが何を意味するのか、何も意味していないのかは皆目分からないが、さすがに面白いことをおっしゃるなと思った。家庭的にはあまり円満ではなかったようだが、天才と平凡は両立しない。ある意味でやむを得ないことだったかなと思う。(・・・僕くまんパパの詠む短歌がだめなのは、家庭的に幸せすぎるからなんだよな~と、薄々気がついているのである )ご冥福をお祈りする、みたいな紋切り型の定型文は書きたくない気分だ。谷川氏はこれからもずっと、この胸に永遠に生きつづける。以下はマスメディア報道の引用コピペである。ご寛恕を希いたい。■ 詩人の谷川俊太郎さん死去、92歳「二十億光年の孤独」や「鉄腕アトム」主題歌など親しみやすい詩【読売新聞 19日】 日本の現代詩を代表する詩人で、「二十億光年の孤独」や「朝のリレー」など数多くの親しみやすい詩が人々に愛された谷川俊太郎(たにかわ・しゅんたろう)さんが、18日までに死去した。92歳だった。 1931年、哲学者・谷川徹三の一人息子として生まれた。東京都立豊多摩高在学中に書きためた詩のノートを父親が三好達治に見せたのがきっかけで、20歳の時、「二十億光年の孤独」を出版した。大岡信、茨木のり子らと詩誌「 櫂(かい) 」に参加。「六十二のソネット」「愛について」など次々と詩集を発表した。 アニメ「鉄腕アトム」の主題歌をはじめ、ラジオドラマのシナリオや戯曲も執筆。英国の伝承童謡の訳詩集「マザー・グースのうた」(日本翻訳文化賞)や、「ことばあそびうた」「わらべうた」など、ひらがなを使った子供向けの詩も多く手がけた。 また、犬のスヌーピーが登場する米国の人気漫画「ピーナッツ」シリーズの翻訳を続け、「朝のリレー」が国語教科書やテレビCMに採用されるなど、幅広い活動で知られた。 83年に「日々の地図」で読売文学賞、85年「よしなしうた」で現代詩花椿賞、93年「世間知ラズ」で第1回萩原朔太郎賞、2010年「トロムソコラージュ」で第1回鮎川信夫賞を受賞。英語や中国語など世界20か国語以上に作品が翻訳された功績がたたえられ、19年に国際交流基金賞が贈られた。 私生活では3度の離婚を経験。元妻に童話作家の岸田衿子さん、前妻は画家の佐野洋子さん。長男の賢作さんは作曲家。■「僕は今、死んでも宇宙のエネルギーと一体になれる」谷川俊太郎さん92歳で死去【読売新聞 19日】 戦後の日本の詩を 牽引(けんいん) してきた谷川俊太郎(たにかわ・しゅんたろう)さんが92歳で死去し、国内外の多くの読者の間で悲しみが広がっている。「二十億光年の孤独」や「朝のリレー」など、70年以上にわたって親しみやすく柔らかな作品を発表してきた。 新潮社などによると、谷川さんは13日午後10時5分、老衰のため東京都内の病院で死去した。葬儀は近親者で済ませた。 谷川さんは東京生まれ。1952年、20歳の時、詩集「二十億光年の孤独」を出版した。「二十億光年の孤独に/僕は思わずくしゃみをした」などのフレーズに代表される詩は、終戦の傷痕が残る時代に、宇宙的な感覚と生きる喜びを表現した作品として高く評価された。 大岡信、茨木のり子らと詩誌「 櫂(かい) 」に参加。戦争の時代を踏まえた硬質な作品が目立つ戦後詩壇の中で、みずみずしい感性を持つ新しい世代の詩人として注目された。 作詞や翻訳など様々な分野でも活躍。アニメ「鉄腕アトム」の主題歌の作詞を手がけ、犬のスヌーピーが登場する米国の人気漫画「ピーナッツ」シリーズの翻訳を続けた。「朝のリレー」の詩は国語教科書やテレビCMに採用された。 93年「世間知ラズ」で第1回萩原朔太郎賞、2010年「トロムソコラージュ」で第1回鮎川信夫賞を受賞。世界20か国語以上に詩などが翻訳された功績がたたえられ、19年に国際交流基金賞が贈られた。 詩人のねじめ正一さん(76)は「詩のグラウンドを広く使えた人で、谷川さんに袋小路はなかった。(戦争体験者を中心とした)『 荒地(あれち) 』派が身構えながら硬質な言葉を繰り出したのに対して、柔らかく分かりやすい言葉で難しいことを伝えることができた人だった」としのんだ。「詩を書くしか能がないんです」 口にした言葉がそのまま、詩になる人だった。 2019年11月に行われた国際交流基金賞の授賞式。車いすで記者会見の場に現れた谷川さんは、詩を70年書き続けた感想を聞かれ、「うんざりしてますけどね……。詩を書くしか能がないんです」と周囲を笑わせた。 「僕は権威になるのが嫌。できれば道化役みたいになりたい」と穏やかに語り、「人間の成長を木の年輪にたとえると、中心に生まれた自分がいて、3歳、5歳と周りに年輪ができ、最後の年輪が今の自分。自分の中に常に幼児である自分もいる」。みずみずしい詩を生み続ける秘密を明かした。万有引力とはひき合う孤独の力である宇宙はひずんでいるそれ故みんなはもとめ合う 「二十億光年の孤独」は1950年、18歳の若さで文芸誌に発表した。一人っ子で大切に育てられた幼年時代、軽井沢の別荘で見た満天の星などを想像させる。戦争の傷痕が残る時代、清新な詩は多くの人に受け入れられた。 でも、谷川さんはどんな自分の言葉も勝手に心から離れ、詩になってしまう 哀(かな) しみを抱えた人のようにも見えた。 <何ひとつ書く事はない(略)本当の事を 云(い) おうか/詩人のふりはしてるが/私は詩人ではない>。65年に発表した詩「鳥羽」の一節だ。詩人は言葉を超えた、本当の人の魂との触れ合いや 詩情(ポエジー) を求めてさまよった。家庭生活のうえでは3度の離婚を重ねた。「高村光太郎は智恵子を狂わせ、中原中也は女性トラブルを経験した。詩的な生き方を貫くと、世間とどうしてもぶつかってしまう」と言った。 ひらがなの詩、定型詩、極端に短い詩。様々な技法を試した。本当の詩を探す旅を続け、90歳を超えておむつをつけるようになった自分もまた詩に詠んだ。これを身につけるのは九十年ぶりだから違和感があるかと思ったらかえってそこはかとない懐かしさが 蘇(よみがえ) ったのは意外だった (「これ」より) 書いた詩は、発表しただけで2500編以上といわれる。「最近、宇宙は目に見えない、ビッグバンのエネルギーに満ちているように見えてきた。僕は今、死んでも宇宙のエネルギーと一体になれると思う」 その詩は、日本語の夜空に永遠に瞬き続けるはずだ。(文化部 待田晋哉)■ 詩人の谷川俊太郎さん死去「二十億光年の孤独」「生きる」など【NHK 19日】「二十億光年の孤独」や「生きる」など鋭い感性で生み出した親しみやすい詩で知られる、現代を代表する詩人の谷川俊太郎さんが、今月13日に老衰のため都内の病院で亡くなりました。92歳でした。1931年に東京で生まれた谷川さんは、高校時代に詩を作り始め、1952年、詩集「二十億光年の孤独」を発表しデビュー。広い宇宙に生きる孤独な人間の姿を見事に表現し、一躍脚光を浴びました。鋭い感性から生まれる表現やテンポのよいことばあそびなどが特徴で、半世紀以上にわたり数多くの作品を発表し続けてきました。生きるすばらしさをつづった「生きる」や、世界中で朝を迎える様子を描いた「朝のリレー」など国語の教科書に掲載された詩も多く、親しみやすいことばで表現された谷川さんの詩は時代をこえて読み継がれてきました。また、アニメ「鉄腕アトム」の主題歌の作詞を手がけたほか、絵本「スイミー」や「マザー・グースのうた」、それにスヌーピーの漫画「ピーナッツ」など海外の名作の翻訳を多く手がけたことでも知られています。NHK全国学校音楽コンクールでは過去5回にわたり課題曲の作詞を手がけ、ことばの持つ力で日本の文化を支えてきたとして、ことし放送文化賞を受賞しました。谷川さんの事務所によりますと、今月13日の午後10時すぎ、老衰のため都内の病院で亡くなったということです。92歳でした。□ 息子の賢作さん「詩はずっと皆さんと共に」谷川俊太郎さんの息子でピアニストの谷川賢作さんは、SNSのXで「私は中国からの公演の帰途についているところで間に合いませんでしたが、妹が駆けつけてくれて、最後をみとってくれました。穏やかな最後だったということです。皆様と同様私も、俊太郎の詩に驚き、感心し、クスッと笑わされ、ほろっと泣かされ、楽しかったですね。紋切り型ですが、彼の詩はずっと皆さんと共にあります。ありがとうございました」などと投稿しました。谷川さんはことしの1月から体調を崩していたということで、NHKの取材に対して賢作さんは「10か月にわたって大変だったな、お疲れさまと声をかけてあげたいです」と話していました。□ 放送文化賞を受賞 3月にメッセージも3月に開かれた放送文化賞の式典では、息子の賢作さんが出席してメッセージを代読しました。この中で谷川さんは「私は詩を原稿用紙に書くことから始めましたが、まもなくその詩を声に出して朗読することが求められるようになり、自作の詩を自分の声で読むようになりました。初めは恥ずかしかったけれど、そのうち慣れて、活字とは違う詩の広げ方というものが自然に自分でもできるようになりました。そして放送で自作を読んだりすることが自分の仕事としても成り立つようになったと思います。放送のジャンルで仕事をすることは私にとって自然なことで、誰かの声で自分の詩が広まることは新鮮な経験でした。まもなく私は文字だけではなく声で自分の書いたものを広めることにエネルギーを注ぐようになりました。私は自分では演奏はしませんが、音楽が大好きで、自分の詩が歌になることはいつでも歓迎していました」と思いをつづっていました。□「二十億光年の孤独」とは谷川さんのデビュー作の詩集「二十億光年の孤独」では、宇宙を題材にした詩が詠まれています。同名の詩では「宇宙はひずんでいるそれ故みんなはもとめ合う宇宙はどんどん膨んでゆくそれ故みんなは不安である」などと、宇宙に生きる孤独な人間の姿などが表現されています。□ 俵万智さん「やさしいことばで深いこと伝える お手本の方」谷川俊太郎さんと30年以上前から交流があるという歌人の俵万智さんは、谷川さんの印象について「私と谷川さんはタイプが違う人間なので、かえって話が弾むという感じでした。谷川さんは東京の同じ場所にずっと住まれている一方で、私が引っ越していろんな土地に住んでいることに驚かれたり、谷川さんが音楽を日常的に必要とされている一方で、私は音楽がなくても全然平気で『音楽で泣いたことのない女に初めて会った』と言われたこともあったりしました。谷川さんは自由な詩を書いて、私は定型詩を書いていて、そういう違いがあるからこそ、何かひかれ合うというとおこがましいですが、すごく魅力を感じることばの使い手でした」と振り返りました。その上で、「『いつ詩が完成したと思うんですか』と聞いたら『それは締め切りだよ』と身もふたもないことをおっしゃいますが、逆に締め切りがなかったらいつまでも完成しないということの裏返しで、ことばの使い手としてすごく誠実だと思います。本当にことばで詩が書けるのか誠実に疑い続けた使い手というところは、心から尊敬しますし、自分もそうありたいです」と話していました。また、谷川さんの作品について「ある詩のフレーズに『泣き顔を見せずに泣きたい』というものがあります。今の時代のことばの使い方は泣いて見せないと泣いたことにならない感じがありますが、泣き顔を見せずに泣けるのが詩人だと思い、印象に残っています。難しいことばで難しいことを言うのは簡単だと思いますが、やさしいことばで難しいこと、深いことを伝えることができるというのがことばの使い手だと思うし谷川さんはお手本のような方だと思います。海外でもたくさん翻訳されて愛されているのは、人間の普遍的なものにまで届くことばだからでこれからも作品は残るので読んでいきたいです。谷川さんが同じ時代にいてくれたことは宝物のようなことなので、その日本語のすばらしさを少しでも受け継いでいけたらと思います」と話していました。□ 元宇宙飛行士の山崎直子さん「心にしみる詩」元宇宙飛行士の山崎直子さんは、旧ツイッターのXに、「谷川俊太郎さんの『二十億光年の孤独』に高校時代に出会い、心にしみる詩で宇宙を表現されていることに衝撃を受けました。たくさんの優しい言葉で想像力を広げていただきました」などと投稿しています。□ 林官房長官「敬意を表するとともに哀悼の意を表したい」林官房長官は閣議のあとの記者会見で「謹んでお悔やみを申し上げる。戦後日本を代表する詩人として幅広く活躍された谷川氏の功績に敬意を表するとともに哀悼の意を表したい」と述べました。■ 谷川俊太郎さん 生きることを問う言葉の数々つむぎ続けた70年余 【毎日新聞 19日】 現代日本を代表する詩人で、絵本や作詞、エッセーなど幅広い著作で親しまれた谷川俊太郎(たにかわ・しゅんたろう)さんが13日、老衰のため死去した。92歳。葬儀は18日に近親者で営んだ。お別れの会を後日開く予定。 東京都生まれ。父親は哲学者で法政大学総長を務めた谷川徹三。1952年に詩集「二十億光年の孤独」でデビューし、既存の戦後詩と異なる清新な作品が注目された。53年、茨木のり子、川崎洋が創刊した詩誌「櫂(かい)」に参加し、大岡信、吉野弘ら同世代の若い詩人たちと活動。以来、70年余にわたり人間の根源や生きることの意味を問う詩作を続けた。 絵本「ことばあそびうた」(73年)など子ども向けの作品も熱心に書き、「もこ もこもこ」(77年)は100万部を超えるロングセラーとなった。世界の人々の営みと連帯を表現した詩「朝のリレー」は教科書にも掲載された。 活動分野は多岐にわたり、62年に「月火水木金土日の歌」で日本レコード大賞の作詩賞を受賞。64年の東京オリンピックでは、公式記録映画の製作に脚本家として参加した。テレビアニメ「鉄腕アトム」やアニメ映画「ハウルの動く城」の主題歌の作詞も手がけた。 詩集「世間知ラズ」で萩原朔太郎賞(93年)、「シャガールと木の葉」などで毎日芸術賞(2006年)、「トロムソコラージュ」で鮎川信夫賞(10年)、「詩に就いて」で三好達治賞(16年)など多くの賞を得た。近年はスマートフォン向けの詩集アプリ「谷川」や、郵便で詩を送る「ポエメール」など詩の可能性を広げる新たな取り組みも始めていた。 作品は英語、フランス語、中国語など二十数カ国語に翻訳。平易なことばを用いた詩は外国人向けの日本語教育に活用され、国際相互理解の促進に貢献したとして19年度の国際交流基金賞を受賞した。 私生活では3度の結婚と離婚を経験。長男で音楽家の谷川賢作さんのピアノ演奏に合わせて詩を朗読する“父子コンサート”も開いてきた。
2024年11月19日
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モーリス・ラヴェル亡き王女のためのパヴァーヌ反田恭平:ピアノフォルテ亡き王女のためのパヴァーヌ冨田勲:シンセサイザー
2024年11月18日
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私も、このブログで絶賛しました 文句なしの名句と思う。□ 千原ジュニアさんが詠んだ『プレバト』で絶賛の望郷の句が碑に京都・福知山 【毎日新聞 18日】 京都府福知山市出身のお笑い芸人、千原ジュニアさん(50)が詠んだ俳句の句碑が18日、故郷で除幕された。ジュニアさんがテレビ番組で披露した「故郷(ふるさと)の苜蓿(もくしゅく)の香は濃かりけり」で、福知山城のそばに建立された。お披露目セレモニーでジュニアさんは「芸人で句碑を建てていただくことはなかなかないので、非常に光栄です」と喜んでいた。 ジュニアさんは福知山ドッコイセ大使。4月25日放送のテレビ番組「プレバト‼」(毎日放送)の俳句コーナーで「ふるさと」のお題で詠んだ作品だ。俳人の夏井いつきさんが「福知山に句碑を建ててもらいたい」と絶賛。これを受けて福知山市の石材店「中垣石材」が市に句碑寄贈を申し出て実現した。福知山城に隣接する「ゆらのガーデン」に建てられた句碑は、地元産「大江山御影(みかげ)石」製で高さ140センチ、幅63センチ。ジュニアさん直筆の文字が刻まれている。 作中の「苜蓿」はクローバー(シロツメクサ)のこと。式典でジュニアさんは「東京にもクローバーはあるが、やっぱり古里は緑の香りが濃いような気がするという思いを詠んだ」と望郷の気持ちを込めたと説明した。 市民ら約100人が見守る中、ジュニアさんと中垣石材の中垣昇太専務、大橋一夫市長が句碑を除幕。引っ張ったひもが白い幕からはずれてしまい、ジュニアさんは「ひもだけ取れるとは思いませんでした」と会場の笑いを誘っていた。 ジュニアさんは報道陣の取材に「句集が出た暁には(福知山に)呼んでいただけたらと思う」と語った。大橋市長は式典で「福知山城をバックにした絶景の場所。よりにぎわいのある場にしていきたい」と述べた。【庭田学】
2024年11月18日
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藤原道長(ふじわらのみちなが)この世をばわが世とぞ思ふ 望月の虧かけたることも無しと思へば藤原実資さねすけ『小右記しょうゆうき』(寛仁二年・1018 旧暦十月十六日、新暦換算11月26日付)この世をば、わが世だなあと思うのだ。この満月の欠けたところもないのを思えば。註日本史上名高い、いわゆる「望月の歌」。NHK大河ドラマ『光る君へ・望月の夜』、11月17日放送。詠まれた時季と放送日もほぼ一致して、新たな感慨にいざなわれた。作者・道長と紫式部が、若き日の満月の夜の褥(しとね)の交情を二人で密かに思い出しているという脚色は、想定内ではあったが、やはり見事な伏線の回収だった。その美しく情熱的なラヴシーンがあったのは、春まだ浅き3月10日放送の遠い過去なのであった。この場合、「このよ」は「この夜」(思い出の夜)ということになり、満月は二人の愛情の比喩、またはまひろへの賛辞になるだろう。これでも確かに意味が通る。望月の歌はまひろに捧げられドラマとしてはこれにてまほら 野原が、実際には以下の解説のごときが穏当であろう。望月のかけたることもなしと思へば : この下の句の正確な解釈は、意外と難しい。古来、上掲拙訳のニュアンスあたりで理解されてきたのだが、一般的な解釈としてはそれでいいと思うが、少し穿てば「満月というものは、かつて欠けたことがない」という論理的な(理屈っぽい)ニュアンスかなとも思われる。または、この夜の月は、実際には十六夜(いざよい)で、わずかに欠け始めていたのだが、それを「欠けたところもないと思ってみれば」という、説明的な意味だという説もある。案外これが正解かも知れない。当時の彼ら上級貴族の必修科目の教養で、当然作歌の参考にしたであろう『古今和歌集』には、こういった(やや散文的な)理屈の歌が少なからずあり、後世、万葉集を称揚した明治の巨人・正岡子規によって論難され、その戒めの流れは現代短歌にも及んでいる。いずれにせよ、「辞世」とまでは言わずとも、今でいう「生涯詠」的な深い詠嘆の情が込められていることは間違いないだろう。いわゆる「今がピーク」という思いもあっただろう。平安時代中期、事実上の最高権力者である左大臣(現・内閣総理大臣)の地位にあった藤原道長(今年の大河ドラマでは柄本佑が見事な好演)の詠んだ歌として古来著名。教科書には必ず載っているが、国語(古文)ではなく社会(日本史)なのも珍しい。道長の長女・彰子(あきこ、しょうし / 見上愛)は、一条天皇の中宮(皇后)となり二人の皇子を生んだ。この二人は、のちに後一条天皇と後朱雀天皇となる。この歌は、彰子と腹違いの娘・威子(たけこ、いし / 佐月絵美)が後一条天皇の中宮に入内(じゅだい)することとなり、その立后の儀式後のめでたい祝いの宴(うたげ)で詠んだ。この時点で、彰子が太皇太后、妍子(きよこ、けんし / 倉沢杏菜)が皇太后、威子が中宮となり、三人の后(きさき)を道長の娘が占め、皇室との縁戚関係でほぼ地位が決まった当時の上級貴族社会での権勢は、絶頂に達していた。これで人間、天狗になるなという方が無理であろう。あえて露悪的に「天狗ですよ」と演じて見せた面もあるかも知れない。この時道長は、当時としてはすでに老境といえる52歳。その場に同席した、碁敵(ごがたき)のような政治的好敵手で、有職故実にも博覧強記のきわめて几帳面な学者肌の実力者だった藤原実資(ロバート・秋山竜次)が、その日記『小右記』にこの宴席の模様を客観的に詳らかに書き残したため、長く後世に伝わることとなった。そして、この歌自体が故実・伝説(レジェンド)となった。・・・実資、グッジョブだった作者・道長自身の日記『御堂関白記』には、この夜歌を詠んだことは書いてあるが、内容は書かれていない。その場の即興(インプロビゼーション)ゆえであろうか、「思ふ」「思へば」の重複、2句目の字余り破調、下2句の意味が今一つ分かりにくいなど、和歌作品としての完成度が高いとは、お世辞にも言えない。いわば「文芸担当」の部下だったともいえる紫式部(吉高由里子)も達人だった、当時すでにかなり発達していた象徴主義的な表現の幽玄微妙などどこ吹く風の、露骨ともいえる直截な表現である。が、それにもかかわらず、凡百の和歌が裸足で逃げ出すど迫力があることはご覧の通りである。読み取れるのは、一部は隠しようのない実感・満足感、一部は祝いの席での放埓な哄笑、さらにはややはったりの虚勢・強がりといったところだろうか。巷間、怪物的な自恃自矜(ナルシシズム)の典型のように批判的に言われてきたが、よく読めば、案外それほどの排他的(エグゼクティヴ)な心境を示したものではなくて、単純素朴で無邪気(イノセント)な、子供っぽい多幸感(エクスタシー)を率直に表現したものとも思える。酒席での座興の陽気な乗り(アドリブ)ということもあり、全く共感できるとまでは言わないが、かなり情状酌量すべき余地はある。われわれ庶民といえども、人としてこの世に生まれてきた以上、道長の何百分の一であっても、このような境地を二度や三度味わうのは悪くないのではなかろうか。結婚や、子供が生まれた時とか、仕事で大成功したとか、そして、道長と同様、子供がすくすくと成長して、ひとかどの大人になりゆくときなど、枚挙にいとまはなけれども。ただ、当時の権謀術数渦巻く平安国家権力中枢にあって、これほど脇の甘い太平楽な歌を詠むとは、案外お人好しの、人好きのする「いい奴」だった面があるのではないかとも思えてしまう。人望があったわけだ。実際に、長女・彰子の女房(侍女兼家庭教師のようなもの)だった天才的なスーパーインテリジェント・キャリアウーマン紫式部をはじめ、当時の一流の女性たちにもてもてであり、あの「光源氏」のモデル(の少なくとも一人)となったことは疑いないと言っていいだろう。(ちなみに、「紫式部」は『源氏物語』のヒロインである「紫の上」になぞらえた後世のニックネームみたいなものであって、当時の宮廷での準公式呼称は「藤式部」であった。本名は定かでない。「薫」説は割と有力。)もちろん、現代のような民主主義社会ではないから、作者のような権力者は威張っている側面もあっただろうし、庶民は苦しんでいたなど、言い出せば切りがないが、その時代の制約の中で、おのが運命の中で精いっぱい生きた人の晩年の、ひとつの喜びの絶唱ではないかと思われる。・・・と同時に、この歌に、わずかに不吉な翳が射しているのを読み取るのは私だけではあるまい。「望月」が欠けたところがないという我田引水で牽強付会なイメージの展開が、今現在の境遇がピークであり、満ちた月は明日の夜から欠け始めるという栄枯盛衰・生者必滅・色即是空・祇園精舎の無常を微かに連想させてやまない。当時、位人臣(くらいじんしん)を極め全権力を掌握していた藤原氏の完全無欠な権柄と栄耀栄華は世を覆っていたが、すでにこの時、道長の身体は貴族社会の不健康な生活習慣・栄養の偏りや運動不足、過度の飲酒、ストレスなどによってであろうが、飲水病(現・糖尿病)に罹患しており、眼病(糖尿病性の黄斑変性症などの網膜疾患?)や脚気衝心(心臓神経症=ビタミンB群欠乏症)も患っていたという。藤原氏の繁栄も、彼一代が頂点であり、はつかなる綻びと衰亡の予兆も垣間見せ始めていた。彼自身、さすがに悟ることがあったと見え、この翌年には剃髪して仏門に入り、病気の治療を加持祈祷の神通力に縋る次第となった。そんなこんなの、日本人なら誰しも持っている「諸行無常」な感受性を呼び起こす点でも、やや下手で放胆なこの歌をして、天下の名歌たらしめているゆえんであるといえよう。僕らの世代には、松任谷由実(当時、荒井由実)の『14番目の月』の歌詞も連想される。・・・それにしても、あと数回で終わってしまうという今年の大河ドラマは、僕個人的には歴代最高水準の大河だった。よくやってくれた。一年間、本当に楽しかった。毎週日曜日の夜が待ち遠しくてたまらなかった。僕にとって「光る君ロス」「まひロス」は甚大な精神的打撃になると予感される。「ましゃロス」とか「にのロス」とか言っていた女の子たちの気持ちがよく分かる晩秋なのである。
2024年11月18日
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Bruno MarsTalking To The Moon日本語訳サビで、MoonとYouが脚韻を踏んでいる。しびれる。
2024年11月17日
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坂本野原あじさいの枯れ枝を刈るめんどうな作業のおわり月のぼり来ぬ人類が地球の上で同じ月見てる連帯感はないかな望月の夜にわが家は餅食った駄洒落じゃなくて海苔ときなこで晴れてたら月を見るのがおすすめよ言葉になんてできない何かありえないいつもこっちを向いている奇跡の謎の公転自転もし月がなくば夜空はものすごくさびしいだろうさびしいだろうパンのみにあらざれば人精神と詩歌を要す 月のみちびきしののめが東の空にほのめけば逆さになったうさぎ沈めり明らかに上手いんだけど世も末の歌にてはある白馬定綱欠点があってよかった森香澄、足が臭いというご愛嬌トランプが大統領に復帰して再開される解体作業街なかの鳥の王者は烏にて鳩をいじめて楽しんでいる政治家は昔は妾あまたいた昭和は良かったなんてちょっとね神楽坂女将とふたり堂々と写りし写真田中角栄若き日のビートたけしが言っていた銀座の女総なめだったたまきんと下品なあだ名つけられし人にいささか同情的よ
2024年11月16日
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永井陽子(ながい・ようこ)ぽこぽこと真昼の木魚終日をやはらかなからたちの棘へ降る雨ここはアヴィニョンの橋にあらねど♩♩♩曇り日のした百合もて通る曇天にかつこかつこと鳴る羯鼓かつこたれにか逢はむたれにか逢はむ篠懸が纏ふすずかけいろの翳くぐりぬけチェロその他を運ぶ月の光を気管支に溜めねむりゐるただやはらかな楽器のやうに丈たかき斥候ものみのやうな貌かほをして fフォルテが杉に凭れてゐるぞ歌集『ふしぎな楽器』(昭和61年・1986)
2024年11月16日
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佐佐木定綱(ささき・さだつな)道端に捨てられている中華鍋日ごと場所替えある日消え去る自らのまわりに円を描くごと死んだ魚は机を濡らすYouTubeで知らないブルース聞きながら煮込めば歌う細切れの豚いったい告白以降の愛とはなんだよかすかな呼吸を聴いてる湖のようなベッドを抜け出せば君のもとまでさざ波が立ついつもより陽気な声を出すときはぼくはなんだかさみしくなる伸びきったまま戻らない電灯のひも思いきり引きちぎる夜おまえは生きているうち一度でも空を見たかと問う鶏肉にぼくの持つバケツに落ちた月を食いめだかの腹はふくらんでゆく歌集『月を食う』(令和元年・2019)
2024年11月15日
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柴咲コウ月のしずく
2024年11月15日
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鬼束ちひろ 月光
2024年11月15日
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Neil YoungHarvest Moon
2024年11月14日
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紫式部(むらさきしきぶ)めぐりあひて見しやそれともわかぬ間に 雲隠れにし夜半よはの月かな新古今和歌集 1499 / 小倉百人一首 57たまたま出会って見たのかどうかも分からない間に叢雲むらぐもに隠れてしまった夜更けの月だなあ。(邂逅して、お逢いしたのかどうかも分からないうちにいなくなってしまった、愛しいあなた。)註わかぬ:現代語「分かる」ではなく、古語動詞「分く」(意味は同じ)の打ち消しなので、この形になる。上掲の結句は、百人一首を採った。新古今集(原作)では「夜半の月かげ(月光)」。百人一首の方は、撰者の巨匠・藤原定家による推敲か。確かに、間違いなくこちらの方がいいと思われる。『プレバト』みたいなことを、千年前の人もやっていたってことか
2024年11月05日
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光源氏(ひかるげんじ)もの思ふと過ぐる月日も知らぬまに 年もわが世もけふや尽きぬる紫式部『源氏物語・幻』物思いに耽って過ぎ去ってゆく月日にも気づかないでいた間にこのひととせも、わが人生も今日尽きてしまうのだろうか。* NHK大河ドラマ『光る君へ』11月3日放送。
2024年11月04日
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藤原彰子(ふじわらのあきこ、しょうし)見るままに露ぞこぼるる おくれにし心も知らぬ撫子なでしこの花後拾遺和歌集 569見ているだけで涙がこぼれるのです。見ていると、朝露がこぼれる撫子の花を無邪気に摘んで持ってきた、遺されたことを心にも知らぬ、花のような撫でし子よ。註一条天皇の中宮(皇后)だった作者が、崩御によって皇太后となったある日、まだ父の死を知らぬ頑是ないわが子・敦成あつひら親王(のちの後一条天皇)が、撫子の花を摘んできたのを見て詠んだ。「文学担当」の女房(侍女、女官)だった藤式部(紫式部)の指南も入っているかも知れない。象徴主義的技法を用いている佳品。* NHK大河ドラマ『光る君へ』10月27日放送。
2024年11月03日
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小泉今日子月ひとしずく奥田民生月ひとしずく
2024年11月02日
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クリープハイプナイトオンザプラネット
2024年11月02日
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KREVAOnefeat. JQfrom Nulbarich
2024年11月02日
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KREVAクラフトfeat. ZORN
2024年11月02日
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KREVAForever Student
2024年11月02日
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『プレバト』(大阪MBS制作、TBS系全国ネット)10月31日放送。今回の兼題は「外食」。いかにも楽しげな掲題に秀句が多く、豊穣な回だった。おなじみのメンバーに加え、子育て中のママタレントが揃った。千原ジュニア二軒目へ行く汝な帰る吾あ薄月夜名人・千原浩史、心理描写すら感じさせる、相変わらず快刀乱麻の秀句。「汝な」、「吾あ」は、文献に残る中で最も古い、上代の第二人称・第一人称代名詞。古事記、日本書記、万葉集などに出てくる語彙。「吾子あこ」、「吾嬬あづま」などに残る。それを用いた格調高い言葉遊びになっている。現代短歌の秀歌、永井祐「月を見つけて月いいよねと君が言う ぼくはこっちだからじゃあまたね」のシチュエーションをちょっと連想したが、こちらが青春ドラマだとすれば、千原の句はぐっと成熟した大人の世界になっている。フルーツポンチ・村上健志秋爽の皿やオリーブオイルの黄イタリアかフランス料理の前菜のサラダの一皿か。観察眼の細やかな作者らしい、眼前一尺の光景に秋を見てとったおしゃれな逸品。相席スタート・山崎ケイ良夜なりすっぴんママのワイン会幼子を旦那に預けての、ママ友たちとのつかの間の息抜きの楽しさが伝わる、なかなかの佳句。「すっぴんママ」のナチュラルな感じが利いており、上五「良夜なり」が古典的でありつつ、ほのぼのとした素直な表現でいい。今回は、3人揃ってお笑い芸人の、言葉に対する鋭敏なセンスが披露されて、さすがだと思った。三倉茉奈吾子あこ抱きつ食はむや秋刀魚は小骨ごと原作「吾子抱えつまむ秋刀魚は骨多し」を、評者で俳人の夏井いつき氏が添削。諧謔味を生かしつつ、ちょっと重厚な感じになった。「食はむ」は、「食う・食べる」の意味の古語。「ついばむ」(「突きはむ」の音便)や「むしばむ」(「虫はむ」)などに残る。すみれビブの児と夫つまと秋夜の白ワイン原作「秋の宵ビブとあなたと白ワイン」も悪くないとしながらも、夏井氏が添削。「ビブ」は乳幼児が使うよだれかけのこと。漂う幸福感がいい。なお、「つま」はもと「偶つま(配偶者)」の意味なので、伝統的な短歌・俳句表現では「夫・妻」双方に用いる。cf.) 「稲妻」は、もと稲の夫の意味。古来、雷電が米を実らせると信じられていた。
2024年11月02日
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映画『砂の器』松本清張原作橋本忍・山田洋次脚本野村芳太郎監督1974年 松竹全編劇場公開50周年記念特別配信 公式動画今も語り継がれる日本映画史上、不朽の名作。刑事、犯人、被害者、あの伝説の親子の彷徨。いずれもはまり役の入神の演技。そして、ダイナックで悲痛な映像美。なお、松本清張の原作(読売新聞連載)は、着想の面白さはあるのだが、いろんな要素をあれこれ詰め込み過ぎて散漫・冗長となり珍しくやや失敗作と言っていいだろう。がっかりするから、読まなくていいとも思う(・・・僕は読んだけど)。その骨子(つぼ、エッセンス)だけを使って思い切り盛り上げた映画は、空前の傑作となった。映画が原作を完全に超えたと評され、ほとんどの主要作品が映画・ドラマ化されている巨匠・松本氏もそれを認め、絶賛したと伝えられる。前半のひとつの山場、わらすべ一本の捜査の手がかり「ズーズー弁」の謎が、国語学者・金田一春彦氏作図の「日本語音韻地図」で鮮やかに解明されるあたりの、静かな昂奮。「おすすぬすんぶん」。それに続く、島根・出雲行きの丹波哲郎刑事の旅のシーンも重厚なピアノ協奏曲(コンチェルト)『宿命』が流れる中、テレビドラマではありえないぐらいゆったりとしたペースで描かれ、これぞ映画の呼吸と思わせる。何気に好きなシーンである。当時二十歳そこそこだったという島田陽子が美しい。この映画では全く台詞のないチョイ役・丹古母鬼馬二あたりもちゃんと芝居をしていて、存在感があるのがすばらしい。古い警視庁庁舎(東京・桜田門)が何度も映るのが今の目で見ると、昭和レトロで懐かしい。なお、この映画は私はDVDで持っているのでもう見飽きるぐらい見ているのだが(笑)もしまだ見ていないという方がいるならば、奇跡のラスト40分間だけでもぜひ一度見てほしい。緒形拳、いい人だなあ。加藤剛、かなしいなあ。どちらも男の中の男なのだが、つらくて悲しい「宿命」の出会いだった。
2024年11月02日
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まさに「聖地巡礼」。日本映画史上に燦然と輝く、今なお忘れ得ぬ人も多いであろう名作『砂の器』(松本清張原作、野村芳太郎監督、昭和49年・1974松竹)のロケ地巡り動画。ふと何気なく見つけて、驚くべき労作とその情熱に感服。ロケ地の変貌ぶりにも驚きつつ、一本の映画を作ることがいかに大変かにも、改めて気付かされる。リメイクはもはや不可能だなと嘆息させる。投稿主ウォーキング・テットさんに深い敬意を表する。〇 映画 『砂の器』 ロケ地探索 島根県編〇 『砂の器』 ロケ地探索伊勢志摩・二見浦、大阪・通天閣編〇 『砂の器』ロケ地探索 茨城県編〇 『砂の器』映画評 圧倒的な映像叙事詩ちなみに、この映画における緒形拳は、僕にとって男の一つの理想像である。人格的、あるいは口調・挙措動作への影響さえ受けたと思う。人として、なかんずく男子として生まれたものは、かくありたいと、けっこうまじで思っている。人情に厚い善人そのものなのだが、惜しむらくは、いかにも明治男らしくやや直情径行なところがあり、あまりにも苛酷な「宿命」によって心に深い闇を宿してしまった犯人の逆恨みを買って殺されてしまうという悲劇的な役どころである。本当に気の毒である。その一方で、大きな声では言えないが、犯人役の加藤剛も最高にかっこいい。難しい役だと思う。音楽表現に憑りつかれて、道徳を超えてしまった芸術家の深い悲しみを満面の表情に湛えて、こちらも名演。松本清張の原作(読売新聞連載)発表時から映画公開後にも、犯行動機の弱さに批判が燻っていたというが、これはもうしょうがないだろう。丹波哲郎の「癩病であったのであります」という衝撃的な台詞から始まる、クライマックスのダイナミックかつ悲痛な映像美の凄さが、すべての批判を吹っ飛ばす。殺人犯・加藤剛、被害者・緒形拳。大物演技派俳優同士の空前絶後の火花散る共演であった。その事件を追う丹波哲郎、森田健作の両刑事も、それぞれ代表作の一つと言えるほどの力演。もちろん、加藤嘉、春田和秀親子の名演は、もはや言葉を超えた真の伝説。■「砂の器」伝説の名子役、春田和秀さん43年を経て語る、子役という “宿命”一定以上の年齢の方はご存じだろうが、こういう気の毒な人や親子は、僕らの子供の頃にはけっこうそこらへんにいた。哀しい。〇 『砂の器』とハンセン病療養所〇 【妄想配役】 映画 『砂の器』 を2023年の俳優でキャスティングしてみたこれはもう、完璧だね。一杯飲みながら見ていたら、これだけで泣けた。この投稿者は、明らかに素人じゃないね。芸能界インサイダーのプロだろう。このキャストで、本当に見てみたい。
2024年11月02日
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最寄りのコンビニで、「炎上の研究」という見出しに惹かれて『週刊現代』最新号を思わず購入。・・・昔から野次馬根性が旺盛で、「炎上」という現象と言葉に目がないもんで。だいたい「炎」って字が凄いよね。典型的な象形文字で。一読、正直言って、僕にはさほど中身が濃いとは思えなかった(ネットをやっていれば、だいたい何となく知っているようなことだと思った)が、ぶち抜き16ページに及ぶ特集記事は、さすがにまずまず面白かった。特に「炎上を起こす人たちの正体」(属性)の分析記事などは、なかなか読みごたえがあった。ネタバレは失礼なのでやめておくが、ギョエテとは俺のことかとゲーテ言い、薄々気づいていたが、どうやらわたくしくまんパパめにもかなり当てはまっているのであった。思わず苦笑の一幕だった。私はインターネットを始めて20年近くになるが、その初期の頃は、確かに彼らと共通する心性を持っていたような気がするし、事実、このブログサイトなどで若気の至りの書き込みも多少していたかも知れない。要するに、ストレス満載の中年男の心の叫び、自己主張と承認欲求か。「子供を守りたいという思い(正義感)から、(発言が)過激になるとの分析もある」という記述には、はっとした。言われてみれば、そういう面もある。父性の発動と言えなくもない。まあ、私の場合、根が上品で温厚なので、人さまをひどく傷つけるようなことは書き込まなかったと思うけどね。・・・いずれにしても、最近はめんどくさくなって、ご覧の通りすっかりおとなしくなってしまいました インターネット(SNS)上のコミュニケーションや「炎上」現象について興味がある人、考えてみたい人には、割と良くまとまっていて参考になる一つのテキストだと思った。■ 〔参考〕滝沢ガレソ氏 X(旧ツイッター)現在最も影響力があると恐れられている匿名アカウントの「炎上系」インフルエンサーだという。フォロワーは数百万人。その正体は、一流企業に勤める30代のサラリーマンではないかという。ペンネームは、なんかよく知らないが、滝沢カレンのファンでもあるか。ただ、僕個人的には、こういったごちゃごちゃしたXの感じは、見ていてどうも馴染めないんだけどね
2024年11月02日
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NHK特集『二・二六事件秘録』昭和54年(1979)2月26日放送事件当時の当局(戒厳司令部)による電話傍受(盗聴)録音盤の肉声で綴る歴史的名作
2024年11月01日
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■「人それぞれだから」は絶対言ってはいけない雑談を一瞬で凍らせるNGワードvs. 5文字の盛り上げフレーズ【プレジデントオンライン 松橋良紀氏】この記事、僕的にはちょっとツボったので、リンクしておく。確かに、これはダメだね。鋭い指摘だと思った。竹馬の友とか肝胆相照らす仲なら雑談は無条件に楽しいが、そうでない相手とはそれなりに神経を使ったりするのは、社会人ならみんな知っていることだけど、この記事はなるほどと思った。「人それぞれですから」。盛り上がっている具体的な話題を、一瞬にして相対化・抽象化・平凡化・陳腐化させてしまう、悪い意味での魔法の言葉である。話(コミュニケーション)に対して逃げ腰であるとも、即座に分かる。何か言っているようで何も言ってない + 話に水を差すだけの冷却ワードである。なんとなく偉そうな、上から目線をさえ感じる。こういうことを言われると、僕もちょっとカチンとくる感覚を、ありありと思い出している。・・・特に若い方は、ゆめゆめご注意を。乗り気じゃなくても、多少は乗らないと。乗るふりぐらいはしないとね。くどいようだが、もうちょっと書こうか。こういう「人それぞれ」みたいなことを言う人が、世間にかなりいるのは事実である。人それぞれに、さまざまな思いや考えがあることは当然で、それを聞いて賛同して話を膨らませたり、意見を言ったり、時には反論したりするのが会話というものである。結局、自分に自信がないのだろうか。自分の意見がなくて、あるいはそれはあっても表現力や覇気がなくて、万事「まあまあなあなあ」で収めたいのだろうか。つまんない人生だろうなと思う。公の場とかで臆してしまうのはまだ分かるが、気楽な雑談の場ですらそうなのでは、ちと重症ではないだろうか。それほど深刻な感じではない、ちょっとした軽い論争とか、トークバトルの楽しさを知らないのであろう。会話って、そういうところが面白いんだけどね。テレビを見ていて、バラエティでもドラマでも、意見が対立している場面が一番面白いのは、一目瞭然だけどね。プロの芸人の「ボケとツッコミ」でアタマ叩かれるほどではなくても、そのマネぐらいの覚悟のノリはしろうとの一般人にも要求される。僕の感覚では、当たり前だと思ってるけどね。とにかく、波風を立てたくない、傷つきたくないということか。あ、この人はいい人なのかも知れないが、話をしていて面白い人ではないな、時間の無駄だなと判定される。その後は軽視・除外される。コミュニケーション能力としては、下の部類だよね。ただ、僕の場合は根が優しいので、こういう人たちに対しても一見平常心で接している。が、内心つまんねえ奴だなとはっきり認定している。現代日本では、憲法によって表現の自由は保障されている。とまで大上段に振りかぶらなくても、自分の思いぐらい平気で言おうよ。・・・ちょっと視点が変わるが、いわゆる「きれいごと」と呼ばれる表現は日本語には多数あるが、それを発する場合には、批評的・戯笑的で斜に構えた視点も必要であろう。これはちょっとワンランク上の話だが。結局、人それぞれなのであろうけど(笑)
2024年11月01日
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100sHoneycom. ware
2024年11月01日
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中村一義 セブンスター
2024年11月01日
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中村一義主題歌
2024年11月01日
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中村一義キャノンボール僕は死ぬように生きていたくはない。そこで愛が待つゆえに。
2024年11月01日
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中村一義永遠なるもの
2024年11月01日
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ここ数日、国民民主党の玉木雄一郎代表が、けっこう立て続けにテレビに出ていて、その分かりやすい、立て板に水の雄弁さに驚いた。はっきり言って、よく知らなかった。あの大失敗した民主党政権の残党の片割れぐらいにしか見ていなかった。SNSの発信で、若い世代がつとに発見していたといわれる。おのが不明を恥ずる。すみませんでした。今回の関ケ原の決戦では、自民党のオウンゴール(自爆)の状況があったとはいえ、議席を一挙4倍増まで躍進させた党首は、さすがに頭脳明晰で明朗闊達、親しみやすい快活さがあると再認識、いや、初めて発見した。改めて見てみれば、なかなかの人物なのであった。発言内容も、変に理想論や理念に走らずきわめて現実的・具体的で、じっくり話し合い一定の妥協をすれば、他党も呑み得る政策であると思った。こりゃ衆院選「戦後」も与野党双方から引っ張られて、綱引き状態になるわけだよなと、得心しているところである。さしあたっては、パートやアルバイト従業員への課税「103万円の壁」撤廃問題が最初の大ヤマ・試金石になる見通し。国民党側は自民党に対し、物価スライドで178万円への引き上げを主張しているが、これはちょっと吹っ掛けたなという感じである。実際には、政策協議で140~150万円でも勝ち取れれば、上々吉ではないか。石破政権側がこれを呑めれば、ひとまず政局は安泰になりそうだ。が、これによって税収には大穴が開く(仮に満額回答ならば7兆6千億円の巨額減だという)ことになる。マジかよって感じだ。消費税を凍結するぐらいの、巨大なスケールの話だ。しかもこちらは、恒久的な税制改正である。これは両党だけの話ではなく、財務省などの水面下の強硬な抵抗も予想される「三国志」である。そう簡単に妥結できる問題でないのも事実だ。こういうのって、戦国時代の古い言葉でいえば「調略」だよね。その名人代表は、織田信長麾下時代の木下藤吉郎(豊臣秀吉)だった。黒田官兵衛の助言を聞きつつ、山内一豊をボディガードにつけて、決死の覚悟で交渉に当たった。その交渉力は、のちに「人たらし」と言われた。こういった政局好きの政治家は、与野党を問わず政界に一定数いるといわれるが、彼らにとっては、「俺の出番だ」とわくわくどきどきぞくぞく、楽しくてたまらない局面なのだろうなと想像している。その気分は、分からないでもない。政治家冥利といったところだろう。我々庶民でも、仕事の楽しさ面白さって、けっこうこんな風な不定形なところにあったりする。
2024年10月31日
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laica breeze一聴して分かる最高のセンス。今の耳で聴いてもすごいわ。20年前の作品であるとは信じられない。お聴きの通り、これほどの音楽的・詩的実力に加えルックスもけっこうカッコよかったのに、ほとんどまったく売れずに消えてしまった。不思議すぎて、今なお腑に落ちないのである。・・・もしかすると、ジャニーズ全盛期の当時の芸能界で、干されたようなことでもあったのか(ただの憶測)。リンク先 16:52 からの「STARLIGHT」は多少ヒットした。当時、初恋の人を含むメル友たちに絶賛紹介した。たった1枚のアルバムで大ファンになったけどな。当時けっこう音楽的意識が高かった僕はすぐに見つけたのだが、彼らはあっという間にいなくなってしまった。J-POP史上の七不思議の一つだと、今も思っている。芸能界ってほんとに運否天賦のバクチなんだなとため息をつく。売れなかった要因は、ひとつには意味不明で覚えにくいユニット名のせいもあったのかなと、残念至極なのである。「ライカ(固有名詞?)の微風」って何? 意味分かんないっす。それと、しいていえば、あまりにも完成度が高すぎてとっつきが悪く時代がついて来られなかったというあたりか。芸術芸能の歴史では、しばしばあった現象である。熱烈なファンはいたと思うが、きわめて少数だった。生まれてくるのが、ちょっと早すぎた。
2024年10月28日
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奥田民生 マシマロ
2024年10月28日
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国政選挙、とりわけ衆議院総選挙といえば、昔でいえば「関ケ原」みたいなものである。当事者でもなんでもなくても、また結果はどうあれ、やはりなんとなく血沸き肉躍るものがある。というようなわけで、しろうとの私がぶつくさ駄文を書いても仕方ないとも思いつつ、とりあえずちょっと書く。以下は主に田崎史郎氏の受け売りと、ただの思いつきの感想文である。「自民惨敗」という四字熟語(?)を見るのはずいぶん久しぶりだなと思ったが、それもそのはずで、実に15年ぶりのことだという。それが現実のものとなってしまった。当地・宇都宮の栃木1区は、天下の作新学院オーナーの船田元氏が盤石なので全くの無風だったが、全国の惨状は目を覆うばかりであった。自民党政権の長い善政が、昭和の戦争で一度は滅んだこの国の復興と繁栄を導いてきた功績は多くの国民が認めるところであり、今回も底堅い支持はあったと思われる。ただ、現下の政治とカネ(裏金)問題への国民の反発は予想以上に強く、裏金をせしめた当該議員は当然としても、それと関係のない自民党議員にまでその暴風雨が襲った模様である。選挙戦最終盤での、非公認候補者への2000万円「武士の情け・陣中見舞い」にもあきれ果てた。共産党機関紙『赤旗』にリークしたのはどこのどいつだ。スパイ大作戦かよ。投票率は低迷し、野党票が伸びたというよりも、どちらかというと自民党の誇る岩盤支持層が、嫌気がさして投票所に行かなかった(棄権した)という分析もある。自民支持層が消極的にお灸を据えたという構図だったか。仮に小泉進次郎首相(総裁)だったとしても、結果は同じかもっとひどい状態だったとも思われ、いま首相にならなくて本当に良かったなと思う。彼はやっぱりついてるし、「持ってる」のだろう。将来、首相になることは確実なので、ますますの修行と精励に期待する。また、この問題をきっかけに、日本社会に根強い「水平化バイアス圧力」も作動してしまったと僕は見る。日本の映画やドラマでは、時代劇・現代劇を問わず、代官といえば悪代官であり、大商人は悪徳廻船問屋である。ブルジョワの子弟は嫌味な悪役に決まっている。庶民に縁遠い平安貴族社会を描く大河ドラマ『光る君へ』は(私を含め熱烈なファンは付いているが)低視聴率に喘いでいる。このエピステーメー(共同的認識の枠組み)は、たぶん日本人のほとんどが基本的に農耕民族・農民・百姓の末裔だからである。こういう集団心理を惹起させた。(一応書いておけば、私は武家の子孫である。)安倍元首相は偉大な政治家だったと今も思っているが、好事魔多し、安倍派はやはり多少調子に乗りすぎて驕ってしまった面が無きにしもあらずだったのかも知れない。この問題に限っていえば、自分にほとんど責任がない石破首相は悲運で気の毒だとも思う。・・・ とはいうものの、少し引いた視線で見れば、大幅伸長したとはいえ立憲民主党への政権交代が起きるわけでもなく、激震・激動というほどでもないのかなと思う。まあ、せいぜい「動揺・流動化・混迷・不安定化」といったところか。政権選択選挙である衆院選で過半数割れの敗北になったのだから、場合によっては即退陣とか短命政権になってもおかしくないところだが、昔のいくさと違い、敗れた側も生きており、一応比較第1党は維持しており、しかもこの場面で火中の栗を拾う次の政権のなり手がいないという、なんともすっきりしない状況となっている。虎視眈々と次期首相を狙う高市早苗氏も、今はちょっと手が出せないだろう。結局、当分は自民党主流派と反主流派、そして野党勢の三つ巴(三すくみ?)で、だらだらと石破政権が続く模様である。言っては悪いが、こういう敗戦処理みたいな状況は、地味な石破氏に似つかわしいとも思える。青息吐息ながらも、持ち前の粘り腰でなんとかかんとか対処していくような気もする。とりあえず自民公明の連立与党は、弥縫策として国民民主党の連立取り込みを図り、おそらく国民党も遅かれ早かれこれに応じ、新たな連立の枠組みで衆議院の過半数233以上を確保する思惑なのではないか。取り込むところまでいかなくてもいいし、さほど急ぐ必要はないし、これ以外に道は思い浮かばず、うまくすれば当分はこれでけっこういけるかも知れない。少なくとも来夏の参院選前まで、そして内閣不信任案提出までは。この辺では一つの「政局緊迫」も予想される。躍進した国民民主党は、(細かいことを抜きにすれば)かねてより自民党と比較的考え方が近い部分が多く、与党とまずまず友好的な関係を保っていると見られている。ここは素直に連立協議を受諾して政権を支えるのも国家国民のためではないか。玉木代表をはじめ、じっくり話せば分かりそうな人士が多いとも思う。成熟した民主主義先進国のヨーロッパ諸国では3党以上の連立政権が常態化しており、何も悪いことでも恥ずかしいことでもない。多様化した価値観・ニーズに対応した政治の形というべきであろう。ただ、玉木代表は早くも、自公との連立はないと拒否の姿勢を明言してしまったようだが、これはちょっと勇み足だったのではないか。この言質をいつどのように翻し撤回するのかはちょっと問題だ。まあ、最初は個別の政策や法案・予算案などの部分連合ぐらいから始めて、ゆっくり取り組めばいい。場合によっては野党要求の「丸呑み」も辞さないのは、自民党の窮余時の得意技である。時間が解決するのではないか。それよりむしろ、自民党内の「政局」、内輪もめの方が懸念される。今や弾尽き矢折れ壊滅状態に近い旧安倍派だが、むしろ旧安倍派の責任である政治資金問題での敗北で、責任なき石破氏の結果責任を責め立てて、「石破おろし」などを実行する構えなのだろうか。個人的意見だが、それはやめといた方がいいんじゃないかと、僭越ながら衷心から諫言したいところである。一時的にせよ、現在の力は著しく弱っている。共倒れまっしぐらになる。日本国民の民度は、世界有数に高いよ。見てないようで、ちゃんと全部見ているから。旧安倍派は、今は臥薪嘗胆の秋である。予想以上に国民の視線がきわめて厳しいことがはっきりした今、ここは当分、真摯な反省と新たな戦略の練り直しに注力し、当分は謹慎・沈淪すべきではないか。・・・ それにしても、僕の隠れアイドル・丸川珠代さまの涙の演説を見ていたら、本当にかわいそうで不憫で、ますます好きになってしまった 珠代ちゃん、大丈夫だから、他日を期して、今はしばらく辛抱してね
2024年10月28日
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今さらながら、今にして思えば安倍晋三元首相は偉大な政治家だったなあと、あの明朗快活で闊達な笑顔の面影を偲びつつ、めっきり肌寒くなった風が身に沁む秋の陣である。きょう投開票の衆議院総選挙の終盤情勢について、おとといぐらいまでに報道各社の分析予測が出揃った。それらによると、ほぼ異口同音に「与党の自公両党を合わせても、過半数獲得が微妙な情勢」だという。これをもう少し平たく言えば「良くて過半数ぎりぎり、おそらくは過半数割れ」というニュアンスだろう。もしそうなるとすれば、これはもう敗北と言わざるを得ないだろう。自公のタッグでこれほどの苦境に立たされるのは、あの民主党政権樹立前夜以来、ずいぶん久しぶりという気がする。選挙前・序盤の楽観論に比べきわめて厳しい予測に、自民党内に動揺が走るとともに、早くも「石破おろし」を含む「自民党内政局」の勃発も予感させている。残念ではあるが、国民の厳粛な審判であるから、何ともいたし方ない。ただ、私が言いたいのは、政治とカネの問題(裏金問題)は、確かに褒められたことではなく、けしからんことではあったが、当該議員はそれなりに厳しい党内処分も受け、また一部マスメディアによる過剰なまでの社会的制裁も受けて十分反省していると思う。内憂外患の政治的な課題は山積しており、こればっかりが問題であるかのように連日連夜報道している一部メディアは、やはりバランスを欠いているのではないか。国民はもう少し冷静だと思うし、冷静であってほしいと願う。本丸は、何といっても経済である。戦争が相次ぐ国際情勢や異常気象、鳥獣の感染症などによる物価高は、もともと政府自民党に責任はないが、これに着実に対処できるのは、安定した政治である。その物価高による庶民生活の困窮化などについても同様であり、一足飛びの短兵急な解決はあり得ない。一部野党の言っている消費税の減免や廃止とか、一気に最低賃金1500円とかは、実現可能性のない、無いものねだりの、絵にかいた餅の非現実的な主張であって、そんなことを実行に移せば、リストラ(解雇)の嵐となり失業者が街に溢れ、経済全体がむちゃくちゃになる。あり得ない。私は経済学部の出身であり、経済のメカニズムについてはある程度分かっているつもりである。この点については、はっきり指摘しておきたい。・・・というか、野党は本気で政権を獲る気がないから、そんなお花畑の夢物語のうわごとを言っていられるのだろう。外交、安全保障・防衛については、さらに憂慮される。縷々説明する必要もないであろう。緊迫する東アジア情勢、北朝鮮の暗躍、台湾侵攻・有事も視野に入ってきている中国の傍若無人。激化する一方の中東情勢、われわれはあの悪夢のオイルショックを記憶している世代である。いずれも、安定した政権があってはじめて対処できる。国内で内輪もめなどしている場合ではない。私も忙しい身で、この土日も仕事をしている職種である。詳しく書いている暇がないが、以上の2点の問題だけでも、この拙文を目にした国民各位におかれましては、冷静な判断と投票をお願いしたいと、心から切望しております
2024年10月27日
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Official髭男dismSubtitle
2024年10月26日
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一条天皇 御製(おおみうた、ぎょせい) 御辞世露の身の草の宿りに君を置きて 塵を出でぬることぞかなしき藤原行成『権記ごんき』藤原道長『御堂みどう関白記』露のように儚いこの身がかりそめの宿である草の葉に君を残して塵にまみれた現世から去ってしまうことがたまらなくかなしいのだ。註NHK大河ドラマ『光る君へ』第40回「君を置きて」、10月20日放送。超絶美青年・塩野瑛久あきひさの好演が評判となった。明らかに一人の女性への思慕を詠んでいるのは、公の立場の高貴な上つ方の辞世歌としては珍しい例なのではないか。「君を置きて」の一字余りが、ここでは強い執着を示し、むしろ印象的・効果的。辞世:この世を辞するにあたって詠む和歌。もと皇族・貴族の風習だったが、のちには武士階級とその末裔にも伝承され、現在に至る。君(を置きて):この「君」が誰であるかについては、古来憶測を逞しゅうされてきた。最期を看取った中宮・藤原彰子と見るのが普通だろうが、いやそうではなく、今は亡き前皇后の藤原定子のことだという解釈も根強い。定子は第3子出産時に逝去しているが、当時の仏教の教理では、産褥死は成仏できず、その霊はまだこの世をさまよっているという考えによる。行成は定子説、道長は当然実の娘の彰子説だったといわれる。同時代に生きた紫式部(藤式部)の見解も聞いてみたいものだ。まあ、今となっては永遠に答えが出ない問題ではある。ことぞかなしき:この結句は、側近の重臣で能吏だった行成の公的職務日誌『権記』による。道長の『御堂関白記』によれば「ことをこそ思へ」(~ことを深くしみじみと思うのだ)となっている。この場合、「思へ」は命令形ではなく、強調の係り結びの連用形。ただ、どちらにしても歌の大意に影響はない。
2024年10月25日
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山本潤子 忘れていた朝
2024年10月24日
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日立の樹作詞:伊藤アキラ作曲:小林亜星日立グループ東日本大震災お見舞いCM
2024年10月24日
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佐佐木定綱(ささき・さだつな)ぼくの持つバケツに落ちた月を食いめだかの腹はふくらんでゆく歌集『月を食う』(令和元年・2019)* 現代短歌(とりわけ近年の作品)には著作権がありますので、安易には引用できません。ご承知置き願います。
2024年10月23日
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工藤吉生(くどう・よしお)十七の春に自分の一生に嫌気がさして二十年経つ歌集『世界で一番すばらしい俺』(令和2年・2020)
2024年10月22日
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EPO百年の孤独
2024年10月21日
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会津八一(あいづ・やいち)かすがのにおしてるつきのほがらかにあきのゆふべとなりにけるかもかすがののみくさをりしきふすしかのつのさへさやにてるつくよかもくわんのんのしろきひたひにやうらくのかげうごかしてかぜわたるみゆふぢはらのおほききさきをうつしみにあひみるごとくあかきくちびるおほてらのまろきはしらのつきかげをつちにふみつつものをこそおもへすゐえんのあまつをとめがころもでのひまにもすめるあきのそらかなあめつちにわれひとりゐてたつごときこのさびしさをきみはほほゑむあまごもるやどのひさしにひとりきててまりつくこのこゑのさやけさかすがののしかふすくさのかたよりにわがこふらくはとほつよのひと歌集『南京新唱』(大正13年・1924)歌集『鹿鳴集』(昭和15年・1940)* 作者特有の細かい分かち書き表記は、私個人としては、読みづらく興趣をも削いでいるように思われるので、僭越ながら普通文表記に直して掲載する。cf.) 原文「かすがの の みくさ をり しき ふす しか の ~」。この連作は、古都・平城京奈良を詠んで、短歌詩形表現のひとつの白眉ではないかと思う。註かすがの:奈良の春日大社の境内から東大寺・興福寺へかけてひろがる、平城京東郊の台地。 現在の奈良市春日野町付近。おしてる:照りわたる。一面に照る。みくさをりしき:深草を折り敷き。さやに:さやか(亮)に。くっきりと、清らかに。「爽やか」とは別語。くわんのん:観音。観世音菩薩。やうらく:瓔珞(ようらく)。菩薩や密教の仏の装身具、または仏堂・仏壇の荘厳具の一つ。古代インドの貴族の装身具として用いられていたものが仏教に取り入れられたもので、菩薩以下の仏像に首飾り、胸飾りとして用いる。ふぢはらのおほききさき:光明皇后。父は藤原不比等(ふひと)。うつしみにあひみるごとくあかきくちびる:法華寺本尊十一面観音。光明皇后に現世であいまみえるような心地の紅い唇。おほてらのまろきはしらのつきかげ:大寺の丸い柱の、月に照らされた翳。すゐえん:水煙。塔(ここでは薬師寺東塔)の九輪(くりん)の上にある火炎状の装飾金具。火事の連想を避け、同時に水難をおさえる意味もこめてこう名づけられたといわれる。あまつをとめがころもでの~:薬師寺東塔の水煙に透かし彫りされた天つ乙女(飛天、天女)の衣の隙間にさえ、澄み渡っている秋の空だなあ。かたよりに:かたわらに(いて)。わがこふらくはとほつよのひと:私が恋しくてたまらないのは、遠い昔の世の人である。
2024年10月21日
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まさに「聖地巡礼」。日本映画史上に燦然と輝く、今なお忘れ得ぬ人も多いであろう名作『砂の器』(松本清張原作、野村芳太郎監督、昭和49年・1974松竹)のロケ地巡り動画。ふと何気なく見つけて、驚くべき労作とその情熱に感服。ロケ地の変貌ぶりにも驚きつつ、一本の映画を作ることがいかに大変かにも、改めて気付かされる。リメイクはもはや不可能だなと嘆息させる。投稿主ウォーキング・テットさんに深い敬意を表する。〇 映画 『砂の器』 ロケ地探索 島根県編〇 『砂の器』 ロケ地探索伊勢志摩・二見浦、大阪・通天閣編〇 『砂の器』ロケ地探索 茨城県編〇 『砂の器』映画評 圧倒的な映像叙事詩ちなみに、この映画における緒形拳は、僕にとって男の一つの理想像である。人格的、あるいは口調・挙措動作への影響さえ受けたと思う。人として、なかんずく男子として生まれたものは、かくありたいと、けっこうまじで思っている。人情に厚い善人そのものなのだが、惜しむらくは、いかにも明治男らしくやや直情径行なところがあり、あまりにも苛酷な「宿命」によって心に深い闇を宿してしまった犯人の逆恨みを買って殺されてしまうという悲劇的な役どころである。本当に気の毒である。その一方で、大きな声では言えないが、犯人役の加藤剛も最高にかっこいい。難しい役だと思う。音楽表現に憑りつかれて、道徳を超えてしまった芸術家の深い悲しみを満面の表情に湛えて、こちらも名演。松本清張の原作(読売新聞連載)発表時から映画公開後にも、犯行動機の弱さに批判が燻っていたというが、これはもうしょうがないだろう。丹波哲郎の「癩病であったのであります」という衝撃的な台詞から始まる、クライマックスのダイナミックかつ悲痛な映像美の凄さが、すべての批判を吹っ飛ばす。殺人犯・加藤剛、被害者・緒形拳。大物演技派俳優同士の空前絶後の火花散る共演であった。その事件を追う丹波哲郎、森田健作の両刑事も、それぞれ代表作の一つと言えるほどの力演。もちろん、加藤嘉、春田和秀親子の名演は、もはや言葉を超えた真の伝説。■「砂の器」伝説の名子役、春田和秀さん43年を経て語る、子役という “宿命”一定以上の年齢の方はご存じだろうが、こういう気の毒な人や親子は、僕らの子供の頃にはけっこうそこらへんにいた。哀しい。〇 『砂の器』とハンセン病療養所〇 【妄想配役】 映画 『砂の器』 を2023年の俳優でキャスティングしてみたこれはもう、完璧だね。一杯飲みながら見ていたら、これだけで泣けた。この投稿者は、明らかに素人じゃないね。芸能界インサイダーのプロだろう。このキャストで、本当に見てみたい。
2024年10月20日
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小島ゆかり秋霊はひそと来てをり晨あしたひらく冷蔵庫の卵のかげに時かけて林檎一個を剥きをはり生きのたましひのあらはとなれり夕闇のショウペンハウエルそつと来て幼子のひかる膝を冒せりぶだう食はむ夜の深宇宙ふたり子の四つぶのまなこ瞬きまたたく夜のたたみ月明りして二人子はほのじろき舌見せ合ひ遊ぶ註ショウペンハウエル(ショーペンハウアー): 生は苦であるという仏教的厭世観・悲観主義を標榜したドイツの哲学者。特に近代日本の知識層には人気が高く、大きな影響力があった。ほぼ同時代の、学者として好敵手だったニーチェの、ポジティヴ一辺倒の生の哲学・超人思想としばしば対比される。
2024年10月19日
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