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午後3時30分丁度、おせち料理をすべて作り終わった。コーヒーを淹れて、年越しの小宴まで一休み。 我が家は何事もなく過ごせた一年だった。 しかし、世界は各地で地獄図だった。罪深い人を名指しできなくもない。子供が、赤ん坊も含めて、膨大な数が殺戮された。子供たちは自分の意志で生まれてきたわけではない。生まれる環境を選択できたのでもない。生命の喜び、この世に在ることの喜びを全く知らずに、ただ殺されるままの寸毫を生きたに過ぎない。・・・罪深き者よ、おまえも誕生を賀(ことほ)がれた赤ん坊だったではないか。だが、今、お前の生命は、お前が命じて殺戮した人たちの骸(むくろ)が発する呪詛の霧のなかにある。 大晦日仏花かかえて老爺行く 青穹(山田維史) 手袋や道にかたっぽ招くよう 大年や茶を啜りつつ目をつむり 本年三百句め 年越しや年の回りも今は賀し 年越しや老いの重ねを賀するかな 年越しや老いの重ねの慶賀かな (302句め)
Dec 31, 2024
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門松を飾った。いよいよ押し詰まって、正月迎えの準備である。おせち料理作りは明日からにするが、時間がかかる黒豆はもう煮始めた。 山の下の道に薄氷が張っている。その御近所の方、あるいは町内自治会のご好意であろう、薄い土嚢が敷き詰められ、「氷が張っているので注意して、土嚢の上を歩いてください」と張り紙をしてあった。 本年296句目 今日はまだ呟いている年の内 青穹(山田維史)
Dec 28, 2024
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いまさら慌ただしくすることもないのだが、年賀状も出し終えて思うのは、80歳にもなれば差し上げる年賀状もぐっと少なくなった。数百枚が今や三分の一。一人二人と追悼してきた。初めのうちは私よりずっとご年配の私がお世話になった方々だった。それが次第に同年代だったり、幼馴染になった。人の世の常・・・そういうものだと思いもし、私の心にも人生の苔が生えているから、たくさんの訃報も静かに受け止めてきた。 末弟から大部の歴史資料本が送られてきた。過日、家族会食で会ったときに約束した調べごとのためである。資料が届くまでの間、私はすでに一応の家系図を書き上げておいた。しかしながら、聞き取りすることができる年配の親族はすでに亡く、ある程度知っているのはむしろ私だけである。 家系図というのはインチキも多い。家系図屋というのがいて、相手が喜びそうなことをそれらしくデッチ上げるのである。私は弟のためにそれを避けようというわけである。せっかく自分のルーツに関心が向いたのだから・・・ 枯枝や吾が骨拾うシミュレーション 青穹(山田維史)
Dec 27, 2024
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今日12月25日は蕪村忌(1716-1784)。私が最も敬愛する俳人である。 蕪村忌や月無き里のつづらおり 青穹(山田維史) 蕪村忌や指折り数う一世かな 蕪村忌や筆あと薄き滲みかな 画仙紙に落つる涙の蕪村忌 ◯ 画仙紙の涙も涸れて蕪村忌 蕪村忌や薄氷張り更けてゆく 蕪村忌や英書の隅に一句メモ
Dec 25, 2024
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Dec 24, 2024
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十二月二十二日(旧暦十一月二十二日)近松忌 近松門左衛門(1653-1725) 忌日を新暦で1月6日とする説あり。12月の季語。 近松忌八十路の吾に耳目あり 青穹(山田維史) 近松忌恋のもつれを黙しけり 近松忌過ぎにし恋を黙しけり 近松忌蛇紋の裾に匂う香(こう) 床のべにゆらりと立ちて近松忌 近松忌青瓢箪の反りし茎 近松忌帯解き流る水の峰 帯留の翡翠の淵や近松忌 近松忌柏手で漕ぐ深き闇 風すさび襟を立てたり近松忌 近松忌文旦の黄のほのあかり 近松忌月影うすき紙障子
Dec 22, 2024
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すごいオペラ歌手のソプラノのアリアを聴いた。モーツァルト「魔笛」の中のアリア「夜の女王」をマリア・ガルヴァニー(Maria Galvany)という歌手が歌っている。1910年(明治43) の録音だから、まだ電気録音技術はないので、蝋管に録音したものである。エジソンの写真に見るラッパに吹き込んで、回転する蝋(ロウ)の原盤に直接音波をきざみつける、あれだ。 その録音技術はともかくとして(その録音が完全に残っていることはすごいが)、私が驚いたのは、「夜の女王」の歌唱をマリア・ガルヴァニーのように歌うのをいまだかつて聴いたことがなかったのだ。私はたぶん10人くらいのコロラチュラ・ソプラノ歌手でこのアリアを聴いている。あの有名なスタッカートで「ハ・ハ・ハ ハ ・ハ・ハ・ハ・ハ/ハ・ハ・ハ・ハ・ハ・ハ・ハ・ハ・ハ・ハ・・・」と、人間の歌唱発声の最高音(Fa5)ともいえる、しかもソプラノ歌唱技巧として(おそらく)最高難度の部分。ここをマリア・ガルヴァニーは頭声でまるで楽器のように、そう、フルートかピッコロのように歌っているのである。驚いた、驚いた。 私がただ感嘆のアホのような言葉を繰り返すよりも、その実際の録音をお聴きください。わずか3分ほどです。「UCSB CYLINDER AUDIO ARCHIVE」がトッド・コレクションにあるその録音(Edison Amberol :35012)を公開しています。UCSB CYLINDERS LIBRARY/Edison Amberol :35012 以下に、YouTubeで聞くことができる現代の著名なコロラチュラ・ソプラノ歌手が歌う「夜の女王」を書き出してみる。聴き比べてみてください。Lucia Popp (1964年録音)Diana DamrauErika MiklósaLuciana SerraEdita GruberovaSabine Devieilhe (2013年)
Dec 21, 2024
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昨日今日と、ほぼ終日、歴史的な事項について調査。これは末弟のため。彼が一昨年あたりから関心を持ち始めたらしい、いわゆる「我が家史」。そんなことに関心が出てきたとは、末弟も年をとったのだ。それを自覚する何かできごとがあったのかもしれない。 長男の私がもう60年以上前に祖母から聞いた記録などを、資料箱から取り出し、さらに歴史的な証拠を諸本に求めながら事実確認をしていたわけである。私が大学生だった60年前、私の細部にわたる質問に祖母が答えるのを、学校長をしていた伯父がわざわざ来宅して祖母の言葉を「通訳」してくれた。そのとき祖母は90歳だった。「タダミさんと会うのは、これが最後でしょう。私は、あと4年で死にます。達者でいなさい」と祖母は言った。そしてその通りになった。僧侶の伯父のオートバイクの後ろに乗って、スピードを楽しんでいた祖母であったが・・・ まだ調べることはあるが、弟も急ぎはしまい。ゆっくりやろう。松前藩の嘉永年間の藩士記録に母方の人物の名前と役職を発見したり、私自身も楽しんでいる。
Dec 20, 2024
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しばらくぶりで六代目三遊亭圓生師匠の落語を楽しんだ。「水たたき」など、いつ聞いても聞きほれてしまう。「小間物屋政談」の枕のようにエロチックなものも、そのものズバリな事も、話しっぷりで上品になる。すごいねー。どんな噺をしても声に色気がある。「時代」を表出する「芸」にうっとりしながら、驚いてしまう。 ・・・私が感じる圓生師匠のこのことはどういうことだろう? 覚えた噺を話しているのじゃないってことかもしれない。古典落語であるからもちろん覚え、稽古して、講座に掛けているのであるが、何と言えばよいか、圓生師匠自身が噺の「時代の実」の中に入っていられる。落語には多くの人物が登場する。その人と人との絡み合いに圓生師匠には実の世話(庶民感覚)を知っている人情がある。「役」を作り上げて芝居をしているのではない。絡みに「実」がある。・・・そのように私は感じるのである。歌舞伎の中村歌右衛門氏は、「役の性根(しょうね)」ということをおっしゃった。私が圓生師匠の噺に感じるのは、そのことであるが、しかしそれだけではない。噺を上手く語る落語家は大勢いる。圓生師匠に私が感じる「芸」は、そのような語りの上手さだけではない。「役の性根」に「やわらかさ」がある、と思うのである。それは覚えた噺を話すのとは次元がちがう。「水たたき」がYouTubeで聞ける六代目三遊亭圓生「水たたき」
Dec 18, 2024
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昨日16日の朝日新聞夕刊に横組みで、〈「ちょさないで」私も分かる 青森県知事「県外で通じない」投稿に反響〉という見出しで、江湖良二記者の記事が載った。「ちょさないで」は「触らないで」という意味だが、知事は「県外の人には通じない」とSNSに投稿した。その知事の投稿に対して他県の人たちから「私の県でも通じる」などと反響があった。弘前大学の新永悠人准教授は『日本方言辞典』を引用して、「ちょす」を「いじる」の意味で使うのは、北海道小樽、青森県、岩手県和賀郡・(旧)江刺郡、宮城県(旧)栗原郡、山形県、新潟県。さらに「ちょーす」は東北6県の一部と北海道小樽、新潟県であると解説されている。・・・これが江湖良二記者の記事の要点である。 さて、私はじつに70年ぶり、いや、もっとになるかもしれないが、「ちょす」という言葉を懐かしく思い出した。たしかに私が子供の頃に暮らした北海道や、南会津の八総鉱山へ転勤してきた人たちの子弟のなかで、日常的に「ちょす」という言葉は使われていた。私の両親の生家はふたりとも北海道である。しかし我が家では、微妙な方言は混じっていたと思うが、「ちょす」という言葉は使わなかった。先日家族会食した従姉が10代の末に我が家に同居したころ、たしか「ちょす」という言葉を使った。従姉は我が家に来るまでわずかの期間ながら小樽に居た。そのせいだったろうか。両親も私たち子どもも、その従姉の方言をまったく気にかけなかった。「ちょす」が「いじる」の意味であると通じていたからだ。彼女もまもなくいわゆる標準語になってしまった。・・・それ以来なのだった、私が新聞記事で「ちょす」に出会ったのは。・・・この日記を書く前に、弟に訊いてみると、彼は「ちょす」を知らなかった。
Dec 17, 2024
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十二月を詠む 年の瀬やこどもは走る母の前 青穹(山田維史) 母の手に縋る子もある年の内 幾たびも年忘言い年をとり 駆け込みの鎚音ひびく年の暮れ 鎚音も仕舞となりて年の暮れ 誰某(だれそれ)が犬と降りくる冬の山 【番外】 されこうべ戦地風葬冬ざるる 野晒しや宇宙の塵に冬ざるる 初雪や爆撃深きクレーター 沃野荒れ死屍累々と冬来たる 初雪や斃れし兵の骸かな 敵とせし兵の骸か冬の蝿 金に換えらる命なり空っ風 血しぶきや花無き野づら霙雨 天の果て地の果てひとつ冬の月
Dec 16, 2024
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昨夜は1年ぶりの兄弟妹姪従姉会食。元気ではあるが90歳近くになった従姉を気遣って、場所は従姉の家近くの吉祥寺聘珍楼。次弟がセッティングしてくれた。馴染みの中華飯店の個室である。少し早めに家を出て、従姉の家で茶を飲みながら昔話。レストランへはタクシーで行くつもりだったが、時間になると従姉の娘夫妻がわざわざやってきて車で送ってくれた。 今夜のコースメニューは・・・ 前菜三種盛合せ(本格窯焼き焼豚、水母と胡瓜漬物、豚肉ロールと椎茸)、明石産真鯛の広東式刺身、本格窯焼き北京ダック、鱶鰭姿煮、紋甲烏賊と白舞茸季節の野菜炒め巣篭盛り、高知産伊勢海老と季節の野菜、ずわい蟹炒飯、デザート(銘々で好きなデザート。私はオレンジ・ジェリー。カシューナッツ黒糖かけ、漉餡饅頭・・この二品は店のサーヴィス)、烏龍茶(これは従姉と私と末弟だけ、他の者は酒類)。 1年ぶりに顔を合わせたので、閉店時間までにぎやかに話に花を咲かせた。末弟が私に聞きたいと、大部の本を持ってきていたが、後日自宅に送るように言って、一旦持ち帰ってもらった。私の方からも資料をコピーして送ることを約束。また、私の死後に遺ったすべての作品は皆んなに譲ることを宣言した。 帰宅したのが午前0時過ぎ。そのままベッドに直行。
Dec 15, 2024
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朝方、眠っているときに突然、救急車のけたたましいサイレンが鳴り響いた。驚いて目を覚まし、時計を見ると午前4時を少し過ぎていた。その後はすんなり眠りにつけずにいると、30分ほどして再び救急車が我が家の門前を過ぎて行った。何事が起こったかは判らないが、寒さが厳しくなると体調に急激な変化が起こることが少なく無い。過日、道で出逢った知り人が、二回救急車の厄介になった、と言っていた。 じつは今日、私は主治医のクリニックに行くことになっていた。年末に自主的に血液検査をしてもらうのを恒例として来た。年に2回、半年毎に検査している。そのうち一回目は市が提供する健康検診である。 私はこれらの検査結果によって主治医のアドヴァイスをもらいながら、食事の内容や調理方法を工夫する。いささかの栄養学の知識と、私自身が毎日の食事をつくっている強みで、検査諸項目の数値が基準値内におさまっている。年末に自主的に受診するのは、この時期から正月にかけて会食の機会も多くなるし、正月中はだらだらと食って寝るていたらく。あわよくば「無事に」食って寝ていようという魂胆からである。主治医のアドヴァイスはいつも変わらず、「仕事ばかりしていないで運動してください」である。きょうも、そう言われて背中をたたかれた。 今日の結果が出るのは後日である。 ちなみに、採血のため朝食抜き。腹ペコで帰宅して、昼食はまずそのまま食べられる昆布と茎若布の梅酢、その後、八つ切りの米粉食パン2枚にヘーゼルナッツ・スプレッドとブルーベリージャム、低脂肪牛乳を注いだコーヒー(無糖)、みかん1個。 夕食は、黒毛和牛ステーキ(300g、ひとつまみのごく少量の塩と胡椒をふりかけ、40秒ほどならしてから焼き)、フライドポテト(皮付きのまま素揚げ。味付けは無し)、レタスと赤蕪のサラダ(赤蕪は農家から直接買ったもの。一口齧ってみるとやや辛味があった。薄塩をふりかけて少し水分を抜いてから純100%のリンゴ酢と砂糖ごく少々に漬け込む。普段、料理に砂糖を使用しないが、辛味と調和させるために使った。10分ほどしてからレタスをちぎって蕪と合わせた)。
Dec 13, 2024
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烏が羽を一枚落としていった。きれいな羽である。木枯らしが吹いていたので、ふくら雀のように羽をふくらませたか。もう我が庭には食べる果実はあるまい。南天の実と、そう、土佐文旦は2,30個生っているが、食べるにはどうだろう。 冬鳥の文とも思う羽ひとつ 青穹(山田維史) 夕烏ひと声鳴いて冬の雲 短日や帰り仕度か夕烏
Dec 12, 2024
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Dec 11, 2024
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植木鉢の紅葉がまだ枯れずにある。この楓は、10年くらい前だったろうか、道路のまんなかに丈5cmほどの幼い木が顔をだしているのを見つけ、このままではいずれ踏み潰されてしまうだろうと思い、そっと引き抜いて家に持ち帰った。はじめは盆栽用の小さな鉢に植えたのだが、枯れもせずに成長した。そこでもっと大きな鉢に植え替え、今に至っている。あのときの幼さはどこへやら、幹も太く、丈も60cmほどになった。大木になったら困るので、年に一度、選定をしている。若葉のころの柔らかい緑も良いが、こうして紅葉すると、それもまた楽しい。大きくなったね、と声をかけるのである。ハハハ。
Dec 11, 2024
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今日10日、日本時間の夜、ノルウェー・オスロの市庁舎で日本原水爆被害者団体協議会に本年度のノーベル平和賞が授与される。被爆者としての苦悩を背負い、まさに身をもって核兵器廃絶を世界に向けて呼びかけてきた方々である。 私の従姉の祖父は、戦中当時、縁戚が広島に在住してい、原爆の報を知ってその安否を尋ねてほぼ直後に広島に向かった。数日間探し回ったが所在を確認できず、疲れ果てて帰ってきた。 従姉はまだ10歳そこそこであったが、広島から帰って後の祖父は急に健康を害し、そのことについて「私、おとなになってから思い返して、おじいちゃんは放射能に汚染していたのではないか、と思うのよ。今となっては確認しようもないけど・・・たいていの人は間接的な被爆について何も知らなかった」と、私に話した。 次に紹介するのは核兵器についてではないが、チェルノブイリ原子力発電所の大事故の映画である。前半は原子炉がメルトダウンする直前までの捜査室での技術者の様子を記録と証言に基づいて再現ドラマとし、技術者たちは実名である。後半は事故後の実際映像と、生き残った関係者のインタビューである。この映画は現在YouTubeで配信されている。語りはフランス語だが、日本語として不十分だが同時翻訳字幕が可能。チェルノブイリ:歴史を永遠に変えた核災害
Dec 10, 2024
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シリア独裁政権が崩壊した。シリア国民は、自由を奪還した。アサド大統領は一家を引き連れてロシアへ向かい、ロシアは亡命を認めた。 ・・・中東の政治地図がどのように変わるのか。それとも変わらないのか。 一昨日7日、イスラエルはパレスチナ自治区ガザ北部で稼働をつづける唯一の病院を急襲した。 同じ7日、パリのノートルダム大聖堂再開記念式典に招待された、米合衆国次期大統領トランプ氏とウクライナのゼレンスキー大統領、そしてマクロン仏大統領の提案で、非公開の三者会談がおこなわれた。ウクライナ/ロシア戦争の終結に関して話しあったようだ。ゼレンスキー大統領はSNSで、「有益で実りある会談だった」と述べたが、一方、トランプ氏は大統領就任後にウクライナ支援を確実に減少することを言明している。トランプ氏はロシア寄りということは国際的に知られている。 ウクライナは自国の力だけでは侵略されロシア化された領土を奪還できないだろう。戦線後退の可能性も大である。もしも停戦協定が成立したとして、その期間にプーチン大統領は軍様を整えるだろう。プーチン大統領にとって停戦はその準備期間に過ぎない。プーチン氏の究極の目的は、単に領土を拡張することではない。中東を裏から管理すること。そして、多民族国家として白系ロシア人優位の人種的民族的ヒエラルキーを維持することが、自身の権力維持の絶対条件である。ゼレンスキー大統領もそれは承知しているはず。 アサド父子の半世紀余におよぶシリア強権独裁の崩壊は、はたして世界の何を新たに炙り出すか。ロシアはシリアに中東管理に大きな影響力をもつ重要軍事基地を設置している。イランはシリア内のイスラム組織シーア派のヒズボラを支援している。イスラエルはそのヒズボラを壊滅に追い込むため、現にレバノンのヒズボラを攻撃している。・・・世界の地政図はどのように変わるのか。シリア国民は、手中にした湯気が立つほやほやの「自由」を、しっかり握りしめたほうがよい。一瞬の夢と消えてしまわないように。BBC NEWS 政変2日目のシリア首都
Dec 9, 2024
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1941年12月8日、すなわち83年前の今日8日、日本は真珠湾とマレー半島を奇襲攻撃して太平洋戦争が開戦した。世界史において日本は最も愚かな為政者を頂いたために、300万人の国民が死に、国土が荒廃し、悲惨な結果を招いた戦争である。 現在、世界はいたるところで内乱と戦争がつづいている。為政者は己の権力維持のための主張を、あたかも国民の総意であるかのように、内外に向かって詭弁と欺瞞を繰り広げている。己ひとりの栄耀栄華のために、何十万人、何百万人を殺戮し、また一国の国民すべての生命を犠牲にしている。(政治は「清濁合わせ飲む」とは言うものの、evil murdererとなった為政者が、不安におののきながら己の身を守るために地下宮殿(巨大シェルター)を造営しているなどは、私は思わず笑ってしまう。) 暴力主義・戦争主義は永久運動の歯車のようなものだ。攻撃と報復が循環して、その回転は世代を超えて回り続ける。近代以降の世界の歴史を閲すれば、戦争によって平安がもたらされることも栄えることもなかったと判る。 ・・・しかしながらこの理屈を知ること、知らしめることは、難しい。人類史上、今まで誰もそれができずに来た。すべての人間がこれからも生き続けることを願うなら、暴力主義・戦争主義を完全に放棄するための実行的な原理の発見が人間の課題である。「正義」とか「不正義」という問題ではない。 下の絵は、米国人画家バーナード・パーリン(Bernard Perlin; 1918-2014) が、1945年(昭和20)に描いた「Tokyo Street Worker」と題した作品。終戦後、米軍に爆撃破壊された東京の復興に向けて努力する様子を描いている。バーナード・パーリンは第二次世界大戦時に、おそらく従軍画家として、派遣された各地で戦争画を描いた。日本国内の戦災で荒廃した情景を撮影した写真は少なく無いが、米軍属の画家が日本の復興の情景を描いた絵を、少なくとも私は目にしたことがない。パーリンのこの絵をめずらしく思い、ここに掲載する。男の国民服でもあった日本陸軍の軍袴と戦闘帽、そして和式の鍬。現場で写生したのではなさそうだが、パーリンは実際に見た光景を描いている、と私は推測している。さらに言うなら、戦争画の多くは敵国の様子をおおむね戦果を強調して醜悪に描いているが、パーリンのこの絵にはそのような一面が無い。戦争の悲惨さは、この画家にとっては、背景にほとんど象徴的に描いた建築物の残骸だけで十分だったのだ。Bernard Perlin "Tokyo Street Worker" 1945
Dec 8, 2024
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たくさん(50個)のムール貝が届いた。いろいろな料理が思い浮かんだ。アヒージョにしようかワイン蒸しにしようかと迷ったが、ちょうど他の食材もあったのでパエリャと、ムール貝のチーズ焼きを作った。パエリャを作ったのは随分しばらくぶり。本場スペインでは男の料理ということになっている。本来は漁師さんの料理だったのかもしれない。それはともかく、自分でつくっておきながら、美味しく食べた。
Dec 7, 2024
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しばらくぶりにサイクリングをした。風が少し吹いていたが、初冬の日差しは気持ちよく、ダウンジャケットを着込んでいたのが邪魔になるほどだ。すっかり汗ばんでしまった。 途中で顔見知りの方に出会い、今年はもう逢うことはないだろうと思い、「少し早いですが、良いお年をお迎えください」と言った。相手も笑いながら同じ挨拶を返してきて別れた。 自転車のリムに光りて冬日和 青穹(山田維史) 自転車のペタルに舞うは枯一葉 隧道の前後で積もる落葉かな 隧道の先に初冬光るや終戦案 年の瀬や駄句も溜まれば二百五十
Dec 6, 2024
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私の母校・会津高等学校の令和7年版同窓会名簿の発行につき、記載事項確認の書面が届いた。 それを見たからであろうか、昨夜就眠中に、眠ったまま(つまり夢の中ということになろうか?)歌謡曲『白虎隊』を歌っていたようだ。いや、「ようだ」ではなく、明らかに全曲を歌っていた。「戦雲暗く陽は落ちて・・・」という、島田磬也作詞、古賀政男作曲の歌である。しかも歌中の詩吟も「南、鶴ヶ城を望めば砲煙上る・・・」と、吟じていた。いや、我ながら呆れた。 ところでこの歌謡曲「白虎隊」は、元々は霧島昇氏が歌ったが、その後、現代まで男女を問わず多くの歌手が歌っている。詩吟の部分は、島津亜矢氏のようにご自分で歌っている場合もあるが、霧島昇氏や藤山一郎氏のように専門の吟詠家が吟じている場合もある。 また、この曲に合わせて剣舞が踊られることもある。昔、私が高校生の頃は東山芸者衆のお座敷芸であった。 じつは謂わば本格的な剣舞「白虎隊」は、会津高等学校剣舞会が伝承していて、年に一度だけ飯盛山の白虎隊士自刃の場で挙式される墓前祭で演じられる。これは会津高等学校剣舞会にのみ許されたことである。19人が舞い、自刃後に生存が確認された飯沼定吉氏役の一人が吟詠する。こんにち白虎隊士墓前において芸者衆が踊ったり、踊りの会のような人たちや子供が踊ることもあるようだが、昔は決してそのようなことはなかった。会津高等学校剣舞会の舞は、正式な詩吟によるもので、歌謡曲とは無縁である。この正式に吟じられる漢詩は鶴ヶ城内の武徳殿に掲額されている。白虎二番隊十九士の十七回忌に際し、佐原盛純が詠じた。つぎのような詩である。歌謡曲の中の詩吟はこの漢詩の13行目から16行目までを取っている。 白虎隊 佐原盛純 少年團結白虎隊,國歩艱難戍堡塞。大軍突如風雨來,殺氣慘憺白日晦。鼙鼓喧闐震百雷,巨砲連發僵屍堆。殊死突陣怒髮立,縱橫奮撃一面開。時不利兮戰且退,身裹瘡痍口含藥。腹背皆敵將何行,杖劍閒行攀丘嶽。南望鶴城砲煙颺,痛哭呑涙且彷徨。宗社亡兮我事畢,十有九人屠腹僵。俯仰此事十七年,畫之文之世閒傳。忠烈赫赫如前日,壓倒田横麾下賢。【以下に読み下し(あえて旧仮名にした)】白虎隊 少年團結す白虎隊,國歩艱難(かんなん)堡塞を戍(まも)る。大軍突如風雨來(きた)り,殺氣慘憺(さんたん)白日晦(くら)し。鼙鼓(へいこ)喧闐(けんてん)百雷震(ふる)ひ,巨砲連發して僵屍(きゃうし)堆(うづたか)し。殊死(しゅし)陣を突きて怒髮(どはつ)立ち,縱橫(じゅうわう)奮撃して一面開く。時利あらず戰ひ且(か)つ退き,身には瘡痍(さうい)を裹(つつ)み口には藥を含む。腹背(ふくはい)皆な敵將(まさ)に何(いづく)にか行かんとす,劍を杖(つゑつ)き閒行(かんかう)丘嶽(きうがく)を攀(よ)づ。南鶴が城を望めば砲煙颺(あが)り,痛哭涙を呑みて且(しばらく)彷徨(はうくゎう)す。宗社(そうしゃ)亡(ほろ)びぬ我が事畢(をは)る,十有九人屠腹(とふく)して僵(たふ)る。俯仰す此(こ)の事十七年,之(これ)を畫(ゑが)き之(これ)を文にして世閒に傳ふ。忠烈赫赫(かくかく)前日の如く,壓倒す田横(でんわう) 麾下(きか)の賢(けん)。
Dec 4, 2024
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鉢植えのムサシアブミの大きな葉はすっかり枯れ、秋も深まり、実が赤く色づいた。
Dec 3, 2024
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