PR
コメント新着
カレンダー
前回ブログを更新して、3か月が過ぎてしまいました。
なぜ、こうも更新しなかったのか、というならば、2月終わりから3月初めにかけて、佐々木中の『切りとれ、あの祈る手を』を読んだからかもしれません。
【送料無料選択可!】切りとれ、あの祈る手を <本>と<革命>をめぐる五つの夜話 (単行本・ムック) / 佐々木中/著
この本の中で、次のような表現があります。
知、情報というものは、これほどまでに人を病み衰弱させるものなのかと思いました。
あらゆることを説明できる自分に到達するために、知と情報を得なくてはならない、日々最新のものにそれを更新しなくてはならない。
「堕落した情報があるのではなく、情報それ自体が堕落なのだ」。
ハイデガーも「情報」とは「命令」という意味だと言っている。
そうです。
皆、命令を聞き逃していないかという恐怖に突き動かされているのです。
どうでしょうか。
だれもが情報を発信でき、誰もが自由に情報を手にできるような時代になりました。乗り遅れまい、そんな気持ちがますます人を駆り立てているように見えます。急いで情報を得て発信する、ということが、人を病み衰弱させていくということだとすると、ちょっと待てという思いが出てきてしまったのです。
ちょうどそれと重なりつつ、釜石に行ってきたのですが、牧師をしていて被災している弟からこんなメールが届いたのです。
これは4月初めごろのものです。
被災地の外の人が先走りしているのを感じます。こちらは中で緊急のことだけで手一杯です。すぐ用意してくれるのはありがたいのですが、こちらの要望にあわないものを送られても困惑するだけです。
誰の満足のために動いているのか、誰が忍耐を必要としているのか、よく考えていただきたい。外の人が満足するために外の人が待つことができないから、そうして結局は被災者に我慢を強いているという現実に気付いてもらわなければなりません。これは、今大量にモノが溢れている状態にも当てはまります。
釜石の人たちは我慢していますが、私は被災地の声を、被災地の我慢を外の人たちに届ける必要を感じています。(本当は被災者と一緒に慰めと希望を見つけるほうが急務です。わたしが安心してその勤めを果たせるようなサポートをお願いします。)
津波以降、一人の人間の力が弱いことを思い知らされています。思い通りに物事がはこばないことにも慣れました。だから、あなた方に協力をお願いしています。私たちを助けてください。
そして、いま一番不思議なのは、なぜ被災地の外はこんなに焦っているのかということです。我先にサポートする速さを競うのでなく、2ヶ月3ヶ月先、2年3年先、5年10年先まで見据えて焦らずじっくりいきましょう。
停電や電話回線が通じないために、被災地からの情報が遅かったことに対して、被災していないものの中には、「なぜ情報がないのか。電話がないのか」と心配したり、ときには憤慨したりしていた人もいたのですが、その心配は誰のためだったのだろう、と考えさせられることもありました。そして、自分の落ち着かない気持ちを被災地や被災者に届けていないだろうか、と反省させられたのです。
そこから、いわゆる情報としては古いものであっても、忘れたくない気持ちや、なお聞いてほしいことだけを綴ろうと決めたのでした(これは本当は当たり前のことなのにね。今更何をかいわんや、かもしれませんが…。 )
次回、最初に釜石はじめ岩手県沿岸に行った時のことを綴ろうと思います。