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小田原・早川の住まいの引越し私は小田原・早川で、週に3日間、みかんの援農をしています。明後日の11月25日26日に、作業で借りていた家を引っ越しします。この家は、この間・2018年10月から住まわせてもらっていました。これは、1年半前に亡くなった知人の実家なんですね。この家は、関東大震災後に建てられたものだそうです。もちろん、あちこち補修はしてきていますが。隣にはみかん作業場があり、その2階は、北国から出稼ぎにきてくれた人たちの部屋や布団があります。その隣は、牛小屋になっていて、昔の農具がそのまま残されています。しかし、すべては時代の流れです。致し方ないことなんですが、この度、こその家を建て替えをすることになりました。知人の好意により、私などはこの家に6年間、お世話になりました。それまでは、日帰りで八王子と真鶴を往復していたんですが。泊り場のキーステーションとともに、みかんづくりのノウハウや、みかん農家の状況も教えてもらいました。この家のつくりは立派なんですよ、これは大黒柱です。家全体のレイアウトが、驚いたんですが、私の真鶴の実家と同じでした。玄関から座敷、奥の間、そしてトイレや台所と、ほぼ同じつくりだったんです。真鶴とは15キロの距離を隔てているんですが、むかしにタイムスリップしたような、不思議な感覚でした。その立地は、きっと関東大震災の津波からの警戒でしょう、一般の街中の家よりも、2メートルくらい高いところに建てられています。しかし、すべては時の流れです。まわりの住宅が、すべてそうなように、これを建て替えるは時の流れなんです。明後日、私はここを引っ越ししますが、その前に、せめて何枚か、その面影を写真に撮っておきます。
2024年11月23日
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八王子と企業団体献金11月21日、東京都選挙管理委員会は、各党の政治資金報告書を発表したとのこと。11月22日付「しんぶん赤旗」の13面で、それを知りました。当方は、神奈川県の小田原へみかんの収穫に行ってますから、東京・八王子をしばらくあける。そのため、たまっていた新聞を、数日遅れで追いかけている次第です。今回読んでいて、おどろきもし、あきれたことの一つを紹介します。東京都選挙管理委員会が発表した政治資金報告書この総選挙(10月27日)の焦点は、自民党の裏金政治を正すということでした。この総選挙の結果、国民は自民・公明議員を過半数割れに追い込みました。今、その結果、自民・公明は、今、国民民主党を補完勢力の新たな仲間に抱き込もうといて必死です。その一方、労働団体は、かつての太田薫氏などとは違って、連合の女性が旗振り役をしています。労働者の方ではなく、自民党政権にすり寄っています。国民民主党の動きの背景には、この力がはたらいてますね。それはともかくとして、問題は、今回の東京都選挙管理委員会の昨年度政治資金の報告発表です。一、自民党東京都支部連合会は、昨年、利益率70.4%で、8,586万円を集めていたというんです。社会的に問題になっていた最中なのか、それともその前なのか、とにかく集めていたんですね。問題は、それがズバリと的中しいてたか、それとも無反省なのか、日時が問われるんですが、どっちにしろ、自民党都連はズブズブに企業団体献金に頼っているということです。「国民の代表としての政治」などの建て前論はともかくとして、国民が切実に求めている方向ではなく、政治資金のスポンサーが求める方向に政治を合わせ曲げていく、いまもそれがはたらいているということです。「政治献金禁止」問題、原発をやめる問題、消費税問題、夫婦別姓問題、1500円の最低賃金法、農家と食料自給率を守る農業政策、戦争法の憲法違反をただす、・・・、ことごとく、大きな綱引きがおこなわれています。発表された政治資金報告には、ここでも、その姿が明らかになりました。二、その記事の中に、またしても私などの八王子の、萩生田代議士がでてきました。そこには小池百合子都知事が、立川で1731万円の政治資金パーティーを開いていたというんですが。さらに、萩生田こういち議員が、都内で2回、3290万円の政治資金パーティーを開いていたというんです。ようするに、これは国民的な規制が入らない限り、事態は変わらない。この人たちは、大企業から政治資金をもらって、それで政治をつかさどり、捻じ曲げる政治が横行しているということ。それが、今現在も、もまかり通っているということです。東京都知事選挙の結果、東京都政は、都民に押されていくつかの都民要求に対応しています。がしかし、基本は、現実問題としては、かわりません。神宮外苑の100年の樹木の伐採をはじめています。都知事選で問題となった都庁を照らす何とかマップでしたが、今度はあらたに噴水計画だそうです。ようするに、基本的に、まったく反省をしていないということなんですね。三、さらにこの報告書には、さらに八王子がでてきます。東京都議で、パーティー収入を得たのは、公明党の東村都議だそうです。昨年5月に八王子で開いたそうで、1234万円を集めていたというんです。公明党も、自民党といっしょの仕方で資金集めをしているということです。私などは、八王子に住んでいて、八王子というのは、自民党と公明党が八王子市議会の多数を占めていて、市民の要求を蹴飛ばしてきたんです。たとえば、八王子というのは内陸の盆地で寒暖が激しいんです。寒いし、熱いんです。学校の体育館に空中設備を設置してほしいと、子どもや父母が求めきたんですが、ああだこうだといって、ちっとも設置しようとしなかった。数少ない学校に空調設備があったんですが、その学校でも『防災のためだから、使っては駄目だ』といって使わせない。それが議会での、八王子教育長の公式態度だったんですから。議事録にあります。それを聞いて、開いた口が塞がらなったんですが。しかし、今年に入って、変わりだしています。市民と子どもたちのもとめていた「全校に設置せよの要求」ですが、今年に入り通りだした。それは、これの八王子からしたら明と暗、大きな変化です。この変化ですが、それは、市民の要求と、全国の「裏金政治家を許すな」との合同の圧力による産物なんです。これまも、市民は求めてきたんですが、馬耳東風でした。その力の弱さもあり、何よりも萩生田氏が八王子を金城湯地とし、自民・公明が勝手放題をしてきたんです。そこに変化が生まれだしてきた。これまでの古い八王子を変える戦いです、この一年間、市長選挙、都知事選挙、衆議院選挙と、展開されてきました。この変化の兆しを、一層確かなものにするために、さらに、八王子市民は、この力をつよめて、来年につなげていきます。
2024年11月23日
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兵庫の姿は、兵庫だけの問題ではない私は、小田原でのみかん仕事から帰って、前川喜平氏の論評が気になっていました。前川氏にしては珍しくも、不本意な事態に怒っている記事でした。11月17日に投・開票された兵庫県知事選についての結果についてです。私は神奈川県小田原でみかん栽培をしていますが、11月19日(火)に、ある会話がありました。当地のみかん園にたずさわる婦人が、斉藤当選をウハウハとして喜んでいたんです。私は、それは兵庫県民の問題かと思っていたんですが、違うんです。ひとりでみかん園を維持すべく頑張ってい夫人ですが、「兵庫の県知事選の結果を知っているか」「自殺した県幹部の実際は不倫していたんだ」「マスコミのセクハラ問題は嘘っぱちばかりで、それに一人対抗したのが斉藤氏だ」。ようするに、斉藤当選を喜んで、共感を求めてきたんです。もちろん、とんでもない。私なりに、それなりに抗弁して、説得を試みたんですが、ダメなんです。信じ切っちゃっているひとにとっては、まったく対話にならないんです。新聞はとっていても、ちっとも読んでおらず、インターネットで、自分のすき好む世界にだけはまり込んでいく。唯我独尊の世界で、まわりの客観性というものが見えないんです。私としては、ちかしい知人の関係ですから、話を試みています。しかし、そのあとで、どッと疲れるんですね。そうしたみかんの収穫の小田原から帰って、どういうわけか、前川喜平氏の発言が気になりました。氏が、こうした問題ですが、どこかで、いつになく、憤りを表面にしていたのを思い出したんです。どこで、語っていたのか?その記事をあれこれいろいろ探しました。「東京新聞」の本音のコラムだったか?いやちがう、ない。「しんぶん赤旗」への談話か?やはりなくて、見つからない。いろいろと、あれこれさがしたんですが。しかし、ついにわかりました前川氏のX(旧ツイッター)でした。「真実が虚偽に敗れた、誠実が不実に敗れた。寛容が傲慢に敗れた。賢明が蒙昧に敗れた。正気が狂気に敗れた兵庫県知事選。この深刻な民主主義の危機は、メディアと教育の責任だ」そうしたことを語っていた、とニュース編集部は紹介していました。このリフレーンはその通りで、それは疲れを癒してくれる真理があります。私などは「太陽が地球の周わりをまわっているのか、それとも地球が太陽をまわっているのか」その問題であり、それは科学的な真理は多数決の問題ではない。現代人が電話を使い、電気釜でご飯を炊いてくらしている、その人たちは、科学的な真実というものを、いやおうもなく実践している。そのことは、意識の上でもやがては多数派の人たちにとっても、真理として直視せざるをえなくなる。わたしなどは、そう信じるものですが。それにいたるには、何が真理なのか、ガリレオの闘いが、今の今日においてもある、私などはそう思うんです。そんなモヤモヤした気分で帰京した時に、一つのプレゼントがありました。11月21日(本日)付の「しんぶん赤旗」です。「SNSがフェイクとなり、ゆがめられた選挙」と、喝破していました。多くの国民が、このことに耳を傾けてくれれば良いのですが、残念ながら、これは全国民からしたら、わずかな読者の人たちでしょう。もうひとつ、私などの経験としては、東京都知事選挙でも共通だったんです。公営掲示板に、同じ顔が10数人も占拠した異常、それは立花氏でした。東京では、都知事選をとおして問題となりましたが、所を変えて、ここ兵庫でも、またぞろ立候補した。今度の立花氏は、「斉藤さんを応援するする」「僕に投票しないでください」などといって候補者運動をしたというんです。わかりますか、これって。またしても、選挙の意味、尊厳を打ち捨てること。まったく、こりない人です。それは選挙の、候補者の主張の尊厳を選ぶという意味を、まったく汚すものです。その弁舌をマスコミが、批判姿勢もなく報道してたれながす。わたしなどは、兵庫に知人がいるんです。その人に、様子を聞いてみました。「若い人たちは新聞などみず、SMSだけで、その世界にのめり込む、立花が前座をして、斉藤候補を持ち上げていた。公務員にたいする庶民の反発をあおって、マスコミもそれに迎合していた。そんな事態に、ファシズムのような危機感を感じた」と、義憤を語っていましたが、あの結果です。私などは、東京都知事選挙も同じ経験がありました。今回の兵庫は、特別でも、初めてでもありません。ようするに、東京も兵庫も早川もおなじです。今、日本全国が共通の本質問題に直面しているということです。主観主義的な感情ではなく、それを越える客観性の認識です。「それでも、地球は動く」、このガリレオの真理観を、私たちは今、高く掲げる時です。ただし、今は、真の民主主義とは何か、自然と社会の真実です。人類が経験してきた、戦前戦後の経験があります。今、その戦前戦後の厳しい苦労を体験してきた国民です。ちょろまかされるなんてことは、ないはずです。その良識の力を合わせて、国民的なレベルで、その民主主義の何たるかを、はっきりと証明すること、まがいものに対しては、それを断固として打ち破ること、先人の苦労にかけて、今の我々の名誉がかかっています。日本国民にとって、その明確な力が求められているということです。
2024年11月21日
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東京・八王子、この一年におもう数日前ですが、八王子のはずれにある地域で懇談があました。先般、総選挙がありましたが、その結果に関連して、ひとりの婦人が、「私、八王子って嫌いなの」という。どうしてか、そのわけを聞くと、「まわりには話せる人がいないし、市役所は遠くて行くのに電車・バスを乗り換えて不便だし、市民に対する行政が都心の問題よりも数十年おくれていて、腹ただしいから」と。私なんかは、30数年八王子に住んでいるんですが、その間、八王子には寝に帰って来るだけで、萩生田氏と自民・公明が多数を占める市議会・その市長ですから、いつのまにかそれが自然で当たり前のような感覚になっていましたが。しかし、この一年をふりかえると、異なるところからの共通を実感するんですね。八王子というのは、まえまえから頑迷な保守自民党・公明党が牛耳る牙城だと思っていたんですかが。これは、梃子でも動かない、強力な分厚い壁だと思っていたんですが。2023年もおしつまって、八王子市長選挙がはじまったんです。おそらく、市民と野党の滝田候補が決まって、投票日まで20日間くらいだったでしょうか。一番左側で話しているのは、自民党の元代議士です。萩生田氏が応援する候補に抗うのは、「私は、命がけなんだ」と。この市長選挙は、萩生田陣営の候補者が当選したんですが、市民と野党の共同候補にたいして、萩生田氏お得意ですが、分散させる候補者を出し、さらに小池都知事の応援も引っ張った。それでも、市民候補の滝田さんは、伯仲の選挙戦になったんです。それが第一ラウンドでした。第二ラウンドは、7月の東京都知事選でした。蓮舫候補の演説は素晴らしかったんですが、それを応援している市民の熱気も、私などはこれまで見たことないくらいの盛り上がりでした。車の上の一番左側にいるのが、有田よしふさんです。東京都知事選も、蓮舫さんは残念な結果でしたが。しかし、この都民と蓮舫候補がつくりでしている力は、確かなものを感じさせてくれました。それが7月でした。そして、今回の総選挙です。ずーっと、オレが八王子の代表なんだと、自民・公明に統一協会にのる萩生田氏でしたが。今回は、全国からの批判の、裏金と金権政治の代名詞の一人でしたから。それに対し、有田よしふさんが、敢然と対抗者として、批判者として立ちました。マイクを握るのは、自民党の小林多門氏、有田候補の隣が、共産党の穀田けいじ議員。まわりには市民と野党の人たちが応援していたんです。有田さんは、接戦を展開したことで比例代表で当選しました。この結果、八王子は、市の中心部の東京24区では有田よしふ氏、八王子の東部と日野・立川の東京21区では大河原まさ子氏の、八王子市民は二人の代議士をもつことになったんです。これまでは、萩生田氏一人が国政への代表でしたが、今回からは、八王子市民は二人の代議士をもつようになったんです。冒頭の、「私、八王子って、嫌い」といってた、私と同じ基調の方ですが、やはり私も同じですが、八王子はこれまでの八王子とは、変わりつつある。それ変化を確かにするかどうかは、今を生きる私たち八王子市民が決めることですが。まさに、今の努力にかかっているんですが。八王子は、これまでとは変わって、市民が異常な政治内容とその運営にたいして、市民と、市民団体、立憲野党が、当り前なことを、当たり前なこととして、ハッキリともの申すように変わってきていると思います。長年、おかしな政治に、あきらめ気味だった生活習慣をふるい捨てて、あるべき政治に対して力を合わせる、そうした八王子の一市民でありたいと思います。つくりだされた成果ですが、それは、まさにここからが問題だと思います。
2024年11月20日
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『関東大震災-小田原の記憶』を紹介しますこの9月に小田原市史談会から『関東大震災-小田原の記憶』(1,500円)が刊行されました。関東大震災(1923 大正12年)が、小田原あたりを震源としていたことは、よく紹介されるんですが、その記録というのは、マスコミの集中していた東京のほどには、小田原の記録は残っていません。私は真鶴の出身なんで、小さいころ「津波で漁船が村の中までながされ、ゴロンと横になっていた」「震災を機会に、漁港に防波堤がつくられた」、など聞いた記憶があります。しかし、100年もたつと、古老たちはすでにいませんから、記憶は風化していきます。小田原市史談会という会を私は最近知ったんですが、前回は、漁業の歴史の例会講演を会報に紹介されてましたが、そのテーマの一つに震災の記録を残すということがありました。先人は、その記録を後世に残そうと、石板にして残していたんですね。それを有志の人たちが拓本にとって、消えかけていて文字を起こしたんです。会報のバックナンバーを見ると、その様子がわかります。この冊子は、それを152ページの冊子にまとめたものです。まずは、そんな冊子が発売されたことを紹介させていただきます。(連絡先は、小田原市史談会 〒250-0013 神奈川県小田原市南町4-1-24 090-6938-3796 松島方)
2024年11月19日
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『経哲手稿』33フォイエルバッハの弁証法3、フォイエルバッハの弁証法のとらえ方に対するマルクスの批判これまでマルクスは、フォイエルバッハが唯物論からヘーゲル哲学批判したことに対して、偉大な業績として、その基本的な正しさについて、大いに評価していました。しかし、フォイエルバッハのヘーゲル弁証法に対するとらえ方ですが、この問題については十分にとらえられていない、その点を批判しています。この問題こそが、マルクスがこの論文の主題としている「ヘーゲル弁証法の批判」の入口になっているわけです。ここで、まず「否定の否定」ということに対する理解についてフォイエルバッハの理解の仕方を問うています。国民文庫版では、P209第7文節からP211第13文節です。マルクスは指摘します、フォイエルバッハは「否定の否定」を次のように理解していると。「ヘーゲルにとっては、論理的、抽象的一般(神学)から出発して、それを否定(止揚)して、現実的、感性的、有限な特殊なもの(哲学)を定立する。さらに次に、その現実的なものを否定して、抽象的な、無限なものに帰っていく」と。この見解の根拠はどこにあるのか。私などが見るのに、『将来の哲学の根本問題』の弁証法批判ですね。「ヘーゲル弁証法の秘密は、結局ただ、神学を哲学によって否定し、それから再び哲学を神学によって否定することにある」(第21節 P45)この箇所をさしていると思います。フォイエルバッハは唯物論の点からはいろいろヘーゲル批判をしていますが、弁証法を問題にしている箇所というのは、少ないんです。その中で、一つの基本的な批判がこの指摘です。これに対して、マルクスは何を問題にしているのかマルクスにとって、フォイエルバッハのヘーゲル弁証法—「否定の否定」に対する理解には狭さがある、その内容と意義をとらえての批判になっていない、と。当時は解釈の仕方の違いのようにも見えますが、そこには、本質的な問題を含んでいると思います。マルクスの批評です。1、フォイエルバッハは、ヘーゲルの否定の否定は、神学の一般性の否定から、感性的に確実な哲学をとらえる。さらにその否定としての神学・一般性を肯定するものとなる。こうしたものとしてとらえている。基本は神学と哲学の関係といったことでとらえている。はたして、そうなのだろうか。2、フォイエルバッハは、否定の否定をとおしての肯定というものを、自分自身に確信のない、「そうであるかもしれない、ないかも知れない」と、疑いを持つような、こころもとないものとしてとらえている。はたしてそうなのだろうか。しかし、マルクスの理解するヘーゲルにの「否定の否定」とは、そうしたものではない。それは、1、ヘーゲルにとって「否定の否定」は、その関係からして真実であり、唯一の肯定的な、自己実証行為としてある。2、ヘーゲルがその言葉で意味しているのは、歴史の運動を、その抽象的な、論理的な、思弁的な形においての、一般的な表現として見いだしたに過ぎない。ヘーゲルの弁証法のとらえ方についての、マルクスとフォイエルバッハの間には、この時点で、解釈の違いがあったことが表明されています。なぜマルクスはそれを問題にしたのか、それが、この論文での検討が示している、ということなんですが。そのことの、マルクスによる表現です「ヘーゲルにあっては、否定の否定は、唯一の自己実証行為としてとらえていること。これにより歴史の運動に対する論理的、思弁的表現を見いだしたに過ぎない。その歴史はまだ一つの前提された主体としての人間の現実の歴史ではなく、やっと人間の産出行為、発生史であるにすぎない。われわれは、この抽象的形式を明らかにするとともに、まだヘーゲルにおけるこの運動が現代的批判に対し、フォイエルバッハの『キリスト教の本質』における同じ過程にたいしてもっている対照的な区別をも、あるいはヘーゲルにあってはまだ批判的でないこの運動の批判的すがたをも、あきらかにするだろう」(P210第13文節)マルクスの言いたい点を確認します。1、ヘーゲルにとっての歴史というのは、まだ今という現実を発生させてきた歴史でしかないとみなしていて、それは一つの歴史条件によって前提された、主体としての人間の歴史ではない。これは歴史観におけるヘーゲル流の歴史観に対して、マルクスの唯物論的な歴史観の対置を示唆していると思います。2、「否定の否定」とは、弁証法とは、現実の運動の抽象的な形式を示している。このことをマルクスは明らかにすると、この論文の課題を表明しているわけです。3、フォイエルバッハが『キリスト教の本質』でしめした、神というのは人間関係の反映だということ。それを、ヘーゲルにおいては、神が人間の諸関係をつくった、人間関係は神の意志のあらわれである、と。そのことは、同じ事柄についての、対象的な関係を明らかにする、と。同じ関係に対する、観念論的な見方と唯物論的な見方との、マルクスはその違いを明らかにする、と。4、ヘーゲルにあっては、まだ批判的になっていない弁証法の批判的姿を明らかにする、と。マルクスは、ヘーゲルが発見した弁証法ですが、それがもっている曖昧さが、どこから来るのかを明らかにして、弁証法がもっているその革命的な性格を明らかにする。マルクスは、こうした論点を課題提起しているわけです。ようするに、このマルクスの「フォイエルバッハ論」というのは、これからすすむヘーゲルの弁証法の批判という本論の、いわば序論であり、これから解明することの、あらかじめの、大まかな見通しを提起しているということなんですね。以上が、一、マルクスの「フォイエルバッハ論」です。付録です。一、フォイエルバッハの一節を紹介します。「いったい類が一個人のうちにしめされるとか、哲学が一哲学者のうちに絶対的に実現されるということが、はたして可能かどうか。このことを問題にしていないところに、先の有識者の無批判なふるまいがある。この問題こそ主要問題なのだ」(「ヘーゲル哲学の批判」岩波文庫 P123-129)。これは、フォイエルバッハが、弁証法に対してまったくの無感覚ではなかったことを示しています。それをも踏まえつつ、エンゲルスの『フォイエルバッハ論』の一節です。「(ヘーゲル体系)のような任務を哲学に課すということは、ただ人類全体だけがすすみゆく発展のうちではたせることを、ひとりの哲学者にはたせと要求することにほかならない」これは二人の論旨は重なっていますね。フォイエルバッハも弁証法的思考に対する意識をもっていた。エンゲルスの論文は、あらためて、1886年に、フォイエルバッハが言いたかった点を生かして、明確な形にしたということです。忘れ去られた業績に対して、その評価を明確にしたということです。二、ここでの探究課題に対するエンゲルスの指摘です。マルクスが『経済学批判』を出したときに、エンゲルスは『マルクス『経済学批判』の書評』(全集第13巻)を書きました。「マルクスは、ヘーゲル論理学から、この領域における真の諸発見をふくむ核心を取り出し、弁証法的方法からその観念論的な外皮を剥ぎ取って、それを思想展開の唯一の正しい形式となるような簡明な形につくりあげるという仕事を引き受ける唯一の人であったし、今でもそうである」と。私などは、このエンゲルスの『今でもそうである』との指摘ですが、なるほどと思っています。以上、P211第13文節まで、です。次は、第二章、マルクスによるヘーゲル哲学を概観しての問題です。P211第14文節からP217第19文節です。それは次回ですが。
2024年11月17日
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今、農家の振興に手を打つべき時私はずーっと東京で働いてきましたが。2000年から神奈川県の真鶴・小田原のみかん栽培にかかわるようになりました。だいたい週の半分を、遠距離農夫で小田原のみかん園に通っているんです。みかん栽培の様子は、2008年からこのブログで発信してきました。最近、みかんの手入れについて、歳の限界を感じて、このままでは、みかん園の将来はどうなるのだろうか、「われ亡きあとには、洪水来れ」と、やけっぱちにならざるをえなかったんですが。ちょっと、「しんぶん赤旗」11月15日付をみて、気持ちを持ち直しました。みかん作業に出かけた間に、家にたまっていた新聞を読んでいたんですが。それを読み直して、問題の今の焦点はここからか、と思ったんです。というのは、疲れていると新聞に一応はめをとおすんですが、だいたい、氷の上を滑るようなものなんです。しかし、今回の小田原のみかん園行きには、二つの出来事がありました。ひとつは、50年余まえの小田原の高校の同期会です。もう一つはみかん園の園主二人との懇談でした。ともに、私などの焦点だったのは、小田原の地場の名産の一つ「みかん」です。私などは74歳で、体力の限界を感じだしているんですが、それを許してはくれない。小田原・石垣山のみかん園では、80歳代の人がみかん園を担っているんです。74歳なんてのは、まったくの青年部の部類で、若造なんです。高齢者のみかん園の手入れというのは、歳相応に縮小せざるを得ないじゃないですか。私などが手入れしている畑は、耕作放棄地になりかけたみかん園の援農なんです。そのサポートに限界を感じていた時でしたから、50余年ぶりの同期会では、小田原に縁のある有識者として何とかできないかと、吠えたんです。翌日の夜にあった園主さんとの懇談会では、この先のみかん園をどうするのか、問うたんです。もちろん、だれもそれに答えれるような人は、ありません。でもその現実を、私としては問わざるを得ないんです。そんな時の、この「しんぶん赤旗」でした。二つ問題を提起してます。1、食料自給率現状の38%を50%に回復で、共産・立憲・国民・社民・れいわが、ともにしている。2、農業者の生活を保障する直接支払い制度でも、共産・立憲・国民・社民・れいわが提案している。今回の総選挙の結果は、それぞれの党が、メンツを越えて、農家の要求にたって力を合わせれば、それが実現しうる可能性を現実に持っている、との指摘です。これには、農民運動全国連合会の会長の長谷川敏郎氏がコメントを寄せています。「農家は高齢化とともに、5年先10年先の耕作が見通せず、計画を具体化できないと行き詰まっている。2030年には農地はさらに100万ヘクタール近く減るとの予想もあります。農業生産の現場は崩壊しつつあります」と。ようするに、政治の無策は国を亡ぼすところに来ている、と。この現実を見よ、と。「新規就農対策に真剣に取り組むことがもとめられている」と。私などのみかん園で日々体験している様子と、まったく共通です。農業の後継者というのは、生活保障が必要ですし、すぐには技能がマスターできるわけでなく、農地は一年でも放置すれば雑草で荒廃して、それを回復するには容易なことではないんです。率直に言って、赤旗の記事は、今の大切な指摘なんだれど、現実問題としてはあまい。そこには、長年蹴飛ばされ続けてきた農家のあきらめがあります。1年半前に亡くなったみかん園の園主ですが、酔うとくり返しはなしてました。「TPPでは、アメリカなどからの農産物の自由化反対・日本農業をまもれの課題で、全農業者は日本武道館で集会を開いた。自民党も多くが参加した。しかし日米政府はそれをねじ伏せた。こんなおかしいことはない」と、日本政治の不条理を嘆いていました。しかし、その有識者はあの世に行っちゃって、にわか農夫の私などが残された。そして今回の自民・公明の与党の過半数割れです。この機会に、一刻もはやく、農家と科学の有識者の声が、社会の表にでてこれるような、そうした事態をつくらなければならないと思います。ひどい政治を押しつけてきた政治家は、政権は、この選挙で少数となったんです。公明に加えて、さらに助け舟をしたがる政治家・政党も出てくるかもしれません、しかし、主権者の国民の声を否定する政治家は、今回同様に見捨てられるんです。農家のひとたちが求めていた政治が、ようやく表に出てくる、そうした時です。そのためには、農家は草取りしているだけではだめです、みんなで議論もして、自分たちが求めている方向をつくるために、政治家の多数を集めるべき時です。赤旗のこの記事は、そうした大道・正道を示してくれていると思いました。
2024年11月17日
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11月16日朝市と、今後の販売予想小田原・真鶴で収穫したみかんを、東京・永山団地と地方の希望者に販売しています。10月19日に初売りしたみかんの朝市ですが、今回、搬送してきたみかんは30袋くらいでした。途中で、4か所のポストがありますから、半分くらいはそこに卸しています。したがって、11月16日(土)の永山団地のみかん市は、15袋くらいの商いでした。一段落して店先の様子を撮ろうとしたら、すでにほとんどみかんはなくなっていました。露店の台を用意しているうちに、お客さんが来てくれれば、袖にはできませんから。ということで、開店から40分くらいで、10数袋は完売しました。そこで、今後の収穫・販売の規模の見通しをたてるべく、2022年には、どのくらいのみかんが採れていたのか調べてみました。 真鶴園 市民園他 K園 S園 計10月中 1c11月1週 0.5c 0.5c 2週 1c 1c 2c 3週 1c 1.5c 2c 4.5c 4週 2c 1c 1c 4c 5週 5c 3c 5c 13c12月1週 4c 6c 3.5c 2.5c 16c 2週 2c 11c 13c 3週 2c 2c 2c 4週 3c 残払い 1c残払い 6c 1c残払い 11c ※ 「c」はコンテナ容器で、20キロが入ります。この間に枯れてしまった木もありますし、裏表もありますから、これはあくまで目安です。去年は、みかん園の園主より、販売委託として、このほかに16cありましたが、今回は無しです。収穫は、1.うわもぎ、2.一般収穫、3.一般収穫の3回、最後は残払いですべて木から降ろします。収穫は、みかんの木に雨滴がついていれば、収穫は出来ませんから、天候にもよります。収穫—袋詰めと搬送—朝市とポストでの販売、これが順調に回転しなければなりません。これが、温州みかん収穫の、年内の大よその流れです。いよいよ、各駅列車は急行に、急行は特急列車にかわっていきます。はたして、無事に正月をむかえれるでしょうか。
2024年11月16日
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みかん農家の「三酔人経綸問答」当方は11月11日に小田原の高校の同期会があって、54年ぶりに挨拶をかわした人もいました。参加者への発言提起があって、私などは補欠でなら挨拶も「可」とエントリーしておいたんですが。その内容は、前に紹介した通りです。「小田原の魅力は、歴史、自然(みかん)、温泉(箱根)だけど。「八王子から小田原のみかん園に、この20年余通っているわけだけど、そうしていて思う。現在のみかん農家の担い手は、我々74歳くらいの人が一般で、90歳近くの人もいる。この5年くらい先は、みかん園はいったいどうなるのか。体力の衰える自然から、耕作範囲を縮小せざるを得ない、耕作放棄地が広がる、後継者はいない。この事態は明らかなのに、今の政治は「自力自助」ということで、ほとんどほったらかしだ。この問題は、みかん農家だけのではない。私ごときには出来ることないんだけど、だけどこうした現実を何とかしなければ、と思う」そんな発言をした同期会の翌日・11月12日のことです。同期会の中でそんなことがあったなんてまったく知らないで、二人のみかん農夫がやってきました。そして、みかん農家の、三人の園主による「三酔人経綸問答」が交わされました。ふだん農家の人は、政治の話なんて、まったくしないんですよ。ところが、酔っぱらった勢いだったかもしれませんが、いろいろな話の中で、政治談議が飛び出しました。A「共産党は、田村委員長は、理想はいいけど現実的じゃない。まわりの中国や北朝鮮を見ろ。核兵器をもって、まわりの国々を力で威圧してるじゃないか。日本もある程度の軍事力を持たなければ、対等には渡り合えないじゃないか」ふだん、政治のことなどまったくせずに、ひたすら農作業に追われている人ですが、私などは数年間の付き合いですが、今回、はじめてですが、その政治談を聞きました。すると、もう一人の園主が抗論を始めました。B「軍事力を持つったって、相手の国を攻撃する1000キロのミサイルをもつということだから、力対力の張り合いでは解決しない。東南アジアのように話し合いで解決するようにしなければ」残念ながら、それぞれが、それぞれの言い分をぶつけ合っただけでした。今回の場合、お互いに「オレこそがただしい」と持論を、それぞれが繰り返しただけだったんですが。夜もかなり遅くなっていて、疲れていたので、言い合っただけで、それぞれ自宅に帰っていったんですが。私などは、驚きでした。これまで何度も、みかんの手入れに関しては議論する機会があったんですが。今回は避けていた政治談議が交わされた、10月27日の総選挙の直後であったからでしょうが。普段は農家の人同士は、政治的なことについてはふれないんです。が今回は、初めてですが、真っ向から政治談議をかわした、そんなことは、私は初めてでしたが、聞かせてもらいました。それぞれみかん園の園主ですから、自分流のみかんづくり方針を開拓し、確立して頑張っているんです。自己流のみかん栽培の道に自信をもっている。そうした人たち同士による議論ですから、頑固なんです。お互いに議論している問題の、客観的な事柄を確認することをせずに、ただ自分自身の確信していることだけを、川の両岸でぶつけ合っているような、そんなように会話のようすを、初めて見えました。これまでは、陰で「あいつはこういうやつだ」と推測し合ってるだけでしたが。今回は、直接のストレートな会話です。お互いにみかん作業で忙しいんです。議論している時間なんて、なかなかないんです。農家として切実な問題を議論した、その中でのことでした。会話はしても、議論にならないで、2,3回の問答が続いただけでしたが。私などは、新参者ですから、議論に入る余地はなかったんですが。昨日の高校の同期会の様子も紹介しながら、その話の延長線で、問いかけしたんです。C「この先、みかん園はどうなっちゃうんだ。お互いに歳をとって、あと働ける時間は5年‐10年くらいとかぎられている。あとを任せる人がいない中で、この先みかん業を、みかん畑はどうなっちゃうんだ。それぞれどうしようとしているんだ。簡単ではないけど、この問題が現実としてある」と。これには、もちろんまともな解決策なんて、出て来っこないんですが、それぞれの思うところを、自己流に努力している、解決しえない努力の策も紹介されました。もちろん一介の農夫により、基本解決できるような問題ではないことは、百も承知なんですが。しかし、この三酔人経綸問答は貴重でした、こんな政治談議は初めてのことでした。それが今、そうした議論が求められているんですね。私などは、初めてのことでもあり、十分にこの会話の機会を生かせませんでした。もしもこの次に、こうした政治談議をする機会ができたなら、もっと注意して、国防問題にしても、農業の未来についても、もっともっとお互いの意見の中にある大事なことを、お互いに、率直に探究し合えるように、努力しあいたいと思っています。
2024年11月15日
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『経哲手稿』32 マルクスの「フォイエルバッハ論」マルクス『経済学哲学批判』の「ヘーゲル弁証法批判」ですが、そのはじめは青年ヘーゲル派とフォイエルバッハに対する批評から始まっています。「国民文庫」では、P205第1文節からP211第13文節です。一、フォイエルバッハの業績の評価と、ヘーゲル弁証法批判に対する弱点マルクスの『経済学・哲学手稿』は、1844年に書かれていますが、その歴史的な流れを見てみます。ヘーゲルは1831年にコレラで亡くなっています。それから13年のあとのこと。ヘーゲルの影響は、その死後でもさまざまな分野に大きく広がっていた。しかし、そのあとのだれもが、ヘーゲル弁証法に対して意識的な検討をする人はいなかった。ヘーゲル(1770-1831) フォイエルバッハ(1804-72) マルクス(1818-83)1807『精神現象学』1812-16『大論理学』1817『エンチクロペディー』1821『法の哲学』 1839『ヘーゲル哲学批判』 1841『キリスト教の本質』 1842『哲学改革の暫定命題』 1842ライン新聞編集 1843『将来の哲学の根本命題』 1843『ヘーゲル法哲学批判』 1844『経済学哲学手稿』 1845『ドイツ・イデェオロギー』1、マルクスのフォイエルバッハの業績に対する評価ですがマルクスは、「フォイエルバッハは、ヘーゲル弁証法に対して真剣な、批判的な態度をとり、この領域においてほんとうの発見をした唯一の人物であり、総じて古い哲学の真の克服者である。」(P208第5文節)また「序言」では、「フォイエルバッハから、はじめて実証的な、ヒューマニズム的(人間主義的)かつ、自然主義的な批判がはじまる」「それらの著作は『現象学』と『論理学』以来、本当の理論的革命がふくまれている唯一の著作である」(P22-23)と、彼のはたした業績と評価しています。このようにマルクスはフォイエルバッハを高く評価しています。どうしてこうした評価が下せるのか、それが問題なんですが。しかし、その点は結論的評価を述べているだけです。マルクスにとっての問題はヘーゲル弁証法批判ですから、フォイエルバッハについては、端的に述べているだけで、先を急ぐわけです。このことはエンゲルスも『フォイエルバッハ論』の「まえがき」でいってます、「フォイエルバッハの学説そのものの批判はその中にはない」、結論的な評価はあったとしても。だからエンゲルスは『フォイエルバッハ論』でその学説にふみこんで検討したんだ、とも聞き取れるわけですが。とにかくここでは、マルクスの結論的評価をなぞるだけでなく、そうした評価がでてくる根拠を確かめておく必要があると思うわけです。2、マルクスはフォイエルバッハの3つの偉大な功績をあげていますここでマルクスが指摘する3点の功績です。(P208第6文節)①哲学は思想の中に持ち込まれた宗教だ、人間的本質の疎外の別の姿だ、その証明。②唯物論と科学を基礎づけたこと。「人と人との」社会関係を理論の根本に据えた。③絶体肯定とする否定の否定に対し、自立的で肯定的な自己自身にもとづく肯定的なものを対置する。(マルクスのこの評価は、フォイエルバッハの主張をどこをさしているのか。訳者の藤野渉氏の注釈によると、『将来の哲学の根本命題』の、①は第5節に、②は第41節、第59節に、③は第38節に関係していると)功績②の、唯物論と科学とによる基礎づけですがマルクスはフォイエルバッハの唯物論を評価しています。そもそもドイツ古典哲学の歴史というのは、カント、フィヒテ、ヘーゲルと、観念論哲学の流れじゃないですか。しかもドイツ社会はキリスト教の宗教改革の流れをもつ国々じゃないですか、そうした社会の中で唯物論を唱えるというのは、汎神論や無神論などとも同様に、むしろそれ以上に否定視されるものだったんじゃないでしょうか。その中でフォイエルバッハが、唯物論と科学を基礎づけたというのは、画期的なあゆみだったんじゃないでしょうか。フォイエルバッハの著作を見ると、〇『ヘーゲル哲学批判』(1839年)、唯物論の立場からヘーゲル哲学を批判しています。〇『キリスト教の本質』(1841年)、その序文では「神の秘密は人間学である」と。〇『将来の哲学の根本命題』(1843年)、「近世の課題は、神の現実化と人間化-神学の人間学への転化と解消であった」(第1節)いずれも唯物論の考え方を基調にして進化させていますね。これらの著作は、いずれも邦訳されてますから、私たちは確かめることができます。こうして、マルクスは唯物論を表明したフォイエルバッハを、高く功績として評価しています。しかし、その先には問題があります。唯物論の立場にたつといっても、それにはさまざまな形態があります。例えば、このあとにモレショット(1822-1893)のように、唯物論ではあっても、思惟や意識を脳の分泌物とみなす俗流形態もでてきます。日本でも唯物論は異端視されているじゃないでいすか。このなかで、中江兆民(1847‐1901)ですが、晩年の哲学書『続・一年有半』において「精神は本体ではない。本体より発する作用である」(中央公論『日本の名著』P419)と、意識的な唯物論の立場を表明した人もいます。マルクスですが、この後に刊行した『聖家族』(1845年)では、イギリスの唯物論やフランスの唯物論の特徴(形態)をしらべています。それは個別の理論を検討して、その特殊性をつかむことで、唯物論の基本的な一般性をとらえようとしている作業かと思います。そもそも唯物論とは基本的にどういう思想なのか、です。エンゲルスは唯物論について、こんな総括をしています、「唯物論の立場とは、現実の世界—自然および歴史—を、どんな先入観的な気まぐれもなしに、それら自然および歴史に近づく者のだれにも現れる姿のままで、とらえようという決意がなされたのであり、なんらの空想的な関連においてではなく、それ自体の関連においてとらえられる事実と一致しないところの、どのような観念論的な気まぐれをも、容赦することなく犠牲にしようという決意がなされたのである」(『フォイエルバッハ論』1886年)。この後でもエンゲルスは『空想から科学へ』の英語版序文(1892年)で、あらためてその部分を紹介しています。さらにレーニンは、『唯物論と経験批判論』(1908年)において、唯物論と弁証法的唯物論とは何んなのか、具体的特質をさぐっています。唯物論にも歴史と形態があるということです。もどります、マルクスのフォイエルバッハの功績の①、③について、ですが。①「哲学は、宗教と同じく、人間の本質が疎外された形態の一つだ」③「絶対肯定なものとされた否定の否定を、自分自身にとって肯定的なものとしての否定の否定を対置した」ここには、フォイエルバッハの唯物論が、近世の人間中心の思想、自然の存在の認める思想、ヒューマニズムの思想の流れ、それらの思想史の流れを引き継いでいると思います。マルクスの「序言」の評価は、こうしたことから引き出された結論ではないでしょうか。3、次はフォイエルバッハのヘーゲル弁証法のとらえ方の問題点ですしかしそれは、次回とします。
2024年11月14日
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今年のみかんの具合はどうか11月、いよいよ今年も、みかんの収穫が始まりだしました。さて、今年の11月前半のみかん園の状況はどうか。一、寒暖の差が大きくなって、みかんの色づきがはじまりだしてます。みかん園は、ここにきて黄色の輝きが目立ちだしています。それは一年間の勤労の成果でもあり、疲れを癒してくれる恵みの色です。だけど、もう一つの要素は、秋晴れの日差しがどうかです。みかんは太陽の恵みでして、秋晴れによって甘くなります。すっきりとした秋晴れの日が続かないと、美味しい甘さは出てきません。曇りがちな日が多々あるなかで、これからの秋晴れに期待してます。二、みかんの収穫はどうか。 2022年 2023年 今年、2024年11月2週 2c 2c 2c11月3週 4.5c 3c 2c目下のところ、全体としてみるとゆっくりしたペースです。5キロ箱による宅配の出荷はどうか。 2023年 今年・2024年10月末までに 5箱 なし11月前半までに 7箱 2箱箱入れしておくれるみかんの量が少ないんです。それは、収穫量の少なさの問題だけでなく、カメムシの加害が大きいことあります。ことしは、農家はカメムシ対策で、防除のために特別の薬剤散布をとってます。私などは、とてもそんなことまで手はまわりません。そんな為でもあるんです、綺麗なみかんが少ないために、出荷できるみかんが少ないということです。全体が裏年基調であれば、そのぶん収穫量は少ないことになりますが、それは、もう少し年をかさねないとわかりません。というのは、一部の畑はみかんの木が消失してしまい、そのために収穫量は減ります。しかし、農家の手が回らずに、当方があらたに手入れをはじめた畑もあって、増えますから、全体としての収穫量がどうなのかは、一定期間がたたないと実際がわからないわけです。ただ、気候条件によっての成熟の遅れであるとすれば、この先に急速に成熟が進みだしますから、この先の収穫作業が忙しくなるということです。とにかく収穫は、今は各駅停車の汽車のようですが、はじまってます。今回も草刈り作業をしてきました。みかん畑への道づくりためと、みかんの木の周りのセンダングサの草刈りです。これから、いよいよみかんの収穫が本格的になっていきます。
2024年11月14日
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高校の同期会に参加高校の同期会、それは1966年-1969年ですから、今から55年前の面々です。神奈川県の小田原の高校なんですが、同窓会名簿によると、全員で451名だったそうです。今回、11月11日に開かれた同期会へは、事前に78名の人から参加表明があったとのことです。しかし私などは、78名の参加者のうち、はたして何人の人を、知っているでしょう。その名前やその人となりを、はたして何人と記憶のつながりがあるでしょうか。高校時代の3年間なんて、短いものです。クラスは2年で理系と文系に別れ、それが学力別に別れますから。ましてや、私などはへき地の真鶴から、大きな都会の小田原に通うわけですから、キョロキョロと、驚きの世界だったわけです。それは、全国の田舎者が、突然に大都会の首都東京に出てくるような、ものです。それから50年余が過ぎたわけですから、尚のこと、78名が集まったんですが、それは知らない人ばかりで。私などは、個々の人が、学園を卒業して、その後どんなあゆみをしてきたか、名前も、その歩みも知らないんです。知っているのは、たかだか数人なんです。でも、みなお互い様なんです。個々の人となりは知らなくても、だいたい、3年間の高校生活で体験し、感じていたことは、共通なんですね。だから、こうして、遠方の地で暮らしている人たちが、わざわざ集まってくるんです。そして、会話がはじまるんです。さまざまな場所と、さまざまな経験をしてきた人たちですが、だけど、どこかにおなじ、共通の思いといったものが、あるんですね。短時間ですが、それを感じることが出来ました。私などは、小田原を離れて暮らすほどに、見えてくるものがあります。小田原の魅力というのはなにか、それは「歴史であり、みかん(自然)であり、箱根の温泉」だと思うんです。それは前回、発言したと思うんです。今回は、みかん農業の今の実情にふれて。私などは、そのみかんの手入れを、小田原に通って20年余続けて来たわけですが。その体験からして思うんです。今、みかんを担っているのは、70-80歳代の同輩であり、多くが高齢者なんです。この先、5年たったら、どうなるのか。今でもギリギリで頑張る高齢農夫、広がる耕作放棄地、後継者はなし。このままでは、このみかん畑は、いったいどうなるのか。政治は「自己責任」でやれとして、ちっとも実のある手当てをしようとしない。農業の現実に政治が責任を持とうとしない。これは大きな問題で、私ごときがどうこうできるような簡単ではないこと、それは承知なんですが、しかし、それでも現実にみかん農家の問題としてある。これから5年先の小田原のみかんというのは、いったいどうなるのか、そうした現実がある、と。今回の参加者は、いずれも、それこそ各界で活躍してきた人たちです。その道では、驚かされる、すごいことをやってきた人たちなんです。ですが、故郷・小田原の、足元の農業について、一応は知っていても、実情はわかってません。少なくとも、同期会でみかん農業の問題を発言した人は、これまでで、一人も聞けてません。そうなれば、私などのはにわか農夫ですが、それでも問題を提起をせざるを得ない。だれも、正面から問題にされないできた問題ですから。それと、74歳というと、多くの参加者は、現役の第一線の大役を終えた人たちです。コロナがあって、同期会は6年間休止してきたんですが。幹事報告では、この6年間に、同期生の60数名がなくなったとのこと。私なども遠慮なく会話をかわせた親友も、何人かなくなっちゃった。いまや、私たち自身が、いつ、その立場に置かれるかわからないところにいる。次回に、同期会があったとしても、この出席した78名が、元気で再会できるかどうかは、わからないところにいる。だとすれば、今という時は、一人ひとりが、これまで生きてきた努力の決算をすべき時だ。自分が何のために生きてきたのか、努力してきたのか。人しれずに、自然消滅していくのではなく、自己の存在意義がなんだったのか、やれたこと、やれなかったことを、一人ひとりが、今の時に、可能な限りはっきりとしめすべき時だ。なんてことを、私などはほざいた次第です。ほとんどの人は、知らないやつが、突然何をいいだすのかと、それより、まわりの久しぶりにあった知人との会話に、余念がなかったかと思うんですが。私などとしては、宴会がはじまっても、補欠者での発言をエントリーしといたんですが、ずーっと、知らない、そうそうたる人たちに対し、いったい何をはなすか、モヤモヤしていたんです。しかし、隣の人たちと懇談している中で、この論点がでてきました。私などは、公けの場で話すなんてことはないいんですが、しかし、知らぬが仏の、こわいもの知らずです。かつての同窓生へのお礼の気持ちも込めて、はっきりといってやりました。これが、私としてできる、仲間たちへのエールなんだ、ということで。「われわれ第一線を退いた、今という時が、お互いに問われている時だし、頑張りどころだ。お互いにそれぞれの場で、努力を尽くそう」と。うまく伝わったかどうかは知りませんが、とにかく発言してきました。
2024年11月13日
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マルクスの「ヘーゲル弁証法批判」31まとめ前々回からマルクス『経済学哲学手稿』「ヘーゲル弁証法批判」のまとめに入っています。『経済学哲学手稿』ですが、マルクスは1843年10月末にドイツからパリに移ってから、1845年2月3日にパリを追放されブリュッセルまでの、短い期間の成果です。出版契約をむすんだその数日後に追放されたんで、草稿はそのまましまわれていたんです。この『経済学哲学手稿』ですが、この時マルクスは26歳の時ですが、哲学、経済学、社会主義、革命史などについて、短期間に集中的な学習がされたことをしめしています。その第三草稿が「ヘーゲル弁証法批判」です。これは、マルクスがヘーゲル弁証法を批判した時のオリジナルの文章なんです。その流れを見てみましょう。よく言われる一つに、「マルクスは自らの唯物弁証法について、書くことが出来なかった」があります。1、その根拠ですが、マルクスがディーツゲンにあてた手紙があります。「経済学的(『資本論』の)な重荷を首尾よくおろせたら、『弁証法』の本を書くつもりです。弁証法の正しい諸法則はすでにヘーゲルにちゃんとでています、ただし神秘的な形で。肝心なのは、この形態をはぎ取ることです」(1868年5月9日付 全集32巻)マルクスは『資本論』第二版のあと書きなどで、その要点を指摘してますが、弁証法についての本は書くことが出来ずに亡くなってしまった。そのかぎりでは、当たっているわけです。2、しかし、空白のままなのかというと、そうじゃないと思うんです。一つは、1883年にマルクスが亡くなって、多くの遺稿集が残された。前々回の29回『偉大な遺産』で紹介したところですが。エンゲルスは、唯物弁証法を紹介したいとのマルクスの遺志も知っていたわけですが、その遺稿集の中に『1844年の経済学哲学手稿』を見つけたんですね。1886年に『フォイエルバッハ論』を新聞に発表した。これは、草稿のそのままの文章ではわかりにくいので、エンゲルスが独自の努力も込めて、どのように唯物弁証法、唯物論的歴史観がつくられたのか、解明したものでした。つまりマルクスの遺志は、エンゲルスの補助により、基本として果たされたんですね。3、さらに、その後ですが、『経済学哲学手稿』そのものの刊行があります。1932年にソ連共産党中央委員会付属マルクス・エンゲルス・レーニン研究所から『メガ(マルクス・エンゲルス全集)』が刊行され、アドラッキーの編集で、『経済学哲学手稿』も刊行されたんだそうです。今は、「新メガ」が、100巻余を規模として刊行されつつあるとのこと。(『経済』2017年5月号、早坂啓造著「『資本論』草稿(メガ)研究と人類的な価値」で紹介されてます)4、日本ではどうだったか。いちはやく1932年に改造社版『マルクス・エンゲルス全集』がだされ、その中に「ヘーゲル哲学批判」も収められいてたというんです(畑孝一著「邦訳紹介」有斐閣新書『経済学・哲学草稿』より)。当時は、戦争の態勢へむかう中、1935年には天皇機関説が問題とされ、治安維持法の取り締まりが厳しくなって、本を所持するだけでも犯罪と連れた。その中でも研究者や出版社は科学を守ろうとしてたんですね。私などが『経済学哲学手稿』を手にしたのは、戦後の民主主義社会の自由な中で、1969年の大月書店『国民文庫』藤野渉訳第11刷でしたが、それは1963年第1刷で刊行されていた。ほかに、岩波文庫(城塚登・田中吉六訳)1964年刊行。大月書店『マルクス・エンゲルス全集』第40巻(真下信一訳)1975年刊行があります。5、ようするに、マルクスは、自らの唯物弁証法について自身が刊行したものでは、出すことは出来なかったけれど、その後、その草稿は、『経済学哲学手稿』「ヘーゲル弁証法批判」として、刊行されているということです。それを理解するのは容易ではないのですが、しかし原本そのものは、だれにでも入手できるようになっていることです。なおかつ、エンゲルスの『フォイエルバッハ論』というアドバイスがあるということです。ここでの中心問題は、『資本論』第二版のあと書きで、提起されてます。「弁証法がヘーゲルの手のなかでこうむっている神秘化は、かれが弁証法の一般的な運動形態をはじめて意識的な仕方で叙述したということを決してさまたげるものではない。弁証法はヘーゲルにあっては逆立している。神秘的な外皮のなかに合理的な核心を発見するためには、それをひっくり返さなければならない。」こうして、マルクスはここでも、その批判の仕方について、アドバイスしています。問題は、その批判していく過程ですが、それを自分自身の頭で考察し、確認してみることですが、それが、私などの中心問題ですが。そのことは、実質的には、マルクスの弁証法についての作品は、こうして刊行されているということです。
2024年11月10日
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難聴問題の学習会八王子の東部(南大沢・由木・鹿島など)で、11月9日に難聴問題での学習会が開かれました。提唱した3名は、難聴等を抱えてますから、開催するんですが。東部地域というのは広いですから、はたして何人の人が参加してくれるかは、はなはだもって疑問だったんですが。この学習会に、全体で14名の人が参加してくれたんです。この企画を推進することは、天の声でもあったんですね。私などは、はじまりから1時間近く遅れて会場にたどりついたんですが、その時、会場では、日本共産党・望月しょうへい八王子市議が、参加者と活発な討議をしていました。もちろん、その中身は分かりませんが。杉山光男さん(難聴・高齢者サポートボランティア)を会場に案内するのが、私の役目でしたが。率直なところ綱渡りとなって、私は話を聞くどころじゃなかったんです。しかし、すべてをおえたあとで、安心しました。というのは、参加者が感想文を残してくれたんです。〇「聴こえの問題の全体像がわかりました。(理解はまだまだですが…)なにをするにも学習が大切ですね。ありがとうございました。これを機会に、自分にできることからとりくんでいければと思います」〇「とても勉強になりました」また、質問もありました。「講演会等の会場で、司会者等の使用するマイクの音が、よく聞こえない」今の社会の中で、感想や質問を活字に残してくれる人というのは、限られてます。しかし、その限られた中に、私などが参加できてなかった時に、参加者が感じただろうことが、そこには記されてるんですね。この学習会では、東京都や各自治体ですすめられている難聴対策の努力が紹介されました。望月市議からは、八王子市の状況が紹介されたと思います。これから、難聴対策の問題も、多くの高齢者が抱えている問題として、私などもその一人なんですが、これから探っていきたいと思います。
2024年11月09日
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みかん朝市のはじまりいよいよ今年も、みかんの朝市がはじまりました。真鶴と小田原・早川で収穫したみかんですが、東京・多摩市の団地で、土曜日に朝市を開いて販売しています。これまでは、味見程度のほんの少量だったんですが、今回は40袋くらいになりました。金曜のうちに、4か所の「ポストおろし」をして、30袋を朝市で販売します。1キロで350円ですから、安いんです。ただ、今年は秋晴れが少ないので、本来の美味しさが、今一たりないんです。だから味見をしてもらい、確かめて購入してもらっています。年内は、土曜日はあと7回ありますが、収穫-袋詰め・搬送-販売、この回転を頑張るということです。雨が降ると、表仕事は止まっちゃいますが、フル回転です。今は、早生みかんの収穫ですが、11月下旬には、「大津」や「青島」の収穫も始まります。みかん農家にとっては、テンヤワンヤの11月、12月です。
2024年11月09日
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難聴問題の学習会明日・11月9日に、東京・八王子市で「難聴問題を考える学習会」を予定しています。私などはこれまで、耳の聴こえが悪いことは、他人のことだと思っていたんですが。数年まえのこと、以前から車を運転している時に、気晴らしで音楽を聴いていたんですが、高い山から下りてくるときのように、耳に異変をきたすような事態があった。そうした事態を繰り返すうちに、左側の片耳がほとんど聞こえていない、そのことに気づきました。それで、日医大・永山病院、それはこの地域としてはれっきとした病院ですが、診てもらったんです。「突発性の難聴」でした。その診断の対処ですが、「このコロナのもとでは、ステロイド治療薬はコロナへの抵抗力をそぐから、一般的な投薬をすることで、様子をみてみよう」とのことでした。以来、片耳の難聴の事態が常習となりました。ようするに、私自身も高齢化による難聴者、そのお仲間の一人となっているわけです。しかし、そんな事態の下で、自分の周りを見たところ、私の周りの高齢者ですが、それはみな同じなんです。携帯に電話しても、なかなか出ようとしない。出ても、くり返し確認しないと、言ったことが相手に伝わらない。それが、私のまわりの一般的な事態だったんですね。ある新聞の記事に気がつくそうしたところ、新聞「東京民報」の、しばらく前の連載でしたが、ひらめきました。「聴こえの話」について、8回連載の杉山光男氏の記事でした。この「難聴」という問題が、一般的にみて、どのような対象規模で問題になっているのか。8回連載でしたが、東京都の全体が、どのように対応して来ているのか、紹介してくれていました。じつは杉山光男氏というのは、私などにも懐かしい台東区の有名人でした。1980年頃でしたが、台東区の若手の区議会議員として日本共産党を背負っていた人でした。そんな人が、この「難聴問題」で、東京の情報を集めて、それこそ東京じゅうを飛び回っていた。懐かしさもありますが、しかしなによりも、今の高齢化した国民が難儀している基本問題です。「難聴問題」、その事態の打開にむけて、今の政治力をどう生かすのか。この問題で東奔西走で奮闘してくれている、ありがたいことじゃないですか。さすがじゃないですか。確かに、いま日本は、いまいろいろ大きな問題がありますよ。国の安全保障と憲法問題。保険証や学費・消費税の暮らしの問題。ジェンダー平等など、民主主義の問題と、たしかに解決すべき問題は山積しています。そのあまたある問題のなかで、その陰の一つとしてのの「難聴」です。こんな問題は、自民党政治の下では、政治連勤と利権。当然なことでしょうが、まったくの陰に追いやられるでしょう。がしかし、それは国民にとって、これは基本問題です。これまで、長年にわたって、多くの基本問題は袖にさせられてきました。沖縄県県民、福島市民、農業者の声、学費や奨学金問題、憲法の平和民主を守れ、婦女子や、労働、高齢者のかかえめ諸問題は。いずれも当然な市民要求ですが、その声は蹴飛ばされてきたんです、政治献金なんて出しようがありませんから。今、問題になってます。政治資金のうやむや化を許すな、戦争を招く憲法改悪の反対、辺野古基地の民意否定の反対、学費・奨学金など若ものを殺すな、消費税廃止、原発をやめろ、農家の営業を守れ、保険証廃止なとバカなことをするな、など。国民の要求は、それこそ「じゅげむ、じゅげむ」です。私などとしても、難聴者の一員ですが、たしかに難聴です。が、それは切実ですが、しかしそれでも難聴なんてどうでもいいんです。「どうでもよい」などといっては語弊がありますが。それ以上に、命がかかっています。ウクライナ、パレスチナ、そしてアメリカ国民の、これからの行く末の問題です。しかし、その行く末というのは、他人ごとではない。私たち一人ひとりの足元の問題です。昨今を見ると、ペチャクチャ評論をもてあそぶのが、大流行りです。しかし、その中なあって、確かな一歩の行動を起こすことが求められています。その一歩に、すべての世界と未来は、かかっているということです。
2024年11月08日
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先の大雨と、イノシシとアメリカ大統領選挙いよいよ11月となり、みかん農家にとって勝負の2カ月となりました。今回が、実質的に、みかんの初収穫でした。みかんは、色付きがはじまってました。真鶴で2コンテナ(40キロ)、早川で2コンテナ(40キロ)の収穫がありました。いよいよ、みかんの収穫のはじまりです。しかし、驚かされる2つのことがありました。先週にいったあと、真鶴・湯河原・小田原でも、大雨がありました。100ミリを超える線状降水帯が、小田原・真鶴のみかん園の地帯でも発生したんです。真鶴のみかん園の入り口の道ですが、う回路がつくられて、何やら工事をしていました。工事現場で作業している人に聞いたところ、先の大雨で、道路が陥没してしまったので、今修復作業をしているところだ、と。ここは昔、私の子どものころは、川だったんです。その川を暗渠にして、その上に道がつくられていたんです。今回の大雨ですが、おそらく水量が多くて、暗渠の管の接続部分から水があふれだして、まわりの土砂を削ったんでしょう。道路が陥没したとのこと。こんなことは、暗渠と道が50年以上まえに出来てから、今回初めてのことです。遠くから近所の人が『こんなことは、初めてだ』と、遠くから工事を見ていました。ふつうなら、この一題なんですが、石垣山のみかん園にも騒動がありました。こちらはイノシシ騒動です。先週以降、この1週間で、みかん園にイノシシが入って、みかん畑の中にあったサツマイモが、ごそっと食べられちゃったというんです。どこからイノシシが入ったのか、鉄柵で畑は囲ってありますから。3軒の畑が共同で柵で囲ってましたから、いったい出入り口がどこか問題になりました。当方が管理している畑ですが、今朝の帰りに見たら、鉄柵が曲げられて、へし上げられて、大きな通路つくられていました。これは、それなりに大きなイノシシによる仕業です。別のところでは、柵の外に出ようとして、鉄柵をへし曲げたあとがありました。そこは頑丈だったんであきらめて、この箇所を出口にしようとこじ開けたんですね。みかんの収穫期が来て、イノシシの活動が活発化しています。まだみかんは、本格的ではありませんが、栗とイモなど根菜類を狙ってますが、ここでしっかりと防がないと、みかんについても、地面の1.5メートルくらいにある熟しだしたみかんが、ことごとくがやられます。早く入口を見つけてふさがないと、収獲するはずのみかんの半分以上がやられます。イノシシと人間と、どっらがみかんを採るか、知恵と力、執念の根気比べです。みかんをめぐる戦がはじまってます。みかん園に行った時は、新聞もテレビもありませんから、帰ってからのアメリカの大統領選の結果に驚かされました。アメリカという国は、良くも悪くも世相を語ります。こうした真顔で非道をひけらかす人を、どうして国民の多数が支持するなんてことが。わたしなどには、ちょっと考えられないんですが。しかし、それが現実です。これから、はたしてどんな政治が展開されるのか、どんな問題をおこすのか、アメリカ国民とともに、世界の各国に災いをきたさせないように、わたしなども、注目していきます。
2024年11月07日
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74歳の中心課題私個人の感想としては、率直には「何が誕生日だ、何がおめでたいんだ」と、毒づきたい面あるんですが、しかしありがたいじゃないですか、「ハピー・バースデェー」と祝賀をいただけるというのは、だいたい孤独死しているのを発見されてもおかしくない、そうした身ですから、それに賀状が寄せられるというのは、大所高所からみたら、やはりありがたいことです。とかく、年をとってくると、ひねくれるものです。本日の経験です。10月27日投開票の、今回の総選挙の結果についてですが。当方は、東京・八王子市に在住しているんですが。本日、この地域での集会ですが、そこで出された感想ですが、「今回の総選挙は、共産党は残念でしたね」とのこと。そこうした声は、この間私は、埼玉や栃木、神奈川などはじめ、他の地域からも同じような感想が寄せられていたんです。それに対して「年よりのひねくれ」です、『ちょっと待て』と。私などは、そうした意見に対して、その都度切り換えしているんです。確かに、共産党は議席を減らした。比例選挙での得票数もへらした。それは残念なことなんですが。しかしながら、私などは言うんです。確かに比例代表選挙で後退したこと、それは残念なことなんですが。それは、高齢化による組織力の低下もあるかもしれない、瞬発力の弱さもあったかもしれない。だけど、八王子ですが、そこでの結果については、しっかりとした評価が必要だと思うんです。ここでは、これまでの保守王国のイメージの世界とは違って、全国の国民的な世論をも背景として、大いくさが行われた。この間の八王子市長選挙、都知事選挙の流れを汲んで、この総選挙でも市民のパワーは頑張ったんです。その結果ですが、八王子市を基盤として、二人もの市民派代議士を誕生させた。東京24区の有田さんと、21区の大河原さん、この二人の代議士を誕生させた。八王子市民は、これまでの萩生田・自民党の独占に対して、今回の総選挙では、二人の市民派の衆議院議員を誕生させたんです。これは歴史的に見て、八王子はじまって以来の、革命的な、すばらしい出来事じゃないでしょうか。もちろん、すべてはこれからです。この打ち出の小づちですが、それを生かすも殺すも、それはそれをつかうところの市民の力にかかっています。これから、それをどの様に生かせるか、それが現実の勝負の分かれ道ですが。しかし、とにかく、その小槌を手に入れたことは、間違いのない現実です。こんなことは、はじめてのことですから、不慣れなことも当然あります。しかし、国政を国民の側にかえようと思っている二人の代議士を誕生させた。現実に八王子市民は、この総選挙の結果によって、代議士を二人も持つことが出来たんです。もちろん代議士も、この間、長年にわたり歯ぎしりしてきましたから、この間の思いを実現したいでしょうし、他方の市民は切実です。市民のほうでも、萩生田・自民党の勝手放題の政治に、さんざん苦しめられてきたわけですから。それは、軍事費を第一に創出するために、国民のくらしや福祉・教育などは、そっちのけの犠牲にされてきた。要求していることは、ことごとく蹴飛ばされてきた。そして、憲法を破壊して、統一協会などと結託して、政治の私物化でした。さあ、ここからが勝負です。これまで押しつぶされつづけてきた市民の声ですが、これまで保守王国と見なされてきた八王子市ですが、「日本の夜明けは、八王子から」です。当然ながら、あるべき姿と、現実の力との間には、現在大きなギャップがあります。市民が、要求し、それを実現させるなんてことは、これまでなかったし、これからです。今、この瞬間に、歴史がチャンスを与えてくれたんです。ウクライナやパレスチナでは、現地の悲惨があります、そこではかなわない平和の願いがあります。八王子市民の要求実現というのは、その道をひらくことにもつながっています。その現実の悪しき政治を変える、このための「打ち出の小づち」を手にしたわけですから、この機会を、八王子市民はどのように生かすのか、今、八王子市民は、そのことが現実問題として問われているところです。
2024年11月04日
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「シルバーパス」先日、「シルバーパス」の手続きに行ってきました。東京都民の高齢者が、外に出て社会活動を促進するためのバス券です。私などは、聞き違えをしていて、70歳以上の高齢者を対象に適用されていたんです。住民税の所得が135万円以下なら1.000円、それ以上だと20.510円とのこと。三多摩は都営地下鉄もないし、モノレールには適用されないし、使えるのはバスくらいなんですが、それでも助かるじゃないですか。東京都がこの制度に年間190億円の支出をしているそうで、120万人が利用しているとのこと。今月からは、一人増えることになります。革新都政時代からのプレゼントです。かつては、高齢者に対しての、他人の人助けとして要求していたんですが、今や、わが身のこととなりました。75歳からが対象とだと勘違いしてたんですが、実際は70歳以上とのことですから、もっと前から申請が出来たということです。まだ、1回しか使えてないんですが、おかげで、外国にでも行けるような気分です。
2024年11月03日
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マルクス「ヘーゲル弁証法批判」30全体像マルクス『経済学哲学手稿』「ヘーゲル弁証法批判」の学習ですが、まとめに入ってます。今回は、その全体像についての紹介です。全体をつかむ上で、その論点を5つの点に区分してみました。個々にはいろいろ探るべき問題がありますから、途中で道に迷わずに、すすむための作業です。『国民文庫』版(藤野渉訳)により、ページと文節を示しています。文節は通しで番号をつけました。どこの箇所が問題になっているのか、特定しやすくするためです。一、マルクスの出発点(P205 第1文節~) マルクスの出発点となった状況です。ヘーゲルfは1831年に亡くなりますが、彼の哲学はその後も大きな影響を与えていた。けども、だれもその方法について検討する人はなかった。フォイエルバッハだけが新たな成果を加えていた。しかしその弁証法に対する批判については不十分なことを、マルクスはみてとった。この論文は、1844年、マルクス26歳の時のもの。冒頭の部分にあるフォイエルバッハ論は、お互いに切磋琢磨している最中でのもので、フォイエルバッハの成果とともに課題が提起されてます。後に、エンゲルスは、この草稿をもとに『フォイエルバッハ論』(1886年)をまとめています。二、マルクスはヘーゲル哲学を概観(P211 第14文節~) 1、マルクスは、『精神現象学』、論理学、自然と精神の全体を視野にします。 ヘーゲル哲学の成果と課題を問題にするには、その視野が必要だということです。 2、結論としてマルクスは、ヘーゲル哲学、弁証法にある「二重の誤り」を問題提起しています。 これが、このあとで示すヘーゲル弁証法の検討から引き出される結果なんですね。 3、ヘーゲルの終極的成果が弁証法にあることを指摘しています。 ヘーゲルがはじめて意識化した弁証法は、偉大な成果だと評価してます。 これらは、マルクスとエンゲルス以外にはリアルに明らかに出来ていないこと、 それは、ほぼ、今日まで同様だと思います。三、ヘーゲル哲学の問題点の検討(P217 第20文節~) 1、マルクスのヘーゲル批判のテーマ。「ヘーゲルの一面性と限界を、現象学の終章「絶対知」について詳しく述べよう。この章は、現象学の総括された精神、現象学と思弁的弁証法との関係をふくむとともに、また両者ならびに両者相互の関係についてのヘーゲルの意識をもふくんでいる」 2、ヘーゲルの『現象学』「絶対知」の主要な論点は「意識の対象性の克服」、8つの全面的な表現。 3、第2の「自己意識の外化が物性を措定する」についての検討。 4、第6の「それの他在そのもののなかでおのれのもとにある」についての検討。四、ヘーゲル弁証法の肯定的な契機(P231 第56文節~) 1、(a)外化したものを自分のものとする。 2、(b)第一に、形式的な抽象性がもつもの。 第二に、外化の止揚が、外化の確認になること。 第三に、この運動の担い手、主体は何なのか。理念が主体となり、人間はその現れ。転倒。 3、まとめると、あらゆる内容に当てはまる抽象的な真理としての論理学的カテゴリー。 絶対理念は、論理学が自然と精神から抽象された必然的な成果だけど、それだけでは無力だ。 五、自然について(P238 第69文節~) ヘーゲルの自然観に対する批判以上が、マルクス「ヘーゲル弁証法批判」論文のおおよその構成です。マルクスはこうした問題をとおして、ヘーゲル弁証法の転倒を正すことで、唯物弁証法を確立したわけです。マルクスの生前には刊行されることなかった『経済学哲学手稿』です。しかし、マルクスはこうして、弁証法についての叙述をもっていた。『メガ(マルクス・エンゲルス全集)』が、1932年に「経済学哲学手稿」をふくめて刊行されたこと。それが日本でも1960年代に翻訳されてからは、マルクス「弁証法のついて説明を刊行したい」との遺志ですが、それははされているわけです。この小論文の主題ですが、エンゲルスは、マルクスが『経済学批判』を出したときに、『マルクス『経済学批判』の書評』(全集第13巻)を書きました。そこで、経済学批判の基礎にある方法の問題を指摘しています。「マルクスは、ヘーゲル論理学から、この領域における真の諸発見をふくむ核心を取り出し、弁証法的方法からその観念論的な外皮を剥ぎ取って、それを思想展開の唯一の正しい形式となるような簡明な形につくりあげるという仕事を引き受ける唯一の人であったし、今でもそうである」と。私などは、このエンゲルスの『今でもそうである』との指摘に注目しています。そして「なるほど」と思っている次第なんです。ですから、これから、その中身がどのようなことか、具体的に探っていきたいと思います。
2024年11月02日
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みかん園の11月課題みかん園の11月は、収穫前のみかん園の草刈りと、収獲のはじまりです。みかんの収穫の始まりみかんは太陽の恵みでして、寒暖の差で色づきだし、秋晴れが続いてくれると甘く美味しいみかんがとれるようになります。しかしこの時期は秋雨前線の影響もあります。みかんがぬれていては、傷みやすくなるので、収獲は出来ません。秋晴れが大切になっているわけです。それと、もう大事な点は、収獲のタイミングです。せっかくここまで苦労して育ててきたんですから、農家は「味がのってくる」といいますが、みかんがしっかり熟すまで、早もぎをしないように、熟したみかんを採るように、じっと我慢です。これが、私などが美味しいみかんを提供するための、大事な点です。まぁ、みかんの収穫は、一年の苦労が形になるときですから、楽しみな時です。私などの場合ですが、八王子-小田原間の140キロを往復しています。私が小田原のみかん園で作業できるのは、水曜日前後の2日間くらいと限られています。その都度、天候の具合はどうか、みかんの成熟はどうなのか、イノシシが畑を荒してないか、まず、畑全体の見回りです。収穫したみかんですが、それを袋詰めと箱詰めをして、毎週土曜に、東京・多摩の団地で、みかん朝市で販売しています。多少姿かたちは劣るんですが、無農薬で安全、安くてフレッシュ・ジューシーで、美味しいんです。11月はどのくらいの収穫量なのかみかんの収穫は12月が山場のピークですが、11月はどのくらいの量が採れているのか。(みかんのコンテナ容器には、約20キロが入るんですが) 2021年 2022年 2023年11月1週 2週 2c 3c 3週 14c 4.5c 3c 4週 17c 2c 5cでした。 11月の5キロ箱での出荷は、去年の場合は、計35箱でした。みかんの畑は、その年の自然条件の問題があります。今年なんかは異常な夏の暑さでした。みかんの木には、なり年(表年)とならない年(裏年)が、交互に繰り返す「隔年結果」があります。一定ではないんですね。それと、私などの手入れの問題があります。仕方が悪くて、園主さんが「がっかりしちゃうよ」と嘆くくらいに、みかんの多数の成木を枯らしちゃった状況があります。他方では、あらたに園主さんの手の及ばなくなったみかん畑がでてきていて、「もったいない」からと、その草刈りを応援して、みかんを収獲させてもらっています。そうしたことで、みかん畑の全体には、プラス要因とマイナス要因があって、全体の結果というのは、なかなかわからないわけです。過去の記録から、大よそを推定を目途にして、すすめているわけです。11月、月初めの課題1、まだ草刈りが、あちこち残っています。せめて、みかんの木の、まわりだけでもきれいにしておかないと、収獲したくても木に近づけなくなります。2、イノシシの加害が周囲で多く発生していて、注意が必要です。イノシシは、栗やみかんが大好物です。一度荒らされると、入口を見つけてふさがないと、毎日やってきて、美味しいところをすべて食べてっちゃう。大損害をきたしますから。3、収獲、最初は慎重にゆっくりですが、だんだん速度が上がってきます。それに見合って、袋詰めして、販売作業をすすめなければなりません。流通が滞ってしまっては、置き場もなくなり、収獲することがが出来なくなりますから。4、特殊事情として、この11月には引っ越しがあります。園主さんの事情があって、引っ越さなければなりません。あらたな住まいと、作業スペース、道具置き場を、確保しなければならないということです。いずれも、この11月と12月が、これまでの一年間の苦労の結果が、どうであったのか問われる時となっています。
2024年10月31日
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みかん園と今回の総選挙のもよう今回の総選挙の結果をうけ、その分析の報道する新聞をかかえて、みかん園に行ってきました。10月27日が投開票でした。29日(火)、予報通り雨が降り出してきていたんですが、小田原のみかん園行きでした。みかん園の草刈り・草取りが、待っているんですね。これは、先週の10月23日の、ママコノシリヌグイに巻きつかれているみかんの木です。このつる草を、一刻も早く取り除かなければ、日差しがさえぎられて甘いミカンは出来ません。それどころか、葉が落ちて、木が枯れ込みだします。だから、雨滴はあっても、急いで対処することが必要だったわけです。朝方までは雨が降ってました。天気予報では、その後雨は上がるとのことでしたから。みかんの収穫の方は、木が濡れているから、できませんから、今回は、このつる草(ママコノシリヌグイ)のはぎ取りに、専念出来るわけです。みかん畑は、二段ありました。手前の半分については、今回、剥ぎ取り・草刈り作業を完了しました。その上に、さらに2段目があったんですが、クタクタでしたから、それは次回に残しました。今回のみかん園行きですが、二つの発見がありました一つは、イノシシです。みかん園の入り口が、前回閉じた時と違って、鉄柵がへし曲げられてたんです。なにかの力が加えられたということです。そうこう作業していたら、お隣の農家の方から、私を呼ぶ声がありました。「うちの早生みかんがイノシシにやられた。お宅の方は大丈夫か」と。見たらお隣の畑の早生みかんが、せっかくの苦労して育てたみかんが、無惨にも食い荒らされてました。後でわかったんですが、当方が草刈りした畑の鉄柵を、イノシシがこじ開けようとしておしていたんです。それが、私がなにげなく気がついた入口の様子の異常だったんです。しかし、入口の鉄柵は突破されなかったんです。その代わりに、すぐ隣の畑です、お隣の畑の鉄柵のすき間からイノシシが侵入したんですね。小さなすき間ですから、大きなイノシシではないんですが、木の美味しいところを食べてました。ようするに、みかんが熟しだして、そのみかんをめぐる攻防戦がはじまっているということです。イノシシの執念は、グルメ度は、相当なものです。もう一つは、この総選挙についての政治談義です。みかん園の園主の方と話す機会がありました。ひとりは、「どの政党・候補者も、まともに農業のことを語っていない。だから私は、自民党の○○かれんに投票したよ」というんです。どうしてか?と聞いたところ、「彼女はジビエの資格をもっている、農業に実際に資格を持つという関わりをもっているから。他の候補者は、誰も農業について関わりや政策もないから」、というんです。選挙前には、日々みかんの手入れでヘトヘトになって働いているから、話す機会もなかったんですが。みかんの栽培については、ほこりある技術をもっている農夫の方ですが、これがこの農夫の方にして、こうした考え方なんですね。もう一人は、「なんで八王子市民は萩生田なんて当選させたんだ」と、私が八王子市民だと知っているから、「どうしてなんだ」と強く問いかけてくる。「有田さんが負けて、どうしてこれほど裏金や統一協会のかかわりが明らかなのに、問題になっているのに、どうして有田さんじゃなくて萩生田なんだ。萩生田なんかに当選させちゃって、八王子市民はいったいどうなってるんだ、あきれるね」と、私にたいして文句を言ってきたんです。「有田さんも僅差だったから、比例で当選したよ」「八王子は、保守と自民と公明が強い土地柄なんだ」、と紹介したら、「有田さんも当選したのか、それは知らなかった」と。さらに「自民・公明は駄目だ。私は、比例は国民民主に入れたよ。国民の所得を増やすといってたから」「私は、一般の人の気持ちを読む。国民民主は寝やはり大きく伸びただろう」と胸を張るんです。それと、「小選挙区は佐々木さん(立憲)に入れたよ、なのにかれんが当選しちゃって」と悔しがっていた。農家の方は、あまり普段、政治の話はすることはないんですが、ひたすらもくもくと畑で働いているんで。しかし、今回はちょっと違うんです。お一方は、今回の自民・公明がまけたのを、小田原市長選に重ねて、喜んでいる。ちょっと選挙談義に水をむけたら、率直な思いのほどが、さかんに返ってきました。当然ながら、議論にはすれ違いはあるんですが、しかし同時に、「その要求は当然だし、どうしたら本当にその要求が実現できるか。これから、それが大事だし、そこが注目ですね」はじめての政治談議でしたが、この点に関してはお互いに完全に一致してました。これからが大事だということですね。農村でも、政治談議がはじまりだしています。いまが、農家の心を知ることのできる、貴重なタイミングですね。
2024年10月30日
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マルクス「ヘーゲル弁証法批判」29『偉大な遺産』10月15日解散、10月27日投票で、総選挙がありました。このため中座してましたが、あらためて、マルクス「ヘーゲル弁証法批判」学習の再開です。今回は『偉大な遺産-マルクス遺稿物語』(シュテルン/ヴォルフ著 池田光義訳 大月書店 1983年刊)の紹介をさせていただきます。社会主義ソ連は、1991年に崩壊しました。この本の出版は1983年3月ですから、その前に出版されたものです。私はこの本について、三点を注目しています。一つは、今、私などが学習しているマルクスの『経済学哲学手稿』が、この世界に知られるようになった事情です。この本はタイトル「偉大な遺産」が示しているのは、マルクスやエンゲルスがなくなってから、その後その遺稿集がたどった歴史を、旧東ドイツのジャーナリストが調べてまとめたものです。遺稿集が、どのように焚書から免れたのかが紹介されています。この経過が第一の注目です。『経済学哲学手稿』については、P129に出てきます。「メガ」というのは『マルクス・エンゲルス全集』のことで、当初全42巻の予定で、ソ連で1927年から35年に12冊まで刊行されが中止になった。その後、ロシア語版は1947年の第29巻まで刊行された。そしてさらに、全42巻がドイツで刊行されたとのこと。今日、私などが目にしている大月書店版『マルクス・エンゲルス全集』は、これがもとになっているようです。この最初の「メガ」の刊行によって、はじめて『1844年の経済学哲学草稿』、『ドイツ・イデオロギー』、『自然の弁証法』など草稿が、世界に明らかになったとのことです。私などが、学習しつつあるのは、この「メガ」によるものなんですね。他方、これにたいして、今日、「新メガ」が刊行されつつあるとのことです。世界各国の研究者が協力して、全100巻を予定するとの壮大なもので、草稿なども含めて、二人が執筆したすべてをまとめて、刊行しようとしているのだそうです。そして、今でもその努力が続けれているとのことです。二つ目に、ここには、一つの時代、東西ドイツ対立の時代の影が刻まれています。二人の著者は、旧東ドイツのジャーナリストの様で、東西のドイツの時代の論争が記されています。そこには、ドイツ社会民主党が、ベルンシュタインの主張した改革の積み重ねとの「過程」の道か、それとも社会変革をさぐる道か。この第二インターナショナルの当時の論争が、その後の東西ドイツの社会歴史理論の対立の根底にあったとの指摘です。その観点から、1959年のゴーテスベルグ大会での綱領論争ですが、著者はそこにこそ、その本質があるとみています。私などは、不勉強でして、今それについての判断はできません。一定の観点から現状を見るのか、それと現状のなかから観点を導きだすのか、こうした問題があるように思えます。詳細は分かりません。ただ、すくなくともそうした仕方での問題提起が、ベルリンの壁が壊される以前に、この東ドイツのジャーナリストからなされていたこと、そのことは確認しておく次第です。三つ目です。今現在、どこまで進んでいるのかわかりませんが、「新メガ」の100巻が刊行されつつあるとのこと。自然や社会の各分野での探究が爆発的に広がる、そのことはマルクス・エンゲルスの分野でも同じだと思うんです。細部にわたり研究材料が集められて、さまざまな問題の研究が膨大に広がっていく。それは、一つの前進をはかろうとする努力ではあると思うんですが、しかし、唯物弁証法の方法にたいする認識が大事になると思うんです。「行動の指針」である、ということです。二つ目の問題とも関係しますが、「科学的社会主義かマルクス主義か」。マルクスの言葉を教条として絶対視して追跡するのか、それとも、具体的な諸関係のなかで、そこに生きる指針として、生きた生命力をもつ理論として探るのか。このへんの、基本的態度の問題が、ここでは問われていると思います。今回は、たまたま手にした『偉大な遺産』という「マルクス遺稿物語」に関連して感じたことですが。そのテキストがどのようにして今日に伝えられたのか、この点については、この本がその貴重な歴史的事実の経過を紹介してくれているんです。しかし、それとともに、それをどの様に、どのような方法をもって、生かさなければならないのか。「メガ42巻、新メガ100巻」もあります。それに私たちは、どのような態度で、それに接近しなければならないのか。この問題です。この後者の問題ですが、それは今学習している「ヘーゲル弁証法の批判」の問題とも、問題が重なっている点があると思って、あえて今回紹介させてもらった次第です。
2024年10月28日
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日野美子「音楽好きな仲間たち」発表会総選挙の投・開票日翌日の10月28日(月)に、コンサートに行ってきました。毎年、この時期恒例の「音楽好きな仲間たち」-日野美子ヴォーカル教室の発表コンサートです。最後に全員で「ソレアード」という曲を歌った、その様子です。大学生の若い人から93歳のご婦人まで、それぞれ「音楽好きな仲間たち」の発表会です。私などは、まだ総選挙の開票が、その結果が出たばかりの時ですから、結果の全体的な認識を立てられてない中でのことでしたが。音楽の芸術とは、ほとんど縁のない人間なんですが、しかし、音楽の熱唱は、やはり感性を発散させるというか、疲れを癒す力がありますね。なにしろ、93歳のご婦人が気持ちを込めた素晴らしい歌を披露してくれるんですから。まだ、私なども、これからが人生のやりたいことをやる、そんな気分にさせてくれました。このコンサートは二部構成だったんですが、それぞれが、始まりの第一部では、緊張したおももちと歌声と聴こえたんですが、ところが第二部になると、それぞれが生きいきと、自分の自由な歌声で、その持ち味を発揮した熱唱を、披露してくれました。私などは、この間の12日間、選挙の緊張下にあったわけですが、その疲れを、かなり解きほごしてくれるような、そんなコンサートでした。これには私などの知人も出演してたんですが、この間の鍛錬の成果でしょう、日ごろ接している人とは、別人のように大きく見えて、まったくの「スター」の歌声ぶりでして、会場全体を圧倒していました。あらためて、認識を新たにしたひと時でした。
2024年10月28日
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総選挙の東京・八王子のひとコマですいろいろあったこの総選挙ですが、その中でのひとコマです。今、まさに投票が行われている最中ですが。私などには、その結果は分かりませんよ、しかし、この総選挙の確かな一コマの紹介です。私など齢70も過ぎると、天上から下界を見てみているようなもので、この総選挙の白黒の審判は明らかじゃないですか。しかし、金縁、地縁、血縁と、いろいろ関係あるこの政治社会ですから、「木が沈んで鉄が浮く」、そうした事態が、一般的に多々あるじゃないですか。砂漠に水ですが、少しでも前にすすめようと。「10月25日に、南大沢駅に吉良さんが来るから、参加してほしい」との連絡があって、それで、住んでる鹿島の地域の知人たちに連絡したんです。すると、待ってましたとばかりで、「私、吉良さんは好きだから」との人もいたりして。それで、呼びかけた手前、会場の京王線の八王子・南大沢駅に30分前に行ったんです。すると、すでに、一生懸命になってビラまきしている高齢夫人がいたんです。それは私などが声掛けした人なんです。88歳の夫人が、駅を乗り降りする人たちに、「女性の党首です」とビラ配りしていたんです。私などは、このご婦人が高齢であることを知ってますから、心配したんです。転んでもしたら大変だし、激しい選挙戦で反感者もいるから突き飛ばされたりしたら危険だと。「われわれ、がんばっているけど、力にも限界があるから、ちょっと縁石に座っててよ」と。しかしダメでした。一時はベンチに腰かけるんですが、すぐに、人が来ると動き出して、また「私この人が好きなんです。女性の委員長です」「日本共産党をおねがいします」と。南大沢駅の改札口を行き交う人たちにたいして、声をかけてビラを配りをしだすんです。この熱意に、私などは敬服するばかりでしたが。やがて、日本共産党・吉良よし子参議院議員がやってきました京王線・南大沢駅での午後3時からの日本共産党の駅頭宣伝です。望月しょうへい市議が司会をして、大学院生、被爆者団体協議会の市民のかたからの発言、アオヤギゆき子都議も「市民の力が都政を動かしている」との演説です。吉良よし子議員の演説ですが、さすがです、一番若いのに、もっとも迫力があって、さすが日本共産党でした。一行が到着したとたんに、われらがご婦人ですが、すぐに、ベンチからただちに立ち上がって、こんどは、それぞれの弁士の人たちに対して、その一人ひとりにたいして激励に動きだす。しかも、弁士にたいして渡すためのプレゼントまでも用意していました。しかしこれは、駅前を行き交う大勢の人たちの中ですから、高齢な夫人にとっては、危険な動きだったんです。がしかし、もうとめられません。もう止めようがなく、動き出すんです。道行く人たちをかき分けて、来てくれた弁士たちとのエールの交歓です。それは人生の中から出てくる底力でして、危険などどこ吹く風で、もう静止しようとしても仕方ありませんでした。しかし、そのおかげで、この一枚のショットです。若いですね、吉良さんも若いけれど、それに引けを取らない若々しい熱意ある姿でした。この思いというのは、長年経験してきた人生からの正義と真理観からの思いですから、重いんですね。これは、国民の良心の底深い、地の塩から、吹き出してきた言動ですね。しかし、今日はいよいよ投票日です。あと、投票締め切り時間は4時間後、その後で開票が始まります。その国民の審判が、結果がでます。こうした努力の、みんなの力の合力です。やがては勝利しますが、それでも、お互いに明日の未来を、少しでも早く引き寄せたいですね。
2024年10月27日
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永山商店会のサンマ祭り東京・多摩ニュータウンの永山商店会で、10月26日(土)に恒例のサンマ祭りが開催されました。サンマが気仙沼から届けられれて、商店会のスタッフが、朝早くから準備してました。あたりには焼いているさんまの香りが漂っています。これは、多摩ニュータウンの団地住人にとって、季節の味と香りを楽しめれる恒例の祭りです。団地住人の楽しみでもあり、三陸業者支援でもあり、永山商店会の振興の振興のための祭りです。普段はいたって静かな永山商店会の土曜の朝なんですが、この日ばかりは、午前10時には太鼓も打ち鳴らされ、老若男女が列をつくって、笑い顔でにぎやかでした。スタッフも、下ごしらえでてんてこまい。私なども、今年最初のサンマでしたが、1本確保してきました。ということで、本日の朝市ですが、サンマを焼くテントの横で、その匂いを嗅ぎつつ、いわば、まつりの前座としてのキウイ中心の、みかん朝市でした。(例年なら、早生みかんが山に積まれるんですが、今年は、まだ少ない。みかんは、味見程度にしか出せませんでした)次の写真は、まだ10時前の準備途中の様子ですが。商店会長が、準備しているスタッフを激励してました。当方は、今年の小田原みかんの味見用の初物を、味見してもらいました。ということで、本日ばかりは、永山団地も往年の賑わいをうかがわせるような、庶民の元気をとりもどせと、そんなはからいのサンマ祭りでした。
2024年10月26日
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最終盤の日本共産党の訴え総選挙も最終盤、10月25日(金)午後3時から、南大沢駅で共産党の演説会が開かれました。この演説会に、私なども参加して感じたんですが、この総選挙の焦点の一つの場に、どうやら八王子の二つの選挙区(24区と21区)ですが、日本の暗闇政治と、それを国民が変えるたたかい、今の自民党政治対、国民(共産党と市民との共闘)との、一大対決の場になっていると感じました。望月市議の司会で始まりましたが、大学生による400万円の奨学金返済を背負う声、ノーベル平和賞の被団協の方から、日米同盟の核共有への批判、のスピーチがありました。そして、日本共産党のアオヤギ都議、そして吉良よし子参議院議員から、この総選挙のなかで明らかになった、裏金政治による国民生活切りすての状態。この総選挙のなかで、日本共産党の議席獲得が求められている、大切さの訴えがありました。総選挙の運動期間も、残り今日(金曜)と明日(土曜)の2日間となりました。さらに新たに自民党の非公認者へも2000万円支給したことが問題になっています。各党がしのぎを削る選挙戦の、激しい最終盤です。この歪んだ裏金政治を正すために、そのための確かな力としての日本共産党の躍進です、国民の要求実現する政治をひらくために、みなさんのお力添えを!と。それぞれの弁士の訴え、つよい力がこもってました。八王子の小選挙区は、東京21区では大河原さん、東京24区では有田さんを、比例代表選挙では、日本共産党へのご支持を、と。駅前広場に足を止める人たち、そして道行く人にも、訴えが響きました。
2024年10月25日
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みかん園の通路づくり10月22日-23日と、小田原・石垣山のみかん園に行った来ました。総選挙の最中でのみかん作業です。この選挙でも農業の問題が、一つの課題となっています。小田原のみかん園ですが、ここでも安定した営農が出来ませんから、子弟には他の安定した職業について、家庭をつくってもらっている。みかん畑にたずさわっているのは、今や70歳代というのは若手の部類です。高齢者が、畑を維持しているのが一般的な姿です。今回の小田原行きは、農夫の高齢化により、手の及ばなくなった畑の援農です。これがそのみかん畑への入り口です。この春には、きれいに整備されていたんですが、半年間人の手が入らないとご覧の通りです。右側のお茶の木の上から、クズやヤブカラシがみかん園への通路にかぶさりかけています。正面の木には、ママコノシリヌグイの蔓がかぶさってみかんの木を覆っています。そのままにしておくと、せっかくのみかんが陽が当たらずに、葉も呼吸が出来ずに木が枯れてしまいます。つる草の剥ぎ取りと雑草を刈ることが、今ここの僅々の課題なんです。みかん園が雑草で消滅しかけている、それがこの畑の現実です。この春までは、この畑は、雑草などなくて、きれいなみかん畑だったんです。みかんの木の何本かは、ママコノシリヌグイによって覆われちゃっています。木に近づくためには、草刈りして、通路をつくらなければなりません。畑に入るには、幹線の通路をつくらなければなりません。今回の作業は、その通路づくりでした。お茶の木沿いに背骨にあたる幹線となる通路をつくりました。これで、畑に入って、畑の中の草取りができる、そのための道が出来たわけです。今回は、そこまででした。次回は、木にかぶさっているママコノシリヌグイを剥ぎ取ります。ママコは、棘のあるつる草で、網のようにかぶさってますから、簡単ではないんですが。今回の通路をつくるだけで、4つの大きな束になりました。農家の要求ですが、なんたって農夫が高齢化するなかで、畑を維持していく上で、以前の様には手が及ばなくなっている。それぞれが、体力のギリギリのところで頑張っているんですが、そうなっているんです。数年まえに学習会に参加したんですが、最盛期の面積からしたら、その時点で3割強の畑が耕作放棄地なっていると。私などの援農は、当初はみかん園の荒廃地の再生を目標にしていたんですが、今や、何とか今の畑を維持することが、みかん畑を草刈りして、畑の荒廃化を止めることが、目標となっています。収穫したみかんですが、販売しなければならない。無農薬ですから、病害虫の傷痕もあり、姿かたちは劣るんですが、美味しいんですよ。酸味の中の甘さという、小田原みかんの独特の特徴があるんです。北限の産地での完熟したみかんの味は、フレッシュでジューシーで美味しいんです。みかんの収穫は、今、早生みかんの収穫が始まりだしています。11月半ばになれば、中心となる大津や青島の収穫も始まりだします。その前のひと仕事です。収穫が本格化する前に、ひと通りのみかん畑の草刈りを済ませておかなければならない。そうしないと、みかんの収穫作業に集中できなくなるわけです。ということで、次に行けれのは、総選挙の投開票の後ですが、この選挙でも、農家にとって、今の放任政策ではなくて、安心して営農が出来るような、はやく責任ある政策主体が出来てほしいものです。
2024年10月24日
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総選挙(比例代表)の選挙公報に思う10月15日に公示された総選挙ですが、選挙公報が届きました。選挙公報というのは、とくに比例代表の広報は、その党がこの総選挙で何を国民に訴えて、その支持を得ようとしているか。今の日本政治は何が課題であり問題であるのか、それに対して、どのような政策を提示しているのか。いわば、その政党自身によってつくられた公約ですね。それは、国民がこの選挙で選択を考える上での大事な判断材料だと思うんです。そういうものとして、選挙のたびに公報を読んでいるんです。私などの感想の第一は、各政党がそれぞれ課題や問題点を提起している中で、まず、自民党の選挙公約について、ですが。自民党は大勢候補者を立てているから、1ページ全体という大きなスペースがあるんです。それは結構なことですが、がしかし、「中身が抽象的だなぁ」ということが第一に感じたことでした。政権を担当している政党なんだから、日本は何が問題で、そうした課題がどこまで来ているのか、より現実に責任があるじゃないですか。「日本を守る」「成長を力に」-活字は大きいんですが、何が問題で、何をしようとしているの?わかりますか? 私にはよくわかりません。しかし、それなりに答えようとしていること、よくよく見るとそれが見えてきます。今問題の、「政治資金の裏金づくり」問題ですが。「納得と共感の政治で」のサブタイトルですが。しかしこれは、あくまでも今現在の政治においては、あるべき目標であって、理想の姿ですね。どうやって国民の納得と信頼を回復するのか、それこそが問題となっているわけですが。この公報で、どう答えようとしているのか。がしかし、ともかくも、問題があるからこそ、そうした言葉が公報にも書かざるをえないんだと思います。さて、具体的にこの問題をどうするのか?ですが。「ルールを守り、国民からの信頼回復に全力をつくします」-これは国会答弁ですね。自民・公明が多数を占めている国会の場で、そこでの多数派として行われた言葉ですね。それが、1億余の国民の前で、「納得と共感」をしてもらうことを意図してのこの総選挙なはずですが。国会の永田町内の世界と、広い日本社会の国民感覚とでは、ギャップがあります。いくら国会内では議員の多数の主張だとして押し通せるかもしれませんが、それを国民全体のなかに押しつけようとしても、そこには無理があります。「いったい、誰がいくら裏金をつくっていたの?、それは何に使ったの?」どうしてそれを当事者は、自ら語らず、政党としても明確にしないで選挙に臨んだの?そこのところが、いやおうなくこの総選挙でも、国民の疑問として問われているわけです。第二は、感想は、日本政治の基本的な流れの問題です、5年間で43兆円の軍拡予算です。安倍内閣が、戦後の憲法と政治が基調としてきた専守防衛を、閣議決定で覆し戦争の出来る国にした。2015年の安保法制です。岸田内閣は、5年間で43兆円の軍事費拡大を閣議決定できめた。そしていまは、石破内閣は、トマホークや超音速ミサイル、戦闘機の共同開発、核兵器の共有し、核シェルターをつくると、この道を具体化しようとしている。じっさい、8月末にまとめた軍事費の概算要求のなかみは、そうなっているわけです。しかし、この選挙公報では、「日本を守る」「あらゆる不安から国民を守り抜きます」「憲法改正を実現します」ですが、この抽象的な言葉の中に、前記の内容が込められているわけです。それは、はたして本当なのか、それともそれがウソや誤解だというのか。第三は、だいたい、大軍拡の予算を組めば、国民の暮らし福祉、教育などの予算をおさえ、削るしかないじゃないですか。それがこの間の長期にわたる日本政治の現実の姿じゃないですか。大企業が政治献金で、原発でも、軍備でも、消費税増税でも、政治にはたらきかけている。国民政治を自らが儲ける方向に曲げている。そのための政治献金が裏金として使われてきた、それが構造的な仕組みとしてつくられていた、そうしたが自民党政治だったことが、それがこの間に明らかにされた問題なわけです。しかし、そんなことは、絶対に素直には選挙公報に書けっこないですよね。だけど、抽象的な言葉の中に、よくよく見れば、そうした自民党政治の実体が透けてみえてくるんですよ。ということはですよ、「希望あふれる未来に向け、あらゆる手立てを講じます」「地方の振興で日本全体を元気にします」などということは、選挙目当ての方便ですね。企業献金が構造になったいる政治が、まともに国民の声にこたえるなんて、ウソですね。いくら「あれをします」「これをします」といっても、それは選挙の時だけの、空約束ですね。しかし黙って、スポンサー寄りの形に政治を曲げているわけです。そのことは、その結果は、今の現実が示しています。この間の自民・公明の政治がつくりだしてきた国民生活の諸問題ですが、その政治の仕組みの結果として、諸問題が山積した今の現実として、私たちの前にあるということです。第四に、選挙公報からつかみ取りたいこと、それは、どうしたら、この現実を変えれるのか。これが、やはり今の大事な問題ですね。いくら改革しますといっても、軍拡予算に賛成していたら、財源の保証のない空手形になります。国民の要求を取りあげはしているでしょうが、その場しのぎの無責任な、空手形となります。どうしたら、本当に政治を変えれるのか。そのことも、この選挙公報から私たちがつかみ取らなければならない大事な課題です。この選挙公報は、以上のことを、私たちに問うていると思います。
2024年10月24日
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総選挙の最中でも欠かせないみかん作業10月21日(月)、午後2時、東京24区の八王子駅頭は盛り上がってました。当方は、午後3時に歯医者さんと予約があったんで、その街頭演説に会うことが出来ました。この駅前演説会の目玉は、共産党・穀田啓二さんや自民党・小林多門さん、多彩な政党と市民の応援する姿にあったんですが、もちろんそれは、裏金の萩生田候補に対しての、八王子の地元の強力な力に対しての、八王子市民の良識ある共同の力の、すばらしい光景だったんです。これを見逃す手はないと、予約時間の1時間前に、いそいそと出かけたんです。しかし予約してあった歯科との時間もあったんで、肝腎の有田候補の演説している途中で、その場を離れざるをえなかったんですが。そして、診療のあと、小田原。早川のみかん畑の、草刈りとみかんの収穫に出かけたんですが。思うのに、この21日の八王子駅の演説会には二つの圧巻があったと思います。一つは、共産党・穀田議員の演説です。穀田議員は「有田よしふ」候補応援に、遠路京都からかけつけた。その魂は、「きけわだつみ」の同志社大学の精神にあると、私などには見えました。さらに、それには萩生田議員の前任の代議士だったとのことですが、自民党・小林多門元議員が、肩を並べて応援演説をしたんですね。これもまた、勇気ある行為だと思うんです。自民党員が、今の日本にあって大勢にたいして疑義の行為を意思表示したんです。このことも大事な勇気ある事実だと思うんです。そんなことは全国の中で考えられますか。これは沖縄と同様に、保守と革新を越えて日本の危機に対しての良識の、まだいささか前人未到の、心もとなさをもっているとは思うんですが、しかし断固として共同したすばらしい姿だと思うんですね。「がんばれ」ですね、これが一つです。さらに自民党元代議士の小林多門氏です。自民党と共産党を含めた、市民と野党の行同する姿ですが。どうしてこれが、八王子の現実になっているのか、これが問題です。それが、もう一つの問題で、この共同を現実につくりだした八王子の精神です。これは1月の八王子市長選挙でも、東京都知事選挙でも、共通した流れです。どうして、こうした事態が八王子に出来ているのか。その象徴ですが、私はよく知らないんですが。菱山さん、白神さん、どちらでしょうか、どちらかの「有田よしふ」候補を応援する弁舌でした。その弁舌ですが、それは、その場だけでなく、世界のすべてを圧倒していたと思います。「萩生田氏は、八王子はよそ者に負けるなという。しかし、八王子生れ、八王子育ちの私は言う。八王子の良心は、裏金や、統一協会などとの黒い絆ではない。そうした、大きな力ときっぱりと対決して、勇気をもってたたかっている有田よしふさん。有田さんと萩生田氏、どちらが本当の八王子の心なのか、この選挙はそれが問われている」(これは、私の記憶によるものでして、菱山さん白神さんの、ご自身に責任がある言葉ではないんですが)これは、八王子の今を前にすすめようとする力と、これまでの八王子を牛耳ってきた昔の力との、正面からの激突ですね。これはこの総選挙の全体の特徴でしょうが、それは今よりも、さらに一歩先を行く時代の本質を示す横綱相撲ですね。どちらが、本当の八王子なのか、と。それは同時に「民主主義か戦争への道か」、その完全な対決ですね。そのどちらを選択するのか、それが国民に問われていることがらなわけです。選挙のことですから、今の時には、理想的精神が勝つとは、必ずしも限りません。がしかし、裏金政治を許すな、その基礎にある裏金の企業献金による軍拡政治から、選挙公報をみると、誰もそれを、共産党以外に問題視しようとはしない。そりゃあそうです。軍拡政治で日本を守れ、とのみなみなの合唱ですから。しかし、裏金政治を許すな、国民泣かせの政治を許すな、との点では一致しています。その怒りが、本当の未来を見つけだすこと、それは、時に試行錯誤はあったとしても、見つけ出す、私などはそれは間違いないと思います。とにかくそうした声が、今、この時点で、この八王子においては、現実の市民的な共同として「有田よしふ」候補で立ち上がったんですね。これまでは、八王子というのは保守と牙城と目されてました。萩生田氏の基盤の力が、公明党や統一協会とグルになって、市民を蹴飛ばし、この社会を隠然として牛耳ってきたんです。いまも、多少の後ろめたさをもってますが、しかし政治の多数派の力を持っている強力なちからわけです。それが、今この時に、全都全国の世論が、それにたいしてNOの声をあげている。こうした背景もあります。しかしなによりも八王子50万市民が主人公が、声を上げだしている、ここが大事なところなんです。それには、八王子の自民党の良識層も含めて、市民と野党が共同して、共同の政策共同をつくって、新しい力が対抗しているんです。これまでの古き絆と、あらたな良識の声との、ぶつかり合いです。さあ、あと4日間です。どちらが勝つか、その今の力関係が、総選挙の結果でしめされます。いずれにしても、これは、日本の明るい民主的な未来を引き寄せようとするための、歴史的な戦いの始まりに、私たちは立ち会っています。それぞれに可能な努力を、お互いに尽くそうじゃないですか。
2024年10月23日
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東京24区・有田よしふ候補の市民演説会10月21日(月)、東京24区の有田よしふ候補が、八王子駅前で街頭演説会を開きました。小選挙区東京24区は、名にしおう裏金議員の萩生田こういち氏が基盤とするところ。すっかり八王子は、汚名の名をはせるところとなってます。これではダメだと、市民と野党が政策文書で合意して、共同で選挙に臨んでいます。立派な共同政策が、市民連合の努力もあって、各党・各市民団体で合意されました。その共同の候補者が、有田よしふ氏です。共産党の穀田恵二議員も応援にかけつけました。日本共産党、立憲民主党、自民党の小林多門元議員や新社会党、生活者ネットワーク、各市民団体の代表など、多彩な顔触れが共同しています。裏金議員はいらない、統一協会の腐れ縁を許すな、政治を、国民のための政治に変えるために、八王子市民の名誉と、市民の良識を示すために、と。有田よしふ候補を当選させようと、大勢の市民が集まり声をあげました。
2024年10月21日
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志位議長の立川駅前演説総選挙の唯一の日曜日の10月20日、東京立川駅での志位議長の街頭演説会に行ってきました。だいたい共産党の躍進する意義として、1.裏金政治を正す、2.暮らしをよくする、3.核のない平和なアジアをつくる-この三つを具体的に話していたと思います。当方は写真を撮ろうと、聴衆のすき間を探すことで、話を聞くどころじゃなかったんですが。もちろん、集会自体は、話の内容よし、聴衆の数も反応も良しだったんですが。通路は人であふれて、交通整理の人も大変そうでした。やはり立川というのは、東京の西部の中心市だけあって、それこそ大勢の人が行きかってました。これは二階の通路でして、この向こう側の下、1階道路で演説が行われてたんです。私などは、ふと感じました。これは注意が必要で、東京都知事選の轍を踏まなければよいんだけど、と。都知事選挙の時も、候補者の話はそれこそピカいちで、聴衆の数も多く反応もすごかったんです。しかし、結果として蓮舫候補は3位でした。ようするに、集会が成功することは、それ自体大事なんですが、それは地域全体のごく限られた個所でのこと。勝負は、街全体において、この正義と科学の息吹きを、これからどう広げるか、です。私の帰って着た八王子市鹿島では、静かな、まったくの音なしの別世界です。この地域住民にとっては、この裏金政治の問題が、政治献金により、自分たちの国民の暮らしをおしつぶしてるなんて、現実の問題にはなっていないと思うんです。ましてや政党選択の比例選挙で、支持者の人は別でしょうが、一般の人が『共産党』と書くには、それなりのしっかりした意識と一つの勇気が、必要と思います。それは、自然にはわいてこないんですね。ちょっとした一声が、その声掛けすることが、普通の人にとっては現実を意識することにつながります。明と暗をわけることになります。とくに、八王子は、小選挙区でも、24区でも、21区でも裏金の現職と対峙しています。演説会場の立川市というのは、私の住む鹿島と同じ東京21区なんですね。会場の駅前にも、小選挙区の掲示板がありました。その東京21区というのは、立川市、日野市、それと八王子市の東側の一部です。ここでは、立憲の大河原まさ子さんが、市民と野党の共同候補として、現職の裏金議員・自民非公認の小田原議員と対決している。その対決の様子が、21区の市民連合から紹介されてました。相手も必死です。それに勝る勇気と活動が必要です。あと、一週間、命と暮らしのかかる、社会正義と科学、説得力が問われる日々です。
2024年10月20日
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鹿島の地域懇談会八王子市鹿島で、10月19日(土)、地域懇談会が開かれました。懇談会は、10月15日公示の総選挙と重なったため、自ずから総選挙が話題になりました。「鹿島は静かなんだけど、選挙の状況はどうなんだろう」「八王子の選挙が、全国的にも話題になっているようだけど」選挙の話題一、裏金候補のこと話題になりました。八王子の東京24区では「なにか、すごい人たちが応援に来ているようだよ」安倍首相夫人から、日本会議系の高市議員、櫻井よしこ氏、さらに維新の元代表などまでも、裏金議員の応援団に来ているらしい。統一協会代表との、自民党総裁室で支援を得るための会談に参加していたことが、写真付きで報じられてるわけで。「当人は、社会的つながりを誇示しようとしているのだろうけど、この支援者をみれば、どのような政治家なのか、その実体がよくわかる」この様子をみれば、裏金問題に一片の反省もないことが明らかじゃないか。その裏金政治の実体というのは、「憲法を破壊して、戦争できる国づくりを強引にすすめている」「暮らし福祉教育、国民生活を削り、けとばして、43兆円の軍備増強に引きずり込みつつある」「企業献金をもらってる政治家は、国民などそっちのけで、当然大企業や兵器産業ベッタリになる」裏金-企業献金-国民泣かせの悪政、これが今の自民党政治の構図だ二、最近、八王子が変りつつあるこれまで八王子といえば、保守王国で、こうしたボス議員によって政治が牛耳られてきたんだけど、最近はちょっと違ってきてるんじゃないか。背景には、今の全国の自民党政治に対する、裏金問題への大きな怒りのあと押しがあるけど。市民のなかに、「八王子の政治は古い、このひどい事態をいつまでも許してはおけない」との機運が、市長選挙でも、都知事選挙でも、市民の声が社会の表に出てきている。今回も、「有田よしふ」さんが、市民と野党とで政策協定を結んで、「裏金議員をかえよう」と共同の候補として頑張っている。鹿島地域は同じ八王子でも東京21区で、萩生田対有田候補の東京24区とは違うけれど、しかし同じ構図で、自公の小田原候補と、野党共同の大河原まさ子候補が競い合っている。自公政治を、大きく根本から変えることが問題になっている。「反裏金」は共通しても、政治を変える点では、ごまかしの政治勢力も活発だから、どうしたら、どの力が伸びたら、本当にそれが出来るか、その証明が求められている。三、それにしても鹿島は静かだこのまま自然に推移したら、この静かな鹿島の状況では、選挙にたいする意識・材料・刺激が薄くて、投票所に行かない棄権者が多くなっちゃうんじゃないか。鹿島は、広い八王子の片隅だから、立川・日野の選挙区からしたらはずれの鹿島だから、選挙の風は掲示板くらいしかなく、このままでは投票所へ行かない人も多々でてきうる。しかし、住民要求は、国政の焦点の問題とともに、地域要求ははずれだからこそ切実だ。「シルバーパスのモノレール適用」「市民の足、交通網の利便の確保」「保険証をつかえなくするマイナ保険証問題」「医療費の3割への負担増への動き」「聴こえ(難聴)対策」「買いものや憩いの場が少ない」など、チョット出し合っただけでもゴロゴロとある。それなのに、選挙にはいかないなんてことになったら、要求切りすての現状肯定となる、これが大きな問題だ。あと投票まで一週間だけど、地域から棄権者を少なくするためにも、国民の声がとおる国の政治をつくるためにも、お互いに、できうる努力を尽くそう、といった懇談になりました。四、選挙後ですが、この懇談会が呼びかけて、11月9日に「聴こえの学習会」を開催することにしています。その案内チラシが出来ました。
2024年10月20日
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今季、最初のみかん朝市10月19日(土)は、今季最初の多摩市永山団地でのみかん朝市でした。永山商店会は、今回はみかん市のみで、隔週の野菜朝市はなしでした。公園のわきには、総選挙の掲示板が設置されていました。みかん販売のノボリをたてましたが、まだ最初なんで、みかんの量は少ないんです。せいぜい味見の程度でして、とにかく「みかんのシーズンが始まったよ」とのノボリ旗による宣言です。あわせて、レモンも少し並べました。それでも、「まだか、まだか」と首を長くして待っておられる方もいます。その方たちには、あらかじめ電話で、本日の初売りをお知らせしておきました。道行く人には、なるべく味見をしてもらいました。味見してくれたほとんどの人が、「おいしい」と満足顔で、好評でした。ヤレヤレ、です。なお、永山団地商店会ですが、商店会恒例の「サンマ祭り」ですが、来週の土曜日・10月26日(土)に午前10時から開催を予定しています。当方も、毎年、それに合わせて早生みかんの特売をしているんですが、今年は、イノシシの加害や、みかんの育ちの遅さもあって、ほんの少しの量しか提供が出来なさそうです。しかし、とにかく、今年も「みかんシーズンが始まりだした」ということです。
2024年10月19日
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軍事費より、暮らし優先の政治へ総選挙の政治論戦ですが、なかなか問題が見えてきません。ふかめられ、紹介される状況になっていません。一、確かに石破首相がポロッといった、「国を守るために必要なのは、地下シェルターだ」、と確かに言った。わかりました、10月13日のNHKの党首討論でした。被団協のノーベル平和賞が発表されて、核兵器の廃絶が議論された中でのことでした。二、なぜ、問題が見えてこないか。この選挙のなかで率直に語ってないからです。石破首相は総裁選挙後にアメリカのシンクタンクに論文を投稿した。「日米同盟が基軸であり」、「米英なみに引き上げることが私の使命だ」。アメリカに対しては率直に語っているんです。9月30日付「しんぶん赤旗」が、それを紹介しています。その中身ですが、「アジア版のNATOの創設が不可欠である。安倍政権は憲法解釈を変更して集団的自衛権を行使できる閣議決定をした。岸田内閣は安保三文書を閣議決定して、防衛予算をGNP2%に増やし反撃能力を確保した。私は戦争(安全保障)基本法の制定が急速に不可欠となる。自民党内でも検討を重ねた。つづけて、自民党の悲願である憲法改正を行う」「米国の核シェア(共有)や核持ち込みも具体的に検討せねばならない」こんなことをアメリカに対しては自己PRしているんです。日本国民、主権者には、ちっとも明確にしてないでしよう。NHK討論は、その石破氏の自己の率直な姿が、ポロッと、顔を出した瞬間でした。本来なら、自己の信念を堂々と国民に対して問うのが、政治家の責任じゃないですか。三、しかし問題は、「言った言わない」の言葉次元ではない、日本政府の現在の客観的な事態です。この間に自公政権がつくりだした今の実際が問題なんです。それを隠してこの選挙に臨んでいる、それが問題なんです。そもそもは、安倍内閣の2015年の戦争法の閣議決定です。自国を守る専守防衛から、対外戦争も出来る国へ、戦後の憲法の原理を、一片の閣議決定でひっくり返したことです。さらに、岸田内閣が2022年に閣議決定した「安保三文書」ですが、その軍備費増強計画ですが、軍事費を23年度から5年間で43兆円に増やすとの、軍備の大増強を閣議決定した。それにより、その後、国家財政はゆがめられていく。23年度は1兆4千億円がふえて、軍事費は6兆8千億円となった。24年度は、7兆9千億円です。今年の8月末に、来年度・25年度の概算要求がまとまり、発表されました。その中身ですが、9月26日付「しんぶん赤旗」が紹介しています。2025年度の防衛省の概算要求は8兆5389億円で、前年より5893億円の増だと。問題はその中身です。〇敵基地攻撃に使える射程1000キロの長射程ミサイル、艦艇発射型や潜水艦発射の誘導弾。〇音速の5倍の「超高速誘導弾」の量産体制の準備に2569億円。〇イギリスとイタリアとで次期戦闘機の共同開発に1127億円。〇攻撃型用のドローン310機の購入に30億円。〇宇宙での能力強化に597億円〇13施設の司令部の地下シェルター化に932億円、弾薬庫の新設に358億円。(石破首相がポロリと漏らした言葉の中身は、このことなんですね。国民の安全を守るんなんてことじゃなくて、核戦争に備えて司令部を地下化するとのことです)これが概算要求に含まれているんです。「日本を守る」なんて言いますが、「核兵器廃絶が目標」などといいますが、建て前論です。実際は、危ない危険なおもちゃを、アメリカから爆買いしているんですね。そうした兵器産業の構造の上に、利害にたつ政治家像が見えてきます。アメリカと日本の兵器産業の代弁者としての政治家なんですね。国民の声など、実際には聞く耳を持たないんですね。かっこだけなんですね。四、大砲よりかバターか。原発にしても消費税しても同じです。政治の転換が求められている核戦力に対し核戦力で対抗するのでなく、いかに核戦争の危険をなくすかが政治に求められているこの間の自公政権は、これだけの軍事費を無条件に優先させてきたのが、国民生活を蹴飛ばしてきたんです。それが裏金作りの原資になる、企業献金による政治だったんです。それを正すような、反省するかのようなポーズをして、「あれします、これします」といっても、実際はどこにありますか、本当に出来ますか。暮らしや福祉、教育予算を削り抑えて、軍備の大増強をしている政治の実体があるわけで、その政治の仕組みにメスが入らなければ、いくらバラ色の口約束したとしても、それは方便であり、誤魔化しの政治だということです。選挙ですから、抱負を語る、国民受けするような新たな政策を並べたてます、それは当然ですが。しかし、政権政党の場合は、本当にすすめるというなら、予算も通し、行政機構を動かしてきたんだから、すでにとっくにそれを実現して来てしかるべきじゃないですか。何を今さら「新たに、やります」なんて、「まったく、よくいうよ!」ですが。それは、それだけ国民の声が、大きいんですね。国民の不満の声を否定するわけにはいかないんです。しかし、実際の政治の実際の流れは、今の基本を変えようとはしないんです。この矛盾ですが、選挙の時だけの口約束は、耳ざわりのよい言葉は、方便というものであり、ごまかしであり、そのうその政治が、今の深刻な問題をつくってきた人たちなんですね。これから8日間あります。この総選挙で何が問われているのか、どうしたら、この閉塞状況と、危険な道を変えれるか、この国の事態はどうなっているのか。どの様にこの国難を打開するのか、その道を、真実の道を、さぐります。私などの努力も、この間はそこに集中します。
2024年10月18日
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選挙葉書の遅れが示すもの10月15日に公示されたこの総選挙ですが。一、選挙葉書の遅れトラブル夕べ、ゴミ屑籠を調べました、選挙葉書が見つからなかったんです。「要らない広告チラシにまぎれて捨てちゃったのかな?」「それとも、何かトラブルがあって、来ていないのかな?」それで、今朝(10月17日)の一番で、市の選挙管理委員会に連絡したんです。『選挙葉書が見当たらないんだけど・・・』って。すると、職員の方から、『急な選挙だったので、印刷が遅れている。順次発送しているから、待ってほしい』とのこと。それで、納得です。午後3時に見たところ、確かにポストに選挙葉書が到着していました。こんなことは、初めてです。二、しかし、問題はもっと重要で、選挙の中身が国民に周知されない危険があることです。テレビを見ていても、氷の上を滑るような選挙報道です。この総選挙で何が大事な問題なのか、材料の提供が弱いと思うんです。各党とも「あれをします、これをします」のいいことづくめですが、では問題がどこにあるのか、その点の突っ込んだ議論が、明らかでない。そもそも、与党は政権を何十年もやってきたんだから、だったら今までにやってきてたらいいのに。いまさら、「あれします、これします」ったって、本当なのか。その課題は目新しいものではなく、これまで努力してきた途中というのが、与党の立場です。その点は野党とは違う責任があると思うんです。ところが、100メートル競走のように、同じようにいっせいに用意ドンで、「あれします、これします」ときれいごとの言い比べです。そこには、マスコミの司会にも問題があると思うんです。報道の仕方にも問題があると思うんです。「公平さ」の建て前のもとで、口先だけの違いを並べることで、紹介しているかのように問題通過をする。本当の違いを明らかにしない問題があると思うんです。多少となり政治事情に通じる人であれば、たとえば核兵器廃絶の問題でも、この国民の悲願に対して、一般論ではどの党もそれを尊重するような言葉つきをするわけですが、そのなかで、日本の歴史にはこれまでの原水爆禁止運動もあり、非核三原則もあるわけで、議論されてきた現実の問題点、その違いの経過があるわけです。それが明らかにされるようになっているのか。いったい何が、どこが問題だったのか。その各政党の建て前のポーズとともに、実際にやっていることの実体との、このギャップの問題です。それを、この選挙の短期間のなかで、明らかにする責任があると思うんです。そうしてこそ、国民にたいする情報知識の提供という、責任が果たされるわけです。それはある政党に加担しろということではなく、その言葉と、実際の事実と客観性はどうなっているか、その真実に対する、注意の喚起ということが求められているんだと思います。ということは、この短期間にですよ、もっともらしい口上が競われている中で、実際的な違いがどこにあるか、空約束がどこにあり本当の将来像はなにをもとめているか。私たち国民サイドとしては、この選挙の短期間にそれをつかみ取らなければならないということです。現状を変えるには、この問題で、一人ひとりがどれだけ見識を発揮できるか、それが問われています。
2024年10月17日
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イノシシによる、熟したみかんへの加害小田原のみかん園から「イノシシにみかんがやられた!」10月12日(土)朝、東京での朝市、今年最初のみかん味見してもらう場に、急報がはいりました。しかし、時空は超えれません。ましてや、総選挙の10月15日(火)の公示日にむけて、社会全体が動いてるじゃないですか。私なども、何やかやとその渦の中、その渦中にあったんですが。10月15日(火)の午後、とにかく小田原のみかん畑に急行しました。確かにひどい。私が、東京の消費者に、1個2個と提供すべく、5日前に味試しのためにサンプル収穫をした木ですが、みかんの8割、9割が、食いちぎられて亡くなっていました。みかんの木の下には、その食べかすが散乱していました。これがイノシシの加害です。1年間、何度も草刈りして、肥料も施肥してきて、5日前に味試しして、「よし、都会の消費者に提供しよう」と思った、その直後のことです。その美味しい味ですが、それをイノシシもまた見逃さなかったということです。味の評価は、人間と猪で一致したわけですが、その成果をどっちらが手にしたか、その成果を手にしたのはイノシシでした。だけどこれは、これから本格化するみかんの収穫にとって、緒戦の最初の一つなんです。これからのが、本格的な勝負なんです。10月から12月、熟した美味しいみかんをどちらがとるか、その攻防戦のはじまりです。「どこからイノシシはみかん畑にはいったのか? 」それが問題でした。 みかん園はイノシシの加害を防ぐために、この3-4年の間の鉄柵で囲ってあるんです。今や、小田原・早川ではもみかん園も野菜畑も、鉄柵で囲わないと、イノシシのえさ場となります。地域全体が、鉄柵で「囲い込み運動」をしてあるんです。この事態に、園主さんは、イノシシが以前に破った、入ってきそうな箇所を点検したんです。さらに、周囲にひろがる放任園ですが、そのあやしい鉄柵の状況を草刈りして確認したんです。これは、じつに大変な労力だったはずです。しかし、出入り口は見つからなかった。10月12日(土)の東京の朝市の場に連絡してきたというのは、そうした事情からだったんですね。今回、10月16日(水)、私も朝一番で、問題のみかん畑を見て回ったんです。以前に破られた個所も大丈夫でした。放任園となった隣のみかん畑の柵もみましたが、しっかりと大丈夫でした。ようするにイノシシの入ってきそうな、思い当たる通路は見つからなかったんです。しかし、どこかに入口が必ずある、それはどこなのか?今回は、援農の人たちの協力を得て、手の及ばない畑の草刈りを、午前中にしたんです。そして、午後の2時半くらいでしたでしょうか。ふたたび、問題のイノシシ加害の畑を見回りました。今度は、イノシシが入りそうだと思い当たる箇所の、私などの先入観を排しての見回りです。まずは、いつも人の出入りしている畑の入り口から、最も日常的に行き来している箇所から、そこから見回り点検をすることにしました。ありました!「灯台下暗し」だったんです。みかん小屋のすぐわきです。ここは、一番の盲点でして、大丈夫なはずのところでしたが、そこの鉄柵をイノシシは押しまげて、20センチくらいのイノシシ通路があけられていました。ここだったんです。あちこち探しまわって見つからなかった出入り口は、これこそがイノシシの通路だったんですね。それで、付近にあった石でもって応急措置で、その穴を塞ぎをしました。これから、この石が、外から侵入してくるイノシシにより、蹴飛ばされてないか。この石に異常はないか。それと、これにより、これ以上の加害がストップできるか。これから、今後の畑の様子を注視していくわけですが。これだけは、はっきりしています。みかんが成熟し始めて、そのみかんを狙ってイノシシが、あの手この手で食べようとしていることです。ことしも、人間とイノシシの攻防戦が、はじまりだしたということです。世の中は当然ながら、大事な総選挙のさなかですが、農家にとっては、畑作業にすきをつくらずに、いなければならないこと。みかんをめぐって、どちらがとるか、その攻防戦の最中にあるということです。
2024年10月16日
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公示の前日に東京21区野党共闘の集会この総選挙、金権腐敗の自民党政治をみんなの力で変えよう総選挙の公示日の前日、10月14日に東京21区の立憲野党の市民集会が立川で開かれました。この日、立憲民主党、日本共産党、社会民主党、新社会党、生活者ネットワークの代表が参加、市民と野党の確認書が確認されたことが報告されました。それぞれの政党が、その東京都段階において了承された上での、この確認書の交換です。1、立憲主義に基づくひらかれた政治「安保法制を廃止し、憲法に基づく政治を回復する。「自民党の裏金問題を解明し、企業団体献金禁止、統一協会との癒着を解明する」2、暮らしと政治「非正規雇用を改め、最低賃金1500円のすみやかな実施、経済格差を是正し、消費税を引き下げる「マイナ保険証の強制をやめさせ、現行の保険証を残す」3、平和と安全保障「憲法の改悪反対、専守防衛を逸脱する集団的自衛権の行使反対、軍事予算の増額や武器輸出反対、平和外交につとめ、戦争のない安全な国際環境をつくる。「横田基地の機能強化、オスプレイの配備に反対、飛行訓練の危険から市民の命と安全を守る「沖縄の辺野古新基地の中止「非核三原則を尊守、核兵器禁止条約に参加しつ、核兵器のない世界をつくる4、ジェンダー、人権保障5、気候・エネルギー細部までは紹介できませんが、素晴らしい合意文書です。もちろん、立憲民主党の代表選挙やその後において、政党中央レベルでの言動がつくりだしている相反する問題があります。しかし、東京21区のこの集会では、それぞれの政党が、この合意書を守って自民党政治を変えるとの点を確認し合いました。共産党も自主支援で、大河原雅子さんを東京21区の予定候補者として、社会民主党、新社会党、生活者ネットワークの人たちとともに、たたかう。東京21区の、裏金にまみれ、統一協会との癒着にある候補者に、自民党ですら非公認とされる候補者に、市民の議席を渡してなるものか、です。戦争への危険な道を、大本で切り替える、大事な選挙です。当・八王子市鹿島の地では、比例は共産党、選挙区は大河原まさ子で、明日から関ヶ原の、14日間の総選挙です。
2024年10月14日
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被爆国・日本の悲願10月11日、ノーベル平和賞が日本原水爆被害者団体協議会に授与されることが発表された。長年の悲願とその努力ですが、それが国際社会によって認められた瞬間です。10月12日付の新聞には、その受賞理由の全文が掲載されてます。その受賞した理由文の一部です。「広島と長崎の生き地獄を生き延びてきた人々の運命は長きにわたり隠され、無視されてきた。」「そのメンバーらは核兵器の使用がもたらす人道上の破壊的な結果についての認識を高めるため、たゆまぬ努力をしてきた。次第に核兵器使用は道徳的に許されないと烙印を押す力強い国際的な規範が醸成された。この規範は「核のタブー」として知られるようになった」「進行中の戦争で核兵器を使用する脅迫も行われている。核兵器とは何かを思い起こす価値がある」「核兵器のない世界を実現するための努力と、核兵器が二度と使われてはならないことを目撃証言を通じて示してきたことが授賞理由だ」しかし、国際社会の核兵器使用の危険もそうですが、日本国内でも、この平和への道は単純なものではありません。国民の願いとは裏腹に、「核兵器の傘により日本を守る」「アメリカとの核兵器の共有をはかる」、これが自民党政府の立場だからです。この8月の原水禁大会でも、岸田首相は広島から核兵器による抑止論を述べ、核兵器禁止条約を拒否しました。9月の総裁選挙での石破氏もしかり、所信表明でもしかりです。そうした中での、10月11日のノーベル平和賞です。この総選挙というのは、国民の願いを実現するための手段でもあります。国民の懸案ごとは、金権政治を正すとか、軍事費より国民生活とか、課題は多々ありますが、この核兵器禁止への日本の道をひらくということ、このことも、大きな焦点となりました。
2024年10月14日
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共産党・八王子市議の訴え10月15日の総選挙の公示まで、あと二日間となりました。八王子の日本共産党望月市議は、八王子の東部地域で6か所の宣伝を行い、その最後に、八王子東部のはずれにある鹿島商店街で訴えました。八王子は東京24区と東京21区の二つの選挙区がありますが、それぞれの自民党候補者は、非公認の裏金議員です。石破首相自身の裏金問題が問題になってきていますが、当地の二人も、まったく反省の気配なしです。自公政治は、43兆円も軍事費に投入しようとしている。こうした政治家たちに、庶民の苦しみなど分かるはずなし。どうしたら、この政治を変えれるか。その大本をどうしたら変えれるか、それが問われているこの総選挙です。静かな団地ですが、その中に、くらしと平和をひらく共産党の政策と、共産党の躍進の重要性が、響きわたりました。
2024年10月13日
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八王子市鹿島での宣伝活動10月12日(土)、総選挙の公示日まで、あと3日となりました。東京・八王子市鹿島ですが、地域で6か所の街頭宣伝を行いました。共産党の望月八王子市議の支援を得ての宣伝です。総選挙の10月15日の公示日まで、あと3日。宣伝車によるマイクの声をとおして訴えれるのも、それまでと、かぎられています。「軍備増強を優先する政治から、国民の暮らし第一に政治を変えよう」「裏金にまみれた自民党を、共産党を大きくすることで、政治を変えよう」と。静かな住宅地に、総選挙での共産党躍進の意義を訴える声が響きました。地域の在住者としても、「わたしも共産党を応援しています。今の政治を変えるには、共産党を大きくすることが一番です」なれない者によるひと言の宣伝ですが、マイクで訴えました。中には、ベランダで洗濯物を取り込みながら、手を振って応援くれる人もいたりして。東京・八王子は、東京24区と、東京21区ですが、ともに、自民党で動いている候補者というのは、「非公認」の裏金にまみれた政治家です。いっさいの説明も反省もしない、居直りの政治家たちです。こんな人たちに国民の切実な願いなんて届かない。「あれします、これします」といっても方便のごまかし、実際はどこ吹く風の軍備優先の道です。そんな人たちの自民党が、今のこの国民の批判がうずまくなかで、ふたたび勝つなんて、許されないじゃないですか。そうであれば、何もしないよりはましだ、と、ちょうどテレビでは、記者クラブの党首討論をしている時間でしたが、「自民党の裏金政治を許さず、共産党の前進で、軍備を優先の政治を大本から切り変えよう」との訴えですが、静かな住宅地に響きわたりました。
2024年10月12日
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日本共産党の総選挙政策10月15日公示-27日投票の総選挙で、10月10日に共産党の選挙政策が発表されました。一、当たり前といえば、当たり前のことですが、政策というのは、その選挙に臨む政党が、国民に対する公約ですね。毎度のことながら感心するんですが、共産党は、選挙に臨んで、今回も政党としての選挙に臨んでの選挙政策を発表しました。だいたい、日本の政治では、口八丁がおおくて、「公約」なんてことは、いいかげんな政党が、一般的じゃないですか。選挙の時の有権者に耳あたりの良い、方便だと。だから国民の方も、政党の建前と本音はちがうから、まともに政策公約なんて検討に値しない、そうした状況があるじゃないですか。そうした中で、今回もまた、共産党の選挙に臨んでの政策発表がされました。二、どのように、これを読み理解し、生かしたらよいのか。私などは、毎度のことながら、これだけの長文を、果たしてどれだけの人が読んでくれるのか、それを理解することができるのか、率直なところ疑問だったんです。しかし、今回はちょっと違うんです。一から十まで読んで、そのすべてを理解するなんてことは、個々人にとっては無理なんです。そうした態度ではなくて、自分自身がどんな問題を抱えているのか、その問題が、この選挙政策でどの様に光が当てられていて、問題の解決方向が提起されているのか。政策は総合的なものですから、国民各層の問題全体的におよぶ事柄ですから、一個人が全部を理解するなんてことは無理なんです。自分の抱える問題が、それを基軸にして、はたして共産党はそれをどうとらえ、問題として分析し、その解決方向を提示しているのか。ここから入っていくことが大事じゃないか、今さらなんだ、そんなことは当たり前なことじゃないか、などといわれると思うんですが。私などは、今回において、あらためて、はじめて思うようになった次第です。三、そうしてみると、私にとっては、問題だらけの状態におかれています。1、自分の現実生活からして、必要で切実な問題は何んなのか? ア、小田原のみかん農家のボランティアをやってますが、まわりは70-80代の方がざらで、この先みかん農家の営農はどうなっちゃうのか。耕作放棄地がこのままではどんどん増えかねない。この問題に、この政策はどう答えているのか。イ、齢74になるのに、あちこちと診療所に通うようになっているけれど、受給している年金で暮らしの費用は賄えるようになっているのか。2、今の日本の中心問題は何か-戦争への道か、平和への道か、その岐路です。国民の暮らしを圧迫している日米同盟の軍事最優先の政治です。加えて何千万円もの裏金政治が問題になっても正そうとしない道義失格の政治です。ウ、選挙になると政治家は、「あれします、これします」と耳あたりの良いこというけれど、いったい膨大な軍事費の最優先をそのままにしていては、いくらきれいごとを言っても、くらし向けの年金・医療・教育は切り捨てとなる。この現実が続いてるじゃないですか。エ、こうした自公政治がもたらした今の現実ですが、いったいどうしたらこの基本関係を変えれるのか。この問題に、立ち向かえる政党は誰何なのか。政党の選挙政策とは、こうしたことが基本的に問われているわけです。真面目に裏も表もない政策を各政党が出しているかは、これから吟味しなければなりませんが。すくなくとも、この共産党の政策が、こうした問題にどのように答えてくれているか、注目です。四、各党のそれぞれが、選挙公約を出すのだろうけど、吟味が必要です。各政党の国民のすすむべき道が、そこにあり、この点で、国民の選択と判断が問われる。いったい、こうした自分の要求との関係において、どの政党の政策が、それに一番こたえるものになっているのか。日本の抱える問題に、しっかりした見解をもっているか。投票の2週間余の間に、正確な自己判断が求められています。総選挙です、日本の進路に直結しています。選挙というのは、1億国民の判断が問われるわけですから、その流れの自然に身を任すわけにはいかない。よくなる方向に、自らのささやかな力であっても、なるべく合力をえなければ、おかしな世の中ですからどこに飛んでゆくかわからないわけですから。だいたい「アジア版NATOづくり」とか、「原発の再稼働」とか、「裏金は個々人に任せる」とか、とんでもないことが、これまで「国民の多数の支持をえたんだから」と突っ走ってきた流れにあるわけですから。問題ある政策や、危険な道については、これはこれで問題として警鐘をならすことが求められてます。とにかく10月15日公示、27日投票です。この総選挙をとおして、良識ある明るい未来の方向を切りひらきたいですね。この間の16日間の努力の中に、明日の日本の、自分たちの暮らしの行方が、大きくかかっているということです。
2024年10月11日
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マルクス「ヘーゲル弁証法批判」28マルクス『経済学哲学手稿』「ヘーゲル弁証法批判」も、ついに最終段階です。ゴチャゴチャとしたヘーゲルの弁証法ですが、マルクスはその「疎外のなかにある肯定的契機」をさぐっています。「第一に人間の自己産出行為あるいは自己対象化行為の形式的かつ抽象的な把握」からです。『経済学哲学手稿』の『国民文庫』(藤野訳)ではP234第64文節から、『ME全集』(真下訳)ではP507第56文節からです。ここでは『国民文庫』版でのページ数と文節をつかいます。マルクスは以前のところで、P217第20文節ですが、「『現象学』の最終章「絶対知」では、『現象学』の総括された精神、『現象学』と思弁的弁証法との関係と、それらについてのヘーゲルの意識をふくんでいる」と予告していました。今回のところで、その「ヘーゲルの意識」ということが、分析されています。私としては、この論文の核心的な箇所になっていると思います。まずは、マルクスの叙述です。なるべくそのものにそくして、読み取るように努めていますが、私なりに、多少、意訳をしています。それは、中身をなるべく正確に読み取ろうと努力しているためのことで、勝手な解釈を意図するものではありません。このヘーゲルを検討する26歳のマルクスにおつきあいください。P234第64文節 ヘーゲルは、第一に人間の自己産出行為、あるいは自己対象化行為について、その形式的かつ抽象的な把握をしている。そのことの意味をとらえることが肝心だと。第65文節 まずヘーゲルにとって外化(疎外)された対象、人間の疎外された本質的現実は、意識ということであり、疎外の思想であること。その疎外の抽象的で無内容で非現実的な表現が「否定」である。したがって、その外化の止揚も、無内容な抽象の、その抽象的な内容の止揚ということの表現としての「否定の否定」でしかない。それゆえ、自己外化の活動は、その内容ある、生きた、感性的な、具体的な自己対象化の運動は、それのたんなる抽象(捨象)である「絶対的否定性」となる。この抽象が、そうしたものとして固定されて、一つの自立的な運動として、その生きた活動の内容が、思考(思惟)として考えられているのである。このいわゆる否定性は、あの現実的な、生きた行為の抽象的な無内容な形式の表現であるから、それゆえその内容も、たんに一つの形式的な、いっさいの内容が度外し(捨象)によって生み出された内容でしかありえない。したがって、それらはどのような内容にも属するような、普遍的な、抽象的な、あらゆる対象に対しても当てはまるような、抽象の諸形式、思考形式であり、現実的な精神からも現実的な自然からも引き離された思惟形式である論理学的諸カテゴリーとして存在するのである。(否定と、否定の否定ということは、ヘーゲルの洞察によれば、それは現実の運動の、疎外された抽象的な形での表現であると。論理学の諸カテゴリーは、その運動の抽象的な思考形式による表現であると)P235第66文節 ヘーゲルがその思弁的論理学でなしとげた積極的なものは何か。規定された諸概念というのは、自然と精神に対してそれの自立的な普遍的な固定した思考(思惟)諸形式であり、それは人間的本質の普遍的な疎外の、したがってまた人間的思考(思惟)の疎外ということの、必然的な成果であること。ヘーゲルは『論理学』において、それらの抽象(捨象)の過程を、その諸契機においてしめしたこと、そしてまとめあげたこと。例えば、有の止揚は本質である、本質の止揚は概念である・・・、絶対的理念である、と。「では絶対的理念はどうか?」もし再びはじめから抽象行為全体を経過し直すことを求めずに、諸抽象の一つの総体として自分の抽象をさらに抽象するといったことに満足しないならば、そうした自分は自分自身を止揚する。(どういうことか)自分自身を抽象(捨象)したものとして把握する抽象は、自分自身を無と知る。(どういうことか)それは自分自身の抽象的存在を放棄しなければならないのであって、こうしてそれはまさしくそれの反対のものである一つの実在のもとに、自然のもとに到達する。そういうわけで、全論理学は、抽象的思考がそれ自体だけでは無であること。絶対的理念がそれ自身だけでは無であること。自然との関係においてはじめて何ものかであることになるとの証明である。(このことは、抽象的な言葉が、それが抽象的には真理であったとしても、しかしそれをいくらふりまわしても無意味であり、無力だということ。抽象的な事柄にとどまっていては無力だということ。その一般的な真理は、具体的な事柄のなかで、その抽象的(一般的)な運動の生きた事柄が、具体的な姿(形)において論証されてこそ、人びとのなかにその正しさと力が示されるということ。しかしこれがヘーゲルの抽象的な言い方での「意識」であり、彼の自身の悩みであり、告白していたことでした。マルクスは、それを見抜いたんですね。このマルクスの洞察ですが、そのことの論証は、ヘーゲルの『エンチクロペディー』「小論理学」の最終章の第244節にあります)P235第67文節 絶対的理念、抽象的な理念は、「それ自身との一体性からみれば直観である」(『エンチクロペディー』「小論理学」の最終章の第244節)。それは「それ自身の絶対的真理のなかでこう決意する。すなわち、それの特殊性の契機、あるいは最初の規定と他在の契機、直接的理念を、おのれの反照として、おのれの自然として、自由におのれから立ち去らせよう、と」。(なんじゃ? これは、ですが。以下は、マルクスのこのヘーゲルの心境に対する心理分析です)この全体の奇異な挙動をする理念は、ヘーゲル主義者たちにとってとてつもない頭痛の種となったが。この全理念はまったくの抽象、すなわち抽象的思想家よりほかの何ものでもなく、この抽象が経験によって知恵がつき、おのれの真理に関して啓蒙されて、まちがった抽象のなかでだけれど、いろいろな諸条件の下でこう決断するのである。すなわち、おのれをすてて、おのれの他在であるところの特殊な、規定されたものを、おのれ自身のもとにあること、おのれが無であること。おのれの普遍性とおのれの非規定性にとってかわらせ、おのれがただ捨象(抽象)、思想物としてのみおのれのうちに隠しておいた自然を、自由におのれの外に出させること―つまり捨象(抽象)をやめて、おのれからは自由であるところの自然をいちどとくとながめてみよう―を決意しているかたちにほかならない。そのまま直接に直観となる抽象的理念は、おのれをすてて直観になることを決意する抽象的思惟以外の何ものでもない。論理学の自然哲学へのこの移行はすべて、捨象(抽象)から直観への移行にほかならず、そしてこの移行をやることは抽象的思想家にとってはまことに難事なのであって、だからあんなにも奇怪な叙述がなされるわけである。哲学者を抽象的思惟から直観のなかへさそいこむ神秘的感情は倦怠感であり、なんらかの内容へのあこがれである。以上です。最後に、ひと言、私などは思うんですが。日本は、下からの民主主義革命をへていません。戦前の上からあたえられた憲法とか、世界とアメリカが主導した憲法とか、自らの内面の力がつくりだしたものではありません。このため「そんたく」とか「思いやる」とかが大きくて、個々人の心のなかでのつぶやきにとどまるきらいがあるとおもうんです。「万機公論にけすべし」は、まだ板についてないようにおもうし、私など庶民にとって、まだあまり慣れてないんじゃないでしょうか。もちろん、憲法の改悪と改正とは、はっきりと区別する見識が必要です。まずはその中身の正確な理解が必要です。邪まな改悪内容ともたたかわずに、自他ともに曖昧にした「論憲」などというのは、歴史科学と万民の良識に対して、その成果にたいして、それを愚弄する態度だということです。この問題は、ここでヘーゲルが提起していること、その中にある積極性としてマルクスが批判している点ですが、それらが核心において、基本において、重なっていると思います。ここで問題とされていることは、日本の今のことにかさなることがらが論じられていると思います。
2024年10月11日
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今年のみかんの味はどうかな小田原のみかん園ですが、10月7日(月)、今季初めてでしたが、早生みかんの味試し収穫をしました。当方は、熟したみかんしか採りませんから、まだ、たった21個だけなんですが。火曜日は予報では雨ですから、雨降る前の収穫です。その内の1個を味見したんですが、『合格』です。たまたま援農に来てくれていた方にも、味見をしていただいたんですが、やはり、『合格』でした。この畑は、早生みかんが何本かあるみかんの畑なんです。まだ全体としては、収穫するには早いんです。しかし、それでも一律じゃないんです。その内の2本の木は、その生育(色づき)が早いんです。さらに、1本の木でも、日当たりの良い部分は成熟が早いんです。なによりも、その一番てっぺんにあった熟してみかんは、すでに鳥が食べていました。鳥が「そろそろ収穫の時だよ」って、教えてくれているんです。しかし、やはりまだ、全体としては早い。ようするに、私などは慎重に熟したものから、少しずつ、すこしずつ、収穫を始めですということです。せっかくここまで来たんですから、早もぎは厳禁なんです。今回の収穫20個は、首を長くして待っている、いつもの愛好者に、今年の初物として、2個ずつ味見用のプレゼントです。『いよいよ、はじまるよ』ということで。尚、今年の早生みかんですが、『今年は、カメムシの加害がひどい』と園主さんが嘆いていました。私などは、まだ草刈りに追われていて、全体の状況は分からないんですが。本日は、衆議院が解散されました。10月27日へと総選挙がはじまりました。みかん農家は、農政を守り育てる政治をつくらなければなりませんが、同時に、美味しいみかんを鳥にとられないよう、収穫作業もすすめだすということです。なんとも忙しい10月ですが、12月末までさらに忙しくなっていきます。
2024年10月09日
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10月の石垣山みかん園の課題秋雨前線がおりてきて、ようやく小田原のみかん園も秋風です。自然の移り行きは大したものです。がしかし、晴れれば、少し動いただけでも大汗です。10月、みかん園早生みかんの収穫のはじまりです早生みかんが黄色く色づきだしてきました。しかし、初めは「はやもぎ」に要注意です。せっかくここまで、育ててきたんですから、熟した美味しいみかんをとることが大事です。私などは、以前は、この色付きに喜んで、どんどか収穫しちゃったんです。しかし、それは駄目。自分の舌で確かめて、、熟した美味しいミカンを提供するのが、みかん農家のポリシーなんです。香酸柑橘のスダチやカボスについては、すでに9月下旬から、収獲量は少しなんですが、始めだしています。では、早生みかんの収穫は、いつからどうか去年の記録で見てみたんですが。10月17日に、0.7コンテナ(12キロ)が最初の収穫でした。800gとして10袋余にして、これは今年のみかんの味見用として、都会の常連のひとたちに届ければ終わりです。10月30日には、2コンテナ(40キロ)がとれましたが、親戚縁者におくったら、終わりでした。ようするに、消費者のみなさんに届け出すのは、11月の初めからですもちろん、八百屋さんには、すでにみかんが並んでいます。しかし注意して産地を見てみてください。九州や、四国などのみかんのはずです。暖かい地方では、みかんの成熟が早くて、はやく出回るんです。それに対して、小田原方面は、みかんの産地としては北限なんです。しかし、これがみかんの愛好者としては、独特の貴重さがあるんです。「酸味のなかの甘さ」、「昔ながらのみかん」とも評されますが、ようするに、独特の刺激的な味なんです。農家の人は「味がのってくる」といっいますが、独特に美味しいんです。早く採りたい、焦る気持ちをおさえて、美味しく熟したみかんを提供する、スローモーションの、各駅列車です。しかし、いよいよその収穫の時が、はじまりだしたというこということです。しかし、もう一つの作業がありますその収穫の前に、みかん園全体の草刈りが必要です。この写真の意味が分かりますか。隣の放任園から伸びてきているクズやヤブカラシによって、みかんの木がほとんど覆いつくされちゃっているんです。これを剥ぎ取らないと、みかんがとれないどころか、みかんの木に陽がささず、木自体が枯れちゃうんです。「収穫の前の9月前までに、畑全体の草刈りを」と言っていたのは、このことなんです。しかし、この間の時期というのは、晴れれば炎天下、そこに台風や秋雨前線の雨のために、思うようには草刈り作業が出来なかったんです。逆に、雑草の方は、雨で水が提供されて、生きいきと伸びてきますから、ご覧のような事態です。これでは、みかんを落ち着いて収穫するどころじゃなくなるわけです。木にすら、近づけなくなるわけです。そうしたことで、農家の人たちはこの二重仕事です。畑周辺の草刈りとともに、みかんの収穫を少しずつ始めだすということです。すでに7,8月の炎天下の作業で、体はクタクタなんですが、しかし、みかんの色づきだすのを見れば、そんなことは言ってられません。なんのために、この1年間、あれこれの苦労をしてきたのか。ということで、自らの体に鞭打って、これから、美味しいみかんを提供するために頑張るということです。基本的には、農家にとっては、収穫の秋は喜びなんです。もっとも、その苦労に報いるような、理解あるような、政治や社会環境であってほしいものですが。それは、この10月に、これからつくるということです。
2024年10月06日
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静かな日曜にふたたび宣伝東京・八王子市鹿島で、ふたたび宣伝車が動きました。10月6日(日)午前に、共産党望月市議の宣伝車をかりて、政治腐敗を本当に、本気でただせ。ミサイル購入の軍事費拡大でなく、震災対策、暮らしと教育・福祉にまわせ。国民は、平和民主の憲法改悪なんてもとめていない。静かな日曜の朝の団地でしたが、宣伝車でまわりました。前回、宣伝していたのは10月4日でしたが、それと同じ時間に、石破内閣が所信表明演説を行いました。その演説の中身をフォローすると、「政治不信を招いた事態について、深い反省」-なんとも空虚な「反省」か。「まずは、日米同盟の抑止力・対処力を一層強化する」「わが国の防衛力を抜本的に強化すべきは論を待たない」-一層の戦争国家づくりをすすめる。「私が総理に在任している間に、憲法改正の発議を実現していただく」-平和民主の憲法の投げ捨て。おまけに、その「結び」で、「政治は国民を信じているのでしょうか。どうせわかってもらえない、そのうち忘れてしまうだろうとなどと思ってはいないでしょうか」-この言葉は誰に対して言っているのでしょうか?「いつの間にか、日本はお互いが足を引っ張ったり、悪口を言い合ったりするような社会になってしまったのではないでしょうか」-それは自民党内のことで、国民の声は「悪口」なんかじゃない。この所信表明演説を読んで、これは、黙っていてはならない。黙っていれば、黙認することになる。一国民としてできることは、人を集めたり、説得したりする力などはとてもないけれど、しかし、「これを黙認していては、とんでもない。今まで以上の悪しき政治が展開されかねない」私たち年寄り組ですが、この事態を危惧して、柄にもなく宣伝車を運行した次第です。黙っていては、この無理・違法がまかり通ることになるとおもって。さいわいに、静かな、表には人気もない団地でなんですが。若い女の子と、ゴミ出しに出てきた年配の紳士が、手を振って、激励してくれました。この総選挙、10月15日(火)の公示日以降は、この声の宣伝も出来なくなりますから、大海に水を撒くようなものかもしれませんが、とにかく少しでも、国民の声を声として、しっかりと意思表示をしておくということです。
2024年10月06日
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宣伝カーをかりて宣伝政局は総選挙に向けて動き出しました。自民党はこれまで石破氏は、安倍・一強体制に時に文句も言うこともあったんですが、しかしその中身は、日米軍事同盟をもっとどう強化するか、その点での異論でした。軍備増強の路線では基軸は共通です。安倍政治に対して「それでは弱い」「ここをもっと強化しろ」と、ひけをとらない軍拡派の石破氏です。軍備最優先路線ですから、いくら国民要求の人参をぶら下げても、実際は教育・医療・福祉を削る路線です。その実際を、いかに誤魔化すかが、今展開中の事態です。石破氏は、政治の裏金では、自らも手を染めてきたわけですから、統一協会問題では、自ら講演し献金をもらっていた。閣僚の過半数は統一協会に関係ある人たちですから。これじゃあ、問題の解明・解決など、できるわけがない。他方の野党はどうか立憲野党も試練にあります。2015年の自民党の憲法破壊の安保法制に反対する点ではじまった野党共闘でしたが、野田立憲代表は、その大義を曖昧する方向で動いている。さらに「政権をとるために、共産党よりも国民民主や維新と手を組む」と表明してます。いま、この間の野党共闘は、今、試練に立たされています。政局は「10月15日公示、27日投票」で動き出した石破総裁は、10月9日解散、10月15日公示、27日投票を表明した。それなら、この問題を、問題として問いかける宣伝をしよう、と、東京・八王子市の鹿島地域の3人の年寄りは話しあいました。共産党・望月市議の宣伝カーを借りて、地域で宣伝行動をしよう、と。ということで、10月4日(金)、八王子市鹿島の地域をひと回り宣伝してきました。宣伝カーを借りて、自分たちが住む地域を宣伝してまわるなんてことは、初めてのことなんですが。「黙っていては、どこに行くかわからないような、今の日本です。 太平洋に向かって叫ぶようなものですが、何もしないよりは、ましだ」とのことで、思いを一つの形で、街の表に現しました。これは初めてのことですから、まだ、十分に自分たちの意をつくしたものとはなっていませんが、公示の10月15日(火)までには、まだ日にちもあります。自分たちの思っていることを、明確な形に表現できるように、これから努力を探るということです。
2024年10月04日
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真鶴、私の故郷のみかん園の節目それまでは畑仕事など、まったく知らなかった私ですが、2001年から神奈川県真鶴で、みかん畑125坪の手入れをしに通うようになりました。以来、23年間、東京・八王子と真鶴とを、みかん園の手入れで通うようになりました。そして今回、10月1日の真鶴行きですが、その畑というのは、自分の故郷ですから、いまは亡き人たちの、喜怒哀楽がいっぱい想い出として残っているところですから。「パンタレイ」(時代という、とめようとしても止められず、川は流れる)これまで、ずーっと、さんざんに頑張ってはきたんですが。私の心の中で、一つの決断をしました。今日の明日は変わら無いんですが、もちろん、これまで通りに、畑の管理は出来得るところまでは、努力を尽くすんですが。それでも、齢74歳。東京から真鶴まで、片路2時間強の67キロの往復。ひとには限度がある、私なりに限界があること、そのことを受け入れるということです。このことを自己認識するということです。もちろん、できうる限り、真鶴と早川のみかん園を、「みかん園を再生させる会」の一員として、さらに努力は尽くすんですが。これまでも、そこには、私の今をつくってくれた人たちへの歴史的恩義があるんです。いくら感謝しても、しきれない大きな感謝なんですが。しかし、それでも、ものごとには、人としては避けがたい限度があること。はじめというのは、終わりをふくんでいること。このことを、正面から腹に据えるということです。もちろん、これからも、さらに時代に抗うわけですが、そうではあっても、やはりこのことを腹に据えよと、諸般の経験が教えてくれてます。
2024年10月03日
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マルクス「ヘーゲル弁証法批判」の学習27こんな言葉があります。「マルクスは、ヘーゲルの論理学から、この領域におけるヘーゲルの真の諸発見をふくむ核心を取りだし、弁証法的方法からその観念論的な外皮を剥ぎ取って、それを思想展開の唯一の正しい形式となりうるような簡明な形につくりあげるという仕事を引き受けることのできた唯一の人であったし、今でもそうである」これは、1859年にエンゲルスが「カール・マルクス『経済学批判』」の書評(『全集』第13巻)で述べたことです。今、私などは、うっそうとした森のなかを、あれこれうろうろしてますが、そこで問題となっている核心というのはこれです。一、これまでの要約ヘーゲルの弁証法ですが、『内容の魂として運動していく。それは一方では、みずから自分に対して他であるものとなり、他者に内在する内容となる。他方では、この展開された自分の現存在を自分のうちへとりもどす」こうした運動であると説明しています。(『精神現象学』「序論」)この「この展開された自分の現存在を自分のうちへとりもどす」ことが、「絶対知」の冒頭ですが、この対象性のはく奪というのはどの様な契機なのか、これが詳しく展開されてます。マルクスのこの「ヘーゲル弁証法の批判」は、この箇所を検討することでおこなわれています。はじめにアドバイスとして、要約的にヘーゲル弁証法の成果と問題点を指摘していました。そのあとで、それを参考にして、ヘーゲルのうっそうとした森のなかを探っているわけです。前回、第26回から「ヘーゲル弁証法の疎外の内部での肯定的契機」を探っています。『経済学哲学手稿』の『ME全集』(真下訳)ではP506第49文節、国民文庫版(藤野訳)ではP231第57文節からでしたが。(ここでは国民文庫版のページと文節で、問題の個所の特定することにします)P231 第57文節 (a)ヘーゲルは外化(対象化)したものをわがものとするという。それは人間がつくりだした対象的な本質を、それは疎外されたものとしてあるわけですが、それを自分自身のうちに獲得するということ、そのことの洞察だと。それは、神に対する無神論、私有財産に対する共産主義が、人間回復(ヒューマニズム)としてもつ関係と同様だと。そのことは、元の状態に後戻りすることではないし、空想的な世界にはしるといったことではない。ヘーゲルはあくまでも労働として人間が自己産出していくものとしてとらえていると。二、疎外のなかの肯定的契機(b)つづきです。マルクスによって、ヘーゲルの展開を追跡します。P233 第60文節 ヘーゲルは転倒しているけれど、転倒しているがゆえに積極的成果もある。(b)第一に、ヘーゲルは人間の産出行為を、形式的な抽象的な一般的行為としてとらえているんだけれど。それは、人間を抽象的な思惟するものとして、自己意識としてとらえているからだけれど。第61文節 第二に、このとらえ方の形式的で抽象的な為に、外化の廃棄(止揚)は外化の承認になる。どういうことか。ヘーゲルは自己外化、すなわち自己疎外としての自己産出の運動は、絶対的な究極的なおのれ自身を目的として、そこに落ち着いてくる、自己の本質に到達することだと。そのようにして人間の生を明らかにすることなんだと。第62文節 この外化と、外化により疎外された対象性の克服の運動、これがヘーゲルの弁証法においては真実の人間の生(創造)とみなされる。その生というのは一つの抽象であって、人間的生活が疎外されたものである。(どういうことか)このとりもどしの過程は神のような過程であり、人間をとおして神的なものがあらわれてくる過程だ、といっている。(どういうことか)ここには人間の現存在とは区別された抽象的で純粋な、絶対的な本質といったものがある。それが人間をとおして、経過していくそうした過程なんだと。それがヘーゲルは弁証法の過程なんだとは見ていると、マルクスは指摘しているとおもいます。(人間とは区別された純粋の絶対的本質があって、それが人間をとおして運動していく過程なんだと)運動の主体はなにか、どこにあるのか、P234 第63文節 第三に、この過程は一つの担い手、主体を持っていなければならない。ヘーゲルは、その主体は成果としてはじめてでてくることを洞察しています。「この成果、すなわち、おのれを絶対的な自己意識として知るような主体は、したがって神、絶対精神、おのれを知りつつおのれを示すところの理念である」-これはヘーゲルの認識です。「現実の人間と現実の自然とはたんに、この隠れた非現実的な人間とこの非現実的な自然との述語、象徴になる。したがって、主語と述語とは双方の絶対的な転倒の関係をもっている」-これがその関係に対するマルクスの批判です。ここには、二人の基本的な見方が、端的に見てとれると思います。一方は、人間を越えた絶対的精神といったものが出来てきて、存在する。人間もそれによって司られている。人間は絶対的精神の理念のあらわれだと。他方は、現実の人間や自然が主体であり、理念というのはそれから抽象されてくるものだ。これはたんに人間・自然と精神の根源性の問題だけではなくて、弁証法の運動における問題ですね。三、余論、この問題の参考文献この問題を取りあげている著作ですが。①エンゲルス「カール・マルクス『経済学批判』」の書評(1859年) ME全集第13巻冒頭に紹介しました。不破哲三さんが『エンゲルスと「資本論」』(上) (新日本出版社 P128)で紹介しています。②『反デューリング論』(1878年)、『空想から科学へ』ヘーゲルの弁証法は逆立していることが展開されてます。これは『ME往復書簡集』をみると、エンゲルスはマルクスと緊密に相談してだしていることがわかります。哲学部分についてはマルクスの見識を生かした共同作品ですね。③『フォイエルバッハ論』(1886年)これは1883年にマルクスが死去して、エンゲルスがその遺稿集のなかから『経済学哲学手稿』をみつけて、独自にさらに検討して、まとめ上げたものですね。エンゲルスは、青年のブロッホにアドバイスの手紙を送っています。「(②と③について)、このなかで私は、私の知るかぎりで現存の最も詳細な史的唯物論の説明をしておきました」と。(1890年9月21日付 全集37巻)今回は以上です。次回は第64文節からですが、あと残りは11文節でもうすこしです。
2024年09月30日
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みかん園の10月は、収穫のはじまり自然とは大したものです。この暑さが、いつまで続くのかと思っていたんですが。この一週間ですが、朝晩が涼しくなってきて、ようやく秋の季節を感じるようになりました。季節の変わり目です。いよいよ、みかんの収穫の始まりの月ですといっても「はじめチョロチョロ」でして、はじめは、ゆっくりと、慎重なうえにも慎重に収穫ははじめだします。早もぎすることは、厳禁なんです。せっかくここまで育てたんですから、熟したおいしいみかんを提供するということです。当方のみかん園は、少しの早生みかんと、大津、青島、そして甘夏が主体ですから、まだ早い。今の主要な作業は、雑草とつる草の草刈りです園主さんからのアドバイスです。みかん園の雑草は、『今は草刈をして、3-4月の若草の時に除草剤ようやくでおさえる』その時をはずすと、一年中を草刈りに追われるようになり、畑の管理が出来なくなる、と。『この間のあんたのように、草刈りだけでヘトヘトになっちゃう』と。その通りなんです。まだはぎ取らなければならないクズやヤブカラシが沢山あるんです。センダングサもあちこちで、人の背丈を越えて伸びているんですから。みかんの収穫が本格化する前に、何とかひと回り、草刈りしておきたいと思ってます。私はそれまでは、草刈り機だけで、除草剤は使わないようにしてきていたんです。しかし、園主さんから『これだけの広い畑を、ひとり草刈り機だけで抑えようとしても無理だ』とのアドバイスがありました。去年の2023年9月12日に「神奈川県・農業技術センター足柄地区事務所、根府川分室」を訪ねて、除草剤の使用と安全性について、指導員の方からのお話を聞いてみました。それ以来、草刈り機と除草剤散布を組み合わせて、雑草への対処を始めている次第です。みかんの収穫ですが収穫カレンダー(案内書)によると1、香酸柑橘は、すでに始まりだしています。 スダチ・カボスは、9月から10月中旬 ユズは、9月から1月上旬 レモンは、10月上旬から5月下旬2、早生みかんは10月です。 ゆら早生(極早生)は、10月上旬から10月下旬 宮川・興津早生は、10月下旬から11月上旬3、主要な品種は、その先です。 温州みかんの大津は、12月上旬から12月下旬 青島は、12月中旬から1月上旬、です。4、さらにその先に、 2月のネーブル 3月中旬の湘南ゴールド 3月下旬の清見 4月下旬から5月の甘夏こうした時期に、それぞれの柑橘が収穫されます。ようするに、10月から5月までは、さまざまな柑橘類の収穫と出荷があって、それが、8カ月間にわたって続いていくというわけです。しかし、これにも、二つの条件があります一つは、カレンダーは、あくまでも全国的な一般論のことです。当方の産地は、神奈川県の小田原方面です。みかんの産地としては、北限に位置してますから、南の九州や四国などの産地より、気候条件によって、みかんの成熟が遅い。それを自分の舌でその味を確かめてから、熟した時に、熟したものを収穫していきますから、そこには時間差があるわけです。もう一つは、これだけ多彩な品目ですが、自分自身で栽培しているものは、確かなんですが、しかし、それには「表年」「裏年」による、その年の収穫量が関係してきます。さらに、自園以外の、近隣の農家の方がつくっているものは、それぞれの都合があります。私が販売している価格よりも、もっと高価に買ってくれる先があれば、買い手があれば、当然のことですが、そちらの方に流れます。ネーブルや清見オレンジは、そうした事情で変わりうるんですね。私の方は、流通からあふれたものを、販売に協力しているわけです。しかし、もしも提供されると、農家のみかんは大量です。それを、限られた時間で販売することが求められますから、こうして、一般的に、予告をしている次第です。とにかく、電車は動き出しました柑橘の収穫ははじまりだしました。はじめは、ゆっくりとした速度の各駅停車ですが、やがてそれは急行から、さらに超特急となります。猫の手もかりたくなるような事態となりますが、まぁそれは、まだ先のことです。今は、今やるべきことに、力を尽くすということです。
2024年09月28日
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