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今日、テレビで「国家の品格」の作者、藤原正彦が対談していた。相手は鳥越俊太郎。 私は以前、「国家の品格」について記事にした。今思い出してもこの記事は消化不良だった。この記事では改めて彼の考え方について述べる。 藤原氏は「国民こそ敵」と言っていた。小泉政権を支えたのは日本国民。それを痛烈に批判していた。現在の安倍内閣には裏切ることを求めてもいた。そうしなければ「美しい国」の現実は不可能とも。また初等教育の重要性も訴えていた。確かに小学校での6年間は重要だ。だが「張り倒す」とか彼の手法には賛成できない部分もある。藤原氏は「張り倒す」のと同時に「ほめること」の重要性も説いていた。私はこの話から水谷修氏のことを思い出していた。リストカットや薬物問題に詳しい水谷氏。彼もまたほめることの大切さを講演で語っていた。このことについては「水谷修氏の講演に行く」でも書いた。 だが両者には決定的な違いがある。藤原氏と違って水谷氏は子どもを「張り倒す」ことはしない。私は何が何でも水谷氏を支持する「水谷信者」ではない。それでも「張り倒す」ことには賛成できない。暴力によって何が解決するのか。私にはそれが疑問に感じた。「武士道」についても一言。藤原氏はいつも武士道から発言していることが多い。教育論など武士道が参考になると言う主張は賛成できる。しかし一歩間違えると「昔はよかった論」に陥ってしまう危険性がある。さらに言えば、武士道があった時代にはいじめはなかったのか?現代とは違った形で武士道のあった世界でもいじめはあったに違いない。いじめ以上に理不尽な切腹ということも行われていた。しかも武士道の時代は一部の武士が大多数である農民を支配していた。そんな世界がいい世界だろうか?現実に武士道の世界へ戻ることは可能なのか。私にはそうは思えない。では現代に武士道だけを存在させることは可能なのか?それもかなり困難だろう。だから私は藤原氏の意見を参考にはするが鵜呑みには出来ない。藤原氏によると品格のある国を目指すべきとのこと。「日本のGDPが半分になっても」と熱く語っていた。そんなことは藤原氏の空想でしかない絵空事。すでに経済大国の日本。この称号が今も通用するか、かなり疑問もある。しかしGDPを半分にする覚悟が日本国民にあるのか?今までの努力を無駄にしてまで品格のある国を作ろうというのか。彼の主張は面白い。しかし「実現可能なこと」と「興味のある話」は違う。彼の本がベストセラーになるのはこうしたことからだと私は判断した。藤原氏の主張を現実化しようという人は現れない。それは彼の考えには現実が伴っていないから。聞き手の鳥越も役不足。藤原氏に対して意地悪な質問をぶつければいいのにと思う。意地悪な質問は時に本音を語らせる。このことは「CBSマイク・ウォレスの引退」でも書いた。日本のジャーナリズムに欠けているのはまさしくこの点だ。***********************関連記事この対談は多くの人の関心を集めた。いくつかブログ記事を紹介する。癒しと道徳武士道の心国家の品格 何故、テレビはダメなのか。鳥越俊太郎氏と藤原正彦氏の対談に思う。叱ること&褒めること藤原正彦さん、違いますよ「国家の品格」について卑怯者と言う言語張り倒せ ***トラックバックはテーマに関係するもののみどうぞ。その場合リンクは必要とはしません。意見があればメッセージでどうぞ。ただし荒らしと挨拶できない人はお断りです。今のところメッセージは全て読んでいます。
2007.01.10
教育改革に関するタウンミーティングで教育基本法改正案に賛成するよう政府側が依頼。内閣府は「やらせ」があったことを認めた。時は9月。ところは青森県八戸市。「やらせ」タウンミーティング、内閣府が依頼認め陳謝(読売新聞)やらせ質問 民意をなめるな(11月9日朝日新聞社説)教育基本法については改正があるのではないかと一部の人から危惧されている。もともとタウンミーティングは国民から多くの意見を聞く場。その質問を政府側が用意しておいて「やらせ」で終わらせるのならタウンミーティングの意味はない。金の無駄だ。政府はこうした「やらせ」をさせるから、さらに信用されなくなる。***********************関連ページタウンミーティングもここまで落ちたのか…政府「やらせ」認め陳謝教育基本法資料室(文部科学省) 教育基本法「改正」情報センター教育基本法の改悪をとめよう! 全国連絡会 ***トラックバックはテーマに関係するもののみどうぞ。その場合リンクは必要とはしません。意見があればメッセージでどうぞ。ただし荒らしと挨拶できない人はお断りです。今のところメッセージは全て読んでいます。
2006.11.08
愛媛県で高校の校長が6日午前、自殺した。愛媛・新居浜西高校長が自殺 履修問題苦に?(asahi.com)この校長は問題となっている世界史の履修について気にしていたそうだ。しかし、教育委員会によれば「履修漏れはなかった」とのことで、自殺の原因は何なのか。後になって「実は履修が自殺の原因で・・・」と言い出さないだろうな。追記 その後の報道では、履修問題での自殺らしい。一番気になるのは残された高校生たち。今後受験シーズンが始まり、卒業までいろんなことがある。この時期にどうして校長が自殺するのか。この記事でも同じことを書いた。教育者なら特にこの時期に自殺するなよ!厳しいが私はそう感じた。残された高校生に与える影響を考えてくれ!校長が自殺して何か変わるのか?校長は高校生の手本ではないのか?現役の教育者なら、まずそのことを考えてくれ! 確かに今高校は大変だろう。履修逃れ(もう「履修漏れ」と書きたくはない)が重く、受験シーズンになると大変だ。補習も社会科の教員が不足することまで懸念されている。補習が卒業までに間に合わないかもしれないという声も聞く。校長としても責任は重い。何しろ「学校であったこと」は基本的に校長の責任であるからだ。だからといって校長が自殺することに意味があるとは思えない。こうした校長自殺のニュースを聞く我々もどこか狂っているのかもしれない。最近は自殺のニュースが多くて「また自殺か」くらいの感覚が怖い。自殺は救いがない。でもそのニュースを軽く聞いてしまう自分も救いがない。そんな人、私以外にもいるんじゃないか。本人も苦しんだんだろう。この校長にも家族がいるに違いない。それでも私は教育者に自殺を選択して欲しくない。***********************関連記事履修漏れでまた自殺者 愛媛新居浜↑この記事では履修逃れが自殺の原因であるとしている。教師の自殺と子どもたちの自殺 ***トラックバックはテーマに関係するもののみどうぞ。その場合リンクは必要とはしません。意見があればメッセージでどうぞ。ただし荒らしと挨拶できない人はお断りです。今のところメッセージは全て読んでいます。
2006.11.06
前に、産経新聞の社説「主張」がいじめについてどう書いているのか記事にした。産経新聞は自殺を理解していない 他の新聞が社説でこのテーマについてどう書いているのか。気になって調べてみた。産経とはさまざまな記事で考え方の違いを見せる朝日新聞。11月2日の社説でいじめについて書いている。悩める君へ 「避難港」を見つけよう産経のように「強く」生きることを求めるのではなく、「避難」の必要性について書いている。保健室、子どもの人権110番、読書、そして学校へ行かないなどその例をあげている。さらには転校にまで言及している。せっかくだから「子どもの人権110番」の電話番号をここにも記載する。この記事を読んだのも何かの縁。いじめで悩んでいるならここへ電話するのもひとつの手だ。 0570・070・110朝日はいろんな人がいろんな批判をしている。私も正直、朝日の記事が好きでないと感じることは多くある。しかし今回のいじめに関しては朝日の考え方は私に近い。「強さ」を求める産経を例えるなら北風。「避難」も必要と書く朝日は太陽だ。私は思う。いじめに対し強くなれないから自殺を考える生徒が出る。そこに「強さ」を求める記事を、この生徒はどう読むだろうか。確かに強さは必要だ。しかし時に強さを求めることが生徒をさらに追い詰めはしないだろうか。逆に、「朝日は甘い。不登校が増えるだけ」という意見もあろう。それでもいいと私は思う。産経のように「強さ」を求める社説だけでないことが、私を安心させる。そして今、いじめで悩んでいる子にも安心させていると信じる。願わくば、朝日には「社説を書くまでのプロセス」を見せて欲しい。私はこの点を以前から訴えてきた。例えば以下のページ。国旗と国歌についてテーマこそ「国旗と国歌」、「いじめ」で違いはある。しかし共通している点は、「新聞は記事になる過程は見せないのか」という点。新聞社には多くの人材がいることだろう。しかし新聞の顔とも言える社説で書ける意見は限られている。たいていの社説はひとつの意見しか書かない。新聞社には多くの記者がいて、ひとつの意見しか書かないのはもったいない。ひとつの記事が世に出るには「新聞には書かれなかった意見」があるはずだ。ネットが世に出てきた現在、新聞のあり方が問われている。記者がいかに汗をかいたか。それを見せることで新聞の今までになかった魅力が多くの人に理解されるのではないか。私はそう思っている。話が脱線した。もうひとつ、このいじめというテーマで書かれた社説を紹介する。10月31日の東京新聞だ。いじめ自殺 悲しみの連鎖を断て朝日の社説と比較すると、この記事は大人に向けて書かれている。こうした視点で社説を書くことも必要だろう。その点では評価できるが、私にとって東京新聞のこの社説は記憶に残りにくい。朝日は今いじめにあっている生徒に対して語りかけるように書いている。こうした書き方は社説としてはどうなのか、私は知らないが記憶には残る。朝日の社説で救われた生徒が全国に必ずいる。私は記事を読み、自分でそう感じた。好みという点では私は朝日の社説を支持する。***********************関連のページ子どもの人権問題に関する相談先電話番号一覧 子どもの人権救済センター(東京弁護士会)「子どもの人権110番」統計資料 ***トラックバックはテーマに関係するもののみどうぞ。その場合リンクは必要とはしません。意見があればメッセージでどうぞ。ただし荒らしと挨拶できない人はお断りです。今のところメッセージは全て読んでいます。
2006.11.02
このところ毎日報道されている履修漏れ問題。必修科目の履修漏れが発覚した茨城県の公立高校校長が自殺した。必修漏れ校長自殺か 県教委に衝撃走る(東京新聞)この校長が山中で死亡した30日は保護者を集めた説明会がある日だった。遺書には「生徒に瑕疵はない」などと書かれていた。このため履修漏れ問題が自殺に影響していると見るべきだろう。「生徒に瑕疵はない」…自殺の校長、遺書に記す(iza) この高校でも、進路希望先に提出する調査書の記述をどうするか話し合っていたところだという。私はすでにこの調査書の問題については以下の記事で指摘した。未履修400校!補習の意味履修漏れがある高校では、大学などに出す調査書に頭を悩ませる。なぜなら、事実をありのまま書けば大学に「門前払い」される恐れがある。必修科目の単位不足で「高校卒業見込み」の認定がされないためだ。逆に「高校卒業見込み」のために調査書を書くと、「虚偽記載」として犯罪になりかねない。この校長の場合、自殺の動機がはっきりしているわけではない。履修問題での自殺であるなら、最後まで校長として対応してほしかった。この記事でも書いたが、校長らしい、教育者らしい責任の取り方を考えるべきだった。厳しいようだが校長が自殺しても何か解決するわけではない。たとえ履修問題で悩んでいたとしても、残された高校生のことを考えてほしかった。それが教育者というものではないのか。***********************関連記事校長先生、自殺までしなくても…↑教育の現場にいた方の記事。賛成できる部分もあるが、以下の記述は理解できない。>要りもしない教科を勉強させられるのはナンセンスだ!と叫んでいませんでしたか。白髪頭の素人の校長を取り囲んで、マスコミの餌食にして何が楽しいのですか?>普通科高校の学習が、受験至上主義に走っていることが問題なのです。それを煽ってきたのもマスコミじゃないですか。専門学校なんかまったく論外の、「大学至上主義」、どこかが狂っているのではないですか。これは責任転嫁ではないか。いくらマスコミが騒ごうとも、学校が「規則だから」と原則を守るべきだった。今回の履修漏れ問題で規則を破ったのは高校。そしてその高校での責任は校長にある。マスコミを批判するのは勝手。だが、本当に批判されるべきは高校だ。問題なのは普通科高校の受験至上主義ではない。規則を教えるはずの高校で規則破りをしたこと。そしてそれを認めようとせず、「生徒のため、受験のため」と責任逃れをしている校長たち。これこそが問題だ。高校生に対して「規則を守れ」「素直になれ」そう指導してきたのは誰か。教育者が聞いて呆れる。私はこの記事を読んでそう感じた。佐竹高校長自殺 履修不足影響か? ≪履修単位不足問題≫茨城県立佐竹高校の校長が自殺「必修逃れ」を苦に自殺茨城県立高の校長が自殺 #1489 未履修問題。ついに死者まで・・・。未履修発覚の校長の首つり自殺に思う大人の保身の影で子供たちは・・・。お手本なき子供たち未履修発覚高の校長自殺「また自殺者が、、、」責任感てなんやねん ***トラックバックはテーマに関係するもののみどうぞ。その場合リンクは必要とはしません。意見があればメッセージでどうぞ。ただし荒らしと挨拶できない人はお断りです。今のところメッセージは全て読んでいます。
2006.10.31
泥沼の様相を呈してきた高校の履修不足問題。ある高校生がその実態を告白した。<履修不足>高3男子告発「学校は潔く認めて」(毎日新聞) この高校生は厳しく今回の問題を以下のように批判している。「きちんとした説明がないのが気に入らない。『教育は人間形成のため』と言っておきながら、受験の結果を出すためには何でもやっていいというのは矛盾している」「先生は『金を稼ぐために何をやってもいいというのはおかしい。社会のルールではやってはいけないことだ』と話していたのに、受験のためには何をやってもいいというのと同じではないか」(上記記事から引用)現場の高校教師、そして監督責任のある校長や教頭。この訴えにどう答えるのか。私としては大いに知りたい。今までも私は履修問題に関して記事を書いてきた。高校の履修漏れ問題未履修400校!補習の意味今でもこの問題で不思議に思うことがある。それはこの問題を防がなかった。または意図的にこの履修漏れをしてきた校長たち。校長たちは今回の問題に関してどうして「すべては私の責任」と言えないのか?今回履修で問題があった高校の校長たち。「生徒のためにやったこと」などと言い訳せずこう表明すればいいのに。「管理責任は私にある。いかなる処分も受ける。私はどうなってもいいから卒業だけは認めてもらいたい」もちろん教育委員会の方たちとともに校長には責任を取って退陣願う。退職金も減額すれば国庫も助かるというものだ。それが現場責任者の責任の取り方というものではないか。多くの高校で履修漏れがあるので、校長も順次退職すればいい。退職が遅れた校長たちは在任中、給料カットしよう。それがいい。もちろんできる限りの補習は高校の責任で受けてもらう。その上でレポートなどの「救済措置」を認めればいい。そうでもしなければ本当に卒業できない高校生が巷に溢れてしまう。そして同じ問題が来年起きないように「救済措置は今年限り」とする。教育委員会には今後、監視責任を厳密に守らせる。各種の報道を見ると高校での教育は「素直に認めること」が含まれていないのかと思う。それとも教え子である高校生には「素直さ」を求めておいて、教員の側は必要ないのか。学校側の責任、教員の責任は重い。なのに素直に責任を認める学校や教員はどれだけいるのか。私には大きな疑問だ。卒業式。この履修問題が解決し、無事卒業できたと仮定して。こうした問題を起こした教員を、高校生たちは尊敬できるのか。私ならとてもじゃないが尊敬などできない。学校は卒業式で国旗、国歌を強要するより学校や教員に対する尊敬を集めるよう努力したらどうか。国会は教育基本法を改正する前にこの問題をどうするか。その議論が必要だ。まずは単位不足になりそうな高校生をどうするか。そして原因究明と対策も立てなければなるまい。今回の問題でわかったこと。「学校は規則を守らないところ」「教員は規則を守らない人」「学校は過ちがあっても素直に認めない場所であり人がいるところ」さぞかし問題の高校は卒業する高校生にとって思い出に残る場所になっただろう。今回の履修問題で高校生こそ犠牲者だと思う。「生徒と親が求めるから」という言い訳はこの問題では通用しない。その中でも大学など受験を希望しながら「普通に」必要な科目を履修してきた高校生。彼らこそさらなる犠牲者。大学入試に何らかの得点が加えられてもいい。***********************関連記事学校は悪者、でもそこには死角が学校は自己保身の巣窟 受験対策の履修調整。(追記あり)未履修問題高3男子の正論 ↑この高校生の訴えが正論である点は賛成する。しかし問題の根源が「サヨク」であるかのような記述には疑問がある。今回の問題にどれだけ「サヨク」が関係しているのか。 ***トラックバックはテーマに関係するもののみどうぞ。その場合リンクは必要とはしません。意見があればメッセージでどうぞ。ただし荒らしと挨拶できない人はお断りです。今のところメッセージは全て読んでいます。
2006.10.30
富山の高校で必修科目であるにもかかわらず世界史を履修させていなかった問題。その後の調べでこの問題が富山だけではないことがわかった。全国60以上もの高校で同様のことは行われていた。必修科目の履修漏れ、10道県で63校 朝日新聞まとめ(asahi.com)問題は社会科。高校の学習指導要領では世界史が必修で、日本史と地理を選択するということが必要だった。にもかかわらず、高校側もこうした履修をさせていなかった。今年になってこれだけの高校で同じ事が起きていることを考えれば、今まではどうだったのか。2,3年は大丈夫だったのか。報道ではある高校で4年も前からこうしたことは起きていたという。今までどうしてその実態が明らかにならなかったのか。高校や教育委員会の監視はどうなっていたのか。受験シーズンを前にこうしたことが明らかになっては受験生たちも安心してはいられない。今後足りない科目については土日、放課後や冬休みに補習が予定されているからだ。多い高校では、今後200時間もの補習が必要という。私が考えるにこの問題は以下のことが影響していたのではないか。1、社会科、歴史の軽視2、受験科目重視のカリキュラム3、今まで大丈夫だった安心感「歴史の授業は無駄」という意識がどこかにあった。だから削った。これが実際のところだと私は勝手に想像する。世界史は理系にとっても重要だと私は思う。今話題になっている日本核武装議論や北朝鮮への経済制裁。そして靖国神社参拝。こうした事柄はすべて世界史に関係する。もちろん世界史を教えても現代史まで到達しない場合も多いだろう。それでも「歴史を学ぶ意味」というものを世界史から学ぶ生徒もいる。国会では教育基本法改正があるかもしれない。この点は一部の人たちが危惧している。教育基本法改正のより先に、まずは今の教育がどの程度実行されているか。その点を把握したほうがいい。追記その後、読売新聞の報道では、同様のことが35都道県282校で起こっているという。つまり全国どこでもこうしたことは起こっている。今までそれが面に出なかっただけの話だ。***********************関連記事どんどん出てくる履修不足 3年生全員が卒業“危機” 富山高岡南高校[履修漏れ]というか高岡南、確信犯っぽいです(追記あり)↑この記事のコメントを読めばわかるが、「何をいまさら」という声もある。高校にとっては「既成事実」という事なのだろう。富山・高岡南高校履修漏れ 必修の世界史の授業せず高岡南高校で学年全員卒業ピンチ富山県立高岡南高校、3年生が卒業できない ≪富山県立高岡南高校≫必修「地・歴」履修漏れ、3年生卒業ピンチ履修単位不足10県65校必修科目の履修漏れ やっぱりね 他校でも世界史カットが続々と発覚 ☆ 履修漏れは学校ぐるみ世界史は不要?履修ぜず卒業ピンチ!「世界史も地理も教わってないよ」by正佳to管理人【教育・履修不足問題】 世界史など不要?【ニュース】履修単位不足、全国で続々!高岡南高校で必修科目未履修、高3生卒業出来ない?高岡南高校「裏履修問題」SoWhat?卒業ピンチ!富山県立高岡南高で必修の世界史授業せず全国あっちもこっちも、履修不足ゆとりもだめ、受験至上主義もだめ*********************** **************************トラックバックはテーマに関係するもののみどうぞ。その場合リンクは必要とはしません。意見があればメッセージでどうぞ。ただし荒らしと挨拶できない人はお断りです。今のところメッセージは全て読んでいます。
2006.10.26
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