仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2007.10.03
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カテゴリ: 仙台
旧七北田村とは、南北朝時代に大崎家兼が奥州探題として下向した際に、宿駅を建てた元七北田の場所が、上谷刈、野村、古内、小角、根白石、朴沢、福岡の7つの田を北にすることから、その名がある。

そしてその名を持つ七北田川は泉ヶ岳から東流し、蒲生に注ぐ。寛文年間には、川は多賀城市新田から東進し南宮で砂押川と合流して八幡を経て七ヶ浜町湊浜で海に注いでいた。これを新田から南に変え、福田町を経由して蒲生海岸に注ぐ流路変更の大工事が、川村孫兵衛重吉によって行われた。

寛文の流路変更の主目的は、城下への穀船輸送である。これにより七北田川をのぼり鶴巻(舟入跡)で積み替えて御舟堀を曳舟で旧苦竹村まで運ぶ。その終着点は現在の自衛隊苦竹駐屯地東側、国道45号沿いの「とん亭」付近。苦竹から御米蔵のあった現榴ヶ岡公園東端までは陸路を牛送した。

七北田川の流路変更はもう一度、昭和58年に竣工した。これは、実沢地区から松森地区にかけて蛇行の修正。私も手元の新旧の地図で比べてみた。仙台バイパス泉大橋(現運転免許センター付近)から松森清掃センターにかけては、現在の地図では流路はほぼ直線だが、25年前の地図ではコの字に蛇行している。そして現在の地図ではかつての河道が、市名坂と松森の字界として残っている。

■参考 関根一郎『仙台・川と橋の物語』創栄出版、1991年

■関連する過去の日記(七北田川沿いに関するもの)
(松森・岩切付近)
 ○ 岩切城そして仙台市北東部の古城を学ぶ (07年9月4日)
芭蕉が感激した「おくのほそ道」岩切・多賀城 (06年1月25日)
 ○ 岩切の寺社をめぐる (06年1月3日)
 ○ 松森城(鶴ヶ城)について (07年6月10日)
(舟曳堀)
 ○ 舟曳堀(鶴巻-苦竹)を探して (06年3月12日)
(福田町)
 ○ 仙台の地名 福田町と高砂について (05年11月10日)





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最終更新日  2007.10.03 01:36:49
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