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奏楽(そら)は札幌と近郊在住の若手演奏家と札響の首席オーボエ奏者岩崎弘昌によって2008年に結成されたグループ。このグループの演奏は2010年にモーツァルトのピアノ協奏曲シリーズを聴いたことがあるが、今回はバロックの室内楽を集めたニューイヤーコンサート。時計台ホールは満員であやうく入場できないところだった。運良く最前列に席を確保できた。満員だが、いわゆるクラシック・ファンは数えるほどしかいない。出演者の教え子などがほとんど。こういう催しより、障がいがあったりテレビによく出る演奏家ばかりに観客が集まる傾向は格段と強まっている。お金を払うのだから超一流の有名演奏家に群がる気持ちはわからなくはないが、かつて宮廷のサロンで演奏されていたような典雅な音楽に触れるのはこういう機会以外にはない。この世の二大バカは映画ファンと音楽ファンだろう。というわけで、お目当てはコンサート・タイトルの「バロック・ドッペルコンチェルト」ではなく、ヴィヴァルディの「フルート、オーボエ、ヴァイオリン、ファゴット、通奏低音のための四重奏曲ト短調」とテレマンの「食卓の音楽第1集より四重奏曲ト長調」の2曲。どちらも理屈抜きに楽しく、憂愁さと典雅さと活気が共存した魅力的な音楽。かつてパリ・バロック・アンサンブルの録音で親しんだが、立花雅和の木製フルートの柔らかい響きはさらにこうした音楽にふさわしい。ほかには有名なヴィヴァルディとバッハの有名な短調の二つのヴァイオリンのための協奏曲。最後に珍しいアルビノーニの2本のオーボエのための協奏曲ハ長調作品9の9。弦楽器はコントラバス以外全員妙齢の女性で総勢8人と華やか。中ではチェロの渡辺文という人の余裕ある演奏が印象的だったが、たまたまの参加だったよう。今回の「発見」はファゴットの諸岡今日子とオーボエの岡本千里。どちらもなかなか気迫のある堂々とした演奏で記憶に残った。ファゴットの人はまだ学生だということだが、集中力といい積極性といい大したものだ。アンコールは「G線上のアリア」と「主よ人の望みの喜びよ」。このグループは東北の被災地で慰問活動もしているらしいが、心のこもった温かい演奏は感動的だった。
January 24, 2012
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今年はアメリカの作曲家ジョン・ケージの生誕100年にあたる。昨2011年はクセナキス没後10年だった。この二人を20世紀の生んだ最も重要な作曲家と考えているが、残念ながら没後10年にちなんだクセナキスのコンサートに遭遇することはなかった。ウィーンでのオレスティア上演は道に迷ってたどりつけなかったし、リトアニアやギリシャでのフェスティバルは気づくのが遅すぎた。このコンサートはケージ生誕100年と謳ってはいても、ケージ作品は1曲だけで、フェラーリ、カーゲル、フェルドマンの作品を集めた「現代音楽入門講座」といった内容。そのケージの「クレド・イン・アス」は最初と最後にソロと集団のバレエを伴って二度上演された。そのせいかチケットの売れ行きがよく、売り切れに近い状態だったよう(会場はキタラ小ホール)。高校生のころLPで聞いたこの曲には驚愕した。クラシックの名曲を荒々しい打楽器の音楽が切り裂く、といったイメージだったのだが、何度か聞くと、そういう部分の音楽が美しく、洒落ていたりして、何とも人を食ったおもしろい音楽だと思ったものである。特設アンサンブルによる演奏は、見事だが、流麗にすぎたように思う。特に空き缶を鳴らす特徴的な、どこかふざけたようなリズムがあまり浮き出なかったのは残念。このあたり、やはり若い世代の感性には隔たりを感じる。上手すぎてひっかかるものがない。もちろんへたなのは困るが、この曲では特にヘタウマな感じがほしかった。フェラーリの「偶然的出会い」とフェルドマンの「ヴィオラ・イン・マイ・ライフ」を演奏したコンビ、ヴィオラの甲斐文子とピアノの大須賀かおりはすばらしかった。札幌にもすごい若手が、と思ったら東京の演奏家のよう。カーゲルの民俗楽器のための「エクゾティカ」は、悪意のあるタイトルのようだ。この曲をヨーロッパやアメリカで演奏したならこの悪意は通じるだろうが、アジアではどうということはない。反ヨーロッパ音楽を志向したカーゲルの真価は、むしろ純粋な西洋楽器による作品の方がわかりやすいのかもしれない。しかしそれにしても「クレド・イン・アス」を生きている間に聴く機会があるとは思ってもいなかった。空き缶さえコレクトできれば演奏はさほど難しくないと思うし、いまとなってみればほとんど「ポピュラー名曲」といっていい曲だと思うので、中学校や高校の音楽部ではどんどん取り上げてはどうかと思う。
January 21, 2012
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12月6日に聴いたオランダ・バッハ協会のバッハ「ミサ曲ロ短調」があまりにすばらしかったので、初来日というドイツはフライブルクの古楽器オーケストラ(FBO)も聴いてみた。古楽器オーケストラは音が小さい。だから大ホールでのコンサートを敬遠してきたが、キタラホールのようないいホールだとさほど不満はなく、遠くまでよく音が届く。バッハの管弦楽組曲4曲を人気のある順にならべたプログラムはなかなかよく考えられている。華やかな3番で始め4番で締めくくり、ニ長調の3番の次にロ短調の2番、ハ長調の1番という風に上がっていってニ長調の4番で終わる。最初はこの曲順が不思議な気がしたが、終わってみるとこれ以外にない必然的な並べ方だという気がしてくる。室内楽や小編成オーケストラを聴く最大の楽しみは、演奏者の自発性に富んだ演奏を楽しめることにある。モダン・オーケストラは指揮者の解釈を聴くためのものであり、大指揮者が少なくなった現在、その人気が落ちるのは当然。一方、古楽器オーケストラが盛んになるのは必然だし、モダンとオリジナルの両方の活動をしている音楽家も決して少なくないようだ。23人からなるこのFBOも、まずそうした生き生きとした自発性に富んだ演奏がすばらしい。しかも、ただアグレッシブに演奏するというのではなく品がある。「なんと上品なのだろう」とため息が出るほどだった。これはやはりヨーロッパ人のDNAからしか生まれないものと思う。こういう品のいい音楽を「響きが痩せていて貧乏くさい」と言下に否定する許光俊は、いったい音楽に何を聴きたいのだろうか。前半はその上品な音楽(第2番のフルートソロなど圧倒的なテクニックなのに、そうしたテクニックの存在をまったく感じさせないのだからすごい)に感嘆するうちに終わったが、後半では彼らのアンサンブルを「眺める」余裕もできた。そうして気がついたのは、リーダーで音楽監督のゴットフリート・フォン・デア・ゴルツのすごさ。目や弓や体の動きで的確に他のパートにさりげなく指示を飛ばす。楽譜はというと、ほとんど見ていない。つまり暗譜で演奏しながら、指揮者のような采配をふるっていて、しかもそれが自分の解釈をおしつけるのではなく、ちょうどジャズのアドリブのように自分の演奏とそのフォームで全体からさらに活気ある音楽を引き出しているのである。こんなコンサートマスターというのは初めて見たが、このゴルツという人は超人的な大音楽家に違いないし、さほど知名度もないのにこういう人がいるというのにはヨーロッパ音楽界の底力を感じる。すでにクラシック音楽の主流は、オペラやオーケストラからこうしたアンサンブルに変わっているのかもしれない。バロック・オーケストラについてはほとんど知らないが、もしこのFBOが世界最高のオーケストラではないとしたら、考えるだけでもおそろしい。それらをすべて味わうのに残された時間が足りるかどうかが問題になってくるからだ。
January 15, 2012
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札幌の若手フルート奏者の(たぶん)初リサイタル。若手といっても30代はじめといったところだろうか。以前から、札幌の若手フルート奏者では立花雅和とこの人が双璧ではないかと、演奏も聞かずに勝手に思っていたが、その予想は当たっていたようだ。二人とも、プロ・オーケストラで活躍できる実力を持っているだけでなく、のびのびとした演奏はオーケストラに長く在籍した演奏家からはめったに聴けない種類のもの。とんだ拾いものをしたコンサートだった。プログラムからしてすごい。バートンのソナチネ、タクタキシヴィリのソナタ、マルティヌーの第一ソナタという本格的な曲目に、シューマンの「3つのロマンス」とゴーベールの「ロマンス」という繊細でロマンティックな作品をはさみ、さらに難曲として知られるマルタンの「バラード」を配した構成。ミスらしいミスのない演奏なだけでもたいしたものだが、流麗でもどこか端正さを感じさせる清潔な演奏が続いたのに驚いた。少し年長の立花雅和がフランス風の洒脱さや開放的な音楽作りをするのに比べると、この人の演奏はややおとなしく生真面目。といっても堅苦しくなることはなく、知的に統制が行き届いていて吹き飛ばすようなフレーズがひとつもない。こういう人が音楽以外の仕事で生計を立てているとしたら、とんだ音楽後進地ということだろうが、少し早く生まれたせいでポジションを得ることができただけのプロ音楽家たちは穴でも掘って冬眠することだ。澄んだ美しい音、のびやかでていねいな音楽作りは、元札響首席フルート奏者の細川順三を思わせるところがあった。ほとんど非の打ち所のない演奏が続いたが、一曲だけ、マルタンの「バラード」は、彼の素直な音楽性が裏目に出ているような気がした。第二次世界大戦前夜に作られたこの曲は、不安と緊張、恐怖と切迫が全曲を支配しているが、ピアノも含めてこの日の演奏はシリアスさが不足していたように思う。もしかしたらこれは世代的なもので、「高度成長以後」の音楽家には求めようのない感覚なのかもしれない。長い間音楽を聴いてきて思うのは、30代までの音楽家の演奏が印象に残っていることだ。10年、20年と同じことを続けていると、それなりの円熟はするにしても新鮮さを失うことも多い。これは別に音楽家、それも演奏家に限らない。作曲家も30代までの作品にいいものが多いし、映画や演劇作品でもそうだ。さらにいえば、一般人も、30代までは感性が開いていると感じる人が多い。これは、30代くらいまでは、どんな人でも世の中が新鮮に見えるということだろう。40代にもなると、人生で経験する一通りのことは経験してしまうもので、未知の体験や発見に心躍るということが急速に少なくなる。それを超えて自己を刷新していける人は音楽家に限らず少ないものだが、住吉雄一という人はそれができる数少ない一人のような気がする。ピアノは小杉恵という人。はじめて聴いたが、いいバランスと流れるようなテクニックで木製のフルートの柔らかい響きを支えていた(キタラ小ホール)。
January 14, 2012
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