第一期生の入所から 3 か月余りが経過した 1941 年 7 月12 日 。 2 代目所長 飯村穣 ( 陸軍中将 )は研究生に対し、 日米戦争 を想定した第 1 回総力戦机上演習( シミュレーション )計画を発表。同日、研究生たちによる演習用の青国(日本)模擬内閣も組織された。
模擬内閣
閣僚
となった研究生たちは 7
月から 8
月にかけて研究所側から出される想定情況と課題に応じて軍事・外交・経済の各局面での具体的な事項(兵器増産の見通しや食糧・燃料の
自給度
や運送経路、同盟国との連携など)について各種データを基に分析し、日米戦争の展開を研究予測した。
その結果は、「開戦後、緒戦の勝利は見込まれるが、その後の推移は長期戦必至であり、その負担に青国(日本)の国力は耐えられない。戦争終末期には
ソ連の参戦
もあり、敗北は避けられない。ゆえに戦争は不可能」という「 日本必敗
」の結論を導き出した。これは、現実の日米戦争における戦局推移とほぼ合致するものであった(
原子爆弾の登場
は想定外だった)。
この机上演習の研究結果と講評は
8
月27
28
日
両日に首相官邸で開催された『第一回総力戦机上演習総合研究会』において時の首相
近衛文麿
や
陸相
東條英機
以下、政府・統帥部関係者の前で報告された。
(ウィキ)
民間からは、
千葉幸雄(
日本製鐵
総務部福利課)、保科礼一(三菱鉱業労務部)、前田勝二(
日本郵船
企画課書記)が参加しています。
鉄と石炭と海運です。
読売新聞の記事からです。
「日本必敗」の警告はなぜ見過ごされたのか…
終戦77年の夏に考える「総力戦」の危うさ :
読売新聞 (yomiuri.co.jp)
この結論は8月27、28日に首相官邸で首相の近衛文麿(1891~1945)や、陸相の東條英機(1884~1948)ら政府・軍部首脳に報告された。
『昭和16年夏の敗戦』にある報告を聞いた 東條の感想
は、当時の指導部を覆う「 空気
」を表している。
「諸君の研究の労を多とするが、これはあくまでも机上の演習でありまして、実際の戦争というものは、君たちの考えているようなものではないのであります。日露戦争でわが大日本帝国は、勝てるとは思わなかった。しかし、勝ったのであります。
(中略)戦というものは、計画通りにいかない。意外裡なことが勝利につながっていく。したがって、君たちの考えていることは、机上の空論とはいわないとしても、あくまでも、その意外裡の要素というものをば考慮したものではないのであります。
なお、この机上演習の経過を、諸君は軽はずみに口外してはならぬということでありますッ」
秋丸機関の報告書も模擬内閣の閣議決定も、中身はすべて報告されている。模擬内閣の分析結果は口止めされたが、 秋丸機関の報告書の内容は新聞などで報道されており、開戦が無謀なことは、東條をはじめ、政府や軍の共通認識だった。
にもかかわらず10月に首相になった東條は開戦に突き進み、それを誰も止められなかった。慶応大学教授の牧野邦昭さんは『 経済学者たちの日米開戦
』のなかで、無謀な選択の理由を 行動経済学
と 社会心理学
の観点から説明している。
対米戦争は米国など連合国が石油やくず鉄などの対日輸出を止め、米国が日本に中国からの撤退などを突き付けたことが引き金になった。
開戦すれば負ける確率が非常に高いが、資源が豊富な蘭印(オランダ領インドネシア)を占領すれば重要物資は手に入る。独ソ戦でドイツが勝って英国を屈服させ、緒戦で米軍をたたけば米国は戦う意欲を失い、日本有利の講和に応じる可能性も皆無とはいえない。
一方で開戦しなければ石油禁輸による国力の消耗は止まらず、日本は戦わずして2~3年で間違いなく米国に屈服する。
行動経済学
のプロスペクト理論では、「合理的に考えれば無謀とわかっていても、現状維持よりはわずかながら可能性がある」時に、不合理な選択が行われることがあるという。
これに加えて、抜きんでた指導者がいない「集団意志決定」の状態下では極端で明確な意見が好まれ、集団の構成員がリスクを冒す方向に流れてしまう「リスキーシフト」が起きやすいことが 社会心理学
の研究でわかっている。
当時の日本は無謀な開戦を選ぶ「 空気
」が二重に覆っていたことになる。
不合理ではあっても「空気」に従うような意思決定は、会社でもあり得ます。
やはり、最高権力者が冷静に判断して止める決断をすべきだったと思います。
天皇の責任
は重いですね。
国力差を精神論で補えるとでも思っていたのでしょうか。
総力戦研究所の模擬内閣が「日本必敗」を予想した最大の理由は、広大な占領地をつなぐシーレーンが確保できないとみたからだった。
戦争遂行に必要な資源を日本に運ぶには、昭和16年の商船保有量300万トンの維持が不可欠だが、現状では米英の攻撃で年間120万トンの輸送船の消耗は避けられない。日本の造船能力は多く見積もって年60万トンだから、差し引き年間60万トンずつ減ってしまう。
秋丸機関報告書をまとめた後、総力戦研究所の所員を兼任していた秋丸も、研究生に対する講義で「南方の物資補給を確保するための通貨工作、貿易統制、船舶輸送力の増強」を最重要課題にあげていた。
総力戦を進める際の日本の最大の弱点も、事前に突き止められていたわけだ。