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仕事から帰ってから、久しぶりにジョギングへ出かけました。週末は来客があり、ついつい嬉しくなってお酒を飲み過ぎてしまって、気づいたときには走る力が残っていませんでした。遠くの空は晴れているようなのですが、ちょうど頭上にのっぺりとしたねずみ色の雲が覆いかぶさり、そこに注がれるはずの光を吸い取ってしまっているようです。遠くの眩しさが周囲の薄闇を引き立て、まだ18時を回ったばかりなのにずいぶんと視界がかすんでいます。映画だったら間違いなく何か不吉なことが起こりそうな、物言いたげな空気が濃厚に漂っていました。ジョギングの途中でなんとなく以前よく訪れていた神社に行ってみたいと思ったのですが、やっぱり止めることにしました。空模様を眺めて薄気味悪くなったのではなく、自分にとってあまりいいことのようには思えなかったのです。というのも、わたしは神社やお寺を参拝するのが好きなのですが、どうもそれが依存心に変わりやすいタチのようなのです。もちろん心のなかでは「神様は敬うもの。頼ってはいけない」などと宮本武蔵のように一生懸命唱えています。しかし、いざ思わしくない出来事が降りかかってくると、「あぁ、せっかくお参りしたけれど、あそこの神様は助けてはくれなかったな・・・」と、その結果の原因を自分以外のところに押しつけようとしてしまいます。裏を返せば、わたしはその出来事が起きる前から、お参りしていた神社の神様に寄りかかっていたのです。人によっては、何か大きな存在にすがることによって、自らの持てる力を存分に発揮できる方もいらっしゃいます。そういう方は、迷いなく神様仏様に手を合わせ、豊かな人生を切り拓いていって欲しいと思います。しかしながら、どうもわたしにとっての神様仏様は、神社にもお寺にも教会にもいないようなのです。ある人にとってそれは神社に、またある人にとってはお寺に、はたまた教会に、天にいらっしゃるのかも知れません。わたしの場合、それはきっと自分自身のなかにしかないような気がしています。これまでたくさんの預言者たちが伝えてきたどんな神様仏様とも違う、わたしだけの「大いなる存在」。その「大いなる存在」に祈り、語りかけることが、わたしには合っているのだろうと思います。人間は、一人ひとりそれぞれに合った神様仏様がいる。それは入り口となる門がいくつも備えられたお城のようなもので、どの門から入ってもけっきょくは同じ天守閣にたどり着くことになる。そんな気がします。自分の外にいらっしゃると思うとなんとなく依存してしまいそうですが、自分の内にあるならばただただ崇めることができるでしょう。ということで、なじみの神社には立ち寄ることなく、刻々と夕闇が迫る道のりを淡々と駆け抜けました。今日も健やかに過ごすことができて感謝します。ありがとうございました!!【三文日記】生まれて初めてのような気がするのですが、ビワを食べました。オレンジ色の薄皮を手で剥いて、みずみずしい果実にかぶりつきます。ほのかに甘い果汁が口のなかに広がり、なかなか美味でした。●今日の天気晴れのちくもり。●今日の運動ジョギング30分。
2010/05/31
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早朝の静けさのなかで、心に沁みるお話を読みました。発芽十六雑穀など、我が家で定期的に購入しているやずやさんの商品にときおり同梱されてくる小冊子。それが、「やずや・心の文庫」です。今回はその第五集、「倖せは自分でつかむもの」と題した大野勝彦先生の講述でした。大野先生は農業を営んでおられましたが、トラクターの肥料散布機を掃除している際に過って両手を切断してしまいます。両手を失った方と言えば、大石順教尼のことを思い出します。自分で食事をすることが困難になるのはもちろんのこと、トイレ、入浴、電車の切符を買う・・・などなど、想像すればするほどその境遇がいかに不自由さに満ちているかを痛感することになります。とくに大野先生は両手を失った当時、奥様に加えて養っていかなければならない三人のお子様がいらっしゃいましたから、自分の失ったものの重みに潰されそうになっていたことと推察します。そんな三人のお子様から、入院十日目に手紙が届いたそうです。事故以来、奥様が大野先生のベッド下に寝泊まりして看病していたそうですから、お子様たちもさぞ寂しい想いをしていたことでしょう。その手紙には、次のような言葉が記されていたそうです。 今度のお父さんの事故で、三つ分かったことがあります。 一、お父さんは偉い人 一、お父さんは、私達にはなくてはならない人 一、お父さんは尊敬できる人 と、人の前で胸を張って言える事が分かりました。「鉄人28号」と呼ばれ人前で涙を見せたことのなかった大野先生も、このときには毛布をかぶって泣いたそうです。そして、「よし! 俺はここをニコニコして退院するぞ」と決意され、鏡を借りて笑顔の練習をしたと言います。大きな喪失を経験した大切な父のために家族みんなが心を寄せ、それに応えようと父は発奮する。その過酷な喪失がなければ決して生まれることのなかった真実の世界が、そのとき大野先生の周りに拓けていこうとしていたのですね。実際のところ、両手のない暮らしはわたしたちの想像を絶するほど苦労の絶えないものだろうと思います。しかし変なことを言うようですが、大野先生ご自身はもちろんお辛いでしょうが、日々寄り添っていらっしゃる奥様、そしてお子様たちのほうがもしかしたら心を痛めていたのではないでしょうか?大ケガをした当事者は、おのずと自分が立ち直ることに集中するようになるし、もしもその過程で辛いことがあれば、たっぷりと涙を流してまた前を向けばそれで済みます。ところが、愛する家族が両手を失って苦しんでいるその姿を毎日毎日見つづける家族たちは、代わってあげることができないだけに当事者よりもやり切れない想いを味わわなければならないのではないかと思うのです。一つの事故によって家族みんながそれぞれに痛みを引き受け、それを癒し合うためにそれぞれがそれぞれの気持ちを慮って優しさを引き出し合っている。大野先生のお話からは、そんな様子が伝わってきました。それに引き替え、いったい自分は家族の気持ちをどれくらい思いやることができているだろう?一日のなかで、自分の手にどれくらい感謝できているだろう?大野先生に教えていただいたことを、しっかりと心に留めておきたいと思います。今日も大切なことを教えていただき感謝します。ありがとうございました!!【三文日記】昨日から我が家に遊びに来ていたお義兄さんご一家は、午後に帰っていきました。姪っ子ちゃんは小学生となり、いつもなら泣きべそをかいていた別れ際も、悲しそうな顔をしつつ涙をこらえていました。一人で遊びに来てくれる日も、そう遠くはないかも知れません。●今日の天気くもり。●今日の運動お休み。
2010/05/30
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鶯谷駅の北口改札を出たときには、辺りに横たわる空気のなかにうっすらと水滴が混じっているのを感じました。空はのっぺりとした灰色の雲に塗りつぶされて、今にも泣き出しそうに見えます。実は、これから近くのお店に妻方の親戚が集まることになっているのですが、ちょっと寄り道したいところがあって、集合時間より少し早めに鶯谷までやって来ました。あまり居心地のよくないホテル街の路地を抜けると、不自然なくらい多くの人々が足を留めている民家が前方に見えてきました。歩み寄っていくと、そこは間違いなく「子規庵」でした。かの有名な俳人・正岡子規が、目の前にたたずむ一軒の家屋から全国へ優れた俳句を発信し、また死の病とともに暮らしていたのです。入庵料を支払って室内に進んでいくと、夏目漱石、あるいは高浜虚子といった友人・弟子たちが集ったという八畳間があり、その隣には子規が病の床に臥しながらも精力的に仕事をした六畳間がありました。特に目をひくのは、縁側の向こうに見えるささやかな庭の緑です。六畳間に据え置かれた、膝を立てて執筆できるように手前側の一部がくり貫かれている特製の机が物語っているように、子規もこの庭を眺めながら過ごしていたのでしょう。取り立てて彩り豊かな花々が咲いているわけではありませんけれど、それぞれに個性のある形をした緑のグラデーションが、雄弁に何かを語りかけてくるようです。縁側からすぐ手の届きそうなところに生い茂っているヘチマは、どこか親しみのあるいびつなな形をしていて、子規が俳句にたびたび登場させた気持ちもなんとなく分かるような気がしました。窓の外にたたずむ限定された空間が、子規にとってはいつまでも対話をつづけることのできる無限の世界だったのでしょう。玄関に戻って靴を履き、室内から眺めていた小庭を歩いて、妻もわたしも言葉少なにそこに漂っている思念の断片みたいなものを感じ取ろうとしていました。 新緑に 言葉吸われし 小庭かないまの心象を詠むならば、そんな具合になるでしょうか・・・。午前11時をまわった頃に子規庵を出て、そこから徒歩5分くらいのところにある豆富料理のお店「笹乃雪」に入りました。笹乃雪は子規の俳句にも登場し、また赤穂浪士のなかの一人と、ある女性との恋の話にも重要な役割を果たすなど、様々な物語が詰まったお店です。その一室に親戚が集まり、これといって目的があるわけではないのだけれど、お互いが元気に過ごしていることを確かめ合うように美味い料理とお酒を囲んだのでした。一番人気があるというあんかけ豆腐は、豆腐そのもののまろやかな旨味とほのかにからしが香るあんかけの味付けが絶妙で、たしかにこれほど美味い豆腐料理を口にした覚えはないかも知れません。昼間からビールや日本酒をすすり、幸せな気分が胸いっぱいに広がりました。家族みんなで暖かなひとときを迎えられたことに感謝します。ありがとうございました!!【三文日記】笹乃雪で再会して以来、姪っ子ちゃんと遊びつづけています(笑)。我が家へ帰宅してからは、テレビゲームをしたり公園へ遊びに行ったり、はたまた絵を描いたり・・・。いつも走りこんでいるのですが、元気いっぱいの子どもと戯れることは、それとはまったく別のエネルギーが必要なようです。●今日の天気くもり。●今日の運動お休み。
2010/05/29
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一日の仕事を終えて、繁華街へ出ました。明日からお義兄さんご一家が我が家へ遊びにきてくれるということで、買い出しをする妻に付き合う約束をしていたのです。金曜の夕方特有の解放感に満ち溢れた雑踏をかいくぐり、妻と落ち合う予定の場所にたどり着きました。「タイ料理を食べに行かない?」いつもならせいぜい焼き鳥を買って帰るくらいで、外食をあまり好まない妻から珍しい提案がなされました。たしかに最近タイ料理を食べた覚えはないし、何より外食する機会に飢えているので、その提案に乗らない理由は見当たりません。ということで、彼女の希望で「ティーヌン」というお店に入りました。愛想がよく物腰のやわらかな男性店員に「二人で食事をしたい」と告げると、まだ19時前だというのに空席を探すのに一手間かかるようでした。周りの飲食店は空いているように見えたのですけれど、ここはけっこう繁盛しています。それでもほどなく相席になるかも知れないというテーブルへ通されて、わたしたちは横並びに座りました。定番のパッタイ、ガッパオ、それに激辛マークのついた青パパイヤのサラダを注文し、まずは生ビールで乾杯して一週間の無事を喜びました。「去年のプーケット旅行の日記を読み返していたら、なんか久しぶりにタイ料理が食べたくなったの」よく冷えた生ビールを一口含んで満足そうな表情を浮かべながら、妻がそう言いました。その言葉を聞き届けたとき、冷房などはなく、外へ開け放たれた蒸し暑いテーブルに座って食べたヌードルの映像が脳裏をよぎりました。たしかあればバイクや自動車の爆音が轟く繁華な通りに面した、ダン・レストランというプーケットのお店だったと思います。シンハーという銘柄のビールをラッパ飲みしながら食べたパッタイやトムヤンクンの味が、今にも口のなかに広がりそうなありありとした風味を伴って蘇ってきます。他にも、彩りのよい野菜や魚介の練り物、それに緑色をした麺を煮込み、旨味たっぷりのソースにつけてほお張ったタイスキや、シージプシーが暮らす水上村で振る舞われたまろやかなタイ風卵焼き、チキンとカシューナッツの炒め物などなど、プーケットにいる間に見聞きした記憶の断片が走馬灯のように駆け巡ります。プーケットの様子は分からないけれど、最近タイからは物騒なニュースが聞こえてきますから、きっと昨年行っておいたのは良かったんだろうと思います。少なくともわたしたちにとって、タイという国の印象はとても微笑ましく心穏やかで、深く好感を覚えます。こうしてたまにかの地の美味に触れ、旅したことを思い出すひとときは人生に滋味を与えてくれます。旅をするということは、たとえそれが終わったように見えても、じつは心のなかでいつまでも続いているものなんだなぁ・・・と感じました。今週も健やかに仕事をすることができて感謝します。ありがとうございました!!【三文日記】g.u.でパーカーを買いました。明日やって来るお義兄さんたちに着せてあげてもいいように・・・なんて言いつつ、ついつい自分のものを買ってしまいました。g.u.へ行くと、必ず何か買わなければならないような気がしちゃうんですよね・・・。●今日の天気晴れのちくもり。●今日の運動お休み。
2010/05/29
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一日の仕事を終えて、繁華街へ出ました。明日からお義兄さんご一家が我が家へ遊びにきてくれるということで、買い出しをする妻に付き合う約束をしていたのです。金曜の夕方特有の解放感に満ち溢れた雑踏をかいくぐり、妻と落ち合う予定の場所にたどり着きました。「タイ料理を食べに行かない?」いつもならせいぜい焼き鳥を買って帰るくらいで、外食をあまり好まない妻から珍しい提案がなされました。たしかに最近タイ料理を食べた覚えはないし、何より外食する機会に飢えているので、その提案に乗らない理由は見当たりません。ということで、彼女の希望で「ティーヌン」というお店に入りました。愛想がよく物腰のやわらかな男性店員に「二人で食事をしたい」と告げると、まだ19時前だというのに空席を探すのに一手間かかるようでした。周りの飲食店は空いているように見えたのですけれど、ここはけっこう繁盛しています。それでもほどなく相席になるかも知れないというテーブルへ通されて、わたしたちは横並びに座りました。定番のパッタイ、ガッパオ、それに激辛マークのついた青パパイヤのサラダを注文し、まずは生ビールで乾杯して一週間の無事を喜びました。「去年のプーケット旅行の日記を読み返していたら、なんか久しぶりにタイ料理が食べたくなったの」よく冷えた生ビールを一口含んで満足そうな表情を浮かべながら、妻がそう言いました。その言葉を聞き届けたとき、冷房などはなく、外へ開け放たれた蒸し暑いテーブルに座って食べたヌードルの映像が脳裏をよぎりました。たしかあればバイクや自動車の爆音が轟く繁華な通りに面した、ダン・レストランというプーケットのお店だったと思います。シンハーという銘柄のビールをラッパ飲みしながら食べたパッタイやトムヤンクンの味が、今にも口のなかに広がりそうなありありとした風味を伴って蘇ってきます。他にも、彩りのよい野菜や魚介の練り物、それに緑色をした麺を煮込み、旨味たっぷりのソースにつけてほお張ったタイスキや、シージプシーが暮らす水上村で振る舞われたまろやかなタイ風卵焼き、チキンとカシューナッツの炒め物などなど、プーケットにいる間に見聞きした記憶の断片が走馬灯のように駆け巡ります。プーケットの様子は分からないけれど、最近タイからは物騒なニュースが聞こえてきますから、きっと昨年行っておいたのは良かったんだろうと思います。少なくともわたしたちにとって、タイという国の印象はとても微笑ましく心穏やかで、深く好感を覚えます。こうしてたまにかの地の美味に触れ、旅したことを思い出すひとときは人生に滋味を与えてくれます。旅をするということは、たとえそれが終わったように見えても、じつは心のなかでいつまでも続いているものなんだなぁ・・・と感じました。今週も健やかに仕事をすることができて感謝します。ありがとうございました!!【三文日記】g.u.でパーカーを買いました。明日やって来るお義兄さんたちに着せてあげてもいいように・・・なんて言いつつ、ついつい自分のものを買ってしまいました。g.u.へ行くと、必ず何か買わなければならないような気がしちゃうんですよね・・・。●今日の天気晴れのちくもり。●今日の運動お休み。
2010/05/28
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昼休みにオフィスを出ると、毛布にくるまれているような感触を伴って熱気が身体にまとわりついてきました。立ち上る湯気のような真っ白い雲が陽光を受けて立体感を帯び、その背後には不自然なくらい真っ青な空が広がっています。陽射しはじりじりと肌を焦がし、このまま陽だまりにたたずんでいたらアイスクリームみたいに溶けてしまいそうです。近くのコンビニエンス・ストアへ向かう間、ささやかな日陰を訪ね歩きながら緩慢な足取りで歩を進めました。「ついこの間までは、今と反対のことをしていたっけ・・・」そう、まだ肌寒かった頃に同じ道のりを歩いたときには、明々と光に照らされた暖かな箇所をなぞっていたものですけれど、いつの間にかそれを避けて通るようになっていたのです。きっと当分は今日のように日陰を求めて歩く日がつづくでしょうけれど、やがては再び陽だまりをいとおしむようになるのでしょうね。二ヶ月くらい前、多くの人々の目を楽しませてくれた桜の木は、今ではふさふさと豊かな葉っぱが生い茂っています。その根元に歩み寄って木陰に入ると、音もなく涼風が吹き寄せてきました。ひりひりと熱を帯びた肌をさするその優しい感触は、からからに渇いていた喉を潤す水のようにわたしの心身を癒してくれます。オフィスに戻ることなく、この芝草の上に座っていつまでも涼んでいられたら、どんなに安らかな午後を過ごすことができるだろう・・・。濃厚なミルクココアでもすすりながら、何を考えるでもなく、誰と話すわけでもなく、独りただぼんやりとしていたい。そんな想いが込み上げてくるのですが、それはもちろん妄想に過ぎません。午後の始業のチャイムが鳴る前に、わたしはこの木陰を離れ、陽の光も風もない無機質な居室へと戻らなければなりません。好むと好まざるとに関わらず、時が来ればそこへ戻っていかなければならないのです。そう、わたしたちは決して一つのところに留まっていることはできません。それがどんなに平穏で安息が得られる居場所だったとしても、いつかはそこを離れ、また別の場所へと移ろっていくのです。涼しかった場所はやがて凍えるくらい冷たくなり、温もっていた場所は焼けつくような灼熱の炎天下に曝されてしまう。そしてそれらは絶え間なく循環し、わたしたちを一つところに留めおきはしません。わたしたちは、時を経るごとにしかるべき場所へ移ろっていくのです。だから、今いる場所から立ち去ることは、決して悲しむべきことではないのだと思います。大切なのは、次なる居場所でいかに豊かな気持ちで過ごすかということなんだ。そう思い直し、桜の木の下を離れました。今日も大切なことを教えられた気がします。ありがとうございました!!【三文日記】洗濯物をたたんでいた妻が、叫び声を上げています。何かと思って近づいてみると、彼女の手に握られていたのはわたしのパンツ。なんとお尻の辺りが破けていたらしく、それに驚いて悲鳴を上げていたようです(笑)。●今日の天気晴れのちくもり。●今日の運動ジョギング30分。
2010/05/27
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ウィンドブレーカーを細かな雨粒が叩き、パチパチ・・・と控えめな音が響いていました。少し前から降り出した雨の勢威は今のところ大したことはなく、いつものようにジョギングへ出てきたのです。やや風があって、ひさしのついたキャップをかぶっているのですが宙を舞う水滴が顔を濡らし、目を細めながら白く煙った河原を走りました。朝はあんなに美しい朝陽が街を明々と照らしていたのに、一日の仕事を終えて外へ出てみたら、太陽の姿はもうどこにも見当たりませんでした。晴れ渡る空の下で夕陽を浴びながら走ることができたら、どんなに気持ちがいいでしょう。やれやれ・・・。しかしながら、この「やれやれ」は本当は必要のないものなのだと思い直し、走ることを楽しもうと気分をあらためました。たとえ今こうして雨が降っていたって、明日目が覚めたときには網膜が青く染まってしまいそうなくらい鮮やかな空が待っていてくれるかも知れません。明日の今頃は、爽やかな夕風のなかを微笑みながら走っているかも知れないのです。そして、たとえ本当に明日が快晴に恵まれたとしても、その後にはまた分厚い雲の群れがやってきて、冷ややかな雨を降らせるのでしょう。天気は刻々と変転していくのが当たり前なのだから、日々の空模様に一喜一憂していたらそれだけで意味もなく疲れてしまいます。そう、わたしたちが生きるこの世界の物事は、みんな同じようなものです。何か好い出来事が起こったと思って有頂天になっていると、その次には必ず好ましくないことがやって来ます。そして、好ましくないことがやって来てもうダメだなんて悲嘆していても、できる限りのことに手を尽くしているうちにいつの間にか嵐は過ぎ去って、また好いことがやって来るものです。人生は、右に左にいつまでも揺れ動いている律儀な振り子みたいなもの。好ましいことばかりが続くことはないし、また好ましくないことばかりも長続きはしません。もしもいずれか一方だけだと感じていらっしゃる方がいるのなら、それはその方がそう思っているというだけのこと。人生バラ色、いいことづくめだと思って生きていらっしゃる方は、本当に幸せ者だと思います。皮肉でもなんでもなく、本当にそうありたいと願います。しかしわたしは未熟者で、目の前の出来事に振り回されてばかりいます。我が身に何が起ころうと、決して有頂天になることなく、また悲嘆に暮れることも止めようと思います。今日も健やかに過ごすことができて感謝します。ありがとうございました!!【三文日記】このところ週末は何かと予定があって忙しかった妻は、喉の痛みを訴えています。今週末も親族たちと集まることになっていて、ゆっくり休むことができそうにありません。早めに休むことを促しつつ、わたしも風邪をもらわないように体調管理に気をつけたいと思います。●今日の天気晴れのち雨。●今日の運動ジョギング30分。
2010/05/26
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「あたしたち、いろいろと悪さをして先生によく叩かれたんだけど、全然嫌な気分はしないのよね」妻がこのあいだ参加してきた同窓会を思い出しながら、何か大切なことを述懐するみたいに語りかけてきます。「それがあたしだけじゃなくて、同窓会に来ていた人たちみんながそう言うの」ふうん・・・と言って妻の顔を見るわたし。「やっぱり先生の体罰には、愛情がこもっていたんだと思う」なんでも妻の話によると、中学二年のときの担任だったその先生は、とても熱いハートの男だったようです。例えば、クラス全員と交換日記のようなノートのやりとりを毎日していたらしいのですが、こちらがとりとめのない三行の文章を書いて提出すると、その何倍もの長文で心のこもったメッセージをしたためてくれるのだそう。たしかに当時は思春期であらゆるもの反発し、先生にゲンコツで頭を叩かれれば「ムカつく」なんて感じたそうなのですが、ある程度の分別を持ち合わせる年齢になってみると、それがむしろありがたく感じられるというのです。きっとその先生の振る舞いには、子どものことを真剣に思う「何か」が確かにあったんだろうなぁとわたしも思います。そして、その話を妻から聞いたとき、わたしは羨ましくなりました。というのも、中学時代のある時期に出会った先生に対して、わたしは憎悪に近い感情を抱いているからです。妻の担任の先生と違って、その先生たちは決してわたしを頭ごなしに叱ることはなかったし、体罰だって振るったわけではありませんでした。しかし、ちょっとわけがあって先生たちの鼻についたわたしは、無言のうちに望まない仕打ちを受けることになったのです。当時、高校受験の合否を分ける重要な判断材料として、「内申書」というものがありました。筆記試験の成績だけではなく、常日頃の行いを中学校の先生が評定するもので、なかにはこの内申書を良く書いてもらうためにわざわざ中学校が主催する行事で面倒な役を買って出る父兄までいました。内申書はもちろんいわゆる通信簿の中身が大いに反映されていて、学期末に各科目担当の先生たちからもらう五段階評価の数字を確認するや、納得いかないといって抗議する生徒がいたことも覚えています。わたしは睨まれた先生たちから、期末試験の成績にかかわらず五段階評価で低い数字をもらいました。食ってかかる気にもなれず、その評価を何も言わずに受け容れました。もちろん高校受験に際して中学校から発行された、最終的な内申書の内容はちゃんと確認したわけではありません。高校受験に失敗したという事実だけが、わたしに与えられた唯一つの事実です。しかし、その中身がブラックボックスにされたままだからこそ歯がゆく、未だに当時の先生たちの仕打ちを忘れられずにいます。たかが中学生とは言え、やはり人間というものは、他者から受ける振る舞いのなかにちゃんと本物を感じ取る能力が具わっているのではないでしょうか?親に叩かれたことすらない子どもが体罰を受けてもすんなりと受け容れられることもあれば、一方では殴られることなんて慣れっこの子どもが痛みの伴わない間接的な仕打ちを受けていつまで経っても恨めしく思っている。人の上に立つ者は、一挙手一投足に心のうちが表れてしまうものだから、日ごろから自分自身の心の有り様を点検しておかなければならないと心得るべきなのですね。妻の話に耳を傾けながら、しみじみと考えてしまいました。大切なことをまた一つ教わることができて感謝します。ありがとうございました!!【三文日記】円高・ユーロ安が進んでいると聞きました。7月にヨーロッパへの旅行を計画しているので、買うなら今でしょう。近いうちに両替してきます。●今日の天気晴れ。●今日の運動ジョギング30分。
2010/05/25
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わたしたちが生きるこの世界では、ひとたびある一線を越えてしまうと、もう二度とは戻って来ることができないことがあります。いっときの過ちで傷つけてしまった大切な人の心だったり、ちょっとした手違いで壊してしまった宝物だったり、あるいは自分自身の大切な身体だったり・・・。時間の流れと同じように、それは起きてしまうと取り返しのつかないことなのです。わたしはそれを、視力と聴力を損なったことで教わることになりました。もちろん心のどこかでは今でも「再びみんなと同じように見えるようになりたい、聞こえるようになりたい」と願っているけれど、一方でそれは叶わないことなんじゃないかという自覚も持っています。今となっては落ち着いて自分が損なったものについて眺められるようになりましたが、当初は決してそうではありませんでした。今までできていたことが少しずつ着実にできなくなっていくにつれて焦り戸惑い、嘆き悲しみ、「なんとしてでも損なったものを取り戻さなければ・・・」とやっきになっていたものでした。しかしながら、時を経るにしたがってその動揺が和らいでいき、いつしか冒頭で触れたように「それは一線を越えてしまった物事なのだ」ということを受け容れていくことになりました。そして、本当に取り戻すべきものについて、ぼんやりとではありますが分かるようになってきたと思います。たしかに損なったものはもう二度と戻ってはこないかも知れないけれど、本当に取り戻すべきものはそれじゃないんじゃないだろうか?次第にそんな想いが込み上げてくるようになりました。わたしが本当に損なってしまったものは「見える・聞こえる」という身体的な機能ではなくて、心なんじゃないか?そう思うようになったのです。目も耳も普通に機能していた頃は、良くも悪くも「自分らしさ」を伴って生きることができていました。仲間とウィスキーを飲みながら明け方近くまで語り合い、大したことでもないのに大きな声で笑い、何か興味を引くことがあれば余計なことを考えるよりも前に手を伸ばしていたあの頃・・・。ロクでもないことばかりしていた稚拙な人間だったけど、そんな人間なりに心はありのままだったような気がします。しかし、身体機能を損なうことでいつしかありのままだった心は穴のなかに押し込められ、蓋をされてしまったように思います。たとえ損なったものは戻ってこなくても、閉塞されてしまった心は取り返せるのではないでしょうか?ちょっと不便でも、与えられた境遇のなかで小さな喜びを積み重ね、穴を塞いでいた蓋を少しずつ開いていくことで、それは回復できるのかも知れません。何かを損なったとしても、それによって塞いでいた自分自身の心は取り戻すことができる。そう信じながら、ささやかな一日を積み重ねていく毎日です。今日も健やかに過ごすことができて感謝します。ありがとうございました!!【三文日記】このところテレビをよく観るようになりました。夜はプロ野球とサッカーを行ったり来たりと大忙し。ひと頃はほとんどテレビを観なかったのですが、自分でも不思議です。●今日の天気雨。●今日の運動ジョギング30分。
2010/05/24
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夏日になった昨日、一昨日とは打って変わって朝から分厚い雲が空を覆い、さめざめとした雨が降りつづけました。買い物や洗濯はひと通り昨日済ませてしまったので、今日はほとんど自宅で過ごすつもりです。朝食にとり野菜味噌鍋の残りを食べてしまうと再びずっしりとした重みのある眠気がやって来て、ソファに横になって毛布をかぶりひとしきり意識を手放してしまいました。再び意識が立ち上がってきたときには箒で掃き清めたみたいに気分がすっきりとして、活力が戻ってくるのを感じました。それからはバロック音楽を聴きながら本を読んだり、今週の仕事の準備をしたりと穏やかな時間を過ごしました。昼下がりにはハーフパンツにウィンドブレーカーといういでたちに着替え、ひさしのついたキャップをかぶってジョギングへ出かけました。天気予報では明日にかけて強い雨になると言っていますが、今のところやり過ごすことができるくらいの涙雨です。風もそれほど吹いてはおらず、ひさしを避けて飛び込んでくる雨粒はほとんど感じられません。ところどころに浮いた水たまりに足をとられないように注意しながら、ぐっしょりと濡れた人気のない路地を淡々と駆けていきました。民家のブロック塀の合間から、こんもりと大きく開いた植物の葉っぱがこぼれ出し、雨に打たれてかすかに震えています。五月晴れの下で陽光をいっぱいに浴びて陰影を伴った緑もたしかにいいけれど、こうして雫を滴らせながら揺れる緑もしっとりと目に染み込んでくるようです。あまりに自らを押し出さず、控えめながらも自分自身の色合いをしっかりと輝かせている道端の緑。その姿は、生きとし生ける者の模範を示しているようですらあります。そんな素敵な彩りに心を和ませながら、手足のリズムを作って前へ前へと進んでいきました。住宅街を抜けて河原へ出ると、いつものように遊歩道へは降りることなく、土手のアスファルトの上を走りました。遊歩道だけではなく、川に面した野球グラウンドやサッカーコートには池のように大きな水たまりができて、だだっ広い灰色の空を映しています。対岸のビルディングは霧に霞んで輪郭が判然とせず、水墨画のように色を失ってたたずんでいます。晴れていれば大にぎわいのはずの河原はさすがに人影がほとんどなく、まれにすれ違う人を見つけるたびに親しい友人と出会ったような親しみを覚えます。「雨が降っていたって決してひるまない。わたしたちは仲間ですね」そんな無音の声を交わすように、お互いに一瞥をくべて通り過ぎます。ふと気づくと全身に熱が行き渡り、さっきまで雨粒のひんやりとした感じが気になっていた手の甲も、今では心地よい温感を保っています。こうなってしまえば、もう雨はまったく障害ではありません。ほどよい温もりを抱えながら、雨に煙る河原を上機嫌で走りつづけました。今日も健やかに過ごすことができて感謝します。ありがとうございました!!【三文日記】NHKの「FIFAワールドカップ記憶に残る名勝負」はいいですね。絶頂期のマラドーナがボールを持った瞬間、西ドイツのディフェンダーが猛烈なタックルをかます・・・なんていうハードなプレーがたまりません。その代わり、テレビの前からなかなか離れられないのですけれど(笑)。●今日の天気雨。●今日の運動ジョギング35分。
2010/05/23
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中学時代のクラスメートたちが集まる同窓会に参加するため妻は実家へと帰省し、わたしは自宅で気ままな一人暮らしがはじまりました。昨日の快晴を持ち越して朝から燦々と初夏の陽光が降り注ぎ、頭がボゥ~としてしまうくらいの熱気です。この好機を逸すまいと早朝からいそいそと洗濯をし、洗いあがった衣類を物干し竿に干していきました。バルコニーは物事があるべき場所へと戻っていくような清らかな匂いが充満して、猥雑な気持ちが整えられていくような気がしました。昼前に外出して図書館を訪れたり買い物をしたり、帰宅して昼食を済ませると午睡をとり、再び目が覚めてからはイタリアの名峰をトレッキングするテレビ番組に夢中になり・・・。百パーセント自分だけの一人時間は、いと惜しむ暇もなく速やかに流れすぎてしまいます。台所に立って夕飯の支度に取り掛かり、大根、にんじん、白菜、にらとまな板の上に載せた野菜を淡々とカットしていきます。今夜の献立は、たっぷりと野菜が摂れて誰が作ってもたいてい美味しくできる、とり野菜味噌鍋です。久しぶりに握った包丁の感触を確かめながら、夫婦について考えていました。つい昨日、妻の友人から「離婚が成立した」との連絡がありました。彼女が結婚したのはちょうど昨年の今頃、正確にはまだ一年と経っていなかったかも知れません。彼女と元ご主人は小柄で外見がよく似ていて、見知らぬ人からは姉と弟に間違えられるほどでした。一方、内面的には好対照で、彼女は控えめでこつこつと物事を積み重ねていく堅実派なのに対し、元ご主人はというと一途に夢を追いかけ細かなことには頓着しない豪快なタイプ。でも、それはそれで自分にはないものをお互いに補い合い、手に手を取ってうまくやっていけるだろうと思っていたのですが、そううまくはいかなかったようです。お互いの相性さえよければ良好な関係を維持していける恋人とは違って、夫婦となるとお互いの家族との関係や最低限の経済力などいろんな前提が含まれてきますから、一つバランスを崩すとあっという間にその関係が成り立たなくなるということが大いにあり得るのだと思います。翻って自分たちはというと、今のところ夫婦関係を解消する理由はどこにも見当たらないようです。似たもの夫婦と思うこともあるし、真逆な性格だと感じることもあるけれど(笑)、一緒に暮らす上で著しい困難が生じたことはありません。よく「あなたたちは似たもの夫婦ですね」という話を耳にすることがありますけれど、思うに似ているだけの夫婦というのは存在しないのではないでしょうか?同じ土地で育ったとか兄弟構成がいっしょだとか、たしかに環境としてお互いに似たようなものを持ち合わせていることはあるのでしょうけれど、それまでに経験してきたことや触れ合った人々から受けた影響など、細部をたどれば見過ごすことのできない大きな違いがあるはずです。何より、男と女という大いに性質の異なる生き物なのですから。そのように必ず抱えているお互いにとっての差異をどちらともなく歩み寄り、寛容に引き受けていくことができれば、人間同士の関係性という意味合いではうまくやっていけるように思います。金銭感覚や子どもに対する考え方、善悪に対する判断基準や笑いのツボなどなど、お互いにとってどうしても埋め合わせることのできない致命的な差異があった場合には、手間と時間をかけてそれを埋め合わせる努力をしなければならないのでしょう。後は、お互い人間として生きていくための経済的な基盤を失わないこと。これが大事でしょう。「金の切れ目は縁の切れ目」なんて言葉がありますが、実際的な夫婦関係においても、それはある種の真実を捉えているように思います。どんなに綺麗事を並べてみても、やはりごはんが食べられなくなったら人間は生きていけませんから。もちろん「あなたには死んでもついていきます」という気丈な方もいらっしゃるでしょうけれど、そんな異性にめぐり会うことはとても難しい・・・。妻が不在の静かな自宅で、ひとり夫婦というものについて取りとめもなく考えてしまいました(笑)。何はともあれ、夫婦ともども楽しく健やかに暮らすことができて感謝します。ありがとうございます!!【三文日記】昨夜は起きているのか眠っているのか分からないほど浅い眠りでした。思い返してみると、床につく前に濃い緑茶を何杯も飲んだことがいけなかったのかも知れません。ということで、就寝前にお茶やコーヒーを飲みすぎるのはやめようと思います。●今日の天気晴れ。●今日の運動お休み。
2010/05/22
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それにしても、暑い一日でした。昨夜来の雨がアスファルトを色づかせ、朝の街にはくっきりと感触を伴った重たく湿った空気が横たわっていました。そこへ勇み足の凶暴な陽射しが照りつけ、湿気は急激に蒸されてまとわりつくような暑さを帯びていったのです。Yシャツの両袖を肘の辺りまでまくり上げ、刺すような光線に目を細めながら金曜日の通勤路を歩きました。雨に塵埃を洗い流され、樹木の緑はそれぞれ固有の色合いを惜しむことなく解き放ち、その輪郭がいつもよりずっと明瞭に映ります。小刀を天に向かって突き上げるような形をしたもの、赤ちゃんの小さな掌をたくさん集めたような形のもの、あるいは細い糸くずを散りばめたような形のもの・・・。道端で出会う葉っぱの形をようく見てみると、個性豊かでじつに面白いものですね。いつもそこにあったはずなのに、どうして今まで気づかなかったんだろう?朝陽をいっぱいに浴びて濃厚な陰影を帯びた景観は、普段は感じ取れない質感を宿しているようです。温かな朝食の匂いがどこからともなく漂ってくる住宅街の路地を抜けると、わたしの好きな川へ出ます。とくに、よく晴れた日の朝の川には、誰も知らない場所に隠していたわたしだけの宝物をそっと覗きみるような、ひそやかな喜びが待っています。刻々と姿を変えるさざ波に太陽が反射して、そのときにしか目にすることのできない、巨大な線香花火みたいな閃光が川面に現れるのです。こちらが歩を進めるごとに金色をした光の粒は弾けては消え、細やかな瞬きをいつまでも繰り返しています。「ねぇ、素晴らしい光でしょう?」たまたますれ違った道行く人々に思わずそう声をかけてしまいたくなるくらい、わたしにとっては特別な光景です。遠くへ旅をして、思わず息を飲むような絶景を目にすることももちろん幸せなことですが、それよりずっと身近にこんな素敵な風景が待っていてくれるのですね。初夏を通り越して真夏のそれへと移ろってしまった太陽を眼下に見下ろしながら、うっすらと汗ばむのを感じました。もちろんこの熱気は気まぐれなもので、そう長くは続かないでしょう。二~三日すればやわらかな五月らしい陽射しが戻ってくるだろうし、本物の夏を迎えるまでには鬱々とした雨季を通り過ぎなければなりません。それでも、束の間の猛然とした暑さを快く感じていたい思います。光が満ち溢れ、沸き立つような生命の息吹を心行くまで味わおうと思います。今日も健やかに過ごすことができて感謝します。ありがとうございました!!【三文日記】歌番組のなかの、昔の年間ヒット曲を振り返るコーナーが好きです。学生の頃によく聴いた親密な楽曲が、今の子どもたちにとってはアカの他人の歌なんですよね。重ねた歳月の重さをひとり噛み締めています(笑)。●今日の天気晴れ。夏日。●今日の運動ジョギング30分。
2010/05/21
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テレビをつけると、見覚えのある顔を見かけることがあります。彼とわたしは中学も学年も部活動も同じ、おまけにお互いの家が三軒隣だったことから、毎朝いっしょに学校へ通っていた間柄でした。彼もわたしも他校からの転入生だったので、親しくしていたのは一年半ほどでした。高校も同じところを受験したのですが、わたしが不合格だったことで別れわかれとなり、それからは顔を合わせたことがありません。時を経るごとにお互いまったく別々の方面へ進み続け、わたしはごくありふれたサラリーマンに、彼は多くの人々の注目を集める華やかな世界にと分かたれてしまいました。わたしは映画館の一角でスクリーンをぼんやりと見つめている観客の一人で、みなが視線を注ぐスクリーンの中のスターが彼です。そこには現実と非現実という断固とした障壁が横たわっていて、決して交わることはありません。もちろんこちらから連絡をとろうと思えば簡単にできるのですけれど、なんとなくそうする気にはなれません。わたしのことなどそれほど覚えていないだろうし、だいたい会ったところで何を話せばいいのか分かりません。付け加えるなら、わたしはあの頃のように彼の顔を見ることはできないし、声を聞くこともできないのです。もちろん、それは会いたくないというのとは違います。会いたくないどころか、彼には面と向かって伝えなければならないことがあるように思うのです。中学を卒業してから一度も顔を合わせたことがないのだけれど、少なくともわたしは、彼にずいぶん影響を受けていると思います。それはもちろん、好ましい影響です。彼がテレビのなかでいきいきと仕事をしているのを目にするたびに、地面に座り込んでしおれていたところを引っ張りあげられるように、奮い立たされてきました。「あぁ、彼が熾烈な世界であんなに頑張っているのだから、オレもボヤボヤしてちゃいけないよな・・・」「彼がやれるなら、オレだってやれるはずさ」そういうことが一度だけではなく、これまで幾度もありました。一生懸命やっていることが報われなくて落胆したとき、望んでいないことが次々と襲ってきて途方に暮れているとき、そのまま地の底深く落ちていきそうときに彼はわたしの前に現れて、「まだまだやれるだろう?」と立ち上がる力を引き出してくれました。もちろんそれは一方的なものであって、彼にわたしの姿が映っているはずもありません。だから、彼にはお礼を言わなくちゃいけないのです。人間というのは、自分の知らないところで影響を及ぼしあうことができる。彼に教えられたのは、そういうことでした。いつの日か再会する機会があるかも知れないですが、そのときには上のような経緯を伝え、「ありがとう」と感謝の気持ちを贈りましょう。そしてできることなら、自分も誰かに好ましい影響を与えられるような、そんな生き方ができたらいいなと思います。今日も健やかに過ごすことができて感謝します。ありがとうございました!!【三文日記】育てているスウィートバジルの葉っぱを何枚かちぎってサラダに加えました。香りが強く味がしっかりしていて、実に美味しくいただきました。食べられるものを育てるのって、いいものですね。●今日の天気雨のちくもり。●今日の運動ジョギング30分。
2010/05/20
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ケータイのディスプレイに夢中になっていた女性が、駅のホームで電車に接触して亡くなったというニュースを耳にしました。わたしと同じ世代の方で、本当に痛ましく思います。恋人から突然の別れを告げるメールをもらって気が動転していたのかも知れないし、逆に愛の告白を受けて感動していたのかも知れません。あるいはただ自分が入力しているメールにのめり込んでいただけなのかも知れないし、インターネット上のサイトを閲覧していたのかも知れません。そこには無数の可能性があるのですが、真実はご本人以外だれも分かりません。いずれにせよ、今回の事故を知ったとき、本当に残念でなりませんでした。その女性は、きっとこれからたくさんの素晴らしい情景を目に映すことができたはずです。それなのに、最期はケータイの小さな小さな画面を見つめることしかできなかったのですから。悲しいけれど、目の不自由な方がホームから転落してしまう惨劇はよく起こります。視覚からなんの情報も得られない方にとってホームの幅はあまりにも狭く、ラッシュアワーには足の踏み場もないくらい人間が満ち溢れます。人々と接触しない場所を求めているうちにホームからはみ出してしまうのは、いたし方ないことでしょう。早くそういう事故がなくなって欲しいものですが、そうなるためにはまだ時間が必要だろうと思います。しかし今回の事故は、目が見えない方の身に起きたことではありませんでした。「見よう」と思えばそれは容易で、電車との衝突は当然避けられたはずなのにも関わらず、女性は亡くなってしまいました。駅の改札を出ようと歩いているとき、よく前の人が遅々として進まないことがあります。改札を出てからその人の様子をうかがうと、たいていケータイのディスプレイを覗き込み、「前へ進む」という動作がなおざりにされています。そんな場面に遭遇したとき、心のなかでつぶやいてしまいます。「『見る』ということがどんなに愛おしく尊い行為であるか、心に留めておいてはもらえまいか」と。たしかに当たり前のように「見えている」人たちに分かってもらうのはとても難しいことだけれど、「見える」という現象はただそれだけで素晴らしく、かけがえのないことなのです。愛する人の顔を映すのも、美しい草花の色彩を映すのも、心に響く言葉を映すのも、この二つの眼がわたしたちに与えてくれる至上の体験です。だから、「見る」べきものを放棄して自分自身を傷つけたり、あるいは「見る」ことを自分本位に振り回して周囲の人々に迷惑をかけたりすることは、とても悲しいことだと思うのです。女性の死を無駄にしないためにも、今回の事故からわたしたちは学ばなければならないと思います。この世界に生きる多くの人々が、「見る」という行為を慎み深く甘受できる日が来ることを心から祈っています。今日も大切なことを教えてもらいました。ありがとうございました!!【三文日記】「ヒゲ、ちゃんと剃れてないんじゃない?」と妻に指摘されました。それはたぶん技術的な問題というよりも、社会人になったときからまる八年間使ってシェイバーの老朽化が原因だろうと思います。ボーナスをいただけたら、シェイバーを買い替えることにしましょうか・・・。●今日の天気くもりのち雨。●今日の運動お休み。
2010/05/19
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ベッドから起き上がってリビングのカーテンを開けたときには、すでに快活な太陽が天頂を目指して駆け上っていました。肌を焦がしてしまいそうなその光は夏を予感させ、薄着で出かけることを推奨しています。今日は暑くなりそうです。アンスリウム、ハイビスカス、そしてスウィートバジルを日当たりのよいバルコニーの一角に出して水をやり、Yシャツの上には何も羽織らずに家を出ました。家々を見下ろすように高く昇った太陽は、通勤路を惜しみなく照らしています。ほんのりと暖かい風がそよそよと吹き抜け、優しい感触を残してどこかへ消えてしまいます。なんとなく足取りは軽く、身体はいつもよりも朝の街になじむのが早いようでした。視線を落として足元に目をやると、ついこのあいだ刈り取られたばかりの芝草はすでに脛のあたりまで背丈を伸ばし、朝陽を受けて金色に霞んで映ります。その合間から彩り豊かな花がつんと顔を出して輝き、通いなれた道のりを新鮮なものにしてくれます。葉脈から露とともににじみ出した青っぽい匂いが急激に蒸されて空気に溶け出し、風に乗って辺りに霧散しています。鼻から大きく息を吸い込むと、その深みのある匂いが目の奥に迫ってきて、安らかな気分になります。あぁ、オレは今日もたしかに生きている・・・。ふだんは当たり前過ぎてそんなことを意識することはないのだけれど、その飾り気のない濃厚な匂いがふいに命の重みを思い出させてくれます。今日という一度しか訪れない一日が、また始まろうとしています。ぎゅうぎゅう詰めの満員電車に押し込まれ、小さな隙間から青い空の切れ端を眺めているあなたにも、置きっ放しにしてあるシェイバーの電源を入れ、髭を剃りながら片手でハンドルを握るあなたにも、教科書をカバンに入れ忘れたことに気づいたものの、引き返す時間がなくて苦々しくペダルをこいでいるあなたにも、使い古されていないまっさらな一日がはじまろうとしているのです。いつかわたしたちは、この真新しい手つかずの一日をこの世界に残し、旅立つ時がやってきます。その日まで、あとどれだけの朝を迎えることができるでしょう?自ら放棄することを除けば、それは誰にも分かりません。ひとつだけ確かなことは、いつまでも絶えることなく朝を迎えられる人は、この世に一人もいないということです。そのうちきっと、こんなに光で満ち溢れた通勤路を歩いたことなんて忘れてしまうだろうけれど、せめて今日この瞬間だけでも心から喜び、感謝したいと思いました。今日も素晴らしいスタートを切ることができて、感謝します。ありがとうございました!!【三文日記】ある初対面の知人から、「あなたはA型に見える」と言われました。顔を見ただけでそのガサツさが分かるのか、これまで出会った多くの人たちはわたしがO型であることを見抜いてきました(笑)。A型に見られるって、なんか嬉しいな。●今日の天気晴れ。暑い。●今日の運動ジョギング30分。
2010/05/18
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帰宅するとすぐに堅苦しい衣服を脱ぎ捨てて、ハーフパンツに長袖シャツ一枚という気楽な格好に変身しました。外へ出ると、頭上には抜けるような青空がどこまでも広がり、地平線へ向かって落ちていく太陽は何ものにも遮られることなく煌々と輝いています。気の流れが滞りがちな重たい体を抱え、日課のジョギングへと出かけました。日中の強烈な陽射しに暖められた空気はほのかに熱を帯び、辺りを緩やかに流れる夕風はぼんやりとした感触を伴ってシャツの上をなでていきます。夕ご飯の美味そうな匂いが漂いはじめた住宅街の路地を抜け、河原に近づいていくと次第に人影が増えてきました。すれ違う人々の足取りを見ていると、どうやらみんな夕暮れの川辺へ向かっているようです。土色のチョッキを着て野球帽をかぶった年配の男性は、まるで礼拝に参加するために教会へ向かう人のように厳粛な面もちでした。土手を越えて川沿いの遊歩道へ降り、太陽の匂いを嗅ぎながら大きな陽だまりのなかを走りました。家々の屋根越しに射し込んでくる黄金色の光の粒は衣服の上から熱を伝え、全身がうっすらと汗ばむのを感じます。ほんの一ヶ月くらい前ならすでに薄闇が張り出し、肌寒い風が吹き渡っていたはずなのに、五月も半ばを過ぎた今となってはその気配は微塵も感じられません。視界のずっと先にはまん丸い光の球が燃えるように輝きつづけ、あまりの眩しさに視線を逸らさなければなりません。ときおり手でひさしを作って光線を遮り、前方の視界を確認しながら夕陽をめがけて走ります。太陽の下を通りかかった自転車は逆光のために真っ黒なシルエットとなり、まるで映画「E.T.」の一幕のような情景が目に映ります。なんだかそれまであまりに当たり前で意識できなかったのですが、わたしたち人間はそこで燃え続けている太陽とともに歩んできたのですね・・・。百年前、一千年前、一万年前、・・・わたしたちのご先祖様はみな、いまわたしがそうしているように夕陽を眺めていたのだと思うと、とても不思議な気分になります。こんな身近に非現実なものが輝いているのに、まるで生まれたときからそこに据えられていた古時計のように、わたしはありきたりな風景の一部としか感じていないのです。想像力が乏しいのかも知れませんね・・・。その光を浴びて手足を動かしていると、どこからともなく活力が湧き上がってくるのを感じます。それまでせき止められていた体内の流れが勢いよく流れはじめ、走れば走るほど疲弊するどころか元気になっていきます。太陽が最後の力を振りしぼって注いでくれる光を浴びながらジョギングすることは、わたしにとって教会で祈りを捧げるような、清らかなひとときなのかも知れないと思います。今日も健やかに過ごすことができて感謝します。ありがとうございました!!【三文日記】葉っぱが次々と黄色くなり、しおれていた我が家のハイビスカス。このところ日光をいっぱいに浴びているおかげか、少しずつしゃんとしてきました。この調子でせっせと水をやり、日当たりのよいところに出してあげようと思います。●今日の天気晴れ。●今日の運動ジョギング30分。
2010/05/17
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さわやかな五月晴れに恵まれた日曜日、朝の情報番組は麗らかな日和とは裏腹に穏やかならぬ話題で盛り上がっていました。アメリカと地元住民とを巻き込んで迷走をつづける普天間基地問題を取り上げ、出演者たちが思いおもいの意見を戦わせています。本当は基地なんていらなくなればいいのにと思うのですけれど、そういうわけにはいかないんですよね・・・。人間はすでに他者を著しく傷つける武器を手にしてしまったのだし、自分の国を護るためには相応の備えをしなければならないのは仕方のないことですから。いつからか、この世界はややこしい原理で動くようになってしまったのですね。一国の防衛にかぎらず、よくよく考えてみれば現代人の多くはなにかしらの競争に巻き込まれながら生きていかなければならないようです。一企業の従業員として日々仕事にいそしむわたしだって、ビジネスを通して他社の人々と競争し、また社内では貢献度という尺度でもって同僚たちと賃金を奪い合っていると言えるでしょう。また明日からその渦中に舞い戻るのかと思うと、なんだかそれだけで肩が凝ってしまいます。誰かを打ち負かさなければ出世はできない、他社に先んじて利益を獲得しなければ会社は生き残れない・・・。そんなせせこましい原理で動く世界は、いったいいつまで続くのでしょう?と、このままどうにもならない現実を嘆いていても、ただ悲しくなるだけですよね。いくらかでも希望をもって生きるためには、どんなことを心に思い描けばいいのだろう?そんなことを考えていてふと思いついたのは、思考のタイムスケールの桁を広げてみようということでした。人間が破壊力のある武器を生み出して生存をかけた戦いをはじめたのは、せいぜいここ500年くらいの話だろうと思います。では、一千年前、一万年前と遡ってみてはどうでしょう?たしかに時代を上るにつれて食糧も出生率も乏しくなり、人間が生きる環境としては今よりずっと厳しかったことでしょう。しかし、人間が生を営む原理はどうだったかというと、じつは今とは比べものにならないほど穏やかなものだったようです。むかしむかし縄文人たちは、一万年ものあいだ集団同士で争った形跡がないというのです。それぞれの思いを伝え合う言葉さえ持たず、生活の糧を得るための道具だってさほど発達してはいなかった時代に、人々はそれぞれを傷つけ合うことも、食べるものを奪い合うこともなく暮らしていました。その一万年もの間、彼らはいったいどんなことを思い、どんな暮らしをしていたのでしょう?それを思い浮かべていると、なんとなく心が暖まります。わたしたちは、縄文人たちの精神に戻っていかなければならないような気がするのですね。次に、過去から未来へと視点を変えてみましょう。今から何百年後、何千年後の子孫たちは、20世紀から21世紀を生きるわたしたちのことをどんなふうに見るでしょうか?「あの頃の人たちがあんなロクでもない生き方さえしていなければ、我々はこんな思いをせずに済んだだろうに・・・」目先のことだけ考えて生きていると気づかないですが、遠い将来の人々のことを慮るとき、わたしたちは自然と振る舞いが変わってくるのではないでしょうか?地球環境、政治経済、そして人間の有り様・・・現在問題となっているあらゆる物事を解決するヒントが、タイムスケールを広げて眺めてみることでぼんやりと見えてくるような気がするのです。だから、日々の暮らしのなかで息苦しくなったときには、目先のことは置いておいて、何千年、何万年というスケールで眺めてみようと思います。わたしたちのあるべき姿が、そこに感じ取れるはずですから。今日も健やかに過ごせたことに感謝します。ありがとうございました!!【三文日記】「龍馬伝」の最後、その回の舞台となった場所を紹介するコーナーで福井城址が登場しました。ほんの二週間前に訪れた福井城のお堀や松平家の別邸・養浩館庭園の映像が流れ、「ここも行った」「あそこも行った」と夫婦で興奮してしまいました(笑)。やっぱり福井という街に眠っている歴史は奥が深いですね。●今日の天気晴れ。●今日の運動ジョギング30分。
2010/05/16
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これといって予定もないままに迎えた今日も、穏やかな日和に恵まれました。朝から五月らしいやわらかな陽射しが降り注ぎ、バルコニーで風にそよいでいるアンスリウムやハイビスカスも光を浴びて微笑んでいるように見えました。昼前に買い物へ出かけ、そのついでに図書館に立ち寄って仕事に役立ちそうな本を何冊か借り、帰宅してからはワールドカップを間近にひかえにわかに沸き立つJ1リーグのテレビ中継を観戦。日が傾きはじめた頃にいそいそとハーフパンツに着替えてジョギングへ出かけ、帰ってくるとほどなくして交流戦へと突入したプロ野球中継が始まる・・・。とりたてて印象深いこともなく日が暮れてしまった一日でしたが、夜になってからささやかな宴を催しました。というのも、早いものでこの家に暮らし始めてから丸一年が経ち、夫婦ともども大過なく過ごすことができたことに感謝し、お祝いをしたかったのです。餃子や手羽先、それに福井を旅行した際に永平寺で買ってきたごま豆腐などを食卓に並べ、これまでちびりちびりとやってきた日本酒「越州 桜日和」をおちょこに注いで乾杯。きちっとした身なりで出かけるような高級レストランで食事というわけにはいかないけれど、「あとは寝るだけだから」を合言葉に慣れ親しんだリビングで暖かな時間を過ごしました。一年前、生まれて初めて「自分の住み家」を買ったわけですが、やはりそれまでの誰かに借りていた部屋では感じられなかった、とくべつの愛着を覚えます。それほど広いくはないし、ささやかな庭にはタバコの空き箱や吸い殻が投げ捨てられることさえあるのですけれど(笑)、やっぱりこの家が好きです。雨風が凌げ、水も電気もガスもトイレも風呂も、生活するのに必要なものがすべて具わった、わたしたち夫婦にとっていつも帰ってくるべき唯一の場所。普段は気づかないけれど、この広大な世界の片隅に見つけたわたしたちだけの親密な家があるということは、この上なく幸せなことなんじゃないかなとあらためて感じます。そんなことを考えているとき、ふと思い出したことがありました。マンションの購入を計画してからいくつもの物件を見学したのですが、そのなかでリバーサイドの高層マンションを訪れたことがありました。案内された17階の部屋からは東京・横浜の港湾地区が一望にできて、この景観とともに日々を送ることができたならどんなに素晴らしいだろうと夢膨らんだものです。非現実的な眺望が広がるバルコニーに立ってふと視線を下ろしたとき、何か注意を引きつける青い模様が飛び込んできました。目を細めてようく見据えると、それがなんなのかがピンと来たのです。川沿いに居並んだその青い模様は、ビニールシートでこしらえた家なき人々のテントでした。いま自分が間取りはどうだ? 構造は? 金利は? アフターサービスは? ・・・なんて目くじらを立てている間にも、眼下では寒風に吹かれながら焚き火をして暖をとっている人たちがいる。そう思うと、なんだか自分がひどく卑しい人間のように思えて、その場から早く退散したい思いにかられたのでした。けっきょくその物件とはご縁がなく、現在暮らしている一室に居を構えることになったわけですが、あの日に見た一群の青いテントが目に焼きついて離れません。わたしたちは、なんていびつな成り立ちの世界に生きているのでしょう・・・。そしてその「いびつさ」を思うにつけ、曲りなりにもそれなりの形を伴ってこの一年間を生きてくることができたことに感謝しないわけにはいきません。暖かな我が家が与えられていることに、心から感謝します。ありがとうございます!!【三文日記】なかなかお金を貯められないということで、妻が500円玉貯金箱を買ってきました。以前も500円玉貯金をしていたことがあって、知らぬ間に驚くほど貯まってくれているんですよね。この箱がいつ満杯になってくれるのか、今から楽しみです。●今日の天気晴れ時々くもり。●今日の運動ジョギング40分。
2010/05/15
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見えない、聴こえない、そして話せない・・・。それら三つの分厚い壁によって暗黒の世界に閉じ込められていた少女・ヘレンケラー。彼女が言葉と出会い、やがては世界中の人々に生きる勇気を与えるように成長するまでの長い道のりには、多くの支援者の存在がありました。そのなかでも、彼女に言葉を教え、いつもそばに寄り添っていたサリバン先生の存在を忘れてはならないでしょう。もしもヘレンケラーがサリバン先生に出会えなかったなら、こうして遠い国の片隅にいるわたしのような者に名前を知られることもなかっただろうと思います。何かしら欠落した境遇を生きる者にとってヘレンケラーの生き様は灯光となり、ゆくべき道を明るく照らしてくれます。しかしふと思ったのですが、現実的にはヘレンケラーのような幸運に恵まれることは、そうめったにはないのかも知れませんヘレンケラーは人々とのご縁に恵まれた稀有な事例であって、この世界には真っ暗闇のなかに閉じ込められたまま、誰に目を留められることもなく惨めな生涯を生きる人のほうがよっぽど多いのではないかと思ったのです。とくにサリバン先生のように自らの人生そのものを託してくれる献身的な恩師に出会えることなんて、奇跡的なことなんじゃないのかなぁと感じてしまいます。だからと言ってヘレンケラーの偉大な歩みが否定されることは決してないのですけれど・・・。二度とないこの人生において、劇的に人生が変わる出会いに恵まれるか否かというのは、なにもヘレンケラーに限ったことではなく、誰にとっても重要な問題だろうと思います。できることなら、彼女のようにたくさんの人々とふれあいながら、光に満ちた一生を送りたいものですよね。出会いとは、わたしたち人間にとって待つことしかできない、運命的なものなのでしょうか?わたしは、きっとそうではないと思っています。自分にとって必要な人のことを心に強く思い描き、求めることからはじまるのではないかと思います。ヘレンケラーだって、きっと暗闇のなかで誰かそこから助け出してくれる人のことを、強くつよく待ち望んでいたのではないでしょうか?お腹がへっているのに、どうして誰も分かってくれないの?のどが渇いているのに、どうして誰も水をくれようとはしないの?寒いのに、どうして誰も私のことを暖めてくれないの?どうして、どうして、どうして・・・。彼女はきっと言葉にならないそれらの想いを真っ暗な一人ぼっちの部屋のなかに浮かべながら、まだ見ぬ光(結果的にそれがサリバン先生だったわけですけれど)に手を伸ばそうとしていたのではないでしょうか?「求めよ、さらば与えられん。 尋ねよ、さらば見出さん。 門を叩け、さらば開かれん」なんだか新訳聖書「マタイによる福音書」の有名な一節を思い出します。そう、苦しみのなかにあるとき、そこから這い上がりたいのならば、わたしたちは必要なものを心から求めなければならないのです。それが純粋で善きものをもたらす願いなら、きっと与えられることでしょう。少なくともわたしはそう信じています。このちっぽけな人生が世の中のお役に立ちますようにと祈りながら、よき出会いを求めていきたいものですね。今日も健やかに過ごすことができて感謝します。ありがとうございました!!【三文日記】今朝の眠りはあまりに深く、めったにないことなのですが寝坊してしまいました。眠っている間、わたしは高校生に戻っていて、受験を控えて不安な思いにさいなまれていました。この手の夢は、いったいいつまで見続けるのでしょう?●今日の天気晴れのちくもり。●今日の運動ジョギング30分。
2010/05/14
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異性との関わりのなかで深く傷ついたり、病やケガを得て具体的な欠陥を引き受けなければならなかったり、一世一代の事業に失敗してお金も仲間も何もかも手放さなければならなかったり・・・。人間は何かを著しく損なうことで、旧い自分を捨て去らなければならなくなることがあります。それが長らく慣れ親しんだ愛すべき自己だったとしても、喪失というものは否応なしに変化を要求し、前へ進ませてはくれないのです。なかでもとくに辛いのは、自分が誇りにしていたことを奪われる類いの喪失でしょう。例えば、とても手先が器用で、修行を続けていれば職人として相当な腕前に成長し、喜びながら生きていけたはずの人がいたとしましょう。もしもその人が片腕をすっぽりなくしてしまう惨事に見舞われ、それまでできていた手作業ができなくなったとしたらどうでしょう?戦時中はそう珍しいことでもなかっただろうと思います。きっとその人は自分の取り柄を失ったことに呆然とし、失ってしまった片腕以上の大切なものを手放すことになるのではないでしょうか?「それをできる」ということが自分自身であり、自己の表象だった能力を奪われてしまって、自分が自分ではなくなってしまったことを痛感するのです。本当の俺は(私は)、こんなんじゃないのに・・・と。その人が次の一歩を踏み出すとき、きっとその人は旧い自分はもう取り戻すことができないのだということを自覚し、新たな自己の芽を宿しているでしょう。もちろん完全に気持ちが切り替わることはなく、その後もときどき苦悶するはずです。難しいのは、自分が新しくなろうとしているときにも、それまで付き合っていたたくさんの人々は、何も変わってはいないということです。つまり、友人や知人、場合によっては家族までもが、新しくなろうとするその人に昔の自己を強いることになるのですね。そういう出来事を経験するたびに「本当はこんなんじゃない・・・」という苦い思いを味わわなければならず、しばらくは辛い時期が続くでしょう。それでも、少しずつ新しくなっていくのです。わたし自身もそれに似た経験をし、他者のことを見る眼が変わったと思います。目の前にいる相手のなかには、生まれながらにして具わったその人らしい側面と、生きてくるなかでどうしても引き受けなければならなかった側面とが折り重なっているのです。後者があまりに深刻なためにその人本来の美しいものが包み隠されてしまっているのを感じ取ったとき、わたしはできるだけ美しいものを引き出してあげたいと思います。多くの人が見過ごしてしまうであろうベールに覆われた中身を、そっとより分けて目に見えるところに引き寄せたいと思うのです。新しい自分も旧い自分も、どちらもひっくるめて理解してもらいたいと願うのは誰しも同じですから。「らしさ」がみなぎる自分も、途中から引き受けなければならなかった新しい自分も、どちらも分かり合える関係が築けたら素敵だなぁと思う今日この頃です。今日も元気に仕事をすることができて感謝します。ありがとうございました!!【三文日記】今朝目覚めたときから、なぜか右足のふくらはぎが痛みます。どれだけ思い出しても原因らしいことは分からないのですが、今までに経験したことのない痛みがまとわりついてきます。この手の痛みにくじけることなく走り続けてきましたが、今回は休んで様子をみることにしましょう。●今日の天気晴れ。●今日の運動お休み。
2010/05/13
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何かしら弱みを抱えながら生きるということは、背伸びをすることを宿命づけられるものです。まぁ、誰しも弱みのひとつやふたつは持っていますから、「顕著な弱み」と言うべきかも知れませんね。例えば父や母がいないといった家庭的な事情であったり、借金など金銭的な問題であったり、わたしの場合には見ることと聴くことのハンデキャップという身体的な問題であったりします。そこには普通の人がたいてい持ち合わせているものの欠落があり、ポッカリと空いてしまったその空白を埋めるために、人よりもエネルギーを費やすことが要求されます。例えば、身体的に何かしらの不足を抱えている方が仕事をする場合には、人事評価の壁にぶち当たっていることと思います。会社のなかで仕事をしている人々のなかで、とりわけ優秀な人の数はそれほど多くありません。それと同じように、会社の期待などそっちのけで自分の好き勝手に仕事をしているダメな人の数も、ほんのひと握りだろうと思います。その他大勢の人々は、それぞれに与えられた仕事を無難にこなす、可もなく不可もなくといったごく標準的な大多数です。どこかで抜きん出る成果を挙げるということはない代わりに、「ダメ社員」という烙印を押されるほど不良でもない。みんなほとんど同じでドングリの背比べ、評価者からすればそれらの人々の仕事ぶりを比べて評定するのは頭の痛い作業でしょう。さて、そんな状況にあって、身体的なハンデキャップを抱えている人々はと言うとどうでしょう?多くの場合、頑張って「その他大勢」に食い込むことができるか否かではないでしょうか?たとえ実質的に「その他大勢」の人々と同じ成果を挙げていたとしても、結果的に同じ評価をもらえるとは限りません。なぜなら、身体的なハンデキャップがあるということは、普通の人が当たり前にできていることのなかに、どうしてもできないことというのが生じてしまいがちだからです。ただでさえ差を見出そうとうずうずしている評価者にとって、例えば「彼は耳が悪くて電話対応が難しいから・・・」なんていうのは格好の「評価理由」にできるのです。たとえそれが本人には取り繕うスベのない「欠陥」だったとしても、けっきょくはそういうふうに判定されてしまうものなのです。だから、その「欠陥」を埋め合わせるために、弱みを抱えた者たちは標準を少し上回るだけの成果を挙げなければ「その他大勢」に入れないのです。要するに、ちょっとだけ背伸びしなければ「普通」という評価はいただけないのですね。ちょっとくらい体調が悪くたって平気な顔をして職場に現れ、あらん限りの知恵と体力を振り絞って普通の人が手をつけない新しい何かを成し遂げようと頑張る。身体的な弱みを抱えた人たちは、きっとみんなそういう思いで仕事をしているのではないでしょうか?身体機能の問題によらず、この世に生きる多くの人たちはそれぞれに何かしらの弱みを持ち、それを克服するために背伸びをしていると思います。それはたしかにあまり居心地のよくない態勢だけれど、しばらくそのまま踏ん張っているうちに、それが自分の「身の丈」に変わっていくのではないでしょうか?頑張って背伸びし続けたその分だけ、わたしたちはタフになってゆけるのです。みなさん、前向きに背伸びをして、タフに生きていきましょう。今日も健やかに過ごすことができて感謝します。ありがとうございました!!【三文日記】昨年の日記を確認したら、今週の月曜日が新居に越して一周年の記念日でした。たしか去年の今くらいだったよなぁ・・・なんてぼんやりと思ってはいたのですが、早いものですね・・・。週末にでもお祝いをしましょう。●今日の天気晴れ。●今日の運動ジョギング35分。
2010/05/12
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「スポーツ界の有名選手が参院選出馬へ! あなたはどう見る!?」そんなタイトルの電子メールがメールボックスに舞い込んだとき、あぁ、やっぱりみんなもそう思っているんだなぁ・・・と感じたのでした。これまでだってスポーツや芸能活動で名の知れた人たちが選挙に立候補することはありましたから、別にとりたてて不思議なことではないのかも知れません。しかし今回驚くべきなのは、現役を引退した選手ではなく、世界のトップレベルで戦いながら議員を務めることを宣言しているということでしょう。この報道に接したとき、正直なところ「あぁ、よした方がいいのにな」と感じました。もちろん世の中には、「あの人のことが大好きだから、ぜひとも当選してもらわなくっちゃ」と好意的に受け止める方もいらっしゃることでしょう。また、政治家は言います。「スポーツ選手としての偉業を成し遂げるのに培った精神を、政治の世界で発揮して欲しい」と。その一方で、また別の見方もあるようです。「参議院議員って本業のかたわらで片手間みたいにできちゃうもんなの?」「客寄せパンダみたいなもので、認知度と好感度が具わっている人なら誰でも政治家になれちゃうわけ?」そんな賛否両論入り乱れる状況にあって、わたしはどちらかと言えば後者の側に近いと思います。思うに、そこにはなんとなくその業界の本音が表れていますよね。「票数さえ取ることができれば、政治家という職務は務まるもんだよ」と。世の中をこういう風にしたいとか、こうしなければ日本がダメになってしまうとか、そういう魂から湧き上がってくる信念とか理念とか、あるいは危機感などを持ち合わせていなくても構わないのです。とにかく有権者のお目がねに叶って他の候補者より一票でも多く票を集めれば、今の日本では政治家という職業に就くことができてしまうのだと今回の出来事は物語っているようです。もしかしたら、現役スポーツ選手の出馬を画策した当人たちは、そんなことをさらさら思っていないかも知れません。「我々はそんな軽薄な思いつきで計画したのではない。正しいと考えたことを、ただ実行しているまでだ」と。しかし、たとえ本人たちはそう思っていなくとも、その振る舞いによって心の在り様が露わになっているように感じます。少なくともわたしにはそういう気がするのです。人間、あるいは人間集団というものは、自覚していてもいなくても、ささいな振る舞いによって本性をさらけ出すということがあると思います。わたしたちの社会を陰ひなたに操作している人々の本心が、かいま見えた出来事だったのではないでしょうか?そして、そういう人々に担がれて出馬を決心した著名人たちは、自分がそういう決断をすることで市民からどんなふうに受け止められるかを、もっと深刻に考えるべきだったんじゃないでしょうか?せっかくそれぞれの分野で築き上げた素晴らしい実績も、それによって勝ち得た人望も、この一件で水泡に帰するのはあまりにもったいないと感じます。やはり自分がゆくべき一つの道を、しっかりと見据えて歩んでいってもらいたいと願います。このことは、もちろん自分自身も肝に銘じておきます。たった一つの決断、行動によって、自分でも意識していない本心が露呈してしまうということを。今日も健やかに過ごすことができて感謝します。ありがとうございました!!【三文日記】このところ葉っぱがしぼみがちで根っこがスカスカのハイビスカス。南国によく似合うこの植物を元気づけるため、とりあえず我が家でもっとも暖かな浴室に置いてみています。明日は晴れ間も見られそうなので、バルコニーで日光浴させてあげましょう。●今日の天気雨時々くもり。●今日の運動ジョギング30分。
2010/05/11
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「なんか最近、器量が狭くなったよなぁ・・・」三十路を越えて脳みそが少しずつ退化しているのでしょうか、それまでは広い心で受け容れることができた物事も、なぜか斜に構えてしまうことが多くなった気がします。駅のホームで整列せずに横から割り込んでくる人を見かけると、まるで目の敵のように憎悪してみたり、他者がこちらの思うように動いてくれないと「使えないヤツ」と一蹴して悪態をついてみたり、知らず知らずのうちにイライラしている自分自身に気づきます。たしかに他者が不誠実な行動をとったときには憤りを覚えるのも無理はないのかも知れないけれど、誰かを憎めば憎むほど自分自身が辛くなるものですよね。「あぁ、他人が何をしようがお構いなし。好き勝手にしてちょうだい」そんなふうにあらゆる物事に対して無頓着であるのは論外だと思いますが、かといってささいなことに目くじらをたてるというのもあまり好ましいことではありません。もともとは本当に一大事でもない限り、めったに腹を立てることなどなかったはずなのに、いったいどうしたことでしょう?「かたよらない心、こだわらない心、とらわれない心、広く広くもっと広く。これは般若心経の空の心なり」「般若心経」を唱えたら三分で終わるのだから、その説明も三分で済ませる必要がある。名説法で知られる薬師寺124代管主・高田好胤さんは、そんな思いから「般若心経三分説法」を催し、その際に上の言葉が口をついて出たと言います。今のわたしにとって心にスゥ~と染み込んでくるようで、あぁいい言葉だなぁ・・・としみじみ噛みしめてしまいました。人間は、年齢を重ねるにしたがって受け容れられる世界が徐々に狭まって、やがて自分にとって心地よいものしか受け付けない、かちこちに凝り固まった心の壁を築いてしまうものなのかも知れません。だから、そうならないために何かしら自分なりの工夫が必要になってくるのではないでしょうか?世の中には色んな性格の人がいてもいい、色んな考え方があっていい、決して良くはなくても、この世界には思いがけない振る舞いをしてしまう人がいて当然なんだ。外界と向き合うためのそういう心構え、つまり「般若心経」の説く「空」の精神を養う工夫が、これからのわたしには必要なんだろうと思います。それにしても、お経に限らず容易に理解しえない専門的な概念を、一般人に分かりやすく説明するということはじつに尊いことですね。その本質をしっかりと掴み表現の仕方を工夫できなければ、的外れなことを伝えてしまうか、あるいは科学技術の参考書にありがちな独りよがりな情報発信で終わってしまいます。高田さんはそれができたからこそ、名説法家と呼ばれていたのでしょうね。先人の尊い知恵の言葉に感謝します。ありがとうございました!!【三文日記】我が家の鉢植えにバジルが加わったのはよいのですが、その代わりと言ってはなんですがハイビスカスが著しく弱っています。根詰まりしているのかと思ってより大きなプランターに植え替えしてみると、それどころか根っこがスカスカになった気がします・・・。どうすれば元気にしてあげられるのでしょう?●今日の天気くもり。●今日の運動ウォーキング1万1000歩。
2010/05/10
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「目も耳も悪いなんて、お気の毒ですね」わたしが抱えているハンデキャップについてお伝えするとき、よくそんな言葉をかけていただきます。「こちらの苦しみを思いやってくださって、本当にありがとうございます」と感謝する一方で、心のなかでは「じつはそうではないのですが・・・」と申し立てしようとする自分がいます。そう、たしかに目が見えにくい、耳が聞こえにくいということは様々な問題を引き起こすのですけれど、そのこと自体が辛いわけではないのです。そもそも、なんのために人間には「目」が、あるいは「耳」が具わっているのでしょう?本当に根本のところを突き詰めれば「この生命を狙う外敵をできるだけ早く発見し、それに対処するため」となるのでしょうが、現代にあってはそういう場面はごく稀だろうと思います。より現実的な状況に即して考えるなら、「豊かに生きるため」と言えるのではないでしょうか。言い方を換えれば、目と耳の役割は目の前にあるものを見、周囲の物音を聞くことに留まるのではないということです。見える、聞こえるということは、それ自体が善いとも悪いとも言えない、あるいはどちらとも言えると思うのです。例えば、決して望んではいないものを見てしまったばっかりに、その後の人生が生きづらくなるということがあります。誰かが残忍な方法で傷つけられる場面とか、こちらを嫌悪する他者からの視線とか、汚いものとか、醜いものとか・・・。だから、冒頭のような言葉をかけていただくとき、目が見えにくいこと、耳が聞こえにくいことは、それ自体が辛い、苦しいことではないのだと申し上げたかったのです。では、本当に辛く苦しいのは、どういうことなのでしょうか?それはやっぱり、「見えにくいから」、「聞こえにくいから」というそれだけの理由で、与えられるはずのチャンスが奪われてしまうことでしょう。例えば、生まれつき目が見えにくい方がいるとしましょう。目が見えにくいかどうかによらず、その方だって人間ですから、ご両親からいただいた本来の気質、得手・不得手というものが具わっているはずです。もしかしたら声が良くて話し手としての才能があるのかも知れないし、言語能力が優れていて文章家や通訳の才覚に恵まれているのかも知れません。目が見える他の多くの人たちと同じように、そこには無限の可能性があるはずなのです。しかし、もしもその方の周囲の人たちが「目が見えにくいのだから、それ相応の仕事しかできないだろう」と決めつけてしまったら、可能性はそこで摘み取られてしまうわけですね。その方が何かを選択する前に、選択肢そのものを奪い去られてしまうことが、もっとも過酷なことだと思うのです。たとえ目や耳が使えなくたって、それを補う術さえ身につけることができれば、一人ひとりの豊かな人生が拓けるかも知れないのに・・・。目が見えにくい者として、この点の誤解をといておくことは非常に大切なことだと感じています。人間にとって、目や耳というのはあくまで手段です。その人が望むことは、果たして本当に目や耳が正常でなければ叶わぬことなのでしょうか?道具を使って補ったり、一部を誰かに手助けしてもらうだけで、達成することはできないでしょうか?身体機能の不足を抱えて生きる方に、あるいはその人を後押ししようとしている方に、そういう問いかけを大切にしていただきたいと願っています。手段ではなく、目的にこそ目を向けていきましょう。今日も健やかに過ごすことができて感謝します。ありがとうございました!!【三文日記】我が家に新たな植物が加わりました。それは、「王様のハーブ」ことバジル。顔を近づけてクンクンすると、清らかな香りが鋭く鼻をつき、なんとなく安らかな気分になります。●今日の天気晴れ。●今日の運動ジョギング50分。
2010/05/09
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先日、妻の大学時代の友人たちと再会して、気後れしている自分に気づきました。十人近くいる仲良しグループのうち六人のメンバーが集まり(そのなかの一人が妻)、半数がいまやお子さんを持つ立派な親となっていました。食事をしていても温泉に浸かっていても、小さい子どもを連れていればそちらに意識を向けなければなりませんから、おちおち昔話に興じるわけにもいきません。食べ物を細かく刻んで食べやすいようにしてあげる、飽きてきたらうまくあやしてあげる、トイレに連れていってあげる、服を着せてあげる、・・・。自分のことはそっちのけで我が子を世話する友人たちの姿を見ていて、我が事すらままならない自分自身が情けなく、恥じ入ってしまったのでした。今回集まったメンバーのなかでわたしが最年長だったことも、それに拍車をかけていたように思います。都心のほうで暮らしていると三十路を越えても子どもを持たない悠々自適な夫婦を当たり前のように見かけますが、地方へいくと事情はいくぶん違っているようです。とくに女性は、三十歳になる前に第一子を授かっていたいというのが標準的な人生の歩み方のように映ります。自分の親のことを思い浮かべてみても、両親がわたしの年齢の頃には、すでに小学生になる子ども(つまりわたし)がいました。時代とともに婚期が遅くなっているとは言え、このままいくとますます周囲の人々から取り残されるような想いを味わっていくことになるのかも知れません。まぁ、もちろん子どもを持たないと割り切ってしまえば、べつに気後れする必要などないのでしょうけれど・・・。子どもを持つ・持たないということに限らず、このところ、実年齢に対して自分はそれに見合うだけの成長をしているのだろうかと不安になることがあります。縄文人の骨から当時の平均寿命を計算した人がいるそうですが、それによるとおよそ31.5歳なんだそうです。わたしはそろそろ死んでもいい頃です・・・。縄文人は比較対象としてあまりに現実離れしているとしても、たとえばこのあいだ墓前に参った福井藩士・橋本左内は二十代半ばで亡くなっているし、坂本龍馬だって三十代半ばで暗殺者によって命を奪われました。ほんの70~80年前、戦時中にはわたしよりも若く健やかな男たちが、お国のために命をささげていたのです。子孫を残すこともなく、一世一代の仕事をやり遂げることもなく、無為に過ごしている自分自身を自覚するとき、やはり恥かしくなります。どうすればそういう想いを振り切り、胸を張って生きていけるようになるのかを、真剣に考える時期が来ているようです。もしも子どもを持つことができないのだとしたら、たとえ血はつながっていなくても、後からやって来る人々にとって大切なものを残してあげなくてはなりません。それは、偏見のない想像力のある社会であったり、豊かな自然環境であったり、あるいはやりがいのある仕事であったり、色々なカタチで引き渡すことができます。自分が後世に引き継ぐべき大切な営みに参加しているのだとはっきり自覚できれば、きっと今感じている気後れや恥じらいは克服できるんじゃないかと思います。どうか子どもたちの前途を切り拓く、本質的な生き方ができますように。そんな想いを新たにした五月晴れの土曜日でした。今日も健やかに過ごすことができて感謝します。ありがとうございました!!【三文日記】買い物へ出かけた際、母の日のプレゼントを購入しました。妻と思案した結果、バスソルト、ハンドクリーム、そしてハーブティーの詰め合わせになりました。いつまでも元気で美しくいてください、との願いを込めて。●今日の天気晴れ。あたたか。●今日の運動お休み。
2010/05/08
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おかげさまで、このサイトへのアクセス数が20万を越えました。縁あってここにお立ち寄りいただいた皆様に、心から感謝いたします。ありがとうございます。たくさんの方々に訪れていただくことは、とても嬉しく思います。Japan Blog Award 2008にて特別賞をいただき、楽天ブログさんのおすすめブログに掲載していただいた頃から、一日に訪れる方々の数がグッと増加しました。それまでは一日当たりせいぜい50アクセス程度だったのですが、今では平均200アクセス、つまりおよそ四倍にもなっています。お一人で何度も訪れてくださる方もいらっしゃるし、自動巡回ソフトを使って足跡だけを残している方もいらっしゃいますから、20万アクセスといっても実際にはおそらく100分の1くらい、つまり2000人くらいの人たちの目に触れたのだろうと推測します。2000人という数字をあらためて遠くから見つめなおしてみると、すごい数ですね。現実世界でそれだけ多くの人々に耳を傾けてもらうことは、ちっぽけな市民にはとうていできることではありませんから。インターネットという底知れない大きさの海に浮かんでいるからこそ、時間も空間も超越して、つまり一度記した言葉はそのあと誰もがいつでも読むことができるし、物理的にどれだけ遠くにいてもネットワークにつながってさえいれば誰もがアクセスできるのですね。ブログに限ったことではありませんけれど、インターネット上のメディアがいかに影響力を持っているかを痛感します。ただ、個人的にはこれまでアクセス数という数値を増やそうと思ったことはないし、これからもそれを目指すつもりはありません。このサイトは商売っ気がこれっぽっちもないし、広告としてまったく機能してはいません(楽天さんには申し訳なく思います)。それでも、ごくごく限定された人たちで構わないので、とにかくその方々にとって価値あるものをここに記すことができたらと願っています。もちろんできるだけ多くの人たちにとって価値あるサイトになれるならそれに越したことはないのだけれど、現在の未熟なわたしには誰にとっても受け容れられる普遍的な真実をお伝えする力が具わってはいません。わたしは日々考えたことや感じたことをここに文章としてしたためながら、より好い方へ自分自身を導いていこうと努めています。「文章を書く」というのは内省的な作業であり、遭遇するあらゆる出来事に対して自覚的になることを促されます。生来うすぼんやりとしがちなわたしにとって、心の中でもやもやとしていることを言葉に移し替えるということがきわめて大切なのです。その結果、誤った答えを導き出すことも多いし、煮え切らない段階で留まってしまうことも少なくないのだけれど、とにかく一歩でも半歩でも足を踏み出したいと願っています。だから、アクセス数を稼ごうとは決して思わないけれど、足跡として刻まれたアクセス数に励まされながら、これからも少しずつ好ましいほうへ進んでいけたらと思います。これまでこのサイトを通じて触れ合うことができた皆様に、心から感謝いたします。ありがとうございました!!【三文日記】このところめっきり暖かくなってきて、我が家で育てている植物たちも開花の気配を感じさせてくれます。昨年は一度も花開かなかったアンスリウムはひと冬越えて力をつけ、伸びやかな葉っぱを茂らせています。バルコニーに出して水をあげながら、いつ咲いてくれるのか楽しみでワクワクしています。●今日の天気晴れのち雨。●今日の運動お休み。
2010/05/07
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なにかと忙しかった連休が明け、久しぶりに会社へ出勤しました。旅へ出て留守にしているあいだに季節は初夏へと移ろい、それまでとは異なった別の街へやって来たような錯覚をおぼえます。休み前は羽織っていたジャケットをクローゼットにしまい、弁当バッグにはしっかりと保冷剤を詰め込んで、寒さ対策から一転して暑さ対策が必要になりました。通勤路の道端にはそれまで影を潜めていた草花が鮮やかな色彩を放ち、真新しい匂いを漂わせています。久々に見慣れた日常に舞い戻ってきたと思ったら、風景がずいぶん変わって映ります。それは、もちろん外界が変わってしまったこともあるのでしょうけれど、もしかしたらわたし自身のなかにあるものが変化したせいもあるのかも知れません。それが好ましい変化なのか、それとも好ましくない変化なのかは分かりませんが、日常から一度離れることで人間は少なからず変わっていくものだと感じます。日常から離れることで経験したことと言って思い出すのは、福井駅の観光案内所で出会った窓口の女性たちのことです。ひと言でいってしまえば、都会ではなかなか感じることのできない親切心や誠実さがそこにはあったのです。わたしたちが訪れたときにはすでに何人かの観光客がそれぞれの相談を持ちかけていて、窓口の女性たちはそれに応じていました。その様子を眺めていると、お客様に語りかける表情、お客様の声に傾聴する眼差しが真摯で好感を覚えました。そのうちわたしたちの相談にも対応してくれたのですが、説明が丁寧でパンフレットなどを使ってきめ細かく疑問に答えてくれました。例えば、バスのチケットを購入できる窓口が駅を出てすぐ目の前にあるのですが、そんな分かりやすい場所に対しても地図を使って図示してくれるのです。そういう場合、たいていは「いらっしゃれば分かると思います」と言って済ませてしまうものです。人が「行けば分かる」と言うとき、えてして行ってみても分からないことのほうが多いんですよね。たしかに一人ひとりにそれだけ手厚く対応していたら時間はかかりますけれど、対応していただいた方としては実に心が温まります。京都を訪れた際にも感じましたけれど、おもてなしの心というか、他者に対する親切心、誠実さというのは、都会にいるとなかなか味わえないものなのだということを教えられます。お客様には必要最小限のことしか(ひどいときにはそれすら)しない、「やります」と約束したこともその後お客様に突っつかれるまでやらない、・・・。都会に暮らしていると、そういう経験をすることのほうがよっぽど多いものです。どうしてそんな差異が生まれるのかなぁ・・・と考えてみるのですが、なんとなく都会は狭いせまいところにそれぞれが居場所を見つけるのに汲々としているというか、精神的にも物理的にもゆとりがないんじゃないかなぁと感じます。毎日毎日イス取りゲームをしているようなもので、社会においてのポジションなり、通勤電車の空席なり、限られたものを常に争っていて、親切心とか誠実さみたいなものはむしろその障害になるものとして打ち捨てられているように見えます。人間は、あまりに密集しすぎてはいけないのかも知れませんね。そんな環境のなかでボヤボヤしていたら、きっとわたしも同じように親切心や誠実さといったものを手放すことになるのでしょう。いや、すでにそうなりつつあるのかも知れません。ロクでもない現実のなかで、まれに出会うことのある親切心や誠実さを、しっかりと覚えておきたいと思います。人間が目指すべきホンモノは、そちらの方なのですから。今日も健やかに仕事をすることができて感謝します。ありがとうございました!!【三文日記】もうすぐ母の日ということで、両家の母へ贈るプレゼントを思案しています。これで四回目となり、さすがにネタが切れてきました(笑)。母たちが喜びそうなもので、これまで贈ったことのないものって何だろう?●今日の天気晴れ。暑い。●今日の運動ジョギング30分。
2010/05/06
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長期連休の最終日である今日は、自宅を一歩も出ることなく静養しました。昨日まで二泊三日の旅の疲れが残っているようで、なんとなく体が重く眠気がまとわりついてきます。ソファに身を沈めて目をつむり、旅で出会った印象深い風景に思いを及ばせました。わたしにとってとくに忘れられないのは、やはり旅先に眠っている歴史とのふれあいです。じつを言うと、福井に滞在しているあいだにどうしても訪れてみたいと思い、足を運んだ場所があります。せっかくなので、いつまでも記憶にとどめておくためにここで振り返っておきます。福井駅界隈は、福井城址をはじめ数々の史跡や偉人の足跡をしのぶモニュメントが徒歩圏内にひしめき合っていて、日本史に興味をもつ者にとってはよだれが出そうなほど魅力的な街です。情緒溢れる街はたいてい豊かな水脈に恵まれているものですが、ここ福井もやはり母なる足羽(あすわ)川が街の南方を東西に流れています。足羽川にて福井駅から西へ行くと足羽川に架かる幸橋がありますが、その両岸には幕末・維新後の日本に多大な影響を与えた人物にゆかりの地が点在しています。橋の北側には、明治初期に招かれてやってきた外国人教師の住居(福井で初めての洋館)があった異人館跡や、その傍には熊本藩士で藩主・松平春嶽の政治顧問も務めた横井小楠の居留宅跡もあります。その横井小楠の講義に感動して師事し、維新後は新政府下で参与として活躍した由利公正(三岡八郎)の邸宅跡が対岸、つまり橋の南側にあります。由利公正は五箇条の御誓文の草案を起草した人物として有名ですが、個人的には坂本龍馬と親交があったことに興味をおぼえます。土手の上にたたずむ記念碑を前にして、龍馬もこの辺りを訪れたのかも知れないと想像を膨らませ、ひとりひそかに楽しんでいました。幸橋のたもとにて由利公正をしのびつつ土手を西方に歩き、石段を降りて川から遠ざかるほうへ進んでいくと、松平春嶽の近侍として国事に奔走した橋本左内の墓所があります。橋本左内といえば、十代半ばにして立志の決意を表明した「啓発録」のことを思い出しますが、やはりその有名な文言が記念碑に刻まれていました。 一、稚心を去る 一、気を振う 一、志を立てる 一、学を勉める 一、交友を択ぶ橋本左内墓所にて安政の大獄によって二十代半ばという若さで非業の死を遂げた橋本左内の生涯を想うと、腕組みをして考え込んでしまいます。再び幸橋を北側へ渡ってそのまま道沿いに進み、路面電車が行き交うフェニックス通りを渡って東へ進むと、福井城址があります。福井城址にてお堀に架かる橋を渡って豪快に積まれた石垣を登っていくと、天守台跡に至ります。木々の合間から眼下に広がるお堀や街並みを眺め、再び石段を降りて北東に架かる橋を渡り、さくら通りを渡って北東に進んでいくと、松平家の別邸・養浩館庭園が現れます。養浩館庭園にてわたしたちが訪れた日はこの春一番の暖かな日和に恵まれて、庭園内に繁茂する緑が燃えるように光輝いていました。こんな美しい風景に日々囲まれていたら、どんなに心穏やかな暮らしを営むことができることでしょう・・・。福井に滞在している間に足を運ぶことができたのは上の通りですが、ほかにも訪れてみたかったスポットはたくさんあります。もしも次なる機会に恵まれたなら、今回の旅を思い出して夢のつづきを追いかけてみたいと思います。またひとつ忘れがたい旅の思い出を与えられたことに感謝します。ありがとうございました!!【三文日記】7月にヨーロッパへ旅行しようと計画中です。しかし、気になるのはアイスランドの火山噴火・・・。二ヵ月後、果たしてぶじに行き来ができるのでしょうか。●今日の天気晴れのちくもり。●今日の運動お休み。
2010/05/05
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時刻はまだ早朝5時半、手ぬぐいとバスタオルを携え、大浴場へと向かいました。体を洗い流してから海に面した露天風呂へ進み、熱い湯に胸まで浸かって眼前に広がる風景をぼんやりと眺めました。濛々と立ち上る湯気の向こうに深緑色をした能登島の影が佇み、視線を上にあげると天頂を目指して駆け上ってゆく朝陽が混沌とした雲間から強烈な光の束を投げかけています。その光は海面に映りこんで能登島とこちらに架かるひとすじの道となり、片時も休むことのない波のうねりによって刻々とその姿を変えています。人間の力など及ばない、太陽と海が織り成すその優美な景観に、しばらく心奪われていました。入浴後、まだ寝静まっている仲間たちを残してひとり散歩へ出かけました。歩いて数分のところに弁天崎源泉公園があり、その界隈には和倉弁天神社やゆかりの俳人の句碑など、さまざまなモニュメントが集まっていて飽きることがありません。長いあいだ多くの人々に愛されてきた由緒ある温泉街を自分の足で踏みしめて、ひとり悦に入りました。朝陽が映える七尾西湾弁天崎源泉公園にて和倉温泉にて昨夜は仲間たちと親密なひとときを過ごし、身も心もホクホクと温まっています。今朝もみな健やかに一堂に会し、語り尽くせなかった話題を持ち寄ってにぎやかな朝食となりました。午前10時をまわったところでチェックアウトを済ませ、記念写真を撮影してからそれぞれの車に乗り込みました。途中、日本で唯一自動車が波打ち際を走行することができるという千里浜なぎさドライブウェイに立ち寄り、荒々しく打ち寄せる日本海を手の届きそうなほど間近に眺めながら能登に別れを告げました。千里浜なぎさドライブウェイにて仲間たちを一つに結びつけた学び舎にも立ち寄って記念写真を撮影し、つかの間の再会を締めくくることになりました。最後にみんなで昼食をとってお開きとし、仲間たちは再びそれぞれのいるべき場所へと帰っていきました。妻とわたしは金沢駅で15時48分発の特急しらさぎに乗り込み、米原を目指しました。缶ビールを一本飲み干すとすみやかに重い眠気がやって来て、瞬く間に意識が遠のいてしまいました。特急しらさぎは三分遅れで米原駅に到着し、10分足らずのあわただしい乗り換え時間をなんとかこなして東海道新幹線に乗り込みました。ぶじ指定席に腰をおろすと、さっきよりもさらにずっしりとした睡魔が襲ってきて、次に意識を取り戻した時には新横浜駅到着の10分前でした。夢心地が少しずつ遠のき、わたしたちにとっての現実がすぐそこに差し迫っているような感覚を覚えます。何はともあれ、何事もなくこうして充実の旅から戻ってくることができて感謝します。ありがとうございました!!●今日の天気晴れ。暑い。●今日の運動お休み。
2010/05/04
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ピーヒャララ、ピーピーヒャララ・・・。どこからやって来るのか分からないのですけれど、尺八や太鼓の快い音色が福井の街に響き渡っていました。五月にしては眩しすぎる陽射しが辺りに満ち溢れ、あらゆる色がそれぞれ固有の色合いをいっそう鮮やかに放っています。もう少し留まってこの街を自分の足で歩いてみたいと思うのですが、次なる予定が差し迫っていてお別れしなければなりません。後ろ髪をひかれつつもJR福井駅の改札をくぐり、午前10時49分発の北陸本線に乗り込みました。車窓を流れすぎる風景を呆然と眺め、本を読み、目を閉じて夢のない淡い眠りに落ち・・・。そうこうしているうちに時はあっさりと流れ去り、12時29分、わたしたちを乗せた電車は金沢駅に到着しました。ここで妻の大学時代の友人三人と再会し、みなで一台の車に乗り込んで金沢駅前を出発しました。能登有料道路に乗って絶え間なく白波が打ち寄せる日本海を眺めながら北上し、能登半島のくびれに位置する七尾市へとやって来ました。ほどなく七尾西湾を臨む和倉温泉にさしかかり、かの有名な加賀屋を見かけて思わず唸ってしまいました。わたしたちはとある旅館に到着し、ここでさらに八名と再会を果たしました。じつのところ、今回の北陸旅行のメインイベントは、妻の学生時代の親友たちとここ和倉温泉に集うことでした。サークルにも似た仲良しグループが結成されてからちょうど10年の節目にあたるということで、祝宴をもよおそうということになったのです。館内に入ると、海と能登島を一望できるラウンジがあり、ところどころに設けられた人工池では育ちのよさそうな鯉が悠々と泳いでいます。経験豊かでいかにも頼りになりそうな女中さんが五階の大部屋に案内してくれて、わたしたちはキャリーケースなどを手放してホッとひと息つきました。バルコニーへ出ると、眼下に穏やかに波立つ七尾西湾が広がり、その向こうにはなだらかな稜線を描く能登島の山並み、そして島とこちらを結ぶ能登島大橋がぼんやりと霞んで映ります。和倉温泉の一室にて潮の匂いが溶け込んだ海風がなんとも言えず心地よく、しばらくは声もなくその景観に心を奪われていました。無事に仲間たちと再会し、優雅なひとときを過ごすことができて感謝します。ありがとうございました!!●今日の天気晴れ。暑い。●今日の運動お休み。
2010/05/03
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午前7時半、東海道新幹線の車窓には真っ白な雪を冠した富士山が悠然と佇んでいました。五月の快活な朝陽を浴びて、頂は鮮やかな陰影を帯びています。東海道新幹線の車内にてその背景に広がる空は目が痛むくらいに真っ青で、この旅が喜ばしいものになることを予感させてくれます。新横浜駅の売店で買ったチキンカツサンドとコロッケパンを平らげ、「福井県の歴史散歩」 という本を読み進めました。8時49分に米原駅で新幹線を下車し、その10分後に発した特急しらさぎに揺られることおよそ一時間で、わたしたちは福井駅に降り立ちました。今夜お世話になるホテルにキャリーケースを預け、10時50分に永平寺行きのバスに乗り込みました。連休中ということもあるのでしょう、大型のリムジンバスのシートは観光客でほぼ埋め尽くされています。車窓を流れすぎる見知らぬ風景をぼんやりと眺めているうちに、およそ30分で終点・永平寺に到着しました。そばやごま豆腐をふるまってくれる飲食店や土産物店が建ち並ぶ坂道を上り、「曹洞宗大本山 永平寺」と刻まれた巨岩を見送って、参道へと進んでいきました。バスに揺られている間にも感じたのですけれど、陽光をいっぱいに浴びた樹木の緑がじつに多彩かつ新鮮で、そんな木々の合間を吹き抜ける風もしだいに澄み渡っていくのが感じられます。永平寺参道にて参拝料を支払うと大きな境内の地図が掲げられた一室に通されて、雲水さんから七堂伽藍についての説明がありました。「東司(トイレ)で用を足すのも、浴室で入浴するのも、こうして参拝客の皆様にガイダンスをするのも、わたしたちの生活すべてが修行なのです・・・」そんな雲水さんの言葉が、妙に心に響きます。ひと通りの説明を聞き終えるとみなで合掌して一礼し、見学がはじまりました。鳥や花が描かれた230枚の色彩画が天井一面に貼りつけられている傘松閣、「ありがとうございました」と大勢の雲水さんが束ねた声だけが漏れ聞こえてくる僧堂、経典かなにかを天に突き上げるようなしぐさで何かしらの儀式を執り行っている承陽殿(開祖道元禅師のお墓)、法堂、仏殿、山門・・・。傘松閣の天井絵永平寺境内にて目に映る風景、草木が風に揺られ擦れあう音、鳥のさえずり、どこへ行ってもほのかにかおるお香の匂い、そこにあるものを通過していくにつれて精神が清められていく感覚が不思議です。境内を一巡して安らかな気持ちを抱え、バスに乗って福井駅へと戻りました。時刻は午後二時をまわりさすがにお腹がへってきたということで、「福そば」に入って越前おろしそばをいただきました。コシの強いそばと大根おろしのほどよい苦味、それらにからまるお汁の旨味がなんとも言えない調和を生み出し、越前おろしそばの虜になってしまいました。「福そば」の海老天おろしそば心身ともに満ち足りて、再び活力が戻ってきたように感じました。福井駅に戻って二番線の越美北線に乗り、一乗谷駅に降り立ちました。辺りは見渡す限り山と田んぼで、どちらへ足を踏み出してよいやら一瞬戸惑いました。わたしたちの他にも何人か下車した人たちがいたので、彼らの後を追うようにして水が張られた田んぼを眺めながら歩いていきました。20分くらい経ったでしょうか、清らかな一乗谷川沿いに点々とモニュメントが現れ、観光客が集まる一帯にたどり着きました。この辺りは、戦国時代に一大勢力を誇った一乗谷朝倉氏の遺跡です。およそ400年前の城下町が復原された町並みや、小高い丘に発掘された庭園や館の史跡が点在しています。妻は、ソフトバンクのコマーシャルに登場する「お父さん犬」の出身地がここ一乗谷であり、ロケ地として登場したこともよく覚えていたようで、満足そうな笑みを浮かべています。復原された町並みにて湯殿跡にて五月晴れに恵まれたからそう感じるのかも知れませんが、緑に萌える山々や澄んだ一乗谷川の流れを見ていると、なぜ朝倉氏がここに拠点を築こうと考えたかが分かるような気がしました。もちろん軍事上の理由も大きかったのでしょうけれど、ここにいると生命力に満ち溢れている雰囲気がひしひしと伝わってくるのです。時の流れが止まってしまった町に想像を掻き立てられるとともに、普段触れることのできない自然が生み出すエネルギーを全身に浴しました。一日じゅう心地よい陽射しを降り注いでくれた日は刻々と傾き、下半身には快い疲労感を覚えていました。今日のところは、ここで旅を切り上げることにしましょう。福井での一日を無事に過ごすことができて感謝します。ありがとうございました!!●今日の天気晴れ。あたたか。●今日の運動ウォーキング1万9000歩。
2010/05/02
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ちょっとした用事があり、乗客もまばらな連休真っ只中の電車に揺られて御茶ノ水を訪れました。時刻は午前10時、五月にふさわしい陽光がどこか気の抜けた街並を包み込み、優しい感触の風がさらさらと吹き抜けていました。そう、肌寒い日の多かった四月は昨日で終わり、今日から月があらたまって、個人的にはゴールデンウィークの始まりです。明日から旅へ出るつもりだし、今日はゆっくり休養しようと考えていたのですけれど、部屋に閉じこもっているには眩しすぎる青空が天上に広がっていて、ついついじっとしているのが惜しくなってしまいました。ということで、用を済ませてから普段めったに訪れることのない都心を散歩することにしました。JR御茶ノ水駅を出発し、なんとなく心惹かれて目を向けてしまうニコライ堂から遠ざかるようにして無表情なビルディングの合間をぬって進んでいきます。幹線道路を離れるとどの路地もひっそりと眠っているように静まりかえり、普段はどうなのかは知らないけれど道行く人の気配は希薄でした。歩道橋を上り下りして靖国通りを渡り、さらに閑静な路地を進んでいこうと足を踏み出しかけたとき、道端に何かのモニュメントを見つけて近づいてみました。それは、神田青果市場がこの地で発祥したことを伝える石碑でした。神田青果市場発祥の記念碑にて江戸時代、あちらこちらに分散していた市場が、明暦の大火(1657年)以降徐々にこの地に集まり、昭和のはじめまで隆盛を続けたのだとか。いまやその面影は微塵も感じられませんが、一時は商業の一大拠点だったのですね。その道をさらに進んでいくと再び何かを記した掲示板があって、顔を近づけて読んでみました。それによると、むかしこの辺りは神田堅大工町・新石町と呼ばれ、商人や職人が集う繁華な一帯だったそうです。何よりも親しみを覚えたのは、小さい頃にテレビ時代劇(加藤剛さん演じる大岡越前守忠相)で観た「三方一両損」の話に登場する大工の吉五郎という町人が、この界隈の人だったということ。歴史が刻まれた街を散歩していて楽しいのは、ひょんなところで思いがけない物語に出会えることですね。前方をまっすぐ見据えると、橙色のラインの入った中央線の列車が通り過ぎていくのが見えました。そちらのほうへ歩いていくとほどなくJR神田駅が現れて、改札口のある通路を抜けて線路の向こう側へ出ました。右手に中央線、左手に昭和通りを眺めながら人通りの少ない路地を南へと歩きます。しばらく行くと見覚えのある風景が目の前に広がり、自分が地図の上のどの辺りに位置づけられるのかが思い描けるようになりました。いかにも年月を重ねた由緒正しい外観の日本橋三越を通り過ぎると、すぐ目前には日本橋が現れました。そこを訪れた人々はたもとに佇む石碑や麒麟や獅子の彫刻の前に並んでポーズをとり、記念撮影をしています。日本橋三越にて日本橋にて対岸に日本橋高島屋を眺めながら中央通りを直進すると、まもなく右手には東京駅八重洲口が見えてきました。ケータイのディスプレイを覗くと、歩きはじめてからすでに一時間以上が経過しています。下半身に快い疲労感を覚えつつ、散歩を切り上げることにしました。気持ちのよい陽気に恵まれて、楽しいひとときを過ごせたことに感謝します。ありがとうございました!!【三文日記】明日は早朝に自宅を出発して、10時過ぎには福井市に到着するつもりです。図書館から「福井県の歴史散歩」という本を借りてきて、少しずつ読み進めています。何はともあれ、今夜は早めに休みます。●今日の天気晴れ。●今日の運動ウォーキング1万6000歩。
2010/05/01
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