山田維史の遊卵画廊

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Tadami Yamada's monochrome cuts -#1


Tadami Yamada's monochrome cuts -#2


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Jan 12, 2006
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 1963年12月2日(月曜日)、すなわち会津高校の火災があった前日、私たち全校生は午後の授業を中止し、2人の市消防署員を招いてその指導のもと、2時10分から3時まで、2回の消火訓練をした。ちょうど全国火災予防週間の最後の日にあたっていた。学校では11月29日に暖房用の石炭ストーブ(当時はそれが一般的な学校暖房設備だった)を据え付けていた。校長は、ことのほか防火にはきびしかったようで、日頃から教職員に対して注意を呼びかけていたようだ。もちろん宿直員が夜間の見回りをかかしたことはなかった。
 私たちは6日から定期期末試験をひかえていた。そのため2日に消火訓練が終了すると、普段のクラブ活動も中止になっていたので、全校生は4時前にはいっせいに帰宅の途についた。じじつ、4時には生徒の姿は見られなかったといわれている。私も二階の教室から中庭につづく石段を降り、演劇部の部室をのぞき、誰もいないことを確認すると、新築成ったばかりの体育館とクラブの合宿所などに使用されていた学而会館のそばの自転車置場から自転車を引出し、帰路についたのだった。

 在学中に私は知らなかったのだが、校長が防火について日頃から厳重注意を指示していたのには、学校史のなかに特別な理由があったからとも思える。
 昨日書いたとおり、会津人として悲願の「私立会津中学校」の設立許可がおりてから4年8ヵ月後に校舎が完成した。場所は鶴が城の西北の濠端で、私が在学中は「若松女子高校」があった所である。若松女子高校は男女共学になって改称され現在は県立学鳳高等学校という。その学校のあるところに「私立会津中学校」の校舎は建設されたのである。その後、1901年に県立に移管され、「福島県会津中学校」と改称された。さらに30数年後、校舎は建て直しされることになった。
 1935年10月に新校舎は完成した。しかし落成式をひかえた数日前に、全焼してしまったのである。原因は工事関係者の火の不始末だった。そして翌年6月に再建が成り、新校舎に移転した。場所は鶴が城の南方、市中央から約3キロメートル、旧日光街道から400メートル入った現在会津高校のある地である。
 この校舎が私の時代まで使われていたのだった。校長が呼び掛ける防火注意は、この校史をふまえてのことだったにちがいない。

 2日の夜10時30分頃、宿直の教諭と用務員さんが消火訓練後だっただけに緊張して校内をくまなく巡視した。異常は発見されなかった。
 ふたりが火事に気付いたのは寝入りばなだったようだ。しかし時はすでに遅かった。出火場所は校舎のもっとも南側で、宿直室からも用務員室からも150メートル以上も離れていた。
 第一発見者は学校の近所に住む電報電話局職員で、すぐに局の交換台に報せ、交換嬢が市消防署に連絡した。市消防署では会津高校の火災は予想外だったようだ。いや、その規模の大きさが予想を超えていたのかもしれない。すぐさま緊急非常体制を発令し、消防車14台と消防士約150人が出動した。しかし火勢ははげしく、本館が轟音を発して焼け落ちた。


 そんなわけで深夜のできごとも知らず、12月3日はいつものように通学鞄を自転車の荷台にくくりつけ、学校に向ってアパートをでた。やがて同じように自転車通学をしている会津高校生の群れに合流した。なにか様子がへんだった。すると後ろから女性が声をかけてきた。振向くまもなくその人が私の横に並んだ。通信教育部の事務員だった。彼女の口からはじめて今日未明の会津高校の火災について聞かされたのである。

 私の消息を清水先生に報せてくれた後輩は、夜中に火事に気がつき、すぐさま現場に駆けつけ、バケツ・リレーで消火したのだという。図書館主任の成田充先生が「図書を救けてください!」と、絶叫するように書籍の搬出を指示していたという。
 不思議なことに私の記憶は、通信教育部の彼女と校門まで並んで自転車を走らせたところまでは鮮明なのだが、それ以後、授業が競輪場の建物で再開するまでの数日間についてほとんど覚えていないのだ。その日のうちであったか、翌日であったか、私は自分のカメラを持って来て焼跡の片付けをしながら数枚の記録写真を撮影したことは覚えている。担任の早川俊一先生が教員室の焼跡を「なんに出もないなァ」と呟きながら歩き回っているのも覚えている。その声もよみがえってくる。私は先生のその姿をカメラにおさめた。しかしほかに思い出すことが何もない。本当に何も記憶にないのだ。

 市内の他の高校の生徒たちがすぐに支援に立ちあがり、募金活動をしてくれた。全国各地の高校からも支援がよせられた。
 私も個人的に、数人の女子高校生から、匿名で見舞いと激励の手紙をもらった。(いまごろ気がついても遅いが、そのころ私はモテテいたのかしら。どこで私の住所を調べたのだろう。)

 私が在学していた時代には、会津高校生は市民から敬意を払われていたものである。「会校生」という呼び方に一種独特な響きがまじっていた。おそらく昭和初期にはそれはもっとめざましかったにちがいない。そういう会津人の感情が、焼失した校舎の建築的な様相にもこめられていたような気がする。後に創立した他校とは明らかにちがっていたからである。石造の本館二階はそのすべてが講堂であったが、窓のデザインも、演壇の上の白壁にほどこされた彫刻も、扉のデザインも、いま失ってみれば昭和初期の建築のよいところをすべて備えていたように思う。
 この点についてはまたいつの日にか、あらためて考えることがあるかもしれない。
 以下に、私が撮影した火災時の写真を掲げて、ご覧いただくことにする。

焼失前の校舎、本館正面
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石組みだけが残った本館
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中庭へ通じる石段。昇ったところに私の教室があった。
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教員室の残骸のなかで茫然とたたずむ小野尚先生
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グランド側から本館南西側を見る
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事務室
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正面玄関内。右手前にころがっているのは競技者の像
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応接室付近
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全焼の南側校舎へ通じる焼け残った廊下。出火9時間前、私はここにいた。左側に工作室と演劇部室、右に美術室
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焼け残った校舎。宿直室と通信教育室。水浸しである
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なすすべもなく茫然とする会校生
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第4体育館(体育館は5棟あった)
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会津高校の火災を報じる新聞
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Last updated  Jan 13, 2006 05:11:50 PM
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会津高校  
etuko さん
息子が会津高校に入学した時・・・校長先生が仰いました。
「会津高校は日本でも誇りの有る立派な進学校です。」
「以前火事により、受験生の内申書が全て焼失しましたが、どの大学も会津高校生の内申書提出は免除されました。
それ程会津高校と卒業生は信用されて居ると言うことです。
ご子息もそれを肝に銘じ、会津高校に誇りを持ち恥ずべき行為をせぬ様に・・・。」
と挨拶されたのを覚えています。

でも何故、息子達は白線2本の帽子を被りたがらなかったのでしょう。
被ったのは、校門の手前からだったようです。
それまでは自転車のカゴの中。

先生方も不思議に思っていらっしゃいました。
「昔は白線2本の帽子が自慢だったのになぁ~」て。
azureoさんは、ちゃんと被ってたの? (Jan 13, 2006 10:08:49 AM)

Re:etukoさんへ(01/12)  
AZUREこと山田維史 さん
etukoさん

>どの大学も会津高校生の内申書提出は免除されました。

そうそう、そのことを忘れていました。私が当の受験生だったわけですが、大学側が会津高校に対してその不必要を述べたということを思い出しました。

>「白線2本の帽子」azureさんは、ちゃんと被ってたの?

はい、かぶっていました。現在でも帽章は手許に保存してありますよ。私の時代は、白線帽と白い鼻緒の高下駄が会津高校生のシンボルでしたからね。まだ旧制中学時代の気風が残っていたのでしょう。
私たちの頃は丸坊主でした。髪を伸すのは、ようやく3学期ころからでした。それでも、のばしていたのは、卒業写真のアルバムをみると、3年生全員の1割にも満たないです。私も坊主頭。芝居の舞台に立つときはカモジをつけたり、赤毛のカツラをつけていました。
現在の生徒はオシャレになったからでしょうね。男女共学ともなれば、男の子の意識は女の子よりもっとウキウキしているかもしれませんよ。
アッ、また思い出した。私が髪をのばしたとき---それは火災後に競輪場の建物を教室にしていたときですが---いわゆるストレートヘアなのでまとまりにくく、チックを使っていたのです。するとそれを目ざとく見つけた同級生が熱心に何を使っているのかと聞いてきました。そんな程度だったんです、オシャレといっても。白線帽も現在のファッション感覚には合わないのでしょうね。
また思い出した。私がイラストレーターとしてデヴューしたころですから70年代の半ば。2月頃のちょうど受験期に、新宿駅の雑踏のなかに白線帽をみつけました。めずらしいなと思って、ふと校章を見ると、なんと会津高校生でした。大学受験に上京したばかりだったのですね。思わず声をかけてしまいました。
きょうはetukoさんのコメントからいろいろ思い出しました。ありがとうございました。
-----
(Jan 13, 2006 02:03:50 PM)

もったいない  
櫻井淳  さん
様式はネオ・ゴチック風になるのでしょうか?
焼失前の校舎の写真を見ると、もったいないとしか言いようがありません。画伯がおっしゃる「昭和初期の建築のよいところをすべて」のフレーズにもうなずけます。
それから写真のアングルは、やはり絵描きさんのものですね。5.0~6.0くらいの絞り深さだと察しますが、背景のぼかし味がきれいだなと不謹慎ながら思ってしまいました。おしつけがましいほど鮮明に写る今のカメラでは撮れない絵だなあ・・・・・・。 (Jan 14, 2006 12:10:33 AM)

Re:櫻井淳さんへ(01/12)  
AZURE0702  さん
櫻井淳さん

>焼失前の校舎の写真を見ると、もったいないとしか言いようがありません。

まったく惜しいことをしました。かえすがえすも残念でなりません。あれからすでに40年以上経ってしまったのですが。
写真については、昔のカメラですからね。櫻井さんは御存知かしら、昔「アイレス」という機種があったのです。その会社は火災にあって(なんという暗合でしょう!)、その後、カメラの製造をやめてしまいました。私の所持していたのはおそらく最後の製造になるものではないかと思います。現在も保存しているのですが、シャッター・ボタンの内部が故障したままになっています。
-----
(Jan 14, 2006 01:44:48 PM)

Re[1]:櫻井淳さんへ(01/12)  
櫻井淳  さん
>写真については、昔のカメラですからね。櫻井さんは御存知かしら、昔「アイレス」という機種があったのです。

いえ、はじめて聞く名前です。
最新のデジカメが高画質・高解像度を競う一方、古い短焦点のフィルムカメラが若者に人気だそうです。柔らかいボケ味がいいんでしょうね。
せっかくですから腕のいいカメラ屋さんでアイレスを修理して、スナップ撮影を楽しんでみるのはいかがでしょう? 
当然パーツ品がないので、精密旋盤などで自作できる職人さんがいればの話でしょうねえ・・・・・

(Jan 15, 2006 10:45:56 PM)

Re[2]:櫻井淳さんへ(01/12)  
AZURE0702  さん
櫻井淳さん


>せっかくですから腕のいいカメラ屋さんでアイレスを修理して、
>当然パーツ品がないので、精密旋盤などで自作できる職人さんがいればの話でしょうねえ・・・・・

東京四谷に昔のカメラを部品を作って修理してくれる名人がいると聞いたことがあるのです。ただ予約がいっぱいで、何年も順番待ちなのだそうです。もっともその方のことを耳にしたのはもう随分いぜんのこと。失礼ながら亡くなっているかもしれません。こういう技術って、一代限りですものね。
アイレス、ほんとは直したいのです。私が小学校5年生のときに買ってもらったのです。当時、優秀な機種だったのですよ、会社自体の寿命は短かったのですが。たぶんこの機種の開発に全力をそそいで、そのため火災後、立ち上がれなくなったのだと思います。
-----
(Jan 17, 2006 04:09:07 AM)

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