おじん0523のヒロ散歩

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2020.06.02
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カテゴリ: 東海道53次
今日から最後の弥次喜多道中、延べ32日目の道中記です。


3/23(月) 6:05
日の出に、無事たどり着けることを祈る


明治天皇の江戸への行幸は23日であったが、我々は延べ32日目、25カ月でのゴール


いろいろと思い出したが、静岡県下の道中が長かったが、富士山が見れた時は
最高であった。見付宿(磐田市)まではJRを利用、割安の青春18きっぷも


浜松宿の浜松以西は車で移動、2泊三日の道中となった


6:10

当初はここまで来るつもりではなかったが、弥次さんからの誘いで


6:58
今朝もホテルのレストランで幕の内弁当形式の朝食


7:19
国道1号線沿いのホテル『ニューびわこホテル』
早々に食事を終えホテルからJR瀬田駅へ歩く


7:49
JR大津駅北口、昨日までの3連休を終え駅前は通勤者。
通勤電車の中も三密状態であったが


中央大通りに建つ像『若鮎』


琵琶湖に向って中央大通りを下る。

焼け野原となったため、翌年の東海道宿駅制定より1年遅れて、慶長7年に宿駅となった。
江戸時代の大津は幕府の天領となり代官が置かれた。大津は近江米の集散地であり、北国海道
と東海道の合流点であり、また、琵琶湖の湖上舟運の拠点だったので、商業都市として発展し
た。また宿場町、湊町、三井寺の門前町としてにぎわい、17世紀末には町数は百を数え「大津
百町」と呼ばれた



この交差点を左へ曲がり旧東海道へ


中央大通り(4-30)
  JR大津駅(0.35km) ← → 大津市民会館(0.45km)
旧東海道
東海道は、平安時代以来、京都と東国を結ぶ幹線道路として物資の運搬、人の移動に利用されて
きた。江戸時代には、五街道の一つとして京都と江戸を結ぶ国内第一の幹線として、行き交う旅
人でにぎわっており、幕府によって126里6町1間(約496km)にわたる街道筋の現況調査ならびに
道中記と呼ばれる一連の絵図等も作られ、大名の参勤交代にも使われていた


旧東海道、旧北国海道


7:55
旧東海道に入り直ぐ左側に『唯泉寺』
所在地:滋賀県大津市京町2丁目4-12


唯泉寺の山門西側に『延命地蔵尊』


街道を挟んで唯泉寺の斜め右前方にある『御饅頭処 餅兵(もちひょう)』
所在地:滋賀県大津市中央2丁目5-37
創業260年の歴史ある大津の中心市街地にある和菓子店。名代兵祐餅をはじめ、定番の豆大福や
季節に応じた生菓子を取り揃えております。地元大津の苺を使ったいちご大福といちご桜餅、独
創的なピスタチオ大福や虎豆大福はご好評をいただいております。(オーナーより)


店頭前の貼り紙
店主が若いので独創的なピスタチオ大福や虎豆大福も作っている


『御饅頭処 餅兵』の向かい側に建つ『大津魚忠』
所在地:滋賀県大津市京町2丁目4-10
風情のある町家風の建屋で懐石料理を食べれる。建物は国の有形文化財に登録されている


登録有形文化財  文化庁
煌めき大津賞  都市景観部門受賞


古い町家が並ぶ街道を進む


右側に、古い町家を飲み屋に改築した『あゆら』
所在地:滋賀県大津市中央2丁目6-39
この辺りは旧東海道を境に右側(北側)が「中央」、南側が「京町」


近江の食 近江の酒をゆったりと  あゆら
ネットで見ると「居酒屋・値段はお手頃である」とあるが、時間が早く・・・・・・


7:59
街道の左隅に『此附近露国皇太子遭難之地』の石碑。
この石碑は『大津事件碑』で、明治24年(1891)5月11日に来日中のロシア皇太子・ニコライ
が沿道を警備中の警官・津田三蔵に斬りつけられ、頭部に軽傷を負った事件。
明治天皇はその夜に勅語を発し、翌日にニコライを見舞った。迅速な処置と天皇の謝罪により
ロシアの報復はなかった


8:01
街道左側に『柴山かさちょうちん店』
所在地:滋賀県大津市京町1丁目3-25


ショーウインドーに並ぶ傘提灯、寛延元年創業の老舗


街道左側に『鶴里堂(かくりどう)』の看板
所在地:滋賀県大津市京町1丁目2-18
鶴里堂という屋号は、大津百町と称されたその地形を、鶴の飛翔する姿に見立てて鶴の里と呼ん
だことに因んでいます。東海道筋上京町で、「大津菓子」の伝統を継承し、湖国の風情を映した
和菓子を創生しています。御用を承る円城寺様や近江神宮様、各流の茶人方からもご用命を賜っ
ております(オーナーより)。
『大津菓子調進所 鶴里堂』


8:03
鶴里堂の直ぐ先で、京阪京津線が走る県道558号線と合流する「京町一丁目交差点」。
大津宿の『札の辻』はこの交差点近くにあった


京町一丁目交差点の北側に『東横INN京都琵琶湖大津』
旧東海道の江戸方面はこの交差点を右へ、左は北国海道(西近江路)で越前・敦賀へと。
北国海道はいつか車で走りたいものです


8:04
旧東海道は京町一丁目交差点を左に曲がり、緩い坂を登り南下。
京阪京津線は、びわ湖浜大津駅から京町一丁目南交差点の先まで県道558号線を走る。
この交差点は「京町一丁目南交差点」で、この辺りから『逢坂の関』に向けて緩い坂を登る


旧東海道は左方向へ進む、右は、京阪京津線


8:07
大津宿大塚本陣跡
所在地:滋賀県大津市御幸町6-13
本陣跡には明治天皇聖蹟碑が二つ建つ。
木柱には『八町通』
上関寺町から札の辻までの距離が八町(約872メートル)あったからとも、その間に八か町あった
ことによるともいわれています。江戸時代の東海道にあたり、道の両側には多くの旅籠屋があり
ました。なお碑の立つ場所は、大名などの宿泊する本陣跡です


大津宿本陣跡
本陣とは、大名や公家などが宿泊するために設けられた施設で、大津宿では大坂屋嘉右衛門(大
塚本陣)、肥前屋九左衛門の2軒の本陣と、播磨屋市右衛門の脇本陣1軒が八丁筋におかれていま
した。八丁筋には、旅籠などが多数軒を連ね(下図参照。図の中央はびわ湖です)、旅行く人々を
迎えていました。大津は、北国海道と東海道の合流地点であり、また湖上交通の拠点でもあった
ことから繁栄を極めました。
しかし、現在は本陣に関する遺構などは残っておらず、大塚本陣のあったこの場所に、明治天皇
の休憩所として利用されたことを示す『明治天皇聖蹟碑』が建つのみです


聖 跡
明治元年9月20日    明治天皇御東幸之際御駐泊
明治元年12月21日    明治天皇御還幸之際御駐泊
明治2年3月7日      明治天皇御東幸之際御晝餐
明治2年10月5日      昭憲皇太后御東啓之際御駐泊
・・・・・ 略 ・・・・・・


本陣跡近くにあった案内板
この地点までJR大津駅から0.45km、黄色の線が歩いてきた道


大津宿本陣跡
江戸時代、この八丁通りの両側には、東海道を行き交う旅人の旅籠が軒を連ねており、大名な
どの宿泊場所とされた大津宿本陣、大塚嘉右衛門宅があった。本陣は、明治元年(1868)の明治
天皇の行幸(東京行き)にも使われたことから、労働基準局前の跡地に「明治天皇聖跡」の碑が建
てられている


旧東海道(県道558号線)を南下
大津市春日へ入る


8:15
旧東海道(県道558号線)の下を、JR東海道本線(琵琶湖線)。
東海道本線は大正10年8月1日の線路変更で逢坂山ずい道からこの位置へ下がった


JR東海道本線(琵琶湖線)の上を京阪京津線が走る


JR東海道本線のトンネルは『上関寺』
大正時代の造りで赤れんが


京阪京津線の向こう側に『日蓮宗 妙光寺』
所在地:滋賀県大津市逢坂2丁目3-7


妙光寺の前を右側へ行くと『時宗 長安寺(昔は関寺)』がある。
所在地:滋賀県大津市逢坂2丁目3-23
参拝できなかったので以下三枚の写真はネットから。
このお寺には重要文化財に指定された(昭和35年)牛塔と呼ばれる石造宝塔がある。
高さは3.3メートルもある


長安寺本堂


また慰霊碑として『獣魂碑』が建つ
滋賀県は近江牛の産地とあって多くの牛が食肉に解体された。滋賀県全体に恩恵を与えてくれた
食材として感謝と畏敬の念を込めて、家畜商や食肉商によって建てられました



                                                                                         大津宿~三条大橋ー続く





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最終更新日  2020.06.02 22:17:25
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