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3月29日(火)明日、長女と赤ちゃんは自宅に戻ります。その前に、通勤服を買いたいと言う長女の希望で、府中の伊勢丹までお出かけすることにしました。ぽかぽか暖かな春の陽を浴びながら、駅まで歩きます。途中、散歩中の犬や、暖かくて外でひなたぼっこしている猫に出会い、赤ちゃんは大興奮。鴨やコサギも、大きな動きを見せて、赤ちゃんを喜ばせてくれました。火曜日は、伊勢丹の催事の模様替えの日です。残念ながら催事コーナーでのバーゲンはありませんでしたが、各売り場でお値打ち品が用意して有りました。長女は何点か試着し、ワンピース2点とロングカーディガン1点を選びました。3点買っても1万円と少し。お値打ちです。くるるというショッピングタウンには、トイザらスが入っています。最近ハイハイが始まったので、台所に置くベビーガードを探しに行きました。ベビザらスではないので種類があまりなく、明日婿殿がお迎えのとき一緒にベビザらスに行ってもらい選ぶこととなりました。町の薬局やスーパーなどでは姿を消している、紙おしめや粉ミルクが、種類は少なくなっていますがここには展示してあります。赤ちゃん用のペットボトルに入った水も、売っていました。さすがトイザらスです。長女は、ミニミニの鯉のぼりを買いました。初節句ですものね。兜は、婿殿の子供時代のものをいただけるということでした。テレビのニュースで、パンクしない自転車が被災地に贈られたという報道がありました。以前に、何かの番組で取り上げていたのを見たのですが、町の小さな自転車屋さんが発明した自転車です。自転車のタイヤの中にはチューブが入っていて、普通は空気で膨らませます。釘を踏んだりすると、チューブに穴が開き空気が抜けてしまいます。瓦礫やガラスの破片の飛び散る被災地では、パンクしてしまって使えません。その自転車屋さんが発明した自転車は、空気ではなく特殊な樹脂を入れてあるので、瓦礫やガラスを踏んでもパンクしないのだそうです。阪神淡路大震災のときにも大活躍したという自転車。町の自転車屋さんが、特殊な樹脂の配合にたどり着くまで、たくさんの試行錯誤を繰り返し、試作品を作り、完成させたという自転車。きっと復興の足がかりになることでしょう。大人4人が1時間で組み立てられる住宅が、あるそうです。確か大阪の市議さんが、阪神淡路大震災のとき、被災者のストレスを少なくするためにも、短時間で大量に作れる住宅の必要性を実感し、防災工学を学び、山口大学と住宅建設会社の協力を得て、9年の歳月をかけ作り上げた住宅です。一瞬テレビの映像に出ていましたが、ちゃんと台所も付いています。プライバシーが保てるだけでも、家族単位で暮らせるだけでも、どれだけ被災された方々の力になることでしょう。簡単に低費用で後付できるシェルターといのも、あるそうです。高齢者や病人は、地震の揺れの中急いで避難することは難しいので、家が崩れ落ちたりすれば、下敷きになってしまいます。寝室など良く使う部屋に、25万円という費用でシェルターが取り付けられるそうなのです。実際に都内で取り付けをした女性の、インタビュー映像がありました。3月11日の時は都内も大きく揺れて、その方はシェルターとなっている寝室に入り、ベッドに腰をおろし揺れが終わるのを待ったとの事でした。普通は寝室として、何の違和感もなく使用でき、いざとなれば屋根ごと崩れてもその部屋だけ倒れないので、命は助かるというものです。建物全部を耐震にするには、莫大な費用がかかるけれども、一部屋をシェルターにするのは短時間で低費用で出来ます。これもある建設会社の、発想の転換から生まれた発明品です。この震災で、これらの発明品が報道され紹介されました。きっともっとほかにも、町の発明家の方々や研究者が、多角的な工夫をされていることでしょう。物作り日本!この力が、日本の復興を支えるに違いありません。いろんな場面で研究を重ねている方々に、声援を送りましょう!
2011年03月29日
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3月28日(月)春は近い?そんな気のする柔らかな陽射しの朝。今朝も赤ちゃんはニコニコにっこりで、起きてきました。以前は、ママがトイレに席を立っても大泣きして、ママの姿を捜し求めていた赤ちゃん、このごろは少し待っていられるようになりました。大きな揺れの続いた住まいから、揺れのない多摩地区に移動して1週間、ようやく不安が解消したようです。でも、ママはなんだかぐったりしています。寝違えたのか、肩や首過ぎに痛みが走り、赤ちゃんを抱き上げるのが辛そうです。両肩と背中に湿布を張ってあげ、休憩してくるように言いました。ママは、少しストレスを感じているのかもしれません。生協から宅配が届きました。欠品の品物が多くなりました。牛乳が手に入りません。それでもほぼ注文していた品が手に入ったのですから、良しといたしましょう。生の竹の子が届きました。早速竹の子ご飯を作ろうと、大きな鍋に添付されていた糠と竹の子を入れあく抜きです。少しお昼寝した赤ちゃんが、しきりと耳の中に指を入れます。昨日の夕方も同じしぐさをしていましたので、気になりました。中耳炎?と不安になりましたが、痛みを訴えたり不快感を訴えたりはしていません。でもやはり心配で、いそいでネットで耳鼻咽喉科を調べました。ベビーカーを持ってきていないので、抱っこ紐で出かけます。しばらく待って診ていただけました。中耳炎ではなく、耳垢がたまっていただけとの事でした。たくさん耳垢がでて、驚いたと長女が言っていました。いつも風呂上りには、綿棒で耳のお掃除をしていましたが、それだけでは取りきれていなかったのですね。赤ちゃんの耳垢取りは、素人には危険です。鼓膜を傷つけてしまう恐れがあるので、お医者様にお願いしたほうが良いようです。鼻水もきれいに吸ってもらい、小児科の先生からいただいている風邪薬を、続けて飲むようにとお医者さんからの指示でした。なんとそのお医者さん、長女は見覚えがあるそうです。小学校の校医さんでした。何事もなく安心して、近所のマツモトキヨシに入りました。先日ここで紙おしめを買ったので、次女に頼まれていた新生児用のが置いてあるか見てみました。ありました。新生児用の紙おしめを一袋、レジに運びますと、レジの女性が声をかけてくれました。「今なら水もありますよ。お一人様一個変えますから3個お分けできます」なんと親切な店員さんでしょう。赤ちゃん連れの私達に、2?入りのお水を3個売ってくださいました。帰宅後、竹の子ご飯と新じゃがの煮物・茶碗蒸し等をつくり楽しい夕食です。長女と赤ちゃんは、30日に自宅に戻ることになりました。4月1日、保育園の入園式があり、さらにそれからは短い時間での慣らし保育が続きます。本当はせっかく赤ちゃんが落ち着いてきたところでもあり、もう少しこちらにいさせたいのですが仕方がありません。さて、あと少しの日々を、赤ちゃんと一緒に楽しく過ごしましょう。
2011年03月29日
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3月27日(日)もうすぐ4月だというのに、一向に暖かくなりません。昨日ほどではないのですが、風邪はひんやり。婿殿と長女は、赤ちゃんを連れて家族水入らずの時間を過ごしに、出かけていきました。我が旦那さんは、赤ちゃんが出かけるとこれ幸いとゴルフの練習場へ。久しぶりの一人の時間。テレビの前で、ほっと一息。先日被曝事故のあった福島原発2号機の、たまっていた水から1ml当たり29億ベクトルの放射性ヨウ素が検出されたという、ニュースが流れました。これは運転中の原子炉の水に含まれる濃度の1000万倍にあたるという驚きの数値。それで、こんなに高濃度の放射線濃度の水に、足を浸してしまった協力会社の人たちは、一体どうなるのでしょう。想像するだけで、恐ろしい。15時ごろ、長女が赤ちゃんと帰ってきました。婿殿は会社があるので、そのまま自宅に戻ったようです。赤ちゃんは、とても落ち着いていました。久しぶりにパパとの時間を過ごせて、心が満たされたのでしょう。一人でおしゃべりしながら遊んでいます。お風呂は、旦那さんがいれてくれました。たくさん離乳食を食べ、満足してぐっすり眠ってしまいました。深夜、テレビのニュースを見ていたら、検査が間違っていたということで、東電の副社長が会見していました。放射性ヨウ素が1000万倍との発表は、コバルトの数値を間違えて発表、正しくは10万倍でしたというもの。10万倍もかなり危険な数値ではないかと、素人には思えてしまうのですが、それより何より検査でヨウ素とコバルトを間違ってデータを評価したって、それって有りですか?素人で、検査がどのようなもので、データの評価がどうなされるのかは知りませんが、これってあまりにもいい加減な検査だと思いました。これからも東電の発表する数値を、信じることが出来るでしょうか?今までにも東電の対応が後手に回り、事態を深刻にしてきたことはいろいろ報道されています。コードの長さが短くて作業が出来なかった、燃料が足らなくなって水を送れなくなった、隣の棟で高濃度の数値を検知していたのを2号機に入る作業員に伝えるのを失念していた等々。被災地を計画停電対象地域にしてしまうという、配慮も何もないやり方。計画停電といいながら、その時間になるまで停電するかどうかもわからず、かえって混乱を引き起こしておきながら、またもいい加減な25グループ分け。東電に人材はいないのでしょうか?かなりの優秀な方がお勤めしていらっしゃると思っていましたが、それは幻想でしょうか。いまだに姿を見せない社長にも?がいっぱいです。現場の人たちは、生命の危険をも顧みず頑張っているのに、安全地帯のお偉いさん達は口先でも思いやりのある言葉を掛けることもない。報道されていないだけかもしれませんが、会見時のいつも人事のように話す副社長さんの口ぶりに、不信感を強く持ってしまうのです。あらら、また怒ってしまった。私が多摩地区の片隅で、一人で怒ったって何も事態は良くはならないのに、無駄な怒りですね。
2011年03月27日
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3月26日(土)風の強い一日でした。今日は我が旦那様もお休み。洗濯物を干すのを手伝ってくれたり、赤ちゃんのお守をちょっと乱暴なやり方で手伝ってくれたりしてくれました。赤ちゃんは、旦那さんの手荒い抱っこや、「飛行機ぶ~~ん」を喜んで、キャッキャッと声を上げ手足をばたつかせています。赤ちゃんの毎朝のお楽しみは、「てっぱんダンス」。テレビの前にお座りをして、音楽に合わせて手をばたつかせて、声をあげて大興奮。オープニングの歌にあわせて、踊ったり歌ったりしているつもりのようです。ACの「ぽぽぽぽぽ~~ん」も大好き。音楽がかかると、何をしていても、大泣きしていても、テレビに顔を向けて喜びの声を上げます。今日は長女の旦那さん、婿殿が夕方来てくれるというので、夕食材料とパジャマを買いに出かけました。お野菜の値段が下がっていました。風評被害で皆さんお野菜離れのようですが、私はお野菜大好きなのでたっぷり購入。今日の献立は、黒豆ご飯とお吸い物・天ぷらとイカと里芋の煮物・ノラボウの辛子醤油和え。デザートにイチゴを買いました。15時過ぎ、婿殿来宅。22日以来の、久々の赤ちゃんとのご対面です。ハイハイがとても上手になり、膝もちゃんと使えるようになり、スピードも出るようになった赤ちゃんの成長に驚いていました。赤ちゃんのことを話題にしながら、にぎやかな夕食です。赤ちゃんはパパの膝の上で、ご機嫌です。手を伸ばして、手に触るものすべてをいたずらしようとするので、油断できません。好奇心の塊。何でも気になって、全部口に入れて確認しようとします。この時期は大人の注意が大切。小さなもの、危険なものは遠ざけておきましょう。長女家族は、以前長女の使っていた部屋で布団を並べて寝ました。狭い部屋ですが、久々の家族揃った夜となりました。
2011年03月27日
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3月25日(金)赤ちゃんは、今日もご機嫌のニコニコ顔でお目覚めです。長女と話し合って、長女の居住する区役所まで、東京都配布の水をもらいに行くことにしました。長女は、妊娠している次女の身を気遣って、区役所からもらった水を次女宅に届けて欲しいとの希望です。長女から母子手帳を預かり、先日買い置いた1.5?の水を持って出かけました。途中、次女から電話が入りました。今日は定期健診の日で、午前休を取って産院に行ってきたとのこと。そこで助産婦さんから、この時期だから早めに粉ミルクと紙おしめを用意しておいたほうがいいというアドバイスをいただいたが、居住している付近の薬局もスーパーもベビー用品店にも、どこにも商品がないので、見かけたら買っておいてほしいとのことでした。これから区役所まで水をもらいに行くこと、先日買った水を次女宅に届けておくことを伝えると、次女は長女の赤ちゃんを気遣って、赤ちゃん優先にして欲しいといいました。長女は次女の身を案じ、次女は長女の赤ちゃんを案じ、わが娘ながら仲良し姉妹です。次女は、長女6歳のときに生まれました。長女が5歳のときの、私達夫婦への突然のおねだりが、「赤ちゃんを産んで!」というもの。長女の願いが神様に届いて、次女が生まれました。ミルクをあげるのも、おしめを替えるのも、長女はいつも手伝ってくれました。仕事を持っていて忙しい私が、手抜きの育児をしていると、長女がそれを補ってくれました。次女にとって「ネネ(お姉さんの意味)」は、もう一人のお母さん。今でも何でもネネに相談です。JRの拠点駅から都バスに乗って区役所へ向かおうとしたとき、赤ちゃんを抱っこしてベビーかを押しながら、若いママが私の後ろに並びました。さらに3歳ぐらいの男の子の手も引いています。バスに乗り込むとき、「お手伝いしますよ」と声をかけ、男の子と若いママを先にバスに乗せ、ベビーカーを持ち上げ乗せました。バスの中には、何組かの赤ちゃんや子供連れの若いママたちが乗っていました。皆さん区役所まで水をもらいに行くようです。途中、二人の男の子を連れたママが、一人の子供をベビーカーに乗せようとしたとき、その子が嫌がってベビーカーから降りようとして暴れ始めました。バスは右に左に揺れて、降りると危険です。お母さんは、一生懸命子供をなだめてベビーカーから降りようとするのを止めています。すると、近くにいた高齢の女性が声をかけました。「あら、素敵なベビーカーね。いらないのならおばさんがもらってもいい?」とても温かい語り口で、その小さな男の子に話しかけると、なんとベビーカーで暴れていた男の子がおとなしくなりました。「いい子だねえ。おりこうさんだねえ。危ないからおとなしく乗っていようね。」その方の声が、続きました。バスは、停留所で人を降ろしたり乗せたりして進みます。80歳を過ぎていそうな女性が、杖を突きながら乗ってきました。バスはベビーカーが何台も乗っていて、歩ける場所が狭くなっています。杖を突いていても不自由そうな歩行の女性、さてどうしましょうかと私が一瞬考えていると、先ほどの女性がさっと席を立ち、杖を突いている女性の手を引いて、ゆっくり降車ドアの側の席まで誘導、座らせました。いつも普通に人のお世話をしているのでしょう。当たり前に、普通に、そっと手を差し伸べるいい光景でした。そういえば、長女が肩こりがひどくなって、マッサージを受けに行った接骨院でのこと、長女が施術を受けている間、待っている人たちが順番に赤ちゃんの面倒を見てくれたということがありました。ベビーカーに大泣きしている赤ちゃんを乗せ、ぐるりとあたりを散歩してくれた方までいました。下町の人情、これがあれば互いに気持ちよく生きていけますね。わたしも、少しばかりおせっかいおばあさんになろうと思いましたよ。区役所で水をもらう場所を案内してくれたのは、バスの乗り降りを手伝った赤ちゃん連れの若いママ。帰りに乗るバスの場所まで案内してくれました。おかげで迷うことなく次女宅へ到着し、玄関に家から持ってきた水を置いておきました。長女宅には、区役所からいただいた水を置いて急いで帰宅。赤ちゃんと長女をお風呂にいれ、夕食の仕度をしていた時、一緒に働いているH子さんから電話が入りました。彼女は私とは違う派遣会社からの人ですが、のびのびになっている就業予定が、また延びたというのです。最初は3月19日から仕事が再会できるという話でしたが、それが28日からになり、今回は3月中は無理ということになりました。もともと、3月いっぱいの契約でしたが、4月も働かせていただけるといことで、希望勤務日も連絡済みでしたがそれもなくなりそうです。半月待機状態が続いたので、彼女も困っていました。短期の新しい仕事を探すことを勧めました。彼女は若いので、探せばきっと仕事に就けるでしょう。私も探したほうがいいかもしれませんが、年齢で難しいかもしれません。せっかくいろいろ研修していただいて、ようやくお客様に案内が出来るようになったところでしたので、とても残念です。H子さんは、せっかく私と仲良くなれたのにと、それを残念がっていましたが、おしゃべりは電話でも出来ます。それより仕事を探すことを優先して、もし4月の途中からでもこの仕事に戻れるようなら、そのときまた一緒に働けるからと伝えました。地震で内定取り消しの人が出たり、(無)計画停電のせいでパートで働くことが出来なくなった人が、大勢います。職場も、停電があるとお仕事が出来ません。きちんと停電の時間がわかれば、それを避けて開店できるのでしょうが、停電するのかしないのか読めない状態では社員のみの対応になり、私達派遣を雇うことが出来ないのでしょう。東電が、停電計画のグループ分けを今までの5グループから25グループにしました。相変わらず23区は対象外。石原都知事が、オイルショックのときの時限立法をもう一度すれば、大きな節電になり、一般家庭の計画停電をしなくても済むはずと言っています。さて、その計算が正しいのかどうかわかりませんが、確かに無駄に営業している所もあるはずです。ネオンを消すだけでも、ショールーム的なところは一時閉鎖するだけでも、かなりの節電になるでしょう。病院の灯を消すよりは、そのほうが合理的なはずですよね。これからの生活に、益々の不安を覚えた一日でしたが、下町の人情をこういう時にこそ発揮いたしましょう。高齢の方、幼子を連れた方、身体に障害を持つ方を見かけたら、恥ずかしがらずにお手伝いできることがあるかどうか、声をかけましょうね。せめて、思いを明るくしましょうね。
2011年03月26日
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3月24日(木)昨夜も赤ちゃんはぐっすり眠り、朝7時ごろようやくお目覚め。長女は、「夜中にゴツンと音がしたので、びっくりして目が覚めたら、赤ちゃんが寝返りをして壁に頭をぶつけた音だった。でも起きないで眠ったままなのよ」なんて嬉しそうに報告していました。この10日間ほど、地震の揺れでほとんど夜も昼も眠れず、泣いてばかりいた赤ちゃんに、長女も旦那さんも睡眠不足でへとへとになっていましたから、2晩続けてぐっすり寝てくれたのが、よほど嬉しかったようです。4月から保育園。お昼寝用の布団カバーを用意しなければなりませんが、この騒ぎで買い物もままならなかった長女に、ユザワヤへ行くことを勧めました。一人で外出なんて、赤ちゃんが出来てからほとんどしていない長女に、ちょっとだけ気分転換をさせてあげたいと思ったのです。ママの姿が見えなくなるとすぐに大泣きする赤ちゃんなので、置いて外出することにとってもためらった長女ですが、保育園の用意は必須、ようやく出かける決心をしました。ママの姿が見えなくなると、あちこち探していましたが、やっぱり泣き始めました赤ちゃん、歌を歌ってあげたり、おもちゃで気を引いたり、懸命の赤ちゃん笑わせ作戦展開です。気持ちが落ち着くと始まったのが、いたずら。穴という穴、コンセント、コードが関心の的。危険なところは、重いものを前に置いてガード。使っていない電話のジャックの穴には、ビニールテープを貼ってしまいました。赤ちゃんのお気に入りのおもちゃは、私が使わなくなったマウス。コードも付いているし、くりくりまわすのも付いているし、除菌ティッシュできれいに拭いて持たせたら、もうご機嫌で遊んでいます。それと500ccのペットボトル、中を空にしてきれいに洗って、蓋は取り外して持たせると、大好きな穴を発見、指を突っ込んで遊んでいます。金町浄水場の数値が基準値より下がり、乳児も引用してよいと報道が入りました。でも私は疑問を感じます。基準値を超えていたときの水、まだ水道管の中に残っているのでは?金町浄水場から多摩地区へは、長い長い距離があり、ズーッと地中の太い水道管をくぐって流れてきています。そのお水、もう今日飲んで大丈夫なの?福島の第一原発3号機で、作業員が被爆したというニュースも、納得できません。何で短靴で中に入らせたの?放水もしているし、中に水溜りがあるのは素人でもわかること。当然短靴では中に入ってはいけないと、どうして東電の社員は指摘しなかったの。協力会社の社員ということだけれど、要するに下請けでしょ。私は弱電設備工事をしている会社で、長く働いていました。作業靴は、通電しない素材の、釘や危険物を踏んでも、決して通さない頑丈なものを選び、作業着は静電気の起きない綿100%のものと、これは社長からの厳しい指示でした。どんなに急いでいる工事でも、雨の日は高いところに上がってはいけない。交通ルールはきちんと守る。駐車料金のほうが工事代金より高くなっても、必ず車は駐車場に入れる。もっといろいろありますが、絶対社員を危険な目にあわせないというのが、社長の方針。もちろん経営者ですから、経理の私と意見の合わないところもありましたが、その方針は社長への信頼を強くしていったので、長く勤務することが出来ました。東電の副社長の会見は、まるで人事。今回の原発問題が、最初は自然災害にあったとはいえ、どんなことがおきても絶対安全だといっていたのはどこのどなたでしたでしょう。今頃になって想定外というその言葉こそ、福島県民にしてみたら想定外です。今回の被爆に対しても、全然自分達には責任のないかのような会見。何回も報道されている、副社長や東電社員の会見は、どうしても納得できない。水の汚染も、野菜の汚染も、電力不足も、生活への不安全般を引き起こしたのは、東電さんあなた方ではないのですか?そういうことに対してのコメントが、一言もありません。第一、東電の社長さんは何で会見に現れないの?一度も姿を見せずにいるあなたは、一体何者なの?この状況をどう思っているのか、是非会見の場に現れて直接私達に話しかけて欲しいものです。あ、また怒ってしまいました。どうも年のわりに怒りっぽいかも。なんて思っていたら、長女帰宅。青い空に飛行機が飛んでいるプリントの、可愛い生地を買ってきました。これで布団カバーを作ります。きちんと縫えるかな?
2011年03月25日
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3月23日(水)長女と赤ちゃんは、ぐっすり6時ごろまで眠れたようです。久しぶりで、揺れのないところでの睡眠で、安心して眠ってくれたようです。赤ちゃんのために5分粥を作り、ブロッコリーを柔らかく茹でてみました。旦那さんが常用している薬が切れたので、病院に行かなければなりません。ついでに赤ちゃん用に、おやつのお菓子を買ってきましょうと、自転車でお出かけ。バイパス沿いの西松屋は、10時になっても真っ暗なまま。どうやら計画停電の影響で、お休みになってしまったようです。旦那さんかかりつけの病院に向かう途中、産直の販売所がありました。中に入ると、ほうれん草・のらぼう・菜花・葱等が、青々と新鮮な顔をして並んでいます。5種類の葉物を買い、500円。新鮮で、安心できて、さらにお安いのはありがたいことです。病院は、人であふれていました。処方箋を書いていただくのに、1時間近く待ちました。その処方箋を薬局に提出して、また20分ほど待って、ようやくお薬を手に入れました。病人は、待つのも辛いでしょうね。大き目のスーパーに入りました。照明は暗く落としてあり、棚にはない商品が多いのですが、何とかベビーフードのコーナーで赤ちゃんのおやつを見つけました。でも、粉ミルクの姿はやはりありませんでした。お米は復活していました。たっぷり詰まれて売っていましたので、その点は安心です。昼過ぎ、夕食の仕度をしてふとテレビを見ると、「水道水に、基準値を超える放射性ヨウ素を検出。東京都23区と多摩地区の一部の水道水は乳児に与えないように」とテロップが流れました。思わず長女と顔を見合わせました。すぐコートを着て再び自転車を引っ張り出し、駅前に走りましたが、以前から棚からなくなっていた水です。当然あるはずもありません。長女には、妊娠中の次女にメールで知らせるよう頼んでおきました。乳児に影響があるということは、胎児にも影響があると考えましたので。こうなったら京王ストア頼みです。聖蹟桜ヶ丘の駅まで、自転車を走らせます。駐輪場まで自転車を運んでいる間もありません。交番のおまわりさんの目の前で不法駐輪して、お店に飛び込みました。探せども探せども、いつも見慣れたペットボトルに入った水はありません。レジ側に、500mlのペットボトルに入った「クリスタルガイザー」という水が置いて有りました。大塚食品が輸入しているアメリカの湧水との表示。数本手にしてレジを済ませ、買い物籠を入り口に戻そうとしていたとき、店員さんが大きなカートを引っ張ってきました。もしやと思い覗くと、クリスタルガイザーの1.5?ボトルでした。本数はそれほどありませんが、私も数本手に入れることが出来ました。大勢の人の手が伸びて、あっという間にカートの水はなくなっていしまいました。とりあえず、3日間ぐらいの赤ちゃんに必要な水は手に入りました。ミルクも離乳食も、この水で作って上げられます。帰宅してニュースを見ると、金町浄水場の映像が流れていました。今回は取水口が江戸川にある金町浄水場からの水道水から、基準値を超えた放射性物質が検出されたとのこと。先日降った雨が江戸川上流のどこかに、空気中の放射性物質を運んできたのでしょう。東京23区と多摩地区の5市が含まれている、広範囲な地域が含まれます。乳幼児と妊産婦を抱えている家庭は、不安が高まります。長女は「母さんのところに来ていて良かった。一人では水を買いに行くこともできなくて、赤ちゃんにミルクを作ってあげることが出来なくなってしまうところだった」とつぶやきました。次女は、出社して勤務中でした。次女には、こちらに避難してこれないか言って見ました。会社と相談してみるとのこと。さてどうなりますやら。東京都は、金町浄水場の水道水を利用している地区の乳児のいる家庭に、水を配布すると発表しました。真剣に娘達と赤ちゃんを、東京から疎開させることを考えることが必要になってきました。次女は6月に出産予定。それも不安材料です。いままで診ていただいた病院とお医者さんと、離れることにも不安があります。さて、どうしたものでしょうか。
2011年03月24日
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3月22日(火)3連休もあけ、今日は長女とその赤ちゃんを迎えに行きます。でもその前に日本橋によって、九州の銀行の支店で義母の口座の解約手続き。義母は、年金の受け取りと公共料金の支払いの為、九州の地方銀行と郵貯銀行に口座を持っていました。どちらも残高は30,000円に満たない小額ですが、解約手続きをとっておかないと金融機関が困ってしまいます。あらかじめ必要書類を確認してありましたのでそれらを整え、代表相続人である旦那さんの委任状を作成し、私が代行です。小雨の降る中、大変わかりにくいビルの6階にある東京支店に行きました。書類を提出すると、手続きに1時間ほどかかるので、他に用事があるのなら時間を潰してきて欲しいとのこと。1時間?なんて疑問に思いながら、近くにある郵便局へ。こちらでも解約の手続きをしていただき、20分ほどで完了。「ご面倒な手続きばかりで、申しわけありませんでした」これは担当してくださった女性局員の言葉。やはり小額だからと解約しないで放置されると、郵貯銀行もいろいろ通知書類を送ったりせねばならなくて、大変なのだそうです。トイレを、日本橋高島屋さんでお借りして、銀行に電話を入れました。手続きが出来ましたので来店してください、とのこと。「本来なら、小額のときはこんなに面倒な手続きは要らなかったのですが、九州の支店で間違った案内をしてしまったようで、申しわけありませんでした」との担当者の言葉。おかしいと思ったんだ。高額の遺産相続ならともかくも、たった30,000円未満の相続と解約手続き。何度も電話でそう言ったのに、間違ったことを教えたのね。ま、無事終わったから良いか。長女宅に移動しましたら、いきなり地震。震度4でした。建物は大きく右に左に揺れ、それもかなり長い時間揺れ、まるで船に乗っているかのようです。夕方のラッシュの前に移動することにして、長女は赤ちゃんを抱っこし、私は荷物を抱えてJRと京王線を乗り継ぎました。その間、元気いっぱいの赤ちゃんは、奇声を発し、暴れたりして、他の乗客の迷惑になっていました。長女は必死で赤ちゃんの大声を止めたり、あやしたり、汗だくです。私も、赤ちゃんの関心を引いて、退屈させないよう努力しましたが、やっぱり周りの人にご迷惑をおかけしてしまいました。我が家に到着したときは、私も長女もぐったり。一人元気のいいのは、赤ちゃん。抱っこ紐から降ろしてもらって、体が自由になったので、もうご機嫌です。長女にハーブティを入れてやり、小休憩。それからお風呂を沸かして、二人に入ってもらいました。今日は旦那さん遅番で、帰宅は20時過ぎ。先に夕食をとることにして、赤ちゃんにはサツマイモを蒸して、細かく刻みました。とっても甘いサツマイモだったので、赤ちゃんは大喜びでパクリパクリ。先日購入した、テーブルの着いたベビー椅子の中で、赤ちゃんはご機嫌。ご機嫌かと思うと、突然の大泣き。あやして寝かしつけたり、食事もゆっくり取れません。しばらく、二人に付き合いましょう。バアバは、早くもばて気味です。
2011年03月22日
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3月21日(月)3連休の最終日は、朝から雨が降っています。被災地は雪になっているかもしれません。寒さの中、みなさんはどうお暮らしでしょうか?温かい食事は、とれていますでしょうか?石油ストーブは、点いていますでしょうか?明日、長女と赤ちゃんを迎えるために、旦那さんと朝から大掃除をしました。いつもより念入りに丁寧に、掃除機をかけたり雑巾掛けをしたり、赤ちゃんの手が届くところに有るものを片付けて、危険のないようにしました。旦那さんは、家具の角を梱包剤を使って保護してくれました。これで赤ちゃんは頭をぶつけても大丈夫。長女が昔使っていた部屋を整理し、ベッドの布団や赤ちゃんの布団に乾燥機をかけました。赤ちゃんの為に購入しておいた、食事をさせる椅子を組み立て、台所には粉ミルクや哺乳瓶・離乳食を置く為の赤ちゃんコーナーを作りました。何日かの滞在ですが、二人が少しでも快適に暮らせるようにしました。今日の夕食のメニューにもやしが欲しかったので、駅前のスーパーへ出かけました。なんだか寂しい売り場になっています。もやしはかろうじてありましたが、納豆は有りません。「一家族一つでお願いします」の張り紙が、あちこちに張ってありました。買占めするつもりはなくても、お米などは底をつきそうで焦って買いに走った人もいるんでしょね。牛乳も、卵も、パン類もすっかり売り場から消えていました。何でここまでパニックになるのか、不思議な思いで売り場のあちこちを見ていましたら、思わず時間がかかって、いつまでも帰ってこない私を案じた旦那さんから、携帯に電話が入りました。買った物は、もやしと長女の為の歯ブラシぐらいでしたが、なんだかしばらく買い物はしたくない気分になってしまいました。しばらくお仕事に行っていません。計画停電が有るので、職場は開店休業。我々派遣社員は、自宅待機です。いつお仕事が再開できるのか不安の中で、でも「生きてるだけで丸儲け」なんて思って、暮らしています。
2011年03月21日
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3月20日(日)長女からのSOSを受け、急遽粉ミルクを届けに行くことになった私、旦那さんの提案で車で出かけることになりました。世の中がガソリン不足、スタンドは10リットルの制限付での販売。それでも何時間も待たなければならないほどの、長蛇の車の列。この時期に車で大丈夫かと心配になりましたが、我が家の旦那さん、実は先日スキーに行った後にガソリン満タンにしておいたのでした。その時に灯油も買っておいてくれたので、ケチケチと使えば当分大丈夫です。長女が赤ちゃんを連れてこちらに避難してくることになれば、荷物も多くなるだろうから、それも積んで帰ってこようという計画です。中央道、首都高、驚くほどすいています。いつもなら2時間以上かかる道を、ほぼ30分で走り抜けました。首都圏の高速道路を走っていて、直前にも、遥か前方にも走っている車を見かけないという経験は、これまでにないことです。ガソリン不足がいかに深刻か、あらためて実感しました。赤ちゃんは私の顔を見たらご機嫌になって、旦那さんにお尻歩きを見せようと床に座らせると、なんとハイハイしたのです。これには長女夫婦もびっくり。しそうで、なかなかハイハイしなかった赤ちゃんの、初ハイハイの瞬間を見ることができました。ベビー用品と長女の着替え、チャイルドシートなどを車に積んで帰宅。帰りもほぼ30分ほどで、スイスイと走れました。もう一度往復するガソリンは残っていますので、長女と赤ちゃんが自宅に帰るときは、車で送ってやれます。本当は、この車で長女と赤ちゃんを乗せてきたかったのですが、21日は長女夫婦の入籍記念日。その日を家族で過ごしたいという長女の希望で、22日に私がお迎えに行くことにして、今日は荷物だけの運搬でした。テレビで速報が入りました。震災9日経っての、瓦礫の中から二人救出。80歳の祖母と、16歳の孫。祖母は孫を励まし、孫は祖母を気遣い、この寒さの中で、瓦礫の下という気持ちが押しつぶされそうになる中で、二人は生き延びました。孫は、今日ようやくできた隙間から屋根に上り、救助隊にその存在を知らせたのです。80歳の方の意識もしっかりしているとのこと。最後まで救出を信じ諦めなかった二人に、感動した人も多かったはず。日々の不満や不足を感じる思いが、どこかに吹き飛んでしまうような、そんな報道でした。スイスの救助隊が、3匹に犬と一緒に生存者の救出を願って、瓦礫の中を探し回る姿が報道されました。結局、犬達が見つけたのはご遺体でした。瓦礫の奥に有る、ご遺体の存在を発見して教えてくれたのでした。瓦礫の上を、飼い主の姿を求めて探し回る犬の姿も映っていました。もう何日も食べ物を口にしていないのでしょう、やせていました。スイスの救助隊がその場を離れるとき、連れている犬が4匹になっていました。あの犬を連れていったようでした。命は、人間もペットも同じです。女性隊長の目に光る涙。「いろんな所に救助にいったけれど、こんなにひどいのは初めてです」と、生存者を発見できなかった無念さが、にじみ出ていました。世界中から救助隊が入っていますが、皆さん厳しい気象条件と、地震と津波という二重の被災に、さらに放射線被害にあうかもしれない恐怖とも戦わなければなりません。感謝して、どうか、お怪我などされませんように祈るばかりです。
2011年03月21日
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3月19日(土)朝、長女に電話を入れましたら、小児科で順番待ちの様子。10ヶ月に入った赤ちゃんが、微熱を出したようです。先生の診断は、軽い中耳炎。抗生物質で様子を見ましょうとのこと。どうやら赤ちゃん、泣きすぎて耳に涙が入ってしまったようです。夕方もう一度電話をすると、クスリが効いて赤ちゃんが眠ってくれたとのこと。安心しました。でも、粉ミルクがすっかりなくなり、旅行用に買っておいたキューブ状のミルクを使っているがそれももうなくなりそうとのこと。先日買っておいた粉ミルクを、急遽明日届けることになりました。夕方、激しい揺れがありました。多摩地区で震度3でしたので、長女宅ではかなり激しい揺れだったでしょう。赤ちゃんは、また激しく泣いているのかもしれません。原発への放水が、一定の効果を表しているようで、決定的な危機は脱したかのようです。自衛隊の方々や消防の方々の、自らの危険を顧みない決死の行動、本当に本当に頭が下がります。どなたの立てた作戦かは知りませんが、特殊な消防車や昔デモ隊を制した高圧放水車で、使用済みの核燃料プールに水を注入するという大胆なアイデア、たいしたものです。日本は、大戦・大震災・台風等の大規模な自然災害、そういうものを何とか乗り越えてきました。原発爆発の危機を回避できたのであれば、それはまた新しい日本の歴史になるでしょう。被災地が、温かい一日を過ごせますように、心から祈らずに入られません。阪神大震災のとき、たくさんのペット達が飼い主から離れなくてはなりませんでした。そのとき、そのペット達を受け入れた施設が、我が家の近くにあります。今回も受け入れをすることになるのか、今のところはわかりませんが、動物たちのことも考えてあげなくては。少しでも、小さな力でも、できることを見つけていこうと思っています。
2011年03月19日
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3月18日(金)朝食の仕度の時つけている石油ストーブの上で、沸騰しているお湯を二つの湯たんぽにつめました。屋根裏収納庫に眠っていた湯たんぽを、取り出したのです。いつも暖はホットカーペットで取っています。ホットカーペットの上にコタツを置き、コタツの熱源は使わないで、カーペットの温みだけでほぼ過ごしています。朝夕のよっぽど冷えますと、ガスストーブをつけて、部屋が暖まったら即消してしまう日常です。それも節電しようと思い、湯たんぽの出番です。コタツの中に二つの湯たんぽを入れておくと、コタツ布団の中がホンワリ温まり、足を湯たんぽに乗せていると、腰の辺りまでホカホカしてきて快適です。着る物も一枚増やして、ガスストーブもなるべくつけないで済むようにしました。長女に電話しました。今日から赤ちゃんは10ヶ月に入りました。この3連休は、旦那さんがいるから不安は和らぐだろうと、言っていました。ただ赤ちゃんは相変わらず激しく泣いています。どうしても眠ってくれなくて、夜も何度も泣くのだそうです。3連休が明けたら、実家に帰ってくるように言いました。揺れの少ないところだったら、赤ちゃんの不安も治まるでしょう。あ、電話をしていて気付きましたが、今日は私達夫婦の結婚記念日。40年近く前のこの日、神社の拝殿の外はボタン雪でした。それは美しい白い雪が、空からふんわりと舞い降りてきて、荘厳な気持ちで挙式しました。今夜は何か少しだけご馳走にしましょう。自転車をこいで、街道沿いの歩道を走ります。狭い街道の左端を、たくさんの車が行列を作っています。近所の交番のおまわりさんが、懸命の交通整理。ドライバーさんに何かを話しかけています。ん。この先に有るのはガソリンスタンド。みなさん、ガソリンを入れたくての行列です。でも、スタンドは閉まっていました。中に入れないようにロープが張ってあり、従業員の姿も見えません。並んでいる方々は、いつまで待つのでしょう。ご苦労様です。13時までの計画停電なので、銀行も郵便局も病院もスーパーも、13時までは開きませんが大勢の人が開店を待って行列を作っていました。赤ちゃんを迎える準備が必要です。駅側のショッピングセンターに入っている西松屋に、ベビー用品を見に行きました。座らせて食事をさせる椅子を、買いました。入浴のとき座らせておく、空気で膨らむベビーバスも買いました。これらは間もなく誕生する、次女の赤ちゃんにも使えます。ベビーソープ、離乳食、粉末のりんごジュース等、月齢に合わせて準備しました。スーパーで、なにか鍋に入れる食材をと思いましたが、あまりお魚も種類がなく、迷ってカニを購入しました。夕食は、鶏肉とカニのお鍋。旦那さんが帰って来たので、今日は結婚式記念日だね、などと話しながらの食事。37年。良く持ちました、二人の夫婦生活。旦那さんは「これは、ひとえに僕のおかげ!」と言って威張っています。「いえいえ、忍耐強い奥さんのおかげ!」と言い返しました。私達は、どうやら相性が良かったようで、お互い欠点だらけで強情者でありながら、なんだか仲良くやってきました。二人の娘もそれぞれの家庭を持つまでに成長し、案じることはいろいろあれど、とりあえずはいいではありませんか。また来年も、たわいのない会話を楽しみながら、夕食のひと時を楽しめたら、それが最高ですね。
2011年03月19日
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3月17日(木)このところ、鼻水・くしゃみ・目のかゆみがひどいのです。完全に花粉症の症状です。ここ数年、鳴りを潜めていた花粉症、元気に復活してくれました。出来ればお付き合いしたくない相手ですが、仕方が無い。2枚一組のティッシュペーパーを、一枚ずつに剥がして畳み、空き箱に準備しました。こうすると、2倍使えるのと、皮膚への当たりが柔らかく、鼻の下が赤くなるのを少しでも押さえられます。昨日、長女宅付近の各薬局の棚から、赤ちゃんの必需品の粉ミルクと紙おしめが、すっかり消えていました。後数日分しか粉ミルクはないということなので、私は考えました。なんとしてもこちらの薬局を廻って、見つけてこようと。8時40分、自転車で出発です。目的は9時から営業している、DIY商品を売っているお店。ところが、やはり棚には何もありません。よし、次のお店!自転車を、決してスマートとは行かないこぎ方で、ときどき怖いところは降りて押しながら川を渡り、以前良く買い物をした薬局へ。ところが入り口まで来てびっくり。コンビニに変身しているでは有りませんか!ムムム、と思いながら中を覗くと、なんだか奥のほうで薬局も営業しているようです。とりあえず中に入り探しましたら、ありました粉ミルク!ほんの数缶、空っぽになった広い棚に、肩身が狭そうな雰囲気でありました。とりあえず2缶だけ買いました。後は、ほかの困った方に。でも、紙おしめはありません。よし、また次のお店!赤ちゃん用品で有名な西松屋の大きな店舗が、バイパス沿いに有ることを思い出しながら、えっこらおっちら自転車をこぎます。広い駐車場を持つこのお店ですが、まだ開店前なのでがら空きです。店のドアの前に張り紙。「紙おしめ、お尻拭き、売り切れました」あらら、こりゃ駄目だ。よし、またまた次のお店!大きな町の、駅から少々はなれたところに有るマツモトキヨシを目指します。開店時間ギリギリに到着。紙おしめの棚を目指しましたが、もちろん棚には何もありません。でも、私はダンボールの箱を探しました。これから品出しするものが、有るかもしれないとの検討です。一つ一つ、積んである段ボール箱を見ていくと、ありました「ムーニー」の箱!小さな箱が2個。どうやらサイズ違いの紙おしめのようです。店員さんを呼んで箱を開けてもらい、中身を確認。長女に電話して、赤ちゃんの体重を確認。箱の中には、3袋ずつしか入っていません。ほかにも困っている人がいるはずですので、一袋だけ購入。まだ値段のシールも張っていない紙おしめをレジに。長女に電話して、粉ミルクと紙おしめが買えた事を報告。電話の向うの声が、ほっとしていましたよ。次に向かったのは、市役所の支所。印鑑証明が必要になったので、もらいに行きました。支所のカウンターの前には、いろんな方が入れ替わり立ち代り訪れ、聞いていました計画停電の時間。困りきっていたのは支所の方々。東電の気まぐれルーレットのような停電情報、支所の方にも予測できません。ここに聞きに来ている人々は、散々東電に電話をしても繋がらないので、困りきって支所を頼ってきたのです。ものすごいおじいさんがいました。とってもえばっていて、自分はとても偉い人と繋がりがあるんだということを言いながら、停電時間を東電に聞くのは市役所に働く人の仕事だと、それが出来ないのは怠慢だと、怒りまくっていました。だって、東電がきちんと決めてくれないから、市役所が聞いてもきちんとした返事がかえってこないし、前もって自治体に東電からお知らせが入るわけでもないし、それは無理無体だよおじいさん、と口を出したくなるほどのえばり方。文句を言いに行くなら、東電に行けばいいのに筋違いもはなはだしいおじいさんでした。みずほ銀行は、システムダウンで店頭で行員さんたちが頭を下げていました。どのスーパーも買い物客であふれています。気のせいか、車の数が少ないような気がします。ガソリンが買えないから、車での移動を抑えているのかもしれません。省エネ、ですね。あ、静岡のお友達から無事の電話が入りました。静岡が震度6と聞いたとき、メールをしておいたら、ようやく電話が架かるようになったのでと。なんと彼女の息子さん、仙台支店勤務になって、急遽彼女と入籍して仙台へ赴任したのですって。それでこの地震。しばらく連絡は付かなかったけれど、ようやく電話が架かってきて住まいは10階で、足の踏み場のない状態だそうです。同じ会社の戸建てに住む人が招いてくれたので、そこで夫婦で避難させてもらっているとのこと。さらにちょうどそのとき、仙台で会議があって上司10人ぐらいも被災。全員一緒にそのお宅で、交通網の回復待ちだそうです。食料が心配だけれども、送ってあげることもできなくて心配していました。我が長女の精神状態もよくありません。赤ちゃんが寝てくれないし、揺れが続いて、さらに原発への不信感で不安感が高まっているようです。関西に避難したい、などと口走るようになって来ました。とりあえず実家に戻って来なさいと、言いました。ここはあまり揺れないし、私がいますから交代で赤ちゃんを見て上げられます。旦那さんと相談すると、言っていました。母親の不安は、赤ちゃんに伝わります。そんな思いでいる若いママが、今大勢いらっしゃるのでしょうね。がんばれ、若いママ達!
2011年03月17日
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3月16日(水)京都のお土産と煮物を持って、大荷物で自宅を出発。行き先は娘達の住む都内。京王線はダイヤに乱れがなく、JRも混乱なく乗り換えられました。娘達の居住している駅に着き、赤ちゃんを抱え買い物できないでいる長女に必要なものがないか電話で聞きました。赤ちゃんの粉ミルクと、紙おしめがほしいとのことなので近くの薬局に。ところが、どちらの棚も空っぽ。手に入れることは出来ません。その薬局で次女夫婦に出会いました。トイレットペーパーを買いに来たけれど、買えなかったと嘆いていました。まるで、大昔のトイレットペーパー大騒動のようです。途中のスーパーも、買い物客でいっぱいです。レジには長い列が出来ています。長女の部屋に入ると、背の高いスタンドなどは横に寝かせてありました。赤ちゃんは、機嫌よく遊んでいましたが、揺れることへの不安感が強いのか良く眠ってくれなくて、夜泣きが激しくなってきているようです。突然、大きな揺れが襲ってきました。右へ左へ、建物全体が大きく揺れ、それがいつまでも続く感じです。長女は、赤ちゃんを抱き上げ、ぎゅっと抱きしめて揺れの収まるのを待ちます。一日に何回もこんな揺れが続いているので、赤ちゃんや子供たちはおびえているようです。長女と二人で、次女宅へ出かけました。気分転換です。次女の旦那さんも、計画停電のおかげで仕事にならず、自宅待機とのことでした。赤ちゃんは、二人にあやしてもらってご機嫌。でも、次女は在宅の仕事を会社から持って帰って来ていますので、忙しそうです。「自宅で残業」なんてことになりそうだと、ぼやいていました。長居は無用と、早々に退散。昨日は赤ちゃんをお風呂に入れて上げられなかったとのことで、早速お風呂を沸かしました。長女も、ここしばらく湯船にゆっくり身体を沈めることも出来なかったようなので、お手伝いしました。ほかほかに温まった赤ちゃんを受け取り、着替えさせて麦茶を飲ませ、抱っこで寝かしつけます。ぐっすり眠ったようなので、ベッドに移そうとすると目を開け泣きます。もう一度抱いて、寝かしつけベッドに移そうとすると、また泣きます。不安でいっぱいなのでしょう。3回目にようやくベッドに寝かせることに成功。長女がお風呂から上がってきましたので、後を任せて帰宅することにしました。まだ電車の運行状況が不明なので、早めに帰宅します。16時、JRの駅まで着くとなんだか様子が変。電車の発車時刻の案内板に、時刻が書かれていません。駅員さんに聞きましたら、次の電車まで40分ぐらいの間隔があくとのこと。JRはあきらめて、地下鉄の駅に向かいました。駅員さんに確認して地下鉄で新宿まで。新宿に着くと、ほっとします。京王線は通常ダイヤでの運転です。いつも京王線の方々には、本当にお世話になっています。京王線ほど信頼できる電鉄会社は、ありません。京王線沿線住民であって、本当に良かったと思わされることが、何度もありました。乗客に安心安全、アクシデントに対しても的確な対応で早期にダイヤの回復を行う、そういう京王電鉄の姿勢には、いつも感謝しています。我が家の最寄り駅に着いたのは、17時30分ごろ。まだあたりは明るく、日が長くなったものだと思いながら歩くと、町がなんか変。駅前の100円ローソンも、24時間営業のスーパーも真っ暗でドアを閉めています。美容院もパン屋さんも飲食店も、んな真っ暗で、ドアに「停電で閉店」のお知らせがはってあります。あら、これじゃ帰宅時に夕食の買い物をしようとしていた人は、困ってしまうわねなどと思っていましたら、コンビニが真っ暗な中で営業していました。自動ドアは開放してあります。真っ暗な店内は、お客さんであふれていました。それを横目で見ながら、周りのおうちを見て歩きましたが、どこにも電気はついていません。駅から歩くこと約10分、あら、我が家の周りだけ明かりがついています。昨日もそうでしたが、なんと我が家の周りだけ電気が来ています。きっとこの近所だけ、京王電鉄に流す電気の幹線と同じ線を使っているのでしょう。確認していないので、勝手な思い込みかもしれませんが、そんな風に思ったものです。弁護士さんから、労働審判の裁判所に提出した書類が届いていました。良くまとめ上げてくださっています。さて、これからが戦いです。
2011年03月16日
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3月15日(火)てっぱんが見れなくなって、寂しい朝となりました。そんな私に毎日喜びを与えてくれるのが、テレビ朝日の吉澤一彦アナ。テレビの朝の番組で、新聞読みを初めてしたアナウンサーです。声も落ち着いていて聞きやすいし、何よりも長年にわたる報道番組への真剣な態度が、単なるアナウンサーの域を出て、実に何でも勉強している深い知識に支えられた報道です。21年間の「やじうま」という名の付いた数々の早朝の報道番組を降板されたのが、2002年9月。そのときのショックは、たとえようもないものでした。一説には、あまりにも政治への知識が深すぎて、政治的圧力がかかったのではと言われました。その後、ほとんど画面に姿を見ることなく、「はい!テレビ朝日です」という不定期番組の司会をしているのを見るぐらいでした。それが数年前、「やじうま」の新聞読みコーナーに復活され、メーンはほかの若いアナウンサーが勤めておられますが、毎朝会えるのを楽しみにしていました。ところがこの震災での報道、ズーッと吉澤アナが毎朝メーンで伝えています。引き締まるんです、吉澤アナのコメントが。ほかのアナウンサー方の、吉澤アナへの信頼度も高く、チームワークはバッチリです。これからも吉澤アナがメーンで司会をしてくれる、報道番組としての「やじうま」を期待しています。無計画停電に政府がクレームをつけ、電鉄会社への電力供給は行うようになったようです。まだまだ大変ですが、交通量は回復しそうです。娘達のところに差し入れる料理を作ろうと、材料を買いに聖蹟桜ヶ丘まで自転車で行きました。その途中、お米の安売りの店の前に大勢の人だかり。店員さんが出て、もう売るものはありませんとお客に断っていました。京王ストアーに着くと、長い行列。入場規制です。他のお店には食料品がなくなっても、京王ストアーなら確保して有るだろうと、誰もが思ったわけです。20分ほど待って、中に入れてもらえました。私の目的は野菜。ジャガイモ・蓮根・牛蒡・こんにゃくを買いました。それと、旦那さんのビールも。午前中だったせいか、生鮮食品は棚にあふれるほど並んでいました。でも、お米・パン・カップ麺類の棚は空でした。開店時には用意して有ったらしいのですが・・・。あ、それと納豆。茨城が被災したので、納豆が不足しています。帰宅して、何度目かの仙台への電話。繋がりました!電話の向うに若い男性の声、息子さんでしょうか。ついで友人の懐かしい声。きけば昨夜まで停電で、電話が使えなかったとのこと。自宅もご家族も無事で、食料も何とかなっているとのこと。安心しました。仙台駅が壊れていると言っていました。しばらく交通網は復活しそうにありません。以前勤めていた会社の仙台支社に勤務していらした方で、私は本社の総務勤務でしたので、社員旅行などで顔を合わす程度でしたが、私が仙台に出かけたとき、彼女が上京してきた機会などに会っていましたので、すっかりお友達です。もう一つ電話をかけました。今の職場で一緒にお仕事しているH子さん。彼女もとても喜んでくれました。小学生のお子さんを抱えて、不安でいっぱいだったようです。また職場での再会を約束しました。夕方、次女から電話が入りました。上司と相談して、自宅勤務にしてもらったこと。出社が必要なときは10時ー15時の勤務でよいことになったこと。ラッシュを避けての勤務。身重の身には、ありがたい措置です。防災無線が入りました。6時50分から停電に入るといいます。懐中電灯を食卓に二つ用意しました。一つは1階で使い、もう一つは2階で寝る旦那さんに使ってもらうためです。19時過ぎましたが、停電しません。20時30分頃帰宅しただんなさん、隣町も我が家のすぐ側もみんな停電していて真っ暗だったそうです。ん?何で我が家近辺だけ停電していないのでしょう?もしかして近くに変電所の有るおかげ?今朝(16日)の朝刊に、東電のホームページには間違った地域のグループわけがいっぱいあって、わが市も隣の市も、その後始末で大変なのだそうです。変だと思っていた、私の住む町名が2つのグループに入っていたから。だからポストに市からのお知らせが入っていたのですね。町名ごとのグループ分けが、書かれていました。「各自治体は東電の尻拭いに追われた」と、新聞は書いていましたよ。しっかりしてよ、東電さん。何から何まで、今回はダメダメですね。でも原発の被害を最小限にしようと、現場で頑張っている方々には敬意を表しますよ。ま、本当に社員さんがしているのかどうか、柏崎の例も有るしね。危険なところは契約社員任せで、被爆されたのも契約社員だったという告発もありましたよね。冷却する為に海水を注入していたわけだけれど、その装置が燃料切れで危険なことになったと報道できいたときは、本当に東電の技術者がその場にいたのだろうかと、疑問を感じたものです。さて今日は、娘達のところに行ってきます。赤ちゃんが揺れを怖がって夜泣きをするので、長女が睡眠不足になっているようです。少し応援してきます。電車、今日は少しは回復しているといいけれど・・・。
2011年03月16日
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3月14日(月)輪番停電という文言から、計画停電という言葉に代わりました。東電のホームページに行くと、私が住んでいる市は2・3・4グループに。さらに見てみると、私の地域は2・3と二つのグループに同じ地名が記されています。「あらら、東電さんどっちなの?」関西への旅行のお土産を届けに、ご近所を廻りました。話題はもっぱら停電のことで、皆さんネットで確認して、ますます分けがわからなくなってしまって、2グループ?3グループ?どっちなの???と口々に。防災無線で放送が入りました。町内ごとにグループを放送しています。どうやら2グループらしいということがわかりました。でも、9:20~13:00の停電は中止のようです。先ほどのご近所さんとの立ち話で、近所のスーパーの食品が、きれいになくなっていることを聞きました。そういえば、朝食のときお味噌汁を作ったのだけれど、味噌がもう切れます。とにかく味噌を買いに行こうと駅前のスーパーまで出かけました。ところが、24時間営業のそのスーパー、営業していません。表に張り紙がしてあり、大勢の人がそれを読んでいました。「13:00~18:00までの営業にします」とあります。計画停電の、配電される範囲内での営業になるようです。これも一つの節電。宜しいでしょう。でも、味噌はどうしようかなと思いながら駅のほうへ目をやると、100円ローソンの前に自転車がいっぱい並んでいます。皆さん思いは同じようで、100円ローソンへ殺到しているようです。入り口のパンの棚も、野菜の棚も、お弁当の棚も、水も、カップ麺類も、冷凍品も、懐中電灯、乾電池、見事にありません。私はようやく味噌を見つけて、買うことができました。これでしばらく大丈夫。そうそう、朝次女から電話が入りました。これから出社するというのです。電車の本数は半分以下になっていますし、動いている路線も少なくなっていますので、電車は猛烈なラッシュになることが予想されます。身重の次女に、何かがあってからでは遅いので、出社は控えるように言ったのですが・・・。結局次女は出社してしまい、心配で17時ごろ電話をするとまだ会社で仕事をしていました。テレビでは、帰宅の電車に乗るためにできている、長蛇の列を報じていましたので早く帰るように言いましたが、キリがつかないと帰ることはできないという返事。でも良く聞いてみると、上司達は出社していないようです。無事、自宅近くの最寄り駅に着いたと連絡があったのは、20時を過ぎていました。明日の出社は見合わせるように、きつく言いました。仕事が遅れても、今回は次女の責任では有りません。お腹の赤ちゃんに何かがあったら、誰も責任は取れません。もう少し停電がきちんと運用されるようになって、電車の運行状況も落ち着くまで様子を見たほうが良さそうです。結局我が家近辺は停電がありませんでした。今日、東電のホームページを再度確認しましたが、55ページにもわたり、しかも検索ツールがないので、いちいちページを確認していかなければなりません。それも、市や区の名前が「あいうえお順」ではなくランダムなので、どこに自分達の居住の地名が有るのか、探すのが大変です。さらに、同じ市の名前が何度も違うページに出てきます。一体誰がこれを作ったのかと、呪いたくなるようなPDFです。時間分けが、昨日と違っていました。これももっと周知してくれないと、混乱を招くだけです。いかにも機械的に時間帯を分けたと思える、グループ分け。大体6:20からというのは、自分で台所に立ったことのない人の考えに違いない。夜22:00までというのは、あまりにも危険。今回の東電社員の会見の場面といい、あまりにも考慮・思慮の足りない計画停電。もちろん被災されている方々のことを思えば、贅沢なことには違いないけれど、東電には日本の産業を支える勤めが有るはず。安心安全の環境を整える責任は有るはず。停電・節電はいくらでも協力しますよ。いま日本復興が叫ばれる事態になっているときに、この体たらくはどうしたものでしょう、東電の関係者方。我が家の近くには東電学園という高校があります。東電の社員の子弟しか入れないという、噂の学校です。東電に入社も、強力なコネがないと入れないと、これも噂ですが以前に聞いたことがあります。会見とホームページ、機械的な停電時間帯分けとグループ分け、これらを見るとなるほどそうなのかと、妙に納得してしまいました。
2011年03月15日
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東日本巨大地震の被害にあわれた皆様、心よりお見舞い申し上げます。どうか、一日も早く日常の生活が戻ることが出来ますように、お祈り申し上げます。また、仙台に住む友人と連絡が取れません。どうか無事でいてください。3月11日(金)朝6時56分発の東海道新幹線に乗り、関西へ向かいました。京都駅に着き、ホテルの送迎バスでホテルに荷物を預けに行きました。義母のお骨を持っていますので、コインロッカーは利用したくありませんでしたので、ホテルの方に「お骨ですので、丁重に取り扱っていただきたい」と伝え預かってもらいました。私達夫婦は、まず下鴨神社へ向かいました。3年前に長女夫婦が挙式させていただいた、縁の有るお宮になりましたので。本殿に額づき、二人は円満に暮らさせていただいていること、子供が授かり元気に成長していることを感謝してご報告申し上げ、さらに今後もお見守りいただくようお願いいたしました。次女は妊娠中ですので、無事の出産と次女夫婦のこれからもお見守りいただけますよう、お祈りいたしました。ほんとうは、糺すの杜を散歩したかったのですが、そこは我慢して銀閣寺へ移動。夢遊京人さんのブログで知ったお店、「おめん」の銀閣寺本店へおうどんを食べに。昼食の時間が過ぎようとしていましたので、並ばずに入れました。ここのうどんは、喉越しも良いのですが、おだしのおいしさと、別添えの具の豊富さが盛り付けの美しさと共に評判です。たっぷりのすりゴマをかけていただくおうどんの、おいしさ!さて、次に大急ぎで移動したのは、北野天満宮。今年見損ねた梅を見ようとして。梅林の入園料が600円、ちょっとお高いかなと思ったのですが、ところがどうして、中は外から見るよりズーッと広くて、流れがあり太鼓橋あり、梅のトンネル(?)ありで、見ごたえ充分。さらにおいしい茶菓の接待もあり、いい気分で梅見をさせていただきました。さて、おまけは天満宮前にある沢屋さんの「粟餅」です。ぶどう9112さんの情報で知りました。これがほんわりとした、柔らかさと温かさを感じさせる味で、幸せなひと時になりました。またまた大急ぎで移動し、御室仁和寺へ。4時20分。ギリギリです。受付のおばさんにお願いして、念珠を見せていただきたいと、特別に御殿に通していただきました。御殿は、とても美しい書院と宸殿があり、それらを結ぶ廊下が鍵型に配され、雅そのものです。映画「陰陽師」の撮影にも使われた、平安の赴き深き場所ですが、今回は見学している時間はありません。御殿の中に有る売店に通してもらい、念珠を選びました。以前、娘達がまだ我が家に居たころ、京都のお土産に購入したのが仁和寺の念珠。女子が持つのにふさわしい、淡いピンクの水晶の念珠を選びました。そして今回は婿さんたちへの念珠選び。いろいろ迷って、仕事運と金運が上がるといわれている虎目石の念珠を選びました。もう御殿の見学時間は過ぎていましたが、快く対応してくださった仁和寺の皆様、ありがとうございました。金堂にお参りに行き、また大急ぎでホテルに戻るころ、なんとなく人が話しているのをきき東北の地震を知りました。心配で、娘達に電話しましたが、一向にかかりません。メールをしましたが、届いたのかどうか、それもわかりません。ホテルに戻りテレビをつけると、まるでパニック映画の一シーンのような映像が続々報じられていて、東京も震度5とのこと。東京中の交通機関も止まっているというので、身重の次女のことが案じられます。都心の会社にか通勤している次女は、今日は出社しているはず。帰宅できるのでしょうか?次女から電話が入りました。どうやら帰宅できそうもないので、会社に泊まることしたとのこと。この段階では、それが一番の選択でしょう。暖房も止まった会社では、寒くて大変でしょうが、身の安全だけは確保できます。長女からは、ようやくメールが入りました。いまだかって経験したことのない大きな揺れが長く続き、赤ちゃんを抱いてひたすら震えていたようです。電話はどこにもつながらず、メールもつながらず、孤独な思いでいたようです。3月12日(土)早朝、5時前に次女から電話が入りました。地下鉄が動いているので、これから旦那さんと待ち合わせて帰宅するとのこと。JRが動き出すと混むので、今のうちに行動しようとの判断です。テレビの映像は、信じられない被害の大きさを伝えています。今日の納骨式は大阪。次男は川崎から今日到着する予定。無事こられるでしょうか。三男は福岡から夜行バスで来る予定。こちらは大丈夫でしょう。7時ごろホテルを出発。まず奈良県生駒市に有る、霊園に。ここは母方の親族が眠るお墓がたくさんあります。従兄弟に連絡をして有りましたので、墓守の方と従兄弟が出迎えてくれました。あちこちの親族の墓に線香を手向け、その方々のことを思い出しながら従兄弟としばしおしゃべり。そういえば従兄弟と私の旦那さんは、初めてのご対面です。またまた大急ぎで移動。今度は大阪の富田林。駅前で弟達と合流する予定ですが、果たして次男はたどり着けるでしょうか?駅前で、三男とは会えました。次男は携帯を持たない人なので、様子がわかりません。はらはらしながら待っていますと、現れました。良かった!兄弟そろって納骨式が出来ます。教団へ移動し、敷地内に高校も野球場も病院も有る広大な敷地の中をタクシーを走らせました。式典は無事に終わり、お骨も義父の隣に納めることが出来ました。たまたま以前長く義母の教会を担当してくださっていた教会長夫妻が、娘さんが高校の卒業式だということで教団にいらしていたので、一緒に式に参加してくださいました。この教会長ご夫妻には、義母は大変お世話になりました。信頼できる方です。その方に納骨式のとき偶然にも立ち会っていただけたのは、義母の思いでしょうか。式の後大阪まで戻り、お食事をして二人の弟達と別れました。またまた大急ぎで京都まで戻り、東山に。東山の花灯路が、今日から開催です。狐の嫁入りを楽しみにしていたのですが、東北の大震災を考慮して、取りやめになってしまいました。けれども、京都の石畳の道を彩る花灯路は夢幻の世界で、特に石塀小路は道が狭いおかげでよけい美しいのです。3月13日(日)二条城を散歩して、帰宅の途に付きました。東海道新幹線は、時間通りに動いています。中央線も、間引き運転のようでしたが日曜日でしたのでそんなに混んでいません。京王線も問題なく、いつもどおりのスピードで走っていました。最寄り駅に降り立つと、町はいつもどおりの姿です。川沿いの歩道を歩いていると、報道されていた惨状とのあまりの違いに胸が痛みます。日常がが日常であるというありがたさ。家のドアを開けるのが、ちょっと怖かったのですが、幸い食器棚も本棚も、何も変わりは有りませんでした。被災された方々が、この日常を取り戻すのに、何年の歳月が必要でしょうか。やはり何かしなくてはなりません。少しでもできることを考えて、しましょう。そんなことを考えて、3日間が終わりました。
2011年03月14日
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3月8日(水)お昼の休憩に入る少し前、私と並んで作業をしていたS美さんが、「揺れてる!」と小さく言いました。え?そのときは感じなかったのですが、すぐに横揺れが始まりました。横揺れは、ゆっくりとだんだん大きくなって行きました。そこは事務所のような場所だったので、二人で顔を見合わせ、「机の下にもぐりこもうね」と話しながら様子を見ていました。窓から見える外の景色も、ゆっくり左右に揺れています。ブラインドの紐が、大きく振れています。揺れは治まることなく、「まだ揺れている、大きな揺れ!、長いね揺れている時間!」なんてこわごわ二人で会話しているうち、ようやく治まりました。しばらくドキドキがおさまりません。帰宅後ニュースでは、三陸沖の地震だったと報じていました。震度5弱だそうですが、特徴は揺れがゆったり大きかったことでした。啓蟄、なんて言葉も最近聞きますが、我が家付近の小さな流れ付近から、かえるの歌声が聞こえてきました。まだ小さな歌声ですが、冬眠から目覚めたようです。春は確実に、足音を忍ばせながら近づいてきているようです。今日(9日)はお休みです。長女宅まで出かけて、子守りを少しして早めに帰宅し、明日からの旅行の準備をします。11日から13日まで、2泊3日の関西への旅行です。義母のお骨を納めてくることと、私の親族のお墓が生駒の霊園に有るので、お墓参りです。お楽しみもちょっぴり。宿は京都に取りましたので、11日は少し京都を回れます。どうせなら、桜の季節に行きたかったのですが、今回は観光ではありませんので我慢です。出来れば、12日から始まる東山の花灯路を見学したいのですが・・・。特に、狐の嫁入りの行列が見てみたいなあ。狐のお面を被った白無垢の花嫁姿の女性が、灯路のほのかな光の中、人力車に乗って練り歩くという神秘的な行事です。でも当日は大阪で行事多々。その時間までに京都に戻れるかどうか、難しいところです。今回の特別拝観は、大河ドラマ「江」にちなんで、戦国の姫君ゆかりのお寺が数々。出来れば建仁寺や東寺も、見学したいなあ。などと、本来の目的はどこへやら。頭の中は、京都観光モードでいっぱいです。明日から、更新が難しいかもしれません。先日、携帯でブログのアップの実験をしてみましたので、いい写真が取れましたら貼り付けましょう。うまくいかなかったら、帰宅後になります。寒さもまだまだ厳しきおり、皆様をお気をつけくださいね。
2011年03月09日
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3月8日(火)職場に向かうバスに乗るために歩く道には、山肌が迫ります。今は梅の木が大きく枝を広げ、花をいっぱいにつけています。梅を見に行くには、ちょうど良い季節でしょうが、残念、今年はその時間が作れません。11日から関西へ出かけますが、その日に北野天満宮にお参りできたら、見事な梅が見られるでしょうか?近くに有る地蔵院の景色を詠んだ人が、昨日の句会にいました。一つの花が五色の椿があって、それは見事なんだそうです。時期的には大丈夫かしら?なんて思いながら、道を歩きます。空気は柔らかく、思わずコートのボタンをはずしました。どことなく春の気配。お日様が暖かい。職場には、私を待っていてくれる人がいます。H子さんが、飛びっきりの笑顔で迎えてくれました。先日、職場の人のことで困り事相談を受けましたが、なんだか吹っ切れたようで明るい表情です。昨日から、新しいチーム分けがして有りました。A~Eまでのグループ分けでした。私はAグループに名前がありました。同じグループに名前を連ねている人は、ほとんどが5年以上勤務の人で、中には10年も勤務をしている人もあります。今年の1月から働き始めた私の名が、そのグループに有ることが驚きで、どういうグループ分けなのだろうかな、と疑問に思っていました。就業時間になり、作業をしている私の側に女性のリーダーが近づいてきました。「naominさん、おめでとう。Aグループに入っていたね。仕事に対する姿勢が評価されたのだと思う。良かったね」と、言葉をかけてくれました。いまひとつ、何のためのグループ分けで有るのかはわかりませんが、それで時給が上がるわけでもなさそうなので微妙な気分ですが、とりあえず評価されたのだと思いました。感謝して、あとわずかな契約期間ですが、精一杯誠実なお仕事をさせてもらおうと、気持ちを新たにしました。昨年から勤務をしている人々の中から、3月で契約が終わり延長は無いと告知を受けた人が、何人かいます。私のところには何も話がありませんが、もともと3月末までの契約期間なので連絡がなくても不思議はありません。せっかく仲良くなった人たちとも、あとしばらく。せめて楽しく、笑顔で最後まで過ごしましょう!
2011年03月08日
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3月7日(月)♪♪♪雨は雪へと変わって~~なんて詩の曲がありましたね。8時ごろから、多摩地区は雨に白いものが混じるようになったかと思ったら、すぐボタン雪に変わりました。隣家の木々の葉に雪が積もり、塀の上にも見る見る間に雪が積もっていきます。今日は参加して3回目の句会。句会の会場は町田市の、隠れ屋のようなフレンチレストラン。私の家からは、公共の乗り物を利用するのは難しい場所なので、いつも友人が車でお迎えに来てくれます。友人F子さんは、次女の保育園時代のママ友です。長く小学校の教員、養護学校の教員を務められた方で、今は定年後の生活をたくさんの趣味に取り囲まれての生活です。これが面白い縁で、実はF子さんの息子さんと我が次女は、保育園時代からとっても仲良し。小学校・中学校と同じ学校で過ごし、二人は成人してからも気が合うようで、よく二人で出かけていましたので、周囲は期待していました。当然二人は結ばれるのだろうと。我が家の長女はF子さんの息子さん(S郎さんと呼びましょう)が大好きで、そのお姉さんも同じクラブの先輩なので尊敬していて、で、目論んでいました二人の結婚。ですから次女が大学生のとき、付き合っている相手として今の旦那さんを連れてきたときは、もう家族中びっくり。お相手はS郎さんではないの?と。次女曰く、S郎さんとは男同士(????)のお付き合い、恋人ではないとのこと。二人のお出かけ先は、基地。戦闘機見学の仲間だったようで、数少ない戦闘機のことで意見を戦わせられる相手だったのです。S郎さんのお付き合いしていた女性は、なんと次女のクラスメート。大の仲良しだったH美ちゃん。S郎さんとH美ちゃんは結ばれて、7月には赤ちゃん誕生です。お迎えしてくれた車の中での話題は、我が家の次女のお腹の赤ちゃん(6月出産予定)のことと、H美ちゃんのお腹の赤ちゃんのこと。そして二人は笑い転げました。「親戚になりそこなったわねえ。てっきり親戚になれると思っていたのにねえ・・・」両家とも、家族ぐるみで二人の結婚を待っていましたのに!今回の句会は「椿」と「雛」が御題でした。F子さんは、超音波写真のお腹の中の赤ちゃんが、お雛様に見えたことを詠んだ句でした。初孫にかける思いが伝わってきます。私は「雛」で一首、「椿」で二首詠んだのですが、「神おわす 杜(もり)には朱(あか)き 椿花」の句が、景色が良いと大変好評をいただきました。子供のころ遊んだ小さな神社の風景を、詠んだものです。素人の集まりの句会ですから、出来もそれほどでなくても、とにかく俳句を楽しもうと笑い声の絶えない集いです。句会の前には手の込んだランチが供され、おいしくてお腹もいっぱいになって始まる句会なので、みんな穏やかに評をしてくださいます。時間はあっという間に過ぎて、次回のお題は「桜」と「春の~~」と、春がつけば良いということになりました。また今日から頭の体操です。
2011年03月07日
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初めての携帯からのブログです。 今日はテスト送信です。
2011年03月07日
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3月6日(日)うららかな春の日。どこかへお出かけして、この春の一日を大いに楽しみたいところですが、12日に行われる納骨式のとき、久々に義弟達と会うので、そのとき義母の葬儀費用の収支を見てもらおうと、エクセルで簡単な出納帳を作りました。入金の部は、いただいた香典や後から入ってきた生前分の年金、居住していた市からの見舞金等。支出の部は、葬儀費用・義母がためていたお家賃やデイサービスの費用、おびただしいゴミの処分費用等々。領収書と照らし合わせながら、項目別に作りました。そんな時、ファックスが入ってきました。義父母が信仰をしていた教団の、教会長からです。先日、在る手続き上の問題でトラブルがあって、教会長には手続き上必要な書類を一覧にしてファックスで送ってもらったことがありました。もちろん、書類はすぐ整えて速達書留で郵送。それが2月25日。今日のファックスは、さらに3人の兄弟の戸籍謄本が必要、というもの。先日送った書類の中には、3兄弟の名の有る原戸籍謄本、さらにそれぞれの鑑証明まで送って有ります。これ以上どうしてそれぞれの謄本が必要なのか、意味がわかりません。電話をしてみました。何故必要かときくと、教団本部がそういっているから整えて送ってくださいの一点張り。何故必要かとは、教団に確認していないようです。とうとう私も切れました。教団に、何故必要なのかを確認もしないで伝えてくる教会長に。戸籍謄本と同じ証明のできる改製原戸籍謄本を提出しているのに、さらにそれぞれの戸籍謄本を提出せよと言ってくる教団に。それ以前にも、わけのわからないことを教会長を通して言ってくる教団です。これまでは、義父母が長年信仰を熱心に続けてきたこともあり、その気持ちを大切に思い、言われたことはしてきました。けれども今回は不信感がいっぱいになって、ついに口に出しました。「もう、納骨式はいたしません。教団に預けて有る義父のお骨も引き上げさせていただきます。そちらの教団とは、今後一切のお付き合いをいたしません」あわてたのは、教会長です。すぐ教団に確認するから、と言って電話が切れました。5分後、再び電話が入りました。「戸籍謄本は必要ありませんでした。教団に良く確認もせずファックスして、申しわけありません」どういうやり取りが、教団と教会長との間にあったかはわかりませんが、こちらの提出した書類の中身を良く確認もしないで、教団の事務職の人が教会長に伝え、それが我が家にファックスで入ってきたということらしいのです。電話を切って5分もたたないうちに電話が戻ってきたというのは、簡単な確認ですんだということだと思います。義父母の思いと、3兄弟の気持ちは良くわかっていますので、納骨式をしないとか、義父のお骨を引き上げるとか、毛頭そんなことは考えてはいませんが、それぐらい言わないと教団と向き合わない教会長ですから、きつく言ってしまったのです。実りのない怒りです。疲れて、もう春の日を楽しむどころでは有りません。つまらないことで怒った自分に落ち込んで、大切な一日をフイにしてしまった、お馬鹿な私です。
2011年03月07日
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3月5日(土)今日も、腰をかばいながら職場に向かいました。2月9日を最後に、私をお母さんと呼んでくれたS子さんの姿は、見ることができなくなってしまいました。どこの職場でもそうかもしれませんが、ここはかなり入れ替わりの激しい職場です。学生のアルバイトも多いし、家庭の主婦からパート感覚で入ってきて、意外と専門知識を求められるので、驚いて辞めていく人も多いのです。私と同じ研修を受けて、残っている人は知っている限り5人です。15人ほどが辞めて行ったようです。最近、私のあとから入ってきたH子さんが、私の姿を見つけると飛んで挨拶に来てくれるようになりました。とっても美人で、まるでトレンディドラマの若奥様風の品のある女性です。小学生の子供さんがいると言っていました。そのH子さんから、今日帰りにおしゃべりしたい、と言ってきました。私には思い当たることがありました。H子さんは、誰とでも親しくなれる、心に鎧を着せない人です。その彼女の性格の良さに、付け入ってくる人もいます。たぶん、その人のことで困っているのだろうと思って、仕事の終わりにお話しすることにしました。別々に職場を離れ、待ち合わせ場所に行きました。すぐ後からH子さんがやってきました。なるべく人目につかない場所に腰をおろし、困りごと相談です。やはり案じていた通り、B子さんのことでした。B子さんはたぶん50歳に近いのではないかと思いますが、どこか少女のままの心が成長していない様子。こんなことを言ったら、相手が対応に困ってしまうようなことを、誰にでもお話してしまうタイプです。私も何度もプライベートなことや、職場の人のアレコレを話しかけられましたが、私はあまりそういうことが好きではありませんので、すぐ話題を変えたり、受け流して話を続けさせないようにしてきました。まだ若いH子さんは、真剣に受け止めてしまったようで、悩んでしまっていました。最近は、とんでもない長いメールまで届くようになって、どう返事していいのかわからないと、困り果てています。具体的なアドバイスのアレコレを、してみました。メールは、忙しくて見ることができなかった。今プライベートでしんどいことを抱えているので、相談に乗って上げられる余裕が無いと告げること。食事・休憩時間は、当分の間なるべく外出して過ごすこと。B子さんは食事制限をドクターから受けているようで、いつも持参のお弁当を食べています。私は昼食のとき同席になっても、彼女の話をまともに受け止めないので、私にはしつこく言いつのっては来ないでしょう。一緒にB子さんと食事をする役は引き受けるから、H子さんは外で食事をしたほうがいいこと。挨拶や、ファッション、お天気のことなどは今までと変わらず明るく声をかけて、それ以上の話題になったら、「トイレに行きたいから」とか「職場での準備があるから」と言ってその場を去るようにしたほうがいいこと。B子さんは、どうやら尋常な精神状態ではないようなので、職場の男性社員にも問題行動をして、ヒンシュクをかっているようです。けれども、B子さんをスポイルするのではなく、一緒に明るくおしゃべりを楽しむ輪の中に入れながら、職場でして良い話題と、しないほうが良い話題があることを、さりげなく気付いてもらうようにもってゆけたらいいなと思っています。大勢の人が交替で働いている職場です。いろんな人がいて当たり前。H子さんには、これからは簡単にメルアドを教えたりしないように、話しました。帰り際、すっかり表情の明るくなったH子さんと、また火曜日の再開を約束して別れました。
2011年03月06日
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3月4日(金)朝から気温は低くて、東京は1度。我が家の水芭蕉の鉢の水は、しっかり凍っています。ああ、腰が痛い。昨日、がんばってお掃除したのが悪かったのかしら。歩くと、一足ごとに腰に響いて、立っても座っても、横になっても痛いのです。この寒さが、よけい身体にこたえて、台所に立っているのが辛い。でも、旦那さんのお弁当は作りましたよ。朝起きてお弁当が無いと、とてもがっかりした顔をする旦那さん。たいしたものは作れないけれど、それらしく作りました。仕事に行くのをためらわれるほどの痛み。でもなるべく突発のお休みはしたくありません。腰にコルセットを装着して、さらに昔自転車で転んで、肋骨にひびが入ったときつけていたコルセットも取り出して巻いて、さて出かけましょう。あんまり痛くて、仕事に差し障るようだったら、早退することも考えながらの出社でしたが、何とか定時まで勤めるここが出来ました。女性のリーダーさんに名前を呼ばれました。「naominさん、お客さんの評判いいわよ。売り上げもいいし、この調子で頑張ってね」なんて嬉しいご褒美の言葉でしょう。売り上げにノルマのある職場ではありませんが、私の説明を聞いてお買い上げいただくと、それは嬉しいし、「ありがとう」の言葉をお客様からいただくと、疲れも吹き飛びます。腰の痛みに耐えて出勤した甲斐がありました。また明日も、頑張りましょう!でも、この腰の痛み、少し和らいでくれないものかしら。
2011年03月05日
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3月3日(木)今日は、そういえば雛の日。今回の句会のお題は雛です。「泣き父母の 思い重ぬる 雛の壇」私は終戦直後に生を受けました。貧しい仕立て職人の娘です。けれども長女として、両親の愛情、初めての戦後の赤ちゃんとして地域の人々の、いっぱいの愛情を受けて育ちました。町内の人々が、私の誕生をとても喜んだと聞いています。その地域の戦後初めての、明るいニュースだったようです。残念なことに、父と母はあまり仲が良くはなく、辛い日々も有りましたが、親の役目はたっぷりと勤めてくれた両親です。雛は、そんな父母の思い出に重なります。貧しい日々を過ごした両親でした。日々の食にも窮する、そんな生活でした。そんな両親が、私に雛を買ってくれました。今年は、お内裏様。次の年は、三人官女。また次の年は、右大臣・左大臣。五人囃子。右近の桜、左近の橘。御所車・調度品の数々。毎年一段づつ整えていってくれたのです。雪洞は、長良川の近くの、製造者のところまで買いにいきまいた。小さな学童前のことですが、私も連れて行ってもらいましたので覚えています。まだ春には冷たい、コタツに炭の入っている日でした。貧しい生活の中から、必死の思いで工面した大事なお金で整えてくれたお雛様。それだけは、今は衣装も色あせてはいますが、我が家に有ります。父さん、母さんありがとう!!!おかげで娘達が小さいとき飾ってやることが出来ました。今この年になって、お二人の思いがようやくわかるようになりました。久々に、外出しなくて良い休日です。朝からお掃除を始めました。私のお掃除の友は、CDです、X JAPANの曲をがんがん大音量でかけていれば、疲れ知らずでお掃除できます。今日は先日のディナージョーでいただいたCDを、初めてかけて見ました。Toshiの曲で「クリスタルピアノのキミ」。もちろん「クリスタルピアノのキミ」とはYOSHIKIのことです。いつもKAWAI特製のクリスタルピアノを弾く、YOSHIKIを歌ったものです。 キミのピアノ弾く 揺れる肩に そっと寄り添い 歌う僕は 今日で 会えないと 涙止まらず むせび泣いてじまった ~~~略~~~ 「今日で終わりにしたい」その言葉に 下を向いてギター弾いてた あれから10年過ぎ 僕は後悔して 一人 生きてた ~~~略~~~ あの時と同じ フレーズ あの時と同じ Beautiful Melody あの日のながれる 髪に あの日の映る サングラス 何にもかもすべて同じ もなにもかもが始まっていく もうすべては あなたの思いのままに・・・何なのこの曲は!!もしかして、恋歌?ToshiがYOSHIKIに向けて書いた恋歌?あまりにも切々とした、美しいメロディと詩。 あのときと同じ ステージ あの時と同じ クリスタルピアノ あの日の 微笑む姿 あの日の 歌う歌も 何もかも すべて同じ も何があっても 離れない もう何が起こっても 怖くないから・・・Toshiさんの歌声の多重録音で、ピアノだけをバックに歌い上げる声に涙、また涙。いろんなことがあった。スキャンダル、ワイドショー好みのねネタ。それでもファンはこの曲を得た。もうそれで充分さ。ファンはこの1曲で、報われたね。でも、CDにはもう1曲入っていた。「愛する人よ」作曲作詞YOSHIKI。 聞こえますか愛する人よ 胸に響く希望の歌声が 時を刻む鼓動を 今 優しく包み込んで ~~~略~~~ 強く生きると誓った瞬間 ・・・抱きしめて 見えますか 愛する人よ 風に舞う桜の花びらが 旅立つあなたの未来を 今 静かに見守っている また出会うそのときを・・・信じて・・・なんなのよ、これ!恋歌に返歌なの!!!まるで恋する男女のような、曲と詩の交換。もうお掃除どころの騒ぎではありません。も一度全曲かけなおし、聴き直し。ああ、やっぱり恋歌と返歌だ。まるで平安時代の男女のように、二人は思いを歌に託している。しかもYOSHIKIの「愛する人よ」は、これ以上ないというぐらいToshiの声を引き出している。それはまるでオペラのアリアのようで、高い歌唱力と声量が求められ、ロックアーティストの歌の域をはるかに超えた、クラシックだのそうでないなどという、音楽の領域を破壊した素晴らしいものに仕上がっていた。ToshiはじゅうぶんにそのYOSHIKIの期待にこたえ、朗々と歌い上げている。Toshiは、きちんと専門的な訓練を受ければ、オペラ歌手としてもいけるのではないかと、おもえてしまうほどの熱唱です。二人は、幼稚園時代に出会い、小学・中学・高校となぜか同級生。これは天の配剤でしょう。二つの天才が幼児期に出会い、一度は活動を共にし音楽シーンの名声を得、別離があり10年の時を経て再び結ばれた。見えざる大いなる力を、ファンとしては感じてしまうのです。別れも、それは互いの成長に必要だったのではないかと。苦しみも、今日を迎えるための布石であったのかとも。今YOSHIKIは、自分の体の限界を知っていて活動しているように見えます。一生不具になってもいいと、覚悟して活動しているように感じられます。音楽として良いものが残すことが出来たら、なんて考えないで欲しい。ファンは不完全でも、音楽性が低くても、X JAPANがそこに有ることが必要です。燃え尽きないで!!お願い、燃え尽きてファンの前から突然姿を消すのだけは、やめてね。年寄りファンの血迷いごと、でした。夕食には、散らし寿司を作りました。雛の日らしく、可愛らしい散らし寿司と、蓮根やこんにゃくの煮物。次女から電話が入りました。彼女も散らし寿司を作って、ハマグリのお吸い物も作ったと言っていました。長女は、今日は旦那さんがお付き合いの予定が入っているので、昨日散らし寿司にしたと言っていましたし、娘達も頑張っているようです。季節の行事を大事にして、これからも家族を大切にしてね。
2011年03月03日
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3月2日(水)今朝も細かい雨が降っています。昨日会った女性と、また会えないかと期待しながら、仕事の前に休憩室に入りましたが、彼女の姿はありません。昼の休憩は交代で取っています。13時、お昼ごはんを食べようと休憩室の前に行くと、ちょうど中からでてきたその人に会いました。彼女は午後からの出勤だったのかもしれません。これから仕事に入るようでしたが、言葉を交わす時間がありません。とっさに「これからお仕事?」と声をかけました。彼女は言葉でこたえず、こっくりと首を縦に振りました。「また、お話しましょうね」すれ違いざまにそれだけ言うのが精一杯でした。私とかをを合わせたときの、はっとしたような一瞬の表情が、まぶたに焼き付いてしまいました。彼女は、私に話したことを後悔しているのでしょうか?昼の休憩室はにぎやかで、園芸を趣味にしている方から野菜の作り方を教わりました。明るく、飾らない、声の大きな気さくな女性です。そんなたわいのない会話をしながらも、気持ちは晴れません。もっと、何か言葉を欠けられなかったものかと、後悔仕切りです。さっきすれ違った彼女とは、どうやら働いている階が違っているようで、職場に戻って姿を探しても見つかりません。何とか話をするきっかけをつかめればよいのですが・・・。帰宅の途中、ファッションビルに立ち寄りお買い物。と言っても食料品ですが。舶来品(古い言葉!)の食料品を扱っているお店があって、レギュラーコーヒーがお安く買えるので立ち寄りました。酸味も苦味も程よくて、お値段の割にはおいしいコーヒーです。今日はそこから電車で帰宅。家までの道は、のどかな細い川沿いの遊歩道になっていますが、身をすくめたくなるほどの冷たい風が吹きつけていました。真冬でもこんなに冷たい風が吹いたことあったかしら、と思いながら歩を進めます。今日は寒すぎて、猫さん達もどこかにもぐっているようで、姿が見えません。身体を寄せ合って、風のないところで暖を取っているのでしょうか。厳しい寒の戻りの日が続きそうです。皆様も、お体をお大事にしてくださいね。
2011年03月03日
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3月1日(火)朝からしょぼつく雨。バス停までいつものように歩いて、職場に向かいます。お仕事の準備をして後、少し時間がありましたので休憩室に寄りました。知った顔がなかったので、適当に腰をおろし持参のコーヒーを飲んでいますと、白いセーターの女性が前に座りました。今までお見掛けしたことのない女性です。「おはようございます。あんまりいいお天気では有りませんね」と挨拶をしました。その方も挨拶を返してくださいましたが、そのあとポツリポツリと話されたことが、あまりに重い内容で、驚きました。病気療養中であるが、月に少々働いて、食べるだけ稼げればいいと思っていること。病気は治る見込みのないもので、治療はこれ以上の悪化を防ぐ為のものであるが、治療費にお金がかかるのでもう半年受けていないこと。いつ死んでもいいと覚悟を決めていること。だから、治療費に掛けるお金があれば、好きなものを食べたほうが言いと思い定めたこと。ほんの7分ほどの間に話して下さった事です。私は驚いて、福祉事務所に相談はしたのか聞いてみました。彼女は、生きるつもりがないので、相談には行っていないというのです。時間がなく、それ以上の話はそこでは出来ませんでした。休憩時間に、彼女の姿を探しましたが見当たりません。名前もわかりません。もう一度彼女に会うことができるでしょうか?死を覚悟している人に、私に何ができるでしょうか?どう見てもまだ30代後半。もしかして40代。その若さで、死を覚悟し生きる、生を求めない彼女の身には何が有ったのでしょうか?決して何もかも投げやりに生きているとは、思えません。物静かな、どこかひんやりするほど達観してしまった様子でした。お昼休みに、法務局まで走りました。1週間ほど前に手続きをした、不動産の抵当権抹消登記が出来ているはずです。何か問題がなかっただろうかと、少しドキドキしながら申し出ますと、受付の男性はいともあっさりと「登記完了証」を出してくれました。抵当権抹消登記が完了したという証明書です。なあんだ、というほど簡単でした。ついでに、抹消登記がちゃんと出来ているか確認のために、登記簿謄本を申請してみました。意外と早い時間で作成してくれました。大丈夫、抵当権は抹消されていました。会社にとって返し、いそいでりんごをむいて持参したお弁当(?)を食べました。今朝の彼女を探しましたが、そこには姿がありませんでした。今度出会ったら、彼女が嫌がらない程度に、話を聞いて見たいと思いました。こんな私でも、何か役に立てることがあるかもしれません。彼女は、誰かに自分の事を伝えたかったに違いありません。でなければ初対面の私に、死を覚悟していること、治療をやめていることまで話すはずはありません。さて、今日もお仕事。3月末までとの期限付きですので、もう少しの日々です。いろんな人との出会いを、大切にしていきたいと思っています。
2011年03月02日
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2月28日(月)2月の最後の日は、未明からの大雨。雨脚が激しく、外に出るのがはばかられるほど。でも今日は、そんなこと言っていられません。長女が、育児休業後の職場復帰について、管理部の方と面談の約束を取り付けたので、私は赤ちゃんの子守りに行くのです。新宿までの電車は激混みなので、いつも時間はかかりますが各駅停車に乗っていきます。前回は人身事故で遅れに遅れた京王線、なんと2時間も電車の中にいたので、今日は大丈夫だろうと思っていましたら、下高井戸で電車のドアに異常が発生したとかで、また遅れ始めました。途中急行に乗り換え、何とか約束の時間までに娘の部屋にたどり着きました。赤ちゃんは、ごきげんな声を出してお座りしておもちゃで遊んでいました。長女はすぐ外出。いつもならママの姿が見えなくなると大泣きする赤ちゃん、少しべそはかきましたが、気を紛らしてやると機嫌よくしています。一緒に遊んでいますと、しきりに私の胸に顔を埋めてきたり、あごをぱくりと噛みついたり、ママにするしぐさと同じことをし始めました。親愛の情を示してくれているようです。時々テレビのCMに子供の声が流れると、身をよじってテレビに関心を示します。特に永谷園の「すしたろう」のCM、男の子の歌声には敏感に反応していました。しばらく遊んでいると、お眼目をこすり始めましたので、抱っこをしてユラユラ揺すって子守唄を歌ってやりますと、眠ってしまいました。お昼寝用の布団に移すと、可愛い寝顔をみせてぐっすり。さて、この間に一仕事。お風呂や台所の掃除をしてやり、畳みきれなくて置いてある洗濯物を畳んだりしていました。一時間ほどのお昼寝から覚めて、オムツを替えお食事タイム。長女が用意してくれた離乳食を食べさせると、大きなお口でパクリパクリ。この赤ちゃん、何でもおいしいそうに食べてくれて、離乳食で悩むことはなさそうです。長女は何も食べてくれず、保健師さんに相談に行ったり、先輩ママに助言をもらったり、悩みに悩んで食べさせたものでした。あ、その長女がおいしそうに食べたのが京都のお土産「おたべ」の生八橋。そうそう、それ以来お食べの生八橋は、我が家の大好物のお菓子になりました。赤ちゃんは離乳食を全部平らげ、ミルクも飲みきり、再びお座りして遊んでいると、おや、いきんでいます。でましたよ、うんちたっぷり。ちょうど良い固さで、お尻を拭いてあげるのも簡単でした。長女が出かけてから3時間が過ぎましたが、まだ連絡がありません。あまり良い方向に面談が進んでいないのではないかと、案じられてきました。私が心配しても仕方が無いので、赤ちゃんと向き合っていました。相変わらずハイハイはしないで、お尻歩きの赤ちゃん。少し距離を置いて、おいでおいでをしても、ハイハイはどうしてもしません。16時を過ぎ、長女から電話。面談が長引いたとのこと。でも声の感じは悪くない。17時近くなって、長女帰宅。管理部の方との面談は、上司からのメールの雰囲気とはかなり違っていたみたい。上司の人からの職場復帰に関するメールは、「時間外勤務はあたり前と思って、サポート体制を整えて復帰しなさい。それが出来ないのならパート勤務を考えなさい」というものでした。管理部の方はそのメールに目を通していらして、ちょっと驚いていらしたとのこと。ただ、個人的な成果を厳しく求められる会社なので、そのところは復帰に当たって考えたほうがいいかもしれないとのアドバイス。一枚の書面を見せてくださって「この会社は他の会社と違って、正社員からパート勤務、パート勤務から正社員への復帰が難しくない会社です。最初お子さんが小さくて不安があれば、自分で期限を区切ってパート勤務を希望し、その途中でももう大丈夫と思えば正社員にも戻れるし、期限以上にパート勤務を続けたほうが良いと判断したときには、パートで勤務を続けることも出来ます。パートでも賞与はでます。もちろん最初から正社員復帰を望まれるのなら、それも問題ありません。時短勤務も考慮します」と説明があったとのこと。長女の不安や希望なども、丁寧に聞いてくださり、それで時間がかかったのですって。え、ではあのメールはなんだったのだろうかと思うぐらい、話しの方向性が違いますが、悪い方向ではありません。長女も、自分の気持ちをよく聞いてもらえたこと、決してパート勤務が悪い方向性で設定されたものではないことを知り、今までの不安が吹き飛んだようでした。旦那さんと話し合って、どうするか決めると言っていました。そう、なんでも二人で話し合って決めるのが一番。これからも二人で力を合わせて、一緒に歩いていってね。いろんなことが、これからも二人の前に立ちはだかることがあると思うけれど、力を合わせれば大丈夫。がんばれ二人!
2011年02月28日
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2月27日(日)昨日の夜、スキーから帰って来た旦那さんに私は宣言いたしました。「このところ、家のこととあなたのお母さんのことで、私は休日らしい休日をすごしていないので、日曜日は私の休日にします。朝食と夕食はあなたが担当してください。一人で遊んできたばかりの旦那さん、異論を唱えられず「わかった」と言ったのでしたが・・・。さて日曜日の朝、平日よりはゆっくり5時に起床した私は、お風呂の火をつけて、髪を染める用意をしました。もう1ヶ月以上染めていないので、無残な姿の髪の毛を、少しは見られるようにせねば・・。そして、いつも超特急でお風呂に入っているので、休日の朝はのんびりと湯船につかろう。お風呂から上がって、髪をドライしていると旦那さん起床。いつもなら彼が言うセリフ「お腹が空いた」を、私が言いました。リクエストしたのは、ピザトースト。「そんなのできないよ」と、口を尖らす旦那さんに、「やればできる!」と私は厳しくいました。ここで妥協はしません。それで、彼は仕方がなく台所に入りました。私はPCで、ブログを書いたりして楽しい時間を過ごしていますと、出てきましたよピザトースト。やればできるじゃん、と口には出さず、ひそかに心の中で言って、おいしくいただきました。ちゃんと玉葱をスライスして、乗っけてありました。野菜は玉葱だけだったし、ベーコンではなくウィンナで作ってありましたけれど、チーズはたっぷりでおいしかったですよ。1週間、つけられなかった家計簿をつけたりしていたら、眠くなってしまいお昼寝。2時間ほど寝ていたのでしょうか、まだ生協のオーダーもしていないし、納骨式のときの交通手段の確認もしなければなりません。またPCを開けて、生協のオーダーをしました。二人きりなので、そんなに頼んでも食べきれません。けれども玉葱やジャガイモなど、重い野菜は運んでもらえると助かるので、けっこう生協を利用しています。納骨式の交通手段の確認は、まず往路に利用する新幹線が早朝なので、我が家からの出発時間と、乗る電車、乗り換え路線の確認です。今は乗換案内が有るので、本当に助かります。朝、5時に家を出れば間に合いそうです。二泊三日ですが、一日目は下賀茂神社に御礼のお参りが第一の目的。2009年3月15日、長女夫婦は下賀茂神社で挙式させていただいて、今は子供まで授かり、そのことをご報告して御礼の気持ちを伝えたいと思っています。宿泊するのは二条城近くのホテルですので、移動手段を調べましたがこれがなかなか大変そう。下賀茂神社は地下鉄からも遠く、バスだと乗り継ぎが必要だとわかりました。京都駅からだと、バスで乗換なしです。時間の節約にもなりますから、荷物は京都駅からホテルまでの送ってしまいましょう。京都には、有料ですがそういうサービスがありますので、着いたら即、手ぶらで観光が出来ます。宿泊する予定のホテルは、京都駅間を無料のシャトルバスを運行していることもわかりました。しかも15分間隔と使いやすい。下賀茂神社のあとは、昼食におうどんを食べに行きましょう。以前に、神戸・大阪・京都のミニ旅をアップしていらっしゃる夢遊京人さんが、書いていらした「おめん」というおうどんやさんが気になっていましたので、今回は絶対に寄って見たいと思ってチェックしました。銀閣寺本店に行くか、四条河原町の四条店に行くか、その後のプランを決めてからにしましょう。12日には、墓参と納骨式。奈良県生駒市にある霊園に、私の親族のお墓がたくさんあります。私を子供の頃から、とても可愛がってくれた叔父さんのお墓もあります。家が近かったので、良く遊びに言った伯母さんのお墓もあります。京都からの交通手段、生駒から納骨式の行われる富田林への移動手段、途中合流する弟達と食事をする場所への移動手段、また弟達が帰るとき使うであろう大阪駅までの移動手段と、検索してメモをしていきました。そんなことをしていると、6時になってしまいました。一向に旦那さん、夕食を作り出す気配がありません。それどころか、「どこかに食べに行こう」だとか「お弁当買ってくるよ」だとか言い始めました。食べるものは家にいっぱいあります。私は、「もったいないから、何か作って。」と言って見ましたが旦那さん動きません。お昼ごはんを食べていないので、お腹はぺこぺこです。やっぱりこうなるのかと、私が台所に立つはめに。手っ取り早く食べられるものは、と見渡せばお土産にもらったばかりの「さぬきうどん」の生がありました。これは早く食べなければいけません。早速お湯を沸かして、その間に具の用意。油揚げ、ついでに厚揚げ、かまぼこ、葱にほうれん草。けっこう、有り合わせで何とかおうどんらしくなりそうです。麺が、すごくおいしかった!つるつるの美人のお肌のような麺でした。あっという間の一日。なんだかゆっくりお休みしたという感じはしないけれど、ま、いいか。
2011年02月27日
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2月26日(土)昨日、セキュリティカードを自宅まで持ち帰ってしまった私。派遣会社の人に、「返却はT氏に直接手渡しで」と言われていましたので、少しびびりながら職場へ。というのは、T氏は30代の男性で、リーダーの中のリーダー的存在で、とてもやり手で仕事に厳しい方。どんなに厳しい叱責の言葉があるかと、覚悟して職場に入りました。事務室にはT氏の背中がありました。「おはようございます。naominです。昨日はセキュリティカードの返却をせず帰宅してしまいました。申しわけありません」と、挨拶しました。「おはよう。今日もよろしく」と、何の咎めの言葉もないばかりか、きちんと朝の挨拶をしてくださいました。そして、私の返却したカードを、「じゃあ、今日も同じカードでお仕事してください」といいながら「あれ?どこに置いたかな?」と探し始めました。「あのうう、その書類の下に・・・」と私が言うと、書類をかき分けながら「あ、あった!」とにっこり。以外にお茶目な方でした。土曜日なので、大忙しでした。休憩時間に携帯を確認すると、長女からメールが来ていました。「保育園、第一志望の所に入れたよ!」早速電話してみました。このところ、いろいろな問題を抱えて鬱々とした日を過ごしていた長女には、気持ちの明るくなるニュースでした。声も弾んでいましたよ、久しぶりに。ご存知のように、保育園の入所は職場復帰への大きな関門です。たくさんの待機児童がいて、無認可保育園でもいっぱいで入れないという事態が各地で続発していて、ニュースになっているくらいです。ほっと一安心です。食事休憩も交代でとり、あっという間に一日が過ぎました。夕食を一人で作って食べ、9時ごろ聞きなれた車のエンジンの音がしました。旦那さん、無事ご帰宅です。雪焼けで真っ黒な顔!ただでさえ人相が悪いのに、これでは近寄りたくない種類の人のようです。これでレイバンの真っ黒いサングラスをかけたら、「どこの組の方ですか?」と道をあけたくなるほどです。あ、そういえば次女の中学の担任の先生も、人相悪かったなあ。クラスの掲示板には「○○組」と先生の苗字の入ったクラスの名前が入っていたけれど、どう見てもヤクザさんの組の名前のようで、父母会の笑い話の種にされていたなあ。その先生、本当に生徒思いの行動派でした。生徒達も、○○組の一員であることを楽しんでいたなあ。人相の悪い人も、一見厳しそうで怖そうに見えたT氏も、じつに愛すべき人達。思い出し笑いをした私を見て、旦那さんの顔が???だらけでしたよ。
2011年02月27日
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2月25日(金)昨夜、速達が届きました。亡き義母の住居地の市役所に頼んであった、書類が届いたのです。これで義母の信仰していた教団に提出する書類が、整いました。4時前に起き出して、義母の通っていた教会に送付するものをもう一度確認し、コピーの必要なものは取って置きました。教会長さんに送る書類の一覧表と送付状を作成して、プリントアウトしました。ところが、プリンターンのインクが危うい。ところどころ、かすれて印刷されてしまいます。前年末、年賀状を印刷するときはカラーインクを取り替えましたが、今日は黒インクがなくなりそうです。実は前日の仕事帰り、近くのビックカメラに買いに寄ったのですが、あろうことかその品番の黒インクが品切れでした。何とか一枚印刷できないかと、インクカートリッジを振ってみました。かろうじて一枚印刷完了。そんな悪戦苦闘している最中に、旦那さんが「おはよう」と顔を出しました。いつもより1時以上早く、起きだしてきました。今日から彼は一人でスキーに出かけます。遊びに行く朝は、早起きなのです。前回は1月でした。今回も群馬県のお気に入りのスキー場に、一人でお出かけ。今回は前回と違ったお宿で、最も旦那さんがお気に入りの民宿。民宿でありながら温泉が引いてあり、食事もおいしいとのこと。私は一度も行ったことはありませんが、大昔からその名前だけは毎年聞いています。彼は、毎年宿泊の常連さんです。彼を送り出して、私は仕事に出かけました。整えた書類を速達書留で送りたいので、郵便局が職場の近くにあるかネットで調べて起きました。昼休みに行ける範囲かどうか、職場に入る前に寄り道をして場所を確認しておきます。どうやら大丈夫そうです。職場に入り、お仕事をしてお昼休みに、食事もとらずに郵便局へ走りました。幸い窓口が空いていましたので、あまり待たずに手続きをしてもらえました。職場に戻る道の途中、小さな流れの川がありました。両側は桜並木です。もうすぐ見事な景色になるのだろうと思いながら、川に下りる階段に腰を掛けてお昼ご飯にしました。と言っても、今日は食事をとる時間がないかもしれないと思って、家にあったバナナを2本持ってきていましたので、それと保温マグに入れてきたコーヒーをいただいただけですが。コートを脱ぎたくなるような暖かさ。今頃旦那さんは、スキー場で楽しく滑っていることでしょう。こんなにお天気が良ければ、雪焼けで真っ黒になってしまいそうです。私は、君のお母さんのことで走り回っていますよ!と心の中で毒づいたりして、ちょっぴり恨み言を・・・。妊娠中の次女から電話が架かってきました。今日は定期健診で、会社はお休みさせてもらったとのこと。毎日妊婦でありながら、夜9時ごろの帰宅が続いていましたので、たまにはお休みして身体を休ませるのも、とてもいいことだと思いました。順調に赤ちゃんは育っているようです。ただ前回の健診より2キロも体重が増え、お医者様に気をつけるように言われたとのことでした。お腹が空くので、つい口に食べ物を運んでしまうとのこと。おからクッキーとか、カロリーの低いものを会社の引き出しに用意するといいね、とアドバイスにもならないことを言って見たりしました。このごろ、いろんな人が職場で話しかけてくれるようになりました。アドレスを交換する人も、増えてきました。派遣社員ばかりの職場でも、日々顔を合わせていればなんとなく気の合うひとを見つけることが出来るようになりました。このごろは、毎日声を掛け合う男子達も増えました。仕事は厳しいのですが、そういう方々と会える楽しみが増えました。少し時間がまだあったので休憩室に立ち寄りますと、昼食時で席はほぼ満杯。どうしようかと立っていると、k君が私の名を呼んで席を詰めて隙間を作ってくれました。他の席からも声がかかって、席を空けてくれようとしてくれます。ありがたいことです。感謝して腰をおろし、少し楽しいおしゃべり。午後の仕事を終え、帰宅。夕食も一人で済ませた10時ごろ、携帯がなりました。派遣会社からです。なんと私、会社のセキュリティカードを持って帰って来てしまっていたのでした。本当は帰社するときに、管理の人に返却しておかなければならなかったのですが。あせってしまいましたが、派遣会社の人は確認が取れたので安心され、明日返却してくれれば大丈夫と言っていただけました。しばらく呆然としました。なんと迂闊なことでしょう。私、ボケが始まったのかしら。こんなこと、今まで経験のないことでした。ふがいなくて、情けなくて、どうして返却を忘れたのだろうかと自問自答しました。思い当たることもありましたが、そんなのは言い訳にならないと厳しく自分に言い聞かせました。二度と同じ間違いはしないように、きつくきつく自分を戒め、浅い眠りに付きました。
2011年02月26日
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2月24日(木)育児休業あけの勤務についての、法律上の情報をもらうために、長女の住む町の近くの駅で待ち合わせ、労働基準監督署へ行ってきました。入り口近くには、いろんな労働法に関したパンフレットが並んでいます。それらを見て選んでいたら、職員の女性が声をかけてくださいました。今日の目的をお話しすると、育児休業法についての相談窓口は別にあるのですが、聞きたかったことにはこたえてくださり、参考になる冊子も整えてくださいました。基本となる育児休業法、改正育児休業法の違いについても教えていただきました。いろいろ問題はありますが、労働者が元の勤務状態での復帰を望むなら、会社はそれをしなければならないということを確認しました。長女の部屋に戻り、赤ちゃんはお食事です。9ヶ月に入り、離乳食も一日3回になり娘も大変そうですが、大きなお口をあけてパクリと食べる姿は愛らしく、いろいろ抱える問題の暗い思いを吹き飛ばしてくれるようです。ぺろりと離乳食を平らげた後は、ミルクです。今までの乳児用ミルクから、フォローアップミルクに変わりました。主な栄養は離乳食で取り、食事で取りにくいものをフォローアップミルクで補うんだそうです。ここら辺は、私達の子育て時代とは、全然違っています。昔はフォーローアップミルクといういいものはなく、粉ミルクの次は牛乳でした。年末年始の休業が長かった時代でしたから、お店に頼んでおいて牛乳を1週間分ぐらい買い置いて冷蔵庫に保管しました。ビンに入った牛乳で、冷凍庫のない時代、冷蔵庫も小さい時代の話です。さて赤ちゃんは自分で哺乳瓶を持って、しかも片手で持って、ミルクを飲みだしました。あっという間に飲み干すと、「どんなもんだい!」と言わんばかりに空の哺乳瓶を高々と上げて見せてくれました。カーペットの上にお座りさせると、今にもハイハイしだしそうですが、この赤ちゃんいっこうにハイハイしてくれません。ところが、お尻を上手に使って移動できるのです!3メートルぐらいは、簡単に移動してきます。関心のあるもののところには、お尻歩きでたどり着きます。その様子が、なんとも変だけれど可愛くて、思わず笑ってしまいました。ハイハイさせようと、少し離れたところから「おいでおいで」と誘うと、お尻歩きでやってきます。そしてつかまり立ちをするような気配。もしかしてハイハイをしないうちに、つかまり立ちをするのでしょうか。あ、この食いしん坊赤ちゃんが最初に話した言葉は「マンマ」でした。長女は「ハイ」、次女は「イヤ」でした。これってその子の性格を良く現しています。長女は素直でいい子ちゃんタイプ、次女は自分でものを考えて行動する、ちょっと天邪鬼タイプ。では、この赤ちゃんは生涯グルメ?昨日は、自分で口のところに手を持っていって、「アバアバ」と声を出して遊んでいました。一つ一つできることが増えて、育児も楽しい段階に入ってきました。がんばれ娘!
2011年02月25日
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2月23日(水)なんとなく日差しが柔らかく、空気は相変わらず冷たいのですが、街並みの光が暖かみを帯びてきました。昨日来、ニュージーランドで起きた大きな地震被害の模様を、ニュースは伝えています。日本から、多くの語学留学生の若者達や観光客が訪れる、人気の国だと聞いていました。なんと、我が家の次女の旦那さんも、短い期間ではありますが、ニュージーランドに留学生として滞在していたことがあるのです。そのときの素晴らしい印象が、ハネムーンには是非ニュージーランドを再訪したいということで、二人は行ってきたのです。今回崩壊したクライストチャーチも、訪問地であったようです。美しい街並みと、荘厳な教会。親日的な人たちと、たくさんの羊。彼は、青春時代のひと時をすごした麗しの国へ次女を案内して、共通の思い出にしたのです。二人からの私へのお土産は、メリノウールのストール。しっとりとした赤い色で、私の持つ黒っぽい色のコートに良く似合います。そんなニュージーランドが、実は地震大国だったなんて、あんまり知りませんでした。その割には英国風のレンガ造りの建物が多いのに、驚かされます。ニュースの映像を見る限りでは、近代的な建物も、鉄骨があまり見受けられません。日本では、今回崩壊した留学生達の通っていた学校程度の大きさであれば、かなり太い鉄骨がたくさん使われているはずです。縦にも、横にも、はすかいにも、それぞれふさわしい強度の鉄骨がいっぱい使われているはずです。ある報道の中で言っていましたが、耐震に対する建築の考え方が、日本とは違うのだそうです。日本では、あまり揺れないよう、床・天井・壁に強度を持たせ、鉄骨で支えます。ニュージーランドでは、揺れに抵抗しないように建設されるのだそうです。今回の学校の入っていた学校の映像を見ますと、教室等の部分は完全に崩れ去っていますが、エレベーター室であった部分は、ほとんどしっかり残っています。エレベーター室は狭いので、3方の壁が強度があって揺れに耐えられたようですが、教室等が入っていた部分は強く揺れ、ねじれ、崩壊したようです。私には、建築のことはわかりませんが、いまだに瓦礫の下に多くの人が残されていることを思うと、胸がキリキリと痛むのです。ご家族の不安を思うと、たまらなくって、救出のニュースを早く聞きたいと思うのです。日本からも、政府専用機で救出舞台が飛び立ちました。たくさんの大きな地震を経験した日本のノウハウが、、役に立ってくれることを心から祈っています。
2011年02月24日
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2月22日(火)今日はニャンニャンニャンと2並びの猫の日。猫好きの私は、特別にこの日を楽しもうとバス停まで歩く道に、猫の姿を探しましたが、残念なことに出会うことが出来ませんでした。後数分でバス停というところで長女からメール。急ぎの用らしいので電話してみました。長女が育児休業をさせていただいている会社からメールが入り、とてもそれが過酷な内容で困惑しているとのこと。要点は、復帰は企画を担当する部署で、大変激務になることを覚悟して復帰せよというもの。時間外労働は最初から考えて置くように。子供が熱を出したりして、保育園に預けられない事態になったときは、親などのサポート体制を整えておいて、欠勤は許されない。それが出来ないのなら、正社員復帰ではなくパートになれというもの。とりあえず、会社からのメールを私のアドレスに転送するように言って、バスに乗車し私は職場に出かけました。帰宅後、早速メールを確認しましたが、長女から聞いた内容よりももっと厳しいことも書いてありました。これは、パートになるかそれがイヤなら退職せよというのが真意ではないかと疑われるほどでした。長女は大学を卒業して、今の会社に事務職として就職しました。当初は一般職でした。ソフト開発会社ですが、そちらの教育を受けてはいなかった長女ですが、頑張って営業のサポートから技術サポート、そして技術職とスキルを上げて、人の入れ替わりの激しい会社の中でいつの間にか古株になっていました。確かに、矢のように技術開発が進むソフト関連の会社で、出産・育児で1年の休業はとても不利です。スキルが追いついていかないでしょう。けれども、そこそこの人数を抱える会社です。一般職に戻して働かせるという選択肢もあるはずです。娘も、昨年の上司との面談のときにもそれを希望していました。その方向で職場に復帰できると思っていたのでした。育児休業法では、3歳までの子供を育児するものには、時短等、会社は配慮しなければならないと定められていますが、時短どころか時間外勤務を出来る体制を作って職場復帰せよとのメールです。もちろん、職場に入れば甘えは許されません。それは娘も良くわかっていて、自分の都合だけで一般職への異動の希望を出したのではありません。今までのような技術職の場合、顧客とのお約束は絶対で、当日何らかの事情で約束が守れない事態になったとき、迷惑は会社にかかりますし、信用問題になります。そういうことを懸念し、当分の期間を顧客対応をしない部署への異動を希望したのでした。また1年間のブランクを、何の復帰教育もしない(メールにそうありました)で、最新の技術食に戻すのは無理があります。娘は、少しでも新しいOSに慣れて復帰を果たそうと、最新のPCを自宅に購入して、日々勉強していましたが、それも技術職となるとそんなものでは追いつくことは出来ません。メールでの会社とのやり取りは、もどかしく、娘は上司との電話での対応を求めましたが、それも赤ちゃんを抱えていてはなかなか難しいのです。会話の最中に赤ちゃんが泣き出したら、話も出来ません。職場復帰を前提に、入園の希望を出している保育園の条件は、1日8時間以上の勤務時間、1ヶ月何時間の勤務というように、大変厳しく条件が決められています。パート勤務ではそれをクリアできなくなるし、入園できなければそのパート勤務も出来なくなります。こんなに厳しいことを企業が言ってくるのは、時代が余裕がなくなっているせいなのではないかと思いました。最近このような話を日常的に聞くからです。以前の会社というのは、少人数で一人が育児休業に入って他の人に仕事の負担がかかっても、休業明けで職場に復帰して子供の発熱なんかでの早退等も、温かく見守る姿勢がありました。会社によっても違いますが、私が子育てをした時代は育児休業法はなかったのですが、労基法上の規定に添い時短を認めてくれました。いまは、大会社でも育児休業後の職場復帰プログラムがない会社も多いと聞きます。どのようなアドバイスをしてあげれば良いか、いろいろ考えて育児休業法をネットで調べていますと、娘から電話が架かってきました。上司が面談の時間を作ってくれるというので、そのとき赤ちゃんを見て欲しいとのこと。娘の上司は大変忙しい人なので、上司のあいている時間に面談の約束を入れなさい。私は何とか都合をつけるからと伝えました。それと、総務の方にも同席してもらい、育児休業法について調べておいてくださいとお願いするように伝えました。少子化が社会問題化していますが、若者の正社員雇用が極端に少なくなり、年収が減り、結婚も出産・育児も難しい時代になりました。子育ては若い夫婦の個人的問題だけではなく、明日の日本社会を支える世代を育てるものでもあります。企業も難しい時代に突入して余裕をなくしているのでしょうが、どうか、子育てをしながら社会人として立って行こうとする若い世代を、厳しくても温かいまなざしをもって見ていただきたいものです。企業の品格、企業の矜持、それが企業を一流にしていくと、私は信じています。
2011年02月23日
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2月21日(月)今日はお休み。でも大忙しの日です。去年亡くなった義母が信仰をしていた宗教団体の先生に、電話を入れました。ある手続きが、亡くなって100日を過ぎるのに全然進まなくて、3月の納骨式までに終わらせたいと思い、先日来連絡を取っているのですが、事務的手続きの必要書類が何なのかすらつかめない有様。旦那さんが今まで対応していたのですが、とうとう私がしゃしゃり出ることになりました。「先生、直接私達が教団とお話できるのなら、全部こちらでいたしますが、それが出来ないの なら先生がしていただくほかはありません。 それは、先生のお仕事です。」と、少し強く言いまして、ようやく必要書類の一覧がファックスで送られてきました。その一覧にあった書類を取得する為に、義母の戸籍のあった市役所に電話をして手続きを確認しました。ネットで申請書類をダウンロードし、大急ぎで郵便局に定額小為替を買いに行きました。返信用封筒も用意して速達で投函し、その足で法務局まで。先日残債を返済した住宅ローン会社から送られてきた書類を持って、抵当権の抹消登録です。まず相談窓口で、自分で手続きをすることを強調して、必要書類と記入事項の確認をしてもらいました。法務局は、基本的に司法書士さんに依頼して欲しそうにしていましたが、30,000円ぐらい費用がかかります。抵当権抹消はそれほど難しくなく、素人でも出来るとネットで調べていましたので、不安を与えるような相談員の言葉にも、断固として自分で手続きをすることを言い続けて、書類をもらいました。ところが提出するときに、ある書類をコピーしなければならないのですが、法務局にはコピーサービスがありません。これも司法書士を使って手続きをしなさいという、陰謀のようです。こんなことで負けて入られません。どこに行けばいいのか、充分周りの地理は承知していましたが、書類を受付担当の男性にわざと聞いてみました。「コピーを取れるところは、どこに有りますか?」彼は、コピーを取れるのはコンビニで、しかもとっても遠いことを強調していました。駅付近のコンビにまで歩いて、無事コピーをとり法務局にとって返し、手元の書類を見ながら間違いないように記入していきました。記入は10分ほどで終わり、別に司法書士さんにお願いするほどのものではありません。先ほどの受付の男性に提出すると、「おやこの女、本当に自分で書いてきたんだ」なんて顔をして受け付けてくれました。書類の記載事項をチェックしてくれ、無事受付終了。全部で1時間半ほどで出来ましたよ。問題がなければ、1週間後には抹消登記が完了するはずです。それから大急ぎで確定申告をする為に、税務署のあるところまで移動。これがまた駅からものすごく遠いのです。しっかり歩いて到着したときは、25人ぐらいが並んで順番待ちをしていました。これが椅子が用意していなくて、立って待たなければなりません。私の後ろにも続々人が並びます。確定申告の時期は、毎回そうですから混むのは仕方がありませんが、しかしご老人の多いこの地区で、足の不自由な人もいらっしゃるのに、立って待てとは!30分ほど待って、ようやく受付用紙をもらいそれに記入して、また待ちます。今回は椅子席でした。そこで10分ほど待って、コンピューターの前に案内されました。しかしそこはまたも立っての手続きです。一体税務署は、何を考えているのでしょう!!アルバイトの方が大勢いて、コンピューターなんか触ったこともない人たちの手伝いをしていました。でも、ご老人たちにはちんぷんかんぷんで、以前のように税理士さんと対面で記入をしてもらわないと、不安でしょうね。前回入力したソフトとは、全然違うようです。何とか私達夫婦の2名分を入力して、担当者に間違いが無いか確認してもらい終了。私が還付で、旦那さんが納付になりました。そのまま納付書をもらって、税務署の納付窓口でさっさと納付してしまいました。約2時間かかりました。なにせコンピューターの前で、入力画面をいちいち確認してもらわなければならないので、そのたびに担当者の手が空くのを待たなければなりませんから、時間のかかること!そこから弁護士事務所までは30分ほど。今回は書類を届けるだけですので、時間はかかりません。無事に届けて、ようやく帰宅。18時過ぎていました。大急ぎで洗濯物を取り込んで、生協から来ていた品物を冷蔵庫にしまって、夕食の支度。ふうう。大忙しでした。
2011年02月22日
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2月20日(日)3年前、2008年2月20日の早朝、私達家族は大切なもう一人の家族を失いました。我が家に来たときは、生後2ヶ月の子犬だったのに、いつの間にか子供たちの年齢を追い抜き、私達夫婦の年齢も追い越して、15年の生涯を終えました。ドジで愛くるしかった子犬時代。凛々しくて、体中に生気がみなぎっていた成犬時代。だんだん老いが進んで、それでも私達家族を守ろうと頑張ってくれた老犬時代。何度も動物病院で点滴を受け、そのたびに少しは元気を取り戻すのだけれど、やっぱり消化がうまくいかなくなって、よく食べたものを吐いていました。私の毎日の仕事は、彼に消化の良い食欲の出る食事を作ること。鳥のささ身でスープをとり、ささみも細かくほぐして、ドクターに配合してもらったドライフードを20分ぐらいスープに浸し、噛まなくても食べられるぐらい柔らかくしてあげました。いつもおいしそうに食べてくれていたのに、それも受け付けなくなったとき、ご近所の人からカステラを勧められました。早速新宿のデパートで「福砂屋」のカステラを買ってきて、おそるおそる食べさせてみました。すると、それまで食べ物に関心を示さなかった彼が、おいしそうに食べ始めたのです。薄く切ったカステラを少し食べさせ、食べてくれたことにほっとしました。19日のことです。玄関に続く廊下に、ダンボールとタオルとフリースとゆたんぽで、暖かいスペースをつくり、そこに寝かせ、私は自分の布団をギリギリまで寄せて、愛犬の息がかかるほど近づけてみました。横になっても眠れませんでした。夜中にも、柔らかくなって流れてくる便を拭き取り、清潔にしてあげたりしていてほとんど眠れませんでした。虫の知らせでしょうか・・・。20日午前4時ごろ、息が荒くなりました。私は2階で寝ている旦那さんと次女を起こし、みんなで見守りました。名前を呼び、もう一度私達のところに帰って来てくれるよう、声をかけ続けましたが、彼は私の腕の中で息を引き取ってしまいました。眠るがごとく、安らかに・・・・。長女は別に住んでいたので、いそいで帰って来てくれました。共稼ぎ夫婦で、まだ長女が小学3年生、次女が保育園に通園しているという幼い姉妹だけで、留守番している時間もあったのだが、体の大きいな彼がいるので、いつも安心していられたのでした。柴犬のミックスなのだけれど、どこかでシェパードの血が混じったらしく、身体も大きく顔立ちも精悍。吼え声もずば抜けて大きく、番犬にはぴったりでした。外見に似合わず小心者で、臆病で、踏切が嫌いで、人の多いところが苦手。小さい子供と猫が大好きで、いつも遊びに来る野良猫を可愛がって、ナメナメしていつくしんでいました。性格が良く、教えると何でも覚えて、頭も良い子でした。どれだけこの子に助けられたことだろう。励まされたことだろう。府中にある動物の霊園に、可愛い春らしいお花とカステラを持って旦那さんとお参りに行きました。共同墓地だけれど、たくさんの花がびっしりと供えられ、持参した花を置くスペースを探すのが大変なほど。二人で手を合わせていると、また涙がこみ上げてきて、何年たってもこの子を失った悲しみは薄れないのだと思いました。この霊園は、きちんとしたお寺さんが管理していらっしゃるので、隅々まで掃除が行き届き、たえず読経が流れていて、人間のお墓とかわりません。「○○家の愛犬の墓」などと墓石に刻まれたお墓も並んでいて、一緒に暮らした人達の思いの深さが伝わってきます。お参りが済んで、霊園を散歩していると一本の梅の木の周りに人だかりです。見ると、黒白の幼猫さんが高い木の枝に登っています。見ている人の心配は、はたして降りてこられるかどうか・・・。ところがその猫さん、枝と枝をひょいひょい身軽に移動して、いとも簡単に降りてきました。見ていた人たちは安心して解散。と思ったまもなく、その猫さん、また別の木に登り始めました。今度は3メートルはありそうな高い木で、枝の先が細くて今にも折れそうです。はらはらしてみていましたが、ちゃんと降りてきました。見ていた一人の婦人が、「なんて可愛い猫さん。家につれて帰りたい。猫を亡くしたばかりなので、この子を連れて帰りたい」と、しきりに言っていらっしゃいました。この霊園は、住み付きの猫さんがたくさんいて、お寺がその子達もきちんと管理しています。首輪も付いていますし、寝床も作ってあります。ご飯もちゃんともらっているので、どの猫さんも毛並みはツヤツヤです。名前もついていて、猫が亡くなると掲示板に「長らく可愛がっていただいたミッキーが亡くなりました」なんて書いて張ってあります。別の場所には犬の住まいもあり、秋田犬らしい女の子が、可愛い顔をしてこちらを見ていました。こちらの張り紙には「胃の大手術をしたばかりですので、食事には注意しております。食べ物を与えないでください」とありました。どこかで保護されてきた犬なのでしょうか、穏やかな顔をしていました。ひっきりなしに広い駐車場には車が入ってきます。お参りの人や、亡くした子を連れてきた人々で、園内はいっぱいです。動物の霊園は少ないので、遠くから皆さんいらしているようです。さて、今日はパンダが日本にやってくると、テレビは騒いでいます。環境の違うところにきて、戸惑わないと良いのですが・・・。
2011年02月21日
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2月19日(土)今朝は安心して職場に向かうことが出来ました。私を「母さん」と呼んでくれたS子さんの姿は、今日も有りません。でも、いつも親しげに声をかけてくれるH子さんが「naominさんがお仕事はいっていると思ったから、時間を延長してもらったの。お昼一緒に食べようね」と言ってくれました。仕事は大変なことの連続ですが、一日楽しく働くことが出来ました。帰宅後、撮ってあった「日本アカデミー賞授賞式」を見ました。今朝のニュースで、最優秀主演男優賞・女優賞、最優秀助演男優賞・女優賞を、「悪人」が独占したことは知っていましたが、やはり授賞式を見てみると、この一年の日本映画を振り返ることが出来て、感慨深いものがありました。何度もここに書いたことがありますが、殺人を犯してしまって逃亡する青年の役を、、妻夫木聡さんが多彩な眼の演技で、まさにこれぞアクターと思わせる表現をしていました。その青年と一緒に逃亡することを自ら選んだ、紳士服の店員で孤独で地味な女性を演じたのが深津絵里さん。モントリオール映画祭で、最優秀女優賞に選ばれた作品です。そういえば他にも主演女優賞にノミネートされていたのは、「キャタビラー」でベルリン映画祭最優秀女優賞を受賞した寺島しのぶさん。映画「告白」で、監督にこの人がいなければこの映画を撮らなかったとまで言わしめた、松たか子さんもノミネートされていました。今回はまれに見る、女優さんの戦いの場であったかもしれません。どの女優さんが選ばれても、誰も異論を唱えることが出来ないほどの作品群でした。そうそう、「悪人」の俳優陣は助演女優賞に満島ひかりさん、助演男優賞に岡田将生さんも選ばれていましたね。一つの映画で助演賞が男女二人ずつ選ばれるなんて、前代未聞です。あ、最優秀助演男優賞に選ばれたのは、殺された娘の父親を演じた、これも私の大好きなえもっちゃん、こと柄本明さん。最優秀女優賞に選ばれたのは、加害者家族となってしまった老女を演じた樹木希林さん。家の前で張り込む報道陣に囲まれ、困惑して立ちすくし、口もろくに開けなくなったお婆さんの姿は、私に強い印象を与えました。凱旋上映が有るようなので、もう一度見に行きたくなる映画でした。最優秀作品賞は「告白」が選ばれました。デビュー当時から松たか子さんファンですので、是非見に行こうと思いつつ出来なかったので、これも凱旋上映を是非してもらいたいものです。そうそう授賞式でブッキー(妻夫木聡さん)が、涙を浮かべて語った言葉、「一時は個性がないといわれて悩んだこともあった」との言葉は、アクターとしての精進を積み重ねた彼から出てこそ、重みのある言葉でした。さわやかな好青年振りが際立つブッキーだから、どんな役も「いい人」っぽい。それは彼が一番悩んだところでしょう。2枚目であることは、アクターを目指す人にはむしろマイナス。どうしても役が固定されてしまいますからね。ブッキーは、ひそかにいろんな役でチョコチョコ映画に出ていましたよ。「鬱のホスト」なんて変な役もやっていました。みんな勉強だったんですね。おめでとう、深津絵里さん、妻夫木聡さん、樹木希林さん、柄本明さん、そして李監督!!!あ、「今度は愛妻家」「必殺剣鳥刺」で頑張った豊川悦司さんも大ファンです!今回は、司会・ノミネートされた女優・プレゼンターと大活躍の松たか子さん。深津絵里さんのコメントを取りに、マイクを持って舞台を駆け下りていった姿、お人柄を感じさせるいい場面でしたよ。寺島しのぶさんの、黒のドレス姿の美しさ!!際立っていましたね。どなたを見ても胸がときめいて、私、気が多すぎですね。
2011年02月20日
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2月18日(金)夜半からの雨は、雨脚が弱ることなく通勤時間になってしまいました。いつもならバス停まで25分ほど歩くところですが、さすがに今日は電車を使うことにしました。電車とバスを乗り継いで職場に入りましたが、今日の勤務者名簿に私の名前がありません。これで続けて3回です。さいわい、今日も体調不良の欠勤者が相次ぎ、私はそのまま勤務させてもらえることになったのですが、あまりに不思議なので休憩時間に派遣会社に電話を入れました。その電話で驚きの事実がわかりました。なんと2月15日以降の私のスケジュールを、派遣会社はすっぽり入れ忘れていたのでした。それで職場には、私の勤務予定が伝わっていなく、シフトが組まれていなかったのでした。修正をお願いして、勤務先との調整をお願いし勤務に戻ると、30代ぐらいの大柄の男性K君が話しかけてきました。その話の中で同じ派遣会社の所属だとわかったので、先ほど判明した派遣会社のちょんぼを話しました。K君は、「よく有ることです。」などと言って自分の経験したことも話してくれました。そして、シフトの希望表など重要なものを送ったときは、Nさんに電話をしておくといいよ、と教えてくれました。人材派遣会社もいろいろな人がいて、中にはいい加減な人もいるけれど、Nさんだったらきちんとしていて、間違いがないとのこと。勤務を終え携帯をチェックすると、派遣会社から留守電が入っていました。K君から名前を教えられ名ばかりのNさんから、折り返し電話が欲しいということでした。Nさんに電話を入れますと、今回のことを陳謝され、さらに私のシフト希望票どおりに勤務先と調整したとのこと。なるほど、しっかりしていて、きちんとしている担当者だと思いました。声の様子では、20代後半か30代前半の男性のようですが、好感の持てる話し方でした。K君が信頼を寄せるのも、もっともだと思いましたよ。さて、今日は安心して出勤しましょう。もう名簿に私の名前がないということは、ないでしょうから。では、行ってきます。
2011年02月19日
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2月17日(木)長女が、確定申告の相談に行きたいから、赤ちゃんのお守をしてほしいと言ってきました。長女の住む駅で待ち合わせ。その近くに区役所の施設があり、そこで税理士さん達が個別に相談にに乗っていただけるというのです。前年赤ちゃんを出産し、多額の医療費をお支払いしたので医療費控除の相談です。その区役所の施設は、ビルの2階と3階を使っていてかなり広いスペースでした。2階には幼児の為のコーナーがあり、靴を脱いであがってくつろげるようになっています。いろんな年齢に合わせたおもちゃや乗り物が用意してあり、ベビーベッドも置いてあります。長女が3階で相談を受けている間、そのコーナーで赤ちゃんのお守りをすることにしました。ところが、ママの姿が見えなくなると、とたんに大声で泣き始めた赤ちゃん。その場にいらした若いママさんたちが、一生懸命あやしてくれましたが泣き止みません。抱っこして、フロアーをウロウロしていましたら、奥のほうから楽しそうな音楽と子供の声。なんとその施設、奥に体育館までありました。その体育館で、体操のお姉さんやお兄さんと一緒に親子でリトミック。音楽に合わせて歌いながら、飛んだり跳ねたり転がったり、楽しそうです。曜日ごとにプログラムが組んであるようで、一覧表には大人用のも用意してありました。赤ちゃんは、楽しそうな音楽に心が惹かれた様子で、ちょっと泣き止みました。泣いたり、泣き止んだりを繰り返しながら約1時間。ようやくママが3階から降りてきました。「泣き声、3階まで響きわたっていたよ」なんて言っていましたが、そうでしょうとも大きな声ですから。長女の自宅に帰る前に次女の部屋に寄って、作ってきた煮物を届けます。「母さん、ピアノ買ったから見てね」とメールが来ていましたので居間に入ってみると、真っ白なローランドの電子ピアノが置いてありました。次女の旦那さんの夢だったそうで、以前からピアノを買いたいと言われていたけれど、家計費からは捻出できないと答えたら、なんとおこずかい貯めて買ったんですって。そこまでされれば反対できないので、先日購入となったのでした。真っ白なピアノは、そこだけ異空間でした。ピカピカ輝いていました。私も子供の頃、オルガンに憧れて母におねだりしたことがあります。貧乏な我が家では、到底買ってはもらえないと思っていたら、楽器屋さんに頼んで中古品が出たときに買ってくれたのです。うれしかった!だから次女の旦那さんも、これを手に入れてどれほど嬉しかったことでしょう。長女宅でゴミ出しや片づけを手伝って、夕方帰宅。なんだか疲れた。赤ちゃんの泣き声で、ちょっとぐったりです。さて、今朝はかなりの大雨。これから仕事に出かける仕度です。今日は雨脚がひどいので、電車とバスを乗り継ぐことにします。では、行ってきます。
2011年02月18日
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2月16日(水)4時におきて派遣会社に送る、3月のシフトの希望表を作成してメールしました。道の雪はすっかり溶けているので、いつもどおりバス停まで25分ほど歩いて行きました。前日と違って、今日はバスはがら空き。好きな席に座れます。会社の前に到着したとき、派遣会社に「到着連絡」を携帯のネットでするのですが、いつものように私のサイトに入ってみると、「今日のお仕事予定はありません」との文字が出てきました。そんなはずはない、シフトはちゃんと確認したので・・・。と、思いながら派遣会社に電話。調べてもらったら、派遣会社のミスで漏れていたと言うことで、修正してもらいました。で、職場の今日の出勤者の名簿を確認すると、案の定私の名前がありません。名簿の前で困惑している私に、女性のリーダーさんが声をかけてくれました。事情を話すと、派遣会社からきている出勤者リストを確認してくださって「あ、やっぱり漏れている」ですって。でも、「今日は忙しい日だし、体調崩して欠勤者が必ず出るから、そのまま勤務についてください」と言ってくださいました。このところインフルエンザや風邪が流行っていて、勤務予定者の欠勤が相次いでいます。朝礼では毎回、体調管理に気をつけるようお話が有ります。そのままこともなく、一日勤務をさせてもらいました。たくさんのお客様と、いろんなお話をしました。やりがいを感じた一日になりました。そういえば、先日来S子さんの姿が見えません。今日の勤務者名簿には、その名前があったのに、探してもいません。インフルエンザでお休みをして、復帰した数日、顔色が悪く休憩のときもため息をついていました。まだ体調が戻らないようです。早くよくなって、元気な姿を見せて欲しいものです。勤務を始めて1ヶ月が過ぎ、大勢の職場の方々と親しく声をかけあうようになりました。私のようなものにも、「あ、今日は居た!良かった!」と楽しげに声をかけてくれる人も増えました。そうなると、今日は誰に会えるのかしら?と職場に行くのも楽しみになります。週に3回か4回の勤務ですが、いいリズムができるようになりました。
2011年02月16日
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2月15日(火)昨夜から降り出した雪は、一夜明けて我が家近くは積雪6センチぐらい。雪国の人には本当に申し訳ないのですが、これだけ積もると東京は大騒ぎです。私はほぼ4時に起き出して、食事の仕度やらゴミ出しやら、ブログなんかをやっておりますが、旦那さんが起きてくるのはいつも6時半ごろ。ところがこの日は6時前に起きてきました。雪の日は張り切るんです、戌年だから(あ、起こられそう!)「ん?早起きねえ!」と私がからかうと、嬉しそうに「雪かき雪かき」といって洗面所に入ってゆきました。でもまだ外は真っ暗です。いくらなんでも早いから、少し一服してもらいました。薄明るくなったころ、雪かきに外へ出て行きましたが、10分ぐらいで戻ってきました。「あら、早く終わったのね」と声をかけると、「Yさんのご主人が、すごいスコップ持っていて、あっという間に終わっちゃた」ですって。このご近所は、昔から皆さん心がけの良い方が多く、男性陣は雪が降ると皆さん雪かきに出てくださいます。息子さんが自宅にいれば、その方々も総動員です。今回はお留守の家が多かったのですが、Yさんと我が家の旦那さんで雪かき完了。おかげで通勤のときは、我が家近辺だけは歩き易くなっていました。いつもなら、自宅から25分ほど歩いてバス停に行くのですが、途中の道が滑って危険そうなので、今回は京王線を利用してターミナル駅まで行き、そこからバスに乗ることにしました。少し早く家を出ましたら、さすが電車を利用したおかげでだいぶ早くバスターミナルに着きました。目的のバス停で待っていますが、なかなかバスがやってきません。他のバス停に入ってくるバスは、シャランシャランと音を立てて入ってきます。タイヤにチェーンを想定しているので、聞きなれない音がして、それもちょっとワクワクします。多摩丘陵の急な坂道を上り下りするには、少々の雪でもチェーンは絶対必需品です。バス停には、大勢の人が並びます。いつもなら自転車や車で出勤の人も、今日は公共交通機関を利用するのでしょう。そういえばテレビのテロップで、中央線の各駅停車に運休が発生していると出ていました。快速電車が運休とはよくあることですが、各駅停車まで運休ではJRの駅は大混乱でしょう。それと多摩モノレールに遅れが出ているとも流れていました。バスは10分遅れで到着。始発駅を出るときには、満員状態です。途中、丘陵の中の団地のバス停では、お客さんを乗せきれずいくつかの停留所を通過してしまいました。団地のバス停を利用する人々は、他に交通機関がありません。寒空の中、次のバスを待つことになります。そのバスも乗れるかどうか、人事ながら心配になりました。モノレールが、とある駅近くで急ブレーキをかけて止まって、恐怖でいっぱいになったという話が職場で出ました。しかも2度も急ブレーキがかかったんですって。モノレールは、とても高い所を走っています。途中で止まったら避難のしようがありません。本当に恐怖です。お天気は急速に回復して、道の雪も見る見る消えて、帰宅時はすっかり道が乾いていました。なんだかせっかくの雪なのに、雪景色を楽しむゆとりがありませんでした。もったいないことをしました。こんなんで、雪国の方々にはまことに申し訳ないのですが、この少々の積雪で東京は大混乱です。事故が多発して、救急車とパトカーが走り回っていましたよ。さて、今日は普通に出勤できそうです。良かった!
2011年02月16日
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2月14日(月)申し込んでいた健康診断の日、久々の立川なので朝からうきうき。健診は午後からなので、朝食は軽くして、早めにお出かけ。伊勢丹・高島屋・ルミネ・グランヂュオ・フロム中武・ビックカメラと薬局。これ全部廻りました、駆け足で。買い物がしたいのではなく、ショップを見て歩くのがすきなのです。途中で喉が渇いて、お腹が空いても喫茶店にも入れません。健診前なので水分も取ってはいけないので・・・。コーヒーが飲みたいよーーー!!!なんて思いながら、お洋服・家庭用品・雑貨などを見て廻りました。ビックカメラに行ったのは、電子辞書を見てみたかったから。先日ジャパネットタカタが、カシオのEX-wordを取り扱っていたのですが、液晶部分がダブルで、どちらもカラーで、広辞苑を始めとして国語関係、外国語関係、家庭の医学から趣味にいたるまで収録してあって、さらに俳句の歳時記を「現代俳句」「ホトトギス俳句」等3種類も入れてあるって紹介していたので、気になっていたのです。もっと驚くべきは、日本文学700冊、世界文学300冊も収録。すごいでしょ!ジャパネットタカタは、確か29,800円って紹介していました。カタログをもらいながらビックカメラの値段をチェック。38,800円でした。もっとも仕様が同じとは限りませんので、比べてはいけませんが。さて、健診の時間になり始めての健診施設を訪れました。立川にはたくさんの大きなビルがありますが、その中の一つのかなり上階にある施設でした。ゆったりとしたスペースに、受付や待合の椅子が配置してあります。受付の手続きを済ませると、おやおやそのまま血圧を測るコーナーに案内されました。私は当然ロッカーで、健診着に着替えるものと思っていたので、「?」マークで頭がいっぱいになりました。血圧の次は、身長体重を測るコーナーです。ロッカールームに立ち寄っていませんから、当然コート、バック等荷物は全部持って移動です。案内の女性に尋ねました。「全ての検査を、荷物も持ったまま移動して受けるのですか?」彼女は答えました。「はい、検査項目が少ないのでそのまま移動していただきます」え、ええええ?確かに成人病健診は検査項目は少ない。胃の検査もありませんし・・・。でも、体重測定も冬着の着衣のままって、それ不正確じゃないの?その後、お医者さんの内科の検査と、オプションでお願いした子宮がん検診、血液検査など荷物を抱えたままウロウロ。1時間にも満たない時間で全て終了。会計をして、釈然としない思いで「検査結果は2週間ぐらいで郵送します」という言葉を聞きながらそこを出ました。たぶん、内科の先生や婦人科の先生が異常はないと言ってくださったので、大丈夫とは思いますが、後は血液検査の結果がどうなりますことやら。大体きちんとした健診所なら、血液検査の結果はすぐ出て、内科の先生から検査の結果が説明されます。それが出来ないというのは、ここは血液・尿の検査は全て外注ということなのでしょう。もう2度とここで健診を受けるのはやめようと、思いました。健診の結果に信頼がもてません。こういうことは、書き込みでもしたほうがいいのかなあ?あんまりそういうことはしたくないけれど、たぶん私はしないと思うけれど、ビジネスだけの健診所は、要注意です。社会保険機関の運営している健診所か、病院併設の健診所を、これからは選びましょう。選んだのは自分なので、反省しながら帰宅しました。
2011年02月15日
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2月13日(日)朝から旦那さんのおねだりは、「お酒買いに行くから、お金頂戴」ですって。我が家は月に一度、業務スーパーでお酒のまとめ買いをしています。互いの好みのビールとお酒、ワインに焼酎と、かなりまとまった量の酒類を購入しています。なにせ夫婦二人とも飲兵衛ですので、いくらお金があっても足りませんから、月にいくらと決めてその範囲内での購入です。でも、うちの旦那さん飲み干しちゃうんですね1ヶ月たたないうちに。もう2・3日前から、「日曜日にお酒買いに行くから・・・」と言われて、私「駄目、まだ1ヶ月たっていないから」彼「でももう飲むのないもん」私「私のが残っているから、それを飲んでいなさいよ」彼「やだ、味の好みが合わない」などのやり取りが何度も繰り返されて、結局私の根負けです。彼はいそいそと出かけていきました、お酒を買いに。ヤレヤレ、小さな子供にお菓子をねだられている気分です。先日テレビで放送された映画、「沈まぬ太陽」を、見ながら休憩。山崎豊子さんは私の大好きな作家さんですので、もちろん原作は読んでいますが、長い長い作品を映画化するのは大変。どうなるのだろうかと思って、観ていました。作品は、一部消化不良のところもありましたが、とても良く描けていたと思います。最後の「沈まぬ太陽」への結びつけが、やや強引ではありましたが・・・。ただ、この映画の公開のときは、ちょうどJALがたくさんの問題を抱えて政府の支援受けようとしていたときでもあり、タイミングが悪かったなあと同情をしました。映画の中で「国航」とされているのは、明らかに「日航」ですし、御巣鷹山の事故も描かれていますから、観ている人には当然JALの内部事情を描いたものだと思われても仕方が無いでしょう。山崎豊子さんという作家は、常人には考えられないほど資料をたくさん収集し読み込まれ、決して自分の思い込みだけで作品を書かれる方ではありません。その作品は小説とは言っても、たくさんの資料に裏打ちされたものです。圧巻は「二つの祖国」の中の東京裁判の場面。これでもかと、延々裁判の場面が続きますが、いかに戦勝国の論理に立った裁判であって、公正な裁判ではなかったことを、丁寧に描いています。他の作品もそうです。ですから、この作品も山崎豊子さんはたくさんの資料と格闘され描かれたのだと思いますが、決して日航批判の作品ではありません。それがマスコミの取り上げ方では、日航批判のように報道され、映画公開当時の日航は大変苦しい立場に立たされたようです。長い作品を観終わったころ、彼が帰宅。どうやらゴルフの練習場にも立ち寄ってきたようで、ご機嫌です。今日のお夕飯は、久々の手巻き寿司。娘達のいるころは良く作ったのですが、二人になってからあまりしていません。先日生協で「手巻き寿司セット」があったので、注文しておいたのです。ご飯を炊いて、寿司飯にして、手巻きサイズに握っておいて、材料を並べてみたのですが、二人ではあんまり食べられないことがわかりました。やっぱり大勢で食べないと、材料もあまり揃えられないし、楽しくないな。今度は、大勢のときのメニューにしましょう。そういえば18日は日本アカデミー賞の発表。去年は何の作品があったっけ?私何を観たのかな?「悪人」あれは良かった!いつも善人役の妻夫木聡さんが、どうしようもない暗い眼をして、自分が生きていることに怒りを感じている眼をして、演じていました。深津絵里さんの、ひたむきでまっすぐな演技も、ピカピカでした。さて、どんな作品が受賞するのでしょう。楽しみです。
2011年02月14日
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朝起きると、心配していた雪は降っておらず、日がさしていました。大急ぎで洗濯をして、2階の階段や廊下を利用した干し場に干して、外出の用意。日本橋蛎殻町の水天宮さんまでは、1時間半ほどかかります。新宿で東京メトロ丸の内線に乗り換え、さらに大手町で半蔵門線に乗り換えると、水天宮前で下車。階段を上って地上に出ると、もう水天宮さんへ上がるの階段は目の前です。水天宮さんの前の歩道は、大勢のガードマンさんでいっぱいでした。これからあふれくる参拝客の誘導です。階段を昇ると、次女夫婦が待っていてくれました。私達は、9時半ごろ到着しましたので、お祓いを申し込む窓口も待たずに手続きを取れましたし、お祓いを受ける次女は別の場所のテントに案内され、順番を待ちます。私達夫婦と婿さんは、本殿にお参りをしました。無事の出産を、心から願いました。やがてお払いをしていただき、腹帯をいただいてきた次女は拝殿から出てきました。「すごく立派な拝殿だったよ。さすが古いお宮さんだね」と言っていましたよ。拝殿の右側には、犬の親子像がブロンズで作ってあります。皆さんが頭をなでなでしていかれるので、親子とも頭がピカピカに光っています。ここは撮影スポット、私達も次女夫婦と犬の親子像を写真に収めました。水天宮を出ると、そこは人形町の趣のある街並み。ついこの間阿部寛さん主演で「新参者」というドラマの舞台になったので、ご存知の方も多いと思いますが、いたるところに老舗のお店が並びます。「重盛の人形焼」「お煎餅の小藤屋」「黄金芋の寿堂」、そのほかにも佃煮やさん、豆腐屋さん、人形町らしく呉服屋さん、和の小物のお店、さらに水天宮に近いのでマタニティショップ等々見て歩くだけでも楽しい場所です。「新参者」の撮影に使われたお店もたくさんあって、「あ、ここは阿部寛さんが立っていた場所!」なんて思う場所がいたるところに有りました。次女は、マタニティショップでお買い物。会社に着て行く服を選びます。デパートのマタニティ売り場では、何万円もする品物ばかりで手が出ません。通販という手も有るのですが、試着できないのが難点。かなりお洒落で、マタニティではないときにも着ても大丈夫なワンピースを2点と、妊婦用のスパッツ1点を購入しましたが、全部で9,000円でお釣りがきました。もうおびっくりのお安さです。しかも安っぽくありません。さて、お昼時。以前、長女の安産祈願に来たときも入ったお店を発見して、食事に入りました。鳥料理の専門店でランチとお酒少々。おいしくいただいて、底冷えしていて冷え切った身体を温め、満腹でお店を後にしてさてどうしたと思います?並んだんですよ。長蛇の列の後ろに。たい焼きのお店「人形町 柳屋」さんの列です。「新参者」では、並んでいる阿部寛さんが、あと少しというところで「今日は売り切れ」といわれていつも買えなかったお店です。ここは昔ながらのたい焼きの型に、生地を塗りたっぷりの餡をいれ、また生地をかけて炎がぼうぼうと上がっている強火で焼き上げます。火の上には、たい焼きの型は6本しかありません。職人さんが一つ一つひっくり返して、順番を入替えて焼いていきます。長い時間を待ちますので、だんなさん達が甘酒を買ってきてくれました。温かい甘酒を味わいながら列に並んでいますと、ようやく店の中へ。狭い店の中も列は折れ曲がっていて、まただいぶ並びます。でも苦労して待ったかいのある、どんなに待っても並んで食べたい、たい焼きです。店の外で立ったまま食べましたが、皮の生地の香ばしくておいしいことといったら!餡の柔らかさと程よい甘さ!!!あんなにお腹いっぱい食べた後なのに、1個では物足りませんでした。今度は、もっとたくさん買いましょう。バレンタインのチョコレートも、お婿さんに上げて喜ばれたし、うちの旦那さんは次女からもらって喜んでいるし、いい一日になりました。
2011年02月13日
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2月11日(金)朝から小雪が降り、天気予報は積雪を告げています。東京は、この冬初めての本格的雪。通勤のバスの窓から、空から降る白いものを不思議な思いで見ていました。朝礼の席でリーダーが、「仕事の話ではないのですが」と前置きして話された驚くべきことは、「無差別殺人の予告がネットに流れている」というもの。「今日夜9時に、新宿で無差別殺人を行うという書き込みがネットにありました。おそらくはいたずらだとは思うのですが、秋葉原の事件でもその前に犯人はネットに予告していましたので、一応注意してください。警察も厳戒態勢に入ると報じられていますが、知人・家族にも知らせてあげて、注意喚起をしてあげてください」休憩時間に、家族にメールしました。この雪なので、誰も外出はしないとは思ったのですが、念のために。休憩室でツイッターを見ていた人が、「時間が9時から5時に変わった。犯人からの新しい書き込みがあったみたい」と言っていた。便乗なのか、本当に最初に予告を書いた人なのかはわからないが、人の不安を煽って楽しんでいるのだろう。いやな世の中です。多摩地区は標高差が激しく、平地と山を切り開いて町にしたところでは、雪のつもり方が違います。職場の付近は高地なので、帰宅の道はシャーベット上になっています。滑らないよう、足の運びを気をつけながらバス停に向かいました。丘陵地をうねうねと巡る道には、雪が積もって運転手さんも慎重にバスを走らせて行きます。今日はいつものコースではなく、聖蹟桜ヶ丘の駅でバスを降りました。京王デパートに寄り道をして、バレンタインのチョコレートを買いに行きました。ここは平地なので道に雪はなく、歩き易い。食品売り場は甘い匂いに包まれて、形の美しい箱に入れられた見た目も美しいチョコレートの数々が並べられていて、目移りします。ひときわ眼を惹いたのが、黒い箱に入ったさまざまな形に品良く仕上げられた、チョコレートの詰め合わせ。メリーチョコレートなので、全国のお店で販売されているとは思いますが、この会社の工場は以前私の住んでいる市にありました。今はもうなくなってしまいましたが、昔そこの販売所でチョコレートを買ったことがあります。店員さんが、試食をさせてくれました。あまり甘くなく、でもチョコレートの味は充分。塩キャラメルをチョコレートでコーティングしたものだそうです。そのほかにも彩りよく、いろんな味がありそうなので、その黒い箱に入ったセットを3箱買いました。3箱も買って、誰にあげるのかって?もちろん旦那さん。あと二つは、お婿さんたちに。娘達を優しく見守ってくれる、頼もしい婿さんたちは大事にしないとね。12日は、次女の安産祈願に中央区蛎殻町にある水天宮に参ります。そのときに次女のお婿さんには手渡しをして、長女のお婿さんには次女から渡してもらおうと思って、大急ぎで雪の中の買い物です。さあ、お天気はどうでしょう。無事にお参りが済ませられますように。あ、無差別殺人予告はいたずらだったようです。何もなく無事日は暮れました。良かった!
2011年02月12日
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2月10日(木)朝から気温の低い日でした。チキンのトマト煮を作って、次女宅と長女宅へ。次女夫婦はお勤めで留守。冷蔵庫にタッパウエアをしまって、すぐ長女宅へ。赤ちゃんは、お座りしてニコニコおもちゃで遊んでいました。8ヶ月になり、体重も9キロになったとか。健康です。部屋の掃除や片付け、子守りの手伝いをして午後から駅前まで買い物がてらの散歩。娘が言うのには、ベビーカーで外を歩いているうちはおとなしいが、お店に入るといつも泣き出して、その声が大きくて恐縮してしまうとのこと。今回も、お店に入ったとたんの大泣き。店内を買い物に来ている人たちが、振り返るほどの大声。それでも皆さん赤ちゃんには好意的な目線。あやして通り過ぎる人もいらしたりして、申し訳なさでいっぱいです。毎回これでは、娘も食料品の買い物もままなりません。長女宅に戻ると、クンクンなんか匂うぞ。オムツの中はたっぷりのウンチ。バタバタ動く足を押さえつけながら、身体をきれいに拭いてあげます。離乳食が始まって、何でも食べてくれるので、いいウンチです。夜、家に戻るととんでもないニュースが流れていました。酒気帯び運転の車に、二人の高校生がはねられ死亡したということ。しかもまた福岡県です。福岡県では、飲酒運転での重大事故が過去にも何回もおきています。テレビで統計の数を出していましたが、飲酒運転の摘発数は福岡県が断然トップで、2位が大阪。しかも飲酒運転の事故の数は、他県は大きく減っているのに、福岡県は大きく増えているのです。こんなに飲酒運転に対する社会の眼が厳しくなっているのに、どうして福岡県では重大事故が置き続けるのでしょう。飲酒に対する寛容さはあってもかまいませんが、「飲んだら乗るな」の根本的なことは絶対守らなければなりません。代行運転を頼む少しの金を惜しむような人は、絶対飲んではいけません。車を運転しなくて良い場所で、たっぷり飲めばいいのにと思ってしまいます。今回は16歳という、かけがえのない命が二つ失われました。運転していた人は、どうやって償うんでしょう。どんなに申し訳ないと頭を下げても、仮に死を持ってあがなったとしても、失われた二人はもう戻ってくることは出来ません。二人をいつくしみ、はぐくまれた方々の無念さを、どうすれば良いのでしょう。胸かきむしり、地団太を踏んでも、どんな言葉を尽くしても受け入れられない現実を、認められない私です。人は間違いの多い生き物ですが、飲酒運転だけは間違いでは片付けられないと思います。飲酒運転は殺人行為。どうか全国の、特に福岡県民の方々、断じて飲酒運転を許してはならないという風土作りをしましょう。みんなで、やりましょう!
2011年02月11日
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2月9日(水)職場でS超さんの顔を見つけて、にっこり。「おはよう!」と挨拶を交わすが、どことなく元気がない。食事休憩が一緒の時間になったので、椅子を並べて食事をしました。「久しぶりの普通食」といって、自分で作ってきたお弁当を食べるS子さん。顔色は悪いし、ため息は尽くし、どうやらまだまだ本調子ではない様子。「金・土・日」とお休みもらったから、その間に良くなるように頑張る」と言って、また職場に戻って行った。とにかく身体を休めて、栄養のあるものを食べて、来週は元気になって来てね。帰宅してテレビ欄を見て大ショック!大好きな「相棒」がない!特別番組で、お休みらしい。それで昼間再放送を録画しておいたのを、見ました。「通報者」少年が殺人事件を目撃して、警察に公衆電話から通報するが、名前を聞かれて名乗れない。その事情を、杉下右京と神部尊の特命係コンビが探っていき真相にたどり着きます。幾重にも重ねられた、中学生の少年の嘘。それを一つ一つ推理し検証していく特命係の二人です。今回は、神部警部補が少年をとても気にかけます。「おや、今回は熱心ですね」と杉下警部にからかわれると、「僕も嘘つき少年でしたから」と、軽妙に切り返す神部尊です。神部尊が最後に少年に言います。「夢ちゃん(少年の妹)は君が充分守った。でも、君を誰が守るの?」少年は、一人で張り詰めていた糸がその言葉で切れて泣き出します。まだ中学生の少年の、大人の世界についたたくさんの嘘。必死で妹を守る為の手段でした。なんて、またドラマを書いてしまいました。「相棒」シリーズは、何回見返しても面白くて、つい力が入ります。お粗末さまでした。
2011年02月10日
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2月7日(月)の続き。句会から夕方帰宅して、台所に立ちながら取っておいた大河ドラマ「江」をみました。だって今回は「本能寺の変」、豊川悦司さん演じる織田信長の最大の見せ場ですもの。武士の装束も、南蛮の衣装も、何を着てもウルトラかっこいい悦司様。最後はどんな姿で、と時間がないのに無理やり見たのでした。いつも思うのですが、今回の大河ドラマの脚本は、ところどころホームドラマ風で、戦国時代にありえないと突っ込めるところ満載です。そんなことはさておき、肝心の悦司様は白装束。白の着物に真っ白い袴姿。スススと運ぶ足の動きも美しく、明智勢に取り囲まれて「是非にあらず」のセリフも決まって、言うことなし!ま、寝込みを襲われたのにどうして袴を着けていたか?なんてチャチャを入れたくなるのを、これはビジュアル的効果を狙ったものと割り切りましょう。寝込みを襲われたので当然髷は結っておらず、肩にかかる落ち武者のような髪は、あごの髭とあいまってまるでキリスト像。日本で一番キリスト様を演じさせたら、似合う俳優さんかもしれないと、不謹慎なことを考えながら、森蘭丸役の俳優さん(名前知りません、ごめんなさい)の美しさと、信長の最期の時をを守ろうとする、鬼神のような気迫に感じ入りました。悦司様の信長は、手傷を負いながら寺の奥に歩いていきます。その足取りが痛々しいのです。演技巧者の悦司様ならではの、よろけ過ぎず、かっこ良過ぎずのギリギリの演技。「よ!悦司さま!」と、大向こう風に声をかけたくなったほどです。2月8日(火)。今日はS子さんは、出勤しているだろうかと勤務表を見ると、ありました彼女の名前が。急いで休憩室に行くと、彼女がソファーに腰を下ろしていました。「おはよう!」と声をかけると、「みんなに心配かけてしまって・・・。扁桃腺炎で高熱と咳がでて、出勤できなかったの」とのこと。心配していたインフルエンザではなかったけれど、どちらも大変な辛い病気。職場に復帰できたことを喜んで、小さなプレゼント。首から提げた名札とセキュリティカードにつける、ごく小さな透明な袋です。ファスナーが付いていて、携帯にも着けられるよう細いけれど丈夫な紐も付いています。ちょうどロッカーの鍵を入れるのに、都合の良い大きさで、首から提げている名札に取り付けておけば、ロッカーの前でいちいち鍵を探さなくてすみます。「わああ、お母さんとお揃いだ!」と喜んでくれたS子さん。身体に気をつけて、頑張ってね。
2011年02月09日
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2月8日(月)実に3連休をさせていただいて、その最終日は句会です。この1月から参加させていただいている、素人の集まりですので、皆さん思い思いの言葉を五七五の調べに乗せて詠まれます。12時、とある隠れ屋のようなフレンチレストランへ。ここのオーナーが主催者です。長い間東京都の養護学校の教諭をされ、定年で退職。フレンチレストランで修行をしていらした息子さんと始められた、こじんまりとしたアットホームなお店です。句会の日は貸切になりますので、めいめい俳号の書いてある席に着席。最初はおいしいランチをいただきます。ワンドリンクと食後の飲み物もセットになっていますので、ランチをいただきながらグラスワインをいただきます。丁寧に、美しく作られたお料理にうっとりして、デザートのケーキに癒されて、至福のひと時です。今日の句会の参加者は9人。めいめいが印刷された句を味わいながら、好みの句を選んでいきます。印刷されている句には、誰が詠んだのかわからないよう、俳号も何も書かれていません。私も自分の感覚に合う句を、素直に共感できる句を7句選んでいきました。次に、順番にどの句を選んだか発表していきます。それぞれが感性が違うので、いろんな句が選ばれていきます。主催者のNさんが、まず一番多く選ばれた句を読み上げてくださり、選者の方々の意見を聞いていきます。そして驚いたことに、私を除いた8人の方々のうち6人が選んでくださったのは私の句でした。梅の御題に、浮かんだままを詠んだ句だったのですが、初心者中の初心者の私の句が、皆様の感性にフィットしたようでした。素人の集団ですから、季重ねがあったり、字あまり字足らずいろいろあって、作者の思いもよらない選者の解釈を聞いて感心したり笑い転げたり、本当に楽しい時間を過ごしました。来月の御題は「雛」と「椿」。季節をより強く感じる俳句の世界。さて、どんな句が詠めるでしょうか。今日からまた、頭の体操です。
2011年02月08日
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2月6日(日)前日からの腹痛は少しは軽くなったものの、相変わらずのトイレ通い。夜もなんだか寝た気がしません。ただ吐き気がないので、その点は辛さが違うかもしれません。旦那さんは今日もお仕事。朝食の用意をしましたが私は食べずに、コーヒーだけをいただきました。私は今日もお休みなので、朝からたまっていた家計簿をつけたり、とどこおっていた知人達へのメールを書いたりしました。そうそう、家計簿はPCで付け始めたのが2000年からですから、それだけで10年。以前は紙の家計簿でしたので、後から忘れていた支出が見つかったときとか、カードでのお買い物があったときは管理が大変でした。家計簿ソフトを使い始めてからは、いくらでも修正がきくし、カードの管理、自動引き落としのものの管理、とっても楽になりました。それでも最近は物忘れがひどく、時々現金の過不足が出るようになりました。情けないですね。お財布を開く機会が少なくなっているのにです。一通り用事を済ませてから、一番に嫌な仕事をしなければなりません。パワハラにあったあと、その会社の役員さんと喫茶店でお会いして、お話をしました。そのときの模様をボイスレコーダーに録音してあったので、それを文章化する仕事です。テープ起こし、とでも言うのでしょうか?そのときの理不尽な体験を、役員さんとの会話からまたしなければなりません。40分間ぐらいの録音から、聞き取れる範囲の言葉を、できるだけ正確に書き起こします。特に互いの会話の始まった時間を、録音開始から何分何秒というタイムも書き留めておきます。それがために、何回も何回も同じ部分を聞きなおし、時間は正確か、書き取った文言によけいな感情が入っていないか、確認しました。昼食を抜いて、午後3時ごろまでかかりました。弁護士さんにメールで添付して、ようやく終了。ぐったり疲れて、早めのお風呂。長女にもらったお茶の入浴剤を入れて、少しのんびり。夕食は、冷凍食品で済ませました。生協から買ってあった串揚げのセット。たっぷりと、キャベツの千切り・人参の千切り・スライスオニオン・ブロッコリーを茹でて、きゅうりのピクルスを添えました。ドアがどんどんとたたかれました。頼んであった「トマトのちから」が届きました。それにしても我が家のピンポンは気まぐれです。鳴ったり鳴らなかったりして、配達の人を困らせています。直さなければね。さて、今日は2回目の句会への参加です。ちょっとドキドキですが、いろんな立場の違う方々との会話がとても楽しみです。
2011年02月07日
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