全295件 (295件中 1-50件目)
ハローワークへ行っても、年齢と持病とでなかなか就活が進まず、「このままだとまた血痰が出て、仕事探しが出来なくなります」と年甲斐もなく、窓口で泣きそうになったのは6月の事。「私の病気は治った!」と言い切れる自信もなく、何の仕事なら出来るのかと悩んでいた今日この頃・・・今月の12日に血痰が出ました。止血剤を飲んで止まったのが4日後、そしてまた参議院選挙があった日曜日に血痰が出ました。8回ほど込み上げて来る真っ赤な血をティッシュで受け止め、止血剤を飲んで安静にしていたら病院へ行く事もなく済んでいますが、相変わらず痰には血が混じっています。「もう治らないから受け入れる事が大事です、そしてあなたが働けない理由は何もない」と言ってくれたドクターの言葉が耳に残ります。いつもイライラして、母親に当たってくる娘から距離を置きたいと、必死になって仕事を探すという邪な気持ちが悪いのでしょうか?もっと耐えろ!我慢しろ!と神様は言っているのでしょうか?世の中は強い者だけが生き易く、弱い者は生き辛い・・・。時間が戻せるならば、やり残したい人生・・・それは無理な事なので、現実を受け入れて生きて行くしか術はないのだと思います。
2013年07月24日
コメント(8)
自分自身の事を見つめ直してみました。とりあえず難病のサルコの症状は落ち着いています。今はオマケの気管支拡張症も、5月の連休以来異常なしです。結果 今は体調がとってもいいです。きっと頑張れば仕事も人並みにこなせるような気がします。生まれ変わって探してみよう。どこかに必ず雇ってくれるところがあるかもしれません。諦めないで、きっと私は大丈夫1呪文をかけて・・・もう私は大丈夫!病気とはさようなら!!
2013年06月20日
コメント(4)
白柴さくらがいなくなってから、日常的に感じる「寂しい」「孤独」「切ない」「消えたい」と思う気持ち・・・。一歩前へ進もうとして受けた仕事の面接結果は、2週間後に「もう少し待ってて欲しい」と連絡があったけれど、面接日から1ヶ月が過ぎてしまいました。もう待つのはやめた方がいいですね。きっと辞める人がいた時の穴埋めとしてキープして置きたかっただけの事・・・ちょっと溜息。気力を振り絞って、来週はハローワークへ行って来ます。ゆっくり眠りたい・・・。体がだるく感じます。
2013年06月15日
コメント(2)
「普通」って何だろう?「普通」って誰が決めるんだろう?私にとって「普通」とは「目立たない事」「他と違っていない事」。人の目を気にしながら生きているようではダメだと思う。ここに家を建った時のトラウマが突然甦り、この場所からどこかへ引っ越したくなる。時々 深い孤独感に包まれて、小さな小さな世界で生きているような思いに捉われる。きっと私は今まで、大きな不安を白柴のさくらを抱き締める事で誤魔化しながら生きて来たのかもしれない。「疲れたなあ」と言葉に出してしまう事がある。一歩前に進まなければ「普通」に戻れないと分かっているのに・・・。
2013年06月09日
コメント(7)
いろいろ思う事があり、駐車場の鉢植えを整理しました。あると花を植えてしまうからと、プランターや鉢も処分しました。ついでに玄関前に置かれていたさくらの犬小屋も、駐車場の隅っこに移動、空いたスペースに野菜の鉢を並べました。家の中の片付けも始めました。勿体無いからと捨てる事が出来ない私は、清水の舞台から飛び降りたつもりで、洋服やらいろんな物を処分・・・ゴミ出しの日は、何度も集積場と家を往復して捨てました。そして今日は片付けも一休みです。少々疲れました。胸がチクチク痛みます。就活も始めましたが、「喀血する」と言うだけで落とされてしまいます。当たり前ですね。こちらもちょっと一休み、ボチボチ探す事にします。
2013年06月06日
コメント(6)
さくらがいなくなってから来月の3日で半年、寂しさは増すばかりです。1年3ヶ月続いた老犬介護の日々、力の限り介護したつもりでいたのに、今でも思う事は「ごめんね」と「ありがとう」の繰り返しです。そして孤独感。
2013年05月31日
コメント(10)
今年も川沿いの桜が咲きました。昨年の12月に虹の橋を渡った白柴さくらとの思い出に浸りながら、散策して来ました。
2013年03月28日
コメント(17)
2013年03月24日
コメント(2)
今年もよろしくお願いします。昨年の11月初旬に引いた風邪が治り切っていなかったのか、さくらがいなくなった寂しさを忘れるように、ずっと自治会の評議委員の活動などに参加していました。大晦日の夜も、他の評議委員の方達と一緒に、地元の氏神様に初詣に来る方達の為に、夜10時頃から年が明けた夜中の2時頃まで甘酒作りをしました。咳と痰は相変わらず止まる事がなく、眠れない日が続いたり、かなりシンドイ思いをしたのですが、これも当たり前の症状と気にも留めずに普通に生活していました。今月の7日から血痰が出始め、数日後には喀血してしまい、病院へ行き、緊急入院を勧められたのですが、娘の事が気掛かりで帰って来ました。家で静かに過ごしている内に止まったのですが、何度も同じ事を繰り返している為、そろそろ肺動脈塞栓術の手術をしたらどうかと主治医の先生から勧められました。今まではさくらがいたので入院する事など考えられず、ずっと断って来た手術です。娘は「入院しないで・・・」と情緒不安定になって泣き続ける日が続きましたが、手術はカテーテルで行われる為に一泊程度の入院で済むそうです。明後日 肺の造影剤でのCT検査をしてから、手術した方がいいか先生と相談する事になりました。相変わらず 娘は勤め始めたばかりの仕事を辞めたいと荒れています。我が家の困ったチャンですが、娘のあるがままを受け入れる事にします。いつか春が来るでしょう。近況報告でした。
2013年01月21日
コメント(12)
白柴さくら、16歳1ヶ月 本日午後1時10分 虹の橋へと旅立ちました。娘と私の腕に中に交互に抱かれ、眠るようにして逝きました。痩せこけた体で赤ちゃんのようになってしまったさくら、寝たきり生活が続いていました。最期まで介護させてくれたさくらに感謝、思い残す事はありません。さよなら、さくら。そしてありがとう。
2012年12月03日
コメント(6)
日中は暑い日が続いていますが、朝晩はグッと涼しくなりました。体調管理が難しい時期ですね。老犬さくらは寝たきりですが、穏やかな毎日を送っています。飼い主の私も昼夜逆転ワンコの介護で睡眠不足ですが、自治会の評議委員の用事で出掛ける機会も増え、いい感じの気分転換になっています。昨夜、坂の上から水が流れて来て、押し流れそうになる夢を見ました。道の途中で迷子になり、すぐ下が川という場所に自転車で辿り着き、その場所から抜ける道を探している夢も見ました。娘に助けられたり、そばにいた子供達に道を聞いて安全な場所に一瞬で移動したりと、事無きを得た結末ですが、心の中に不安や迷いごとがあると「水」関連の夢を見ると夢占いに書いてありました。こういう時こそ、プラス思考で生活しなくてはいけませんね。悩みは悩むから不安になる、だから悩まない事にします。やっぱりケセラセラですね。
2012年09月26日
コメント(5)
老犬さくらは寝たきりですが、毎日を穏やかに生きています。お盆前には「心臓が弱っている」と獣医さんに言われ、暑い夏を越えるのは難しいかな?と思いましたが、どうにか復活しました。体重も300g増えて、5,5キロになりました。元気だった頃の半分以下に減ってしまいましたが、軽くなった分、介助しやすくなりました。老犬介護生活も一年が過ぎました。1日も早く仕事を探して働きたいと思いながら、さくらの事が気掛かりで介護を続けています。飼い主の気管支は時に拡張し、今回は2週間も血痰が続きました。その間、自治会の評議委員の活動の為にどうしても出なければならない用事があり、誰にも体調が悪い事を悟られないように、止血剤を飲んで乗り切る事が出来ました。今までは1日も早く血痰や喀血を止めて欲しいと焦りましたが、主治医の先生から「止血剤の点滴を打つよりも自力で止める」ように言われ、用事がない時は家で安静に過ごしたり、氷水を飲んだりして対処しました。病気を通じて、今までの自分の生き方を振り返る機会になりました。生きている事は当たり前なのに、生き続ける事は難しいとよく思う事があります。それでも生きている事に感謝して、寿命が来るまで自分らしく生きて行くしかないと、老犬さくらの姿を見て、思う今日この頃です。風船かずらの花が咲きました。
2012年08月20日
コメント(8)
楽天ブログの写真の登録が今ひとつ分かりません。今までと同じような感覚で登録して使用しています。15歳8ヶ月の今のさくらです。体重は5,35キロ、すっかり痩せてしまいました。寝たきりの生活で、飼い主の介助なしでは水を飲む事もご飯を食べる事も出来ません。一昨日見付けたセミの抜け殻です。梅雨明けと同時にセミの抜け殻を見掛ける事が増えました。駐車場の軒下には、いつものようにツバメがヒナを育てています。去年は失敗した緑のカーテン、今年はゴーヤに再挑戦しています。相変わらず老犬介護の日々です。夜中に吠えるので慢性的な睡眠不足が続く飼い主です。今はさくらが穏やかに老犬生活を送る事が出来るよう、手助けをしています。暑い毎日、熱中症に気を付けてお過ごし下さいね。
2012年07月19日
コメント(17)
さくらの介護生活が10ヶ月目に入りました。今では立つ事も歩く事も出来なくなり、飼い主の介助で食事と排泄をする毎日です。昼夜問わず吠える時もあり、毎晩夜が明ける頃にやっと寝てくれる日が続き、飼い主は睡眠不足の為にまた喀血するというアクシデントもありました。さくらの体重は5.4キロ、元気だった頃の半分に減ってしまいました。さくらの生命力は強く、老衰と診断されてからも、ご飯を残さず食べて、紙オムツをする事もなく、飼い主の介助で排泄を済ませ、寝ている時もバタバタ暴れています。飼い主の私は自治会の評議委員の活動が始まり、体調が悪くて休ませてもらったりと、時々情けない思いを抱きながら生活しています。持病の患者会の友の会の副会長と事務のボランティアも、任期満了を理由に辞めて会を抜けました。辞めるにあたり、会長ご夫妻に怒鳴られたりと嫌な思いもしましたが、あっちもこっちもボランティアを続ける立場や余裕もない為、会を抜ける道を選びました。生きているといろんな嫌な思いや、忘れたい程の辛い記憶が甦る出来事が起こったりします。毎日を穏やかに、笑顔で過ごす事は難しい事です。時にとても寂しくなったり、ただひたすらに人恋しくなったり、心が弱くなる時もあります。そんな時は、今までも同じような事があって、どうにか乗り越えて来れた自分を思い出し、ゆっくりと気持ちを奮い立たせています。考えても仕方がない事、頑張ってもどうしようもない事は、時の流れに身を任すのが一番の防衛対策・・・。自分の心の守り方だと思います。
2012年05月22日
コメント(11)
白柴さくらの老犬介護も8ヶ月が過ぎました。体重は元気だった頃の半分になり、細くなった脚は立つ事も出来ず、歩く事も出来なくなりました。寝たきりの日々ですが、紙オムツをする事もなく、介助されて排泄をし、介助されて食事もしています。夜中の2時半頃から明け方の4時過ぎまで意味もなく吠えるようになりました。その為に飼い主の就寝時間は明け方の5時頃になりました。用事があって出掛ける時は殆ど徹夜状態のまま、頭ボンヤリ、体がふわふわしている状態が当たり前になりました。夜鳴き対策の為に、鎮静剤を与える事は殺す事と同じ、飼い主も覚悟しないと・・・と獣医さんに言われて、覚悟が出来ない飼い主は毎夜夜鳴きに付き合っています。この介護がいつまで続くのだろう?と不安になったり、いつまでも続いて欲しいと願ってみたり、1日があっという間に過ぎて行きます。時間に追われながら、生活にも追われ、老犬介護しながら年を重ねてしまう事に焦りを抱く時もあります。それでもさくらに桜の花を見せる事が出来ました。さくらの目は白内障で見えなくなったので、抱っこして言葉で伝えて上げました。今日の雨は「花散らしの雨」、この時期まで生きていてくれるさくらに感謝です。
2012年04月11日
コメント(4)
昨日の夕方、込み上げて来た痰を出したら紫色の血痰でした。続いて真っ赤な血がゴロゴロと込み上げ、久し振りの喀血にパニックになってしまい、どう対処したらいいのか分からなくなりました。今までに何度も経験していた事なのに、止血剤を飲んでも止まりそうもなかったので、掛かりつけの県立総合病院の救急へ電話しました。電話に出た方から、「何で外来がやっている時間内に来ないの?」と言われ、「急患が優先だから待つ事になるけど、それでもいいですか?」と聞かれました。血が出たのは外来の時間が終ってからの事、そう都合良く喀血する訳もなく、気が引けてしまいました。アルバイトが休みだった娘に車で病院まで送ってもらいました。レントゲンと血液検査、止血剤の点滴を打ってもらい、家に帰ったのは夜の9時過ぎでした。2時間半の留守番の為に紙オムツをさせられた老犬さくらは、部屋の中で暴れた形跡が残っていて、ウ○チが紙オムツから洩れて転がっていました。それを踏んでしまったようで、急遽さくらをシャンプーする事になりました。出掛けた分だけ、さくらの洗い物が増えるのはいつもの事、ドッと疲れが出ました。どんなに頑張っても、月に一度は血痰が出ます。主治医の先生は「血痰ぐらいで・・・」と軽く聞き流しますが、時に喀血する時もあり、当人にとってみれば気が重い現実です。さくらが虹の橋を渡ったら、仕事探しを始めます。でも、こんな私を雇ってくれる企業があるのか、今の私に出来る仕事があるのか、思い悩む時もあります。障害者でもなく、ただの難病患者ですが、将来の事を考えると不安がいっぱいです。若い時に難病になったので、生命保険にも加入出来ませんでした。肺炎や喀血で入院する時は公費扱いではないので、出費が嵩みます。難病自体は症状が落ち着いていますが、26年間に亘る病気の置き土産は、引き続き私の心を後ろ向きにします。何があっても寝込む事もなく、普通に生活していますが、こんな時は心が落ち込みます。どうにかなるさ!ただ淡々と生きればいい!そう思い直して、夜が更けて行きます。愚痴をこぼしてごめんなさい。
2012年01月28日
コメント(6)
白柴さくらは昼夜逆転の生活が続き、就寝時間は夜中の4時頃だったり、明け方の6時頃だったり、あるがままに生きています。穏やかな寝息を立て、時々「生きてるのかなあ?」と心配になり、つんつん突付いて確認します。獣医さん曰く、「それは体が満足している証拠だよ、痛みもなく寝ているからだよ」と教えてくれました。いつか苦しむ事無く、す~っと眠るように虹の橋を渡って行ってくれたなら本望だと思っています。食の悩みも、獣医さんが「これを食べさせてごらん」と手渡してくれたパウダータイプのフードのお陰で、与えた分だけ完食してくれるようになりました。吸収力が落ちているので、痩せてしまった体が太る事はなさそうですが、命を繋ぐ事は可能です。さくらがいなくなっても「ペットロス」にならないように、最期まで介護しようと思い、冬眠中のような毎日が続いています。今年は自治会の評議委員の役員(2年間)が回って来ます。この頃 老犬介護に慣れて来て、「犬の介護」は外に出られない言い訳にはならない事に気付きました。これからはさくらを置いて出掛ける為の対策を考えなければなりません。実家の母の介護が終ったすぐ後から始まった老犬介護、運良く仕事をしていなかったので、そのまま老犬介護生活に突入して今に至ります。けれど老犬を飼っている方の中には、仕事をしている方もいっぱいいると思います。さくらもその方が気楽に介護生活を送れるような気がします。今日は雨、寒い一日でした。
2012年01月20日
コメント(6)
寒中 お見舞い 申し上げます。今年もよろしくお願い致します。すっかりご無沙汰してしまいました。ブログ友の皆様 お変わりはございませんか?この楽天ブログ ふと気が付けば「あしあと機能」が消えてしまい、メッセージ機能もなくなってしまうとの事。慣れるまで時間が掛かりそうです。私は相変わらず、白柴さくら(15歳)の介護に明け暮れております。さくらの体重は6キロになってしまい、栄養価の高いドッグフードを探しては食べさせている状況です。アスファルトの上では全く歩きませんが、部屋の中ではボチボチ歩こうとします。痩せてしまった体は骨っぽく、抱っこするとフニャフニャしています。10日に一度、サプリメントを貰いに動物病院へ行くのですが、獣医さんから「心臓が強い」と褒められます。帰る時には必ず「さくら、頑張るんだよ」と声を掛けてくれます。すっかり昼夜逆転してしまい、夜中も2時間おきに起きるようになりました。せめて春が来るまで、願う事なら4月の桜を共に見る事が出来るよう、一生懸命介護しています。寒い折、風邪を引かないよう ご自愛くださいね。
2012年01月13日
コメント(6)
さくらの誕生日の翌日に届いた「ペットマッサージャー」です。楽天ショップの「ペッツ・マム」様の懸賞に応募して頂いた商品です。くじ運が悪くて、滅多に当たる事などない飼い主ですが、今のさくらに必要だと神様が奇跡を起して下さったのかもしれません。感謝の気持ちでいっぱいです。部屋の中で窓越しに日の光を浴びながら、まどろみながら寝るさくらです。「起きては寝る」を何度も繰り返して、一日が終ります。毎日 歩行訓練を重ねる内に、少しずつですが歩けるようになりました。今ではお尻の辺りに軽く手を添えてあげれば、5メートルほどの距離なら真っ直ぐに歩けるようになりました。体重は減少傾向にありますが、寂しがり屋の飼い主の為に、一生懸命頑張って日々を過ごしています。生きていると いろんな思いに捉われます。出来る事なら順風満帆、光り輝く道を歩いて年を重ねて行くのが理想ですが、現実はそうは行きません。せめて 自分の心が感じ取った悲しみや辛さややるせなさなど、様々な思いを覚えて、人の心の奥深くに寄り添う事が出来る人間になりたいと思うようになりました。哀しみや辛さや寂しさは、経験した者だけが知る思いだからです。老犬さくらを通じて、実家の母にして上げられなかった「介護のやり直し」をしているような毎日です。思春期の頃から漠然と「優しい人になりたい、人の心の傷が分かる人になりたい」と思っていました。きっと 今も今までも、そしてこれからもその為の修行が続いているのかもしれません。結果として、若い時からの願いが叶うなら、それも通らなければならない道なのかもしれません。他愛無い季節の花束の独り言です。
2011年11月05日
コメント(6)
白柴さくら、15歳になりました。血統書がないので、本当の誕生日は不明ですが、獣医さんが11月生まれにしてくれました。脚の筋肉が弱くなり、自力歩行が大変になって来ました。倒れては起きようともがき、飼い主に介助されながら歩く事を続けています。部屋の中にさくらの部屋を作りました。この中でもコテッ!と横に倒れてしまいます。夜中の2度のオシッコタイムは当たり前、倒れた瞬間にオシッコをしてしまうので、1日に何回も洗濯機を回しています。食も細くなり、どうしたら食べてくれるか試行錯誤の毎日です。さくら、15歳のお誕生日 おめでとう♪
2011年11月01日
コメント(10)
毎日が猛スピードで駆け抜けて行きます。さくらの「老犬介護」に時間を費やす日々です。検査や投薬ばかりの動物病院から、自然の形の老化を受け止め、サプリメントのみの病院へ転院しました。足の筋肉は日増しに弱くなり、散歩も家の前の道を介助しながらとぼとぼ歩くだけになりました。体重は7,25キロ・・・食は細くなり、痩せて来ました。今日はさくらをお散歩カートに乗せて、サプリメントを貰うついでに「5種混合ワクチン」を打ってもらいました。獣医さんが「食欲が出る注射」をサービスで打ってくれました。栄養状態が悪いのと、寝ている時間が長いので、床ずれ予防対策も考えています。寝不足が続き、時々ため息が出てしまいますが、飼い主の体調が悪い訳ではありません。たった7キロほどのワンコを介助するだけなのに、肩や腕がパンパンに凝り、介助の為に屈むので腰痛は当たり前、さくらが寝ている間にスーパーへ行き、食事の支度をします。さくらは家の中で何度も転びます。横に倒れたままオシッコをしたり、興奮して動き回った挙句にウ○チを出したりします。部屋のあちこちにペットシーツを敷き、部屋の中はすっかり「さくら仕様」になりました。寒くなって来たせいか、涙もろくなりました。でも泣くと疲れるので泣きません。泣くのもパワーがいるのですね。言葉が見付からないので、とりあえず近況報告です。
2011年10月20日
コメント(6)
台風が通り過ぎてから、一気に秋が来たようです。今日は雨・・・涼しい一日でした。毎度の事ですが、先週から血痰が出始め、止血剤を飲んでどうにか止まりました。気管支拡張症という持病を抱えているので、血痰が出るのは当たり前、特に驚く事ではないですが、時にイライラします。高齢犬のさくらの介護は、腰痛と寝不足のおまけ付きです。脚の筋肉が弱くなり、立とうとしてもこけてしまうさくらを抱き起こし、狭い所に入って抜け出せずにいるさくらを救出し、おトイレが間に合わなくてペットシーツ以外の所で粗相をしてしまうので毎日のようにラグやマットを洗濯しています。超夜型の娘に付き合い、明け方4時半に起きるさくらの介護をしていると、毎日の睡眠時間は2時間ほどです。時々の昼寝が欠かせなくなりました。今はさくらの脚の「床擦れ防止」対策を考えているところです。シニア犬の介護は分らない事だらけです。今までいっぱい癒され、支えてもらったので、これからは老犬さくらにお返しをする番です。一日も早く仕事を探さなければ!と焦る気持ちもあるけれど、「今しなければならない事」を確認しながら生活している今日この頃です。
2011年09月26日
コメント(9)
白柴さくらの体調が悪いです。実家の母の介護が終った次はさくらの介護です。先週の火曜日から震えが止まらなくなりました。ハアハアと息遣いも荒く、涎を垂らしながら震えが始まります。先週から膀胱炎になってしまったのですが、オシッコが出るまでが大変そうで、何時間も出ない時があります。もう14歳8ヶ月の老犬なので何が起きても仕方がないのですが、原因が分かりません。痙攣ではなく震えなので、ステロイドも1週間飲ませても効果なし。獣医さんからは東京の大学病院で検査をしたらどうかと勧められますが、経済的にも余裕がないので断りました。通っている動物病院でも検査や治療費など、わずか10日余りで6万円もかかっています。慢性腎炎の治療を続けて5年の月日が流れようとしています。老化の為に脚の筋肉は弱くなり、起き抜けに立てなくてコロコロ転がってしまいます。目は白内障でぼんやりとしか見えないようで、耳も遠くなりました。人間の老後と同じように見えますが、言葉を話せない分、震えの原因を確定出来ずにいます。体のどこかが痛いのなら、「ここが痛いよ~」と教えてくれるといいのに、小刻みに震えているだけで切なくなります。「シニア犬の24時間介護」は現実にあるのですね。夜中に長い時間震えが続くので慢性的な睡眠不足に拍車をかけ、抱っこするので肩はパンパン、さくらの歩行介助をするので腰痛になり、胸が苦しくなって来ました。いつ震えが起きるか分からないので、スーパーへ行くのもさくらが寝た時、家事もシャワーを浴びるのもさくらの様子を見ながらの生活になりました。まるで赤ちゃんがいるような生活です。長時間の留守番は無理になりました。この夏を乗り越えたら、涼しい秋がやって来たら、さくらの体調も復活するのではと期待しています。
2011年08月24日
コメント(4)
時が流れて行きます。特に可もなく不可もなく、ただ淡々と日めくりカレンダーをめくる毎日です。今年は節電対策で、「緑のカーテン」に挑戦しています。ゴーヤと朝顔の苗の数が少なかったのか、カーテンには程遠い感じがします。残暑厳しい9月頃までには、どうにか形が出来ればいいと思っています。さくらは完全に「昼夜逆転ワンコ」になってしまいました。遅寝早起き、昼間はひたすら寝ています。昨日と今日の明け方、また胃液を吐いたので、また動物病院へ行って来ました。慢性腎炎があるので尿検査も月に1回しています。娘の友達に頼まれて、「厄除けのブレスレット」を作らせて頂きました。私が作るパワーストーンのブレスレットは「お守り」なので、多大な効能を期待する方には向かないような気がします。独学でパワーストーンと関わって来たので、資格や能力、霊感がある訳ではないので、「私には無理かも・・・」と感じた依頼はお断りしています。心を込めて、祈りを込めて作っていますが、時々力尽きてしまった石達もあります。「もう一度」と言われても、作らせて頂く方の「今」が分からないと作る事が出来ません。この「厄除けブレスレット」はその方の「今」が理解出来、どうか穏やかな毎日を送って欲しいとの願いを込めて作りました。一度しかない人生、たとえ明日が見えなくても、今日を明日に繋げる為に生きている事、生き続ける事の大切さを感じる毎日です。
2011年07月28日
コメント(6)
実家の母が亡くなってから時は流れ、今までと同じ日常が戻って来ました。母の事は享年90歳という高齢だったので、母の寿命だったのだと思えるようになりました。数年前からの母の口癖は「生きて行くのは大変」でした。病院の先生が母の病状を説明する時、「枯れて行く」「燃え尽きる」という言葉を何度も使っていました。一生懸命人生を全うして燃え尽きたのだと思います。ふとした瞬間に母の事が思い出され、胸がキュンとなる事はありますが、そろそろ復活せねばと思っています。白柴さくらも元気ですが、先週末から吐き気が治まらず、病院で点滴治療をしたり、検査が続きました。この子も14歳6ヶ月の高齢犬なので、シニア街道まっしぐらの日々を送っています。とりあえず近況報告です。
2011年06月08日
コメント(8)
5月15日の夜に実家の母が亡くなりました。89歳でした。先週の火曜日に痙攣を起こし、救急車で運ばれ、意識が戻る事もないまま急逝しました。「肺炎」と「心不全」を併発していました。枯れて行くように燃え尽きてしまいました。孤独感が強くなり、寂しさだけが私の心を駆け巡ります。乗り越える事が出来るのか・・・今は自信がない私です。
2011年05月16日
コメント(5)
この頃 夜空を見上げる日が増えました。節電の為に門灯が消えた町(計画停電の地域ではないのですが、節電が当たり前になりました)、漆黒の世界が広がると思っていたのですが、夜空を白い雲が覆い尽くし、仄かに空が明るく感じます。昨夜は夜空に星が見えたのですが、今夜は曇り空です。桜の花が咲き、いつもならその美しさに心惹かれる季節ですが、今年は満開の桜の花が寂しく感じられます。毎日 家の中の家具の固定などの地震対策に時間を割いていますが、まるで大掃除をしているようで、今まで片付けをサボって来た付けが一気に回って来ました。ホームセンターで釘や板、L字型の金具やツッパリ棒など、思いつくままに買って来ました。何をやっても大地震が来て、大津波が発生したら無駄かもしれないと思いつつ、やらないと落ち着かない毎日です。ふとご近所の方を見ると、不安を口にする事もなく、普通に暮らしています。避難する時、老犬のさくらは連れて行けるだろうか?回りに高い建物がないので、とりあえず避難場所になってる近くの中学校に行けばいいのか?とか、不安がいっぱいで考えてばかりの自分が恥ずかしくなりました。いざという時の避難用リュックに必要な物を入れると、結構重いです。脚の筋肉が弱り、走る事が出来ないさくら(約10キロ)を抱っこして、走って逃げるのは無理。今年の桜、薄桃色の花びらが川面に流れて行きます。強い風が吹く日は苦手になりました。
2011年04月10日
コメント(6)
昨日から冷たい雨が降り続き、ようやく雨が上がったと思うと曇り空・・・テレビ画面から伝えられる東北地方の大津波や原発の被害に遭われている方達の「涙雨」のような気がします。自然災害のあまりの非情さに、テレビを観る度に言葉を失い、胸が悲しみでいっぱいになります。娘はmixiニュースを見ては、新しい情報を教えてくれます。いつか必ずやって来ると言われる東海沖地震への恐怖が植え付けられ、大津波への見直しが今は出来ないと言い切る行政の姿に、個人個人で対応するしかない不安を感じています。でも今はこちらよりも、この寒空の下で避難生活をされている東北地方の方々の苦労を思うと、出来る範囲での地震対策を心掛け、普通に生活しなければと思います。昨日は個人病院の皮膚科の診療日でした。バスとJRと徒歩で一時間ほどの道のりを、いろんな事を考えながら行って来ました。内科もあるので、ついでに胸のレントゲンを撮ってもらい、この血痰は肺の悪化ではなくて、いつものように気管支が拡張しただけと分かりホッとしました。血痰が出て当たり前の病気なので、こればかりは慣れる事しかないですね。季節の変わり目、一雨ごとに暖かくなるとはいえ、体調を壊しやすい時期です。ご自愛くださいね。
2011年03月23日
コメント(4)
今回の東北地方太平洋沖地震で犠牲になられた方々と被害にあわれた方々にお悔やみとお見舞い申し上げます。近くの公園の白モクレンの花が咲きました。毎年 春になると咲くモクレン、去年も一昨年もこの花を同じ場所で撮りました。この当たり前の事がとても大事な事だったのだと、改めて気付きました。大地震が起きてから、娘はとても不安定な状態が続いています。この静岡に東海沖地震が起き、大津波が襲ったら助からないとの思いが不安を呼び起こし、その恐怖に怯えるようになりました。いくつもの言葉を重ねても、その不安を取り除くのはとても困難な事です。娘の苛立ちと言動に私の心もブルーになりそうなほどです。今、娘から伝わって来るのは「生きたい!」という強い思いです。今まで何の為に生きているのか?生きる価値などないのでは?そんな思いに捉われていた娘なので、必要以上に不安に怯える娘の姿から、「生きたいという思い」を見出せた事は思い掛けない現実でした。この家は大地震に耐えられるのか?津波が来たらどうやって逃げるのか?等など、「大丈夫!」と自信を持って答えられない私を日々責めて来ます。出来る範囲で防災対策は心掛け、日頃から非常食や水も備蓄してあったので、買い溜めに走る事もありません。それでも完璧とは言い切れない我が家ですが、「命さえあればどうにかなるから」と娘に伝えてあります。私はこの頃、また血痰が出始めていますが、こんな日常にもすっかり慣れてしまい、止血剤を飲んで大人しくしています。今はただ 寒さの中で震災に遭われた東北地方の方々の心労を思い、ひたすら心が痛みます。加えて原発被害で、故郷を遠く離れて避難を余儀された方達の不安を思うと、心休まる日々がやって来る事を祈っています。
2011年03月20日
コメント(5)
白柴さくら 14歳のおばあちゃんワンコです。夜中にムクッと起き出して、グルグル回って動きます。認知症?だとしたら・・・「とうとう出たか?」という感じ。柴犬は長生きする分、認知症になる子が多いそうです。おトイレもペットシーツが敷き詰めてある場所で、うまく出来る時もあれば、出来ない時もあり、毎日のようにオシッコをした敷物を洗っています。 夜中に起きるから、昼間は大人しく寝ています。お留守番をさせる時には都合がいいけど、完全に「昼夜逆転」ワンコになってしまいました。部屋の隅っこが落ち着くようで、外出から戻って来ると、「さくらはどこ?」と探してしまいます。今まで私の睡眠不足の原因は超夜型人間の娘でしたが、それに白柴さくらも加わりました。睡眠不足の毎日ですが、私の体調は意外といいです。気力・体力共に自信がないのは、持病のせいではなくて、多分加齢の為ですね。若い頃と違い、シャカシャカと動くと息切れがするようになり、すぐ目の前にバスや電車が発車寸前で止まっていても、走って乗る事もなくなりました。50代ではシニア世代とは言えないけれど、並んで歩くと「歩くの速過ぎ!」と注意される事もなく、逆に相手の歩く速度に付いて行けなくなりました。このままボランティアで、患者会の事務仕事をしていていいのだろうか?と思い悩む時もあります。いつか いつか背中に羽根を着け、青い空に向かって飛び立たねば!と思っていながら・・・「不器用な性格なので、あれもこれも出来ません」と高倉 健さんのような事を言ってる私です。(若い頃、寡黙で存在感がある高倉 健さんが好きでした♪)
2011年03月03日
コメント(8)
昨日から雨が降り続いています。リビングのカーテンレールには、乾き切れない洗濯物がぶら下がっています。お天気になると「花粉」が飛びます。一雨ごとに暖かくなり、春はすぐそこまでやって来ているようです。 いろんな事があり、いろんな事を思う毎日ですが・・・「なるようにしかならない」「何とかなるさ」「しょうがない事はあるもんだ」そう思う事で、平常心や穏やかな心を保つ事が出来ます。テンプレートの「果報は寝て待て」のような感じで焦らず、高望みせず、今を感謝して生きる事が出来たなら今より悪い事は起こらないと思う今日この頃です。
2011年03月01日
コメント(4)
2月18日の満月です。この日、私は○○歳の誕生日を迎えました。この日は回りに支えられて生きている事への感謝を込めて、姉達に「ありがとう」のメールを送りました。「生き長らえる」=「寿命」だと私は思います。夜になって、雨が降って来ました。対人関係がうまく行かない娘、アルバイトを見付けて来ては心が落ちて悪態をつきます。「辞めたい」「辞めればいいじゃん」の会話の繰り返し。それでも10日続きました。「仕事をしていない」事に落ち込み、「仕事をしている」時も落ち込み、自分探しの旅は果てしなく続いています。
2011年02月23日
コメント(6)
白柴さくらは狭いところに入り込むのが好きなようです。これも犬の認知症のひとつの症状だそうです。 「行き倒れ?」のような格好で、寝ている事が多くなりました。先月の娘のインフルエンザに引き続き、今度は息子が同じインフルエンザのA型に罹りました。ひとり暮らしをしている息子は喘息持ち、「こっちへ帰って来たら?」と声を掛けたら、素直に戻って来ました。久し振りに3人と犬1匹の生活をしています。さくらも嬉しそうです。 ご近所の方から頂いた「金のなる木」が成長し、植木鉢にひびが入りました。 一昨日、やっと大き目の鉢に植え替える事が出来ました。「人の振り見て我が振り直せ」という諺がありますが、プライベートな事が原因で、友の会を抜けていく方がいました。その方が会長と揉める度に、「会を退く」という言葉を何度も使っていました。会とプライベートの問題は別だと、その都度周りが庇って来ましたが、それも限界。「生活を正す」という事は、「人に迷惑を掛けない事」と同じです。それはとても難しい事のように思われるけれど、普通に生きていれば良いだけの事。将来の事ばかり考えて、不安になるのはもう止めようと思いました。「今を大事に」生きて行く事にします。
2011年02月13日
コメント(8)
私生活では子供達の事で思い悩む事もありボランティアの友の会の活動では、これまた考えさせられる事があり生きているといろんな事が起こるなあ・・・と今更ながらに思う日々が続いています。何を思うにも 独りよがりではいけない。自己満足であってはならない。いろんな事を思わせてくれる出来事が多々あります。実家の母は88歳、どう考えてもこの先10年も生きられる訳もなく、今出来る事をやって上げなければと思っています。14歳の白柴さくら、この子も同じ、虹の橋を渡るその日まで大事にしようと思います。昔から謝り癖のある私、議論するのも面倒で、謝ってしまった方が気が楽と思う自分がいました。それは相手の思う壺・・・気が付けば上下関係が出来上がり、その人のストレス解消(?)のターゲットになっているのだと忠告されました。毅然とした態度で突っぱねる事とアドバイスをされ、自分の甘さを痛感しました。そっか、そうなんだ、謝り過ぎるとマイナスになる事もあるのだと、分かっていたはずなのに繰り返してしまいます。今日は久し振りに実家の父のお墓参りに行って来ました。心が一瞬でも晴れたような気がしました。
2011年02月09日
コメント(6)
先週よりも寒さが緩くなると言っても、やっぱり寒いです。暖を取るのはエアコンとホットカーペットのみの我が家は、電気代が嵩んでいます。14歳の白柴さくら、柴犬特有の「長生きだけど認知症になりやすい」という犬種そのままに、老化と共に足の筋肉が弱り、夜中にムクッと起きてグルグル回る毎日が続いています。人間で言ったら、「要支援2」ぐらいでしょうか。先週の土曜日に持病の友の会の交流会も無事に終わり、ホッとしています。そんな気持ちの隙間に渇を入れるかのように、月曜日と火曜日の夜は、息子と娘が私の心に爆弾を落としてくれました。数年前から一人暮らしをしている息子、働いても安月給は変わらず、時折私の財布からお札が羽が生えたように飛んで行きます。これは本当の意味の自立ではないと、「ちゃんと生活出来ないなら戻って来い!」と怒ってしまいました。昨夜は娘がまたまた夜中に文句タラタラ、いきなり怒鳴り始め、寝ようとすると捨て台詞を連発します。「どうして寝かせてくれないの!」と私の頭もヒートアップ。連日寝不足の頭では、娘に優しい言葉を掛ける余裕も薄れて行きます。やっと娘の機嫌(?)が治ったところで、寝ようとしても眠れません。(夜中の2時過ぎになりました)娘が心療内科で処方された薬が溜まっています。頓服と就寝前の薬を私も試しに飲んでみる事にしました。←娘の許可を取りました。今朝、起きようとしても起きられず、頭が重く、足はふらつき、息苦しくなって来ました。さくらが吐く胃液をペットシーツに受け止めるのだけはどうにか出来ましたが、何年ぶりかの午前10時過ぎの起床です。娘は心療内科の薬を飲むと同じような症状が出ます。私はこれを「娘の体質から来るもの」と思っていました。飲むと車の運転が出来ないからと、薬が溜まってしまうのです。「これでも先生に話して弱くしてもらった」はずですが、これでは日常生活さえも出来なくなってしまいます。もう一度 薬を変えて欲しいと先生に言うようにと娘に話しました。ひょんな事から娘の薬の効果を試してしまった私ですが、これで娘の「人とのコミュニケーションがうまく取れない」悩みが解決するのかと不安になりました。「娘が何かを始めた時、第3者に危害を加えたくなったらすぐに辞めるように」・・・これは主治医の先生から言われている言葉です。第3者は母親の事、娘は自分がやっている事はDVと同じだと気付いています。それを認識出来ている内は、まだいいのかなあと思っている私です。明日は穏やかな日でありますように・・・。
2011年02月02日
コメント(4)
娘と話していると、いつの間にか強い口調になってしまいます。娘は怒っている訳ではないというのですが、言い方が強いのです。「もっと優しく、穏やかな言い方をするようにしよう」と思いながら、分かってもらいたいと思う気持ちが前に出て、諭すよりも決め付け口調になってしまう私です。「あらあら、また〇〇さんちで親子喧嘩が始まっているわ」とご近所に思われているかもしれません。←気にしない事にします。用事があって出掛けても、娘が起きる時間までには帰るようにしています。←お昼過ぎなので余裕があります。そして娘の朝食兼昼食の支度をし、起きてもまだリビングで寝ている娘に「ご飯が出来たから食べてね」と声を掛けます。それでも仕方なく帰りが遅くなる時は、出先と帰宅時間を書いたメモを残し、食事の支度をしてから出掛けます。←娘がうるさいのです。昨日のお夕飯はハンバーグ、ひき肉をこねている横で「煮込みハンバーグじゃないんだね」の一言が聞こえました。リクエストに応えようとカットトマトの缶詰を開けて作りました。でも味のほうはイマイチだったようで「残念だね」の言葉。ちょっとカチンと来ました。←私的には美味でした。お味噌汁のお味噌の味が気に入らない娘、食べるたびに「もっと美味しいお味噌にして欲しい」と言います。このお味噌を使い切るまでは頑として変えるつもりはありません。←「はいはい、その内にね」洗濯物の干し方(ハンガーの肩の部分)にクレームを付けられる事はしばしば。肩の跡が残らないハンガーを買ったのにOKが出ないので、「自分でやったら」と言ってしまいます。でも娘が洗濯すると、太陽を浴びる事無く、一晩中洗濯物をベランダに干したままになってしまうのです。タバコも焼酎もやめられません。そう、一部オヤジ化している娘なのです。きっと きっと 私が「待てない」事が悪かったのだと思います。時間に追われた生活をしていた時、一番必要だった「待つ」という事。白柴ワンコ さくらには「待て」を教えたのに、自分が出来なかった「待て」。待つ事にします。いろんな意味で!
2011年01月26日
コメント(6)
今日、ちょっと体調が悪かったので、3年振りにある病院へ行きました。検査結果は1週間後です。帰りに実家や難病連に立ち寄り、自転車の後ろの籠にいろいろ買った物を積んでいました。いつもは売り切れで、滅多に買えない大福を売ってるお店で、最後に残っていた大福5個と芋けんぴを買いました。800円のお買い物です。家に帰ったら大福を食べるのを楽しみに、でこぼこ道を家路に向かって走って行きました。スーパーで買い物を済ませた時、大福等を入れた袋が見当たらない事に気付きました。そう、多分落としたのです。通って来た道を戻りましたが形跡はなし、ガッカリです。あのでこぼこ歩道が続く道、自転車の籠の中で飛び出しそうになるのもしばしば。もっと大事な物を落とした訳じゃないからと諦めながらも、食べ損ねた大福に未練が残る夜でした。
2011年01月24日
コメント(4)
日曜日から熱が出始め、娘はインフルエンザA型に罹りました。普段から体力と抵抗力がない娘なので、巷で流行すると真っ先に罹ってしまいます。ちなみにインフルエンザワクチンを昨年接種済みです。熱は39度以上になり、体の関節が痛み、咳がひどい状態です。タミフルを飲んで熱は下がりましたが、咳と頭痛が抜けません。心優しい母親は、病気の時はもっと優しく接します←ホントです。咳がひどいのに、私と一緒にリビングに居たがる娘、「移るから自分の部屋で寝たら・・・」とも言えず、食欲旺盛で抵抗力に自信が付いて来た私は、マスクをして、インフルエンザ菌を跳ね除けています←バッサバッサと!いろんな事がありますが、以前働いていた職場の方が首になったと電話がありました。経営が大変なのか、パートは毎年1年契約を交わす事になったそうです。私より8歳年上の彼女は、「あんたはヘルパーに向いていないから辞めて欲しい」と社長との面談で通告されたそうです。う~ん、世の中厳しいですね。私も辞めずにいたら、今頃はいの一番にリストラ対象になっていたかもしれません。早めに自己都合で辞めて良かったと、今になって思えるようになりました。次の職場が決まったという彼女に、励ましの言葉を言って電話を切りました。
2011年01月19日
コメント(6)
昨日 我が家は恒例の「娘とのミニバトル」が勃発しました。適当に相槌を打ち、それでも真剣に私なりの意見を述べ・・・←心と愛を込めてです!その言葉が気に入らなかったようで、ネチネチグジュグジュと娘の口から、投げやり&マイナスオーラ全開の言葉が飛び出します。←何時間も掛けてです。私、ふと思いました。この年になり、いつまでも娘の事で嘆いていたり、眉間に皺を寄せて憂いているのは良くない!勝手にどうぞ!自分の事は自分で決めればいい!そう突き放しました。夜中に頭を冷やして来ると車で飛び出した娘を「どうぞどうぞ」と見送り、大事に隠しておいた眠剤を飲んで熟睡しました。久し振りに朝までぐっすり寝ました。←目覚めた時は爽快気分!さくらが明け方おトイレに直行する姿が目に入りました。「大丈夫、さくらはちゃんとペットシーツにしてくれる」とまた目を閉じました。今朝のさくらは粗相をする事もなく、洗面所のおトイレで用を足す事が出来ました。←賢い老犬ですね。娘は今日も半ばふてくされ、昼食兼朝ご飯も食べずに、灰皿からはタバコが溢れていました。私は姉に誘われ、昼食に美味しいお蕎麦を食べに行きました。一度しかない人生、娘に振り回され、心が暗くなるなんてもう真っ平御免なすって!の心境です。夕方、心療内科から帰って来た娘、先生が「お母さんの言う事の方が正しい」と言ったそうで、お友達とお夕飯を食べるからと出掛けて行きました。ケッ、結局はまた自分の思い通りにしたじゃないの!←私の心の声です。同じ事を言っているのに、母親には反発し、友達や心療内科の先生の言葉は素直に聞く事が出来るから不思議です。
2011年01月12日
コメント(2)
一昨年の夏から11ヶ月間、私はデイサービスのヘルパーとして働かせて頂きました。退職する前の5ヶ月間は事務の仕事をしていました。この頃 落ち着いて考えると、いろんな思いが巡って来ます。時々血痰&喀血するという気管支拡張症という持病の為に、「入浴介助」を抜きにして雇ってもらいました。時間も1日5時間という短時間のパートでした。ヘルパーとして働く内に、入浴介助も出来ない、午後のレクをする前に帰ってしまう中途半端な自分が情けなく、ヘルパーとして役に立っていないのでは?と悩むようになりました。午後の仕事を覚えたいからと、時々はボランティアで時間延長して働く自分がいました。でも、やっぱり「使えないヘルパー」だったのだと思います。人員整理をする時に、社長の計らいで「事務」へ回されました。事務は3人のスタッフで間に合っているので、私に回す仕事はないからと、1日3時間の勤務時間と言われました。そこを何とか頼み込み、週に20時間働かせてもらう事になりました。事務の経験などない私、PCの資格があっても使いこなす能力もなく、ペーパードライバーなので買出しにも行けません。いろいろな事があり、「何で〇〇さんが事務に来たのか未だに分からない」と言われた時、自分が「使えない事務員」だという事を痛感しました。「難病支援制度」に甘えていた自分がいたのだと思います。1階の認知症デイサービスの異動を勧められましたが、体調の事を考えたら無理だと断りました。この時から、「自分の労働はお金に換算出来る価値などない」と思うようになりました。ボランティアならOKだけど、「お給料に値するほどのものではない」と自己評価が低くなりました。今でもその思いは消えないままです。だからでしょうか?雇ってくれた会社には、とても感謝しているんですよ。全く「使えない奴」だった私を、11ヶ月間も雇ってくれた事に、今更ながらに「ありがとう」という思いが強いです。「誰かの為に生きる事」私に残された最後の道のような気がしています。
2011年01月11日
コメント(2)
生まれ変わったら・・・という思い。人は生まれ変わる事も出来ないし、時間を戻してやり直す事も出来ません。それでも、「生まれ変わったら」と過去を後悔する思いは大事だと思います。私にもいっぱいいっぱい、人生をやり直したい瞬間があります。過ぎ去った場面でも選択ミスに始まり、自分が起こした行動など、年を取れば取るほど、「もしもあの時こうしていれば・・・」の数は増えて行きます。先日 娘が淡々と語っていました。「生まれ変わったら、高校をちゃんと卒業して普通の仕事に就きたい。」私は長い年月、娘がこの思いに気付いてくれる事をずっと待っていました。ホントは、もっと以前から気付いていたはずですが、それを認めてしまうのが怖かったのだと思います。今までの自分の人生を否定してしまう事・・・。でもね、これは否定ではなくて、気付きは再生に繋がると思うのです。人は好き好んで辛い結末が待ち受ける道を選んでいる訳ではないのです。その時の自分は、その道を通らなければならなかった強い思いがあったのです。「仕方がなかった事」だと思うのです。気付いてしまった後は、今の自分に出来る生き方を探せばいいのだと思います。何をやってもダメというのは、いろんな事にチャレンジした証拠、とっても柔軟な生き方が出来る人間だと思うのです。ひとつの事を続ける事も偉いけれど、どうしても続けられない事情があれば「執着」は不要です。娘が今までやって来た事は、どれもこれも無駄な事等ひとつもなくて、今に繋がる為の通らなければならなかった道です。今まで「後悔」よりも「居直り」が強かったり、人のせいにして来たような感があった娘です。相変わらず 私に八つ当たりしたり、思い通りにならない苛立ちをぶつけて来ますが、素直に言葉に出来た娘がいじらしく思えました。きっと自分の中にも「同じ思い」があるから、娘の気持ちを少しでも受け止める事が出来るのかもしれません。ゆるい感じで生きている母親ですが、こういう娘には丁度いいのかもしれません。
2011年01月11日
コメント(0)
白柴さくらはシニア犬なので、一日の大半を寝て過ごしています。食べて、散歩して、また寝ます。夜中に必ず起きて、クルクル回ったり、おトイレに行ったりします。私はムクッと起き出して、夜中でも明け方でも、さくらの後を追います。時におトイレではない床の上で粗相をしても、文句も言わずに拭き掃除をします。昨日、朝2回ほど吐いたので、いつもの尿検査をしてもらうついでに、動物病院でいろんな検査を勧められました。聞けば3万円もするとの事・・・即答出来ず、悩んだ末にお願いする事にしました。検査結果は腎盂炎の再発と、その治療の為の薬代を含めて、3万5千円掛かりました。つましく生活しているのに、さくらに掛かる病院代は時に跳ね上がってしまう事もあり、食費節約の宣言を娘にしました。14歳のさくらに関しては、睡眠を妨げられても、治療費が高くても、ただ寝ているだけでも、当たり前の事として受け止める事が出来るのにどうしてでしょう?娘の事になると溜息が出てしまうのです。夜中に起きている娘は、昼過ぎに起床。朝食兼昼食を食べた後はシャワーを浴びます。その後、長い時間を掛けて化粧をし、タバコを一服、お気に入りのビデオ鑑賞をします。出掛けたい時は夕方にならないと支度が出来ません。お夕飯を食べた後は一眠り、目覚めた後は夜中まで起きて、女友達と長電話をしたり、お酒を飲んだりしているようです。リビングから自分の部屋へ戻る時には、律儀に「おやすみなさい」と私に声を掛けてくれます。その時間が夜中の2時過ぎだったりします。何が言いたいのか自分でも分かりませんが、生きてるだけで丸儲けだと思いながら、さくらと同じような生活をしている娘に、「このままでいいのかあ~」と渇を入れたくなって来るのです。ダメですねえ。実家の母の介護と友の会の雑用、さくらの世話と家事で手一杯の私は、娘に「生き甲斐のようなもの」を見つけて欲しくて焦り始めています。働いてお金を稼ぐのも大事ですが、娘が夢中になれるもの、趣味でも何でもいいのです。何もしない時間が勿体無いと思ってくれるのを待っています。何もしない時間も必要だと分かっていながら・・・。
2011年01月09日
コメント(2)
今日は1月6日、新年のご挨拶を忘れておりました。明けまして おめでとうございます。今年もよろしくお願い致します。今は仕事もしていないので毎日が日曜日のような感覚ですが、白柴さくらがいるので、規則正しい生活をしております。超夜型人間の娘と、認知症を発症した?さくらに付き合い、相変わらず夜中に就寝の日々ですが、年のせいか短時間の眠りでも平気になって来ました。暖かで穏やかなお正月三が日も過ぎ、昨日は総合病院の呼吸器外来へ行って来ました。肺のCTを撮ってもらい、主治医の先生と「これからの治療方針」について話しました。長く呼吸器の慢性疾患を抱えていると、いずれ通らなければならない道はある訳で、その日が出来るだけ遠い事を祈る事にしました。見掛けは元気いっぱいで、まだまだ若く見えるので(←オイオイ)、今年もマイペースで頑張る事にします。今日もお昼過ぎに起きて来た娘と、恒例のバトルが繰り広げられました。言いたい放題はお互い様という事で、なかった事にしましょう。ふう~(ため息ですよ~)。いろんな事があるから人生は面白い。何もなかったら、きっと物足りなくて、当たり前の幸せに気付けなかったかも。人生は修行の連続、悲しい事も辛い事も、生きているから味わえる。今年もいっぱい呟きます。
2011年01月06日
コメント(4)
いろいろあった2010年が終ろうとしています。片付け下手と捨てられない性格が災いして、大掃除はまだ続いています。まるでパズルのような片付け方式なので、スッキリした部分と、ドカンと物が集まった部分・・・何のこっちゃ?というような感じです。今年1年 支えて下さったブログ友の皆様 ありがとうございました。そして いつも足跡を残してくださった方、本当にありがとうございます。愚痴満載の、決して前向きではない日記を読んで下さった方々、心より感謝致します。自分の限界を知った一年でした。来年は小さな一歩を、ほんの少しの勇気を持って、微々たる成長を綴る事が出来たらと思っております。来年もよろしくお願いします。良いお年をお迎えくださいね。
2010年12月31日
コメント(4)
娘のお友達、10歳年上の女性が亡くなりました。以前同じ職場で働き、先輩のように慕っていた方です。同棲していた彼氏の家で首吊り自殺をしました。たったひとつの愛よりも、複数の愛を求めて、いつも彷徨っていました。ご両親から溢れるほどの愛情を注がれ、自由気ままに年を重ねていたはずなのに、思いのままにならない「愛」の為に心を壊していました。心療内科に行く事を娘が勧めると、「そこまで落ちたくない」と内科で薬をもらっていました。昨日、彼女が自殺した事を知らされた娘は、その身勝手さに憤りを感じながらも、お友達がひとり減ってしまった事に涙を流していました。先日 一緒にカラオケに行った時、とても元気で、また一緒に行こうと約束したばかりだったそうです。昨日の診察で、心療内科の先生は「どんなに引き止めても死ぬ時は死んでしまうもの」と娘を諭し、娘に寝逃げを勧めてくれました。娘は「生きている意味って何だろう?私は生きてる価値ってあるのかなあ?」と気持ちは一気に下降線・・・。生きる事に意味なんて必要ですか?生きてる価値は誰が決めるのですか?他人に迷惑を掛けなければ、ただ淡々と生き続ければいいと私は思います。生き続ける中で、悩み惑う私達が闘っているのは「世間」という目です。人からどう見られているか?人は自分をどう評価しているか?どれもこれも自分の思い込み・・・。生きていればいいよ、ただ淡々と生きていればいい。「お母さんがいなくなったら生きて行けない」と娘が言うなら、私は一日も長く、愛犬のさくらと共に生き続けるから・・・。ほんの小さな幸せを感じる瞬間を、いっぱいいっぱい積み重ねればいい。「生きている事」を難しく考えないで・・・。遺書も残さず、突然黄泉の国へと旅立って行ったMさん、生きているだけで親孝行だったのに・・・。あの世から、いろんな方達からの「愛」を受け止めていますか?どんなにあなたがご両親から愛されていたか・・・子供に先立たれる悲しみを、子を持つ親として心の痛みとして伝わって来ます。遠くからご冥福をお祈り致します。
2010年12月21日
コメント(6)
ブログ友のかのこさんからプレゼントが届きました。可愛いニャン子の小皿です。早速我が家の「開運コーナー」に仲間入りです。水晶のさざれ石を入れて浄化用のお皿にします。かのこさん、ありがとう。家にいるようになると、誰かからプレゼントを頂く機会など滅多にないので、サプライズのプレゼントはとっても嬉しいです。娘は2日バイトを休んだ翌日、店長さんに「皆とコミュニケーションがうまく取れない」と話して辞めて来ました。そして今は何事もなかったように落ち着いています。娘は私が作ったパワーストーンのブレスレットを3個、いつも腕にはめています。私に悪態つくなら身に付けなければいいのに・・・と思うのですが。今回、このブレスレットの事でも「人間関係の石が入っていない」と文句タラタラ。「悪縁を絶つ」事ばかり願う親心が強過ぎて、娘に言われるまで気付きませんでした。人間関係の石を使っても、身に付ける人の「心癖」が大事だと思うのですが、私の心がピュアになったら娘の為に作ってみる事にします。木枯らしが吹いた日の事、友の会の事務を片付けた後、バス停で拾った落ち葉です。思わず「乙女か!」と突っ込みたくなりますが、このひとひらの落ち葉に、冷たい風の中で思い悩みながらも生きていくしかない現実を受け止めて佇む自分を重ねてみた私です。
2010年10月31日
コメント(5)
コメントの返事が滞っています。ごめんなさい。優しいコメントに「どこかで繋がっている」ぬくもりを感じて、感謝の気持ちでいっぱいです。必ずお返事します。娘は人生何度目かの鬱モードに突入です。でも心療内科へ行ったら(以前行った事がある病院は、患者数が増え過ぎた事と、受診期間が長く空いた事を理由に診てくれなかったそうです)、そこの病院でも「性格」だと診断されて帰って来ました。職場の人間関係でいつも躓き、相手が言った言葉で心が落ちてしまう。それは心の病気ではなくて、性格だと心療内科の先生は言うのです。いっそ「心の病気」だと結論付けてくれれば、「性格=親の育て方に問題あり」という図式から解き放されるような気がする私がいます。傷が浅いリストカットの跡を見ても、「大き目のバンドエイド」を手渡すだけで特に驚く事もない私ですが、強い思い込みの世界から抜け出せない娘を見ていると、「性格」だけで片付けて欲しくないと思うのです。毎日、夜中の3時頃まで娘の荒れた状態に付き合っています。今夜ぐらいはゆっくり寝たいと、以前呼吸器で処方された眠剤を飲んでうつらうつらと私がしたら、もう大騒ぎです。その眠剤を自分にも寄越せと、娘の我儘が始まります。仕事を辞めてしまえば一件落着するのですが、辞めて家にいても、「働いていない」自分を否定してしまう娘です。病院で処方された安定剤を飲む事で、「こんな薬を飲んでまで仕事に行きたくない!」と言い放ち、「それなら辞めればいい」と結論を出す私との間で、意味のないバトルが夜中中続いています。母親である私が心を壊す事がないように、娘の言動を当たり前の事として受け止めるにはどうしたらいいのでしょうか?心のバリア、もっと補強しなければ!今に始まった事ではないのだから・・・。それでも私は死にたいとは思わない。かつて「心が強過ぎる」と心療内科の先生に太鼓判を押された私だもの。けれど、本音はちょっとシンドイ。いや、めいっぱいシンドイ!
2010年10月23日
コメント(4)
連日 家の片付けをぼちぼちやってます。不思議な事に収拾が付かずに散らかるばかり・・・そう、私は片付けが苦手です。いつか着れるのでは?と思うから、9号サイズの服が捨てられない。体のサイズが中途半端なのです。頑張れば(?)9号でも大丈夫、デザインや生地によっては11号がお似合い。はっきりせい!と言いたいけれど、痩せて見える服にこだわり、チュニックばかりが増えて行きます。思い出に執着しているから捨てられない。昨日、辞めた会社関係のアドレスを携帯から削除しました。戻れない場所、戻らない場所に執着するのはやめようと・・・。娘の心も薄氷を踏む思いです。娘の心の翳りがすっきりと消えた訳でもなく、自分が納得し、これでいいと思えるまでには時間が必要。家の中同様、心の中に風が吹き抜けるようになるまで、片付け下手な私は、ぼちぼちやるしかないのだと思います。う~ん、ロボットが欲しいです。力持ちで、励まし上手。「重たいのはオイラが持ちます。ご主人様は軽い物だけ片付ければいいのです」「オッ、整理整頓がうまく出来ましたね。ご主人様は天才です」レンタルで貸してくれませんかねえ。すべての部屋が納戸状態というのは、異常事態発生なのです。
2010年10月13日
コメント(4)
暑い・・・暑いです。金木犀の花が咲いているのに、まるで真夏のような暑さです。このところ フットワークは軽いけど、実は自転車に乗り過ぎて、足の裏やふくらはぎが痛かったりします。日曜日は難病連の署名活動のボランティアをこなし、今日も難病連で友の会の用事を片付け、その後実家へ立ち寄り、母の雑用をやって来ました。実家の母のお世話は、兄弟5人の当番制にしました。私は火曜日が当番の日です。この曜日は母がデイサービスへ行ってる間に出来るので、結構気が楽です。その代わり、母がデイサービスを休んだ日には、昼食の支度をするというおまけ付きです。娘は少しずつ復活して来ました。同じ様に働いている他の人も、自分と同じ様にコミュニケーションを取るのが苦手な事が分かったり、回りが話し掛けてくれたりした事で、ホントに少しずつ元気になって来ています。妄想や思い込みが不安を呼び起し、相手の性格を間違って捉えてしまう事がないように・・・。同じ事を何度も何度も繰り返し、娘に伝えて行く事の大切さを知りました。自分の事でいっぱいいっぱいだと、娘の心を受け止める余裕がなくて、共にどつぼにはまってしまうけれど・・・。自分の問題はひとまず横に置いたまま、若くて将来がある娘の為に、自分の為に遣う時間や睡眠時間を減らす事など・・・。今 私が出来る事はそれぐらいの事だったのだと気付きました。社会で認められる心地良さは、家の中で誰にも評価されない地味な母親業とは比べられないけれど・・・。神様は必要な場所に、寝不足でも何の支障もない環境を作り上げ、ポンと私を置いて下さっているような気がします。無宗教の私ですが、母のところに顔を出すたび、父の仏壇に手を合わせている今日この頃です。
2010年10月12日
コメント(4)
昨日、さくらの散歩の時に、遊水地でエサを漁るカモを撮りました。このカモさん、いつも一羽でこの場所で魚を待っているのです。このところ、娘が下降線を辿っています。いつもの事ですが、アルバイト先の人間関係がうまく行かないと悩んでいます。眠れない夜が続き、自分は皆から疎まれているのではないか?自分が休みの時に悪口を言われているのではないか?コミュニケーションを上手に取ろうとしても、言葉がうまく出てこない。泣いて 叫んで 物に当たって 暴言を吐いて・・・私は毎晩、娘が起きている間、寝る事が出来ません。夜中の3時過ぎに寝て、朝の7時頃に目覚める日々が続いています。娘の不安を和らげる為に「大丈夫だよ」と何度も 何度も繰り返し「あなたは人に嫌われる子ではないよ」と言い続けます。そして 心が壊れそうになるのなら 仕事を辞めてもいいと・・・。親の力は無力です。一旦 家を出たら 親はもう守ってあげる事は出来ません。心の毒を吐かせる為に ひたすら ひたすら聞き続け受け止める私の心が飽和状態になった時、余計な一言で娘をもっと興奮させ時に親子喧嘩になってしまう時もあるけれど・・・迷いながら生きている私には、娘の心の揺れが当たり前のように感じられ弱さも 惨めさも 情けなさも 自分の心の奥に潜む思いと重ねいつの日か 私のように ほんの少しだけ淡々と生きられる時がやって来ると信じたいのです。
2010年10月09日
コメント(4)
全295件 (295件中 1-50件目)