レーゼクライス合宿 0
全69件 (69件中 1-50件目)
6月に我が家に来た子猫ピッピも、身体がずいぶん大きくなった。ピッピが来た当初、じゃれる時は小さな猫がつぶれないように遠慮しながら遊んでいたが、最近は猫の身体が大きく頑丈になってきたので、猫と抱き合うと「プロレスごっこ」の様相を呈してきた。とにかくなつく猫で、最近は私の首に身体を巻きつけて眠る。猫の毛皮の襟巻のようだ。猫の平熱は38度あるので、結構暑苦しいし重い。ピッピは安全のため室内飼いにしているが、窓の外をじ~と眺めている時がある。外に出たいのだろうか?時々目を離した隙に、外に駆け出すこともある。ただそんな時も、遊び疲れると家に帰ってくる。家が嫌いなわけではないらしい。猫の気持ちを想像すると、たまには外に旅行をしたい、ということなのだろう。決して家出がしたいわけではなさそうだ。でも、外に出て交通事故に遭ったり、野良猫に病気をうつされてもいけないので、室内飼いの原則は守るつもりだ。
2006/10/06
私は会議が嫌いだ。会議に出席するのも嫌だし、自分が主催するのも嫌だ。やむなく塾のスタッフに連絡事項を伝えなければならないケースもあるが、それでも5分以内でサッサと伝達を終わらせる。私が大手塾にいたとき、会議が長いのには閉口した。2ヶ月に1回くらい県本部で会議があり、各教室の教室長と主だった時間講師に動員がかけられたが、時には会議が3時間4時間と長引くことがあり、嫌で嫌でしょうがなかった。私はその頃20台前半の時間講師だったが、発言するのは30代40代のベテラン講師の方々で、彼らの話は最初のうちは刺激的で面白いのだが、時間が経つにつれて同じ話の蒸し返しや堂々巡りで、声も次第に大きくなり、まるでラヴェルの「ボレロ」みたいな会議で非常に困った。会議を自分の演説の場意見開陳の場だと勘違いし、会議になると目を輝かせて語り始める人はイタい。人前で話をする以上、聴き手を話で酔わせるサービス精神が必要だと私は考えるが、会議で積極的に発言する人の多くは自分の話に酔い、酔っ払いの戯言に堕ちていることに気づかない。彼らはまるで、客を酔わせることを忘れ、逆に自分だけベロベロに酔ってしまう場末のバーのホステスみたいだ。会議の他の参加者は酔っ払いの戯言に付き合わされて大いに迷惑である。また会議が長引くと、発言する人は発言するけど、しない人は黙りこくっている。ある日、いつもの如く一部の人達が侃々諤々と不毛な議論を戦わせていた。会議は始まってから数時間経っていた。私は「早く終われ」とイライラしていた。司会者は他の参加者達にも発言を促そうと「他にもご意見のある方いらっしゃいませんか?」と、今まで黙っていたふだん無口な時間講師を指名した。私はその人も同じように会議にウンザリしていると思い「いえ、別にありません」と会議を終わらせる方向の発言をしてくれると期待したが、ところがその人は何と、指名されたのを幸い堰を切ったかのように話し始めた。しかも悪いことにその内容が今まで述べられていた意見の反論だった。もちろん反論された側は黙っていない。会議はさらに熱くなり長引くことになった。やれやれ。もし私がその時司会者に「猫ギターさん、何か言いたいことはありませんか?」と尋ねられたら、「早くこの会議終わらしてください、うんざりです」と答えていたかもしれない。でもそんな勇気、俺にはないわ。
2006/07/12
子供に日本史を血肉化させるのに、大河ドラマの総集編を見せるのは効果的だが、それでも時間が長過ぎる。他の科目の勉強に差し障りがある。しかもドラマだけでは歴史的背景がわかりにくいし、また歴史嫌いの子にとって長時間の時代劇は苦痛である。私は植物とか昆虫の世界には全く疎い男だが、昆虫のドキュメンタリーを何時間も見せられたら飽きる。それと同じことだ。大河ドラマの総集編を見せると、歴史好きの子はますます歴史好きに、嫌いな子はますます嫌いになる危険性がある。そこで、NHKにお願い。総力を挙げて、原始から現代までの日本通史ドラマを作って欲しい。「まんが 日本の歴史」の映像版である。総時間は24時間ぐらい。1日2時間で全12話。「第11話 昭和天皇と太平洋戦争」みたいな感じで。永久保存版になるような力作にして欲しい。ドラマだけでは子供はわかりにくいので、時々CGや図表を使って歴史の状況説明をふんだんに入れてくれれば助かる。ナレーションは当然「その時歴史が動いた」の松平定知アナが適任だろう。みのもんたでもいいが、彼には生理的嫌悪感を抱く人が多いのが難であり、また軽妙すぎて「プロ野球珍プレー・好プレー」になってしまう。ドラマの演出は「さり気ない大人の演出」よりも「ドラマチックな劇画調のケレンのある演出」の方が子供向けだ。ただ子供向けといっても、十二分に大人の鑑賞に堪えるものでなければならない。脚本はわかりやすく、音楽は勇壮に、とにかくステーキの上にウナギを乗せた黒澤映画のような、コッテリしたドラマにしたい。黒澤さんが生きていて演出してくれればいいのに。さて、重要なのがキャスティングである。信長とか秀吉とか家康とか坂本龍馬みたいな人物は映像化されまくってきたので、視聴者にはある一定のイメージがある。イメージとかけ離れたキャスティングは、あまりやらないほうがいい。西郷隆盛役をナインティナインの岡村とか、坂本龍馬を田中邦衛とか、絶対にそんな冒険をしないほうがいい。キャスティングはオーソドックスにいきたいものだ。鍵になるのは原始古代の人物のキャスティングである。原始古代の人物に対するイメージは乏しい。たとえば藤原道長役を誰がやるか、キャスティング係の人は大いに悩むだろう。私のイメージは50代の頃の仲代達矢だが。藤原道長はまだまだイメージはわきやすいが、金印もらった「漢委奴国王」役になるとお手上げである。どんな人なのか見当がつかない。赤ん坊でも95歳の爺さんでもいい。どんな俳優が「漢委奴国王」役を演じるのやら。卑弥呼も困る。魏志倭人伝からの情報があまりにも少ないため、年齢も性格も外見も服装もわからない。わかっているのは女性の呪術師ということだけである。卑弥呼役は石原さとみでも深津絵里でも浜崎あゆみでも荒川静香でも黒木瞳でも岸田今日子でも赤木春恵でもいい。私がプロデューサーなら、卑弥呼役には細木数子を推すけど。聖武天皇は誰がいいか。井沢元彦の影響もあってか、私は聖武天皇には「気が弱いオタク」のイメージを持つ。藤原氏出身の光明皇后の尻に敷かれ、アクの強い親戚藤原四子に気を使い、強度のノイローゼで誰かから襲われる恐怖から都を転々と替え、死の恐怖から逃げたいあまり仏教に過剰に帰依し巨大大仏を建立し、外国の宝物に目が無くコレクションを集め保存した正倉院というオタクの宝物館を造り、とにかく聖武天皇には権力志向の強い反面、臆病なアキバ系の兄ちゃんの匂いがする。だから聖武天皇役には、「電車男」の伊藤淳史か山田孝之あたりが適任ではないか。あと、後醍醐天皇は絶対に田村正和だ。これは譲れない。後醍醐天皇はせっかく建武時代に天皇親政の政体を作っておきながら、わがまま放題を尽くし、武士への恩賞をケチり不満憤懣を爆発させ、もっとも人望のある部下だった足利尊氏を敵に回し、最後は吉野へ逃げたが激しく幕府に抵抗する。後醍醐天皇は「貴人に情なし」の典型だった。後醍醐天皇は自己中でプライドが高く、駄々っ子のような幼児性にあふれ、エキセントリックで衝動的で、貴人らしく浮世離れした人だったのだろう。またその反面高貴で威厳があり、格調の高さとスター性を兼ね備え、わがままでも憎めない部分もあった。そんな複雑な性格で、味方がどんどん離れてゆく孤独な焦燥感に満ちた後醍醐天皇を演じられるのは田村正和しかいない。田村正和に束帯を着せ、あの口調で「尊氏め、けしからん」と言わせてみたら、後醍醐天皇にぴったりでしょ?
2006/07/07
サウナへ行って来た。私は週3回ぐらいは必ず仕事前にサウナに行く。福山駅前の映画館の5階にあるサウナだ。運動不足の私にとって、サウナは汗を流す唯一の機会だ。中年男は体内に疲労と脂肪が溜まりやすい。疲労と脂肪は白っぽい透明のゼラチン質の形をして、皮膚の内側にネトネトくっ付く。そんな疲労と脂肪の塊のゼラチンが、サウナの灼熱で溶け、塩分と一緒に毛穴から汗になって大量に流れ出る。気持ちいいよお。そしてサウナで皮膚が熱くなったあと、すぐに水風呂に入る。毛穴が縮んで、水風呂の冷気がカッカと燃えた身体を冷ます。気持ちいいわあ。サウナに1時間もいると、体重は2kgくらい減る。でもサウナで汗を流すと、身体に溜まっていた毒素入りの水分が、20リットルぐらいドバドバ流れ落ちた気分だ。身体が飛ぶように軽くなる。血液が清冽になった感触だ。だからサウナはやめられない。暑いサウナの部屋に滞在できるのは長くて10分ぐらい。その間私はTVを見ているか、ブログの文章を考えている。1回分のブログ日記が頭の中で完結し書き上がるまで、サウナから出られないという縛りを自分に課す。今日のブログはこのネタで行こう。うまく原稿用紙2枚分ぐらいに収まるだろうか? 10分しか時間はないぞ。話の筋道を考える。論理に破綻が無いか考え抜く。読み流されないように表現を練る。比喩や形容詞を効果的に使う。無駄な部分を削る。筋道に関係ない別のアイディアが浮かんできた。でもこのアイディアは別の日記のネタに取っておこう。さてさて、結論を考える。早く思いつかないとサウナから出れない。熱い。もう耐えれん。でも結論がまだだ。おう!結論を思いついた。でも頭の中で推敲しなければ。いちおう人様に見せる文章だから、面白いかタメになるか刺激を与えるか有意義な文章にしたい。人と違ったユニークな題材か? ワンパターンになっていないか? いつもと違うか? 自分は進化しているか? 飽きられたら嫌だ。うん、よし、これならいける。やっとサウナから脱出できた。水風呂に駆け込む。タイムリミット10分、ブログのネタはこんな風に、サウナで考えることが多い。あとは家か塾で文章にするだけ。関係ない話だが、以前私はサウナに入って汗を流している時、いきなりサウナの外にバキュームカーがやってきて、サウナのドアに生コンクリートを撒き散らされた夢を見たことがある。コンクリートは瞬時に固まり、ドアは開かずびくともしない。私はサウナに閉じ込められてしまった。熱くて死ぬ・・・サウナで監禁され熱死した死体って、どんな感じになるのかしらん?
2006/07/06
うちの猫は名前が今までなかった。仮称として「おちびりん」「ちびたん」「にゃんにゃん」「ねこ」とか呼ばれていたが、このたび名前が決まった。その名はピッピ女の子らしいかどうかは異論はあるが(うちの猫はメス)、元気がいい名前だ。皇太子一家が飼っている犬の名も「ピッピ」らしい。そういえばうちのピッピの身体の模様は白ベースの黒ぶちで、日光東照宮の眠り猫に似ている。寝姿も寝顔もそっくり。左甚五郎的国宝級の猫だ。
2006/07/05
デブは他のデブと一緒にされることを最も嫌う。デブはデブ同士仲が良いと思ったら大間違いである。デブというものは近親憎悪で仲は良くない。デブじゃない人が「デブは嫌だ」と言ってデブを恋愛対象から外すように、デブも他のデブを異性とは見なさない。デブじゃない人から見れば、同じデブ体型同士くっつけばいいじゃないかと思うかもしれないが、そんなに物事は簡単にはいかないもし仮にデブを恋愛対象として見る奇特な人がいたら「デブ専」と呼ばれ変態扱いされてしまう。デブじゃない人間がデブを嫌う理由は、遺伝子の中にデブを拒絶する要素がきっとinputされているからだ。デブと結婚しても強い子孫は残せない。デブと結婚してデブが蔓延すれば、人間は自然淘汰に負け種族滅亡してしまうのだろう。しかし悲しいことに、デブの遺伝子の中にもデブを嫌う要素が入り込んでいるのだ。異性のデブに性愛を抱けず同性のデブを毛嫌いし、ダイエットと称してデブから「転向」を図る。俺もダイエット進行中である。夜中にお好み焼き屋に行くのやめよっと。もっと痩せねば・・・
2006/06/29
去年の夏、ある女性とソウルに行って、江南のロッテ・デパートで買物中に、些細なことから喧嘩した。私はブチ切れて、「俺は1人で日本に帰る! じゃあな!」と彼女を残し、その場を去った。私は瞬間湯沸し器なので、突如地震のように激怒する癖がある。海外で大喧嘩して女の子を一人ぼっちにするなんて、ヒドイ男だ。その時彼女は私に「あなたは人の気持ちがわからない。ふだんは凄く良い人だけど、怒ったら人の心を踏みにじるような事ばかり、どうしてそんなに言えるの!?」と言った。私は彼女にこう反論した。「俺は、人の気持ちはある程度わかるつもりだ。完璧じゃないけどね。ふだんの俺は何を言ったら人が喜ぶか、じっくり考えながら話す。聞き手が喜ぶ答えを、全知全能傾けて探りながらしゃべってる。だから良い人に見えるのだろう。でも喧嘩した時や、嫌な奴の前では違う。ふだんとは正反対で、どうやったら他人が嫌な気分になるか、脳味噌振り絞って考えながら面罵する。人の傷つく点をピンポイントで探り出して攻撃する。悪口のアイディアがボンボン脳味噌から飛び出す。俺が他人を傷つけるのは、人の気持ちがわからない無神経な男だからではない。神経が異様に研ぎ澄まされた人の気持ちがわかる男だからこそ、俺の言葉で他人が傷つくのだ。俺は他人が嫌がるのをわかっていて、しかもどこを攻撃したら最高に嫌がるか調べながら攻撃する嫌な奴だ」でも彼女、何で俺みたいな奴と付き合ってくれるのだろうか?
2006/06/27
日本ハムの新庄は今季限りで引退する。小泉首相もあと3ヶ月で首相の座を降りる。巷では「引退」が流行っている。目立ちたがり屋が目立つには、引退は格好のイベントである。日本人が好む、桜の花が散華するイメージにも重なり、潔い人だと賞賛される。ところで、ブログやHPでも「引退」する人が多い。突然脈絡もなく「今日でこのブログの更新は終わりにします。長い間お世話になりました」との書き込みがある。すると「残念です、楽しみにしてたのに」「早く復活して下さい」とコメントがずらずら。そんな光景を3日に1回ぐらいは目にする。もちろん、病気など重要な事情でブログを更新不可能になった人もいるだろう。恥ずかしいのは引退の口も渇かぬうちに、プログを復活させる人である。引退するなら潔く引退しろよ!本人は山口百恵みたいに格好良く引退したいつもりなのだろうが、結局芸能界に未練たらたらの天地真理みたいに、いつの間にやら出戻り。まあ、俺も人のことは言えないんだけどね・・・
2006/06/26
最近、なぜか楽天広場の、アクセス数ランキングの公表が遅い。3日ぐらい前のランキングが掲載されているのが実情である。アクセス数は、日記の出来とか、ブロガーの注目度を示す指標である事は確かだ。面白い日記を書く人、注目を浴びている人のアクセス数は必然的に伸びる。アクセス数が多いと、誰が見ているか不安になるのは確かだけれど、その反面多くの方が読んで下さると、日記を書く励みになるのは事実である。だからアクセスランキングは、もっと迅速に掲載してもらえたらな、と思う。ところで、「出産・子育て」のランキングを見ると、上位はアフィリエイトのお買い物サイトで、内容は「???」なものが多い。正直、内容とアクセス数が一致していない。どういう手を取ったら、あんなにアクセスが伸びるのか理解できない。子供のテストに喩えると、内容は15点なのに何故か90点を取っているようなブログが、楽天広場の上位を占めている。幸い、塾同業者のブログは、2~3の例外を除いて怪しい物は少ない。私は僭越ながら、ブログの文章には自分の全知全能を賭けている。授業をする時、或いは小説を書く時と同じくらいの力を込めて書いている。だからこそ拙い文章ではあるけど、想像以上の多くの方が私のブログを読んでくださるのだと思う。私の「本気」が読者に伝わっていると勝手に自認している。誰が何と言おうと、塾の仕事もブログも内容一本勝負だ。中身が良ければ人は集まる。生徒が消えアクセス数が減ったら、私自身の能力不足、未熟な人格のせいだ。だから、妙な手段でアクセス数を稼ぐ人間には、軽蔑と怒りを感じる。許せない。
2006/06/25
私は昔、「デブへの王道」というHPを作っていた。「どうやった痩せるか」というありきたりのダイエットHPではなく、「どうやったら太るか」というテーマの、下らないHPだった。HPの趣旨の文章がパソコンに残っていたので、ご紹介しよう。巷には痩せるためのダイエット本があふれている。美容のため、健康のための痩身術の本は、素人から学者まで、様々なジャンルの人が執筆していて、もはや飽和状態になっている。やせる事はすばらしいという価値観は、いまや誰もが疑いなく信じている。果たしてそうなのだろうか?さて、俺は「デブ」である。やせるためのダイエット本は、デブである俺の存在を真っ向から否定している。デブは醜く、また悪だということを前提にして書かれた本は、正直言ってデブである俺にとっては、不愉快極まりない。やせる本は異常なぐらい濫発されているのに対して、太る方法について書かれた本や雑誌やHPは、世間には見あたらない。そこでだ、デブに冷たい世間の風潮に反して、我がHPでは、合理的効率的にデブになる方法を伝授する。どういう生活をすれば太るのか? 何を食べたら太るのか? 太るための心構えとは何か? とにかく効率的に太るために、私が思いついたことを書きまくるつもりである。ダイエット本とは正反対の道を行くHPなのだ。やせたい人を1人でも多く、デブの道へと引きずりこみたい。みんな私みたいなデブにしたい。私の洗脳に負けて太りたくなった人は、私がHPで書き散らす言葉を信じて、私と同じ生活習慣を身に付ければいい。私と同じものを食べればよい。デブイデオロギーの信者になればよい。必ず皆さんの肉体は、ぶくぶくと見事に豊満な肉体へと変貌を遂げるだろう。逆に痩せたい人は、このメルマガに書いてある太る方法と、全く正反対の食生活をすればいい。私が「デブになるには、必ず寝る前に胃を満タンにしておこう」と言ったら、反抗して寝る前に何も食べなければよい。私の振る舞いを反面教師として、批判的に受け止め逆の道をたどればいいのだ。ただ精神力がいるよ。このHPは太ることを目的としたメルマガであるから、美味い食べ物の紹介は頻繁に行う。文章を読んだだけで唾液が流れ落ち、胃が活発な蠕動運動をするように、私も精魂込めて食べ物の描写をするつもりだ。やせるためにこのHPを読む人は、そのことを心せよ。ダイエットの真っ最中で、空腹で頭痛を感じている人がパソコンを開け、夜中にこのメルマガを読んで「最近のセブンイレブンのおにぎりは、塩気が絶妙でおいしいな」「ローソンの『玉子たっぷりプリン』の程よい甘さは、仕事の疲れを癒すなあ」なんて描写があって、あなたが我慢しきれなくなってコンビニに駆け込んだら、それは私の思うままの展開である。そしてもし、あなたがダイエット中なのにもかかわらず、このHPに書かれた生活習慣を少しでも実践しているのなら、大ピンチである。あなたは知らず知らずのうちに、「デブ」への王道の従順な実行者になっている。「デブになんて醜いものに絶対ならないわ」と、私の言うことを頭では馬鹿にしていても、実際は「チーズの入った大判焼きだけは譲れないのよね」と実行が伴わない人は、私の「デブ道」の隠れ信者である。ダイエットする意志の弱い人は、私の言葉に引きずられて、やせることをあきらめてデブへの道をまっしぐらに突き進むがよい。頭ではやせたいのに体は旨いものを食べたい。頭と体がバラバラではストレスが溜まるばかり。デブになりたいから食べる。まさに「知行合一」で素晴らしい。なお、このHPでの「デブ」という言葉の定義は、あくまで普通のデブである。筋肉質の固太りデブは対象としない。例えば清原は太っているが、あの肉体は過酷な鍛錬から生まれた筋肉でできている。ボブサップだってデブだが、私に言わせればデブではない。私が言及するのは、格闘技を含めたスポーツ選手みたいな「筋肉デブ」ではなく、あくまで普通の醜いデブ、いわゆる「水デブ」「脂デブ」である。縄跳びでもしようものなら、お腹のお肉も一緒にプルプル揺れてしまう、そんなデブである。腹を絞れば、へそから白いラードが「ちゅるちゅる」と飛び出してきそうなデブである。注意して頂きたいのは、私が提唱するデブになる方法には、医学的な根拠は全くない。私は医者でもダイエットの専門家でもない。太るのと食うのが好きなただのデブである。だからこのHPは、あくまで私個人の経験から話を進めていく予定である。だからデブになるための最新の学説を持ち出して、偉そうに私を批判するのはやめてほしい。私が提唱する「デブ」になる方法は、あくまで私の肉体と体重計から引き出した経験則なのだ。さて、超極私的な意見であるが、デブが健康に悪いというのは、少々短絡的過ぎる気がする。よく考えてほしい。太るのとやせるのと、どちらが死に近いかと言えば、当然やせる方である。太ると確かに成人病にかかる。高血圧・糖尿病はデブの典型的な持病だ。そんなことは私だって知らないわけではない。しかし食事をしないと人間は死ぬ。極度のダイエットは飢死が待っている。 飽食の日本と、食糧不足の発展途上国、どちらが平均寿命が高いか?だからこそデブになることは、一概に死の道、不健康な道へ進んでいるとは言えないのである。さて、このメルマガの内容予告に移ろう。今後予定している項目を挙げると・・・●和食はデブの究極の敵である●運動はデブの最大の敵である●タバコはデブの敵である●1日2食がデブ食の基本●ストレスこそがデブを育てる●デブになりたきゃあサウナに入れなどなどこのHPで、色気よりも食い気を選ぶ人が、1人でも多く誕生することを祈る。「デブへの王道」、再開しようか。
2006/06/23
Sachi-netのさち先生の、ヒトの悪口に関する記事に大いに共感しました。私も便乗して書きます。私も入塾の面談をしていると、「いままで○○塾にいたのですが、どうもイマイチで・・・先生は熱心に指導してくださると伺ったものですから、今後はこちらの塾でお世話になろうかと思います」と他塾の悪口を言う人によく遭遇する。確かに他塾と比べて私の塾のことをほめてくれるのは嬉しいけど、「ああ、この人は他人の悪口を言う癖が抜けない人だな」と、冷静に構えてしまうのも事実だ。さち先生の仰るように『明日は我が身』だ。「この人は他塾の先生の悪口を言ったのと同じ口で、俺の悪口も裏で言ってるんだなあ」と勘ぐってしまう。悪口を言う人は、あまり信用してはならぬ。しかし悲しいことに、人間の性(さが)とでも言おうか、他人の悪口は禁断の旨みを持っている。我ながら性格悪いと思うが、ヒトの悪口を言うのは実に楽しいことでもある。特に酒の席では、その場にいない人間の悪口が大いに盛り上がるのは、紛れもない事実だ。誰かの悪口を言うにしても、みんなから悪口を言われまくっている、パッシング進行中の人間の悪口を言ってもつまらない。いまさら、村上ファンドや細木数子の悪口を言っても刺激がないのと同じことだ。すでに世間から爪弾きにされていて、誰もが非難している「無難な人間」の悪口を言っても、場は盛り上がらない。逆に、誰にでも評判のいい、悪口を言われたことがなさそうな人の陰口は超刺激的だ。たとえば、誰もがほめたたえているが、しかし自分は世評に反してこいつは絶対ムカつくと秘かに思っている、A氏という人がいるとする。A氏には誰も悪口を言わない。「悪口処女」の純潔さを保ち、みんなA氏のことを賞賛する。でも俺はA氏が大嫌いだ。そんなケースでは、A氏が嫌いなのは自分だけかと思うと、妙な孤立感を覚えイライラしてしまう。皆が大好きなA氏を嫌っている俺は性格が悪いのかと自己嫌悪に陥るし、A氏に対する不満が嵩じて自家中毒を起こしてしまう。そんな時に、誰かがタイミング良く「俺はAが大嫌いだ」とA氏の悪口を言ってくれると、快哉を叫びたくなる。「実は俺もだよ」「だろう、Aの奴ムカつくよな」A氏の悪口を言い合う2人は、地下組織の秘密結社の同士みたいな怪しく熱い連帯感を持つ。A氏嫌いをカミングアウトした熱狂に酔う。その後、誰もがA氏の悪口を言うようになり、A氏へのパッシングが始まってしまったら、A氏の悪口の面白さは一気に消え失せるのだが。とにかくも、ヒトの悪口は仲間の連帯感を強める。オバサンの井戸端会議もそうだろう。オバサンは誰かをターゲットにして陰で悪口を言い合うのが楽しくて仕方ない。他人のほめ言葉では会話は盛り上がらないが、悪口では大いに興奮する。悪口を言い合える仲間同士の、閉鎖的な居場所がおばさんには心地よい。そんなオバサンの閉鎖的な連帯に、さち先生が指摘されるように、塾の先生は絶対に付き合ってはならない。私は「悪口は快楽」などと、いかにも性格悪そうなことを書いているが、実はあまり人の陰口を叩いたりはしない。悪口は本人の前で言うことにしている。時には他人の悪口陰口を言うことで、言った人の性格の良さが逆に顕になる稀有な人もいるが、綱渡りのような高等戦術なので素人は絶対に真似してはならない。
2006/06/20
私は異業種のある友人のブログを読む機会を得たことがある。どういう点が悪いのか、ズバリ指摘して欲しいという。私みたいなロクな文章も書けない、まともな審美眼をもたない男に文章を見せに来るとは酔狂だが、ちらっと見せてもらった。見た。ちょっと眺めただけで「俺には読めない、つまんない」と本音を言ってしまった。確かにブログとは自己満足OKの文章であろう。ただ、一応は論文の形式的な書き方なり、読ませどころの工夫なり、必要最低限の書き方がある。彼のブログはそんな最低限のレベルにも達していなかった。私は彼のブログを1日分読んだだけで先が読めなかった。まずい食い物は一口食べたらまずいとわかるのと同じで、ひどい文章は3~4行読めばひどいとわかる。彼に読ませる能力がないのか、それとも私に読む能力がないのかわからないが、とにかく彼の文章は私の心にグリップしない。使いようによっては宝石のように輝くはずの語彙も彼の手にかかると石ころのようだし、段落と段落の間をスムースに橋渡しするはずの接続詞も何と何をつなげているのか理解できず文章をギクシャクさせるだけだし、論理の切れ味も感じられず、書いている本人の頭の中が整理できていないことは一目瞭然である。30数年生きてきて、その最終結論の文章がこれなのかと、私は彼には悪いが強い軽蔑感を抱いてしまった。彼はよく「これから俺は成長するんだ」との意気込みを語っていたから、どんな大作が完成したのか結構楽しみにしていたのだが、結果がこんなクズみたいな文章である。軽蔑を超えて怒りすら感じた。少なくとも私が企業の就職係だったら、こんな文章しか書けない男は採らない。内容ペラペラのロクな文章しか書けない男を会社に入れたら自分の勤務評価も下がるし、また部下として使うのも躊躇する。とにかく猛烈な気まずさで、私は無言になってしまった。よい文章を書くためには、よく「裸になれ」と言われる。確かにガードの固い、自分の内面を隠して書く文章は面白くない。他人に自分の文章を理解してもらうには、ある程度自分の何かをさらす覚悟が必要だ。しかし、裸になれば良い文章が書けるわけではない。裸になったら貧相な肉体しか出てこないケースがいかに多いことか。人前で裸になれるのは男なら筋肉質の、女なら豊満な肉体の持ち主しか許されない。そういえば彼は読書と言えば、お手軽な本しか読んでいなかった。そんなものしか読まなければ、ロクな文章をかけないのも無理はない。彼が書く文章は安っぽい本の、亜流の亜流のそのまた亜流、劣化版コピーである。ブログは隆盛を極めているが、正直90%は読むに値しない。まず書き手には、文章を人前に見せるという意識がほしい。自己満足で、ハードルの低い文章は御免蒙る。
2006/06/18
猫を飼うのは楽しい。ついつい溺愛してしまう。私は子供みたいに猫に触りたがる人間なので、猫を飼う前、ちょっかいを出しすぎて猫が懐かなくなるのを危惧していた。私は猫を見るとどうしてもギューと抱きしめたり、腕を噛んだり尻尾をつまんだりする欲望を抑えられない性質なのだ。これでは猫が嫌がる。しかし我が家の子猫は、私が猫に触りたがる以上に、私に接触したがる。いつも私に寄り添っている。ただし猫は気まぐれだから、私が猫と遊んで欲しい時には、あまり遊んでくれない。昨日は猫が「クシュン」と可愛いクシャミをしたので、クシャミをした瞬間「ハクション大魔王でごじゃるよ。呼ばれて飛びでて、ジャジャジャジャーン!」と大声を上げ猫の前にドーンと立ちはだかったら、猫は恐れをなしてTVの下に逃げていった。調子に乗って、あくびをした時には「アクビちゃんで~す。アラピンカラピン、スカッピ~ン! シュワ~シュビドゥバー」と嬌声を上げたら、猫は後ずさりをしながら怪訝そうな顔で私を猫目でにらみつけた。ハクション大魔王もアクビ娘も、私には楽しい遊びなのだが猫はそう解釈してくれないようだ。こんな具合に、私が積極的に遊んでやろうとすると猫は私を敬遠するのだが、逆に私が猫に構っていないと、寂しがり屋の猫は私に猛烈なアタックをかけてくる。昨日なんかは横になってテレビでW杯を観戦していたら、猫は私の頭に「そそそそ~っ」と寄って来て、突如私の散髪したてのザラザラの坊主頭で爪研ぎをし始めた。爪を切ったばかりだったので血は出なかったのだが、それでも坊主頭を猫の爪で引っかかれると十分痛い。また、私が布団から足を出して寝ていると、突然猫は足の裏をぺろりと舐めてくる。私はコチョコチョに弱いので、飛び上がってしまった。さらに仕事でパソコンを打っていると、猫はキーボードの上にチョコンと乗ってくる。猫が足を乗っけたせいでパソコンの画面は「mj1-rrrrrrrっり:;:sssssssssssssssssssss@@@@@@@@@」と意味不明の文字群で埋め尽くされる。全く迷惑だ。猫は私の枕の上で寝る。しかも枕のど真ん中で寝る。私は枕の隅に頭を寄せて眠るしかない。そして猫は身体を私の顔の一部に必ず密着させて眠る。猫は体温も高いし、ゴロゴロ喉を鳴らしているので鬱陶しくなって離してやると、また寄って来る。ときどき、子猫の耳の裏や背中を母猫のようにペロペロ舐めてやると、子猫は凄く喜ぶ。喉を5m先にまで届くように大きな音でゴロゴロ鳴らす。私をママと思っているのだろう。とにかく、子猫は主食にしてやりたいくらい可愛い。子猫の身体を舐めている時、猫が私の唾液で溶けてしまえばいいのにと思う。
2006/06/17
この仕事をしていると、食事時間は不規則になる。私の晩飯は夜の11時頃だが、いくら食べても夜中3時ごろに無性に何か食べたくなる時がある。またストレスが溜まっている時は、私みたいな食いしん坊でも食い物のことを完全に忘れてしまうので、2日間ぐらい何も食べない。コンディションが最悪の時は酒が主食になり、炭水化物をアルコールで摂るという痛ましい食生活になってしまう。だから食えるときに食っておかなければ死んでしまう。突然の暴食は食糧補給の一環なのだ。また、私は小説を書いているので、アイディアに行き詰った時はiPod聴きながら深夜の野良猫すら寝静まったアーケード街や、海沿いの歩道を徘徊する。徘徊しながらアイディアが「ボン!」と生まれるのを待つ。ひたすら待つ。一度は徘徊中、警官に職務質問を受けたことがある。さて、夜中に腹が減った時、東京に住んでいた頃は「さあ、吉野家にでも行こうか」となるのだが、田舎の我が家の近所で夜3時に働いているのは、新聞屋と豆腐屋だけだ。近所には「ポプラ」というコンビニもあるが、ここはコンビニのくせに、夜1時に店じまいしてしまう。そんな時はパスタを茹で、残り物のベーコンでカルボナーラを作ったり、だし醤油でナスとベーコンの和風パスタを作ったりする。パスタにはパルメザンチーズを真っ白になるまでかける。あと料理が面倒くさい時は「どん兵衛」や「日清焼そば(袋のやつ)」も重宝する。胡麻油で半熟の目玉焼きを作り、ご飯に載せて醤油をかけ、韓国海苔をちぎって入れ「目玉焼き丼」を作ったりもする。それから永谷園の麻婆春雨も好きだ。残り飯にぶっかけて食う。永谷園の「カニチャーハンの素」もうまい。簡単にできるし、同じく永谷園の「松茸の味お吸いもの」と一緒に食べれば素晴らしい夜食になる。つくづく、永谷園は偉大な会社だと思う。
2006/06/08
こいつだ! 鼻が大きくてカワイイ。金曜日からわが家の一員だ。パソコン打ってたらキーボードに乗ってくるし、眠っていたら私の顔の上で眠ったり、耳を噛みに来る。甘えん坊だ。横で腹を出してじゃれるし、頭の上に乗ってくる。猫との生活って、こんなに幸せだったのか、と思う。ただ、名前がない。吾輩は猫である、名前はまだない状態だ。早く決めねば。ピッピかチッチかポッポが有力候補。
2006/06/04
で、なんでこんな猫ギター氏を他人扱いするような珍現象が起こったのか。春の睡魔に脳が溶かされ麻痺しただけではない。自分自身と、自分が書いた文章が、必ずしも同一ではないということは、誰もが大なり小なり意識しているはずだ。私自身と、ブログのペンネーム「猫ギター」は完全なイコールではない。なぜイコールでないか、その理由の第1に「筆力の限界」がある。自分の心理をデッサンする能力の欠如は、自分自身と文章を乖離させる。また文章を書くとき、「ありのままの自分」よりも、「かくあるべき自分」「人にこう見られたい自分」へ方向が傾きがちだ。逆にストイックに「ありのままの自分」にこだわるあまり過度に自虐に走ると、これまた剥離の度合いは大きくなってしまう。ただ私が「猫ギター」氏を別人と認識してしまったのは、筆力の問題もあるが、それよりもinputとoutputの関連性の問題が大きい。他人のブログを読んで人から吸収するのがinputで、 自分でブログを書いて人に情報や視点を与えるのがoutputだが、ことはそう単純なものでもない。日記を書いている時、私には読者にoutputしている意識は全くない。日記を通じて読者に情報を分け与え、教育観を伝え、新しい視点を獲得してもらいたいという気持ちは皆無に等しい。私は逆に日記を書けば書くほど、inputしている気がする。文章を書くことは吐き出す作業ではなく、吸い込む作業に感じてしまう。私が文章を書いてinputする供給源こそ、「自分の内面」に他ならない。私にとって日記や小説を書くことは、読者に自分の意見を開陳することではなく、自分の内面の奥底からinputする作業だ。村上春樹言うところの「井戸を掘る」作業に近いかもしれない。掘り進めば掘り進むほど、内面という井戸からは、自分の想像もつかないような言葉が湧出する。自分のオリジナルの言葉なのか、あるいは以前本で読んで、いったん忘却した内容が書くことで突然甦ったものなのかわからないが、とにかく井戸から噴出した言葉や思考は、私にとっては意外性のあるものだ。意外性のある宝物を探り当て発掘する快感に酔うために、人は文章を書くのだと思う。地球の住民である我々が、地球内の鉱脈の全てを把握しきれないように、人間は自分の内面には無知で、だからこそ可能性に満ちている。宝探しの楽しみがある。そういうわけであるからこそ、自分が井戸からinputした言葉を「自分の言葉」「自分の考え」とあっさり定義してしまえば、何らかのズレが生じる。考古学者が発掘物を「これはオレ自身だ」と言うのと同じ間違いだと思う。自分の子供が自分と違う人格を持つように、自分の言葉も自分自身とイコールではない。井戸の中身は自分自身でありながら、同時に自己の中の他者であり、他者が語った言葉に「自分の意見」の刻印を押すのは、少し躊躇する。ただ、自分の井戸から掘り出した物体に、自分が大いに同調し共感していることだけは確かなのである。掘り出した物体は可愛がられ、熱狂を持って迎えられ、言葉に変換されることを望む。しかし文章にした途端、自分は読書や実生活から得た知識や伝統の通過点しかすぎないことに気付く。文章は自分自身ではなく、自分自身は自分の内面の語り部にしか過ぎないことを悟る。言葉がリアルな自分の肉体から離脱し、決して嘘はついていないのだけど、自分自身と、自分自身が書く文章との距離を強く意識する。とにかく私が書く文章は、明らかに自分から発したものだけど、イコール自分自身ではない。だからこそ、ブログの「猫ギター」氏を、自分とは違う人間だと認識したのかもしれない。ネット社会の闇の中に「猫ギター」氏がいて、彼が私に語りかけてくれるのを待つために、私は日記をせっせと書いているのかもしれない。今日のブログを読んで、私のことを「天性の嘘つき」と思わないで欲しいけど・・・
2006/06/03
2週間前四国を高速バスで旅していた時、春の温度の心地よさに、うとうと眠ってしまった。春眠暁を覚えずとはよく言ったものだ。日曜日の昼間のバスは、乗客は私を含め5人だった。客が少ない居心地の良さも、眠気を誘う一因となった。四国は温暖で、本州より気温がが少しぬるいような気がする。真綿にくるまれたような優しい空気が心地よい。桜なんかもうとっくに散ってしまったのに、四国の空は桜色に見えた。高速バスは電車みたいに途中停車しない。新幹線で東京へ行けば、新大阪や名古屋に停車する時に、アナウンスの声や電車が停車する衝動、あるいは客が乗り降りする気配で眠りから覚めてしまうが、高速バスはほとんど停車せず、ノンストップで目的地まで着く。バスのタイヤはスルスルと舗装された高速道路の上を滑る。眠り心地のよさは抜群だ。春の四国の桃源郷のような環境に、私は眠気で呆けたようになる。身体と外界の境界線が、春ののんびりした空気で曖昧になる。「ぽわ~」と起きて、睡魔がまだ完全に体から抜け切らないまま、携帯電話で楽天ブログを見る。夢うつつの状態で、真っ先にある塾の先生のブログをiモードで開く。読むのを楽しみにしてるブログなのに、まだ更新されていない。寝ぼけた頭で、「この人、今日はまだ日記書かないのか? サボってんじゃないか。早く更新しろ」と文句を垂れる。そのなかなか更新しない怪しからん人とは、何と「猫ギター」氏のことだった。「猫ギターって、オレのことジャン」とボケた頭が復活するまで、30秒ぐらいかかった。猫ギターさんは四国の高速バスで居眠りしているし、しかも私が猫ギター本人なのだから、ブログが更新されていないのも当然である。
2006/06/03
勉強ができる子は、授業中の集中力が狂的に凄い。家で勉強なんかしなくても、試験前に慌てなくても、授業を100%教室で理解し記憶してしまえば勉強はできるようになる。私は小学生の時、集中力こそが勉強の命だということを、ある漫画で知った。私が中学受験をした1980年、「とどろけ!一番」という漫画が「コロコロコミック」に掲載されていた。ご存知だろうか?主人公の轟一番君は、ガキっぽいヤンチャなカワイイ小学6年生。幼児体型で、勉強とは無縁な感じの子だ。しかし「大日本進学塾」に入塾した直後、並み居るガリ勉を差し置いて、いきなり塾で成績トップに立つ。面白くないのが、轟一番が現れる前はトップだった、典型的な真面目ガリ勉タイプの、スマートで背が高いイケメン常仁勝(つねにまさる)。彼は轟一番の出現以降、2位の座に甘んじることを余儀なくされる。轟一番と常仁勝は共に天を戴かぬライバル関係になる。2人は共に、「開布中学」をめざして切磋琢磨する。常仁勝は、起きている時間はすべて勉強に費やしている真面目な小学生。しかし轟一番には哀しいくらいに勝てない。逆に轟一番はといえば、全く勉強している気配がなく、毎日インベーダーゲームで遊んでいる。常仁勝は、轟一番が勉強ができる秘訣を探った。轟一番が勉強ができる秘訣は、授業中の集中力にあった。轟一番は授業中全身から炎が出て、目から火花が散っていたのだ。猛烈な集中力!知識をすべて授業だけで吸い込んでいるのである。恐るべし、轟一番!私はその後轟一番を真似して、塾で先生を睨みつけながら授業を聞くようになった。ところでこの「とどろけ!一番」という漫画、奇想天外な描写が実に面白かった。勉強漫画はアクションがどうしても少なくなる。スポーツ系の漫画と違って、リアルに勉強シーンを描いていたら、「カリカリ、カリカリ」という沈黙が支配するシーンで終わってしまう。見せ場の作りようがない。だから轟一番は、動きが少なく面白くない勉強シーンを盛り上げるため、奇妙奇天烈なアイテムを駆使する。たとえば彼は、いくら書いてもすり減らない「四菱ハイユニ」という鉛筆を使う。磨り減らない鉛筆作ってたらメーカーは商売にならないじゃないかという突っ込みを入れたくなるし、磨り減らない鉛筆が果たしてテストに有利になるのか未だにわからない。鉛筆を何本も用意すればいいのに、と思った。また轟一番は答案を書くのが速い。その秘訣は「答案2枚返し」といって、左右両方の手に鉛筆を持ち、2枚の答案を同時に解くという必殺技を持っているからだ。私も塾の模試の時、鉛筆を2本持って真似しようとしたが、2分と持たずやめた。轟一番との才能の差をひしひし感じた。さらに漫画も末期になると、試験の難易度もどんどんエスカレートし、いきなり白紙の問題用紙が出され、紙に熱を加え「あぶり出し」をしないと問題が解けないという、何とも凄いシチュエーションの回もあった。とにかく、勉強を漫画にするのは難しい。動的であることが要求される漫画と、静的な作業の勉強は相性が悪い。作者の無理がたたったのか、「とどろけ!一番」の末期は、ボクシング漫画になってしまった。でも私のような中学受験生には、強烈なインパクトを与えてくれた漫画だった。どこかに売ってないだろうか。探しても見つからない。
2006/06/02
私がこの職業を選んだ理由は数あれど、その大きな理由の1つに「好きな時に読書ができる」というのがある。ある時、塾業界の大先輩の方が、私と同じ考えを述べていらっしゃるのを聞き、「わが意を得たり」と強く膝を打ったものである。1人で塾をやっている人間は孤独に陥りがりだと思われるかもしれないが、実際はそんなことはなく、日常的に文章を通じて人と対話を繰り返しているので、「寂しい」と感じることは滅多にない。私は本を手放すことはない。本が手元にないと禁断症状に陥る。必ずPORTERのカバンの中には、本か雑誌が2~3冊入っている。私は起きている時間、暇な時の95%は本を読んでいる。最近はTVもDVDもあまり見なくなった。TV番組はニュースしか見ないし(「探偵 ナイトスクープ」と「渡る世間は鬼ばかり」は例外)、DVDも週に2~3本しか見ない。音楽を鳴らしながら読書というのが、私の日課である。また電車の中でもバスの中でも本は絶対に手放せない。電車やバスで本を読まない人はイライラしないのだろうか?また、私は歩きながら本を読む男だ。とにかく、本は私の最大とは言わないまでも、5番目か6番目の親友である。ここ2ヶ月間で読んだ本を写真に撮って見た。再読本も含む。最近は藤原正彦が面白い。私は1人の著者にはまったら、隅々までなめ尽くさなければ気がすまないが、藤原正彦は今、いわゆるマイ・ブームである。
2006/05/20
男子トイレには、小便が散らないよう、いろんな注意書きがある。「トイレはキレイに使って下さい」「一歩前に進んで、ご使用ください」という昔ながらの注意書きや、「皆様のご協力で、トイレは綺麗に保たれております」という最近流行のスタイルやら。ところで、東ちづる・村上ショージ・ポルノグラフィティの出身地である因島の港のトイレには、こんな注意書きがあった。VOWの世界じゃあ・・・
2006/05/16
私のブログでは、掲示板もコメント欄も書き込めないような仕様になっている。メールアドレスすら公開していない。それは、ブログをやっていると、いろいろな悪意が私の所に寄って来るからだ。ゴキブリや蛆虫が飛び込んでくる。私は潔癖症だから、掲示板やコメント欄に、ゴキブリや蛆虫がウヨウヨする環境では何も書きたくない。ゴキブリや蛆虫は恐らくいい気になるだろう。しかし名前が特定できない場所で、真摯に書き込みを続けている人間に対して嫌がらせをすることは、それこそ蛆虫やゴキブリでもできる簡単なことだ。ゴキブリや蛆虫の書き込みで、ブロガーはダメージをある程度受ける。しかし、それはゴキブリや蛆虫が偉いのではない。ブログのコメント欄や掲示板にやって来るゴキブリや蛆虫を退治するためには、どうしてもブログの文章に中に毒を仕込まざるを得なくなる。ゴキブリや蛆虫に対してブログを自衛するには、ちょっとキツイ殺虫剤を撒かなければならない。ただ殺虫剤を撒き過ぎたら、殺伐としたブログになって、読者の方が迷惑を蒙る。それは避けたい。虫だらけのトピからも、殺虫剤臭いトピからも、人は離れていくだろう。だから、掲示板にもコメント欄にも、書き込みが出来ないようになっている。
2006/04/16
姉歯建築事務所設計ヒューザー施工
2006/03/14
「若者たち」元の歌詞は君の行く道は 果てしなく遠いなのに 何故 歯を食いしばり君は行くのか そんなにしてまで以下が替えうた。便秘の方に捧げる君のするクソは 果てしなくクサいなのに 何故 歯を食いしばりクソをするのかそんなにしてまで
2006/03/06
私は花粉症だ。昨日あたりから黄色い花粉が空気中に飛び散っている。花粉症の時期になるとテレビ局は、風にユサユサと揺られて、花粉を盛大にシャワーの如く撒き散らす杉の木の映像を流す。もともと画質が悪いのか、それとも大量の花粉のせいなのかわからないが、あの杉の木の映像は薄黄色に濁っている。私はこのテレビ映像を見ただけで、鼻の奥の方がパニックを起こす。なんとも悪質極まりない映像だ。私は鼻炎以外にも、アレルギーを持っている。まず猫アレルギー。室内に猫が近くにいただけで鼻水が流れ落ちる。また、猫の毛に触ると皮膚が赤く膨れ、強烈なかゆみでイライラする。一度、飼っていた子猫があんまりかわいいので食べちゃいたくなり、「お前、かわいいから食べちゃうぞ」と子猫の顔を口の中へ入れたことがあるのだが、その後私の口のまわりは赤くかぶれてしまった。私は無類の猫好きなのだが、猫アレルギーのせいでなかなか猫を飼うことができない。また、アレルギーのせいで、食べられないものが多い。生のニンジン、キウイフルーツ、イチゴ、リンゴ、梨、豆乳なんかを食べると悲惨な目にあう。食べた瞬間、鼻の奥にジクジクした物体が生成され、そこから涙と鼻水が一斉に放出される。鼻の奥のジクジクした物体の不快感たるや、アレルギー体質の人間にしかわからない。いっそ外科手術で、鼻の奥をまるごと切開して、臙脂色のジクジクした物体をスパッと切除できたら、どんなに快適に過ごせるだろうかと思う。花粉症の症状は、強いて言えばプールで間違って鼻に水を吸い込んでしまった時の感じに似ている。2年前にタイのバンコクで、生ニンジン100%のジュースを買って飲んだ時はひどかった。飲んだ後、鼻は大きな変調をきたした。ジクジクした物体が瞬時に形成され、クシャミと鼻水が止まらなくなった。鼻水の大洪水に持参のポケットティッシュは瞬時に湿ってしまい、全然太刀打ちできず、デパートに駆け込みホテルのバスルームに置いてあるような厚手のタオルを買ってなんとかしのいだ。その時は10秒に1回の間隔でクシャミが出た。クシャミの回数があまりにも多かったため、鼻の上の筋肉が痙攣を起こしそうになった。もし近くにハクション大魔王の壷があったら、魔王が壷の中から300回は飛び出して来ただろう。
2006/02/25
フランチャイズ店で働く若者の話。私が観察した限り、大手よりも中小のFC店の方が、概して店員の態度が良くない気がする。マクドナルドやモスバーガーなど大手のFC店は、知名度が高いからアルバイトも募集しやすい。だから感じ良く仕事ができる学生やフリーターを集めることができ、しかも研修がしっかりしているから、客は気持ちのよいサービスを受けることができる。田舎にある中小規模のFC店の中には、接客が言語に絶するぐらい悪いところがある。総店舗数が5~10ぐらいの規模のラーメン屋や焼肉屋やレストランのアルバイト店員が、一番始末におえない。こういう小規模のFC店の中には、感動するぐらいサービスが素晴らしい所もあるのだが、ひどい店は目も当てられないくらいひどい。入店して席に座って、メニューを広げたその瞬間、待ち構えたように「ご注文は何になさいますか?」と注文を取りに来る店員には腹が立つ。悪いことに、注文をすぐ聞きに来る店ほど、料理の品目が多彩でメニューが複雑である。隅から隅まで読むのに5分ぐらいはかかりそうなのに、客に与えられた選択の時間はわずか15秒なのだ。たくさんの料理が載っている複雑なメニューを瞬時に見渡し、目を通すと同時に自分が食べたいものを選べというのは、そのチェーン店の常連じゃない限り無理だ。メニューに書いてある料理の名前も珍妙で、どんな味か名前だけでは判断できないものも多い。たとえばラーメン屋のチェーン店で、「海鮮漁師風塩ラーメン」とか「どっからラーメン・メキシカン風」とか書いてあったら困ってしまう。しかもメニューには、各ラーメンごとに魅力的な講釈書きがついている。たとえば「海鮮漁師風塩ラーメン」には、『塩にこだわる「海鮮漁師風塩ラーメン」は、モンゴル産岩塩と伯方の塩をブレンドし、さらに釜で1時間炒り上げ、塩が持つ「甘みある旨み」を丁寧に引き出しました。仕上げにアツアツに熱した秘伝のエビ油をジュワーとたらして、繊細な塩ラーメンに、ワイルドな海鮮味のコクをつけ加えました。』そんなふうに凝った講釈書きをじっくり読む時間を、アルバイト店員は与えてくれないのだ。なかなか決断できずに、うろたえていると、店員は私のうしろで、背後霊のようにペンと注文表を片手に、早く決めろとばかり、面倒くさそうに立っている。「ご注文がお決まりの頃にまた伺います」という台詞はマニュアルにはないのか?FCで、味を企画する社員達は恐らくやる気満々で、それがメニューにも表れているのに、現場の接客がそれを台無しにしている。せっかく魅力的で多彩なメニューをそろえて、またきちんと宣伝文句をメニューで謳っているのだから、店員の人選教育とマニュアルの吟味にもうすこし心を砕いて欲しいし、マニュアルが不完全なものであったとしても、店員には、マニュアルに縛られることなく、もっと機転を利かせてもらいたい。マニュアルの台詞の裏にある、お客へのもてなしの心を読み取ってもらいたい。ついでに言うと、そんな店に限って食い終わると素早く「お下げしましょうか?」と店員がやってくる。そんな素早さが憎い。
2006/02/21
戦国大名がもし現代の若者だったら、学力はどれくらいか、偏差値はどれほどか、どんな大学に入っていたか、考えてみると面白い。秀吉は当然高卒。今太閤の田中角栄が大学へ行ってないのに、本家本元の太閤ご本人が高学歴だとイメージに合わない。石田治部三成はもちろん東大法学部。首席卒業で財務省入省。当代随一の実力政治家秀吉に才を愛され、30代で官房長官の座に就く。実践家の加藤清正は明治大学か。明治の学生は仕事ができる男のイメージがある。合戦と築城の名手清正は、高度経済成長的「仕事ができる男」の、キツイ整髪料の匂いがする。激情家で、体育会系の典型福島正則は国士館大学。青白い顔した東大卒インテリ石田三成と、性格が合うわけもない。切支丹小西行長はICU、細川忠興はガラシャ関係で上智大学か。子孫の護煕首相も上智だし。明智光秀は大秀才だが、東大に3度不合格。二浪後京大に入学。受験失敗の傷が、生涯のトラウマになる。天皇は当然みんな学習院。後陽成天皇も、後醍醐天皇も、聖武天皇も、聖徳太子も、みんな学習院。皇族は学習院以外、選択肢はない。織田信長はどうか。オーナー社長の息子信長は慶応幼稚舎に入るが、中等部高等部の頃、放蕩と悪事の限りを尽くし、「うつけ者」と呼ばれる。その後は慶応大学へ。信長を尊敬している小泉首相も慶応出身だ。徳川家康は、我慢の政治家竹下登氏とキャラがかぶる。だから早稲田かな。家康のもっさりした体型性格も早稲田っぽい。家康は漢方薬にも精通していたので、地方の国立医大の学生になっているかもしれない。明治の元勲はどうか?新選組は大学というより、コンビニ前でたむろしているヤンキーぽい。西郷も大久保も竜馬も高杉も勝海舟も木戸も伊藤も、賢い男たちだが東大のイメージはない。徳川慶喜や江藤新平や久坂玄瑞や武市半平太は東大の匂いがする。大村益次郎は東大医学部の、俗世と隔絶した変人といったところか。ところで福沢諭吉は、やっぱり慶応かな?大隈は早稲田かな?創始者が、自分が創設した大学の学生になると話がややこしくなるので、この話はここまで。
2006/02/20
昔、私が早稲田の学生だったころ、政経学部3号館のトイレに、こんないかした落書きがあった。「トイレは空想と思考の場です」知的なことば遊びに感心した。あと別のトイレには、「横を見ろ」と書いてあったので、素直に首を90度傾けて横を向くと、「きょろきょろするな」と、あった。ちくしょう。ひっかかった。
2006/02/19
これは噂だが、前回のワールドカップで、韓国で売っていた出場国のミニ国旗は、他の国はビニール製なのに、日本の旗だけは布や紙でできていたというのだ。本当なのだろうか?本当だったら日本の旗は、燃やすために売られていたのか?ところで、韓国の国旗は何とかならないだろうか?韓国は日本の国旗にぐちゃぐちゃと落書きして、太極旗と称し、自国の国旗にしている。何故韓国は日本の国旗を改造するのか?易学うんぬんの言い訳は聞かぬぞ。真ん中の美しい赤色が、半分青く無残に塗りたくられている。日本のシンプルな日の丸の方がいい。
2006/02/15
ご存じの方も多いと思うが、私は小説を書いている。小説家志望の男だ。頭の中の空想と言ったら格好いいが、妄想がはち切れそうになって、それを夜中にせっせと文字化している。現在書いているのは三本。一つ目は純文学(かな?)。猟奇的な内容の中編。ブログに掲載したら目を背ける人が出るだろう。二つ目がは沖縄戦がテーマの長編。映画でも小説でも漫画でも、今までに「これだ!」といった沖縄戦を扱う決定的な作品がないので、なんとかしてみたい。アメリカ側と日本側、両面から沖縄戦を描いている。もし映画化されたら、アメリカ側の視点はカラーで、日本側はモノクロで撮る。カラーと白黒の映像が頻繁に入れ替わる、忙しい映画になりそう。三つ目は紀行文、つうか小学生・中学生の地理教材。取材のために、日曜の朝出発して、月曜の授業前に帰る一泊二日の旅を毎週続けている。紀行文なのか、教材なのか、勉強なのか、遊びなのか境界線は曖昧だが、とにかく社会好きの子にはたまらない文章にしたい。そんなわけで、私は一日原稿用紙に換算すると、ブログを含め20枚ほどの文を書いている。早く完成したい。
2006/02/14
私は写真を撮られるのは大嫌いで、仲のいい人間にしか撮らせない。自分の容姿に自信があれば別だが、俺の顔なんか撮っても仕方ないだろうに、と思う。特に高校時代までは、絶対に写真は嫌だった。だから中高時代の私の写真はほとんどない。ところで、私は大学時代映画研究会に属していた。私は大学に入ったら8mmで映画をバリバリ撮ろうと意欲に燃えていた。ところが、映画を撮っている諸先輩方に誘われてしまい、映画を「撮る」よりも「出る」ことが活動の中心になってしまった。映研に入った早々、新歓コンパである先輩から声をかけられた。「君はいいキャラクターしてるね。目が狂ってるよ。オレの映画に出てよ」目が狂っていると聞いて、この人オレに喧嘩売っとんかと思ったが、どうやらほめ言葉らしい。私は自主映画の世界で俳優をやることになった。そして、私は注射器を持って叫び回りながら主人公を襲い、最後は雷にうたれて感電死する狂人の役をやることになった。写真嫌いのくせして、一気に映画で狂人役とは、どえらい変わりようである。この狂人役は別の人がやる予定だったのだが、その人の都合が悪くて、私にお鉢が回ってきた。その人は佐野史郎という本職の俳優で、冬彦さん役で一世を風靡した人である。まだその頃は佐野史郎氏は無名だったが、職業俳優として仕事がどんどん入ってきて映画のスケジュールが取れないということで、私が代役になったそうだ。先輩監督は私の面相容貌に、冬彦さんと同じ狂気を見出したらしい。その後も別の先輩からは、鉢に入った怪しげな花を売る営業マン役、そしてラブホテルの下品なオーナー役に誘われ、さまざまな役をやった。私を誘う監督はみなホラー系・スプラッター系・ギャグ系・ナンセンス系の人たちばかりで、スタイリッシュな恋愛映画を撮る監督からは、全くお呼びがかからなかった。映画の撮影というものは、監督とカメラマンと照明は忙しいのだが、俳優は待ち時間が多い。監督が完璧主義の人で、照明のセッティングに1時間ぐらいかかることがあった。そんな待ち時間の間、友人や先輩と話すのは楽しかった。また、日曜日にはよく車で遠征して撮影した。幕張の海浜公園で撮影したときは、横でテレビドラマの撮影をしていた。女優さんの顔を見ると中山美穂だった。神々しいほど美しかった。で、横には猿顔で目つきの悪い男優もいた。織田裕二だった。大学時代の、いい思い出だ。今も俳優を続けていたら、私はどうなっていただろうか?
2006/02/07
三島由紀夫81歳、太宰治96歳、円谷幸吉65歳、伊丹十三72歳、山口二矢62歳、高野悦子57歳、田宮二郎70歳、沖雅也53歳、hide41歳、中川一郎80歳、新井将敬58歳・・・自殺した有名人が、もしいま、生きていた場合の年齢である。面白く格好良く生きるため45歳で死んだ三島由紀夫。81歳の三島由紀夫は、いったいどんな老人になっているのだろうか?相変わらず三島の創作欲は旺盛で、筆記用具をペンからワープロソフトに変え、HDを満タンにする勢いで文字を連ね、小説や戯曲を書きまくっているに違いない。もし2chで作品が批判されたら、気位の高い三島由紀夫は2chへ実名で乗り込み、批判する人間の文章に直接リベンジしているのだろうか。創作よりも現実を選んだ三島由紀夫。空理空論より行動を重んじた三島由紀夫が、死を選んだのは必然的な選択か。さて、岡田有希子が、もし生きていたら38歳。1986年4月8日、岡田有希子は18歳でビルの屋上から飛び降り自殺した。岡田有希子の死はショックだった。岡田有希子より一学年下の私は、高校3年生になったばかり。同世代の死に慣れていない私は、いろんなことを思った。死の影など全く感じない、現役のアイドルの死は唐突だった。たとえばいま、松浦亜矢が自殺したら、同世代の若者はどんな気がするだろうか?ただ、岡田有希子と私の立場は、同世代といえども隔絶していた。かたや華やかな世界のアイドル。岡田有希子は自殺する前の最新曲「くちびるnet work」で初のオリコン1位を取り、松田聖子や中森明菜の人気に少し翳が見えるのを横目に、菊池桃子と争いながらトップアイドルの途を歩んでいた。業界関係の大人にチヤホヤされ、同世代に祝福された、輝かしい存在。かたや勉強の道に疲れ、試験の点数如きで一喜一憂する自分がみすぼらしくて、映画監督という雲をつかむような夢を描き、巨大な妄想の重さに耐え、現実の靴の下で踏みしだかれる予感に惧れを抱き怯える高校3年生。18歳の若者が、同世代で成功を収めた若者に対して、複雑な感情を抱かないはずがない。アイドル・高校野球のヒーロー・オリンピック選手。こいつらはいつか落ちぶれる。落ちぶれろ。成功者の不幸は蜜の味だ。岡田有希子が自殺した時、正直、私は彼女が身近になったと思った。華やかなアイドルと、冴えない男子高校生が、死という共通の接点があることを知り、そんな当たり前の事実が、私を軽く狂喜させた。彼女は栄光の屋上から、現実の地平へと降りた。死を祝福する気持ちは毛頭ないが、彼女が自分の懐へ降りてきたような感じがした。でも、何で俺が死ななくて、彼女が死ななければならないのか?何で俺が生きていて、彼女はこの世にいないのか?そういえば岡田有希子の自殺死体が、翌日のスポーツ新聞に掲載された。彼女の飛び散った脳味噌はピンク色、桜の色だった。綺麗な色だった。本居宣長以来の、散る桜の美学、夭折の美学を感じさせるピンク色だった。しかし彼女の脳味噌は、しばらくすると雨降り後の水溜りで、花見客の泥靴に踏まれ、黒ずみ汚れ散乱した桜の花びらのようになった。
2006/01/28
(まず、きすけさんに私信です。情意を尽くしたレス、ありがとうございました。ご子息の合格、太宰府の神様に祈っておきました。)日本で一番ファッションナブルな街原宿へ行った。修学旅行の高校生で賑わう竹下通りを抜け、表参道駅の方へ足を進めると、一転してハイソな世界が広がる。DiorやLouis Vuittonの路面店を回る。Dior Hommeには、BEATLESのSgt Papperでボールが着ているのと同じような服があった。地雷だ。あんな服誰が着るのか。そのあと、裏原宿のドメスティックブランドの、小さなブティックも見て回った。痩せたら服の選択肢も広がり、今まで無縁だった世界に飛び込める。それにしても、この界隈を闊歩している若者の格好良さには恐れ入る。私は秋葉原で買い物をしたあと、原宿に来た。秋葉原の若者と、裏原宿の若者のファッションセンスの違いは凄い。秋葉原と原宿は別の国のようだ。秋葉原の若者のセンスは中国の田舎町みたいだし、原宿はロンドンみたいだ。オタクに走る若者、オシャレに金を使う若者、価値観の違いは大きい。 ところで、ある裏原宿のブティックに入ると、中の様子がおかしい。服なんか全く置いてなくて、白いモダンな室内では、若い女性が数人、鏡に向かって髪を切られている。ここは美容院だったのだ!間違った!ドリカムの吉田美和に似た受付のお姉さんは、私の姿を見て、「いらっ・・・」と言ったあと、戸惑い言葉を濁した。私は清原みたいな短い丸坊主頭である。切る髪がない。美容院に行ってもすることがない。お姉さんが私のツルツル頭を見て、「こいつ何しに来たのか?」と絶句したのも無理はない。私は逃げた。しかし、何てややこしい店なんだ。この界隈の小洒落た店は、建物の意匠デザインが似ているので、ブティックか美容院かレストランか判別できない。エステや観葉植物の店も紛れ込んでいる。店の雰囲気が似ている上に、この界隈の店は決まって看板が小さく、その小さな看板の上にこれまた小さく店の名前がローマ字でゴニョゴニョ書かれている。美容院なら美容院とはっきり書けよ!「山野愛子美容室」みたいに。サロン・ドなんとか、ちゅう名前はやめてほしい。やはりオレには秋葉原が似合っているのかなあ。
2006/01/24
昔、私が大学生だった時、四日市に住む叔父が私の家に遊びに来た。そのとき叔父は私に「ちょっと財布見せてみろ」と言った。私はみすぼらしい財布を叔父に差し出した。私の財布は確かダイエーで千円で買った黒財布で、千円札が数枚と小銭、郵便貯金と銀行のカード、あとはレシートの切れ端とか、ホコリとか、歌舞伎町でもらったのぞき部屋のチラシとか詰まっていた。叔父の財布は高そうだった。ヴィトンかグッチか、それともワニ革だったのか、当時の私はブランド物や財布の素材に無頓着だったので具体的にはわからないのだが、とにかく高額そうな財布だった。叔父は自分の高そうな財布から壱万円札を一枚取出すと、私の財布に入れてくれた。そして「これで何か買いなさい」と言った。私は叔父を格好いいと思った。こんな大人になりたいと思った。そしていつか、自分を慕ってくれる有望な若者に対して、同じことをしてやりたいと思った。ところで職種によって、年配の男が若者にお金を渡す時の台詞は違う。たとえば相撲の親方なら弟子に「メシいっばい食って、肉つけて強くなれや」と言って金を渡すだろう。弟子は「ごっちゃんです」ともらう。ミュージシャンなら「CD買いなさい」、ファッション業界なら「これで服買えよ」とでも言うのだろう。塾の経営者なら若いスタッフに「本買いな」と小遣いをあげる。派閥のボスの大政治家なら、引き出しからピン札の札束を風呂敷に入れて若手議員に差し出すだろうし、ヤクザだったら舎弟の若い衆に、「べっびんなおなご抱けや」と十万円ぐらいポーンと渡すのだろう。私も若者にお金を渡してもサマになるような貫禄と甲斐性を早くつけたい。
2006/01/23
格好いい塾経営者になるためには、セックスアピールが必要だ。セックスアピールなんて、少々大胆でわかりにくい言葉だけども、政治家でいえば●セックスアピールがある政治家・・・小泉純一郎・石原慎太郎・昔の細川護煕・不破哲三●ふつう・・・安倍晋三・福田康夫・麻生太郎・谷垣禎一・菅直人・田中康夫・鳩山由紀夫・加藤紘一・民主党の岡田&前原●ない・・・亀井静香・小沢一郎・渡辺喜美・森喜朗・山崎拓・古賀誠・野中広務・鈴木宗男・額賀福志郎●決定的にない・・・共産党の志位・民主党の横路●ナルシスト・・・橋本龍太郎●ガキ・・・石破茂・杉村太蔵概して左翼政党の政治家にはセックスアピールが乏しい(歴代の社会党委員長を見よ)また田中角栄と小沢一郎の格の違いは、そのままセックスアピールの有無の差だ。角栄には男の色気、艶がある。私は自分で言うのもなんだが、セックスアピールがない。だから今、大減量に励んでいる。全盛期に112kgあり、1年前に98kgだった体重は 、今では84kgだ。デブの人間は必ずしも、やせて格好良くなるわけではない。減量に成功して、自分では「やせて格好良くなった」と自画自賛しても、他人の目から見たら「しぼんで貧相になった」としか見えないこともある。だからといって、太ったままでいるのは敗北だ。で、ある程度減量に成功すると、自然にお金の使い道は、食べ物からファッションに移る。私は中学高校と、ファッションに全く興味がなかった。当時自分がどんな服を着、どんな靴を履き、どんなカバンを持っていたか、全く意識がない。思い出せない。放置しておけばあまりにみすぼらしい格好をするので、親が見兼ねて買ってくれた。大学生・社会人になってからも、まあファッションなんて普通にしていればいいやと考えていた。でも、今は違う。今まで見向きもしなかった「メンズノンノ」や「LEON」を愛読するようになったし、東京へ行けば新宿の「伊勢丹メンズ舘」や、裏原宿のストリート系古着屋で、一日服を眺めて過ごす。「モテピタおやじ」を目指してアルマーニやゼニアのスーツに手を出したり、ドルガバのド派手なペンキまみれのクラッシュデニムを履いてみたり、ヤンキースの帽子を被ってブカブカのB系でキメてみたり、クロムハーツのシルバーアクセに凝ったり、試行錯誤を繰り返す。ファッションの面白さに、37歳にしてようやく目覚めた。たしかに今の私は、絵に描いたような「脱オタ」だろう。でも生徒達は、私が毎日のように服を変え、奇抜にイメチェンを繰り返すのに驚き、また喜んでくれている。明日は東京に遠征し、「ナンバーナイン」や「ミハラヤスヒロ」で買い物するつもりだ。キムタクが履いていたナンバーナインのブーツが欲しい。あればいいんだけど。
2006/01/21
以前、イムジン河を見下ろす、韓国と北朝鮮の国境地帯を見学したときに(もちろん私は韓国側)、国境にあるmuseumに、北朝鮮のグッズがたくさん売られていた。高麗人参酒とか、煙草とか、いろいろあったが、値段が高かったので買うのは差し控えた。非売品だが、そこには北朝鮮の教科書が置いてあった。紙の質は悪く、戦前の日本の教科書のようだった。小学校低学年の、算数の文章題を見ると、こんな感じの問題があった。「遊撃隊員が戦闘で、オオカミの米帝を314人殺しました。残りの134人は生け捕りにしました。初めにオオカミの米帝は何人いましたか?」さすが北朝鮮、イメージ通りの教科書だ。「やっとるわい」と思った。だが逆に、北朝鮮の人間が、日本の中学受験塾のテキストを見たら、どんな感想を持つだろう?「ある品物を60個仕入れました。仕入れた品物の3分の1を3割の利益を見込んで売り、残りを2割5分の利益を見込んで全部売ったところ、3200円の利益になりました。この品物1個の仕入れ値は何円ですか?」こんな問題を見たら、北朝鮮人は日本人のことを、子供のうちから商人を養成する、金に細かく銭に汚い拝金主義の国家だと思うのだろうか。割合の問題なら、北朝鮮にこんな過激なものがあった。「南朝鮮のある農民は、飢えている家族たちを当座食べさせて生かせるために、高利貸業者に5万ウォンを借りてきた。この悪どい高利貸業者は3年後に年利10割の返金を求めてきた。貧しいこの農民はいくら払わなければならないか?」強烈ですな。
2005/12/31
小5のとき、私は小学校の音楽担当の若い女性教師と仲が悪かった。さすがに授業はボイコットしなかったが、その音楽教師と私の間には、険悪な空気が常に流れていた。 私と音楽教師の間のトラブルの原因になったのは、ある歌のせいである。それは「すいかの名産地」という曲だった。 「すいかの名産地」の歌詞はこうである。 ともだちができた すいかの名産地なかよしこよし すいかの名産地すいかの名産地 すてきなところよきれいなあの娘(こ)の晴れ姿 すいかの名産地若い女性音楽教師は、私たちにこんな恥辱的な歌詞の唄を、歌わせようとした。私はこの曲が恥ずかしくて歌えなかったのだ。 だって、ひどい歌詞でしょ? この曲には、「ともだち」とか「なかよしこよし」よか「すてき」とか、ジンマシンが出そうな恥ずかしいフレーズが散りばめられている。「なかよしこよし」なんて寒いフレーズ、素面じゃあ歌えないよ。 また、この曲の歌詞は恥辱的な上に、ナンセンスでシュールな要素が散りばめられている。 どうして「すいかの名産地」では、皆が「ともだち」で「なかよしこよし」になれるのか?わからん。すいかという物体は人間を「なかよしこよし」かつフレンドリーにさせる、特殊なオーラでも発するのか?別に「すいか」じゃなくてもいいじゃん。他にもいろいろ果物あるし(すいかは確か野菜だけど)、「みかん」でも「りんご」でも「メロン」でも「ぶどう」でもよかろうに。 でもまあ千歩譲って、最初の3行は許容範囲ということにしておこう。 驚くべきは最後の一行だ。 きれいなあの娘(こ)の晴れ姿 すいかの名産地 どうして、いきなり、とつぜん、「きれいなあの娘(こ)の晴れ姿」なのか? ともだちができた すいかの名産地なかよしこよし すいかの名産地すいかの名産地 すてきなところよ という最初の3行と、最後の行 きれいなあの娘の晴れ姿 すいかの名産地 の間には、明らかに断絶がある。 「すてきなところ」だから「きれいなあの娘の晴れ姿」が見られるのか?また「なかよしこよし」な「ともだち」と、「きれいなあの娘」は同一人物なのか? とにかく最後の一行、「きれいなあの娘の晴れ姿」のフレーズは唐突過ぎて、解釈に困る。 それにしても、どうしてアホ音楽教師は、歌詞が理解不能かつ恥辱的な歌を子供に歌わせたのか? おまけに言うと、この「すいかの名産地」という歌、歌詞も恥ずかしいが、メロディーはもっと恥ずかしい。 軽快といえば聞こえはいいが、メロディーの滑稽なところが中国っぽい。なんだか和田アキ子歌うところの、永谷園の「麻婆春雨」のCMソングに似ているし、上海雑技団のBGMみたいだ。とにかく私はこの曲を歌いたくなかった。こんな麻婆春雨みたいな歌は、私の小5時代の美意識に反した。 音楽の授業中、北朝鮮の喜び組みたいに「♪すいかのめいさんち~」と口をしっかり開け首を振り振り歌う真面目な女子を横目に、私はサッカーの試合の開会式で君が代を歌う中田英寿みたいに「すいかの名産地」とボソボソつぶやくしかなかった。 それを見咎めた女性音楽教師は、私に「もっと大きな声で歌いなさい」と命令してきた。カチンときた私は反抗して「歌いません」と言ってやった。 「歌いなさい。」「歌いません。」 「歌いなさい!」「歌いません!」 たかだか「すいかの名産地」どころで、私の音楽の点数は最悪になった。 それにしてもどうして、「バナナの涙」とか、「君たち、キウイ、パパイヤ、マンゴーだね」とか、果物の名前がタイトルの曲は、恥辱的な奇曲が多いのだろうか?
2005/12/30
言葉というものは、新陳代謝が激しい。多くの場合、新しい言葉を使い始めるのは若者で、若者の新語・造語に顔をしかめるのは年寄りである。若者が使い始めた「新語」は、すぐに消え去る場合もあれば、老若男女にしっかり定着する場合もある。たとえば「超~」という言葉。「超ステキ」「超ダサイ」「超ムカつく」・・・「超~」という接頭辞を使い始めたのは、どちらかといえば軽薄ぽい若者だった。しかし、「超~」という言葉は、今ではすっかり大人にも浸透している。十数年前「超~」が使われ始めたときは違和感を感じたものだが、今では私も自然に使っている。さすがに、「チョベリグ」「チョベリバ」は死語になったが・・・「超~」が浸透したのは、野口悠紀雄氏の存在が大きいと思う。野口氏は、「超整理法」「超勉強法」「超文章法」と、「超~」の題名がつくベストセラーを連発し、しかもそれらの著書は内容も斬新で濃密だったこともあって、大人の間にも「超~」は急速に普及した。また、野口氏の経歴は、「東京大学工学部卒業後、大蔵省に入省。アメリカに留学し、イエール大学で経済博士号を取得する。その後、埼玉大学、一橋大学、東京大学で教鞭を執る。現在は青山学院大学教授。公共経済学、ファイナンス理論専攻」というものだ。こんな知的エリートに「超~」はお墨付きを得て、日本語の辞書に「超~」は新たに加わることになった。さて「超~」という全く新しい言葉が誕生するケースもあれば、死に絶えていた言葉が復活する場合がある。たとえば「恐れ入ります」という挨拶がそうだ。十数年前なら「恐れ入りました」なんて台詞は、水戸黄門に悪事がバレて、「もはや逃れられぬところと、観念せえい」と叱られた後に、悪者がオロオロ降参してのたまう言葉だった。「恐れ入ります」が復活したのは、ドトールコーヒーの影響が大きい。ドトールでは、飲み終ったあとのグラスや、食い終わった皿を返すとき、お姉さんは「恐れ入ります」と言う。マニュアルに、「客が食器を返還した時は『恐れ入ります』と言いましょう」とあるのだろう。古色蒼然とした時代劇用語が、FCのマニュアルによって、モダンなコーヒーショップで日常化したのは、面白い。
2005/12/28
私は昔、猫を飼っていた。小学校2年生のある日、父親が夕食時に小さな真っ黒な子猫を連れてきた。会社の近くの散髪屋が猫を飼っていて、子猫を産んだので一匹もらってきたらしい。本当に小さな子猫で、大人の手のひらに収まるサイズだった。目はもう開いていたが、とにかく儚いくらい小さかった。小さい身体なのに、部屋に響き渡る大きな声でニャーニャーないていた。私は初めて間近に見る猫が怖く、特に爪で引っかかれるのが嫌で抱くことができず、最初のうちはおそるおそる、指でツンツンすることしかできなかった。しかし、だんだん私は猫と遊ぶことに慣れてきた。慣れるどころか、そのうち猫と過剰なぐらいスキンシップを取るようになった。猫があまりに可愛いので、私は猫をいじめるようになった。私は人間動物ひっくるめて、可愛いものをいじめる悪癖がある。学校から帰ると、猫と「遊んだ」猫を仰向けにして、両手両足をつかんで持ち上げ「モモンガ」をしてやったり尻尾を持って猫を吊り上げ、時計の振子のように左右に振り ♪100年休まずにチクタクチクタク と歌う「大きな古時計ごっこ」をやったり尻尾を両手でしっかり握り締め、猫をブンブン振り回す「ハンマー投げ」をしたり・・・いま思うと壮絶な大虐待だ。ある時は野良猫を連れてきて、うちの猫と一緒に二匹、同じ段ボールの中に入れてやった。狭い段ボールの中で壮絶な猫バトルが繰り広げられると期待したが、しばらくして見ると、二匹の猫が身体をくっつけあい、スースー寝息を立てて仲良く寝ていた。意外な展開だった。悪戯ばかり重ねたからバチがあたったのか、ある日、決定的な事件が起きた。猫が来てから1年後、私が小学校3年生の時のある日、学校から帰ると、いつも通り猫と「遊ぶ」ことにした。まず、猫を水色の大きなカラのポリバケツに入れた。小学生の私ですら身体が入る大きなポリバケツである。渇水対策用に買ったバケツだったのだろう。私はバケツのふたを閉め、猫入りバケツを上下左右に激しく「洗濯機っ!」と叫びながらグルグル振り回した。振り回していると、バケツの中で猫がガタガタ音を立てるのが聞こえた。猫のニャーニャーいう鳴き声も、バケツの中からかすかに聞こえてきた。たっぷり振り回した後、バケツを開けてみた。バケツの底で私を見上げる猫はびっくりした目をして、口を開け舌を出し、犬みたいにハーハーいっていた。痛かったのだろう。そして、鼻からは液体が垂れていた。黒猫だから液体の色をすぐに判別できなかった。液体を手で触ると赤かった。猫が鼻血を出したのだ。バケツから出したあと、猫はいつもの活気が無く、ぐったりしていた。いつもは私に虐待されても、15分も経てばケロッとして私にエサを求めにくる猫なのに、この日は様子が違った。その日猫は食事をしなかった。ぐったりして元気がない猫の前に大好物のカツオ節やチーズを置いてやっても、無関心な顔で見向きもしなかった。食いしん坊な猫なのに。死んだらどうしようと私は「ごめん、ごめん」と猫の前で泣いていた。結局、猫は死んだ。ただし、それから20年後に。私がイジメた黒猫は、21歳まで生き、私が29歳の時に死んだ。私は13歳の時から東京で一人暮らしをするようになったが、ときどき家に電話をかけ、親に猫の声を聞かせてもらったりした。私が27歳で塾を開くときも、老猫に「頑張るからね」と挨拶した。私は子どもの頃から感情の起伏が異常に激しい男なのだが、猫は私の心理を読み取っていた。賢い猫だった。私が躁状態のとき、猫は絶対に近寄ってこない。機嫌がいい時に近づくと遊び相手にされ、イジメられるに決まっているからだ。逆に鬱状態のときは、そ~と近づいてきて、喉をゴロゴロいわせながら私に懐いてくれた。私は異常な猫好きだ。私はおそらく性欲より食欲より金銭欲より名誉欲より、「猫好き欲」が強いと思う。生まれ変わったら猫の肉球になりたい。私は可愛い猫を見ると、食べてやりたくなる。うちの猫も、私によく顔を噛まれたものだ。私は猫が可愛いので、「食っちゃうぞ~」と顔をバグッとやる。猫の側から見ると、本当に私に食われると思ったに違いない。猫は私の心理など全然理解できなかったに違いない。猫から見れば私は「猫喰い魔神ブー」にしか映らなかったろう。でもさすがに、ポリバケツ拷問事件で懲りた私は、猫をハードにいじめなくなった。ポリバケツ事件のあと、私が猫に行使した「いじめ」といえば、両手を体育の「前ならえ」みたいに真直ぐ前に伸ばして、ぴょんぴょんウサギみたいに跳ねさせる「キョンシー」ぐらいのものだ。猫がキョンシーをやると可愛い。私は今猫を飼っていない。飼わない理由は猫が死んでしまったら、狂的に嘆き悲しむのが自分でもわかっているからである。猫が一晩でもいなくなると、猫を探してあちこち夜中あちこち徘徊してしまうだろう。飼い猫が死ぬのはつらい。
2005/12/17
いわゆる「知的職業」の中で、塾講師ほど海外と縁のない職業はないだろう。たとえば商社マンや金融業やクリエーターなら、海外出張は社運を決定する重要な仕事だが、塾講師の海外出張なんて全く想像がつかない。大手塾なら、海外に住む日本人子女のための教室に人材を送り込んでいるから講師や職員の海外出張はあり得るが、田舎の個人塾講師が海外出張なんて聞いたためしがない。海外出張どころか国内の出張もない。塾にドンと居座って動けないのが塾講師の仕事である。グローバル化もへったくれもありゃしない。個人塾の講師で、僕みたいに海外に異常に興味がある人間は、自費で旅行するしか外国へ行く方法がない。また、塾講師には海外の同業者がいない。台湾や韓国といった東アジア圏を除いたら、海外の塾講師なんて極めて稀だ。(ロンドンで"Kumon"の教室を見かけたことはある。あれは現地のイギリス人がマルつけをしているのだろうか)学校教師も農夫も株屋もプロレスラーも宗教家も小説家も海外には同業者がいるのに、塾講師にはいない。海外に同業者がいない職業を探してみると(つまり日本にしかない職業)、相撲取りとか歌舞伎役者とか伝統芸能系しか思いつかない。そんな意味で塾講師は結構独特な職業ではある。NYでタクシーに乗った時、「職業は何か」と聞かれるケースが多い。そんな時はとても困る。僕の拙い英語力だと、自分の仕事を説明するのに手間がかかる。日本の和英辞典には、「塾=cram school」とかいろいろ書いてはいるが、絶対にそれじゃあ通じない。そんな言葉、アメリカには絶対ない。また"cram"は「詰め込む」という意味だから曲解されて変なイメージをもたれたら困る。また"jyuku"という日本語が、"sumo" "sushi" "tempura" "harakiri" "karoushi"みたいに、英語に同化しているとは全然思えない。というわけで、「塾」という職業を長々と説明する必要がある。「日本は教育熱が高く、high schoolやuniversityの入学試験に合格するには極めて高い学力が必要だ。だから昼の学校が終わってから夜にもう1つ学校に通う子供がたくさんいる。僕はその夜の学校のteacherなんだよ」といった具合に。最初にアメリカを訪ねた時、そんなこといちいち説明するのが面倒くさいから、少々投げやりに"teacher"と単純に答えたところ、僕の発音が悪く"singer"と運転手さんには聞こえてしまい、「どんなジャンルの歌を歌うのか?」と返されて困ったことがある。
2005/12/04
僕は運動が大嫌いだ。身体を動かしたらなんだか損したような気になるし、第一疲れる。日曜日になるとサッカーや草野球に興じている人がいるが、せっかくの休みに走り回り球を転がしてしんどい思いをするなんて正気の沙汰ではない。まだ家で「サンデープロジェクト」の田原総一朗の顔を眺めている方がずっといい。ましてや、ジョギングなんかとんでもない。ジョギングしている人の気持ちが全然わからない。部活で学校の周りを走らされている中高生を見ると「奴隷」という言葉が思い浮かぶ。どんなに落ちぶれたってジョギングだけはやりたくない。日本人とアメリカ人はジョギングが大好きらしい。ブッシュ大統領も毎朝走っているそうだ。中国で街中を走っているのは泥棒だけらしいし、ヨーロッパ人も走ることは嫌いらしい。村上春樹がローマでジョギングしていたら、物珍しいから子供と犬がたくさん追いかけてきたそうだ。僕は自分を典型的な日本人だと思っている。しかしジョギングだけは勘弁してほしい。マラソンなんて42.195キロもある。42キロといったら岡山から福山ぐらいの距離である。そんな電車でも50分かかる距離を走り抜くなんてとんでもない。でも、僕は歩くことなら大好きだ。山登りは体力がないので無理だが、平地だったらいくらでも歩ける。僕は自転車には乗れないし、大学時代塾講師のアルバイトにかかりきりになって運転免許を取るタイミングを逃してしまった。今でも運転免許は持っていないからドライブはできない。だから歩く機会が普通の人より多くなる。自然の中を歩くよりも街歩きの方がずっと楽しい。とくに、東京を歩くのが好きだ。久し振りに田舎から出てきて東京の街をブラブラするのは至福のひと時だ。おとといもサザンのコンサートに行くため東京に行ったが、六本木ヒルズから青山墓地の脇を通って表参道、明治神宮の境内から代々木を通って新宿へ、田舎者丸出しでキョロキョロしながら歩いた。東京は楽しい。こんなにいろいろな物があふれている街は世界広しといえどもそんなにない。香港やNYには負けるかもしれないが、殺伐として何もないロサンゼルスの町に比べたら雲泥の差である。東京は清潔感があり安心して散歩ができる。東京では、散歩の途中美味そうなラーメン屋があったら立ち寄り、スタバがあったら30分ぐらい休憩して、ガラス越しに待ち行く人を眺めながらエスプレッソをすすり、コンビニでガリガリ君を買って行儀悪く食べ歩き、パチンコ屋があったら3000円ぐらいつぎ込み、出なかったら潔く店を出て出たらそのまま確変が終了するまで粘る。自堕落極まりない散歩だが、とても楽しい。高校生の時、川沿いを歩くのが好きだった。よく学校をサボって学生服をカバンにしまいこみ、荒川や江戸川の河川敷を歩いた。江戸川だったら市川をスタート地点に、矢切の渡しの傍を抜け、途中柴又帝釈天に寄って松戸まで歩いたことがある。江戸川は寅さんの川だ。荒川だったら赤羽から新小岩まで、金八先生と生徒たちが戯れていそうな河川敷をひたすら歩く。歩きながらよく考えごとをした。今でもその癖は抜けていない。仕事や文章のアイディアの70%ぐらいは歩いている時に沸いてくる。日記のネタも、塾から家の通勤時間、歩きながら考えている。また歩く時にはi-Podは絶対に欠かせない。音楽を聴きながら物思いにふけりながらひたすら歩く。そういえば昔の人の旅は徒歩だった。物書きは歩きながら思索に耽り、歩きながら考えたことを宿や家で書き連ねたのだろう。明治維新の志士たちは、東京・京・大阪・長崎・萩・高知と歩き回った。私も歩いていると、なぜだか頭が良くなっていく感じがするのだ。錯覚だけど・・・
2005/12/03
私は音楽好きで、起きている時間の半分ぐらいは何か音楽を聴いている。外出中はi-Podを手放さない。私のi-Podには9400曲ぐらい入っている。仕事中は塾の26型テレビパソコンで、CDをかけたり、音楽のライブDVDを流しっぱなしにしている。私が最近よく聞くCDはSIAM SHADE(日本のハードロックの白眉。「Don't tell lies」「Get A Life」は名曲)押尾コータロー(アコギの大名手。大阪までライブに行った。「黄昏」がいい)矢沢永吉(今週広島のクラブクアトロのライブに行くぜ)ポリーニのショパン夜想曲ミスチルの新譜タイムボカンシリーズのTVサントラ(「ヤッターキング」「ゼンダマン」は名曲)そんなところか。でも1番聞き倒しているのは、サザンの「キラーストリート」だ。まあ、これが素晴らしい。桑田さんすごいよ。
2005/11/12
アメリカのデブはすごい。日本のデブとは格が違う。腹の出っ張り具合、横へのはみ出し方、すべてにおいて日本のデブとはスケールが違う。スーパーでカートに大量の食料を満載しながら、ヨタヨタ歩いている40歳以上の黒人のオバサンとか、農園を経営するサスベンダーを吊るした太鼓腹のおじさん。中年アメリカ人は度を越えて、威勢がいいほど太っている。それから、アメリカのデブは手足が細い。ボディーだけ異様に肥大化して、細くてか弱い足がウルトラ級の重量を支えている。粘土を丸めて、そこに松葉を手足にしてくっ付けたような異常体型なのだ。同じデブ仲間の私から見ても「こりゃあ健康に悪いわ」と思ってしまう。たとえ地獄に落ちたとしても、アメリカのデブの細い足首にだけは生まれ変わりたくないと思う。一生あんな重量を支える苦痛には耐えられない。また、アメリカの太ったご婦人は、手足が美しい方が多い。テレビや雑誌の、手のモデルになれそうな人も中にはいる。「白魚の手に巨鯨の肉体」とはよく言ったものだ。しかし彼女たちがモデルになって、読者や視聴者に「あの美しい手の人、顔もきっと素敵に違いない。見てみたいわ。」とカミングアウトを求められても、ご本人は死んでも姿形を世間にさらすことはできないだろう。さらに、手足の細いデブが殺されて、バラバラ死体になって、手の先だけが見つかったらどうなるか。警察は鑑識で、細い腕だけを証拠に、「この仏さんの推定体重は40~45キロだろうなあ」と間違った推定をして、実はこの死体が百貫デブであることなんか思いもよらずに、捜査の進展に致命的な悪影響を与えるだろう。まぎらわしいデブだ。アメリカのデブは、腹の出方も尋常ではない。ポコンとしたお腹はカエルみたいに、丸みを帯びてはちきれんばかり。ポコンと突き出したお腹を、両手で脇から押さえて搾り取ってみると、へその穴から真っ白なラードが、「ちゅうる、ちゅうる、ピュッ、ピュッ」とばかりに、飛び出してきそうだ。しかしたとえラードが飛び出してきそうなお腹でも、前にポコンと威勢良くせり出した形のお腹の持ち主は、貫禄があるし、なおかつユーモラスだ。しかし、前にも横にも後ろにも、ダランと巨大アメーバみたいに垂れ下がったお腹の人はどうすればいいのか。ひどい人はお腹がアメーバのお化けみたいに、膝ぐらいまで垂れ下がっている。グロテスクだ。とにかくアメリカにはデブが多いし、またそのデブたるや、中途半端なデブではない。アメリカ人の中年の3分の1はデブなのではなかろうか、特に低所得者の女性にデブが多い。NYなら、マンハッタンよりブルックリンやクイーンズにデブが多い。低所得とデブは、どうやら関わりがあるらしい。それにしても腹が立つのは、アメリカ合衆国は国内にこれだけ大量のデブを抱えていながら、一流企業には「タバコを吸う人間と、デブは採用しない」という掟があるらしいのだ。アメリカは国内にあれだけ質量揃ったデブを揃えていながら、排除の論理を振りかざそうとするのか。デブは自己管理できないから、エグゼクティブになる資格がないらしい。俺なんかはきちんと自己管理して、太った肉体を維持している。そんな人間まで疎外しようというのか。とにかくアメリカ人は食生活から改善しなければだめだ。日本の主婦は、夫や子供がいない時の昼飯は、友人達とたまにランチに出かけるとき以外には、ほうれん草のおひたしとか、きんぴらごぼうとか、低カロリーのものをショボショボ食べているイメージがある。きわめて健康的な食生活である。ところがアメリカの主婦の昼飯は、マックとかバーガーキングの巨大なハンバーガーや、お手製のジャムとラードのたっぷり入ったパイなんかを、ムシャムシャ食べているイメージがある。これじゃあ、デブになっても仕方ない。
2005/10/29
僕は講習会の特別料金は一切取らない。たとえば中3。他塾が夏期講習会で3万~4万取っているところ、授業料は通常の17000円のまま。時間数は他塾の夏講を凌駕するにもかかわらず、である。中3は9月以降、週6回計16時間通塾と時間数が増える。それでも月謝は値上げしない。また、勉強が苦手な子には個別で補習もやっている。補習料金は当然取らぬ。だからうちの塾は集団授業と個別授業の2段構えで、しかも学校の試験対策を手厚くやる。どんな個別指導塾より面倒見はいいと思う。それから僕は生徒にどんどん本をあげる。参考書も問題集も「家でやってごらん」と、どんどん渡してやる・・・・・・・・といった話を、ある年配の女性にしてみた。その人は自営業で結構成功した人である。僕としたら彼女に「kasamiさんは生徒思いの自己犠牲のカタマリの、いい先生ね」という褒め言葉をかけて欲しかった。しかし彼女から帰ってきた答えは意外なものだった「kasamiさんは商売人ね」しょ、しょうばいにん???商売人なんて言葉は、僕には一番似つかわしくない言葉だと思っていた。自分はアンパンマンみたいな自己犠牲のカタマリで、商人というよりも「武士は食わねど高楊枝」に近い男だと自己分析していたのに。彼女に言わせれば、講習会や個別の料金をタダにするのは一種のダンピングで、他塾から見ればこんな嫌な塾はない。「脅威だ」と言う。「kasamiさん、あなたのやっていることはね、近所の塾に喧嘩を仕掛けるやり手の商売人にしか見えないのよ」やり手・・・ また自分に似つかわしくない言葉が出てきた。また、彼女は僕に「あなたは少しの犠牲で、大きな実を取る勘所を心得ている」というのだ。「だって生徒さんに本1冊あげるだけで、その子のお母さんは近所のお母さんに『うちの子が通っている塾の先生熱心よ』って宣伝してくれるわけでしょ? えびでタイを釣るみたいなもんじゃない。あなたが授業料を安くしているのも、『俺は子供のためにお金は二の次だ』という態度を取っているのも、それは商売人だから成せる技なのよ。教育業ってお金が絡むと父母は嫌な顔をするじゃない? あなたの『子供のために身を捧げています』という態度は、父母の方からは『子供思いの頼れる先生』に映り、あなたに払う月謝が惜しくなくなる。それはまさしく教育業では最高の商売人らしい態度なのよ。kasamiさん、あなた世渡り上手ねえ」よ、よわたりじょうず???・・・僕は高倉健みたいな不器用のカタマリなのに、そりゃあないでしょう。「じゃあkasamiさん、あなた塾やっていて、お金に困ったことある? 正直に言ってごらん?」「最初の半年は苦しかったけど、あまり・・・ないですね」「そうでしょ。それはあなたが商売人で世渡り上手だからよ。要領がいいのよ」要領がいい??? 冗談じゃないですよ、全く。要領が良かったらこんな仕事はしてないよ。「商売人ってのは褒め言葉なのよ。気を悪くしないでね。あなたの無欲に似た態度が結果を出しているんだから、それでいいじゃない。 『大欲は無欲に似たり』って言うしね」大欲なんか全然ないんだけどなあ(笑)・・・
2005/10/27
私と同じ街に、山形県出身の親戚のおばさんがいる。生まれは確か、酒田・鶴岡周辺の農家だったと思う。顔は岡田茉莉子を少々太らせた感じで、若い頃はかなりの美人だったと思われ、色白のもち肌で、頬がアンパンマンみたいに、ほんのり赤くなっている。そして、バリバリの東北弁をしゃべる。この山形のおばさん、お節介やきなところがあって、私の家族の生活にいちいち干渉するのが好きなのだ。日常生活に平気な顔で、ズカズカと乗り込んでくる。時々我が家に遊びに来ては、東北弁を駆使しながら、「仏壇の位置がおかしい。方角を変えなさい」「お父さんの三回忌、あの人は絶対呼ばなくちゃあだめ」「お墓には、あんな花だめ」「あなたの服装、人と会う時には失礼、変えなさい」なんて、母や私にちょっかいをだしてきます。正直言って、ちょっと鬱陶しいところがある。(注釈:山形のおばさんの言葉、標準語で書くと少々冷たい感じがする。実際は東北弁で話す人だから、もっと人情のこもった嫌味のない言い方だ。 しかし、私は東北弁を文章にする筆力がない。作為的な東北弁は書けない。実際、東北弁じゃないと会話のニュアンスが伝わらないが、標準語で書かせてもらう。お読みになる方は東北弁に翻訳していただきたい)また山形のおばさんは、非常にゴシップ好きで、うちの母親と長話をしているのを小耳にはさむと、「あそこの息子は、○○大落ちた」「××家の亭主には、2号さんがいる」「□□家の嫁は、ブサイク」「△△さんは、肺がんでもう長くない」どこから手に入れたのか、近所の情報を東北弁まるだしで、面白おかしく、しかもえげつなく話している。そして、このおばさんの話のノリが最高潮に達するのは、自分の嫁の悪口をいう時だ。作る飯がまずい、礼儀作法がひどい、旦那(おばさんの息子)を尻に敷いている、服装のセンスが最悪、親のしつけが悪い、性根が腐っている、化粧が濃い、髪形があばずれっぽい、子供の教育がなってない・・・まあよくぞこれだけ悪口を並べ立てられるものだと感心するぐらい、嫁の悪口はつきない。おばさんの話だけを聞いていると、どんなに極悪非道の嫁かと思うのだが、実際会うと、清楚でかわいらしいお嫁さんなのだ。山形のおばさん、確かに過干渉で、人の噂話(というか悪口)が好きだけど、嫌味がない。この図々しいおばさんに干渉されても、私はあまり不愉快な感じを受けない。。このおばさんは他人の陰口をたたくのは大好きだが、陰口だけじゃなく、本人の目の前でもしっかり悪口を言う人なのだ。このおばさん、私が一番嫌いなタイプの人間になり得る危険性をたっぷり秘めている人なのだが、なぜだか不快に感じないのは、東北弁の魔力なのか、それとも裏表が全くない性格が成せる業なのか、理由はよくわからない。 そして、いざという時に、この人ほど頼れる人はいないのです。うちの父親は63歳の時、膵臓がんで死んだ。父親が入院している時、このおばさんは毎日のように病院に来てくれた。息子の私より数倍、死にかけの亡き父に尽くしてくれた。病気の父や、介護でたいへんな母の話相手をしてくれ、暗くなりがちな家族を明るく元気づけてくれたことは、とても有難いことだった。おばさんの図々しさは、家族がピンチの時には、この上なく暖かいものに感じられた。また、父の葬式の時には、おばさんの近所の奥さん達を5人引き連れて、てきぱきと葬式の雑事をこなしてくれた。私に対しては、「香典とか葬式代とか御布施とか、お金のことだけはしっかり勘定しなさい。あとのことは私たちがやるから」と、肉親の葬式に不慣れな私たち家族を励まし、私たち家族は大船に乗ったような気持ちで葬式を済ませることができた。平時は正直うっとうしく感じるこのおばさんは、非常時には神様のように見えた。どうして私の家族に、ここまでよくしてくれるのかわからない。私の家族だけではない。山形のおばさんの悪口を言う人は、ほとんどいない。当人は他人の悪口が、あんなに好きなのに。おばさんは庄内平野の農家出身だ。農繁期にはご近所で助け合わなければならない。また雪国という自然環境の中では、個人主義者を気取っては生きてはゆけない。そんな厳しい環境の中で、お互い助け合うことが、幼少の頃から身についているのだろう。彼女は日本古来の農耕民族の美徳を体現している。山形のおばさんだったら、近所の若い者が職についていないのを見つけたら、放っておかないだろう。表に陰に悪口を言って若者にプレッシャーをかけるか、それとも若者のために何か職を探してくるか、とにかく何らかの干渉をすることは間違いない。
2005/10/19
普通のHPには掲示板が存在するのに、僕のHPにはない。なぜか。それは数多くのHPが、掲示板が原因で閉鎖に追い込まれたり、人が寄り付かなくなっていくのを目の当たりにしているからである。掲示板はHPを崩壊させる火薬庫のようなもので、放置しておいたらとんでもないことになる。HPの崩壊パターンは決まっている。ある人がHPを作る。自分の意見を発表する。発表するだけでは物足りなくて、意見が交歓できる友人が欲しくなる。そして意気込んで掲示板を作る。書き込みが増えて論議が活発になる。そんな時は管理人も参加する人達も、パソコンを見るのが楽しくて仕方ない。このあたりがHP作成者の喜びのピークだろう。その後HPに暗雲が立ち込める。声高に我が者顔で棲みつく人とか、或いは何の意図があるのか内容の薄い大量の書き込みで、管理人や真っ当な書き込みを続けている人達を戸惑わせる人とか、そんな「困ったちゃん」が登場する。掲示板は周囲の人間の顔が見えないから、「困ったちゃん」は沈黙を好意だと勘違いして、どんどん無神経に書き込みを続ける。無言には拒絶のニュアンスもあるということは、どうやらご存じないらしい。その後、「困ったちゃん」を嫌って、あれほど賑わっていた掲示板からは堰を切ったように人が離れてゆき、HP作成者はさびしい思いをして、そのうち創作意欲を無くし、HPは閉鎖されるか更新されずに風化してゆく。どれもこれも自分が「およびでない」ことに気づかずに、無神経な書き込みを続けた人間の仕業である。そんな周りに迷惑を撒き散らす「およびでない」奴は、植木等みたいに「こりゃまた失礼しました」と綺麗に去って反省すればいいものを、今度は別の掲示板で同じトラブルを2度も3度も繰り返す。まるで清水健太郎みたいなとんでもない奴だ。僕は掲示板を作ることで、そんなトラブルに巻き込まれるのが怖いのだ。本当なら僕は、掲示板でいろいろな方と話し合いたいという欲求を切実に持っている。僕と同じように個人塾を開いている先生方、大手中小の予備校や企業塾で鋭い授業をされている講師の方々、時間講師として奮戦中の方々、子供を心の底から愛していらっしゃる教育熱心なお父さんお母さん、向学心と上昇志向が強い学生の皆さん。そんな人達と大いに語り合いたい。また僕の塾のOB達がHPを訪ねてくれて、掲示板に書き込みしてくれたらどんなに嬉しいか。そんな機会をどんなに僕が欲していることか。1人の無神経な人間が、僕からそんなささやかな願望を奪い、また複数の真摯なHPをピンチに追い込んでいる現状を見ると、無性に腹が立ってくる。
2005/10/10
広島県民しか知らない歌の数々。これで笑えたら広島県経験者●広島の老舗デパートで、被爆した八丁堀の本店がまだ残り営業している「福屋」CMソング ♪あなたのそばに、よりそうわたし、そこに、愛の、花開く~ ららふ~く~や~●ゴールデンウイークの広島の祭り「フラワーフェスティバル」の歌♪花が輪になる~ 輪が花になる~●そごうに隣接したショッピング街「広島センター街」の歌♪楽しさがくるくると~ みんなが楽しく回る街~ 紙屋町~ みんなの広島、センター街~<上記3つの歌の歌唱は、芹洋子(「四季の歌」の人)>●「お好み焼きの徳川」CMソング♪さっさっさささとかきまぜまして、まーるくまーるくつくりましょう、あつあつふーふー徳川で、ふっくらふっくらえびす顔 お好み焼きなら徳川で、友達たくさん、作りましょ~●「もしも広島に」テレビ新広島、放送終了時のテーマ♪もしも、もしも、広島に、星の王子様、やってきたら~ ライラライ~ ライラライ~<上記2つの歌の歌唱は、デューク・エイセスかダーク・ダックスかボニー・ジャックスのいずれか。どれかわかんねえや>●「おたふくソース」CMソング♪かけてふくふく、おたふくソース(おたふく酢のバージョンもあり)●ケーキ屋「ルリデン」の、異常に画像の悪いCMの曲♪広島で、いちば~ん高い、ケーキなのよ るりでん、るりでん、るりるりるりで~ん●「ヒロコシグループ」CMソング♪ずらりならんでどちらまで~ みんなみんなヒロコシグループ~●「日専連」CMソング♪古いのれんと信用が、手と手をつないだ良いお店。●住宅展示場「せせら」の歌♪家を建てよう、いえいえ~ 住まいのことなら、すますま~ ゴールドもみじ、まいどぉ~西田篤史と横山健二がお送りいたしました。
2005/09/23
今回の台風は風が強かった。塾はまた休み。うちの塾は島にあり、暴風警報が出たら本土と島を結ぶ橋は閉鎖され、フェリーが欠航になるから仕方ない。1日本を読んで過ごす。ところでテレビの台風報道であるが、台風がやってくると自国の被害の報道しかしないのが面白い。今回の台風は日本海を斜めに通過しているので、韓国も被害を受けているはずである。しかし日本の台風報道で韓国が登場したのは、「博多と釜山を結ぶ水中翼船ビートル号は欠航」というニュースだけだった。韓国や北朝鮮がどんな被害を受けようと知ったこっちゃないといった感じである。それは韓国の側も同様で、深夜のNHK衛星放送でやっている韓国KBSのニュースを見ると、釜山港のコンテナが浸水したとか、蔚山駅前の木が倒れたとか自国のニュースばかりで、日本のことは一言たりとも触れられていない。よほど他国の被害が凄まじい時以外は報道しないのが台風報道のパターンである。確かにそんな自国の被害しか伝えない台風報道は、日本のニュースを見ているのは日本に住む人だけだし、韓国のニュースを見るのも韓国在住の人だけだから問題はない。昔朝日新聞の投書欄で「海外で航空事故が起きたとき、テレビや新聞で『日本人乗客が何人いるか』といった、日本人の生死にだけにこだわる報道はおかしい。他の国の人も死んでいるのだから」というトンチンカンな投書があった。だって日本のテレビを見ているのは日本の人だけでしょ、外国旅行に行っている家族が飛行機に乗っているか心配するのは当然でしょと突っ込みたくなった。しかし台風報道における他国の被害に対する強烈な無関心ぶりは、グローバル化などという綺麗ごとが、これっぽちも浸透していない現実を突きつけられる。南方で台風が生まれ北上してくると、われわれの側から見ると「中国や韓国へ逸れろ」と無意識に思っているのかもしれない。中国や韓国も同様だろう。日韓中3国はお互いに「あっち行け、あっち行け」と台風をなすりつけ合っているようだ。テレビのアナウンサーが「台風13号は日本列島を逸れ、日本上陸は避けられました」と言った時、ふと天気図を見ると台風は朝鮮半島のど真ん中を堂々と通過中だったりする。
2005/09/07
akiakiaki
2005/09/02
私はデブだから、甘い飲みものが大好きだ。特にコカ=コーラとカルピスは大好物だ。私の命の水である。コーラは普通の赤いやつしか飲まない。ダーエットコークなんて、あんな甘みが薄い邪道なモノを飲もうとは思わない。砂糖を薄めて同じ値段で売るとはひどすぎると思う。炭酸の鋭い刺激と絡んだ、あのまろやかな甘さこそがコーラの魅力なのに・・・正直言うと、私には赤い普通のコーラですら甘さが足りない。コカ=コーラの会社にはぜひとも、もっと甘みの強いコーラを製造してほしいのだ。「砂糖使用量2倍! 甘さが脳天にしみる “SWEET COKE!” 」という新製品でも出れば、私なんかはスーパーで箱ごと買いだめするのに・・・さて、コーラの話はここまでにして、今日はカルピスの話である。皆さんはカルピスを飲むとき、どんな濃さで作っているのだろうか。カルピス自体は20世紀初頭から日本にあるが、カルピス=ウォーターは、実は10数年前に発売された、比較的新しい商品なのである。カルピス=ウォーターが発売されたとき、カルピスが大好物の私は、とても嬉しかった。カルピスを作るには、意外と手間がかかる。他の飲料水のように、瓶や缶のふたを開けるだけで、そのまま手軽に飲むわけにはいかない。ガラスのグラスを用意し、氷をいれ、水を注ぎ、マドラーで掻き回す。氷は常備していなければいけないし、水だってこだわればミネラルウォーターを用意しなければいけない。特に一人暮らしの人間にとっては、こんな些細な手間すら面倒くさいものなのだ。だから、カルピス=ウォーターが誕生したときは、待ち焦がれていたものが、やっと登場した感じだった。これからは手軽にカルピスが飲めると期待した。わくわくしながら、新製品カルピス=ウォーターを買って、飲んでみた。ん・・・?薄い! 甘くない!おかしい・・・私は期待とは違った味に、騙されたような気がした。私がいつも飲んでいるカルピスと違って、妙な香料の味がするし、何よりも甘さが全然足りない。薄すぎる。実は、私がカルピスを作るときの水との配合比は、カルピス:水=1:1なのである。カルピスの原液と水を、半々にして飲むのだ。濃いカルピスを日常飲んでいるのだから、カルピスウォーターの味を薄く感じるのは、もっともなのだ。私のカルピスの作り方はこんな具合である。まず、透明なガラスコップに、氷を3分の2ぐらいの高さまで詰め込む。そこへカルピスの原液を、グラスの半分ぐらいまで注ぐ。それから水を入れ、氷の冷たさがカルピス全体に浸透するまで、丹念にマドラーか、或いはそこらにあった割り箸でかき混ぜる。できあがり。疲れた時には、カルピスの原液が持つぬるっとしたトロ味を残した、甘くて濃いカルピスは、こたえられませんね。カルピス:水=1:1という比率は、他の人から見れば、異常に濃いものらしい。そういえば昔、こんなことがあった。小学校4年生のとき、私は他の友達2人と一緒に、ある友達の家へ遊びに行った。遊びが一段落つくと、友達の家でカルピスをご馳走になった。友達のお母さんに「カルピス、自分らで作りんさいね」と言われて、水玉模様が入った白い紙に包まれたカルピスの褐色の瓶から、私が自分のコップに、カルピスをグラス半分までドボドボと注ぎ込むと、「ああ、多すぎらあね、何でそんなに入れるんならあ」と、せっかく入れたカルピスの液を、他の友達のコップに移され、4等分された。薄くて味も素っ気も無いカルピスを飲みながら私は、「このおばさん、えらいケチやな。」と悪びれたものである。でも今考えると、私の行動の方が異常なのがよくわかる。さて、さすがに濃いカルピスが好きな私でも、カルピスをストレートで飲むことはしない。カルピスでストレート・ノー・チェイサーというわけにはいかぬ。オン・ザ・ロックもさすがに濃すぎる。私にとって、カルピス:水=1:1の比率は、譲ることができない黄金比なのだ。昔の瓶の時代のカルピスには、メーカー側が決めた正当な比率は、記されていなかったように思う。だから私のように勝手に解釈して、異常に濃いカルピスを飲む勘違いが発生したのだろう。しかし勘違いのおかげで、脳天に突き抜けるような至福の甘さを持つ素晴らしい飲み物を、生涯の伴侶にすることができたのだと思う。私は紙パックのカルピスを、5日に1パック空にする。甘いカルピスを飲めばのどが渇く。そんなのどの渇きを癒やすために、また甘いカルピスに手を出す。カルピスの酸味が効いた甘みには、強い中毒性があるのだ。デブになるには最適な飲み物である。
2005/08/11
私は赤の他人を部下として使うことができない。私は嫌いな人間が半径3m以内に入ってくると虫唾が走る。そして私は自分が好意を持っている人の前では無口になり、嫌な人の前では饒舌になる。天邪鬼なのだ。また私は借金ができない。金を借りて銀行や信用金庫の営業マンから電話がひっきりなしにかかってくるかと思うとウンザリする。私は大の電話嫌いで、教材屋さんにも、私学の中学校や高校の先生にも、至急の用事がない限りは私の塾に絶対電話をかけないで下さいと断っている。私は親しくない人間の電話で自分の生活のペースが乱されるのを大いに嫌う。ましてやアポなしの突然の来訪は大迷惑。私がアメリカに住んでいたら、そんな奴には銃をぶっ放してやる(笑)あと私は会議が好きではない。もし誰かが議論を吹っかけてきたら腹が立つ。私は議論ができない。反論されると私の心には怨恨しか残らない。私の意見に反論する人がいれば、それは私に恥辱を与えるためだと受け取ってしまう。私に反論を仕掛けてくる人間の勝ち誇ったような顔をニヤニヤと笑って受け流しながら、いつかリベンジしてやろうと機会を覗う。だから私は会議でもネットでも、議論には滅多に参加しない。論争とはゲームではなく喧嘩である。日本流の「あうん」の呼吸でコミュニケーションするのが一番いい。とにかく私のように狭量で、腹にルサンチマンをたっぷり抱えた人間が経営者になるべきではない。使われる人間が大迷惑する。個人商店が私の器量の適正サイズなのだ。私のような引きこもりの人間は外の世界にあまり出るべきではない。引きこもりが社会デビューして、ヒッキー独特のややこしい感情に左右され迷惑を蒙るのは、周囲の「まともな」人間なのだ。まともな人間はヒッキーに振り回されてしまう。引きこもりには良く言えば繊細な、悪く言えば神経質でナーバスな人間が多い。繊細で傷つきやすい心を守るため、ヒッキーは卑屈なくらい腰が低い態度で他人に接するか、逆に異常なぐらい傲慢に振舞う。卑屈と傲慢という両極端の手段で繊細で神経質な心をコーティングする。たとえば読売新聞主筆渡邊恒雄氏は、私に言わせればヒッキー的要素をたっぷり持っている人間である。ただナベツネは引きこもりになるには野心が強すぎるし、体内のエンジンが強力すぎる。ナベツネの途方もない傲慢さは、彼の繊細=神経質の裏返しである。傲慢と繊細は紙一重なのだ。彼の書いた社説の文章を読めば、ナベツネが独特の繊細さを秘めた人間であることはわかる。彼の暴言は、繊細な心に立ち入ってきそうな周囲の人間に対する先制攻撃である。読売新聞社社内では、傲慢な態度で部下を黙らせて、彼の繊細な内面に他人が介入してくるのを防いできたが、彼の失敗は社外でも同じ傲岸な態度を取ったことである。ナベツネの傲慢さはマスコミに非難され、笑い者になってしまった。ただ、渡邊氏は毀誉褒貶が激しい人間であるが、左傾化が激しかったマスコミの言論世界を糺した大功労者で、そんな私の意見の代弁者としての渡邊恒雄は個人的に好きである。しかしナベツネも私と同じで、人の上に立つ人間ではない。彼がトップの組織は、働いているものを過度に緊張させ不幸にする。
2005/08/07
全69件 (69件中 1-50件目)