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2008年10月9日(木) 22日目
昨夜は、どこかの空き地にバスを止め、その傍の掘っ立て小屋の
ような食堂で、卵焼きを作って貰って、夕食でした。
バスの中に寝たので、4人とも、鶏の鳴き声に起こされて、5時半には、
起きだしていました。1時間待っても運転手は来ません。
ドバイ出稼ぎ者は、俺は、別のバスで行く、とでっかい荷物を他の
二人に手伝って貰ってバスから降ろし、行ってしまいました。
彼は、ドバイからカトマンドゥまで来たものの、バスのチケットが買えず、
故郷の近くに来ていながら、二日間も待っていたらしいです。本来なら、晦日から
正月を家でゆったりする予定だったのに、もう1月1日の朝になってしまっています。
彼にすれば、もう、1分でも、早く家に行きたいのでしょう。分かります。その気持ち。
じゃーな! 元気でな! 二晩を共にした同士は去って行きました。
僕は、本日も、どこで食べられるか分からないので、掘っ立て小屋の
食堂で何か作って貰おうと思いました。言ったら、何にもないって言います。
僕は、食堂の中に入って、
「そこに、ラーメンがあるだろ! そいつと、卵と、野菜と、昨日の残りの
ご飯があったよな! そいつを、ミックスして作ってくれ!」と頼みました。
ミックスって言葉が気に言ったのか、「ミックス、ミックス」と繰り返し
言いながら、作ってくれました。グチャグチャですが、うまいっすよ!
運転手が来ません。
マレーシア出稼ぎ組の二人も、そわそわしています。早く帰りたいのです。
英語の話せない運転補助もバスに泊まりましたが、そいつがどこやらと
連絡して、どうも運転手は来ないって結果になったようです。
それで、マレーシア出稼ぎ組も、オートリクシャーを呼んで、これまた、
どでかい荷物をいくつも持って去って行きました。
元気でなー! 彼らも、もうすぐ故郷の家だ、良かったなー!
あれー? 「良かったーなー!」 何て言ってる場合じゃーねぇど!
どうした? あれだけ居た乗客が、結局、僕一人になってしまった
ではないですか? おい、どうしてくれるんだ?
野菜卵入りラーメンライスを、頬張っていたら、英語が少し話せる
運転補助が、のっそり、のっそり、やって来ました。
(早く歩け! この! と思いましたが、黙ってました。)
いつ運転手は来るのだ? と聞くと、別の運転手が来るから、少し待て、
と鷹揚に答えます。そして、なんと、掘っ立て小屋の食堂の若い主と
ビール飲み初めてしまってます。
おいつらにとって、正月でも、僕にとっては、大枚3500ルピーも
支払って、カトマンドゥからダージリンへ特急で、直行するはずで
あったのです。それが、28時間も経っています。
正月なので、1時間ほど、待ってあげました。
しかし、運転手は来ないし、もう待てん! と、運転補助に、ばっきゃろー!
どうなってんだ! いつ出発するんだ! と、ちと、大きな声で言ってやったのです。
そしたら、金やるから、その辺のバスで、カーカルビッタまで行け、と
言いやがります。おい、ダージリン行きのチケットは、どこでくれるんじゃ?
と聞けば、そんなもん、知らん、と言いおります。
あっちゃー!
危険信号が、真っ赤な赤信号に変わりました。
やっぱりかー! と思いましたが、これこそ、後の祭りです。
ここで、どう騒いでも、勝ち目はありません。ダージリンまでの切符を
買ったと言う証拠は、どこにもないのです。
言うことだけ、無茶苦茶言って、仕方なく、掘っ立て小屋を立ち去ります。
カーカルビッタまでは、責任があるとか言い、運転補助の、その又、補助の
若者二人がついて来て、小さな乗り合いバスを止めて、お金も支払い、
僕を乗せてくれました。
こんなバスですが、完璧な定員オーバーで走ります。この運転手の
隣のエンジンの上みたいな所も、人が一杯のります。
乗り切れん人は、バスの上に乗ります。それでも、乗れん人は、
入り口ドアにしがみついて乗っています。乗ったり降りたりしますが、
これは、一番空いた時に、撮れた写真です。
それでも、中国とは異なり、我先に、押し合いして席を取ろうと言う
ような行動はなかったですね。大混雑ですが、秩序は保たれてました。
道路は、こんな感じで、インド、ネパールへ来てから、一番整備
された道路だなー、と感じました。
そんなこんなで、ダーランから国境の町、カーカルビッタまで、3時間で
着きました。その頃には、もう腹たった事など、忘れていました。
貧しい奴らに、数千円くれてやったと考えるようにしたのであります。
インドは、騙されやすいと聞いていたので、相当気を付けていました。
しかし、ポカラがあまりに居心地も良く、変な輩には出会わなかったので、
気が緩んでいたとしか言いようがありません。
それと、お祭りに巻き込まれて、足止めされたくない、早く移動したい、
そう言う気持ちが、危険信号をキャッチしながらも、無視してしまったのです。
この橋を渡れば、三度目の、インドです。リクシャーなど乗らず、歩いて渡りました。
そして、この掘っ立て小屋が、インドのイミグレです。
誰も来ないのか、係官が一人、暇そうにしていました。手続きも簡単です。
インドへ入り、スリグリまでの、バスの中で気が付きましたが、ネパールの
出国手続きを忘れてしまいました。
密入出国に慣れてしまったのか、自然と密出国してました。
こりゃー、困りました。ずっとネパールに滞在している事になってしまいます。
しかし、戻るのも面倒だし、そのまにしてしまいました。
ブラックリストに載ってしまいますね。日本へ帰ったら、ネパール大使館へ
連絡することにします。
スリグリからダージリン行きの最終バスは、出発済みで、どうしたものかと、
困ってしまいましたが、乗り合いジープがあると言うので、探して乗り込み
ました。
ジープの後ろの荷台に向かい合って、4名乗ります。
僕の前に座ったのは、180cmはあろうかと言う、デンマークの若い女性。
背がでかい分だけ、足も長く、僕の足の間に、足を入れて来ます。
ネパール密出国、インドへ密入国 2008.10.10 コメント(8)
出発までカトマンドゥ 2008.10.07 コメント(16)
出発までカトマンドゥ 2008.10.07