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現在のジャッジングシステムで、ファンが強く反発しているのは、演技審判の匿名性だ。もちろん、参加した演技審判の名前は公表されてはいるが、誰がどんなGOEおよび演技構成点をつけたのかわからないようになっている。プロトコルを見ると、明らかにおかしなGOEをつけているジャッジがいる。これは誰なのか。公開されないのは不当だし、この匿名性がジャッジの裏取引を助長しているのではないか。ファンの不満は、おおむねこのように集約できると思う。逆にISUとすれば、匿名にすることで、圧力に関係なくジャッジが仕事ができ、かつ時に暴走するファンからの過激な批判からジャッジを守ることになると考えているのだと思う(たぶん)。基本的にMizumizuは、演技審判がどんな点を出したかを秘匿にしてしまうなどナンセンスだと思うし、こうして隠してしまうことで仕事がいい加減になり、かつファンの不信感を増長させていると思っている。だが、匿名性の廃止を率先してやるべきだと考えているかと問われれば、答えはノーだ。それは、むしろ後から議論してもいい。優先順位から考えれば、もっと深刻な問題がある。それは「ランダム抽出」。演技審判は最大12人が参加することになっていたが、コストカットのために人数が減らされ、現在では格式の高い試合でも、演技審判として9人が参加するだけになっている。そこで、最高点と最低点がカットされ(いわゆる、上下カット)、さらにランダムに2人の審判の点がはじかれることになっている。つまり、実質5人の点で順位が決まることになる。ハッキリ言って、これは相当にまずい。ヒューマンエラーや、ジャッジ間の裏取引を防ぐために多人数でジャッジングをするのが新採点システムの理念でもあった。このジャッジ人数を減らす案がチンクワンタ会長の口から出たとき、旧採点システム時代にオリンピックのジャッジを務めた経験をもつソニア・ビアンケッティさんは、強烈に反発していた。彼女の主張は、「ジャッジの人数を減らしてはいけない。ランダムカットはやめるべき。匿名性は即刻廃止。ジャッジ間での点の調整をしたり、後からジャッジによるジャッジ評価をしてはいけない(そのかわり名前を出して、責任をもってやるべき)」だということだった。実際に、ジャッジの人数が減ってから、採点は変に「投げやり」になってきた。信じられないような大差がついても平気。試合によって上げ下げがあっても知らんふり。GOEや演技構成点は、試合を見ずに実績を見て出してるのでは? と思えるような出方。それと露骨な「ホーム・アウェイ方式」。たとえば試合開催地がヨーロッパなら、たぶんメダルは1つはヨーロッパ選手に行くだろう・・・と思ったら、ちゃんとジュベールとレピストに行った。もちろん彼らがいい演技で期待(?)に応えたのは事実だが、レピスト選手のフリーには、なんとなんと3回転がトゥループ(2回)とルッツしか入っていない。http://www.isuresults.com/results/wc2010/wc10_Ladies_FS_Scores.pdf「ジャンプの難度を落として、ミスなくきれいにまとめれば、(そこで勝たせたい選手が)メダル」というMizumizuが昨年のロス選手権で予想したことが、ヨーロッパでまた現実になってしまった。ヨーロッパではフィギュアの人気はすでに風前の灯火なのだ。ISUとしては、なんとか「スター選手」を作って盛り上げたいのだろう。オリンピックのフリーでレピスト選手がいい演技をした「実績点」で、メダル仕分けはヨーロッパ選手権女王のコストナーではなく、レピスト選手のほうに行ったのかもしれない。レピスト選手の強みは、トリプルトゥループ+トリプルトゥループ。なかなか決まらないのが玉にキズだが、今回はホームのヨーロッパ。メダルのチャンスがあるとわかっていて張り切ったのか、きっちりきれいに決めて、ショートでは加点1.6点をもらい9.6点という点をい稼いだ。苦手のルッツやフリップはショートからはずしている。一方で、長洲選手は非常に難しいトリプルルッツ+トリプルトゥループを跳んだのに、お約束のダウングレードで基礎点が10点から7.3点に減らされ、さらにGOEでも減点されて6.7点にしかならなかった。http://www.isuresults.com/results/wc2010/wc10_Ladies_SP_Scores.pdf3回転を2種類しか入れないのに、メダルまで来てしまうなど、旧採点システムの後期にはなかったことだし、これはやはり、好ましいことではないと思う。それもこれも苛烈なダウングレード判定が影にある。ほとんどちゃんと降りても、回転不足とスペシャリストが判断すれば、2回転のほうがマシな点になってしまう。それならば、苦手な3回転ははずして、2回転で無難にまとめたほうがいい。実際には、無難にまとめても点が出ないこともある。だが、「ホーム」なら出る。それがわかっているのか、ヨーロッパ選手は北米・アジアでは露骨に力の入っていない試合をする。「どうせ頑張ったって、ここでは私の点は出ないでしょ」といわんばかりだ。ダウングレード判定は、このようにジャンプの完成度を高めるのに役立つどころか、選手に苦手なジャンプを避けさせ、バランスよくジャンプを跳ぶ力を劣化させることにせっせと貢献しているのだ。これはどのジャッジがどんなGOEをつけるかなどということよりもずっと深刻な問題だ。匿名性は廃止すべきだが、それは最優先の課題ではない。もしやるとしたらランダムカットを中止するほうが先だ。ある選手に対して、7.5点の点をつけたジャッジの点が拾われるか、8.5点の点をつけたジャッジの点が拾われるかで、順位が変わってしまう・・・というようなこともありえる。多くのファンは上位選手しか見ていないが、中位から下位選手の間では、実際にそういう「運」による順位差は、すでに当然出ていると思う。これでは競技会なのかギャンブルなのか、わからない。対して、匿名性はルールの根幹にかかわるほどの案件ではない。GOEで基礎点をないがしろにできるような加点がつく、あるいはちょっと失敗すると高難度のジャンプを跳んでも意味がなくなってしまうような減点をされる、という本末転倒な現象を、ダブルアクセル以上のジャンプのGOEの加点・減点割合を抑制することで防いでしまえば、誰がどんなGOEをつけたかなどということは、たいした問題ではなくなるはずだ。トリプルアクセル以上のジャンプの基礎点を、2回転ジャンプの基礎点と一緒に上げる。そしてジャンプのGOEの反映割合を過小に抑える。これが、ダウングレード判定に次いで重要なこと。どちらも、すべての選手のためになり、バランスのよいジャンプ力の向上にもつながり、十分に理論武装ができる。同時にジャンプ以外のエレメンツの基礎点を上げれば、ジャンプ大会になることも(おそらく、ある程度は)防げるはずだ。トリプルアクセルをショートに入れられるようにするとか、ボーナス点をつけるとか、そんなエゴイスティック――にしか見えないうえに、浅田選手に本当に有利になるかどうかわからないような改正案を持ち込むより、よっぽど優先して各国に働きかけるべき事柄だと思う。世界選手権でジュニア、シニアとも完全制覇という偉業をなしとげた国だからこそ、ルール全体を見渡して、「バランスのよいジャンプを跳ぶ力」をつけるよう選手をうながす改定を行い(ダウングレード判定の廃止もしくは緩和――2分の1以上の回転不足、つまり途中で回転が終わってしまったような明らかな回転不足ジャンプにのみ適用するというように)、「高難度ジャンプへの挑戦」を過度にリスキーなものにしている現状を変え(ダブルアクセル以上のGOEの反映割合を過小にする)、同時に基礎点狙いの無謀な挑戦は防ぎ(4Tを回り切って転倒すれば3Tと同等の点になるなど意味不明だ。ジャンプは立ってナンボなのだ。転倒は回りきっていようがいまいが0点。ややこしい減点をする必要はない)、「ヒューマンエラーや恣意的採点」がなるたけ点数に影響しないよう、客観的で公平で、かつわかりやすいルールを再構築していくという強い意志を示すことが大事だ。そして、むしろ・・・ジャッジの問題は、実は「ジャッジの待遇に悪さ」に原因があるのでは、というのがMizumizuの考えだ。多少理想論になるが、ここまで難しい判定や、こまかな採点をさせる以上、本当ならもっと厚遇すべきなのだ。ところが今は、ジャッジは派遣社員扱い。誰が実際に試合のジャッジングをするのかも、くじ引きで決まり、権威のカケラもない。ボランティア同然の安い報酬でやっているのだから、ファンはジャッジを尊敬しろ、などと言う人がいるが、それこそ本末転倒だ。報酬も安く、地位も低いからこそ、力のある誰かの意向にそって「えこひいき」をしたり、実際の競技をロクに見ずに、無難な実績点をトレースしたりするのではないだろうか? そう取るのが、むしろ世間の常識だと思うが。
2010.04.04
<続き> 演技構成点での「上げ」「下げ」は、ルールで規制するのは難しい。だが、1ついえることは、9点が妥当か8点が妥当かという話ではなく、「選手間にあまり差をつけるのは、妥当ではない」ということだ。つまり、世界トップの選手に対して、9.5点をつけようと9点をつけようと、そのこと自体に問題はない。問題は2位以下の選手に対して、どのくらいの差をつけるか。一番よい選手に9.5点出したジャッジが、次に9.25点、次に9点と出すのなら、さほど問題はないのだ。むしろ、一番に9点をつけ、次に8.5点、次に7.75点とつけるジャッジのほうが問題がある。基本的にジャッジができるのは、選手間の優劣をつけることだけなのだ。それを点数化することにそもそも矛盾があるが、そこで「理由のない差」を広げていくことで、採点は恣意性が高まってしまう。現在0.25点刻みの演技構成点を0.1点刻みにして、かつ上位10人程度(人数はもう少し増やしてもかまわない。フリーの2つのグループに相当する数でもいい)の選手間にジャッジがつけられる「点差」を、もう少し狭く規定するという手もあるかもしれない。そうすれば、ジャッジは0.1点刻みで、「差」はつけられるが、「大差」をつけられない。もう1つ、諸悪の根源、ダングレード判定。これについては、撤廃の方向で動く必要がある。ダウングレード判定の問題は2つ。点数が下がりすぎること。それと、判定に甘い辛いがあり、見逃しも起こりがちだということ。人間が判定する以上、間違いは起こるが、女子の場合、ダウングレード判定があるなしで勝負が決まってしまうこともある。それだけ責任の重い判定であるにもかかわらず、試合によって、ジャッジによって、判定があまりに違いすぎる。しょせん、4分の1以上の回転不足かどうかを、人間が判定するのは無理だったのだ。回転不足は多いに考慮すべきだ。だが、それはGOEでやればいい。そもそも回転不足は、「質のわるいジャンプ」なのだから。中間点などという新しい概念を持ち込むのは、まったく不合理だ。3回転ジャンプの回転不足が2回転と3回転の中間のジャンプだというのなら、その質は一体どう判断するのか。GOEの意味がなくなってしまう。回転不足は質の悪いジャンプ、だからGOEで減点する。このシンプルかつ当然な原則に立ち返るよう、時間をかけてもISUを説得すべき。説得するためには、現状のスペシャリストの回転不足の判断が、いかにばらばらか、きっちり試合後に検討する時間を設けるべきだ。トップ選手のフリーだけでもいい。今回のワールドだったら、浅田・キム・レピスト・安藤・コストナー・長洲選手あたりだけでもいい。回転不足が見逃されていないか。逆に足りていると認定していいジャンプが落とされていないか。それは、公平性を担保し、向上させることにもなる。もし、すぐに撤廃できないのなら、「4分の1」という現在の規定を、途中で回転が終わってしまったような、誰にでもわかる回転不足、すなわち「2分の1」にまずは改定するという手もある。この「2分の1以上」規定はすでにコーチからも一案として出されている。中間点など筋のとおらない新しい概念を導入しては、ダメだ。ダングレード判定の問題については、とっくにこちらのエントリーで指摘したが、広く認知されたのは昨シーズンのNHK杯で、浅田選手のほぼ問題なく見えるトリプルアクセルがダウングレードされたときかもしれない。これも昨日や今日起こった問題ではない。時間をかけて徐々に暴走し、今や歯止めがかからなくなっている状態なのだ。一番まずいのは、女子の3回転というのがそもそもギリギリにやりやすく、それゆえ、微妙なものを取ったり取らなかったりすることで、落としたい選手の点を落とし、落としたくない選手の点を落とさないようにしているように見えることだ。そもそもジャッジとは裁判官だ。一定の基準を遵守すべきジャッジの判定が、こうも試合によって違い、同じ試合でもジャンプによって違うのに、「今回は厳しいジャッジでしたね」で済ませられるセンスがわからない。女子の場合は特に、ダウングレード判定は、勝敗にも大きくかかわってくるのに、こんないい加減なことで、なぜ内部の人間は気分が悪くないのか。誰かをつるし上げるためではなく、より公平なジャッジングがなされるよう促すという意味でも、ダウングレード判定に対する検証は、必ず行うべきだと思う。恣意的操作があるかどうかは問題ではない。あるにせよ、ないにせよ、できにくくするルールにする必要がある。浅田真央を勝たせるためのルールなんか、提案しなくて結構だ。マトモに試合をすれば、浅田選手に勝てる女子などいないのだ。浅田選手は最初に世界女王になったときは、3Aで転倒している。今回は3Aは1度だけの認定。あとの2つはダブルアクセル扱いだ。それでも世界一の点を取った。加点で基礎点がないがしろにされるような主観的な点付けではなく、あくまで難度に応じた客観点を柱にし、そこに質の評価を「加味」する。これこそ日本が提案すべき、ルールの基本方針だと思う。基本的に日本人は、「自国の選手が勝てば満足する」国民ではない。あるボクシングの試合で、自国で自国の選手が判定勝ちしたときに、多くのファンは公平さに欠けていると憤ったではないか。今、フィギュアファンが採点に対して怒っているのは、自国の選手が負けているからといより、採点があまりに不公平で、特定の選手を勝たせるために、無理矢理操作しているように見えるからだ。さまざまな「採点テクニック」で長洲選手が落とされているのを見るのは、実に気分が悪い。同時に、なにかしらの思惑で、高橋選手が上がってきているように思えるプロトコルを見せられるのも、不快そのものだ。別にバンクーバーオリンピックの金メダリストを上回る今季最高点をいただかなくたって、今回のワールドで高橋選手ほど王者にふわさしい演技をした選手は他にいないのだから、それだけでもう十分だ。長洲選手は、浅田選手に匹敵する能力をもった選手だ。ローリー・ニコルの振付に、あれほどの若々しいダイナミズムを持ち込むのは、浅田選手にだってできなかった。もちろん、浅田選手には浅田選手にしか表現できないものがある。この2人は、もっと競い合ってしかるべき選手だ。誰もが公平に感じる試合というのは難しいかもしれないが、ある程度、客観性が担保された基準のもとで、たとえ浅田選手が長洲選手に負けたって、誰も今ほどのストレスは感じないはずだ。
2010.04.03
オリンピックでトリプルアクセルや4回転の基礎点の低さがクローズアップされ、そこだけに注目が集まっている感があるが、実際には、トリプルアクセル以上のジャンプの基礎点は、一度引き上げられている。http://www.geocities.jp/judging_system/↑こちらに詳しいジャンプの配点が書いてあるが、2008年度以降3A 基礎点 7.2点→8.2点4T 基礎点 9点→9.8点だが、よく見ていただくと、同時に非常に「嫌らしい改定」もなされているのがわかると思う。それは、GOEの加点・減点の反映割合。それまで減点・加点はジャッジがマイナス3からプラス3までつけたものが、そのまま反映されていたのに、基礎点が引き上げられると同時に、減点の反映割合が増やされている。つまり、たとえば4Tの場合、ジャッジがマイナス1とつけた場合はマイナス1.6点減点になるというように、失敗したときのリスクを大きくしたということなのだ。トリプルアクセル以上の超高難度ジャンプには、それだけで転倒→ケガの危険性がつきまとう。高難度のジャンプに挑むということは、それだけで身体的リスクを背負うということ。それだけで選手にはプレッシャーだ。にもかかわらず、減点されれば、過剰に反映され大幅に点が下がってしまう。高難度ジャンプへの挑戦を逆にはばむ改正と言っていい。実際に、基礎点が上がって以降、逆にジャンパーはどんどん勝てなくなってきているのだ。今回のバンクーバー五輪で、それが決定的になった。それは一言で言えば、主観点である加点・減点および演技構成点のマジック。GOEの加点を積極的につけるというのは、ジャンプ以外の要素では、基本的に好ましいと思っている。以前ジャン選手のパールスピンが、キム選手のレイバックスピンとたった0.5点差しかついていないことに疑問を呈したことがあるが、ジャン選手、それに長洲選手の見せるパールスピンなどの独創的な技は、もっと評価されていいし、次第にそうなってきている。http://www.geocities.jp/judging_system/↑こちらにスピンやステップなどの配点もあるが、レベル4を取らなければ、加点でたとえ「3」をジャッジがつけても、3点として反映されない。レベル3ならば、ジャッジが加点で3をつけても実際には1.5点プラスにしかならないのだ。ジャンプ以外の要素を重視したトータルパッケージでの評価を・・・と、言いながらレベル認定で4を取らなければ加点割合が過小なままというのは、まだかなりハードルの高い設定だ。今シーズンはステップのレベル認定に不可解さを感じた。最初はステップのレベル4はほとんど出なかったのが、年明け以降はかなり出た。レベル3とレベル4で加点の反映割合が違う現状では、微妙な判定によってずいぶん点が違うということで、好ましくないように思う。もし、ジャンプ以外の要素を重視するというなら、ステップやスピンなどのレベル認定が3でも、反映割合をレベル4並みにするという手もあるが、むしろ基礎点をあげて(レベル3と4を近い点にし、かつどちらでも3回転ジャンプ1つ分になる程度に)、レベル4のGOE反映割合を抑え、同時に3回転ジャンプのGOE反映割合を抑えるほうが整合性があるのかな、とも思う。つまり、スペシャリストの判断で、あまり極端な差がつかないように設定するということだ。ジャンプ以外のエレメンツの得点の出し方にはいろいろ考え方があり、どれをとっても、そもそも数が少ないので大差はないのだが、むしろ今問題なのは、ダブルアクセル以上のジャンプの基礎点に対する加点の反映割合が、その他の要素の反映割合に比べると過剰であるということだと思う。たとえば、キム選手はフリーでダブルアクセルを3つ入れ、苦手のトリプルループを入れていない。ダブルアクセルで「なぜか」気前のいい加点をもらえるので、点数はトリプルループに近い得点を得てしまう。ダブルアクセルは基礎点も高く、加点の反映割合も過小におさえられている2回転ジャンプと違い、3回転ジャンプ並みになっている。http://www.geocities.jp/judging_system/↑こちらの「ジャンプの配点」を再度参照ください。にもかかわらず、フリーでは3度入れることができる。3回転ジャンプ並みの扱いなのだから、挿入回数は2度に抑えるほうが適当だし、それによって、ジャンプの偏りがなくなり、バランスよく多種類のジャンプをフリーに挿入するよう選手にうながす効果もあるはずだ。トリプルアクセル+ダブルトゥループがトリプルルッツ+トリプルループよりも基礎点が低いことに対して、海外の解説者が疑問を投げかけていたが、それは連続ジャンプが単純な足し算であることに原因がある。しかも、連続ジャンプでセカンドに2回転を入れた場合、その基礎点が2トゥループなら1.3点しかないのに、GOEでもし減点されるとなると、マイナス2がつけば、そのままの反映割合となり(連続ジャンプなので、3回転以上の反映割合が適応される)、逆に2トゥループをつけないほうがよかったような点になってしまうこともある。つまり、連続ジャンプの失敗は多くの場合、セカンドがまずいために起こるのに、2回転のセカンドの失敗に対して、3回転以上のジャンプの失敗の減点割合が反映されてしまうということだ。こうした矛盾は、連続ジャンプを単純な足し算とせず、なにかしらの調整を加えることでも解決できるが、むしろ、2回転ジャンプとトリプルアアクセル以上のジャンプの基礎点を少しあげ、かつ加点・減点の反映割合をダブルアクセル以上のジャンプでも、もう少し過小にすることで解決できるように思う。今の採点の問題点は、加点・減点によって、客観的基準として定めたジャンプの基礎点がないがしろになってしまっている点。そこに「操作」が可能である点にある。トリプルアクセル以上のジャンプの基礎点のことばかり言われるが、今の現状では、2回転ジャンプの基礎点が非常に低く、加点をもらっても3回転以上のジャンプの点にならないため、レベルの低い選手が、無理に3回転を跳ぼうとすることが多い。たとえばダブルルッツにジャッジが加点3をつけたとしても、1.9点の基礎点に1.5点の加点が反映されるだけで、3.4点にしかならない。これがトリプルトゥループだと4点もらえる。そうなると、踏み切りのエッジを含めて、ジャンプの跳び方を固めるべき時期に、無理に3回転ジャンプに挑戦しようとばかりして、基礎がおろそかになる可能性が高い。ルールは、すべての選手の基礎力のアップに貢献しなければいけない。むしろ2回転ジャンプの基礎点を少し上げて、加点がもらえれば3回転ジャンプに「近い点」がでるようにし、同時にトリプルアクセル以上の、「世界でもトップクラスの選手しか跳べない」技に関しても基礎点をあげ、かつ3回転以上のジャンプの加点・減点の「反映割合」を2回転ジャンプ並みか、それより少し反映割合が多い程度に抑制して、基礎点で上のジャンプをあまり凌駕することのないように設定する。こうすれば、たとえジャッジが、恣意的な理由で加点を大判振る舞いしても、ジャンプの点がむやみにインフレすることはなくなる。質は大いに評価すべきだが、その反映割合を今よりも過小にする。そのことで、高難度ジャンプへの挑戦も自然にうながされることになり、かつジャンプの得点の客観性も担保されることになるはずだ。ある少数のジャッジが失敗ジャンプに加点「2」をつけても、その反映割合が抑制されて「1点」にしかならないということであれば、ジャッジの恣意的操作を、防ぐことはできないにしても、点数上抑制させる効果をもつ。同時に、トリプルアクセル以上のジャンプの減点の過剰な反映割合も、過小に変更すべきだ。高難度ジャンプへの挑戦を奨励し、ジャンプの技術を向上させる方向に行くなら、今のようなジャンパー罰ゲームは好ましくない。そうすると、やたらとトリプルアクセルに挑戦する選手が出てくる・・・という人がいるかもしれない。だが、トリプルアクセル以上のジャンプは、転倒せずに降りることさえ難しい。今の採点の問題点は、認定されてしまえば、転倒ジャンプであっても、点になったり、逆にマイナス点になったりすることだ。認定するかしないかではなく、転倒ジャンプは一律に0点とする。そうすれば、無謀なトリプルアクセル挑戦で基礎点を稼ごうとする選手はいなくなるはずだ。そもそも今、基礎点狙いで3Aや4Tに挑戦している選手はいないだろう。みな、自分の限界に挑戦している。トリプルアクセル以上の高難度ジャンプはそうした技だ。むしろ、レベルの低い選手が、基礎点狙いで3回転を跳ぶほうが問題だ。日本スケート連盟も、トリプルアクセルの基礎点アップとかボーナス点とか、「浅田選手1人のためにルールを変えようとしている」と突っ込まれることがわかっているような手法ではなく、もっと理論武装のできる、かつ選手全体のためになる改定案を出すべきだ。数の多いヨーロッパ諸国の選手にとっては、キム選手が強かろうが浅田選手が強かろうが、自分たちに勝ち目がないことでは同じ。「浅田選手が、あれほど難しいことをして勝てないのはおかしい」(オリンピック後の強化部長の言葉)は、そのとおりだが、ルールは政治、政治は数、多くの国が不満に思っていることをすくい上げなければ、数は集まらない。世界選手権で、世界中を呆れさせたキム選手の高得点は、どこから来ているのか? 成功ジャンプへの過剰な加点と高めに設定された演技構成点からだ。これについては、アメリカ女子も不満をもっているはずだ。そこをすくいあげて、賛同してくれる国を増やすべきであって、現状女子では浅田選手しか跳べないトリプルアクセルばかりをクローズアップしてルール改正を提案するのは、厳に慎むべきことだ。キム選手はエレメンツの完成度が高いから高得点だという話は、ショートでエレメンツそのものが抜けてしまっても、エレメンツをきちんとこなしたフラット選手とほぼ同じ点が出たことで説得性を欠くことになった。フリーでは、ジャンプの転倒とパンクで演技の流れとが止まり、見た目の印象が悪かったにもかかわらずフリーだけでは1位という点が出て、「全体の完成度が高得点につながる」という説明も、結局後付けの辻褄合わせだということが逆に素人目にもわかってしまった。ファンに対して、「あなたは素人。ジャッジはプロ。採点の批判なんかせず、気楽に楽しみなさいよ」などと言っても、採点競技でそれは無理というもの。黒を白と言い含めようとしつづけたことが、今回のブーイングが飛び交うワールド(しかも、日本のテレビでは、ブーイングの音が抑えられていた)につながったということを、ジャッジもISU幹部も真摯に受け止めるべきだ。
2010.04.02
「最強日本女子」を徹底的にコケにするような度重なるルール改正と偏向採点。これを打破すべく、日本スケ連が動き出した・・・かのような動きが新聞で伝えられ、浅田選手のファンには、「ようやく・・・」と好意的に受け止められているようだ。フィギュアスケートの女子ショートプログラム(SP)で必須となっているダブルアクセル(2回転半)をトリプルアクセル(3回転半)でも認められるようにするルール変更を、日本スケート連盟が6月の国際スケート連盟(ISU)総会(バルセロナ)で提案することが29日までに分かった。現在、女子でただ一人トリプルアクセルを跳ぶ浅田真央(中京大)に有利に働く可能性がある。 日本連盟の吉岡伸彦フィギュア強化部長は「(3回転半が)できる選手がいる以上、認めるべきだ。(得点が上がる)可能性が広がる」と話した。男子SPでは、アクセルジャンプは「2回転半か3回転半」と選択が可能になっている。 世界選手権で2年ぶりに優勝した浅田は、SPでは連続ジャンプの中でトリプルアクセルを跳んだ。ルール変更が認められれば、ジャンプの選択の幅が広がることになる。この変更が浅田選手にとってどう有利になるのかわからない方のために、一応説明しておくと、現在浅田選手のショートプログラムは、(1)トリプルアクセル+ダブルトゥループ(2)ステップからのトリプルフリップ(3)ダブルアクセルで基礎点の合計は、18.5点になっている。この(3)の部分を「ダブルアクセルもしくはトリプルアクセル」と男子並みにすると、浅田選手のジャンプの選択肢は以下のように広がってくる。(1)トリプルフリップ+トリプルループ(もしくはトリプルトゥループ)(2)ステップからのトリプルルッツ(3)トリプルアクセルもちろん、ジャンプの順番は任意。これによって基礎点は24.7点もしくは23.7点に上がる。浅田選手には非常に有利、に見えるかもしれない。日本スケート連盟が提出するという改正案がこれだけなのかどうかよくわからないのだが、もしこの改正案を最重要と考えて活動するというなら、実にヘタクソな戦略だ。ルール改正を提案するときには、2つの視点が必要だ。(1)その改正が、選手全体のためになり、フィギュアの技術向上のきっかけとなりうるか。(2)自国の選手に不利にならないか。(1)はルール策定をするうえで、なにより大切なものだ。実際には(2)の思惑と絡み合っているが、「すべての選手のため」「フィギュアの将来のため」という理論武装ができなければ、単に「自国の選手を有利にしようとして、ルールを改正しようとしている」と、攻撃されることになる。ショートに2Aだけでなく3Aも、という改正案は(1)の面で少し弱いように思う。高難度ジャンプへの挑戦を奨励し、男子並みのレベルに揃えるという意味では、筋はとおっているのだが、世界の女子を眺めると、3Aを安定して跳べるのは浅田選手だけ。浅田選手の3Aが安定してきたこの時期に、日本がこの改正案を出したら、「浅田選手に勝たせようとしてルール改正を提案しているエゴイスチックな国」だと(特に韓国あたりから)クレームがつきそうだ。こうした「攻撃」に日本人は非常に弱く、理論武装して粘る根性と精神力に欠けている。反論されると、すぐにひるんでしまう。現状、ショートでキム選手と浅田選手がめいっぱいの演技をして、それで点差が5点だ7点だとつくから、基礎点をあげて対抗しようとしているのなら、それは過去に書いたように愚かなことだ。浅田選手が基礎点を上げれば上げるほど、キム選手の加点と演技構成点はインフレする。それが過去の流れではないか。だから、たとえ基礎点が5~6点上がったとしても、加点および演技構成点で操作可能な今の採点の流れから言うと、すべてのジャンプを降りたとしても、加点がもらえない、演技構成点が低く抑えられるなどのもろもろの「採点操作テクニック」で、キム選手を含む他の選手に差をつけることができなくなる可能性のほうが高い。それは、男子のショートの点の出具合を見れば予想がつくことだ。高橋選手にあるのは3F+3Tだけ(しかも、最近はセカンドジャンプの流れがやたら止まって・・・ゴホゴホゴホ)。少し前までは、ショートで4T+3Tを決めてくる選手の上にはいけなかった。ところがオリンピックでああした採点(他のエレメンツに対して、質のよいものを積極的に評価する)がなされ、世界選手権では、ショートで4+3を決めたジュベールの上に来た。ジャンプの加点も難しいジャンプになればなるほど付きにくくなり、失敗したときの減点割合も大きく設定されているから、ジャンパーにとってはプレッシャーも大きく、それだけのリスクをしょって、世界でもほとんど跳べる人のいないコンビネーションを跳んでも報われなくなっている。そうした状況のなかで、高難度ジャンプを入れられるようにルール改正することに、どれほどの意味があるのか。ルールの根源的な問題点はそこにはないし、実際になされる採点上の問題に目をつぶっている限り、また加点や演技構成点をいじって、「それでも勝てないように操作」されることは十分にありえる。そして、ちょっと詳しいファンなら「おかしい」とわかる点を鵜呑みにしたメディアが、選手の欠点をクローズアップして叩き、選手を傷つけ、自信を失わせるという悪循環に陥る。もう1つ、これが一番重要なことだが、ショートでの単独3Aの選択肢が浅田選手にとっても、必ずしも「有利には働かない」かもしれないということ。浅田選手が個人的にかかえる課題は何だろう? ルッツのエッジとセカンドにもってくる3回転ジャンプの回転不足だ。もしこの2つの問題がなければ、そもそも今でさえ、ショートにトリプルアクセルを入れる構成にする必要はない。トリプルフリップ+トリプルループトリプルルッツダブルアクセルこちらのほうが、基礎点は20点で、今の浅田選手のショートより点数が高いのだ。今季セカンドに3回転を入れず、ルッツも入れなかった浅田選手は、これからこの課題に取り組むことになる。どちらも簡単なようでいて、簡単ではない。もっと言ってしまえば、今季浅田選手がショートで安定して跳べたジャンプはダブルアクセルだけなのだ。そこに「ダブルアクセルではなくトリプルアクセルでもいい」というオプションが加われば、浅田選手はまちがいなくトリプルアクセルに挑戦するだろう。決まれば難なく決めているように見える浅田選手の3Aだが、そもそもフィギュア女子の歴史においても、この大技を安定して跳べた選手はほとんどいないのだ。これから20歳を超えてくる浅田選手がいつまで3Aを安定して跳べるかわからない。トリノ五輪の直前に浅田選手が颯爽とシニアにデビューしたとき、Mizumizuは、あのコマのように速く細い回転軸で回る浅田選手のジャンプのタイプを見て、「4年後、身体が大きくなったら跳べなくなるのでは」と思っていたのだ。それを浅田選手は徹底したウエイトコントロールと訓練で乗り越えた。あの驚異的にすらりとしたスタイルを保っているからこそ、あれだけ背が伸びても、トリプルアクセルを跳べている。本人の栄養管理もあるだろうけれど、体形というのは自分で選べない。あの妖精のようなスタイルも、浅田真央が神様から与えられた贈り物だ。しかも、3Aという大技をジュニアのころからやり続けて大きなケガもない。これだけで奇跡と言っていい。それでもトリプルアクセルをコンスタントに試合で決めるのが容易なことでなかったのは、今シーズン初めの大不調を見ればわかるだろうと思う。安定して跳べているダブルアクセルを捨ててトリプルアクセルを入れ、さらにルッツのエッジ矯正をして、セカンドにもってくる3回転の回転不足を克服するなど、またも狂気の沙汰だ。なぜそんな「十字架」を浅田真央に背負わせる必要があるのか。今回トリプルアクセル+ダブルトゥループを2つとも、ダブルアクセル+ダブルトゥループの基礎点にされながらも、世界一の点数を出した選手だ。浅田選手の強みは、今はジャンプではないのだ。あまりに美しいポジションのスパイラルやスピン。動的で華麗で迫力あふれるステップ。そして、誰より過酷なスケジュールであっても、長いフリーを滑り切ってしまう驚異のスタミナなのだ。ジャンプはむしろ、年齢とともにややほころびが見えてきている。浅田選手はずっとショートが弱い。連続ジャンプを連続ジャンプにできず、リカバリーもできないというパターンが多い。これが浅田真央の大きな欠点だ。それを克服することが一番大切なことで、ショートでまたもリスクの高い大技に挑戦することには到底賛成できない。むしろ、ショートは「失敗しない」だけでいい。なんといっても浅田選手は、ショートでの自爆が多すぎる。そしてフリーがあれほど強いのだから、トリプルアクセルも1つでいいのだ。そのかわりルッツは絶対に入れる。たとえワンシーズンを棒に振っても。今季ルッツを外すという選択は、浅田選手の現状と不可解な判定(特定の選手には甘く、特定の選手には辛い・・・ように見える)を考えると、結果として十分に理性的なものであり、かつ最後に世界女王奪還という素晴らしい果実を手にしたのだから何も言うことはないが、やはりルッツを入れずにトリプルアクセルを2つというのは、順番が間違っているし、それゆえリスクも高くなる。日本のファンは基本的に賢い。浅田選手の本当の強みも弱点も、メディアの「洗脳報道」にもかかわらず、きちんと理解していると思う。派手な大技だけに注目するのではなく、足元の小さな欠点の克服を。それがさらに浅田真央を輝かしいスケーターにすると思う。
2010.03.31
<続き>それがルール運用の変更によって、武器どころか、バクチ技になってしまった。浅田選手は今季セカンドから3ループをはずしたが、安藤選手はオリンピックで入れてきた。なぜそれまで徹底した回避策で2ループを確実に決めることでミスを防いだ安藤選手がオリンピックでいきなりセカンドの3ループに挑戦したのか? 不確実なことをやらずに結果を残してきたモロゾフが安藤選手に挑戦を許可したのはなぜ?安藤選手は、オリンピックのインタビューで「今回はニコライが(安藤選手の判断に)まかせてくれた」と言っていた。直前の練習では必ずしもセカンドの3ループの調子はよくなかった。安藤選手が世界女王になったときは、ショートではこのセカンドの3ループが鉄壁といってよく、シーズンを通して高い確率で決めていたのだ(当時は、今のようにダウングレードが暴走、もとい厳密化されていなかった)。オリンピックの大舞台で、バクチとも言える3ループに安藤陣営(決めたのが本人であっても、あえて「陣営」と書くが)が挑戦したのは、その前に滑った浅田選手の出来もあると思う。つまり、こういうことだ。すでに書いたが安藤選手の演技構成点は昨シーズンあたりから、変に上がったり下がったりする。今季のグランプリファイナルではキム選手に迫った。だが、安藤選手が「上がる」のは、必ずといっていいほど、日本での1番手である浅田選手がショートで自爆するか、あるいは出場していない場合に限られている・・・ように見えるのだ。1番手仕分けの選手が自爆する(あるいはいない)場合、2番手仕分けの選手が上がってくる。逆に言えば、1番手の選手がいい演技をしてしまえば、「メダルは1国1名様限定」の思惑によって、2番手の選手は点が出ない。オリンピックのショートでは、メダル仕分けのキム・ロシェット・浅田の3選手がそろっていい演技をした。ということは、たとえ安藤選手が3回転+2回転(つまりそれは、ロシェット選手と同じレベルのジャンプ構成ということだ)をきれいに決めても、メダル圏内には入れないのだ。実際、安藤選手のジャンプには「驚くほど加点がつかない」のだ。これが質の悪いジャンプというならわかる。だが、安藤選手はいわゆる「ディレイド回転(跳びあがる前から回転するのではなく、しっかり跳びあがってから回転を始める)」の質のいいジャンプなのだ。キム選手ほど大きさはないかもしれないが、放物線を描く高さと飛距離のバランスの取れたいいジャンプだ。ところが、加点を見ると、1点以上プラスになったジャンプがほとんどない。せいぜい基礎点の低いダブルアクセルかトルプルトゥループに1点以上つくかどうか。世界選手権で、解説の八木沼さんが、「安藤選手のジャンプは質がよかったので、加点1点以上つく」と話していた(常識的にはそう思うのが当たり前だ)が、オリンピックでの安藤選手のジャンプへの「加点抑え」が頭にあったMizumizuは、それを聞いて、プッとなってしまった。こちらがワールドフリーのプロトコル。http://www.isuresults.com/results/wc2010/wc10_Ladies_FS_Scores.pdf案の定、安藤選手のジャンプの加点はとっても少ない。ハア? なんで?↑これがまあ、普通の感覚だと思う。だが、普通の感覚がまったくとおらないのが今のジャッジが出してくる加点・減点なのだ。もちろん、例によってあとから辻褄合わせをすることはできる。「ちょっと着氷のあとの流れがなかったですからね~」とか、「スピードがなかったですかね~」とか、「回り方が強引ですかね~」とか、「安藤選手は着氷時に前傾姿勢になってしまうんですよね~」とか。「安藤選手のジャンプに加点がつかない」ことに八木沼さんは、まだ完全に気づいていないらしい。気づいたら、どんな苦し紛れの言い訳・・・もとい、解説をすることやら。結局、こういう状態だと、選手は基礎点の高いジャンプで勝負に出るしかなくなるのだ。メダルを獲るという意志があるのなら。オリンピックのショートでは、安藤選手はセカンドジャンプをできるだけ遠くにもってきて、回りきろうとしていた。実際には回りきっていたようにも見えたが、降りたあと詰まってしまい、ダウングレード。しかも、このときに流れが止まったので、スピードが出ず、続くフリップもうまくいかなかった。最初の連続ジャンプでなにかアクシデントがあり、流れがとまると、スピードが出ずに次のジャンプを失敗しやすい。しかも、安藤選手の次の単独3回転は、エッジ矯正をしたフリップだ。エッジ矯正というのは、本当の意味では、ある程度の年齢以降に完全に矯正するのは不可能なのかもしれない。安藤選手はフリップでエッジ違反こそ取られないが、回りきれずに少し着氷が乱れることが非常に多い。すでに2年がかりでルッツを矯正したというロシェット選手も、やや不安定だし、キム選手のフリップも、世界選手権ではやはり完全に中立だった(Eマークのつくwrong edgeだとまでは思わないが、!マークのアテンションもつかないというのは疑問だ。ファンが騒ぐまではエッジ違反を取らない気なのか?)うえに、回りきれなかった。オリンピックのキム選手のフリップも中立に入っていたように見えた。浅田選手は今季ルッツを避けている。安藤選手の3ルッツ+3ループに話を戻すと、オリンピックでセカンドの3ループが不完全だった安藤選手は、ワールドで今度こそ決めようとしたのだと思う。気になっているのは、ルッツではない。セカンドの3ループだ。するとどうなるか?浅田選手の後半の3フリップからの連続ジャンプでしばしば起こる失敗と同じことだ。過去の試合で、セカンドのジャンプが足りなくて失敗した場合、選手は次の試合ではファーストのジャンプを多少セーブして、セカンドジャンプを跳ぼうとする。すると、元来単独では問題ないはずのファーストジャンプが回転不足のまま降りてきてしまうことになる。オリンピックで4+3をつけられなかったジュベールが急きょルッツを連続ジャンプにしようとして、ルッツそのものを失敗してしまったのも、同じ理由。「なんとかセカンドを」と思うと、ファーストをセーブし、結果失敗になる。安藤選手の1つの失敗は、シーズンからの流れである程度、説明ができる。ジャンプはあくまでも確率なのだ。過去の試合の確率はどうかで、起こるであろう失敗はだいたいが予測できる。そして今回のワールドのショートで、安藤選手の点が思いのほか出なかったのは、「(限りなく)恣意的に抑えられた(ように見える)」部分と「ルール上、当然そうなる」部分とがからみあっているのだ。
2010.03.30
オリンピック、その直後の世界選手権で、「フィギュアはオリンピックイヤーにしか見ない」ファンにも現行採点(あえて、ルールとは言わないでおく)の異常さが認知されたことは、基本的に好ましいことだと思っている。人間のやることに絶対はない。主観の入る採点競技が誰にとっても公平に思える結果になることもない。だが、だからといって無批判に結果を鵜呑みにしていては、どんどん採点が腐ってくる。今回の世界選手権で、どんな素人でも鵜呑みにできないほど、非常識な点が女子シングルの銀メダリストに与えられたことは、採点の問題点が明確に顕在化したという点においては、よかったのだ。もちろん競技としてはまったくよろしくない。今回のキム・ヨナ選手の演技は銀メダルにはふさわしくない。2位という順位は完全に間違っている。素人の感覚は非常に素直で、逆に的を射る場合も多い。スゴイものは誰が見てもスゴイ。その単純さこそが、すべての「感動」の出発点だ。逆もまた真なり。ショート、フリーともミスが目立ち、演技の流れが何度も止まってしまった選手がなぜ2位なのか。以下の中国メディアが伝えたという論評が、一番素人にも納得しやすいのではないか。中国新聞網は「キム・ヨナの銀メダルは意外だった」とし、ジャンプの転倒と回転不足があったにもかかわらず、ほぼノーミスの浅田真央選手(129・50点)より高い130.39点という全選手中最高の得点を獲得したことに疑問を呈した。続けて記事では、「完璧な演技を見せた浅田真央選手の点数がキム・ヨナ選手よりも低かったとき、会場からはため息が聞こえた」とし、表彰台でキム・ヨナ選手に送られた拍手は、金メダルを獲得した浅田真央選手はおろか、銅メダルのラウラ・レピスト選手よりもずっと少なかったと報じた。また、キム・ヨナ選手が獲得した点数に対し、記事では「ジャッジから何らかの配慮があったのは明らかだ」と指摘し、「フィギュアスケートにおける悲哀と言わざるを得ない」と報道。さらに、「ジャッジが見せた『えこひいき』はフィギュアスケートというスポーツの公平性をさらに失わせることとなった」とし、今回のような事件が今後のスポーツ競技で起きないことを希望するばかりであると報じた。キム選手に対する点数が発狂していることは、別に浅田選手のファンでなくとも、ここ数年の採点の動きを見ている、普通のファン(つまりキム選手ならどんな高得点でも「妥当」に見える大のファンとか、ジャッジと交友関係や利害関係のある人間ではないという意味)ならわかっている。キム選手が全部ジャンプを(そこそこ)決めれば、バカげた高得点も「演技がよかったから」で納得させられないわけでもない・・・というだけのことだ。それが今回の世界選手権のように、エレメンツそのものが抜けてしまったり、激しい転倒で演技が止まったり、あからさまなジャンプのパンクがあったりすると、「それでも、ほとんどの選手の自己ベストを上回る点? おかしいだろう」ということが明確にわかるというだけのことだ。ただ、キム選手のことはさておき、オリンピックで初めて採点の異常さに気づいたウルトラ・ニワカのファンの皆さんには、採点について物申す前にほんの少しルールについて勉強をしてください、と言いたい。技術審判による回転不足・エッジ・レベル判定の疑わしさ、演技審判の「勝たせたい選手にはつけ、勝たせなくない選手にはつけない」GOE(ジャンプ・ステップ・スピンなどのエレメンツの質を評価する演技審判による加点・減点)のデタラメぶり、さらにダメ押しとなる(演技審判による)演技構成点の「カラスの勝手でしょ」の点付け。どうにもならないフランケンシュタイン採点には違いないが、それとは別に客観的基準として設けられたジャンプの基礎点から点の低さを説明できる部分もある。つまり失敗したジャンプが基礎点の高いジャンプだったか低いジャンプだったか。それによって減点も違ってくるので、一概に「転倒したのに点が高い」「転倒したにしても点が低すぎる」と糾弾するのはファンのほうの知識不足だ。たとえば、安藤選手のショート。転倒は1度だけだが、この転倒はショートではもっとも「痛い」部分での転倒だった。安藤選手は女子で唯一、トルプルルッツ+トリプルループが跳べる選手だ。これはキム選手のトルプルルッツ+トリプルトゥループより難しく、基礎点も高い。だが、今回安藤選手は、トリプルルッツでコケてしまい、もう1つの三回転をつけることができなかった。しかも、トリプルルッツが回転不足のまま転倒したと見なされ(この判断自体は間違っていないと思う。問題はほかにも回転不足のまま転倒したとしか見えない選手がいるのに、その選手に対してはダウングレードがなされなかったこと。これは安藤選手への採点とはまた別問題)、ダウングレードで基礎点がダブルルッツのものになってしまった。トリプルルッツの基礎点は6点、ダブルルッツの基礎点は1.9点。このダングレードで安藤選手は4.1点を失う。さらにGOEですべてマイナス3となり、このジャンプの点は0.9点(2回転ジャンプのGOEはジャッジがマイナス3とつけても、そのままマイナス3点になるわけではない。基礎点がそもそも1.9点しかないのだから。ダブルアクセル以上のジャンプとはGOEの反映割合が違い、過小な割合になる)。さらに、転倒ということで、最後にマイナス1点を引かれて、実際にはマイナス0.1点。http://www.isuresults.com/results/wc2010/wc10_Ladies_SP_Scores.pdfつまり、3ルッツを回転不足のまま転倒してしまうと、実際の点はマイナス点になる。意味不明のルールだが、この条件は他の選手も同じだ(だからMizumizuは以前から、転倒ジャンプは一律に0点とすべきと主張している。同じ転倒なのに、点になったり、マイナス点になったりするのは不合理だ)。さらに安藤選手の次の3フリップは、着氷時にエッジがグルッと回ってしまい(ジャンプが足りないときに起こる現象だ)、これでGOEがマイナスに。5.5点の基礎点に対して4.7点の得点にしかならなかった。本当のことを言ってしまうと、このジャンプ、ダングレードされなくてよかった。もし、回転不足と判定されていたら、2フリップの基礎点1.7点になってしまい、そこからまたGOEで引かれると点がなくなってしまう。もしあれがダウングレードだったら安藤選手のショートには3回転ジャンプがないことになり、点にならない。あとはダブルアクセル。基礎点は3.5点と低いので、加点1点を得ても4.5点にしかならなかった。逆に、ダブルアクセルで転倒に近い失敗をしたレピスト選手は、3トゥループ+3トゥループと3ループの3つの3回転を入れ、加点も得たために、点が下がらなかった。また、何も知らないファンには、転倒と同様に見えたかもしれないが、採点上は転倒ではないので、最後のマイナス1がなく、GOEだけの減点に留まっている。ジャンプの難度は、アクセル→ルッツ→フリップ→ループ→サルコウ→トゥループの順。3ルッツ+3ループ+3フリップを跳べる安藤選手は、もっているジャンプの基礎点はレピスト選手より高いが、ルッツで失敗して、ループを入れることができず、しかもフリップが不完全だったために、ルッツとフリップを入れることのできない(したがって安藤選手よりもっているジャンプの基礎点が低い)レピスト選手以下の点しか取ることができなかったのだ。さらに、安藤選手が「なぜルッツで失敗したか」も、今シーズンの試合の流れから説明できる。ジャンプというのは確率。過去で安定して跳べているジャンプは、調子が多少悪くても跳べる。安藤選手はシーズン前半、苛烈なダウングレード判定を受けないために、徹底してセカンドジャンプを2ループにする、いわゆる「回避策」を取ってきた。心ないファンやメディアが、例によって、「なんで3ループに挑戦しないんだ」などと煽ったが、異様に厳しいダウングレード判定を受けてしまえば、最初から2ループをきれいに跳んでおいたほうがGOEプラスがもらえる分、点になるからだ。セカンドの3ループについては、ダウングレード判定に容赦はない。セカンドの3トゥループは甘く感じることもあるが、世界のトップ選手のうち安藤・浅田・フラットしかやらない3ループに関しては、認定(ダウングレードしないこと)は非常に狭き門だ。たまに安藤選手が認定されたら、キム選手のコーチのオーサーが、大クレームをつけてきた(これについても過去に書いているので、興味のある方は読んでください。証拠の動画はもう削除されたかもしれないが)。セカンドに3ループをもってきて、「完全に回りきる」のは非常に難しいと思う。今シーズン浅田選手はセカンドに3ループを跳んでいない。フラット選手は3トゥループに切り替えている。今回のワールドでは、フラット選手はセカンドに3トゥループを跳ばなかった(オリンピックでは入れていた)。これは日本女子およびアメリカ女子にとっては「天敵」とも言える天野真がスペシャリストだったため、ダウングレードを警戒して回避したのだと思う。実際に、国別対抗でのアメリカ女子選手に対する天野真(をスペシャリストにおいた技術審判団)のダウングレードは信じられないほど厳しかった。こちらが当時の技術審判の顔ぶれ。こちらがショートのプロトコル。http://www.isuresults.com/results/wtt2009/wtt09_Ladies_SP_Scores.pdf<マークがダングレードで、ジャン選手とフラット選手が出場したが、2人ともセカンドの3回転がダウングレード。解説の荒川静香が、「こちらからは回っているように見えた」と言ったジャンプもダウングレードだった。セカンドに3ループをつけるのは、3トゥループをつけるより(通常は)難しい。だが、その難しい3回転+3回転をやっても、わずかにブレードがグルッと回ってしまったら、もうセカンドの3ループは2ループ扱いになってしまい、基礎点が5点から1.5点になり、一挙に3.5点失うことになる。それでは簡単なトゥループに替えればいい、と思うかもしれないが、それが天才ジャンパー安藤美姫の、ジャンプに関してはほとんどない弱点の1つ。つまり、セカンドにループをつけるのは得意だが、トゥループをつけるのは得意ではないのだ。この傾向は浅田選手にも言えることだ。もっとも安藤選手はダブルアクセル+3トゥループを決めたこともあり、絶対にセカンドに3トゥループをつけられないわけではない。だが、ルッツに3トゥループをつけることは、無理だったようで、試合では一度も使っていない。これは仕方のない面もある。昔から練習していればできたかもしれないが、ダングレード判定が「厳密化」される前は、トゥループより基礎点の高いループをセカンドにつけられる安藤選手や浅田選手は、わざわざトゥループをつける必要はなかったのだ。ループを確実に入れられるように(そもそもセカンドにループをつけるためには、一度ジャンプの回転を止めなければならない。ファーストジャンプの勢いを一度消す分、跳躍力が必要になり、難しいのだ)、集中して磨いてきた。ループは単独でも苦手で、セカンドにつけるなどもってのほかのキム選手に対して、セカンドに3ループを入れることのできる安藤・浅田選手は、絶対的に有利だったのだ。ダングレード判定が暴走、もとい厳密化する前までは。<続く>
2010.03.29
フィギュアの現行採点の非常識さを世界に知らしめたバンクーバーから1ヶ月。他のバンクーバーメダリストと違い、年が明けてから4大陸のあった浅田真央にとっては、心身ともにきつかった試合だったと思うが、土壇場でまたも、その女子のレベルを超えたタフネスさを見せ付けた。今では女子では彼女しか試合に入れることのできない大技トリプルアクセルを3度も入れるという過酷なプログラムを、シーズン最後にきてミスなく滑るなど、並みの精神力・体力ではない。トリプルアクセルは着氷するだけでも難しいのだ。それを1つの試合で3度もやって、年明け以降は一度も転倒がない。素晴らしいことだ。フランケンシュタイン度を増すデタラメ採点のなか、トリプルアクセルが2つダウングレード、つまりそこで基礎点だけでマイナス4.7点X2つ=9.4点を失うという大幅減点をくらいながらも、世界一になってしまう。そこが浅田真央の凄さだ。2度目の世界女王――これはジャンプの天才・伊藤みどりも滑りの超優等生・佐藤有香も成し遂げられなかった快挙だ。今回は特にスピンの美しさに見惚れた。なんとまあ、すらりと長く、美しく、天に向かって伸びる脚であることか。他人がどうあれ、採点がどうあれ、自分のやるべきこと、できることに集中して、クリーンな最高の演技をする。それを今回浅田選手はやりきった。だが一体、ここまでファンに呆れられる採点をして、ISUとジャッジは今後どうするつもりなのか。これではあまりに選手が気の毒。考えてみよう。トリノ・オリンピック当時の採点。あのときも新採点システムだった。プルシェンコが他の選手に大差をつけて圧勝したときに、今のようなルール&ジャッジ批判があっただろうか? 大きな点差に素人が納得できたのは、誰にもできないと誰が見てもわかる高難度の連続ジャンプをショート、フリーともに成功させたのが、プルシェンコだけだったからだ。今回の世界選手権女子の「仕分け先にありき」の演技構成点を見て、「これでは試合をやる意味がない」と何度もMizumizuが指摘してきたことが、だいぶ実感として一般のファンにも浸透してきたのではないかと思う。今回の女子のダングレード判定を行った技術審判は、「例の」カナダ在住日本人スペシャリスト天野真氏を筆頭とする3人だが、同じ選手に対してすら、回りきっているとしか思えないのにダウングレードしたり、足りていないように見えるのにダウングレードしなかったり、判定の不可解さを露呈していた(あえてどのジャンプとは、ここでは書かないが)。あるいは単に天野氏がスペシャリストとして未熟なだけかもしれないが、それにしてもオリンピックとあまりに基準が違いすぎる。「4分の1以上足りなければダウングレード」のはずが、肉眼で見ても足りていない典型的回転不足がダウングレードされなかったり、演技審判の多くが回転不足と思っていない(らしく、GOE減点していないのに)のにダウングレードされたりと、こうした甘辛自在の判定を続ければ、さらにファンの不信を招く。今のファンは審判があまりに信頼できないため、回転不足判定に特に目を光らせている人も多いのだ。「見る角度によって違って見えるから」などと解説者が苦肉の策で言っているが、そもそもそんな曖昧な主観で、ここまで点を落とすのは公平性の面からも妥当ではない。今季、ダウングレード判定を演技審判に知らせず、GOEを各演技審判に委ねた結果、ダウングレードされているのに、GOEでプラスをつけるジャッジがかなりいるということがわかった。そこまでわかりにくい多少の回転不足で、点をその下のジャンプの基礎点に落としてしまうなど、むしろ暴挙ではないか。そのうえ、判定そのものも一貫性がなく、解説者を困らせている。「回転不足を厳しく取るジャッジ」と「厳しく取らないジャッジがいる」とファンのほうが気を利かせて(?)辻褄合わせをしているが、それがそもそもおかしい話だ、。スペシャリストの判断をそのまま是とせず、他のスペシャリストも参加して、過去の試合のダウングレード判定を検証する場を設ける必要があるのではないか。それが無理なら、今大会のトップ選手のジャンプ、特に転倒しながらダウングレードされたなかったジャンプだけでもきっちり検証すべき。なぜなら、転倒というのは「回り切れていないから」起こることが多いからだ。今回は回りきれずに転倒したようにしか見えないジャンプがダウングレードされていない。ちぐはぐな判定は誰かがそれを指摘しなければ、いつまでたっても是正されない。ファンの方は、Mizumizuが過去に、「足りなくなってきている」と指摘した誰かの後半の単独ジャンプに注目してスローを再度見て欲しい。ダウングレードを取られるか取られないかによって、「スペシャリストの勝手でしょ」では許されないくらい点が違ってきてしまうのだから、そのくらいの努力をするのが選手に対する礼儀ではないか。このまま「中間点」を設けてお茶を濁し、スペシャリストによって、また試合によってバラバラな基準でダウングレードを続ければ、それは「特定の選手を落とすため」だと思われるのが関の山。ルールには理屈が何より大事だが、中間点のジャンプというのは筋がとおらない。仮に中間点という新しい概念を作ったとして、そのジャンプの質をGOEでどう評価するのか?3回転の回転不足は、「質の悪い3回転」なのだ。「2回転と3回転の間のジャンプ」ではない。だったら、3回転ジャンプの基礎点からGOEで減点すればいいことだ。GOEはジャンプの質を評価するものなのだから。今回トリノの観客はだいぶ採点にブーイングを浴びせていた。イタリアというのはああいう国で、イタリア人はオペラでも気に入らないとすぐにブーイングを浴びせる傾向がある。ルールと採点について知識がないのもあるかもしれないが、それゆえ、彼らは素直な目で演技を見ている。一般の素人の常識的な感覚をないがしろにしては、スポーツはなりたっていかない。それと、匿名の演技審判のGOEと演技構成点の出し方のデタラメぶり。GOEでは、着氷が乱れた質の悪いジャンプに加点「2」をつけるジャッジがいる。何度もいっているように、一見客観的に見える加点・減点要件がズラズラ細かく並んでいるから、逆にどうつけようと、後から辻褄が合わせられるようになってしまった。それが問題なのだ。演技構成点の5コンポーネンツにしても、実際に演技を見てるのか疑いたくなるような、「事前の仕分け感」ありありの採点だから、いざ総合得点が出てきたとき、明らかに出来のよくない選手が出来のよかった選手の上に来たり、あるいは点差がほとんどなかったりして、素直に演技を見ているファンが驚くことになるのだ。こんな採点をしておきながら、「目の肥えたジャッジが出した点だから信頼しろ」などという無茶を、いつまで言い続けるつもりなのか。とても目のある人間が出しているとは思えない点が出てくるから、ファンは怒っている。こんな当たり前のことが理解できないようなら、ジャッジはプロフェッショナルとはいえない。報酬をもらって仕事をするプロは、あくまで結果がすべて。結果で皆を(内輪のおえらいさんではなく)納得させられなければ、容赦なく残酷な非難が浴びせられる。逆にコツコツときちんと仕事を続けていれば、(内輪からだけではなく)必ず評価してもらえる。そんなことは、普通の「プロ」ならわかっているはずだ。ルールに大鉈が振るわれることはほぼ確定している。採点競技に誰もが100%納得できる結果はないにしろ、今季いろいろと問題が噴出した点をきちんと検証して、多少なりとも公平になるように、ルール策定者は皆で努力してほしい。
2010.03.28
ようやく、高橋大輔選手がその才能にふさわしいタイトルを手にした。世界選手権優勝。日本男子初。オリンピックの金・銀メダリスト、それに4位・6位が出なかったのだから、高橋選手は優勝候補の筆頭。だが、そうした状況になればなるほど、ニッポン男子の得意技「ジャンプの自爆」が出てきやすい。オリンピック以降体重も2キロ増え、モチベーションも上がらず、トリノに入ってもトリプルアクセルの調子が悪かったと伝えられるなか、あれだけ演技をまとめたのは凄い。ジャッジのデタラメ採点はハッキリ言って相変わらず。だが、高橋選手の優勝は文句なし。この順位に間違いはない。高橋選手が他の選手と違うのは、卓越したスケート技術と表現力もあるが、なんといってもトリプルアクセルの力だ。現行ルールで勝敗を決めるのは最高難度の4回転ができるかできないかではない。トリプルアクセルをショートで1度、フリーで2度決められるかどうか。これが一番モノをいうのだ。織田選手と小塚選手は、4回転に挑戦しはじめてから、トリプルアクセルがどうしても安定してくれない。これは、ごくわずかな例外的選手をのぞけば、世界の男子トップ選手に蔓延している「怪現象」なのだ。つまり、4回転が試合で決まりはじめると、トリプルアクセルが乱れる。4回転はそもそも難しい技なので、なかなか安定しない。跳べたり、跳べなかったり。そして同時に、これまでは跳べていたトリプルアクセルがダメになる。1度ならなんとか入る(今回のフリーで小塚選手は1度も入らないという最悪のシナリオになってしまったが)。だが2度は決まらない。このパターンにはまる選手の例は枚挙に暇がない。ベルネル選手、ウィアー選手、ライザチェック選手、織田選手、小塚選手。ひろい意味では、大きな試合では4回転を入れていないものの、今季プログラムに入れようとしてもともと不安定だったトリプルアクセルがさらにダメダメになったチャン選手もこのパターンに入れることができるだろう。ジュベール選手は今回、4回転2度、トリプルアクセル1度にして、ミスはなかったが、そうなるとルッツ(トリプルアクセルの次に難しいジャンプ)で失敗するというパターンが待っていて、またこれにはまってしまった。高橋選手の勝利を確定づけたのは、4回転フリップで転倒しなかったことも大きいが、なんといっても後半にもってくるトリプルアクセルを見事に決めたこと。フィギュアスケートのジャッジというのは、基本的に頭がよくないのか、滑稽なほどわかりやすい「辻褄合わせ」をする。オリンピックで批判と疑惑の対象となったキム選手のジャンプに対する加点「2」。これをあとから辻褄合わせをするなら、高橋選手のトリプルアクセルだろうとMizumizuが書いたら(3月1日のエントリー参照)、ヤッパリ。フリーの後半にクリーンに決めたトリプルアクセルが9.02点(トリプルアクセルの基礎点は8.2点なのだが、後半にもってくると1割増しとなる)に加点「2」がつき、11.02点という大量点を稼いだ。オリンピックでも同様にクリーンに決めたのだが、加点は「1.8」点で「2」までは行かなかった。チャン選手との最終的な点差が10.48点だったから、このトリプルアクセルで回転不足のまま(つまりダブルアクセルの基礎点のまま)転倒したりしていたら、演技構成点にも影響が出て、金メダルは、あの「怪奇現象上げ」のパトリック・チャンに行っていたかもしれない。ふざけた話だ。つまり、チャン選手に対して、これをオリンピックでやろうとしていたということ。それがチャン選手がショートでトリプルアクセル(基礎点が高いジャンプなので、これを1つ失敗すると大きく点を失う)を失敗し、フリーでも失敗したためにできなかったのだ。おまけに、オリンピックでは高橋選手に金をやるつもりはなかったのか、後半の単独ルッツのエッジ判定で「!」(アテンションマークのこと。これがつくのは、踏み切り時に間違ったエッジに入った時間が短かった場合、もしくは中立だったとみなされた場合)がつくと、ここぞとばかりにGOE減点したのに、今回はGOEで減点したジャッジ、加点したジャッジ、0にしたジャッジが入り混じり、最終的に基礎点そのままの6.6点(オリンピックでは6.6点に対し、GOE減点で6点になった)。プッ。失礼。しかし、思わず噴き出したくなるほど露骨だ。もちろん、GOEの点付けは不正行為ではない。「!」マークの場合は、減点MUSTではない。たとえ「!」がついても他にそのマイナス要素を補うだけのプラス要素があると見なせば加点してもいいし、減点しない(加点もしない)こともできる。そのあたりはGOEをつける演技審判の自由裁量に委ねられている。高橋選手のフリーのスピンとステップのレベル認定がすべて最高難度の「レベル4」というのも・・・まあ、日本人としては有り難いが、はっきりいって相当に萎える。高橋選手に対するスピンとステップの認定は、今シーズン初めはやたらめったら厳しかったのだ。ステップもレベル2が多かったし、スピンも・・・(以下、自粛)。それが、プルシェンコがステップでもスピンでもレベルを安定して取ってくる、ジャンプも決まるとわかったシーズン後半、つまりオリンピックでは・・・(以下、自粛)。高橋選手がそこまでレベルを上げてきたということですね、はいはい。スピンの回転数、足りていたんですか・・・いたんですね、はいはい。フォアアウトで回ると軸がだいぶ広がって・・・いえ、気のせいでしょう。フォアアウトのスピンは難しいですし。最後の連続ジャンプもオリンピックでは3ルッツ+2トゥループ(基礎点8.03点)だったのをダブルアクセル+2トゥループ(基礎点5.28点)に替えて、だいぶラクに・・・いえ、ルッツでエッジ違反を取られて減点されるのを防いだってことですね。なんといってもトータルバランスですから。フリーの総加点もオリンピックでは、たったの3.2点だったのが、今回7.8点にまで増えたのは、女子の誰かの爆加点への多少の辻褄合わせ・・・ではなくて、高橋選手のエレメンツの質が急に上がったせいなのですね。オリンピック後で疲労していたにもかかわらず、たいしたものです。どちらにしろフリーの総加点が17.4点などというのがいかに異常か、男子トップ選手に対する加点を見ればわかろうというもの。この高橋大輔優遇政策は、キム選手の謎の爆加点や発狂演技構成点に不満を募らせている日本人ファンを黙らせるためでしょうかね?もっともそれは、高橋選手には何の責任もないし、彼が金メダルにふさわしい演技をしたのは確かだ。あえて自国の選手のことを書いたが、チャン選手への採点は、ハッキリ言ってもっと、相当に酷い。あれを来季も見せられるとしたら、Mizumizuは憤死するかもしれない。そもそも来季Mizumizuがフィギュアスケートを見るかどうかもわからないが、日本人選手にこれだけ素晴らしい才能がそろっている時代に、完全にフィギュアに背を向けるのも難しい。今回の2位の選手は、明らかに彼ではない。オリンピックの5位だって、彼ではなかった。チャン選手のスケート技術は確かに世界屈指だが、決してアナウンサーが安直に請合うように、「間違いなく世界トップ」ではありえない。小塚選手もチャン選手に引けをとらないスケート技術をもっているし、単にエッジ捌きというなら、チャン選手よりも上だと思う。それはストイコも言っている。「タカヒコのエッジは世界トップ」だと。ところがところが、フリーのスケート技術の点は、チャン選手が8.35点、小塚選手が7.5点と0.85点「もの」差がある。いい加減にしてほしいわ、まったく。チャン選手はワンストロークでトップスピードにのる技術は世界トップだし、確かに難しいことをしている。だがモーションがあまりにパターン化していて、繰り返しが多すぎるのだ。確かにスピードを落とさずに、難しいターンや回転動作をするのは素晴らしいが、リピートばかりなので、平板な印象になる。メリハリのきいたスケート技術の多彩さでは、高橋選手にはまったく及ばない。だから、チャン選手に対する解説者の賞賛も常にワンパターンだ。その1.スケートの伸びが他の選手と違う。ひとかきでトップスピードにのる。その2・ 簡単そうに見えて難しいステップを踏んでいる。しかもスピードが落ちない。終わり以上。<本文は続きます>
2010.03.26
<続き> 今回の小塚選手のショートは素晴らしかった。彼がショートでは1位だったと思う。3回転+3回転のセカンドジャンプで例によって若干流れが止まった高橋選手ではなく。小塚選手とアボット選手のショートはテイストが似ている。佐藤有香が振付師とコーチとしてかかわっているので、彼女の趣味なのかもしれない。どちらもモダンで非常に洗練されたプログラム。シーズン初めは、アボット選手の表現力のほうがはるかに成熟して勝っている印象だったのが、ここにきて、小塚選手が追い抜いた感がある。難度の高いプログラムをシーズンかけて徐々に完成していく――これがフィギュアの王道だし、それを小塚選手はやってのけた。なのに、点数は・・・(以下、自粛)。今回はショートの点の出方を見ても、「金メダルはチャンか高橋にしか、やらないもんね」採点だったと思う。ショートの点の出方でMizumizuが泣きたくなったのは、アボット選手のトリプルアクセルに対するGOE評価。確かに着氷時に前傾姿勢になってしまったが、あのターン&ステップからのトリプルアクセルの入り方は非常に難しいのだ。世界トップ選手といえど、助走をほとんど取らないあの入り方でトリプルアクセルを跳べるのはアボット選手だけなのだ。着氷したあとも一瞬エッジをピタッと止めて、すぐにこぶしを握り締めての回転動作に入る。一瞬、「オーバーターン?」と思わせるような演出だ。モーションでありながら、感情表現も含めた、インテリジェンスと独創性にあふれた出方。ジャンプも幅はそれほどではないが、高さと幅のバランスは文句がないと思う。それなのに、着氷が若干前傾姿勢になったためなのか、ほかにマイナス要素があると見なされたためなのか、加点したのはたったの1人。それも「1」。逆にマイナス1をつけたジャッジも1人いて、あとは「0」。だから、基礎点そのままの8.2点。「金メダル仕分け」されているチャン選手の幅跳びトリプルアクセルは気前よく加点がついて9.2点に。これでは、難しいことをしている選手が報われない。逆にアボット選手のほうが、フリーのダブルアクセル(同様の難しい入り方・出方)で転倒してしまい、点が伸びなかった。見ているほうは、「なんでダブルアクセルなんかでコケるの?」と思うかもしれないが、非常にリスキーな難しい跳び方をしているからだ。誰にもできないジャンプのエントリーを見せても報われない。これでは、こうした高度なことをやってくれる選手がいなくなってしまう。とりあえず遠くに跳んで、流れのある着氷をしたほうが点が出るというなら、皆そうするだろう。個性を評価せず、1つのパターンにあてはまったエレメンツばかりに点を出す。こうやってどんどん「その選手にしか出せないスポーツの美しさ」がなくなっていく。アボット選手のフリーのトランジション(技と技のつなぎのフットワーク)は、どの選手よりも高度なものだ。見ていただければわかると思うが、常に腕を含めた上体を動かし、しかも深いエッジにのって(つまり、上体が傾いた上体で)、スピードを均一にして滑っていく。ゆったりした滑りだから、逆にスピードを一定にしてポジションをキープするのが難しい。ジャンプのための助走もほとんどない。ジャンプきりぎりまでモーションを入れる。かつてのランビエールの「ポエタ」を彷彿させるような構成だ。ここまで難しいことをしているのに、演技構成点の5コンポーネンツの「トランジション」はさっぱり上がってこない。「金メダル仕分け」された高橋選手とチャン選手の5コンポーネンツが軒並み8点台なのに対して、アボット選手のトランジションは7.45点。もし、仮にジャッジがマトモに採点しているなら、たとえジャンプの2度の転倒があったにしろ、あれだけ高度な構成にしたアボット選手のトランジジョンだけは、高橋・チャン選手同様の点を出すはずだ。ところが演技構成点の5つのコンポーネンツは、ただの「最初に結論ありきの振り分け」。トランジションは他のコンポーネンツより多少低くつけているだけ。点が出ないと、「ジャンプを跳ぶために、つなぎを単純にしたから」と後付けで説明しているライターもいるが、実際には、つなぎはかなり単純でもトランジションが変に高い選手もいる。つなぎを濃くすることで点がもらえている選手もいるが、もらえない選手もいる。アボット選手が今回、後者の典型だ。http://www.isuresults.com/results/wc2010/wc10_Men_FS_Scores.pdf上のプロトコルを見ても、演技構成点で、高橋選手・チャン選手の演技構成点は軒並み8点台。3位に入ったジュベール選手がそれに準じ(でも2人を上回ることはない)、この3人が総演技構成点で80点台。それ以下の選手との仕分けラインがくっきりだ。プルシェンコが指摘したように、誰にでもわかる、そして習得の難しい高難度ジャンプを重視せず、「トータルパッケージ」という、どうにでも解釈できる、したがってファンにはさっぱり理解不能な(実際には元トップ選手のような目のあるプロにも理解不能)主観部分に重きをおけば、ジャッジ(実際には彼らをコントールしているISU)が勝たせたい選手が勝つようになり、完全に競技会はショー化する。いや、もうほとんどそうなっている。ジャッジに愛されている(これはキム選手を表現したオーサーの言葉だが)高橋選手にとっては好ましい状況だが、他の日本人選手にとってははなはだしく不公平だ。Mizumizuがジャッジをもう少し信頼できれば、高橋選手への高評価は素直に嬉しいと思っただろう。実際に、高橋選手ほどスケーターに求められるすべての能力を高いレベルで兼ね備えた選手は稀有だからだ。「表現力」は曖昧で、嗜好にも左右されるが、スケート技術に関しては、ある程度客観的に説明できると思う。高橋選手が素晴らしいのは、まずはスケートの伸び。単に滑っているとき、特にバッククロスで滑り始めたときの、スピードと姿勢(頭の先までピシッとモノサシでも入れたように伸びている)は卓越したものがある。それにエッジ遣い。ステップ時のメリハリのきいたシャープかつ素早いエッジ捌きはすでに定評があるが、深いエッジにのって大きくゆったりとしたモーションを見せるときの身体の使い方も文句のつけようがない。身体を回転させる動作1つとっても、しっかりエッジにのったゆっくりした回転でも、ゆっくり回転に入ってそのあとスピードを突如上げたりでも、最初から超速のモーションでクルッと回ったりでも、とにかくバリエーションが豊富で、自在なパターンを見せてくれる。その間に首のモーションを入れることもある。頭を動かすと方向感覚を一瞬失うので、バランスを保つのが難しいのに、身体の軸がまったくブレない。回転動作が全部ワンパタなチャン選手とは雲泥の差だ。表現力に定評がある他の選手でも、スケート技術に関しては、少し物申したい部分がある。たとえば日本女性に大人気のランビエール選手は、よく見ればストロークがさほど伸びない。だから素早いターン&ステップで、別の技術を見せてその欠点を補うようにしている。エッジ遣いも高橋選手ほど深くない。ウィアー選手もライザチェック選手も、スケートがあまり伸びず、氷をエッジでつかむ能力が低いのか、ステップが速くなるとブレードが安定しない。アボット選手のように深いエッジと上半身の動きがピッタリ一致したモーションができず、足が動かずに上体だけが動いている。ウィアー選手とライザチェック選手はスケートの技術に関して同様の欠点をもっているが、ウィアー選手は華麗な身体のラインと腕の動作で、ライザチェック選手は長い腕を大きく使うダイナミックな動きで、その欠点を観客に気付かせないようにしている。高橋選手の滑りに関しては、欠点を見つけるほうが難しい。これほど全方位で欠点のないスケート技術をもつ選手は、長くフィギュアを見てるMizumizuもちょっと記憶にないくらいだ。そして、ジャンプ力。特にもっとも大事なトリプルアクセルの地力、これが何度も高橋選手を救っている(だが、相変わらず3回転+3回転のセカンドがまずい・・・)。4回転フリップ挑戦に関しては、本人も言っているように、「無謀」。ダウングレードされてGOEでも減点(マイナス1が3人、マイナス2が4人、マイナス3が2人)でなので、点は3.9点。点から考えれば、単純なトリプルトゥループ(3回転の中でももっとも基礎点の低いもの)をやっておいたほうがマシというような点だが、ただ転倒しなかったのがよかった。こうしたあからさまな仕分け採点がいつまで続くのかはわからないが、選手にできることは自爆しないこと。自分の世界を精一杯表現することだ。今回まさかの自爆になってしまった織田選手も、気持ちを切り替えて来季に向かってほしい。長い競技生活の中で、そういうこともありますよ。多くの場合、こういう大自爆の原因は1つではありえない。コップに少しずつ水がたまり、最後の一滴でとうとう水が溢れてしまうようなものだ。今回ワールドに背を向けたジョニー・ウィアー選手が、インタビューで冷静かつ率直に、今の「政治的採点」について語っている動画がある。http://www.nicovideo.jp/watch/sm9857947Mizumizuがこれまで書いたこととまったく同じことを言っている。要するに、現場の選手はこうしたことはすべてわかっているということだ。ウィアー選手が偉大なのは、金を獲ったライザチェック選手を称えつつ、自分のアピールも嫌味にならない程度にしっかりと怠らず、プルシェンコ選手のジャッジング批判も、「あれは(ライザチェック批判ではなく)ルール批判。意見は聞くべき」と理解を示し、自分にメダルが来ないことはわかっていたとしながらも、「観客を旅に連れて行きたかった」と表現者としての本質を見失なわない発言をしていること。そしてなにより、彼のできる最大限のレベルでオリンピックの舞台でそれをやりきったことだ。高橋選手もトリノでそれをやりきった。しかも、イタリア人ニーノ・ロータの曲、イタリア人監督フェリーニの映画、イタリア人カメレンゴの振付。今季なかなかまとまらなかった「道」だが、最後の大舞台で感動のフィナーレを迎えることができた。すべてはフィギュアの神様の粋な計らいということにしておこう。
2010.03.26
またもレア物ビデオのオークション出品のお知らせです。アメリカで販売された(当然日本未発売)、1994年リレハンメルオリンピックのフィギュアスケート競技のダイジェストとエキシビションがそれぞれ1本ずつ、2本1セット(65分x2本)になったビデオ(DVDではありません)を楽天オークションに出品しました。こちらです。http://auction.item.rakuten.co.jp/10896449/a/10000008興味のある方は、入札ください。アメリカではオリンピック後にフィギュアスケート関連ビデオが発売になるのが恒例だったのですね。当然字幕はありませんが・・・まあ、たいしたことはしゃべってません。残念ながらアメリカ選手中心の作りで、日本選手はまったく登場せず。佐藤有香がショートの連続ジャンプで失敗しなければ、あるいは彼女が入ってきたかもしれませんが、エキシビションのほうにも、入っているのは1つ上の順位だったスルヤ・ボナリーまで。<競技のダイジェスト>ナンシー・ケリガン殴打事件があった直後のオリンピックなので、トーニャ・ハーディングとケリガンの練習風景を追いかけた、貴重な映像・・・というか、余計なお世話ショットが入っています。競技はほとんどダイジェストで、比較的長く録ってくれている選手と、本当にジャンプ1つだけしか入っていない選手と、大きな差があり。男子:金メダリストになった若きウルマノフの衣装と奇妙なクラシック音楽の編集にビックリ。衣装はたっぷりとしたスリーブ、両肩にタッセル(色のインパクトではピンクのジョニーには負けるものの、2つくっついてるところで勝ってるな)、首もとにフリル、胸にフリル、手首にフリル・・・すごい・・・ミスター・フリルと呼んであげましょう。今ここまでのコスチュームを着たら、返ってお笑いかと。音楽の編集は・・・なんなんだろう、これ? つながりがサッパリわからない。「これでいいのか? ロシア!」と思わず突っ込みたくなるプログラム構成。いや、よかったんでしょう、当時はこれで。エキシビションのペトレンコ(←バンクーバーでジョニーの隣りに座っていたロシア人のおじさんね)の音楽編集も、ひどいものひどくシュールだった。銀メダリストになったのは、今やカナダの良心と化した(?)エルビス・ストイコ。なんと、「この1週間で初めて見た」と解説者が驚いたトリプルアクセルのパンクを演じてしまったあと、ジャンプ構成を替えて、トリプルアクセル+トルプルトゥループ、後半に単独トリプルアクセルを決めたところが、さすが。銅メダリストになったフランスのキャンデロロのフリー演技「ゴッドファーザー」は、かなり長く収録されている。技術的には、この人は、たいしたことはやっていないのだが・・・たいしたことやっていないにもかかわらず、非常に雰囲気があり、華がある。2度のトリプルアクセルは、最後の最後にもってきた単独が大失敗。トリプルアクセル2度は、本当に男子でも大変なのだなあ・・・途中、「お休み」しながらのよくわからないポーズには、アナウンサーも、「アッハッハ」。そのほか、プロからアマチュアに復帰して参戦したカート・ブラウニング、ヴィクトール・ペトレンコ、ブライアン・ボイタノが次々にジャンプで失敗するシーンが・・・特にカートのインタビューでの涙、「どうしてオリンピックは、ぼくを好きになってくれないんだろう」には、しんみり。カートのショートプログラムは、小塚選手が今年演じたプログラムの源流のような現代的で洒落た作品。解説のスコット・ハミルトンも、「ぼくの意見では、このショートがベスト」と言っていた力作だったのに、難しい連続ジャンプを決めたあと、フリップジャンプでコケ、ダブルアクセルがパンクするという信じられない連鎖ミス。ボイタノもイーグルのあと、すぐに片手をあげてトリプルルッツを跳ぶという難しいエントリーのジャンプを決めたあとに、ジャンプミス・・・ しかし、この人の男性的な力強さは凄い。女子:金メダルはオクサナ・バイウル。なんと公式練習でドイツのシェフチェンコ選手と激突して、脚を縫うケガを負ったのだが、その衝突直後の流血映像が入っている。アクシデントにもめげずに、まとまった演技を披露して金メダリストに。ジョニー・ウィアー選手が感銘を受けたという、バレエ的な表現はさすが。これだけバレリーナに迫る腕の表現ができる選手は、その後ほとんど見た憶えがない・・・ コーチのガリーナさんも映っている。さほど今と変わらないような?ついさきごろ、バンクーバーでジョニーとの2ショットを見たあとなので、16年も前のオリンピックのビデオにも映っているというのが、不思議な感覚。ナンシー・ケリガン。バンクーバーの直前に、親族の事件がニュースになってしまった人。この選手は・・・スケートの基礎は非常にしっかりしています。ジャンプもクリーンに降りて、しっかり「キメ」のポーズ入れてます。ますが、しかし・・・おもしろくもなんともない演技。これでショート1位、総合でも銀メダルまで行ってしまうのだから、フィギュアというのは評判と国力が昔からモノを言う世界だったのだな。銅メダリストはルー・チェン(陳露)。ほんのちょっとしか出ず。アジア系はどうでもいいって扱い(アメリカ恒例)。カタリナ・ビットも一瞬映っている。音楽はロビン・フットのよう。バンクーバーではランビエールがショートで使った。ペア金メダルはゴルデーワ&グリンコフ。演技に出て行く前に、ゴルデーワさんの髪を直してあげているグリンコフの姿に感動。愛が溢れていますね。ああ、それなのに・・・(以下、自粛)。演技が始まる前の2人の見詰め合いだけで、もうあてられっぱなし。誰も入れませんね~。誰も勝てませんね~。本当に2人だけの世界です。ああ、それなのに・・・(以下、自粛)。フリーの演技のあと、ゴルデーワが何か言っているのは、ジャンプミスが気になってグリンコフに確かめていたそうな(これは後にゴルデーワ選手自身が話していた)。でも、グリンコフの手を優しくにぎって話しかけている様子は、とてもそんなテクニカルな話をしているように見えない。本当に容姿端麗な理想のカップル。ああ、それなのに・・・(以下、自粛)。ミシュクチョノク&ドミトリエフなんとなんと試合の前の練習で、リフトを失敗し、ミシュクチョノクが臀部をしたたか打つというアクシデントがあったとか。コーチのタマラさん(バンクーバーで川口ペアのコーチだったロシア人女性)がインタビューで、「もう大丈夫、彼らの準備はできたわ」と答えてるシーンが入っている。タマラさん、ガリーナさん、そしてもちろん我らがタチアナ・タラソワ・・・ロシアの女性コーチは、本当に長くフィギュアスケートの世界に貢献している。追記:先ほど入ってきたニュースでは、ドミトリエフの息子さんがジュニア世界選手権で7位に入ったとか。1位は羽生選手。銅メダルはカナダのブラスール&アイスラー。アクロバチックな演技が素晴らしい迫力。ただ・・・やっぱりペアはロシアでしょう、滑りの美しさが格段に違います。アイスダンス一番の目玉は、アマチュア復帰したトービル&ディーン。絶大な人気を誇ったイギリスの最強ダンスペアに挑んだのは、ロシアの(当時)若手グリシュク&プラトフ。タラソワが出ないかな、と思って見ていたのだが、残念ながら姿なし。この2組の採点については・・・トービル&ディーンに反則技があったことになってしまった。あれはロシアの陰謀だったのか?(←冗談ですよ)。<エキシビション>こちらのビデオは、エキシビション演技がかなりちゃんと入っている。今ほどショー化しておらず、照明も明るいので、見やすい。リレハンメルのエキシビションを、これだけまとめてきちんと見られる機会は、もうほとんどないと思う。その意味で、このビデオは貴重。キャンデロロ・・・なぜか氷上で上半身裸に・・・技術的にたいしたことやってない、意味不明のパフォーマンスにもかかわらず、何をやっても会場は大ウケ。こういうスケーターが新採点システムになってからいなくなったなぁ・・・ペトレンコ・・・ううう、このペトレンコは・・・ややメタボになりかけている。さらに、いったんプロになってエンターテイメント性を取り入れたのか、明るいダンスを披露しているのだが・・・なんというか、変な動き。氷上のニワトリと言うべきか? プルシェンコの奇妙な動きを少しスローにして重たくしたというべきか・・・ウルマノフ・・・ううう、なぜにこの袖?? まるでウミウシを腕にくっつけて踊っているよう。ヴェルディからムソルグスキーまでゴタ混ぜの、変な音楽編集は競技と変わらず、いや競技以上。シャンプーハットを首に巻いてるのも・・・中世の貴族のイメージでせふか? このおそろしく時代がかったロシアン・センスと、モダンでシャープなブラウニングやボイタノが一緒に競技したってのが、本当にシュールな大会だ・・・どうやってアーティスティック・インプレッションに順位をつけるの? いや、幸いなことに、この大会ではジャンプのクリーンさが重視されたので、採点に特に不公平感はなかったのだ。「勝つために確率の悪い大技は跳ばない」なんて選択肢は、誰も考えていなかった時代。バイウル・・・サンサーンスの「白鳥」は、素晴らしい。彼女はこのころが人生でも、演技の面でもピークだった。アメリカでのその後の生活は・・・(以下、自粛)。ケリガン・・・これが銀メダリストかあ・・・きれいに滑ってはいるものの、あまりに単調。ジャンプも決まらない(試合で力を使い果たした?)。ワンパタなポーズを何度も繰り返すのは、バンクーバーのあの選手やこの選手のよう・・・トービル&ディーン・・・なんと名作「ボレロ」を披露している。ミシュクチョノク&ドミトリエフ・・・ペアなのに、アイスダンスのよう。独創的な世界観には、見ているこちらも完全陶酔。デススパイラルに入るときのミシュクチョノクの神秘的な表情にも目が釘付けに・・・ペアとしては、ミシュクチョノクがややオーバーウエイト気味なのだが、独創的な音楽使いといい、ムーブメントといい、芸術性が抜きん出て光るエキシビションナンバー。まさしく永久保存するにふさわしい傑作。ドミトリエフはこのあと、パートナーを若くスリムなカザコワに換えて、長野で金を獲った。技術的には長野での演技のほうがキズの少ない正確な演技だったけれど、作り出す雰囲気でミシュクチョノク時代を凌ぐことはなかった。カザコワ&ドミトリエフは「ペア練習用模範演技」のようだった。ゴルデーワ&グリンコフ・・・何も言えません。ベストオブベスト。ペアに3回転ジャンプ、要らないでしょ。この人たちを見ていると、シングルでやればいいそういう技は、ペアにはむしろ邪魔に思えてくる。氷の上に瓢箪形のトレースを描きながら、2人が交差したり離れたりする場面がある。このスケーティング、バンクーバーの金メダルペアもフリーでやっていたのだが・・・ハッキリ言います、雲泥の差。ブラスール&アイスラー・・・ペアのアスレチックな魅力を存分に味わわせてくれる。ブラスールの思いっきりのいいパンツのラインも・・・ゴホゴホ・・・
2010.03.11
Be soulスター選手そのものをクローズアップした商品も。Bungee Price DVD TVドラマその他高橋大輔 (フィギュアスケート) / 高橋大輔 【DVD】こちらの商品、高橋選手の銅メダルで注文が殺到したとか? さすがにオリンピックの宣伝効果はすごい。 浅田真央、18歳こちらは、何歳まで続けるのでしょうか(笑)。浅田選手は、写真集も・・・MAO立て続けに写真集2冊とは、アイドル並み。彼女の美しさや才能を考えれば、それも当然かと。だが、オリンピック前に写真集発売やら取材インタビューやら、競技者としては少し忙しすぎたようにも思うのだが・・・【送料無料】浅田真央オルゴール MAO Music Box -3A×2/Dec.13,2008-【ドリームメーカー】こっ、これはいったい・・・誰に売るつもりの商品で? 確か、「トリプルアクセル2度記念」とかなんとかいうキャッチフレーズで去年売り出されていたものだったような。まあ、確かに女子選手でフリーに2度トリプルアクセルを入れて決めたのは快挙には違いない。にしても、よくわからないタイアップ商品だ。 安藤選手は自伝ですか? ちょっと早すぎるような・・・空に向かってなんと、漫画まで・・・安藤美姫物語ふだんはキス&クライにいるモロゾフも・・・キス&クライから愛をこめて(Side:kiss)あっ、間違った(わざと)。こっちこっち。キス・アンド・クライフィギュアスケート熱とオリンピックに便乗・・・もとい、タイミングを合わせた商品は、それぞれ工夫があるし、これで人々の関心の裾野が広がり、その結果選手の懐が潤えば、それはそれでいいことだと思う。こういう刹那の金儲けには、とっても目ざとい日本のメディア。だが、目の前で起こってる「異常現象」に何の疑問ももたず、優れた才能を盛り立てようとせず、消費だけを続けるなら、結局は「氷上の花たち」はただ疲弊し、ちょうど今のロシアのように、才能不毛時代に突入してしまうことは、ほぼ間違いないだろうと思う。
2010.03.10
今は昔・・・久々に世界でトップ争いできそうな日本男子フィギュアスケーターが出てきたと聞いて、横浜(だったか?)に全日本フィギュアスケート選手権を見に行った。ブルーのコスチューム(確か)で、音楽はバッハの「トッカータとフーガ」(確か)で、理想的な放物線を描く、素晴らしいジャンプを跳ぶ少年--それが、本田武史だった。あのころは、全日本フィギュアスケート選手権なんてものは地味も地味だった。観客収容人数も少ないリンクで、それでも観客席には空きが目立った。テレビも4時台のTBSで30分ばかり放映する程度。試合自体がショー化して、テレビ局にとって都合のよい夜に演技が行われるようになったのは、いつぐらいからなのだろう?この傾向は、基本的には好ましいと思っている。人気が出て、ファンが増えれば、直接的あるいは間接的なビジネスチャンスが生まれ、それで潤う人が増える。フィギュアスケートという競技は選手生命も短く、競技生活を続けるためには莫大な資金を必要とする。リンクの使用料、コーチや振付師への報酬(有名なコーチや振付師につけば、それだけ多額の報酬を支払わなければならなくなる)、衣装や道具代、遠征費用・・・そのわりにはこれまで、あまりに選手や彼らを支えるスタッフに「見返り」が少なかった。いや、見返りどころが、選手の家族に金銭的な犠牲(それも多額の)を強いてばかりいる競技だった。「年間2000万かかる」など、アマチュアスポーツとは言えない。今も大半の選手にとっては、状況は好転したとは言えないかもしれない。だが、少なくとも、トップに上り詰めれば、いろいろな人生の可能性が開けてくるようになったことは、フィギュアスケート人気の高まりのもたらした、もっとも輝かしい側面だろう。バンクーバーオリンピックを控えて売り出された「選手関連商品」の多さにも、いまさらながら驚かされる。その中心にいるのは、もちろん浅田真央・高橋大輔・安藤美姫。この3人はやはり特別だな、と思う。もちろん彼らの後輩には有望株もいるが、彼らほどのスターになれるかどうか・・・つまりこの3人を凌ぐほどの「華」のあるスケーターが今後出てくるかどうか。Mizumizuはかなり懐疑的だ。やはり今が日本のフィギュアスケートの黄金期で、浅田選手・高橋選手が引退したら、この「フィギュア熱」も沈静化に向かう、向かわざるを得ないだろうという予感がある。だが、スター選手をダシにした商売には熱心でも、日本のメディアがここまでイカれたルールと採点に、まったく批判的視点をもたない(もてない)ことには、呆れるほかはない。「浅田真央とキム・ヨナの点差は、GOEの差だった」などと、ちょっとしたファンならとっくに知っていて、その信憑性に疑いの目を向けていることを、いまさら一般紙が大々的に書いて、無批判に肯定している。キム選手に与えられるGOEが他の世界トップ選手と比べて、いかに突出していて異常か。プロトコルは公表されているのだから、検証してみようという気にならないのだろうか。それが、いつから始まったのか。昨シーズンのグランプリファイナル(浅田選手が、「まさかのトリプルアクセルフリーで2度」を成功させてしまった試合だ)ぐらいまでさかのぼって、その後の試合のプロトコルを検証すれば、その尋常ならざる得点の暴走ぶりがよくわかるはずだ。「ルールに適応した指導法」などというオーサーの自慢話を真に受けて、バカ正直に紙面を割いてリピートしているだけ。「いったいなぜ特定の選手だけが、そうもルールに適応し、理解不能・検証不能の加点をどんどん積み上げているのか」に疑念をもたないというのが、「権威」と「プロパガンダ」に弱い今の日本の現状をよく示している。今のフィギュアスケートの採点の最大の問題点は、GOE加点・減点および演技構成点において、主観による「大幅な得点操作」が可能になってしまったこと。その歯止めがなくなってしまったことだ。その結果、オリンピックのメダルは見事に分配され、日本=男女1個ずつ(ただし金はなし)北米=アメリカは男子金、ただし女子はメダルなし、カナダは女子銅、ただし男子はメダルなし。ヨーロッパ=男子銀、女子メダルなしという、いい塩梅の結果になった。強豪国の2番手選手は、ショートで1番手の選手が自爆しなければ、点は上がってこない。3番手に仕分けされた選手は、何をやっても低得点。日本にはストイコもサーシャもいない。「キム・ヨナの採点はおかしいだろう」と突っ込むキャンデロロもいない。そんな日本のメディアだが、スター選手の「商品化」には、どんな国より熱心だ。ちょっとアイディアだな・・・と思ったのは、フィギュアスケートの演技に使われる楽曲をまとめてCD(DVD)化したもの。浅田舞&真央選手が今シーズン使用する楽曲を全曲収録。 バンクーバ五輪 SP曲『仮面舞踏会』フリー曲『鐘』収録浅田真央&舞スケーティング・ミュージック2009-10(DVD付) [CD+DVD]バンクーバー・オリンピックいよいよ開催!浅田真央をはじめとした、今注目されているフィギュアスケート選手の曲目をCD2枚に全32曲収録!!【バンクーバ五輪開催記念】フィギュアスケート・クラシックCD全32曲(CD2枚組)●"高橋大輔~フェイヴァリット・ミュージック~"CD(2010/2/3)フィギュアスケートの楽曲にはすぐれた作品が多いし、こうした商品が売れることで、知られざる名曲が認知されていくのは、音楽関係者にとっても朗報だと思う。特に高橋大輔のオールジャパンプログラム、「eye」は、音楽・振付・パフォーマーともに世界トップレベルの芸術性を備えた、画期的なものだった。ああいうプログラムは、モロゾフには作れない(もちろん、タラソワにも)。そういえば、こちらの記事の高橋選手の写真、フォトグラファーは日本人のようだが、モダンで都会的なセンスには光るものがある。特に、Born in Kurashiki, Okayama・・・というキャプションのついた写真は秀逸。このまま銀製リングの宣伝写真にもなりそう(笑)。オープンカラー(カラーとは色ではなくて、襟のこと)の黒いシャツと黒いトラウザーのシンプルな装いに、膝を抱えた物憂げなポーズ。高橋大輔という人のもつ、ナルシスティックで浪漫的(で、ちょいカルそう・・・)な雰囲気がよく出ている。<後へ続く>
2010.03.09
<続き> プルシェンコ選手に対するカナダからの中傷めいた攻撃はひどいものだった。北米に行くと、ロシア選手はいつも冷遇され、ときにあからさまな攻撃の対象になる。これが日本人選手ならとっくに試合前に精神的につぶれている。それでも、彼は失敗のない演技を披露し、「何様、オレ様、プルシェンコ様」のスタイルを貫いた。プルシェンコは真に偉大なアスリートだ。天才のなかの天才。ベストオブベスト。あの至高ともいえる身体能力、ひるむことを知らない強靭な精神力・・・・・・今回プルシェンコとジャンプで競ってくれるだろうと期待されていた、ジュベールやランビエールは次々4回転で崩れた。今の採点が、さまざまな方法で「操作」されているのは、(日本人以外の)有名コーチや選手があちこちでもはや公然と批判している。「ジャンパーには勝たせないぞ」ルールであることも、ジャンプに特別な才能をもった選手であればなおのこと実感しているはずだ。4回転を降りるのがどれほど難しいか、4回転は3回転とは全然違うのだ。4回転を跳べるのは「神に選ばれた」選手だけ。それを完成させるためには、膨大な時間と努力を要する。優れたジャンパーであればあるだけ、その「価値」の希少さがわかっている。今回の五輪のショート、4+3を跳ぶプルシェンコ選手と3+3しかないライザチェック選手と高橋選手が、ありえないほどの僅差。こうした「異変」が起こったとき、選手のこころに起こることは? 高橋選手やライザチェック選手は自信をもってフリーに行ける。トリノで優勝候補のスルツカヤ・コーエン両選手に迫る点をもらった荒川静香と同じだ。一方の「抑えられた」と感じた選手のほうは、不信感や憤りを自分の中でコントロールするのが大変になってしまう。スルツカヤはその負の感情を制御できず、トリノでジャンプをミスした、だがプルシェンコはそれでも乱れなかったのだ。傲然たる態度の裏で、凡人にははかり知れない努力をし、しかもそれを毛ほども見せない。まさにプルシェンコの前にプルシェンコなし、プルシェンコの後にプルシェンコなし。これほどのアスリートはめったに出ないし、ルールで高難度ジャンプへの挑戦を罰しているようなルールを続けているフィギュアでは、もう出ないかもしれない。ルールと採点を動かすことで、トリノ以降、数年であっという間に4回転ジャンプの価値が弱められてしまった。ダイアモンドがガラスになってしまったようなものだ。プルシェンコは試合後、「4回転はもう無価値にされた」と言い、ストイコは、「フィギュアは殺された」と憤った(こちらの記事参照)。しかし・・・やっぱりプルシェンコのプログラムは好きになれない(笑)。ショートの曲、なんでアランフェスなんでしょうか、プル様? アランフェスである必要性を感じませんが・・・? 音のない映像をみたら、「なぜに、この音楽でこの動き・・・?」とボーゼンとしてしまったのですよ。だが、個人的な好き嫌いでプルシェンコが負けたことを喜ぶ気にはなれない。4回転ばかりを重視する風潮は嫌いだが、ルールで認められている以上、この世界最高難度の技を完成させた選手は高く評価されるべきだ。プルシェンコはスピンやステップのレベルもシーズン最初からかなりピタリと揃えてきた。これだけルールが変わったにもかかわらず。そうしたら、シーズン後半になって、ステップにレベル4が出始めた。レベル4を取ると、ステップは加点の反映割合が増え、点がかさ上げできる。これがMizumizuの目には、プルシェンコ対策に見えたのだ。ステップのレベル取りはシーズン初めはかなり難しく、高橋選手もなかなかレベル3を揃えられなかった。ところが五輪では、ライザチェックやチャンや高橋選手など、プルシェンコと競えると「仕分け」された選手には、気前よくステップのレベル4がつき、気前よく加点2がついたのだ。チャン選手や高橋選手のステップが高評価なのは問題ないと思うが、ライザチェックが彼らと同レベルの評価・・・? 狂ってるわ。「質がいいものをどんどん評価しようという流れになった」と平松氏は五輪のあと加点のつけ方について説明したようだが、それなら、男子のジャンプに加点「2」がつかないのはなぜだろう? キム選手があれほどもらったジャンプでの加点「2」が、男子選手に見当たらないのはなぜ? もちろん、「女子と男子とではジャッジ団が違うから判断が違うのは当たり前」と辻褄合わせで言うこともできる。だが、基本的に現在の採点は絶対評価。それがこんなに試合によって上下したり、「ある種の傾向がある」ほうがおかしいのだ。まさに、「無理が通れば道理がひっこむ」採点。1つ1つは筋が通っているといえば言えるのだが、他選手と比較したり、これまで点の出方を勘案すると、異常としか言えない現象があちこちに起こっている。絶対評価というのは理想的すぎ、そのむなしい理想主義が思惑に利用され、公平になるはずのものが、逆に不公平になっていく。理想主義というのは、常にこうした側面をもつ。男子で気前のいい加点が出たのは、ジャンプではなくステップだ。どうも「安藤・浅田には勝たせないぞルール」と同じニオイを感じるのだ。そのぐらいしか、プルシェンコ独走を阻む点を技術点で与えるマジックはないからだ。ステップのレベルが3か4かで加点の反映割合が変わってくる。4で加点をもらえば点が伸びる。ステップでレベル4はめったに出なかったのだが、五輪では急に、かなり出た。もちろん、ステップで世界最高レベルのテクニックをもつ高橋選手は、この「恩恵(?)」に浴している。高橋選手のように全方位で欠点の少ないスケーターは、ルールがどうあろうと有利。ストイコは、今回の五輪でもっとも印象に残った選手として、高橋選手を挙げ、その「トータルの力」を賞賛している(4回転へのチャレンジもジャンパーの彼は高く評価)。余談だが、ストイコは小塚選手のことも褒めている(タケヒコと呼んでいたのは、本田タケシと混ざってるのか?・笑)。まったく同感。シーズン後半にきて、あの難しく、洗練されたフリープログラムを、あそこまで完成させてきたのは印象的だった。なのに、あの点・・・ 高橋選手を評価する眼があるハズのジャッジが、小塚選手が出てくると突然眼が悪くなるのは・・・(また同じ話になるのでよそう)。こちらにストイコとコーエンの「総括トーク」がある。ストイコは本田武史つながりもあるのかもしれないが、本当に日本男子選手贔屓だ。ジャンパーのイメージが強い彼だが、カナダ選手というのは、「滑ることの技術」そのものを非常に重視するし、ストイコが高橋・小塚選手を好むのは、この2人の日本人のスケート技術が世界トップだからだ。これだけ高橋選手や小塚選手の長所を理解してくれ、頼まれたわけでもないのに褒めてくれる元一流選手も珍しい。先輩一流スケーターをコケにするようなチャンの呆れた発言を、空手チョップ並みの苦言で諌めてくれる、カナダのフィギュア界では珍しく「あたり前の感覚」を失っていない人(こちらの記事を参照)。長野の銀メダリストでもある。こういう人は大切にして、もしストイコがショーに復帰する意思があるなら日本に呼ぶなど、関係を作っておいたほうがいい。小塚選手の「抑えられた順位」に関して、チャンと同国人のストイコがこれほど、「もっと上であるべき」と言ってくれているのに、日本で同じことを言う関係者が誰もいないとは、本当に信じられない。ここまで見ザル、言わザルになるのは、一体なぜなのか。Mizumizuは高橋選手の才能は誰よりも評価しているし、銅メダルの快挙は、本当に、心から素晴らしいと思っている。個人的な主観で言えば、演技構成点はもっと高くてもいいとすら思う。だが、五輪でどうしてもひっかかるのは、フリーで3F+3Tがクリーンに決まらなかったことだ。ショートのほうも、完璧ではなかったが、あれについては目をつぶってもいい。だがフリーのほうは誰の目にも明らか、完全に詰まってしまった。ダウングレード判定が適切か不適切かという話ではなく、3+3がクリーンに決まらない五輪メダリストというのは、他に同等以上のジャンプを降りて完璧にプログラムをまとめ、それでも順位が上がらなかった選手がいるのを見るとなおさら、高橋選手は日本選手の中で一番フリーの技術点が低かったということも含めて、もうひとつスッキリしないのだ。プルシェンコに話を戻そう。最初は「つなぎ」の悪さを根拠に、プルシェンコを演技構成点で落とそうとしたフシがある「ある勢力」。だが、それはロシアからのクレームと、アメリカ人ジャッジの「工作」をフランス紙がバラしたことでできにくくなった。確かに本田武史の言うとおり、バンクーバーのプルシェンコのジャンプは、「彼らしからぬジャンプだった」かもしれない。だが、ジャンプは降りてナンボのはずだ。回転不足もなく、軸が傾いても、ピタッと降りてくる。あのジャンプはやはり超絶。これほど長い期間にわたって(8年間転倒なし? 人間ですか? まったく・・・ 日本男子は毎回毎回コケたり、グラッとしたりしたりしてるのに)4回転を跳び続けた選手はプルシェンコ以外にいない。プルシェンコに回転不足があるだろうか? エッジ違反があるだろうか? スピンの回転も速く(ポジションは個人的にはきれいだとは思わないのだが)、ステップでも点を(落としたくても)「落とせない」。ステップは、レベル3を取れば十分だったのだ。五輪前までの「傾向」で言えば。追記:「8年間転倒なし」はアナウンサーの勘違いで、2005年のワールドで転倒があるようです。チャン選手が今回力を出せなかったのは、プルシェンコの復帰を受けて、できもしない4回転をプログラムに入れようとしてケガをしたせいだ。本当は今回の五輪王者は、4回転なしでトリプルアクセル2度を決めれば十分で(実際、そういう選手がプルシェンコを破ったが)、それを考えればチャン選手に行っていた可能性が高い。というか、そのつもりでお膳立ては着々となされていた。プルシェンコと同じ土俵にのってしまったら、ほとんど必ずその選手の肉体は破壊されてしまう。いや、プルシェンコ自身の体もいつまでもつかわからない。あれだけ長期にわたって4回転をあの確率で跳び続けた選手など、いないのだから。そして、肉体全体から発散されるエネルギーの凄さ。ジャンパーが勝てなくなって以来、男子フィギュアから消えつつある男性的な魅力が氷上で炸裂する。いくら滑りのきれいでステップが巧みな選手が正確なエッジワークで演技をしたとしても、一瞬にしてその印象を吹き飛ばすような迫力がある。こういう天才を出さないようにするルールを思惑だけで続行させれば、ただでさえ下がりっぱなしのフィギュア人気はさらにどん底に落ちるだろう。プルシェンコは確かに滑りの面では難点がある。だが、そんなものは帳消しにする超絶なるスケーターではないか? 一流選手になればなるほど、それがよくわかっている。高橋選手も、「あの人はもう、違うというか、何と言うか・・・」とその凄さを認めていた。単独でさえ習得が難しい4回転をあれほどの確率で跳ぶ。世界のトップスケーターがいかに努力してもできない4+3を100%の確率で試合で決める。やはりバンクーバー・オリンピックの男子の金はプルシェンコに行くべきだった。ロシアはそう言い続けるだろうし、Mizumizuもそう言い続ける。
2010.03.08
<続き>キム選手に対してだけ甘かったわけではないが、今回なぜ突然回転不足がここまで甘くなり、女子に関してエッジ違反が甘くなったのか・・・まったく、ミステリーだ(いや、邪推なら可能だが)。これまで、あれほどキチガイじみたダウングレードで、特に女子選手には回転不足に意識を集中させながら、五輪だけ突然甘くなるとは、一体どういうわけなのか。女子のショートが始まったとき、解説の八木沼さんと担当のアナウンサーが、「降りたかどうかより、問題は回りきったかどうかですね」と浅田選手のトリプルアクセルに対するダウングレードを心配し、他の選手のジャンプがスローで出るたびに、「う~ん、これは取られたかも・・・」「あ、大丈夫ですね」「う~ん、これはどうでしょう」とチェックしていた。そのうちに、今回はダウングレード判定が妙に甘いと気づいた八木沼さんは、「今回はどうもジャッジの判定が読めず・・・」と口に出した。ダウングレードについて知らないファンは、彼らが何をあんなに真剣に検討しているのか、さっぱりわからなかっただろう。回転不足判定によるダウングレード(4分の1回転以上不足しているとスペシャリストを含む技術審判3人が判断したジャンプは、基礎点を1回転下のジャンプのものに落とすこと)が、女子では命取りと書いたMizumizuも拍子抜け。いや、実際これまではそうだったから、アナウンサーまで意識をもって説明していたのだろうけれど(担当のアナウンサーは、よくルールを勉強していたと思う)。ダウングレード自体は、今回ぐらいがマトモだと思うが、それでは、マトモではないほどにダウングレード判定が暴走したのは、一体なぜ? 厳しすぎるダウングレード判定で、日本女子がどれほど苦しんだことか。忘れもしない、昨シーズン2008年のNHK杯。カナダ在住の日本人スペシャリスト天野氏がアシスタントテクニカルスペシャリストを務めた大会で、浅田真央の見た目に何も問題なくきれいに降りている、解説の荒川静香も何度も見て、「大丈夫」と言っていたセカンドの3ループがショートでダウングレードされ、ファンに衝撃を与えたのだ。続く韓国でのファイナルでも、同じように見た目問題なく降りた浅田選手のショートの3ループはダウングレード。キム選手の3F+3Tにはまだエッジ違反がついておらず、加点をもらって11.5点。基礎点の高い3F+3Loを跳んだ浅田選手はダウングレードでループの基礎点を3回転から2回転の点に落とされたうえにGOEマイナスの減点(←これが悪名高い「ダウングレードによる二重減点」だ。あまりにやりすぎたため、「回りきっての転倒より、わずかな回転不足のほうが点が低いなどおかしい」と、当然のことをあちこちから批判され、今季ルールを慌てて改正。スペシャリストたちによるダウングレード判定を演技審判に伝えず、演技審判が自分の眼で見てGOEを勝手につけるという、筋の通らない、わけのわからない改正がなされた)。5.2点にしかならず、会場のファンにはお互い成功しているようにしか見えない連続ジャンプで、6.3点もの差がついた。続く2008年12月の全日本。それまでなかなかうまく行かず、ついにフリーに入れた3F+3Loの3ループも同じようにダウングレード。見た目は何も問題のないジャンプ(肉眼では、「ちょっと詰まったかも」程度)で、会場が「おおっ」と沸いたほどなのだ。このときも天野氏が、今度はテクニカルスペシャリストを務めていた。もちろん、スローで見れば、降りたあとにブレードが回っていたのはわかる。別に不当な判定ではない。だが、あそこまで降りてダウングレードされるのでは、セカンドの3ループはもう武器にはならない。しかも、同時期に、微妙に足りなく見える怪しいセカンドの3トゥループを決してダウングレードされない選手がどこか遠くにいたというのに(その怪しい3トゥループがついにダウングレードされたのは、つい先ごろ東京であったグランプリファイナル。実際には、あのショートのセカンド3トゥループは、彼女としてはかなりよかったほうの着氷だったのに。つまり、2009年12月までは、間違いなくダウングレード判定は「厳しい方向で統一」されつつあったのだ)。浅田選手は今季、3A+2Tより基礎点の高い3F+3Loをプログラムから外した。当然だろう。昨シーズン認定されたのは世界選手権でのたった1回だけ。こんなにいつもいつもダウングレードされるジャンプは使えない。今回の五輪のような「疑わしきは罰せず」の路線であっても、あの3ループをやはりダウングレードしたのだろうか? バンクーバーでは、明らかに回転が足りずに軸が傾き、ブレードがグルッとなっていたフラット選手のルッツさえ認定された。それでは、バンクーバーに向けて、ジャンプ構成を固めていかなければいけないプレシーズンに、あまりに厳しいダウングレード判定でジャンプを3回転から2回転に落とさざるをえなくなったり、シーケンスへの組み替えを余儀なくされたりした選手はどうなるのだろう?まったく酷い話だ。エッジ違反も、つい先ごろあった全米でさえ「!」のついた長洲選手のルッツも(五輪のプロトコルはこれまでとスタイルが違ってはっきりわからないのだが)、加点があるということは・・・?。今シーズン最初は、鈴木選手のルッツにEがつくなど、むしろwrong edgeは厳しく見られていたのに、4大陸から鈴木選手からエッジ違反が消えた。本人が克服したのかもしれないが、グランプリファイナルまでは、微妙でもルッツに「!」がついていたではないか。2010年に入ってからのヨーロッパ選手権でも回転不足が甘かったし、どうもこのあたりから「疑わしきは罰せず」の方向にジャッジの指針が流れたような気がする。しかも、その情報は、まったく日本選手には伝わっていた気配がない。浅田選手は直前までダウングレード対策をしていたというし、安藤選手もフリーでは徹底した回転不足対策のジャンプ構成だった。今後基準をどうするのか、明確にしなければ、選手やコーチが振り回されて大変だ。いや、基準は「4分の1」と明確なのだ。問題はジャッジの判断が甘かったり辛かったりすること。今回は甘めで統一されて、試合の中ではさほどの不公平感はなかった(ほかに誰も跳ばない安藤選手のセカンドの3ループはダウングレードされ、「やっぱりね」とは思ったが)が、また厳しく取られたら、見てるほうは、「特定の選手を落とすために、微妙なジャンプを回転不足判定にしたり、微妙なエッジにアテンションをつけている」とも思えてしまう。こんないい加減な判定をやっているジャッジのもとで、「中間点」など作ったら、よけいにややこしく、さらに採点が不透明になるだけだと思うが、どうか。そもそも、今回のカナダでのフィギュア。チャン選手のライバルである小塚選手の最後の音、「ジャーン!」と響くはずが、音量を絞って途中で切られたように聞こえた。ヨーロッパ2番手のレピスト選手の音楽の最初が、ちゃんと始まらず、演技をやり直すことになった。秒単位で集中している選手に、あれはつらい。偶然なのか、わざとなのか--ジャッジのつけた点数も含めてだが、どうも後味の悪い大会だ。だが、女王になったキム・ヨナ選手の演技が素晴らしかったのは何度強調しても強調しすぎることはない。ルールでお膳立てされたとはいえ、フリーとショートでセカンドに3回転を計3度入れるという難度の高いジャンプをあれだけの確率で決められる選手はめったにいない(微妙な回転不足はまた別の問題。ジャンプはあくまで基本は、降りてナンボなのだ)。キム選手がジュニア時代からあのジャンプ構成で来たからといって、ジュニア「でも」できるジャンプをやっている、などという誤解が一部で広まっているようだが、そこまで無知な人はハッキリ言って手に負えない。同じジャンプを同じように跳ぶ訓練を徹底して繰り返さなければ、あの確率の高さはない。何度滑っても同じことができるように、練習を繰り返す。その忍耐力と精神力は賞賛に値する。あれこれいろいろなものに挑戦するのではなく、自分のもっているものを徹底的に固める。それは、勉学でもスポーツでも、何かを究めるためには、もっとも大切な姿勢だ。伊藤みどりをアルベールビルで破ったクリスティ・ヤマグチ選手の本番の演技を見て、解説の五十嵐さんが言った言葉、「本当に、練習どおりにできますね。何度滑っても同じようにできるんじゃないでしょうか」。五輪で勝つのはこういう選手だ。男子のライザチェック選手も、また「世界一練習する選手」(コーチの弁)。努力を惜しまず、これまで長い間心血を注いできた4回転を「勝つために」捨てた。ライザチェック選手はほんの少し前まではむしろ、「4回転が決まれば強い」選手だったのだ。4回転を捨てて、他のジャンプを全部まとめる--それはそれで退路を断った勇気ある決断だったと思う。五輪王者にふわさしいスケート技術やジャンプ力や表現力をもっていたかどうか、ということについては、率直に言って認めがたい部分もある。ライザチェックとウィアーに対するジャッジの「態度の違い」には憤りも感じる。だが、それを言い始めると、結局は好みの入った印象論を自己肯定するだけになってしまう。ライザチェック選手が、プレッシャーのかかる場面で、キズのない、完成度の高い演技をやりきったのは事実。素晴らしいことだと思う。だが、やはり男子で傑出していたのはプルシェンコだ。さまざまな減点ポイントをものともせず、用意してきたジャンプを全部決める--プルシェンコはそれを五輪でやった。回転不足もエッジ違反も取られなかった。そのうえで、世界で誰もできない4回転+3回転を2度も決め、トリプルアクセルを2度決めた。だからこそ、ルールや採点がおかしいと批判できる。Mizumizuが「男子で五輪王者になるのに4回転が必要か? そうかもしれないが、そうでないかもしれない」と書いたのは、現行のルールが「ジャンパー罰ゲーム」で、大技を跳ぶ選手にあまりに不利なこともあったが、実際に試合をしてみたら、ロシア大会でプルシェンコの出したフリーの点より、4回転なしで他のエレメンツをきれいにまとめてきた織田選手のシーズン初戦のフリーの点のほうが高く出たせいだ。プルシェンコも、「大技でちょっとでもミスったらとんでもなく点を失う」というジャンパー包囲網のルールを突破するために、「彼としては」ジャンプ構成を落とした「安全策」できた。プルシェンコのメインのジャンプは前半に偏っている(つまり後半のボーナス点がつくところに難度の高いジャンプをもってきていなかった)。レベル認定の要件が厳しい現行ルールでは、スピンやステップに使う神経と体力も半端ではない。プルシェンコの不安は、やはり体力。4回転+3回転に、2つのトリプルアクセル。これだけ入れて、フリーの最後まで体力をもたせるのは、まったくもって至難の業。ブランクがあったプルシェンコにとって、課題は特にフリー後半で、自分がいかに疲れているかを見せないことだったと思う。そのために、後半に難度の高いジャンプを入れるのを避けたのだ。プルシェンコは「4回転の土俵」にみなを誘いこもうとした。だが男子選手は、プルシェンコと同じ土俵で戦ってはダメなのだ。同じ土俵にのったら、あれほどの身体能力をもった「怪物」には絶対に勝てない。今季チャン選手が怪我をして調整が遅れたのは、プルシェンコの復帰を受けて、できもしない4回転を入れようとしたためだ。あれで日本選手は助かった。そのプルシェンコでさえ、反ロシア意識の強い北米開催のオリンピックでは、4回転をはずしてすべての要素をきれいにまとめるという努力を、ほぼ1年半にわたってしてきたアメリカの優等生に勝てなかった。<続く>
2010.03.07
書いていて我ながらウンザリしてきたので、ここらでちょっとブレイク。 主観点による操作ばかりがアリアリの現行のフランケンシュタイン・ルールだが、もともとの理念は、「ジャンプばかりが重視され、滑りがおろそかになっている風潮を見直そう」というものだった。だがその結果、ジャンプの技術はあっという間に低下。ストイコは、男子の五輪王者に対して、「ブライアン・ボイタノ時代まで逆戻りした」と酷評した。「滑り」に関して言えば、確かに往年のトップ・スケーターのほうが基本に忠実でクリーンかもしれない。そんなフィギュアの原点を鑑賞できる超レア物ビデオを楽天オークションに出したので、興味のあるかたは入札してください。出品者と落札者の個人情報をお互いに開示しないですむ「匿名発送」にしてあります。再生には問題ありませんが、古いビデオなので、多少画面がユレて見えることも・・・ 神経質な方にはお奨めしません。追記:あまり値段がつりあがってしまうのは本意ではないので、こちらのオークションは早期終了としました。入札してくださった皆様、ありがとうございました。「ブライアン・ボイタノ&フレンズ」ビデオはアメリカで買ったもの。1995年発売だが、80年代のアイスショーでの映像も入っている。もちろん日本未発売。今となっては入手も不可能。出演しているのは、そうそうたるメンバーだ。まずは、ブライアン・ボイタノ。ストイコのコメントは的を射ている。ハッキリ言って・・・ライザチェックよりずっとうまい(あ~、言ってしまった)。スケートはしっかり氷をとらえて伸びるし、エッジは深いし、ジャンプは高く力強く、軸もしっかりしている。「ボイタノといえばイーグル」だが、これまたちょ~素晴らしい。微動だにしないポーズに男性美が溢れている。いや~、このカリスマ性は、今のルール適合型の超優等生男子選手にはないものだ。この時代以下の五輪王者って、一体何?(あ~、言ってしまった)ボイタノの手から炎が出るような演出は・・・「???」 そして、ペアのベストオブベスト、ゴルデーワ&グリンコフ。2人のユニゾンを見ると、「これがペアでしょ」と言いたくなる。「今のペアの滑りって汚い」とも。最初に出た世界ジュニアが5位だったというだけで、あとは出場した試合すべて1位か2位という奇跡のゴールデンカップル。グリンコフが若くして亡くなるという、悲劇的な結末がこのペアを永遠の伝説にした(そして、ゴルデーワさんが、これまたロシアの生んだイケメン金メダリスト、イリヤ・クーリックと再婚したことで、麗しき伝説をぶち壊されたファンから大ブーイングを浴び、人気も地に落ちた。実際、ゴルデーワ&クーリックのペア・パフォーマンスはびっくりするほどヒドかった)。中国勢の台頭で、ツイストリフトやスロージャンプなどの投げ技、単独ジャンプのテクニックは向上したと思うが(ゴルデーワは3回転ジャンプがまったく跳べない人だった)、基本的な滑りの部分では、もしかしたらこのペアの時代から比べると、後退しているかもしれない。 リレハンメルでゴルデーワ&グリンコフと金メダルを争うことになる、ミシュクチョノフ&ドミトリエフも出ているが、相当若いらしく、スケートはかなり粗い。ここからゴルデーワ&グリンコフと世界1位を争うまでレベルを上げたということに、逆に驚く。ドミトリエフはパートナーを替えて、長野五輪でも金を獲った選手。 伊藤みどりも登場!若き日の伊藤みどり(何歳だろう? 10代であることは間違いないと思うのだが)。大きく明確な放物線を描く、「飛距離と高さが奇跡的に素晴らしい」ジャンプ。サルコウ・ジャンプでも飛距離が出てるってのには改めて驚いた。たぶんブレードにバネ仕込んでるな(笑)。こういうサルコウを跳ぶ選手は、今は皆無。現行ルールで伊藤みどりがいたら敵なし? いえいえ、伊藤みどりがいれば、ジャンプの質をできるだけ過小に評価するルールができるだけです。そして、軽々と跳ぶ3トゥループ+3トゥループ。セカンドジャンプを降りたあと急にあさっての方向に曲がっていってしまうなんて誰かのような疑わしさはない。ピタッと降りて、すぅーと自然な曲線で流れていく。完璧に回りきって降りてくるというのは、こういうことでしょう。 エリザベス・マンリーこの人はブロンドの佐藤有香。とにかく、なにからなにまで基本に忠実。フィギュアスケートを実際にやっている人には、こういう滑りが何よりお手本になるのではないか。 おまけに、ペトレンコもいるではないか。バンクーバーで薔薇の王冠を戴いたジョニー・ウィアー選手の左側に座っていた、ロシアのおじさん。若いころの彼は別人です、ハイ。「めちゃくちゃ痩せている!」長いなが~い脚を氷と水平になるまで上げてのスピンには、クラクラ。氷の上をただ回ってるだけで、あそこまで貴族的な雰囲気を出せるとは・・・ ランビエールも高貴な雰囲気をたたえた選手だが、堂々たるカリスマ性ではペトレンコのほうが上かもしれない。つまり・・・本当に、今は「昔のスケーターのほうが滑りもうまくて、カリスマ性があってよかった」状態になっているのだ。あれこれ規定を細かく定めた現行ルールに適応している優等生たちは、だいたい皆同じようなことをするので、過去の名スケーターのような個性や、「大輪の花の風情」がない。おまけに難度の高いジャンプはリスクがあるので跳ばない。スケートの基本である滑る力を重視するルールとはいっても、これではファン離れが進むのも当然だろう。ストイコやプルシェンコが激怒するのもわかる。ビデオには他に、ライバルのケリガン選手に対する暴力事件(知人を介して殴打させた)で、フィギュアスケート史に悪名を残したトーニャ・ハーディングの演技も入っている。まだ若く、悪者になっていない時代。彼女は、スケーティングはたいしたことなし。 あとは、カタリナ・ビットとの「カルメン対決」で知られるデビ・トーマス。国家をあげて強化され、金メダル獲得後は高額な契約金を得てプロに転向したビットと違い、トーマスはプロのフィギュアスケーターになるつもりはなかった人。現役引退後は、医学部に進んで医師となったハズ。スピンの軸など非常にしっかりして、基礎のできているスケーターだということがわかる。 <明日はきのうの記事の続きに戻ります>
2010.03.06
浅田真央奇跡の軌跡<続き>プルシェンコの演技構成点を落とせなかったのは、「研修DVD工作」に対するクレームを始めとする「ロシアからの圧力」があったせいだろう。ジャンプ中心なので「つなぎ」が悪いといっても、それで点を落とせるのは演技構成点の5つのコンポーネンツのうちの1つだけ(「つなぎのステップ」とNHKで言っているトランジションの部分)。観客はプルシェンコの演技に沸いていた。あれだけのエネルギーにあふれた演技を披露し、レベル認定にもさほどスキがなく、ジャンプも最高難度の大技を100%決める選手を他のコンポーネンツでは落としにくい。このいかれた採点を一番に糾弾したのもプルシェンコ。ロシアも国をあげてプルシェンコを後押ししている。糾弾するにふさわしい演技をプルシェンコはしたと思う。だが、男子シングルが終わったとき、日本で「金メダルにふさわしいのはプルシェンコ」と言い切った関係者やファンがいただろうか? どちらかというと、傲慢な絶対王者が負けたことで溜飲を下げた日本人が多かったと思う。ところが、浅田選手がトリプルアクセル2つを決めてもキム選手ほどの点が出ないのを見て、またパニックを起こしている人がいる。だが、浅田選手にはルッツがないのだ(そしてサルコウも)。トリプルアクセルがないから、4回転2度に頼らなければいけないランビーエル選手と同じなのだ。キム選手がフリーで2度入れる、セカンドが3回転の連続ジャンプもない。以前はあったセカンドの3ループが使えないから、基礎点でキム選手を圧倒することができなくなった。だったら、加点をもらえる(度重なるルール変更で、同じことをしていてもさらに加点がつくようになった)キム選手が、明らかに、はるかに有利だ。ランビエール選手は4回転がきれいに決まらずメダルを逃した。浅田選手はきれいに決めてメダルを手にした。しかも、格下の試合でなかなか決まらなかった大技をここ一番で決めるとは、勝負師・浅田真央でなくてはできない芸当だ。後半にミスが出て、ジャンプの点を失い、全体の印象は下がってしまう結果になったが、失敗したら即座に台落ちになってしまう危険もあったのに、銀メダルを獲った。立派ではないか。だが、トリプルアクセルのことはいいにしても、そのほかのジャンプにほころびが見えるのは、採点のおかしさがどうのを脇においておいても、非常に気になるところだ。鉄壁だったフリップもあやうくなっているように見える。連続ジャンプの偏り、ルッツ・サルコウ(ルッツが入れば、3Aのある浅田選手にサルコウはいらないかもしれないが)・セカンドの3トゥループがない(セカンドは何がなんでも3ループ、と固執するのは返ってマイナスだと思う。一般には簡単なはずのトゥループができなければ)・・・といった、今のジャンプ構成は、五輪仕様としては仕方のなかった部分もあるし、実際ルッツもセカンドの3回転もなしに、銀メダルまで来てしまうところが浅田真央の凄さだが、今シーズンが終わったら、順当な順番での課題克服に取り組んでほしい。エッジの矯正が並大抵でないことは、世界のトップ選手を見てもわかるから、ファンも「常勝・浅田真央」を求めて、一戦一戦での勝ち負けに一喜一憂せずに、長い眼で浅田選手を応援してあげてほしいし、Mizumizuのところに来るメールを読むと、ファンもそのあたりはもう十分にわかっているように思う。何度も言うが、明らかに特定の選手に利するための偏ったルールと異常な採点を肯定するわけではない。だが、これだけ突っ込みどころ満載の異様なプロトコルを見ても、後付けの理屈をつけて、当の日本人が肯定しているようでは、選手もコーチもどうにもできないではないか。それは選手が抱える個人的な克服課題とはまた別の問題だ。以前にも指摘したが、加点がついたダブルアクセルが3段階上の3ループと同等の価値をもつなど、常識的に考えておかしいだろう。「すぐれた高さもしくは距離」ではなく「十分な高さと距離」で加点がつくというルール改正は、それはそれで表面的な理屈は通っている。だが、浅田選手のようなタイプのジャンプを跳ぶ選手には不利だし(つけられないわけではないと思う。それは解釈の問題)、飛距離が出にくいループに加点がつきにくくなるという傾向にも拍車がかかる。なぜこうした、明らかに意図的なルール改正を止められなかったのか。おめおめとルールの包囲網を作られ、「いや~、完全に負けました」「浅田真央は絶対ではなくなった」「選手はルールに対応しないと」などと言っているようでは、ソチでまたどんな包囲網を誰に作られるか、わかったものではない。すでに書いたように、今回の五輪の女子の1位と2位については間違いがない。だが、昨シーズンのロス世界選手権以前だったら「ありえない」点差が、ここまで短期でつくようになった理由は何か、それについてまったく知りもしないのに、3Aを3度という世界の女子で誰もできない高難度の技を決めた浅田選手を日本人自身が評価してあげないのは、情けない話だと思う。去年からますます、なりふりかまわず露骨になってきた、「浅田真央はキム・ヨナに勝てない」採点について、「流れはキム・ヨナ選手。(でも)トリプルアクセル2つ決めても勝てないなんて、おかしい」とまがりなりにもテレビで発言したのは伊藤みどりだけだ。セカンドの3ループ。これは安藤選手を世界女王にしたジャンプであり、浅田選手がキム選手に基礎点で有利に立てる礎だったのだ。トップ選手でこれができるのは、安藤・浅田・フラット選手だけだった。それが「厳しいダウングレード判定」で使えなくなってしまった。ところが一般のファンにも「判定の不公平感」がバレてYou Tubeにさかんに「疑惑の判定」ビデオがアップされるようになると、肝心の五輪で急に全体のダウングレード判定を緩くし、「疑わしくは罰せず」にしてルールに詳しい(そしてダウングレード判定に眼を光らせている)ファンからの批判を最初から回避するとは、汚すぎる。中野選手が世界選手権を辞退し、引退という報道にも、なんとも言えない寂しさを感じた。今回の五輪への鈴木選手派遣については間違いはなかったと思っている。だが、前回のトリノ五輪選考では、明らかにスポンサーの力学(表向きは昨シーズンを含めたポイント制)で、シーズン絶好調だったのに代表入りをさせてもらえなかった中野選手への理不尽な扱いは、忘れることができない。2季前の世界選手権では、ヨーロッパの観客がスタオベで演技を称えたのに、ダウングレードと「低め固定」の演技構成点で台にのれなかった(それについては、こちらの記事参照)。国内のショーやどうでもいいイベント試合には借り出され、まったく無意味なジャパン・オープンで亜脱臼のケガ。Mizumizuは常々、「国別」だの「オープン戦」など、意味のないイベント試合はすべきでないと主張してきたが、オリンピックを控えてのこの2つの無意味な試合は、明らかに日本選手にとって悪いほうに出てしまった。来季の世界選手権は東京、佐藤信夫コーチの殿堂入りのセレモニーもある。ずっと佐藤コーチを信じてついてきた中野選手がそこで有終の美を飾ってくれたら、こんなに嬉しいことはなかったのだが、本人がここで引退と決断したことなら、ファンとしては、「ゆかりん、長い間、ありがとう」としか言いようがない。浅田選手に話を戻すと、今回の五輪の露骨に「仕分け最初にありき」の採点がどうあれ、間近に迫ったトリノの世界選手権に出るなら個人としてまだできることがあるはずだ。ここで気持ちを折らないようにすること。個人的には、キム選手の「目を惹くポーズ」中心の躍動感に欠けるフリーよりも、浅田選手の荘厳なフリーのほうが、依然としてはるかに芸術性が高いと思っている。スピンやスパイラルは、さらに美しくなったと思うが、どうだろう? あの天に向かってすらりと伸びる脚のなんと華麗なこと!以前、伊藤みどりが、「キム選手は、ポーズはカッコイイと思うんですけど、技術的に見るとちょっともの足りない」と本当のことをポロリと言ったことがあった。キム選手の表現力をバカ上げする今の風潮の中では、もうそういうホンネは誰も口に出せないかもしれないが、この伊藤みどりのキム・ヨナ評は本質をついていると思うし、キム選手は今も基本的に変わっていない。「妖艶」と「可憐」にパターン分けできるあの表現は、「一度見るだけならインパクトがあって楽しめる」アメリカ映画のようだが、どこか生気がない。一方の浅田選手の演技は、動作の中に華麗さがあり、見れば見るほど良さがわかってくる。今季はとにかく、ロシア的な芸術性は徹底的に否定され、淡白でも伸びやかさのある滑りばかりが持ち上げられている。そのトレンドに合わなかったからと言って、Mizumizuは自分の眼で見て感じた審美性を、ジャッジの意味不明の「点差」を見て放棄するつもりは毛頭ない。浅田選手は、気持ちの入った、ミスのない演技をすることだ。彼女にとっての完成でいいと思う。誰かに勝つためではなく、自分の「鐘」を完成させるために。ジャッジの「仕分け」が適切か適切じゃないかなどということは誰にも証明できないし、今さらどうにもできないが、自分でやれることがある限りは、やれることを精一杯やるべきだ。とにかく、音楽の世界に入ること。フリーの最後、地の底からわきあがってくる何かを、天空に向かって解放するような、あの迫力あるポーズをもう一度見れられる、そう思うと、Mizumizuはまた心が躍ってくる。今回、点差をつけられたのを見て、急にまた「あのプログラムはだめ」などと言い出す人たちの冷たい視線にひるんではいけない。「私は、この曲を表現したい。自分にできると思うからやります」という言葉を、絶対に忘れないで、自信をもって、丁寧にこれまで練習してきた成果を見せてほしい。そういう意味では、長洲選手が素晴らしかった。「誰がどういう点を出して、どういう演技をしようと関係ない。これは私のオリンピック」。名言ではないか。こういう図太さが日本選手にも必要だと思う。日本選手はいい子でいないとすぐ叩かれるものだから、自分を自ら殻に閉じ込めすぎるけらいがある。Mizumizuは、日本女子はショートのジャンプをすべて鉄壁で行って欲しかったのだが、それができたのは日本女子では浅田選手だけだった。五輪でのキム選手のジャンプの着氷は素晴らしかった。あのまとめ方ができた選手はほかにいない。キム選手の個人演技史の中でも最高の出来。ショートもフリーも完璧。微妙に回転不足気味のジャンプはあり、フリップもエッジが中立からややアウト気味だったと思うが、それらは些細なキズだ。もともとわずかな回転不足や中立気味のエッジなど、微小な微小な問題のはずだ。<続く>
2010.03.05
<続き>ジャッジの見つけた「透明で客観的なシステムの穴」とは何か? 結局はこういうことだ。主観点である加点と演技構成点で勝たせるようにする。エレメンツの加点は少しずつ積み重ねることで大きな差にできるから、勝たせたい選手にたとえ1つぐらいミスが出ても、保険になる。演技構成点の「揺れ」は、エレメンツの完成度を高めようとしている選手の努力を一瞬で水泡に帰すことができるほどの「幅」をもたせることができるのだ。それをヨーロッパ選手権の直後ではなく、わざわざ反ロシア感情の強い北米のバンクーバーに来て、さらにIOC副会長という政治的後ろ盾を確かなものにしたところで言う。完全にドイツ陣営の「作戦」だと思う。ロシアを落としたがっているのはわかっている。ロシアペアのコーチは誰あろう、ソルトレイクで悪者にされたロシアのペア、ベレズナヤ・シハルリドゼ組のコーチだったタマラ・モスクビナ。あのときのロシアペアに対する北米メディアのネガティブキャンペーンは、すさまじかった。ジャンプの着氷でグラッとする映像だけを切り取って繰り返し流し、「ミスがあったのに1位。サレー・ペルティエ組(カナダ)はノーミスなのに2位。不正だ」と騒ぎ立てた。だから、タマラコーチが、フリーを鉄壁ノーミスで行かせるために、川口・スミルノフに4回転スロージャンプの回避を指示したのは当然の判断だと思う。五輪で大事なのは、なにがなんでもノーミスでクリーンに演技をすること。反ロシア感情の強い北米では、ただでさえロシア選手は不利。だから、「下げる」理由をジャッジに与えないことが大切なのだ。それは川口選手も理屈ではわかっていたはずだ。だが、Mizumizuが以前指摘した選手のこころの問題。川口選手は「4回転を跳びたくて、投げてもらえるペアに転向した」とまで言っていた。なぜ日本選手がここまでジャンプにこだわるのか、恐らくロシア人コーチには理解できないだろう。本番前の朝の公式練習では4回転を降りていたという。選手にとっては回避する理由はないのだ。結果は悪いほうに出てしまった。つまり、回避してレベルを落としたハズのスロージャンプで失敗。次でも失敗。2位にいたドイツペアにもミスはあったのだが、こちらのほうがメダル圏内におさまって銅メダル。ロシアペアは総合で4位に落ちた。試合後の川口選手のインタビューには、4回転ジャンプを回避したことに対する抑え切れない無念さがにじんでいた。演技に入る前も、なかなかコーチのそばを離れなかった川口選手は、必死に気持ちを切り替えようとしていたのだろう。だが、安全策でいったはずのところでミスが出て、さらに「取り返さなければいけない次」でミスをする。これが一番悪いパターンだ。回避して失敗し、さらにメダルを逃す。「失敗してしまった自分」と「本当は挑戦したかった自分」の折り合いがつかず、選手は長く苦しむことになる。五輪での3位と4位の最終順位自体に間違いはなかったように思う。ドイツペアにもミスはあったが、ロシアペアのミスのほうが演技の流れを止めてしまう深刻なものだった。川口選手が一瞬、手首を押さえるシーンもあった。だが、驚くのはフリーの演技構成点。この2組の直前のヨーロッパ選手権と五輪の点を比べてみると・・・ショート (左の数字が技術点、右の数字が演技構成点)ロシアペア ヨーロッパ:41.44+32.48=73.92 五輪 40.92+33.24=74.16 ドイツペア ヨーロッパ:40.92+33.2=74.12 五輪:42.24+33.72=75.96と、まるで、ヨーロッパ選手権の点をそのままスライドしたような出し方だ。ところが・・・フリーロシアペア ヨーロッパ:69.31+69.92=139.23 五輪 57.13+64.48(転倒によるマイナス1)=120.61ドイツペア ヨーロッパ:66.88+70.72=137.60 五輪:65.08+70.56(マイナス1)=134.64フリーでの川口ペアは技術点の低下の「ついで」に、ドイツペアより6点以上も低い点をつけられた。ドイツペアと同等レベルの演技構成点をもらっていたヨーロッパ選手権に比べると5点以上下がってしまったことになる。これで川口ペアはフリーだけの順位は7位まで落ちてしまった。そんなに悪かったか? 信じられない。ジャンプの失敗があったから? だが、そのほかのエレメンツ、たとえば優勝の中国ペアにミスの出たソロスピンなどは、川口ペアは素晴らしかったのだ。「これぞペアのソロスピンの王道かつ見本」の例を見せよう。どちらもロシアペア。1994年のリレハンメルオリンピックだ。1位になった ゴルデーワ&グリンコフ2位になった ミシュクチョノク&ドミトリエフ(コーチはタマラさん)1位のペアは、もう最初の滑り出しからユニゾンが奇跡。ここまでピタリとすべてのモーションを合わせられるペアは、彼ら以降見たことがない。絵に描いたような美男美女だから、機械仕掛けの人形が見えないレールの上を滑っているようにさえ見える。ここではスピンの話なので、1:42あたりから始まるスピンを見て欲しい。実はこのペアはここで失敗している。回っている間にタイミングがずれてしまい、1:48あたりで2人の回転がバラバラになった。ところが1:53あたりでスピンから出るときには、タイミングを合わせてきれいに同時にスケーティングに戻っている。つまり、これがペアのスピンの技術なのだ。回転速度がズレでミスが出ても、途中から合わせてくる。そして、最後にはピタリ。だが、途中回転速度がズレたというのはミスであることには違いはない。ミシュクチョノク&ドミトリエフのスピンはゴルデーワ組のようなミスはない。1:37ぐらいから始まるのだが、2人の距離が狭く、軸足を替えたあとで、さらに距離を縮めている。ゴルデーワ&グリンコフのようなミスもなかった。解説の五十嵐さんも演技が終わったあとにこのスピンを褒めている。彼の解説がすべてを語っているので、追加することはない。川口選手は、このペアのソロスピンの王道をしっかりと継承している。ビデオをとった方は見て欲しいのだが、さかんにパートナーのほうを見て、回転を彼女のほうが合わせようとしているのがわかる。なのに点を見ると、こうしたロシアペアの努力はほとんど評価されていないのだ。バンクーバーでの川口ペアと申雪・趙宏博ペアのフリーのソロスピンの点を見ると、点差はほとんどない。わずか0.3点。エレメンツで明白なミスをしたペアと完璧にこなしたペアの点差が、これだけとは・・・このエレメンツの得点を見て、Mizumizuは心底ガッカリしたのだ。エレメンツでミスしてもなぜかたいして点が下がらない(GOEで減点されない)選手がいる・・・この「不思議な現象」は、シングルでも顕著だと思う(誰のどんなエレメンツかは、あえて言わないが)。だから、あとから各選手のエレメンツの「出来栄え」を見て、それに与えられた点を見比べると、明らかに劣っているのに点が高かったり、悪くないのに低かったりといった矛盾が見えてくる。「なんで、申雪・趙宏博ペアのスピンに加点なわけ?」 ↑この疑問(ときには憤り)は、シングルでも特定の選手のGOEに顕著だ。だが、それが意図的なのか、あるいは人間が見る以上起こりうるものなのか、明確にはわからないのだ。そこにあるのは、「限りなく恣意的に見える得点」だけ。加点や演技構成点には、こうした「疑い」が付きまとう。だからこそ、加点割合をもっと抑制するなり、演技構成点を5つのコンポーネンツでなく3つにするなり、主観による操作をできる限りしにくいよう抑制するべきだのだ。客観性を柱にした新採点システムを続けるならそれしかない。逆に、ジャッジの主観を重んじるなら、こんなわけわからない点を「匿名」の裏で積み増しして、結果意味不明の銀河点が出てくるようなシステムではなく、ジャッジの顔が見える旧採点システムに戻すべきだ。ペアの採点に話を戻すと、1位の中国ペアの演技構成点が72.4点なのに対し、ロシアペアは64.48点。「例によって」8点近くの差をつけられている。そして、最終順位の点数を見ると1位 216.57点 (中国)2位 213.31点 (中国)3位 210.60点 (ドイツ)4位 194.77点 (ロシア)5位 193.34点と3位と4位の間にクッキリ「仕分け」ラインがある。その下はまた、団子状態。解説のカナダ在住日本人スペシャリスト天野氏は、ロシアペアの点が低かったことについて、「(4回転を回避したことで)攻め切れなかった」と説明した。要するに後付けの辻褄合わせだ。技術点が下がると、演技構成点も下がるという傾向は以前はあった。だが、それはどの選手に対してもだった。今は、フリーでコケようがミスろうが、高い演技構成点をキープして出してもらえる選手と、ミスると待ってましたとばかりに演技構成点も下げられてしまう選手がいる。前者のタイプの側にはつまり、ジャッジが「ついていて」、後者のタイプの側にはジャッジが「いない」のだ。ジャッジは五輪ペアでは明らかにロシア側におらず、ドイツ側にいたのだ。こうしてロシアは、メダルなしに終わり、最強の伝統を誇ったペア王国は崩壊した。アイスダンスもそうだ。ロシアのカップルは、なんだかんだ足を引っ張られ、粗探しをされ、結局銅メダル。金と銀を北米で分け合うという出来すぎの結果。<続く>
2010.03.04
<続き>ステップのレベル認定緩和(?)の前哨戦はカナダの国内大会だったと思う。なんとチャンのステップ全部にレベル4とすんげ~(笑)加点。すると、ジャンプがダメな選手でも、かなり点をかさ上げできることがわかった。その一方で、4回転2種類を決めたレイノルズ選手は、フリーの演技構成点で、チャンに27.68点もの差(繰り返しますが、演技構成点だけの差ですよ)をつけられて総合3位に落ち、オリンピックにいけなかったのだ。http://www.skatecanada.ca/en/events_results/events/cdns10/results/sd2.pdfフリーで演技構成点が1位と2位の選手で27.68点。これは「異常」に見えないだろうか? Mizumizuにはそう見える。だが、別に「不当」ではない。「不当」の根拠はどこにもないからだ。慣習的な感覚から見れば、まったく異常に見えるが、それだってちゃんとルールにのっとって出された点。ファンや関係者が、それぞれの主観で「妥当だ」とか「この点は出すぎ(あるいはこの点は低すぎ)」などと主張しても、ただの水掛け論になってしまうのは、明確な基準が何もないからだ。感覚的な「妥当」感は、これまでの点で出方からの推測とその選手に対する自分の好みが加味され、自分の主観で納得できる範囲の点なら「妥当」、それを逸脱した点なら「不当」になる。点が高いか低いかの議論がかみ合わないのは、当然のことだ。こうやって今シーズン、どんどん演技構成点は発狂していった。そのきっかけになったのは、明らかにロスのキム選手の演技構成点だ。このカナダの国内大会のあまりの採点に噛み付いたのも、ストイコだった。そのとおりだと思う。自国の国内大会の採点を元選手が批判するなど、普通はありえない。同等の技術点を取っても、スケートの技術と表現力を評価する演技構成点で25点だ30点だと差をつけられるのなら、試合などやる必要はない。やらなくても勝負は決まっているのではないか?ロシアも同様の手段で対抗した。プルシェンコの国内大会の点は、これまた発狂花火と言っていい。あっちこっちでやりたい放題。勝たせたい選手をどこまでも上げる。エゴ丸出し。新採点システムの柱だった、「客観性」は一体どこに行ったのか。オリンピックでも、基本的にこの手法は使われたと思う。「これでは競技会でなくて、リサイタル」、ストイコはそう切り捨てた。それはペアの試合でもう明らかだった。優勝したのは、中国の申雪・趙宏博ペア。中国ペア史上最初にして最高のペア(だとMizumizuは思っている)だが、これまで厚いロシアの壁に阻まれ金メダルがない。長く活躍した悲運のペアに金メダルを・・・というムードは、もうショートからアリアリだった。滑走順が早かったのにもかかわらず、素晴らしい演技をして歴代最高得点。旧採点時代ほどではないにせよ、「絶対評価」の今でも滑走順が早いと点が出にくいという、これまでなんとなくあった慣習的な傾向をあっさりと覆す。これも事前「仕分け」の効果だろう。断っておくが、申雪・趙宏博ペアのショートの演技は、このうえないほど素晴らしいものだった。さて、問題のフリー。申雪・趙宏博ペアの「アダージョ」は例によってカナダのローリ・ニコルの振付。しっとりとした雰囲気は素晴らしく、芸術性の高いプログラムだった。投げ技も目を見張る凄さだし、独創的なデススパイラルも見せるが、なんといっても滑りの美しさが際立っていた。だが、ミスも目立った。非常に悪かったのはソロスピン(ペアが離れて行うスピン)の回転が途中、2人で相当バラバラになってしまったこと(軸も流れてしまっていた)、それにリフトの途中でバランスを崩し、途中で降りてきてしまったことだ。ペアの華であるスピンとリフトでの失敗は、はっきり言って相当に痛い。だが、例によって演技構成点が高く出て、そのまま逃げ切った。逆に総合2位になった(同じく)中国ペアはエレメンツは完璧にこなしたのに、ショートで(完璧なできだったにもかかわらず)点をおさえられて1位と約5点点差をつけられ、4位と出遅れたのが響いて逆転できなかった。ミスのないペアが勝つという競技会の基本からするとこの結果はどうかと思うし、申雪・趙宏博ペアのようにスピンがあれほど乱れて、リフトが途中で崩壊してしまうなど、五輪王者にはふさわしくない演技だ。もちろん2人の滑りはなめらかで、独特な世界を醸し出していたのは確かだ。表現力では、2位のペアを寄せ付けないものがあったと思う。だが、「滑りがきれい」で「独特の世界」を楽しむなら、それこそまさにアイスダンスを見ればいい。そもそも新採点システムが導入されるきっかけになったのは、ノーミスだったカナダペアを、ジャンプの着氷で少しガタッとなったロシアペアが破り、それが「裏取引によるものだ」という告発がなされたからだった(後にそう言い出したフランス審判は自分の発言を撤回したにもかかわらず、真相解明はなされないまま、メディアの報道で「不正があった」ことになってしまった)。ところがその結果、導入された採点システムでは何が起こっているのか? ノーミス(に見える)選手が明らかなミスをした選手に勝てない。「表現力とエレメンツの質の評価」が、勝敗にあまりに大きく影響する。それでは、まさに「リサイタル」ではないだろうか?さらに悪いのは、旧採点法ならば、ショートで2位以下でも、フリーの出来次第で逆転が可能だったのが、今の事前仕分けによる採点では、「ショートで点差をつけて、フリーが悪くても逃げ切り」のパターンがあまりに増えてしまったことがある。旧採点システムでもショートは大事だった。ショートで4位と出遅れると、自力の優勝がなくなり、自分がフリーで1位をとっても、ショート1位が3位まで落ちなければ優勝できない。だが少なくともショートで2位の選手は、フリーで自分が1位になれば逆転できた。ショートでメダル候補を「仕分け」して、優勝候補にあからさまに高得点を与え、フリーではミスが出ても演技構成点を高くして順位をキープさせる今季のやり方では、旧採点のような「誰の目にもわかりやすい」逆転優勝劇が非常に出にくくなった。その分、ショートに強くフリーでミスが出やすい選手(キム選手も高橋選手も、基本的にはこのタイプ)には有利だ。フリーの演技構成点で救ってもらえることがほぼわかっているなら、余裕をもって演技もできる。ショート2位の選手がフリーで1位になっても、ショートの点差で逃げ切られてしまうという試合が目に見えて増えてきたのはここ最近だ。逆に勝たせたい(とジャッジが思っているであろう)選手が2位にいて(だいたいその場合は、トップとの点差はわずかだ)、フリーで多少ミスが出ても、演技構成点をより高く出すことで、逆転させることもできる。これはまともに客観性(基礎点)を重視していた数年前では考えられないことだ。以前はフリーの点が大きい分、基礎点の高いジャンプを組んだ選手が大逆転をすることもあったが、上位の選手間では、今はそういうエキサイティングな大逆転は起こらない。同じシステムなのに、ここまで操作性を高め、元来の目的を歪めてしまったのは、本当に信じられないことだ。結局のところ、主観のからむ採点競技での絶対評価というシステムは、理想主義的すぎた。ジャッジには思惑がある。それを一切廃して(あるものをないことにして)、選手間の比較ではなく、絶対評価で点をつけるなど不可能なのだ。明確な「完成形」のモデルがどこにもないのに、「完成度」が高ければ加点をしたり、演技構成点を高くしてもいいという話は、そもそも矛盾している。さらに演技審判がどんな点をつけたのかを秘匿としたこと(「ジャッジの匿名性」という話がこれだ。参加したジャッジの名前は公表されているが、誰が誰にどんな点をつけたのかは秘密になっている)が、さらにファンからの信頼を失わせる結果になったと思う。 ペアの採点では、もう1つ「異変」があった。それは3位に入ったドイツペアと4位に落ちたロシアペア(女性が日本人の川口選手)。この2組のペアは直前のヨーロッパ選手権では、順位が逆だった。 技術で優れている中国ペアとヨーロッパ勢がどういうふうにメダルを分け合うことになるのか? バンクーバー五輪が開催中に、ドイツペアはヨーロッパ選手権でのジャッジングを批判することで、ロシアに圧力をかけてきた。同じドイツ人がIOCの副会長に再選された日(2010年2月13日 。 国際オリンピック委員会(IOC)は12日、バンクーバーで総会を開き、ドイツのトーマス・バッハ副会長と南アフリカのサム・ラムザミー理事を再選した)を見はからって出された、ドイツペアとそのコーチの発言記事。http://de.eurosport.yahoo.com/12022010/30/steuer-kritisiert-preisrichter-laquo-schlupfloecher-raquo.htmlSteuer kritisiert Preisrichter: «Schlupflöcher»シュトイヤー(ドイツペアのコーチ)、ジャッジの採点には「穴」があると批判Dennoch finden die Preisrichter nach Steuers Ansicht Wege, «den einen oder anderen zu bevorteilen». Bei der Europameisterschaft in Tallinn, als sein Chemnitzer Paar nur Silber hinter den Russen Yuko Kawaguchi/Alexander Smirnow gewonnen hatte, «waren sie nicht auf unserer Seite». Bei der Europameisterschaft in Tallinn, als sein Chemnitzer Paar nur Silber hinter den Russen Yuko Kawaguchi/Alexander Smirnow gewonnen hatte, «waren sie nicht auf unserer Seite».(透明で客観性の高い採点システムにしようと改正を繰り返してきたにも)かかわらず、シュトイヤーによれば、ジャッジは、「誰か、あるいは別の誰かを有利にする」方法を見つけたという。タリンでのヨーロッパ選手権で、ドイツペアがロシアペアに負けたとき、「(ジャッジは)我々の側にいなかった」<続く>
2010.03.03
<続き> 高橋選手の演技構成点が高いのは、彼が優れているからだとしても、それを見抜く目のあるはずのジャッジがなぜ、一流のスケーターがこぞって賞賛する小塚選手のスケート技術(カナダのブラウニングもストイコも、小塚選手のスケート技術は世界トップだと褒めまくっている)に異様に低い点を与えるのか理解できない。あるいは、あれほど深く、激しく、スピードのあるエッジ遣いで、ビビッドな踊りを披露し、観客を魅了できる鈴木選手が何度試合をしても、演技構成点が(他の選手に比べて)低いのかも理解できない。出てきた低い点をみて、「鈴木選手は去年の世界での実績がないから演技構成点が出てこない」と辻褄合わせをする人もいるが、それだったら、高橋選手は? 昨シーズンはケガで実績ゼロ。2季前はワールド4位。3期前のワールド銀メダリスト。フィギュアの世界で3季前の実績がモノを言うというのは、聞いたことがない。プログラムの良し悪しで点が決まるという人もいる。だが、それだったらウィアー選手はキム選手と似たテイストのプログラムを作ったのに、演技構成点が伸びてこないのはなぜなのか? この2人のショートは「娼」性を前面に出しているという意味で共通しているし、キム選手のフリーは「ヨナ自身(振付のウィルソン)」だというが、ウィアーのフリーの「無性の堕天使」だって、ジョニー自身ではないか? ウィルソンは、キム・ヨナ方式で、ジョニー・ウィアーのプログラムを作ったのだ。よく見れば運動量の少ない躍動感に欠けるプログラムだが、キメのポーズの美しさや、全身を大きく使ったしなやかな動き(あまり速くはないが)など、共通する点が多い。ウィアー選手は高橋選手のようには踊れないかもしれないが、それを言うなら、キム選手も鈴木選手のように生き生きと跳ねるような踊りができる選手ではない。EXを見たが、滑りのなめらかさとストロークの気持ちのよい伸び、ところどころで入る腕の動きは、一瞬ハッを胸を突かれるような美しさがあるのだが、動的な躍動感に欠けるため、すぐに飽きがきてしまう。滑りは確かにきれいだが、エッジ遣いでもっと見せることのできるハズのフィギュアスケートの表現としては、多少物足りないものがあるのも確かだ。これはチャン選手にも通ずる欠点で、チャン選手の動きも、難しいことをしなやかにやってしまう点は素晴らしいのだが、それがパターン化している。2人とも氷上表現の「繰り返し」および「1つのモーションあるいはポージングの派生パターン」が多いのだ。キム選手を好まない人は、たいてい、「彼女の動きは、いつも同じに見える」という。それはそれで的を射ている。キム選手・高橋選手の表現力の評価が高く、ウィアー選手・鈴木選手の表現力の評価は低い理由には、まったく一貫性が感じられない。だから、ジャッジが正しく選手の能力を判断しているとは、とても思えないのだ。ただ、小塚選手・鈴木選手・ウィアー選手は強豪国の3番手に「仕分けされている」から演技構成点が出ないと考えれば、妙にスッキリ理解できる。ジャンプ構成を落としてきれいにまとめる。皆がこの路線で来ると、基礎点が横並びになり、結局はジャッジ団が勝たせたい選手を勝たせるように主観点で恣意的な順位操作がより容易にできるようになる。トリプルアクセル2つに、トリプルルッツ2つと同レベルのジャンプ構成できて、すべてきれいに着氷しながら、五輪王者になったライザェック選手と6位に沈んだウィアー選手の結果の違いを見れば、それがよくわかるではないか?五輪では、ジャンプをすべてクリーンに降りられる選手はほとんどいない。ウィアー選手は、ジャンプをほぼすべてクリーンに降りたと言ってもいい。個性にあった魅力的なプログラムも作った。なのにジャッジは、ほぼ同じことをやったライザチェックに五輪王者の座を与え、ウィアーにはメダルを与えなかった。これは列強による「ポーランド分割計画」ならぬ、ISUによる「メダル分配計画」の結果のように見える。北米・ヨーロッパ・日本にメダルは1つずつ。「打倒プルシェンコの一番手」に祀り上げられていたチャンが沈んだ分、ライザチェックはトクをしたかもしれない。あるいは女子にロシェットがいる分、何かしらの力学が働いたのかもしれない。女子のほうは、キム・ヨナ、ロシェット、浅田真央(浅田選手がショートで自爆したら、安藤美姫のフリーのエレメンツの加点や演技構成点を少し上げればいい)。こうした構図が透けて見えたのは、ウィアー選手が4回転で自爆しなかったせいだ。ショートで同じジャンプをやっても点がのびない場合、選手もコーチも高難度のジャンプで勝負をかけたがる。だが、ガリーナコーチは冷静だった。ウィアー選手は4回転ができないわけではないが、回転不足のまま降りてきてしまいがちだ。タフなほうではないので、大技を入れると後半のジャンプでミスが連鎖することが多い。なので、「五輪ではクリーンなジャンプを降りた選手が勝つ」という従来のセオリーにしたがった。ウィアー選手は見事にそれをやり遂げた。それなのに・・・だが、それだからこそ、コーエンやストイコが声をあげてくれたのだ。チャンにまで抜かれるという低い点に本人が誰より不本意だったと思うが、ウィアー選手は微笑みながら、ファンに落ち着くよう仕草で語りかけた。だいたいこうなることを予想していたのだと思う。それでも不満そうな顔をしないところが、立派ではないか。逆のことをやって、問題の所在をわかりにくくしているのが小塚選手だ。4回転を降りたのは快挙だ。だが、点は? 小塚選手の転倒はトリプルアクセル1回。チャン選手は2回(4回転はなし)。なのに、10点も差をつけられた。ありえないと思うのだが? ジャンプで転倒すると、印象が悪くなり演技構成点も下がるという人もいる。だが本当のことろ何が問題なのか、小塚選手が毎回毎回ジャンプで律儀に自爆する限り見えてこない。プルシェンコのコーチ・ミーシンは、五輪前に「歴代の五輪王者は天上にいる。今のジャッジは地の底に悪魔とともにいる」という意味の発言をした。実に素晴らしい詩人ではないか。アイロニーに富んだこの表現は、日本女子にとっても当てはまる言葉だ。それを誰も言わないだけで。「プルシェンコには金メダルをやらないぞ」工作も実に露骨だったと思う。Mizumizuはかねがね、この操作感アリアリになっていく採点の裏にあるのは、「ジャッジの研修会」だと思っていた。今のルールは明らかに、ある特定のトップ選手がもっている強さを過大に評価し、その弱さを過小に評価するようにできている。キム選手が研修会で「お手本」として使われたと、韓国紙が自慢したことがあったが、現役の選手の演技をお手本としてジャッジの研修会に使うなど不適切だと思う。過去の優れた選手の演技をお手本にすべきだろう。今回の男子の試合後に出た記事。 http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2010/02/20/19.html今大会では開幕前から「休んでいた選手がいきなり優勝していいのか」というムードが漂い「演技点を出し過ぎた悪い例」という審判の研修用DVDには当初、トリノ五輪でのプルシェンコの映像が入っていた。ロシア側の抗議で最終的には削除されたが、この日の演技点は82・80点。ライサチェクと同じで日本の高橋(84・50点)を下回っている数字に、ロシア側は違和感を抱いた。 「演技点を出しすぎた例」がトリノのプルシェンコとは笑わせる。それを言うなら、ロスのキム選手の演技構成点だろう。今季の「わけわからない高得点」の原点は、あの試合なのだから。しかも、文句を言われるとすぐ引っ込める。なんとポリシーなきジャッジ研修であることか。 プルシェンコとライザチェックの演技構成点に差をつけられなかったのは、事前の「プルシェンコは演技構成点で落とすぞ」計画が、ロシア側からのクレームで阻まれたせいだろう。こういうことをしておいて、プルシェンコの演技構成点を低くしたら、ロシアはこのDVDを根拠にまちがいなく噛み付いてくる。プルシェンコの演技はジャンプ中心なので、「つなぎ」がよくない。それに対するカナダ側からのバッシングは感情的で、目を覆いたくなるような酷さだった。現役選手や元選手が、この偉大なスケーターをあからさまに誹謗する。プルシェンコの評判を、できるかぎり事前に落とそうというわけだ。すると不思議なことに、プルシェンコ全盛期には聞かれもしなかった悪評を、一般人まで口にし始めた。今回負けたことでさらに悪口はひどくなった。以前Mizumizuが、「ヤグディンのスケートのほうが、プルシェンコよりはるかに優れている」などと言っても、誰も耳をかさないほど、プルシェンコ信仰はゆるぎないものだったのに。 これはちょうど、浅田選手が成績を出せないと、急にファンや関係者が浅田選手をけなし始めるのと同じ現象だ。Mizumizuブログを過去から読んでいる方なら、実はMizumizuがヤグディン贔屓(もちろん本田選手も)で、プルシェンコのスケートが必ずしも好きでなかったことをご存知だと思う。あの伸びない、エッジも浅い、直線的なスケーティングや強引な動きなど、今でもプルシェンコは、スケーターとしては必ずしも好きなタイプではない。だが、オリンピックに向けてあれだけウエイトを落とし、実際には練習では転倒もしているというジャンプを決して人前で失敗しない。レベル認定の要件がこれだけ変わったにもかかわらず、スピンやステップのレベルをピシッと揃えてくる。「1日8時間から9時間練習した」と言っていたが、すでにありあまる栄光を手にして、復帰する個人的な理由はほとんどないにもかかわらず(ヘタをしたら全盛期と比べて嘲笑されるだけの結果になる危険性だってある)、あえて復帰をして、しかも強さを見せ付けた。 プルシェンコが復帰してきた第一戦、解説の佐野さんは、「だいぶルールが変わりましたから・・・」と言っていた。ステップやスピンのレベルを取れるのか、ということだと思う。だが、元王者は、そこにも死角を見せなかったのだ。日本のエース、高橋選手がステップでレベルを落としたり、スピンでレベルが取れないうえにGOE減点されたりしているときに、だ。 すると、不思議なことに、年が明けてからあれほどレベル4が出にくかったステップにレベル4が出始める。だかこの傾向はまだ顕在化しておらず、ヨーロッパ選手権でのステップのレベル認定は、むしろ厳しかったのだ。これまで「3」を取っていた選手が「2」しか取れない。レベル認定も、厳しかったりゆるかったり、本当にわからない。<続く>
2010.03.02
<続き>キム選手のジャンプの加点に男子でもつかなかった「2」がついたことについて、「流れがいいから」「男子並みだから」といった説明がされるのは、一般の人に質のよさをわかりやすく伝えたいからなのだろうけれど、実際にはGOE加点の要件は一見「客観的に」定められている。1) 予想外の / 独創的な / 難しい入り2) 明確ではっきりとしたステップ/フリー・スケーティング動作から直ちにジャンプに入る3) 空中での姿勢変形 / ディレイド回転のジャンプ4) 高さおよび距離が十分5) (四肢を)十分に伸ばした着氷姿勢 / 独創的な出方6) 入りから出までの流れが十分(ジャンプ・コンビネーション/シークェンスを含む)7) 開始から終了まで無駄な力が全く無い8) 音楽構造に要素が合っている+1は、上の要件のうち 2 項目 に当てはまればよく、+2は 4 項目、 +3は6 項目またはそれ以上。だが、よく読むとわかるように、「音楽との調和」など、かなりどうにでも判断できる要件も盛り込まれている。何にせよ、加点要件に当てはまるかどうかの判断は、結局は主観で決まるのだ。キム選手のジャンプに「2」がついたのは、要は上の項目の4項目に当てはまると演技審判(おそらく全員)が判断した、というだけのことだ。ジャッジ団の総意があれば、こういう点が出てくる。「キム選手のジャンプは飛距離があって流れがあるから加点が出るって聞きました。じゃ、真央ちゃんももっと遠くに跳んで着氷後に流れるようなジャンプをするようにすればいいのに!」などという短絡的な意見には、口がアングリとなってしまう。浅田選手のジャンプはああいう跳び方なのだ。高くあがり、細い軸で、クルクルッと速く回る。コーエン選手もこのタイプだった。抜群の高さと飛距離で滞空時間を稼いでトリプルアクセルを回っていた伊藤みどりと違い、浅田選手はコマのような速い回転力で回る選手。ああいったジャンプを跳ぶ選手は、リピンスキー選手もそうだったが、ローティーンのころはジャンプが得意でも、成長するにしたがって跳べなくなることが多い。浅田選手は19歳の今も、トリプルアクセルを跳んでいる。あの驚異的にすらりとした体形を保っているからこそだと思う。それだけで奇跡なのだ。「加点要件」に当てはまるか当てはまらないかは、結局はジャッジの主観の問題。浅田選手だって、加点がつくように入り方を工夫するなど、対策を立てている。加点条件1つか2つに当てはめるためにジャンプそのものを作りかえるなど本末転倒な話だし、そもそも不可能だ(こんなアホな説明に、行を割きたくないわ、まったく)。だが、直せる部分もあると思う。実際に、セカンドにつけるループは、ここにきてだいぶよくなってきた(本番では、心配したとおりの悪い結果になってしまったが。まあ、そういうこともあらぁな)。ルッツはやはり、矯正してほしいと思う。たとえワンシーズンを棒に振っても。トリプルアクセルを跳ばない世界女王・五輪女王は別に不思議ではないが、ルッツを跳ばない女王というのは、(突然のルール改正という汚いやり方はあったにせよ、それを割り引いても)やはり個人的には好ましくないと思っている。ルッツを跳んでこそトリプルアクセルが、トリプルアクセルを跳んでこそ4回転が、「水戸黄門の印籠」になる。高橋選手のトリプルアクセルに、たとえば1.8点という加点がついたとしたら、それは上の要件の2から3項目にあてはまるから「1」、4から5項目に当てはまるから「2」とつけたジャッジがバラついて(もちろん、「0」にしたジャッジもいるかもしれないが)、計算上1.8点になった、ということ。だから、「2」という加点が「妥当か・妥当でないか」などという議論も、まったく不毛なのだ。ただ、男子にすらつかない加点を、いきなり(たぶん全員の)ジャッジがこれだけたくさんのジャンプにつけてきたというのは、普通ではないことだと思う。加点というのは、だいたい格式の高い試合になればなるほど、抑制される傾向があったからだ。加点要件が増えたとはいえ、男子のジャンプへの加点は昨シーズンと比べても、さほどついていない。むしろ、1点以下におさまるようにシーズン中の試合以上に抑制されているように見える。だから、キム選手への加点には、そこになんらかの意識合わせがあったとは思うが、だからと言ってそれが不正とは言えない。シーズン中からキム選手のジャンプに対する加点は、昨シーズン以上に高くなっていたと思うし、今回のキム選手のジャンプは平均して、「2」を取るに値する高い質のものだったからこそ、そういう加点が出た、とも言える。それが納得できるかどうかは、またまた主観の問題になってしまう。だが、「男子並みの流れがあるから、加点2がつく」「高さと距離が素晴らしいから、加点2がつく」という説明は、おかしいと思う。前者が要件の(6)番、後者が(4)番に当てはまることは事実だが、どんなに流れのスムースネスが際立っていても、また距離や高さが凄くても、そのこと自体では当てはまる要件の数は増えないからだ。個人的には、ジャンプの質を判断するGOEは、基礎点をないがしろにするものであってはならないと思っている。だから、もう少しダブルアクセル以上のジャンプの加点・減点の反映割合を少なくするべきだ。そうすれば、ジャッジのさじ加減、もとい主観による判断で大きく点差が開くことはなくなる。もちろん逆の考えもある。質のいいジャンプこそ、回転数が上のジャンプ以上の価値をもつというもの。キム選手に気前よく与えられる加点は、どちらかといえば、こちらの考えに沿ったものだと解釈もできる。もちろん、それもアリだと思う。だが、個人的には、2回転と3回転は、その考えで行ってもいいが、世界でも跳ぶ人の限られるトリプルアクセルと4回転に関しては、もっとそのジャンプの価値が評価されるべきだと思っている。現行のルールではむしろ逆で、2回転はどんなに質がよくても3回転以下の価値しかもたず、逆にトリプルアクセルや4回転はリスクが高すぎるものになってしまって、ちょっとでもミスるとやらなかったほうがマシというような点になる。「質」重視で行くにしても、現状のこの点はスポーツの精神に反していると思う。ロスの世界選手権のあともそうだったが、キム選手の演技構成点が「発狂」したあと、辻褄を合わせるように、男子のほうでも、理解不能の花火が上がりだした。今、「男子につかないような加点がキム選手のGOEについた」ことが異常に見えても、男子のほうにも「2」がついてくれば、「異常が常態化し、異常ではなくなる」のだ。加点に話を戻すと、高橋選手の単独トリプルアクセルや単独トリプルルッツ(特にショートの)などは、「2」がついてもおかしくない質のものだと思う(2、3、4、6に当てはまっていると思う。7を入れてもいいかもしれない。もちろん失敗しなければだが)。彼の欠点は連続ジャンプにしたときのセカンドのジャンプ。飛距離が出ず、小さくなりがちだ。高橋選手の場合は、やはりジャンプミスをしないようにして技術点での減点をなくせば、世界トップに仕分けされた「表現力」と単独ジャンプやステップへの加点で、もっと点が出ると思う。五輪をみても、技術点で足を引っ張っているのは、明らかに4回転。皆は、「高橋選手が4回転を決めれば、堂々とプルシェンコを破れる」と思っていると思う。それはそうだが、現状ではそれはかなり難しい。というか、今シーズン4回転に固執することで、高橋選手は点を失い続けているというのが本当のところだ。シーズン中よりはよかったが、五輪でも後半体力がもたなかった(あれで笑顔で滑っていられるのが凄い・・・)。スケーティングで気になったのは、後半の3+3のジャンプに入る前の滑り。あそこで曲のテンポが速くなる。そこで得意のスムーズな加速で盛り上げて・・・と思ったところが、アリッ?いつものような気持ちのいいスケーティングの伸びがなく、音楽に遅れていた。スピードにのれなかったことが、連続ジャンプのミスを招いたと思う。高橋選手のジャンプミスは、今季常に4回転を入れることによる体力消耗とリンクしている。キム選手への点数の与え方から見ても、「スケーティング技術」「ジャンプ」「表現力」に偏りや欠点の少ない高橋選手が非常に有利で、キム選手への加点を正当化しようとしてジャッジが男子にも「2」をつけるなら、その対象にまっさきになりそうなのは、やはり高橋選手の単独ジャンプではないかと思う。<続く>しかし・・・こんな個人ブログに1日12万件(1万2000ではなく、12万件・・・)のアクセスとは。みなさん、一体どこからいらっしゃるので?
2010.03.01
<続き>この明らかに「メダリスト候補とそれ以外」に仕分けされた露骨な採点を見ても、公平なジャッジングの結果そうなったと信じ込める人の頭の中は、Mizumizuには理解できない。「こんなに点差があるのは、なぜですか?」「急にどうしてこんなに点がハネ上がるのですか?」と聞かれても、「ジャッジがそうつけたから」としか答えようがない。そんな競技が、スポーツの試合といえるだろうか?ここ2回の五輪王者の点を見ると男子 258.47(プルシェンコ)→257.67点(ライザチェック)とむしろ、下がっているのに対し、女子 191.34(荒川)→228.56(キム)とはちゃめちゃに上がっている。技術的にはセカンドに3回転が3つ入るキム選手の基礎点のほうが高いが、この女子だけに起こったトンデモなインフレは、ジャンプの技術の向上だけでは説明がつかない。浅田選手のプログラムをもっと「明るく」「軽やかなもの」にすればキム選手に勝てたかも、などという意見がまったくアテにならないのは、ウィアー選手のプログラムが評価されないのを見ればわかることだと思う。ショートもフリーもウィアー選手の個性には合っていた。だが、点は出ない。浅田選手が「明るく」「軽やかな」プログラムを作ったら、「キム・ヨナ選手は大人っぽい。浅田選手はまだ子供」などと言われるだけだ。今回のフリーの演技構成点は、キム選手71.76、浅田選手67.04で、差が4.75。この差が「明るいプログラム」効果でたとえ2点ぐらいに縮まっても、エレメンツの加点の差でキム選手には勝てない。何を作っても、恐らく今の状態では、「表現力はキム選手のが上」評判で固定されているので、キム選手の上には来ない。つまり、プログラムをどうしようと、「下」に仕分けされた現状は変わらず、あとはせいぜい2点かそこら差が縮まるだけのこと。日本のメディアが日本選手のライバル選手の宣伝にやすやすと手を貸し、「キム選手のプログラムは名作」「チャン選手はスケート技術がナンバーワン」などとさかんに言い立てるのが信じられない。浅田選手の表現力を褒め、チャン選手と同年代のライバルである小塚選手のスケート技術の素晴らしさをもっと強調すべきではないのか? 評判は宣伝で作られるのだ。浅田選手とキム選手に関しては、ルールと採点で先回りして浅田選手に勝たせないようにしているだけ。ジャッジへの研修や試合を担当するジャッジ団の意識合わせのときに、キム選手のエレメンツにめいっぱい加点がつくよう誘導すればいい。シーズン初めにそれが「固定」されれば、あとはだいたい踏襲されていく。浅田選手が難度の高いジャンプを入れれば入れるほど、キム選手の加点と演技構成点はインフレする。これまた異常現象としか言いようがない。その結果、わけのわからないフランケンシュタイン世界最高点が生まれる。点なら、もっと伸ばせる。演技構成点の各コンポーネンツを9点台の前半から半ば、そして後半へとあげていけばいいだけだ。ペアではすでにそうなっているし、シングルの世界トップ選手が10点近い演技構成点を取ったところで、おかしくはない。浅田選手が難度の高いジャンプを導入して、ジャンプの基礎点をあげていくなら、その分演技構成点をインフレさせて点差を広げていけばいい。ストイコも、「ジャンプ1つ分演技構成点で差をつければいいだけ」とアッサリ言っている。そして、「表現力の差」で勝ったことにすればいいだけだ。加点と演技構成点のつけ方に疑問を呈すべき日本人自らが、「GOEの加点で差がついた。浅田選手はもっとGOEがもらえるようにしないと」などと言う。キム選手は点が出すぎているとまっとうなことを言うタラソワの味方はせず、逆に日本人が、「点が出ないのはタラソワのせい」と内ゲバ状態になる。なんて愚かなのか? 次のオリンピックは、「プーチンの帝国 ロシア」だ。プルシェンコのルールと採点への怒りは、そのままロシア国民の怒りでもある。だったら、タラソワを通じて浅田選手とロシアの間にあいた窓を絶対に閉じてはダメだ。点が出ないのは、タラソワのせいではない。ルールと採点のせい。日本は一貫してその立場を取り、ロシア側に立たなくては、どっちつかずでフラフラしていたら、次のオリンピックでまた選手ばかりが、対応不可能なルールに対応しなければいけなくなる。キム選手のジャンプに過剰なまでの加点がつくのが、「男子並み」のスピードと高さ・飛距離をもっているからだとしたら、男子選手のジャンプにキム選手並みの加点がつかないのはなぜなのか? 加点条件は男子も女子も同じ。採点はあくまで絶対評価なのだ(もう形骸化してしまっているが)。男子並みのジャンプを跳ぶ女子が、男子以上の加点をもらう根拠にはならないはずだ。浅田選手のジャンプに加点がつきにくい理由は、加点条件の変更で説明がつく。去年は「高さもしくは飛距離が素晴らしい」のが加点の条件だった。それが今年は、「高さと飛距離がよい」に変わった。浅田選手のジャンプは、どちらかというと垂直跳びに近い。「高さは素晴らしいが飛距離はない」と見なされれば加点対象にならない。「高さが素晴らしく、飛距離もだいたいよい」ぐらいに見なされれば加点対象にしてもいいだろう。一方でキム選手のジャンプは高さも飛距離もあり、大きな素晴らしいジャンプだ。だから、彼女のジャンプはこの加点条件には間違いなくあてはまる。これも過去に指摘したが、この異常現象が始まるきっかけとなったのは、昨シーズンの4大陸のフリーだ。あのころまでは、演技構成点で点差をつけていなかった。演技構成点自体は、キム選手より「下」に「仕分け」されていたが、わずかな点差に留めていた。4大陸では浅田選手は絶不調。難度の高いジャンプを跳べなかった。だからダウングレード攻撃はできない。一方のキム選手は絶好調。苦手の3ループも入れると宣言していた。ところが、キム選手は3ループは失敗。続くルッツからの連続ジャンプがダウングレードされたら、不調で難度の高いジャンプを跳べない(だからダウングレードできない)浅田選手のほうがフリーでは点を出してしまった。これが浅田真央の凄さだ。そうしたら、次のロス選手権で、いきなりキム選手の演技構成点が「発狂」する。同じことをやっているのに、なぜこうも急に花火みたいに点があがるのか。明らかにおかしい。コストナー選手が、無気力試合で「抗議」するのも当然ではないか? こんな採点をされたら、誰だってヤル気をなくすのが当然だ。だから、ロスでおかしいものはおかしいと指摘して、説明を求めるべきだったのだ。一度ああした、「高下駄履き」を許せば、いつでもどこでも、同じことをやっていいことになってしまう。だが、日本のスケ連の強化部長は、完敗を認めただけだ。それに対して浅田選手はトリプルアクセル3回という、超高難度プログラムで真っ向勝負に出た。国別ではある程度の結果が出て、念願の200点越え。キム選手に迫った。すると、またまたキム選手の点は上がってくる。それがフランス大会だ。下駄スケートというのが昔あったことは聞いたが、キム選手の場合は、高下駄スケート。連続ジャンプの組み合わせを替えただけで、ジャンプの難度そのものを上げているわけでもないのに、どんどんエレメンツの「完成度」が高まって、加点がインフレする。浅田選手にとっては、馬の鼻先ににんじんを吊るされているようなものだ。今回の五輪で、キム・ヨナ選手は、またまた「スケートの技術」も急に向上し、「表現力」も急に高まったらしく、演技構成点がついに71点以上という、想像を超えた点が出た。五輪で自己ベストを更新する選手は増えていたが、要はキム・ヨナ選手に対する「再びの発狂花火」の前哨戦だったというわけだ。上に書いたように、演技構成点は、まだまだ上げることができる。今出ている9点台前半を9点台後半にしていけばいいだけだ。世界最高レベルの選手になら、別に9点台の後半を出したっておかしくない・・・ その一方で、落としたい選手はできるかぎり差をつけて(異常採点にならない程度に)低い点をつける。5つのコンポーネンツの点を足す演技構成点の総得点で、ジャンプ1つ分の差がでても選手にとっては大きな痛手だ。このまま放置したら、どんなフランケンシュタイン世界最高得点が出てくることやら・・・ こうやって、これまで慣習的にあった「ガラスの天井」を引き上げることで、唯一客観的な基準であった「基礎点」をないがしろにして、主観による順位操作がより容易にできることになった。これもロスの世界選手権で予想したとおりだ。主観で順位をつけることに反対はしない。旧採点はそうだった。しょせんフィギュアのジャッジができるのは、選手のもっている技術力や表現力を勘案して、優劣をつけることなのだ。今は客観的な基準であるはずの基礎点での勝負をないがしろにするために、加点や演技構成点で極端に点差をつけてくる。主観点の「重さ」をここまでにするなら、ジャッジ団の意識合わせで操作可能な今の方式より、誰がどういう点をつけたか明確だった旧採点方式のほうがよい。今回の女子、総合得点を見ると、メダリストに仕分けされた3人は200点越え。その下は10点も差があって、それから下は団子状態。1位 228.562位 205.53位 202.644位 190.155位 188.866位 187.977位 182.49これを見ると、金メダルはキム選手に仕分けされ、銀と銅に仕分けされていたのが浅田選手とロシェット選手。その下は僅差。男子は金メダル候補に仕分けされた選手がもう少しいるように見える。その中に入っているのが日本の高橋選手だ。フリーの高橋選手の順位は5位と悪かったが、足を引っ張っている技術点だけ見ると、もっとずっと下で、なんとなんと8位ぐらいまで下がってくる。それでも世界トップに仕分けされた演技構成点でメダルまで来た。高橋選手は、今の主観点で点差をつける採点傾向に、日本人で唯一助けられている選手なのだ。むしろ高く与えられる演技構成点が、技術点が出ていないという高橋選手の欠点を覆い隠してしまっているのが問題だと思う。4Tはともかく、セカンドにもってきた3回転がダウングレードで2回転扱いなのだから、高橋選手のジャンプ構成には3回転+3回転がないということなのだ。普通、そんな男子選手が五輪でメダルを獲ることはない。もっている表現力を惜しみなく評価されたからこそ、メダルまで来た。それなのに、日本のメディアは、4回転に挑戦して点を失っている高橋選手を結果だけ見て褒め、4回転を入れずに高橋選手以上の技術点を取った織田選手を「弱気」などと叩いているのだ。高橋選手の表現力を高く評価するMizumizuにとって、演技構成点世界トップの評価はおかしくは見えない。だが、ウィアー選手のファンで、高橋選手が嫌いなファンにとっては? 「日本がカネ出してジャッジを買収し、高橋選手にメダルを獲らせた」と見えるかもしれないではないか? アメリカからこういう話が出にくいのは、ライザチェック選手に高橋選手と同様の演技構成点が与えられているせいかもしれない。たとえば、ランビエール選手のような貴族的な雰囲気を嫌う人はあまりいないが、高橋選手の魅力はもう少しダークでバロックだ。こうした個性は、あまり好まない人も出てくる。ウィアー選手はもっと違った意味で、好き嫌いが別れやすい。<続く>
2010.02.28
<きのうから続く> ただ、それはそれで個性的な新しい境地を開拓したプログラムだとも言えると思う。あとは、好き嫌い。一方で、高橋選手は、スケーターとしての魅力を全方位で備えている。ストロークの伸びもあり、エッジも深く、細かで動的なステップも得意で、上半身を含めた身体の動きもピシッと決まり、しかも速い。リズムやメロディーといった音楽そのものを表現することもできるし、感情表現も得意だ。表現力でも全方位で欠点のないアスリートなのだ。だから高橋選手が高い演技構成点をもらうのは、Mizumizuには当然に見える。だが、その同じジャッジが、高橋選手と比べても遜色のない小塚選手の「スケートの技術」に、異様に低い点をつけているのをみると、「ジャッジは目が高いから高橋選手を正当に評価している」とは到底思えないのだ。さて、ウィアー選手と高橋選手のフリーのプロトコルを比べてみると、ウィアー選手 技術点79.67点+演技構成点77.1=156.77点高橋選手 技術点73.48点+演技構成点84.5(転倒によるマイナス1)=156.98点技術点でウィアー選手のほうがはるかに勝っているにもかかわらず、演技構成点で7点もの差がついている。7点といったら、後半にもってくるルッツ1つ分より大きい点差なのだ。しかも、ウィアー選手は自分の表現できる世界を、めいっぱい表現していたと思う。ケチをつければ、「動いてないプログラム」「ときどき妖艶なポーズを決め、浅いエッジでくるくるしたり、手をひらひらさせたりしてるだけ」(と、Mizumizuには見える)。高橋選手のほうがナチュラルな感情表現が巧みだったと言えるかもしれない。だが、ウィアー選手が表現しようとしたのは「堕天使」だ。人間ではない。そして、そうした浮世離れしたキャラクターを表現するのに、ウィアー選手ほどふさわしい人はいないのではないか? 睫毛カールまでバッチリのお見事な美貌(あの睫毛カールに彼は、どのくらい時間をかけてるのでせふか??)は、動く少女漫画というか、三次元BLと言うか・・・ジャンプをノーミスで滑り、表現にも気を配り、他の誰もできない世界を構築したのに、高橋選手と演技構成点で7点もの点差をつけられたら、ウィアー選手は、自分が100%の力を出すのが前提で、しかも高橋選手がもう1回ぐらいコケてくれなければ、勝てないことになる。主観でしかない演技構成点で差をつけてはいけない。それでは競技会でなくなる。Mizumizuが何度も言っているのは、こういうことが起こるからだ。この7点という点差が妥当か不当か、不毛な議論でしかないと思う。Mizumizuは高橋選手を評価し、ウィアー選手は評価していない。ストイコも、「自分はウィアー選手のファンではないが」と言っている。それはそうだろう、男性的な力強さこそ男子フィギュアだと考えているストイコが、ウィアーのようなアンドロギュノス的世界のファンになるわけがない。だが、ウィアー選手のファンだっているはずだ。特にアジアの女性には多い。ウィアー選手の熱烈なファンで、高橋選手の素晴らしさが理解できない人は、この点差を見て、どう思うか?「不当すぎる採点だ」いったい点のでない理由は何?・ コーチがロシア人で、隣りにカート・ブラウニングが獲れなかった五輪金メダルを獲ったロシアのペトレンコが座っているから?・ 毛皮を着てチャラチャラしたのが、動物愛護団体に嫌われたから?・ アイドル気取りでプロモーションビデオを作ったから?・ 三次元BLの世界はジャッジの感性に合わないから?・ 日本の小塚選手同様、強豪国の「3番手」に仕分けされているから?邪推はできるが、理解はできない。これが、女子のフリーでキム選手と浅田選手の演技構成点の間に起こったことなのだ。キム選手の演技構成点は、また突然大幅にインフレした。浅田選手の演技構成点も高く出た。だが、その「点差」は、昨シーズンの世界選手権のときと同程度に「固定」されている。すでにそういうふうに「仕分けされている」ということ。そして、今季の採点の最大の問題点。「加点のマジック」。これが駆使されるようになったのは、加点をつける条件が増え、加点しやすくなったためだ。表向きは、「質の高いエレメンツを積極的に評価するため」だ。だが、これが点数操作に使われていることは、今回の男子でプルシェンコが勝てなかったことを見ても、キム選手のフリーの点が、またもや発狂したことを見ても、チャン選手が超常現象上げで入賞したことも、ロシェット選手が、同様のジャンプ構成で来るその他の選手と一線を画してメダリストに「仕分け」されたことを見ても明らかだと思う。キム選手のセカンドが不足気味の3ルッツ+3トゥループには、「2」などという加点がつくのに、織田選手の素晴らしい着氷の3ルッツ+3トゥループには、加点は0.6点しかついていない。こうやって加点も操作できる。素晴らしくても1に留める。素晴らしければ2にする、というように。どうも織田選手の加点はシーズン初めは普通につけて、それで「思ったより」点が高く出過ぎるものだから、シーズン後半に抑制して、調整している気がする。昨シーズンもそうだったが、織田選手の点数は、年が明けると下がってくる。あ、もちろん、試合によって出来栄えが違い、判断するジャッジも違うせいですね、はいはい。エレメンツの完成度を高めれば公平に加点がもらえるなどというのは、お題目にすぎない。加点マジックで上げてもらえるのは、特定の選手だけ。「この加点はなぜついたんですか?」などと解説者に説明を求めてるメディア関係者には笑ってしまう。仕方なく、解説者は、「スピードがある」「高さと幅がある」などと具体的かつ簡潔な説明をしているが、実際には、加点には条件があり、それをいくつ満たしたか(いくつ満たしたとジャッジが判断したか)によって操作できるのだ。たとえば、チャン選手はステップでグラついたのに、GOEで減点されていない。これも、「満たした加点要件」と「当てはまる減点要件」を勘案して、プラスマイナスゼロだと判断すれば減点しなくていいからで、別にそれ自体は規定違反でもなんでもない。演技構成点を上げるのは難しいが、努力してプログラムの完成度を高めれば、少しずつ評価してもらえる、というまっとうな話も今は昔。シーズン中、鈴木選手は常にいい演技をしたが、演技構成点はさっぱり上がってこなかった。五輪では上がったが、他の選手に比べて上がったというほどでもない。演技構成点は、急に上がったり、下がったりする。まったく意味不明だ。理解できない点数は、誰も説明できない。それだけのことをなぜか日本では誰も言おうとせず、意味不明の高得点を「完成度が高いから」で辻褄合わせをしようとするから、ファンの不信を招く。「完成」の見本がないのに、どうやって完成度を数字化し、それが正しいと証明できるのか。結局のところ主観に頼らざるを得ないものは、バイアスをかけることはいくらでも可能だ。日本女子がこれだけコケにされてるのに、当の日本人が矛盾に目をつぶって辻褄合わせに協力している姿は滑稽ですらある。韓国の態度は逆だ。キム選手がダウングレードされるのはジャッジの判定がおかしいせい。キム選手の点が思ったほど高くでないのも、ジャッジがおかしいせいだと新聞ですぐに叩く。見た目に完成度が高くて点が出る選手もいるかもしれない。だが、それを言ったら、ウィアー選手のようにめいっぱい完成度を高めても、やっぱり出してもらえない選手だっているのだ。別にファンを非難する気持ちは毛頭ないのだが、Mizumizuが多少不快に感じるのは、日本のファンのほとんどが、常に、「真央ちゃんとキム・ヨナ」だけを比べて、この点差が妥当か・不当かと、まるで二者択一マークシートの答案の正解を求めるようなメールを送りつけてくることだ。この2人にはそれぞれの強さと弱さがある。今のルールがキム選手を過剰に評価し、浅田選手の欠点を徹底的にマイナスにしてくるだけだ。ルール策定でそうなっているのだから、ジャッジはそのとおりに採点する。それにジャッジ団は事前に意識合わせをして採点するから、そこで何かしらの調整が行われる。それだけの話だ。キム選手へのインフレ点は常に異常だとMizumizuは個人的には思っている。ロスの世界選手権のときにそう言ったはずだ。だが、それに対して関係者が声をあげなければ、異常な点を認めたことになってしまう。ロスのあと、日本のスケート連盟の関係者の誰かが声をあげただろうか? ただ浅田選手に、「持っているものはキム・ヨナと変わらない。200点を出せ」と言っただけだ。そしたらどうでもいい国別対抗戦で200点が出た。今回のオリンピックでも200点を越えた。ならば目的を達成したのではないか? 「今回のオリンピックで複数のメダルが欲しい」と強化部長は言っていた。ちゃんと男子1つ、女子1つ分配されたではないか? 日本の要求は通っているのだ。今は点差が極端に出てくる。全米でアボット選手が出した点は、ライザチェック選手を25点も上回っていた。この点差が「妥当か・不当か」なんてことが言えるだろうか? ただ言えるのは、アボット選手は全米王者、ライザチェック選手はオリンピック王者になったということ。そして、私見で言えば、男子のオリンピック王者はやはりプルシェンコ以外にはなかったこと。もし、オリンピックのプルシェンコ選手を凌駕する演技をした選手がいたとすれば、それは4回転を決め、すべてのジャンプをクリーンに決め、表現力でも卓越したものを見せた全米のアボット選手の演技以外にないことだ。オリンピックで4+3を2度も完璧に降りたプルシェンコがライザチェックに負けたとき、採点についてのヒステリックなメールなど、Mizumizuのところには1通も来なかったのだ。日本選手に関しては、まだ優遇されているほうだと思う。カナダとつながりのあるキム・ヨナ選手、カナダの星ロシェット選手&チャン選手ほどではないが、もっと冷遇されている国の選手はいくらでもいるのに、彼らに対する「不当と思われる採点」に関してだって、日本のファンから1通のメールも来たことはない。女子シングルの最終順位に関しては、1位、2位には問題はない。だが、3位は別の選手だと思う。ロシェットは確かにいい演技をしたが、その下の選手たちに比べて突出していたということはない。だが、加点と演技構成点のマジックでここまでできる。彼女に失敗がなければ。プルシェンコは、試合前から「ジャッジは点をアレンジしている」と非難した。そのとおりだと思う。ところが日本では、異常なアレンジ点を見ても、あとから理屈をつけて辻褄を合わせている。変な国だ。おかしいものはおかしいとなぜ言わないのか? ロスの世界選手権で、オリンピックで起こることがMizumizuにはハッキリ見えた。案の定チャン選手も「超常現象上げ」で入賞。ジャンプの失敗がなければ、メダルまで行ったかもしれない。ロシェットも突出した部分がないにもかかわらず、3位で銅メダル。上位の2人にもっとミスがあれば、金まで行っていただろう。実際に浅田選手とロシェット選手の差はわずかだった。キム・ヨナ選手は演技構成点、それに今季つけやすくなった加点で浅田選手を圧倒する。加点の条件が増えたといっても、浅田選手に対する加点は別に上がっていない。いくらでも点は出てくる。ジャッジの総意があれば。「ISUは、勝者と敗者をコントロールしたがっているように見える」と、これまた本当のことを言ったのは、ストイコだ。プルシェンコも同様のことを言っている。 <続く>
2010.02.27
浅田選手がバンクーバーオリンピックで銀メダル。「祝」の文字が少ないのは、本人にとっても、浅田選手に金を期待していたファンにとっても、不本意なものだっただろうからだ。だが、よく考えてみて欲しい。浅田選手は作シーズンの世界選手権4位、今シーズンはトリプルアクセルで自爆を繰り返して、ファイナルにも行けなかった。それを考えるとここまで仕上げてきたのは、りっぱの一言だと思う。後半のミスは、Mizumizuの指摘していた「大技を入れるとはまる失敗のパターン」そのものだった。まず、これまで不毛なまでにダウングレードされていた後半の3連続。「むしろフリップ単独にしたほうがいい」と書いてきた部分だ。ここは大きな得点源なのだが、ほとんど常に問題があった。4大陸では解決したのだが、本番五輪でまた出てしまった。最初のフリップジャンプが回転が足りずに、すぐに連続にもっていけなかった。さらに、「いつもなら難なく跳べる3トゥループ」のところで、ブレードが氷に引っかかるという信じられないミス。これは、東京のファイナルでの高橋選手のフリーで、ルッツに入っていくときにブレードのかかとを引っ掛けてしまったのと同じ現象だ。体力を消耗していると起こりやすい。だが、これはあくまで結果論であって、後半のジャンプを単独フリップとダブルアクセルのシーケンスにしていたら、「構成を替えたときに起こるミス」が出たかもしれない。ジャンプのミスはあったが、全体としてはよい演技だったと思う。トリプルアクセル2度認定は快挙。ただし、連続にしたときのトリプルアクセルはスローで見たら降りてからブレードが回っているように見えた。全日本のような厳しい基準だったらダウングレードを取られたかも知れない。同様にキム・ヨナ選手の2A+3Tのセカンドの3Tは、トレース痕が渦巻きに近く、あれは回転が不足気味のときに起こる現象だ。もちろん、こちらも取られていない。キム・ヨナ選手は、プログラムをスカスカにしてジャンプを全部決める作戦が功を奏した。体力不足で後半見劣りがするという、これまでの傾向を克服し、すべてのジャンプをきれいに着氷させた。キム選手のスケーティングの最大の長所である、ストロークの伸びが光った、素晴らしい演技だった。キム選手のジャンプの強さは、セカンドに3回転をもってこれること。そして、成功率が驚異的なこと。もちろんこの背後には、浅田選手(および安藤選手)のセカンドの3ループが厳しいダウングレード判定によって「奪われ」、しかもキム選手はダウングレード攻撃に、「なぜか」遭わなかったことがあるかもしれない。だがそれを割り引いても、ジュニア時代からジャンプが難しくなる19歳まで、セカンドに3回転の入る連続ジャンプがこれほど決まる選手はめったにいない。このプログラムにこれほどの演技構成点が出るのに、ウィアー選手のフリーに点が出ないのは、本当に不思議だ。つまり、ウィアー選手のプログラムには、キム選手のプログラムと同様の長所と短所があるからだ。要所要所での、ポーズ中心の「ちょっとした踊り(といえるかどうかはともかく)」と感情表現。ジャンプを決めるための運動量の少ない省エネ型の構成。選手自身の個性に合った味つけ。キム選手のほうが、肩でリズムを捉えることができる分、多少表現に幅があるかもしれないが。あ、ジャッジが違うせいですね、はいはい。今回のオリンピックは、とにかく点の出方が異常だった。いや、異常というには「正常」の基準がなくてはならない。昨シーズンのロスの選手権で、Mizumizuは、「『パンドラの箱』が開いてしまった以上、異常が常態化し、異常ではなくなる」と書いたが、その通りになった。というより、むしろ予想をはるかに上回る露骨な恣意的採点がなされるようになった。それ以前に慣習的にあった「正常」の基準がなくなった今シーズン、あちこちで出てくる「わけわからない」高得点は、まさにパンドラの箱があいたあとのカオスの世界。あちこちで上がる「発狂花火」。加点と演技構成点のマジックでどんどん点は上積みできる。こうした現象を見たときに、ファンの心に沸き起こる感情というのは、だいたい共通している。つまり、「贔屓選手の高得点なら納得できるが、贔屓でない選手の高得点は納得できない」。言い換えると、「好きな選手の高得点なら妥当に見えるが、嫌いな選手の高得点は不当に見える」。今回の五輪、女子のフリーの演技が進行している間に、解説の八木沼さんが、「いったいどこまで点が出るのか・・・」と驚いていた。これまでの「だいたいの目安」が何の役にも立たない。どうやって出てくる点を説明していいのか、もはや処置なし。だが、この異変の「前触れ」は、男子のショート、高橋選手の演技で起こったと思う。最初に滑ったのは、4回転+3回転をもってくるプルシェンコ。ノーミスで滑って出てきた点数が90.85点。金メダルを目指す高橋選手にとっては、ショートでなんとかプルシェンコ選手に「離されない」ことが、目標だったハズだ。高橋選手のジャンプは3回転+3回転。これまでの感覚で言えば、「プルシェンコと5点差以内ぐらいなら・・・」という希望が「なんとなく」あったと思う。ダウングレードがいかに厳しく、それが選手にとっていかに致命的か知っているファンは、最初の高橋選手の連続ジャンプで、解説の本田コーチが、「今、一瞬詰まりましたね・・・回転不足、取られないといいのですが(←完全にビビり声)」と言ったとき、本田コーチの心配がよくわかったハズだ。ダウングレードに敏感でないファンは、「は? 普通に回って降りてるでしょ? 何を過剰に心配してるの?」と、理解できなかったと思う。本田武史は、日本が生んだ最高のジャンパーだ。少し回転が足りないときに、着氷がどうなるか体で知っている。高橋選手の連続ジャンプがきれいに流れず、一瞬流れが止まったのを、肉眼で見分けているのはさすがとしか言いようがない。ショートを終えた高橋選手はガッツポーズ。自分のジャンプが「もしかしてダウングレードかも」とは、まったく気づいていないようだった。(おそらく、フリーでも、ダウングレードを取られたジャンプは、自分では「ちょっと詰まったがちゃんと回った」つもりだったと思う。実際には、あのダウングレードで実質5点近く失い、4回転が決まっていない高橋選手には非常に痛かったのだが。点が意外に低かったことに高橋選手自身が驚いていたのは、ダウングレードされたかもという意識がなかったせいではないか)。だが、本田コーチとダウングレードについて知識のある担当のアナウンサー、それにルールに詳しいファンは、ショートの得点が出る間、ドキドキだったと思う。スローで高橋選手の連続ジャンプが大写しになったとき、Mizumizuは頭を抱えてしまった。確かに、ダウングレードを取られるかもしれない降り方だったからだ。「ブレードのつま先がついたときに少し回っただけなのか、ブレードが降りてから回ったのか?」。前者だと判断されればたぶんセーフ。後者だと見なされればアウト。いや、本当は「4分の1以上の不足」ならダウングレードという規定があるのだが、実際には、たとえばカナダ在住の日本人スペシャリスト天野氏のように、「ダウングレード取りまくり」のジャッジもいるし、そもそも「4分の1」たって、定規を当てて図るわけにもいかないから、所詮は曖昧なのだ。東京のファイナルまでは、ダウングレード判定は確かに、「やりすぎでは?」というくらい厳しかった。キム選手のショートのセカンドの3回転が「ついに」ダウングレードになったのがいい例だろう。本当のところ、最初のフランス大会のキム選手の3ルッツ+3トゥループの3トゥループのほうが、ずっと不足ジャンプに見えたのだが、あちらはダウングレードされるどころか、GOEでめいっぱい加点がついた。高橋選手がショートの連続ジャンプでダウングレードを取られるということは、3回転+3回転が3回転+2回転になってしまうということだ。4回転+3回転をもってくる選手もいるなか、3+3で来る高橋選手が3+2ということになれば、その時点で金メダル・・・いや、メダルが消える。ところが出てきた点は、「驚くぐらい高かった」。プルシェンコ選手とあまりの僅差。佐野稔さんが、「思ったより点が伸びましたね」と言っていたが、本当にそれしかいいようがない。もちろん、日本中大喜び。プロトコルを見れば、別に変ではない。ちゃんと筋は通っている。だが、この点が「変」なのは、選手にはよくわかっていたと思う。男子のトップジャンパーが、ショートにリスクのある4+3をもってくるのはなぜか? ショートで3+3しかない選手にできるだけ差をつけるためだ。ジュベール選手はその典型で、ショートの4+3でできるだけ差をつけ、フリーで逃げ切るというパターンで勝ってきた。ところがショートでは、ジャンプ鉄壁・最強のプルシェンコに高橋大輔が迫っている。理解できないこの点の出方が、4回転ジャンパーの動揺を誘って、そのあとの連鎖的な自爆を誘った可能性もあると思う。高橋選手と対照的に、「ノーミスに見えてるのに、えらく点が出ないトップ選手」がいた。それがウィアー選手だったと思う。2人のプロトコルを見れば、エレメンツのちょっとした差がトータルの8.15点差になったことがわかる。レベル認定と加点。ウィアー選手はフリップでエッジ違反を取られるので、そこで減点。あとはスピンとステップのレベル認定と加点の差。だが、ウィアー選手と高橋選手に8点も差が開いたことに、Mizumizuは本当に驚いたのだ。さらに驚いたのはフリーの点が出たときだった。ウィアー選手の滑走順は、高橋選手の直後。高橋選手の大きなミスは、1)4Tの転倒。2)後半の3+3のジャンプがクリーンに流れなかったこと。3)スピンでグラッとしたこと。逆に目立ったのは、後半のトリプルアクセルの見事さ。アナウンサーもここが大事なジャンプと知っていて、「決めてくれ!」と思わず力が入っていた。高橋選手を常に救っているのは、このトリプルアクセルの強さだ。実際、見事な放物線を描くジャンプで、完璧に降りてきた。続くウィアー選手の大きなミスは1)スピンでカタチが崩れたことこれだけだ。ジャンプは全部クリーンに決めた。ミスの出やすいトリプルアクセルは前半に固め、そのかわり後半にルッツ+2トゥループの連続ジャンプを2つ入れた。ウィアー選手は連続ジャンプが3つ入らないこともある。連続ジャンプを入れてちょっとでもミスると、むしろ単独のほうが点が出るという、今の変な採点を警戒してのものだと思う。徹底的にミスなしでまとめるウィアー選手だが、シーズン中も思ったほど点が伸びなかった。もし、ジャンプミスのないクリーンな演技を高く評価するのが、今の採点傾向であるというなら、このウィアー選手の低い得点は説明がつかない。今回は連続ジャンプを3つにして、彼は彼なりにリスクを取ったのだ。今だから言ってしまうが、ウィアー選手がクリーンに滑り終わったとき、Mizumizuは、「あ~、高橋選手は負けた。またメダルまでもう一歩の4位か」と内心思ったのだ。ところが、出てきた点は印象とは違ってえらく低い。なんとトリプルアクセルでコケてるチャンより下? 信じられない。ウィアー選手を例に挙げるのは、彼がMizumizuの贔屓の選手ではないからだ。ウィアー選手のもっとも目立つ欠点は、運動量の少なさ。とにかく、省エネでプログラム全体をまとめようとする。エッジも深くなく、スケートも技術もさほど見るべき点がない。棒立ちのままポーズを決めて、「華麗」に手を動かすのだが、以前のようなフリーレッグを高く持ち上げて長くキープするといった、体力を使うがエレガントな雰囲気を出す振付が消えて、キム選手のようなお色気路線になってしまった。<明日に続く>
2010.02.26
テレビのニュース映像で少し見たのだが、浅田選手には良いジャンプコーチがついたのだろうか?どうも、そうとしか思えない「変化」がある。今回の五輪のショート、浅田選手のトリプルアクセル+ダブルトゥループは、これまで見た中で最高の出来だった。浅田真央が単独のトリプルアクセルなら降りられることはハッキリしていた。だが、問題は連続にしたとき。普通に考えればダブルトゥループをつけるのは、さほど高いハードルではないはずなのに、連続にすると、なぜか「ほとんど常に」最初のトリプルアクセルがほんの少し足りないまま降りてきてしまう。あるいは、最初のジャンプを降りても、セカンドのダブルトゥループのほうが回転があやしくなる。今季、浅田選手のトリプルアクセルは、ずっとそんな調子だった。降りてはいるが、少しだけ足りない。ところが五輪に来たら、練習風景を見ても、相当に調子がいい。もちろん練習で決まっても、本番でうまく行くとは限らないし、大技2つがリスキーであることも間違いない。だが、以前は、「練習ではできている」と言いながら、その練習の映像を見ると、かなり足りなく見えるジャンプが多かった。トリプルアクセルもそうだが、連続ジャンプにしたときのダブルループが問題だった。ぴょんぴょんと軽やかに跳んでいるが、どうも回転があやしい。どこかで力をセーブしながら跳んでいるように見える。浅田選手について、Mizumizuがブログにあまり書きたくない理由もそれだったのだ。厳しくダウングレードを取る傾向(五輪ではいきなり傾向が変わったが)のなかで、あのジャンプでは・・・恐らくそう思った人は多いのではないか。むしろ、周囲がなぜあの不完全なジャンプを公開するのか不思議だったのだ。案の定、トリプルフリップにつけるダブルループが「お約束」のようにダウングレードされ、それがなかなか克服できないでいた。いつまでたっても同じダウングレードを不毛に取られるので、ついに、「あの跳び方ではダメ」と書いたのだが、いかにメインコーチが不在とはいえ、そんなことは普通は周囲の人間は、とっくに気づいていたと思う。4大陸では、離氷前に一瞬、しっかり腰を入れて跳ぶ意識をもったのか、かなりよくなったが、今朝テレビで見ると、セカンドにつけるダブルループはさらによくなっている。ぴょんと跳ぶのではなく、ぽーんと遠くに跳んでいる。飛距離の出ている質のいいセカンドジャンプで、安藤選手のダブルループに近い。安藤選手も見事に遠くに跳んで、きれいに降りてくる。あの意識、というか、スタイルが浅田選手にはずっとなかったのだ。浅田真央に何が起こったのか?高橋選手には本田ジャンプコーチがいるが、浅田選手に特定のジャンプコーチがいるという話はなぜかあまり伝わってこない。練習風景でもそうしたコーチがいるところは見たことがない。全日本前までのあの状態を見たら、周囲はコーチをつけようと考えるのが普通で、それでも不在だったということは、浅田選手が信頼できると思えるジャンプコーチがいなかったのかもしれない。ところが、4大陸からここまでで、急にジャンプが良くなった。それがトップ選手のピーキングだといえばそうなのかもしれないが、どうも適切な指導ができるコーチがついた気がするのだが。もちろん本番の後半で、ちゃんと練習どおりに跳べるかどうかは、体力の問題もあってなんとも言えないが、セカンドのダブルループジャンプが、目覚しくよい方向に変わったことは間違いない。リンクサイドにそうしたコーチの姿はないようだが(見逃しているだけ?)、これについては、五輪後でも世界選手権後でも、是非秘密を明かして欲しいなあ。・・・ってか、なんではよーに、修正せなんだ? こんな短期間にできるのに???天才の思考はわからへん(←なぜか突然関西人)。追記:↑と書いたとたんに、もう読者様から情報が! 中日新聞によると、小塚選手のお父様が最近見ていたとのことだそうです。長久保コーチもアドバイスをされたとか。直接Mizumizuは当該中日新聞読んでおりませんが・・・もう謎がとけちゃた(←別に謎じゃなかった?)。コーチがいいのか、選手がいいのか・・・まあ両方でしょうけれど。まきさん、貴重な情報をありがとうございました。
2010.02.25
女子ショート終了。浅田選手はとにかく、超絶だった。あのトリプルアクセルの高さ。「100年に1度のジャンプの天才」伊藤みどりでさえ、五輪ではショートに入れることのできなかったトリプルアクセルを、この土壇場の大舞台で入れて、文句なく決めた。完璧に回りきって降りてきた。言葉も出ない。本当に素晴らしい。昨シーズンまでレベル3だったレイバックスピンも、今年ついにレベル4を取りに来て、そしてちゃんと取った。今シーズン、レベル3に留まっていた、あのちょ~美しいスパイラルでも、レベルを4にした。そして、全身から漂うエレガントな躍動感。文句なし。フリーでも迷うことなく、強い気持ちで演技に臨んで欲しい。鈴木選手は、最初の連続ジャンプの失敗を、次のループジャンプで取り返したところが、光った。もちろんノーミスが前提だが、ミスが出てしまったときにどうするか、どうできるかでその選手のジャンプの地力がわかる。今のルールでショートの連続ジャンプを失敗し、それをリカバリーしようとすると、リカバリーした連続ジャンプでミスが出て、もっと悪いことになってしまうのが普通だ。典型は、男子のジュベール選手。まず勝負の4回転で失敗した。予定していたセカンドのジャンプをつけられない。すると頭をよぎるのは? 「あ、これでもう金メダルはない」「でも、切り替えなくちゃ」。そして、単独予定の3回転に3回転をつけてリカバリーしようとする。普通の状態なら、できなことではない。連続ジャンプにするためには、最初のジャンプを跳んでいるうちに、次のジャンプを「準備」しなければいけない。単独ジャンプを跳ぶときより、力をセーブする。すると試合の緊張で思ったより体力が奪われていて、普段の連続ジャンプのタイミングで跳ぶことができない。結果、最初のジャンプが回転不足のまま失敗する。これが最悪のパターンで、ジュベール選手はそうなってしまった。また、チャン選手のショートでのトリプルアクセルの失敗も、シーズン中の失敗が関連していると思う。チャン選手は、ご存知のとおり、4回転を入れなくてもフリーでマトモにトリプルアクセル2度を入れられないという、ジャンプではワールド銀メダリストにまったく値しない選手だ。昨シーズンそうだった彼を、ルールでムリクリ銀メダリストに仕立てあげた。今シーズンの五輪では、4回転は入らないことははっきりしたので、「トリプルアクセルだけ決めればメダルに」という入念なお膳立てがなされてきた。ところが、グランプリシリーズのカナダ大会のショートで、連続ジャンプのファーストでwrong edge判定、しかも減点必須のEマーク(←昨シーズンは取られたことのない)を取られてしまった。そこで次の国内大会では、絶対にこの違反を取られないことがチャン選手の課題になった。ところが、エッジを気にしたら、エッジ違反は取られなかったものの、連続ジャンプのセカンドがまともに入らなかった。これもよく起こる現象だが、それでも、もちろん「あっと驚く」高得点。国内大会では、お手盛りになることはあるが、あまりの「超常現象上げ」に、かねてから、この採点方法では、男子シングルがダメになると危機感をもっていたカナダの元世界王者ストイコが、疑問を呈した。ちなみに、ストイコは、今回の五輪男子フリー後、カナダ人であるにもかかわらず、「金はプルシェンコ、チャンは、実際にはもっと下」だと、まあ、ごくごく常識的な意見を述べて、真っ向からルールと採点を批判した。ちなみに、ライザチェックの同国人であるサーシャ・コーエンも、「金メダルはプルシェンコ」と言っている。いかに今の採点が、「無理が通れば、道理が引っ込む」ものであるか・・・・・・フィギュア史上に名を残す、超一流のトップスケーターになればなるほど、看過できないレベルにまで来ているということだ。チャン選手に話を戻すと、国内大会のショートで3+3の連続ジャンプがまともに決まらなかったことで、五輪に向けて、エッジを気にしつつ3+3を決めるという課題を抱えてしまった。五輪では、その問題をクリアした。ところが、もともと少し弱かったトリプルアクセルで失敗が出てしまったのだ。ジャンプミスというのは、このようにシステマティックに起こる場合が多い。鈴木選手の場合の連続ジャンプの最初の失敗も、「ループが心配」という不安と意識下で連動していると思う。だから、そのループでリカバリーをしたら、ジュベール選手と同様になる可能性は高かった。というのは、鈴木選手は4大陸でループジャンプへの入り方を変更し、ショートで失敗。フリーでも失敗が出ていたからだ。五輪直前にジャンプをいじると、こういうことになる。それがほんのちょっとのことでも。ショートにループを入れたシーズン途中、鈴木選手の最優先課題は、「ループを回転不足なく確実に降りること」だった。それがクリアできたので、「構え」が長いという欠点を五輪に向けて克服しようとしたためにやったことだ。別に戦略が悪いわけではない。あとはそれが吉と出るか凶と出るかだけ。五輪に向けて失敗の出たループジャンプのプレパレーションをどうするのか。迷う時間が出来た分、不安が生じたと思う。ところが、不安の出たループではなく、連続ジャンプのファーストで失敗が出た。次をどうするのか? リカバリーは考えず安全策でループを単独で跳ぶという選択もあった。だが、鈴木選手は迷うことなく、3ループ+2ループを跳び、降りてきた。いやはや、素晴らしい根性だ。もともと5種類のジャンプを跳ぶことができ、ループに強いという鈴木選手の長所が生きた。得意とはいってもループは、かなり危険なジャンプだ。オリンピックでは、(普段は問題なく跳べていても)ループがきちんと降りられない選手が多い。鈴木選手のショートは、曲の編集が光っている。リバーダンスの「アンダルシア」と「ファイアーダンス」から、「弦」の旋律と「打」のリズムが官能的に絡み合う部分を効果的につなげている。・・・のだが・・・スイマセン。最初のジャンプの失敗を見て、Mizumizuのほうが頭が真っ白になって、演技がどうだったか覚えてません(苦笑)。曲もほとんど耳に入らず。安藤選手は、トリプルルッツ+トリプルループのループがダウングレード。今回の五輪、回転不足に敏感なファンなら気づいていると思うが、ダウングレード判定が全体に甘い。解説者も、これまでの試合傾向とのあまりの違いに戸惑っている。言いにくそうに、「どうも判定が読めない・・・」と言っているのは、気持ちはよくわかる。ダウングレード判定が甘いと見て、挑戦してきたモロゾフと安藤選手の心意気は素晴らしいのだが、跳んだあとに詰まってしまった。回転はむしろ足りていたようにも見えたのだが、高橋選手のフリーでのダウングレードジャンプと同じような詰まり方だった。セカンドがああいう風に詰まって、流れないとダウングレードを取る、という方針では、今回の判定は一貫していると思う(思うが、じゃ、過去のバカみたいに厳しいダウングレード判定は何だったのか?)。安藤選手はフリップが危なかった(それよりひどいのが、フラット選手の単独ルッツだが。あれが認定とはほとんど暴挙)。過去の試合での厳しい判定に基づけば、ダウングレードされてしまったかもしれないが、今回は出来栄えの減点(GOE減点)だけに留まった。ダウングレードはこのくらいの基準が適当だと思う。思うが、それでは、過去の試合との整合性はどうなるのか。解説者がキム選手とフラット選手のセカンドの3回転を、「(降りたあと)だいぶ曲がってる」と言っていたが、降りてから急に極端に変な方向に曲がる。あれはMizumizuも以前書いたが、不足気味のジャンプで起こる現象だ。だが、なぜか、今回は、ああいったタイプのジャンプは全部認定されている。男子もそうだった。こうした「異変」は選手はコーチには、当然わかっている。だから、ファンも今騒ぎ立ててはいけない。3+2しかないロシェット選手がなぜあそこまで高得点なのか、理解できないファンは、Mizumizuブログのロスの世界選手権でのエントリーを読んで欲しい。今回の五輪で起こることを予想したが、だいたい当たった(別に当たったって嬉しくもなんともないが)。選手は点を見て、ここで弱気になってジャンプ構成を替えはいけない。難度を下げなくても、日本選手にはあの点。下げたらどうなるか? 完全に相手のミス待ちになってしまう。難度を落としてミスなくこなして勝てるのか? ジャッジが勝たせたい選手は勝てる。勝たせるつもりのない選手は、何をやっても点が出ない。今だから言ってしまうが、男子のショートで4+3をもっている選手が次々自爆したのは、プルシェンコ選手と高橋選手のショートの点差が、思ったほどつかなかったということもあると思う(これについては、試合が終わってから詳しく)。何が起こっても動揺してはダメなのだ。たとえどんなに理解できないことでも。点が出る出ないは、ルールに対応した完成度の問題? では、完成度が高く、演技にも独自の世界をもっていたジョニー・ウィアー選手に与えられた得点は? ジャッジの感性に合わないから点が出ない? 実績で演技構成点はある程度決まっている? そんな理由で点が出ないとしたら、それはスポーツ競技会ではない。Mizumizuは個人的にはウィアー選手のショートプログラムは好きではない。だが、今回完成度は素晴らしかった。おまけに、ウィアー選手のショートは、日本では盛んにもてはやされているキム選手のショートとテイストが同じだ(だから、Mizumizuはキム選手のショートも好きではない。1度見せていただければ十分だ)。振付師は、同じようなテイストで2つのショートを作った。恐らく傾向として、キム選手の「007」が好きなファンは、ウィアー選手の「I love you, I hate you」も好きだと思う。だが、ジャッジの判断は?ウィアー選手の順位については、ストイコ、コーエン両者とも、「あまりに下。チャンより下ということはありえない」と、まあこれもごくごく常識的なことを言っている。ところが今は、常識ではなく、出てきた「誰にも理解できない」点を見て、あとからその理由の辻褄合わせをしなければいけないのだ。プロトコルは一応筋が通っているから、あとは「それに合わせた」理屈をつけるだけ。もうすべて明らかになったと思う。ここまで来たら、自分にできる最高の演技をするだけだ。挑戦すると決めたら、迷わずに行く。ファンは、結果を見て、ジャンプ構成を「安全策」と「果敢な挑戦」に2分してどちらを批判したり、あるいは点が出なかったのはプログラムが悪いせいだとか、結果論で責めてはいけない。批判は選手にとって、「まだ間に合う」段階ですべきだ。自分の力でどうにもならないことを、選手やコーチのせいにするのは間違っている。フランケンシュタイン度を増すルールとクレイジーな採点の中で、日本選手とコーチ陣は、できる限りのことをしてきている。ここでもう作戦の変更はできない。あとは、すべて自分との闘い。気持ちを強く持って、最高の演技を。では、みなさん、フリーも日本選手のよい演技に期待しましょう。追記:ストイコとコーエンの談話は、こちらの動画。プルシェンコが1位だと、両氏が述べている動画はこちら。
2010.02.24
<続く>フリーの日本人選手の点をもう少し詳しく見てみると、高橋 技術点73.48+演技構成点84.5=156.98織田 技術点79.69+77-(転倒と演技中断によるマイナス3)=153.68小塚 技術点78.4+74.2-(転倒によるマイナス1)=151.6ということになる。的外れなことばかり書いている日本の新聞だが、この記事はまた、群を抜いてトンチンカンだ。以下、一部を引用。(4回転に)調子の善しあしに関係なく挑戦してきた高橋、この日初めて成功した小塚とは対照的に映る。ひざの柔らかいジャンプを持ちながら、結果を最優先するモロゾフ・コーチの方針、自身の弱気が災いし大技の精度を磨ききれないようにみえる。(引用終わり)ハイリスクの4回転は何のために入れるのか? 当然技術点を積み上げるためだ。だが、オリンピックで織田選手の出したフリーの技術点は、フリップジャンプのところで紐が切れるというアクシデントで、次のループがちゃんと降りられなかったことを割り引かなくても、4回転を決めた小塚選手や、4回転に挑戦して転倒した高橋選手より高いのだ。4回転に挑戦して決めたら、勝てるルールならいい。今は逆なのだ。4回転で体力をつかって後半のジャンプが低くなるとダウングレードが待っている。一番技術点を出した織田選手を他の2選手と比較して「対照的」だとか、「弱気」だとか、何を言っているのか。こういうバカな論調が幅をきかせるから、日本人選手はムチャな挑戦を果敢な挑戦だと勘違いする。確率の悪い大技は入れないほうが点が取れるのだ。回避して技術点が低かったのならともかく、日本人選手で最高の技術点を取った選手を無知な視点で貶めるのはやめてほしい。4回転は成功させるのも至難の技だが、成功させたあとも体力を奪われて演技をまとめるのが難しくなる。小塚選手はMizumizuが何度も指摘している後半のトリプルアクセルでパターンどおり転倒。「あの失敗さえなければ」「もうちょっとだ」と本人も周囲も思うかもしれないが、それをなくすことが難しい。そのもうちょっとの壁がはかり知れなく高いのだ。たとえ後半の3Aを決めても、今度は後半のループでコケたりする。4T挿入にともなうジャンプミスをすべて克服するのは、非常に難しいのだ。高橋選手の後半の3+3のセカンドが回転しきれなかったのも、4Tによる体力消耗と連動している。ショートでも力でセカンドの3Tをもっていった。ショートでは体力があって回りきれたが、フリー後半では、回りきる力がなかったのだ。最後の最後のスピンでグラッとなったのも体力がもたなかった証拠だ。ルッツのエッジは微妙だが、高橋選手の後半のミスは、ほとんど体力不足から来ている。4Tというのは、それほど過酷な技なのだ。高橋選手については、正直、後半もっと乱れてしまうかも・・・とヒヤヒヤしながら見ていたのだが、かなりのレベルでまとめてきたのは、本当に凄い選手だと思う。高橋選手がたとえ4回転を回避して、単純な3Tにしていても、後半のミスがそのままなら160点ぐらいの点で、ライザチェックには追いつかなかった(セカンドの3Tは使えないので、今回ダウングレードされた基礎点と同じ)。もし、こういう点が出てきたら、高橋選手はどう思うか? 「あのとき4Tを跳んでいれば、もしかしたら金だったかも・・・」――そうした気持ちが残ってしまうのが選手にとっては一番いけないのだ。今回は試みて失敗した。しかもそれでメダルを逃すことなく、銅メダルを獲った。ベストではないが、好ましい結果になった。何より素晴らしかったのは、フリーでの演技構成点が全選手トップだったこと。旧採点時代の「アーティスティック・インプレッション」とは微妙に違うとはいえ、今の採点も演技構成点=芸術点(表現力)だとおおまかに解釈されている。表現力がここまで評価される日本人選手は本当に珍しい。しかもオリンピックの大舞台で。「eye」も「道」も実にエポックメイキングな振付で、Mizumizuは高橋選手の最高傑作だと思っている。モロゾフの「オペラ座の怪人」もよかったが、今年の2つのプログラムはそれ以上に魅力がある。高橋選手があのままモロゾフに師事していたら、こうした冒険的な作品にチャレンジすることはまずなかったと思う。その意味では、モロゾフから離れてよかったと思うし、「あのエージェントとくっついている限り高橋に明るい未来はない」と断言した元コーチに、結果をもって「それは違う」ということを証明してみせた高橋選手は偉大だ。そう、すべては結果。結果を出せば、世間の論調などコロッと変わる。結果が出なければ不当に叩かれる。特にトップレベルのフィギュアスケーターはスポンサーもつき、ショーにも出ている。つまり実質プロなのだ。プロだったらなおのこと、結果がすべてだ。今回の高橋選手と4位のランビエール選手の総合点の差はわずか0.51点。ショートで本田コーチが心配していたセカンドジャンプをダウングレードされていたら、逆転されていた。だが、0.01点差でも勝ちは勝ち。メダルを獲るのと獲らないのとでは雲泥の差だ。その後の人生だって違う。だいたい「あと一歩」の4位で甘んじることの多い日本人選手が、欧米人しかのぼったことのないオリンピックのフィギュアシングル男子の台に、初めてのぼった。今の意味不明の採点で、点差が実力差でないことも、日本のアホメディアはしらないが、ちょっと熱心なファンならわかっていると思う。全米ではライザチェックに圧倒的な点差をつけて優勝したアボットが振るわず、逆に言えば全米で2位だった選手がオリンピックチャンピオンになる。だからこそ、試合では集中して、自分のできることを最大限やらなければならない。一切の雑音を聞いてはダメ。どんなに恣意的に感じられる採点であっても、本番でジャッジへの不信感を、自分の心の中に持ち込んでしまったら、その時点で負ける。今回の高橋選手の「快挙」でもう1つ嬉しかったのは、ショートプログラムの高評価。日本人の曲、日本人の振付、日本人のパフォーマー。オールジャパン作品は、世界でもトップレベルだということを証明した。この意義は大きい。特に振付師の宮沢賢治・・・じゃなくて、宮本賢二氏は、この成功で世界の一流振付師に仲間入りする切符をつかんだ。これで彼の人生は変わるはずだ。振付といえばローリー・ニコルだデビット・ウィルソンだニコライ・モロゾフだと、カナダ人とロシア人ばかりに儲けさせる理由はないではないか?フィギュアスケートは、選手を続けるのにお金がかかるにもかかわらず、あまりに見返りが少ない世界だ。フィギュアの世界で食べていけるのは一握りの優れた人材だけ。プロとして稼げる選手はまたごく少数だし、それも一生やっていけるわけではない。有名コーチや有名振付師になれば、収入もそれなりだが、それ以外は軒並みビンボー。そういう厳しい世界だからこそ、宮本賢二氏にはぜひ振付師として成功して、経済的な成功もつかんでほしい。成功すれば格段に収入がハネあがる・・・そうした体験は悪くないものだし、サラリーマン人生を選んでしまうとできない。得がたい体験をするためのスタートラインに、オリンピックで高橋大輔という稀有なスケーターを得て、彼は立ったと思う。振付師としての名前が高まれば、才能のあるスケーターから仕事の依頼がくる。優れたパフォーマーと仕事をすれば優れた作品ができ、振付師の評価もさらに高まる。バレエの世界で名を成す振付師は、たいていこのパターンでのし上がっていく。フィギュアスケートの世界も同じだろうし、そもそも何の世界でも原則は同じだ。コラボレーション(共同作業)は相手を選ぶことが肝要で、選べる立場に自分を引き上げることが大切だ。1+1が3にも4にも10にもなる。逆に責任転嫁に時間を割いたり、文句を垂れるしか脳のない低級な人材と一緒に仕事をしたら、自分まで堕ちてしまう。雨ニモ負ケズ、風ニモ負ケズ・・・じゃなくて、宮本賢二という振付師は、特別に光る感性をもっていると思う。まず一番心を惹かれるのは、日本人男性としては珍しく、「官能美」に非常に敏感だということだ。しかも、下品にならない。セクシーでありながら、品が悪くならない――この感覚がまず凄い。高橋選手と鈴木明子選手のショート、中野選手のEX、すべて非常に官能的で、3人のもっている艶っぽい魅力を引き出しながら、決して品位を落とさない。音の表現で、他の振付師にない感性があると思うのは、「叩きつけるような音」の使い方の巧みさだ。メロディーやリズムを上手く表現した作品は多く見てきたが、「打」の音(打楽器とは限らない、スタッカートのようなリズムも含む)をブレードの一部や全体を使って、小気味よくステップで表現する振付にはいつも目を奪われる。こういうことのできる振付師は、なかなかいないのではないか。「叩く音」が際立って綺麗に見えるのは、「伸びる音」にも敏感でその表現に心を配っているせいもあるかもしれない。1つの音の響きの「短」と「長」をさりげなく対比させて、ステップやスケーティングに入れているのが実に独創的だと思う。メロディのない、「タッタッタッタッ」という単調なリズムの繰り返しを演技の盛り上げにうまく使っているのも高橋選手・鈴木選手の振付に共通している。大げさな音楽の切り替えで盛り上げようとしてる振付が鼻についているMizumizuとしては、こうした通な「音の官能性」に痺れさせていただいてる。レベル取りも、高橋選手のシーズン初めはヒヤヒヤしたが、肝心のオリンピックまでにはピシッと修正してきた。高橋選手・鈴木選手ともステップでレベル4を獲得したのが素晴らしい。これは選手と振付師との共同作業で、カナダの振付師だとレベル4が出るが、他国の振付師だと出にくい(ロシア人振付師だとちょ~出にくいのは・・・あ、ルールにのっとっての「公平な」判定ですね。はいはい)。あとは、彼の「世界観」だとか「人生観」だとか「思想」だとかを振付に織り込んでいけるかが、宮沢賢治・・・じゃなくて、宮本賢二氏の名を世界にとどろかせることができるかどうかのカギになるだろう。選手の魅力をよく見極めて引き出す能力や、音の表現は文句のつけようがないが、あまりに選手に合わせた現実的な振付だと、(ショーナンバーとしてはいいが)作品に深みがなくなり、欧米人の好きな思想性に欠けると思われてしまうかもしれない。今はショートが中心で、スケーターの魅力を最大限見せてあげようという振付をしているように思うが、宮本賢二氏自身が訴えたい何かを、スケーターを通して一緒に作り上げ、表現していってくれれば最高だと思う。カメレンゴ振付の「道」には、そうした思想性が確かにある。ポニーキャニオン 高橋大輔/高橋大輔~バンクーバーへの道~
2010.02.20
高橋大輔選手が、日本男子初の五輪銅メダルを獲った。素晴らしい快挙だと思う。今でこそ世界トップレベルの選手が複数いる日本男子だが、それはつい最近になってようやく起きた、ある意味信じられない現象なのだ。世界選手権でのメダリストが佐野稔、(25年のブランクを経て)本田武史、高橋大輔。毎年行われる世界選手権と違ってオリンピックは4年に一度。選手生命の短いフィギュアスケーターにとっては、ことにタイミングが難しい。高橋選手が金メダルでなくてガッカリしているファンもいるかもしれないが、勝負は時の運。運を逃さずに4年に一度のビックイベントでメダルを獲得するのがいかに大変なことか、それを考えれば、もう何も言うことはない。演技も非常によかった。ここまで完成度を高めてくるとは正直、予想を超えていた。シーズン初め、スピンはレベルを取れず、ステップでもときどきレベルを落とし、変なところで躓いたり、後半になるとバテバテになってジャンプが醜くなったり。それが本番のオリンピックでは、ほとんどエレメンツの取りこぼしがなく、ステップは2つレベル4を取った。これまで極めて出にくかったステップのレベル4がシーズン後半になって出始めたのは、どうもプルシェンコ包囲網のニオイがしないでもないのだが、レベル4を取ったのは、ライザチェック、高橋、チャン、と極めて限られている(だから、なおさらニオイを感じるのだが)わけで、取ったこと自体は賞賛に値すると思う。高橋選手がメダルを獲得できたわけ。細かく見ればいろいろあるが、もっとも意味があった理由を順位立てて書くと・・・1 ショートが鉄壁だったこと。ショートでミスするのがいかに一発勝負で致命的か。みんなわかっていてもなかなか3箇所のジャンプをクリーンに決めることができない。そして、ショートで4回転を入れるのがいかに危険か(逆に言えば、世界中のトップ男子が束になって、長い時間をかけて準備してもできない4+3をいとも簡単に決めてみせるプルシェンコがいかに図抜けた天才か)。2 フリーの演技構成点が全選手トップと極めて高かったこと。スケートの技術、マイムを入れた独創的な振り、巧みな喜怒哀楽の感情表現。フリーの楽しげなサーキュラーステップ、最後の情感にあふれたストレートラインステップで表現に明確な差をつけられるところは、本当に唸る。3 フリーで2つのトリプルアクセルが成功したこと。トリプルアクセルを2つともクリーンに成功させられた選手は少数派なのだ。4回転を(ついに!)降りても、やはり後半のトリプルアクセルで転倒した小塚選手、珍しくオーバーターンが入ってしまった織田選手。4回転を入れてないのに、後半のトリプルアクセルで転倒したチャン選手(←この人は、さっぱりジャンプが進歩しない・呆)。高橋選手がメダル、ランビエール選手がメダルなしに終わったのは、2人のトリプルアクセルの地力の違いだ。ランビエール選手は、今シーズンどうしても3Aが成功しない。オリンピックでは、ついに3Aを捨てた。そのかわりより基礎点の高い4回転に頼った。ショートで1度、フリーでは2度。ショートでは3Aを2Aにして負担を減らし、「必ず4回転を決める」作戦できたのに、着氷がうまくいかなかった。再三指摘してきたが、こうやって順番を逆にすると、まずうまく行かないのだ。トリプルアクセル2つを決める力があってこそ、4回転が最大の効果を発揮する。3Aをはぶいて4Tに頼るとうまく行かない――この原則は、やはりランビエールをもってしても覆すことができなかった。プルシェンコ選手が強いのは4回転の確率が驚異的なのもあるが(まったく、あの回転の速さは何なんでしょう・・・人間を超えている。多分、体にモーターしこんでるな・笑)、同様にトリプルアクセルでも失敗しないからだ。フリーでも、あれだけ軸が傾いても降りてしまう。普通の人間なら転倒してます、ハイ。銅メダルは大変にめでたい話だが、フリーにはまだまだ課題がある。高橋選手自身が、「フリーの順位が思ったより下だった」と言っていたように、演技構成点で最高点をもらったにもかかわらず、フリーだけの順位は6位。4回転を入れずに3Aで転倒してるチャン選手にさえ負けている。思惑があるのはもちろんだ。だが、現行のルールでは、減点されない選手が強いのだ。以前、今のルールは「優等生が天才に勝てるルール」と書いたが、今回そのとおりになった。ライザチェック選手は、突出したスケート技術があるわけでも、表現力が抜群な選手でもない。それどころか、昨シーズンの初めは、「ダウングレードの山」でどんどん減点され、グランプリファイナルにも行けなかった。ライザチェックは4回転なしの「安全策」で来て勝ち、高橋選手は果敢に4回転に挑戦して負けた、と考えるのは間違っている。高橋選手とライザチェック選手の技術点の差は、4回転ジャンプの基礎点以上の差があるからだ。高橋選手のフリーの技術点は、73.48。ライザチェック 84.57プルシェンコ 82.71にはブッチ切りで負けているし、織田選手 79.69小塚選手 78.40と後輩2人に比べても、完全に負けている。演技構成点で差をつけるという今季の「ジャッジの勝手でしょ」採点に、はからずも救われたカタチになったが、以前のような「技術点重視主義」の採点だったら、まずメダルはなかった。その意味では、採点の傾向に、振付のトレンドも含めて助けられた日本では珍しい選手だ。北米からのさまざまな攻撃や包囲網に対し、プルシェンコのコーチは、「今のジャッジは地の底に悪魔とともにいる」という意味の神秘的な譬え話をベールにしたジャッジ批判(こちらの記事の最後を参照)でプレッシャーをかけたが(しかも、優勝したライザチェックの衣装に、悪魔の使いであるヘビがあしらわれていた・・・という出来すぎのオチがついた)、今回は、ある意味、高橋選手はその悪魔をも篭絡したと言える。もちろん、高橋選手の卓越したスケート技術と表現力があってこその幸運だが、主観点で点差をつけるのは、何度も言っているように賛成できない。Mizumizuの主観でいえば、高橋選手の演技構成点はもっと他の選手と差があってもいいと思う。だが、好みで、どんどん差をつけては、競技会の公平性は保てなくなる。ファンに好みがあるように、ジャッジにも好みがある。その主観をできるだけ排そうというのが、そもそも新採点ルールの基幹だったはずだ。実際のところ今回の男子シングルだって、「なんでここまで演技構成点が伸びないの?」と、見ていて腹立たしく感じる選手がいくらでもいた。北米・欧州・日本の有力選手の演技構成点「には」差をつけずに高めに出すことで、ジャッジはうまく熱心なファンの批判をかわした感がある(そのくせ、強豪国の2番手以降の選手は1番手ほどの演技構成点は出さない)。さて、では高橋選手は、なぜこうも技術点が低いのか? もちろん、ジャンプで減点されたからなのだ。4回転は回転不足のまま転倒したので、3回転の転倒扱いになり点がない。これはともかく、3フリップ+3トゥループの3トゥループがダウングレード。つまり3+2扱いになってしまった。ほかの連続ジャンプは3+3ではないので、結局高橋選手のフリーからは、3回転+3回転がない、ということになってしまった。もう1つまずかったのが、ルッツのエッジで「!」マークを取られ、減点されてしまったこと。普通に考えれば、高橋選手はルッツを問題なく跳べる選手だと思う。だが、シーズン中にも一度、フリーでルッツに「!」と取られたことがあった。確かに、エッジが踏み切りのときに内側に入ってしまっていた。今回は後半に2つもってきた分、疲労もあり、ついつい跳びやすいインサイドエッジになってしまったのかもしれない。だが、wrong edgeは一度取られると「狙われる」のだ。そして、「高橋のルッツのエッジは中立(もしくはややインサイド)に入る」と決め付けられると、また取られてしまうかもしれない。昨シーズン、エッジ違反を取られなかった小塚選手に、フリップで「!」マークが付き始めたのがいい例だ。「!」マークは、wrong edgeが短くてもつくが、「中立に入った」と見なされてもつけることができる。Eマークほど減点は厳しくないが、加点・減点が勝敗を分ける現行のルールで、2つもジャンプに「!」を取られるのは、痛すぎる。しかも、基礎点が高いルッツで。もう1つ、高橋選手のセカンドにつける3回転は、垂直ジャンプに近い。飛距離が出ない分、回転不足気味のまま降りてきてしまいやすい(これは全日本のときからMizumizuには非常に気になっていた)。ショートでも解説の本田コーチが心配していたが、実際、ショートの点が出るまでかなり時間がかかったので、あのセカンドをダウングレードするかどうか、スペシャリストが検討していたのではないかと思う。ショートでは認定されたが、フリーでは降りたあとに、つまってしまったためか、今度はダウングレードを取られた。今のルールでは、ダウングレードを取られるのが一番痛いのだ。高橋選手はカナダ大会でも同じようなことがあった。だから・・・1 セカンドにつける3回転(2回転でも)でダウングレードされないこと。2 ルッツでエッジ違反を取られないこと。これが高橋選手の世界選手権に向けての「絶対解決しなければいけない優先課題」だ。他のエレメンツの取りこぼしを驚異的なスピードで修正してきた天才スケーターなので、難しくはないはずだ。だが、4回転にいつまでもこだわっていては、この課題は案外解決が難しくなるかもしれない。4回転は体力を奪いすぎる。優先順位をごちゃごちゃにして、全方位で解決させようとすると、まず今のルールでは結果が出ない。逆に「魔のループ」を前半にもってきて、確実に決めて加点を稼いだのはgood jobだったと思う。ループジャンプには、オリンピックの魔物がつきやすいのだ。過去、いくたの名スケーターがループで失敗してきている。織田選手も小塚選手もループで着氷が乱れた。ループを後にもってくるのは、実は非常に危険なのだ。銅メダルは快挙だし、素晴らしいことだが、フリーの技術点のあまりの低さ、これを高橋選手とコーチ陣は真剣に受け止めて欲しい。しかも、過去すでにジャッジから「警告」されていた減点ポイントだ。ライザチェック選手サイドは、理解できない演技構成点については(彼は昨シーズン、カナダに行くと露骨に下げられた)、ジャッジに質問を出すなどプレッシャーを与えつつ、執拗に取られるトリプルアクセルに対するダウングレードをついにほぼ解決した。フリップのエッジ矯正はまだ完璧ではないようだが、それでもお約束ではなくなってきている。こういう細かい減点ポイントを、まじめに努力して解決してきたこと、それが今回のライザチェック選手の優勝につながったと思う。ジャンプに関してはもともと、ライザチェック選手のような欠点のない(はずの)高橋選手がこれほどジャンプで減点されるのはいただけない。<続く>
2010.02.19
カナダフィギュアスケート史上最高のスケーター(←ご意見無用)、カート・ブラウニングの代表作と言えば、「カサブランカ」。You tubeでその映像を見ていたら、意外なことに気づいた。動画はこちら。演技は2:10ぐらいからスタートするのだが、途中で曲が変わっている部分、3:25あたりから・・・アレッ? この曲は・・・?なんとまあ、こんな偶然が・・・♪ブラウニングは翌年のリレハンメル・オリンピックでもこの曲で滑っているが、オリンピックではショートでの「信じられない失敗」を引きずってしまったのか、全体的に精彩を欠いている。前年のワールドでのこの動画の演技のほうが、完成度は高いと思う。超ダイナミックなトリプルアクセルは、今見ても圧倒される。この高さ、この飛距離。回転も速いが、強引に体を回している感じがしない。ジャンプだけでなく、歯切れのいいステップや、小気味のいいエッジの遣い分け、バランス感覚抜群の滑りなど、さまざまなスケート技術を高い次元で備えている選手だということがよくわかる。当時、男子フィギュアの芸術性といえば、ロシアに代表される本物のバレリーナの劣化バージョンのようなバレエ的な動き、見てるだけでウツ病になりそうな重厚で悲壮感漂う風格ある表現こそが最高峰とされていた。そこに風穴をあけて、映画的で洒脱な表現を氷上に持ち込み、トップ男性フィギュアスケーターは、「王子様」タイプだけではないことを体現してみせた選手だ。カナダのバンクーバーオリンピックが開幕し、今ではブラウニング風の演技的な表現が主流になって高く評価されている。その礎を作った選手だともいえる。動画の5:16あたりで、ポケットに手を突っ込んでの、ちょっとした「失意の紳士」風の演技が入る。当時は、「止まってるだけ」と酷評するジャッジもいた(←その筆頭は、もちろんロシア人)が、今ではああしたポーズを、多くの選手が演技に取り入れている。しかし、カートはもちろん素晴らしいのだが、(あくまで)スケート技術に関しては、高橋選手・小塚選手は彼にまさるとも劣らないものを持っていると、今回のオリンピックのショートを見て、あらためて確信した。彼は高橋選手のスケート技術(および整髪料・笑)をベタ褒めしているが、さもありなん。カートは欠点のないスケーターだと思うが、バッククロス(文字通りバックで足をクロスさせながら、ふつーに滑っているところ)時のエッジの深さやストロークの伸びや上半身のピシッとしたラインは、明らかに高橋選手のほうがいい。カートは少し「ヨチヨチ」した滑りになっている。高橋選手の滑りを、「氷上をスキーヤーのように滑走していく」と賞賛したのは、誰あろうモロゾフだったが、そのモロゾフが織田選手の滑りのテクニックについては、なかなか宣伝できないのもわかる気がする。もちろん、織田選手には織田選手の素晴らしさがある。ジャンプもそうだが、ステップやスピンのレベルをきちんと取ってくるところなど、スキのない仕上がりは見事だ。しかし、相変わらず応援が、高橋選手に比べると・・・振られていた国旗まで少なくなってしまったように見えたのは、気のせいでしょうか。自腹でチケット買って応援に駆けつけてくれた熱心な日本人ファンの多くが、高橋選手目当てだと言われれば、人気というのはそもそもそういうものだし、それはそれで仕方がないのだが・・・。できれば、ここはひとつ心を広くもって、フリーを見に行く方は、大ちゃんファンも是非、織田選手にも暖かい拍手と歓声をお願いします。なんといっても同じ日本代表ですからね。今回のショート、小塚選手の滑りの巧さにも、あらためて目を見張った。小塚選手の左右のバランス感覚や、エッジが氷に吸い付いたように、滑らかに加速していく自然で伸びやかな滑りなども、もうすでにカートと比べても、まったく見劣りしない。スピンの軸のよさ(本当にあれほど「微動だにしない軸」は、トッド・エルドリッチ選手の再来のよう)、回転の速さ、シットスピンのときの一直線に伸びた足の美しさ、文句のつけようがない。すべての動きが基本に忠実で素直なので、見ていて気持ちがいいのだ。ジャンプに関しては再三指摘したように、今シーズンは優先順位のつけ方に誤りがあったと思うが、フィギュアスケートの王道、正しき伝統を受け継いでいける世界でも稀有な選手だと思う。では、明日のフリー。みなさん、日本3選手のよい滑りに期待しましょう。ここまで来たら採点について神経質になっても、もはや一文の得にもならない。選手にできるのは自分の演技に集中して、迷いなく滑ることだけ。ショートで「課題」が見つかった選手は、フリーではそれを克服するように務めればいいだけのことだ。今回トリプルアクセルを捨ててダブルアクセルで無難に来たランビエール選手が、肝心の4回転からの連続ジャンプで失敗。かなり確率よく4回転+3回転を決めることのできるジュベール選手が、4回転で失敗したうえに、ルッツで回転不足のまま転倒。アボット選手の「入り方の難しい(そして降りたあとのトランジションも難しい)トリプルアクセル」が失敗で連鎖的にルッツも失敗。これがオリンピックの怖さだ。安全策で来ても、普通どおりに来ても、難しいものに挑戦しても、うまくいくか大失敗するかジャンプは常に紙一重なのだ。ファンも熱心なファンになればなるほど、贔屓の選手を心配しているとは思うが、いろいろな「政治的思惑」を想像してあれこれ騒ぎ立てるのは、今はよくない。思惑がないと言っているのではない。あるからこそ、それにとらわれてはいけないということだ。「不安感」「不信感」といったマイナスのエネルギーが何かのきっかけで選手に伝わったりしないよう、落ち着いて、覚悟を決めて本番を待ちましょう。特に女子はこれからです。演技直前にジャッジへの不信感をもつものがどれほど演技に悪い影響を及ぼすか、トリノのスルツカヤ選手を思い出してもらえればわかると思う。失敗したっていいじゃないですか。入れる技は選手がコーチと自分自身で決めたことなんだから。結局は、オリンピックはゲーム(遊び)なんだから。
2010.02.18
<続き>こうした佐藤有香のスケート技術に立脚した表現力を、アボット選手は今季うまく吸収してきているように思う。彼も動きに無駄がなく、かつ嫌味がない。昨シーズンに比べて、確実に表現がスムーズになり、「進歩している」という印象を強くもつことができた。そして、もう1つ。佐藤有香のもっている価値観。これが現行のルールで勝って行くのにピッタリなのだ。この動画の解説を聞くとよくわかる。http://www.youtube.com/watch?v=V5JNIvvVgMU&feature=relatedもう10年も前の演技だが、このとき解説の佐藤有香は、マリニナ選手のスケートの基礎力、それにジャンプを褒めている。ルッツに関しては、「エッジの正確さ」。ジャンプの質に関しては、いわゆるディレイド・ジャンプの概念からマリニナ選手のジャンプがお手本だと言っている。つまり、「きちんと上にあがって、それから回転を始め、回転を止めて降りてくる(回りきっての着氷)」ということだ。そして、「最近トリプルジャンプ、トリプルジャンプと必要にせまられて、スケートを滑るというところがいい加減になってきている傾向がある」「ルッツのエッジをきちんとバックアウトサイドで踏み切れる選手がいない」とも言っている。当時こうした視点で話をする解説者はいなかった。つまり佐藤有香は、このころからずっと、「4つのエッジ(アウト、イン、フォア、バック)の使い分けを含めた、基礎的なスケート技術の低下」が気になっていたのだろう。現行のルールは、運用にははなはだしく問題があるが、方向性としては一理ある。それを10年も前にズバリと言っているのだ。なぜ今佐藤有香なのか。彼女がスケートに対してもっている価値観に触れたこの大昔の解説を聞けば、その答えはおのずと出ると思う。彼女が現役選手にコーチとアドバイスをしている場面をテレビで見たが、さかんに、「自分自身で考えること」の重要性を説いている。これにも過去の「前例」があるのだ。佐藤選手は世界女王になる直前のリレハンメルオリンピックで、本番直前にジャンプの調子を著しく崩していた。解説の五十嵐さん曰く、「練習ではジャンプが全然跳べていなかった」「氷の上で考え込んでいた」。テクニカルプログラム(ショートプログラム)のジャンプの失敗で出遅れ、フリーでは最終グループに入れなかった佐藤選手。それでも、練習では跳べなかったジャンプをフリーでは、相当のレベルでまとめた。そして、演技終了後、「最終グループには入れていれば、もっと点が出たと思う」というコメントを残している。そのときの動画がこれ。http://www.youtube.com/watch?v=x2u2Qk4Fd9s&feature=related非常に緊張した面持ちで演技に入り、終わったときは、「やった!」という顔で一瞬泣きそうになっている。跳べるはずのジャンプが跳べなくなってしまうのには、理由がある。浅田選手も同様のことを言って、ビデオを見て軌道を修正したと語っている。佐藤選手はそれを恐らく、オリンピック本番直前の氷上で、頭の中でやっていたのだ。練習は必ず考えながらやること。「自分の頭で考える」ことに主眼をおく佐藤有香の価値観が、アボット選手のようなある程度完成された選手に対して、非常に短期間で功を奏したとしても不思議ではない。こちらはオリンピック後に日本で開かれた世界選手権のフリーの様子。このときは、演技に入る前にだいぶ精神的余裕があるようで、表情が柔らかだ。http://www.youtube.com/watch?v=p03ZQBf0TvA&feature=relatedアボット選手もこの演技に感銘を受けたと話していたが、Mizumizuもこのプログラムは、フィギュア史上に残る大傑作だと思っている。何度見ても飽きない。手足の長い白人の美少女がバレエ的に優雅に舞うだけがフィギュアの表現力ではない。伸びやかな滑りとキビキビとしたエッジ捌きが高い次元で両立し、かつエレガントが上半身の動きが見事に足の動きと連動している佐藤有香の表現は、まさにフィギュアスケート独自のもの。メリハリの効いたポーズも、流れるような動作も素晴らしい。いつまでも色褪せない価値をもったプログラムだ。一方で、ジャンプは非常に弱い。ジャンプはルッツとフリップがそれぞれ単独で1回だけ。3トゥループが2トゥループになっている。前半にかためてしまっているのでジャンプ構成のバランスも必ずしもよくない。それを補うステップワークをもっているからこそ、世界レベルでも通用したが、このジャンプ構成で世界女王はどうか、という意見も当然あるかもしれない。事実、採点結果は1位をつけたジャッジ5人、2位をつけたジャッジが4人という僅差だった。だが、肝心なことは、佐藤有香はこのとき、ジャンプの目立った失敗をしていないということだ。ルッツとフリップは着氷はよくないが、なんとか踏みとどまっているし、トゥループをダブルにしたのは、3回転ジャンプのミスではあるが、ジャンプそのものの失敗ではない。連続ジャンプは、3Lo+2Tに、2Aから3Sへのシーケンス。ルッツとフリップをなかなか連続にできない佐藤選手ならではの構成だ。この「シーケンス作戦」は、ダウングレード判定が厳しい今季、多くの女子選手が取り入れている。もし、このとき、ジャンプの得意なライバルのボナリー選手に対抗して、なにがなんでもルッツを連続にして2回入れようとでもしていたら、おそらくミスって自滅していた。このシーズン、佐藤選手はずっとジャンプがうまくいっていなかったのだ。全日本を2連覇したときのインタビューで、「これで優勝してしまうのか・・・」と敗者のような反省の弁を述べていた(と思う。記憶ベースなので、もしかしたら混乱しているかも)。それでもシーズン最後には、自分のジャンプの地力に合った構成をかためてミスを防ぎ、「ジャンプ以外の部分」で魅せたから世界女王になることができた。これは、現行のルール下での勝ち方と共通してはいないだろうか? 日本選手が負けるのはなぜか? 採点が変? それはわかっている。だが、なんといっても、「自滅してしまうから」だというのが大きな理由ではないか。ライバルに勝つために、客観的に見たら「バンザイ攻撃」でしかない高難度のジャンプ構成を組む。案の定難しいジャンプは跳べない。焦る。次に難しいジャンプでまた失敗する。後半になると体力がもたなくなって、またミスる。たいがいがこのパターンだ。そして、「次につながる」と同じ台詞を繰り返し、「次」になっても、やはりあちこちでミスをする。こういう思考回路に陥るのも、実際のところ無理はない部分もある。たとえば男子で4回転を捨てるとすると、トリプルアクセル2度を決めることが最重要課題になるが、それではパトリック・チャンと同じレベルにまでジャンプ構成を落とすことになる。ジャンプ構成が一列になってしまったら、勝負を決めるのは演技・構成点。そうなってくると、おそらく地元のチャン選手の演技・構成点が高く出るだろう。また、プルシェンコのように確実に4+3を決めてくる選手には自力で勝つチャンスがほぼなくなり、彼のミス待ちになる。ところがプルシェンコは(ほとんど)ミスをしてくれない。精密な機械のようにジャンプを降りてくる。だから、メダルを確実にするためには、どうしても4回転が必要なのだ。本田武史の、「横一線になったときに、4回転が切り札になる」というのは、そういう意味だ。理屈はそうだが、現実の自分の実力を素直に見極める勇気がなければ、大技は切り札どころか、ただの自爆装置になってしまう。「誰々が何々を決めたら、自分も何々を決めないと勝てない」というifの世界に入り込んで自爆するよりも、もっと大切なことがあるはずだ。それにプルシェンコのフリーの点を見ると、あれだけのジャンプを決めても、必ずしもブッチ切りの銀河点ではない(もちろん、お手盛りの国内大会は除く)。誰かに勝とうとするのではなく、自分のできる最大限のことをミスなくこなして、プログラムの完成度を高めること。それが、1994年に佐藤有香が、そしてトリノオリンピックで荒川静香がやったことなのだ。よく「誰々と誰々が完璧な演技をしたらどちらが勝つか」という不毛な問いかけに対して、元有名選手が困惑しながら意見を述べている姿を見るが(たいていは、「やってみないとわからない」という答えになってしまう)、現実には、ミスのない演技を大舞台でする選手はほとんどいない。だから、実際には「失敗しない選手」がここ一番で勝ち、「失敗した」選手が負ける。「完璧な演技をしたらどちらが勝つか」の闘いになったことはほとんどない。「どちらがミスをしないか」の闘いがほとんどだと言ってもいい。佐藤有香の1994世界選手権は、薄氷を踏む勝利だった。だが、1票差でも勝利は勝利。世界チャンピオンのタイトルを手にしたことで、佐藤有香の将来は大きくひらけたのだ。世界タイトルを獲った佐藤有香は、すぐにプロへの転向を発表した。彼女自身がこの1つのタイトルが自分にもたらす「効果」を冷静に認識していたのだ。もし、あのとき勝っていなかったら、有名なアイスショーに呼んでもらうこともできなかったろうし、そうなるとプロスケーターとしてキャリアを積むこともできなかったかもしれない。全米王者アボット選手の横に座っている佐藤有香をキス&クライで見ることもなかったかもしれないのだ。世界女王になった佐藤有香に対する当時の日本のメディアの扱いは実に冷淡なものだった。翌日のスポーツ新聞で紙面のトップを飾ったのは、高校野球(春のセンバツ)の完全試合。佐藤有香の記事など、探さないと見つからないぐらい小さいものだった。高校野球は人気があるかもしれないし、完全試合は快挙かもしれないが、それは単に国内レベルの、しかも高校生の話ではないか。世界相手に闘い、かつ勝った選手に対するこの軽い扱い、この態度は、まさに井の中の蛙。今になって「全米を魅了したプロスケーター、佐藤有香」「すべての選手のお手本」などと持ち上げている。実にアホらしい。実際に佐藤有香がプロフィギュア選手権などで優勝していたころは、見向きもしなかったくせに。優れた才能を自国では欠点をあげつらって貶め、海外から評価してもらってやっとその価値に気づく。日本人の態度はいつもこうだ。いかに結果を出すことが大事か。そのための条件は、「果敢な挑戦」をすることでは決してない。まず自分が自爆しないことなのだ。この原則は、ルールがどう変わろうと不変だと思う。よく「モロゾフは、選手が跳びたがってるジャンプを回避させる」などと非難するファンがいるが、たとえばモロゾフがプルシェンコのコーチだったら、4回転を回避させるだろうか? ジャンプというのは確率。練習で確率の悪いジャンプは、試合でだって決まらない。模試で解けない問題が、本番の入試で解けないのと同じことだ。「ジャンプを回避しても勝てる」と思って回避させているというより、「自爆して負けてしまう確率を極力減らしている」と言ったほうがいい。結果としてそれが勝つための必要条件だという考えは、極めて合理的だと思う。佐藤有香は、アボット選手とともに、今回全米で最高の結果を出した。ジュニアとシニアで世界女王のタイトルをもち、プロスケーターおよび解説者としても活躍し、かつコーチとしても成功したという人は、これまでほとんどいない。佐藤有香は世界初のフィギュア界の「オールラウンドプレイヤー」になるかもしれない。その素質は十分だし、実際にそこに向かう扉を自らの手で開けた。本当に素晴らしいことだと思う。それもこれも、彼女が基礎の基礎から一歩一歩積み重ねてきた結果なのだ。結果というのは一朝一夕には出ない。成功するためには運も必要だが、運がめぐってくることさえ偶然ではなく、長い間の積み重ねがもたらす必然なのだと思う。<終わり>
2010.01.24
<きのうから続く>イタリア人振付師で、世界的な名声を確立した人はあまり思い浮かばない。振付はロシアとカナダの2大潮流のようなものが、これまでのフィギュア界では支配的で、重厚で深みのあるロシア的世界が評価されるか、洒脱で繊細なカナダ的世界が評価されるかは、そのときどきのトレンドによっていた。カメレンゴの作る世界は、そのどちらとも違う。高橋選手の「道」にはユーモアとペーソスがあるが、ロシア的悲劇ほどは重くない。重くはないが、ヨーロッパ的な深さがある。北ヨーロッパにもない北米にもないその独特な味が、今シーズンは稀有なスケーターを得て、一挙に花開いた感がある。他の有名振付師ほど量産態勢に入っていないから、これだけ個性の違う振付を精密に創作できたのかもしれない。今季はいわゆる「世界的振付師」の作品が、「レベル取りのための振付」「短所を補い長所を目立たせる、やや表現に偏りのある振付」になってしまっているなか、カメレンゴの振付は、そうした作為的なものをほとんど感じさせない、選手にとっては新たな表現の境地を切り拓く挑戦型でありつつ、かつ滑り込むことでここまで芸術性の高いものに仕上がってくる奥の深いものだ。振付師とスケーター、この2つの才能がうまく合致しなければ、ここまでの完成度は望めない。高橋大輔の「道」は、かなり冒険だったはずだが、今季フタをあけてみたら、予想以上の演技・構成点での評価を得た。昨シーズン高橋選手は、「道」のほかに「Ocean Waves」というカメレンゴ振付の作品をもう1つ用意していたはずだが、「Ocean Waves」がもしかしたら、音楽そのものがうねっているようなアボット選手の「オルガン」と似たコンセプトの作品だったのかもしれない。いずれにせよ、ここにきてカメレンゴ作品は、ライザチェック選手やウィアー選手のローリー・ニコル、デヴィット・ウィルソン作品以上のものだという評価を得た。つまりカメレンゴは、与えられたチャンスを活かしたのだ。成功する人間のパターンにうまく入った。これで彼の仕事が増えることは、間違いない。仕事が増えれば生活が向上する。実に結構なこと。プロフェッショナルは、そうやって道を切り拓いていかなければならない。成功するかしないかは、巡ってきたチャンスを活かせるか否か、結果のちょっとした違いにかかっている。そして、もう1つ。忘れてはならないのは、コーチ佐藤有香の評価が高まったということだ。全米選手権の際も、アナウンスでさかんに、アボット選手のコーチ、ユカ・サトウの名前が連呼されていた。ワールドジュニアチャンピオンとワールドチャンピオンの称号を2つもち、プロスケーターとしても活躍しているユカ・サトウ。彼女もアボット選手を全米2連覇に導くことで、コーチとしての結果を出した。しかも、今季非常に強いライザチェック選手を大差で退けた。この結果のもつ意味もはかり知れない。大事なオリンピックシーズンにアボット選手が佐藤有香につき、上手く行くのか行かないのか。良いシナリオと悪いシナリオがあったと思う。まず悪いシナリオ。それは昨シーズンの最後に、アボット選手が調子を落としてしまったことだ。全米選手権までは勢いがあったが、その後の国際大会では結果が出ない。オリンピックシーズンにコーチを替えるのは、得策でない場合が多い。しかも、佐藤有香は実績と経験の豊富なコーチではない。昨シーズンの悪い調子から立て直せず、今季ズルズルっと後退してしまう可能性もあった。良いシナリオとしては、アボット選手が昨シーズン調子を崩したのは、主に疲労が原因だったということ。試合での4回転は決まらないが、地力がないわけではない。また、アボット選手は非常に基礎のしっかりした選手で、エッジ違反や回転不足になりやすいジャンプといった克服すべき欠点がなかったこと。だから、もっている力をうまくまとめ、かつ佐藤有香のもつ高度なスケーティング技術を間近に見て吸収すれば、さらに高い次元にステップアップできる可能性があったこと。結果として後者になったと思う。これは新採点システムに移行してから顕著になってきたある特徴--実際に自分が滑ってお手本を示すことのできるコーチについた選手が強くなる傾向がある--の良き一例にもなった。モロゾフにせよ、オーサーにせよ、自分で滑ってお手本を弟子に見せることができる。以前のコーチはむしろ、もっと精神的な面で選手をコントロールできることのできる人が結果を出してきた。この傾向が変わり始めたことをハッキリ示したのは、荒川選手が、タラソワではなく、実際に滑ってお手本を見せてくれるモロゾフを選んだときだったかもしれない。モロゾフは、フィギュア全盛期の旧ソ連にあっては特別優れた選手ではなかったが、今現在、ときどきテレビで、怒号を浴びせながら安藤選手や織田選手にステップや腕の表現などのお手本を見せている映像を見ると、「ニコライ君、君が滑ってくれたまえ」(←急に上から目線)とショーの出演を依頼したくなるほどに素晴らしい。オーサーのほうは、キム選手とときどきショーで滑っていたが、膝を深く使い、体全体を大きく使った伸びのある滑りなど、ソックリだ。今季のアボット選手の「あくまでスケート技術に立脚した」表現力の向上にも、プロスケーターとしても現役で活躍している佐藤有香の存在があるように思う。事実、アボット選手は、佐藤有香の滑りを見て、弟子入りを決めたと語っている。なぜ、今佐藤有香なのか。それにも理由があると思う。不完全なジャンプを徹底的に減点し、所定の条件を満たしたエレメンツのレベル認定とその出来栄えで勝負が決まる今の採点傾向について、伊藤みどりは昨シーズン「規定(コンパルソリー)への回帰」と表現した。佐藤有香はコンパルソリー時代の選手ではなく、むしろ、ジャンプが決まらなければどうにもならなくなった「ポスト伊藤みどりの時代」の選手なのだが、そうしたなかでも正確で質の高い技術力で世界を制したといっていい。アボット選手の言葉を借りれば、「(現行ルールで)成功するためのすべてをもっているスケーター」なのだ。ジャンプというのはすぐに跳べなくなってしまうが、基礎のしっかりしたスケーティング技術はそうそう色褪せるものではない。現役時代の佐藤選手は、ルッツ、フリップをなかなかきれいに着氷できなかったが、そのかわりステップワークで会場を沸かせることのできる稀有な存在だった。ちょうど、1994年に伊藤みどり、クリスティ・ヤマグチ、佐藤有香の3人の世界女王が競った「チャレンジオブチャンピオンズ」という競技会の動画がある。画質は悪いが、三人三様の強さがよくでている動画だと思う。まずは「100年に一人出るか出ないかの天才」と解説の佐野稔が絶賛した伊藤みどりのジャンプ。驚異的な高さと飛距離だ。最後にスロー再生が出るが、トリプルアクセルにせよ、セカンドの3回転トゥループにせよ、これだけピタッと降りて、ス~ッと流れる降り方をされれば、ジャッジは絶対にダウングレードなどできない(もちろんこの当時ダウングレードなどという概念はないが)。完璧に回りきって余裕をもって降りてきているから、「ピタッ+ス~ッ」となり、佐野稔の言う「ランディング、つまりは降りた姿勢の完璧さ」が生まれる。キム・ヨナ選手もダウングレード判定に文句をつける前に、このぐらい完璧に着氷してみせてほしいものだ。多くの場合、「グルン」と回っていってしまったり、「ガッ」と氷のカスが飛び散るキム選手のセカンドの3回転は、Mizumizuにはかなり疑わしく見える。それにしても、伊藤みどりのジャンプを見ている佐野さんの興奮ぶり・・・「凄いッ!」「うまいッ!」と叫ぶのは、先のロシア大会でのプルシェンコ選手のジャンプを見たときのテンションにそっくり・・・(苦笑)。これだけ長く解説をやっているというのにも驚くが、1994年と2009年に、同じノリで叫んでるというのにも驚いた。進歩・・・もとい、老成せずにこれだけのアツさを保っているところが、佐野稔という人が天才だった証左かもしれない。今でこそ世界トップで競える男子選手が複数いる日本だが、1970年代に、「スタイルのよさ」がどうしてもモノをいうフィギュア界で世界相手に台にのぼるということは、佐野稔選手とはどれほど並外れた華の持ち主だったのかと思う。佐野選手の次に世界選手権でメダルを獲得した日本人男子選手は本田武史。その登場までには、実に25年もの年月を要したのだから。そして、クリスティ・ヤマグチ選手。彼女はジャンプの成功率も安定して高く、かつ表現力もある、非常にバランスの取れた選手だ。ことに手の表現が美しい。ひらひらと何かが舞い落ちる様子を片手で表現している部分などは秀逸。解説の女性アナウンサーは、「ヤマグチ選手は、スケーティングが非常にきれいですねぇ」などと言っているが、それは佐藤有香に対して言う言葉だと思う。同じ競技会で見ているのなら、一目瞭然だと思うのだが。アナウンス担当者が、「わかってないくせに、評判だけ聞きかじって適当なことを言う」のは、今も昔も変わらないらしい。しかも、その佐藤有香に対しては、「ステップは世界トップ。でもジャンプは得意ではない」などとわざわざマイナスのことを言って、佐野稔を憤慨させている。ステップも見事だが、佐藤有香は「ただ単に滑っている」ところがずば抜けてきれいな選手なのだ。膝の使い方の深さ、柔らかさは他の選手の追随を許さない。Mizumizuもショーを見に行ったことがあるが、佐藤有香はどんなに遠くにいてもわかる。滑っていると氷が柔らかく見える。そして、スタイル自体にはさほど恵まれていないにもかかわらず、滑る姿が非常にエレガントだ。スローにしてみると、エッジ捌きがいかに速くても、まるで氷をいたわるように丁寧にすべての動作をこなしているのがわかる。それだけではなく、スピンのポジションも正確で、かつスピンから出て行くときの足の位置、身体の使い方が素晴らしい。この動画で一番注目したのはスピンの部分。佐藤選手は柔軟性が飛びぬけているわけではなく、ビールマンスピンを試みて、「腰の骨が折れそうになった」と言っているのを聞いたことがあるが、ポジションを決めてきちんと回り、スムーズにフリーレッグの位置を換え、かつ丁寧に降ろして滑り始めるところまで、一切の無駄な動きがない。これこそまさしく、お手本のような動作だ。さらに腕を含めた上半身の動き。ヤマグチ選手のような個性はないかもしれないが、腕の動かし方からポーズの作り方まで、スピードのコントロールも含めて、すべて卓越していて、かつまったく嫌味がない。ときに細やか、ときに伸びやかな足の動きと連動しているのもいい。そして、顎から胸にかけての身体のラインには、流れるような上品さがある。これはフランス人の舞踏批評家が、「日本人の優れたバレリーナに、ほぼ共通して備わっている神秘的な魅力」として挙げている特長なのだが、不思議なことに佐藤選手もその魅力をもっていた。今なら安藤選手に、その魅力を感じる。顎から胸にかけての上半身に流れるような魅力があり、クイッと顎を突き出して腕を下から上に押し上げるようなポーズを取ると、その優美さが際立つ。今季の安藤選手の振付(特にステップの部分)をみると、モロゾフもそのラインの美しさを際立たせるポーズを、さかんに入れているように思う。<続く>
2010.01.23
今のルールではなかなか結果が出ない「理想追求型」のジャンプ構成。4回転を入れた「理想追求型」でもっともうまくいっている数少ない男子トップ選手がアボット選手だということは、すでに書いた。そして、とうとうそのアボット選手が全米で結果を出した。今季の世界王者かつファイナル覇者であるライザチェック選手に大差をつけての完全勝利。「優等生の出してくる試験答案は見ていて気持ちがいい」と、受験指導の教師はよく言うが、アボット選手のフリーのプロトコルもまさにそれ。最後のスピンのレベルだけが「2」に留まっているが、あとはレベルもほぼ文句なし。GOEも全要素でマイナスがついているのがたった1箇所。現在の男子のジャンプ構成の「まったき理想」は、プルシェンコ選手がつい先日ヨーロッパ選手権で見せた4回転1度にトリプルアクセル2度だといえる。トリプルアクセルを1度に抑えているアボット選手のジャンプ構成は、その意味では「まったき理想」とはいえないかもしれない。だが、プルシェンコは、案の定(?)ルッツが2回転になった。つまり、今の世界では、4Tを1つ、3Aを2つ入れて、かつ他のジャンプをすべてコンスタントに成功させられる力をもった選手はいないと言っていいのだ。アボット選手は、トリプルアクセルを1つにしているが、他の3回転ジャンプはすべて成功させた。ここまで4Tを入れずに結果を出してきたライザチェック選手はといえば、今回4Tを入れて、ダウングレード転倒、さらに2つではなく1つにした3Aからの連続もきれいに決まらず、普通なら跳べる3ループが2回転になって、しかも乱れた。つまり、ライザチェック選手も、4回転を入れることに連動する失敗のパターン、「次に難しいトリプルアクセルで失敗する。後半のいつもなら跳べるジャンプで失敗する」の2つに見事にはまっているということなのだ。正確には3A+2TはGOEだけのマイナスに留まっているから、「次に難しいトリプルアクセルで失敗する」のパターンからは、だいたい抜け出しているという見方もできるのだが。ライザチェック選手が4回転を入れるとこうなるであろうことは、想像できた。4回転をはずしても、トリプルアクセル2つをなかなかきれいに決められない。今回トリプルアクセルを1つにしたから、3Aからの連続ジャンプ3A+2Tをなんとか決めることができたが、これで欲張って3Aを2度にしていたら、もっとミスが増えただろう。アボット選手がついに4回転を決めて、かつ他のジャンプを成功させられたのも、決して偶然ではない。アボット選手はファイナルですでに、4回転は失敗したが、他のジャンプはすべて決めている。4回転を入れるとはまる失敗のパターンから抜け出していたのだから、今回の結果は階段を1つうまくのぼったということなのだ。だが、この1段をちゃんとのぼるのが非常に難しい。今回アボット選手がとうとう結果を出せたのも、彼がすでに過去に4回転を試合で決めた実績があること(2季前のワールド)に加えて、練習での4回転の確率がいい、つまり4回転を跳ぶ実力がもともと備わっていたからだとも言える。ここに至るまでのアボット選手は、非常に着実に階段をのぼろうとしてきた。2季前のワールドで、アボット選手は4回転は決めたが、他のジャンプがボロボロになった。そこで昨シーズンは、4回転を捨てて、他のジャンプをきれいまとめる作戦に出た。アボット選手は、ライザチェック選手やウィアー選手と同世代。常に注目されるこのアメリカの2強の陰に隠れて、それまで全米4位だったアボット選手の昨シーズン初めは、崖っぷちに立たされていたといっていいと思う。そして、昨シーズン前半、4回転なしで思った以上の結果が出て、アメリカ男子初のファイナル王者になり、勢いにのって全米も制した。この結果を出したあとに、アボット選手は4回転を入れ始める。だが、なかなか4回転が決まらない。そして肝心の世界選手権では、他のジャンプも乱れてしまい、惨敗。今シーズンは、コーチを佐藤有香に替えて練習環境も一新した。シーズン前半、4回転を入れての構成にこだわったアボット選手は、4回転をはずしてプログラムの完成度を上げる作戦できたライザチェック選手の後塵を拝することになった。だが、着実に「失敗するジャンプ」を減らしたアボット選手は、今回の全米でとうとう、「理想追求型」の高難度ジャンプが成功したときの強さを見せ付けた。全米フリーの演技は、以下の動画サイトで見られるが、http://www.youtube.com/watch?v=FM8zegmh9sc&feature=player_embedded今季Mizumizuが見た男子フリーの中でも、最も素晴らしいプログラムだった。音楽そのものが氷上でうねっているかのようなパフォーマンス。見ていて鳥肌が立った。アボット選手の個人演技史の中でも最高の出来。フリーの4回転も迫力があったが、ショートでのトリプルアクセルに入る前のターンとステップも驚異的だ。これぞまさに「独創的なジャンプの入り」。ジャンプのあとに、すぐにモーションが入るのも、これはきちんとジャンプを降りなければできないことなので、非常に高度かつリスキーな構成になっていることがわかる。「ジャンプが決まるとプログラム全体が非常に素晴らしくなる」と言ったのは、浅田真央とタラソワだが、アボット選手の密度の濃いプログラムにもそれがいえる。フリーの振付は高橋選手の「道」と同じく、イタリア人振付師のカメレンゴ。人生のドラマを巧みに表現した演技性の高い「道」に対して、音楽そのものを表現するこのアボット選手のフリーは、正直に言うと、これまであまりピンときていなかったのだが、印象ががらりと変わった。アボット選手は滑りはうまいが、さほど表現力に恵まれた選手ではないと思う。だが、昨シーズンと比べて、ショート、フリーとも表現力に抜群に磨きがかかった印象がある。ジャンプも表現も、確実に進歩している選手。実際のところ、こういうふうに言える選手がここのところいなくなってしまっている。結果を出すために大技を省いたライザチェック選手は、プログラム全体の完成度は上がったかもしれないが、必ずしもそれが「進歩」には見えない。リスクを避けてうまくまとめて点を伸ばす、というのは観ているほうにとっては、やはり物足りないのだ。ウィアー選手にいたっては、4回転をはずしても、トリプルアクセルが不安定で、かつ振付の傾向もあるだろうが、かつて全米を制覇していたころの線の美しさを活かしたバレエ的な高貴な雰囲気がなくなった。プログラム全体もスカスカに見える。アボット選手がジャンプを決めてしまうとさらにその印象が強まる。ショートは文字通り短いのでさほど気にならないが、フリーになると密度の薄さが目立ってしまうように思う。キム選手の振付に対しても、Mizumizuは同様の印象をもっている。要所要所のセクシーなポーズや音楽のポイントを抑えたちょっとした踊りでメリハリをつけてはいるが、全体的にさらっとしすぎていて、フィギュアスケートそのもののもつ醍醐味に欠ける。キム選手、ウィアー選手ともに、体力的にあまり恵まれたほうではないので、なんとか「省エネ」でいこうとする振付師の目論見が見えてしまうせいかもしれない。対照的にアボット選手は、ジャッジに向かって顔芸でアピールしたり、ステップの途中で止まって体を「妖艶に」クネクネさせたりはしないが、徹頭徹尾正統派のスケート技術で観客を魅了しようとする。上体を大きく使ってリズムをとらえ、深いエッジ遣いや細かいエッジ捌きで音楽のテンポを表現する。派手さには欠けるかもしれないが、通好みの極めてインテリジェンスな振付だ。要素間のつなぎも高度で、ただ単に滑っているところが少ない。知性と気品を感じさせるプログラムが少ない昨今、変に媚びない正統派の路線で、「これこそがフィギュアスケート」という密度の濃い振付と難度の高いジャンプを両立させた意義はあまりに大きい。今回の全米、アボット選手のフリーが1位、ウィアー選手が5位。演技・構成点では、アボット選手の86点に対し、ウィアー選手が77.34点と9点近く差がついた。技術点に関しては、89.75点(アボット)に対して、71.24点(ウィアー)と18.51点もの差がある。ジャンプ構成を落として、しかも失敗してしまうとこうなる。特に演技・構成点については、点差が妥当かどうかは主観によるので論じる意味はないが、ウィアー選手の「現状適応型」のプログラムのもつ弱さが、露呈した形になったと思う。ウィアー選手に関しては、どうも去年から「進歩」した印象がないのだ。ジャンプは明らかに後退してしまっているし、プログラムの振付は、個性には合っているが、好き嫌いが分かれすぎる。東京ファイナルのショートでのあまりに男娼めいたポーズには、正直辟易した。ああいった演技は、「アジアのある種の嗜好をもった女性ファン」には非常に受けるかもしれないが、それはそれだけのことだ。アマチュアらしい清潔感を捨ててしまうのは、ファン層をみずから狭めるだけの結果になりかねない。今回の全米では、ファイナルのときのような露骨なポーズは抑制されていたので、安心した。競技会はあくまで競技会。いくらフィギュアの試合が商業的な意味をもつとはいえ、お色気を競うショーにしてはいけない。ウィアー選手は、「妖艶な演技」に軸足がのりすぎている。その一方で、まだフリップにはアテンションマークがつき、4回転を捨てているにもかかわらずトリプルアクセルが2度きちんと入らない。こうした欠点をしっかり克服してオリンピックに来て欲しい。いくら層の厚いアメリカとはいえ、国内大会のフリーで5位まで落ちてしまっては、先行きが暗い。アボット選手のほうは、これだけ密度の濃い難しいプログラムを、ここまでミスなくできたのだから、言うことは何もない。あとはオリンピックでこの演技を繰り返すのみ。あの高度な構成を見ると、やはり相当にリスキーなプログラムだという印象は変わらない。今回のように滑ることができれば高得点が出るのは間違いないが、どこかで失敗すると、それが連鎖して全体が崩れてしまう可能性も高い。それでもこうして、徐々に完成度を上げてきている様子を見ると、オリンピック本番も過度に緊張しなければ、かなり期待できる。アボット選手は、むしろここで「もう1段ステップアップを」と欲を出さないことだ。本人にとって、ライザチェックをブッチ切っての今回の全米2連覇が大きな自信になったことは間違いないし、4回転を入れて、かつ他のジャンプも決めることのできる世界のトップジャンパーであることを内外に印象付けた意義も大きい。だが、それ以外にも今回のアボット選手の出した結果は、2つの重要な意味をもつことになると思う。まずは、振付師カメレンゴの名声が飛躍的に高まるであろうこと。なにしろ、高橋大輔の「道」と2本立てだ。それぞれまったくテイストが違うにもかかわらず、これまでとは一味違う選手の個性を引き出すことに成功した。フィギュアの振付で、もっとも注目されるのは、やはりシングルなのだ。高橋選手、アボット選手という世界トップクラスのシングル選手の振付を担当し、これだけ斬新な印象とともに高い点数を得たということは、カメレンゴ氏の人生にとっても今年は重要なターニングポイントになるだろうと思う。<続く>
2010.01.22
1月3日に、東京ミッドタウンに行ったとき・・・スケートリンクの工事が急ピッチで進んでいた。1月6日から期間限定で一般利用が可能になるという。ただでさえ寒い1月だが、このあたりはビル風がすごく、立っているだけで顔が冷たく、切れそうになる。リンク下の施設にペンキを塗っている職人さんも、ご苦労なこと。明らかにNYのロックセンター前のオープンスケートリンクのイメージ。VWロゴが思いっきり目立つところに張られていた。フォルクスワーゲン社がメインスポンサーになっているということだろう。輸入車はどこも苦戦している昨今だが、フォルクスワーゲンだけはメゲずに宣伝攻勢をかけている感がある。いつだったか日本橋の三越で試乗会をやっていて、気がついたら誘われて乗っていた(笑)。メルセデス派のMizumizuは、乗り味の面でちょっと満足できなかったのだが、ハンドルを握ったMizumizu連れ合いには、思いのほか好印象だったらしい。フォルクスワーゲンは、メルセデス、BMW、アウディの三強に比べるとぐっと庶民的で、そのわりにはドイツ車らしいしっかり感もちゃんとある。とにかく(メルセデスに比べると)値段が段違いに安いし、そのわりにはいいクルマだ。フォルクスワーゲンとは、もともと「国民(大衆)のクルマ」という意味。メンツにこだわらなくてすむ分、今がチャンスと攻勢をかけているのかもしれない。不況のなか、頑張ってこうしたイベントのスポンサーになってくれるのはありがたいことだと思う。しかし、このスケートリンクは、まごうことなき吹きっさらし空間。「ここで滑るのは寒いね~」と、Mizumizuが言ったら、長野育ちのMizumizu連れ合い、「寒くなきゃ氷張らないんだから、当たり前でしょ」彼の田舎では、田んぼに水を入れて凍らせてリンクにしていたらしい。しかも学校の正規の授業に(スピード)スケートがあったとか。この話、聞いたときはかなりたまげた。田んぼでスケート? マジですか? 長野では常識なのだろうか? だとしたら、もっとたまげる。Mizumizuの記憶にある野外のスケートリンクは、小学校にあがって連れて行ってもらった、須走のスケートリンク。富士山がすぐ近くに見える、広大な(と、子供のころは思ったのだが、実際はどうだったのだろう?)スケート場だった。床も壁も、そして机も椅子も全部木でできた休憩所は、ひどく薄暗かった記憶がある。ギシギシ言う床を踏みしめて歩き、リンクに出ると、ぱあっと半透明の白の世界が大きく広がった。須走のスケートリンクが原体験なので、その後、屋内のスケートリンクに行くと、あまりにも狭く、人がひしめいているように見え、怖く感じたものだ。東京のど真ん中にできた上品な屋外スケートリンクも、とても狭い。利用料金はかなりリーズナブル。どれくらい人が来るのかな。ビル風に追い立てられるように、ミッドタウンの中に戻った。和のテイストを取り入れた吹き抜けは、配された素材の色調や質感、それに照明や自然光の採り込みかたを含めて、その空気感が唯一無二。1月5日にはこのスケートリンクのメディア向けの発表会があるということだったので、「また荒川静香?」と思ったら、案の定だった(動画はこちら)。クールビューティに負けず劣らずの美貌の持ち主、浅田舞も登場していた。タレント性では妹を凌ぐ才能をもっている人なので、また新しいフィールドで輝いて欲しい。
2010.01.07
Copyright belongs to Mizumizu. All rights reserved. This blog may not be translated, quoted, or reprinted, in whole or in part, without prior written permission.本ブログの著作権はMizumizuにあります。無断転載・転用を禁止します。許可なく外国語に翻訳して流布することも法律により禁止されております。また文意を誤解させる恐れのある部分引用も厳にお断りいたします。 「ジャンプ1つ抜けて歴代最高点?」と、呆れたファンが多いと思うが、それが今のフランケンシュタインルールの怪物たるゆえん。昨シーズンの世界選手権では、「パンドラの箱」まであけて、主観による演技・構成点でどんどん点を上積みできるようにした。今季はGOEの要件が増えているから、加点がつきやすい。そうなるとエレメンツが成功してしまえば、さらに点が上積みされていく。持っている技のレベルを表す基礎点での差は、これでないがしろになっていく。キム選手は後半のサルコウで失敗しやすい。それでサルコウを後半の頭のほうに移して、跳べるようにした。だが、こうなると次にもってきたルッツがあやうくなる。実際、フランス大会での彼女のフリーの後半のルッツは少し足りないまま降りてきていた。ジャンプ1つ跳ばなくてもああなる。全部のジャンプを跳んだらどうなるか? それがアメリカ大会以降の試合だ。ジャンプの基礎点を上げて点を出そうとすると、返って点を落とす。これはほとんどの選手がそうだ。「決めれば点が出る」はずが、なかなか出ない。改悪に改悪を重ね、とうとう新採点システムの柱だった「客観性」までないがしろにした、バンクーバー特製フランケンシュタインルール。その結果、奇妙な「フランケンシュタイン歴代最高点」が出てくる。バンクーバー後にルールが大幅改正されるのは、ほぼ決まっている。まあ、改良されるとは限らないが・・・ このルールはバンクーバーに向けて、開催地がらみの選手を勝たせるために「立法府」にいる人々が、時間をかけて作り上げてきたルールだ。スポーツの精神に反するという声を無視して大技への挑戦をむなしいものにし、「最強日本女子」選手たちの小さな欠点を狙い撃ちにして大きく減点してくる。「司法の現場」で働くジャッジは、裁判官と同じく、立法府が作り上げた法律を厳密に履行する。だから、回転不足にせよ、エッジ違反にせよ、日本選手に有利な判定がされることはない。そう考えて準備するべきだろう。最近モーグルのルール基準が日本人の金メダル候補である上村選手に不利になるよう改正されたという記事が出た。カナダの有力選手がこれで有利になったという。モーグルはフィギュア以上にマイナーな競技だ。それでもこうしたことをやってくる。冬の五輪で最も商業的価値があるのが女子フィギュアの金メダル。2度連続して日本なんかに獲られたくないと考える勢力がいるのは自然なことだ。ところで・・・全日本は女子に比べて男子のジャンプ認定が甘かったような気がするのだが。特に高橋選手。後半のジャンプは、足りていないように見えたものもあったが、本当に大丈夫なのか。高橋陣営は別のスペシャリストに相談して意見を聞くなど、チェックをしてほしい。参考:上村選手に対する記事はこちら。欧米による"愛子包囲網"だ。フリースタイルスキー・モーグルの全日本が26日、スイス合宿から帰国した。高野弥寸志ヘッドコーチ(47)は、五輪の採点基準が緩和され、上村愛子(29)=北野建設=に不利に働く可能性を指摘。「うがった見方をしたら、上村対策かもしれない」と訴えた。 同コーチによると10月上旬にカナダで行われた審判員講習会で「多少スキーがずれても、点数を落とさない方針」が確認されたという。技術の高い上村には無意味で「(他選手が)去年よりマックスで0・5点上がる」と説明した。 昨季の世界選手権(猪苗代)で、上村は2位のトリノ五輪覇者、ジェニファー・ハイル(カナダ)に1・83点の大差で圧勝。だが、平易な五輪コースでは得点差が縮む傾向にあり、さらに0・5点の得点緩和は大きな足かせになる。 単独で合宿を延長している上村の現状を「質の高い練習をしていた。五輪から逆算して仕上げの内容をやっている」と絶賛した高野コーチ。「4年間かけてやってきている。これまで通り突き詰めていきたい」と正攻法で"包囲網"を突破する。
2009.12.31
Copyright belongs to Mizumizu. All rights reserved. This blog may not be translated, quoted, or reprinted, in whole or in part, without prior written permission.本ブログの著作権はMizumizuにあります。無断転載・転用を禁止します。許可なく外国語に翻訳して流布することも法律により禁止されております。また文意を誤解させる恐れのある部分引用も厳にお断りいたします。中野選手のフランス大会とNHK杯でのフリーの最初のジャンプは2A+2Aのシーケンスだった。3Aを前提にずっとプログラムを組んでいた中野選手にとって、「入り方」が同じなアクセルを2つ並べるのは難しくなかった。基礎点5.6に対して、加点をもらっている。ところが勝負の全日本で、基礎点が6点の3ルッツに換え、後半の3Tにシーケンスの2Aをつけた(これは成功させている)。ジャンプの入り方が変わると身体が馴染みにくい。簡単にジャンプの組み換えができる選手もいるが、中野選手はそうはいかなかったようだ。結果は最初のルッツ失敗で五輪の切符を逃した。中野選手にとって、最初のルッツがいかに大切か、自分でわかっていたはずだ。なのに、というか、それで、というか、失敗する。それが人間というものだ。どうしてわざわざ成功させていた2A+2Aのシーケンスをはずして3ルッツに換えたのか? もちろん基礎点の高いルッツ(と後半のシーケンスからの2A)で点を上積みするためだ。本人もコーチ陣も「できる」と思って換えたはず。最初に単独のルッツを跳ぶのは、中野選手にとって、それほど高いハードルではないはずだ。むしろその後のルッツの連続ジャンプのほうが不安だったかもしれない。ところが実際には失敗。ここ一番でジャンプを組み換えるのがいかに危険か。しかも長く「最初は3A、もしくは2A」で前向き踏み切りへの入りに身体の馴染んだ中野選手にとって。これは、タラソワが繰り返し、いろいろな選手に警告している。昨シーズンの世界選手権でジュベール選手が急きょ後半のジャンプを簡単な2Aにして大失敗した。ウィアー選手も昨シーズン、追い詰められた全米で、何とか調子の落ちた3Aを決めようとフリーの冒頭にもってきて、完全にパンクしてしまった。ジャンプ構成をここ一番で急に換えて、成功した選手のほうが少ないのだ。世紀のジャンパー、伊藤みどりでさえ、オリンピックで急きょショートの連続ジャンプを3Aから、普段ならなんなく跳べる3ルッツに換えて、「『なぜ私ころんでるの?』と思った」という失敗をした。そもそも佐藤陣営は、ここ一番で突然ジャンプ構成を換えるからうまくいかない。昨シーズンの小塚選手の世界選手権もそうだ。順位を取るために、と4回転をはずし、なんとか3A2度を降りたのはりっぱだが、やはりミスは多かった。今回の全日本で小塚選手は結果を出した。だが、4回転がなくても体力がもたないという欠点も露呈したと思う。小塚選手がやるべきは、「4回転決めて、3Aもルッツも決めて、難しい音楽を表現する」などという、ありえないほど壮大な理想的目標に向かって「バンザイ」自爆をするのではなく、「失敗しないこと、失敗しないこと、失敗しないこと」これだけだ。ジャンプの安定をショートでもフリーでも見せ付けられれば、ジャッジは点を下げにくい。階段を一足飛びにあがろうとすると転落する。課題は1つ1つ、階段は1段1段上がらなければ、今のルールでは点は出てこない。よくモロゾフはダウングレード対策がうまくて、タラソワは対応が遅れていると安易に批判する人がいるが、非常に短絡的な見方だ。シーズン途中のジャンプの組み換えで奏功したのは安藤選手だが、それが彼女が天才ジャンパーだから。苦手なジャンプがなく、ジャンプのバランスでは浅田選手やキム選手を凌ぐ安藤選手。それにモロゾフの回避策は事実上の「ライバルのミス待ち」戦略で、相手が失敗しなければどうにもならない。安藤選手ほどバランスよくジャンプを跳べない浅田選手のダウングレード対策は、勢い限られる。浅田選手自身、ダウングレードされる部分はわかっているし、対策も立てている。セカンドに3Tを入れて欲しいとMizumizuは昨シーズンさかんに書いた。タラソワはとっくに練習を指示しているし、タラソワはそもそも3Aをフリーで2度入れるのには消極的だった。インタビューでタラソワは、「おそらく3回転+3回転に換える」と言っている。それに対し、「3A2度は譲れない」と言ったのは浅田選手のほうだ。それを単に「頑固者」と決め付けるのも早計だろうと思う。どのジャンプが降りやすいかは、選手自身が一番わかっている。常識的には3A+2Tより3F+3Tのほうが簡単だし、体力の消耗も少ないし、ファーストジャンプで失敗する可能性も低い。浅田選手が3Fに3Tをつけられるのはわかっている。だが3Tを回りきれるのか? それは浅田選手自身が一番よく知っていると思う。こちらとしては、試合で見ていないので何とも言いようがない。また、浅田選手もジャンプ構成を変えると失敗しやすいタイプだ。昨シーズン最初の大自爆になったフランス大会で、2つ目の3Aのかわりに入れた単独の3ループが2ループになってよろけてる浅田選手を見たときは、ガクゼンとなった。これがキム選手なら、驚きもしないが、あのときまでは浅田選手の単独3ループは鉄壁にMizumizuには見えていた。どんなに助走間隔が短くても、なんなく跳んでしまう。あの姿は、トリノでスルツカヤがループでコケてるのを見た以来の衝撃。ループでコケてるスルツカヤなど見た記憶がない。昨季初めの失敗体験が、浅田選手を「やっぱり3A2度でいかなきゃだめだ」という気持ちにさせたのかもしれない。タラソワだってビックリしただろう。安全策のつもりで得意の3Lo単独にしたら、見事に失敗とは。ループに対するダウングレード判定は、「なぜか」どんどん厳しくなってきた。ちょっとでも低いとダウングレードされる。今回の全日本では浅田選手はちゃんと降りてきたが、あれもかなり冷や冷やものだった(ように思う)。3Aをその前に2度入れれば、さらにジャンプが低くなる可能性がある。多くの人は、全日本の浅田選手のフリーを見て、「これで3Aが2度入れば」と思うかもしれないが、Mizumizuは逆。体力の消耗が半端ではない3A2度によって他のジャンプの高さがなくなるリスクが怖いと思う。そして3フリップからループへの連続をどこかで必ずダウングレードを取られている現実。ロシア大会では、前半の3F+2Loの3Fもダウングレードされてしまった。連戦の疲労があったのかもしれないが、とにかく、3F単独は評価が高く加点がつくのに、わざわざフリーで2つとも連続にして、どこかでダウングレードされているという今の状態が、ひどく不毛に見えるのだ。これがセカンドが2Tだったら常識的には問題ないハズだ。セカンドにトゥループをつけるのはループをつけるより、「ふつうは」簡単なのだ。だが、あそこまで頑なにフリップにループをつけるということは、トゥループが浅田選手にとって必ずしも「安全策」にはならないのだと思う。実際、今回は2A+2Tの2Tがダウングレードされた。だが、あえて3A+2Tのかわりに3F+3Tを入れるとすると、たとえば以下のような組み換えが可能だと思う。(現在)3A (基礎点8.2点)3A+2T 9.5点3F+2Lo 7点ここまでの合計基礎点 24.7点(組み換え)3A 8.2点2A+2A(シーケンス) 5.6点 (最初の3Aがパンクして失敗したら、ここでリカバリーしてもいい)3F+3T 9.5点ここまでの合計基礎点 23.3点基礎点は下がってしまうが、上の3A2度よりはダウングレードのリスクが少なくなるし、2つ目のジャンプを2A+2T(4.8点)まで下げるよりはいい。何より体力の消耗が3A2度よりずっと少ない。となれば、全体の表現もグッとよくなるだろう。ジャンプで体力を消耗してしまうと、表現がおろそかになる。それに、この構成なら転倒の可能性も少ないと思う。問題は、3Tを回りきれるかどうか。たとえ回りきれなくても、3Aを2度入れてパンクしたり転倒になってしまうよりはいいはずだ。本当は3F+3Tをもっと前に出したいが、前向きに踏み切るアクセルの入りを2度ずっと続けている浅田選手にとって、順番の入れ替えはよくない。「入り」が違うと失敗しやすいからだ。そして、この場合は、先にMizumizuが書いた後半の3Tに2Aをつけるシーケンスはルール違反でできないし、そもそもここまで前半をいじったら、後半まで換えるのは危険すぎる。後半は3F単独で3連続ジャンプを捨てるか、あるいはどうしてもというなら、3F+2Loにする。3A2度が入らなければ、体力ももつので、ダウングレード攻撃をかわせるかもしれない。3F+2Lo+2Loは、ダウングレードを呼び込むので不毛だと思う。認定されるセカンド3Tが跳べるかどうか、試合でまったく試していないし、このジャンプ構成の変更は基礎点が下がる。ショートとフリーで3A+2Tを入れる選択をしたということは、おそらく浅田選手の頭の中では、同じジャンプのほうが調子がよければそれを持続しやすいから、という考えがあるのかもしれない。3A+2Tの3Aの回転不足ももうほんのちょっとだ。もうちょっと遠くに跳べれば恐らく問題はない。だが、その「ちょっと」はかなり難しい。ただ、確率から言えば、セカンドに3ループを跳んで認定されるよりは可能性があると思う。そして、浅田選手個人としては、3F+3Tに換えるより、3A2度のほうが正面突破しやすく思えるのかもしれない。これはもう選手本人の判断だと思う。3A+2Tを3F+3Tに換えるのは、浅田選手にとっては、必ずしも安全策ではないのだ。どちらにしろリスクはある。そのリスクを考慮したうえで、あとは浅田選手自身が決めるだろう。4大陸でジャンプ構成をどうするかは浅田選手自身だが、彼女の判断で、3A+2Tのほうが認定される可能性が高い、つまりこれまでのどおりの正面突破と決めたからには、ファンの方は批判せずに応援してあげてほしいと思う。今さらエッジ問題のあるルッツを入れるのも自殺行為、認定が難しい3ループをセカンドに入れるのも自殺行為。(ほとんど)最後の別選択肢であるセカンドの3Tも不安がある。どういう選択をしてもリスクが高い。五輪はどちらにしろ一発勝負。何が起こるかわからない。最終的には、運にまかせるしかないのだ。今回の全日本女子はダウングレード判定が厳しかった。これは「五輪でもこうされるかもしれないから、準備しろ」ということではないかと思う。ここで判定を甘くしたら、浅田選手は「このぐらいの3Aなら大丈夫」と安心してしまい、五輪で厳しいダウングレード判定に泣くことになるかもしれない。それでは村主選手の二の舞だ。スペシャリストが浅田選手を「下げ」たかったわけはない。浅田真央が五輪代表に決まらなかったら日本中が大パニックだ。それに演技審判は、加点と演技・構成点を気前よく出してきた。キム・ヨナ選手のフリーは、フランス大会が一番得点が高かった。あのとき、フリップを跳ばなかった。ジャンプがまるまる1つない。つまり、非常に低いジャンプ構成だったわけだ。ところが、ジャンプ1つ跳ばなかったおかげで体力を消耗することなく、演技を終えることができたのだ。う・・・また文字制限、続きは明日
2009.12.30
Copyright belongs to Mizumizu. All rights reserved. This blog may not be translated, quoted, or reprinted, in whole or in part, without prior written permission.本ブログの著作権はMizumizuにあります。無断転載・転用を禁止します。許可なく外国語に翻訳して流布することも法律により禁止されております。また文意を誤解させる恐れのある部分引用も厳にお断りいたします。ダウングレード判定は、世界トップの男子選手にとってはさほど深刻な問題ではない。3回転ジャンプがそもそもギリギリになりがちな女子と違って、身体能力に勝る男子、それも世界トップに来る選手なら基本的にトリプルアクセルまでなら完全に降りることは難しくない。4回転だけは別。高橋選手は今回の全日本で回転が足りずに降りてきてしまったが、ウィアー選手などは、何年もずっとあの状態のまま降りきることがなかなかできず、ついに今季はプログラムから外してきた。だが、それ以外で、同じジャンプを何度も続けて取られるということはまずない。ライザチェック選手は男子トップ選手の中で一番「トリプルアクセルが足りなくなりやすい」選手だが、彼とて連続して何度も取られるということはない。すぐに対応して克服している。一方の女子トップにとっては、ダウングレードは大敵。多くの場合命取りになる。上にも触れたが、ダウングレードされるジャンプは2つに大別できる。1)ジャンプの難度が(選手にとって)高く、回りきって降りきれない。つまり、ジャンプそのものに問題がある。2)普段なら問題なく回りきって降りてこれるが、試合の流れ、つまり跳ぶタイミングやスタミナ切れで高さがでなくなりダウングレードされる。浅田選手のトリプルアクセルは(1)に入る。安藤選手・浅田選手のセカンドにつける3ループもこれだ。3ループは単独なら回りきれるが、セカンドにつけるとピタッとは降りてこれない。実はキム・ヨナ選手の(ルッツとダブルアクセルにつける)セカンドのトリプルトゥループも(1)の段階から抜けきれていないようにMizumizuには見える。ルッツにつけたトゥループは着氷してすぐあさってのほうへ曲がって行ってしまうことが多い(エッジが一瞬ピタッと止まっている感じがない)。2Aのあとの3Tは遠目でよくわからないが、氷の削りカスがかなり飛ぶことが多い。どちらも回転が不足気味のときに起こる現象だ。安藤選手は、今回後半に3ルッツと2Aでダウングレードを取られてしまったが、これに関しては完全に(2)だ。2Aで取られるというのは珍しい。安藤選手はファイナルでも後半の3サルコウで取られた。昨シーズンの世界選手権では3Lo。スタミナが切れると、あるいは、ちょっと油断すると、ジャンプに高さが出なくなりダウングレードされる。これは安藤選手に案外よく見られるパターンだ。これで3回転+3回転や、4サルコウなど入れてしまったらもっと深刻なことになる。昨シーズンのファイナルで、4サルコウを立ったがダウングレードされ、そのあとの(ふつうに見れば降りてる)ジャンプも次々に4つもダウングレードされた「悲劇」の二の舞になる。試合が続くと男子選手でも疲労がたまり、ジャンプが足りなくなくなったり、パンクになったりする。安藤選手も全日本まで連戦が続いた。彼女にとってスタミナのキープがいかに難しいかということだ。安藤選手がダウングレードされるジャンプは試合によって違う。しかもジャンプ自体は何も問題のないものが、ちょっとしたことで取られてしまうことが多い。男子のトップ選手がダウングレードされるのも、4回転以外は、基本的に(2)なのだ。だから、それは突発的であって、リピートはしない。さて、Mizumizuにとって一番気になっている、浅田選手の後半に(無駄に)ダウングレードされる3Fから2Loへの3連続コンビネーション。前半の3F+3Loは問題ないわけだし、これは、基本的には(2)だと思うのだ。後半でスタミナが切れたところで、3連続にするから、高さが少しだけ足りなくなりダウングレードされる。昨シーズン初め、タラソワが描いた浅田真央絶対勝利のジャンプ構成は、3A、3A+2T、3F+3Loだった。この後半の3F+3Loが基礎点が一番高い。しかも真央陣営としては、その前のシーズンで決めてきていることから、後半のこのジャンプに関しては楽観的で、最初の3A2つが課題だと思っていたはずだ。だが昨シーズン、フタをあけてみると思わぬことが起こった。まず最初に起こったのは、後半に浅田選手がセカンドの3Loを「つけられない」という現象だ。同時に、先に試合をやっていた安藤選手のセカンドの3Loが、見た目は問題なく降りているのに認定されないということが起こっていた。それで浅田選手は緊張したのかもしれない。だが最大の原因は、3A2つが恐ろしいほど浅田選手の体力を奪っていたということだ。伊藤みどりが、「3Aを2つ入れるのがいかに大変か」「私にはできない」と言ったのは本質をついている。ともかく、最初は3Loを付けられずに、Mizumizuも「3Loの認定具合を見るためになんとしてもつけてほしい」と書いていた。昨シーズン、試合での後半の3Fからの連続ジャンプの結果とGOE後の獲得得点を見てみよう。<はダウングレード。フランス 3F+1Lo 6.2点NHK 3F 6.65点ファイナル 3F(<)回転不足のまま転倒 0.87点全日本 3F+3Lo(<) 6.5点ここで12月が終わる。流れで見ると、浅田選手がいかに苦心して3F+3Loまで持っていったかわかる。最初のフランス大会で1Loになってしまったのは、3Fの軸が傾いてしまったからだ。そこでNHK杯では、ファーストジャンプを確実に決めようとした。すると力がなくなりセカンドまで持っていけずに単独になった。ところが、結局のところこの単独ジャンプが一番点が出たのだ。 ファイナルでは、浅田選手はNHK杯の失敗を繰り返すまいとする。つまり3Fの力をセーブしてセカンドを高く跳ぼうと思ったのだと思う。ところが3Aを2度決めた浅田選手の体力はやはり思った以上に消耗していた。3Fの高さが足りずに回転不足のまま転倒。ふだんならありえない失敗だ。それを全日本でついに入れた。会場から「おう~」とため息が出るような素晴らしいジャンプだったが、案の定3Loはダウングレードだった。このときにMizumizuは確信した。セカンドの3Lo認定はほとんど無理。もう「奪われた」と思うべきだと。そして年が明けて4大陸。浅田選手も後半のセカンドを2Loに変えた。4大陸 3F+2Lo 8.1点世界選手権 3F+2Lo(<) 5.4点国別 3F(<)+2Lo 3.22点4大陸と世界選手権では、3A2つを降りることができなかった。だが、国別ではとりあえず降りた。そうすると3Fが足りなく(テレビで見てる限りは、どこが足りなかったのか、よくわからなかったのだが)なった。そして、今季(ルールはGOEで加点・減点する演技審判にダウングレード判定が知らされないように変更)フランス 3F+2Lo<+2Lo< 7.55点(GOEは減点が1人、加点が4人)ロシア 2F 1.87点(3Fそのものにできず失敗)全日本 3F+2Lo<+2Lo< 6.95点 (GOEは減点が2人、加点がゼロ)。フランス杯でセカンドとサードの2Loをダウングレードされた浅田選手は、ロシアではファーストからセカンドとサードのジャンプをかなり意識したのだろうと思う。そうしたら、3Fそのものを失敗してしまった。そして、長い「練習時間」を取って臨んだ全日本でもフランス大会と同じようにダウングレード。しかも、最初のフランス大会では、「浅田真央の3F+2Lo+2Loは足りない」と気づかなかった演技審判が、マイナスを付けてこなかった。全日本では逆にプラスがいなくなった。もう「この連続ジャンプはどこか足りない」とわかってしまったのだ。演技審判のGOEが、ダウングレード判定を知らされないといかにいい加減かは、他の選手のプロトコルを見てもわかる。ファイナルではキム選手の3ルッツ+3Tの3Tはダウングレードだったのに、「そうとは気づかない」演技審判が、こぞって判を押したように加点を大盤振る舞いでつけてきた。もちろん、GOE要件が増えているのだから、加点した理由はいくらでもあとから(こじ)つけられる。「多少ランディングの軌道は曲がったが、そのマイナスを補う質をもったジャンプだった」とかなんとか。セカンド以降のダウングレードを気にすると最初の3Fで失敗してしまう。気にせずに思いっきり跳ぶと、少し足りなくなる。この「少し」はハタから見ていると、かなり簡単に修正可能に見える。もうちょっと力を出してセカンド以降のジャンプを跳べばいいだけだ。どうも力をセーブしているように見える。本人も修正は簡単にできると思っていたのかもしれない。だが、公開された練習風景での3連続もいつもこんな感じだ。ぽんぽんとリズムよく跳ぶが、少し足りない(ように見える)。もっと身体の軽いジュニア時代なら問題なく回りきれたのかもしれないが、身体が成長した今は、「あのころ」のようにはいかない。今回はフリーで3Aを1度しか入れなかったから、3Fは大丈夫だったが、これでもし3Aを2度入れ、かつ後半を「ぜひとも3Fからの連続に」と思うと、3Fがまたダウングレードジャンプあるいはパンクになってしまうのではないか。これがMizumizuの考えだ。だから、後半は3Fを単独と決めてしまう。そうすれば負担はずっと少なくなるし、GOE要件が増して加点がつきやすくなった今季は、鈴木選手の単独3Fのように、浅田選手の3連続より点が出るように思う。そのかわり、3T単独の次にシーケンスで2Aをつける。最後にもう1回2Aが来るが、2Aは3度入れることができるのでルール上は問題ない。ただ、音楽との調和がどうかという問題はある。最後に3回回る部分は音楽と調和して迫力がある。3T単独と2A単独の間のつなぎはかなり余裕があるので、ジャンプをもう1つ追加するのは可能のように見えるが、音楽とうまく調和するかどうか、やってみないとわからない。さらに、ジャンプ構成を変えることに対する浅田選手の精神的負担もある。この程度ならシーケンスだし、負担は少ないとは思うが、それでもシーズン途中で構成を変えると失敗しやすい。浅田選手には依然として、3連続を正面突破するほうが簡単に見えているかもしれない。それはそれで仕方がないが、今回のようなリズミカルにポンポンと跳ぶ3連続ではダメだということを肝に銘じなければ、何度練習で成功しても無意味だと思う。Mizumizuには、今からではこの3連続ジャンプのクセの克服のほうが難しいように思える。少なくとも2連続に納めれば、成功すれば単独よりは点が出る(実績から言うと8.1点)が、それならば、2Loをはずして3Fは単独として、加点を狙う。そのかわり3Tにシーケンスで2Aを追加したほうが、基礎点もほんの少しだが高くなるし、「3Fを3連続にしなきゃ」の精神的負担も減る。3F&2Lo(後半基礎点7.7点)+3T(後半基礎点4.4点)=12.1点3F(後半基礎点6.05点)+3T&2A(後半基礎点6.6点)=12.65点あとは、どちらが確実に降りれるか。むろん3連続のほうが基礎点は高いが、今のままでは捕らぬ狸の皮算用で点を失うだけのように見える。3F&2Lo&2Lo(後半基礎点9.35)+3T(後半基礎点4.4点)=13.75点浅田選手が実際に獲得した点6.95+5.4=12.35点ただ一方で、ジャンプ構成を換えることの危険性は中野選手のフリーを見るとわかる。
2009.12.30
Copyright belongs to Mizumizu. All rights reserved. This blog may not be translated, quoted, or reprinted, in whole or in part, without prior written permission.本ブログの著作権はMizumizuにあります。無断転載・転用を禁止します。許可なく外国語に翻訳して流布することも法律により禁止されております。また文意を誤解させる恐れのある部分引用も厳にお断りいたします。全日本フィギュアスケート選手権のエキシビションである「メダリストオンアイス」を見た。不況のせいか、ひところよりは演出が地味になったかもしれないが、このエキシビション、とっくにエキシビションのレベルを超えてもはや世界一流のアイスショーになっている。男子ももちろん素晴らしいが、何と言っても「黄金時代」の女子の演技には目を奪われる。まさに百花繚乱。こんな素晴らしいショーを見るのは、もしかしたら今年が最後かもしれない。中野選手の「ハーレム」は、これまでの彼女のエキシビションナンバーの中でも出色の出来。これをバンクーバーで舞って欲しかったし、本人の落胆はいかばかりかと思うが、そういうマイナスの感情をまったく見せないのが、人としても尊敬できる選手だ。最初のルッツを失敗していなければ、恐らく五輪のチケットは中野選手のものだった。トリプルアクセルに次ぐ難度であるトリプルルッツがフリーで1つしか入らない鈴木選手に対して、2つ入れてきた中野選手。基礎点の高いジャンプ構成を組んでも、1つの失敗で大きく点を失う。中野選手と鈴木選手のフリーの演技・構成点は63.28で同点。もし、どちらかを意図的に救おうとすれば、演技・構成点で差をつけてしまえばいいことなのだが、今回は、主観点では差をつけず、2人にとって納得がいくであろう、技術点の出来に結果を委ねた形になった。4年前のトリノに出て欲しかった気持ち、出るべきは中野選手だったという確信は、きっといつまでもMizumizuの中から消えることはないが、今回の選定は、あのときと違って公平感があったのが救いだ。もちろん、鈴木選手のダンサブルなステップも一瞬たりとも目が離せない。あのはじけるような明るさ、滑る歓びを体全部で表現できるパフォーマンス力は、生真面目さが本番の演技に出て硬くなってしまう中野選手にはない武器だ。そして浅田選手。可憐な初舞踏会から、人格まで変わったような気迫溢れる鐘へ、そして軽やかで奔放で「気まぐれ(カプリース)」な淑女へ。圧巻の表現力だった。あのフリーは真央ちゃんに合わないという一部のファンからの悪評や懸念を、彼女は自分自身のパフォーマンスでねじ伏せた。結局のところ、多くの人は、作品を「評判」で見る。自分の目で見ているつもりだが、実際には「評判」で判断している。評判が高まれば感動する人が増える。浅田選手のファンがやるべきことは、自分の趣味や希望を押し付けるのではなく、彼女が表現する世界に寄り添い、理解し、賞賛し、背中を押してあげることなのだ。結果どうこうを最初に考えてはいけない。あれほど素晴らしいフリーで観客を総立ちにさせた浅田真央。もういいかげんにネガティブキャンペーンを日本人自らがやるのは、やめて欲しい。夕刊フジにまた事実誤認だらけの不愉快な記事が出た。しかも内部の人間が情報をリークしているのは明らか。リークした人間が話を歪めてるのか、書いてる人間が歪めてるのかは知らないが。今の日本のフィギュアフィーバーの立役者はなんと言っても浅田真央。浅田選手が五輪が決まったことでの経済効果は100億だという記事も出た。さらに、全日本フィギュアスケート選手権2009女子フリーのテレビの瞬間最高視聴率が37.2%とも。本当に凄い。かくいうMizumizuのこんな個人ブログにもアクセスが1日2万7000件・・・(驚)。男子では高橋選手の人気が沸騰しているが、そうは言っても高橋選手のことだけを書いていたのでは、恐らくこんなにたくさんの人は読みに来ない。これほどまでに国民から愛されている浅田真央。ところが悲しいことに、最初のうち「鐘」を積極的に評価する声は日本人の識者からはほとんど聞こえてこなかった。フィギュアをよく知っているコーチが何人か、プログラムの素晴らしさを認め、五輪の舞台に相応しい、浅田選手はよく音楽を表現してくれている、と言ってくれた程度。あとはヨーロッパ。フランスのベテラン記者が、「プログラムの高度な振付に感動した」と言ってくれた。こういう記者やライターがなぜ日本にいないのか。そんなに皆、目がないのか。孤立無援ともいえる状況の中で、「私は鐘を表現できると思っている。だからやる。プログラムを変えるなんてありえない」と主張した浅田選手はたいした根性だ。一流のパフォーマーとは常にそうしたものだ。100人が100人、「あなたにはできない」と言っても、自分ができると信じたら演じる。短絡的な結果を欲しがるエセは、こういう態度は取れない。そして実際に、ここまで解釈を深めてきた。「鐘」の最後のステップでは総毛立つような、ほとんど宗教的な感動を覚えた。言葉もなく見つめる以外何もできない。世界に浅田真央と、彼女を見つめる自分しかいなくなったような感覚。これぞ表現芸術の極致。わかりやすくインパクトがあるが、見るたびごとにつまらなくなる上っ面作品とは別次元の世界。今のフィギュア界で、タチアナ・タラソワ以外、誰がこんな世界を作ってくれるだろう? 誰がそれを演じ切れるだろう? もしかしたら、浅田真央で最後かもしれない。だが、今回の「メダリストオンアイス」に限っていえば、私的ベストオブベストは、安藤選手の「レクイエム」。ショートとエキシビションで同じ音楽の別の表現を見る楽しみは、喩えようもない。このショート、このエキシビションナンバーが、安藤選手のベストオブベストだと思う。衣装も素晴らしい。安藤選手の衣装デザイナーはどなたで?(笑)今回の衣装。胸元から腕にかけてのレースと、胸から腰にかけて大胆に斜めに入った十字架部分のレースは、微妙に模様が違っている。この洗練されたデザインのレース使いにまず目を奪われた。そして、長めで、イレギュラーなカッティングのスカートの軽さと上品さ。スピンに入ると黒の色調の中に、紫が混ざってくる。布が長い分、より紫の主張が強くなる。そして、透けた布越しにうっすら見える、安藤選手の美しくセクシーなヒップライン。出るところは出て、引っ込んだところは引っ込んだ、女性として理想に近い安藤選手の女性美を黒い衣装がエレガントに引き立てている。最初に心臓の鼓動そのもののような動作から始まるEX「レクイエム」。安藤選手が天を仰ぐと、こちらも一緒になって天から降りてくる光を見る。動作も風格があって美しいが、氷上に横たわった安藤選手の肢体は、ドキドキするほど魅力的だ。背中が大胆にくれて、素肌がスポットライトに照らされて輝く。役者が役者になるのに人生の経験が必要なように、「かわいい女の子」が「魅力的な女性」になるのだって経験が必要なのだ。安藤選手は装う必要はない。これほど女性の激しさ、深さ、やさしさ、傷つきやすさを、生(き)のまま表現できるスケーターはいない。稀代の振付師ニコライ・モロゾフと作り上げた世界で、「ぼくたちのゴール」と彼が彼女に告げたバンクーバーに向かって、迷わずに進んでいって欲しい。さて、ここからはプロトコルから見た技術的な話を。浅田選手と鈴木選手のフリーの技術点は、浅田選手67.90、鈴木選手65.78。フムフム、浅田選手のほうがやっぱり高い。大技トリプルアクセルを入れてるせいかな・・・細かく分析しなければそう思うかもしれない。だが、実際には浅田選手の技術点が鈴木選手を上回ったのは、ジャンプ以外の要素の取りこぼしが少なかったからだ。スパイラルは残念ながらレベル3に留まったが、スピンでずらりとレベル4を並べ、ステップはレベル3に加点3のオンパレード。1人をのぞいてすべての演技審判が加点「3」を出している。一方の鈴木選手も元来エレメンツの取りこぼしが少ない選手なのだが、今回はスピンでレベル4が1つにレベル3が2つ。そして一番目立つ取りこぼしは、スパイラルがレベル1になってしまったこと。スパイラルでの鈴木選手の得点が2.7点。浅田選手が4.5点。これだけで1.8点の差がついた。また、鈴木選手はステップがレベル2(盛り上がりは凄かったが)。浅田選手のステップが卓越しているのは、ステップのレベルを3にキープしつつ(高橋選手でさえ何度もレベルを2に落としたのに)、かつその難度の高いステップより自分が高い位置にいて、踊りながらステップを踏み、観客をその世界に引き込んでいくことができるということだ。アピールを気にするとしばしばレベルが取れないのが今のルール。レベルを取ろうとすると、「確実にターンしておりますです」という感じになり、感動が薄れる。浅田選手は、レベル取りと高い次元での感動を両立させた。だが、ジャンプに関しては、浅田選手と鈴木選手のフリーの得点を見ると、3Aを入れている浅田選手より、3Aどころかルッツも1つしか入っていない鈴木選手のほうが高いのだ。特にジャンプに定評があるわけでもない、五輪代表としても日本で3番手、4番手だった鈴木選手が、3Aを跳ぶ天才より点を出す。これが狂気の沙汰ともいえるような「厳密な」ダウングレード減点の「成果」なのだ。浅田選手のフリーのジャンプだけの得点3A 8.20(基礎点) 9.60(GOE後の実際の得点)2A+2T< 3.90 4.703F+2Lo 7.00 7.40ここから後半x印は基礎点が1割り増しになるということ3Lo 5.50 X 6.703F+2Lo
2009.12.29
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This blog may not be translated, quoted, or reprinted, in whole or in part, without prior written permission.本ブログの著作権はMizumizuにあります。無断転載・転用を禁止します。許可なく外国語に翻訳して流布することも法律により禁止されております。また文意を誤解させる恐れのある部分引用も厳にお断りいたします。今や世界一層の厚い全日本女子。この中でたった3人を選ぶというのは非常に残酷なことだ。特に中野選手。今回の五輪には個人的に行って欲しい気持ちが強かったのが、今季フタを明けてみたら、鈴木選手のほうが調子も成績もいい。全日本では僅差だったが、最終的には鈴木選手に軍配が上がった。ただ、中野選手も世界選手権に選ばれたということなので、こちらでメダルを目指して頑張って欲しい。女子の印象を一言で言えば、やはり「減点されない選手が強い」。もっと言えば、「ダウングレードとエッジ違反を取られない選手が強い」ということだ。今回結果の出なかった中野選手、村主選手に共通しているのは、シーズン前に3回転+3回転などの高難度のジャンプに意欲を見せていたことだ。対して鈴木選手は、徹底したダウングレード対策。昨シーズンの国際大会でダウングレードされたジャンプを組み替えたり、1つ1つをきっちり跳ぶ意識を高めたりして、極力ダウングレードを取られないジャンプ構成で来た。エッジ対策もすばやい。今季ルッツにwrong edge判定が下るや、ショートから外してループを入れてきた。基礎点は下がってしまうが、「加点・減点のマジック」を考えると、基礎点の高いジャンプを入れるより、減点されずにきちんと降りてこられるジャンプを入れるほうが強いのだ。ルッツにもフリップにも連続ジャンプをつけることができ、かつバランスよくジャンプを跳べる選手の強みだ。単独ループは最初に入れたときはダウングレードされたが、次からはきちんと回ってきている。フリーのルッツも2回を1回に変更した。こういうことが臨機応変にできるところが凄い。驚いたのは2A+3Tの連続ジャンプをやめて、3Tからのシーケンスで2Aをつないで、3Tのダウングレードを防いだことだ。シーケンスは基礎点では連続ジャンプには劣り(後半の2A+3T連続ジャンプは基礎点8.25点、後半3Tから2Aのシーケンスでは6.6点)、加点は付きにくいが、1つ1つをきちんと降りてしまえば連続ジャンプよりダウングレードの危険性は少ない。これには、本当に驚かされた。ショートにもフリーにもダウングレードが1つもないというのは、素晴らしいの一言(実は、ちょっと怪しいと思ったジャンプはあったのだが・・・)。・・・浅田選手もこの手を使えばよいのに・・・実は昨季の終わりぐらいから個人的には妄想していたのだ。浅田選手は連続にするとどこかでダウングレードを取られやすい。昨季からそれが目立ってきているし、今季はあからさまに取られている。今回2A+2Tの2Tさえダウングレードされた。今さら遅いかもしれないが。跳躍力のある浅田選手なら3Tにシーケンスで2Aをつけることも、2A+2Aのシーケンスにすることもできるだろうに・・・鈴木選手もシーズン途中で変えることができるのだから、ジャンプの組み換えが苦手な浅田選手とはいえ、シーケンスに変えることは難しくないようにも思うのだ。鈴木選手の表現力も、国際大会ではまだまだ点が出てこないが、際立ったものがあると思う。フリーの最後のステップのなんと生き生きとしていること。あれだけビビットに踊れる選手は世界広しといえど、そうはいない。オリンピックでは、プレッシャーもないことだし、思いっきり伸び伸びと演技してほしい。中野選手は、昨季からルッツとフリップが安定していなかった。ルッツとフリップに対するエッジ違反と回転不足。この課題が、全日本でも克服されていない。今回のフリーでは3つのジャンプに「!」マークで減点。こういう細かいところで違反を取られるとGOEで減点され(あるいは加点が抑えられ)、技術点が伸びなくなってしまう。ただ、後半にもってくるとファーストジャンプが回転不足になりやすい3F+2Tは前半に決めて、昨季までしばしば取られたダウングレードを防いだのはりっぱだと思う。とにかく、中野選手のやるべきことは、トリプルアクセルでも3回転+3回転でもなく、ルッツとフリップの安定。これだけだったのだ。村主選手の課題も3回転+3回転ではなく、ルッツの矯正、ルッツの矯正、ルッツの矯正。これだけだったのだ。昨シーズンの全日本でMizumizuを激怒させた、村主選手のwrong edgeに対する甘い採点。あのようなことをしても決して選手のためにはならない。今回ショートのルッツで村主選手は転倒したが、これは以前から指摘しているwrong edgeをかかえる選手の典型。つまり、エッジを気にして、踏み込みの間に不正エッジに入ってしまう前に離氷しようとするから、回転が足りなくなる。この現象はウィアー選手のフリップでしばしば見られた。男子のトップ選手でも、そうやって跳び急ぐと回転が足りなくなる。村主選手も回りきれずに降りてきて、最悪のダウングレード転倒になってしまった。オリンピックシーズンに短期間でコーチを替えるのもよくない。新しいコーチは、どうしても選手のかかえる根深い問題に気づくのが遅れがちだからだ。ルッツの矯正は年齢的に難しかったかもしれないが、これまでできていない高難度の連続ジャンプに挑戦するよりは、ずっとうまく行く可能性が高かったはずだし、実際エッジ自体はかなり直ってきている。村主選手はケガがあったようだが、ケガも無理な挑戦が引き金になることが多い。ただ、今回はジャンプ構成をきちんと国際大会基準にして、3サルコウも入れて、しかも成功させた(今季はなかなか成功させられなかったジャンプだ)。今季崩れてしまったジャンプを立て直せなかったのは、いかにも残念だが、これも人生。無念というなら、1度も五輪に出ることが出来なかった中野選手のほうが無念だろう。村主選手の実績を世間が無視して、荒川静香ばかりを持ち上げても、Mizumizuは忘れるつもりはない。日本女子冬の時代に、1人でフィギュア界を牽引していたのは荒川選手ではない。村主選手だったのだ。ことにベートーベンの「月光」は、今でも心に残っている。蒼白い月の光が一瞬氷の上に差してくるような表現力。「ハートで滑る」といい続けた村主選手にしか作れない世界だった。安藤選手は、今回もずいぶん体調が悪そうに見えた。単なる疲労であればいいのだが。ファイナルのときは右ひざを痛めていたというし、コンディションが心配だ。それにしても、安藤選手の衣装は毎回凄い・・・。資金が潤沢なんでしょうか?(苦笑)浅田選手は、自爆や転倒がなかったのが最大の収穫。だが、問題は連続ジャンプにしたときのダウングレードだ。今回は、ショート 3A<+2Tフリー2A+2T<3F+2Lo<+2Lo<とダウングレードを取られた。判定は厳しいと思うが、オリンピックではもっと厳しくされるかもしれない。ダウングレードされるところは決まっているのに、毎回同じことをして、ほとんどお約束のように取られている。これは「乗り越える」より「構成を変える」という方向で考えたほうがいいのだが、浅田選手という人は、ジャンプの組み換えが苦手な選手で、何がなんでも正面突破しようとする。ここまで何度も試みてなかなかうまく行かない。後半の3Fからの3連続ジャンプなど、むしろ単独のほうが加点がついて点が出るように思う。あるいは連続も2回なら回りきれるのかもしれない。ショートの単独フリップは、どこからどう見ても文句をつようがなく、実際に加点がかなりついた。自分では降りているつもりでも思わぬところでダウングレードされる。それが今の採点だ。ダウングレードされがちなジャンプは、可能なら避けるほうがいい。「基礎点重視」ではなく、「減点回避重視」のほうが、今のルールでは強い。フリーでは2つともフリップを連続にするのではなく、1つを単独にして、そのかわり3Tから2Aへのシーケンス、あるいは2A+2Aのシーケンスへの連続ジャンプの組み換えというのは、考えられないのだろうか(←くどい?)。セカンドに3トゥループや3ループをつけるのは、ダウングレード判定が厳しくなっている状況では、あまりに危険なので、シーケンス作戦が今からでも間に合う最も現実的な戦略だと思うのだが。今回はフリーでトリプルアクセルを1回にした。あれを2度入れて体力を使うと、後半の3フリップも低くなってダウングレードされてしまう可能性が高いように思う。3A+2Tの3Aのダウングレードは、もしかすると3A+3Tを練習しているうちにファーストジャンプをきっちり降りるという意識が弱くなったのかもしれない。フリーの単独のトリプルアクセルは認定されているのだから、単独なら降りられると見ていい。あとは、回りきってセカンドにつなげるという意識がもてるかどうか。去年成功させているので、不可能ではないと思う。とにかく、3A+3Tはもう練習でも避けるべきだ。3Aを回りきって2Tにつなげる。ショートの課題はそこ。高いレベルの連続ジャンプに挑戦してはいけない。そうすると、また足元の小さな欠点克服ができなくなってしまう。ダウングレード判定は、甘く見てはいけない。キム・ヨナ選手にしても、本当のところ、セカンドの3トゥループが回りきれているのか、Mizumizuはかなり懐疑的だ。またフリーではルッツやサルコウが不足気味になることがしばしばある。女子の3回転ジャンプというのは、だいたいがギリギリなのだ。キム選手だけが絶対的な例外だというのは、ただの思い込みに過ぎない。ダウングレード判定は、スペシャリストによっても違ってくる。キム選手に対して、昨シーズン初めてフリップのエッジにE判定をしたのも、今季のファイナルでセカンドの3トゥループをついに(?)ダウングレードしたのも、スイスの同じ審判だ。ファイナルのショートでキム選手がフリップのエッジに神経質になり(と荒川静香が言っていた)、失敗したのも、「あのジャッジ」という警戒感があったのかもしれない。選手にとって判定に不公平感が生じるのはどうしようもない。キム選手のように選手本人があからさまにジャッジングを批判するのはスポーツマンシップに反すると思うが、あの陣営に今さらそんなことを言っても仕方がない。とにかく、日本選手としてできることは、「自分がダウングレードを取られないようにすること」だ。だがしかし、全日本女子の演技は、みな素晴らしかった。ことに、ショートでの浅田選手の可憐さと上品さは、命の洗濯をさせてもらうかのよう。まさに、氷上に咲いた一輪のピンクのバラ。衣装は目を惹く胸元のディテール――花形の髪飾りとお揃い――に加え、スパンコールを散りばめた繊細なレース使い。あれはほっそりとしたウエストをもった女性にしか似合わない。初舞踏会の初々しさと可愛らしさ、胸はずませる躍動感が、どこまでもエレガントに表現できていた。細い選手は往々にして体力がないが、浅田選手のスタミナは群を抜いている。動作が限りなく華麗で、どの瞬間をどう切り取っても美しい。しかも、これまでなかなか取れなかったスパイラルでのレベル4、ロシア杯に続いてレイバックスピンでのレベル4を取った。もちろんフリーの荘厳な世界も感動的だ。「アウェイ」で戦うバンクーバー。ショートもフリーもオーケストラでジャンジャン音を鳴らすことで、タラソワは浅田選手を守ろうとしている。フリーは繊細なピアノ曲にしてもよかったはずなのに、北米で観客からさんざん冷遇されたロシア選手を見ているタラソワは、音楽の壁を作ることで、浅田選手が自分の表現する世界に集中しやすいようにしたのだ。「下から湧き上がってくるような感動」を、今回はファンの皆さんも味わえたのではないか。
2009.12.28
今回ファイナルも日本だったので、客席の様子にも注目したのだが、案外年齢層の高い女性が多いのには驚いた。最近の日本の景気は中高年の女性が引っ張っていると思うのだが、フィギュア人気もどうやらそうなのかも。あるいは、チケット代が高いので若いファンには敷居が高いのか。しかも、高橋選手に対する応援は熱狂的。ショートのステップで高橋選手が客席に接近すると、最前列に陣取った女性が昂奮している。ショーのときはたまたまかと思ったのだが、ファイナルでも全日本でもいつもそうだ。バンクーバーの男子ショートでもあのあたりの席が確保できませんかね? もしできたら、大輔命のファンの方は、旗振って歓声あげて、大いに盛り上げてくださいな。こんなに人気のある日本人男性スケーターというのは、ちょっと記憶にない。再起が危ぶまれるケガから復帰し、世界トップに返り咲いた。その奇跡的な物語がなおいっそうファンの琴線に触れたのかもしれない。対して、織田選手に対する応援は、明らかにお義理の拍手・・・に見えるのは、気のせいでしょうかね?(苦笑) あの最後の楽しげなステップでは、もっと客席が盛りあげてあげてもいいと思うのだが。表現力の差を明確な数値の差として出すことには、何度も書いたように基本的に反対のMizumizu。だが実際、今季の高橋選手の表現力はケガ前を遥かに凌いでいると思う。もともと音楽やドラマの世界に入り込む能力は日本人離れしていたが、今の高橋選手にはそれを当然のこととして、さらに観客と心を通わせる「コミュニケーション能力」が備わった。モロゾフ振付の世界を演じていた高橋選手は、どちらかというと自分の世界をひたすら構築していた感があるが――というより、振付師モロゾフの作り上げた世界にひたすら献身していたというべきか――今の彼はあのころより自由に、さらに伸び伸びと、観客やジャッジとコミュニケーションを取ろうとしている。昨今の採点で「ジャッジへのアピール」が必要だと感じたのか、高橋選手はさかんに、そのことを口にする。それを意識して、しかも実際に出来てしまうのが凄いところだ。Mizumizuは、ことに「お手玉」をマイムで表現する部分が大好き。高橋選手の手から空中に飛んで、落ちてくる球体が目に見えるよう。思わず視線で追ってしまう。役者ならともかく、ここまで表現できるフィギュアスケーターが、他にいるだろうか?こうした次元に行くには、才能も必要だが、経験も必要だ。子役時代に優れた才能を発揮しても、大人になると俳優として大成しない人が多いのは、当たり前の人間としての「経験」が子役として仕事をしてしまうと欠けてしまうことが多いから。演技力を熟成させるのには、経験が必要。その意味では、高橋選手を襲ったケガは、間違いなく彼を高みに引き上げるのに役立った。また、それを表現するのは肉体なので、過酷なリハビリで下半身を柔らかくしたことも無縁ではないだろう。だが、物事には光と陰がある。得たものも大きいが、失ったものもあることは否定はできない。何といっても、フリーの後半のジャンプを決める体力がまだ戻っていない。ケガ前は跳べた4回転も確率が悪いという。才能はGift、つまり与えられたものだ。本人の努力がどうのと言うが、そもそも才能のない人間は、努力できない。せいぜい短期間努力したとしても、継続することができない。天才とは努力のできる人と同義であって、本人がそれを隠しているか、さほど気にしていないだけだ。才能のある人に「あなたはなぜそんなことができるのか」と聞いても、本人は答えられないことが多い。だからこそ、何か特別なものを与えられたら、代わりに何かを神様に返さなければいけないこともある。体力と4回転を取り戻せるのかどうかは周囲にはわからない。だが、やはり、最終的には金メダルどうこうという「結果」より、プログラムをミスなく滑りきるにはどうしたらよいかという「いちパフォーマーとしての選択」をしてくれればいいと、Mizumizuとしては思う。そのうえでの1つ、あるいは2つぐらいのミスなら仕方がないだろう。「道」は今季、あまりにミスが多い。ジャンプ構成に対して体力がどうしてもついていかない。ある一面で、ランビエールの「ポエタ」を思い出す。だが結論は、あくまで高橋選手次第だ。高橋選手に関しては、短絡的に4回転を外すべきか入れるべきかの二元論では語れない。五輪は選手のためのものであって、本人に悔いが残るのが一番いけない。伊藤みどりと荒川静香の解説を注意深く聞くと、伊藤みどりは、回避策について、「やはり確実に、ということできましたね」と、否定はしないが、積極的に賞賛する言葉は口にしない。逆に高難度ジャンプに挑戦して失敗しても、「でも、挑戦してきましたからね」と必ず暖かいエールを送る。一方で、荒川静香は回避策に関しても、「これはいい判断だったと思います」と評価してあげている。この温度差は、2人の五輪での「結果」にあると思う。回避策で荒川選手が金を獲ったのは周知の通り。一方のアルベールビルでの伊藤選手は、ショートで調子の下がった3Aを外す決意をして換わりに入れたルッツで失敗した。この選択は、山田コーチによれば伊藤選手自身が下したものだったという。だが、本人のためではない。「自分のことだけだったら3Aを跳びたい。でも、日本を代表して来ているからには順位を取らなくては」と伊藤選手がコーチに言ったという。あのときに自分のアイデンティティでもあるトリプルアクセルに挑戦しなかったことは、口には出さないにしても、伊藤みどりの心に長く、苦く、残ったことは想像に難くない。Mizumizuは「ジャンパー包囲網」とも言える現行ルールのもとでもなお、日本のメディアが煽っている大技信仰には賛成できないが、といって、信仰を持つ人を否定はできない。高橋選手は、4回転を試合で一度も決めていない(しかも、恐らく次の五輪も狙える)小塚選手とは状況が違う。以前はできたことなので、それを取り戻したいと思う気持ちについて今はもう批判めいたことを言う気にはなれないし、実際に、スピンに関しては、あれだけボロボロだったファイナルから短期間で見事に立て直してきた。ステップもレベルを揃えた。織田選手に関しては、4回転が武器になるか足を引っ張るか、まだ微妙な線にいると思う。今回の結果を見ると、やらないほうが点が出るように思うが、オリンピック本番の日の調子やショートの順位にもよるかもしれない。織田選手は去年ほど4回転に固執していない。入れずに今季結果が出てるからだと思う。「コーチと相談して決める」と言っている人なので、2人の選択に任せるべきだろう。ジャンプというのは「できる」はずのものでも、失敗することがある。伊藤みどりが、「跳んでみないとわからない」と言ったが、天才ジャンパーが言うのだから間違いはないだろう。小塚選手に関しては、4回転など問題外だ。今回4回転を入れなくても後半で体力が持たなかった。ジャッジングに関しては、今季はエレメンツのレベル取りも厳しく、エッジ違反も厳しくなっている。男子でもジャンプが低いとダウングレードされる。今季の小塚選手は、振付が昨シーズンより難しい。そうした状況にもかかわらず、4回転を入れ続けたことが、今季の成績不振につながった。今回は国内大会なので、演技・構成点も出てきたが、国際大会での低い評価は、正直不当ではないかと思うぐらいだ。昨シーズン最後の世界選手権では、織田選手と小塚選手の評価にそれほど差はなかったのだ。今季に入ったら、伸び盛りのはずの若い小塚選手は1戦目から演技・構成点が低く、2戦目では自爆してしまい、織田選手は確実な演技を見せ付けて点を伸ばし、ファイナルでは2位に入った。対照的な結果になっている。小塚選手本人が自爆を繰り返していては、下げてくれと言っているようなものだ。ミスをしても演技・構成点を高くもらえる選手もいるが、小塚選手はその域には達していない。彼はコーチの指示をよく聞く選手なので、コーチ陣が冷静な判断をして、五輪に向けて調整してほしい。「これが決まれば点どうこう」より、いい演技をしなくては。ギターの音を表現することに徹底的にこだわった今季の作品は、派手でもなく、残念ながら思ったほどジャッジの評価も高くない(これは、評価のトレンドと合わなかった面もある)が、素晴らしいチャレンジだと思う。全日本ではショートは見ごたえがあったし、フリーも前半は傑出していた。上半身の動きもよくなった。フリーの後半バテて、「なんとかジャンプ跳ばなきゃ」になってしまうのが、Mizumizuとしては、何とも残念なのだ。
2009.12.27
全日本男子フィギュアが終わった。一言で印象を言えば、高橋大輔選手という人は、本当に、真から「華」のあるスケーターだということ。彼が滑ると他の選手はすっかりかすみ、ほとんど「前座」になってしまう。今季のショート「Eye」とフリーの「道」は、高橋選手のこれまでのプログラムの中でも傑出している。「フリーをまとめることさえできれば」という前提つきだが、フィギュアスケート史に残るエポックメイキングな傑作になるだろうに。一方で強く感じたのは、今季はやはり、競技者として本当に強いのは高橋選手ではなく織田選手だということ。今回の試合で、Mizumizuが注目していたのは・・・高橋選手のフリーのまとめ具合「まともに滑れなかった」とモロゾフに酷評されたファイナルの次の試合、今季5回目の試合で、どれだけの演技が出来るか。もっと具体的に言えば、次のような優先順位になる。1)体力がもつかどうか(実際には、スピンもステップもジャンプも、これにかかっていると言える、極言すれば、問題はそれだけなのだ)。2)スピンとステップでのレベル取りができるか。ステップはレベル3を揃え、スピンもできればレベル3以上を揃えたい。世界トップ選手と比肩するだけのレベル取りに彼はこれまでしばしば失敗している。3)スピンでのGOE(質の評価)での減点を防げるか。難しいポジションで回るあまり、軸が広がってしまったり、流れたりでGOEで減点されることがあった。これは非常にまずい。4)ステップやスケーティング部分で、足がついていくか。ときどき変なところで躓いたり、エッジを引っ掛けたりする小さなミスが目立つ。5)4回転を入れることは公言している高橋選手だが、練習での成功率を聞くかぎり、本番で決めるのはまず9割がた無理。となると、4回転を入れたあとの失敗パターン「次に難しいトリプルアクセルで失敗する」「後半のいつも跳べるジャンプで失敗する」をどれだけ防げるか。特に高橋選手の場合、後半の連続ジャンプのセカンドと単独のループが危ない。織田選手織田選手に関しては、高橋選手に比べると課題はかなり少なかったのだが・・・1)4回転は成功するか否か。練習での成功率も高橋選手より高いし、昨シーズンの世界選手権で成功させている。もし、今回の全日本で4回転を成功させる選手がいるとしたら、それは織田選手だと思っていた。2)4回転を入れたあとの失敗のパターンを防げるか。特に今季なかなか2つ揃って決められないトリプルアクセルをきちんと降りられるか。このぐらいだったのだが、あとは強いて言えば3)スピンをレベル3以上でまとめたい。高橋選手に比べると、課題は非常に少ない――ファイナルで銀メダルの実績が示すとおり、完成度がもともと高いのだ。小塚選手小塚選手は、「理想追求型」の最も悪いパターンに、ファイナルのかかったNHK杯ではまってしまった。次々とジャンプを失敗した悪夢を払拭し、今回ジャンプを立て直せるかどうかに着目した。具体的には・・・1)小塚選手にとっては、もうどう考えても「バンザイ突撃」でしかない4回転を外す勇気があるか。あるいはまだ固執するのか。2)2度のトリプルアクセル。これも去年なかなか2つ揃えて成功できなかった。そして、後半のジャンプはちゃんと降りられるか。3)ステップのレベルを2から3に引き上げられるか。ファイナルフリーのプロトコルはこちらhttp://www.isuresults.com/results/gpf0910/gpf0910_Men_FS_Scores.pdf全日本フリーのプロトコルはこちらhttp://www.skatingjapan.jp/なので、見ていただければわかることだが、高橋選手に関して言えば、ファイナルよりは段違いによかったと思う。だが、厳しい言い方をすれば、それは「まともに滑れなかったファイナルに比べれば、だいぶまともに滑れるようになった」というだけで、あのジャンプのミスの多さで五輪でのメダルを期待するのは、かなり難しい。今回フリーでも高橋選手が織田選手の点を上回ったのは、演技・構成点を「爆上げ」したからだ。フリー 高橋 技術点79.98+演技・構成点88.3=168.28織田 技術点85+演技・構成点80.7=164.7こういう演技・構成点の付け方をみると暗澹となる。演技・構成点は基本的に主観点なのだ。1位と2位で8点もの差。これでは、エレメンツの質をあげようとコツコツ努力をしても報われない。去年の全日本の男子フリーで1位の織田選手と2位の小塚選手の演技・構成点の差は2.4点だった。繰り返すが、点や点差が妥当か妥当でないかという論争は、まったく不毛なのだ。ファンであれ、ジャッジであれ、自分が評価する選手の点ならいくら高くても「妥当」あるいは「やや高め」程度に思える。自分が評価しない選手の点が高ければ、「高すぎる」「非常識」と感じる。点差についても、「質や出来に差がある」のはわかるにせよ、その差を数字化して「2点差」なら妥当か「5点差」なら妥当か、「8点差」でも妥当かという話になれば、まったくの水掛け論だ。ということは、オリンピックで、「素晴らしい振付で、素晴らしい演技をした」とジャッジが判断すれば、日本選手を低く、チャン選手や、あるいはライザチェック選手を「非常に高く」付けられても、文句は言えないということにもなる。「道」に関して言えば、もちろん類のないほど素晴らしいプログラムだし、高橋選手ほどの演技性・パフォーマンス力を発揮できる選手は、ほとんど見たことがない。だから、88点という演技・構成点も妥当だと言えば妥当と言えてしまうが、それはあくまで「ホーム」での話。パトリック・チャンの本拠地であるカナダでは観客のノリも違ってくるし、同じような評価をしてもらえるかどうかわからないのだ。素晴らしいパフォーマンスをしても、点が「変に低く抑えられている」選手はいくらでもいる。今回の全日本では、「高橋選手を勝たせたい」という力学が働いたのは明らかだろう。そもそもシンボルアスリートがオリンピックに出ないのでは、話にならない。ショートで見てるファンが「はあぁ~?」とひっくり返るような点差で2位以下を引き離し、フリーでは演技・構成点を高くして、ミスが出ても逃げ切るというのは、キム・ヨナ選手やロシェット選手のパターンにそっくりではないか。採点はこんなもの。なので、実際のところの選手の課題克服具合はどうだったか見てみよう。まず高橋選手1)体力――ファイナルより段違いによかったが、結論としては、やはり体力不足が後半のジャンプの乱れに出た。だが、その他は大きなミスもなく、情感もこもった素晴らしいパフォーマンスだったのではないか。正直に言うと、Mizumizuの予想を遥かに超えた出来だった。2)スピンとステップのレベル取り。これも文句なし。国内大会で、ある種の「力学」が働いたことを考えると、このレベル認定をそのまま信じていいものか、若干不安はあるし、ショートのステップのレベル4は、「お手盛り」感があるが、あれだけアラの目立ったスピンを、ミスなくまとめてきた。素晴らしい。驚異的だ。3)スピンでのGOEマイナス。ショートとフリーでまったくゼロではないが、これだったら問題はないと思う。Mizumizuが個人的にいつも非常に気になっていた、フリーのFCCoSpの最後の軸の流れも、今回はなかった。4)変なところでの躓きやエッジの引っ掛けも今回は気にならなかった。よく気持ちをコントロールしていたと思う。5)4回転を回りきれないのはわかっていたが、転倒しなかったのにはホッとした。続く2つのトリプルアクセルも素晴らしい出来。だが、やはり後半になるとジャンプの着氷が乱れる。心配していたループはやはり減点着氷。ルッツもダメ。連続ジャンプは3F+3Tをなんとか降りたのみ。気になるのは、ルッツを1つ連続にできなかったことよりも、片方のルッツについてしまった「!」。アテンションとはいえ、エッジ違反を取られたのは初めてではないだろうか。これは要注意だ。何度も言うが、今のルールは、「減点されない選手が強い」。高橋選手はトリプルアクセルを前半に跳んでしまうかわりに、ルッツを2つ後半に持ってくる。トリプルアクセルは体力のある前半なので跳べるが、次に難しいルッツは後半跳べなかったと見るべきだろう。つまり、「4回転を入れるとはまる失敗のパターン」から今回も抜け出せなかったということだ。織田選手1)4回転は回転不足のまま転倒。非常に悪い結果だった。2)だが、それ以外のジャンプは全部降りた。課題のトリプルアクセルも2つ決めた。強いて言えば、4回転の直後のトリプルアクセルが低くなっていたように思う。だが、「お休み」をうまく入れた後半では、逆にジャンプの高さを取り戻し、結果、すべてのジャンプに加点がつく、超・超素晴らしい出来。4回転を入れるとはまる失敗のパターンに、まったくはまらなかったのだ。高橋選手とはここが違うし、この差は、ハッキリ言ってとてつもなく大きい。プルシェンコを除く、現世界のトップ選手が、ほとんど全員このパターンから抜け切らずにいるのが現実なのだから。3)スピンもステップも文句なしのレベルを揃えた。小塚選手1)4回転はさすがに外してきた。遅きに失した感はあるが、「基礎点の高いジャンプで点を稼ぐ」という理想が、幻想だと気づいたのは収穫だろう。4回転というのはただの1つのエレメンツに過ぎない。武器になるか足を引っ張るか、きちんと見極めなければ、プログラムはキズだらけになってしまう。今回は目に見えてプログラムの完成度が上がった。2)2度のトリプルアクセルを見事に決めたのは最大の成果。だが、後半のジャンプはダブルになったりシングルになったり、おまけにフリップにアテンションが付いた。小塚選手は、今季は確か2度目?。エッジ違反判定は今年、どうも厳しくなっている気がする。これも気をつけないといけない。3)ステップのレベルはSlStがショート、フリーともレベル1。これはいけない。ショートはちょっとしたアクシデントのせいかもしれないが、フリーが大問題。これも体力不足が原因かもしれない。どちらにしろ、まだステップのレベルが揃えられないというのには、頭を抱えてしまう。要するに、競技内容としての完成度が高いのは、どう考えても織田選手なのだ。フリーの「チャップリン・メドレー」は、織田選手の欠点を補い、長所を目立たせるようよく練られた作品だと言える。だが・・・まあ、これは主観もあるかもしれないが、高橋選手の「道」が始まると、すっかり色褪せる感がある。「道」は振付もシングル選手のフリーとしては革新的だが、やはりパフォーマーが天才なのだろう。モロゾフはファイナル後に、安藤選手の「クレオパトラ」を自画自賛した。計算高いモロゾフらしい上手いプロパガンダだ。つまり、プログラムというのは「評判」で印象が変わってくる。ファイナルで安藤選手のフリーの演技・構成点は、キム選手にかなり接近した。そのタイミングを見計らって、「評判」をさらに高めようとしているのだ。モロゾフは、「高橋選手がフリーを滑りきれないことはわかっていた」とも言っていた。そうだろうと思う。実際、ファイナルのフリーは体力がまったく持たずに傷だらけ。だが、「道」に対して、自作の「チャップリン・メドレー」が優れているとは、間違っても口にしない。というより、できないのだ。短所を補い、長所を際立たせるという振付の熟練度では文句のつけようもないにもかかわらず、結局のところ、織田信成の演じる喜劇王の物語は、高橋大輔の道化師の物語には及ばない。私見では、大人と子供ぐらいの表現の力量の差がある(織田選手のファンの方、ごめんなさい)。う・・・文字制限・・・続きは明日
2009.12.26
Copyright belongs to Mizumizu. All rights reserved. This blog may not be translated, quoted, or reprinted, in whole or in part, without prior written permission.本ブログの著作権はMizumizuにあります。無断転載・転用を禁止します。許可なく外国語に翻訳して流布することも法律により禁止されております。また文意を誤解させる恐れのある部分引用も厳にお断りいたします。今のルールは、基礎点で上をいくジャンプ構成を組むより、加点をもらえるジャンプを跳んだ選手が強い。逆に言えば、「減点」されない選手が強い。大技の基礎点の高さに着目して、「このジャンプが決まれば、これだけ高い点がもらえる」と、大技を優先的に決めようと考えると、うまくいかない。それも、つまりは、大技を入れたときに待ち構えている「減点」のパターンにはまるからだ。さて、グランプリ・ファイナルの女子フリー。2位のキム・ヨナ選手は不調で、彼女の最大の武器である、セカンドの3トゥループが2つとも決まらなかった。そして、最後に安藤選手。事前にメディアが盛り上げていた、3ルッツ+3ループは、3ルッツ+2ループに回避。2A+3Tも、やると思っていたら、2A+2Tに回避。出てきた結果は、総合得点キム・ヨナ188.86。安藤185.94。2.92点の差。3ループのダウングレード判定は、単独でも異様に厳しい。鈴木選手のショートで点が出なかったのは、3ループがダウングレートされたのが大きな原因。Mizumizuは「奪われたセカンド3ループ」と、何度もエントリーに書いたが、単独でさえあれほど厳しいのだから、セカンドの3ループは、ほぼ認定されないと考えていい。ならば、2A+3Tはどうか。2A+2Tの基礎点が4.8(安藤選手は加点を得て、得点は5.6点になった)。2A+3Tの基礎点は、7.5点。単純な基礎点の計算だと、7.5点-5.6点は、1.9点。2人についた差が2.92点だから、加点のもらえる2A+3Tを跳んでいれば勝ったことになる。だが、安藤選手の点が伸びなかったのには、もう1つジャンプのミスがからんでいる。それは後半の3サルコウ。軸が傾いてしまい、着氷が大幅に乱れた。当然減点される。だが、単なる減点だけではく、この3サルコウがダウングレードされてしまったのだ。不足気味だったかもしれないが、まさかダウングレードされているとは、Mizumizuは思わなかった。同じような乱れでも、ロシェット選手だったら、認定してくれたかもしれない。判定の不公平感は常につきまとうが、ともかく、これがダウングレードされ、GoEでも、マイナス1、マイナス2と気前よく減点され、結局得た点数が、1.07点!NHK杯で安藤選手は後半の3Sを無難に跳び、4.95点に加点をもらって、5.75点を稼いでいる。現行ルールで、基礎点での目論み戦略がうまくいかない理由はここだ。1つのジャンプで減点されるか、加点されるか。ちょっと足りなくてダウングレードされてしまえば、いきなり、同選手の後半の3サルコウ1つで、4.68点も違うのだ。3サルコウが失敗しなければ、基礎点は4.95。4.95-1.07=3.88!もう一度見よう。2人の最終的な点差は、2.92点。3サルコウを降りていれば、加点を考えなくても、少なくとも点数が3.88点かさ上げされるから、安藤選手が勝っていた。ここでリスキーな2A+3Tをやって、ダウングレードされたり、着氷乱れになっていたりしたら、元も子もない。2A+3Tを2A+2Tに変えたことについて、解説の荒川静香が、「モロゾフの指示かも」と言っていた。安藤選手が自発的に回避したのか、モロゾフの指示かは、わからないが、とにかく、安藤選手のスコアがキム選手を上回らなかったのは、3+3と2A+3Tを回避したせいではなく、直接的には、得意な3サルコウで失敗したからなのだ。もう1つ。安藤選手は、試合後、「かなり疲れていた」と言っていたが、調子自体は必ずしもよくなかったと思う。最後のステップでは、見た目にも辛そうだった。それでもキム・ヨナ選手よりはまとまりが良かったと思うが、あの状態で、体力を消耗する2A+3Tをやっていたら、後半さらに乱れたかもしれない。難しいジャンプを跳ぶより、ルーティーンのジャンプを絶対に失敗しないようにまとめること。これが現行ルールでいかに大切かわかると思う。一見わかりやすく派手な高難度ジャンプだが、減点・加点のマジックを考えると、必ずしも得点源にならないのだ。今季、織田選手が強いのは、ジャンプをピタリと決めてきているからだ。ファイナルでは苦手のトリプルアクセルにミスが出た。織田選手のアキレス腱はトリプルアクセルなのだ。これを2つきっちり決めることが、なかなかできないでいる。だから、4回転は入れない。この順番は正しいと思う。モロゾフの言葉をもう1度引用しよう。「4回転は、2つの3Aを含めて他のジャンプを決めてこそ大きな武器になる」。モロゾフはこの順番を揺るがせにしない。そして、細かいところで取りこぼしがないように、安藤・織田選手を時間をかけて仕上げてきている。だから、2人は強いのだ。織田選手は、3Aはやや苦手だが、他のジャンプではほとんど失敗しない。しかも着氷がこの上なく美しい。完全に回り切って降りてきて、氷をいたわるように柔らかくピタリと降り、ランディングの軌道がすうっと流れる。理想的だ。ヘタをすると2回転が高くなっただけのように見える。これは力任せに回転しているのではなく、回転が自然だということで、質の高いジャンプの特徴なのだ。織田選手は、演技・構成点では、必ずしも世界トップの評価はもらえていない。ミスしても、レベルを取り損なっても、驚くほど高い演技・構成点をもらっている高橋選手とは対照的だ。だが、織田選手は、「表現の幅が狭い」という短所を、プログラムの工夫で補い、最大の長所であるジャンプの着氷で加点をもらうことで、今季4回転をもつ選手以上のスコアを出した。ステップもちゃんとレベルを取る。織田選手のステップは、先輩である高橋選手の影響がかなりあると思う。指導者が同じだからかもしれないが、「高橋選手をお手本にして」頑張っているのは確かだろう。悪い言い方をすれば、高橋ステップの劣化バージョン・・・というのは、言い過ぎだが、ともかく、ステップで観客を熱狂の渦に巻き込むような色気はない。だが、今季、ステップで獲得した織田選手の点は、高橋選手にひけをとらない。レベル取りだけに関していれば、レベル2と3を行ったり来たりしている高橋選手より確実だ。一方、質を評価するGOEは高橋選手は圧倒的。「加点3」などという高評価がゴロゴロ並ぶ(ジャッジの皆さん、おありがとーごぜーます。チャン選手と競うバンクーバーでも、同じ態度でお願いしますね!)。だが、まずはレベル取りを確実にして基礎点をあげなければ、いくら加点をもらっても、確実にレベルを取ってくる選手には点で負けてしまう。見た目の印象と出てくる点数の乖離については、何度も指摘している。良いか悪いかと聞かれれば、「実に奇妙で、スペシャリストの判断次第というのが、不透明」と答えるが、何度も言うが今からではルールは動かせないのだ。表現力云々という話は、結局嗜好が絡む主観論になってしまうので、今さらどうにもならない。Mizumizuは安藤選手には、キム・ヨナ選手や浅田選手に引けを取らない表現力があると思う。あざとさのない自然な風格、成熟した女性のもつ落ち着きと情熱・・・ フリーの最後のステップもMizumizuは大好き。カクッとクビを横に折る動作も、たまらなくチャーミング。素晴らしい。本人もそう信じて演じるべきだ。それしかできないではないか?確実にレベルを取り、かつ、減点されないようにする。大技に挑むのはそれからなのだ。安藤選手が今回負けたのは、大技に挑まなかったからではなく、いつもならできる得意な3サルコウでミスったため。ちょうど、受験勉強に似ている。まずは、小さな基礎的な部分をかためてから、難しい応用問題に行くのが正しい順番というもの。基礎問題は1つ1つの配点が小さく、応用問題は一般に配点のウエイトが高い。基礎問題10個解くのが、応用問題1つと同じ配点だという場合もあるだろう。だが、どちらを優先させるべきかと聞かれれば、間違いなく基礎問題なのだ。そもそも基礎問題が解けない学生は、応用問題も解けない。基礎問題をすばやく正確に解いていけるなら、応用問題にじっくり取り組む時間もできる。何をやるにも、基礎力がしっかりしているかどうかがカギになるのだ。配点の高い難しい応用問題を解けば、多少細かな基礎問題を落としても、合格できると考えている受験生は、結果を出せない。これは自明の理ではないだろうか。
2009.12.06
Copyright belongs to Mizumizu. All rights reserved. This blog may not be translated, quoted, or reprinted, in whole or in part, without prior written permission.本ブログの著作権はMizumizuにあります。無断転載・転用を禁止します。許可なく外国語に翻訳して流布することも法律により禁止されております。また文意を誤解させる恐れのある部分引用も厳にお断りいたします。<長くなったので、きのうの日付に前半を移しました>ライザチェックは、「演技・構成点がカギ。トリノのときとは、違うルールになってしまったようだ」と言っている。何を捨てて、何を追求するか。その見極めをした選手のほうが、今のルールでは強い。そもそもキム・ヨナ選手が、オーサー・コーチについたのは、トリプルアクセルを習得するためだ。ルールに助けられたとはいえ、キム選手が3Aに固執していたら、今の強さはない。今回のオリンピックでは、4回転を跳ぶプルシェンコやランビエールが出てくる。だから、4回転がないと男子の金メダルはない――恐らく日本人の多くは、そう考えている。そうかもしれない。だが、そうでないかもしれない。プルシェンコもルッツを失敗するようになっているし、フリーのジャンプ構成は、前半に重点を置いたものになっている。しかも3回入れてよい連続ジャンプをロシアでは2度しか入れなかった。彼はつまり、「失敗している姿」を見せないように、彼としては確実なジャンプ構成で試合に臨んだのだ。そのレベルが高いのは、彼の身体能力が抜群に優れているからだ。だが、技と技のつなぎはかなりの手抜きだ。やたらと走っているだけに見える。事実、地元での試合だったにもかかわらず、演技・構成点は思ったほど出なかった(もちろん、次のオリンピックがバンクーバーではなく、ソチだったら、もっと点は出たかもしれないが)。ランビエールは痛みを常時かかえている状態で、4回転は跳べるが、苦手のトリプルアクセルがほとんど決まっていない。一番大切なのは、誰かに勝とうとして、今の自分の実力以上のジャンプ構成を組むのではなく、失敗しないジャンプ構成を見極めて、ミスのない「解答」をジャッジに出すことなのだ。理想(あるいは希望)と現実をごっちゃにして、自分の力を過大に評価してはいけない。ミスが少なければ演技・構成点も上がってくる。少なくとも、下げにくくなる。難度の高いジャンプ、ジャンプで頭がいっぱいになり、音楽の表現がおそろかになると、とたんに点を下げられる。その見極めがモロゾフの弟子以外の日本選手には不足している。鈴木選手は例外で、減点されたジャンプは次から外すなど、臨機応変に対応している。バランスよくジャンプが跳べる選手の強みでもある。結果の出ない選手たちは、ただ「次につながる、次につながる」と言って、ミスの多い演技を繰り返す。「次」とはいつなのか? オリンピックに向けての調整だとは言っても、その前の試合で結果が出ないと、ジャッジの印象は悪くなってしまう。オリンピックでは、難しいことのできる選手が勝つのではない。失敗しない選手が勝つのだ。練習ではできていても失敗するのがジャンプ。練習でも確率の悪いジャンプが、最高に緊張するオリンピックで突然すべて成功するとでも? もちろん、その可能性だってある。100分の1か、1000分の1か知らないが。だが、そんな火事場のバカ力頼みでは、戦略とはいえない。難しいことを失敗なくできれば、それはそれで素晴らしい。だが、あのプルシェンコでさえ、最初のオリンピックでは大技に失敗している。安藤選手、織田選手は、大技に挑戦しないで、ここまでの結果を出してきた。もちろん大技の練習もしている。「大技は持つ必要がある。だが試合で使うかどうかは別。ジャンプはあくまでエレメンツの1つ。総合力が試合を決める」とは、モロゾフの弁。現行の日本選手に不利なルールと判定を、一般紙のインタビューで真っ向から批判したのはモロゾフだったが、その実、モロゾフが一番、現行のルールに選手を適合させている。批判すべきことは批判する、だがその一方で、やるべきことをやる。Mizumizuが一貫してモロゾフを評価するのは、彼が多くの日本人のように長いものに巻かれるタイプではなく、批判すべきことを批判するために敵が多いにもかかわらず、こうやってやるべきことをやり、結果を出すからだ。安藤・織田選手に共通しているのは、ジャンプ以外のエレメンツの取りこぼしが少ないことだ。そしてジャンプは丁寧に、加点がつくように跳ぶ。「理想追求型」で、ある程度の結果を出している数少ない選手がアボット選手だ。彼は昨シーズン、4回転を跳ばない試合では強かった。年が明けてから、さらに上のレベルを目指して、4回転を入れ始めた。最初は一番悪いパターン。4回転も失敗し、他のジャンプも失敗する。今季は、少しずつよくなっている。4回転が入り、かつ他のジャンプの失敗も少ない。あるいは4回転を失敗しても、他のジャンプの失敗が少ない。それでも、まだまだだ。昨シーズンのようにファイナルを制することはできなかった。こういう状態だと、返って悩むかもしれない。ウィアー選手のように、4回転がダメなら、いっそさっぱり諦められるところだろう。アボット選手はウィアー選手やライザチェック選手のように顕在的・潜在的なエッジ違反もなく、ライザチェック選手が苦手とする3Aも得意な選手(そのかわりルッツで失敗が出やすい)。佐藤有香コーチはどちらの決断をするのか。オリンピックでは、彼女とアボットの戦略に、Mizumizuは非常に注目している。アボット選手は、もともと4回転なら跳べる選手なのだ。2季がかりで試合に入れようとして、それでもうまくいかない。「大技を入れて、他のジャンプやエレメンツをまとめる」というのが、どれほど「とてつもなく」高いハードルかわかると思う。自分の今のレベルを冷静に見極め、ミスを防ぐ。確率が低いことはやらない。そのうえで、自分のもっている「他の選手にはない」長所をどれだけアピールするか。それを見極めるインテリジェンスと決断する勇気が、日本選手には欠けている。ライザチェックは、4回転を捨て、その代わり、自分の長い長い手足を十二分に使った演技でアピールしている。4回転で体力を消耗しないから、最後のハードなステップもやりこなす力がある。「あなたのもっている強みを活かしなさい」とライザチェックに言ったのは、そもそもタラソワだったというが、実に的を射ている。モロゾフはスケート連盟を批判するとか、高橋選手から織田選手に乗り換えたとか、日本人は悪口を言うが、気がついてみれば結果を出しているのは、彼ばかりではないか?特に今季の織田選手のプログラムは、実によくできている。ショートはスピードにのって、「怒り」を表現する。フリーではうってかわって、楽しさと哀愁を込めたチャップリン・メドレー。織田選手の表現力について、モロゾフは必ずしも褒めていない。表現できる幅が広くないから、このフリーのプログラムを選んだと言っている。織田選手の個性にはまっているから、「無理して作っている」印象がない。また、フリーはプログラムにかなり余裕がある。そのスカスカ振り(苦笑)は、キム・ヨナ選手のフリーからアイディアを拝借したのではないかと思うくらい。曲の転調をうまく使い、観客を飽きさせない。「お休み」しているところも多いのだが、そこはマイム的な動作で雰囲気を出す。それと「ポーズの美しさ」の多用。織田選手はもともと日本人としてはプロポーションがよく、身体のラインはきれいなほうだ。そこで、バランスのとれたポーズを随所に入れる。手をどこに置き、足をどう上げるか――ポーズの美しさは、バランスのよさだし、「感性」や「センス」はさほど必要ない(踊るとなると、話は別だ)。それは教えられれば、ある程度誰にでもできる。キム・ヨナ選手に似ていると思うのは、たとえばステップのループ(ジャンプのループではない)の部分。軸足は深いエッジにのり、スピードをうまくコントロールして、緩急をつけてクルッと回る。非常にきれいで、見ごたえがある。織田選手はよく教えられたとおりに、こなしていると思う。だが、それは褒め言葉でもあるが、けなし言葉でもある。ファイナルで2位という素晴らしい成績を挙げた織田選手には申し訳ないし、これはあくまで主観的な印象論だが、高橋選手のように、すっと音楽の世界に入ってしまう天与の才能というのは、織田選手にはあまり感じられない。だが、今のルールは、優等生が天才に勝てるルールなのだ。ジャンプ以外のエレメンツでもレベルをきちんと取る。小さなミスを防ぐことが、大きな点差につながってくる。Mizumizuはもちろん、採点が公平などとは思っていない。「思惑」だらけの判定・点数だと思っている。パンドラの箱の開いたあとの世界は、思った以上に酷い。だが、今からではもうルールは動かせないし、組織の裏で何があったか、なかったかなどは、外部の人間にはわからない。言っても無駄なことに文句をつけるのは、時間の無駄だ。今から出来ることが何なのか、考えるほうが先だし、そもそもそれしかできないのだ。今季の点の出方を見ると、1つや2つの試合で一喜一憂するのが、いかにバカバカしいかわかったと思う。フィギュアがいつからホームアウェイ形式になったのか知らないが、今季は特別その色彩が濃い。カナダでオリンピックが開催されるということは、カナダを拠点にしている選手には有利になる。これもMizumizuが予想したとおりだ。メダルに向けて明らかにお膳立てされている選手はいる。だが、そのこと自体は他の選手やコーチにはどうしようもない。オリンピックは商業的なイベントだし、フィギュア(特に女子)は、金メダルが莫大なカネになるウインタースポーツでは数少ない競技の1つなのだ。点を出さないジャッジに、出せと強要することはできないが、選手がいい演技をすることはできるはずだ。ジャンプやエレメンツのミスを出さず、自分の良さを迷いなくアピールする。そのために邪魔になる、不確実な大技は捨てることだ。もちろん、「できる」自信があるなら入れていい。その結果の失敗なら、仕方がないではないか。問題は「見極めること」なのだ。それにもう1つ、「結果」や「メダル」を気にしていては、それはできなくなるということ。モロゾフは、昨シーズンの終わりに何と言っただろう? 「このままでは、(オリンピックで)日本選手はメダルなしだ」。もし、モロゾフがいなかったら、いや、モロゾフがいても、この「予言」が本当になるかもしれない・・・グランプリシリーズの結果を見て、思わなかっただろうか?どの選手にも弱さと強さがある。キム・ヨナ選手の3ルッツ+3トゥループは、予想よりはよいが、今回はショートではセカンド3Tがダウングレード、フリーではダブルで2回とも決まらなかった。2A+3Tの3Tも、だいたいいつもギリギリなのだが、今回は文句なくダウングレード。ロシェット選手は最初の連続ジャンプがアキレス腱。あれが決まらないと、ガタガタっと崩れてしまう。一方、安藤選手はあえて「深化」と呼びたいぐらい、表現力を磨いてきている。今回の『レクイエム』は、今季の女子の中で、Mizumizuが最も好きなプログラムだ。女性らしい美しさと上品さに、溢れる泉のような豊かな情感。最後のステップは、足遣いより、むしろ一瞬一瞬のポーズに見惚れてしまう。しかも、試合ごと、見るたびごとに、深みが増してくる。まさに安藤選手でなければ演じられない世界。選手の夢の舞台であるオリンピックまでもう2ヶ月。日本選手は、「メダル、メダル」という欲にとらわれずに、自分の魅力を十二分にアピールする演技をバンクーバーの舞台でしてほしい。
2009.12.05
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2009.12.04
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2009.10.10
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This blog may not be translated, quoted, or reprinted, in whole or in part, without prior written permission.本ブログの著作権はMizumizuにあります。無断転載・転用を禁止します。許可なく外国語に翻訳して流布することも法律により禁止されております。また文意を誤解させる恐れのある部分引用も厳にお断りいたします。ロシェット選手がインタビューで何気なく言った言葉。「エッジを直すのには2年かかる。17歳からでは遅い」。これは、まさに正鵠を得ている。ロシェット選手が強くなったのは、エッジ違反の減点が始まってからと言ってもいい。世界の女子トップ(あるいは男子でも)でも3ルッツ・3フリップを両方跳ぶことができ、かつエッジに問題がないのは、ごく数えるほどしかいないのだ。http://www.isuresults.com/results/wc2009/wc09_Ladies_SP_Scores.pdfこちらが、ロスの世界選手権の女子ショートのプロトコル。よ~く見てください。LzとFを両方跳び、かつ「!」(アテンション)マークも「E」マークもつかない選手が何人いるか?ほとんどいない。トップ選手では、ロシェット選手、安藤選手、コストナー選手の3人だけだ。今のルールでは、GOEでジャンプの加点がもらえないのは、痛い。「減点されないこと」これが非常に重要だ。昨シーズン、非常に強かったキム・ヨナ選手。Mizumizuは昨シーズンは初めから「圧巻! キム・ヨナ」「今年はキム・ヨナの年」と断言してきた。では、今年もそうなのか?そうかもしれない。だが、そうでないかもしれない。2つのシナリオがあるのは、キム選手には、安藤選手やロシェット選手にはない、「隠れたジャンプの不安点」があるからだ。一番大きいのは、バランスよくジャンプを跳ぶ力。キム選手の場合ループが苦手で、フリー後半のサルコウは体力不足で失敗しやすいという欠点がある。ループはジャンプ自体が苦手だが、サルコウは苦手ではない。むしろ得意なほうだ。普通は問題なく跳ぶのだが、試合の後半にもってくると、体力がもたなくなるのだ。これは、おそらくどの3回転ジャンプを後半にもってきても同じだと思う。かつてルッツを後半にもってきていたときも、よく転倒していた。ロシェット選手と安藤選手には、この弱点がない。5種類の3回転ジャンプを全部跳び、かつ「後半によく失敗する」ということもない。それと、ジャンプの失敗の仕方。浅田選手もそうなのだが、キム選手も、3回転がすっぽ抜けて、1回転になってしまうことがわりあいよくある。「パンク」ともいうが、キム選手と浅田選手は、3回転をとっさに2回転にして大きな失敗を回避するということがなぜかできない。ロスの世界選手権のフリーでも、キム選手の後半の3サルコウは、2サルコウでもよかったハズで、跳び方を見ると、本人は「2サルコウにおさめよう」としたふうでもある。だが、結局2サルコウのダウングレードになってしまった。韓国のショーで「死の舞踏」を披露したときも、初日、試合なら3フリップを跳ぶところを3トゥループにして、それでも「パンク」してしまった。ショーなのだから2回転でもいいのだが、なぜか、「3回転を失敗すると1回転になってしまう」というのが、キム選手と浅田選手に共通して見られる現象で、これはロシェット選手、安藤選手にはあまりない。つまりロシェット選手と安藤選手は、踏み切り前の瞬時の判断で3回転を2回転におとしてまとめることができるのに対し、キム選手と浅田選手は、それができないのだ。だが、キム選手にはロシェット選手にはない大きな武器がある。それはセカンドにもってこれる3トゥループ。キム選手は3F+3Tと2A+3Tをもっており、3F+3Tを今年は変更して3Lz+3Tにするかもしれないと言っている。GOEのことを考えての変更だろうと思う。フリップにエッジ違反があると、フリップからの連続ジャンプで減点される(Eの場合)、あるいは加点がもらいにくくなる(!の場合)。エッジ違反のないジャンプを連続にできれば、GOEの面で有利だ。ただし、ちゃんと回りきれるならば、という条件がつく。3Tをフリップにつけようと、ルッツにつけようと、ジャンプの点は単純な足し算なのだから、プログラムの中に入るジャンプの数が同じなら、合計の基礎点に変わりはない。小塚選手が全日本のショートで3Lzに3Tをつけられず、すばやく3F+3Tにしたように、実力のある選手ならばどちらにつけることもできる。一般的な難度から言えば、ルッツにつけるほうが難しい。だが、これは完全に「人による」ようだ。たとえば安藤選手は現在、ルッツを連続ジャンプにすることはできるが、フリップにはつけることができない。 浅田選手はエッジ違反が厳しくなる前から、連続ジャンプはフリップ、ルッツは常に単独だった。追記:大変申し訳ありません。読者からの情報によりますと、浅田選手は、2004年はSPとFSで3Lz+2Lo、2005年はFSで3Lz+2Lo、2006年はFSで3Lz+2Lo+2Loをプログラムに入れていたそうです。完全に記憶の中で浅田選手のルッツとフリップが混ざっていましたね。また、キム選手はジュニア時代、(2005年JGPブルガリア大会)FSで3Lz+3Tを跳び、加点0.75点を得ていたそうです。謹んで訂正いたします。綾香さん、aprilさん、椿さん、貴重な情報をありがとうございました。これからも書き間違えや勘違いはどんどん突っ込んでください(笑)。つまり、「フリップとルッツを両方連続ジャンプにできる(それもセカンドを3回転に)女子選手」というのは、ほとんどいないといっていいのだ。ジュニア時代からジャンプ構成を変えずにきて、変えないことで、すべてのジャンプのできばえを磨いてきたキム選手。なぜ、今になって連続ジャンプを変えるのか?もちろん、昨シーズンの後半になって、キム選手のフリップに付きはじめた「!」マーク対策だろう。ルッツとフリップの踏み分けは、実は案外難しく、男子のトップでもフリップにやや問題をかかえている選手が多くいる(ルッツは案外みんなちゃんとアウトエッジで跳べるのだ)。ジュベール選手、ウィアー選手が双璧で、ライザチェック選手、チャン選手、ベルネル選手などもまだエッジ違反と無縁でない。日本の小塚選手は、かつてエッジ違反を取られたことがあったが、昨シーズンは1度も取られていない。2208年12月20日の「安藤選手と小塚選手のもう1つの素晴らしいチャレンジ」でも書いたが、並大抵のことではないエッジ矯正を小塚選手はやり遂げたのだ。昨シーズン終わりに足を痛めたが、報道によれば、それはこのエッジ踏み分けの練習が原因だったという。小塚選手のようにスケート技術に長けた選手でも、正確に踏み分けるというのは難しいのだ。そして、アウトで踏み切る(ルッツ)のが得意な選手はインで踏み切る(フリップ)場合に問題が起きやすく、イン(フリップ)で踏み切るのが得意な選手はアウト(ルッツ)で踏み切る場合に問題がおきやすい。例をみてみよう。アウトで踏み切るのが元来得意な選手。安藤選手、キム選手、鈴木明子選手。このなかで、元来フリップのwrong edgeが最も顕著だったのは、実は安藤選手。だが、いち早く矯正に取り組み、最初はフリップどころかルッツまで乱れて転倒を繰り返しながら、とうとうフリップをエッジ違反もなく、回転不足もなく降りてこられるようになった。それに要したのは、ほぼ2年。次に鈴木選手。鈴木選手はNHK杯でフリップに「E」がついてしまった。だが、ルッツには問題なく、しかも回りきる力があるから、その優位性を生かして、好成績をあげた。だが、四大陸では、なぜかフリップには「!」も「E」もないのに、ルッツに「!」がついてしまった。こういうプロトコルを見ると、「鈴木選手はルッツがwrong edgeのハズ、ジャッジがおかしい」と言う人がいるが、おかしいのではない。ジャッジはちゃんと見てる。鈴木選手は問題のあるフリップを直そうとして、元来問題のなかったルッツの踏み切りが曖昧になってしまったのだ。もともと基礎点の高いルッツ2つで点をかせいでいた鈴木選手は、これで点がのびなかった。「フリップを直そうとすると、ルッツまで乱れる」。これは、安藤選手も言っている。では、キム・ヨナ選手は?キム選手に対するwrong edge判定は、なぜか昨シーズンの後半になって「固定」してきたが、実際には、キム選手のフリップはずっと前からやや問題があった。「やや」というのは、以前の安藤選手ほど、明確なwrong edgeではなかったからだ。キム選手のフリップは必ず連続ジャンプのファーストだが、踏み切り前に反転し、ジャンプの構えに入っていく前は、疑いようもなくエッジは正しいインに入っている。ところが、構えているうちにエッジは中立に戻り、最後はアウトに入ってしまう(ように見える)。スローモーションで見るとよくわかる。よくエッジ判定はノーマルモードの目視で行うので、スロー再生は意味がない、という人がいるが、そんなことはない。判定がどうあれ、スローにすればエッジの使い方がよく見える。さて、問題はここから。踏み切りとは英語でtake off。では、wrong edgeでのtake offとはいつのことだろう? もっと日常的な話で考えてもいい。飛行機のtake off(離陸)とは?飛行機が陸から離れ始めるときなのか、離れていっているときなのか、あるいは、離れきる瞬間なのか?実は曖昧だと思う。普通の人は、「take off(離陸)」と言われて、わかってるつもりになっているだけで、その瞬間には、案外幅がある。フィギュアでも、「踏み切り(take off)」がわからない人はいない。だが、「踏み切りの瞬間」とは? ジャンプの構えに入り、エッジが離れていく瞬間なのか、離れつつあるときなのか、離れきる瞬間なのか?offというからには、「離れきる瞬間」にも思える。だが、フィギュアで実際に人がふつう目で見て「踏み切りの瞬間」と思うのは、おそらく、エッジが氷から離れつつあるときだ。フィギュアスケートでは靴の下にエッジがついている。だから、スーパースローで見てエッジが氷から離れきる瞬間には、人間の踏み切り動作はすでに終わり、空中での回転が始まっているからだ。キム選手のwrong edgeは、take offの瞬間をどこで見るかでも違って見える。だが、「明確に正しくインサイドで踏み切っている」とは言い切れないのは確か。踏み切りの間にエッジが中立に戻り、アウトに入っていく(ように見える)。一方、キム選手のルッツは「疑いようもなく、明確に正確なアウトで」踏み切っている。クキッと音がするくらい、完璧なアウトサイド踏み切りだ。では、キム選手のフリップのwrong edgeは、どうして起こるのか?2つの可能性がある。1つは「クセ」。これはwrong edge問題をかかえる多くの選手にあてはまる。もう1つの可能性は、「フリップをいつも連続ジャンプにしているから」。連続ジャンプに持っていく場合、選手は力を出すために、より長く深く踏み込む傾向がある。だから、単独フリップにすれば、踏み込む時間が短くてすみ、それだけアウトに入る時間がなくなる(つまり、インのままで跳べる)のかもしれない。もし、「クセ」だとしたら、たとえ単独にして、踏み込む時間を短くしても、イン→中立→アウトという、エッジの「変わり」が速く起こり、やはりworng edgeのままかもしれない。キム選手は、韓国で行われたショーで「死の舞踏」を披露したが、フリップもルッツも跳ばなかった。ショーなので、ジャンプの難度を落とすことはよくあるが、おそらくコーチのオーサーとしては、できる限りエッジをチェックされたくない、と思っているのではないか。明日に続く
2009.10.09
Copyright belongs to Mizumizu. All rights reserved. This blog may not be translated, quoted, or reprinted, in whole or in part, without prior written permission.本ブログの著作権はMizumizuにあります。無断転載・転用を禁止します。許可なく外国語に翻訳して流布することも法律により禁止されております。また文意を誤解させる恐れのある部分引用も厳にお断りいたします。グランプリ・シリーズ直前のこの時期の試合は、フィギュア・スケーターにとっては、あまり有り難いものではない。特に今年はオリンピックシーズン。何時間も飛行機に乗って来なければいけない外国選手にとって、負担はなおさらだ。事実、ジャパン・オープンには、3人の有力選手がそれぞれの理由でキャンセルした。そんな状況の中、来日してきっちり滑り、予想以上の力を見せたのがカナダのロシェット選手だ。彼女についてMizumizuは、4月3日のエントリーで、「ロシェット選手は本当に強い」と書いた。その理由については、4月6日のエントリーで詳しく書いたが、もう一度簡単にまとめると・・・(1)トリプルアクセル以外の5種類の3回転ジャンプを跳ぶことができ、かつ「非常に苦手なジャンプ」がない。(2)トリプルアクセルに次ぐ難度であるトリプルルッツをフリーで2度入れることができる。(3)浅田選手、キム・ヨナ選手に見られるような、ジャンプのすっぽ抜けの失敗がない。(4)浅田選手、中野選手のように、回転不足のまま降りてきてしまうことが少ない(むしろ少し回りすぎてオーバーターンになってしまうことも)。(5)ルッツとフリップにエッジ違反がない。弱点としては(1)足首が硬く、着氷乱れが多い。(2)ルッツからの連続ジャンプに失敗が多い(ルッツから連続にする力が足りない。3回転をつけるのはほぼ無理)。他の選手のミス待ちでなく、世界女王に自力でなるためには3回転+3回転が欲しい。レピスト選手は3トリプルトゥループ+3トリプルトゥループがあるのだが、成功率が低く、かつトリプルトゥループは基礎点が低い。またレピスト選手はトリプルフリップを回避してきた。対してロシェット選手は? ジャパン・オープンのジャンプ構成を見てみよう。3Lz+1T3F3Lo3Lz3T+3S(シーケンス)2A+2A(シーケンス)3Sジャンプの難度はトゥループ→サルコウ→ループ→フリップ→ルッツ→アクセルとなる。ルッツ2つにサルコウ2つ。3回転+3回転は、トゥループとサルコウをシーケンスでつないでいる。ルッツもしくはフリップからつける3回転ほど点は高くないが、それでも、ロシェット選手には3+3がある、のだ。ちなみに3A+2Tは8.2+1.3で9.5点3S+3Tは4.5+4で8.5点3Lz+3Tは6+4で10点3F+3Tは5.5+4で9.5点最高難度の連続ジャンプこそないが、非常にバランスがよく、手堅い。回りきる力があるので、ダウングレード判定も少ない。一方の浅田選手には3回転+3回転が(今のところ)ない。ジャパン・オープンの結果を見てみよう。基本的にジャンプ構成は昨シーズン後半と同じ。
2009.10.08
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2009.10.07
こんなに状態がよくなって戻ってくる高橋大輔を、誰が予想しただろう? 昨年フィギュアのシーズンインの直前に、世界中に配信された日本のエース高橋選手の膝の手術。選手生命はこれでほぼ終わったと思った関係者も多いのではないか。実際、生半可な怪我でなかったことは、NHKのこちらの番組を見るとわかる。高橋選手の治療にあたった原邦夫医師が、ドクターらしい冷静な口調で、さらりと怖いことを言っている。「前十字手術してからフィギュアで、一線で、完全復帰した事例が今までほとんどないから・・・」まさにその通りだ。膝にメスを入れて、全盛期のコンディションまで戻したという選手というのはほとんど思い浮かばない。「・・・やってみないとわからないのはあった」ど、どくた~、そんなぁ・・・この言葉をあのとき聞かなくてよかった。ただでさえ過剰気味のフィギュア人気。全国の大ちゃんファンが、パニックになっただろう。高橋選手は常に前向きなコメントを発表していたが、選手というのはそういうものだ。手術は基本的に、「やってみなければわからない」が、見通しがそれほど明るいものでなかったことは、医師の口調からも察せられる。だが、氷上でトレーニングを始めた高橋選手のニュース映像を見て、Mizumizuびっくり。「股関節の可動域が広がった」「膝が柔らかくなった」と高橋選手本人が言うとおり、スケーティングの滑らかさ、エッジ遣いの深さ、ステップのキレ・・・ すべて格段に上達している!信じられない。手術をしたのは片膝だけなんですよね? 下半身を作り変えたわけじゃないんですよね(←ンな、バカな)。外科医の腕、リハビリからトレーニングまでのサポートスタッフの専門知識、そして何といっても高橋選手の並外れた忍耐力と努力の賜物なのだろう――と月並みな結論づけをしつつも・・・ こんなことがありえるんですか? 魔法を見ているようだ。フィギュアスケーターにとって怪我が怖いのは、リハビリ中にウエイトオーバーになってしまう選手が多いのもある。ところが、高橋選手の身体はよく締まり、理想的といっていい。そして、テレビ東京で放映された「カーニバル・オン・アイス」での高橋選手の「Eye」。昨シーズンも見ていたが、そのときは周囲の過剰な持ち上げとは裏腹に、「少し動きに無理がある」と感じた。速く動いているのだが、どこか力任せ。テクニック的には素晴らしいのだが、見ているこちらが入り込む「間」や表現している世界の「深さ」がないように思ったのだ。だが、今年の「Eye」は、まったく違う。一言でいえば、すべての表現に余裕があるのだ。高橋大輔という人は、スケーターか、ダンサーか? もちろん、彼は優れたスケーターだ。深いエッジで非常に難しいステップをいとも簡単そうに、さらりと踏んでしまう。うっかりすると見逃すぐらい速い。ビデオを巻き戻して、スローにしてびっくり。こんな複雑なことしてたのか! これでレベル「3」なの? レベル判定って、何? あ~、むなしい採点・・・ とまあ、そんな具合。スケートの伸びも抜群。高橋選手が滑ると氷が硬いものだということを忘れてしまう。17歳ぐらいの高橋選手を初めてテレビの画面で見て驚いたのは、その滑りのスムースさだった。ただ滑ってるだけだったのだが、「この人は、天才かも」と直感的に思った。あの瞬間は忘れられない。そんなスケーターにはめったにお目にかかれないからだ。だが、今の彼は優れたスケーターである以上に、素晴らしいダンサーだ。別に優れたスケーターであるだけなら、音楽はいらない。「フィギュア(図形)」を氷上に描くことができれば、すなわち人はフィギュアスケーターなのだから。高橋大輔が並外れたダンサーであることは、その音楽への入りこみ方を見ればわかる。「音楽を表現したい」「○○になりきって演技したい」という抱負とは裏腹に、実際にそれができるスケーターは、世界を見わたしてもほとんどいない。これについては、努力してもダメなのかもしれない。ある程度のところまでは行くにしろ、たいていの選手は、特に「踊る」ことに照れのある日本人は、音楽の戸口の前でウロウロと迷うばかりだ。だが、高橋選手はごく自然に、まるで簡単なことのように、音楽の世界にすっと入ってしまう。別にバレエ的な素養に優れているわけでもないのに、頭を、腕を、上半身を、動作させることで、独特の世界を作る。教えられてできることではない。スケーターとしてもダンサーとしても抜きん出ている。やっぱり高橋大輔は、天才。その彼の、ダンサーとしての能力をいかんなく発揮してくれるのが、「Eye」。こういうナンバーでは、ダンサーの表現力が弱いと音楽だけが鳴っているように聞こえてしまう。あるいは、音楽にダンサーが助けられているように感じてしまう。高橋選手の「Eye」は、そのどちらでもない。完全に音楽と一緒になっている。これこそダンサーと音楽の「天上でのマリアージュ」だろう。ダンサーというのは、高貴な存在ではいけない。見てるものを昂奮させる、ある程度の不埒さが必要だ。冒頭滑り出しで、ジャッジに向かって高橋選手が流す視線には、作りものとは違う一瞬の不埒さがある(別に高橋選手本人が不埒な人だと言うことではない)。彼が滑りながら近づいてくると、観客席の女性が照れたように微笑むのが見えた。ファンの方かもしれないが、まるで恋する乙女のような表情。ああいう昂奮を女性に起こさせるスケーターは、そうはいない。そして、何と言っても「余裕」がある。「精一杯頑張って表現してる」姿を見せられると観客も苦しいが、高橋選手の場合は、その一段上にいる。表現を楽しみ、自然に観客を音楽の世界に引き込んでいく。力強い表現なのに、力任せという印象がない。信じられないくらい速い動作も、まったく自然に楽々やっているように見える。そして、鞭を鳴らすように、ピタリと止まり、ポーズを決める。今回はステップで躓いたり(なんか、高橋選手はあれが多くありませんか? ステップの滑り出しで以前もよく躓いてましたが?)、スピンの最後に軸がブレたりしたが、ショーとして見る限り、まったく気にならない。ジャンプも、離氷したあと、回転しながら見えない糸に引っ張られて浮き上がるような独特の質のよいジャンプ。以前は着氷でガタッとなるのが気になったのだが、「膝が柔らかくなった」の言葉どおり、完全に回りきっておりてきて、エッジがピタッと決まり、スムーズに流れる。スピンのポジションもバリエーションが増した。でも、軸は・・・? ニュース映像で見たフリー用のスピンでは、軸が流れたり、最後にブレたりしているようにも見えましたが・・・ 「うまくなった」と本人は言っているが、どうもまだちょい納得できないMizumizu。和製エルドリッジの小塚選手のスピンのほうが、はるかにうまいと思いますが。いやいや、きっと高橋選手自身が、「それは違う」ということを、今後証明してくれるでしょう。こうなるとフリーの「道」も楽しみだ。ニュース映像で少し流れたが、ダンサブルで、ある意味大衆的なショートとはまったく違う、叙情的でペーソス漂う世界(かどうか、見てみないとわからないのだが、「道」を使うということは、多分そういう作り方をするだろう)。カメレンゴ氏の振付は、アボット選手のジャパン・オープンでも見たが、あちらも情感あふれる素晴らしいものだった。過去の南里選手への振付も印象に残っている。今後振付師カメレンゴの評判は高まること必至。このところロシア人とカナダ人の対立地図になりつつあるフィギュアの振付。この2つの感性とまったく違うイタリア人カメレンゴ氏の世界観に期待したい。フェデリコ・フェリーニの映画、ニーノ・ロータの音楽とくれば、イタリア人振付師でしょう、やっぱり。多分、Mizumizuの嗜好にピタリと合う気がする♪♪
2009.10.06
<続く>では昨シーズンの小塚選手の演技と今回の演技のどちらがよかったか?間違いなく今回のがよかった。昨シーズンは、手の動きなど、「単に腕を広げてる」だけだった。今季はジャンプの前や後にも振りに工夫をこらし、音をしっかりとらえて演技するよう気を配っていた。解説の佐藤有香も進歩した点を上げていたが、別に振付師の贔屓目ということはないだろう。ただ、音の表現が難しいものを選んだのは確かだ。去年の「ロミオとジュリエット」のほうが、わかりやすく、誰でも入っていきやすい。理屈をつければそうも言えるといったところだが、事実としてあるのは、数字がこんなに低いということ。68.26点という点は、小塚選手の2季前の世界選手権の65.28点に近づいてしまったということだ。そして、80.5点を取ったランビエール選手との「点差」は12.24点もある!昨シーズンのグランプリ・ファイナルまでの「感覚」でいえば、あのジャンプの出来からするとランビエール選手は78点ぐらい、小塚選手が71点ぐらいだろうか。演技・構成点のガラスの天井が上がっていくことの一番の危険性はこれだ。ランビエール選手が素晴らしいのは疑いようがなく、小塚選手が音楽の世界を表現でききれていなかったのは事実であるせよ、12点もの差をつけられては、これを技術点で挽回するのは非常に難しくなる。だが、順位そのものは、案外妥当におさまっている。ランビエール、バトル、アボット、小塚という順番をおかしく感じる人はそれほどいないのではないか。ビアンケッティさんは、「点差には意味はない。順位が妥当ならよしとすべき」という意見だ。その意味で、彼女が怒っているのはロス世界選手権でのアイスダンスの最終順位が「誤ったものだった」ということ。ジャッジによって順位づけは違うものだ。だから旧採点システムでは、基本的に多数決で決まっていた。だが、新採点システムで、主観点に力点を置いてしまったら、ビアンケッティさんが主張するような「順位の誤り」は、いつでも起こりうることになる。さらに演技審判の点数は名前が秘匿される分やりたい放題になる。ジャッジが「演技・構成点」に差をつけ始める――これについては、実は情報が入っている。出所は明らかにするのは控えるが、ジャッジが勝手にやっていることではなく、質の高い演技に対しては、「演技・構成点で積極的に評価するように」と言われているのだ。だから、今季もこの傾向は続く。今季は演技審判の自由裁量権が拡大しているのだ(ルール改正からもそれが言えるが、それについてはまた後日、機会があれば)。主観による演技点で順位を決めようとするなら、実質的には旧採点システムと変わらないことになる。これが旧採点システムの順位点ならば、点のバラつきはそれほど気にする必要はないが、新採点システムで1つ1つのコンポーネンツに対する点差をジャッジが広げれば、(おそらくジャッジが思っている以上に)極端な総合得点の点差として表れ、採点に対する信頼性をさらに貶めてしまう。大勢のジャッジでやるならまだいいのだが、多くの反対の声を押し切って、コストカットのために演技審判の数は減らされた。この状態で、各ジャッジが点差を広げれば、ランダム抽出での点の拾われ方によって出てくる点が変わり、採点のギャンブル性が高まってしまう。問題だらけだ。小塚選手のように、演技・構成点がサゲられてしまうと、本人は自信を失い、どうしたらよいのか方向が見えなくなってしまう。やれることは、ジャンプを確実に決めていくことだが、そうなると往々にして「ジャンプ、ジャンプ」で音楽に入れなくなり、また演技・構成点でサゲられる口実になってしまう。実力以上のジャンプ構成を組むと、この悪循環に陥りやすい。そして、不安や疑念をもったまま演技することになる、これが一番いけない。ある試合で演技・構成点が悪くても、1つ1つ階段をのぼっていくしかないと、ひらきなおる気力が必要になってくるだろう。今季はオリンピックシーズン。あれこれ迷うのが一番いけない。フィギュアの採点において、芸術性を高く評価するのは、それはそれで1つの価値観だ(思惑ミエミエだが)。伊藤みどりが出てくる以前は、跳べるジャンプの種類よりも芸術性の高さで順位が決められていた。だが、芸術性の評価にはたぶんに嗜好が入る。選手本人の「見かけ」によっても、開催地の客の盛り上がり方によっても、判断は変わってくるだろう。現実にフィギュアの採点はそちらのほうに流れつつある。日本のファンの間では注目されなかったが、ロスではコンテスティ選手がかなり高い評価を得て順位をのばした。それはそれでアリだと思う。コンテスティ選手のフリーは独創的でエンターテイメント性の高いものに仕上がっていた。ジャッジの主観や好みを排して、客観的な基準で評価するなど、フィギュアではどだい不可能な話だったのだ。この傾向は、芸術性の高いランビエール選手にとっては有利だし、今回の2つの大会での高評価は、彼にとって自信になったと思う。「ブエノスアイレスの秋」は、「ポエタ」よりは、ジャンプが跳びやすいプログラムになっている。特に冒頭滑り出しで3つのジャンプを跳ぶまでは、高橋選手の「ロミオとジュリエット」風に、ジャンプのための助走を取り、プログラムに余裕を持たせている。そして、「スピンにまで情感をこめられる」ランビエールの得意のエレメンツが来て、そこからジャンプ、ステップと、総毛立つほど演技が盛り上がる。本当に素晴らしいプログラムだ。だが、ジャンプで見ればネーベルホルン、ジャパン・オープンともに、トリプルアクセルが1つも入らなかった。ネーベルホルンではルッツも1回転に。それでもう150点を越える高得点。フィギュアの関係者なら、「各試合の点数には、さほど意味がない」「過去との比較にも意味がない」ことを知っているが、メディアも含めて、一般人はどうしても、「点数」を見る。史上最高点更新か、といった話題で盛り上がる。「公式記録」なのだから、当然だ。にもかかわらず実体は、シーズンベストの演技がシーズンベストの点になるとも限らないし、パーソナルベストの点がその選手の最高の演技というわけでもない。もはや、絶対評価をうたった新採点システムは、崩壊しているのだ。だが、いくら芸術性やエンターテイメント性だけが突出して優れていても、ジャンプ技術と芸術性をバランスよく兼ね備えた選手がいれば、やはりそのほうが有利だろう。難度の高いジャンプと、観客を引き込む芸術性を備えた選手――ランビエール(3Aというアキレス腱つきだが)もプルシェンコもそうだが、もう1人、その評価を受けるに相応しい選手が復帰してきた。それはもちろん、高橋大輔選手。さきほど、テレビでショートプログラムの「Eye」を見たが、正直、ここまで「凄い」とは思わなかった。<明日に続く>
2009.10.05
今季のフィギュア・スケートの嬉しい誤算、それはステファン・ランビーエルの復帰だった。プルシェンコの復帰も嬉しいニュースだが、プルシェンコの場合はすでに早々と五輪復帰を宣言し、怪我で果たせずにいた。一方、ランビエールは復帰の噂だけが先行、本人もぎりぎりまで迷っていた様子だった。この2人のフィギュアの巨頭の復帰は、日本の男子選手にとっては脅威だが、このところどうにもパッとせず、華を失いつつあった男子フィギュア界に「カツ」を入れる意味でも、心から歓迎している。昨シーズンのメジャーな大会で勝利をおさめた男子選手のその「勝ち方」は、決して手放しで心から賞賛できるものではなかった。「4回転を入れるか、回避するか」が、勝負の分かれ目になり、しかも回避してきれいにまとめた選手が勝つという図式ができあがってしまった。グランプリ・ファイナルの王者も世界選手権の覇者も、元来4回転をもつ選手なのに、自分のマックスに挑戦すると、他のジャンプや表現に影響が出て点を落とす。「4回転を入れ、しかも他のエレメンツをまとめること」がどれほど難しいのかを世界に示す結果にもなったが、もっと言ってしまえば、昨季の男子選手には、「4回転を入れてジャンプをまとめる力があり、表現力も高い選手」がいなかったとも言える。言うは易し、行うは難し――ダウングレード判定が厳密化されたことで、「4回転を入れてジャンプをまとめ、表現にも気を配ること」が、いかに高いハードルか改めて如実になった。とは言え、復帰してきたランビエールとプルシェンコは、この高いハードルを越えることができる才能を持った選手だ。だが、彼らには「あやうい部分」がある。一言で言えば体のコンディション。プルシェンコの膝は爆弾を抱えた状態だし、体形を見ても、まだ全盛期のそれに戻っていない。ランビエールのほうは、4回転は非常に安定して決めることのできる選手だが、トリプルアクセルが苦手だという欠点がある。ランビエールは「ポエタ」で、フィギュアの新たな境地を切り拓いたと言ってもいい。ダンス芸術を氷上の「滑る芸術」と融合させ、これまで誰も見たことのないような、超絶技巧かつ情感あふれる世界を作り出した。この功績ははかり知れない。ランビエールはまちがいなく、競技としてではない、芸術としてのフィギュアの可能性を広げたのだ。今季のランビエール選手のフリープログラムは、あの不世出の名作「ポエタ」の路線を継承したダンス作品。フラメンコからタンゴへ変わったとはいえ、アントニオ・ナハロの振付を、ランビエール自身が吸収し、より氷上で表現しやすい形に翻案して発展させたものだとも言える。彼は「ポエタ」では、世界王者には返り咲くことができなかった。なぜか? 過去のエントリーで何度も言っている。あそこまでプログラムの隅々に振りを入れ、かつ上半身の動き、手の動作、頭の動きと顔の表情まで作り込んでしまうと、ジャンプが跳べなくなってしまうのだ。「ポエタ」には、ただ滑ってる部分がほとんどなかった。あれではジャンプの助走が足りない。だから、もしランビエールがもう一度、このルールのもとで勝つためには、もう少しジャンプを跳びやすいプログラムを作る必要がある。「そうしてまで、もう一度やろうという気持ちに、ランビエール自身がなるだろうか」――Mizumizuの疑問は、そこにあった。プルシェンコは、「ランビエールは必ず復帰する。今は隠れているだけだ。だって復帰しないなら、なぜショーで4回転など跳ぶ必要があるんだ? それに彼が滑っているのは、競技用のプログラムじゃないか」と言っていたが、やはり実際にランビエールがネーベルホルン杯に出てくるまでは、まだまだ微妙だと考えていた。だが、ランビエールは戻ってきた。最終的にランビエールの背中を押したのは何だろう? 身体のコンディションがよくなったこともあるだろうが、やはり「五輪という特別な場」に対する想いが大きいのではないだろうか。彼のショートの楽曲は、スイスの英雄ウィリアム・テルだ。スイス人の彼だが、これまでのプログラムにみずからのアイデンティティに関連する曲を選んだことはないと思う。だが、ウィリアム・テルはスイス人にとって、特別な意味をもつ。この曲を彼がオリンピックで滑るということは、たとえばカタリナ・ビットが、戦火に焼かれたサラエボへの想いをこめて、「花はどこへ行った」を演じたことと同じなのだ。そして、もちろん「ブエノスアイレスの秋」。ピアソラはタンゴから出発し、タンゴを単なるアルゼンチンのローカルダンスの伴奏曲以上の音楽芸術にまで引き上げた。そのかわり、タンゴとしては非常に踊りにくいとも言われる。だが、ランビエールはそれを氷上に移植して、見事に踊りこなす。その独特の世界は他の選手の追随を許さない。あの強いリズム、あの哀愁、あのロマンティシズム。まるでピアソラがランビエールのために、あの曲を書いたようにすら聞こえる。スイス人として「ウィリアム・テル」を、ステファン・・・いや、ドイツ風に、ちゃんとシュテファンと呼ぼう・・・シュテファン・ランビエール自身として、自らのスケート芸術の集大成としての「ブエノスアイレスの秋」を踊る。まさに五輪という場にふさわしい選択だ。ランビエールとプルシェンコが出る以上、「最高の色のメダルを獲るのに4回転回避」というは、ほとんどナシになる。カナダのチャン選手にとっては痛い。チャン選手は、今季4回転を入れて滑ってみせたが、確率はよくないし(おりたところを見たことがない)、それにともなって他の要素もかなり崩れていた。「4回転は入れるのも難しいが、入れたあとも難しい」の典型だ。もちろん結果として、跳ばなかった選手が勝つ可能性は、今の採点ならありうるが、それはあくまで「何人ものライバルのミス待ち」。競技の原点は、やはりそれぞれの選手が自分のマックスに挑戦することにある。「滑走順も含めて、跳ぶか跳ばないかの駆け引きのウエイトが大きい」というのは、あまり望ましいものではない。昨季の男子シングルで失われつつあった、掛け値なしにダイナミックな勝負がこの2人のベテランの復帰で、また見られるのではないか――そんなふうに期待している。ネーベルホルン杯、ジャパン・オープンと2つの試合を見たが、ランビエールに対しては、「演技・構成点」が非常に高く出た。試合のグレードが違うので、なんともいえないが、通常はお祭りイベントであるジャパン・オープンのほうが演技・構成点は高く出やすい。今回はネーベルホルンで、ランビーエルに対する演技・構成点が83.3点と、出しすぎてしまった感がある。ジャパン・オープンは、80.50点とやや抑え気味の点が出たが、それでも非常に高い。非常に高いが、ネーベルホルンのように9点以上という点をつけたジャッジはいない。演技・構成点の5つのコンポーネンツに9点台は1つもなく、8.75が最高だ。ロス世界選手権以降、高く出た演技・構成点について、「この点は、妥当と思いますか」と問い合わせをいただくのだが、「妥当」か「妥当でない」かが、ただのおのおのの主観に基づく水掛け論になってしまうのが、「演技・構成点」の問題点だ。「並外れて感動的な演技」をした選手に対して、9点をつけるのが「妥当」なのか、8.5点ぐらいにおさえるのが「妥当」なのかは、誰にも答えが出せない。ビアンケッティさんが何度も指摘したように、9点と8点という「差」には、論理的な意味はないからだ。ジャッジができるのは、比較してどちらが優れているかを判断することだけ。それを点数化することには、そもそも矛盾がある。これまで、なんとなく「一定のガラスの天井」があり、男子フリーなら、高いレベルの選手の集まるグレードの高い大会では、80点の壁を越えることはほとんどない、というような暗黙の了解は、ジャッジの良識による「辻褄合わせ」だったのだ。主観による5コンポーネンツであまり点差をつけないこと。新採点システムの柱は「客観性」にあり――それも、実のところ本当に客観的にはなっていないと何度もあちこちから指摘されてきたのだが――タテマエは絶対評価だが、実際には他の選手との比較と過去の実績でつけられる「演技・構成点」で点差をつけないことで、客観性をある程度、少なくとも表面上は、担保してきたと言える。ちなみに「グレードの高い大会」というのは、その試合で出た点が、パーソナルベストに反映され、成績がランキングにも反映される試合が一番高位にある(グランプリシリーズ以上の国際大会)。パーソナルベストには反映されないがランキングに反映されるものはその次(ネーベルホルンなど)、どちらにも反映されないもの(今回のジャパン・オープン)は、国際大会のグレードとしては、下位に来るのだ。もっとも格式の高い、ロスの世界選手権の女子フリーのキム・ヨナ選手に対する演技・構成点が一度ああいうカタチで出た以上、もう「パンドラの箱」はあいてしまった。もともと史上最高点には意味はないことは、一般のファンでもわかっているだろうと思う。基礎点が変わった時点で、もう過去との点の比較はまったく無意味になった。パーソナルベストやシーズンベストも、本当は意味がないことを、現場の選手は知っている。ロシェット選手は、ロスでの世界選手権で、キム・ヨナ選手との「点差」を聞かれて、「すべての試合は違うもの」と答えている。ロスのキム選手に対する「発狂花火」ともいえる演技・構成点で、シーズンベストもパーソナルベストも、まったく無意味だということがハッキリした。タテマエ上はまだ、絶対評価の看板をおろさず、公式記録として、ベスト記録は残るようになっているが、矛盾もいいところだ。どんなときに「9点」をつけるのか? どんなときだって、いいのだ。ロス以前も、突発的に9点以上の点が出ることはあった。だが、それはカットされるので、あまり意味はなかったのだ。ジャパン・オープンとネーベルホルンでは、試合のグレードとしてはネーベルホルンのほうが上だが、ジャパン・オープンのほうが、参加選手のレベル自体は高かった。短い間に行われた2つの試合で、同一選手への演技・構成点を見ると、一方では5コンポーネンツで9点以上を3つつけたジャッジがおり、もう一方では8.75点に上限が抑えられている。83.3点がなぜ80.50点に下がったのかを合理的に説明できる人はいない。ただ、ジャッジがそう判断したからだ。「すべての試合は違うもの」だからだ。上限は9.25点でも8.75点でも、別に不正ではない。だが、こうやって「ガラスの天井」が引き上げられることは、せっかくこまごまルールを作り、客観性を柱としてきた新採点システムの理念をゆるがせることになる。一番の問題は、高い点が妥当かどうかという問題ではない。点がインフレすることで、2番手以下の選手との意味のない主観による「点差」が広がることなのだ。ランビエールの演技・構成点が80.5点。それに対して小塚選手は68.26点しかない。これは、明らかに低い。小塚選手の昨シーズンから演技・構成点を見てみよう。グランプリ・ファイナル 73.3四大陸 70.6ロス世界選手権 70.6国別 68.4今回のジャパン・オープン 68.26ふつうなら実績を積み重ねてきた小塚選手に対して、演技・構成点は上がっていってもおかしくないのに、逆に2009年に入ってから、ジャッジが点を出してくれなくなったのだ。演技がよくないのかもしれない。それはもちろん、後づけでなんとでも言える。<続く>
2009.10.04
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