おじん0523のヒロ散歩

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2021.06.06
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カテゴリ: 日本100名城
日本百名城の山中城の散策を続ける。

4月24日(土) 10:50
北側の帯曲輪にある休憩所から、
西側にある、西櫓、右側の一段高い櫓台。
手前は、障子掘の西ノ丸堀


休憩所から北側の山林へ、下は笹原山中バイパス(国道1号)


山中城址の北側は急斜面で自然の防御


振り返る


道案内標示



溜 池(ためいけ)
ここは溜池(貯水池)の跡である。山田川の支流の谷がここまで延びてきていたものを、盛土に
よって仕切り、人工土手を作って深い堀としたものである


溜 池(ためいけ)
ここは溜池(貯水池)の跡である。山田川の支流の谷がここまで延びてきていたものを、盛土に
よって仕切り、人工土手を作って深い堀としたものである。
この溜池へ本丸・北ノ丸等の堀水が集まり、また広大な西ノ丸の自然傾斜による排水も、元西
櫓の排水も流入するしくみである。深さ4メートル以上発掘したが、池底には達しなかった。
山城の生命は、水の確保にあるといわれるが、貯水への異常な努力をうかがうことができる。
     平成12年3月   文化庁・静岡県教育委員会・三島市教育委員会


溜池跡の奥に空堀





西の丸
西の丸は3,400㎡の広大な面積をもつ曲輪で、山中城の西方防備の拠点である。
西端の高い見張台はすべて盛土をつみあげたもので、ここを中心に曲輪の三方をコの字型に
土塁を築き、内部は尾根の稜線を削平し見張台に近いところから南側は盛土して平坦になら
している。

られるしくみである。
自然の地形と人知とを一体化した築城術に、北条流の一端を見ることができる。
     平成9年11月   文化庁・静岡県教育委員会・三島市教育委員会


西ノ丸の土塁
土塁の前に説明板が立つ


土塁(どるい)
山中城のどの曲輪も土塁で囲まれている。石垣を使う以前の戦国時代の城は全て堀と土塁が築城
のポイントであり、城内の何を隠すか(人・馬・槍等)によって土塁の構築が考えられた。
土塁の傾斜は堀に対して急で、内部には緩やかである。
このように自然の谷が眼下に迫っている所は、土塁も重厚なものでなく土留程度のものである。
     平成8年12月   文化庁・静岡県教育委員会・三島市教育委員会


西ノ丸広場のフジ棚
3本植えられている


フジの木は古木で、紫と白色の二色


標高が580メートルのため開花が遅いようだ


咲き始めた紫色のフジ


白色のフジ


ミックスで咲く


山中城の建物
西の丸を全面発掘したが、建物の遺構は確認されなかった。この地の開墾耕作で攪乱された可
能性が強く、もしあったとしても臨時の小屋程度のものであろう。
西櫓跡からは3m×2.6mの柱穴跡が、元西櫓跡からは5.4m×7m位の建物の柱穴跡が検出され、
また平らな石等も確認されているので、堀立柱の茅葺きの物置程度の建物はあったであろう。
日常生活用具である炊事道具や椀類が出土しないので、寝小屋(根小屋)は他の曲輪にあったと
考えられる。
     平成8年12月   文化庁・静岡県教育委員会・三島市教育委員会


ドウダンツツジも咲く


西ノ丸から東方向の二ノ丸を望む。
曲輪は全体に東へ傾斜しており、東側にある溜池へ雨水等が集められるしくみになっている


西の丸の西側にある見張台へ上る。
北方向に富士山が見える


西の丸見張台
西の丸見張台は下から盛土によって構築されたものである。
発掘の結果、基底部と肩部にあたる部分を堅固にするために、ロームブロックと黒色土を交互に
積んで補強していることが判明した。
標高は約580mで、本丸の矢立の杉をはじめ、諸曲輪が眼下に入り、連絡・通報上の重要な拠点
であったことが推定できる。
     平成8年12月   文化庁・静岡県教育委員会・三島市教育委員会


西の丸見張台から北側の帯曲輪と、右側に休憩所


手前の木はサクラ


西の丸見張台から西側の「西櫓」右側に一段高い「櫓台」。
現在はこの間は障子堀で分断されており、北側あるいは南側の帯曲輪が連絡道となっている


西の丸見張台からの東側の「西ノ丸広場」と「二ノ丸」


タンポポも終わり


西ノ丸から二ノ丸へ移動


二ノ丸の南斜面に咲くツツジ


山中城址ではここのツツジが最高か?


← 西の丸跡    元西櫓跡 →


西ノ丸跡から一旦溜池跡へ降り、元西櫓跡へ向かう


元西櫓から、正面に西ノ丸への階段。
左側は、修復中の「西ノ丸畝堀」


元西櫓(もとにしやぐら)
この曲輪は西ノ丸と二ノ丸の間に位置し、周囲を深い空堀で囲まれた、640平方メートルの小
曲輪である。当初名称が伝わらないため無名曲輪と呼称したが、調査結果から元西櫓と命名し
た。曲輪内は堀を掘った土を1メートル余りの厚さに盛土し、平らに整地されている。
この盛土の下部にはロームブロックが積まれていたが、これは曲輪内に溜まった雨水を排水し
たり、霜による地下水の上昇を押さえ、表面を常に乾いた状態に保つための施設と考えられる。
しかもロームブロック層は溜池に向かって傾斜しており、集水路ともなっている。
     平成12年3月   文化庁・静岡県教育委員会・三島市教育委員会


左側に西ノ丸畝堀、右は元西櫓、西ノ丸


ズームアップ


二ノ丸虎口の二ノ丸橋


二ノ丸橋から北方向、前方左に溜池がある


架橋を渡り元西櫓を振り返る


二ノ丸虎口と架橋
二ノ丸は東西に延びる尾根を切って構築された曲輪である。尾根の頂部に当たる正面の土塁か
ら、南北方向に傾斜しており、北側には堀が掘られ、南側は斜面となって箱井戸の谷に続いて
いる。この斜面を削ったり盛土して、山中城最大の曲輪二ノ丸は作られたのであるが、本丸が
狭いのでその機能を分担したものと思われる。二ノ丸への入口は、三ノ丸から箱井戸を越えて
こちら側へ渡り、長い道を上ってこの正面の大土塁(高さ4.5m)に突き当り、右折して曲輪に入
るようになっていた。
また、二ノ丸と元西櫓の間の堀には、橋脚台が掘り残されており、四隅に橋脚を立てた柱穴が
検出された。橋脚の幅は南北4.3m、東西1.7mで、柱の直径は20~30cmであった。
復元した橋は遺構を保護するため、盛土して本来の位置より高く架けられている。
     平成13年3月   文化庁・静岡県教育委員会・三島市教育委員会


11:14
二ノ丸から元西櫓を見下ろす。
周囲を深い空堀で囲まれた、640平方メートルの小曲輪である



                                                                                       — 続く —





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最終更新日  2021.06.06 03:00:05
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