おじん0523のヒロ散歩

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2020.04.06
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カテゴリ: 東海道53次
昨日は移動日で、東海道の七里の渡しの脇街道である佐屋街道を車で走り、亀山のホテルへ宿泊。


2/21(金) 6:50
ホテルエコノ亀山
所在地:三重県亀山市東御幸町59
今日の天気は快晴


7:04
JR関駅前の駐車場へ留める。
一日の駐車料金は300円、係員がいないので袋に入れて関駅舎内のボックスへ投入



弥次喜多道中ですので


こちらは幕府の幕臣か

              上記2枚の写真は亀山市のパンフレットから引用

7:06
駅前から国道1号線を横切る。
前方左は「道の駅 関宿」、まだ時間が早く閉店状態


国道1号線の関駅前交差点から、北方向の関宿の町並みへ進む。
予告 通行止「関宿ひなまつり市」 2月29日(土) 9:45 ~ 15:30 
区間:アールグレイ ~ 聖石屋  この先の交差点から西方向が通行禁止に!


10周年記念 東海道のおひなさま
  開催期間:令和2年2/15(土) ~ 3/7(土)





7:11
一休庵とアールグレイの間を行くと関駅。
関宿の町並み「関宿重要伝統的建造物群保存地区」へ入る。
喫茶 アールグレイはまだ時間が早く「準備中」


中町の町並みを西へ向かう





閑散とした中、弥次さんも足を進める


昼間は「ひなまつり」で人が多いのか


左側に『岩木屋』
明治17年の建築で連子格子や表座敷は典型的な明治頃の商家の構えである


岩木屋 吉澤家
同家は、屋号を岩木屋と称し、明治から大正にかけ酒造業及び味噌、醤油醸造業を営み、酒倉
から「岩泉」と銘うった酒樽が次々と運び出されていた


右側に『川北本陣跡』
石柱の先の建物は、町並文化センタ


百六里庭・眺関亭
百六里庭:午前8時から午後5時まで開いています。午後5時からはカギをかけます。
2階にある展望台から関宿のまちなみが一望できるが、前回上がっているので今回はスルー。
関宿かるた「日本橋 関宿からは 百六里」


旧東海道五十三次 四十七番目「関宿」
西の追分(右側)から東の追分の1.8kmは、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。
百六里庭(ひゃくろくりてい)とは、東海道の宿場町「関宿」は江戸から106里2丁のところにあっ
たところから名付けました。1里とはおよそ、3.93kmです


左前方は『伊藤本陣址』
関宿には、川北本陣、伊藤本陣の二軒の本陣がありました。本陣は、参勤交代の大名や、公家、
公用の幕臣などが利用した格式の高い宿泊施設です。現在残るこの建物は、本陣の店部分にあ
たります。


亀山市指定文化財『関の山車』


” 関の山車(せきのやま) ” 語源発祥の地 上台がクルクル廻せる
関の山車は元禄年間(1688~1703)頃に始まったと言われており、関町史によると文化年間(1801
~1817)頃には16台あったとされ、江戸時代、大阪天神祭、京都祇園祭り、近江長浜祭、飛騨高山
祭と共に関西五大祭の1つに数えられている。
江戸時代に、この狭い街道に16台もの山車がひしめき、この町では大きさ、台数とも、これ以上は
無理、精一杯と言う意味で ”関の山車” と言う語源がこの街・この山車から生まれました。そして
この関の山の特徴は、16台もが繰り出し、街道が狭く追い抜けないため、下台から上の部分だけ廻
して方向転換できると言う今では大変全国的にも珍しいタイプの山車となっています。
現在山車は、4台のみとなっておりますが、祭礼時には各町で引き廻され、その後4台が一堂に集ま
り、提灯に灯をともし、一斉に威勢よく、勇壮に上台を廻す様は、絢爛・豪華・幽玄の世界を味わ
えます。この祇園夏祭りは7月の20日以降の土日に両日に行われます


いつもこの車はここへ駐車していた


車の中におひなさんが飾られていた


関の戸 深川屋陸奥大掾の『庵看板(いおりかんばん)』
所在地:三重県亀山市関町中町387
関宿のもう一つの名物、深川屋の餅菓子「関の戸」は、江戸時代を通じて朝廷に献上された銘菓
で、今でも関の名物である。赤小豆の漉し餡を求肥餅で包み、阿波の和三盆をまぶした上品な餅
菓子である。いつか土産で購入したいものです!


深川屋陸奥大掾の向かい側にある『関郵便局』


昨夜も見たが建屋内の「おひなさん」


街道を進む


「旅館 魚藤」の看板があるが


東亜足袋店


名物 志ら玉
ここも時間が早く開店前


関宿銘菓(果実入り焼き菓子) 「関の小萬物語」
白玉屋 三宅家
菓子舗、こしあんを米粉を原料にした皮で薄く包んだ上から、赤、青、黄色で色どりを添えた
餅菓子を「志ら玉」と名付けて、関の戸と並んで人気があった。二階は手摺の付いた中二階が
がある


餡はこし餡の、餅菓子「志ら玉」


片岡かじや
明治末から山林伐採用の打刃物やくわ・すき等の農具の??を営む。明治そのままの・・・・・
・・・解読できず・・・・地蔵門前町の風物詩として親しまれてきた


地蔵院本堂





地蔵院前にある『川音 尾崎家』
尾崎家は、関の地蔵門前町の米屋で鈴鹿川の水で米をつく水車の音から、屋号をとって川音と称
した。同家は、文久頃の建物といわれる、間口7間半、通り庭をはさんで左手に座敷・右手に米
を収蔵する家うちの土蔵がある。今は、尾崎酒店になっているが


地蔵院本堂
所在地:三重県亀山市関町新所1173-2


地蔵院の手水舎に、関宿かるた「一休が 開眼供養の 地蔵院」


地蔵院(国重要文化財)
天平13年(741)行基により開かれたと伝わる。「関の地蔵に振袖着せて、奈良の大仏婿に取ろ」
の俗謡で名高い関地蔵院。地蔵菩薩が本尊で日本最古の地蔵尊とされている。
五代将軍・綱吉の母・桂昌院が関の地蔵尊を信仰し、そのお陰で綱吉が誕生したといわれる。
境内の本堂・鐘楼・愛染堂の三棟が国の重要文化財に指定されています


7:30
地蔵院門前の町並み、「あいづや」
「会津屋」は関宿を代表する旅籠のひとつです。もとは山田屋と言い、お萬が育ったことで知られ
ています。二階に洋風意匠の窓がついた「洋館屋」、米をつく水車の音から名付けられたという、
「川音」、伝統のある鍛冶屋など、特色のある町屋が並んでいます


会津屋 森元氏宅
会津屋は鶴屋、玉屋とともに関宿で有数の大旅籠であった。
明和から天明にかけて会津屋の前身山田屋で育った小万が女の身で亡き父の仇を討った烈女「関の
小万の物語」は有名である


道路にここから、「西の追分 800米」のタイル。
ここから先は初めての道中となる


かめやま せきの、かわいい「おすいマンホール」はカラー。
旧関町(亀山市との合併前)のキャラクター「アスレ」をえがいた蓋。
「アスレ」の名前の由来は「ア(明るく)ス(住みよい)レ(歴史の街)」で「アスレ」だと


地蔵院を振り返る


7:32
旧田中家住宅


亀山市指定有形文化財(建造物)「旧田中家住宅」
関宿かるた「関宿を つなぐ今人 未来人」



                                                                                                       関宿~土山宿ー続く





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最終更新日  2021.10.19 17:42:16
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