おじん0523のヒロ散歩

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2020.03.27
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カテゴリ: 東海道53次
太岡寺畷(たいこうじなわて)を西へ進む。
鈴鹿川の左岸(北堤)約2kmの太岡寺畷は東海道で二番目に長い。当時の道は松並木だった。
現在は一部に桜並木が残る。

1/21(火) 13:46
鈴鹿川の西方向


名阪国道(国道25号線)のカルバート下に描かれた、歌川広重三重県下七つの宿


上の高架橋は、東名阪自動車道、右は名阪国道(国道25号線)


鈴鹿川に架かる、左は名阪国道(国道25号線)、右は東名阪自動車道


太岡寺畷橋





鈴鹿川の上流の鈴鹿山脈


太岡寺畷をひたすら進む、前方には鈴鹿山脈の山並み、天気がよければ最高であったであろう


前方に何もなく旧東海道を振り返る、青空が出ている。東名阪自動車道の高架橋


農村集落排水処理場か?


田んぼの中には「小野地区土地改良事業 竣工記念碑」


鈴鹿川 河口より 26km


太岡寺畷もようやく終了、右前方にJR関西本線の踏切が見えてくる


鈴鹿川の堤防に「河川の維持管理を行っています」


14:00
JR関西本線の小野踏切


同踏切から亀山方面を望む、高架は東名阪自動車道





鈴鹿川の支流、小野川を渡る。日本橋から422.4kmのキロポスト


14:05
小野川を渡り右へ進み関宿へ入る。
国道1号線の右側に「東海道五十三次 関宿」の看板。
ここまでの歩数は、33,800歩になっていた



廻りの山々が描かれている


関宿総合観光案内図
関宿は東追分から、木崎の町並み、中町の町並み、新所の町並み、西追分と西方向へ歩く


右側に『関の小萬(こまん)のもたれ松』
現在は松は枯れているが


関の小萬(こまん)のもたれ松
江戸も中頃、九州久留米藩士牧藤左衛門の妻は良人の仇を討とうと志し、旅を続けて関宿山田屋
に止宿・一女小萬を産んだ後病没した。小萬は母の遺言により、成長して三年程亀山城下で武術
を修業し、天明3年(1783)見事、仇敵軍太夫を討つことができた。
この場所には、当時亀山通いの小萬が若者のたわむれを避けるために、姿をかくしてもたれたと
伝えられる松があったところから「小萬のもたれ松」とよばれるようになった。
  「関の小萬の亀山通い 月に雪駄が二十五足」 (鈴鹿馬子唄)


旧東海道の木崎の町並みを進む


せきのおすいマンホール
このデザインは関宿を歩く旅姿がかわいい


関宿は天武天皇の命により飛鳥の都を守るために設けられた日本三関のひとつ、鈴鹿関は延暦
8年(789)廃止されたが、鎌倉時代に再び関所が設置され、地名の由来となった。
室町時代中期には宿場の機能を有し、中世には地蔵院の門前町として発展した。関所はその後、
織田信長によって再び廃止。


東の追分は伊勢別街道、西の追分は奈良へ通じる大和街道との分岐点として重要な宿場でった。
城下町の亀山宿での宿泊を避けた大名や伊勢参詣の旅人が多く宿泊し「関は千軒、女郎屋は沽券、
女郎屋なくして関たたぬ」と歌われたほど、旅籠のほとんどは飯盛旅籠だった


14:14
東の追分、伊勢神宮の鳥居、関一里塚
ここ東の追分は伊勢別街道の分岐点で鳥居は伊勢神宮の式年遷宮の際、古い鳥居を移築するのが
ならわしになっています。江戸方への次の宿は亀山宿です。道標には外宮(伊勢神宮)まで15里
(60キロメートル)と刻まれています


木の根元に一里塚の石柱


関が歴史に登場するのは、7世紀この地に「鈴鹿関」が設けられたのがはじめてで、これが地名の
由来ともなっています。
慶長6年(1601)徳川幕府が宿駅の制度を定めた際、関宿は東海道五十三次で47番目の宿場となり、
問屋場や陣屋なども整えられました。古文書によると天保14年(1843)には、家数632軒、本陣2、
脇本陣2、旅籠屋42があったとされ(東海道宿村大概帳)鈴鹿峠を控えた東海道の重要な宿駅として
また伊勢別街道や大和街道の分岐点として、江戸時代を通じて繁栄しました。
関宿かるた「暗い道 ほのかに照らす 常夜灯」、「のんびりと 旅人休む 一里塚」


関宿の名物は火縄で火縄銃に用いたほか、火種の保存にも多く使われた。大名からの需要のほか
旅人が煙草用に買い求めた。もう一つの名物、深川屋の餅菓子「関の戸」は、江戸時代を通じて
朝廷に献上された銘菓で、今でも関の名物である


町並みは「亀山市関宿重要伝統的建造物群保存地区」 昭和59年12月10日 選定されている


木崎の町並みを進むが人通りがなく


木崎の町並み


観光客も少ないのか


14:20
いっぷく亭 木崎   関宿散策拠点施設 となっていたが閉まっていた


関宿かるた「盛信が 天正年間 町づくり」
タクシーを呼べる場所のようだ


隣からの侵入防止か?


昼間というのに人がいない


緩い坂を登る


14:23
宝林寺山門
所在地:三重県亀山市関


宝林寺本堂
春には本堂前の桜が綺麗に咲く



                                  庄野宿~関宿-続く





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最終更新日  2020.03.27 03:00:05
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