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朝の短時間ながら大降りの雨のせいで、昨日より5度も低い30℃の過ごしやすい一日。私は長い制作から解放され、作品に署名後はほとんど何もしなかった。ときどき読みかけの本を開いて1章ほど読んでは、その重い内容を私自身の言葉で如何にしたら完全に咀嚼できるかを考えこんでしまう。
ずいぶん以前に古書店で見つけて買っておいた、S.メルヒンガー著『政治演劇史』(尾崎賢治・藤原惟治訳、白水社、1976年刊)。2段組507ページの大著である。
読み始めたばかりで、まだ第3章まで読んだだけだが、ギリシャ悲劇アイスキュロスに関する分析は、その賢察に敬服する。私の頭に沸き上り渦巻くのは、現代日本のまさに安倍政治で、アイスキュロスの生命を懸けたアテーナイのポリス体制に対する警告は、そのまま安倍政治に当てはまるのだ。アイスキュロスの『アンチゴネー』をめぐって、著者は次を前提してから、第二次世界大戦後のカール・ラインハルトの見解を引用する。その前提とはすなわち、戦争の動機は「個々人の物欲と権力欲」である。その動機はむろんできるだけ隠されていて、真実とそれを覆う仮象(みせかけ)との弁証法として「命名」の遊戯があらわれる。(山田註;分かりやすく言い直せば、悪の実体を覆い隠すための騙しの言葉。法律の名称によって真実隠蔽工作をすることなど。)
---その「命名」遊戯について、カール・ラインハルトは、第二次世界大戦という経験を踏まえて、こう言う。「命名からどういう権力が出てくるかをわれわれは経験した。命名を貫徹するために、どれだけ膨大な装置となるかを。それは全体主義国家において特にそうであるが、そこだけではない。」
この洞察は、まさに安倍政治を直接に批判しているであろう。日本の平和憲法を踏みにじって「戦争法」を成立させるために、「膨大な装置」を構築しつつある。その装置には、日本が武器輸出を解禁し、国家間の争いや、民族間抗争、宗教間抗争、それらに必然的にともなう人殺しを、積極的に仕掛ける戦争商人に成り下がることが含まれている。人殺しに加担することで、もしくは日本がその従犯になることで、日本経済を支えようという魂胆。安倍政権はこれを「積極的平和推進」という言葉で覆う。まさに戦争の動機である「物欲」だ。これは大東亜戦争の日本の動機とまったく同じで、このときの「命名」遊戯で使われたのが「八紘一宇」(日本の天皇制のもとに世界は一つという身勝手な思想。おわかりかな、某女性国会議員よ)だ。
とにもかくにも、日本人著者による演劇史は無数にあるが、S.メルヒンガーのような鋭い考察は、私は寡聞にして知らない。残念ではあるが、この本を翻訳した尾崎賢治・藤原惟治両氏には学問的謝辞を記しておきたい。
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