つれづれなるままに―日本一学歴の高い掃除夫だった不具のブログ―

つれづれなるままに―日本一学歴の高い掃除夫だった不具のブログ―

PR

Calendar

2005.06.01
XML
カテゴリ: SF
図書館でこの本を見つけたときは文字通り狂喜しましたね。
で、めったにない三連休を利用して、無事、本日この二段組で550ページ以上の大著を読破いたしました。

日本人にとってロボットと言えば手塚治虫のアトムであるように、アメリカ人にとってロボットと言えばアシモフのロボットSF。欧米に根強いフランケンシュタインコンプレックスを見事打ち破った、ロボット工学の生みの親でもあります。

『コンプリート・ロボット』というタイトルに反して、この後もアシモフはロボット短編小説を書いていますから、これは文字通りの『ロボット短編小説全集』ではありません。けれども、『鋼鉄都市』以前の、ロボットと人間の関係の紡ぎだすアシモフ流未来史がどのようなものであったのかをつかむためには、格好の本であると思います。

アシモフの読者にとってそのほとんどは再読で、初めて接する作品はほんの一握りでしょう。自分にとってもそうでしたが、それでもやはり読む価値はあります。

前半はロボットの形態ごとに「非ヒト型」「動かないロボット」「金属」「ヒューマノイド」をモチーフにしたアイディア小説が配列されていて、その配置が見事です。
『はだかの太陽』と『夜明けのロボット』をつなぐ幻の短編『ミラー・イメージ』を読むことができたのも収穫でした。

しかしなんといってもこの短編集の読みどころは、人間とロボットの関係を巡るドラマを描いた、後半の作品群にあるでしょう。ドノヴァンとパウエルのドタバタ喜劇もさることながら、おなじみのロボット心理学者スーザン・キャルヴィンの全エピソードを、年代記的に読めるのもこの本だけです。

SF史において、ロボットは人間に脅威をもたらすものか、人間に服従するだけの哀れな従属物なのか、というテーマが最初に掘り下げられたのは、キャルヴィン女史の一連の物語によってでありました。なかでも今回再発見したのは、『ロボットと帝国』ではじめて取り上げられたと思っていた<第零法則>の萌芽が、すでに『われはロボット』に収めれられている「災厄のとき」にあったということです。また『夜明けのロボット』で活躍するジスカルドの原型ロボットのアイディアもみられました(「うそつき」)。



どちらがより興味深いお話かといえば、これはもう間違いなく後者、『二百周年を迎えた人間』です。
これはのちにシルヴァーバーグの手によって長篇化され、より深みのある作品になりましたが、アシモフの全作品の中でも最高傑作に属するものです。ちょうど、 ダニエル・キースにとっての『アルジャーノンに花束を』のようなもの だといえばよいでしょうか。その後、『アンドリューNDR114』として映画にもなりましたから、あるいはこちらの方が人口に膾炙しているかもしれません。

『アンドリューNDR114』
【新品】アンドリューNDR114


忘れてました。
そういえば、『コンプリート・ロボット』は、「完璧なロボット」とも訳せますね。では、「完璧なロボット」と「完璧な人間」はどう違うのでしょうか?





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2005.06.02 10:53:45
コメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: