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2012年01月28日
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カテゴリ: つれづれ

言葉は、とても限定された表現手段ですから
言葉そのものにとらわれてしまうと、いろんな問題が起こってきます。
一つの言葉でも、人それぞれみんな捉え方や感じ方は違いますし
例えば、自分にとって、その言葉は、特にどうということでなかったとしても
相手とっては、それはきつい言葉に感じる、などと
自分にとっての言葉の定義と相手と異なると
「あんなことを言うなんて、ひどい」とか
「こんなことを言うのは、彼が私をないがしろにしているからだ」
とか誤解や葛藤が生まれてきます。

何度かお話ししていますが、キネシオロジーで調整しているのは
言葉そのものでなく、その言葉から導き出されるエネルギーですから
実際は言葉そのものはどうでもいいわけですが
お互いにわかりやすい手段で伝え合うために、
言葉を手段として選んでいるだけなのです。
だから、その言葉がその人にとって、どういう感覚をもたらすか?
が大切になってきます。

相手の話を聞く時に、言葉そのものを聞くのではなく
真に相手が伝えたいことを聴く。
これができないと、相手の使った言葉に惑わされて
あれこれ考えてしまって、事実とは全く違う幻想の中に
いることになってしまいます。

ちなみに、フラワーエッセンスの中で「ツインフラワー」
というエッセンスがあり、たまにクラアントさんの身体が選ぶのですが
これは、真のコミュニケーションのためのエッセンスで
言葉そのものではなく、真に相手が伝えたいことを理解する
という効能があります。
ジャッジ(判断)を手放すためのエッセンスです。
(私は、ツインフラワーのアラスカンエッセンスとパシフィックエッセンスを
持っていますが、アラスカンエッセンスの方が出てきます)
言葉そのものにとらわれないということは
価値判断を手放すということなのです。

例えば、Bさんが「あ~私は勉強しないといけない」と言ったとして
それを聞いたスピリチュアルなAさんは
「~~しなければならないなんて、何もないのよ」とBさんに言います。
このAさんは
『~~しなければならない』というのはスピリチュアルな生き方ではない。
というスピリチュアルな本を読んだので、
これは間違っていると判断しているわけです。
「~~ねばならないものは何もない」ということの本質は
正しいも間違いもない、ということなのですが
その本質を理解せず、ただ言葉だけで理解しているので
こういうことが起こります。

一方、勉強をしなければならない、と言ったBさんは
本当にhave to ~~ねばならない、という意味でその言葉を使ったわけではなく
気持ちとしては、~~したい、と同じ感覚で、
その言葉を使っただけ、ということもあるわけです。
だから、相手が本当は何が言いたいのか理解せず
言葉だけで判断すると、コミュニケーションにおいても
様々な行き違いが出てきます。

よく相手が心配していたり、落ち込んでいたりした時に
励まそうとして
「ポジティブに考えようよ」
などと言う人がいますが、これもポジティブでいるのがよくて
ネガティブは悪いという価値判断がそこにあります。
価値判断を手放すと、
「ああ、今、彼女にとっては心配なんだな」と感じるだけで
相手がどんな状態であっても、それがいいとか悪いとかは思いません。

私が誰かの話を聴く時には、実は言葉そのものはたいして聞いていなくて
ただ全体のエネルギーを受け止めています。 
メールなどのコミュニケーションの時は、
実際に会わないとわからない部分も大きいのですが
それでも、いろんな文を読んでいくと、ある程度、
そこから相手の真に伝えたいものを感じ取ることができます。
もちろんその人が選ぶ言葉そのものから、エネルギーを感じれることもありますが
言葉そのものに惑わされないことが大切だなあと。

だから、覚者やスピリチュアルな指導者の言った言葉そのものに
捕らわれないことも時として必要かもしれません。
ヒーリングを行ったり、スピリチュアルな探求をしている方に
けっこう多いのですが
いろんなスピリチュアルなリーダーが言った言葉そのものの捕らわれて
自分の世界を限定してしまっていることがあります。
例えば、あるヒーリングの創始者が
「このヒーリングは~~です」と言ったとして
その言葉そのものに捕らわれてしまうと、ヒーリングは限定されたものになります。
その創始者の意図は、その言葉の表面的なものではなく、別にあるかもしれないし
また、自分にとっての真実は、違うところにあるかもしれません。
それはけして、その創始者が間違っているということではなく
別の真実もあるということなのです。

そういうこともあって、最近の私が感じているのは、
スピリチュアルな本をあれこれ読んでいても、
全く読んでいない人と、実はそうたいした違いはないんじゃないかしら?と。
例え、言葉で理解していなくても、その感覚を持っていれば
それはスピリチュアルな学びなのですから。
と、私自身が、以前は言葉だけでスピリチュアルを理解していた、
頭でっかちスピリチュアルだったわけですが

言葉は制限があるものだ、という認識を持った上で
その制限の中で、いかに伝え合うか?を楽しみながら、
コミュニケーションができれば、それはまた違った喜びになります。
私とおさむは、たまに、遊びで「私は~ねばばらないの~」と
「~ねばならない」ごっこをするのですが、これは二人の間に
「~ねばならないことは何もない。私たちはわくわくすることだけをやってゆく」
という共通の認識が、すでにあることを知っているからできる言葉遊びです。
コミュニケーションにおいて、最も大切なのは
共通の認識(意識)があるかどうか?であって、話す言葉そのものではないのです。

と「言葉そのものに捕らわれない」ということを
言葉で伝えようとしているわけですから、やっぱり意味ないかも。
私がどういう言葉を使って書いたとしても
伝わる人には伝わるし、伝わらない人には伝わらないわけですが
何も書かないと何も伝わらないわけですから、とりあえず書いているわけですが。
(本当は伝える必要もないのですけれどね

先日おさむが
「のりこって、小難しいことをあれこれ考えるよね~」
なんて言うのですが、考えているというより
意識のどこかで感じていることを、言葉に変換するのが
好きなんだなあと。
本当は感じていることを、言葉ではけして表すことはできないわけで
感じているままにしておくこともいいのですが
変換してゆく楽しさもあります。
言葉という制限の中で、また肉体という制限の中で
あれこれ遊ぶためにここにいるのですもの。

だから、何をどう書いてもいいのですよね





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最終更新日  2012年01月30日 14時35分12秒
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