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2024.01.29
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カテゴリ: ヒロ散歩
松田城跡 」。

1月18日(木) 14:25
カーナビをセットし、最明寺史跡公園駐車場から右折し”松田駅”方面へ下る。
道路は一車線で狭く道路には落ち葉、枯れ枝が積もっていた。


登ってくる車もなく道幅が狭いので注意しながら運転。
道路標識には「← 最明寺史跡公園」、「自然館 →」。


ユー字カーブ点に、
林道 最明寺線
地蔵も立っていた。


台座には「施主 ?」とあったが。


時光窯
所在地:神奈川県足柄上郡松田町松田庶子
林道最明寺線を下り”時光窯”の右手に富士が見えていたので道路脇に車を停める。
傾斜地には農作業用のモノレールのレールも。廻りにはミカン畑が広がっているようだ。


この辺りからの富士も絶景。今年は積雪は少ないようだ。


絶景の富士をズームアップ。


直進か右折か迷ったが右折して ”大林農道” を下る。
直進は中央農道で、
 ● 松田山ハーブガーデン
 ●
 ● 小田急新松田駅
この後農道だけに道は狭かった。


赤矢印から ”大林農道” になる。
最明寺史跡公園から選択した松田城跡までの東側コースは 4km、車で16分。



大林農道を下り東名高速道路の上り線沿いを西に走り道案内板。


カーナビの案内で坂道を登り道路脇に車を停める。
眼下には東名高速道路、酒匂川、西には富士。


富士をズームアップ。
酒匂川沿いの白い建物は「神奈川柑橘果工株式会社」。


同場所から酒匂川の下流方向を望む。
遠く相模湾が望める。


新十文字橋、十文字橋、小田急線の橋梁、その下流には足柄大橋、足柄紫水大橋。
手前の新十文字橋の広場は  ”まつだ桜まつり” 開催時には臨時駐車場に。


14:45
松田城跡
所在地:神奈川県足柄上郡松田町松田庶子
松田城は鎌倉時代に松田氏によって築城された。ここからの見晴らしは素晴らしく、足柄平野
や相模湾が一望できる。瓢箪形をした敷地(現在はみかん畑)の最北端、海抜約180mの場所に
本陣居城址、その前後の低地に空堀りがあったとされ、南に広がる平地にて石畳や馬具等が出
土した。近くに城山地区という地名があり、近隣の地名にもその名残りをとどめている。
写真はネットから引用
説明板の前に車が数台止めれるスペースがある。


松田城跡(松田町指定)
      昭和四十六年四月指定
松田城跡は旗矢沢、天神沢という二つの沢を天然の要害として利用した典型的な連郭式山城で
ある。東名高速道路の拡幅工事時に記録保存され、上・下段腰曲輪、掘立柱遺構・柵列・井戸
・溝状遺構・地下式壙・堀切が確認され、炭化穀物類・陶磁器類・カワラケ・鉄釘・古銭等多
数が出土している。
城郭として使用していた時期は十五世紀中葉から十六世紀後半頃で、秦野盆地から来た波多野
氏の系譜である松田頼秀・顕秀・憲秀の頃である。松田憲秀は小田原北条氏の筆頭家老であり、
松田城はその弟新次郎康隆の持城であったとの記録が残っている。
                          松田町教育委員会


松田城跡想定図
説明板から北側に、前曲輪2、前曲輪1、本曲輪2、本曲輪1、後曲輪、搦手と連なる。


説明板から北側の前曲輪2、前曲輪1へと進むが説明板が見つからなかった。
右側の下が前曲輪であったのか。


松田山を見上げると、先程走った”松明の由来碑”辺りであろうか。


更に奥に進むと農作業用の小屋が建っていた。
人の気配がなくイノシシの出没が怖い!。


畑には鳥獣対策の線が張られていた。
松田城跡関係の説明板も見つからずイノシシが怖いので引き返すことに。


引返し南側の足柄平野を望む。
ここも畑の廻りに鳥獣対策用の線が張られていた。


JR御殿場線が国府津へ向けその先に相模湾。手前は松田の市街地。
中央のかまぼこ型の屋根は、松田町立松田中学校の体育館。


左側のビルは、 ”元・第一生命ビル" で現在は ”BIOTOPIA (ビオトピア)”


松田城跡から東名高速道路の側道に下りる。
次の目的地を山北町の 「能安寺」 にし、ここを大きく右折し西方向へ進む。


同場所から東名高速道路の上り線(三車線)を振り返る。


東名高速道路沿いを西方向へ進みカーナビの案内はここを右折。
道路脇に立っていたのは 「三界萬霊塔」


三界萬霊塔から東名高速の上り線、下り線の高架下を抜けると道路沿いに石碑。


向かい側にお寺があったので道路脇に駐車。
東名高速道路の橋脚に「寺沢橋」。


15:05
曹洞宗 能安寺 (のうあんじ)
所在地:神奈川県足柄上郡山北町向原2499
曹洞宗寺院の能安寺は、通永山と号します。能安寺は、元亀3年(1572)に創建、香集寺5世行翁
(慶長6年1601年寂)が開山したといいます。昭和44年に計画された三保ダム造成に伴い、当地
へ移転しています。世附の百万遍念仏は、三保村(旧世附村)で毎年行われていた仏事で、当地
へ移転後も続けられ、神奈川県無形民俗文化財に指定されています。


道路沿いに ”六地蔵”  が並んでいた。


道路沿いの垣根越しに説明板。
垣根内には梅が咲き、上は東名高速道路の下り線の高架橋。


神奈川県指定無形民俗文化財
 世附の百万遍念仏(よづくのひゃくまんべんねんぶつ)
    昭和五十三年六月二十三日指定
世附の百万遍念仏は六〇〇年以前から伝承されたもので、毎年二月十五日から十七日まで能安
寺で行われていたが、三保ダム建設で能安寺が水没し向原に移築され、今は毎年二月の中旬の
土・日曜日に行われている。
道場(二間四方の板間)の奥正面に大滑車が作りかけられこの滑車に大数珠の綱がかけられる。
念仏衆の念仏声にあわせて、若衆が交替で豪快に数珠を廻し一年間の無病息災を祈るという。
この大数珠の大回転が特色であり、中心行事である。
念仏が終わると、伊勢大神楽系の次の神楽が奉納される。
一、剣の舞 二、姫の舞 三、幣の舞 四、狂いの舞 五、二上りの舞 六、おかめの舞 
七、鳥刺しの舞
以上で他に類を見ない多くの特色を持ち、郷土の貴重な民俗文化財として保護するものである。
   平成十七年三月
       神奈川県教育委員会


”百万遍念仏” といえば善男善女が寺院の本堂に円座して中央に導師を迎え大数珠を繰りながら
念仏を唱える京都知恩寺型百万遍念仏を指しますが、世附の百万遍念仏は大数珠を巨大な滑車
に取り付け、数珠を回転させる全国的にも珍しい行法ですと。
今年は4年ぶりの令和6年2月17日(土) ~ 18日(日)に開催される。


山門を入ると右側に石碑。


能安寺本堂
東名高速道路の高架橋下に位置するお寺である。


本堂の扁額「能安寺」。


本堂前から東名高速道路の西方向を望む。


能安寺境内から出て西側に立つ石碑。


石碑には字が刻まれていたが句碑、歌碑であろうか。


道路を挟んで社があったが以前はここに六地蔵があったのか。


左側は「供養塔 足柄上郡○○會」、右側は説明であろうか字が判読できなかった。


15:10
説明板がなく詳細は不詳。



                                     ー 続く ー





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最終更新日  2024.01.29 03:00:07
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