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Oct 24, 2019
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カテゴリ: カテゴリ未分類
エヴェレスト、もしくはチョモランマと云えばだれもが知ってる世界最高峰。

一流の登山家だったら、誰もが夢見る憧れの山!...


の、ハズでしたが、近年は"先鋭的"な登攀家でエヴェレストを「ノーマル・ルート」から登りたいなんて考える人は誰も居ません。
だって一流の登攀家に云わせると、エヴェレストのノーマル・ルートなんて「ヒル・ウォーキング」つまり丘を散歩するのと同じ。

確かに、深刻な高さの問題はありますよ。
だけど、1978年に超人ラインホルト・メスナーとその相棒ペーター・ハベラーが無酸素でエヴェレストを登って以来、今まで延べ173人が無酸素登頂しているのです。
無酸素登山を含むノーマル・ルートでエヴェレストを登った人は今まで延べ5,104人に上ります。
つまりほとんどの人は酸素マスクをつけて登頂したワケです。


しかし、現在は違います。
登頂のためのノウハウが蓄積され、死亡率は減少傾向。登頂成功率は上昇傾向にあるのです。
ノーマル・ルートで要となる困難なヒラリー・ステップには簡単に素早く登れるよう固定ロープが貼られていますが、はしごも設置することが検討されているほどです。
近年ではベースキャンプから山頂まで1週間に2往復する女性が現れたほどです。


もうひとつエベレスト登山の容易な点は現地人登山ガイドであるシェルパによる登山支援が強力なことです。
シェルパは他のヒマラヤ8,000m 峰にも行きますが、その依存度は雲泥の差です。
逆に云うと、シェルパなくしてエベレスト登頂がおぼつかない隊も沢山あったと云うことです。
1975年に世界で初めて女性としてエベレスト登頂をはたした田部井淳子。
実情は頂上付近でシェルパのアンツェリンにずっと手を引っ張ってもらって、ようよう登頂できたのです。
だから一時期、日テレが「世界の果てまでイッテQ!」でイモトアヤコをエベレストに登らせる企画を立てるなんてバカのことまで考え付くのですね。
なにしろシェルパは普段から低酸素の高山で暮らしているし、トップクラスになると幾つもの登山隊に四六時中雇われているので、ルートの把握から天候の具合まで熟知しているワケです。


しかも同じ週に2回目のエベレスト登頂を果たし、24回目をクリアー。
どちらも酸素マスクをつけての登頂です。
そんなエベレストで異常な現象がおこってます。
2012年には、異常高温によりルート工作が難航したため待機させられていた大量の登山隊が開通時に一斉に押し寄せました。
なんと1日で234人が登頂し大渋滞が発生。


それでなくても、エベレストの登山ルートには、随所に120体もの回収不能な遭難者の遺体が放置され、凍結ないしは乾燥によりミイラ化しています。
遺体の中には登山ルートの目印となっているものもあるです。
エベレストに登るにはノーマル・ルート(北東陵)以外にも、さまざまなルートがあります。
それらはノーマル・ルートと比べて、はるかに難しいもので、高度8,000m 以上で困難な岩壁や氷壁登攀を伴うものもあります。




しかし、それらのバリェーション・ルートは最も先鋭的な登攀家たちが1度登ったきりで、他の登山者は十年一日のごとく、カビの生えたノーマル・ルート登山を繰り返すばかりです。
だいたい、バリェーション・ルートの登攀はシェルパの立ち入れない世界。
いくらプロの登山ガイドと云っても、シェルパに登攀技術はなく、彼らはあくまで素人然とした外国人を手を引っ張ってでもノーマル・ルートから山頂に立たせる役目しかないからです。

いままでにバリェーション・ルートを登り切ったのは、いづれも当時トップ・クラスのクライマーばかりでした。
1975年に国際隊や日本隊のアタックを撥ね続けた最困難の「南西壁」をイギリスのクリス・ボニントン チームが登攀しました。
登頂したのは天才的なクライマーのドゥーガル・ハストンとダグ・スコットです。

1980年にはポーランドの登山家クシストフ・ヴィエリツキとレーチェク・チヒがノーマル・ルートから厳冬期に初登頂してます。
1980年はエベレストのバリェーション・ルート開拓の豊作年でした。
春にはポーランドのイェジ・ククチカとアンドレイ・ジョックが南峰直登ルートを初登頂。
同じころ、日本の重広恒夫と尾崎隆が北壁を初登頂してます。
そしてラインホルト・メスナーは北面未登ルートから無酸素かつ単独で初登頂をはたしているのです。
今年の春(通常、エベレスト登山は春か秋に限られます。夏は落石の宝庫だし、冬はとんでもなく寒すぎるからです)、ノーマル・ルートから山頂を目指す人が200人以上集まりました。
エベレストに8回トライし、3回登頂に成功しているカナダのオタワに本拠を置く冒険映画製作者エリア・サイカリーの証言によると、登頂を目指す人の中にはあきらかに技量不足の人がたくさんいました。
ただシェルパ頼みの。
彼は山頂を目指すアラブ人女性のグループを追ってました。
エリア・サイカリーは云います「私が見た最も衝撃的なことは、常識ではありえない午後9時30分になってやっと山頂に向かっていくグループを見たことです」。
「私たちは60~80人の登山者を追い越し、全員を頂上に連れて行き、全員を安全に戻すことができましたが、他のチームでは死亡事故が続発しました」。
同じ時期にエベレストを登り、凍傷になったインド人のアミーシャ・チャウハンの凍傷の原因は混雑で山頂から下りるのに20分も待たなければならなかったからです。
またインド人のアンジャリ・クルカルニも同じく下山中に命を落としました。

登山手配会社アルン・トレックによると、山頂付近の混雑がクルカルニの下山を遅らせ、悲劇につながったと説明。
シェルパによると、クルカルニは登頂、下山に長時間待たされ自力で動くことができなくなり、シェルパが連れ戻す途中に死亡したと云うそうです。
2019年の春のクライミングシーズン中にエベレストでは11人が死亡しています。
ほとんどが疲労と高山病に屈したのですが、本当の原因は登山道の過密で待たされたことです。





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Last updated  Oct 24, 2019 06:26:26 AM
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