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月曜日は、今年初めて積もった雪。しかも40センチぐらいはある感じ。朝起きて雪かきをすればよかったのだが、もう少し降りが弱くなってから、なんて思っていたら、全然できなかった。ようやく10時ちょっと前ぐらいから2時間ほど教会の駐車場とその前の道路を雪かきした。さらに玄関とそれにつながる道をほんのちょっとしたが、汗だくになりおなかも減ったので休憩をとったものの、その後、なかなか次のスタートに行くことができなかった。3時過ぎにまた1時間ほど雪かきをして、不十分ながらその日は終了。火曜日 朝から幼稚園の保護者向けのお話し(アパルーム)のため、歩いて出かけた。雪かきが十分のところもあれば、そうでもなく歩きにくいところもあった。どこかに雪かきが置いてあれば、ちょっとはかいていくのに、なんても思った。アパルームは「放蕩息子のたとえ」について。それが終わって、子どもたちがかまくらを造ろうとしていたので、ちょっとだけ雪を盛ってあげた。午後は、やんちゃ坊の方々を招いて、キムチづくり。12人が集まった。いろいろとキムチの効能など伺い、白菜の塩漬けの仕方や中につめるタネの作り方を習う。また、ジャガイモのチヂミを教えてもらった。日本で作られている漬物で、今はキムチが生産量が一番だ、ということも初めて知った。店主の李さんは、渡来人倶楽部でも日韓の懸け橋になるように、文化的交流を目指し、平和を創り出すことに一役買っている方。そうした互いに文化を認め合うことの大切さも話してくださった。水曜日 祈り会。今日は3人。雪のためか人数が少なかった。午後は、雪かき。今晩ぐらいまた積もりそうだ、とのこと。その前に、できるだけ凍ったところを取り除きたい。パカパカはがれるような感じは気持ちがいい。2時間ほど働いて休憩。木曜日 前から頼まれていた子どもの部屋の障子を張り替えた。お昼、松本のカレーラリーに参加。妻と伝道師と一緒に喫茶店されどに行って、牛すじカレーをいただく。パソコンの調子がおかしかったので、前のハードディスクに戻してみた。症状は変わらず。しかし、分解したところ、メモリーがキチンとはまっていなかったことに気づく。メモリーをはめ込んで、起動。パソコンの反応が良くなった。金曜日 三村さんの記念文集編集会議。 次回月曜日の予定。午後は、よりそい福祉バンクの会議。4時半まで行った。夕食担当。土曜日 午前中 やまびこ編集会議。原稿チェック。読み合わせ。午後、Yさんの会。
Jan 23, 2016
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この数年、肩こりがひどく、特に右肩が痛かったので、教会員で鍼灸師の方に今日の午前中見てもらいました。触診していただき、確かに右肩がひどいとのこと。最初はマサージをお願いしていったのですが、マッサージは一時しのぎとのこと。 「針をやってみませんか」と言われて、ちょっと怖い感じもしたのですが、おすすめに従いました。 背中のほうからはじまり、首の付け根まで何箇所か針をさしてもらいました。チクリと痛みがあった後、じわっと胸の奥のほうまで伝わるような痛みというよりも熱さを感じ、脇の下からじわっと汗がでてくる感じがありました。が、決して気分が悪くなるわけではなく、終わってからも、まだ肩に熱い感じが残っていました。 「左肩もこってますが、やはり右肩がひどいですね」とのこと。「できれば、毎週1回来ていただいて、しばらく続けていただくと、治りますよ」とのこと。 それと、「肩こりに適した運動はありますか」と尋ねたら、「歩いたりして、体を動かすこともいいですし、ラジオ体操はいいみたいです」とのこと。 そして「今日は、お風呂に入れば、また効果がでますとのこと」。で、ゆっくりお風呂に入って体を温めました。なんだか、本当に肩が軽くなった感じがしています(でも、こうしてパソコンをしていると、だんだん重くなってきました...)。 サラリーマン時代は、まだ運動していたけれど、この十年は、本当に運動らしい運動をしていませんから、これからラジオ体操でも習慣化しようかな、と思いました。明日から...ってできるかなぁ…。
Nov 28, 2013
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毎年、教会の駐車場の上のほうにツバメが巣を作ります。(2011年だけは来なかったのですが。) 今年も5月終わりぐらいから、つばめがしきりと来ていましたが、いつのまにかかわいい5羽の雛が返っていました。 今日見ると、その中の3羽が一生懸命口を開いています。呼ぶ声がしたと思ったら、すぐに親鳥が来て餌を食べさせていましたが、それはあっという間の出来事で、わたしのデジカメでは親鳥が飛んでくる姿を収めることはできませんでした。
Jun 23, 2013
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朝、起きたら、妻が「雪だよ、雪」と興奮して叫んでいました。「それも、結構積もってるし、まだ降ってるよ」と。 外を見て、本当にびっくりしました。 以前、桜に雪といった時がありましたが、桜も散った後、雪がふるなんて、なかなか信州の冬は侮れませんな。春はまだまだ…? 庭に一輪咲いていたチューリップと、ぼけの花が咲いているところに積もった雪を撮ってみました。
Apr 21, 2013
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今日は月曜日で、しかもひさびさに何もないような月曜日で、お休みしました。(本当は、しなくてはならないことはあるんですけどね、「明日できることは、今日するな」ってことで…) 朝も寝坊して、起きるころには、子どもたちが学校に出かけるところ。朝食の用意はなく(昨日の夕食の残りを食べきったとのこと)、仕方なく、玉ねぎ入りの玉子焼きと里芋と人参の味噌汁を作り、いただいた野沢菜を切って、ごはんとしました。 その後、教会員のIさんが、パソコンとプリンタの調子がおかしいので見てほしい、と現れて、若干格闘するものの、プリンタのドライバを再インストールして解決。Iさんの趣味の写真のいくつかを試しにプリントしました。王滝川の自然湖の写真が見事でした。長野県に住んで9年が経ちますが、まだ行ったことのない美しい自然のようすを伺い嬉しかったです。 プリントした写真をスキャナーで読み込んだものが以下です(ファイルそのものをいただければよかったのですが…。それでもいい写真だと思います)。 その後、お昼は連れ合いと一緒に外に食べに行きました。連れ合いがカタクラモールで買い物があるというので、街中を歩き、最初は、中町通りのクアトロ・ガッツというお店で食べるつもりだったのですが、なんとそこは今日は貸切。こういうことって僕はよくあるんです。行こうと思ったお店がお休みだったり、貸切だったり…。そこで、小澤征爾が毎年サイトウキネンフェスティバルのときに来ているというけど地味な中華料理屋さん「美味屋」に行きました。 それで、連れ合いは買い物をして、家に帰ったのですが、私も珍しいものを見つけて買ってしまいました。それが「北のおいち~ず」というおつまみ系のチーズ。成分表をみると、チーズ、醤油(大豆、小麦、塩)のみで、なかなかよさそう。見たところ「さきいか」って感じですが、たしかにチーズでした。 その後、連れ合いは、生活クラブの料理講習会の準備のため忙しいということで、夕食を適当に作りました。豚ひれ肉のパン粉焼き(チーズ・バジル風味)、白菜とリンゴのサラダ、ネギと人参と豆腐の味噌汁、という具合です。 さ~て、明日から、頑張るぞ!
Jan 16, 2012
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前回ブログを更新して、3か月が過ぎてしまいました。なぜ、こうも更新しなかったのか、というならば、2月終わりから3月初めにかけて、佐々木中の『切りとれ、あの祈る手を』を読んだからかもしれません。【送料無料選択可!】切りとれ、あの祈る手を <本>と<革命>をめぐる五つの夜話 (単行本・ムック) / 佐々木中/著この本の中で、次のような表現があります。知、情報というものは、これほどまでに人を病み衰弱させるものなのかと思いました。あらゆることを説明できる自分に到達するために、知と情報を得なくてはならない、日々最新のものにそれを更新しなくてはならない。「堕落した情報があるのではなく、情報それ自体が堕落なのだ」。ハイデガーも「情報」とは「命令」という意味だと言っている。そうです。皆、命令を聞き逃していないかという恐怖に突き動かされているのです。どうでしょうか。だれもが情報を発信でき、誰もが自由に情報を手にできるような時代になりました。乗り遅れまい、そんな気持ちがますます人を駆り立てているように見えます。急いで情報を得て発信する、ということが、人を病み衰弱させていくということだとすると、ちょっと待てという思いが出てきてしまったのです。ちょうどそれと重なりつつ、釜石に行ってきたのですが、牧師をしていて被災している弟からこんなメールが届いたのです。これは4月初めごろのものです。被災地の外の人が先走りしているのを感じます。こちらは中で緊急のことだけで手一杯です。すぐ用意してくれるのはありがたいのですが、こちらの要望にあわないものを送られても困惑するだけです。誰の満足のために動いているのか、誰が忍耐を必要としているのか、よく考えていただきたい。外の人が満足するために外の人が待つことができないから、そうして結局は被災者に我慢を強いているという現実に気付いてもらわなければなりません。これは、今大量にモノが溢れている状態にも当てはまります。 釜石の人たちは我慢していますが、私は被災地の声を、被災地の我慢を外の人たちに届ける必要を感じています。(本当は被災者と一緒に慰めと希望を見つけるほうが急務です。わたしが安心してその勤めを果たせるようなサポートをお願いします。) 津波以降、一人の人間の力が弱いことを思い知らされています。思い通りに物事がはこばないことにも慣れました。だから、あなた方に協力をお願いしています。私たちを助けてください。そして、いま一番不思議なのは、なぜ被災地の外はこんなに焦っているのかということです。我先にサポートする速さを競うのでなく、2ヶ月3ヶ月先、2年3年先、5年10年先まで見据えて焦らずじっくりいきましょう。 停電や電話回線が通じないために、被災地からの情報が遅かったことに対して、被災していないものの中には、「なぜ情報がないのか。電話がないのか」と心配したり、ときには憤慨したりしていた人もいたのですが、その心配は誰のためだったのだろう、と考えさせられることもありました。そして、自分の落ち着かない気持ちを被災地や被災者に届けていないだろうか、と反省させられたのです。 そこから、いわゆる情報としては古いものであっても、忘れたくない気持ちや、なお聞いてほしいことだけを綴ろうと決めたのでした(これは本当は当たり前のことなのにね。今更何をかいわんや、かもしれませんが…。 ) 次回、最初に釜石はじめ岩手県沿岸に行った時のことを綴ろうと思います。
Jun 18, 2011
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昨晩、岩手の二戸にいる弟と話をした。彼は、高校教師であるが、3月11日はたまたま高校の学校交流会というので釜石に行っていた。その際中、地震が発生し、「銘々逃げてください」という指示で逃げた。車に乗ろうと思って、港のほうの駐車場にいこうとしたが、携帯電話で「大津波警報」というのを確認し、慌てて高台に上った。そこで偶然、釜石に住んでいる弟夫婦と出会ったというから不思議だ。 津波の様子を聞くと、他の地域で壁のように襲い掛かってきたというのとは別で、だんだんと水かさが増えてきて、あっという間に町を覆い尽くしてしまったとのこと。高台について、あっという間の出来事で、ちょっと遅れればあの水に飲まれていたのだ、と思うと生きているのが不思議だ、と言っていた。 その後、その弟はヒッチハイクのようにして二戸の家族のところに帰り、翌日、また釜石にいってきた。その際、呆然として何も手につかなかった釜石の弟をいったんは花巻の妹のところに連れてきたのだった。
Mar 18, 2011
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午後3時前に、大きな揺れが松本でも感じた。 教会で、面会中だったが、長い揺れにちょっと怖くなるぐらいだった。 この近辺が震源でなければ、結構大きな地震がどこかで起きているかもしれない、とも思っていたが、東北地方の地震だったとは。 家族や友人は岩手、宮城に多くいるもので、ちょっと心配になっている。 釜石の弟は大丈夫かな、とか。 教会の方からも、ご家族は大丈夫ですか、と心配の電話をいくつかいただいたが、岩手の妹のところは無事との連絡はついたし、福島の親戚も無事ということを又聞きした。その他は、なんともいえないのが現状である。 もっとも自分の知人が無事ならそれでよいわけではない。 観測史上最大というマグネチュード8.8の地震被害は想像を超えているに違いない。津波の被害が各地から報道されているし、行方不明の人もまだ増えてくるだろう。仙台市では路上で200~300人の遺体が発見されたというから、とても恐ろしいことになっている。 避難されている方々も相当数いるようだし、停電の地域もかなりの広範囲にわたっているようだ。 ただ、祈って待つしかない。
Mar 11, 2011
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34歳でひきこもりになって、英語の勉強を始めたという方が新聞で取り上げられているのを読んだ。一日時間がたっぷりあるとのことで、英語の雑誌を一日一ページ読んでは、分からない単語を引いて覚える、ということを毎日繰り返したらしい。 6畳一間のアパートにひきこもって、誰とも話さずに一日が終わる、という生活だったが、7年たって貯蓄が底をついてようやく仕事をする気になったらしい。英語講師の試験を受けたらあっさり受かったとのこと。 独特の英語勉強法が本になっている。 『最強英語術』というタイトル。 【送料無料選択可!】イングリッシュ・モンスターの最強英語術 (単行本・ムック) / 菊池健彦/著 この菊地健彦さんという方、TOEICの満点がこれまでに24回とのことらしい。海外にはまだ行ったことがない、という。 7年間、ずっと勉強を続けることができた、というのも能力といえるが、「ひきこもり」で人とのコミュニケーションができなくなってしまったのに、英語でのコミュニケーションができるようになったなんて、こんなこともあるんだってちょっと感動した。 でも、この方、既にテレビではおなじみのようだ。
Feb 8, 2011
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食器洗いには、アクリルタワシを使っている。これだと洗剤がなくてもある程度の油汚れが落ちるからだ。しかし、ギトギトの油もののときは、洗剤を使わざるをえないのだが、合成洗剤よりも石けんをつかっている。そして、最近は、粉石けんに水を足してゲル状にしたものを用いている。寒いと白濁して(たぶん溶解度が小さくなるからかな)歯磨き粉にみたいにもなるのだが、ただの粉石けんよりも使いやすい。 最近、それを入れるチューブを買ったので、とても使いやすくなった。
Jan 21, 2011
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買い物難民なんて言葉がある。 大手のスーパーなどが経営難や経営を見直すためにある地域から撤退してしまったため、食料品を含む生活必需品を購入するところがなくなってしまった人々のことである。 私の住む開智という地域においても、かつてアップルランドというスーパーがあったが、私が松本に引っ越してから間もなく閉店してしまい、今はすっかり住宅地に変わってしまった。ちょっとした買い物ができなくなり、教会でも必要なものがすぐに買うことができないという不便を感じている方もいる。ただ便が悪くなるというだけなら、しょうがないで済むが、生き死にに関わる人も高齢者の中にはいるだろうから、企業は地域の状況を把握してほしいと願うのだが、最近、また一つ大きな店舗が消えるという話を耳にし、また新聞記事で知った。 わたしの住むところからは離れているが、それでも自転車で10分ぐらいのところである。食料品などのスーパーではないが、 ホームセンターである。隣にはスーパーがあり、レンタルCD屋・本屋がある。教会で使用している紙類、事務用品などはたいていそこで買っている。ところが2月13日に閉店となるとのこと。いつ行っても人がたくさんいるので経営難というのではなく、地主との契約が折り合いがつかなかったということらしい。地主といっても不動産会社なのだが、いったい何を考えているのだろうか、と思わせられている。もしかすると、そのホームセンターに貸すよりも、もっとうまい話がある、ということなのだろうか。 新聞のコメントを見ると、いままで車などに頼らずに買い物ができていたのに、とても残念だ、というコメントがいくつか寄せられている。 建物も古いためそれを壊して、別な施設を考えているのか、マンションとかだとそのへんの人たちが困るだろうな、という感じがするし、私も紙類や事務用品はどうしようかなぁと考える(A4の用紙などその辺で一番安かったから)。 人々に不安を抱かせて、別な儲け話に乗ろうとする不動産業者だとすると、がっかりである。 ただ、別な見方をすれば、まだまだ自転車や歩いて行ける場所に小さな文房具屋は近くにいくつかあるし、安さだけみて大型店に頼るな、というしるしなのかもしれない、と考えても見る。
Jan 20, 2011
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今日は、地区の牧師会があったが、本当は会場は大町の予定。しかし、雪のため車が渋滞しかねないとのことで、大町教会の牧師より連絡があり、急遽松本教会で行うことになった。 それにしても、冬が来る前には暖冬とか言われていたが、年が明けたら連日例年よりも低い気温とのこと。寒い冬となっている。 しかし、ここ松本では雪は少なく空気が澄んでいて晴れ間もある。そうしたときの雪をたくさん頂いた山々がとても美しく、寒さなど吹き飛ぶのである。
Jan 18, 2011
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子どもたちの学校も休みだったので、かねてからの約束でスケートに行ってきた。浅間温泉国際スケートセンターというスケート場。来年は閉鎖か、と言われているが、私たち家族は今回はじめて滑ってきた(実は、昨年も来たのだが、そのときは、大会があるのを知らずに来てしまい、滑れなかった)。 娘は、小学校の授業でスケートをしたことをきっかけに、スキーよりもスケートに興味があるようだ。私自身スケートは全くしたことがないに等しく、苦労した。 ちなみに、昨年は浅間がだめだったので、急遽、岡谷のスケート場に行ったのだが、そのときは、自分のほうが娘よりも滑れると思ったのだが、今回は、娘のほうが自然に滑っていた。また、昨年は全然滑れなかった息子も、ちょっと練習したら、どんどん一人で滑るようになっていた。こちらは、子どもに比べても、全然だめで、バランスを崩しては転倒することも何度かあったし、足に変に力がはいって痛くなってしまうし...情けないものだった。 娘は、楽しかったらしく、また来たい、と言っていたので、今シーズンのうちにまた来ることになるだろう。そのときは、ちょっとはリベンジしたいものである。
Jan 10, 2011
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朝の気温は-5℃だったとのこと。北アルプスの山々は雪をかぶり、美しく輝いていました。こんな日は、スキーをしにいきたい、と思うのですが、何故か家族のお正月の計画は「温水プール」に...。娘の要望です。午前11時ぐらいから水につかり、午後2時ごろまでいました。娘と息子の小学校の友だちに会ったりしたので、親もちょっとのんびりしました。それから帰ってきてまた年賀状を書いて...。また、こちらに来た年賀状を見ていたら、学生時代の友人より時の人ともなっている「村山斉」さんに関する情報。大学時代に通っていた教会に行かれていたみたい。村山さんのところで食べたチーズフォンデュが懐かしいですって。(残念ながら私とは重なっていませんが...)【宇宙フェア】村山斉『宇宙は何でできているのか』(幻冬舎新書) 年賀状しかお付き合いがなくなってしまった方々もいますが、それでも、その方々の近況、一年が分かるものは、ちょっと身近に感じさせられます。 他には、息子さんがインディーズのバンド活動をしている、という報告や、以前勤めていた会社の友人で「はやぶさ」に関わりました、とか。太陽光発電、風力発電に関わっているという方とか...。だらだらと過ごしました。
Jan 3, 2011
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今年最初の主日(日曜日)の礼拝が終わりました。 昨日の元旦礼拝に続く礼拝で、子どもたちには、「また礼拝するの?」と言われてしまいましたが、一年の最初の日を礼拝をしないで済ますというのも気分が落ち着かないですので、元旦礼拝は続けたいと願っています。でも来年は1日が日曜日のようです。 礼拝後、お茶会をして、その後、子どもたちは、信徒の方のお宅にお邪魔することになって出かけました。わたしは礼拝後ある方のお話を伺い、そのあと、年末に手術された方のお見舞いに妻と一緒に伺いました。術後の経過もよいようで安心しました。 それから、年賀状を書いたり、借りてきた映画『深呼吸の必要』のDVDを見ました。沖縄のさとうきび畑のアルバイトで集まってきた人たちの交流の物語ですが、長田弘の『深呼吸の必要』という詩集にインスピレーションを受けて作られたというので興味がありました。映画の内容はともかく、こういうバイトは今あるのだろうか、と思いました。さとうきびを収穫する作業はとても重労働だと聞きましたし、何もわからないような人が応募してくるのか、またそれを採用するのか、現実的にどうなのか、ちょっと設定が??でしたが、楽しめました。 ところで、さとうきびの収穫の時期、沖縄に行くことになります。 沖縄の米軍基地のことはじめ、もっと沖縄のことを身近に感じたいという思いで「沖縄スタディーツアー」を企画しています。 豪華キャスト!!沖縄のさとうきびを収穫するアルバイトに応募した7人の若者たちのかけがえのない35日間!篠原哲雄監督による、爽やかな青春映画の傑作!【中古】◆DVD◆深呼吸の必要◆ 深呼吸の必要 長田弘詩集
Jan 2, 2011
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2010年が過ぎ去り、2011年となりました。 昨年も思いもかけない出会いや別れがあり、喜びも悲しみや悔やむこともありました。 今日は、松本教会では元旦礼拝をしました。土曜日で明日は日曜日ですが、新しい年の始めは、御言葉と賛美で始めたいという思いがありました。教会の暦でいうと、クリスマスの流れで、幼子イエスの命名祭ということになります。イエス様は、生まれてすぐに名づけられたのではなく、ユダヤの律法に従って8日目に割礼を受けるとともに名づけられたのでした。 20名ほどが集まり、礼拝後にお茶会をしました。 昨年に続いて、私は昨日作った伊達巻卵と田作りを出しました。伊達巻卵は、今年はフライパンではなくオーブンで焼いて簀巻で丸めました。クッキングシートがなかったので、パイレックスの耐熱容器に油を塗ったり、アルミ箔を敷いて油を塗ったりしましたが、この次はクッキングシートを使いたいと思いました。 ちなみに、作り方は、次のようにしました。ネットの情報を参考にしたのですがね。 耐熱容器は20cm四方ぐらいの容器です。 卵5つ、はんぺん 半切れ 砂糖 大匙2~3 みりん 大匙2 醤油 大匙2 かつおぶしの粉 大匙1 はんぺんを小さく切って、フードプロセッサーでペーストにしたのち、混ぜておいた卵、砂糖、みりん、醤油、鰹節の粉を加えて、さらに撹拌します。 これを、耐熱容器に入れて、200度に熱したオーブンで20分ほど焼きます。 焼きあがったものを簀巻で焦げ目が外にくるように丸めて一晩おきます。 という具合です。卵焼き器で作るより焦げ目はつきにくいのですが、オーブンで待っている間他のこともできるので、結構らくちんでした。 それから、田作りは、実家の母の作っていたものをまねて作っています。 ふつうは、飴状のものをからめて終わりですが、私のは、飴をすこし多めにつくっておいて、ごまめをからめてからさらに菜箸で撹拌して糖衣がけ状にします。 写真は、今回はありません。悪しからず!
Jan 1, 2011
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12月8日というと、1941年日本がアメリカと戦争を始めた日として記憶されるが、新しい年代においては、ジョン・レノンが射殺された日としても記憶される。 ジョンの死は、僕が中学生のころだった。 学校から帰ってくると父親が、「ジョン・レノンが殺されたぞ」と言う。当時、僕はビートルズを"Yesterday"や”Let it be"などを聞いたぐらいで、それほど入れ込んではいなかったが、何かすごい人が死んだんだってことを感じた。 その後、NHK-FMでビートルズの特集が1週間続いたのをエア・チェックし、全アルバムや別テイク、カバー曲などを120分テープ6~7本に録音した。そしてそれを何度も聞き続けたことを思い出すし、当時の遺作だった「ダブル・ファンタジー」も何度も聞いた。 そのジョン・レノンの言葉が朝日新聞の天声人語に紹介されていた。 「もし、皆が新しいテレビの代わりに平和を要求するのならば、平和が実現できるだろう。」 デジタルテレビの販売や購入に躍起となっているようなこの数年、同じような熱心さで平和を求めれば、それは実現されるかもしれない、などと思うのである。 ちなみに、僕は地デジには興味なし、ということでテレビは買い換えない。ビデオカメラも持っていない。こういうことに関しては時代遅れに確実になっている。 さて、この頃興味を持っている本といえば、【送料無料】パンとペン価格:2,520円(税込、送料別)【送料無料】ウスケボーイズ価格:1,680円(税込、送料別)【送料無料】切りとれ、あの祈る手を価格:2,100円(税込、送料別)夜戦と永遠価格:6,930円(税込、送料別)エーコが再び中世を舞台にして放つ歴史ロマン!セット販売【BOOK】バウドリーノ(上)・(下)全2巻...価格:3,990円(税込、送料別)
Dec 8, 2010
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朝は、それほど暑くなかったのに、10時過ぎると、外は、カーッと暑くなってきた。部屋の中にいると、なんだかシャーってノイズが聞こえてくる。 連れ合いに、「今の何の音?」って聞いたら、「蝉じゃない?」って。 もう7月といっても、まだ梅雨時。 こんな時期からセミが鳴いてたかな~、と思いつつ、何度と聞くと、やっぱりセミの声に聞こえる。 せみというと、父親がこんな歌をよく歌っていたのを思い出す。 (以前、父に聞いたが、覚えてなかった) はだかんぼうのだれかさん せみがほっぺにとまった せみがほっぺにとまった こんないい木ははじめてだ み~ん み~ん みん みん み~ん せみはどこかへ とんでった なんて、うろ覚えだったが、ネットで調べたら、 「麦わらぼうし」って歌だった。 最後の行は、「せみはのんきになきだした」 ってもののようで 「せみは どこかへ とんでった」は2番の歌詞だった。
Jul 5, 2010
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松本城はじめ教会の桜も満開で、一昨日などはぽかぽか暖かな日中だったのに、今朝はびっくりの寒さ。しかも、6時ごろ外に出てみると、雪がちらつき、近所の車のボンネットにはうっすらと積もってもいました。 もうすっかり春だなんて思っていたら、この寒さは今週末まで続くとのこと。花冷えにもほどがあるって感じです。 4月半ばに雪だなんて、初体験でした。
Apr 15, 2010
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今日は朝から雪が降っていて、午後になってますます激しくなったような感じで降り続いています。娘を車で乗せて「すごい雪だね」なんて言ったら、「そうでもないよ。長野のときはもっとすごかったよ」と平然としてました。そう言われると、確かに松本は雪が少ないのですが、長野のときは、よく雪かきをしました。まぁ、明日の朝は雪かきをしなくてはならないでしょう。さっさと寝ることにします。(まだ寝ませんがね...)
Mar 9, 2010
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教会にこんな実がなる木があります。小柿とか正確には信濃マメ柿というそうです。実ったばかりは、渋いのだそうですが、冬がきて色が黒くなってくると甘くなるのだそうです。松本に来て、初めていただきました。実際の大きさは、こんな感じです。こんなに小さいのに、種は結構あるでしょう。でも、柿の種ってかんじですよね。
Jan 13, 2010
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10月5日の朝日新聞の「やさしい医学レポート」というコラムで、聞いたことのある名前を目にしました。大学の頃、私はとある聖書研究会というのに通っていたのですが、そのときに一緒に出席していた方です。ネットで顔写真も確認しましたが、私が思っていた人物でした。(もっとも大学卒業後は、特にお付き合いはなかったのですが。一度聖書研究会のOB会でお会いしたぐらいですかね) そして、その聖書研究にいったとき、私が聖書を忘れていったことがあって、笑いながら「お前、破門だ!」なんて言われたことも思い出しちゃいました。(今、教会の祈り会でも、そんなことを言い合っているご婦人方もいらっしゃいますが...) ハーバードに留学されて、その後東北大の教授になって、結構ご活躍のようです。がんの研究もなさってるのでしょうか。最近の著書はサプリメントなど健康食品の安全性や効果を科学的に検証されているようで、真摯な研究をなさっているようです。
Oct 14, 2009
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(18日の日記) 教会に駐車場があるのですが、いつからあるのか分からないような燕の巣がありました。 昨年は、燕はいなかったように思うのですが、今年は、ちょくちょく燕がよっているのを見ました。卵を産んだのかな、なんて思ってましたが、ちっともヒナらしいものを見ることができませんでした。でも、夏休みが終わってみるとその巣から雛が顔を出してました。ああ、やっぱりいたんだ、って感動しました。 燕ってもっと早く巣立つのかと思ってましたが、夏ごろなんですね。 巣の上のほうから顔を出しているヒナの姿が見えますか? 写真ではなかなかうまく撮れませんね。
Aug 18, 2009
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(15日の日記-2) 千鳥ヶ淵墓苑から神学校のゲストハウスに帰ってきたのが9時近く。 それから、子どもたちを連れて、「鉄道博物館」に出かけてきました。 幼稚園の息子は、結構鉄道ファンで、鉄道に関しての絵本を読み、家では、電車の模型や絵を相手に一人遊びをしています。僕も昔は、家族旅行で祖母の実家のある東京に行くと、頻繁に秋葉原の交通博物館に連れて行ってもらった記憶があったので、息子にもそんな思いを、と思っていました。ただ、オープンしたばっかりの鉄道博物館は連日満員とも聞いていましたので、なかなか行けずにいたのですが、ほとぼりも冷めたころで行ってみました。 入ってみて、フロアマップがあるもののイベントもあって行列ができていたりして、何だろう?って思ったり、昔の電車に自由に乗れたりして楽しかったです。運転席が見れるところがあったらいいな、と思いましたが、最後に、運転のシュミレーションを子どもたちと楽しめたのはうれしかったです。 小さいころ、家族旅行でもめったに特急には乗れなかったけれど(うちはほとんど夜行列車でしたので...)、僕自身がわくわくするところもありました。 それから、前の交通博物館のときは、鉄道のジオラマが好き放題見れたのに、今は、制限があったりして、ちょっと残念でしたが、それでも模型を修理しているところが見れたりしました。 そして、息子だけでなく娘も楽しんでいました。それから食堂では万世のカツサンドも売ってたりして、秋葉原時代を思い起こさせました(買わなかったけど)。 鉄道博物館には3時半ごろまでいて、それから子どもたちと連れ合いは神学校のゲストハウスに帰りましたが、私は、川崎のクラブチッタでKENSOというバンドのライブが行われるので、そちらに向かいました。 KENSOはこだわりのバンドで、リーダーの清水義央さんが歯科医でありながら、自らのロック魂・音楽魂を追及しています。清水さんが高校時代に組んだバンドのネーミングそのままに活動し、活動四半世紀がすぎたバンドです。ボーカル曲はほとんどなく、ライブでも全曲インストルメンタルであったりしますし、複雑な拍子や和音・音階を駆使していますし、一方で、「和」にこだわったところもあります。十数年前に清水さんと知り合い、ちょっとだけライブやレコーディングのときに機材運びをしたことがありましたし、清水さんの自宅の引越しをお手伝いしたこともありました。その際に、書棚に「さんびか21」と「聖書」を発見して、キリスト者であることを知りました。一度、電話で「今度、礼拝の奏楽するんだけど、ELPが演ってるエルサレムって曲はどうかな」って相談を受けたこともありましたっけ。 そして、メンバーもすごいミュージシャンが集まっています。現在作曲家として活躍中の佐橋俊彦さんや村石雅行さんもメンバーだった時代がありましたし、メンバー交代もしながらもどんどん進化していく感じがあります。プロとしての音楽の仕事に忙しいメンバーなのでライブも1年1回しかできないところがありますが、清水さんのライフワークとしてのバンドであり、活動していることに僕は意味を見出しているようなところもあります。 久々のライブハウスで、その音に圧倒されて帰ってきたところでした。
Aug 15, 2009
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(14日の日記) 休暇をいただいて、神学校のゲストハウスに宿泊しています。 今日は、連れ合いの妹と母が住む溝ノ口に行ってきて、子どもたちにとっては従兄弟たちに会ってきました。近所の神社で蝉取りやドッチボールに興じていました。私は4年ぶりぐらいに会ったのかな? みんな本当に大きくなってました。中でも、中学生になったS君は、小学生低学年のときから60キロを超えていたのですが、とうとう100キロを超えて、とても抱き上げることはできなくなっていました。でも、顔つきは昔のままでそのギャップがかわいかったです。 それから、神学校に戻ってきて、今度は私だけが出かけて、神学校時代の友人たちに会いました。その一人の教会にもお邪魔しました。新宿でビルの一部屋を借りて開拓伝道をしているところで、「新宿コミュニティー教会」と称しているところです。 神学校時代の友人たちと、いろいろ意見交換、情報交換をしてあっという間に時が過ぎましたが、楽しいひと時でした。
Aug 14, 2009
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新生釜石教会で牧師をしている弟が来ました。この教会については『信徒の友』7月号に紹介されています。 いつくるか正確なところは分からなかったのですが、神宮寺から帰ってくると連絡が入っていて、あと1時間ほどで来るというではありませんか。あわてて部屋を片付けて、迎えました。 懐かしい話や今の悩みなどを話しながら、こうした話ができることに感謝しました。お互いにコンプレックスを持っていたのかもしれませんし、かつては許せない間柄だったような気もしますし、激しい喧嘩もしたことを思い出しました。 そして、金曜日の午前中は、 教会のパイプオルガンを見てもらいました。いろいろとストップの使い方に新しい発見がありました。また、オルガンを弾きながら一緒に歌ってみると、兄弟の声がこんなにもハモるとき、特別なものか、と感じさせられました。他の人とでは感じないようなハーモニーを感じました。
Jun 18, 2009
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17日、婦人研修会からの帰路、留守電のメッセージを聞き、教会員Nさんのお母様の訃報を知りました。Nさんは、婦人研修会に参加する予定でしたが、お母様の容態が良くないとのことで、参加を取りやめていたのです。そして婦人研修会の始まる前日にお亡くなりになっていたようでした。 葬儀が18日、神宮寺というお寺で行われました。この神宮寺の住職は高橋卓志さんといって、仏教をもっと身近にしようと努力されている方です(努力というよりも自然体なのでしょうが...)。以下の著書などもあらわしている方で、夏には丸木位里・俊夫妻の戦争絵図などを本堂に展示するなどして平和の大切さを訴えているところでもあります。コンサートや映画上映もできるようなホールもあって、注目されているお寺の一つです。 数年前の教団出版局発行の雑誌『信徒の友』においても、当時松本教会牧師の大澤秀夫先生との対談がありました。 Nさんの上に慰めがあるように祈りつつ、その葬儀に参列したのですが、予想通りというかそれ以上に、お寺としてだけでなく異例の葬儀でした。故人の愛した歌が流れ、セロニアス・モンクとジョン・コルトレーンのジャズに合わせて、茨木のり子の「わたしが一番きれいだったとき」が朗読され、授戒や引導の意味、読まれるお経や文章の趣旨、戒名の意味が説明されたり、スライドで故人の幼少期からの写真が映されたりしました。般若心経も手仕事屋きち兵衛さんという歌手の「色即是空」という歌にあわせて唱えられました。また、葬儀式の後、告別式(お別れ会)があり、4人のお孫さんたちが弔辞を述べ、さらにチェロの演奏、手仕事屋きち兵衛さんのミニコンサートがありました。 それから、葬儀式の説明を受けながら、 これはキリスト教でいう洗礼式に似ているな、と感じました。授戒のときの懺悔文(さんげぶん)、三帰戒などが、悔い改めの文であり、引導は派遣かな、とか、般若心経は信仰告白のようでもあるな、とか。 Nさんの上に慰めがあるように祈りつつも、良い体験をさせていただきました。 葬儀に出席してこんな言い方も無いかもしれませんが、感謝のひと時でした。
Jun 18, 2009
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モリのアサガオ(7)全巻セット!ご購入は当店で!【漫画】モリのアサガオ -新人刑務官と或る死刑囚の物語-(1-7巻 最新巻) 昨日と今日、日本キリスト教団の教誨師の研修会に出かけていきました。その中で、「モリのアサガオ」という漫画を紹介されました。死刑制度について考えさせられるし、刑務所の中のことについて考えさせられるとのこと、興味を持ちました。その他、『獄窓記』、『累犯障害者』なども読むといい、とすすめられました。それから、閉会の礼拝では、エリック・カールが絵を描いている『ことりをすきになった山』が紹介され、岩のような心が、誰かを好きになることで、変わっていく様が描かれている、とのことで、興味深く聞きました。 累犯障害者獄窓記 ことりをすきになった山
Jun 2, 2009
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ほぼ一ヶ月前、夜中、突然右肩が痛くなり、それは眠れないほどだったので、翌日整形外科で見てもらいました。レントゲンまでとって調べていただきましたが、いわゆる四十肩・五十肩と言われるものではないようで、首からくるものではないかとのことで、痛み止めや湿布を処方してもらいました。 肩甲骨が凝るような感じがずっとしていましたが、右肩の筋肉が痛い感じでした。薬を飲んでもなかなか痛みがなおらず、本当にこの診断が正しいのか、と疑いつつも、時が解決してきたようです。最近ようやく痛みが取れました。 急に痛くなり、なんとなく直ったというところで、またあの痛みがくるかも...と恐れる気持ちもありますが、ちょっとした試練だったかも、と思っています。
May 28, 2009
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姜尚中さんの講演会「今、日本を問う」(信州岩波講座まつもと講演会 )に行ってきました。ブエナビスタというホテルの一室であったのですが、900人が集まっての会でした。しばらくテレビを見ていなかったので、よく分からなかったのですが、かなりの人気ぶりです。年配の女性たちが多く集まっていました。 わたしは、「朝まで生テレビ」で知るようになってから、大事な人だなと思っていましたが、いろいろと考えさせられるお話でした。 時事ネタでは、北朝鮮問題に関して、あの飛翔体に対して、もう少し冷静な判断をしたほうがよい、ということを言われました(元防衛大臣の久間章夫氏は、マスコミが騒ぎすぎた、と言ってましたが...)。ひとつの情報で、日本全体がぶれていくことを危惧され、たとえ右であっても左であっても「ぶれないように」ということ、加藤周一さんの言葉を引用し「正当性を問う」ということ、「希望を持ち続けること」という言葉が印象的でした。 それらは互いに関連しあっているのですが、「正当性を問う」というのは、言論の自由がある限り、どのような言説も自由であるが、発言があれば同時にその正当性に常にさらされるということが前提となっていたのでしょうが、正当性を問い、安易に流されないように、というメッセージであったかと思います。そういう意味では「ぶれない」ということとつながります。そして、最後に「希望」について東大においてプロジェクトがはじまっていることが語られました。「希望」ということを学問的に問うてみるということですが、本来は、「希望」は論理的ではないと考えられていたもの、これを検証し、希望が持てる社会について考えている、ということでした。 「希望学」についてはこちら。 その後、教会員の方から、姜尚中さんに洗礼を授けた牧師土門一雄さんの追悼文集を見せていただきました。その中でも姜さんが、どのようにして土門牧師と出会ったか、感銘を受けてきたかが語られていました。そして、その文集の執筆者の中に、わたしが大学時代出会った方のお名前も発見し、懐かしいような嬉しい気持ちになりました。なお、土門牧師は、かつて上尾市の市議もなさっていた方で、上尾市の国際交流にも尽力された方です。追悼文集には、福音に根ざした社会との関わる態度が示され、また良く学び、礼拝説教も楽しんでなさっていた様子を伺い、感銘を大変、受けました。
May 9, 2009
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4月中旬、丸子町の依田川にかかるとある橋を渡ったら、川いっぱいに鯉のぼりが飾っていました。すごいなぁ~と思い、写真を撮りましたが、せっかくなので「子どもの日」までアップするのを止めていました。 うちでは鯉のぼりは飾っていませんが、風景として鯉のぼりは美しいものがあります。
May 5, 2009
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庭に黄色い花が咲いています。一見すると菜の花のようですが、よ~く見てみますと...この根元のほうに膨らんだものが見えます。 昨年、秋ごろから葉が伸び始め、この葉っぱは生で食べても食べれるほど、うちのウサギの好物となっていますが、そのときから根元にカブが見えました。抜いて食っちまうか、とも思ったのですが、ちょっとそのままにしておきました。そして、このカブが結構大きいんですよ(大きさが分かるものはそばにありませんが、聖護院カブかな...なんというカブか分かりません)。野沢菜だってカブのようにできますし、カブじゃないかも。 ちょっと花がきれいなので、一通り終わってから、子どもたちと抜いてみようか、と思っています。そのときは食べるには値しなくなってるだろうけど...。
Apr 10, 2009
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月曜日ぐらいから松本でも桜が咲き始めた、と聞きましたが、うちの桜も咲き始めました。朝は、ほんのちょっと咲いたかなって感じでしたが、午後になったら結構咲いていました。 この週末は、花見でにぎわうでしょうし、夜はお城の桜がライトップされるので、それを見に行くかもしれません。 花が咲くと、春だな、って感じになります。
Apr 8, 2009
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信州大学の入学式があり、朝はギデオン協会が聖書を配るというのに参加しましたが、病院に行く予定があり、30分ほどで失礼してきました。 実は、2週間ほど前から、鳩尾(みぞおち)のあたりに痛みがあったため、先週病院に行ってきました。そして、この月曜日に超音波検査と胃カメラによる検査の予定となっていました。前日8時までに食事を済ませて、朝は当然抜いて行きました。10時までにきてくださいとのことで、まず超音波による検査を受けました。続いて、胃カメラです。超音波による検査ではお腹にグリースを塗って検査してちょっと気持ち悪かったのですが、たいしたことのない検査でした。 そして、胃カメラは、初体験でした。胃の洗浄液を飲んだ後、胃カメラの場所で寝かせられました。「初めてですか」と医者に確認され「もしすんなり入らない場合は、麻酔をかけて2時間ほど寝てもらいますのでいいですか」とも聞かれました。「コツは、逆らわないこと、力を抜いてゆだねてください」とのことでした。肩には胃のための麻酔が注射され、のどに麻酔液を拭きかけられました。 で、口の周りに穴の開いたマウスピースのようなものを貼り付けられ、「これをかまないほうがよい」とアドヴァイスを受けて、胃カメラを挿入されました。 うっと吐き気がありながら、「力を抜いて」という声に、とにかく任せるしかない、と思いましたが、結構苦しかったです。鼻で息をするように、とも言われていましたが、どこで息をしているのかもわからなくなるほどでした。のどもと過ぎてすこし楽になったものの、カメラを動かすととても苦しくなりました。 「もう終わります」といいながらも、医者は「ほおっ」「なるほど」などと言うので、とても気になりましたが、そのうち、「これはちょっととっておきましょう」といって、何かをカメラの管に通していましたが、後から聞くと、組織を採取していたようです。 バリウムを飲んでレントゲンを撮るよりも直接的に胃の中がわかりますし、このほうが良いとは思いつつも、久々に肉体的に苦しい思いをしました。ちょうど受難節ということもありましたし、これで死ぬこともないし、もっとつらい思いをして手術した人たちや病床にある人たちのことを思えば、と思い耐えるのですが、もう一度やれと言われたら、やっぱり嫌だなと思うほどでした。 結果は、胃炎の跡のようなものが胃の入り口に見つかったようで、それを調べるとのこと。その結果は後日うかがうことになりました。 超音波や先日の血液検査の結果も聞かされ、こちらはほとんど問題ないとのことでした。のどの麻酔がきれたら、飲食ができるとのことで、お昼を食べ、夕食を食べたのですが、夕食後、なんともいえないような胃の痛みがあり、横になったのですが、そのまま寝てしまいました。
Apr 6, 2009
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母親の体力が落ちていることと、子どもたちが春休みを迎えていることもあって、火曜日から金曜日まで山形の両親に会いに行ってきました(行きは長野新幹線-山形新幹線を乗り継ぎ、帰りは山形新幹線で東京にでて「あずさ」で帰ってきました)。 なるべく自分たちのことは自分たちでするようにはしたのですが、結構、気を使わせたかもしれません。食事の用意や寝具の用意などはしてきたのですが...。 山形では、子どもたちを連れて、霞城公演や近くの神社の公園にいって、鬼ごっこやかくれんぼなどで遊んだぐらいでしたが、それなりに楽しく過ごせました。 本当は、私は3月末締め切りの原稿を頼まれていたので、時間があったらその仕事をしようと思っていました。それでノートパソコンを持っていったのですが、なんと電源のアダプタを忘れてしまい、結果的に2時間ほど仕事ができただけで、あとは、のんびりと過ごしました。テレビっ子の父親につきあって、久々にテレビドラマなど見ましたし、仕事ができなかったのは、まあ休養になったかな。 金曜日に帰ってきたのですが、日曜日の用意はちょっと苦労しました。 山形は、ちょっと寒く、雪が降った日もありました。
Mar 24, 2009
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久しぶりの雪でした。昨日昼間から降り始め、けっこう積もるかと期待したものの、目覚めれば15cmにもなりませんでした。雪かきが必要かとも思われましたが、地面が暖かだったらしく、あっという間に解けてしまいました。暖冬で、本当に雪が少ない冬です。
Mar 4, 2009
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演劇の実行委員会の大詰めを迎えているところで、なんと娘が熱を出してしまいました。そして油断した隙に「熱性けいれん」を起こして、入院してしまいました。日曜日の夜間だったので、波田総合病院という家から30分以上かかるところを紹介されてしまいました。日曜日の夜は、妻が付き添い、月曜日の夜は私が付き添いました。そして、水曜日に退院することができたのですが、演劇の準備の合間に迎えにいったりして、ばたばたしていました。 娘は落ち着いて、外出制限がありますが、いたって元気です。 ところが、今度は私の番。昨晩から熱がではじめて、今日病院に行きました。薬を使わなくても2.3日熱と戦えば、大丈夫ですが、急ぎでしたら、薬を使いましょう、ということで、リレンザという薬と漢方薬を処方されました。 リレンザは、吸引する薬です。 仕事も休んでください、と言われましたが日曜日が迫っています。どうすればいいんだろう?!講壇の上にいて、他の人と接しないようにしなくてはならないかもしれません。
Feb 18, 2009
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いや、別に忙しかったわけでもないのですが、新年になって、パソコンに向かう時間が少し減ったのかもしれません。いまさら、新年の挨拶もなんですが、年が明けてからの記録を残しておきます。 大晦日までに、おせち料理を用意しました。私の担当は、紅白なますと伊達巻卵。伊達巻卵は、うまくできましたよ。市販のはんぺんと卵をミルで混ぜて、それを焼いてまきすで巻きました。子どもたちも喜んで食べて、普段のお弁当にも...といわれましたが、どうなることか。 そして一日は、元旦礼拝をしました。 主日礼拝と同じ流れで、説教の後のとりなしの祈りでは、各自に新年の祈りを書いていただいて、それを牧師が代わりに祈りました。松本教会では、初めての元旦礼拝だった、とも聞きました。 そして、三が日は4日の礼拝準備はあったり、面会があったものののんびりと過ごしたり、子どもたちとお買い物をしました。 5日は、久々に(松本に来てから2回目)、すぐ近くの図書館に行きました。そこで、6冊ほど本を借りました。とうとう『指輪物語』も読んでみることにしました。それからラルフ・イーザウの『見えざるピラミッド』上・下 『アーミッシュの赦し』などです。平行して読み始め、それぞれ結構感動しています。特に『アーミッシュの赦し』はお勧めです(これは年末に香山リカさんが勧めていたのを読んだので興味を持っていたのですが)。これは、再洗礼派の一派で、文明の利器に極力頼ろうとしないアーミッシュの赦しについてレポートしています。ペンシルバニア州のアーミッシュの学校で子どもたちが銃乱射事件によって殺害されたのですが、アーミッシュの人たちがすぐに犯人とその家族を赦すという行動に出たことを分析しています。聖書に基づくといってもこれほど徹底的に赦しを取り入れていることに感動しています。 それから、6日は、地区の超教派の牧師会がカトリック教会でありました。 あとは、教会の定例の祈り会が水曜日午前中、木曜日夜にあり、その間に、婦人会の例会があったりました。という合間に、今度は、葬儀の依頼が。 なんと、わたしの祖父が結婚式の司式をしたという方で、もう90歳になられる方なのですが、ご夫人が亡くなられたということで、頼まれました。12日前夜式、13日葬儀ということになり、急遽ばたばたしておりますが、不思議な導きだと感じております。祖父は、60年以上前、松本教会の牧師でしたが、私が生まれるはるか前に天に召されています。その祖父の思い出にも出会った感じがしているからです。 葬儀の打ち合わせに土曜日、ご自宅にうかがいましたが、ご家族皆さんに愛された方であり、最後に入院するまで介護も必要とせずご夫妻二人だけで暮らされていたとのこと、なかなかそうしたくても出来ることではないと感嘆しました。 よい葬儀ができるよう祈りつつ準備しているところです。 それから、11日は、礼拝があり、その後、筑摩野伝道所との年に一度の合同役員・長老会があり、その後、松本教会の定例の長老会がありました。 こうして、今年もはじまっています。
Jan 11, 2009
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なにかと忙しく今年はクリスマスカードもあまり書けませんでした。それでも新年を迎えようと、今日ようやく年賀状を印刷しました。4月から松本で暮らしていますが、昨年の年賀状にも4月から住所が変わることを連絡はしていたのですが、何通が今年の住所で来るでしょう。家族の写真と松本城、それから牛の絵も載せました。牛の絵は自分で書こうと思ったのですが、結局、ある絵本からとってしまいました。連れ合いに40枚、残り160枚が私の分となりました。あっ、子どもにも必要かな?
Dec 29, 2008
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なんとか、今年もサンタさんから子どもたちにプレゼントが来ました。DSを欲しがっていた娘には、ゲームはゲームでもボードゲームの人生ゲームが、電車を欲しがっていた息子には、電車の柄が描かれている鉛筆が届きました。娘は、ゲームだ!って喜んでいました。そして、みんなで遊んでみました。久々に人生ゲームをしてみましたが、ちょっと現代風になっていました。ちなみに、わたしは小学校6年のときに車か戦闘機のプラモが欲しかったのですが、サンタさんは、松本城のプラモデルを下さいました(当時、私は岩手にいたのですよ)。その松本城のそばに今住んでいるとは、不思議なものです。
Dec 25, 2008
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本当に困った人のための生活保護申請マニュアル 一ヶ月前からOさんを保護していて、生活保護申請をしていた。こちら参照。 上記の本を参考に、市と交渉していったのだが、とうとう生活保護開始の決定がおりました。 いろいろと却下される理由を検討したりして、市の生活支援課の方々の見解を伺ったりしてきました。申請から30日。法で定められているぎりぎりの時間を要しました。待たされたというところ、Oさんにとっても心配の日々でしたでしょうし、教会としてもこれ以上置けないぎりぎりのところで、私もほっとしています。 これから、アパートについて本契約をしようと手続きをしていますが、いろいろと考えさせられた一ヶ月でした。 Oさんについても、今度は、仕事が見つかるように祈るところです。 彼は、仕事を転々とした方で、いろいろと伺うと、トラックの運転手、土方という仕事だけでなく、ホテルのバーテンダーをしたり、音楽をしていたとのこと。サックスを吹いていたこともあるといことで、いつか一緒にできたらいいね、と話したりしています。 ちょっと調子が良すぎる61歳の人、話し好きなところも多々あり、結局はさびしがりやなのでしょうが、適度な付き合いがまた求められるところでもあります。 アドヴェント(待降節)ということで、「待つ」ことについて別な角度で学びました。
Dec 12, 2008
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そう昨日は、またとても面白いものを見ました。夕方空が暗くなり、月が輝いているのを見ました。三日月ぐらいで、膨らんだ部分が下を向いていて、その上に、金星と木星が輝いていました。月がちょうど笑っているような口ならば、その上の惑星が目のように見えて、とても面白かったです。三年余に一度ぐらいの現象らしいですね。夜空ににっこりマークなんて記事もありました。
Dec 2, 2008
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月曜日、教区の臨時総会が甲府・愛宕町教会にてありました。 按手を受けた教師が5名、准允を受けた方が1名いました。 特に、按手を受けた教師の一人は、私が出た神学校の後輩で、いろいろと縁がある方でした。実習教会も一緒だったこともあり、特別の思いで総会に参加しました。 彼のお連れ合いも今は神学校に行っているのですが、彼が神学生になりたてのころはまだ独身でして、「神学生で結婚相手がいないかな」と言っていたので、その願いもかなったのかな、なんて思ったりもして...。 按手に立会いながら、これから福音宣教のために、用いられますよう祈りました。 そして、火曜日にはさいたま新都心にて、新任教誨師の研修会がありましたので、月曜日は松本に戻らずに行きました。 はじめて「さいたま新都心駅」におりて、なんかすべてが人工的でびっくりしました。 研修は、先輩教誨師の方のお話もあったり、新任の方の迷いや工夫なども伺えて参加してよかったです。 ところで、パソコンの←キーが利かなくなってしまった(T_T)/~~~
Dec 2, 2008
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今日は午前中結婚式の司式をしました。お嫁さんはインドネシアの方、バリからお姉さんとその娘さん(8歳)が参列しました。ご友人、ご家族30名が集った式でしたが、最後の挨拶で、新郎のお父さんの挨拶が良かったです。異国からのお嫁さんを、どうかよろしくお願いします、ということで、ご自分の家族として受け入れている姿を感じました。ほっとしたのもつかの間。明日は、高校の友人の結婚式。これから、岩手まで行って来るのです。
Nov 28, 2008
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夏ぐらいから本格的に関わりを持っていた派遣の方Kさんがいた。 昨年12月ごろから職、住居を失って野宿していた方で45歳の方だった。 8月に道路工事の際の道のガイドをする仕事を派遣で請け負っていた方が、9月にアパートに入るというので、教会員にある不動産屋に口を利いてもらって入居できた。 一ヶ月一度ぐらいは様子見で連絡をください、と言っていて、10月は来られたが、11月に入っても音沙汰なしだった。忙しいのかな、と思っていたが、不動産屋から連絡が入り、11月の家賃が払われていないという。 慌ててKさんに電話を入れて見たが、呼び出し音がなるものの応答なし。心配になって、アパートを訪ね呼び鈴を押しても誰もでない。不動産屋にいって、鍵を開けてみると、内鍵がかかっていた。そこから玄関の中を覗くと、靴がそろえてあって、出かけている様子はなさそうである。 急遽、警察を呼んで、警察の立会いのもと内鍵を切断し、中に警察の方が入っていった。そして、恐れていた事が現実になっていた。コタツに入っていたまま倒れていたのだった。検死の結果、11月初めになくなられたとのこと。本人を知っていたということで、私が遺体を確認した。その後、事件性とのかかわりなどで、刑事の事情を聴かれること拘束3時間。参ってしまった。 最終的に、音信不通であったKさんの叔父さんと従兄弟さんに連絡がとれ、火葬の運びとなった。 慣れない野宿がたたったのか、それとももともと病気だったのか、分からないが、派遣といっても20日働いて12万円程度の収入。健康保険も年金もないまま働いていた。調子がおかしくても病院に行けない状況があった。せっかくアパートを借りて、仕事もそこそこして生活を立て直そうとしていたのに。恥ずかしがり屋で目立つことは嫌だ、という性格だった。残念な悔しい出来事だった。
Nov 21, 2008
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Oさんが風呂に入りたいというので、なるべく安く、しかしできれば温泉を、と思って検索すると浅間温泉に入浴料300円以下という温泉があるではありませんか。 最初は、仙気の湯というのを考えていたのですが、浅間温泉の観光案内所に聞くと、大衆浴場でよければ「港の湯」があるよ、と教えていただきました。 たしかに町の人しか来ないような湯ですが、いいお湯でした。 加温も水も入れていないし、殺菌剤も入れていないし、熱めで気持ちがよかったです。そして、ペットボトルを持った人がいて、「ここの湯はのめるんだよ」といって、お湯をくんでいったりしていました。 でも、湯船は狭かったですよ。3人入ったらいっぱいかな。それと懐かしい番台がありまして、おばあちゃんやそのお嫁さん(娘さん)が立ったりしていました。
Nov 18, 2008
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昨日の天気予報では、台風が近づいているため土曜日は大方雨という予報でした。ほぼ間違いなし、という雰囲気だったのですが、土曜日が雨というのは、ちょっと困っていました。できることなら晴れてほしい、と思っていたのです。 それは、その土曜日に、娘の通う小学校の運動会が予定されていたのです。土曜日に雨で運動会が中止になってしまうと、翌日に順延されます。ところが、私の職業は日曜日を外すことはできません。おまけに、連れ合いも子どもの礼拝のお話の担当となっていて、日曜日は最初から子どもの姿を見に行くわけにはいきませんでした。 そのような事情で、ぜひとも土曜日は晴れてほしいと、子どもたちと一緒に祈りました。金曜日の晩遅くに、雨が激しく降ってきました。しかし、今朝、起きると、空は曇ってきて、ちょっとだけ晴れ間も見えてきました。 子どもも喜んで学校に行きました。 わたしは、午前中はちょっと用事があって、最初から行くことはできませんでしたが、お昼ごろ小学校に行き、2時ちょっと前までいました。娘は赤組で、いろいろとはりきって体を動かしていました。遠くからしか見れませんでしたが、やや目立つ青色の靴下が、しょっちゅうピョンピョンと跳ねていました。 そして、台風が去った後で、午前中はとても暑くなりました。午後運動会が終わる頃、雨が降ってきました。 この運動会は、ちょうどうまい具合に雨をさけたな、という感じで、願いが通じてよかった、と本当に思いました。うちの連れ合いは、「松本の小学校の多くの運動会が今日の予定だから、子どもたちの願い・祈りが聴かれたのよ」と言いました。 わたしも久々に小学校の校庭に入りました。
Sep 20, 2008
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8月12日火曜日、とてもよく晴れた暑い日でした。いよいよ新牧師館への引越しとなりました。引越し荷物はこちらで梱包しましたが、運び出しや搬入は業者にお任せです(新築への引越しということで保護資材もしっかりしていました)。お手伝いの申し出も何人からかありましたが、主に子どもたちの世話と、荷物の搬出後の部屋の掃除をお願いしました。また、お昼の食事を作っていただいたり、夕食や果物などの差し入れもいただき大変感謝でした。 午前8時半ごろに、引越し業者が仮牧師館として住んでいたマンションの3階に来て、荷物を搬出しトラックに積み始めました。業者のスタッフは3名でうち1名は女性でしたが、エレベーターがないため階段を行ったりきたりして、段ボール箱やタンスなどを階下へと降ろしていきました。およそ2時間半ほど経って、トラックがいっぱいになり、新牧師館へと向かいました(まだ荷物は残っており、これは第1弾でした)。その時点で、マンションの掃除を連れ合い含め3名で行いました。そして、新しい牧師館にダンボールやタンス、冷蔵庫がつぎつぎと搬入されていきました。そして午後1時過ぎに一区切りつき、教会員が用意した昼食後食べた後、再びマツダマンションにむかい、第2弾の荷物を搬出、搬入しました。牧師館に荷物を搬入している間、引き払ったマンションの掃除を二人の方にしていただき、大変きれいにしていただきました。 立っているだけでも喉が渇くような暑い日で、お手伝いいただいた方々には本当に感謝しております。また、「何もできないけど」と言いながら様子を見に来てくださった方もいらっしゃり、嬉しかったです。そして、そのようにして、お見えになれなかった多くの方々の祈りにも支えられて、その一日を感謝のうちに終えました。 そして、その翌日から荷物を整理しはじめました。いざ運んでしまうとどこにいったかわからなくなった荷物もありましたが、少しずつ見つけ出しています。また、必要なものも買い足したりしています。そして、これだけ暑い日が続く中、新牧師館は風通しもよく、今のところ扇風機も使わずに生活できていることは驚きであり、改めて建築委員会の方々はじめ皆様に感謝しているところです。
Aug 12, 2008
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この6年間、梅干しを作り続けています。 今年は、生活クラブから取り寄せた南高梅と、教会の梅を漬けました。 そして、梅雨明けしたということで、ようやく今日、干し始めたのです。 なかなか忙しくブログの更新に関してもままならない状況はありますが、なんとか梅干しを続けています。赤紫蘇もなんとか手にいれましたし、一度カビたこともありましたが、一度やり始めるとそれほど苦にならないものです。これは、私にとって年中行事の一つになっていて、教会のご婦人の方々とも梅干談義で花が咲いたこともありました。 そして、梅干を作ると梅酢ができるのがなんといってもうれしいのです。これに、また新ショウガをつけたりしたいな、と思っているのです。 先日、牧師たちの会議のあと、車の中で「やり残していることが結構あって」と私が言うと、「そりゃ、そうでしょう」との声。しかし、私が「梅も干さなきゃいけないし」なんて言うと、「なんだ、そんなことですか。もっと教会のことに関してかと思いましたよ」といわれてしまいました。教会の仕事も結構山積みですけどね…。
Jul 24, 2008
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3週間ほど前から歯医者に通っている。子どもたち二人も一緒にである。子どもたちは結構虫歯がある。そして、それは親の責任なのだが、私もここ数年、不精をしていて、虫歯を悪化させてきてしまっていた。以前、抜歯したのは長野に来て2年目ぐらいだったかな。そのときは、親知らずの左上を抜いた。そして、今回は、まず、親知らずの右上を抜いた。これは、以前体験済みの痛みであり、そうたいしたことはなかった。2回目は、口内の歯石除去をした。そして、今週水曜日が3回目。親知らずの左下が結構虫歯になっていたので、これを抜くことにした。歯科医が言うには、結構痛いですが、日曜日までは大丈夫でしょう、とのこと。で、抜くことにしたが、親知らずがしっかりしていて、麻酔をかけていたものの、あごが外れるかと思うぐらい(かなり大げさだが...)に力をかけられて、ちょっと苦しかった。日曜日までは大丈夫でしょう、というのを信じてみたが、いまだに結構痛い。今日は、信徒の方の召天後20周年の記念会だった。歯痛をこらえて、準備し、本番はそうでもなかったが、夕方からまた痛みが強まった。口の奥を見ると、しっかり穴が開いている。おまけに唇に口内炎もある。ちょっとした災いって感じである。そして、部屋の中も結構暑い。本を読んだりする集中力がいろいろと欠けるこの頃である...。あっ、そうそう。歯科医では、抜歯した歯を、かわいいねずみのケースに入れてくれた。以下に写真があります。抜いた歯も写しているからグロテスクかな?
Jul 11, 2008
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