おじん0523のヒロ散歩

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2022.03.30
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カテゴリ: ヒロ散歩
退院後の初診を、3月14日(月) 午後0時半から1時で予約していた。
その1時間前までに「採血・レントゲン検査・心電図」を受診したがレントゲンで1時間待ち。
余裕をもって来たのでどうにか予定時間の12時半に診察室へ。事前検査の結果「順調に回復」
との診断で一ヶ月分の薬を出してもらい、次回の地元病院への紹介状をお願いする。
また、今回の緊急入院に対するお礼を述べ後にした。

3月14日(月) 13:26
順天堂大学医学部附属静岡病院は、静岡市から東の静岡県東部を主に担当。静岡県西部は聖隷
三方原病院に基地を置く静岡県西部ドクターヘリが担当。双方が協力しながら静岡県全域をカ
バーしている。治療の関係上、隣接県へ患者さんを搬送する場合もある。

駐車場へ行く前に、病院の向かい側にある「最明寺」へ行くことに。


最明寺
所在地:静岡県伊豆の国市長岡1150
最明寺は、鎌倉幕府五代執権北条時頼の遺骨を分骨するために建てられた寺。
当初は臨済宗の寺だったが、1590年(天正18年)の豊臣秀吉による小田原攻めで焼失した後、
1605年(慶長9年)に日遠が再興して日蓮宗に改宗されたのだという。


山門右側に建つ「若宮八幡大菩薩」。


山門前に「北條時頼公之墓」碑。


山門を入ると正面に「本堂」。
山号は東光山で、本尊は十界勧請曼荼羅。『吾妻鏡』によれば、赤痢を患っていた北条時頼は、
1256年(康元元年)11月22日、執権職を辞任。
翌日、鎌倉の最明寺で蘭渓道隆を戒師として出家し、「最明寺入道」と呼ばれるようになる。
それから7年後の1263年(弘長3年)11月22日、最明寺の北の屋敷で37歳で亡くなった。
『吾妻鏡』には、 坐禅をくみながら臨終をむかえたことが記されている。


山門脇に地蔵が立つ


本堂右前に「窪田空穂 歌碑」
「最明寺 寺うらにしてさヽやけき 五輪の塔を 苔に見出でぬ」
苔むした時頼の墓を見て、遙かな時が墓を建てたその昔の人びとの思いをも遠くへ追いやって



本堂前から南側にある、順天堂大学医学部付属静岡病院を望む。
入院中、後方の8階の病棟からここを見下ろしていた。


案内板に「伊豆長岡温泉 源氏山七福神「布袋尊」」。


本堂裏の墓地への入口に「最明寺時頼入道之墓」碑。


墓地入口の門





座に「布袋尊」と。


町指定史跡 北条時頼の墓
鎌倉幕府の五代執権北条時頼の墓と伝えられている。
時頼は賢母の誉れ高い松下禅尼を母とし、文武を奨励、善政を行なった。建長寺の開山蘭契
道隆(大覚禅師)に深く帰依し、出家して「道栄」と号し、世に最明寺入道と称せられた。
謡曲「鉢の木」で有名なように、出家後は密かに諸国を巡回して政治民情を視察したといわ
れる。北条氏発祥のゆかりの深いこの地の人々が、名執権の誉れ高い時頼の徳を慕いその分
骨を幕府に願ってこの地に墓を建てたものという。

    萩原麦草の句碑
最明寺 時頼よりの 時雨ふる

萩原麦草は、明治二七年、川西村(現伊豆長岡町)小坂に生まれた。
若くして俳句の道に入り、後上京して波郷、草田男らとも交遊し、中央俳壇にも知られるよう
になった。戦後、故郷の小坂に帰り、郷土の俳句指導に尽力し、晩年静岡県俳句協会の代表と
なった。昭和四〇年没。
句集に「麦嵐」「枯山仏」がある。昭和五二年一月、弟子、友人達によって句碑が建てられた。
                市指定  町教育委員会


墓地入口の左側に「萩原麦草 句碑」


句碑には、 「最明寺 時頼よりの 時雨ふる」

この時雨は時頼の頃も降っていたことだろう。老松は幾代を経て今日に至っている。
それに比べて人の無常は感に堪えないというのである。


階段下に「最明寺時頼入道之墓」碑。


苔むした階段を上ると「宝篋印塔」の墓。


石柵で囲まれた「最明寺時頼入道之墓」。
北条氏にゆかりの深いこの地の人々が、名執権として誉れ高い時頼の徳を慕い、その
分骨を幕府に願い出てこの地に墓を建てたのだという。


宝篋印塔の墓。
北条時頼は、1227年(嘉禄3年)5月14日、北条時氏の次男として誕生。
母は松下禅尼。兄に四代執権の北条経時がいる。
1246年(還元4年)3月23日、重病となった兄経時から執権職を譲られ五代執権に就任
する。1256年(康元元年)11月22日に執権職を辞して出家するが、政治の実権は握り
続けていた。『吾妻鏡』は、時頼のことを「平生から武道をもって君を助け、仁義を施
して民を憐れみ、天道の理にかない、人望があった」と記し、臨終に際しては、「手に
は定印(じょういん)を結び、辞世の頌(じゅ)を唱えて即身成仏のめでたいしるしを
示したことは、神仏の再誕である」 と記している。


最明寺時頼入道之墓から見おろす。


境内に咲いていた芝桜


最明寺駐車場脇に「東光山最明寺」。


山門を振り返る。
駐車場があるが入口が工事中で入れず。


13:34
病院の正面玄関へ戻る。


一階で駐車料金を支払い8階へ
駐車時間3時間30分から4時間で、400円を支払う。


8階の駐車場から先程参拝した最明寺を見下ろす。


13:54
順天堂大学病院から、「 ー 北条家ゆかりの地を巡る ー 政子コース 」を巡ることに。
国道136号(下田街道)南條交差点から伊豆長岡駅を見る。


この後の散策コース。


以下四枚の写真は入院中の病棟8階から。
2月8日(火) 13:25
八階の入院病棟から最明寺を見下ろしていた。
愛用のカメラがなくスマホで撮影。箱根の駒ケ岳方向。
左側の源氏山があるためここからは富士山は見えないと。


2月9日(水) 16:40
ドクターヘリが下田方向から飛来。


2月10日(木) 10:18
この日は雨で箱根方面は雪。


2月12日(土) 7:30
伊豆長岡駅方向


2月16日(水) 6:45
いよいよこの日は退院、箱根の駒ケ岳も日の出を浴びる。
帰路は迎えの車で箱根峠越え。



                                      ー 続く ー





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最終更新日  2022.03.30 03:00:06
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