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2007.09.21
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カテゴリ: 書籍

下流志向

下流志向


TBS系列で日曜日に放映されている「噂の東京マガジン」の中に「やってTRY」というコーナーがある。遊園地で、海で、スキー場で、お嬢さんたちが課題の料理に挑戦して、ものの見事に失敗する。とろみを付けようと片栗粉を入れすぎて固まったり、油を入れたフライパンを放置して炎上するというのが、毎回のお決まりパターン――。
そんなお嬢さんたちを地方のサバイバルな環境に放り出すという特別企画が、時々行われる。すると、どうしてなかなかバイタリティのある娘ばかりである。木の実をとったり、ヘビを素手で掴んだりと、食材を焦がして黄色い声をあげていた姿が嘘のようである。
このギャップは何なのだろう――その答えの一部が本書にある。
「ゆとり教育」の反動で公的教育が崩壊をはじめた。親たちは競って子どもを有名進学塾に入れ、そこから落ちこぼれた者は「負け組」となっていく。
一方で、私塾はビジネスであるから、忠実に市場原理にしたがう。ところが、最近、ファイナンスの中で様々な方程式を解いているうちに気づいたのだが、そこには時間要素が無いのである。もちろん、複利計算のような場合に年度が変わるという「時間」要素はある。だが、消費動向が変化するとか、技術が進歩するといった要素がないのである。技術屋として実務に携わっている自分としては、強い違和感を感じる。こんな不完全な方程式で経営は動いていくのか――。
このことは、本書でも指摘されている。著者は、子どもたちが勉強しないことには論理的な行動原則があり、それは、「彼らは市場の原則に従って、それに全力で抗うことを命じられている」(68ページ)ことだと指摘する。もしそうであれば、彼らは市場原理の不完全さに取り込まれた被害者である。
本書で「賃金というのは労働者が作り出した労働価値に対してつねに少ない」(137ページ)と述べられているのは、市場原理が導き出す真理の1つである。市場原理に支配される限り、労働は等価交換されない。
私は著者と異なり、教育を市場原理から開放しようというつもりはない。実際、「ゆとり教育」に問題意識を感じ、子どもを私塾に通わせているのだから。だが、市場原理下では労働の等価交換は望めないのと同様、教育の等価交換が不可能であることは承知している。親が金をかけたからといって、子どもが長時間勉強をしたからといって、偏差値が上がるわけではない。
それでも、子どもは変化・成長する。その生物としてのバイタリティを自然のままに発現させてやりたい。
「市場原理」も「ゆとり教育」と同様、限界があるのだ。その限界を超えて子どもを成長させてやるのが、われわれ親世代の役目であろう。



■メーカーサイト⇒ 内田樹/講談社/2007年01月 下流志向


■販売店は  こちら








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最終更新日  2007.09.21 22:04:14
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