おじん0523のヒロ散歩

おじん0523のヒロ散歩

PR

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

オジン0523

オジン0523

カレンダー

コメント新着

フリーページ

2022.10.03
XML
カテゴリ: 藤沢市歴史散策
新森公園から「旧近藤邸」がある藤沢市民会館へ。

9月16日(金) 11:50
藤沢市民会館
所在地:神奈川県藤沢市鵠沼東8-1
藤沢市民会館は昭和43年10月の開館以降、文化芸術の発表の場として使用されているほか、
市民まつりや産業フェスタ等の会場としても使用されており、市民にとって欠くことのでき
ない場所となっています。


藤沢市民会館の前に碑。
石碑には「藤沢市民オペラの生みの親 福永陽一郎 1926ー1990」。


藤沢市民会館案内図
正面に 大ホール・第1展示集会ホール・レストラン
会館棟
  1F 受付・事務室・第2展示集会ホール
  2F 第1会議室・第2会議室・和室・教養室
  3F 第3会議室・まつ・ふじ・かわせみ・さくら


レストランの「本日のランチメニュー」
800円(税込 880円)
【ドリンクバー付】 Aランチ、Bランチ
美味しそうだったが・・・。


藤沢市民会館前庭には、戦後、最初の社会党内閣総理大臣の「名誉市民 片山哲先生」像も。



旧近藤邸の植込みの中に『少女像 まごころ』。


ズームアップ。


旧近藤邸
所在地:神奈川県藤沢市鵠沼東8-1
写真は旧近藤邸の玄関側から見たものである(北側)。



  設 計 遠藤 新
  建築主 近藤 賢二
この建物は1925年(大正14年)関東大震災の直後に藤沢市辻堂の松林の中に近藤賢二氏の別荘と
して建てられました。生活の近代化が叫ばれはじめた当時にあって、いち早く日本の風土と生活
に即した新しい建築をつくり出した建築家 遠藤新の三十六歳の時の作品です。
1980年(昭和55年)老朽化のため取り壊しが決定されましたが地元市民の保存の声に守られて19
81年(昭和56年) 3月藤沢市によってこの地に移築されました。
    1989年(平成 元年) かながわの建築物100選
    2002年(平成14年) 国の登録文化財
                        藤   沢   市
                        藤沢市教育委員会


旧近藤邸を見学される方へ
旧近藤邸の見学を希望される方は市民会館内文化芸術課までお越しください。
見学時間  9:00 ~ 17:00
休 館 日   月曜日・休日の翌日・12月28日 ~ 1月4日
               藤沢市役所 生涯学習部 文化芸術課


秩父宮記念体育館側からの旧近藤邸。


旅友が訪れた2016年頃は、障がい者就労支援施設「軽食&喫茶すかいはーと」がオープン して
いたと。現在は看板も無く閉鎖しているのか。


家の周りにはフジ棚が広がる。ここもフジロードの『境川・フジ水辺ロード』の20番目になっ
ているので来年は訪れたいものだ。


見学できなかったので室内の写真をネットから。
旧近藤邸を設計した遠藤新は、1914年(大正3年)に帝国大学を卒業後、帝国ホテル(旧館)の設
計で知られるアメリカの建築家フランク・ロイド・ライトに6年間師事し、その思想を学ぶと
同時に、日本の生活と風土に合わせた独特の様式を編み出しました。常に建築と人間との調和
を考え、西欧の模倣ではない「真の日本の住宅」を追い求めた遠藤新の精神を、旧近藤邸の随
所に読みとることができます。


西側の国道467号(藤沢町田線)から。


旧近藤邸を一周し玄関側へ。


木柱に「椎の木  昭和五十年六月」
「C・N 一周年記念植樹 贈 藤沢湘南L・C」とあったが。


旧近藤邸の玄関先。
後方に秩父宮記念体育館。


市の木 黒松


市制30周年記念植樹「市の木 黒松」
1970 ~ 71 国際ロータリー第359地区年次大会
    大会委員長 岩崎裕侾     昭和45年10月1日


藤沢市秩父宮記念体育館


藤沢市秩父宮記念体育館概要
この施設は、市民の皆様がいつまでも、誰でも気軽に利用でき健康を維持、促進するための
「生涯スポーツの場」としてまた日常スポーツの活動基盤として改築されました。
1、規   模 敷地面積      6,908.7 ㎡
        建築延べ床面積 10,967.8 ㎡
        構  造    鉄骨・鉄筋コンクリート造5階建
2、主要な施設 1階 武道室(多目的室) トレーニング室 プレイルーム
        2階 研修室 会議室A 会議室B
        3階 メインアリーナ サブアリーナ
        4階 軽体育館 ジョギングコース 観覧席
        5階 弓道場
3、改築事業費 5,080,000 千円
4、開館年月日 1997年(平成9年)4月27日


玄関先に「秩父宮記念体育館」。


汚れた『フジロード』の看板。
「引地川・フジ史跡ロード」
「境川・フジ水辺ロード」
引地川・フジ史跡ロードは既に訪れているので来年は「境川・フジ水辺ロード」
をチャリ散歩したい。


秩父宮記念体育館前から北方向を望む。
朝方は涼しかったがこの時間になると気温も上がり暑くなっていた。



地元の彫刻家、親松英治氏の作品であると。

バレリーナであろうか。

正面に廻り見上げる。


12:05
藤沢市民会館前から国道467号(藤沢町田線)の藤沢合同庁舎前交差点を望む。


この後は、「片瀬旧道・江の島道コース」を南下、
③ 馬喰橋        ④ 岩谷不動     ⑤ 市指定・江の島弁財天道標
⑥ 泉蔵寺        ⑦ 上諏訪神社    ⑧ 密蔵寺
⑨ 一遍上人地蔵堂跡   ⑩ 本蓮寺      ⑪ 西行戻り松、市指定・江の島弁財天道標
⑫ 市指定・寛文庚申塔  ⑬ 常立寺      ⑭ 龍口寺

12:10
国道467号(藤沢町田線)を南下、片瀬山入口交差点を左折して境川に架かる新屋敷橋。
片瀬旧道・江の島道コースの「③ 馬喰橋(うまくらばし)」はこの上流側にあったようだ。


境川の下流側を望む。

新屋敷橋(あらやしきばし)
かつていつの時代かこの辺りに屋敷が建ち並んでいたのであろうか。

12:15
巖不動尊護摩堂(いわおふどうそんごまどう)
所在地:神奈川県藤沢市片瀬2丁目3-22


鳥居横に建つ「岩谷不動明王入口」の石柱。

こちらの石碑には、
石籠山 不動尊 興隆記念碑 
         泉蔵寺法資僧正籠照書


岩場の間の境内には奉納された灯籠がずらずらと並んでいた。


こちらが巖不動尊社殿。


入口上に「巌不動尊」の文字。
巌不動尊は正式名は石籠山不動尊。弘法大師空海が穴居修業したと伝えられている。
その後、江戸時代初期には快祐上人がこの岩屋に入定し、即身成仏。



部屋の中は洞になっていた。


入口に掲げられていたまだ新しい扁額の「不動明王」。


洞の中央にはご本尊の不動明王が鎮座。


不動明王前から境内を振り返る。


社殿の右奥にも洞の中には地蔵尊。


その横にも岩をくり抜いた岩谷。


その岩谷の中にも2体の地蔵尊。赤い帽子と涎掛けが一体となっていた。


岩壁からは岩清水が沁みだしひたひたと垂れる音が印象的であった。
今年は蝉の声をあまり聞かなかったがまさに「閉かさや 岩にしみ入る 蝉の声」だ。


灯籠には小さな裸電球が取り付いてはいた。


12:20
境内の廻りは岩に囲まれている。



                                     ー 続く ー





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2022.10.03 03:00:07
コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

© Rakuten Group, Inc.
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: