おじん0523のヒロ散歩

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2020.01.12
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カテゴリ: ヒロ散歩
三渓園の内苑エリアから外苑エリアへ散策を継続。
外苑エリア:
明治39年(1906)、一般に向けて公開されたエリア。京都・燈明寺から移された室町
時代の建築・三重塔がランドマークと配され、ウメ・サクラ・ハナショウブ・ハス
など、四季折々の花を中心に楽しめる。

9:49
蓮華院(れんげいん)
建築年:大正6年(1917)
三渓の構想による茶室



この建物は、原三渓が大正6年(1917)に建てたもので、六畳と二畳中板の茶室があり
ます。土間と壁には宇治平等院鳳凰堂に使われていた太い円柱と格子があります


旧天瑞寺寿塔覆堂


竹林、春先には竹の子


9:52
海岸門(かいがんもん)を出る。
建築年:江戸時代、移築年:大正時代
御門と同じ、京都・西方寺にあったもの。
ここから外が外苑エリアになる


松風閣(展望台)・三重塔へ坂を登る


坂道を登り展望台へ。

左:御谷館(おやつかん)
御谷館は、もと鎌倉・鶴岡八幡宮境内に併存していた神宮寺の僧房であったといわれ
る建物。明治41年(1908)に移築され、来園者の休憩用に当てられたようであるが、詳
しくは不明。大正4年(1915)に焼失した。

右:造成中の内苑(大正10年頃)

リアであった。写真では公開部分との境に仮設の塀が設けられ、その向こうに資材置
場であろうか、簡易な建物が見える。土塁を経て中央の臨春閣から上方にのびる瓦屋
根は、源頼朝の木像(現在は東京国立博物館所蔵・重要文化財)を安置した源公堂と、
月華殿までの石段上に設けられた回廊の姿である。いずれも戦時中に取り払われ、
現存しない


9:57
緩い坂を上り終えると、建物の残骸が。
松風閣跡地


ー 三渓園 昔むかし ー
松風閣(しょうふうかく)
初代・善三郎が別荘として明治20年頃に築造した建物で、その名称は伊藤博文による
ものである。写真はレンガ造の玄関部分で、窓などに中国風の意匠が見られる。
断崖に立ち東京湾の絶景を望むことができる松風閣は、三渓の代となり本邸・鶴翔閣
が建てられると、重要な客をもてなす、いわゆるゲストハウスとして増築がなされた。
大正5年(1916)には、アジア人初のノーベル賞受賞者であったインドの詩人・思想家
のラビンドラナート・タゴールがアメリカへの講演旅行の途中、ここに数か月間滞在
し、詩「さまよえる鳥」をのこしている。またその一室 ”観山の間” には三渓が支援
した中で最も好んだ日本画家・下村観山が描いた「四季草花図」の障壁画があったが
大正12年(1923)の関東大震災により建物とともに消失した


9:58
松風閣展望台へ登る。
遠く富士山が顔を出していた


石油タンクは『JXTGエネルギー 根岸製油所』


ズームアップ
雲の合間に雪を被った富士山が見えた


東方向の、JXTGエネルギー 根岸製油所


10:00
再度西方向の富士山を望む


10:04
旧燈明寺三重塔(きゅうとうみょうじさんじゅうのとう)
建築年:室町時代 康正3年(1457)、移築年:大正3年(1914)
京都・木津川市の燈明寺(廃寺)にあった建物。現在、関東地方
にある木造の塔では最古


三渓園の海に面した高台にあり三重塔の高木が台風15号
の被害で折れたりしていた


旧燈明寺三重塔(重要文化財)
この建物は、もと京都府相楽郡加茂町の燈明寺にあったものを
大正3年(1914)三渓園に移築したものです。寺伝によりますと
燈明寺は天平7年(735)聖武天皇の勅願によって建てられた寺院
とされています。建物の様式などから、室町時代に建てられた
ものと推定されます


旧燈明寺三重塔への途中に『出世観音』


旧燈明寺三重塔から、大池、正門方向


旧燈明寺三重塔からの下り坂の途中の木も倒木していた


旧燈明寺本堂


10:11
ー 三渓園 昔むかし ー
初音茶屋(はつねじゃや)
開園当時、三渓園には誰もが自由に出入りできたばかりでなく、無料の湯茶サービス
もあった。その場所の一つがこの初音茶屋である。中央の炉に煤竹の自在かぎで吊る
された真っ黒な鉄瓶には絶えず湯がたぎり、白湯に米・小麦粉を煎って香ばしくした
香煎をいれたものや温かい麦茶がふるまわれたという。大正4年(1915)に三渓園を訪
れた芥川龍之介は、友人であった三渓の長男への手紙にこの湯茶接待の印象を書き、
”ひとはかり 浮く香煎や 白湯の秋” という句を詠んで締めくくっている。
また、別の記録では、屋根を葛が一面に這いまわりその葛の端が六方の軒に垂れ下が
っていたとあるが、写真はまさにその風情である


現在の『初音茶屋』


かつて三渓園を訪れたインドのノーベル賞文学者タゴールや芥川龍之介らによって書
き記された茶屋。当時はいつでも麦茶がふるまわれたという


林洞庵(りんどうあん)
建築年:昭和45年(1970)
宗徧流林洞会から寄贈された茶室


林洞庵
この書院は、昭和45年(1970)に宗徧流林洞会から寄贈された茶室です。屋内には
流祖山田宗徧筆 ”林洞” の板額があります


紅葉の外苑エリアを進む


案内板は『寒月庵(かんげつあん)』だが建物は『林洞庵』


奥に『横笛庵(よこぶえあん)』
建築年:明治41年(1908)、田舎家風草庵
奈良・法華寺からの移築ともいわれるが、詳細は不明


10:13
正面に『待春軒』


道案内


紅葉の中に『寒霞橋』


ー 三渓園 昔むかし ー
待春軒(たいしゅんけん)
寒月庵と同じく、もと江戸の豪商 川村伝左衛門(迂叟)が所有していたもので、栃木県
大嶹製糸場内から移された建物。場内にあった明治12年(1879)には、アメリカ合衆
国第18代大統領を務めたユリシーズ・S・グラント(1822-1885)が日光滞在中のあ
る日ここに遊び、昼食をとったという。
三渓園に移築後、この建物には ”御やすみ、御茶御随意、待春軒” という案内書きが
つけられ、初音茶屋と同じ湯茶の接待を行っていたほか、さらには句会・歌会や茶会
などの席としても場所を提供していたようである


奥に『旧矢箆原家住宅(きゅうやのはらけじゅうたく)』


『旧矢箆原家住宅』(重要文化財)


ー 三渓園 昔むかし ー
月影の茶屋
屋根は杉皮葺きであろうか、隣接した田舎家の風情にあわせた簡素な建物である。
詳細は不明であるが、園遊会などの際に茶の接待などに用いられたものと考えられる。
明治41(1908)の新聞(横浜貿易新報)記事によれば障子に "白露の里 月影の茶屋” と記
されているとある。今ではこの月影の茶屋も田舎家もその姿はなくなってしまったが
周辺の山里の風情は変わらずに漂っている


旧矢箆原家住宅(合掌造り)
建築年:江戸時代後期、移築年:昭和35年(1960)
飛騨・白川郷にあった建物


旧矢箆原家住宅の庭の隅に『茶筅塚(ちゃせんづか)』
皆様は「茶筅」という道具を御存じでしょうか?茶道でお抹茶を点てるための茶道具
なのですが、文京区にある大本山護国寺では、この茶筅を供養する行事が、毎年12月
に開催されている。針供養や人形供養などは聴いたことがあるかも知れませんが、茶
筅も供養されてきたことは、中々知られていないのでは?
そういえば三渓園には、茶室が多く移築されておりそのゆえんか?


10:16
旧矢箆原家住宅
外からは内部は見えないが、室内からは外が見える格子戸


住居内は見学可能になっている。
内部見学は、9:00 ~ 16:30


囲炉裏
別の間の囲炉裏は火をつけ煙を出していた


昔のいろんな台所用品が保存されていた


ミズフネ(水舟)


現在、旧矢箆原家住宅内部に展示している民具は、昭和35年の建物移築にあわせて、
矢箆原家の資料とともに飛騨地方から収集されたものです。
この水舟は、ブナの大木を二つ割りにして中をくりぬいた大型のもので、明治から大
正時代にかけて、岐阜県大野郡朝日村(現・高山市)の工場でワラビ粉製造の際のデン
プン沈殿用の水槽として使用されていたといわれている



室内から外苑エリア


旧矢箆原家住宅(接客空間)
各部屋の説明


欄間の木彫り
一枚板から造り、釘は使用していないと


ボランティアの方から「この格子戸は外からは内側の部屋は見えません」と


昔の杵・臼


二階への階段から一階を見下ろす


おばさんが床・手すりを拭いていた


カイコの棚もあった
また、床・手すりが黒光りしていた


おばさんの話では、
一階の囲炉裏の煙が二階に立ち込め、これを拭くことにより黒光りしていると


大きな木の屋根部分


10:32
軒先に柿の干し柿


あと10日ぐらいで美味しくなるのであろう



                               三渓園ー続く





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最終更新日  2020.01.12 03:00:06
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