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禁錮一年、執行猶予四年。呆然としました。悔しくて悔しくて、涙が流れてきました。故意でなければ、人ひとりの尊い命を奪っても有罪と言えど、こんな刑で許されるものなのだろうか?改めて、この国の刑罰のあり方を考えさせられた。加害者の人権を尊重するのも仕方のない事かも知れません。でも、死んでしまった人の人権はどうなんでしょうか?遺族からすれば、怒りさえ感じるような結果です。このまま二週間の間に検察側・弁護側、どちらからも控訴がなければ刑が確定してしまいます。ちなみに禁錮一年は懲役にすると六ヶ月くらいのものらしいです。刑事告訴なので、こちら(遺族)から控訴する事はできません。できる事といえば、検察官に上申書を提出して控訴して貰えるようにお願いするだけです。これも、最終的には検察官の判断に任せられるのでどうなるかわかりませんが…勿論、上申書を提出します。火曜日までに文章を考えて、うちの弁護士さんに見て貰わないといけない…。弁護士さんも言ってましたが、被告人の態度や前科から考えても、判決が寛大すぎると…。裁判官もあんな態度の被告に対して、どうしてこんな寛大な判決を下す事が出来たんだろうか?裁判官が最後に話していた事と言えば、「被告が充分反省してる」「無制限の保険に入っているので遺族にも充分な保険金が入る」「被告にも家族(妻と二人の子供)がある事」など、私たちの気持ちを逆撫でするような内容がほとんど。加害者が反省しているなんて、どこで判断したんだろう。本人がそう言ってるから?加害者の言ってる事だけを鵜呑みにして遺族から話しを聞こうと思わないのが不思議。私たちには、全然反省しているようには見えなかった。保険金さえ出れば、何でも許されるのだろうか?結局、すべてはお金で解決するとでも思っているのだろうか?それなら、保険金なんか一銭もいらないからパパを返してと言いたい。加害者の家族?じゃあ、最愛のパパを失った私たちの行き場のない気持ちはどうなるんだろう??「被害者と遺族の事を一生背負って生きて下さい」と被告に裁判官は言ってたけど、あの加害者じゃありえない。すぐに忘れてしまうに決まってる。そうとしか思えない。私たちは大切なものを失ったのに加害者は何も失うものがないなんて…重荷を背負う事もないなんて…。大体、有罪になったとはいえ求刑も禁錮一年という軽い刑でそれも判決では執行猶予四年。相手からは何の謝罪もなく、誠意もなく保険会社に全てまかせて、自分は普段と何ら変わらない生活をこれからも続けて行けるなんて不公平過ぎると思う。賠償金も保険会社が支払う事を考えれば、加害者にとっては痛くも痒くもないんじゃないか。裁判の時、検察から遺族から何か言いたい事がありますか?と言われた時に、なぜ発言させて下さいと言えなかったんだろう?今更ながらに自分の勇気のなさに呆れてしまう。いつもいつも、後悔ばかりしている。でも、裁判の傍聴に行くまではまさか加害者があんな非道い人だと思ってなかった事もあるんだけど…。上申書では、思っている事を正直に全て書こう。それで、検察官にわかって貰えなかったら諦めるしかないのか?とにかく今、自分にできる事を精一杯するしか仕方がない。でも、本当に日本の法律って加害者の人権ばかりを尊重して被害者や遺族の気持ちなんか全然考えてくれないものだと改めて実感した。不信感さえ抱きそうだ。最近は事件が増えて、忙しいのかも知れないけど事務的に処理されていってるようにしか思えない。すべて法律の範囲内で判断されて、型どおりの判決で結局、遺族は泣き寝入りするしかないと言うのか?こんなんじゃ、パパが浮かばれない。
November 26, 2004
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何とか無事、一周忌の法要をすませました~。何だか、法要が終わるまでは気持ちが張っていたのか?泣いてるような余裕もなかったけど、終わってみると寂しさ倍増…ちょっとブルーな毎日です;;つい数日前まで「去年の今頃は…」なんて思い出してた事が去年の今頃にはもうパパはいなかったんだと思うとやっぱり悲しい…今更ながら、何でパパが死ななければならなかったんだろうという思いが込み上げてくる。この一年間、長かったのか短かったのか?時間の感覚が麻痺している。記憶も余りない…。不思議と思い出そうとしても全然思い出せない。一周忌の法要の時に親戚の人と嫌でもいろいろ話をしなければならなかった。裁判の話になると決まって「まだ、そんだけしか進んでないの?」と言われる。近所の人に粗供養を届けに行った時も決まって「もう一年も経ったん?早いねえ」と言われた。そして「可哀相に…」「気の毒やねえ」とも…。何を言われても、この気持ちは遺族にしかわからないものだから仕方ないけれど、一日に何回もこの台詞を聞かなければならないのは結構苦痛だった。子供もついてきてたので、視線はまず子供。憐れむような目で見られるとイライラしてくる。前の会社の上司の人や、共通の友人は忘れないでいてくれたようで、お菓子や果物などを送ってきてくれた。なのに、パパがいてた時は遊びに行ったりお互い行き来してた友達からは何の音沙汰もない…。逆に気を使ってくれてるのだろうか?それとも、忘れてるのかな…?何となく寂しい…。いなくなってしまえば、もう関係ないのかな…。こちらから連絡するのも催促してるようで気が引けるしなあ…。きっと、パパが一番の友達だと思ってた人だけに尚更悲しい。それでも、たくさんの人にお供えを頂いたり覚えてくれていて家に訪ねて来てくれる人がいっぱいいたのはパパの人柄なんだろうな。思わず、自分の時はどうなんだろうかと考えてしまう。私たち家族はパパと毎日一緒やけど他にも日々の生活の中でパパの事を覚えてくれてる人や思い出してくれてる人もいるんだろうか?パパはみんなの心の中でしっかりと生きているんだろうか?そういえば一周忌の数日前から腰が痛くて仕方なかった。元々ぎっくり腰を2回してる腰痛持ちなのでお母さんに「接骨医院に行っといで」と言われたけどそこはパパも通っていた所なので行くのが嫌で(絶対パパの話題になるのが容易に想像できたから)痛いのを我慢していろいろと準備に走り回っていたのに、法要が終わったその日の夕方にはケロリと治ってた。う~ん、ストレスか精神的なものだったのかな?来年は三回忌かあ…何で一周忌の翌年が三回忌なんだろ?すんません、物知らずで…^_^;何かこう、淡々と過ごしてる毎日。同じ事の繰り返し。やっと生活のリズムが出来てきて落ち着いたなあ…と思うたびに何かある。そして過去に引き戻される。警察に呼ばれる事はもうないと思うけど、検察庁、労基署あたりはまだ連絡がある可能性が大。ひとまず今回の裁判を乗り切って、どちらの判決が出てもきっとどちらかが控訴するだろうから来年の春までは落ち着けない。パパの会社の労働基準法違反の件はどーなっているんだろうか?毎月月末に労基署に現状報告の電話をしないといけないから今度それとなく聞いてみよう…。寂しくても悲しくても、ひとまず一区切り。否が応でも時間は残酷に過ぎていく…。何度、時が止まればいいと思った事か。真剣にタイムマシンがあれば良いのにと思った事もある。私の命を半分、分けてあげれたら良かったのに…。こんなツライ毎日を送るんなら、私が身代わりになったのに。でも、パパにこんな気持ちを味合わせるのも可哀相だなあ…。いろんな気持ちが交錯して、自分でも訳がわからなくなる。とにかく26日、裁判の判決が出る。それから、また考えよう…。
November 23, 2004
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もう最低最悪です!!ちょっとでも加害者の家族の事なんかを心配していた自分がバカらしくなってきました。今まで2回、お線香をあげに来た時の態度からして立腹ものだったのですが、今日の裁判でハッキリしました。全然、全く、皆目、反省していません!!!人の命を、残された遺族を何だと思っているんでしょう!?もう、とことんまで戦う決心がつきました。絶対に許さない!!パパを返せって叫びたい!!!確かに自分の罪をなるべく軽くしたいと思うのは仕方のない事かも知れません…。それにしても、口に出して言う訳ないけど「あんな所で横転事故を起こしやがって、おかげで自分はこんな目に遭ってるんだ」そんな風に思ってるのが目に見えるような態度でした。裁判では警察や検察庁でも聞けなかった内容の話がたくさん出てきました。怖かったけど、やっぱり裁判を傍聴しに行って良かったと今では思います。じゃないと知らないままだった。まず、加害者は道路交通法違反の常習者だった事。何度も罰金を科せられてる上に、最近免停にもなってたらしい。運送会社の正社員とバイト、二社を掛け持ちしてた事。(運送の仕事の掛け持ちってかなり疲労すると思うんですが?)初めて、家にお線香をあげに来た時にいろいろ話を聞いたのですが(これものらりくらりとまともな返事返って来ず)事故当時、トラックに衝突してパパの存在に気がつかなかったと言っていたのに、今日の発言では加害者が自分のトラックの助手席側の窓から出たらすぐ目の前に唸っているパパが倒れていたそうです(!?)何!?ってゆー事は事故当時、ほぼ即死だったと思っていたのに加害者がパパを発見した時は息があったってゆー事!?それを聞いた時は耳を疑いました。呆然と涙が出て止まらなかった…悲しすぎる。まあ、裁判の間中ほとんど泣いてたけど…。裁判官、検察官、自分の見方である弁護士にすらまともに返事もしませんでした。何を聞かれても、「わからない」若しくは無言で首を傾げるだけ。自分が起こした死亡事故に対する裁判なのにまるで他人事のような態度でした。大体、簡単な質問に対しても理解ができないようで何度も聞き返したり…こんな人が社会人として認められるのか?40歳過ぎてるなんて思えない。まるで、中学生か高校生のような感じすらした。今回の事故の件で裁判所から呼び出しの通知が来ていたにも関わらず無視していたそうです。(裁判所に出頭しなかった)検事さんはともかくとしても、裁判官も加害者に対して良い印象を持っていないらしく、検察官の方が加害者の過去の違反歴などの質問をしている時、弁護人から「この件とは関係のない質問です」と抗議された時もその抗議は受け入れられませんでした。ってゆーか、交通事故の裁判で加害者の過去の違反歴って全く関係ないの?その人の交通ルールに対しての考え方がわかると思うんですけど?違反を繰り返してる人がちゃんと運転していたとは思えない。今は免許取消になってるけど、二年後また免許を取得するつもりですかとゆー質問に何のためらいもなく「はい」と答えていた。こんな人がまた車を運転するのかと思うとゾッとする。きっと、また同じ過ちを繰り返すような気がしてならない。裁判官がある質問をした。パパは事故当時、事故処理(発煙筒をたくなど)をする前に会社の同僚に電話している。きっと荷物の配送が遅れる事などを気にしての事だと思う。そんなパパだった、仕事に対しても責任感の強い人だったから。その事故処理を怠った事と自分が前方不注意でトラックに追突して被害者を死亡させてしまった事とどちらが悪いと思いますか?…と。加害者の答えは「わかりません」でした…。弁護人は被告は被害者宅に2度赴き、誠意をみせ充分に反省しているので情状酌量を訴えたいと締めくくりました。誠意?反省??そんなもの全く感じなかったわよ!!そして事あるごとに「対人無制限の保険に加入しているので遺族に対しても充分な保険金が入る筈」だと…。この加害者にこの弁護人…類は友を呼ぶ?お金の問題じゃない!!お金なんかいらないからパパを返してとその場で叫びたかった。パパを返して…と。あんなヤツにパパは殺されたんだと思うと悲しくて仕方がない。後続のトラックを運転していたのがあのドライバーでなければパパは無事だったんじゃないかとも思えてきた…。改めて、何でこんな事になってしまったのかと思う。何で、こんなツライ思いをしなければならないのか?生きてる方がツライ人生をこれから何年過ごさなければいけないんだろう…?みんな、加害者のせいだと今では思えるようになった。法廷の場で一周忌にも来るって言ってたけどそんな連絡もまだ入っていない。これから、連絡があっても断るつもりでいる。ハッキリ言って、来て貰った方が迷惑、気分が悪い。反省もしていない、悪いとも思っていないのに建前の誠意なんていらない。今度こそ、加害者の顔を見たら冷静でいられなくなる。今回、裁判の傍聴に行ったのは義父と義弟と私。そして、お願いしてる弁護士さんも来てくれました。裁判が終わってから、弁護士さんを交えて少し話をしたけど弁護士さんも加害者の常識を疑うとおっしゃってました。長い弁護士人生の中でも裁判所からの連絡を無視する被告は初めて見たそうです。裁判官の印象も悪く、多分実刑判決が出るだろうと…。実刑だとしても、たかが禁固1年。パパのこれからの長い人生を奪っておきながら1年で許される。こんな法律って一体…?実刑でも1年の禁固刑。それでもキツイ方だと弁護士さんは言ってましたが、納得できる訳ない。その上、もしかすると執行猶予の可能性も残されてる訳で…。もし執行猶予だったら、控訴するつもりです。実刑判決が出た場合、まず相手側も控訴してくるだろうともおっしゃってました。そりゃ、自分が悪いと思ってないんだもん。素直に受け入れるはずないわな…。どちらにしても、来年の春には裁判は終わるみたいです。…夏まではかからないだろうと…。判決が確定してから、相手側との交渉が始まってそれが終わってから、労災の手続き。パパの勤めてた会社の労働基準法違反の問題もある。判決は来週末に出ます。
November 15, 2004
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とうとう、裁判の日がやってきました。12時間後には法廷です。公判担当の検事さんからの電話で法廷で何か話したい事がありますかと言われて悩みました。言いたい事はたくさんあるけれど、相手の本心が全く掴めない。正直、自分で法廷に立って何かを発言する勇気なんてない。そんな自分が不甲斐なくて嫌になる。弁護士さんに電話したら、不在だったので秘書(?)の方と少しお話しをしました。検事さんからの電話の件を話すとずっと加害者の人権ばかりを尊重されてきた事に対して最近は被害者(遺族)の事も考えるようにという意見が多いからそんな事を言ってきたのではないか…と言われてました。結局、法廷での発言を辞退すると検察庁に電話をした時にそれとなく聞いてみると、裁判は内容によって予め時間を決められているので、実際希望したとしても話ができるかどうかは裁判官の意志で判断されるとの事。じゃあ、もし話がしたいと言ってもできないかも知れないんだ。結局、建前なんだろうか?うちの父がいつも「交通事故は加害者天国」だって言ってる。特に今回のように被害者が死亡した場合加害者の証言と現場検証でわかった範囲内で判断されるから。有罪の判決が出たとしても、業務上過失致死に対する刑罰なんかたかが知れてる…遺族からすれば、殺人と何ら変わりがないのに。殺意がなければ、人の命を奪っても許されるんだろうか?死んでしまった人間の人権と一生背負って行かなければならない遺族の悲しみは考慮されないのだろうか?今になって、裁判を傍聴するのがとても怖くなってきた。行きたくない、でもこの目でちゃんと見ておきたいような…。冷静に傍聴していられるのだろうか?加害者はどんな態度で裁判に臨むのだろうか?行ってみないと全てわからない…。予想のできない所に飛び込んでいくのは怖い…。11月に入って、はじめはそうでもなかったけど日が経つにつれ、自分でも精神的に何かおかしくなっていってるような感じがする。いろいろしなければいけない事もひとつひとつこなして来た。親戚にも連絡して、粗供養や当日のお膳の手配。法要をする場所を管理してる人にも連絡して確保した。初盆の時は、すごくたくさんの人が家に来てくれてバタバタと忙しかったけれど一周忌はそうでもないのかな?まだ、私の友人と親戚の人くらいしか来てくれてない。21日まで、もう一週間…あと一週間しかないんだ…。私たちにとっては、まだ一年しか経っていないけど周りの人にとってはもう一年も過ぎてしまったんだな…。まだ昨日の事のように感じられるのに、世間の人たちから見れば、既に過去の事になってしまってる。みんな、パパがいなくなっても平気で日々過ごしてる。当たり前の事かも知れないけど…やっぱり悲しい。何か、同じような泣き言ばっかり書きに来てる…。後、一週間しかない事に今改めて気がついた。時間の感覚も何かいつもと違うなあ…。とにかく、この一週間を何とか乗り切ろう。一周忌が過ぎれば、何か変わるのだろうか?また同じ一年間が繰り返されるだけ?今の私にとっては時の流れって残酷だ…。
November 14, 2004
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落花生、まあピーナッツですね(笑)先日、実家に収穫に行って来ました^^収穫とゆー事は栽培してる訳で…こんなモン育ててる家庭菜園ってば、一体…??(笑私と子供たち、パパの従姉妹家族(従姉妹と旦那さん、子供二人)で行って参りました。ちなみにここの子供たちは男の子二人です。お兄ちゃんのクラブが12時半に終わるとゆーのでまず、うちが向こうの家まで車で行ってそこから従姉妹の車に乗り換えて実家に向けて出発。(時間的な問題と人数の加減でややこしい事に・笑)従姉妹の家から車で小一時間。実家に到着して、ちょっと一休みしてから、いざ畑へ!実家はここら辺からすると田舎っぽいんですけど畑は山の方にあるので歩いて行くとなると結構しんどいです。でもって、私の父が運転する軽トラの荷台にみんな乗っかって畑に向かいました。そんな事できるのも、田舎(山)の特権かも?(笑軽トラから降りてから、また山道を少し歩いて畑に到着。早速、収穫収穫。鋤で土を返すと、根っこに落花生がゴロゴロくっついてきてそれを手でひとつずつちぎって収穫します。結構、落花生が土に中にできるのって知らない人多いですよね?実際、従姉妹も木になってると思ってたみたいでこの収穫を夏から楽しみにしてたんですけど(笑他にも大根やゴボウ、ネギ、分葱、小芋、ニラ、青梗菜など収穫できるものは手当たり次第に採って持って帰ってきました。野菜が高価な今日この頃、助かります~(笑3時間ほど、畑を荒らして(オイオイ)山を下りました。実家に帰ってご飯を食べて、ちょっと世間話なんかしてその間、子供達は持ってきたゲームをお兄ちゃんにして貰ってご満悦です。ゲームしてると大人しい…(笑うちの子、ポケモンでどうしても四天王が倒せなかったらしくってお兄ちゃんにチャンピオンまで倒して貰って喜んでました。結局、家に帰ったのは7時過ぎ。なかなか充実した一日。次の日は貰ってきた野菜の掃除をして美味しく頂きました。落花生は土を洗い流して、今乾燥させてます。完全に乾いたら、レンジで10分間チンしてその後2日ほど置いといたら食べれるそうな、今から楽しみです。少し来年用に置いといて、プランターで育ててみよう(笑 昨日、検察庁の公判担当の検事さんから電話がありました。裁判の時に何か言いたい事があるのだったら時間を作りますとの内容でした…。何か、言いたい事って…言いたい事はいっぱいあるけどなかなか言葉にならない。私でなくても、遺族にあたる人であればいいとの事。弟やお義父さんにも相談してみようと思いつつなかなか電話できないまま、金曜日に連絡しなアカンのに…。加害者を前にして、思ってる事を話したら何を口走るかわからないような気もする…。きっと、冷静に話す事なんかできない。だいたい加害者がどう思ってるのか、まず知りたい。知らずとはいえ、人を殺しておいて平気なのだろうか?私たちは突然いなくなってしまったパパの存在を確かめるように毎日生きている…。加害者はどうなんだろう?事故前と同じように毎日を過ごしているのだろうか?自分が奪ってしまった命の重みを感じてるのかな?パパの事や残された私たちの事を考えて眠れない日があったりするのだろうか?加害者も遺族と同じように苦しんでいるのだろうか?ふとした瞬間に「ああ…もう二度と会えないんだ…」パパがいなくなってしまった事を毎日確認しながら生きている。その度に「何で?」と思う。どうして、パパが死ななければならなかったんだろう?どうして、こんなツライ日々を送らなければならないんだろう?こんな毎日が何年、何十年続くんだろうと…。それでも、世間は何ら変わりなく動いている。当時はパパが死んでしまったのに、どうして?みんな、平気で笑って毎日を過ごしているのを見ては不条理に怒りさえ感じていたけれど…。広い世界の中から見れば、ひとつの小さな出来事でしかないんだと改めて思うと寂しくもなったり。表面上は普通に過ごしているけれど、自分の周りだけ時間が止まっているような錯覚に陥る時がある。まるで、見えない壁があるように。やっぱり、時間が止まってるんだな…。あの日から、時計は止まったまま。過去ばかりを振り向いて過ごしてるから、時が進んでる気がしないんだろうな…。この1年間、きっとそんな感じで生きてきたんだ。過去にこだわってるから、現在の記憶が残らない。でも、過去にしかパパの存在がないから…。新しい時を一緒に積み重ねる事が出来なくなってしまったから振り返る事しか、今の私にはできない。前を向いて、歩いて行けるようになるまでにはまだまだ時間がかかりそうだな…。
November 11, 2004
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小学校の予定表を見て、ビックリ@@21日が日曜参観ではありませんか…^_^;パパの一周忌です…ああ…。何故に学校行事とカブるかなあ…(溜息)午前中だけなので、行っても良いかなあとも思ったのですがこの日は私が出かける訳にもいかないので休ませる事にしました。親が行けない参観日に登校してもねえ…。子供が可哀相だし…。また連絡帳に一筆書かないと…。休む事については残念とゆーか何とゆーか…。でも、ある意味カブって良かったかな…とも思ったり。日曜参観だもの、お仕事休みのお父さん方が来られますよねえ…やっぱり…。子供は今のところ、私が行けば喜んでくれるけど私がツライな…まだ…。買い物に出かけたり、お出掛けした時に家族連れを見ると胸が痛いです。どうしても、比べてしまってブルーになります。ここにパパがいれば…いろいろ想像して悲しくなります。もう一年?まだ一年?一周忌の法要の件で親戚に電話をすると決まって「もう一年?…早いなあ」と言われます。早かったのかなあ?すごく長かったようにも感じるし、複雑。私にとっては、つい昨日の事のようなのに…。この一年間、何をしてきたのか余り記憶がない。毎日、朝がきたら起きて夜になったら寝る。(あんまり眠れないけど…)その繰り返し、毎日が淡々と過ぎていくだけ。生きているっていう実感があまりないからなのかな?未来に向けての希望がないとゆーか…。今は子供が小さいから、必死だけど成長して手が放れた時に私はどうすれば良いんだろう?横にいるはずのパパがいない。先の事を考える余裕がないんだな…。ひとまず明日を乗り切ろう。明日はお母さんが子供を見てるって言ってくれてるので久しぶりに美容室に行ってサッパリしてきます。もう、ストパもとれて髪の毛も伸び放題で鬱陶しいです(__;)5、6時間の長丁場。髪の量が多い上にクセがひどいから、年に2回は矯正パーマかけないとすごい事になります(涙)
November 3, 2004
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