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ビキニという名前、1946年 原爆実験が太平洋のビキニ環礁で投下されました。フランスのデザイナー ル・レアールが1946年7月にビキニという名の水着を発表しました。そんな考えてしまう由来があるのです。夏に 太陽と大の仲良しだった昭和ではプールサイドで非の打ちどころのないプロポーション(現代と比較するとメリハリに少し不足はありますが)女優やモデル タレント 歌手 一般の人泳ぐよりカメラに向かってポーズをとっていましたね。紫外線を全く敵対しなかったのですねえ。プールサイドのデッキチェアに寝そべる女性お馴染みの昭和のシチュエーションでしょうか。寝そべる女性、浜辺においてもプールサイドにおいても実際ほんとに眠っていたのか、ただ目を閉じていたのか、考え事をしていたのか、自意識過剰になっていたのか分かりません。夏の歴史に残る情景でしょうか。ビキニ女性人口も減ってきましたが、仕事でビキニ水着を着なければならない女性は別としてなぜ 女性はビキニを着るか?理由は、簡単です。男性の存在があるからです。ニキビです。現代、あまりニキビの存在が薄くなった気もするのですが・・・若者が減少しているのと、治療薬の向上、また防ぐ手段もレベルアップしてきているせいでしょうか?ニキビの内に詰まったコメド(角質と皮脂の固まり)それを2本の指で押し出した瞬間のすっきり感それはくせになります。真皮を傷付けずに排出できればいいのですが傷付けるとコラーゲンが破壊されてしまいます。そして月の表面 クレーター状になってそのまま消えなくなってしまいます。ニキビはほとんど潰さないことですね。
2026.07.14
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昭和30年代、髪の長い子は三つ編みヘヤーが主流でしたね。髪の量が多ければ多いほど、おさげ髪はサマになったのです。そしてなぜか おさげ髪の子は、お勉強が出来る子が多かったように思えます。小学生ですから お母さんに朝編んでもらうわけですが、その子の家庭の経済的な余裕とかでなく、精神的なゆったり感があったのかもしれないですね。 やはり おさげの子はかわいいし、男の子はその三つ編みに触ってみたい衝動を抑えきれなく、かわいいおさげの少女は、いつも髪の毛を引っ張られたり、触られたりしていました。 現在、おさげ髪の子 あまり見かけないのですが、宝塚音楽学校の生徒や、愛子さまも おさげ髪を貫いてらっしゃいますね。かわいいので、ロングヘヤーの方、是非なさってみてはいかがでしょうか。知的に見えること請け合いですよ。
2013.11.22
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普通電車のBOXシートです。昭和では多くの路線であたり前に走っていました。進行方向に背を向ける席はそれほど快適ではなかった気もしますね。向かいの席に坐った人が新聞や本など読むことなく、単に坐っている人だったりすると とても気まずかったのです。対面掛けですから、相手の視線をどことなく気にしながら眼を伏せたり、瞑ったりして乗車していたものです。現代 普通電車でのBOXシートは風前の灯火でしょうか。由緒ある長く続いているレクレーションゲーム椅子取りゲームだから、今も抵抗なく行なわれています。もし、これが現代発祥のゲームだとしたらそれは さまざまな非難を浴びせられますね。「坐れなかった人を嘲笑して何が楽しいのか?」と・・・しかし 昭和では坐れなかった人のくやしさ みじめさ 怒りのアクションなどを分かち合って楽しんでいたのです。小学生の春のバス旅行みんな誰でも窓側に坐り、思い切り窓からの景色を満喫したいと思うのです。出発の前、欠席のはずの子が乗ってきて先生に言われるのでした。バスの補助席は、先生もしくはPTAの添乗の人が坐ると思い込んでいたのです。そこに坐ったらバスの内部しか視界に入らない!「いゃだあーっ」とは言えない。だけど、バス旅行が終わりに近づく頃昭夫君は補助席に坐ったことで充実した気分になったのでした。
2026.06.02
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蓋が プルトップ式 になる前は缶切りで缶の蓋を切り裂く音が小気味よかったのです。そして、如何に縁すれすれを切れるかのスキルを競い合ったりしたものです。開いた蓋を垂直に立て 缶にくっ付けたままと切り離す人とそれぞれでした。モンキーレンチのような形状の 小さな穴あけ器具缶ジュースの蓋に丁寧に付属されていたのです。特に名称のなかった穴あけ金具缶飲料が プルタブ式 になる60年代半ばまで使っていたのです。今 思うと金属の香りとジュースの甘すぎる味がますます旅情を誘ったのですね。人々から特にクレームも発生しませんでした。1960年代初めまで、冬のみかんやりんごは木箱に梱包されていました。開梱は バチ鍬 や てこバール などを使いました。思えば 当時のお父さん達 色々な工具を持ち揃えていましたね。国が 木材資源保護 の取り組みを始め1950年後半から 木箱から段ボールへの切り替え運動を大々的に始めたのでした。その後 家庭に残ったみかん箱はおまま事のちゃぶ台のど自慢ごっこのお立ち台などに有効活用されたのでした。
2026.07.02
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うらおもて山猫のじゃじゃ丸いじめっこ気質だが優しい心と人情に篤い。昭和のガキ大将に多かったタイプ。ネズミのぽろり泣き虫 気弱 それを常に克服しようとしている。ピッコロペンギンの女の子、おしゃれ おしゃべり空を飛ぶのを夢見てる。かしの木おじさん木で動けない、いつも眠っている事が多い。博識なので、3匹に色々教えてあげたり励ましてあげている。今見ると なんだか松本人志さんと似ていますね。はなばなガールスストーリーのつなぎによく登場。NHK紅白出場を目指している。なんの花かとおもいきや、けしの花だそうです。にこにこぷんは1982~1992年まで10年6か月 最長記録でした。そのころ幼児だった方そしてお子さんが幼児だった方はなつかしいですね。三者三様 夢と目標を持つという事を強く教えてくれましたね。
2021.11.22
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ムームーという 日本では夏の女性の部屋着が、昭和36年頃登場して 大ヒットしました。ミニスカ大流行より かなり以前です。大ヒットなので大半の女性が「私も、私も、」と着るわけです。それまであまり肌を露出させなかった女性、「ムームーも みんなで着れば怖くない」流です。 現代では女性のワンピース多種になり過ぎてムームーとは言わなくなりましたね。 ムームー(muumuu)は、ハワイでは正装です。フラダンスの衣裳でもありますね。200年くらい前までハワイの女性は、上半身裸だったそうです。ヨーロッパの宣教師が自分の国のドレスを着せようと思って、でも西洋のドレスでは暑いハワイには長すぎるのでムームー(ハワイ語で短く切る)と名付けて着せたということです。
2013.06.13
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え~~っ、 うっそーっ、 まさか―っ、おっかしいー、ことを実践していたのは事実で・・・昭和としては真剣だったのです。教室或いは保健室での身体測定、昭和30年代まで低学年の子は上半身裸で、下半身には下着を着けて身体測定をしたのです。お母さんは真新しいパンツを穿かせて学校に送り出したのです。「はあーい、背丈を測りまーす。」そう 身長ではなく 背丈 と表現、体重は目方 と表現。身長の単位は尺ではなく、cm です。ただ、昭和30年代 年配の人は長さを尺と寸体重を貫 足の大きさを文と まだ使っていました。10文は24cmですね、文だけかなりいつまでも活用されていました。座高はあまり意味がないという事で、2014年に廃止されたようですが・・・。座高を測るのは徴兵検査の継続みたいなことで足が短いと重心が低くなり、下半身が安定しいい兵士になれるという意味があったそうです。けれど こどもたちにとっては座高が高い=短足 という結論で数字は低く収めたかったのです。廃止になったのは、けっこう最近自分の座高を把握していた子はいるのでしょうか。
2022.11.17
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