
前回の「 DAY1 罪悪感はどこから?
」「 DAY2 なぜ罪悪感を持ち続けてしまうのか
」に引き続きジックリと考えて見ましょう。
罪悪感という罠に陥ってしまうのはなぜ?
わたしって、何をやってもダメ・・・
」
「 どうして、すべてが自分の思い通りにいかないの・・・
」
「 わたしという存在が、みんなの迷惑なのでは・・・
」
もし、あなたが今、そのように
いつも周囲の人々の目線にビクビクし、
自分がどう思われているか、を必要以上に気にし、
「どうせ、わたしは・・・」と、
自分自身を卑下し暗く落ち込んでいるなら、
それはもしかして、、「 罪悪感という罠
」にはまってしまっているのかもしれません。
実は、そのような感情は、「 わたしは、何者なのだろうか???
」と、あなた自身のアイデンティティーが曖昧になってしまっていることが、どうやら原因の一つのようです。
わたしたちは、いったい何者なのでしょうか。聖書にはそれが明白に記されています。次のように書いてあるとおりです。
「 正しい者はいない。一人もいない
。悟る者もなく、神を探し求める者もいない。皆迷い、だれもかれも役に立たない者となっ た。善を行う者はいない。ただの一人もいない。... 彼らは平和の道を知らない。 彼らの目には神への畏れがない
。」(ローマ3:10-12,17-18)
あなたが何者であるかを知るためには、何よりも先ず、あなたを愛し今日も生かしてくださっている神様が何者であるか、を知ることが大前提だということを教えています。
創造主なる神様は、あなたに目的をもって命を与えてくださいました。ですから、 神様を知ることが、すなわち、あなた自身が何者であるか、のアイデンティティーとなる
のです。
そのことは、たった 二つのフレーズ
で言い表すことができます。
それは、
「全能の神は偉大で、
わたしは罪人である」
という事実です。
この現実を痛感した瞬間に、
人はみな、イエス・キリストの救いを
熱望するようになる
のです。
R.C.スプロールは、このように言っています。
「人は自らと神の偉大さとを比べることなしには、自分が取るに足らない小さな存在であることを決して痛感することはできない。」
あなたはいかがでしょうか。
ローマ3章17-18節では、 「彼らは平和の道を知らない。 彼らの目には神への畏れがない」
と教えています。
これは、偉大なる神様を畏れ敬う気持ちを忘れ去ってしまっていることこそが、まさに心の平安が失われてしまう根本的な原因であることを、警告しているのです。
もっと分かりやすく言えば、いつの間にか 自分自身が、神に取って代わろうとしてしまっているとき
に、この罪悪感の罠に陥ってしまうのです。これは、アダムとイブを誘惑した蛇の「 この木の実を食べれば、目が開けて、神様のようになれるよ
」(創世記3:5)
という殺し文句にもあったように、私たち人間が陥りやすい罪なのです。
たとえ、神様のように振舞おうとしても、わたしたちは 神様ではありませんから、何もかもが思い通りには行きません
。その結果、自分を責め立てて苦しんでしまうという悪循環にはまってしまうのです。
では、罪悪感の罠に陥りやすい五つのタイプをご一緒に見てみましょう。
DAY4「罪悪感に陥りやすい5つのタイプ」へつづく
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