仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2011.09.16
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カテゴリ: 宮城
岩出山から真坂を経て岩ヶ崎に至る道は、古くは松山道(まつやまみち)、江戸時代からは上街道(かみかいどう)として知られ、さらに金成を通って一関に結んでいた。奥州街道の脇街道として馴染みが薄いが、古代東北経営の要路として奥州藤原氏が利用した道が、はしなくも源頼朝の奥州征伐の通る道となり、下っては芭蕉の歩いた道ともなった。

この松山道・上街道は、古代律令国家の東北経営に当たって、8世紀前半につくられた多賀城を基点に北に延びるルートであった。9世紀初頭にかけて胆沢城・志波城に前線基地が設営され、多賀城と結ぶ道が必要となった。その道が奥羽山脈東沿いを通る松山道であった。松山とは道の両側に松並木が数多く存在したことから平安時代に呼称されたようで、一方の上街道は平野を通る道に対し山沿いを通ることから呼ばれたと思われる。

■吉岡一男『宮城の鉄道物語-宮城の街道物語-』宝文堂、1987年

■関連する過去の記事(松山街道)
松山街道 姫松、真坂あたり (06年11月5日)
■関連する過去の記事(東北の街道通史)
東北の道 概説(その4・完 近世) (2010年10月24日)
東北の道 概説(その3 中世) (2010年10月24日)
東北の道 概説(その2 平泉政権と奥大道) (2010年10月24日)
東北の道 概説(その1 古代) (2010年10月23日)





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最終更新日  2011.09.17 00:11:07
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