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2012.10.05
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カテゴリ: 科学と教育

スキル・リテラシーvs教養・見識の対立軸

この場合、科学的なプロセスを経て得られた結果を、科学的な思考プロセスのできない人が受けとったなら、疑似科学になり、科学的な思考プロセスを経て受けとったなら科学になる。また、科学的な思考プロセスのできる人が受けとって、これは科学ではない、ということなら、それは疑似科学となる。 」という発言から着想をいただいて。

疑似科学問題、科学コミュニケーションを超えて、むしろ大学院における高等教育のカリキュラムポリシーにも及ぶような深い問題点と認識を新たにした。

以下ツイートを選択して収載する。

  • 科学的思考プロセスができるかできないか、というのは、大きな問題だと思います。ですが、わが国では、それを思考プロセスや思考力そのものではなく、もっと過小評価・矮小化しようという運動が、意図的に政治的になされたのかもしれません。「科学リテラシー」ってやつです。 posted at 15:15:41

  • 科学的思考プロセスができる、あるいは、科学的思考プロセスというものがあるということを知っているということを、科学的リテラシーがある、というふうに矮小化すべきじゃないと思うのです。前者は、科学的教育をうけなければ多分到達できない。後者はなんとなくできそう。 posted at 15:17:33

  • あくまで、反駁を恐れずに言うなら、後者が教養ならば前者は「知性」だと思うのです。少なくとも知性の一形態かと。なので、「知性」と「教養」すくなくともどちらかはないと、偽科学の標的になるんだと思います。 posted at 15:45:33

  • 横入り大変失礼いたしました。 posted at 15:17:56


  • ここからが本題・・・・

  • たぶん、 皆が「ほんとうに身につけなければならないもの」は 知性と教養 なんだと思う 。で、とくに科学に関する知性と教養は、現代社会を生きる上で必須なのである。 でもその本質は「知性と教養」であって、「スキル」ではない。なので 「科学技術リテラシー」という言葉そのものが、変 と思う。 posted at 16:13:25

  • 一部の学生だけかもしれないけれども、 大学生や大学院生が、「知性と教養」の問題を回避して、「スキル」を身につけることばかりに熱心 な様をみると、ちょっとがっくりくる。 posted at 16:14:38

  • それでもまだ「スキル」が実技が伴うっていうイメージがあるから、まだましなんだよね。 「リテラシー」 を身につけたいって言う場合、 本来は読み書きどっちもできなければならない はずなのに、一般的には実技なしの受け身一辺倒のイメージ。 posted at 16:26:44

  • 今後は、一連の概念の対立に対して「 知性と教養vsスキルとリテラシー」論争 と名付けることにしよう。前者は、ある意味、従来の伝統ある高等教育原理主義的な側面を持つ。後者は、大学改革あたりの流れをうけて出てきた最近の 商業主義的高等教育、カフェテリア方式、教育バウチャー的 。 posted at 18:04:47

  • 企業が(就活などを通して)バイアスをかけて誘導したのは、たぶん後者。そして、その後者で育った人材()がどうやらあまり使えないことがわかりつつある。で困り始めたので、リーマンショックあたりを契機に「グローバル人材教育」とか煽ってみたところ、文科省が動いた 18:07:04

  • もう一つの問題は人材の評価の問題。スキルやリテラシーは、数値化しやすい側面がある。知性も教養も数値化できない。数値化して上位から採用して、でも、使える人材じゃなかった、って企業が文句いう。最初から知性と教養あふれる人を採用すればよいんだよ、 posted at 18:09:56

  • (それは多分、スキルとかリテラシーとかは、積み上げ型学習における一次的な要素であって、それを複合的に積み上げないと知性や教養や見識にはならないからだと思う。入社1~3年目の即戦力という点では、それがまず最重要視されるのはよいだろう。しかし、企業で10年選手と呼ばれて中堅を担うためには、そしてその先の企業の運命を決めるような幹部職になるためには、それを柔軟に組み上げ組み合わせて、未曾有の危機に対応したり、イノベーションしたりする能力が必要なのだ。 スキル・リテラシー重視の新卒採用者が1~3年で会社をやめる理由 の一部に、そうした成長限界があるのかもしれないとちょっと思った。)

  • リテラシーという横文字とその語感が好ましいせいで、みんな意味を深く考えないで安易に用語を使ってしまって、そのせいで、本来の教養教育が安っぽく切り売りされて、切り売りされた結果教育が成立しなくなったってことかもね。すくなくともリテラシーとコンピテンシーの誤用・混同・誤解は、深刻かもしれない。 posted at 19:51:53 に加筆

  • だがともかく、「~~を身につけよう」という~~に入るときの「カガクリテラシー」「ジョウホウリテラシー」(あえてカタカナ表記)というものの、演出されたお手軽感みたいなものに、カガク・ジョウホウに対する悪意の存在をかんぐっちゃうんだよなあ。 posted at 19:55:01

  • リテラシーとかスキルとかを切り売りして、それ単独で成立しうるように、「消費者」を誘導する、同時に、学位の陳腐化と学位認定に裏打ちされたアカデミアというシステムそのものの陳腐化・瓦解を図る、そんな感じの悪意を感じる。教育への商業主義の蔓延の弊害である。 posted at 20:00:54 を加筆

  • 別に保守でもないし既得権益を擁護したいわけではないけれども、改革という口車に乗せられて、もともとある既存のシステムのよいところまでも根こそぎ破壊するっていうのが、ここ30年間行われてきた教育改革だと思います。 posted at 20:02:13


  • 閑話休題
  • 怪しい横文字・カタカナ語撲滅運動って、教育や研究の現場を正常化させるのに、意外に効果的かもしれないぞ 教育分野での禁止語「スキル」「リテラシー」研究管理関連での禁止語「アカウンタビリティー」 posted at 21:11:54


  • 横道からもどって
  • (とくに理系に特化した)体系的・包括的な学問の教育システム(ある種の全人教育カリキュラム、ないし全方位教育カリキュラム)を、短くとも10年スパンくらいで実施できるように大学における教育体制を(財務基盤も含めて)整えてほしい。国際的に活躍できる優れた人材を効率よく輩出するために。 posted at 22:28:22

  • 高等教育におけるカリキュラム、「~~スキル」やら「~~リテラシー」やらに細分化してカフェテリア形式で切り売りすると、教育効果が下がると思う。麻雀でいうとピンフ・タンヤオみたいな役作りでは得点に限界がある。もっと全体が混沌として、還元主義では切り分けられない役を狙うような、そういう教育が重要なのではなかろうか。 posted at 22:32:35 を一部加筆






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    最終更新日  2012.11.28 09:32:12
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