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Dec 13, 2017
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カテゴリ: カテゴリ未分類
平安時代に当時の病気について書かれた「病草子」と云う著作物があります。

つまり平安時代には水虫がなかったのか?

なかったのです。
アレは明治時代になって、軍隊が今私たちが履いてる「洋靴」を履きだしてから蔓延したのです。


日本の靴の製造は1870年(明治3年)3月15日です。
東京の築地に初めて近代的な靴の工場ができ国内で靴の製造が始まりました。
この日が「靴の記念日」です。
日本にも洋靴が入ってくる前から、靴に似た履物はありました。


平安時代になって、中期ころからしだいに束帯が成立し、桐の木を彫って黒漆を塗った浅沓が用いられるようになりました。
六位の武官の履き物では絲鞋(しかい)と云う糸を編んで作ったズック靴のような履き物もありました。

しかし、こうした沓(くつ)は中国から朝鮮を通じて入ってきたもので、宮中や宮司が式典のときに履くものです。
一般庶民は裸足のままでした。








今、私たちが履いてる洋靴は、北方系の遊牧民だったゲルマン民族が、ヨーロッパを征服したとき同時にもたらしたものです。
それ以前のローマ、ギリシャ民族も洋靴は履いていませんでした。

洋靴は通気性よりも、保温性を重視したもので、寒くて乾燥している風土が生んだものです。
通気性がないから足が密閉される。
密閉されると汗が逃げない。
洋靴と云うのは、もともと日本のような湿気の多い風土にはあわない代物だったのです。
それでは、日本人は何を履いていたのか?


下駄は、元来「田下駄」と云って、深い水田に入るとき、身体が沈まないよう発想されたものでした。
それが陸で歩くとなると、鼻緒がすぐ切れてしまう。

そこで裏に回った鼻緒の端を守るために歯をつけたのです。
下駄は足全体が開放されているので、当然、通気性はいいです。
しかし、欠点は傾斜の強い場所では、2本歯は平衡が保ちにくいですね。

これだと、どんな傾斜でも足の平衡が保てて、実に歩きやすい。

さらに「浜下駄」と云う傑作があります。
これは太い竹を2つに割って鼻緒をすげたものです。
竹ですから、と~ぜん足を乗せる所が曲面になっています。

材質が竹で、つるつるした曲面ですから、砂が乗らなくて、砂浜を歩くのに具合がいい。
砂浜用だから浜下駄で、後の「駒下駄」の原型となったものです。


水田の中を歩く田下駄が、湿気の多い路面を歩く2本歯の下駄になり、そのまたバリーエーションが生まれたりと様々に変化していきました。

「足駄」は歯を台に差込む構造のものですが、初期の頃には一木から繰り抜きました。
歯が通常のものよりやや高いのが特徴です。
平安時代後期から江戸時代ごろまで用いられ、江戸期にはもっぱら雨天の履物でした。
また、旧制高等学校生徒が履いていた朴歯の高下駄もこの下駄の一種です。
雨用の下駄があるように、雪下駄と云って、雪道に履く下駄もありました。
雪が歯間から落ち易いように歯を先細りに切り出したり、底に滑り止めの金具を打ったりするもので、新潟県の「箱下駄」や岩手県の「くりぬき下駄」などがあります。

「箱下駄」の斜めの部分は蓋付きになっています。
湿り気のある雪の湿気で鼻緒が濡れない工夫ですな。
「くりぬき下駄」は先細りの歯を斜めに切り出して、歯間の雪が落ち易くしてあります 。
田植え用に田下駄があるように、海苔養殖のための下駄もありました。
その名も「海苔下駄」。
海中で履くため浮かないよう底板に石をくくり付け使用します。
海の深さによっては、高さ2m 近いものもあり、履いて立つための脚立替わりの下駄です。
下駄とあわせて、もうひとつ湿気の多い日本で、発達した履物がありますね。
ひとつは鞋(わらじ)です。

鞋は前部から長い「緒(お)」が出ており、これを側面の「乳(ち)」と呼ばれる小さな輪および踵から出る「かえし」と呼ばれる長い輪に通して足首に巻き、足の後部もしくは外側で縛るものです。

足に密着するため、山歩きや長距離の歩行の際に非常に歩きやすく、昔は旅行の必需品でした。
また蹄鉄のない江戸時代には、馬とか牛にも専用の鞋を履かせて蹄を保護していました。


そして、もうひとつは草履です。
鞋が足をガッチリとホールドするのに対し、足の指さきを鼻緒にひっかけるだけの草履は、洋靴と出会ったとき、鼻緒つきスリッパを考案させたのです。

あの洋靴のかかとの部分を捨てて、先だけを残したスリッパは日本人の知恵の産物なんですね。
日本でブーツの発想は中国文化をまねた公家の履く「履」以外では、ただ「雪靴」があるだけです。
ゴムの長靴が普及する以前は雪国の庶民がこぞって使っていました。

雪の温度が十分低く、また稲藁が断熱材となり雪は解けず水が浸み入ることもない。
また断熱性の違いからゴム製長靴のように、足が冷えることが少ないし通気性もあるといいことづくめの履物だったのです。
靴で云えば、実は革製のものは日本古来からありました。
綱貫沓(ツナヌキ)という一枚皮の仕立ての物で、今で云うモカシンみたいな靴です。
これを履くのは冬のみです。

綱貫沓はイノシシ、熊、鹿、牛などの皮などを使いましたが、ポピュラーだったのは一番丈夫で長持ちするイノシシのものだそうです。
この靴の特徴は浅くて脱げやすいことです。
脱げやすいから、底からグルグル綱巻いてくくるんですな。
で、「ツナヌキ」と云う名前に。

この綱貫沓の中に藁を詰めて履くと保温になるのです。
つまり、綱貫沓は通気性と保温性を兼ね備えた靴と云えます。
綱貫沓は農作業や防寒用として、江戸時代から昭和の20年ごろまで使用されていたと云います。
日本軍の建軍当時、軍装のなかでも靴はもっとも兵の体に馴染みにくかったと云います。
みんな裸足か草履か下駄か鞋で育ち足がのびのびしている。

そんな青年たちが徴兵で生まれて初めて靴を履かされたのです。
当時の人にとって靴は窮屈なものだし、そのうえ靴造りの技術も未熟な段階でした。

まして乾燥して寒いところでさえ蒸れる洋靴を履かされたのですから、日本のような風土ではたちまち水虫が蔓延しました。
そんなわけで兵にとって靴は苦痛で、西南戦争はもとより日清戦争でも、兵営を出るときは軍靴だが戦場では鞋、足袋になっていたと云います。

日露戦争の前年にはそれまでの短靴に代わり編上靴が登場しますが、将兵の動員数が多すぎて補給が間に合わず、短靴も支給されました。
しかし、それでもなを鞋を愛用する兵もあったそうです。





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Last updated  Dec 13, 2017 05:01:09 AM
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