全4659件 (4659件中 4551-4600件目)
< 1 ... 87 88 89 90 91 92 93 94 >
さて、土曜日には散歩を拒否されて、不貞寝してしまった私でしたが、さすがにそれはまずかったと、彼が反省したかどうかはともかく、日曜日には彼のほうから散歩を誘ってきました。行き先を二人で考えて、府中に行こうということになりました。最終目的地は、府中の大國魂神社(おおくにたまじんじゃ)ということで多摩川の土手を歩き始めました。多摩川には、真っ白な鳥の群れと、真っ黒な鳥の群れがいっぱい。白いのはコサギ、黒いのは川鵜です。海鵜ほど大きくはないのですが、全く同じ形をしていて、これがあたりの小魚をいっぱい食べるんですね。ときどき、コサギと川鵜が縄張り争いなんかしています。両者とも負けてはいません。ギャーギャーと鳴きながら羽を大きく広げての戦いです。もう少し寒くなると、東京湾からカモメもたくさん飛んできます。多摩川はバードウォッチングの、絶好のスポットです。水は澄んで、泳ぐ魚達の姿が土手からも良く見えます。多摩市と府中市を結ぶ関戸橋の下に、投網をしている人がいました。ときどき生態系の調査と、多摩川の伝統漁法を守る方々の手で、投網が行われているのです。さて、関戸橋を渡って府中市側に入りました。いつもですとそのまま多摩川の土手の道、「府中かぜの道」を歩くのですが、このところ自転車暴走族がものすごいスピードで走っていますので、今回土手は避けることにしました。京王線中河原駅手前にある、下河原通りから下河原緑道に入ります。この道は、ゆっくり散歩するには程よい道です。春は桜の花が、それは見事です。しばらく歩くと、府中市郷土の森博物館の敷地横を通り、正面の門へと続きます。郷土の森博物館は、広大な敷地の中にプラネタリウムが有り、発掘された品々が展示されている展示場や、府中市に建っていた文化遺産的な建物を移築した場所、梅や桜の公園、子供たちの水遊びの場所、古民具や昔遊びのできる場所などが点在している、とても楽しい場所です。今回は立ち寄らないで、そのまま大東京総合卸売りセンターへ。と、ここで細い道に「青木屋アウトレット」の文字!青木屋は、府中では老舗の和菓子屋さんの名前。和菓子屋さんのアウトレット??と思いながらも、和菓子が好きな私と彼は吸い込まれていきました。なんと和菓子工場の中に有るお店で、少し崩れたりしたお菓子や、カステラの切れ端などが、お得価格で販売しています。もちろん買いました。南瓜餡のおまんじゅうと抹茶カステラの切れ端。後で食べてみたのですが、高級和菓子屋さんだけあり、甘すぎず品のいい味でいくらでも食べられてしまうおいしさでした。さらに、店頭に大きなサツマイモが二本置いてあり、どちらかを選んで重量を当てると芋羊羹プレゼントなんですって。挑戦いたしました!ピッタリではなかったのですが、±50グラム以内なので芋羊羹一本プレゼントしてくださったのです!この芋羊羹は、サツマイモと砂糖と水以外何も使わないで作られたもので、芋のおいしさそのままです。帰宅後、大変おいしくいただきました。さて、肝心の卸売りセンターは、日曜日でお休み。ちょっと残念。ここは一般の人も買い物できる卸売りセンターで、肉・魚・乾物・野菜その他もろもろがお安く手に入ります。さて、もうここまでくれば鈍い私にもわかりました。何故彼が散歩に出る気になったのか?何故散歩コースが府中だったのか?解答、そこにサントリー武蔵野ビール工場があるからです!卸売りセンターのお隣が、ビール工場。彼はすたすたと工場敷地に入り、門衛さんに「見学に来ました」と伝え、さらに中へ。見学コースの申し込みをきれいなお姉さんにして、12時からの回に参加できることになりました。ほぼ毎日、10時より16時まで30分ごとに見学できるようになっています。コースは、製造工程の見学が40分、試飲コーナー20分。ね、もうわかったでしょ。この試飲コーナーが彼の狙いです。ここはサントリーが始めて建てたビール工場。深く深く井戸を掘り、深層地下水にこだわってこの地を選んだというビール工場です。山梨県の白州にはウイスキー工場がありますが、サントリーは周りの森も含めて大切に管理しています。ウイスキーも水が命ですからね。白州のウイスキー工場も何度か見学させてもらいましたが、ビール工場も2度目です。こだわっている麦芽を、少量食べさせていただきましたが、それはこうばしくて、噛むとほんのり甘い。ホップの匂いも嗅がせていただいたり、出来立てのビールを貯酒しておく巨大な樽の中を通らせてもらったり、なかなか工夫された見学コースでした。そしてお楽しみの試飲。ビヤホールのように作られた部屋に、大きなサーバーが用意してあり、出来立てのプレミアム・モルツが、良く冷えたグラスに最高に飲み頃の状態で注がれます。泡がクリーミーで、どこで飲むよりおいしいと思ってしまいます。ちゃんとナッツの詰め合わせたおつまみも用意してあり、三杯まで飲んでいいのです。お酒の飲めない人や子どもさんには、ソフトドリンクも用意してありますので、家族連れで見学できます。今回若者達のグループや、小さい子供を連れた家族もいらしたのですが、皆さん楽しんでいらっしゃいました。サーバーのない家庭での、おいしい缶ビールの注ぎ方サントリー流の実演があり、参考になります。CMで竹内結子さんがしているので、今度良く見てくださいね。もちろん見学・試飲は無料です。分倍河原の駅からは、ビール工場まで送迎バスも出ていますので、是非お近くの方は一度どうぞ。サントリーのホームページから見学の予約も出来ますし、ネットで予約するとお土産をいただける特典もあります。さて、ここから最終目的地の大國魂神社まで散歩をしたのですが、それはまた後日。青木屋アウトレットと、サントリー武蔵野ビール工場、お得でおいしい一日でした。
2010年10月25日
コメント(6)
昨日は、朝から気持ちのいい日だった。お日さまはキラキラしているし、空気は澄んでいるし、気温もちょうどいいし。さあ、今日は絶好のお散歩日和!なんて張り切っていたのに、ゆっくり起きてきた彼は散歩を拒否。車を洗いたいとか、衣類に入れ替えをしたいとか言って、私の誘いに乗ってくれない。そんなの明日でもいいじゃないの、なんて口を尖らせて見ても無視。仕方なく一人でテレビを見ていたら、さっき起きたばかりなのにまた眠くなった。こうなればストライキ。布団を敷いてお昼寝(朝の二度寝?)。いつの間にかぐっすり眠ってしまい、「お腹すいた!」と起こされたのはもう夕方。あれあれ、何時間寝ていたんだろう?こんなに日中寝たことはなかったなあ。年取ったなあ。などと思いつつむっくり起き上がり夕食の支度。今日はグラタン。先日NHKの朝ドラ「てっぱん」で、冨士純子さん演じる大家さんが、太いマカロニでグラタンを作っていて、それがとてもおいしそうだったから。先日伊勢丹新宿店のイタリア展で買ってきた、直径2センチも有る大きなマカロニがあるので作ってみました。もう買い物に行く時間は無く、家にあったピーマン・茄子・人参・玉葱・しめじと、ベーコンを入れて作りました。ちょうど賞味期限の怪しい牛乳が有ったので、この機会に使ってしまいましたよ。固くなりかけたチーズも利用。なんだか冷蔵庫のお掃除をしたようなメニューでしたが、結構おいしくいただけました。でも、せっかくの好日が台無し!一日損した気分になりました。
2010年10月24日
コメント(6)
「ブラタモリ」って番組、ご存知ですか?タモリさんが主に都内をぶらりと散歩するだけの番組ですが、タモリさんの好奇心が炸裂して、東京の中に江戸を発見して行く、時空を超えた旅でもあります。毎週木曜22時より、NHKで放送しています。今週は新宿散歩でした。いわずと知れた日本屈指の繁華街、新宿。都庁をはじめとして、天を突くような高層ビル群が立ち並ぶ街です。私が上京した頃はまだ新宿には高層ビル群はありませんでした。そこにあったのは、淀橋浄水場という巨大で巨大で全体が見渡せない水施設の跡地でした。彼と付き合い始めて新宿でデートしたとき、どこかの歩道橋あたりから指差して、「アレが淀橋浄水場の有った所、もうすぐ新都心になるんだよ」っと教えてくれたものでした。そうそう、ヨドバシカメラのヨドバシもここの地名からきているのかしら?またまた昔、江戸時代にさかのぼると新宿は江戸の町の外になり、江戸の町に供給する水管理をしている「水場」というところがあったそうです。江戸時代、江戸の町は海を埋め立てた地に築いたので、井戸を掘っても真水が出なかったそうです。それで今の井の頭公園の水を江戸まで運ぶ「神田上水」が作られたのですが、江戸の人口増加にともない神田上水だけでは水不足になり、江戸幕府が玉川兄弟に命じて多摩川の羽村取水堰から42キロにもわたって水を運ぶ施設を作らせたのだそうです。それが「玉川上水」。そして、江戸市民の大切な飲み水ですから、厳重に管理していたのが「水場」。先日私は多摩湖の散歩をしたばかりでしたので、今も水道局が厳重に都民の飲料水の管理をしているのを、外から見てきました。江戸時代も同じだったのだと驚きました。さらに面白かったのが、「水場」の跡地は、なんと都の水道局のビルになっていました。当然といえば当然ですけれど。あ、それから都民の水管理をする都の水道局の本拠地とも言うべき場所は、これが秘密中の秘密になっていて、一切公開されていないそうです。たぶん地図にも、それとうかがい知ることが出来ない名称で出ているのでしょうね。戦時中の淀橋浄水場も地図から姿を消し、淀橋公園になっていたそうです。施設には菰などを掛け、上空からそれとわからないよう偽装したそうですよ。タモリさんは、現代の街並みや道路の形から、江戸時代や昭和の時代にあった池なども探訪します。今はもうすっかり道になり、家やマンションが建っていますが、古くから住んでいる人たちに聞き込みをし、古い写真などを見つけます。当時の風俗が、はっきり写真に残り、またCGで今の姿の上に当時の池の姿を重ね合わせ、その当時の人々が池のそばで憩うのを再現したりします。江戸時代の大名、内藤新宿の上屋敷跡がいまの新宿御苑です。新宿御苑の塀沿いにも、当時の玉川上水の太い流れのあとが、今は草が生えていますが残っています。四谷を過ぎると多摩川上水は地下にもぐり、江戸の町の下を流れます。江戸時代に大きな地下道を掘ったのです。すごいでしょ!しっかりとした石組みで、下水道とははっきり分けて大切に水は運ばれます。そうそう、先ほどの水場の跡地に立っている水道局の方とタモリさんの会話で、都民は是非知っておかなければならないことがありました。「給水所」というものがあるそうです。地震などの自然災害に備え、東京都は240箇所もの給水所を設置しているそうです。給水車だけでは、大勢の人に水を配りきれません。公園の地下、消防署の地下など、私達が気が付かないうちに水の貯水をしていたのですね。大体半径2キロメートルに1箇所設けてあるそうです。奄美大島の台風災害で、給水車が駆けつけられたのは天候が少しよくなり、自衛隊の船が出動できてからでした。阪神大震災のときも、水では皆さん大変苦労されました。東京都は、いずれくるであろう東海大地震を想定して準備をしているようです。これだけの人口ですから、どれだけ準備をしても仕切れないでしょうし、そのときは想定外の問題も起きるかもしれません。でも心強く思いました。給水所が徒歩圏内に作られていることは、ありがたいことです。そんなわけで、タモリさんの好奇心がいつも思いがけない展開をするので、宜しければ皆様もご覧ください。基本的にゆるい番組です。
2010年10月23日
コメント(6)
1年ほど前にパワーハラスメントを受けた会社から、メールが届いた。先日そこの役員さんにお会いして、一つの提案をしたのだがその解答。もちろん私の提案が受け入れられるとは、最初から考えていなかったけれど、提案をすることが私の新しい一歩になると思ったから、お話してみたのだった。案の定、拒否。でもそれは想定のうちだから、全然大丈夫。ただ、最後に脅かしのような文言が。私はある派遣会社からその会社に派遣されていたのだが、その派遣会社に責任を取らせるという内容だった。派遣会社との契約が残っているのに、私が辞めたのだから賠償させるというのだ。私が辞めたのは、上司の100%の勘違いによる大声での叱責・罵倒が1時間半も大勢の社員の前で続き、その間サーバー横の冷房が強く、さらに2台の扇風機を回している中に立たされていたので、腰を痛めてしまい翌日から(その日はもう病院に行ける時間ではなかったので)通院を余儀なくされたことによるのであって、決して職場放棄ではない。そのことは派遣会社も良くわかってくれていた。というのもその上司が何度も他の派遣社員をめちゃくちゃに罵倒しているのを目撃していたり、あるいは間接的に聞いていたりしていたから。だから本来なら契約途中で仕事をやめるときには、違約金のようなものを払わなければならないのだが、私には一切そのような要求もなく、理解して辞めさせてくれた。その派遣会社に迷惑をかけることを恐れ、私は最初に(去年10月)役員の方にお会いしたとき、そのことをお願いした。役員さんは、そのときは自分の方が悪いことをしたという意識でいらしたので、派遣会社への制裁・報復はしないということを約束してくださったのだった。それが、今回の脅かし文句。私が恩義に厚い人間なのを、逆手にとっているとしか思えない。とっても腹立たしいけれど、一番いい方法は何か、迷惑を欠けない方法は何か、もう少し考えて返信するつもり。そんなことを考えていると、雨が小降りになったの気分転換に出かけてみた。ちょっと銀行の用事などを済ませ、帰ろうと土手への道を歩いていたら、多摩市の直販所が開いているのを見つけた。この直販所は、いつ開くのか営業しているところに出会ったことが無く、思わず中に吸い込まれた。見つけましたよ、とっても珍しいもの!生の落花生です。落花生といえば千葉。そして千葉の方が一番おいしいい食べかたと言うのが、茹で落花生。でもそれには生の落花生が手に入らないと出来ないので、東京では無理と思っていたら、ここにあるではありませんか(ウキョ!)。販売している方に茹で方を聞いてみたら、少々の塩と30分の茹で時間とのこと。買いましたよ、もちろん。珍しいものが手に入って気分良く土手を歩いていると、土手下にはたくさんのコスモスが揺れていて、黄花コスモスの色も合わさってそれはきれい!ちょうど犬の散歩時間。以前飼っていた犬のことを思い出しながら、散歩している犬達を見ていた。あ、あのゴールデン、年取ったなあ。うちの犬に良く唸ってくれたなあ。もう後ろ足が弱って、尻尾を足の間に巻き込んで、すっかり老犬のおもむき。あれ、犬も年を取ると肩が落ちるんだあ。フーン、人間と同じだあ。あれ、向うから来るのは○○ちゃんのママだ(犬の名前で読みます)。「お久しぶり」と声をかけても怪訝そうな顔。犬の名前を言うと、「ああ、そうだった。お久しぶり」と返ってきた。愛犬家は、犬を連れていないと人間の顔だけじゃ思い出せないらしい。さて、生の落花生、それはそれはおいしゅうございました。なんだか、下がったり和んだり、いろんな気分を味わった一日でした。
2010年10月22日
コメント(8)
私がいつもお邪魔している「夢の白菜さん」のブログに、前世チェックをしたことが書いてあった。白菜さんの前世は、なんと『戦国の世において武功を重ね、勝利をもぎとった名のある武将』だそうです。『一兵卒から旗揚げをして、臨機応変に戦場で戦いぬき、ついには一国の主として君臨した経歴の持ち主であるようです』なんですって。ね、面白いでしょ。だから私もお遊びにしてみました。質問は10項目。質問【1】 あなたがふと懐かしい感情に捕らわれるのは、次の何を見たときでしょうか? 田園風景 古い神社や仏閣 絵画 そんな思いにはならない私は、古い神社や仏閣を選びました。 質問【2】 もし選択できるならば、どの時代を生きてみたいですか? 戦国時代 江戸時代 古代 現代のままがいい選んだのは、現代のままがいい、です。 質問【3】 次に生まれ変わるなら、何がいいですか? やっぱり人間 他の動物 虫とか 地球以外の生物やっぱり人間、を選びました。 質問【4】 あなたの性格を次のうちから選ぶとすると? 努力家 負けず嫌い 軟弱者 変わり者正直悩みました。変わり者かもと思いつつ、見栄を張って努力家にしました。 質問【5】 子供の頃に得意だった科目はなんですか? 算数 国語 体育 図工これは迷わず国語。だって算数苦手、運動音痴、芸術的センスなし・・・ですから。 質問【6】 あなたの心安らぐ場所はどこですか? 自分の部屋 自然の多い場所 家族や恋人、親友がいる所 インターネットの中これは、「自然の多い場所」とどちらにしようかな、と考えて家族や恋人、親友がいる所にしました。 質問【7】 あなたが本当に頭に来るのは次のうち、どれですか? 友人や恋人に裏切られたとき 車をぶつけられたとき 会社をクビになったとき 突然、災害や戦争が襲ってきたときどれも頭にきます。でもやっぱり信頼していた人に裏切られたときかなと思い、友人や恋人に裏切られたとき、にしました。 質問【8】 あなたの良い面を一つあげるとしたら何ですか? 最後までやり遂げる 直感力が鋭い 人に対して優しい 競争で勝ち抜けるこれはたぶん、最後までやり遂げるだろうと思いました。必ずしもそうとは言えなくて、途中で投げ出すこといっぱい有りますけれど。 質問【9】 次の言葉でピンときたものを選んでください。 俺たちに明日はない 芸術は爆発だ 強者だけが生き残る 俺のあとに続けこれはいったい何の設問かと思いながら、俺達に明日はない、を選択。ここで性格判断をするのかな。なんとなく刹那主義者のようにでてきそう。 質問【10】 あなたのこれからの夢はなんですか? 平凡に暮らす 誰かに養ってもらう 個人的な才能が認められる 下克上人生うーん、ここで白菜さんは「下克上人生」を選んだのかなあ。だから戦国武将になったのかなあ?私は、平凡に暮らす、を選びました。で、その結果です。あなたの前世は【平安の世に蝶よ花よと面白おかしく遊び暮らした貴族】のようです。 あなたの前世は平安貴族。 裕福な家庭に生まれ育ち、あまり苦労しないで宮廷で出世した運の良さの持ち主だったようです。 特に和歌を得意として、帝から篤い信任を受けていました。 生涯のうち、ほとんど苦労をすることを知らず、その一生をまっとうしたのです。 数百年のときを経て、現代世界に転生したあなたですが、前世の生き様のためか、あまりこだわりのない性格のようです。 友達や遊びを愛して、毎日面白く暮らせればいいや、という思いが心のどこかにあるでしょう。 頭脳労働をしているときに、あなたの心に眠る貴族の血が騒ぐことがありそうです。 ね、どの設問でどれを選べばこうなるのか、なんとなくわかりますよね。ま、お遊びですから暇つぶしのお楽しみということで。 http://goisu.net/cgi-bin/psychology/psychology.cgi?menu=c036のコーナーでした。捻挫した指は、湿布のおかげで回復しつつあります。この分では病院いいかなくても済みそう、良かった!
2010年10月21日
コメント(12)
昨日は3度目の倉庫内作業。前の2回は、シャンプーとリンスやサンプル等を詰め合わせる仕事だった。ポンプのボトルに入っているものなのでかなり重くて、一日ラインに立って仕事をしていると、肩は凝るし手はだるくなるし、かなりきつい。昨日の仕事は、男性用化粧品2品の詰め合わせ。小さいし軽い。与えられた仕事は、透明な箱の中に商品を詰め合わせるための台紙を、決められた形に折る仕事。最初は、楽な仕事だと思った。底を作り脇を折り、もう片方の脇には1.5ミリぐらいの切れ目が入っていて、それを台紙の中の鍵型部分と引っ掛けると、立体になる。立体になった台紙を透明な箱の上に乗っけると、次の人が化粧品の一つをセットし、また次の人がもう一つを入れて・・・っていうようにして商品を仕上げ、検品して段ボール箱に詰める。さて、私の担当の台紙を折る仕事、最初は鍵型を切れ目に引っ掛けるのに手間取り、台紙を破いてしまったり、紙で手を傷つけたり散々だった。少し慣れてくるとこつもわかり、手袋をはめて手を保護しながら折っていった。ラインだからのんびりできるわけではないけれど、絶えず追われ続けているけれど、重くもないし今日は楽勝、なんて思っていた。午後になると左手の中指と人差し指が、異様な痛みを持つ用になった。どうやら切れ目と鍵型を引っ掛けるとき、少し手をひねるのだがそれで痛めてしまったらしい。痛みはだんだんひどくなったが、私が抜けるとラインのほかの人たちに迷惑をかけると思い、17時のラインが止まるまで手を抜かずに仕事をこなした。仕事を終わって手袋をはずすと、2本の指の付け根の辺りの色が変わっていた。凄く痛む。恥ずかしい話しだが、トイレに行ってジーパンのボタンをはめようとすると、痛くてはめるのが大変だった。帰宅して風呂でマッサージをしたが、左手でコップを持つことも出来ない。今朝は少し良くなったみたいだけれど、色が益々変わって赤く腫れ上がっている。どうやら捻挫しているみたい。以前、足を捻挫したときにお医者さんからもらった湿布薬を貼っている。キーボードをたたくのが、少し不自由。仕事を侮った報いですね、これは。私達は、日雇いの派遣。働ける日を登録しておくと、携帯にメールが入ってきたり、電話が入ってきたりして仕事を紹介してもらえる。大体が倉庫内作業とか引越しのお手伝い。倉庫内作業も、今回のように冷暖房完備の作業場でのお仕事はいいほうで、冷凍室・チルド室でのお仕事なんかはとても大変。それでも時給は交通費込みで900円ほど。今回なんかは830円だ。実に安い。それでも、仕事の欲しい人はいっぱいいる。そういう仕事しか回してもらえない人たちがいるのです。その仕事に集められた人々は、お互い名前も何も知りません。名乗りあわないし、そんなに親しくならないから。ところが始めて会った人たちなのに、仕事をするときには不思議と思いを合わせられる。ラインは、前の人の動き、次の人の行動を見て考えて自分の動きを決めないといけない。単純作業をやり易くするのも、やりにくくするのも、お互いの動き次第。毎日一緒に仕事をしている間柄でもなく、時間がくれば互いに「お疲れさま!」と声を掛け合って別れて、再び会うこともないかもしれない。それでも仕事中は互いを思いやって、気持ちよく仕事が出来る工夫をする。今までは、一つところに長く勤めていたので、こういう世界があるとは思っても見なかった。一期一会という言葉を思い出した。まさに仕事の度の一期一会。万が一街角で出会っても、「あ、あのときの!」なんて言えるかも知れないが、名前は知らないので呼び合えない。それでも人は出会い、別れる。なんてことを、ちょっとセンチに思ったのです。
2010年10月20日
コメント(12)
昨日は友人宅へ、ヘルプに行った。赤ちゃんが泣いてばかりで、夜眠れなくてぐったりしているという電話があったから。元気な男の赤ちゃんは、ママに抱っこされていないと泣いてばかり。パパでも駄目で、ママはズーッと抱っこしている。夜もグズグズ泣いて、パパを寝かせて上げなくては仕事の差し支えるので、ママは夜も眠れないという。マンションは、お掃除もままならないらしく、少し埃が・・・。まず掃除とゴミ出しをして、ママからおっぱいをもらってようやく眠り始めたのを見計らい、今のうちにお昼寝してきて、とママを寝室に行かせた。音を立てないよう、そーっとあちこち雑巾をかけたり片付けたり。といっても、人のうちだからせいぜい本を重ねたり、タオルを畳んだりぐらいしかできない。あちこち収納場所をあけるわけに行かないから、できることも限られる。と思っていたら、すぐ赤ちゃんが起きて泣き出した。本当によく泣く赤ちゃん。しかも声が大きい。眠ったばかりのママを起こさないよう、すぐ外に連れ出した。近所の公園に行くと、小さな子供たちが大勢遊んでいたので、抱っこしながらその姿を見せたり、鳩が近づいてきたので見せたり、車が大きな音を立てて走り去るのを見せたり、1時間ほど外で過ごした。ちょっと泣いたりしたけれど、鳩や車に興味を示し手や足をバタバタさせて興奮する様子が可愛い。さて、今日もお仕事いただきました。前回、前々回同様の倉庫内作業。シャンプーやリンスを詰め合わせるお仕事です。今6時20分、40分には家を出なくては、なんて焦りながら書いてます。今日も張り切ってお仕事してきます。では、行ってきます!
2010年10月19日
コメント(7)
今年は猛暑の影響で栗の出来が悪いと、報道されていた。虫が大発生していて、栗が虫食いになってしまったんだって。八百屋やスーパーの店頭に栗が並ぶようになったが、確かに高い。でも、安いの見つけるのがお得意の私は、ちょいと足を伸ばして遠くの八百屋さんに行ってみた。あるある、茨城産の栗1キログラム380円。激安でしょ!少し小ぶりだけれど、ここの八百屋さんは信頼できるし買ってみた。まず栗をざっと洗って、微温等に30分ぐらい浸しておいて鬼皮をむく。鬼皮をむくときは、お尻の固いところを包丁で少し切り落とすと、後は簡単にむけます。次に渋皮をむくんだけれど、これが時間がかかる。でも少々渋皮が残っても気にしない私は、かなりいい加減にむく。そして水に少し浸してアク抜き。普通のお米に、もち米を多めに入れるのが好き。昨日はお米1.5号にもち米1号で炊きました。先日作って冷蔵庫に冷やしてあった混布だしと、少量の塩とみりんを入れ、そこに先ほどの栗を入れて炊飯器のスイッチオン。やがていい匂いが漂ってきて、栗ご飯の出来上がり!ほこほこほっこり、もちもちもっちり、栗がたっぷり甘くって、茨城産の栗うまい!栗は、1キログラムで50個ありました。その半分を入れて炊いたので、栗いっぱいの贅沢さ!秋の味覚満喫の、シアワセなひと時でした。
2010年10月18日
コメント(12)
重度の肩こりさんから、「お散歩シリーズ」とお名前をつけてくださったので、記念すべき命名第1段は、多摩湖(村山貯水池)へのお散歩です。私の家は多摩地区にあり、多摩地区といっても大変広いのですが、新宿から八王子に向かう京王線の沿線です。その京王線に交わるように、多摩モノレールが走っています。多摩センター駅から上北台駅まで19の駅があるミニ路線ですが、かなり高い所を走っていますので見晴らしは素晴らしいものがあります。富士山も良く見えますし、中央道の上を走りますので渋滞具合が一目でわかります。さて、その多摩モノレールが沿線のお散歩マップを新聞の折込に入れてきてくれましたので、早速出かけてみました。昨日(16日)は、朝から素晴らしい天気。申し分ないお散歩日和。すぐ炊飯器をセットしてご飯を炊き、適当におかずを作り、彼が起きて来た所で「散歩に出かけましょう」と誘いました。私は、リュックにお弁当とホットコーヒーを詰めた保温カップを二つ、ピクニックシートを詰めました。彼は飲み物係。保冷できる袋に缶ビールと氷、それにジョッキ型の保冷マグカップを二つ。どちらのリュックも重い。でも、食べるときの楽しみには、これぐらいなんのその。モノレールの駅まで歩く間に、幼稚園・保育園共に運動会でした。両園とも先週土曜日が本来の運動会の日だったようですが、雨で延期になったようです。最高の運動会日和で、保護者達の応援もひときわ熱が入っているようです。さて、上北台駅に着きました。ここから多摩湖まで歩きます。約1時間半の予定。モノレールを降りると、まっすぐに舗装された道が続いており、両側には畑がいっぱい。キャベツ・白菜・里芋・南瓜・茄子・ブロッコリー等、いろんなお野菜が植えられていて、散歩人の目を楽しませtくれます。やがて青梅街道を横切り、道は細くなり山を登るようになり、車の走りぬける横を身を細めて歩く形になりました。あまりに危険なので、ひょいと横道に入ってしまいました。お散歩マップに書いてないところに入り込んでしまって不安でしたが、「多摩湖自転車道」の案内を見つけ一安心。自転車道を適当に見当をつけてテクテク。強い日差しに焼かれながら、それでも木陰でほっと息をしたりしながらひたすらテクテク。水面が見えてきました。多摩湖です。多摩湖は愛称で、本当は村山貯水池という東京都民の大切な水を貯めて管理しておくところ。水面はあくまでも静か。普通の湖と違うところは、広大な湖が全部高い網のフェンスで囲まれ、水面付近に近寄れないところ。都民の飲料水ですから、もし不心得者がいたり、うっかりさんがいたりして、水に何かが混入したら大変ですからね。水面よりだいぶ手前に、高いフェンスがガードしていますが、風景を損なわないよう配慮してありますので、景色を楽しむのに何の問題もありません。遥かに、大きな観覧車が見えます。どうやら西武園遊園地の観覧車のようです。またもテクテク自転車道を歩くと、取水塔の見える風景が見渡せる橋が有り、真ん中に石で作ったベンチが用意してありましたので、そこでお弁当にしました。お散歩マップによれば、日本で一番美しい取水塔だそうです。青いドーム型の屋根に、少し赤みがかったベージュの建物、なかなか可愛らしい取水塔です。良く冷えたビールを飲みながらお弁当をいただいて、素晴らしい水面の風景を見ていると時の流れを忘れます。さて、充分休憩したのでお散歩の続きです。ところが私達はどうやらお散歩マップには書かれていない、対岸に来てしまったようなのです。原因は、車の通りの多い狭い道を避けて横道に入り込んだこと。まあ、何とかなるだろうと見当をつけてまた歩き始めました。で、また凝りもせず自転車道から山の中へ。ここも都の水道局の管理地ですので、どこまで行ってもフェンスが張りめぐらされてありますが、人があまり入ってこないらしく足元にはキノコや木の実がいっぱい落ちています。見たこともない色鮮やかな木の実を見つけました。まるで熱帯のフルーツのようです。色は強烈なピンク。形は、松ぼっくりのようにうろこ状です。うろこの中には、真っ赤な実が入っていて、長さ7センチ・幅4センチぐらいの大きさです。辺りを良く見ると、同じ実が真っ黒に変色しているものがあちこちに散乱しています。赤い実はもうありません。動物に食べられてしまったのでしょうか?さて、これはいったい何の実何でしょうか?さらに進むと、足元には白や赤の怪しいキノコたちが生えています。突然彼が「おお!」と声を上げました。見に行くと木の根元に大きなキノコ。直径25センチぐらいもある、肉厚な真っ白なキノコが2本生えています。食べたらおいしそう、と思いながらさすがにそれは諦めて、さらに進むと休憩所のようなところがありましたが、辺りは蜘蛛の巣だらけ。とても休憩できるようにありません。ふと下を見ると、自転車道が見えます。土の斜面を用心しておりました。さて、自転車道に戻ったのはいいが、すっかり方角がわからない。狭山公園に向かいたいのだが、方向はどっち?再び横道に逸れたがる彼に「ノー」と言いつづけて適当に歩いていたら、道の向うで作業をしている男性がいた。道の確認をすると、この方向でよいらしいがあと3キロほどあるらしい。私は歩く気マンマンだったのだが、彼がここいらで帰ろうと言い出して、やむなく下り道へ。「豊鹿島神社」に出た。ようやくお散歩マップに出ている場所だ。古い小さなお社だけれど、なんだかにぎやか。お宮参りのようで、若夫婦が赤ちゃんを抱いて社の中にいた。神主さんが、しきりと若夫婦に話しかけている。もうお払いは終わって、神主さんが若夫婦に神様のことをお話しているようだったが、赤ちゃんがぎゃんぎゃん泣いているのにお構いなしだ。お話好きの神主さん。きっと若夫婦の今後の指針になることをお話してくださっているんでしょうね。若夫婦も神妙に耳を傾けていた。小さな社に祭壇、神主さんと若夫婦、赤ちゃん、とてもいい光景だった。さらに下っていくと、一面に東大和市が眺望できる芝生に出た。ん、何か公共の建物の上が、展望台のようになっているらしい。プラネタリウムのような円形の建物もあるし、階段を降りると水辺も作ってある。どうやら「東大和市立郷土博物館」らしい。日陰の階段に腰をおろし、持参のホットコーヒーで休憩。すると、箒を持った人が上がってきたので声をかけてみた。彼女は、ここからは上北台の駅まで25分ぐらいかかるから、こちらでトイレを利用していきなさいと勧めてくれた。ありがたく博物館の中に入ると、中には図書館があったり、コミュニティルームがあったり、喫茶コーナーがあったり、近隣の方々の憩いの場のようだった。上北台の駅に戻ると、モノレールが待っていてくれたので一番前の席に座った。この席は人気の席で、運転士さんの様子やモノレールが走ったり駅に停まったりする様子が良くわかる。いつもこの席を狙うのだが、めったに座れない。始発駅だから座れたのだ。発車まで少し時間があったので、まっすぐに伸びたレールの向うに見えるひとつ前の駅「桜街道」という素敵な名前の駅を見ていた。ちょうど電車が停車していて、もうすぐこちらの上北台駅に来るようなんだけれど、同じ側のホームにいる。このままでは衝突してしまう、と思ったら、目の前でレールのジョイントが切り替わり、もう一つのホームに電車が入っていった。空中でジョイントが大きくうねるように変わるのには、驚いた。さらに、私達の乗り込んでいる電車の発車する時刻になると、今度はさっきの位置とはずーっと手前で、ジョイントがググッと切り替わった。数字の8の字のようになっていて、上のまると下のまるがそれぞれ動くのだ。鉄道オタクの方々には、最高に面白いスポットだと思いますよ。是非上北台の駅に来て、ジョイントの切り替わる様子を楽しんでください。今日は、もう一つおまけ。モノレールを降りて自宅まで帰る道には、川ともいえない小さな流れがある。一応川と名前がついているが、水路のよなもの。でもここにはたくさんの鯉や鴨、白いコサギやいろんな野鳥が集まってくる。運が良ければ、宝石のような瑠璃色の羽を持ったカワセミにあえる。そして昨日の夕刻、二羽のカワセミがいたのです!一羽はブルーに光る背中を向けて、もう一羽はオレンジ色のお腹をこちらに向けて。いやあ、きれいな鳥です。見飽きません。しばらく見とれていました。18,406歩のお散歩でした。
2010年10月17日
コメント(6)
いつぞやテレビを見ていたとき、彼がこういいました。「そういえば、朝鮮学校の生徒見かけなくなったね。東京に学校がなくなったのだろうか?」ちょうどニュースの時間で、高等学校の授業料無料化の問題で、朝鮮高等学校も授業料の無料化をするべきだとデモが行われたという話題でした。彼の言う朝鮮学校の生徒を見かけなくなったと言うのは、以前は朝鮮学校の女子は民族衣装の制服で通学しており、一目で日本の学生とは区別が出来たからです。「良くは知らないけれど、たぶん拉致問題のことで朝鮮学校への風当たりが強くなり、チマチョゴリでの通学の女子生徒に嫌がらせをする不埒な人たちがいて、身の危険を感じ民族衣装での通学を止めたんじゃあないかなあ?」と、これは全く素人の門外漢の私の返事。事実は違うかもしれない。ちょうどその会話のとき、私は姜尚中(カンサンジュン)さんの「在日」を読んでいるところだった。とても難しい本で、歴史と政治についての理解力の欠如している私が読む本ではないと思ったけれど、たまたま古本屋さんの105円コーナーで目に飛び込んできたのだ。姜尚中さんは、良くテレビでコメンテーターとして出演していらっしゃるので、ご存知の方は多いと思うが、朝鮮関連のニュースでの解説は他のコメンテーターとは少し違う気がする。現状の北朝鮮のあり方は厳しく非難されながらも、対話による解決を説かれ、「六カ国協議」の開催とその場での根気強く対話をすべきと主張されているように感じる。話し方は、おだやか。低い声で、ゆっくりコメントされる姿は印象的だ。さて、本を買ってしまって、理解できるだろうかとためらったが、とにかく読み始めてみた。姜尚中さんは日本名を永野鉄男といい、熊本で生まれた在日二世。朝鮮戦争のとき、熊本市の朝鮮人部落で生を受けた。占領下の日本で、朝鮮の人々は「第三国人」といわれ、犯罪者集団のような見られ方していて、偏見や差別の中にいた。「第三国人」という言葉は、聞いたことがありますが何を意味するものか知りませんでしたが、この本には時事用語等の解説がついていたのでそのまま書くと、『「第三国」という言葉は、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)が旧植民地の韓国・朝鮮を、勝利国でもなく、敗戦国でもないという意味で「ザ・サード・ネーションズ(第三国)」と呼んだことに由来するといわれる。』のだそうです。私が子供時代、岐阜にも朝鮮部落のようなものがあり、主に廃品回収のようなことをされていて、町内の大人達の中にはあからさまに「奴らは第三国人だから・・・」と蔑視するような人たちがいたりしました。「第三国人」は、汚く臭くそしていつ激高して暴力沙汰をおこすかもしれない危険な人種、というようなニュアンスだったと思います。鉄男少年は、糞尿のにおいと豚や鳥の家畜のにおい、にんにくのにおいと電気も水道もない劣悪な朝鮮人部落で育ちます。でも彼は、在日一世たちの深い愛情に包まれていて、特に18歳で朝鮮から花嫁として渡ってきた母(オモニ)の、深い深い愛にくるまれ育ちます。オモニは、朝鮮でその祖母から真綿に包まれた蚕のように、大切に育てられた少女でした。ただ一度会っただけの父の元に、海を渡ってきた花嫁。ところが日本は朝鮮人に対する蔑視と差別が猛烈で、また文盲であったオモニは日本語を話すのにも苦労し、過酷な仕打ちを受けその心の中に深い傷を負うのです。朝鮮での教えでは、女性が自分を声高に主張することなど考えられないことでした。けれど普段はおとなしく、夫に対しても子供に対しても優しい母なのに、突然嵐のように癇癪を起こすようになります。そのときは誰も手がつけられず、ただ嵐が収まるのを待つほかなかったというのです。オモニの心の傷の深さがうかがえます。在日の人々は、学校でも仕事でも差別を受け続けます。まともな仕事には就けません。鉄男少年の父は、あまり字が読めないのに独学をして運転免許を取得します。それを元に廃品回収業を始め、そこには身内ではないけれどやはり朝鮮人のオジサンが一緒に生活していて、鉄男少年の強い味方でした。姜尚中さんの、在日一世に対する深い愛情は、父母だけではなくオジサンをはじめ自分を取り巻いていた人々の実に情け深く、貧しくても懸命に生きていた崇高な人間への尊敬の念に基づくものでしょう。時代は、朝鮮戦争から李承晩(リショウバン初代韓国大統領)時代へ。俗に李ラインという水域指定をして、日本の漁船の拿捕が相次ぎ、その報道に日本人は苛立ち、韓国との関係が極端に悪化します。その韓国に対する感情の反動か、「十万人の民族帰還運動」が華々しく報道されます。北朝鮮への帰還運動。当時の新聞・ラジオは北朝鮮は夢の国だと報じていました。学校・病院は無料で人々は日々楽しく暮らしている、というのは当時の報道のウロ覚えです。確か「千里馬(ちょんりま)」という映画も見たことがあります。金日成主席の指導の下「千里馬計画」が立てられ、人民はたくさんの収穫を得られて飢えから解放され、工業の進展は著しく、軍事力も向上したという内容の映画だったように思います。当時の在日は、学校を出ても就職先を得ることが出来なく、一生を汚い臭いと日本人が軽蔑した朝鮮人部落で暮らさざるを得ない環境でした。そのとき、故郷が夢の国となって現れ、彼らに帰っておいでと言ったのです。当時北朝鮮は労働力を必要としていましたし、日本は朝鮮人を持て余していました。だから政府・民間こぞってこの帰還運動を美しく仕立て上げたのでした。私にも思い出があります。我が家に廃品回収に来る朝鮮部落のおじさんがいました。母は彼が来るとお茶を入れるので、弁当を使ったりタバコをすって一服したりしていきました。そのとき父が「なんで帰還しないの?日本にいてもいいことないだろう」みたいなことを言ったとき、そのおじさんはこう言ったのです。「親戚に先に帰還した人がいる。その人とが帰還する前に暗号を決めておいた。北朝鮮に帰ったほうがよければこう書いてきてくれ、現実が違っていて日本にそのままいたほうが良いと思ったときはこの文言をいれてくれと。検閲があるかもしれないから当たり障りのない言葉を決めておいた。そして手紙には日本に居ろといってきた。北朝鮮には来るなと書いてあった。ニュースは嘘ばっかりだ。だから私達は帰還しない」当時私は小学生ぐらいだったと思うが、不思議とその場面と会話を良く覚えている。怒りに満ちたおじさんの姿も。今北朝鮮の一般の人々は、厳しい冬を越すのに必要な燃料もなく、飢えに苦しめられていると聞きます。また、帰還運動で大勢の日本人妻が北朝鮮に渡り、いまだに日本に戻れないでいるというではないですか。彼女達はもう高齢です。時間はもう有りません。その当時、北朝鮮を持ち上げ報道した日本の大新聞は、どう責任を取るのでしょうか?60年代は、激しい安保闘争が挫折した時代でした。安保闘争で政治に参加し、日本の革命を考え行動した学生達の、政治からの撤退が始まった時代でもありました。日本はやがてバブル期を向かえ、都会には「ミーイズム(私中心主義)」が蔓延します。鉄男青年は早稲田大学の学生になり、大都会で在日の影におびえます。有人達に、在日朝鮮人であることを知られたくなかったのです。そこで、強い焦燥感と孤独を感じていた青年が出合ったのは学問でした。日々図書館にこもる生活が続きます。「金嬉老事件」が起こり、在日に対する国民感情が悪化します。在日朝鮮人の金嬉老が、暴力団員二人を射殺し逃走、寸又峡の旅館に宿泊客らを人質に立てこもったのです。そして金嬉老は日本に謝罪を求めました。幼いときから受けた差別に対し、日本社会と国家を告発したのです。それは大きな報道でした。在日は犯罪者ではないかというイメージが、作られてしまいました。鉄男青年はそんな時韓国に渡ります。韓国で成功を収めた叔父さんからの招待でした。当時の韓国は独裁政権下に有り、在日に対する入国審査は特に厳しかったそうです。たまたま持参していた週刊誌に、金日成の写真が載っていたというだけで、拘束を受け厳しい尋問にさらされてしまうほどでした。夜間外出禁止令があった時代で、韓国は北朝鮮との臨戦体制下だったのです。歴史では朝鮮戦争は終わっていても、民族間ではまだ休戦中だったのです。鉄男青年は、韓国で親族に温かく迎えられます。目の見えない祖母は、「アイゴー(哀号)」と泣きじゃくりながら、成年の頬に手を当てたのです。当時の韓国の暮らしは貧しく、わらぶきのボロボロの家で暮らす人々は、熊本の朝鮮人部落を思い起こさせます。しかし、人々は力強く生き、しっかりした足取りで職場から帰宅する人の流れを見て、どんなところにいても、太陽は昇り、そしてまた沈むというなかで繰り返される人々の繰り返しを思い、青年は気持ちが解放されるのを感じます。在日であることを知られることを不安に思って暮らした学生時代、しかし韓国からの帰途、永野鉄男との決別、姜尚中として生きることを決意するのです。ドイツへの留学、そこで出合った一生の友。日本中を震撼させた、金大中事件。時代の波の中で、大きく心を震わせながら、姜尚中青年は大勢の人や考え方に出会い、深く思考していきます。そして結婚。二人の子を授かり、外では何があろうとも、万里子婦人と子供たちとの日々が姜尚中を温かく支えます。国際基督教大学准教授を経て、東京大学大学院教授になり、マスコミに出る機会も増え、外から見れば順風満帆。でも彼はいろんなプレッシャーから、ウツ状態になっていきます。そういう時も、時代はたくさんの曲がり角を曲がって生きます。韓国政府に拉致され殺されかけた金大中氏が韓国大統領になり、イランイラク戦争が始まり、北朝鮮が日本拉致を認め、9・11のテロ事件があり・・・。その場面場面での報道は、時として一方的です。どこかの国が悪者になって、非難されたりします。今にも戦争が始まりかねない場面もあります。でもその中に普通の人々が生きて暮らしていることを忘れてはいけないと、姜尚中氏は言います。だから六カ国協議の場に北朝鮮を出させ、情理を尽くさなければならないと。彼の言うことが正しいかどうか私には判断がつきません。ただ在日として生きていこうと決心した、鉄男青年の決意は深く胸に刺さります。そして彼の次の著書「オモニ」を読んでみたいと思います。
2010年10月16日
コメント(4)
昨日の夕刻、派遣会社から電話が。今日(15日)一日だけのスポットのお仕事をいただいた。倉庫内での作業。前にもさせていただいた同じ倉庫での、同じ内容の作業。もちろん喜んでお受けしましたよ!それで6時40分には家を出なくっちゃ(焦ってます)。では、行ってきます!
2010年10月15日
コメント(6)
NHKのテレビ番組に、ワンダー×ワンダーと言う番組がありますが、ご覧になったことあります?毎週土曜日の20時から始まる番組ですが、私は時折テーマが気になったときに観ています。以前に、京都の東山にある別荘群のことを取り上げていました。東山は清水寺をはじめとして京都観光の人気スポットですが、そこに私達が入れない個人(あるいは法人)所有の豪華な別荘群があるというのです。東山は水の豊富なところです。南禅寺の水路閣でも有名ですが、琵琶湖の疎水がいたるところにきれいな流れを作っていて、その流れを引きこんだ庭と、広大な敷地に贅を極めて建てられた邸宅を取材していました。見るのはそれ以来ですが、また気になるテーマがありました。「銀閣 幻の月の御殿」。10月9日に放送されました。ご存知のように金閣寺と並んで、世界遺産でもあります。場所も近くにありますので、金閣寺と銀閣寺は何かと対比されることが多いのですが、特に金箔で建物の内外を覆いつくす絢爛豪華な金閣寺に対し、銀閣寺は全体の印象が墨色で茶室のような雰囲気です。銀箔が張られているわけでは有りません。ではなぜ銀閣寺と呼ばれるようになったのでしょうか。番組は、修復作業の中からその答えを導こうとします。私も何度か銀閣寺を見学したことがあり、そのわびさびを体現したかのような姿が大好きですが、どうやらそれは最初の姿ではないようです。昨年3月、銀閣寺を訪れたときはまさに修復作業の最中で、高い足場が組まれ養生シートで覆われ残念な姿になっていましたが、修復の過程で発見された昔の宮大工さんが板の裏に書いたものなどが展示してありまして、興味深かったものです。今回の番組では、壁に注目していました。銀閣寺の壁は、建築されたときどのようになっていたのか?古文書では、銀閣寺は白い建物だったとあったそうです。その白い壁の部分を調べてみると、ガラス質の白土が塗られていたことがわかりました。さらに白土の中には、なんとミョウバンが混ぜられていたとのこと。ミョウバンは料理でも使う透明な結晶です。番組では、ミョウバンを混入した白土を塗った壁状のものを試作していました。すると光に反射してキラキラ光るのです。今の若い女性の好みそうな、まさに光り物のようです。以外でした。その月の光に映え輝く白い壁が、銀閣寺の名の由縁かもしれません。銀閣寺を建立したのは、足利家八代将軍義政。彼は政治では無能の将軍と言われた人だそうですが、文化の面では茶の湯やいけばなのなどを好み、後に東山文化と呼ばれたひと時代を築いた方だそうです。京都の寺社は、山の風景を上手く取り込んであるところが多いのですが、銀閣寺も義政が「月待山」と名づけた山を望むことが出来ます。山にそんな名前をつけるほど、義政は月を愛でた人のだそうです。ふと想像すると照明の街灯のない時代、月明かりがなければ夜は漆黒の闇だったでしょう。闇を照らすのは煌々たる月明かりと星達。月は、私達が今考える以上にビジュアルなものだったのでしょう。ここで番組は驚きの検証をしました。なんと銀閣寺が建立された年の、しかも9月10月の月の軌道をコンピューターで描いてみせたのです。京都の寺社を、月の軌道から調査している研究者がいらっしゃるんですって!そしてその検証によれば、銀閣寺はまさに月待山から月が昇るのを見る位置にあるのです。義政はまず下の部屋で月が山から昇ってくるのを楽しみます。やがて月が高い位置になると、建物のひさしに邪魔されて見ることができません。すると2階に上がるのです。2回からは庭の池が見渡せます。その池に映った月を今度は愛でるのです。池の中ほどには丸い月の形の岩があり、池に映った月の光はその岩の月と重なるのです。芸が細かい!さて、夜もふけると義政は渡り廊下に出ます。現存してはいませんが、番組はその渡り廊下が銀閣にくっついて建てられていた痕跡を紹介します。渡り廊下に座り、天空の月と庭に映った月、それに月の光に煌々と輝く銀閣を楽しんだと言うのです。まったくなんて贅沢者でしょう!当時政治は混乱し、人々は飢えて苦しんでいたのに、義政は莫大な金を自分の楽しみのためにつぎ込み、寺を建て庭を造り、室町幕府の財政を困窮させます。昔の贅沢は桁違い!前回の別荘群を取り上げた時、明治・大正時代の金持ちはものすごいと思ったけれど、もうそんなもんじゃないね。それを言えば、奈良・平安時代の貴族達の贅沢はもっと凄い。なんせ巨大な寺社を建てちゃうんだものね。今私達が観光している有名なところは、みんなそうでしょ、たぶん。複雑な思いがするけれど、やっぱり行きたいな京都。今度は銀閣寺を建立した義政の思いを知ったから、また見方が違うはず。庭と築山をしっかり見てきます。いついけるかわからないけれど、いつか必ず。
2010年10月14日
コメント(14)
録画していたTBSドラマ、「塀の中の中学校」を見ようと、再生ボタンを押してみても、なんとその姿がない!そんなことがあるはずないと、機器をいろいろ動かしてみても、ない!なんてこった!皆さんにお勧めしておきながら、当の本人が見ていないなんて。がっくりと、肩を落とした私です。でも、何か感想を書かなくてはと思い、半分以上眠りながら見たドラマを思い出しながら書きます。本人はほとんど意識が飛んでいましたので、見当違いがいっぱいあると思いますが、お許しください。まず、番組の前宣で見た桐分校の雰囲気が良く再現されていたと感じました。TBSは職人とも言うべきこだわりを持った、美術さんや小道具さんがいらっしゃると聞いています。細部にわたって、桐分校の教室の様子、収監されている受刑者の居室の様子が丁寧に再現されていました。ただ、私の大好きなオダギリジョーは、今回ミスキャストではなかったのではないでしょうか?彼は若いのに演技派です。細部にまでこだわって役作りをします。西川みわ監督の映画「ゆれる」では、地域の名士であり善人そのもと思われている兄(香川照之)に、殺人の疑いがかかり、兄を信じる心、兄も邪悪な心を持った普通の人間と思う心、裁判での自分の証言と、思い悩みゆれる弟を好演していました。また、犬童一心監督の「メゾン・ド・ヒミコ」では、ゲイたちの老人ホームのオーナー(田中泯)が死の病の床にあり、最期を娘(柴崎コウ)に看取らせてやりたいと思っているゲイの愛人役を、これまた好演していました。岩松了監督の「たみおのしあわせ」では、婚期を逸しかけたオタク青年を、これまた好演、後はテレビ朝日のドラマ「時効警察」など、ちょっと妙な間を不思議な雰囲気で演じています。ところが、今回桐分校に赴任してきた若い教師、本当は写真の世界で生きて生きたいと願っている教師の役が、あまりオダジョーを生かしていません。彼も最後まで戸惑って演じているように、私には見受けられました。たぶん脚本の内館牧子さんが病み上がりで、TBSの報道局の巡田さんやプロデューサーの清原さん方の熱意との間に、温度差があったのかもしれません。渡辺謙さんも生かしきっていないな、と感じました。彼はがんばっていたんですけれど、なんだか中途半端。そんななかで、体の不自由なジャックを演じていたすまけいさん、凄かった!さすが舞台で鍛えた人だ。実際の刑務所の車両の出入り口の場面は、ぞっとするほど悲しかった。そんなこんな、いい加減な感想文ですみません。見た方で、感じたことがあったら教えてくださいね。再放送、しないかなあ。
2010年10月13日
コメント(8)
3連休の最後は、とてつもないいい天気。思い立って彼と二人、昭和記念公園に出かけました。持参したのは、ビールとホットコーヒー。毎回散歩のお供のお弁当は、昭和記念公園に行くときは持って行きません。立川駅を降りると、まっすぐ伊勢丹立川店の地下1階食料品売り場へ。エスカレーターを降りると、まず目に入るのが大きなワゴン。ワゴンの上には数え切れないぐらいの種類のお弁当が山積みです。しかもどれも税込み500円のワンコイン。和洋中、選び放題です。伊勢丹立川店に出店しているお店が、競って作っている超お得でおいしいお弁当。毎回どれを選ぼうか悩むのも楽しみの一つ。しかも、しかもですよ、一つ買うごとにスタンプを押してくれて、10個スタンプが集まると、好きなお弁当一つプレゼント!!!太っ腹でしょ、伊勢丹立川店。あ、ワンコイン弁当もスタンプサービスも立川店だけです。他の伊勢店ではやってません、ご注意を。平日も休日も、朝10時からやってます。平日は近所のOL達が、男子社員の分もまとめ買いしています。するとポイントがすぐ貯まって、自分の分は無料になっちゃったりして。さて、おいしそうな弁当を手に入れたところで昭和記念公園へテクテク。今はコスモス祭りの最中です。でも私達は先にお弁当を食べたいので、緑の文化ゾーンを抜けて立川口から花木園を過ぎてこもれびの里へ直行です。緑の文化ゾーンには昭和天皇記念館があり、今回は初代の御料車日産プリンスロイヤルの展示をしてあるとのことでした。この緑の文化ゾーンだけでも広い広い。通り抜けるだけで大変ですが、美しいススキなどを眺めながら歩きました。入り口でチケットを購入します。大人400円。さて入場するとイチョウ並木が長く続き、大きな噴水が迎えてくれます。ちょうど銀杏の季節。イチョウの木のメスは、たわわに銀杏の実をつけて重そうに垂れ下がっています。もうびっしりです。まるで花が咲いたかのように、実が付いています。道に落ちている実を拾う人も大勢います。ちゃんと袋持参です、皆様方。噴水を過ぎて、残堀川に架かるふれあい橋を渡るとき、セミの鳴き声が聞こえました。今日は夏日になったようで、セミもまだまだ元気です。水鳥の池には、たくさんボートが浮いていました。気持ち良さそう。そうそう、自転車の人も今日は多かった。自転車は歩行者用とは別のサイクリングロードを走りますので、安心して歩けます。花木園の売店を過ぎて、いよいよみんなの原っぱに。この広大な原っぱにはシンボルツリーが1本。日立のCMに出てくる「この木何の木、気になる木♪♪♪」のような巨木です。広大な原っぱの西側と東側には、お花畑があって季節の花が植えられるのですが、今はもちろんコスモス。ここだけで何万本植えられているのでしょうか?原っぱではいろんなイベントも行われています。売店もいっぱいあって、お弁当なしで来園してもおいしい食べ物がいろいろありますよ。家族連れは持参したバトミントンやボールで、思い思いに遊んでいます。犬達も、芝生と土の感触を楽しんで散歩です。昭和記念公園は、犬も一緒に入園できる珍しい公園です。ドックランもありますので、犬連れが集まってきます。私も以前は愛犬と何回も来ました。そこかしこに、犬との思い出がいっぱいです。この広っぱだけで何万人も収容できるという、桁違いの広さです。夏には、隣の自衛隊の基地から豪華な花火が上がり、みんなの原っぱから見学します。1尺5寸玉という、首都圏では最大級の花火も上がって、それはそれは大きな音がしますよ。みんなの原っぱを右に見て、さらに進むとようやくこもれびの里に到着です。ここは多摩の田園風景と里山の風景を再現した、これまた広いスペースです。稲刈りは終わって、干していました。もうすぐ脱穀です。蕎麦の白い花が風に揺れていました。その近くのベンチで昼食です。ビールとおいしいお弁当、さわやかな風、ときおり通り過ぎる犬達を愛でながらいただきます。小さな子供連れも多くて、ベビーカーもいっぱいです。授乳施設や、トイレがあちこちに設けられていますので、小さい子供連れでも楽しめます。食事の後は、こもれびの里に隣接しているコスモスの丘へ。ここは高低差の有る丘一面にコ、スモスが植えられています。もうこの広さを、なんと表現していいのかわかりません。この丘だけでどれだけの広さがあるのか、今ネットで調べてみましたら16,500平方メートルだそうです。400万本植えてあるそうです!!!もう夢の中の世界です。黒澤監督の「夢」という映画がありましたが、まさにその世界です。コスモスを堪能して、こもれびの丘へ。先ほどのこもれびの里とは別ゾーンです。道には彼岸花が咲き、武蔵野の面影を残す花木があり、栗の木なんかが実を落としていたりします。日の当たる場所は強烈な暑さなのに、こもれびの丘の中の道はひんやりしています。いつもなら日本庭園に行って、門番ネコさんにご挨拶をするのですが、今回は別コースです。日本庭園に行かれたら、正門入り口のあたりでネコさんを探してください。白黒の大きな人懐っこいネコさんがいるはずです。ときどき、門付近の草むらで眠っていることもありますが、たいていは門の前にお座りして、来園者をお迎えしています。さわっても嫌がりません。みんなに可愛いといわれて目を細めている、気のいいノラさんです。道を間違えて子供の森に迷い込みました。ここは子供達の喜ぶものがいっぱい!雲の海は、真っ白な巨大なトランポリンです。我が家の次女はここが大好きで、雲の海でぴょんぴょん飛び始めたら、閉園のアナウンスがあるまで降りてきませんでした。大人も子供も、一緒にぴょんぴょんはずんでいます。霧の森を通りかかったとき、ちょうど霧の出る時間でしたので、ふんわり霧が出てきて子供たちから歓声が上がりました。虹のハンモックとか、石のピラミッドとか、ドラゴンの砂山とか、工房とか、ここだけで親子連れは一日遊べます。渓流公園を経て残堀川の川べりの道に戻りました。渓流公園は、もう春の用意でした。ここはオランダのチューリップで有名な公園をまねて、渓流と池の周囲に春の球根の花々が植えられます。本場のガーデンデザイナーを招いたりしますので、ここが日本と思えない美しさになりますよ。もう区画がデザインしてありました。ここにどんな花が咲くのかしらと想像しながら歩くのも楽しいものです。昭和記念公園の春のお楽しみは、花見です。みんなの原っぱの一画には桜の園があり、桜の巨木が低く枝を垂れていてそれは見事です。まだまだ紹介しきれない場所がいっぱいありますが、今回の私のお楽しみは椎の実拾いなので、後は省略して椎の木の下を見回します。いたるところに椎の木があって、どこで探してもたいてい見つかりますが、今回は川べりで探しました。一見すると見つけられないのですが、腰を低くして落ち葉の間を覗くと、黒々としたどんぐりを二周りほど小さくした椎の実があちこちに落ちています。リスのつやつやした黒目のようです。子供の頃岐阜の山々で、金華山で稲葉山で母と一緒に拾いました。帰宅して軽く洗って、フライパンで炒ってみました。塩も油も使いません。そのまま炒るだけです。しばらくすると皮がはじけてきます。夕食にはそれなりにおかずも用意したのですが、酒の友は椎の実が一番でした。食べだしたら、もっちりしていてほのかに甘くて、止まらなくなりました。他の料理を食べる気にならなくなって、椎の実ばかり食べてしまいます。彼には枝豆も用意したのですが、彼もいつの間にか枝豆ではなく椎の実だけ食べていましたよ。そんなわけで疲れてしまって、皆さんに紹介したテレビドラマを見ることができなくなり、ビデオをセットして寝てしまいました。言いだしっぺがすいません。18,384歩の散歩でした。
2010年10月12日
コメント(10)
昨日は彼が銀杏をお土産に採ってきてくれたことを書こうと思っていたら、なんとその彼に邪魔されてブログを書く時間がなくなってしまった。なんていうこともなく業務スーパーまで車で行って、ビール・酒・ワインを仕入れてきただけです。二人とも飲兵衛さんなので、いつも1か月分まとめ買い。酒代は、大変なことになっています。我が家のエンゲル係数は、高い!夕方ボーっとテレビを観ていたら、ドラマの番宣をやっていた。いつもならすぐチャンネルを変えてしまうのに、主演がオダギリジョーだと言うことで見始めたら、これが凄い内容だった。「塀の中の中学校」長野県松本市に有る、松本少年刑務所には塀の中の中学校が有る。諸事情により義務教育を受けられなかった受刑者の為の、中学校。松本市立旭町中学校桐分校。少年刑務所といっても、学生は年齢幅が広い。50代もいれば60代の生徒も。オダギリジョーは副担任として赴任してくる若い先生。生徒は、大滝秀治・すまけい・渡辺謙など演技巧者ぞろい。脚本は内館牧子さん。家庭の事情などで義務教育を受けられなかった彼らは、資格を取ることもまともな勤務先も得られず、最初は万引きなどの小さな犯罪に手を染め、やがて殺人などという極悪の犯罪人になってしまったりした。文字を読み書きすることが不得手、数を数えるのも不得手。実生活の中で馬鹿にされさげすまれて、全うな職もなく寄るすべもなく落ちて行った彼らに、世界中でも唯一と言えるような獄中の教育の場が与えられた。今から20年ぐらい前に、TBSの報道特集で取り上げたらしいが、私は知らなかった。その桐分校の日常と先生方の奮戦がドラマになるようだが、昨日の番宣では実在の先生が生徒を指導している様子や、本校の旭中学校(当然のことながら普通の中学校)との交流、1日だけの修学旅行、終了式、そして本来受刑していた刑務所に受刑者として戻っていく姿が描かれていた。桐分校を終了した受刑者には、再犯がほとんどないとのことも紹介された。今までまともに人間として扱われたことが無く、愛されたことも無く、義務教育すら受けていないことが強いコンプレックスになっていた生徒達は、学校では年下の先生から「子供たち」と呼ばれ、心をかけてもらい学び生きる自信を取り戻していく。ドラマ化に当たっては、たくさんの障害があったという。それを企画した人、プロデュースをした人々の熱意と根気で実現したという。法務省をはじめ、各関係機関の大きなためらいを説得していって、ようやく実現したドラマです。「生きることの意味、学ぶことの意義」を探るドラマ。今日、11日午後9時からのTBSドラマ「塀に中の中学校」を推薦します。是非見てくださいね。
2010年10月11日
コメント(9)
毎日の私のお楽しみを、かれは邪魔している。一緒に買い物に行こうって。「お酒を買いに行くぐらい、一人で行ってらっしゃい。私はこれからブログを書くから」というと、「コンセントを抜くゾーー!」って脅かすんだ。昨日は仕事帰りに「はい、お土産」なんて職場の近所で拾ってきた銀杏を渡してくれたことを、ここに書こうと思っていたのに・・・。まだ着替えていないし、化粧もしていないけれど、駄々っ子の言うことも聞いてあげないとね。では、今日はお休みです。
2010年10月10日
コメント(12)
昨日は一昨日のリベンジ。遠くのDIYのお店に自転車で行こうとして、途中恐ろしいスピードで追い越していく自転車にビビッて自転車で行くことを断念した店まで歩いた。多摩川の川岸の土手から、浅川の土手に入る。浅川は、その名の通り深いところのない川。いつも穏やかに流れ、水鳥達の憩いの場になっている。川幅はかなり有り、両岸はいろんな草や木が生い茂り、鳥たちの巣作りの場になっている。とても大きな鳥も住んでいて、孔雀かと見まごうばかり尻尾の長い鳥がいたりする。橋もたくさんかかっていて、多摩市側から数えると、まず新井橋、ふれあい橋、高幡橋、一番橋、平山橋、落合橋とここまでが日野市。そこから先は八王子市になる。昨日は多摩市から日野市に入るところから平山橋までを、川沿いに歩いた。コスモスやススキ・彼岸花と、たくさんの植物達が目を楽しませてくれる。お、対岸の草むらの中に長く延びた首。あれはアオサギ。大きな鳥だ。真っ白なコサギはいたるところにいて、餌を探している。運が良ければカワセミにも会える。どこからか太鼓の音が聞こえてくるふれあい橋のたもとのゲートボール場で、近所の保育園の子供たちが運動会の練習をしていた。ちょうど2歳児のクラスのお遊戯の練習。3色の野菜になった子供たちの手には、小さなボンボン。踊りながらボンボンを振るしぐさが愛らしくて、最後まで観てしまった。保母さんたちは汗だくで走り回って、ボーっとしていて列を離れる子供の世話をしていた。何もしなくても可愛いのが、幼児の特権。保母さんに抱っこされて列に戻される姿が、またたまらなく可愛くて思わず笑みがこぼれる。そうそう、このふれあい橋は歩行者専用道路。美しい形をした吊り橋で、よくドラマの撮影に使われる。木村拓哉主演のドラマ「エンジン」にも出てきた。再び土手の道を歩き出すと、高幡橋が見えてきた。道は高幡橋をくぐっている。高幡橋を頭上に見ながら、また土手を歩く。高幡橋は交通量の多い橋。バスやトラックの騒音の波が押し寄せる。一番橋の付近に来ると、桜の巨木が枝を土手の上に張り出している。昔子供と花見に来たことがあったけ。そうそう通勤の春の朝は楽しかった。満開の桜並木の向うに雪を頂いた富士山を感動して見て、手前に流れる浅川の水の色と桜色のコントラストを愛で、ああ日本ってなんと美しいのだと、一人で興奮していたっけ。家をでてほぼ2時間近く経ち、ちょっとトイレを借りたくなった。一番橋を渡って土手から離れるが、大きなスーパーがあることを思い出してそちらへ向かう。スーパーアルプス、日野八王子あたりでは有名なスーパーです。トイレはとてもきれいで快適。使わしていただいたので、一口チョコレートの大袋を買ってみた。散歩のお供にね。スーパーの入り口付近に休憩コーナーが設けられていた。丸テーブルと椅子、それにお茶とお湯と電子レンジ。お店で購入したお弁当を温めたり、座って食べられるようになっていて、感じのいい空間だった。私も腰掛けて煎茶を頂く。お茶を飲みながら周りを見ると、顔見知りと偶然出会った人たちが声を掛け合ったりしている。持っているお菓子を分け合って、いいコミニュケーションの場になっている。私も80歳近いと思われる婦人に話しかけられた。少し耳が遠いようだが、自分の足で歩いて買い物を楽しめるのは素晴らしいと思った。昔話、亡きお母さんのこと、いろいろ話してくださいました、見知らぬ私にも。30分以上もそこで休憩して、また歩き始める。もう平山橋はすぐ。ここはちょっと橋の下が淵になっていて、昔鯉の養殖場があったと聞いたことがある。台風のたび養殖場の水があふれて、鯉が逃げたんだって。だから浅川にはいっぱい鯉が泳いでいる、ってほんとうかなあ?今日もたくさん鯉が泳いでいて、柵越しに川を覗くと鯉が集まってくる。人間を見ると餌をもらえると思っているんだね。ふと横を見ると、ナイロンの袋にお米を入れて持っているおじいさんが居た。なるほど、鯉にも鳩にもあげているんだね。さてそこからは川を離れて、豊田方面へ上がる。まさに上がるという言葉がぴったりの高台に、日野豊田地区はある。ここは以前冨士電機の広い広い工場が有って、工場の周りにはたくさん寮があった。今はマンション群になって、緑も豊かに残され、なかなか景観の良い街になっている。もう少し歩くとあと少しで八王子、というところに店があった。歩きつかれて、たどり着くと休憩コーナーにへたり込んで、保温カップに持参したコーヒーをゴクリ。ついでに、前日の残りの栗ご飯をおにぎりにしてきたので、食べた。この店に来た目的は、通販番組でよく見かける有田焼きのお皿の現物を見ること。遠赤外線効果で電子レンジで魚がおいしく焼ける、とテレビで言っていたので確かめに。お皿はテレビで見たとおりの色とデザイン。付属のレシピ集が展示してあったので、じっくり立ち読み。皿が平らではなく、波のような突起が出ているのがポイント。でも、それだと作りにくい料理もあるかも。目玉焼きとか出ていたけれど、その皿じゃ形が崩れそうだし、別に電子レンジで作らなくてもいいんじゃない、って感じるレシピ集だった。魚も、電子レンジで焼いたらその匂いはどうなるんだろうと、ちょっと疑問に思った。で、結局買わないで豊田駅までてくてく歩いて、そこからバスに乗って帰宅。携帯の歩数計を見たら、20,049歩だって。よく歩きました。
2010年10月09日
コメント(10)
昨日はうんと遠くにあるDIYのお店に、自転車でお買い物に行こうと家を出た。暑い夏の間、自転車に乗っていなかったので久しぶりのサイクリング。しかも日差しも柔らかく、程よい風。最高のサイクリング日和と、川の土手に上がった。この土手は、歩行者用と自転車用とが色分けしてあり、よく整備もしてあるから走りやすい。以前、定年間近まで15年勤務した会社にも、この道を利用して自転車で通っていた。だから慣れた道。今は黄花コスモスや菊芋の花が咲いていて、見事。のんびり周りの景色を見ながら少し走っていると、後ろからビューンと空気を切る音がして、自転車がものすごいスピードで私を追い越していった。頭にはヘルメット、自転車は何段変則かわからないような細いタイヤのかっこいいもの。そういえば土手を散歩していると、こういう人たちに良く追い越される。対面で来られると、怖い。彼らは自転車とは思えないスピードで走り抜けていく。土手の上の道は細いのに、歩行者やのんびり自転車族を蹴散らすように猛烈なスピードで走っていく。車道は道路によって制限速度があるのに土手にはそれがないから、自分の走りたいように彼らはスピードを上げて走る。私が通勤していた頃は、こういう自転車で走る人はあまりいなかったなあ、などと思っていると次の自転車がまたすごーーいスピードで私の自転車スレスレを走り抜けていった。怖かった!私が少しふらついていたら、激突しているところだった!思わず自転車を飛び降りた。辺りを見回すと、似たようなスタイルのサイクリング族(?)が前からも後ろからも走ってくる。この道をのんびり走るのは無理だと感じた。それで土手を降り帰宅した。土手は車椅子の人がのんびり散歩をしていたり、犬や幼子の手を引いた人たちが散歩していたりする近所の人たちには憩いの場所。もうスゴーイ昔にここに越してきたとき、まだ小学生の娘達とトンボ取りをしたりセミ取りをしたりして遊んだ。土手の上で子供たちがウロウロ駆け回っても、安心できた場所だった。いつの間に土手は危険な場所になってしまったのだろうか?いつもご老人の方々がゆっくりのんびり散歩できていた、あの場所は今はないのか?そういえば、多摩市に入ったところに立て看板があったなあ。確か「自転車による事故が増えています。スピードの出しすぎに注意しましょう」なんてことが書いてあったような気がする。そんなたて看板を立てるぐらいなら、車道のように制限速度を設定して取り締まったらどうだろう。ま、土手は道ではないので難しい法律上の問題はあるとは思うが、この分じゃ死亡事故だって置きかねないから、何とかして欲しい。政治家さん、警察の方、官僚の方々、そして地域住民の方々、何とかせねばね。憩いの場所を取り戻しましょうよ。
2010年10月08日
コメント(8)
昨日は新宿まで出て、以前勤めていた会社の役員の方と面談。1年以上も前に受けたパワハラのことで決着をつけようと思ったのだ。ところがその役員の方とお会いするのは3回目だったのと、温厚な方なので懐かしさが先にたってしまった。これではいけないと、考えてきていた提案をしてみた。もちろん役員の方お一人で結論の出せることではないので、社への持ち帰りということになった。近々お返事がいただけるでしょう。私としては、精神的にもろくなっていた自分を奮い立たせるために、提案すると言うことが重要だったので、これで一歩前に踏み出せたかな、と感じました。せっかく新宿に出てきたので、お気に入りのデパートへ。伊勢丹本店、なんと今日はイタリア展の最中。これって楽しみなんです。イタリアのワイン、オリーブオイル、バルサミコ酢、おいしい料理やその食材がいっぱい!両側に並ぶお店を見ながら歩くと、「試食していってね」とお声がかかります。クッキーやパンが小さく刻まれて用意してあり、いろんな味付けのオリーブオイルやバルサミコ酢が試食用に並べられています。パンに少し塗っていただきます。オレンジの香り、イチジクの香り、いろんな味がしてもう飛びっきりおいしい。チョコレート、焼き菓子、もういい匂いでたまりません。もちろん試食させてもらいましたよ。私は巨大なマカロニを買いました。デュラム小麦粉のセモリナ使用の、「バッケリ」という商品名です。イタリアの家族経営の小さな工場で作っていると言う、50℃で36時間もかけて茹でたものを乾燥させたという、非常に腰のあるマカロニです。なんと直径が2,5センチほどもあるのです、大きいでしょ。早速、売り場のお姉さんに教えていただいたとおりソースを作りました。材料は家にあるものを使いました。ズッキーニ、茄子、赤・黄・緑のピーマンたちと玉葱。全部大きめにざくっと切ってオリーブオイルで炒めて、トマト味のソースを作りました。マカロニの袋には13分の茹で時間とありましたが、13分ではちょっと固かった。でもさすがに腰があり、小麦の味がしっかりして、噛みごたえが有りおいしかった。そうそう、帰宅して郵便受けを除くと、思いもかけない絵葉書。ただいま北米ツアー真っ只中のXJAPANのToshiさん、そのファンクラブからの絵葉書。Toshiさんの写真と「SEE YOU SOON」の文字。ああもうすぐToshiさんに会えるかもしれないと思うと、ふわっとこころが暖かくなって・・・。朝出かけるときは不安でいっぱいだった私、役員の方にドキドキしながら一つの提案をした私に届けられた一枚の絵葉書は、まるでご褒美のように思えました。北米ツアーが終わったら、日本に帰ってくるんだね。楽しみにしていよう。でもね、でもねToshiさん。胸を大きくはだけたシャツ、それはいつもの着こなしだから問題ないけれど、そのシャツの下にTシャツが覗くのは・・・、やめて!写真を撮るとき、スタイリストさんとかカメラマンとか気がつかなかったのかなあ?ちょっと残念でした。
2010年10月07日
コメント(7)
私は去年の9月、一方的な理不尽なパワーハラスメントを受けた。それ以来少し健康を害し、精神的にももろくなってしまった。そのことで勤務先の役員と連絡を取り合っていたが、いまだに解決に至らないでいる。今日、その担当役員と会う約束をしている。どんな結末になるかはわからないけれど、もうこの問題にピリオドを打つつもりでいる。一部弁護士さんには相談したけれど、パワハラの問題は司法の場に持ち出すのも、労働問題の場に持ち出すのも難しいことが良くわかった。家族にも言えなくて、一時はウツのような症状に陥った。病院に行ったわけではないけれど、日々自分はいらない人間で死んだ方が世の中の為だと思って、死にたかった。今でもそのときのことを思い出すと、動悸が早くなる。先に進むために、今日は決着をつけようと思う。私にとって決戦の日。一つの案を作った。受け入れはしてくれないだろうが、言ってみるつもり。それが私にとり、その事件を乗り越えるステップだと思うから。私以上に、理不尽な扱いを受けている人もいるだろう。どうかパワハラを受けて辛い思いをする人が、これ以上出ませんように!
2010年10月06日
コメント(10)
私は女性作家さんの作品が好きです。有吉佐和子さん、田辺聖子さん、向田邦子さん、宮部みゆきさん、桐野夏生さん、乃南アサさん、山崎豊子さん、そして宮尾登美子さん。繊細で心理の機微が描けている作品群を、繰り返し読んで楽しんでいます。今回は宮尾登美子さんの「きのね」を再読しました。「きのね」とは、歌舞伎で幕開きを告げたり、見栄を張るところで打ち鳴らされる、いわば拍子木の音のことです。正式にはきのねとは言わないらしいんですが、主人公光乃が最初に歌舞伎を3階席で観たときにその音に感動し、やがて夫となる歌舞伎役者雪雄に「きのね」と親しみをこめて呼ばれるようになるという愛称です。市川行徳の塩作りをしていた貧しい家に生まれた光乃は、上野の口入屋の紹介で歌舞伎役者宗四郎の家に女中奉公に上がります。明治・対象の時代死病と言われた結核に罹病した、宗四郎の長男雪雄の衣類の洗濯係という仕事を、他には若い女が働く職場もない時代、口入やに紹介され覚悟を決め奉公に上がります。ところが、雪雄は結核はほぼ完治しており、洗濯係ではなくなったのですが何とか採用してもらい、以後震災・戦争・雪雄のチフス発症と混乱と激動の時代を、ただ雪雄のためにだけに生きるのです。雪雄は宗四郎の長男という立場でありながら、松川家に養子に入ります。松川家は歌舞伎の名門。松川家の養子になれば、今まで廻ってこなかった主役級の役が与えられます。宗四郎が雪雄を手放したのも、家柄のせいで力はあり人一倍研究熱心な雪雄が、良い役に恵まれず苦しんでいることを知っていた親心からでした。松川家に入るとき、お付き女中として光代も一緒に松川家に移ります。若手俳優として売り出した雪雄でしたが、太平洋戦争が始まった頃チフスを発病し、生死の境をさまよいます。その彼岸に行きかけた雪雄を呼び戻したのは光乃でした。物資の乏しくなった時代、ろくにものも食べていない光代でしたが、自分の血を雪雄に輸血することを申し出で、2回の輸血の後雪雄は蘇生します。そして戦争の混乱を向かえ、米軍の爆撃は激しさを増し、時代は歌舞伎を上演できなくなり、松川家の人々もツテを頼り郊外に避難します。光乃と雪雄は二人だけ八王子のごひいきさんの納屋に疎開します。そこで雪雄の手が付きます。八王子大空襲・東京大空襲を経て、終戦。歌舞伎もそろそろ上演されるという噂、雪雄にも役が廻ってきます。二人は八王子を引き払い、玉川電車の走る上馬に、またツテを頼りに引っ越します。二人は事実上の夫婦でしたが、それでも光乃は女中としての立場を守り続け、かんしゃくを時に爆発させる雪雄の足蹴にされながらも、雪雄を「坊ちゃま」と敬い、わずかな給金さえ出ない貧しい生活を支えます。やがて身ごもり、でもそれを誰にも知らせず、光乃は一人で出産します。雪雄が外出先から帰り、赤子の泣き声に気づき驚いて産婆を迎えに行きますが、その産婆が見た光景は「聖母子」の姿でした。今出産を終えたばかりの光乃は、もんぺをきちんと着込み正座し、横には座布団の上にきれいにぬぐわれた赤子がおりました。まだへその緒も付いたままの赤子が。たくさんのお産に立会い、自身も大勢の子を産んだ産婆は、今まで見たこともない凛とした光乃のに、「聖母子」の姿を見るのです。勇雄と名づけられた子と、やがて雪代という女児も生まれ、二人の子をなした後も光乃は日陰の身のまま時は流れます。松川家にも、宗四郎のところにも、およそ人の集まるところには、それが実の父の葬式であろうと出ることなく日陰であり続けます。雪雄は今や押しも押されぬ若手人気役者。花流界はいうに及ばず、たくさんの女性ファンがついていて、人気稼業は女房子供のことを世間には伏せていなければならない時代でした。その後もたくさんの紆余曲折を経ますが、光乃は正妻となります。歌舞伎をご存知の方ならお分かりかと思いますが、これは小説の形はとっていますが実話に基づいています。宮尾登美子さんは、産婆さんがご健在のとき会い、直接取材しているのです。「聖母子」と言う言葉は、そのとき産婆さんから聞いた言葉だそうです。松川家とは、市川家のこと。雪雄は第十一世市川団十郎のことです。実の父宗四郎は、七世松本幸四郎のことです。現団十郎は、その聖母子の赤ちゃん勇雄です。この間結婚で芸能ニュースを沸かした海老象は、雪雄の孫になります。私は若い頃、海老蔵(現団十郎)・玉三郎の舞台を見る機会を得ました。大きなギョロメの海老蔵の荒事の所作と、玉三郎のこの世のものとは思えない美しさに、陶然とした思い出があります。この作品に出会って、あの天下をうならす海老様が、このような出生であったことを知り驚きました。今は立派に団十郎を名乗られ、息子を育てていらっしゃる、感動。光乃として描かれた夫人を写真で見たことがあります。化粧っけのないお顔、地味なお召し、髪はひっつめ髪でとても美容師さんの手になるものではありません。ご自分で結い上げられたものでしょう。およそ梨園の妻としての華やかさとは無縁の方です。けれども生涯、雪雄に全身全霊を傾け、雪雄亡き後は勇雄を歌舞伎役者として育て上げるそれだけを思い、生きられた人であったようです。雪雄も、「きのね」と光乃を呼び愛されたとか。市川家はこれからも歴史に残る役者を世に出し続け、そして市川家を支えるのは幾多の艱難辛苦を乗り越えた女たちなのだと、思える作品です。あくまでも小説ですが、歌舞伎に興味をお持ちの方は是非読んでみて下さい。また違った目で歌舞伎界を見ることができ、興味と関心が深まりますよ。
2010年10月05日
コメント(10)
ヨリモの懸賞に当選したので、東京ドームに野球観戦。まず、お弁当をたっぷり作ったのです。後楽園の噴水でも見ながら食べようと思って。水道橋の駅を出ると、もう人の波・波・波。野球を観戦する人ばかりではなく、遊園地を楽しむ人、ゲームランドに行く人、とりあえず来てみた人、多摩地区の住人には人酔いしそう。当選のはがきを持ってチケット売り場に行くと、「3塁側になります」だって。ジャイアンツファンの彼には、1塁側で見せてあげたかったなあ、なんて思って「ごめん3塁側になっちゃた」って言ったら、「3塁側のほうがジャイアンツのベンチが見えて良いんだよ」と言ってくれた。ホッ!さて、噴水側に陣取って、通り過ぎる人々の視線もものともせず、お弁当を広げた。青空の下で食べるのは、おいしいし気分がいい。のんびりこちらもいろんな人を見ながら食べた。なんと大勢の人たちが、ジャイアンツのユニホームを着ていることだろう。家から着てきた人も多いが、後楽園に入ってからおもむろに着替える人達も多い。少年達はたいてい家から着てきているね。得意げだね。ジャイアンツの試合を見学できるのを、ワクワクしながら指折り数えて待っていたんだろう。どの少年達も嬉しそうだった。席は2回スタンド内野席。内野席は初めて。さすがにグランドが良く見渡せる。試合の前から応援合戦が有ったり、チアリーダー達のパフォーマンスが有ったり、時間はあっという間に過ぎてプレーボール。ラミレスと脇谷がホームランを打って、野球音痴の私もワクワクした。3塁側は、たしかにジャイアンツのベンチが良く見えて、バードウオッチング用の双眼鏡を持参した彼は、楽しそうに覗いていた。私はXJAPANのライブ用に買った、スタジアム用オペラグラスを持っていったので、あちこちアップにして楽しんだ。そうそう、珍しいプレーがあったの。9年ぶりだってトリプルプレー。ベイスターズの攻撃のとき、一瞬で3人がアウトになった。野球に詳しくない私が、ええええっと思ったぐらいだから、きっと凄いことだよね。ゲームは7対1でジャイアンツの勝利。でも決して一方的なゲームではなく、結構見せ場があってハラハラドキドキ楽しんだよ。16時半ごろ、余韻を楽しみながら人の波に乗り水道橋駅に向かっている途中、携帯が鳴った。出て見ると、なんと昨日面接を受けたデパートの人事の方からだった。お歳暮のお仕事、是非お引き受けくださいと、なんとも信じられないようなお電話。思わず「本当に私で宜しいんですか?」と聞いてしまった。「是非naominさんにお願いしたいのです」とありがたすぎて泣きそうになってしまうほどの言葉。もちろん感謝してお仕事をさせていただくことになりました。昨日の面接のとき、採否は8日にお返事とのことだったので、あまりに早いお返事にその誠意に感激した。11月10日から12月25日までの短期のお仕事だけれど、久しぶりのまとまったお仕事。嬉しくてたまらない。
2010年10月03日
コメント(8)
お歳暮の短期バイトが求人情報誌にあったので、面接を申し込んでおいた。それで今日新宿まで行ってきた。とあるビルの1室。女性の面接官にいろいろ聞かれたけれど、上手く答えられなかった気がする。8日5時までに電話が入らなければ、不採用。今回も駄目かも。帰宅してしばらくすると、佐世保のケアマネージャーさんから電話が入った。「無事に権利擁護の手続きが終わりました。通帳と印鑑をお預かりしました」との報告。ほっとひと安心。朝7時に義母に電話をして、「ケアマネージャーさんがいらしたら、書類にサインをして通帳と印鑑を預けてね。そうすればお義母さんがお金の入用なとき、通帳を探さなくて済むからね」といっておいたのが良かったようだった。でも「鍵を探してみたけれど見つかりませんでした」とのこと。これは仕方が無い。前日デイサービスの方が大家さんにお願いしてくださったので、再作成してくださるでしょう。「何もかもケアマネージャーさんにお任せしては心苦しいので、私が佐世保に行きます」と伝えると、「大丈夫ですよ。保護の申請も私のほうでいたしますからご心配なく。随時進捗状況も報告しますからご安心ください。佐世保に来ていただきたいときはまた連絡しますから、今回は来られなくても大丈夫」と言って頂きました。感謝をいくらしても足りません。義母は良い人々に守られています。そしてチケットをいただいた映画を観に立川へ。シルベスター・スタローン主演のアクション映画。テレビで話題になっていたのだ、シュワルツネッガー知事とブルース・ウィリスの3ショット。これが全然たいしたこと無い。単に話題性を持たせる為に無理やり作ったシーン。あほらしい、と思った。映画は「エクスペンダブルズ」という題で、意味は消耗品ということらしい。使い捨ての傭兵というぐらいの意味らしい。ストーリーは、あって無きが如し。アクション映画には必然性とセリフは無用らしい。全般「ア!」・「ウ!」・「ギャー!」で満ち溢れていた。バズーカ砲だかなんだか知らないけれど、重そうな銃器を振り回して、やたら打ち合っていたなあ。爆撃音と銃撃音しか耳に残らなかったぞ。途中つまらなくて、目を閉じていたけれど、本当にセリフは少なかった。ま、アクションそれ自体を見せる映画だから、セリフはどうでも良いみたい。しかし大勢人が死んだなあ。あの一人一人に人生があり家族が有ると考えてみてしまう私は、アクション映画向きではないよね。会場は結構楽しそうに反応していた。「ヤッター!」とか声も上がっていたので、好きな人にはたまらない映画だったようだ。で、我が彼殿に感想を聞いてみると、「面白かった」とのこと。「この間観た妻夫木君主演の悪人とどちらが好き?」と聞くと「こっちのほうが好きだな」と言っていた。昔から趣味の世界は全然交わらないんだよね。これでよく何十年も夫婦家業をしてきたもんだ。誰のおかげ?もちろん私のおかげ!なんて、彼は彼で自分のおかげと思っていることでしょう。そして今日は東京ドーム。野球観戦です。お弁当、作らなくっちゃ。
2010年10月02日
コメント(13)
雨の中、土手をとことこ歩いて隣町迄出かけて、いつものようにいろんなお店の値段をチェックして、巨大大根1本158円なんていうのを見つけて、いい気分になって帰って来た。近所の公園まで来ると、パトカーが2台停まっているのに気が付いた。さらに何の模様も無い真っ白なワゴン車が1台、後ろのドアを開けて停まっている。隣接のアパートには数人の人だかり。そして人だかりの中に白い布で覆われた担架が・・・。孤独死だったのだろうか?家族が居て病死だったら警察には連絡しなしから、孤独死かもしれないと思って、胸がズシーンと重くなった。早く見つけてもらえたのだろうか?上野千鶴子さんの「おひとりさまの老後」と言う本を読んだことがあるが、その中に「孤独死は決して怖いことではないけれど、発見が遅れることがないよう、常に連絡を取り合う友を持とう」と言うようなことが書いてあったと記憶している。「1週間以内に発見してもらえるような方策を立てておこう」とも書いてあった気がする。腐敗する前に、発見してもらえるように。この夏は、死後数ヶ月・数年そのままにされていたと言う高齢者の無残な報道が続いた。中には家族が年金を搾取する為に、死後そのままにしていたというのもあった。このところ電話をしてもつながらないことが続いて、義母と話をしていない。それでついに義母の通所しているディサービスの担当者に、先日電話をしてしまった。「義母は通所していますか?元気にしていますか?食事は食べられていますか?」担当者の方からは明るい声で「今日もいらしていますよ、とてもお元気ですよ、食事もしっかり食べていらっしゃいますからご心配なく」と告げられて、ほっとしたところでした。その担当者の方から14時ごろ電話が掛かってきました。「お義母さんはお元気に今日も通所していらっしゃいますから、ご安心ください。でも今朝お迎えに行ったとき、鍵がないということで大変だったんです」とのこと。どうやら、今回は鍵をどこかに置いて、その置いた所を失念してしまったようで・・・。担当の方と対処方法を打ち合わせました。帰りは、デェイサービスの方が何人かが付き添い義母の家を捜索する、無いときは大家さんに鍵の取替えをお願いしてみる、ケアマネージャーと連絡を取る・・・等々。大家さんはご自信の都合で、電話を通話できない状態にしてあり、こちらから連絡が取れませんのでお願いすることにしました。ケアマネージャーに電話してみましたが、外出中とのことで連絡が取れません。17時ごろ、担当者の方から再びお電話が。義母を家まで送り、家の中を探したが鍵は見つからないとのこと。大家さんに鍵の取替えをお願いしたこと。デェイサービスとケアマネージャーの連絡先を渡し、何かあったら連絡をして欲しいと依頼したこと・・・・。義母に電話をしてみましたが、出ません。何度電話しても、出ません。しつこく電話しましたが、出ません。18時過ぎ、ケアマネージャーさんから電話が入りました。「明日、社会福祉士の方と訪問して鍵を探したり、郵便局の通帳が届いているはずだから探してみます」と連絡があった。電話がつながらないことを告げると、以前にもそういうことが有り、たぶん誰かに襲われるという妄想が出てきていて、それで電話に出ないのではないかとのこと。今朝、7時に電話してみた。今度は出てくれた。声は元気そうで、のんびり明るく話をする義母。「これからは朝電話をするから、電話に出てね」というと「わかった」とは言ってくれたが・・・・。福祉関係の手続きも、金融機関の通帳や大家さんの書類のこともあり全然前に進んでいないとのこと。義母をどこかに入居させてもらうにしても、権利擁護の手続きをするにしても、書類が整わなければ出来ない。もう一度佐世保に行って、私が泊まりこみで10日ぐらいかかるだろうけれど、全ての手続きをしてあげるべきかな、などと考え込んでしまった。とりあえずケアマネージャーさんの訪問の結果を待とう。ラッキーなんて浮かれていたら、ドスンと落ち込んでしまった。
2010年10月01日
コメント(8)
こんなことは、我が人生はじめての出来事。その一 ピンポンと玄関のチャイムが鳴った。 出てみると、彼の生命保険の担当外交さん。 開口一番「今日はいらっしょる予感がして、訪ねてみたのよ!いらして良かった!」 暇人の割には、いつも留守がちな私。 彼女が何度も訪問してくれていることは知っていたが、特に用も無いので気にしていなかっ た。 で、今日の彼女の用件は、映画の先行上映へのご招待。 シルベスター・スタローン主演のアクション映画「エクスペンダブルズ」のチケットをペア で。 10月1日、立川での上映。 アクション映画は苦手な分野だけれど、彼は大好き。 上映日は彼も18時には仕事を上がれそうなので、充分上映時間に間に合いそう。 ありがたく頂戴いたしました。 ラッキー!その二 外出先から帰ってポストを覗くと、一枚のはがき。 「2010年プロ野球 セ・リーグ公式戦」ご招待! 10月2日、巨人対横浜イン東京ドーム 内野指定席(ペア)当選のお知らせ。 これは読売新聞のWebページ「ヨリモ」に応募しておいたもの。 私はスポーツが苦手。野球観戦も趣味ではないけれど、彼がジャイアンツファンなので、新 聞も読売新聞しか取らない。 そんなわけで、時々ヨリモのサイトに行って懸賞に応募するのだけれど、当選したのは初め て。 私の中では、東京ドームはXJAPANのホームとしか認識していなくて、東京ドーム= XJAPANのライブなのだ。 えい、忘れておった。 あそこはベースボールグラウンドであった。 またまたラッキー! と言うわけで、10月は「こいつは春から縁起がいいやあ」て月になりそうです。
2010年09月30日
コメント(10)
昨日は冷たい雨が朝から降っていた。家中掃除をして、近所のスーパーへ野菜を仕入れに行って帰宅すると、大きな雷の音。地響きを伴う轟音と、窓ガラスを叩き割ってしまうかと案ずるくらいの雨足。台所に立って、大根・人参・ごぼう・ジャガイモを洗って刻んだ。こんにゃくに豆腐、それにモツ。今夜はモツをじっくり煮込んで食べよう。先日ケーブルテレビの営業の人が置いていった、9月の番組表を見ていたら、NHK衛星放送で「夏の夜は三たび微笑む」という映画を放映すると言うことで、幸い雷も遠のいたのでテレビをつけてみた。今まで衛星放送は見ることができなかったのだが、CATVでネットとテレビと電話のセットに加入したら、無料の衛星放送を見ることができるようになったのだ。なんと白黒、字幕のレトロな画面が映った。最初イタリアが舞台だと思った。簡単に言うと、3組のこんがらかったカップルの織りなすロマンチックラブコメディ。弁護士、彼は最初の妻をなくした後、16歳の少女と再婚して3年ほどたつ。家には聖職者を目指しながら、何もしないでいる前妻との子がいる。しかもお年頃の男子だ。彼は仕事をしている間も気が気ではない。若い妻と息子とが愛し合わないか、心配でならないのだ。若い妻は無邪気にその息子と遊んでいる。弁護士は、まだ若い妻を本当の妻には出来ないでいる。妻はまだ処女なのだ。妻は夫の弁護士の寝言を聞いてしまう。ある女性の名前を繰り返し寝言で言う夫に不審を抱く。その名は、女優の名であった。若い妻は知らないが、その女優はかって夫の愛人だった。夫はある日女優の家を訪ねる。そこに自分の名前をつけた12歳の男の子を見る。女優と別れて13年。その男の子は自分との間に出来た子ではないか?その場に今女優の愛人である男爵が現れる。男爵は軍人で、しかも若い妻と結婚している。話しはここら辺からいろんな糸が複雑な結び目を作っていく。女優は策略をめぐらす。第一に、弁護士の若妻と、弁護士の息子を結びつける。第二に、愛人関係にある男爵と別れて、彼を妻の元に返す。第三に、弁護士と自分が結ばれる。そのために女優は自分の母親の別荘で、パーティを開く。三組6人の男女に加え、若い妻のコケティシュなメイドまで加わり、下世話な下ネタもちょこちょこ会話に混ぜながら、女優が歌を歌うサービスもあり、なかなか面白い映画だった。字幕だったので、俳優人の声が聞けたのだけれども、女優を演じた人の声がまさに鈴を振るようで、男性だけではなく女性をも虜にしてしまう声だったテレビだと画面が小さいので、字幕スーパーの映画は敬遠しがちだったが、たまには吹き替えでない映画も、良いなあと思える声だった。後で調べたら1955年スエーデン映画でした。映画を観ているうちに雨も上がり、モツの煮込みもおいしく出来上がったようだ。大根・人参・きゅうりを細い千切りにして、炒めたジャコを乗せて和風サラダも作った。彼には、好物のいわしの丸干しを焼いてあげよう。キャベツの柔らかいところをちぎって、居酒屋さん風に付けたれで食べよう。とりあえず、穏やかな一日だった。
2010年09月29日
コメント(6)
昨日は、朝から冷たい雨が激しく降っていた。ミシンを取り出して、いろいろ気になっていたものの補修をすることにした。1) 毛布の縁布を綴じ付ける。 寒くなって毛布を取り出したら、縁布がぺローンと外れて垂れてきた。 片付ける前にも、手縫いで何箇所か外れたところを縫い付けてあったのだが、また外れて きてみっともなくペローンペローンしてきた。2) ボアの敷きシーツの四隅のゴムの取替え。 敷きシーツのゴムは、敷布団にかけて使用するもの。 これが伸びきっているので、敷布団の上で動いてよれてしまう。3) 座椅子カバーに、ゴムを追加する。 座椅子カバーには、2箇所座椅子と固定する紐が付いているが、座るところに固定する紐 が無いので、立ったり座ったりするたびにカバーがゆがんでしまう。ということで、ミニ補修作業開始です。1)は、外れているところをしつけ縫いをして、ミシンをかけた。かけていると、気が付かなかったところも縫い目が外れそうになっている箇所があるのに気が付いた。それで結局、四隅全部縫い直した。といっても直線縫いなので、たいした作業ではないけれど、厚みがあるので縁布が重なり合うところだけは、ちょっと大変だった。2)は、2.5センチ幅のゴムテープを、取り付け位置にあわせて両サイドを斜めにカットし、縫い付けた。引っ張っても、洗濯を繰り返しても大丈夫なように、四角く何度も同じところを重ね縫いした。3)は、坐面にゴムをつける位置を考えながら、座椅子カバーにゴムテープを縫い付けた。どれも簡単な作業で、大して手間はかからなかったけれど、出来上がってみるとどれも快適な仕上がり。毛布も、敷きシーツも、座椅子カバーも格段に使い勝手がよくなった。ちょといい気分。でも、考えてみると私は26日・27日の二日間、一歩も家を出なかった。まるで引きこもりだ。送った履歴書は返って来るし、エントリーした仕事先からは何の連絡も無い。さみしいのう。世間から取り残されていくようだ。そして今日も朝から冷たい雨。出かける気のもならないけれど、とりあえず掃除をしよう。ま、愚痴は言うまい。今日は近所のスーパーの特売日。出かけてきましょかね。気分転換に。雨、止むといいな。
2010年09月28日
コメント(3)
25日(土曜日)、隣町まで食料品の買出しに行きました。豚挽き肉にキャベツに韮、餃子の皮。それに大根・人参・もやし・こんにゃく、煮込みようのモツ。もう重いのなんのって、荷物が肩に食い混みましたよ。そして昨日の日曜日、朝から餃子作り。まず、顆粒のガラスープの元を少しお湯で溶いて冷ましておきます。挽肉をボールに入れて、その冷ましたガラスープを入れて少し練ります。固かった挽肉が、ふっくらしてきますよ。少し牛乳と胡椒・ごま油をまぜて、またまた良く練ります。キャベツ・韮・にんにくをフードプロセッサーで微塵に。なんせ100個分作ろうと思うので、包丁で刻んでいると時間がかかりすぎますので、ここはフードプロセッサーでががっと一気に。それを挽肉に混ぜて、数時間寝かせます。さて、いよいよ餃子の皮に包んでいきますが、これが数が多いのでなかなか時間がかかります。全部作り上げてからでは、先に包んだものが水分が出てきて柔らかくなりすぎてしまいます。それで、20個包むごとに冷凍用に包装します。ラップに片栗粉を少し敷いて、餃子一つ一つに片栗粉をまぶしながら、5個を一包みにします。さらに包み2つを、1枚の薄いポリ袋に入れ冷凍庫へ。こうしておけば使いたいとき、使いたい数だけ取り出せますので。夕方までかかって100個作り冷凍しました。それでも少し餃子の種が残りましたので、肉団子にすることにしました。生椎茸をみじん切りにして、片栗粉・卵を混ぜてお団子に。それを油で揚げておきます。その揚げたお団子を使った今夜の夕食は、肉団子のお鍋中華風です。白菜の買い置きが無かったので、今回は白菜抜きです。大根・人参を千切りにします。ありあわせのきのこ、今回はシメジと生椎茸を入れました。春雨をぬるま湯で戻して、具が少したらないのでウインナも入れます。肉団子以外の材料をお鍋に入れて、ガラスープで煮込みます。塩・胡椒・ごま油を少し。これでおいしい白湯スープのようになります。食べるときに肉団子を入れますと、揚げてあるので適度なこくが出て、大根メーンなのでさっぱりといくらでも食べられますよ。ウインナがスープを吸って、これがまた良いお味です。お腹にも優しい、カロリーも控えめで、体の温まるメニューです。
2010年09月27日
コメント(8)
最近テレビを見ていて、レポーターやタレントがお料理を前にして「いい香り」と言うのに凄く違和感を持っていた。童謡に、「おかあさんていい匂い、お料理していた匂いでしょ、卵焼きの匂いでしょ♪」って歌がありますよね。私はお料理は、「いい匂い」だと思っていました。「いい香り」というのは、お花・香水というようなものに使うものだと思っていました。「香りたつ・・・」というのは、美しいものを表現するものと思っていました。10数年ぐらい前から、レポーターなるものがテレビでしきりと「いい香り」を連発するようになって、なんでも「香り」になってしまったような気がします。それでもお料理番組などでは「いい匂い」といっていらっしゃる方がいて、そういう発言を聞くとなんだか安心して見ていられました。それで調べてみますと、「香り」は良いにおいのするもの全てに使って良いらしいのです。ですからお料理に「いい香り」といっても間違いではないらしいのですが、「香り」そのものがいい匂いを表すものなので、「いい」と言うところが重複するようです。「匂い」には、いい匂いと嫌な匂いがあって、漢字で書けば「匂い」と「臭い」の違いになります。ですからお料理は「いい匂い」と使えますが、ゴミや体の匂いは「臭い」を使うのです。昨日、見るともなくテレビをつけていましたら、旅番組のようなものをやっていて、あの荒又宏さんが出ていました。荒又宏さんといえば、「帝都物語」「帝都大戦」という大作小説を書かれた方です。映画にもなったのでご存知の方も多いと思いますが、東京を壊滅しようとする魔物(?)勢力と、近代化を図っている日本の政治家・経済界の人達との戦いを描いた壮大なドラマです。平将門まで出てきて、帝都東京を繁栄の都にするために、あちこちの鬼門を封じたことが描かれていて、それは面白い小説です。博学な方としても、良くテレビに出ていらっしゃいます。その荒又宏さんが、硫黄の臭いの強い地獄谷に立ち、「硫黄の香り」と言ったのです。その後も同行者も「香り」といっていたので、荒又さんは硫黄は「香り」だと思っていらっしゃるようでした。でも決して「いい匂い」の意味で使っているのではないことが、鼻をつまむようなポーズや、その後の話し具合でわかりました。つまり「臭い」と言いたかったのでしょう。何度も言いますが、「香り」はいい匂いを含んだ言葉で、「臭い」と感じたときに使うものでは有りません。何でも「香り」と言ったほうが上品そう、なんて誤った考え方が根底にあると見ました。荒又さん、尊敬する作家であるあなたにだけは、この間違いはしてもらいたくなかった。硫黄は臭うのであって、けっして香りませんから。もちろん、浅学のみでありますので、間違いがあったら教えていただけると幸いです。
2010年09月26日
コメント(13)
週明けは猛暑で、半袖・短パンで汗をふきながら家事をしていたのに、昨日は寒くてブルブル。居間が畳みの部屋で、冷たい足ざわりは寒がりの私には耐えられません。そこでホカホカカーペットを早々と取り出しました。畳の上に敷いただけで、部屋が暖かい。一応試運転で電源を入れてみると、なんと温まらない!30分経っても1時間経っても、全然温まらない。接触不良かとも思ったけれど、コンセントを変えても見たけれど駄目。もう5年以上使ったから断線だね、きっと。ああ、買い換えなくちゃあ。また物入りだああ。いろいろ夏物を整理しなくっちゃね。まずお世話になった衣料品を、家で洗濯するものとクリーニング屋さんにおねがいするものにわけなくっちゃ。そうそう、和室の外にかけておいた簾、毎年丁寧に洗剤をつけて洗い、しっかり乾かして新聞紙を巻き屋根裏収納庫に片付けていたけれど、今年はもう捨てよう。真っ黒になり、糸も外れて、ボロボロになってしまった。上下の竹の部分は手で折り、簾部分ははさみで2つに切り、ゴミの袋に入るよう小さくした。台風の影響で風が強い。しっかり上着を着て出かけたが、用を済ませて18時ごろ最寄り駅に降り立つと、冷たい風が体温を奪う。よし、今夜は冬メニュー。朝、外出の前にさばの味噌煮を作っておいた。映画を観に行った23日に、伊勢丹府中店の地下で4切れ500円の、ピカピカのさばを手に入れたから煮てみた。でも私は魚は苦手。で、自分用はこんにゃくのピリ辛炒め煮を作った。ご飯は黒豆ご飯。作り方はとても簡単。炒ってある黒豆ではなく、ポンとはざしてある黒豆を使います。デパートなどの乾物売り場や、物産展などで手に入れていますが、そのままポリポリ食べるのが本来の食べ方。いつもの水加減のお米に、黒豆と塩を少々入れて普通に炊きます。炊く前に水に浸しておく時間が長いほうが、黒豆から色や味が染み出しておいしくなります。朝食べたければ、前の晩から浸しておくと良いでしょう。塩はほんの少々です。お水に溶けたとき、塩味が有るか無いかわからないぐらいで良いみたいです。炊き上がると、お米がきれいな紫色のような墨色になっていて、お出しが豆からじんわり出ていて、本当においしいんですよ!随分昔、京都に旅行に行ったとき、清水寺の近くの黒豆の専門店で昼食をいただいたのですが、その店で出された黒豆ご飯がおいしくて作り方を教えてもらいました。それ以来、我が家の好評メニューになりました。あんまり風が冷たくて、久しぶりに茶碗蒸しが食べたくなりましたので、駅前のスーパーで三つ葉とささみを買って帰りました。干ししいたけを戻してお出しをとります。混布出しを足して、卵を溶いて入れます。具は家に有るあり合わせ。ささみと花麩、かまぼこと三つ葉と、柔らかくなった椎茸。ほんとうは銀杏が大好きなので入れたいところですが、今年はまだ銀杏を手に入れてないので、残念ながら今回は入りません。きゅうりが残っていたので、わかめと酢の物にしました。お酒もいただきました。体が温まるよう、超熱燗です。彼はいつも、そんなに熱くしたら酒の味がしなくなる!と言うのですが、そんなことはありません。酒の味は濃くなりますし、アルコールも飛んだりしません。その証拠にしっかり酔えますから(笑)。それに体がホカホカして、夜ぐっすり眠れます。冷え性の私には、絶対、超熱燗です。さて今日は、夏物衣類のお洗濯と、扇風機磨き。ひと夏大活躍してくれた扇風機君を、ピカピカに磨いて来年までお休みいただきましょう。きょうもひと働き!
2010年09月25日
コメント(14)
朝から雷雨。寒いし。。。前日ネットで席を予約しておいたので、昨日は府中のトーホーシネマーズまで出かけた。モントリオール世界映画祭で、深津絵里が最優秀女優賞を受賞した作品。私は深津絵里さんも好きだけれど、実は昔からブッキー(我が家では妻夫木聡さんのことを、みんなでこう呼んでいる)のファン。いつもさわやかな好青年ばかり演じていると思われがちなブッキーだが、結構ちょい役で妙な役も演じている。一番印象に残ったのが、寺島しのぶさん主演の映画で(ごめん題名を忘れた)鬱のホストの役。何でこの映画にブッキーが出ているんだろうと、首を傾げたくなるような役だったけれど、性格は良いけれど気弱で鬱でしかもお水、、、、なんて妙な役を演じていた。そのほかにも、ちょい役であちこち出ているのを、その映画にブッキーが出ているなんて知らなくて観た映画で見かけた。今回この作品を観て、そういういろんな役を演じたことが今の彼につながったのかな、と思った。今回の映画は、今までの彼のイメージをすっかり吹き飛ばすような殺人者と言う役。ブッキーの金髪が話題になったけれど、私はその金色の前髪の下から覗く暗い目の、なんともいえない凄みのある光がとても気になった。生まれ、育ち、今のやりきれない立場、誰かと出会いたいと切に求める心、それらがその目に表現されている。そして、祖父・祖母と共に暮らす、無口だが心優しい解体工という役柄だったが、少し首を前に出し、こころもち背中を丸め、しぶしぶと言うようにけだるく歩いている、今時の目的を持たない若者を良く表現していて、俳優としてのの力量を見た。彼は携帯の出会い系サイトで知り合った女性を、殺してしまう。その後、やはり出会い系でであった光代(深津絵里)からメールをもらい、会いに行く。ここではストーリーは書けない。まだ観ていない人が多いだろうから、その楽しみを奪いたくない。深津絵里の演技は、さすが最優秀女優賞を受賞しただけのことはある。「博士の愛した数式」の時は可憐でけなげな演技、今回は全うだけれど寂しい女性を演じる。それに脇を固める俳優人の凄さ!私の大大大好きなえもっちゃん(柄本明)・樹木希林・余貴美子・塩見三省・井川比佐志・宮崎美子。これでもかと言うぐらいの俳優陣だ。樹木希林が祖母の役だったが、顔がアップになるたびに老人特有の光のない目をしていて、どうしてそんな目を演じることが出来るのだろうと、驚嘆した。えもっちゃんは、突然の理不尽に、怒りの持って行き場のない父親を、演じていた。観ているこちらが辛くなるような親の心情が、ズイーンと伝わってくる。人を殺してしまったことは、誰にも許せない。だからブッキー演ずる祐一は、まごうことなき悪人だ。だが彼だけが悪人であるはずがない。その犯罪の影に、大勢の悪人とその取り巻きたちがいる。書けないのが辛いが、最後につながるシーンは怖いぐらい彼の思いが伝わるのだ。光代への精一杯の思いと行動。ロケは、博多・長崎・佐賀・平戸・五島と、九州を巡る。圧巻は灯台のシーン。この世の果てのような地にその灯台はあり、周りに人家も道も無い。なんとこの美術監督が、種田陽平。今はスタジオジブリの作品「借り暮らしのアリエッティ」で名前を知った人も多いと思うが、「ヴィヨンの妻~桜桃とたんぽぽ」でも徹底的な時代背景にこだわった人で、今回も一つ一つの画面に強いこだわりを感じたが、灯台とその小屋のシーンにはこれ以上ないと思わせるような、ストーリーとの整合性だった。李相日監督作品を、私はフラガールぐらいしか観たことがなかったが、この人の作品をもっと観てみたいと思った。原作も読んでみたい。久々に、心を振るわせる映画に出会った。もう一度、もう二度、観てみたい映画だった。
2010年09月23日
コメント(8)
昨日は月見団子のリクエストをされたので、高幡不動の京王ストアーまで上新粉を買いに出かけた。11時ごろ家を出たんだけれど、これがもう猛烈な暑さで、しっかり帽子をかぶり日傘を差していてもクラクラする。ちょっとの買い物だからと、常時持参している麦茶を持ってこなかったことを悔やんでももう遅い。あまりの暑さに、自転車で走っている人も少ない。日陰を選びながら歩き、ようやく京王ストアーに着いた。まず目に飛び込んできたのが、お萩。きなこと粒餡、それにゴマの3種類。ここで手作りしたらしい、少し無骨なお萩。ん、彼は団子かお萩を買っておいてくれと言ったのだったなあ、などと思いながら粉もののコーナーへ。上新粉の横に団子の粉。そうか団子の粉も有るんだと思いながら、説明書きを読んでいたら団子の粉の方が簡単そう。でも買い物の前に、本屋に寄ろうとエスカレーターを昇った。この間から気になっていた「エンディングノート」というものが書店で売られているらしい。自分が人生を終えるとき、周囲が困らないように保険や財産の目録、葬儀の希望などを書きとめておくものらしい。なんでその本が気になるかといえば、義母のこともあったし、実の父を亡くした時にお寺さんのとられた態度に対し疑問を感じたから。仏教が嫌いなわけじゃないけれど、それどころかお寺さんめぐりは趣味だけれど、葬式仏教には関わりたくないと思ったから。残された子供たちが、お寺さんとの付き合いで困惑する事態にならないよう、きちんと書いておきたいと思ったのだ。いやあ、探しました。今回は書店の店員さんに聞きづらくて、実用書・医学書・雑誌のコーナー等々探しましたよ。おかげで関係ない本も目に付いて、ちょいちょい立ち読みしました。腰痛について書いた本、高血圧の食事の本、認知症の介護の本、今売れている平積みの小説、地図、旅行案内、料理の本・・・次々と気になると手に取り内容をチョイ読みしました。それでどこに置いてあったかというと、広い店内の隅っこも隅っこ。介護関係の方が勉強する、資格取得の為の教材のコーナーでしたよ。児童書のコーナーまで探した私は、高い棚の一番上の棚にある本をようやく見つけ、何でここなの?と独り言。何種類かありました。証券会社の出版しているものは、金融関係の財産について記入する場所が充実していました。朝日新聞の出版のものは、全体的な葬儀の流れとか社会常識的なことが、わかりやすく書いてありました。元祖「エンディング・ノート」は、記入するノートと、何をどう書けば残された人が困らないかを教えてくれる」、いわば教則本のようなものとの2冊仕立てでした。まだほかにもいろいろありましたよ。「遺書の書き方」みたいなストレートなものも。でもどの本も、自分がなくなったとき誰に知らせて欲しいか、その住所録が有りました。なるほどなるほど。現役の会社人でしたら、たいてい会社に聞けば連絡しなければならないところはわかります。でも勤め人でなければ、家族は狭い範囲のお付き合いの人しかわかりません。せいぜい年賀状のやり取りをしている人ぐらいです。遺産は、正の遺産だけではなく、負の遺産も書いておかなければならないことがわかりました。保険は整理して一覧にしておけば、病気で入院というときも役に立つ。自分史を書く欄があって、一気に気持ちが引いてしまって。だって恥だらけの人生、書けやしないし振り返りたくもない。購入はまた今度にしようと、本を元に戻して京王ストアーの2階にあるキャンドゥへ。ここはダイソーと同じく100円ショップ。以前にここで購入したボーンチャイナの白い洋食器が、薄くて軽くてデザインも良く、使い勝手がとても良かったので、追加で購入しようと思ったのです。スープカップとサラダボール、パン皿を2枚ずつ買いました。サイズが小さめなのが、ちょうどいい。で、また食品売り場に戻りました。まだお萩にするか団子にするか決めかねていると、惣菜を作っているバックヤードからなんとできたてのお萩が運ばれてくるではありませんか。プーンときなこの香ばしい匂いがたまりません。もうお萩で決定です。本当は3種類全部買いたいのだけれど、カロリーが気になるのできなこと粒餡の2種類を買いました。さて夕食の後お萩をいただいたのですが、それはもうもうおいしくて、甘さも程よく、きなこがかぐわしく、私も彼も大満足をしたのでした。夕食後、裏の田んぼに出てみました。風が、昼間の暑さが嘘のように涼しい。月は、曇りの空でまあるく輝いていました。そのとき薄い曇の塊が月にかぶさりました。月にむら雲。風情があるわあ、なんて見ていたらその雲が通り過ぎて、一段と月が輝いたのです。月は自分で光っているわけではないのに、なぜか雲の通り過ぎた後に一段と輝いたのです。なんだか月に人生を教えられたかのように、感じてしまったのです。雲もまた良し、、、、ですね。
2010年09月23日
コメント(2)
今日は十五夜。でも東京は、夜雨の予報。昨日連れ合いが会社から帰ってくると、「外はきれいな月だよ。今夜のうちに見ておいたほうが良いかも」と教えてくれたので、夕食の後裏の田んぼまで出てみた。ちょっと曇っていたけれど、夜空にぽっかり浮かんだまん丸な月。お月様の中には、何か居た。うさぎではないみたいだったけれど、なんだか動いているようだった。月を見ていたら、子供の頃の岐阜の家での十五夜を思い出した。母は忙しい人だったけれど、良くいろんなものを手作りしてくれた。お萩、お汁粉、サツマイモのふかし饅頭・・・。十五夜に母が作ってくれたのは、お団子と里芋の煮物。普通、上新粉でまん丸なお団子を作ってお供えしますよね。でも母のお供えはちょっと違うのです。小粒の里芋を茹で、上新粉で作るお団子は里芋の形に練り上げます。お団子を作るときは私と妹が一緒にお手伝い。なるべく里芋そっくりに作ります。お団子と里芋は、醤油と砂糖で甘辛く煮てそれをススキと一緒にお供えします。さて、夕食にもその煮物が出ます。子供達はお団子が食べたいので、煮物をよーく見てこれがお団子だと思うものを選ぶのですが、ときどき里芋を選んだりして・・・。食卓に笑い声が響きます。贅沢なものは何もないけれど、おいしい食卓。残念、里芋だったとがっかりする私を、妹や母が笑ってみています。懐かしい、懐かしい、思い出。昨日義母に電話しました。敬老の日に、町会で日帰りのお風呂に連れて行ってもらったと、明るい声でした。「おいしいもの食べた?」と聞くと「ウン、おいしいものいっぱい食べたよ」と楽しそうな返事。ケアマネージャーさんにも電話しました。義母はとても印象に残ったことだけは、よく覚えていて会話になるんだけれど、それ以外はあまり記憶に残らないらしいとのこと。電話をかけて、何でも良いからお話しすることが義母のためになると言われました。そうしましょう。話しかけましょう。あ、今朝ツレさんから言われたんだった。お団子買っておいてって。上新粉、あったっけ?あったら自分で作ろうかな。
2010年09月22日
コメント(0)
皆さんは蕎麦派ですか?うどん派ですか?私は岐阜県岐阜市の出身。20歳頃まで岐阜に育ちましたので、蕎麦を食べたことがありませんでした。冬は味噌煮込みうどん。たまに名古屋に出かけると、きしめんがご馳走でした。ところが上京してから、蕎麦と言う食べ物を知ったのです。今は無いのですが、池袋の東口、西武デパートの向かい側に「朝日屋」という蕎麦屋がありました。真っ黒なつゆに、蕎麦からねっとりとした甘味が出て、それはそれはおいしい蕎麦屋さんでした。あと名前は忘れたけれど、池袋のパルコの側にあったお蕎麦屋さんは、ざる蕎麦を10枚以上食べると名前を店内に張り出してくれるので、挑戦したことがありました。いやあ、食べましたよ10枚。そのとき、蕎麦と言うものは後からお腹の中で膨れてくるものだと言うことを知りました。だから、しばらくして苦しくなった。食べているときは、平気だったのにね。このごろ昔食べたねっとりしたおいしい蕎麦が食べたいと、強く思うようになった。いろんな蕎麦屋さんで食べたけれど、蕎麦の香りも大事だけれど、朝日屋で食べたおつゆに出会えない。昨日は連れ合いが友人からのお誘いで外出。しめしめと私は蕎麦を茹でました。何故しめしめなのかと言うと、ツレさんは蕎麦が嫌い。一緒のときは食べられないのだ。先日スーパーで10割蕎麦と言う乾麺を買っておいた。つゆは、これは致し方なく市販のものに少し味を足しただけですけれどね。でも頂き物の生椎茸が有ったので、油揚げとあまがらく煮ました。かまぼこと葱を刻んで、今日は掛け蕎麦にしたのです。お店で食べる蕎麦とは比べ物にならない味だけれど、少し楽しめましたよ。でも、やっぱりおいしい蕎麦が食べたい!蕎麦の香りがして、ねっとり濃いお出汁のつゆのお蕎麦。よく蕎麦屋の前で鼻をくんくんさせ、匂いをかいで見るけれど、食べて見たい蕎麦屋にまだ出会えないでいます。東京の下町に言ったらあるかなあ。こんど浅草あたりを散歩することがあったら、蕎麦屋さんの前で鼻をくんくんさせてみよう。
2010年09月21日
コメント(12)
とても穏やかな秋の日。家にいるのはもったいない、でもどこに行っても渋滞と混雑。で、散歩にいこうとツレさんと意見が一致して、ネットで散歩コースを探した。タチカワオンラインというページで「谷保天満宮・城山・ママ下湧水公園」という散歩コースの紹介記事を見つけた。惹句は、「谷保を流れる湧水路を巡り、田園風景を散策する秋の郷土ウォーキング」だって。ぴったりの雰囲気。それで地図の載っているページをプリントアウトして出かけた。紹介されているコースは、南武線谷保駅から始まるコースだったけれど、私達は自宅との位置関係から逆に歩くことにした。まず目指すは「ママ下湧水公園」。浅川の土手を歩き新井橋を渡り、日野バイパスを歩いて国立市側に入った。少し歩き中央道の下をくぐると「ママ下湧水公園」の案内と農業用水の水路が現れた。「ママ下」ってどんな意味なんだろうと思っていたら、「ママ」は崖のことだと看板に書いてあった。なるほど、約2メートルほどの断層が崖のようで、断層からも地面からもきれいな水が湧いている。ちょうど地域の保全をしているボランティアグループが、周辺の雑草刈りをしていらしたので話しかけてみた。ここの湧水は、一年中16度くらいで、夏は冷たく冬は暖かく、特に冬の朝は外気温との差で川霧のようになり、とても幽玄だとのこと。水は澄んでいてとても冷たく、こんな身近に湧水があるなんて感激です。その方に教えてもらい、湧水が注ぎ込む用水路に沿って歩いてみた。自転車に乗った少年達が、釣り道具をもって走りぬいていく。あら、用水路に釣り竿を垂らしている叔父さんの姿も。また声をかけてみた。おじさんは小さなおもちゃのバケツの中の、吊り上げた肴を見せてくれた。長さが6センチぐらいの細い魚が泳いでいる。と、ぴょんとバケツから跳ねだして道路に。おじさんは笑って「かわいそうだから返してあげるよ」と言いながら、用水路に戻していました。おじさんにお礼を言ってまた水路沿いに歩きはじめた。「この先行き止まり」の表示があったが、人は通れそうです。途中水路に面した何軒かのお家は、庭に椅子やテーブルを置いてまるで別荘のように暮らしている。自分で作っただろうオブジェが庭に飾ってあるお家もあたりして、さすが文化の匂い立つ地、国立です。ヤクルトの中央研究所と言うところを通り越すと、もう城山公園と古民家です。「谷保の城山歴史環境保全地域」という看板が立っていました。武蔵野の面影の濃い雑木林と草花を、大切に保全しているようです。古民家は、旧柳沢家の住宅とのこと。農家を移築したもので、家の中に厩があり、古民具が置かれ、機織機が存在感いっぱいです。囲炉裏には火が炊かれていて、木の燃えるいい匂いがしていた。縁側で持参した麦茶を飲んでいると、心地よい風が吹いてきました。なんだかこのままこの縁側でお昼寝したくなってきました。重い腰を上げ、城山の雑木林に入って行くと昼でも薄暗く、すぐそこに民家があるというのに今にも熊が出てきそう。「マムシに注意」のたて看板があちらこちらにありました。おおこれは怖い!雑木林を抜けると、甲州街道を歩いて谷保天満宮へ。ここは娘達が高校受験のときお参りに来たお宮さんです。そして元気な鶏達が境内を闊歩しています。広い梅林があり、梅の季節は大変な賑わい。お参りをして、境内を散策し、谷保駅に。南武線に乗って分倍河原駅で降り昼食をいただきました。のんびり中華ランチをいただいて、再び分倍河原の駅へ。ここから京王線で帰ります。ところが、駅の様子が変。なんだかざわついているのです。改札のところに、「12時55分、東府中駅で人身事故。運転見合わせ中」の表示。時計を見ると13時。つい5分ほど前の事故です。東府中駅は、分倍河原より2駅新宿寄りです。人身事故がたいしたことではないことを祈りながら、ホームの椅子に座って待つことにした。京王線は事故の処理がとても早く、いつも運転再開にそれほどの時間がかかりません。そしてアナウンスもいつも的確で、待っている乗客がイライラすることはありません。14分遅れで運転が再開されました。きっとそれほどの事故ではなかったのだろうと、ほっとして電車に乗り込んだ。ところが夜のニュースで知ったのですが、67歳の少しからだの不自由な女性が、25メートルもある踏切を渡りきれずに電車にはねられ死亡したと言うのです。なんてお気の毒でしょう。先日義母の様子で胸を痛めたばかりだったので、よけいそのニュースが辛く感じられました。京王線は線路の高架を進めたり、駅舎を整備してバリアフリーにしたり、とても乗客を考えてくれる電鉄会社です。駅員さんもとても親切で、会社の教育の良さが伺えます。でも先日新宿駅で、酔って立ち上がったときにふらついて、一番前で電車を待っていた人がホームに入ってきた電車に接触して死亡するという悲しい事故が起きたりして、このところ良いニュースがありません。とても残念です。京王線ファンとしては、良き具体的対策を立ててくださることを期待します。さて、そんな悲しい事故が起きているとは思わず、電車が多摩川の鉄橋を渡りきろうとしたとき、河原にたくさんテントが張ってあるのを発見。さては何かイベントをしているのだと思い、途中下車。なんと「多摩ロックフェス」をしていたのです。主にアマチュアバンドが交代で演奏していました。小さな子供が演奏にあわせて踊っています。若いお父さんお母さんも、子供を挟んで踊っています。あら、抱っこ紐に赤ちゃんを抱っこしたお父さん、子供を小脇に抱えたママまで踊っています。なんとおおらかで楽しい風景でしょう。いろんなコーナーがあって、歌遊びをしたり、木の切れ端で作った積み木を高く積んで遊んでいるコーナーがあったり、良く工夫して親子が楽しめるようになっていました。なんだか盛りだくさんの一日になりました。約3時間、16,910歩のお散歩。移動距離は9.4キロと、携帯の歩数計が教えてくれました。便利ですね。心地よい疲労感。良き一日でした。
2010年09月20日
コメント(2)
私の住む地域は電波障害地域で、大昔に引っ越してきたときはテレビの画面が2重だった。やがて東京電力の大きな鉄塔が建ち、そのおかげで電波障害地域に指定されケーブルテレビからの受信になった。おかげでくっきり画面が写る様になったが、そこで残ったのが不用の屋根の上のアンテナ。こうなると大風の度に不安になる。折れたりしてご近所に飛んでいって、ガラス窓を割ったりしたらどうしよう、、、なんて。でもアンテナ工事だけでは電気屋さんに頼みにくくて、ずーっとそのままになっていた。ところが地デジになると、電波障害が発生しなくなり、これからはその恩恵も受けられなくなるということがわかった。そんなことはもっと早く言ってくれよ、と思わず叫んだ。だって、アナログのテレビが完全に壊れて、仕方なく地デジ対応テレビに買い換えたのがほぼ1年前。知っていればそのときUHFのアンテナを買って、今のアンテナと付け替えてもらえたのに(ぷんぷん)。それでケーブルテレビの営業の人に来てもらって、いろいろ相談をした。今まで無料だったケーブルテレビの視聴が有料になるとのこと。だから私は言いましたよ。それを知っていればとっくにアンテナ立て替えていたよ、って。営業マンは恐縮しきり。自分達もあまり知らされていなくて、ケーブルテレビを視聴している家庭にアナウンスできていなかったとのこと。で、今一番お金がかからない対応策を考えてもらった。まあ、ケーブルテレビの思う壺にはまっただけかもしれないけれど。今インターネットをケーブルテレビでしているので、その料金が月5,460円かかっている。あ、ケーブルテレビだと別にプロバイダー料金がかからないんです。それを接続スピードの少々下のランクにして、電話もケーブルプラス電話にしてNTTはやめる、そしてテレビの視聴の3点をセットにして月額6,090円。それにナンバーディスプレイの表示をオプションでつけて、プラス420円。合計6,510円で、電話・テレビ・インターネットが利用できることになった。そしておまけが古いテレビアンテナの撤去サービス。それで昨日バケット車がやってきた。道路から長いはしごを伸ばして、あっという間にアンテナを取り外して持っていってくれた。ああ、すっきりした。屋根の上には、もう何も乗っていないから風が吹いても安心。それにケーブルプラス電話は、長距離も安い。県外通話が3分間で15円。NTTの1/3だ。これで佐世保の義母ともゆっくり話ができる。それに今まで見れなかったBSの無料チャンネルも見られるんだって。全体で3,000円ほどの経費節減にもなったし、これって毎月のことだから大きいよね。とりあえず、メデタシメデタシってことでしゃんしゃん手拍子。
2010年09月19日
コメント(9)
昨日は立川に出かけた。9月4日にスポットで入ったお仕事のお給料をもらいに。でもその前にハローワークによって、お仕事探し。1件紹介してもらった。履歴書を送ろう。立川の街は、いつもにぎやか。15時にならないと受け取れないので、それまで時間つぶしのウインドウショッピング。当然、まず伊勢丹。アクセサリー・靴・バック・お洋服・・・見て歩いたよ。いつもながらに私の好みに合うのはZARAのショップ。スペインのブランドだけれど、とてもリーズナブルでおしゃれ。今回はロングフレアーの黒いスカートに目が行ったよ。ポリエステルジョーゼットのしなやかな素材で、たっぷりの生地を使ったフレアースカートが、なんと6000円台で買える。ま、今回は見ただけ。試着もしてもいないけれど、アレは絶対に着心地良さそう。動くたびに美しいシルエットを作ると見た。7階に上がると「大北海道展」をやっていた。先週の新宿は、京王百貨店・小田急百貨店・伊勢丹本店と、北海道の物産展を軒並みやっていて、テレビのニュースの報道をみて、行きたいなあと思っていたところだったので、見学。入り口から、利尻昆布200円とかお値打ち品がいっぱい置いてあった。何より嬉しいのが、伊勢丹の物産展は試食がいっぱいなこと。チーズを使ったケーキ、海産物の加工品、パンやキャラメル、昆布のスープ等々、売り場を歩くとあちらからもこちらからも、「試食していって」と声がかかる。遠慮なく試食をさせていただいて、一口ずつ珍しいものを味わってみた。イカのすり団子の入った点心なんて、まるっと1個試食させてくれて、すごーくおいしかった。お昼ごはんを食べていなかったので、ちょっとお腹にたまっていい感じ。高島屋も少しお散歩して楽しませてもらった。お給料を受け取ってからも、またまた伊勢丹へ。どんだけ好きなんだろう伊勢丹が。今度は地下の食料品売り場。国産牛の切り落とし、200グラムで税込み500円。この間580円でステーキ肉をここで買って、とてもおいしかったのでまた買ってみた。売り場のお姉さんは、200グラムをたっぷり超えた分量を量って、500円の値札を貼ってくれた。うれしい!惣菜売り場で、さばのごろっと煮というのを一切れ購入。250円。私は魚が食べられないので、連れ合いの為です。魚、それも光物系が大好きな彼は、きっと喜んでくれるでしょう。乳製品の売り場にお得なものが。ヨーグルトとゼリーの詰め合わせが525円。たっぷり数量もあり、賞味期限も長いので当分楽しめそう。そのほかにもハムの詰め合わせ525円とか、マグロのお刺身・イカ・お寿司と、いろいろお値打ち品はあったけれど、二人では食べきれないので今回は諦めた。牛肉の切り落としは、焼き豆腐・ジャガイモ・こんにゃく・玉葱・シメジとあわせてすき焼き風煮物に。やはり国産牛はおいしい。いいおだしが出た。さばのごろっと煮は、油がのっていて身離れもよく、プリッとしていてとてもおいしいと連れ合いが喜んでくれた。良かった。さて、今日はケーブルテレビがバケット車でやってくる予定。屋根に乗かったまま使わないアンテナを撤去しに。先日電話をケーブル電話に切り替えたので、サービスでしてくれるのだ。さて、お片づけ、またしなくっちゃあね。
2010年09月18日
コメント(6)
いろんなことが嵐のようにあって、コーヒーをのんびり味わう暇もなかったなあ。などと思いながら、今朝はコーヒーメーカーに粉を入れてホットコーヒーを久しぶりに作った。ゆっくりカップを口に運ぶと、フワーンとぬくもりが漂う。猛暑ではホットコーヒーを飲む気分になれなくて、なんだかとっても久しぶりの気分。やっぱ、ゆっくり飲むコーヒーはいいね。気分がゆったりする。そうそう、ツレが二男に会ってきたんだ。どういう話をしたのか詳しくは聞けなかったけれど、これを期に親に対する思いを強くもってくれたら嬉しいな。昨日はミニ大掃除をした。電話をNTTからケーブル電話にしたら、今まで置いていた部屋では使えなくなって移動しなければならなくなったので、電話機を載せていた台を動かすと、またいろいろ模様替えが必要になった。いい機会なので、使っていないデスクトップのふるーいPCを取り外したり、パソコンラックの裏側を掃除したり・・・。長く住んでいるといろいろ不用品も貯まるね。捨てたいものはいろいろあるけれど、使ってあるフロッピーデスクなんかどうすればよいのだろう。そうそうワープロも出てきた。懐かしいね。昔はこれで年賀状を印刷したりしていたんだよね。これももう捨てなくっちゃ。どうやって捨てればいいのかなあ。これから少しずつ身の回りの整理をしよう。年齢に会わなくなった洋服とかバックとか、もう思い切って整理しよう。義母の様子を見ていて、思い知らされた。本人には大事なものでも、本人以外には不要なものっていっぱいあるんだね。写真も、もういらない気がしてきた。特別な写真以外は、捨ててしまおうかなあ。山ほどあるんだ、これが。布団も、使ってないのはもう捨ててしまおうかな。以前のように大勢泊まりにこなくなったし。できればなるべくシンプルに暮らしたいけれど、これが結構難しい。などと、洗濯機を廻しながらコーヒーを飲んで、のんびり思ったひと時でした。
2010年09月17日
コメント(9)
毎日職探しで少々焦り気味な私。登録している派遣会社からも、ネットで紹介を受けているところからも、お仕事のお話がない。それでバイトルドットコムで検索していたら、エキストラ募集と言うのが見つかった。年齢不問で、その会社に登録しておくとエキストラの仕事の紹介をしてくれると言う。駄目元で登録して送信してみた。すぐバイトルドットコムからメールが送られてきて、その会社に電話して登録をしてくださいと書いてあった。でも、ちょっとためらうものがあって電話をしないでいたら、メールが届いて10分もしないうちにその会社から電話が入った。調子の良い明るい男の声で、とにかく面接に来て欲しいという。今日(16日)に面接に行く約束をした。でもなんだか怪しい。こういうものは、良くある登録料とかレッスン料とかを稼ぐのが目的の会社ではなかろうか?それでネットで調べてみた。ホームページは一応もっともらしい、芸能プロダクション風。でも口コミは、とんでもなかった。面接して全員合格させ、週2回のレッスンを受けさせるのだという。そのレッスン料金が半年で50万円!金のない人はローンを組ませるのだという。危ない危ない、もし面接に行っていたら、ローンの書類にはんこを押すまで帰してくれないに違いない。後で電話して面接をキャンセルしよう。バイトルドットコムもいい加減な情報を載せるものだ。いくら最終的には自己責任だといっても、この会社は常時掲載しているみたいなので、悪い噂も届いているはずだと思うのだけれど。さて、今日は東京は大雨です。とても寒くて、今長袖の厚い生地のトレーナーを着ているのに、風邪を引きそう。昨夜は冬布団を出して寝た。寒がりの私には、突然初冬が来てしまった気分だ。猛暑の後の強烈な気温の低下。たまりません。お願いだから少しずつ寒くなって行ってね、地球さん。さあ、今日は家の掃除と夏物の整理、頑張るぞ!
2010年09月16日
コメント(8)
9月11日・12日と博多に行きました。どこにいるのか何をしているのかわからない、三男を探す為です。三男はズーッと独身で、これといった定職に付かず、名古屋・岐阜近辺を転々としていました。もう何年か前、佐世保に帰って職を探したいが借金があるので帰れない、金を貸してくれと言ってきました。義母を一人暮らしにさせておくのには不安があったので、三男が実家に帰って義母と一緒に暮らしてくれるのならと、かなりまとまった金額を用意しました。しかし彼はなかなか佐世保には帰らず、もちろん私達に返済などなく、連絡も付かず、どうしたものかと思っていたところ、1年と少し前突然電話があり「今実家に居る。これからは佐世保で職探しをする」と言って来たのです。連れ合いとともに、とにかく義母が一人住まいでなくなったことを喜び、どんな仕事でもよいからまじめに働いてくれることを願っていましたが、とうとう佐世保では仕事が見つからず、7月の末ごろ、一人博多に行ってしまいました。義母曰く、出て行ってから電話も何の連絡もないとのこと。佐世保に居たときの1年間は、私達が義母に仕送りをしたわずかな金額で生活していたようで、生活費の類は全然入れていないようでした。食費も入れないどころか、酒まで買ってもらって飲んでいたようで、私達が実家の掃除をしたとき2リットルの紙パックの酒の空き箱が、いっぱい出てきて驚いたほどです。そんなちゃらんぽらんな無責任男ではありますが、一応息子ですから、生活保護の申請のことや今後のことを話さなければと思い、博多まで足を運びました。連れ合いが携帯に電話を入れても、三男は出ません。私の携帯から電話してみましたら、ようやくつながりました。それで博多駅で待ち合わせをして、喫茶店で話をしました。まず三男の現況を聞いてみました。日雇いの派遣会社に登録して、住まいはそこの寮みたいなところに1日1500円で住まわせてもらっているとのこと。8月は学校の補修作業のような仕事が有ったが、9月に入ってはほとんど仕事がないとのこと。月に6万円ほどにしかならないので、寮費を払うので精一杯とのこと。義母のことを話しました。物忘れがひどくなっていること。生活に支援の必要なこと。子供達が仕送りをしてあげられないのなら、生活保護を申請するほかはないこと。ついこの間まで一緒に暮らしていたくせに、三男はまるで他人事です。「佐世保で仕事が見つからなかったのは仕方が無いとして、どうして一緒に一年も暮らしていながら、あんなゴミ屋敷にしておいたのか?せめてゴミ出しや掃除をしてやろうとは思わなかったのか?」つい、私は詰問してしまいました。三男曰く、何を捨てて良いか悪いか判断が付かなかったのだそうです。もう一言、言いました。「ケアマネージャーやデイサービスの担当者は、あなたが同居していると思い少し安心していたのよ。一人暮らしにするのならするで、どうして担当者に連絡しなかったの?独居老人だと福祉の対応が違うでしょ!」三男は何もこたえませんでした。この無責任男!自分の母親の命を何だと思っているのだ!!!!叫びたい気持ちを抑えて別れました。そして東京に帰って来たのですが、もう一人の無責任な弟、次男にも会わなければなりません。黙って一年以上前から義母への仕送りをしていない弟です。事情は、わかります。それは、責めない。でも私達に黙って仕送りを止めてしまったことは、あまりに無責任。自分の母親が食べていけなくなるのは、目に見えているのに。今日仕事の帰りに、ツレが次男と会うことになりました。さてどんな話しになるのでしょうか。私は大家さんとケアマネージャーさんと母に電話をしました。大家さんの電話は「この電話はご本人様の都合で、現在通話できなくなっています」というアナウンスが流れるのみ。連絡が付きません。「昨日ケアマネージャーさんが訪問してくださったのね」と義母に電話すると、「来ていない」と言うではありませんか。昨日ケアマネージャーさんから、「ご訪問したけれど生活保護の申請用紙が見つからない」と電話があり、30分ほどして後「見つかりました!」と連絡をいただいていたのです。電話口にメモ用紙と筆記具を用意させ、「保険証が2通、市役所から届く。郵便局から通帳と書類が届く。書類は東京に送る」と書いておいてもらいました。どうなるかわかりませんが、耳で聞いているだけでは忘れてしまうようなので、なんでも書いておくように言って見ました。そしてケアマネージャーさんに電話をしました。そこで昨日はケアマネージャーさんと、社会福祉士の方と2名で訪問してくださったこと、今日は社会福祉士の方が義母に同行してくださり、銀行にて紛失届けを出してくださったことをお聞きしました。「権利擁護」の手続きをしたほうが良いとのアドバイスをいただきました。権利擁護とは、高齢などにより判断能力が不十分な人が、地方の社会福祉協議会と契約して、通帳の管理や受けられる福祉サービスの手続きの代行などをしていただけるというものだそうです。なんとありがたい制度でしょう。何度通帳を作成しなおしても、今の義母はまた紛失してしまうでしょう。だれか身近な人に管理をお願いしたい、と考えていたところだったので、手続きをしていただけますようお願いいたしました。ケアマネージャーさんは、私たちが不安にならないよう、書類のコピーを送ってくださるとのことでした。何から何までしていただいて、本当にありがたく涙が出てきました。施設への入居も考えたいと相談しましたら、いずれそうなる日は来るだろうけれど、まだ本人が元気で自活できているので、もう少し様子を見ましょうとのお話でした。確かに義母は、慣れた場所では自分でほとんどの事が出来ます。今環境を変えると、一挙に痴呆症状が進んでしまいそうで、それも不安です。義母がのんびりと、生きている時間を楽しめるように・・・、それが一番ですから、今は何とかケアマネージャーさんとこまめに連絡を取り合って、義母の様子を見てゆこうとと思っています。
2010年09月15日
コメント(4)
昨日は久々に友人宅へ出かけた。5月に出産して子育て奮闘中のA子から、赤ちゃんが風邪を引いたという電話をもらったので、様子を見に。このところ私の顔を見ると激しく泣くようになってしまった赤ちゃん。まだ3ヶ月で人見知りは早すぎるだろうし、嫌われたのかとちょっと落ち込んでいた。今回も盛大に泣かれるのかと思いきや、なんとニコニコ顔。前回は抱っこも嫌がって大暴れしたのに、昨日はすんなり抱かせてくれた。首も据わってきて、縦抱っこが出来るようになった。風邪もそんなに大変そうではなく、咳と鼻水程度だった。お医者様からいただいた液体のお薬を、A子からスポイドで飲ませてもらうと、とってもおいしそうに飲んでいた。少々の量では物足りないようで、「もっと頂戴」って顔をしている。いっとき咳もひどかったらしいのだが、お薬のおかげでもうほとんど大丈夫なようだった。猛暑もひと休みのようなので、お散歩に出た。赤ちゃんは外の空気が好き。近所の公園の木陰に座って、母親と幼児たちの遊ぶ姿を見ていた。走ったり転んだり、泣いたり笑ったり、とても忙しくコロコロ変わる子供たちの表情は、見ていて飽きない。赤ちゃんも私の膝の上で、子供たちの遊ぶ姿を目で追って、仲間に入りたそうにしている。そうね、お座りが出来たら仲間に入れるね。木陰を吹く風は涼しく爽やか。昨日までの気温とまるで違う。昼過ぎA子宅に戻り、赤ちゃんをベッドに寝かせあやしてみる。何度も繰り返してあやしていると、鼻にしわを寄せて飛びっきりの笑顔!そしてキャッキャと声を上げて笑ってくれた。赤ちゃんの笑顔と笑い声は、このところ苦しい思いでいた私を慰めてくれた。掃除と洗濯を手伝って帰宅。ほっとしたひと時だった。でも、今日はこれから佐世保の義母の大家さんに電話をしなければならない。退院していらしたようなので、義母が何ヶ月分家賃をためているか聞かなければ。あとケアマネージャーさんにも電話しなければ。昨日彼女から電話が掛かってきて、義母宅に訪問したけれど生活保護の申請用紙が見当たらないとのことだった。また義母がどこかへしまい込んで、行方がわからなくなったらしい。どうしようかと考え込んでいるところに、「見つかりました」と再び電話があった。良かった。ケアマネージャーさんが探し出してくださったようだ。介護の現場は大変なのに、良くしていただけてありがたい。近い将来施設への入居も考えなくてはならないかも。さて、私の仕事も見つからないし、先日登録した派遣会社からもあれから連絡がない。何とかして探さなくてはね。
2010年09月15日
コメント(1)
9月10日、ケアマネージャーとデイサービスの担当の方と面談しました。それぞれいらっしゃる場所が違うので、移動が大変です。やはり義母は物忘れがひどくなっていると言われました。でもその割には元気で、体重も減っていなく、きちんと食事は全部食べきっているとのこと。手芸の好きな義母ですが、刺し子のような刺繍の作品を見せてもらいましたが、とても90歳近い人が縫ったと思えないほどのきれいな針目でした。ただ経済的には相当困っているようで、デイケアサービスの費用を3ヶ月貯めていました。家賃と合わせると15万円ほどになります。ケアマネージャーには、高齢で一人暮らし、それに借家住まいで息子さんたちからの仕送りがこれからも望めないなら、いっそ生活保護を申請したらどうかと提案されました。それと言うのも、義母の様子を見ていて私は在宅での介護も必要なと思ったので、費用のことを確認したからなのです。週に何回か在宅介護を受けるよう義母にケアマネージャーが勧めても、費用のことで断っているとのことでした。デイサービスの担当の方も、野外での活動など別料金の時には義母は参加しないと言うのです。たぶん費用の問題でしょうとのことでした。私達はとりあえず仕送りを続けていましたが、二人の弟達が断りもなく1年以上前から仕送りをしていなかったようで、義母は困窮を極めていたのでした。二人の弟達はいずれも失業中で、自分の生活もままならない様子。そして我が家も私が職を失い、連れ合いの仕事も来年3月までしかありません。その後はどうなるか、仕送りを続けられるのか不安でいっぱいです。ケアマネージャーがおっしゃるには、生活保護を受ければ家賃の保護があり・介護費用・医療費の心配がないとのことでした。けれども3人も息子達がいて、義母を支えてあげられないなんて、なんて情けない話でしょう!私は怒りがこみ上げてきて抑えるのが大変でした。でも今は現実的に義母の生活を考えなければなりません。義母を家に迎えに行き、市役所の生活福祉課をおとづれ生活保護のことで相談してみました。担当の方は大変丁寧にこれまでのいきさつを聞いてくださり、義母からいろいろ聞き取り、申請用紙を渡してくださいました。申請用紙はなかなか渡してもらえないと聞いていたので、担当の方も義母には生活保護が必要と判断されたのでしょう。ただこれから申請をしても、果たして調査段階でどうなるかはわかりませんが、とにかく申請をしてみることにしました。ただ、私達が申請に必要な書類を整える時間的余裕がありませんし、申請のとき付き添うことも出来ません。ケアマネージャーさんに電話をしてお願いしましたら、快く引き受けてくださいました。本当にありがたいことです。市役所の人に義母の持っている保険証類を見せているうち、2枚が期限切れになっていることを指摘されました。大急ぎでその2枚をもって市役所の本館と別館を走り回りました。「福祉医療費受給者証」と「後期高齢者医療限度額適用・標準負担額弦楽認定証」というものです。どちらも1年以上前に期限が切れていました。本人はそれをわかっているようですが、申請が面倒でしていなかったらしいのです。駆け足で担当窓口を廻り、新しく発行してもらえるようお願いしました。1週間ほどで郵送されてくるそうです。そんなこんなで夕方になってしまいました。義母を家まで送って、お別れです。これから博多に行かなければなりません。弟の一人が博多で日雇いのようなことをしているらしいので、会って話をしなければなりません。話をしたからといって、どうなるものでもないとはわかっていますが、あまりにも無責任な弟の態度は、やはり認めるわけにはいきません。またまた続きます。
2010年09月14日
コメント(8)
9月9日、まず佐世保市役所の高齢者福祉の担当課に行き、介護保険制度のあらましを教えてもらい。義母の担当のケアマネージャーと連絡を取ってもらいました。それからスーパーでゴミ袋と紐、防虫剤等をたっぷり購入し義母の家に。まず、居間に有るおびただしく積み上げられた箱の山を解体しました。箱の中から出てくるのは、何でこんなものを大事に取って置くのか、全く理解できないような紙くず。お菓子の入っていた箱、洗剤の入っていた箱、どれも埃に埋まりゴキブリの糞と卵があちこちについていて、手を出すのがためらわれるようなものばかりでした。ダンボール、紙の箱、資源ごみとして処理できる紙と出来ない紙の分別。たくさんのプラスチックのごみ。カップヌードルの器・プリン等の器・佃煮の入れ物類、どれも汚いままに置いてあります。うずたかく埃をかぶった、ゴミ置き場から拾ってきたぬいぐるみたち。使わなくなっても、とりあえずとってある古い食器類。狭い居間いっぱいにゴミを分別しながら、次々にゴミ袋に詰めていきました。玄関の外にあった古いゴミの袋、もう破れてぼろぼろになっているものも、中身を確認しながら分別し、新しいゴミ袋に詰めなおしました。70リットルのゴミ袋が50袋ぐらいと、おびただしいダンボールの束、新聞や資源になる紙ごみの束、たくさんのぼろ布の袋、それらを知人の軽トラックを借りてクリーンセンターまで運びました。真夏のようなカンカン照りの中、クリーンセンターのそれぞれの処分場所に運び込みです。顔も手足も、日焼け止めは塗りましたが、強烈な太陽に照り付けられピリピリと痛みます。クリーンセンターの側に家具屋さんを見つけました。腰痛で立ち上がるのがつらそうな義母に、すわり心地の良い座椅子をプレゼントしようと思い立ったのです。椅子のように床面から少し腰掛ける位置が高くなっていて、しっかり丈夫な木の腕置きが両サイドについている座椅子を見つけました。しかも低反発のクッションと背当てが、とても具合がいいので、購入しました。これで義母も食事やテレビを観るのも楽になるはずです。あと家が古いのでコンセントが少なく、テレビを観るときは電気をつけられない、電気をつけるとテレビが見られないというのが気になっていましたので、延長コードを購入してみました。さて、取り付けてあげようと義母の家に向かうと、なんと鍵がかかっていて電話をしても出ません。義母には、クリーンセンターから帰ってきたら日帰りの温泉に行こうと話してあったのですが、どこかに出かけてしまったのか留守のようです。連れ合いは昨日からの義母(ツレにとっては実母)の態度に怒り心頭で、もう勝手にしろと言わんばかりに怒っています。「お義母さんは疲れたんだよ。いつも一人でのんびり暮らしているところに息子夫婦が来て、家の中を片付け始めたから、きっと疲れ果てたんだよ」と私はツレをなだめ、ホテルに戻りました。髪の毛の中に、ゴキの卵や糞が入ってしまったような気がして、ホテルで何度も髪を洗いましたが、なんだかすっきりしませんでした。けれども今日はツレの高校時代の友人が、一緒に飲もうと誘ってくれたので夕方佐世保の町に出かけました。友人は車で来てくれました。それはせっかくツレのふるさとに帰って来ても、ゆっくりした時間を過ごせない私をかわいそうに思って、九十九島に沈む夕日を見られる絶景スポットへ案内してくれるためです。佐世保の街は海に沿ってあり、そこには自衛隊や米軍の基地があり、巨大な軍艦がたくさん停泊していたり、佐世保重工のドックには造船中の船があったりして、他の街ではなかなか見ることのできない光景が車の窓越しに広がります。ほんの10分も走れば絶景スポットの展望台に。そこには大勢のカメラマン達が、西海国立公園に浮かぶ島々に落ちる夕日を撮影しようと集まってきています。ちょうど夕日が落ちかかることでした。島と島の間に、巨大なオレンジ色に光る太陽が、あたりを赤く染めながら沈んでいきます。海は滑らかな鏡のようで、島々は小さく姿が美しい。秋の日はつるべ落としといいますが、するすると海に引き込まれるように夕日は落ちていきました。息を呑むような美しい光景を見せてくれた友人に、感謝です。私は疲れていましたので、ちょっとだけ食事を一緒にしてホテルに引き上げました。ツレは仲良しの友人と、おもいっきり楽しんだようです。午前2時ごろ部屋に帰ってきました。すこし気分転換になったようです。でも、そのあとのイビキがうるさくて、私は眠れませんでした。ヤレヤレ。また続きます。
2010年09月13日
コメント(6)
9月8日、台風が関東に近づく中、早朝のJAL便で長崎空港へ。羽田を出たときは雨でしたが、長崎は青空でした。レンタカーで佐世保へ。運転はツレアイです。今回の旅は、義母のことであれこれ不安なことが出てきて、急遽日程を組みました。義母は現在一人で住んでいます。相当高齢で、電話で話すとってもしっかりしているのですが、ときどき前に話したことを忘れていると思われるようになりました。義父は10年ほど前になくなり、そのとき上京して暮らすことを勧めたのですが、本人が東京が好きではないので嫌がり、結局そのまま一人暮らしをすることになりました。義母は友人も多く、信仰を持っていますのでそのつながりの方々と離れるのも嫌だったようです。義父の葬儀の後、3兄弟で話し合い義母への仕送りの額を決め、少々の年金と仕送りで経済的に生活できるように取り決めたのでした。それが守られていると、ズーッと思っていました。もちろん私達は決めたとおり、それ以外にも盆や暮れには少し多めに送っていました。私が失業して収入がなくなり、経済的に苦しくても義母の仕送りを怠ったことはありません。ところが、1ヶ月ぐらい前にはじめてわかったことには、二人の弟達はもう一年以上も前から仕送りをしていなかったと言うのです。それぞれに事情はあるのですが、どちらも他の兄弟が仕送りをしているから何とかなるだろうぐらいに考えて、他の兄弟には何も告げず仕送りをストップしていたのでした。義母は我が家が送るわずかの金額とほんの少々の年金だけで、生活していたのでした。それを知ってから、とにかく義母がどんな生活をしているのか、高齢なので介護支援はちゃんと受けられているのか、不安がいろいろあって出かけて見ました。お昼頃、佐世保市の義母の住む借家に着きました。義母は腰痛があるので、ちょっとゆっくりしか歩けませんが、玄関外まで出て待っていてくれました。きっと待ち遠しかったのでしょうね。でも一歩家に入ってびっくり。まるでゴミ屋敷なのです。とりあえず部屋数はあるので、居間の少々のスペースと、寝室の少々のスペースは空けてありましたが、それ以外は何処もかも不用品であふれていました。高齢でゴミ出しがしにくくなったこともあるのですが、それ以前に若いときから不用な物を溜め込む人でしたから、ものすごいことになっています。茶色く変色した古新聞・ボロボロでもとの形も色もわからなくなった布切れ・いつか誰かにいただいたお土産のシミだらけの箱と包装紙・ゴミ捨て場から拾ってきたほこりまみれの縫いぐるみたち・・・。それらが部屋の中にうずたかく、幾重にも積み上げられています。地震が起きたら頭から降ってきそうで、そこに座るのも怖いぐらい。家の外には、古くなって破けてしまったゴミ袋の中に、わけのわからないものが入っていて、またそれが山積みになっています。到着した日は、まず義母の暮らしぶりを聞き取りしました。すると、自分の年金振り込まれる郵貯銀行の通帳と、義父の遺族年金の振り込まれる地方銀行の通帳がないというのです。きちんといつも置いている場所に仕舞ったから、なくなったのは三男が盗んで言ったに違いないと言い始めました。前後文脈のつながらない話を根気よく聞き取り、ようやく印鑑とキャッシュカードは手元にあり、三男にお金の出し入れを依頼したこともないことや、暗証番号を教えたこともないことを確認しました。私は通帳だけを持っていってもお金の引き出しは出来ないこと、金融機関は本人確認が厳しく簡単に改印できないことを義母に話し、三男が盗んだとは考えられないことを丁寧に話しましたが、彼女は盗まれたと思い込んでいて納得しません。私達の仕送りは郵貯銀行にしていますので、最後に引き出したのはいつかを聞くと5月ごろと言うのです。それにキャッシュカードの暗証番号も忘れたので、このところ引き出していないとのこと。いったいどうやって生活していたのだろうと聞いても、のらりくらりで私達には理解できません。それでお家賃は払えているのかと聞いてみると、本人曰く5月から払っていないとのこと。家賃を払ったとき受領印を押してもらう通帳は?と聞くとそれもなくしたというのです。大家さんに確認にいこうとしましたが、あいにく入院中とのことでお会いできませんでした。それでとりあえず郵貯銀行へ義母を連れて行き、通帳の再発行をお願いしてみました。すると窓口の女性が、「このおばあちゃんにはついこの間も通帳を再発行しました、7月です」というではありませんか。義母は5月以降郵便局には行っていないと言い張るのですが、どうも忘れているみたいです。これで4度目の再発行だと言うのを申し訳なく思いながら、山のような書類を横に付きっ切りで書いてもらい、通帳の再発行と暗証番号の確認、それに過去2年間のお金の出入りの記録を作成していただけるようお願いしました。そうしているうちに夕方になってしまい、義母が疲れたようなので家に送り届け、食事を用意し私達はホテルに引き上げました。二人とももうぐったりです。思っていた以上に義母の暮らしが良くないので、これからどうしたものかと頭を抱えました。私の提案で、とりあえずケアマネージャーと連絡を取り合うこと、デイサービスに様子を聞きに行くこと、それから福祉支援がどこまで受けられるか市の福祉課の窓口で相談すること、それに家の掃除とゴミ出しをしようということになりました。これを後2日間でしなければなりません。いかに効率よく行動するか、時間配分を決めました。ホテルのお風呂に入って、あちこちが蚊やダニに食われていることに気が付きました。明日は防虫剤も用意しなくてはと思いながら就寝。つづく。
2010年09月13日
コメント(2)
根津甚八さんが、人身事故を起こしてから鬱になってしまって、とうとう俳優業を引退すると言う。私の友人も鬱でしばらく会社を休んでいた。復職したものの、やはりときどき状態が良くなく遅刻したりしている。かく言う私も、ちょうど一年前男性上司のパワハラにあって退社を余儀なくされ、それ以来軽い鬱になってしまった。一時は自分のことを考えると、否定的なことばかりになり、生きているのが、存在しているのが悪いことのように思えた。男性と口を利くのも怖くなり、人と接するのも辛くなった。何かをしようとする意欲もなくなり、ものの感じ方が鈍くなった。さいわい、就活を繰り返しても採用してもらえない期間が長かったので、本を読んだり映画を観たり、好きなテレビ番組で気分転換してたりしているうち、だいぶ良くなり仕事に復帰したい気持ちになってきた。一番効いたのは大好きなX-JAPANのCDを聴いていると、元気になれたこと。私の経験した鬱なんてたいしたもんではなかったけれど、本当に苦しんでいる人たちがいっぱいいる。周りの人たちも、いつ突然鬱の人が自殺願望にとらわれてしまうのか、不安に思って暮らしている。私は退職の道を選んだから、それ以上ひどくはならなかった。それでも欝の不安から逃れるのに一年かかった。退職できない人たちは、もっと辛い思いをしていると思う。職場での立場も辛い。いま私は友人に何をしてあげられるのか、何もしないほうが良いのか、経験者でもわからない。欝は一人一人症状が違うし、それを他人がわかってあげることが難しいから。さて話は変わりますが、明日8日から12日までブログはお休みします。野暮用で九州方面に出かけますので。楽しい旅行なら良いのですが、ちょっと憂鬱なお出かけです。浮世の義理で、行ってきます。ではまたお会いできるのを、楽しみにしています。
2010年09月07日
コメント(12)
昨日の夜、寝る前に台所を閉めようとガラス戸のところに行くと、なんとゴキ目が張り付いている。幸いガラス戸の向こう側、おおゴキのお腹がばっちり見れる。腹筋のような筋が定間隔で並んでいた。しばらくどうしようかと考えていたが、ガラス戸の向うでは手も足も出ない。張り付いているガラス戸をドンと叩いてみた。するとゴキは驚いて飛んだ。素早い動き。すぐ側の空き缶の入ったかごに止まると、くるりと向きを変えた。なんと奴目はこちらに向かってきた。ガラス戸間近に飛んでくると、奴は私ににやりと笑った(と私には見えたのだ)。そして、飛びながらくるりと向きを変えると、お腹を半分見せながら最初はゆっくり、次第にスピードを上げて飛び去った。良く飛行機が翼を斜めにして、腹部を見せて飛び立つ時の映像のようだった。なんだかかっこいい!と思ってしまった。そのスピードに驚いた。部屋の中で飛ぶときのゴキとは全然違うスピード。あやつは、ゴキの飛行王か?わざわざ私のところまで戻ってきて、ニヤリと笑うなんぞ只者ではない。その余裕は何だ!最初はゆっくり見せ付けるように飛んで、それから「俺様はこんなにスピードが出せるんだぞ」と言わんばかりの飛行。ゴキにも知能はあるのだろうか?あやつは、また私のところにやってくるのだろうか。おそろしやー。
2010年09月06日
コメント(8)
久々に、一日だけのスポットのお仕事をいただきました。駅で待ち合わせて、女性ばかりのスタッフで現場へ移動。大きな倉庫です。まずロッカールームに案内されて、作業着に着替えます。お仕事は、有名メーカーの期間限定商品の詰め合わせを作ること。シャンプー・リンス・髪の美容液等4点の商品を流れ作業でパッケージに詰めていきます。ベルトコンベアーが次々商品を運んでくるので、息つく暇もありません。ときどき詰め合わせのミスとか、パッケージの不良品があったりして、それをコンベアーからつまみ出さないといけないのですが、これが重い。良く薬局に行くとシャンプーやリンスの詰め合わせたの、売ってますよね。あれってこうやって手作業で詰めてたんだ、って変に納得。私達のような慣れない、今日だけの臨時スタッフの中に、常勤のベテランさん達が入って要所要所を押さえてくれます。やはり常勤のスタッフは凄い。手早くて作業がきれい。圧倒されます。その方々の助けを得て、午前中・午後それぞれ10分の休憩と、昼食休憩45分以外はズーッと立ち放しでしたが、何とか一日を勤め終えました。そうそう、倉庫での作業だから当然暑い中でのするのだと思っていたら大間違いでした。快適なエアコンが効いていて、少しも汗をかきません。倉庫の中は、大きなフォークリフトとか作業車両が走り回っていて、時々重たいものを降ろすズシーンとした地響きがあります。最初は驚きましたが(床が揺れて地震のよう)、次第に気にならなくなりました。それでも安全にはよく気が配ってあり、危険な感じはありませんでした。ラインのリーダーの女性も物静かな美人で、くるくるあちこちで起こるトラブルに走り回っていて、とても好感の持てるお仕事ぶりです。いろんな方に支えられ、初めてのお仕事を無事終えることが出来ました。さすがに腕も肩も腰も筋肉痛です。でもこういうお仕事もやっていけると自信になりました。9月は前半は野暮用で東京を留守にします。帰京したら、お仕事があればどんどん働きたいと思っています。さああ、もう日と頑張り!
2010年09月05日
コメント(6)
先日立川で登録した派遣会社から、スポットのお仕事が来た。今日一日のお仕事。シャンプーのラベル貼りや詰め替えのお仕事。一日働いても、交通費を差し引いたら5,000円ぐらいにしかならないけれど、仕事がないよりはまし。それにこれからも仕事を紹介してもらえるかもしれないし。それを期待して頑張って働いてくるわ。相模原駅に8時集合なので、6時には家を出なければ・・・。おにぎりを作ったし、冷たいお茶とコーヒーを保冷カップに用意した。それと飴とカリ梅、熱中症対策にね。作業は倉庫だと言うから、もちろん冷房なんてないから、Tシャツにジーンズの半パン。それにスニーカーが必須。少しでも働けるのは、とても嬉しい。では、行ってきます。
2010年09月04日
コメント(11)
昨日の夕方A子から電話があった。半年ほど前に購入したドラム式洗濯機のドアが締まらなくなり、使えなくて困ったとのこと。A子は3ヶ月ほど前に出産し、山のような洗濯物を毎日している。このところ子守りのお手伝いに行きながら、洗濯を手伝うことが多かったのだが、使い慣れないドラム式洗濯機を使ってみて、その使い勝手の悪さに値段が高いのにこれでは買う意味がないとひそかに思っていた。まず全自動洗濯機に比べ、洗濯時間が2倍かかる。乾燥コースを選ぶと、3時間以上はかかってしまう。水洗いコースでも1時間以上だ。洗剤がまだ発展途上。全自動洗濯機用の洗剤は数々あれど、それはドラム式で使うと具合が悪い。洗剤がところどころ衣類にくっついて残ったりする。ドラム式の洗剤は匂いがくさい。洗うときもあまり良いにおいがしないが、乾いてからの匂いも変。メーカーはエコを強調するが、使用した実感としては全自動の新しい機種の方が遥かに電気や水道を使用しない気がする。それに購入価格の高さ!軽く10万円を越してしまう。そして壊れ易さ。ドラム式洗濯機の口コミを読むと、買ってすぐ壊れたと言う書き込みが非常に多い。A子のところも、子供が生まれるからと買い換えて半年たたない。書き込みに寄れば、一度壊れると何回もいろんな部分が壊れて使えないと言う人も。高いお金を出して購入して、すぐ壊れれんじゃ何のために買い換えたのかわからない。我が家は旧式の全自動洗濯機を使っているが、洗濯が簡単でチョイ洗いもしやすく、洗い物が少ないときでも気軽に思い立ったときに洗える。ドラム式は、ちょい洗いがしにくい。足拭きマットだけ洗いたいと思っても、手間や洗剤の高いことや、洗う時間の長さを考えると躊躇してしまう。私が無知なだけかもしれないが、洗濯物の洗い上がりも納得できないし、柔軟剤を使わないと肌触りが悪いと言うのも気に入らない。A子のところは日本製の、それも結構いい製品を購入したのに、壊れた。購入した店に電話を入れたが、メーカーの担当者からの折り返しの電話を待ってくれといわれたとのこと。そしてその電話はまだ来なくって、たぶん次の日になるだろうとのこと。それから訪問して修理をしてもらえるまで、何日かかるのだろう。赤ちゃんの洗濯物をかかえて困りきっていた。近くにコインランドリーもないし、赤ちゃんを連れて行くのではそんなに荷物も持てない。そんなときこそ応援に行ってあげたいのに、今日は電話とテレビの工事が来るので外出できない。ごめんね、と謝った。メーカーと販売店の思惑で、ドラム式洗濯機が革命のようにもてはやされ売られているが、メーカーも販売店も問題点の克服を真剣にしてもらいたい。ユーザーが、こんな高いもの買って損したと思わないようにね。
2010年09月03日
コメント(2)
朝6時35分集合でバスツアーは始まった。スーパーのご招待でガイドさんは付かないけれど、元気のいい女性添乗員さんが同行。私は一人参加なので、お隣の席になる方しだいで旅の楽しさが半分決まってしまう。ところが、なんだかとっても素敵な女性と席並びになった。私より3歳ぐらい年長の方で、もうバスに乗ったときからおしゃべりが始まって、20時過ぎにバスを降りるまでズーッと楽しいおしゃべりをしていた。他の方々から、「友人同士で申し込んだの?古いお友達?」と口々に聞かれるほど仲良く過ごせたので、とても良い一日になりました。一行は埼玉県のジュエリー工場をまず見学。これはこの招待旅行に必ず入っているコース。とんでもない高額の商品がオープン展示で並んでいて、店員たちが「是非お着けになってください」と寄ってくる。デパートの宝飾品売り場で買ったって、この値段の半分以下だと思うようなありえないお値段が付いているが、これがツアーの参加者の何人かが購入するのだ。そんな金持ちが、スーパーのバスツアーになんか来なくたって良いだろうと思ってしまう、またひねくれものの私です。2時間もバスを走らせて長野県に入り、昼食。酢のご飯とお蕎麦、天ぷらと陶板焼き、寄せ豆腐と刺身こんにゃくなどのヘルシーメニュー。味は結構いい味付けで、こういうバスツアーが利用するところとしては良いほう。それから軽井沢まで20分ほど走ってブルーベリー農園へ。ブルーベリーを自分でもいで食べる、ブルーベリー狩り。農園の方々が、幾種類もある品種のことを説明してくださり食べ比べた。甘いの酸っぱいの、甘酸っぱいのといろいろ。結構楽しんで、こっちの木がおいしいよとか、大きい実のほうが甘いよとかみんなで情報交換しながらたくさん食べた。お野菜や果物の売店もあったので眺めていたら、立派なズッキーニが一皿売っていたのでそれを農家の方のところに持っていくと、100円で良いという。皿には2本乗っているのに。「みんな虫と暑さにやられて、今日収穫できたのはこの2本だけだよ」といっていた。それを100円では申し訳ないが、ありがたく購入させてもらった。また1時間ほど走って、白糸の滝へ。白糸の滝といえば有名なのは富士山の裾野に有る滝。静岡県の富士吉田市。そこには何度も行ったことがるが、幅も高さも有る美しい滝だ。どうして長野県から白糸の滝をわざわざ見に行くんだろうと疑問に思っていたら、なんと軽井沢にもあったんだ白糸の滝。バスを降りると、空気がひんやりして涼しい。山道の脇には、水量たっぷりの美しい流れ。滝はそれほどの高さも幅もないけれど、バスを降りて徒歩5分で見られるのは、高齢の方にはありがたいことだ。またバスで30分ぐらい走って、いよいよ旧軽井沢へ。歩いていたら懐かしさがこみ上げてきた。お店は随分変わっていたけれど、街並みの雰囲気はまだ当時を思い起こさせるものが充分に有る。蜂蜜の専門店、洋服店、雑貨店、八百屋さん・・・。カフェのようなお蕎麦屋さんにおいしそうなパン屋さん。ああもっとゆっくり歩きたかった。散策の時間が短かったので、ショップにあまり入れなかったけれど、ジョンレノンが通ったというパン屋さんで胡桃を練りこんだパンを買い、和菓子屋さんで栗おこわを夕食用に買った。デパートなんかで売っている栗おこわは、栗の甘露煮で作ってあるので好きではない。甘すぎるし栗の味が損なわれてしまっているから。ところがこの店のは、生の栗の色をしている。まだ栗の季節ではないので、今年の栗を使っているわけではないのだろうとは思ったが、自然な栗の色だったので買ってみた。帰宅後食べてみたけれど、栗は栗の味、おこわはしっかり米の味がしておいしかった。帰宅は20時30分ごろ。長い一日だったけれど、疲れ知らずで楽しんだ。ありがとう、同行の方々、隣席の方、添乗員さん、運転士さん。おかげでたっぷり楽しませてもらいました。あ、企画してくださったスーパーの方にもありがとう。またお買い物に行きますね。
2010年09月02日
コメント(12)
全4659件 (4659件中 4551-4600件目)