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東日流外三郡誌で有名な和田家文書の経緯について。下記の文献をもとに。■原田実『偽書が揺るがせた日本史』山川出版社、2020年1 東日流外三郡誌の経緯(上掲書の第5章から、適宜当ジャーナル要約)『東日流外三郡誌』に代表される「和田家文書」は、寛政年間前後、三春藩主秋田家の親族である秋田孝季(たかすえ)が、義弟で津軽飯詰(いいづめ、現五所川原市)の庄屋でもある和田長三郎吉次(よしつぐ)とともに編纂した文書だという。吉次の子孫と主張したのが所蔵者の和田喜八郎(1927-99)であった。一般に知られるようになったのは、昭和50年から52年、市浦村が『市浦村史資料編・みちのくのあけぼのー東日流外三郡誌ー』全3巻として刊行してから。NHKは、喜八郎へのインタビューを含めて複数回テレビで放送。学界では、奥野健男(多摩美術大学)、新野直吉(秋田大学)、武光誠(明治学院大学)などが好意的に扱う。(ただし新野は後年、偽書であることに気づいて取り上げるのをやめたと述べた。)その内容は、神武東征で畿内を追われた耶(邪)馬台国の一族と津軽の先住民族、中国からの渡来人が混交した荒吐(あらはばき)族が、津軽に一大王国をたてて大和朝廷と対立した。中世には、荒吐族の流れをくむ安東氏が十三湊を根拠に栄えたが、興国元年(1340)もしくは2年の大津波で安東水軍が滅亡し、歴史は忘れられた、というもの東日流外三郡誌が話題になったのは、安東水軍に関する詳しい記述があったことが大きい。安東水軍と興国の大津波については、郷土史家の間で存在が唱えられながら、実在の証拠がなかったからである。県内の自治体や観光業者によって、東日流外三郡誌に出る史跡や寺社仏閣を観光資源として売り出す様々な試みが行われた。酒蔵が「安東水軍」の銘柄を採用した。さらに、山形県や秋田県でも、和田が提供した「古文書」や遺物に基づく史跡を「発見」して町おこしを行おうとの動きがあった。1990年代に入ってから、『東日流外三郡誌』の検証が進み、江戸時代の文書にはありえない用語や、官位、暦法の錯誤が続々指摘され、さらには明治期の写本と主張されたテキストの筆跡が喜八郎のものと判明し、偽書であることが明らかになった。また、1991年から93年の国立歴史民俗博物館の十三湊遺跡総合調査では、安東水軍や興国大津波の実在を示す証拠は一切発見されなかった。むしろ、十三湊は13世紀初めから15世紀半ばまで継続して港として機能を果たしており、繁栄のピークは14世紀半ばから15世紀初めであることもわかった。・国立歴史民俗博物館『中世都市十三湊と安藤氏』1994・青森県市浦村編『中世十三湊の世界』2004・十三湊フォーラム実行委員会『十三湊フォーラム』20041990年代には古田武彦が偽書説に反論したが、その論法は詭弁の域に入っている。町おこしに使おうとする自治体もなくなった。以上の経緯は、斉藤光政『戦後最大の偽書事件「東日流外三郡誌」』2019、原田実『偽書が描いた日本の超古代史』2018、を参照されたい。2 壁の中から偽書が出てくる理由(上掲書の第18章から、適宜当ジャーナル要約)儒教の経典の一つ、『書経』(『尚書』)は、始皇帝の焚書坑儒の難に遭ったが、ふたたび世に出た経緯は、唐の孔穎達が編纂した『尚書正義』(『尚書注疏』)序などに詳しい。まず、秦代の学者伏生(伏勝)がひそかに家の壁に塗りこめたのが漢代に発見され当時の書体に書き直されたというのが「今文尚書」で、さらに、前漢に旧宅から多数の典籍が発見され、「今中尚書」に欠けている章も含まれていた(「壁中古文本」)。漢代には他にも複数発見され、それらは「古文尚書」と総称されるが、いずれも散逸した。東晋の代に、梅賾(ばいさく)が新たに「古文尚書」を発見。前漢の学者の孔安国による注とされるものまで付されていた。孔穎達はこれを真正と信じ、『尚書正義』の底本とした。しかし、梅賾発見のテキストには南宋代の学者から疑義が寄せられ、明清代の学者の考証もあり、今では偽作が判明している。以上の『書経』伝来のエピソード、すなわち、旧家に隠されていた本、あるいは、弾圧された文献を建物に隠した、などのパターンが、のちの様々な偽書の由来となっている。和田家文書については、喜八郎の話では、昭和22年から23年頃、自宅の天井を破って屋根裏から落ちてきた長持の中から古文書がまとまって出てきたという。そして、寛政年間の人とされる秋田孝季は、その内容は津軽藩の許しが出ないので門外不出にせよと戒めており、明治の人である和田末吉は、万世一系の皇統を否定する内容が明治政府に知られると弾圧されるから、自由民権の世まで秘匿するよう誓わせた、という文書になっている。そもそも喜八郎宅には、天井裏に物を隠す空間は存在しておらず、由来譚そのものが創作であった。壁の中や天井裏などの封印された空間は、トリックの小道具としての箱の役割を果たしたといえよう。3 真贋論争(上掲書の第28章から、適宜当ジャーナル要約)1990年代初頭、東日流外三郡誌の真贋論争で、近世成立説に固執して擁護の論陣を張ったのが、古田武彦(昭和薬科大学)である。古田にとって、偽書とは、当人が偽りと知りつつ他に真実と信ぜしめる行為としての造文・成書である。そこから、著者がその内容を真実と信じている『東日流外三郡誌』は偽書ではないとする。むしろ、日本書紀こそ、7世紀までの倭国と8世紀以降の日本国の断絶という(古田が想定する)史実を隠ぺいするから偽書である、と主張した。4 偽書は体制批判として有用な意義があるのか(上掲書の第30章から、適宜当ジャーナル要約)偽書であっても内容が虚偽とは限らないとして、天皇制国家及びそれに随順するアカデミズムによって隠蔽された真実がその中に伝わっている、という擁護論が歴史ファンによって展開された。しかし、それは自分の好みに合わせて、偽作者たちの思いもよらない読み方を新たに創作したものである。更に進んで、偽書はその存在自体が権力の欺瞞を暴くものだとする考え方もある。その代表が北山耕平氏である。北山は、歴史は人の数だけあるという考えにたち、歴史は一つとするファシズム的な考え方を解体することが重要であるとする。たとえば、東日流外三郡誌は蝦夷の視点からの歴史であり、国家が押し付ける万世一系の虚構を解体する上で有効だと説く。しかし、北山のように歴史書はすべて偽書とみなして使用価値を相対化することは、結局、恣意的な解釈の横行を許すものでしかない。東日流外三郡誌はあくまで20世紀の和田喜八郎の創作にほかならず、それを忘れられた人々の精神を記したとみなすのはあくまで北山の恣意である。歴史書は、それ自体は、確かに事件の時点の当事者が書いたものではないとしても、その記述の妥当性は一次史料や金石文や考古学的資料で証拠は求められる。偽書を珍重する姿勢は、史料事実よりも自分の好みを優先する態度にほかならない。■関連する過去の記事 十三湊の信仰の山 靄山(2015年9月21日) 十三の読み方 再論(2015年5月26日) 十万都市だった十三湊(2014年4月29日) 津刈蝦夷と古代の津軽を考える(その4)(2013年8月18日) 津刈蝦夷と古代の津軽を考える(その3)(2013年8月15日) 津刈蝦夷と古代の津軽を考える(その2)(2013年7月25日) 津刈蝦夷と古代の津軽を考える(その1)(2013年7月20日) 十三湊遺跡(2013年7月16日) 十三(じゅうさん)湖と十三(とさ)湊、とさの語源(2013年7月14日) 十三湊を訪れる(2013年6月6日) 津軽安藤氏と北方世界(10年5月18日) 日の本(ひのもと)将軍の安藤氏(09年1月25日) 壮大なニセ歴史ロマン(07年5月27日)
2026.08.06
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気になったこと。今日(8月4日)の新聞朝刊で、地方選挙の結果が出ている。朝日新聞は、2日の選挙結果を報じる「新市長」欄で、下妻市について、こう記載している。菊池博氏(64)=無元=が3選。パン製造販売業=無新=を破る。私は「N選」とは連続N回当選を意味するものと根拠もなく思っていたので、元職が当選して「3選」はおかしい、と感じた。ところで、毎日新聞では「選挙」欄で、こうある。下妻市長(茨城県) 前市長死去に伴う。元市長の菊池博氏(64)=無元=が、パン製造会社代表の井上誠氏(57)=無新=を破り、通算3回目の当選。昭和のジャイアンツのV9は、9年連続優勝を意味するのだろう。いまでも、スポーツなどで「V+数字」の表現があるが、これも通算でなく連続を意味すると、私は思っている。この選挙は、ことし3月の市長選挙で、3選をめざした菊池氏に競り勝った新市長が、6月に隣町の排水路で亡くなって発見されたもの。なお、ネット情報なのだが、産経は「3選」と表現、読売は、「返り咲き」「3回目の当選」としている。日経も「3選」、地元の茨城新聞は、「通算3回目の当選」だが、「ひと」コーナーでは、「3選を果たした(菊池さん)」と紹介している。■関連する過去の記事 <a href="http://plaza.rakuten.co.jp/odazuma/diary/202605050000/">こどもと「さん」「くん」「ちゃん」のルールを考える</a>(2026年05月05日)
2026.08.04
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