おじん0523のヒロ散歩

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2023.04.09
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カテゴリ: 日々の出来事
この日は妻が大船で用事があるとのことでアッシー役で愛車のジュークで出かけた。
この愛車も購入後12年を経過、走行距離も昨年11月末に10万キロを超え、今年車検があるため
頭金百万円、月々の返済額 19,900円で5年契約とのことで最後の新車を購入することに決断。
このブログがアップされるころには新しい「ノート」に!。

3月24日(金) 10:05
松竹大船撮影所跡
所在地:神奈川県鎌倉市大船6丁目1-1
松竹大船撮影所は、昭和11年(1936)1月15日から平成12年(2000)6月30日まであった映画スタ
ジオ、現代劇を担当していた。松竹の看板映画だった『男はつらいよ』シリーズもこのスタジオ
で製作された。

の一部セットもあった。


近郊案内図
妻が用事を済ませる間に近くの撮影所跡の砂押川沿いに桜が綺麗に咲いていたので、跡地の北側
に車を停めて撮影。


右側は「イトーヨーカ堂大船店」。
松竹大船撮影所跡地利用は、昭和50年代には大船撮影所を一部縮小し松竹による商業施設「松
竹大船ショッピングセンター」が竣工。イトーヨーカ堂大船店と鎌倉三越(小型店舗)が核テナ
ントとして開店したが、2009年3月1日に三越が閉店・撤退し跡地には現在BOOKOFF SUPER
BAZAAR 鎌倉大船店が入居している。
2000年の完全閉鎖にともなって、残っていた敷地を学校法人鎌倉女子大学に売却し、現在この
場所には鎌倉女子大学と鎌倉女子大学短期大学部の大船キャンパスとして使用されている。




桜並木の遊歩道で、一部は企業が敷地を提供しています。地域の人々の通勤通学、散歩などに
利用され、市街地の中の貴重な憩いの空間です。大船の桜の名所にもなっていますと。
自分は昭和41年6月末頃からこの辺りに独身寮があり、鎌倉市民になったがその頃は大船撮影所
も『男はつらいよ』シリーズで多忙、通勤時に撮影をしていたことを懐かしく思い出す。


その頃の砂押川のこちら側は大船撮影所の敷地内で歩けなかった。



ソメイヨシノが満開になっていた。


砂押川プロムナード沿いに建っている碑。
松竹大船撮影所の黄金時代を築いた人物には、城戸四郎(所長)、小津安二郎(監督)。


松竹で活躍した俳優には、田中絹代、佐田啓二、原節子、笠智衆など。


砂押川プロムナードの下流側に咲く老木の桜。


川幅約1間の狭い砂押川。


いつの間にかソメイヨシノが満開になっていた。
今までは寒緋桜系のピンク系の河津桜を追っていたが。


今年は3月14日(火) に東京で開花宣言。
靖国神社の標本木が例年より10日早く、昨年より6日早かったと。


砂押川沿いの桜の木も老木になり養生されていた。
自分が初めて見た昭和41年(1966)以前から植えられていたので樹齢も60年以上に。


松竹離山通りの大船郵便局前交差点。
以前はこの角地には芝浦製作所があった。


砂押川は大船駅の北側を流れ柏尾川と合流。
50年以上前の通勤時にはこの左側を歩いて大船駅へと向かったのだ。


古い橋の袂には「枩竹大通橋」と。
昭和10年頃に架けられたコンクリート製の橋である。


同橋から砂押川の上流側。
50年以上前はこの左側の川沿いを歩いて独身寮へ。


枩竹大通橋の右側は松竹撮影所の敷地であったが現在は開発され砂押川プロムナードに。


樹齢60年以上であろうが樹勢はますます元気なようだ!
これも桜守の管理が行き届いているのであろう。


BOOKOFF SUPER BAZAAR 鎌倉大船店。
2009年3月1日に鎌倉三越が閉店・撤退した跡地に入居「洋服・家電・お売り下さい」と。


10:20

所在地:神奈川県鎌倉市大船5丁目8-29
妻からの電話がないので松竹大船撮影所跡の近くにある当寺を訪れた。今回が二度目の参拝。
以前訪れた時のブログは「​ 鎌倉の深沢・大船地区 ​」をクリック願います。


参道入口に二基の新旧の寺号標石であろうか。手前の石碑は風化が進んでいた。


新しい寺号標石には「粟船山 常楽禅寺」と。


山門への長い参道。
参道の両側には現在は民家が建っているがかつては寺の敷地であったのかと・・・。


その参道脇の民家の庭先に綺麗に咲いていたカイドウ。


ピンクの花をズームアップ。
鎌倉の光則寺、妙本寺でも咲いているのであろうと思いながら。


茅葺き屋根の山門。


山門の扁額「粟舩山」。


寺の説明板の横に木柱、
「市指定有形文化財 木造 常楽寺山門 一棟
         指定 平成十年十一月九日」。


常楽寺(じょうらくじ)
1237年、鎌倉幕府三代目の執権北条泰時が、妻の母の供養のため建立した粟船御堂がはじまり
で、寺の名である常楽寺は、北条泰時の法名「常楽寺殿」からとられたものといわれています。
仏殿には、本尊の阿弥陀如来像、脇侍の観音・勢至菩薩像の三尊仏が安置されており、天井に
は狩野雪信が描いた龍の図があります。また、仏殿の裏へまわると、北条泰時の墓もあります。
国指定重要文化財に指定されている鎌倉最古の梵鐘は、鎌倉三大名鐘のひとつであり、現在は
鎌倉国宝館に預けられています。
  ● 宗  派:臨済宗建長寺派
  ● 山号寺号:粟船山常楽寺 (ぞくせんざん)
  ● 建  立:嘉禎三年 (1237)
  ● 開  山:退耕行勇 (たいこうぎょうゆう)
  ● 開  基:北条泰時
写真は、山門。


山門から仏殿への参道。


仏殿前には若芽を出したイチョウの木。


台風、大地震、暴風に倒れたイチョウの木。
イチョウの若木が芽吹くと中の枯れた幹は見えないのだ。


凉 蔭
之是銀杏樹開山禅師御手植也大正六年秋大風の為に傾斜大正十二年大震の為に更に傾
斜〇後支柱を施す然に年々傾斜の度を増す昭和十三年八月三十日夜暴風の為に全く倒
尽す茲に於て檀信及有志の援助を仰き以て復旧す。
  時昭和十四年一月 建長曇〇時保書
      現常楽禅寺〇道建之


山門を振り返る。


仏殿の手前右奥に建つ本堂兼客殿。


正面に仏殿、左側に文殊堂が建つ。
銅板葺の仏殿は、元禄四年(1691)の建立で神奈川県指定重要文化財に指定されている。


仏殿には、本尊の阿弥陀如来像、脇侍の観音・勢至菩薩像の三尊仏が安置されている。


三尊仏をズームアップ。
右側には「修復 住友財団 阿弥陀三尊像」と。


三尊仏の右奥にあった仏像。


三尊仏の上に掲げられている扁額。


天井には狩野雪信が描いた龍の図がある。


仏殿の裏に廻り、生垣の中に墓石が3基ある。


石碑には、
右手は、開基北條泰時公墓     仁治三年(1242)六月十五日
中央は、再中興龍淵胤和尚墓    安政四年(1857)三月二十日
左手は、圓通大應國師墓      延慶元年(1308)十二月廿九日


中央に、中興の開基と仰がれる龍淵和尚墓。


左手から、圓通大應國師墓、中興の開基と仰がれる龍淵和尚墓、開基北條泰時公墓が並ぶ。
それぞれに春のお彼岸で生け花が供えられていた。


墓地の傍でシャガが咲いていた。


春も早くシャガが咲く時期に、鎌倉の浄智寺の参道には群生地がある。


元禄四年(1691)建立の仏殿の裏側。
建物は歴史を感じさせ柱、板には虫食いの穴が多数あった。


仏殿と文殊堂の間からの新生のイチョウ。


銅板と茅葺き屋根。


仏殿の左手に建つ茅葺き屋根の文殊堂。
文殊堂には、蘭渓道隆ゆかりの文殊菩薩坐像が安置されている。


茅葺き屋根の文殊堂もそろそろ葺き替え時期になるのでは。
葺き替えは10~20年毎にやるとのことでその都度一千萬円以上の大金が必要に。


文殊堂への参道。
裏山に木曽義仲の子、木曽義高の墓がある。


庚申塔であろうか。


参道右側に庫裡が建っていたが人影はなく。


10:40
山門手前右側にある駐車場。


その駐車場脇に咲いていた満開の桃。


昨年の実の種が残っていた。


こちらにも実が残っていた。


ピンクが鮮やかな桃の花。


レンギョウとのコラボ。


桃の花と言えば甲府の桃源郷だが。



                                     ー 続く ー





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最終更新日  2023.04.09 16:06:19
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