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朝起きたら昼の12時半だった。うわあ、随分ぐっすり寝たなあ。昼過ぎからはテレビで天皇陛下のパレードを見て特に興味があるわけではないが幸せな気分になった。毎週休みの日はスリランカ人からお誘いがあって大抵は一緒にどこかに行ったりしているのだが今日はアパートを引っ越したスリランカ人から夕食のお誘いを受けたので遊びに行った。集まったのはスリランカ人4人と僕の計5人。彼の部屋は305号室で2DKの家賃は¥52,000。301号室は部屋の中で孤独死があった部屋なので¥50,000でいいよと言われたが断ったそうだ。このアパートはインドネシア人がすごく多いらしい。古びた大きなアパートで、部屋の天井や壁はひび割れていた。ベランダからは月の昇って来るのが見えた。アジアのカオスの匂いがする場所だった。
2019年11月11日
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愛知県東三河の段戸湖に豊川方面から向かう途中、すごくスリリングな狭い舗装路があるのだがスピードを上げて走っているとまるでラリーをやってるようなもう目的地なんかに着かなくても最高!ってドライブができる。林の中をずっと走っていて、道路脇は川が流れていてそして突然視界がパッと開けた場所に出た。夥しいほどの木々が倒れた土砂崩れ現場だった。愛知の山は植林の山ばかりだ。杉やヒノキは生長は早いが虫が寄り付かない。虫がいないから鳥が来ない。落葉樹ではないから紅葉もしない。だから土も痩せる。腐葉土となる栄養分のない土になる。この辺りは動物の餌になるものすらない。こういった杉などの木は住宅建設の土台作成時のコンクリ打ちの時の木枠として使われることが多い。この場所の近くは新東名高速を作った際に山を削りどんどん自然が壊されて悪循環になっている。こんなに網の目のように高速道路作る必要あるか?こんな山の中にインターチェンジ作って利用する人いるか?なんか殺伐な感じがしたのだった。そして僕達は「原生林の残る森」という謳い文句に惹かれてこういう景色を見ながらスマホ地図に頼って車を走らせた。実に複雑な気分である。愛知県の紅葉スポットはわざわざモミジを植えて観光スポットにしているのだ。豊田市はどんどん行政区域を拡大していてもはや名古屋市よりも広大で、東三河の山奥まで広がった。
2019年11月07日
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久し振りに夫婦の休みが重なったので愛知県の山奥にある段戸湖まで行って来た。新東名の新城ICを下りて山道を走る。木のトンネルがどこまでも続く交通量の少ない道だ。自宅から2時間弱で「きららの森」に到着。紅葉には少し早いが静かな山の空気が良かった。段戸湖は標高917mの小さな湖だ。湖というより大きな池という感じでその周辺は原生林の散策路になっている。秋の高原の往復はオープンカーで走りたいところだ。ということで本日は次男のMR-Sを貸りた。(ちなみに長男も同じ色の同じ車種に乗っている)サーキット仕様のため転倒時保護用のロールバーを装着、エンジンはノーマルだが走るための足回りなどはほぼ全てチューニングされている。後期モデルだがテールランプはシンプルな前期モデルを装着。擦れ違いの厳しい山道をちょっとスピード上げて走ったがさすがミッドシップエンジンの重量配分でコーナーが楽しい。車高調整式の足回りで当然LSD装備、リアキャンバーが付けてある。マフラーは柿本なのでかなりデカい咆哮がする。ミッションは6速のクロスレシオなので素晴らしい走りだ。オープンカーって夏は暑いし冬は寒いが今の時期は最高だね。ルーフを開けても左右のドアウインドーを閉めておけば風で髪が乱れることもなく爽快だ。(あ、元々乱れてるか...)助手席で軽く髪を押さえる妻の仕草も色っぽい。オープンカーというと大抵の女の人は嫌がるので中年オヤジが独りで乗ってるというパターンがほとんどだが妻は自分用でホンダs660のマニュアル車が欲しい、と言うようなその辺のオバさんとは違う考えなのでこちらとしても嬉しい。帰りもオープンのままでヒーターをONにしてきた。
2019年11月04日
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昼少し前にロハンから電話が掛かって来て「今から岐阜に花を見に行かないか?」ということだった。もちろんロハンは花に興味があるわけではないがピアちゃんが動画や写真を撮るために行きたいそうでじゃあサイトーさんも誘おうということになったらしい。高速道路を1時間ちょい走って岐阜県可児市にある花フェスタ記念公園に着いたのは既に2時頃。そこは世界一のバラ園ということらしい。岐阜県にそんな場所があるなんて知らなかった。とはいうものの僕はバラには全然興味がない。そもそもバラって花は春に咲くんじゃねえのか?と思ったがバラは年に2度咲く、つまり秋にも咲くらしい。入園料は1,050円。うは~、結構しますなあ。申し訳ないことにスリランカ人と行動を共にする時はいつもお世話になりっ放しということで食事から何から全て僕の分まで払ってくれるのだ。お金を出しても受け取ってくれないのが心苦しい。スリランカ往復の飛行機代すら払ってくれるのだ。園内に入るとバラの匂いに満ちていた。ピアちゃんはすごくゆっくりバラ鑑賞をしている。僕達男2人は手持ちぶたさでゆっくり歩く。秋のバラは寂しい。晩春に散る椿よりも儚い感じがする。いかん、バラは儚い花ではなく優雅な花だ、と思って無理に華やかな写真を撮ろうとしてみる。それでもやはり夕方4時過ぎの西日を浴びたバラの花はどこか切なくて、最期の芳香を絞り出しているのだった。
2019年10月27日
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碧南市のお祭りにロハンとピアちゃんを連れて行った。老父が独りで住む実家に行ったら僕の長男夫婦も来て親父を除く5人で祭り会場の神社に行った。3時半からは恒例の餅投げがあるのだ。ロハンもピアちゃんも祭りの餅投げを体験したのは初めてでめちゃくちゃ楽しんでくれたのだった。ピアちゃんが祭りのダイジェストをyoutubeにアップしたが解説はシンハラ語だし10分半の長い動画なのでおヒマな人だけ観てあげて下さい。(途中から日本語でも解説してる) ⇒【碧南市の餅投げ祭りダイジェスト】
2019年10月23日
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いえね、僕のことではない。山仲間のコウベ氏のことである。約2週間前、コウベ氏とモリタ氏と滋賀の霊仙山に行ったのだが朝6時半頃にコウベ氏が僕の自宅まで迎えに来てくれた。出発して数分後、コウベ氏が話を切り出してきた。コ「オレ昨日の夜、救急車で運ばれてさぁ」僕「え~!なんで?」コ「サバにアタっちゃってさ」コウベ氏はタクシー運転手である。(今度4回目の事故やったらクビ宣告されていて戦々恐々)募集に書かれている給料は結構貰えると記載されているがあれは1日中ずっと途切れなくお客さんを乗せ続けていれば、という全く不可能な勤務状況を1か月間続けていれば、ということで実際は月給20万円なんてとても届かないのが実情のようで彼は夜間は和食レストランの厨房でバイトもしている。山へ行く日の前日、スーパーでサバを買って来て自分で包丁で下ろして食べてからレストランのバイトに行ったらしい。そこで急激に腹が痛くなって立っていられなくなり救急車を呼んでもらったらしいのだ。ところが厨房への従業員専用出入り口は担架が通れないらしくやむなくレストランのお客さんのテーブルの合間を縫って厨房から搬出されて救急車に乗ったそうだ。騒然としている客席の合い間を通る担架の上でコウベ氏は悪寒と下痢と嘔吐に耐えながら揺られていたそうだ。病院で点滴を打ちながら天井を見上げ「明日は山に行けんなあ、でも中止の連絡するにも深夜だし」とワタクシの顔を思い浮かべながらゲロしていたそうだ。病院で「原因はサバかも知れない。これで3度目だし」と言ったら先生は「あ、多分ソレですね。点滴終わったら帰れますよ」と言い迎えに来た奥さん(吊り橋女ユミさん)は「原因がサバで良かったね。明日は山行けるね」と言ったそうである。普通は「明日の山行きは大事を取って中止しな」じゃねえのか?(笑)コ「というワケで昨日ってか今日の深夜は大騒動だったんだわ」僕「いやいや、じゃあ延期にすりゃ良かったじゃん」コ「なかなか休みが合わないからさ」というわけで山に登って避難小屋でランチタイム。コ「おかずとしてサバ持って来たからさ。昨日オレがあたったヤツ」僕「!!!!!」コ「大丈夫、火を通してきたから」僕「・・・・・」食ったけど大丈夫でした。
2019年10月18日
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10月10日(木)は昼の12時頃から御嶽山に登った。「夕方5時までには下山」と予定していたので登り2時間、上でのんびり1時間、下山に2時間と想定し8合目の女人堂先の通行止め場所まで2時間弱で行けた。その場所は御嶽山の東斜面に深い断層が走っている所で歩く人も非常に少ない僕のお気に入りスポットである。そして紅葉が最も素晴らしいスポットだ。東方面は中央アルプスから八ヶ岳、南アルプスの大展望が広がる。北側の紅葉はナナカマドが少なくダケカンバの黄葉だ。写真には写っていないが「まぼろしの滝」も遠望できる。寝転んでいると鳥の声と風の音、そして遠くの滝の音だけ。断層の中あたりから仰ぎ見た御嶽山の北東斜面。さて、下界に帰るか。予定通り麓の駐車場には5時頃到着。今回はさすがに筋肉痛が3日続いたわ・・・。
2019年10月15日
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日曜日に滋賀県の霊仙山に行って来たばかりだが木曜日に日帰りで白山に行こうとネットで道を調べていたら(僕の車にはナビが付いてないのである)大白川林道が工事通行止めってことでガッカリ。行き先を焼岳か御嶽山のどちらかに変更して明日の朝は夜明けに起きて出発じゃい、と寝た。で、朝になって目が覚めたら7時半。うわあ、今から出発したらトヨタ通勤渋滞じゃん・・・。こりゃ行き先は焼岳より近い御嶽山に決定だな。ということでトヨタ渋滞が解消される8時半に自宅出発。僕の家は岡崎I.Cまで車で1~2分の場所なので中央高速道の中津川I.Cまでは約100km、1時間で行ける。御嶽山の登山口には順調に行けば11時過ぎに到着かな。中津川I.Cで下りて国道19号線を北上する。トラックも多いしオービスも多数設置されている厄介な道だ。平均して50~60キロぐらいのスピードでトロトロ追従走行。途中の道の駅でおにぎりを買ってのんびりする。道の駅ならではの田舎の手作りおにぎりだ。スーパーやコンビニのおにぎりとは違う。そもそも僕はコンビニがあまり好きではない。高いし。道の駅で工芸品を見たりパンフレットを見たりしていてハッと気付く。あ、そうだ、オレ御嶽山に登りに行くんだった。再び走り始めると御嶽山が姿を現した。お、今日は噴煙が出てないじゃん。おんたけロープウェイを通り過ぎ、中の湯登山口に到着。時刻は12時ちょっと前。ヤバい、登り始めが遅くなり過ぎた。歩き始めると前夜に小屋泊だった登山客達と擦れ違うようになった。「今から登るんですか?今夜は小屋泊まり?」「いえ、ピストン(往復とんぼ帰り)です」「うは~」僕の服装はTシャツにワークマンの普通のズボン、スニーカー、持ち物は500ccのペットボトル1本をカーゴパンツの横に突っ込みデジカメを片手に持っているだけである。食料は何も持ってない。買い忘れた。御嶽山は5年前の9月に噴火して以来【噴火の瞬間動画(BBC英語版)】多くの登山者達はヘルメット装備で登っている。それをこんな軽装で登るなんて失礼だしもし僕がこれで遭難したら批難殺到であろう。地図もスマホも持ってない。山に登る資格すらない!と机上の一億人評論家が言うであろう。すまん・・・。というわけで(どういうわけだ?)登山開始。下山時刻の目標はズバリ、夕方の5時だ。今回はちょっとペース上げて登るぞ~。
2019年10月12日
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急に快晴になったので南側の斜面で昼寝をした。琵琶湖がある北側からは相変わらず突風が吹いている。ここで夜を明かしたらスゲエだろうな。ちなみに小屋にはトイレがない。その代わりかどうか知らんが小屋の外にスコップが置いてある。かなりの時間のんびりして動きたくない。でも仕方なく下山開始である。振り返ればカルスト地形の向こうに霊仙避難小屋が。森の中に入る頃には西日が傾き始めていた。稜線では吹き荒れていた風も森の中では静かな風だ。鳥達が鳴いている。「クマ出没注意」の看板。
2019年10月10日
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滋賀県の霊仙山(りょうぜんさん)に行って来た。朝7時前にコウベ氏が迎えに来てくれて岐阜県の養老あたりでモリタ氏と合流。霊仙山の登山口に着いたのは10時頃。そこからしばらく森の中を歩くと多数の石垣が現れた。第二次大戦中に約50戸の集落があったそうだが今は廃村。1時間半ほど登ると稜線に出る。だんだんとカルスト地形になっていく。遠くに琵琶湖が見渡せるが雲が出てきた。更に登ると風が強くなってきた。Tシャツ1枚で歩いていたが長袖を重ね着する。遠くに霊仙避難小屋が見えてきた。あそこで昼食タイムにしよう。岩の上を歩きながら避難小屋に向かうが更に強風となる。琵琶湖方面、北西からの風がとんでもなく強い。いよいよ山口県の秋吉台みたいな景色になってきた。避難小屋には3人の先客がいた。「さっきまで視界が全くなくて歩けなかったんですよ」僕達は遠くからでも小屋の位置が確認出来たから良かったがここでホワイトアウトになったら怖いだろうなあ。「昼食は小屋の中で食べよう」と言うモリタ氏。「たつじん、中か外か、どっちがいい?」とコウベ氏。「そりゃ外に決まってるよ、俺達山男だろ?」ということで風が来ない小屋の外でランチ。僕:「この風向きだったらあと30分で快晴になるよ」コウベ氏:「たつじん、本当?雲は降りて来てるよ」僕:「さっきと風向きが変わった。一気に晴れて来る」ガスコンロでお湯を沸かしていると空が急速に晴れてきた。360度の大展望だ。遠くの街まで全てクリアーだ。さて、ランチが済んだら広大な芝生で昼寝しよう。
2019年10月09日
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書道家の母は大きな紙に大胆に書く作品が多かったがどれも個人的には好きな書体ではなかった。細い字で流れるように書く筆遣いの方が瞬間的に垣間見える繊細さがあって好きだった。大抵は笑っていて朗らかな母だったがもちろん陰で泣いていた母の姿も幾度も見た。母が細字で色紙に書いた作品が見つかった。「はてしなく 菜の花つづく 宵月夜 母がうまれし 国美しき」与謝野晶子の句である。情景が思い浮かべられる見事な句だ。菜の花というからには春、宵の月が出ていても菜の花が続いているのが見えるから満月なのだろうか。春霞みの月夜の中を歩いている情景が目に浮かぶ。そこでふと「母がうまれし国美しき」と母を想う。ということは距離的に母と離れて暮らしているか、或いは既に母を亡くしているという状況だろう。この句を色紙に書いた時の母の心情を想った。そしてこの作品を見て母を想う自分がいた。
2019年10月05日
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「母が娘に託した遺品」のことは8月にこのブログにアップしたがその遺品の入った袋を開けた時のことが面白かったので9月20日発売の雑誌「リバ」のエッセイに載せた。母は死亡保険にも加入してなかったのでまとまった遺産は無かった。死ぬ前後は介護施設の入居代金(毎月21万円)と病院の個室代金(1日7000円x日数)の両方から請求があり(高齢者のため医療費は無料だったがオムツ代とかは実費)それから家族葬といえども50万円ぐらいかかったし別途で坊さん呼んだお金が30万円、親族料理代などなどお通夜+葬式でやっぱり最低ラインだが100万円はかかった。市から還付されたお金は火葬場費用の3万円だったか4万円、まあお墓は作らなかったから墓代は出てないがまあ人が死ぬと諸々とお金がかかるのである。そして母が生前「私の死後に開けて」と娘(僕の妹その1)に預けた遺品、これをみんなで集まって開けたわけであるが見事に裏切られたというか何ていうか遺産総額は353円であり、みんなで泣き笑いしながら、いや、誰も泣いてなかったな、ただただ大爆笑の御開帳だったのである。その時の出来事をエッセイ用に改訂したのがこちら。 ⇒【母の遺品】
2019年10月01日
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今日は滋賀県の山に行くつもりだったが延期となった。ということでスリランカ人達を誘って彼岸花を見に行った。見に行ったといっても我が家から5分程度の川沿いだ。ちょうど満開で今年は白色が増えていた。白い彼岸花は赤色よりも優位性があるのだろうか?今年は彼岸花の開花が若干遅く、落葉が早い気がする。毎年こんなに落ち葉に埋もれてないのに。川に続く階段に座って4人でのんびり過ごした。陽はまだ強いが木陰に座っていると気持ち良い。川を渡って来る風は爽やかだ。マンガラさんもピアちゃんも彼岸花をじっくり見たのは初めてで岡崎在住の長いロハンさえこの場所を知らなかった。僕は彼岸花の名の由来や、根に毒があることや昔は墓の周りに植えていたことなどを説明した。昼の2時頃から夕方まで堤防でのんびり過ごした。
2019年09月29日
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朝9時に家を出て岐阜県の付知峡に行って来た。妻と次男もたまたま休みなので一緒に行った。乙女渓谷の夫婦滝(落差約80m)も候補だったが夫婦滝までは木の階段を2時間歩いて登らねばならず却下。我が家は岡崎ICまで車で1分なので非常にアクセスが良い。中央高速道の中津川に10時着、スーパーでお寿司とおにぎりを買い11時に付知峡の駐車場に到着。ごく簡単な遊歩道を歩いて不動の滝へ。東屋でお昼ご飯を食べた後は吊り橋を渡って更に奥へ。峡谷の河原でのんびりしてきた。でもさすがに大杉谷渓谷の雄大さには歯が立たないな。
2019年09月25日
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日産スカイラインのトレードマークは?と訊かれたらほとんどの人は「丸テール」と答えるのだが今やクラウンですら丸テールになっている。クラウンだけでなくRX-8やらロードスターやらポルテやら軽のキャストやら多数の車種が丸テールを採用している。現行のスカイラインは丸テールではないしスカイラインのSUVモデルまであるぐらいだ。個人的には今のスカイラインはスカイラインじゃない、あんなボディーデザインはフーガと統合してりゃええんじゃ、とスカイライン=丸テールという古い固定観念を持っている。現行スカイラインには「GT-R」を冠する車種がある。3800ccのV6ツインターボを搭載した最新モデルは実に570馬力、スピードメーターは340kmまで表示されている。エンジンをスタートさせてアクセルを少し踏んでみるとフォン!という感じで凄い吹け上がりだ。トルクの太さもとんでもない。このGT-Rは確かに凄いスポーツカーだ。しかし車を「操る」のではなく「操られる」次元の車だ。運転が下手でもこれに乗れば速い、つまり金さえあれば速い、妬みがあるかもしれないがそこにロマンが感じられない。同じスカイラインでもロマンがあるのは下記の車の方かなあ。3枚とも全て過去のスカイラインの後ろ姿である。(その3枚の写真は出品業者が特定される可能性があるので削除しました)
2019年09月22日
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中学生の頃、生まれ故郷の通学路にポルシェ914が停まっていた。安っぽい外車にありがちなオレンジ色のボディーカラーだった。当時はスーパーカーブームだったので僕もその辺りには詳しく「これはフォルクスワーゲンのエンジンを積んだ偽ポルシェだ」と水平対向エンジンをミッドシップに搭載しているにもかかわらず「ワーゲン・ポルシェ」と呼んでバカにしていた。カメラマンの仕事をするようになってポルシェ914を撮影する機会があり中学生の頃にバカにしていたこの車をじっくりと見たところ、うわ、なんて素晴らしいデザイン!まさに名車だ!なんぞと吠え40年近く経ってやっとその良さに気付いたという次第である。その感覚はSTONESのアルバム「エモーショナル・レスキュー」を発売当時はさんざん駄作だ、STONESは終わった!とバカにしていたが40年近く経って聴いてみるとメチャいいじゃん!と感じるのと同じだ。中学時代からずっと、僕が「これがポルシェだ!」と思っていたのはやはり911シリーズ(日本では930ターボと言われていた)ボディーだ。それに対し、914と同じく「ダセえ」と思っていたのが928である。ところがこれも時が経つごとに良さが分かってきたというのか「う~ん、名車だ!」と感じるようになったのである。これまた先日、カメラマンの仕事として928の写真を撮った。V8の4500ccエンジンをフロントに搭載した928は「まあポルシェっていやあポルシェっぽい」デザインだがヘッドライトをポップアップすると気持ち悪いのである。カエルだか何だか分からんがヌルヌルの生き物みたいな気がする。ナマズを連想させるような顔じゃねえか。それでもこの強烈なインパクトを持つキモカッコいいデザインは一目で928と分かるしポルシェにしか作れない車なのである。
2019年09月19日
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子供の頃、大抵の家庭にはタイル貼りの水鉢があった。水鉢っていうのか洗面台というのかよく分からんがタイル貼りのものは屋外に置いてあった気がする。数ヶ月に一度、妻の実家に行くことがある。庭の木を選定したり裏庭の草むしりをしたりの野暮用を足す。縁側の外に古いタイル貼りの洗面台があるのだ。タイルの貼り具合からして手作りである。モロッコの建造物を連想させる色だ。こういう昭和のものを見る機会は最近減っている。
2019年09月17日
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愛知県高浜市の稗田川(ひえだがわ)沿いが珍しく賑わっていた。何でもテレビで川沿いの彼岸花情報が放映されたらしい。ピンクや黄色の彼岸花が満開だというのだ。たまたま高浜に行く用事があったので帰りに寄ってみた。おお、これは珍しい色だ。いつもここは黄色しか咲いてないのに。ちなみに我が家のクリーム色の彼岸花はまだ先っぽも出てない。岡崎市の乙川沿いの赤い彼岸花も咲いてない。赤い彼岸花は9月下旬が見頃になるかな。
2019年09月15日
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名古屋や東京、大阪などの都市では車の希望ナンバーが飽和状態で既にアルファベット・ナンバーが使われている。(地方の人は見たことないだろうケド)既に名古屋30Aなんて終わってしまって先日は名古屋30Mも見た。この前は大阪30Cのナンバーをつけた車が搬入されて来た。最初は大阪300の最後の0が消えちゃってるのかと思ったけど。いやあ、コレって絵の具で簡単に偽装できますな、ええんかい?(この画像は出品業者が特定される可能性があるので削除しました)でもさ、1ケタの希望ナンバー付ける人って何となくどんな性格してるか分かるような気がしない?まあ車買う時に7,000円払えば希望ナンバー貰えるご時世だけどさ、僕は車のナンバーは別になんだっていいや。(てか買ってもうすぐ7年なのに自分のナンバーもウロ覚え...)そういえばうちの親父のナンバーは31-10だったな。(苗字)だから「・3-10」のナンバー見ると「佐藤さんかな?」とか「・6-10」だと「武藤さんか?」と思っちゃうんだよね。ちなみに「・8-30」のナンバー付けてるほとんどの人は矢沢永吉ファンの人です。
2019年09月12日
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岡崎市は石の街だ。花崗岩が産出されるので墓石とかが作られるのだが近年は中国からの輸入も増えているようだ。スリランカ人のピアちゃんが「日本を世界に紹介する」と言って桜とか富士山、新幹線の動画をyoutubeにアップしているのだが先日のぶどう狩りの時も動画を撮っていた。その帰り道に石材店の横を通った。たくさんの灯籠が展示されている。お寺や神社はこういう所から買っているのだ。梵字や不動明王が彫られた石も多い。「うわあ、中に入って行ってもいいのかしら?」「いいんだよ、だって展示場だもの」確かに外国人から見たらこういう光景は珍しいんだろうな。来週あたり、晴れたら彼岸花の群生場所に一緒に行こう。
2019年09月11日
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生まれて初めてぶどう狩りに行ってきた。一緒に行ったのはスリランカ人7人、日本人は僕一人である。ぶどう棚の下にムシロを敷いてみんなで座って食べた。皮を出すのが面倒臭いので皮も種もそのまま食べる。しかしぶどう狩りは1400円の元が取れるとは言えん。その代わり各ぶどう農園はアスレチックコーナーだとか子供のための宝探しとか川遊びとかあって本来のぶどう狩り+アルファで楽しめるようになっていた。ああ、しばらくはぶどう要りません。
2019年09月08日
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中古車オークション会場でのカメラマンの仕事はメチャ暑い。炎天下に長時間置かれた車のドアを開けての内装撮影はドアを開けた途端に強烈な熱気に襲われる。皆さんもスーパーとかに買い物に行って駐車場に戻った時のドアを開けた途端の熱気は毎回体験しているだろう。窓をちょっと開けておいてあっても熱気は凄まじい。幼児を車内放置しておくと15分で脱水死亡の可能性もあるそうだ。オークション会場は広大な敷地に中古車がびっしり並びアスファルトからの照り返しが凄まじい。日陰もない。そんな場所を1日中歩いているとすごく日焼けする。夏場はズボンのポケットに凍ったペットボトルを入れている。ダッシュボードの上に置かれたスマートキーを素手で触って火傷をしないように軍手もしている。リアシートやオーディオの撮影の際は暑い室内にいるのだが夏場の車内温度はおおむね60度ぐらいが普通だ。色んな車種の撮影ならばまあまあ面白いのだがトヨタディーラーやレンタカー会社が出品する車の撮影はプリウス、プリウス、プリウス、アクア、プリウス、ヴィッツ、プリウス、アクア、プリウス、ヴィッツ、アクア、プリウス・・・と延々とクソ面白くもない車の撮影ばかりが続く場合もある。昨日なんかはホンダNSXとかロータスとかのスポーツカーもあってボンネット開けてみたりエンジン吹かしてみたり運転したりマイカメラでも撮影したりで楽しめるのだがまあいずれにしても暑いものは暑いのである。7月末に原稿書いて8月20日に雑誌発表になったエッセイはこれまたこのブログにアップしたのが今日になっちゃったのでそろそろ涼しくなってきた、と言ってる地域の人もいるだろうが日焼けについてのエッセイが載っている。 ⇒ 【日焼け】
2019年09月04日
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母が死んでから急に父が老いてきた。夫婦間で妻が先に逝くと夫は後を追うように逝くことが多い。残された夫の平均寿命は2年縮まるそうだ。逆に夫が先に逝くと妻の寿命は延びるらしい。残された妻の平均寿命は7年延びるらしいのだ。これはイギリスの学会でも公式に発表された事実である。そんなわけで今日も実家の父の所に行った。別に何をするわけでもない、一緒にテレビを見て話をして終わり。2時間程度で帰って来た。行く途中に国道1号線の歩道にスバル360を発見。車を脇道に停めて撮影。歩道なんかに車を置いちゃいけないんだけどこのスバル360なら許される感じがするな。バイクより邪魔になってないし。なんか時代錯誤しそうな昼下がりだった。
2019年09月01日
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生前、お母さんから預かった物がある、と妹その1から連絡を受け大阪の姉と僕、妹その1とで開けてみることにした。なんでも「父には内緒で」と言われていたらしい。別に期待していたわけではないが期待は高まる。(何じゃそりゃ)父に内緒でコツコツとヘソクリを貯めていたのか或いは死期を悟った母から子供達へ向けての手紙なのかタイムカプセルを開けるような気持ちで御開帳である。来れなかった妹その2と妹その2のために動画を撮影しながらまず出てきたのは皺くちゃのハンカチ、片方だけの手袋、ヨレヨレのポーチ、そのポーチを開けるとシワシワのハンカチ。3人は理解に苦しみながら布類を取り出していった。その下から現れたのは使用済みテレフォンカードや店のポイントカード、今はとっくに閉店した喫茶店のコーヒーチケット、80円切手数枚、下水道料金支払いの領収書、タワーレコードのポイントカード(母が...?)更に膨大なお年玉袋と熨斗袋(のしぶくろ)が出てきた。子供の頃に親戚からお年玉を貰うと「お母さんが預かっておくから」とオモチャも買って貰えずに全て没収されていたのだが今頃になってそのお年玉が出てきたのか、そしてお祝いの時ごとに貰った熨斗袋もそのまま保管してたのか、と今更になって母親の愛情に胸が熱くなる...はずだった。ところがお年玉袋や熨斗袋は昔の物ではなく新品未使用なのだった。貧乏臭く各々の袋の中身を蛍光灯に透かしてみるが全て空っぽだ。熨斗袋に至っては単なる書き損じばかりだ。普通は書き損じた時点で棄てんか?取っとくか?母のことが理解できん...。そして最後に預金通帳が現れた。おお、やはりあったか。ココに遺産を残してくれてたんだな。ところが普通預金残高は353円、定期預金は0円。以上!なんで? なんでコレが父には内緒で託したモノ?多分母はボケてたんだろうな。そうでなきゃこんなガラクタばかりを預けるわけない。少しがっかりしたけどみんなで大笑いした。いやあ、逆に数千万円とかの遺産が残ってなくて良かった。母の死後に大金が残されていたなら僕達はきっと泣いただろう。感謝の気持ちから泣くのではない。「バカだな、母は自分のために使えばよかったのに」と思うだろうから。良かった、遺産がなくて。ホッとした。嬉しかった。実に面白く示唆深いタイムカプセルだったわ。
2019年08月28日
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数千台の中古車が毎週入れ替わる中古車オークション会場。そのほとんど全ての車の写真を撮っているのだが時々「こんな車見たことない」というやつが搬入されてくる。今回紹介するのはTOYOPETのクラウン「マスターライン」名前すら知らなかった昭和時代のピックアップトラックだ。フロントグリルの王冠マークは現代のクラウンにも受け継がれている。それにしてもフロントフェンダー前部の曲線は素晴らしい。極めてシンプルなブレーキランプ。BMWの2002よりも更にシンプルだ。荷台上部の縁取り曲線もおそらく手作業だろう。昔の車のステアリングはみなこんなふうに細くて大きい。さすがクラウンの派生モデルだけあって三角窓はレギュレータ・ハンドルによって開閉させる。いやあ、昭和の車は味がある。
2019年08月26日
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7日間の夏休みも終わり、今日からカメラマンの仕事再開だ。僕は水曜と日曜が休みなので本来は今日も休みで8連休なのだが仕事に出たかったら出れば良いって感じなので出勤にしといた。(ちょっと2週間の休みを、って時もそれはそれでOK)今日はお盆のうちに搬入されて来た車がいっぱいで大忙しだろうなあ。あ~あ、やっぱり休みにしときゃよかった...。我が家から10分ほど走った所に岡崎大橋ってのがあるんだがいつもは右車線はTOYOTAへの通勤の車、(僕もその車線)左車線はミツビシ自動車への通勤の車の車線で橋1つクリアーするだけでも大渋滞で20分か25分かかるんだが土曜日曜は橋の下りで渋滞もなく時速130キロまでギリギリ出せるんでほんの2分弱でクリアーできるのである。今日はまだTOYOTA系列の会社は休みなんで楽チンだな。今日の豊田市の予想最高気温は34度か。じゃあ炎天下の密閉された車内温度は60度弱ぐらいだな。先週はカメラが熱暴走起こしたからなあ。がんばって内装撮影してきます。
2019年08月18日
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今日は所用があって碧南市に行ってきた。碧南には世界食材の店「KOKO HEKINAN」があったな。ということで帰りに妻と入店。岡崎市にあるKOKOには何度か行ったことあるが碧南市のKOKOに行くのは初めてだ。おお、岡崎市のKOKOよりも規模が大きい。お客さんは100%外国人である。店員さんはこの店もブラジル人。アジア好きの僕達にとってKOKOは宝の山だ。今日買ったのはコチラの食材。ココナッツミルク、ジャックフルーツの缶詰め、ベトナム・フォー、タイのガッパオの素、タピオカなど。アジアを旅する時は市場やスーパーに入るのが好きなんだが地元にいながらにしてそのワクワク感を味わえるのがいいね。
2019年08月17日
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今年のお盆休みは7連休だが毎年のようにどこにも行ってない。自分の実家と妻の実家にお参りに行ったぐらいのものだ。去年は【スリランカ人達と豪雨の中の宴会】をしたが今年は台風ってこともあって川遊びはしなかった。台風といっても愛知県はいつも非常に恵まれていて被害がない。今日も東からの強めの風が吹いている程度だ。さて、先日ワーゲン・ビートルの中古車が搬入されて来てそのリアフェンダーの塗装のひび割れが芸術的だった。まるでアラビアかどこかの地図を見ているようだった。そうだ、モロッコのフェズのようだ。未だに行ったことがなく、行きたい場所の一つだ。こんな迷宮で迷子になって彷徨いたい。仕事中に頭の中はモロッコに飛んでいたのだった。モロッコは音楽もいいよなあ。
2019年08月15日
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2年前の9月の台風でプルメリアの枝が折れてそいつを挿し木して育てていたのだがやっと今年になって開花してたくさんの花が咲いた。 ⇒【2年前の9月に挿し木した時のブログ】それに加え去年の11月にチェンマイのナッティのコテージでお裾分けして貰って日本に持ち帰った枝は順調に育ちそろそろ大きな鉢に移そうかというほどだ。 ⇒【一冬を乗り越え今年の5月に芽が出た時のブログ】 こうして2階の仕事場でパソコンに向かっていてもベランダから南国の甘い匂いが南風に運ばれて届いて来る。
2019年08月13日
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今年も花火大会の季節がやって来た。なんか花火大会が終わると夏も終わりってイメージだけど実際はこれからが夏真っ盛りなんだよねえ。というわけで家から歩いて5分の高架の歩道で花火の撮影。打ち上げ場所までは約2キロ強といった場所。いやあ人混みもなくて風も通って気持ちいいわ。イマイチの写真でした。
2019年08月04日
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今日は警察署に古物商の再申請に行ってきた。古物商の法改正が行われているというのをカメラマンとして働いている中古車オークション会場のポスターを偶然見つけて知ったのだった。再申請をしないと資格が失効するらしい。いやあ、偶然知ってラッキーだったわ。僕が古物商の許可を取ったのは平成6年。中古の宝石・貴金属の買い取りや販売に加え自動車の売買も古物許可証を持っていればOKである。今日は再申請というだけで古物商手帳、印鑑、免許証、これだけ持って行って無料で再申請完了。さて、ネットで中古品を扱う場合には注意点がある。ヤフオクやメルカリなど個人で1品ずつ出品するならそれが大量出品であっても古物商許可は不要だが、ヤフーショッピングでの出品や独自のHPによる販売では古物許可証が必要ということなのである。僕は念のためネット販売の許可も取得してあるのだがその申請書がこれまた面白いのである。「電気通信回線に接続して行う自動公衆送信により 公衆の閲覧に供する方法を用いるかどうかの別」なんかややこしい文章なんだが要するに「ネット販売するかしないか」ってことなのである。こういう昭和初期的な文章使うの そろそろやめろや。(笑)
2019年07月31日
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三重県の大杉谷渓谷に行ってから2ヶ月が過ぎた。原稿を書いた日にちや雑誌発行までのタイムラグのためやっと7月20日発売の「リバ」のエッセイになりました。 ⇒ 【日本の渓谷】奥に見える滝がエッセイに出てくる「ニコニコ滝」
2019年07月25日
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母の葬儀の際、小さな家族葬の式場で父と留守番をしていてテレビはあったものの何も観る気になれずやることもなく親父と色々な話をして過ごした。「こうしてお前とじっくり話をするのは初めてかもなあ」親父にそう言われて確かにそうだなと思った。しかし年寄りとの会話というのはつまらんものである。そんなわけでブラブラと狭い式場を物色していると散骨に関するパンフレットを見つけた。南紀白浜沖で船からの散骨〇〇万円より千葉の大自然の森での散骨〇万円よりそんな中で桁違いの散骨プランがあった。人工衛星プラン 税込価格1,026,000円月旅行プラン 税込価格2,700,000円宇宙探検プラン 税込価格2,700,000円うっは~!これはすごい。しかも葬儀とは別価格の散骨のみの値段だ。葬儀担当者さんも「これはまだ受けたことないです」当たり前だろ、こんなの「ちゃんと散骨しました」っていう証拠の提出をしようがない。「やっときました」と言って何もやらなくてもバレないじゃん。そこでハタと閃いた。ヒマラヤ散骨プラン50万円とかバリ島散骨プラン30万円とかインド洋散骨プラン30万円とかタイの鍾乳洞散骨プラン20万円とか僕の行きたい場所を色々ピックアップしてパンフレット作って色んな葬儀場に置かせてもらえばええんじゃねえか、と。どや?コレ読んだ人の中で「私の骨をヒマラヤに撒いてきて」とか「バリ島の青いビーチに撒いて」とか依頼する人いませんかあ?
2019年07月22日
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俺が声を掛けると母は笑って「コーヒー淹れようか?」と言った。自分が市民病院の個室にいることが分からないようだ。自宅の居間にいて、俺が訪ねて来たと思っているらしい。それが俺に掛けてくれた最期の言葉だった。翌日の午前中にカメラマンの仕事をしていると同僚が俺を探しに来た。それだけでどういう意味かはピンと来た。事務所に戻るとやはり妻からの電話があったそうでいよいよ母が危篤だという。ここから急いで病院に行っても2時間か、間に合わないな。病院に着くと母の血圧は30/20と異常に低かったが脈拍と心拍数は特に異常はなく顔色も良かった。医者が言うには「明日まで持ちません」ということらしいが家族全員は「こりゃ持ち直したかな」と思って夕方解散した。夜になって看護婦から「心臓が止まった」と電話が来た。ベッドの隣りで付き添っていた父も気付かないほど静かに眠るように息を引き取ったらしい。事前に聞いていた通り、故人と父の希望で家族葬となった。孫達も集まって賑やかなお通夜だった。家族葬は子供達で自由にアレンジ出来る気楽さがある。椅子も囲むように並べようか、とか好きだったお母さんの音楽を流そうか、とか自由にやった。親父の喪主としての挨拶も堅苦しいものではなく、子供や孫達からのメッセージカードを読み上げるというものだった。「お母さん、ありがとう」「おばあちゃん、天国から見ててね」俺が書いたメッセージは「しばしの別れだ、また会おう」輪廻というものがあって、人は生まれ変わるものならばきっと幾つかの来世のうちで別れた人と巡り合えるだろう。ちょうど式場のBGMで中島みゆきの「時代」って曲が静かにオルゴール音楽として流れていた。お母さん、また会おう。今度はもっと親孝行するよ。させてくれ。
2019年07月20日
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日曜日はある舞台のカメラマンを頼まれてやっていた。今年で5回目、リハーサルの時から撮影OK。そのジャンルが好きな人には涙モノの大御所がゲストで客席からは大きな拍手が起こっていた。リハーサル時は客席や舞台袖から構図をチェック、公演中は客席後方からズームで撮影していたが出演メンバーが客席に背を向けて勢揃いした時は僕もステージに上がって観客をバックにして記念撮影をした。この写真は主催者にメモリーごと渡すので非公開。非日常的な1日を過ごさせてもらった。(ノーギャラです)
2019年07月15日
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10日ほど前からボケの木の下に奇妙な物が落ちていた。おそらくは虫の糞なんだろうが俵(たわら)のような形で7~8ミリもあるので鳥の糞かな?とも思っていた。しかし鳥の糞はこんなに固形ではない。手榴弾のようにも見える芸術性すら感じる糞だ。コンクリートの上に落ちてるヤツは雨に溶けると赤っぽい。木や草の実でもなさそうだし、糞だとしたらかなりデカい虫だ。ボケの枝を眺めているとついに発見。な~んだ、蝶か蛾の幼虫か。おお、3匹もいるじゃあないか。調べたら桃などの葉を食べるモモスズメガの幼虫らしい。毛虫タイプなら殺虫剤で殺すところだが、ここまで大きいしアゲハ蝶とかの幼虫に似てるので可哀想で殺せない。枝ごとカットして地面に放置してある。どこかに這って逃げて行け。自然界は色々な生き物を創り出すなあ。そして人間はそれを分類したがる生き物だ。蝶と呼ぶものはもてはやされ、蛾と呼ぶものは忌み嫌う。見た目がきれいならば可愛がられ、茶色や黒は嫌われる。このモモスズメガが「モモスズメ蝶」という名前だったならそして羽の色が茶色ではなくて輝く虹色だったなら。
2019年07月07日
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今日は通訳のためにスリランカ人2人と銀行と法務局に行った。通訳といってもシンハラ語や英語を使うわけではない。係の人が話す専門的な言葉を僕が簡単な言葉に変換するだけだ。「特筆事項」を「特別に注意することあったら書く」という感じだ。ところが法務局の担当者は日本人の僕でも分からないほどの早口で「ここに登記する屋号を記入してここは実印押してえ~っとここはだなそうそうここは記入しなくてヨシとそれからこの欄は所在地でうんうん資本金はまあ適当に300万ぐらいにしとけばいいですよそんなもんかな」と句読点もないほどの勢いで喋り続けるのだった。分かったことといえば「法務局HPにも載っている」ってことだけで通訳する間もなく法務局から帰って来たのであった。帰りに海外の食品を扱っている小さなスーパーに寄った。タイの即席ラーメンと焼きそばを購入。5袋入りで¥198。1食あたり¥40、ってことは15タイバーツか、バンコクの現地スーパーと変わらない値段だぞ、利益あるのか?家に帰って妻に見せたら大喜びである。「あの店行ったならココナッツミルクも買って来て欲しかったな」「ナンプラーも売ってたよ」「グリーンカレーのペーストも欲しかったなあ」我が家は一般の家庭とはちょっと違うみたいだな。
2019年07月03日
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休みの日はスリランカ人の仲間と過ごすことが多いのだが今日はピアちゃんが作ってくれたビリヤーニ(ブリヤーニ)と激辛チキンカレーを美味しく戴いた。ロハン宅には新兵器ラケットがある。蚊を簡単に殺すことが出来るのである。グリップの所にあるボタンを押しながら飛んでいる蚊をコレで触るだけ。あまりに気に入ったのでホームセンターに買いに行った。お値段なんと¥598。ダイソーで売ってるヤツは威力が弱くてダメらしいがコイツはすごい殺傷能力だ。夫婦喧嘩にも使えそうなのでお薦めである。しかし、ネーミングが何というか...。蚊トリーヌ(笑)
2019年06月30日
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この2~3ヶ月はスリランカ人絡みで色々なことがあった。ちょうど山に行っている時に空港の税関から電話があった。「あなたが身元保証人となっているスリランカ人がいるが...」次男が「はい、父から聞いてます」「じゃあ確認のためそのスリランカ人の名前を言って下さい」「マンガラさんって人です」「いや、本名を言って下さい」次男がわかるはずはない。だって僕でも知らないのだから。「マンガラ」というのは子供の時からのあだ名らしく本名は「ヘイワキリギリアゲ・ヘマシリ・何とか」というのだがそれを確認できないためマンガラさんは強制送還されそうになりまあ色々な尽力があって無事入国できたのだが、山から帰って来て家族から文句を言われたのだった。以前もたまたま山に行っていた時の深夜に、自宅の前の公園の階段に車が突っ込んで大破してクラクションが鳴りっ放しになり近所の人も含めてJAFが来るまでずっとそのまま何もできずにいて「こんな時に限ってうちの主人は山に行っちゃってて...」とかたまたまタイに買い付けに行ってる時に不法就労のネパール人が無免許でひき逃げして我が家に助けを求めてきたのだが僕がいないため妻が自首させて警察署に行っただとか僕は”いつも肝心な時に限って不在のろくでなしの亭主”となっている。しかしだ、それって俺が悪いの?俺に何か落ち度があるの?(笑)さて、スリランカ人のピアちゃんのお母さんが先日帰国した。日本を堪能して帰って行ったのだがすっかり日本が好きになり僕が12月にスリランカに行く予定だ、と言うとじゃあその時に泊まりに来てね、と言ってくれたが僕はニゴンボの町では海辺のゲストハウスに泊まりたいのだ。ドアを開けたら目の前がビーチ!という安宿に泊まりたい。今月発売された雑誌「リバ」に載せたエッセイはピアちゃんのお母さんと過ごした2ヶ月間のことを寄稿した。 ⇒ 【スリランカ人が見た岡崎】これはニゴンボのお母さん宅で撮った数年前の写真。
2019年06月27日
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最近の母は肺水腫を改善させる薬の影響からか昔の話なのか夢の話なのか脈絡のないうわ言を喋る。市民病院へ経過受診に行くために介護車両を借りた。民間の介護タクシーだと片道8000円ほど、往復で16000円。市の車両を借りれば使用距離40キロ以内だから400円で済む。早朝に家を出て故郷の介護支援センターに行って車を借り母の入所している介護施設に迎えに行った。車椅子に座らせたままの母を介護車両に乗せる前に路傍に植えられているアジサイを見せてやって「何の花かわかる?」と尋ねたら目を開けて「あじさい」と答えた。病院の診察を終えて介護施設に戻る時、同乗していた父が「自宅へ寄って家の中に入れてやりたい」と言った。父の希望なのか、母本人の希望なのか分からないが自宅の庭に車を入れてバックドアからスロープで車椅子ごと降ろし土に埋まってしまう車椅子のタイヤと悪戦苦闘し松の根でデコボコになったコンクリートの上り坂を通りガタガタになった木の引き戸を開けて玄関に入った。玄関から居間に車椅子を持ち上げるのも一苦労で汗が噴き出て息も荒くなったがそれを母に見せまいと平然とし「ほら、何も変わったとこないだろ?変わったのはカレンダーだけだ」他に色んなことを話し掛けても母は目も開けず首はぐらりと車椅子の枕から傾いてずり落ちそうになっていてまさか死んでるんじゃ、とさえ思うようなダラダラ加減で父が「もう、いい・・・」と泣きそうな声で言うので結局一度も目を開けないまま5分ほどで実家をあとにした。きっと自宅に寄ったことも分かってないのだろう。運転していたのが息子の僕だということも分からないのだろう。ただ、あじさいだけは覚えていた。たったそれだけのことで「母は正常なのだ」と自分に言い聞かせている。
2019年06月21日
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本日紹介する車はデロリアン・モーター・カンパニーで唯一製造された今や幻の車「デロリアン」だ。映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」で有名な車である。2850ccV6SOHC12バルブのエンジンは150馬力。エンジンスペックは大したことはない。このエンジンをリアに搭載したこととガルウイングドア、ジウジアーロがデザインを手掛けた以上に特筆すべきはボディーが無塗装ステンレスのブラッシュ加工ということだ。画像で見ても分かり難いが陽が当たると非常に眩しいのだ。ポリッシュ加工(光沢のあるピカピカ)ではなくブラッシュ加工(サンドペーパーの傷のまま)のボディーはアルミよりも重厚感があり、無塗装ということもあって凄い。アルミホイールも外装も全てオリジナルのまま。左右2本出しのマフラーは特に大きな音ではない。テールランプの形状はいかにも80年代のアメ車っぽい。リアのアウター・サンシェードも80年代の雰囲気。でも真後ろからのフォルムは別にカッコ良くないな。ウインドーは先日紹介したミツオカ・オロチやAZ-1と同じ、いわゆるチケット・ウインドーと呼ばれるタイプだ。何でこんな窓にしちゃうんだろうね。アウターハンドル(ドアノブ)はドアモールと同化している。内装は特筆する点ナシ。サイドブレーキがドア寄りにあるため乗降時に邪魔になる。フェラーリの一部車種もこの位置にサイドブレーキあるんだよね。これはやめて欲しいわ。燃料給油口はなんとボンネットを開けると現れる。確か隣りがブレーキオイル給油口だったかな、間違えて入れないようにお願いします。生ゴミやバナナの皮を入れても走ったり飛んだりしません。何十年後かの自分がどうなってるかを知りたかったらぜひ購入をお薦めします。このレベルの中古車なら大体800万から900万円ぐらい。
2019年06月16日
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最近は高齢者のペダル踏み間違いの事故が多い。数ヶ月前まで煽り運転のニュースばかりだったのだがこの頃は高齢者の事故のことばかり報道している。煽り運転のニュースを連日報道したせいでドライブレコーダーの売り上げは飛躍的に伸びたようだ。そして今、踏み間違いを防ぐ安全装置が注目されている。根本的な原因に蓋をして、装備品を売る方に話が傾いている。高齢者の免許返納が続出したら高い車が売れなくなる。自動車産業が盛んな日本で車が売れなくなったら大問題だ。ということで高齢者でも安心して乗れる安全装置を付けて売れば経済に支障が出ることなく、安全装置最新技術を売って更に車の値段が上がっていくという構造のような気がする。失笑したのが「高齢者専用免許証」を発行するという話だ。呆れるを通り越して笑えた。昭和の時代には高齢者のペダル踏み間違い事故は多かったのか?年々増加していくのはなぜだろうか?僕個人の考えとしては「装備に頼り過ぎ」ではないのかと思う。パソコンやスマホに頼り過ぎて漢字が書けなくなった、それと混同してはいけないが、なんか先進国病というか急な対処が出来なくなったというか、どうも科学の進歩は人間を退化させているのではないだろうか?僕個人の考えでは70歳とか75歳の年齢になったら免許の更新を1年毎にするとか、実地試験を受けてもらって不合格だったら高い追加料金で追試みたいなのを受けるとか高齢者の免許更新料を5万円ぐらいにするとかうわ、そんな高い金払うなら免許返納するわい!と思うぐらいの税収対策にもなる解決法を見出して欲しいものである。さて、今日のタイトルは初代ニッサン・セドリックだった。本日紹介するのは初代セドリック・カスタムの後期モデル。エンジンは直列4気筒の1500cc。まあもっと排気量の大きい同モデルも存在する。フロントウインドウの形状はこんな感じ。ドアを開けるとこんな感じ。バックから見たデザインは至ってシンプル。トランクを開けるとスペアタイヤ剥き出し。今の車ってスペアタイヤすら付いてない車もある。パンク補修スプレーが1本あるだけ。工具も標準装備されていない。最後にセドリックの内装。う~ん、レトロなメーターとハンドル。安全装置なんてほとんど付いてなかった時代である。エアバッグや障害物感知センサーも付いてなかったしシートベルトですら装備されていなかった。今は過剰ともいえる装備が付いているのに逆に事故が多い。どうもそのあたりに問題点があるような気がするのだが。
2019年06月14日
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しばらく前にミツオカ・オロチの写真を撮った。ミツオカ・オロチとは光岡自動車が作った車名である。ベース車となるフレームは自社製、足回りはホンダ、エンジンはTOYOTA製3300ccV6DOHCをリアに搭載。この車のスペックは別にどうでも良い。肝心なのはこの恐るべき外装デザインだ。日本神話のヤマタノオロチをイメージしたというだけあり車高の低さや流れるようなフォルムは強烈なインパクトだ。世の中にはびこっている白物家電のような車とは一線を画す。フェラーリが隣りに置いてあったとしても見劣りはしない。これが日本製の車ということに誇りすら感じる。MAZDAのAZ-1と同じで窓はこれだけしか開かない。リアフェンダーにはエンジン冷却用の空気取り入れ口。余程の車バカしか気付かないが(僕は一瞬で気付いてしまった...)リアバンパーに付いているバックランプ+反射板のパーツはFD3S型のRX-7のパーツをそのまま流用している。内装は赤と黒の本革で丁寧に仕上げてある。この車にシートクーラーが装備されてたかは見なかったが本革シートって豪華なようで悲惨なんだよなあ。夏は熱くなって座れない、冬はヒンヤリ...。しかも本革シートってすぐに傷が付いたり破れたりするんだよな。ちなみに中古価格は800~900万円ほど。リアエンジンなので3300ccV6DOHCのこの車をラフに扱うとオーバーステアでケツが流れるので案外怖いかもな。トルセンLSDが装着されてれば面白いんだけどなあ。
2019年06月12日
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今年のGWは恒例の小秀山に行こうとしてたんだが天候やスケジュールの都合で行くことが出来なかった。その穴埋めをするような感じで大杉谷渓谷へ行ったがその登山道は雨の日はかなり滑りそうだと思った。毎年数人の死亡者が出る登山道とのことだが確かに崖から転落したら助かりそうにない道だったな。5月20日発売の雑誌「リバ」に載せたエッセイには山での遭難というタイトルで寄稿した。 ⇒ 【山での遭難】
2019年06月08日
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我が家から歩いて10分ほどの岡崎市東公園では6月1日から20日まで菖蒲園がライトアップされる。ということで晩ご飯を食べてから行ってきた。園内には琴の音が流れ、提灯が灯されている。菖蒲園に行くと相変わらず無造作な水銀灯のライトアップ。う~ん、もったいない。もっと風情を演出して欲しいなあ。関係者さんがこれを読んで検討してくれたらいいんだが。「石の街おかざき」なんだからさ、石灯籠による間接照明とか御影石(あ、でも中国産を輸入か...)でオブジェ作ったりして粋なライトアップをして欲しいものである。今の時代、インスタ映えするような演出をすればあとは来てくれた来園者さんが勝手にネットで拡散してくれるから最初の演出だけバッチリやっとけば後の宣伝は無用だと思うよ。かといって来園者が増えて市の税収アップまでつながるか、っていうとまたそれはプラスアルファの何かの仕掛けをしなくちゃアカンけど。菖蒲園の隅の方に行くと紫陽花がひっそりと暗闇で咲いている。なんか鹿が出てきそうな雰囲気だ。夜に見る紫陽花は何か違った雰囲気があるな。これが本当の山の中で、白い紫陽花がポツリポツリと咲いてたら神秘的でぼわ~んと感じちゃうだろうなあ。そういえば妻が「紅」っていう額紫陽花を買ってきた。今は白色だけどそのうち真っ赤になるらしい。土のペーハーとは関係なく赤くなる品種のようだ。さて菖蒲はまだ早かったようで、3分から5分咲きといった感じ。品種にもよるが少し早かったかな。菖蒲は夕方の薄明るい時間に見るのがいい気がする。
2019年06月06日
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天皇陛下が我が家のすぐ近くに来た。数週間前に地域の回覧板でその旨の通知があり、何時頃どこどこをお通りになられますということでまあちょうど休みなので歩いて見に行くことにした。当日知ったのだが今回は雅子様も来られるということで白バイやパトカーの後ろに黒い車が1台、その後ろが天皇御夫妻の車、沿道沿い側に雅子様、向こうに陛下ということだった。近所のミクサさんは自宅2階の窓から見ようとしてたら警備の警察に「陛下を見下ろす格好で見るのはイカン」と言われナルセさんの敷地内の車は沿道から奥に置き直され一般見物人はバラバラの場所で見るのは許されず決められた場所でまとまってお出迎えするように言われすごい制約の中での見物となった。まあ僕はブログ上では「放浪さん」と言われてはいるがお客さんや同業者からは店名である「パサールさん」と呼ばれ地元の編集部関係では「アナーキー斎藤さん」と呼ばれている。僕のエッセイのコーナー名が「アナーキー・イン・ザ・オカザキ」で反社会的な辛口エッセイでいきましょう、という編集部の思惑がありそんな感じのエッセイを書くこともあるのだがまさか陛下ネタで辛口エッセイを書くことは出来ない。まあ、アナーキー斎藤ともあろうものが天皇陛下のパレードに行く、それ自体が何やら矛盾しているのであるがせっかく自宅からすぐの所を通るのだから見に行くことにしたのである。申し訳ないが別に尊敬しているわけでもないが、やはり日本の象徴ということで野次馬根性での参加である。沿道に着いたら既にめちゃくちゃな人である。警察から配られる日の丸の旗は既に完売。(売ってるんじゃないけど)待つこと20分、いよいよ先導がやってきた。そして陛下御夫妻の乗った車が。沿道の市民は「来た~!」と大盛り上がりで旗を振る。観衆の多くはスマホを高く掲げている。僕はカメラを頭上高く掲げてシャッターチャンスを待つ。写真を撮って何なの?と思わないでもないが天皇崇拝者には申し訳ないがズバリ「ブログネタ」である。黒い車が目の前でスピードを緩める。大歓声だ。来た!その決定的瞬間をパシャリ!・・・・・。以上、天皇皇后両陛下パレード歓迎レポートを終わります。
2019年06月02日
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大杉谷渓谷の中でも見応えのある滝の一つに七ツ釜滝があり桃の木小屋からはゆっくり歩いて往復1時間弱。総落差100mという大きめの滝で、真正面には東屋がある。ここで寝袋にくるまって野宿というのもアリかも、と思うが滝の近くで夜を過ごすとなるとやっぱ怖いだろうな、やめとこ。実に綺麗な滝だった。滝壺の近くの岩場に下りて行って1日過ごしたかった。この滝の横を通って更に登れば大台ケ原に辿り着く。ちなみに大台ケ原は【2016年5月末に行った】がドン曇りだった。七ツ釜滝の東屋でしばらくのんびりした後は小屋に戻った。いよいよこの秘境から下山開始だ。吊り橋1本1本を渡る度に俗世界が近づいて来る。翡翠色の水の世界から去り難い。どれだけ見ていても飽きないのである。ハヤが群れとなって泳ぎアマゴが悠々と横切る。水面の光の紋様は瞬間ごとに移ろう。登山口まで戻ってしまった。別世界への旅は終わったのだ。そうして温泉に入って人工の音だらけの町に帰って来た。
2019年06月01日
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渓谷沿いの木陰になった登山道をのんびり歩いて6時間、今日の宿泊地である桃ノ木小屋に到着した。1泊2食で9000円とまあまあのお値段。(僕達のグループは個室を予約したので500円UP)しかし日曜日の夜ということもあって個室じゃなくても良かった。個室は4人が横に布団を敷いてぴったりの大きさ。リュックは部屋の外に置いて下さいとのこと。畳に傷が付くといけないしね。そして何とこの小屋ではお風呂に入ることが可能。シャンプー・石鹸の使用はもちろん禁止だがヒノキで出来た風呂は程良い湯加減で気持ち良かった。写真はアップしていないが男4人が肩寄せ合って入れる程度。僕達の個室は別館の一番奥で、他には誰もいなかった。こんな階段通路を通って部屋に行く。夕食はおかわり自由のカツカレーと小さなサラダ。夜8時には消灯となる。静かな川のせせらぎを聞きながら眠りにつける。お向かいの個室が空いていたので布団を運んで行って僕はそこで1人で寝た。(近くの個室8部屋程度は全て空いていた)夜中にお向かいの個室でコウベ夫婦とモリタ氏の話し声がした。ジジババなのでどうやら既に目が覚めちゃったらしい。お向かいの部屋から「何時なの?」と訊くと「12時」。モリタ氏は新聞配達員なのでそういう体内リズムなんだろう。コウベ氏は「トイレ行きたくなっちゃった」と起きたようだ。吊り橋女ユミさんは「じゃあ私もトイレ」と言う。出た、三河名物「三河の連れション」である。(注:三河人は1人がトイレに行くと連鎖反応を起こすらしい)「たつじん、星がきれいだったよ。行く?」「ん~、行かない。寝る」僕は次に目が覚めたのは4時半だった。ゴソゴソと音がなければ昼近くまで寝続けただろう。朝食は魚と生タマゴと海苔、味噌汁という旅館スタイル。驚いたのは生タマゴが出たということだ。桃ノ木小屋への物資輸送はヘリではなく歩荷(ぼっか)なのだ。毎年滑落事故で死亡者の出る岩場の道を荷物を担いで来るのである。1泊2食で9000円というのは充分に納得できる価格というかこの秘境の見事さからして、もっと高額な宿泊値段でも良いと思った。さて、朝食が済み下山するんだが、その前に手ぶらでもう少し奥の七つ釜滝を見に行こうということになった。つづく...。
2019年05月30日
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日本3大渓谷といわれる三重県の大杉谷渓谷に行って来た。朝6時に岡崎市の我が家にコウベ夫妻が迎えに来てくれて途中でモリタ氏と合流。なんと最近モリタ氏は自宅庭でテントで寝るのもインターネットカフェの駐車場での車中泊も止め車の中の家財道具一式も降ろし自宅で寝ているらしい。普通のおっさんの生活に戻っていたのであった。で、11時頃には大杉谷渓谷の登山口に到着。宮川ダムの横から歩き始めて川沿いの断崖を歩く。京良谷という河原で昼食。もうここで帰ってもいいぐらい既に満足している。山ツツジと清流の色が見事だ。渓谷はまさに翡翠色で、日本3大渓谷の名に相応しい。のんびりゆっくりペースで3時間歩いてシシ淵に到着。今までに見たことのない絶景だ。ここでも写真を撮りまくって1時間ほど過ごした。あれれ?俺の服装【去年の9月に天生湿原に行った時】と同じやん。今回は妻から借りた日除け用帽子を被って行った。実に役に立ったわ。のんびりと渓谷歩きを堪能したり吊り橋で遊んだりして4時頃に今夜の宿泊先「桃の木小屋」に到着。次回に続く...。
2019年05月29日
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オープンカーの中で最高峰と言われるのがスーパー7だ。スーパー7の元祖はイギリスのロータス社であり、未だに「Handling by LOTUS」という言葉は不滅である。ロータス社といえば「ロータス・ヨーロッパ」「エラン」「エスプリ」そして今の世代では「エリーゼ」(過去に紹介済み)が人気だがどれもスポーツカーとしての名車ばかりだ。今日紹介するのはロータス・スーパー7の派生車というかなんかややこしいので説明が難しいのだが南アフリカで作られることになった「バーキン7」だ。「バーキン」と「ケータハム」は非常に似ているのだがフロントのダブルウィッシュボーン部分のV字型アーム部が「V」か「∀」かになっているかで違いが判る。補強アームが入っている方がバーキン7だ。軽量化にこだわったアルミボディ―。走る楽しさだけを追求し、無駄な装備は削ぎ落した車だ。確か車重はわずか580kgだったと思う。ちなみにエンジンフードは横開き。「GTロマン」って漫画にも登場するよね。強烈な加速、抜群のコーナリング、最高の開放感の代わりにエアコンやABSなど快適・安全装置は付いていない。てか、ドアも付いていない。(この画像の前方に写ってる赤いホイールの車は後日紹介する)20代の頃、僕は本当にコレが欲しかったがロータス・スーパー7の値段は確か698万円、ぐは~、絶対無理!と涙を呑んだ記憶がある。今は欲しいとは思わない。サーキットで全開で走ってみたいと思うが所有したいとは思わない。「乗りたい」と「所有したい」は別なのだ。このスピードメーターとタコメーターの角度!僕の昼の仕事はこうやって車の写真を撮ってあ~だこ~だ、と車を品評しながら小遣いを貰っている。
2019年05月23日
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