おじん0523のヒロ散歩

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2020.04.07
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カテゴリ: 東海道53次
関宿の西の追分へ向かう。
関宿の名物は火縄で、火縄銃に用いたほか火種の保存にも多く使われた。大名からの需要のほか、
旅人が煙草用に買い求めた。もう一つの名物、深川屋の餅菓子「関の戸」は、江戸時代を通じて
朝廷に献上された銘菓で、今でも関の名物である。

2/21(土) 7:34
誓正寺山門
所在地:三重県亀山市関町


誓正寺本堂


本堂の彫り物





誓正寺の筆子塚
この燈篭は高さ2メートル40センチあり「正定院筆子中」と刻まれています。「筆子中」とは寺
子屋で教育を受けた門下生たちのことです。誓正寺の筆子塚は住職であった正定院法瑞を先生と
する教え子たちが学恩に感謝し、慶応4年(1868)に建立したものです。
竿石の裏面には法瑞先生のプロフィールが記されています。法瑞先生は文化10年(1813)長野村
(津市美里町)清芳寺に生まれ、天保9年(1838)に誓正寺住職となり寺を再興し、子供たちに習字
などを教えお酒が好きで、慶応2年(1866)に住職を引退したとあります。幼いときの学恩を忘れ
ず慕いつづけ筆子塚を建立した教え子たちと、お酒が大好きな先生との間の人間味あふれた深い
絆は、今日の社会でも求められている大切なことではないでしょうか    合掌


境内には咲き始めの梅





米穀登録販売店の看板も





7:40
旧東海道の右側に『福生山 長徳寺』
所在地:三重県亀山市関町新所1712


山門の横に御朱印の自動販売機
自販売機は初めて見た



令和2年4月1日より参拝記念として御朱印をはじめることになりました。
当院の御朱印の絵柄は日本の伝統工芸の伊勢型紙を使用しております。何枚かの伊勢型紙を用いて
一つの絵柄を完成させる技法と伊勢型紙の彫の技法を用いて、独特の柄を表現しています。
・・・・・・・略・・・・。これらの絵柄があるのか?


長徳寺本堂


7:42
雲一つない街道を進む、風もなく絶好の天気、気温も10℃近い


民家の壁に


南天と松ぼっくり


こちらの民家はコットンで


二階部分が高く昭和に入ってからの建物か


新所の町並み、二階がなく


7:48
街道沿いに建つ『観音院』
所在地:三重県亀山市関町新所1639


観音院 略由
朝日を浴びてうまく撮影できず・・・・・


観音院の裏(北側)にある『金光教 関教会』


民家の漆喰に飾られた彫刻


関宿の町屋の細部意匠


南禅寺 井口家
井口家は屋号を南禅寺と称し、関宿西追分にあって豆腐料理を名物とする料亭であった。当時、
西追分は宿屋が建ち並び、旅人がひきもきらず賑わったという。同家は、文久の頃の建物とい
われ道路に面して連子格子、塗りごめの中二階があり、料亭の面影をよく残している。
関宿かるた「名物は 火縄餅菓子 豆腐料理」


関神社御旅所
所在地:三重県亀山市関町新所1537
平成25年に建て替えられたとのこと。関宿祇園夏祭りの「神輿の渡御」に係わる大切な場所で
1年に1回だけ、神輿の宿所として使われる建物であると


西の追分が近くなる


7:55
関宿 西の追分 休憩施設
施設内には、鈴鹿関跡の調査成果がパネル展示してあるとのことだが時間が早く閉鎖。
ここまでの歩数は、3,300歩


関宿周辺案内図


西追分駐車場
この先で国道1号線(25号線)と合流する


西の追分
関が歴史に登場するのは、7世紀この地に「鈴鹿関」が設けられたのがはじめで、これが地名の
由来ともなっています。
慶長6年(1601)に徳川幕府が宿駅の制度を定める際、関宿は東海道五十三次で47番目の宿場と
なり、問屋場や陣屋などが整えられました。古文書によると天保14年(1843)には、家数632軒
本陣2、脇本陣2、旅籠屋42があったとされ(東海道宿村大概帳)、鈴鹿峠を控えた、東海道の重
要な宿駅として、また伊勢別街道や大和街道の分岐点として、江戸時代を通じて繁栄しました。
ここ西の追分は大和街道との分岐点にあたり、東海道、京都方への次の宿は坂下宿で、鈴鹿峠
を越えて京都へは19里半(78キロメートル)あります。また大和街道は加太越えをして伊賀から
奈良に至ります。
関宿かるた「加太へは 西の追分 大和道」


石柱には「亀山市関宿重要伝統的建造物群保存地区」と


関宿の西の入口にあたる西追分は、東海道と大和・伊賀街道の分岐点です。
石柱には「南無妙法蓮華経」「ひたりハいか やまとみち」


休憩所には、関宿かるた「愛発 不破 鈴鹿で結ぶ 古代関」


絵は、まだ明けやらぬ早朝、伊藤本陣を出立する大名行列


8:00
旧東海道はここで国道1号線と合流、東海道関宿西交差点。
ここを左折すると国道25号線で伊賀へ、東海道と大和・伊賀街道の分岐点


関宿西の追分から、加太宿(かぶとじゅく)へ向かう


旧東海道(国道1号線)の、東海道関宿西交差点
ここまで、国道1号線と25号線が併記されていたが、ここで25号線は伊賀(大和街道)へ向かう


坂下宿への道案内


東海道関宿西交差点を過ぎ、旧東海道は国道1号線をしばらく進む。
道路標識は、大津 63km、草津 48km、甲賀 27km。
ここの左は「焼肉 びっくりや」があり広い駐車場がある。
トラック運転手等が立ち寄っておりテレビでよく紹介されるとのこと


街道沿いに「東海道 三宿のまち亀山市」


亀山市には大和街道を含むと4つの宿があり、それぞれ同じようなパンフレットが用意されている
のでわかりやすい。
このパンフレットの作成機関は、「亀山市市民文化部 文化振興局 まちなみ文化財室」


弥次さんが「町長の像」があるとのことで、市瀬交差点を南へ進む。
鈴鹿川に架かる「ふれあい橋」。
奥に進むと「関B&G海洋センター」の屋内プール、運動施設がある


ふれあい橋


ふれあい橋のこのデザインは「キジと石楠花」


町長の像とのことだが「躍動」


ズームアップ


8:14
旧東海道(国道1号線)に戻り、国道沿いの会社の駐車場に『転び石』


転び石は『東海道名所図会』などにも描かれている。直径2メートルのこの大きな石は、
「弁慶ころがし」とも言われ、言い伝えによると付近の山から転がり落ちてきたもので、
夜な夜な山に戻りたいとうなり声を出して人々をおそれさせたが、通りがかった弘法大
師がこの大きな石を供養したところ、石は静かになったと伝えられている



                         関宿~土山宿ー続く





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最終更新日  2020.04.07 03:00:05
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