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昨日の雨で庭の築山の土が緩んだのを幸いに枯れてしまった紅葉の木を抜くことを思い立った。毎年、年の初めには餌のミカンに「メジロ」がやってきて楽しませてくれるという「貴重な木」だったのだが、数年前から弱ってきて去年には完全に枯れてしまったのだ。代わりの木を植えようかとは考えたのだが、面倒なので放置していた。それでも今年も ちゃんと「メジロ」はやって来てくれたのだ。少し前、代わりの木を探しに行って 適当な紅葉の木が売られているのを確認した。それで、来年の「メジロ」シーズンまでには 枯れ木を片付けて新しい木を植えると かみさんに約束をしたのだった。かみさんがプールに出掛けている間に、引き抜けるかどうか確かめてみようかとスコップを持ち出した。スコップの先を根元に突っ込んでみたらズブリと入った。30年ばかり前、自分で作った築山は 山砂(この辺りではサバ土という)だけで出来ていて、言ってみれば「砂山」。根元の周囲を掘り下げて、枯れた根は引っ張れば簡単に折れた。最後に木を前後に数回揺すると根元が浮き上がり倒れた。『案ずるより産むが易し』とはこのことか。(あっオンナは赤ん坊をうめと言ってるのではありましぇん)ついでに周りのサンゴジュを切り払ってアジサイだけを残した。スッキリした!これだったら新たに木を植えるより『メジロのエサ台』を作ってやる方が良いかもしれない。
2024/05/29
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月曜日、待っていたものが届いた。家康公検定案内書今年は9月21日(土)、さっそく予定表に書き込んだ。一度だけ検定に付き合ってくれた孫一にLINEしておいたらすぐに返事があった。付き合ってくれると爺は嬉しいのだがどうなるだろうか中3の2023年は6月3日に申請をして試験の1ヶ月前にはテキストが届くから受験勉強はそれからで十分。それまでは、「大久保彦左衛門聖地巡り」の計画作成に励もうか。
2024/05/28
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かみさんが朝からプールにでかけていった。毎週 月水はプールに出掛けるのだが、今日は水泳教室の年に1回の記録測定会。昨日は新しい水着を買ってきたようだ。去年の記録会は3人だったが今年は70代が5人ばかりいると言う。去年の記録10数年前、水泳を始めたころは5mも泳げなかったのだが、持ち前のがんばりでクロール25mは余裕らしい。このまま90代までも続けてマスターズとやらに参加して欲しい。
2024/05/26
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1週間前、JRさわやかウォーキングに参加して掛川市内を歩いた後、『天浜線』で天竜二俣に立ち寄った。大久保彦左衛門が若い頃の「いたずら」を詫びた手紙が保存されている『内山真龍(またつ)資料館』に行くためだった。この日の少し前、大久保彦左衛門が知行地の代官に送った書状について小田原城に問い合わせたところ、書状は所蔵しているが個人が見ることは出来ないとの返事をもらっていた。ふらりと行っても見せてもらえるとは思えないのだが、近くまで出掛けたついでに、ともかく出掛けてみたのだった。展示室には神道関連の収集品があるだけで彦左衛門の手紙はなかった。係の人に聞いたところでは、特別展で公開することはあるが、個人に見せることはないとのことだった。(帰宅後調べたら昨年2023年春に展示されていたようだ。)残念がっていたら『天竜市史』という本に掲載されている彦左衛門詫び状を見せてくれた。私が持っている資料より大きい写真だった。以前からの写真より鮮明かもしれない。そんなこんなで二俣行きは、大きい収穫はなかったのだがその日から1週間、別のところで奇跡が続いている。前述した小田原城所蔵の書状について小田原城総合管理事務所から申請書を提出し承認されれば書状の写真を送ってもらえるとの連絡が来た。さらに宛先の代官のいた場所の候補の一つ鹿嶋市教育委員会社会教育課から『安政6年(1859)2月の「大船津村組合高書上帳(糟谷家文書)」に・沼尾村 村高448石余のうち、大久保氏領227石余・田野辺村 村高289石余のうち、大久保氏領83石余』の記述があるとの回答をいただいた。この書状については大久保彦左衛門書状 細かい指示をするに書いている。代官所所在地については羽生市が有力なのだが、市内のどこなのか はっきりしなかった。ところがこれも、ネットで検索したところ 『クニの部屋』というブログに行き当たった。「大久保彦左衛門は羽生市内の常木・川俣・発戸の二千石を領し、在城期間はなんと24年にも及びます。」二俣の資料館を訪ねたことから、探求心に火がついた格好である。今年の秋には『大久保彦左衛門の聖地探訪』として羽生市の常木、川俣、発戸鹿嶋市の沼尾、田野辺に出掛けてみようと思っている。旧街道歩きの次の目標に『大久保彦左衛門の聖地巡り』というのも悪くない。
2024/05/25
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月曜日、振替休日の孫娘がやって来た。テレビでAmazonプライムのアニメを流しっぱなしにして「塗り絵」「折り紙」をやっていた。遊び相手がいないので ずっとひとりで遊んで夕方帰っていった。昨夜になって、かみさんのスマホに孫娘か撮った写真が残っているのを気がついた。ジジババが撮るのとは かなり差がある。爺の写真孫娘の写真センスを感じるのは祖父の欲目か?これもいいなあ
2024/05/22
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土曜日「JRさわやかウォーキング」『掛川城天守閣開門30周年!風薫る城下町の掛川散策』に参加。朝9時前に掛川駅到着、地図をもらって出発。さわやかウォーキングに参加するのは何年ぶりだろうか参加者の大多数がジジババというのは相変わらずである。晴天の掛川城、暑くなりそう、しばらく川筋を歩いて「十九首塚」その昔、関東で討ち取られた平将門の首を、京から差し向けられた勅使が、この地で将門以下19人の首を検視した。検視済の首はこの地に葬られ、今でもこの辺りの人々によって祀られている。少し暑くなり、熱中症が気になる。やがて資生堂企業資料館に到着。18年前、初めて「さわやかウォーキング」に参加した時に見た見たポスターを探す。前田美波里!1966年のポスターだった。爺 二十歳か。MG5は1968年、男性用化粧品のCMではチャールズ・ブロンソンの『う~んマンダム』の方が印象に残っているなあ。昔はいろいろ試したものだが今ではヘヤトニックさえも たまにしか使わない。今日はヘヤブラシだけ『うーん ジジクサ』たまには お洒落もしなくては いかんなあ!
2024/05/19
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先日の若狭・丹後街道ウォークでサンダルのかかとの減りが気になった。このウォーキングサンダルは昨年「ヒマラヤ岡崎店」の開店セールで買ったものだが、買った当初からあれこれ不満な箇所が多かった。先日の若狭・丹後街道では靴擦れにより大きな水ぶくれができた。まだ履いて履けないことはないのだが、今日 思いきって買い替えた。2020年秋、弘前から秋田を歩いた時、街道歩きに初めてサンダルを使用した。使ってみると足に良い。足によろしき履き物サンダルはウォーキングシューズに比べると耐久性がない。この4年間で5~6足買い替えた。いずれもナイキ製品だったのだがウォーキングサンダルは人気がないのか店頭にあるナイキ製は、今のと同じものしかなかった。仕方なくNew Balanceを選んだ。明日は「JRさわやかウォーキング」に久しぶりに参加する予定。朝早く普通列車を乗り継いで出掛けよう停車駅25!昼過ぎにはゴールできるから天竜浜名鉄道で掛川から天竜二俣まで行き「大久保彦左衛門 詫び状 原本」を見て大久保彦左衛門詫び状原本をこの目でみたら天竜二俣から新所原まで「天浜線全線乗車」を楽しもう。、
2024/05/17
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長女の命日かみさんと墓参り花を取り替えてろうそくと線香今年も墓守りの犬とタイガのご対面アマガエルも飛び出してきたあれから何年14年。
2024/05/15
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昨日の風雨が嘘のような穏やかな朝。なんとなく心も軽く、朝食後の散歩に出た。田植えの済んだ田んぼにはシラサギの群れが見えるが、私の姿を察して飛び立って行った。満々と水を湛えた田んぼに山法師が映って見事。若狭・丹後街道を歩きおえて 1ヶ月、旧街道日本一周の目標を達成した後のことを考えていなかったためか、なんだか腑抜け状態になっていた。今朝の青空みたいにスカッとした日常を取り戻さなくてはならない。「創めることを忘れなければ、人は老いません。」〈日野原重明〉休養終了!
2024/05/14
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昨夜は夏布団に毛布を掛けて寝ていたが足が冷たくて夜中靴下を履いた。今朝は長袖シャツに袖無し(ベスト)を引っ掻けている。老犬タイガは寒さに弱い。この仔は17歳6カ月、人間の年齢では88歳くらいなのだ。小さいころからトイレは庭でさせているのだが、1年ばかり前から催せば 家の中でもお構いなしになった。頃合いを見て かみさんと私のどちらかが庭に出してやるのだが寒いとトイレが近くなるので気をつけないと粗相をする。昨日は「大」で一度失敗した。夫婦そろって出掛けるときは「オムツ」の世話になるのだがオムツをすごく嫌がるので滅多に留守をすることはなくなった。いつも夫婦どちらかそばにいるので老犬タイガは安心して過ごしている。今朝は犬用こたつのスイッチをいれてやった。、
2024/05/09
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孫一は4日にやってきた。数日前から家族となった仔犬と一緒。スムースコート・チワワというのだそうだ。メス、『フー』ちゃんタイガの後ろからじゃれつく、目が見えない老犬タイガはおろおろしている。孫一は毎朝電車で名古屋の私立高校に通っている。最近、「軟式野球部」に入ったそうだ。部員は20人ちょっと。連休中は朝練があるが、ふだんは放課後だけ。それでも家に帰ると6時過ぎ。ジジも高校時代朝6時半のディーゼルで通ったよ、帰りは6時過ぎだった、2年生の終わりから学校の近くに下宿した。孫一も2年間は『文』より『武』でもかまわないのではないかな。孫一たちは一時間ほどで帰った。翌朝、タイガは2度も粗相をした。孫二姫と孫三太郎がやって来たのは5日。私のがらくた、『お面』を株って遊ぶ5年生、ふたりがじゃれあって遊ぶのも そろそろ終わりかな。おもしろうて やがて悲しき鵜舟哉 (芭蕉)
2024/05/06
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朝方「風もなく天気がいいから樫の枝を切って」 と、かみさん。丹後ウォークから帰ってきて2週間、家で ぶらぶらしているジジをもて余しているらしい。ここは素直に、梯子とのこを持ち出して枝払いに取りかかる。かみさんに梯子を押さえてもらい、おそるおそる上がる。片手で梯子をつかみ、もう一方の手で延びた枝を切る。思ったより簡単に切れて半分だけの予定が、梯子の位置を変えて残り半分も切り払った。切り落とした枝は来週のごみの日までに片付けることにして、今日は お仕舞い。なんだか伐りすぎの感じがせぬでもない。「はて?」日記の題を『婦唱夫随』と決めてまずは『ふしょうふずい』を変換しようとしたのだが、『負傷不随』としか出てこない、私のスマフォが安物だからなのだろうかそれとも『夫唱婦随』という言葉は「死語」となったのだろうか。
2024/05/03
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10日前には「ぶよぶよ」だった足の水ぶくれ、水がすっかり乾いて痛みも痒みもなくなった。とはいっても内出血の痕みたいな皮が残っている。齢七十八の爺でも10日ほどで ここまで回復するとは身体の不思議。水ぶくれが破れないようにウォークを控えていたから体がなまってしまったような気がする。天気が回復したら少し歩いて見るかな。
2024/05/01
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