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2月2日 街はかなり落着いていた。ドカ雪が降ると除雪が間に合わなくて、交通も麻痺し、朝昼かかわらず渋滞するのだが、雪がやむとしばらくは小康状態になる。この日もそんなものだった。相変わらず、体がだるく、喉に何かが引っかかっている感じ。寝不足の身体は「引きずる」という表現そのまんま、鉛のように重い。そしてその鉛は口から耳からありとあらゆる身体の穴から、僕の身体に入り込んで、鈍い味を舌に這わせる。今日も彼女と職場で会わなければならない。好きなのに会いたくない。そんな人間らしい不可思議な気持ち。心地良いものではなく鎖が胸を締め付ける、死にたくなるような日々だった。まだ、振られてから2,3日しか経っていない。そう思うとこれからの長い期間、どうやって心と言う思い通りにならない厄介な物と戦っていこうかと考える。そうこうしているうちに時間が過ぎ、時間が来たら何食わぬ顔で職場にいなければならない。周りには今の食欲と元気の無さは、どうやら風邪で通せそうだった。苦しい一日は早い。従業員のシフト表は僕が作っているのだが、改めて見たら半分くらいは彼女と一緒の休みになっている。全部ではあからさまだし、自分の時間も少し欲しかったからである。僕が休みのときは彼女が早く終るような勤務体制にも誘導していた。そんな操作が今はとてつもなく自分の首を絞める縄となっていた。もう、休みが一緒だろうが何だろうが、彼女がアパートに来ることはない。今までの経験で、ここまではっきり別れ話があって、復活することなどまず無かったし、ありえないと思うからだ。店は5階に位置するが、庭園があって冬は幻想的な雪景色を見せて、お客さんを愉しませる。僕はそんな話を年配女性のお客さんと和やかにするが、実はあまり聞いていなかった。ただ、時間が早く過ぎればいいのに、と思っていただけだった。なんとなく今日の時間は早く過ぎた。夜の引けが早く、彼女も9時ごろ帰り、僕もあとの処理をして、9時半過ぎには帰ることができた。いつもならこんなタイミングなら、電話がかかってくるのだが、そんなはずもない。ホテルの駐車場から車を出し、アパートに帰る前にコンビニに寄る。カップラーメンとヨーグルトやらペットボトルのお茶やらを買い込む。丸一日、ほとんど食べていないのでさすがに空腹を覚えた。弁当よりは汁気の多い物が食べたかった。アパートにはガスコンロがなくて、お湯を沸かすだけなのでカセットコンロがあっただけだった。もしかして、とも思ったが、先に食糧を買って帰ったということは、心のどこかで諦めていたのだろう。彼女の車は停まっているわけがなかった。自分の車を停めて、3階建てでエレベーターがないので、階段を上ろうとする。上り際すぐに、12個の鈍い銀色のポストがあり、どきどきしながら自分の場所を開ける。相変わらず、ダイレクトメールやぎりぎりまで放ったらかしの各種請求書しか入っていない。心を脅かしていたのは、もしかして彼女に預けていたアパートや車の鍵が投げ込まれていないかと思ったからだ。昔、半同棲していた時、別れの言葉の代わりに、管理してもらっていた貯金通帳が入っていた思い出があった。しかし、今はまだ入っていなかった。別れた男のアパートの鍵を持っているってどんな気持ちなんだろう、と思ったが何のことはない、彼女が面倒くさがりだからだ。そんな労力さえ使いたがらない性格だからだ。それにしても新しい彼氏と本格的に付き合うようになったら、それは完全に邪魔になるだろう。その時になったら返すつもりなのだろう。いっそのこと捨ててくれてもいいのだが、その意向が伝わらない限り、普通はそんなことしないだろう。なんとなく鍵が返ってこないうちは、完全に縁が切れたわけではないような気がしていた。それは都合の良い思い込みだったが。階段はいつもより、段差が高く思えたが、それは多分心も身体も重いからだろう。やっとの思いで鍵を開け、上着をベッドに投げ捨て、その横の石油ファンヒーターを点火する。これも、彼女が買ってくれと言ったものだった。部屋にはベッドの頭の上に、エアコンがあった。夏はクーラーとして有効に使われていたが、冬は暖房としてはすぐに暖まらなく、フィルターの掃除もしていないので、途中で休んだりしてうまく暖まらなかった。フィルター掃除をこまめにすれば、よく暖まると思うのだが、男の一人暮らしとしては面倒くさい。彼女が掃除などしてくれれば良いのだが、そういう事はまったくしなかった。僕自身は、石油だと石油を買ったり、入れたり、換気をしたりが億劫なので、本当はエアコンで我慢できたのだが、彼女があまりにも執拗に石油ストーブの購入を促すので、今冬、初めて量販店でそれなりの物を買った。買ったばかりで、振られた。しかし、石油ストーブは買って良かったと思った。さすがに点火も暖まるスピードも早い。僕はフローリングの足場を整理してから、ストーブの前に座り込んだ。焼けるような温風が、冷えた身体を突き刺した。しばらくこのままでいよう。手を伸ばしたところにノートパソコンがあった。ノートパソコンをベッドの上に置いて、電源を入れた。そういえば、振られた日からパソコンを開いてなかった。起動するまで時間がかかる。僕はまたストーブの前で身体を丸めた。
2005.11.29
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もう、この話も、気持ち悪いのでしたくないのですが、あとはおおざっぱにしますね。自分で言うのもなんですが、ホモに好かれる体型や仕草をしていた若いころのような気がします。顔が女系というわけではありません。小学生の頃には近所のおじさんによく裸にされていました。(笑)6年生の頃は、親友にあそこをなめあいっこしようと言われました。中学になったら、よく声をかけられるようになりました。大阪でも、あぶない場所があって、「おいで」って言われました。少々大人になると、ニューハーフさんと少し付き合ったことあります。実際は女性好きなので、もう、遠い過去の話です。
2005.11.27
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続きここまで書いて、BOYS LOVEとはちょっと毛色の違う内容だと気付きましたが、最後まで書ききってしまいます。おじさんに公園につれていかれ、自転車を停めて、3千円もらいました。そしたらおじさんはまず、「あれを見せてくれ」と言いました。本当はもっとどぎついそのものの言い方だったような気がするけど、自主規制で。ぼくはズボンとパンツを足首まで下ろされて、たたされました。そして、おじさんは驚いたことに、しばらく僕のそれをしげしげと眺めていたかと思うと、ぱくっとくわえたのです。僕は体の力が抜けてしまいました。初めてされたフェラがこんな、やせたお茶の水博士みたいなおじさんに・・・なんか、おじさんは歯がないのか。とても微妙な感覚でした。僕も勃起はしていたと思うのですが、精通もすでにありましたが、射精までにはしたりませんでした。肉体的には気持ち良いのですが、精神的にはかなりおぞましい光景です。しかも、そうしてるうちにおじさんの手がお尻にまわり、気がついたら、肛門をもみしだかれていました。その指が中まではいってこようとするのです。「痛い!!」そう叫んで、「映画はもういいから、帰る」と言って、3千円を握り締めて帰りました。もうすこし冷静になっていたら、もう一回風呂に入って綺麗にしてたのでしょうが、僕は動揺していて、気もまわらずに家へ帰りました。3千円の代償が・・・今ならそんなことはないでしょうが、中学生にはでかかった。そんな思いをして、しばらくは違う銭湯に行ってたのですが、落着いた頃、またあの銭湯に行きました。そしたら、またあのおじさんと二人っきりになったのです。おじさんは近づいてきて、今度はダイレクトに僕の物をさわるのです。僕は心のどこかで、またお金くれるかと思ったけど、体が拒否反応をおこしていて、その手を振り解きました。おじさんは、「ちっ」と舌打ちしてでていきました。僕はまたゆっくりと風呂に入って、あがったあと、おそるおそる外にでました。また、おじさんが、待ち構えていたらどうしよう・・・何度か周りを見ても、おじさんはいませんでした。僕はほっとして帰ろうと、自転車に乗ると・・・なんと両方ともパンクさせられていました。それ以来おじさんには会っていません。多分、銭湯を変えたのでしょう。他にもあるけれど、これが一番おぞましい、僕のBOYS LOVEです。
2005.11.26
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続き(この話は小説や漫画のような綺麗な話ではありませんが、怖い現実です)僕は当時、銭湯に行ったら1時間以上入っています。今考えたら、温泉でもないのに、よく間がもったなあと思います。ですので、おじさんが出て行ってから、1時間位かけてゆっくりでました。銭湯へはちゃりんこで来てました。一回、引越ししていて、そこは前住んでいたうちから近い銭湯でした。風呂からあがって、着替えて、サワーを飲んで外に出たら・・・電柱の影にそのおじさんが待っていたのです。「兄ちゃん、風呂長いなぁ・・・」あのおじさんの顔としゃべった内容は20年以上たった今でも脳裏に焼き付いて離れません。「は、はぁ・・・」「なあ、兄ちゃん」「???」「ポルノ映画見に行かんか?」予想外の展開にびっくりしました。近くに映画館がありました、今はシネコンがあって、ポルノ専門のところがあるのでしょうが、(AVがあるからポルノは少なくなってると思います)当時は1件で2スクリーンあって、一つが普通のやつ。しかも2本立てとか3本立てとかで、ひとつがポルノでした。中学生ともなれば性にとても興味がある頃。高校くらいになれば、いろいろできる範囲が広がるのですが(法律上ひろがらないけど)中学だと、エロ本買うのも、ビデオ見るのも大変です。僕はすごく興味をもちました。「お金だしてやるから」しかもただで。おじさんは怪しかったけど、いざとなったら逃げればいいいやと思って、ついていきました。「ちょっとそこの公園行こうや」「えっ?」少し、遠回りしたところに公園がありました。町を流れるどぶ川の上にある公園です。特に寒くはなかった記憶があるので、冬ではなかったんだと思います。薄着だったような気もします。拒否する言葉も見つからず。「3千円やるから」という言葉にも惹かれました。中学生にとっては大金でした。僕はおじさんに暗闇に連れ込まれました。 続く(ここまで書いてつらくなってきた)
2005.11.25
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最近、BOYS LOVEやらの漫画や小説が流行ってるらしい、いや、読む人口が多くなったとか、急に流行ったとかではなく、注目されてるってことかな。男として恥ずかしいけど、文章表現として興味があるので読んでみた。女性が書いているのかな・・・ペンネームは女性っぽいけど、男性が書いてるのかもしれない。でも、表現が男っぽいのと女ぽいのがあっておもしろかったです。女ぽいのはちょっと抽象的です。男の感覚ではない。僕も昔を思い出しました。特に美少年でもないのですが、幼い頃からよくその系に声をかけられました。一線はこえませんでしたけど、危なかったのはけっこうあります。そのエピソードを一つ確か中学2年くらいだったと思います。家はアパート暮らしで風呂がなかったので、近所の銭湯に通っていました。今みたいにスーパー銭湯のようなアミューズメント感はありません。本当に銭湯です。曜日や時間にもよるけれど、いつも来る人は一緒です。知ってる人が銭湯にきたらしゃべるけれど、銭湯で知り合って仲良くなるってことは特にはありません。中学生だからね。9時を過ぎると込むのですが、大体8時半くらいまではすいていました。思春期を迎えた僕は、なるべくすいてる時間に行っていました。一人で貸切なんてこともよくありました。ある日、おじさんと二人っきりになりました。最初はなんとも思っていなかったのですが、次第に行動に不自然さを感じました。よくいるハゲ親父です。いやらしそうなはげ方で、両サイドは残っていました。風呂に入ってる時に一緒に入ってきて、声を掛けてきました。あのシーンは20年経った今でも覚えています。なんか近寄ってきて、「兄ちゃん、ええもんもってるなぁ」と言われました。ええもん?よくわからなくてきょとんとしていると、「これのことやがな」と言って、僕の息子を触り始めたのです。僕も既に毛は生えていました。どうしていいかわからず、笑うしかなくて、てきとうにごまかしながら体を洗いにいきました。おじさんは背中の向うで風呂に入っているはず。っていうか、僕が風呂に入り始めの時で、おじさんは体を洗い終わって出るタイミングだったのでしょう。僕は早くおじさん出て行ってくれと祈りながら体を洗っていました。頭を洗ってた頃、後ろに気配を感じました。感じたと思ったら、左のほっぺたになにか生温かい物を感じました。ピト ピトと音が今でも響きます。頬にあたってるものが何かと見たら、おじさんのあれでした。みょうにピンクでふにゃちんでした。うわっとビックリした瞬間、おじさんは風呂を出て行きました。ほっとしたのですが、悲劇はそれだけでは終らなかったのです。続く
2005.11.23
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まだまだこんなもんじゃないだろうけど、とても寒いです。北海道に来て失敗したのは、車が4駆じゃないこと。ましてや小樽のような坂の街に住んでいます。やばい・・・って感じです。みんな4駆でないとだめだと言ってるのですが、甘かったのでしょうか・・・ブラックアイスバーンと言われてもよくわからないし。小説は今日は休ました、長くなりそうだし、やっぱりスズランが先かなあなんて。道にはまだ雪はありませんが、ちょっと怖いです。
2005.11.22
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北海道に来てから、ネットで田舎暮らしのサイトばかりを見ています。前はあまり思わなかったけど、こっちにきてからとても、ログハウスでの生活に憧れています。広大な土地に木の家。温泉でもあればもう最高の暮らしです。憧れです。「心に花を」7公開します2月1日 仕事をよほど休もうかと思った。女性の副店長がいるが、昨日まで僕が二連休だったので、今日は休みのはず。さすがに代わりに出てくれとは、こんな朝九時には言えない。 店は朝食もやっているが、僕が出るのは11時前。11:30のランチタイムを開けて、途中、クローズタイムがあって、最後お客さんが帰って、売上をしめる。だから、毎朝起きるのは九時頃。店であり、ホテルでもあるが、サラリーマンなので会社と言ってしまう。会社までは車で十分で行ける。 九時に起きたら、風呂にお湯をはるのに三十分、風呂からあがったら、十時過ぎ、身支度を整えて出発する。 それにしても今日は体調が最悪だった。 寝ていない。悔しくて寂しくて。 寝たと思えば、寂しさで目が醒める。涙がぼろぼろこぼれて鼻水をすすりながら、彼女に言った言葉と、今までの出来事を後悔する。 風呂からあがって、脱衣所兼洗面所に備え付けられた鏡の中にいる自分を覗き込んだ。 熱いシャワーを浴びても、ひげを綺麗に剃っても、目の下の隈とはれぼったくなった瞼は元には戻らなかった。 そういえば、ここ一年で十kg以上太っていた。離婚問題が終ってからのストレスの開放と、彼女と付き合ってる間、週五回は夜の十時以降に食事をしていた。しかも肉や中華や揚物ばかり。 精神的にマイナスをかぶった病的な顔と、その太った体がアンバランスさをかもし出している。ここ二日間で、ゼリーとヨーグルト、お茶しか口にしていない。 さすがに少し、空腹感があった。 身支度を整え終わり、リビング兼寝室に戻り、ベッドに腰掛ける。 雪はやんでいて、外からの光がフローリングをてらてらと光らせている。 かなり降っただろう。 駐車場付のマンションだったが、水の出てくる融雪装置はついているが、屋根はついていない。部屋は三階建ての三階にあり、各フロア四部屋ずつ外廊下に向かって並んでいた。 階段を下りると、すぐに自分の車が止まっていて、僕はエンジンをかけて、雪を車から落す。 会社のそばに借りていた駐車場は、ついつい家賃の振込みを忘れてしまって、半年前に契約解除されていた。 それからは、本当はいけないことだけど、ホテルのお客様駐車場に停めていた。 もちろん、不正だ。 駐車料金はホテルの機械を使えば、無料にできる。しかも、駐車場はホテルの持ち物ではなくて市の持ち物だから、その駐車代金はホテルが市に払っている。 これは立派な横領だ。 仕事帰りに彼女と食事をすることがなければ、もう少し遠い、無料の場所に停めて歩いただろうが、特に冬になってからは寒くて、いつも会社の駐車場に停めていた。 今日も何も考えず、車を走らせる。 除雪も間に合っていなく。ほとんど広い国道一直線なのだが、道はかなり悪い。 ラッシュの時間ではないので、まだましだったが、ラッシュ帯ならばかなり混乱していただろう。 とにもかくにも会社につき仕事に入った。 制服に着替え、いろんな従業員に挨拶をして、店に行く。 なるべく調子が悪いことをさとられるようにする。どうせ、しばらくは元気もないし、笑顔も出せないのだ。性格の悪い、風邪をひいたことにしておこうと思った。 案の定、ほとんど女性ばかりの職場でも、心配されたが、その辛さをおして接客をしている。料理のサービスはほとんど和服の女性が行い、僕は玄関で案内をしたり、電話を取ったり、キャッシャーをしたりの作業だ。 店はオーソドックスな和食レストラン。昼は暇のある年配の女性が集まり、夜は個室もあるので、接待に使われることが多い。 なんとかランチタイムを乗り切り、夜に備えた。 夕方になって、彼女が出勤してきた。 僕は案内用の高いデスクに向かって、書き物をしていて、その横を小さな声で「おはようございます」と小さな体が通り過ぎる。 僕は目を伏せたまま、声にならない挨拶をする。 夜のオープン前にはミーティングをみんなでするのだが、僕はなんだか気持ちが悪くなって、裏方の若い男性には、急に上司に呼ばれたと嘘をついて、ミーティングをしておいてくれと言付けて、しばらく身を隠した。 下の階は宴会場になっており、そこのトイレに駆け込み、便器の蓋を閉じたまま、腰掛けた。 力が入らない。 どんな会話をすればいいんだ。 考えれば考えるほど、気分が悪くなっていく。 そう言えば、昼食も摂っていなかった。腹も限界になっている。 今、食事するなら五分くらいでしなければ。 ミーティングするのはあと、五分くらい後だろう。しかしそれが終ったら、まだ夕食を食べてない従業員が食事に来る。もちろん夕方出勤の彼女もだ。 僕はちょっとでも何か食べておこうと思い、一番地下にある従業員食堂に階段で走った。 定食は二種類チョイスで、揚物か焼き魚だったが、揚物は多分、無理だろうと思い、焼き魚にする。 ちゃっちゃと食べるつもりで魚にしてテーブルに座った。 ごはんを口に運ぶ。すこし喉につかえたが、ぐっと飲み込む。青い焼き魚の身をほぐし、合せて飲み込む。 味はなんとなくわかったが、2,3口食べたところで、もうそれ以上入っていかない。頑張ってみるが、無理そうだったので、味噌汁を少し飲んでやめにした。 あとは、頭から低気圧がのしかかっているような気の重さだった。 お客さんも少なかったので九時過ぎには仕事は終った。たった3,4時間だったが、彼女が回りにいる。少しだけ言葉を交わしたような気がしたが、何をしゃべったかよく覚えていない。彼女は仕事と割り切って機械的に。僕も動揺を悟られないように儀礼的にしゃべった。 仕事だから仕方がない。そこには何の思いやりもなかった。 仕事が終ったら、僕は逃げるように帰った。 もしかしたら、彼女から電話がかかってくるかもしれない。 そんな一縷の望み。 あるはずのない希望を抱きしめて、一人暮らしのアパートに帰る。 新築で借りたマンション、場所と広さにしては少し高かった。 ペットの飼えるマンションだからだ。その時は特に意味がなかった。ただ、タイミングの良い、保証人のいらない新築だったから。 12部屋入居していて、ほとんどが水商売系の女性。ミニチュアダックスや雑種、猫まで様々だった。ペットを飼っていないのは僕だけだった。 コンビニで栄養補給のゼリーを買ってマンションに帰り、携帯電話を握り締めたまま、僕は布団に包まった。 この夜もうまく眠ることができなかった。 何度も何度も目が醒めてしまう、地獄の中にいるようだった。 わかってはいたけど、彼女からの電話はなかった。
2005.11.19
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クリスマスムードはどんどん早くなっていて、ハロウィンが終った頃、11月の頭から今ではいろんなところでクリスマスです。北海道には大きなツリーを置いてる所が多く、けっこう楽しめます。今住んでいるアパートは小樽の坂の上にあり、車が2WDなのですが、ちょっと凍っている時は危険。上がらない。スタッドレスが悪いのか、運転が悪いのか。北海道の人に聞きたいです。4WDじゃないと、坂はあがらないのですか?「心に花を」6を公開します。「もしもし」携帯電話の向こう、彼女の口調は一週間前までの会話の導入部分としては、打って変わってテンションの低いものだった。 大抵は彼女から電話がかかってきて、それは僕がカップラーメンを食べていようが、何をしていようがお構いなしなので、自然に待ち構えるようになっていった。電話がかかってきそうなタイミングにはすぐに動けるようにしておく。そして彼女の睡眠導入薬みたいな他愛もない会話が、彼女が眠たくなるまで続けられていたのだが、今、自分から思い切って電話をかけ、いかにも出るのを迷ったような時間、そしてそこから漏れてきた声は、あからさまに僕との会話拒否していた。「何かよう?」「いや、どうしてるなあ、と思って」「何もしてないけど、できるならプライベートではあなたとしゃべりたくないんですけど」 もう、この短い会話だけでさえも心を引きちぎるのに充分だった。 なのに僕はまだ傷つこうとする。わかっているはずなのに、熱湯部分に足を踏み入れる。「やっぱり、好きだからあきらめられないんだけど」「もう、そんな話なら聞きたくない! 切ってもいい?」「ちょっと待って、話くらい聞いてほしい」すぐには切らなかったので、命がつながったように思えた。それは同時に深い沼地のような世界への踏み出した一歩にも思えた。「話きいても、何も起こらないよ。絶対、戻りたくないし、私は進みたいから」何度も、何度も胸はナイフで突き刺される。「そんなに自分に自信はないけれど、本気なんだ。確かにばついちで、世間体も悪い。でも本気で結婚したかったし、結婚したら家建てて、今までの間違っていた人生にけりをつけて、二人で後ろ指刺されないように生きていきたかったんだ」「そんなこと今さら言われても遅いよ」あきれたような口ぶりだった。 僕はどうしてどうにもならないとわかっていながら、いろんな言葉を並べて、買われることのない、小間物屋を広げるのだろう。買われるどころか、売った分、苦しみとなって跳ね返ってくる。「そんなに今の人が好きなの?」言ってはいけないことをリストがあったとしたら、三本の指に入る言葉だろう。「好き」で一回きって「というより、一緒にいたい人です」と続けた。終った恋人同士の冷たさを表すのが、この他人行儀な敬語。僕はなおも続ける。「何をしてる人なの?」「そんな事、関係ないでしょ!」どうしてそんなこと言わなければならないのか、というふうに彼女の口調が強くなった。「そうか…」「そういうところが嫌なの。なんか男らしくなくて」男らしいとは、振られてあっさり引き下がることだろうか?「あぁ…もう死にたい」最低な泣き言を聞こえるように呟いた。とにかく同情ひいてでも戻りたかった。どうしてこんなに戻りたいのだろう?今まで体験してきた恋とは、少し青く、自分にとっては冷めた付き合いだったはずなのに。「そんなこと言うなんて、反則。死なれたら困るけど、だからと言って戻りたくない。死なれたら困るから戻っても、多分、おもしろくない。…そう、最近、付き合っていてもおもしろくなかったもの。だから、もう、無理」「わかったよ」僕はあきらめた。「何がわかったの?」「まあ、急ではないけど、しばらくしたら仕事辞めるよ」「また、そんな事言う…あなたが店辞めたらどうなるの?私の所為で店に迷惑かけてほしくない。店長でしょ! もっと責任感もってよ」「でも一人の人間だから。辞めたい時に辞める。大丈夫、そんなすぐじゃないよ。二ヶ月くらいで後を任せられる人を見つけて…ホテルだから異動すればいいし」「そしてどうするの?」「もう富山にいる必要ないから、どこか県外に行くよ」「それでも、私の所為じゃない。私を悪者にしたいの?」「そういうわけじゃないよ。もう、ここにいたくないだけ」「じゃあ、私が辞める」それも自分の失恋が緩和される一つの方法だと思ったが、この時はそれを推奨するわけもなく、「それは自由だけど、自分が辞めることには変わりない」「じゃあ、勝手に辞めれば?話しててむかつく!もう電話切る!」今度は本当に切られてしまった。そういえば、見るわけでもないのに寂しいからといつもつけてたテレビが今はついていなかった。昨日からつけていない。リモコンも見当たらなかった。携帯電話片手に寝転がっている僕。会話がなくなったら、一気に空虚な柔らかい綿に包まれた。その綿には細かなガラス片が無数に付着しているようで、全身をずくずくと突き刺している。聞こえるのは、遠くで車の音。そして実際には聞こえない、降りしきる雪の音。僕の耳にはつらつらと聞こえた。 今の寂しさをなんとかしたくて、僕はリダイヤルのボタンを押す。 一回、二回とコール数は増えていく。今度は本当に電話にでない。留守番昨日をつけていないので、永遠に鳴りつづけようとする電話。20秒を越えたくらいで、プープーという空しい響きに変わった。話中ではなく、切られた音。 んー、とも、すーとも表現できないようなため息を僕は三回くらい吐いて、あと十分したらもう一度電話しようと思った。 もう、ここまできたらどれだけ恥をかいてもいい気持ちだった。 また、普通に戻りたい。それは同時にぬるま湯に戻りたい気持ちでもあった。しかし、経験上、ここから元に戻れるなんてありえないし、昨日までだったら良い友達くらいにはなれたかも知れないのに、これ以上、自分の悲しみを紛らわす為に彼女に復縁を求めたら、本当に、もう二度と顔も見たくない関係になってしまう。 同じ店で働いているのに。 しかし僕は、まだ、しがみつきたかった。 きっかり十分後、もう一度電話をしたら、今度は電源をきられていた。
2005.11.18
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北海道も本州と変わらない。朝は雪がたくさんふっていた。このまま根雪になるのかなぁと思っていたら、昼には太陽がでて、いつの間にか溶けていました。「心に花を」5を公開します。短くしようと思ったのですが、まだ振られたばかりですね。もう少ししたら、このHPの立ち上げくらいになるのですが。夕方頃に、友人の女性からメールが入った。 Mと言う。Mは彼女より歳は一つ下で、半年前まで1ヶ月前まで一緒に働いていた。ということは僕の部下でもあったのだが、他の従業員との折り合いがつかずに、辞めたのだった。上司としては容姿も十人並で仕事も出来るので、引き止めたが、親身に相談に乗っているうちに彼女の転職を応援していた。 上司と部下のうちはそんなに連絡とっていなかったが、Mがやめてから、頻繁にメールをするようになっていた。とはいえ、その内容はMの転職に関する話題がほとんどだった。店内でMと少し噂になったことがあった。特に女性として好意をもっていたわけではないが、彼女の容姿や仕事振りが他の従業員、特に和食レストランだったので、中年女性からのねたみなどが、そういういわれのない噂に巻き込まれるのは日常茶飯事だった。結局、店を辞める引き金は、そんな週刊誌のような噂が彼女に嫌気を感じさせた。 ちなみに付き合っていた彼女はとてもやきもち妬きだった。それは男として心地よいものではなくて、人をペットとして見ているような少し、ひねくった独占欲だった。僕は他の女性と食事に行ってはいけない。飲み会で、騒いだり、他の人と仲良くなってはいけない。(男性でも)僕は、女性とメールしてはいけない。僕は職場の女の子と仲良くしゃべってはいけない。 直接、そんな制約を僕に突きつけるわけではないが、態度の端々にそういった部分が見受けられ、いつの間にか、前述したような行動は表向きはおこさなくなった。それはあくまでも彼女の前だけであって、彼女がいないときは普通にしゃべるし、このようにメールもする。 一度、噂になったから特に、Mに対する職場での態度は慎重になっていた。 しかし辞めてしまえば、あまり気にすることもなかった。あくまでも相談なので、お茶することもあったし、メールのやりとりも普通にこなしていた。(さっき彼女とあったけど、何かあったの?) 店では彼女と付き合っている事は、おおっぴらにはしていないが、公然の事実であったので、当然、Mも知っている。(うーん。別れようって言われた)(そう。今、こっちのハローワークに来てたんだけど) 結構、遠くまで行ったもんだ。Mの住んでる場所からは車で1時間位かかる。(TSUTAYAに行ったら、たまたま会って、ガストで2時間くらいお茶したの)(そうか。何か変わったこと言ってた?)(仕事中はあまりしゃべらなかったけど、初めてこんなにゆっくり話して…もっと早いうちにしゃべってればよかったなぁって思った) 彼女とMが深い友達同士にならなかったのは、僕との噂が大きく影響してたのだろう。(良かったね。辞めたからこそ、気付くことってあるよ)(うん。本当にもっとしゃべっていれば、辞めることもなかったのにって思った。もう遅いけどね) しかし、このタイミングでMと彼女が出会うというのも不思議なものだ。この時はそんな偶然もあるもんだなぁと感じていた。(これから、友達になればいいよ)(でも、彼女の話し振りから心配になって)(僕のことそんなに詳しくはなしてた?)(ちょっとだけだよ。でも、迷っているみたい。気になる人がいるけど、付き合おうかどうか…) Mの聞いた内容は、おおまかな感じだった。世間体を気にする彼女としては自分が男を振った事実を、オブラートのような膜に包んでしゃべるだろう。悪く思われたくないのと、僕と付き合ってた事実さえもそんなに深くしゃべりたくないような気持ちだろう。(多分、もうだめだろうね) 僕のネガティブな言葉。その中には同情をひこうと言う気があったのかも知れない。同情をひいてどうしようというのか!(それで、心配になって。元気かなって) Mの気持ちはとても嬉しかった。 今までは、こういう状態をあわよくば、次の男女関係につなげていたのだが、今回に関しては、素直に心が救われた。もう、振られた事実はどうしょうもない。あとは、どうやって早めに悲しみを克服するかだ。(ありがとう。なんとかがんばるよ。仕事探しがんばって) それでメールは途切れた。 いつの間にか夜になっていた。 毎日、鳴っていた着信メロディが鳴らなくなって2.3日経っていた。 この期間がどんどん長くなって、やがて忘れていくのだろうか。 彼女からの電話は、ミスチルの「君が好き」だった。 ついこの前までやってたドラマの主題歌で、彼女が好きな歌だった。 僕は振った者と振られた者の、2日後にどういうルールがあるのか知らない。 もし、振られた者が振った者に連絡をとってはいけないというルールがあったならば、間違いなく、確信犯的にルールを破ろうとしていた。 八時を過ぎたら、電話をかけようと心に決めていた。
2005.11.16
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4を公開します。題名は「心に花を」にしました1月31日 目が醒めたら昼を過ぎていた。昨日は陽の光が射し込んでいたが、今日はどんよりとした薄曇が窓の外を占めているようだった。昨晩から雪が降り続いていたのだろう、ベランダの雪はさらに積もっていた。 昨日は結局一歩も外に出なかった。口にしたものと言えば、ペットボトルのお茶と冷蔵庫に入っていたカップのヨーグルトだけだった。 空腹を覚えない…というよりは、喉が固形物を受け付けない感覚だった。 明日から仕事かと思うと気が鉛の塊のように重かった。 昨晩は「してはいけない」という気持ちは少しあったが、彼女に電話をかけてしまった。 夜、9時を過ぎてからだったが、キャッチホンにしていない彼女の応答音は、むなしい話中の音が断続的に重なるだけだった。 十分おきに電話をかけるが、一時間も二時間も話している。 多分、付き合うと決めた彼と話しているのだろう、僕の感情の中に、言葉では言い表すことの出来ない、嫉妬という高鳴りが、炎と言うよりはじゅくじゅくと湯気をたてて流れてゆく溶岩のようにしつこく、ゆっくりと、それでいて全てを焼いてしまうかのように存在するのがわかった。 どうしても話したい。 そう求めていたが、彼との話の後に、僕とどんな会話が続くのだろう。 わかってはいたが、意地悪な気持ちなのか、ただ元に戻りたい一心なのか、とにかくしゃべりたかった。 ここ数ヶ月は、自分から電話することなど、ほとんどなかった。 ある意味、自分と彼女の関係は僕の方がクールな位置に立っていたはずだ。 それがいけなかったのか、何がいけなかったのか。 僕は誰かと比較されて、選ばれなかったことにプライドを傷つけられたのか、とにかく彼女を引き止めたかった。 今までの恋愛もそうだった。 話がどんどん泥沼にはまりそうになったら、一歩引けばいいのに、どんどん追求し、あがいてあがいて相手を傷つけ、嫌われ、もう二度と会いたくないという状況に陥る。早めに引いていれば、綺麗な思い出のまま終っていったものを。 そういう意味では僕が今の彼女に対して、必要以上にしがみつこうとするのは自分のことながら以外だった。 あまり熱くない付き合いで、最近では彼女中心のうえ成り立っている電話のやりとりなので、前述したように「うざい」と思っていた。 したがって今までと同じパターンになるとは思えなかったが、僕は彼女にしがみつこうとしている。 ただ単に、寂しさが怖いのか、それとも男特有の、身体の関係をなくすことが嫌なだけだったのか。 昨晩は、何度か電話しているうちに、いざ彼女が出たら何をしゃべっていいかわからなくなって、めったにしないメールを打った。(やりなおしたいので、連絡ください) しかし、電話はかかってこなかった。
2005.11.14
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ずっと寒いです。今朝も氷点下前後だったみたいです。今は、「スズラン」よりもこの小説を書ききりたいのです。それから「スズラン」にさかのぼろうかと思います。日記よりもフリーページのほうが先行している場合があります。あっ!言い忘れましたが、この前・・・11日に再婚しました。考えてみれば、彼女と付き合ってからの僕の生活といえば、全て彼女中心だったよう気がする。彼女にはアパートの鍵と車の鍵を渡してある。車は滅多に開けることはないが、アパートは彼女にとって利用価値はあったようだ。 僕が仕事で彼女が休みの時、帰りは夜十時頃になるのだが、アパートに帰ると、彼女が寝ていることがある。彼女に特別な用事がない限り、ほとんどそうだ。彼女の家は車で30分、混んでいる時は一時間近い場所にある。彼女の家も少し複雑で、両親が別居しており、お母さんは隣の市に家を買って、住んでいるようだ。彼女の家には厳格なお父さんと祖母と姉らしい。姉はそういう家庭環境だから、かなりしっかりしていて、仕事もばりばり、家のこともしっかりこなすが、彼女はいつまでも子供のような、末っ子タイプで、あまり家のことなどはしたくないらしい。この地方特有の初夏の田植えや秋の稲刈りもあるらしいが、そう言う事全てが面倒臭いらしく、休みの日に家にもいたくないようだ。 自然に僕のアパートがセカンドハウスのようになり、休みの日は昼過ぎまで寝ていて、家族には夜から仕事(実際に遅番というものがある)と言って家を出て、僕のアパートでテレビを見たり、寝たりしていた。 夕方4時ごろに夕御飯を食べると、どうしても仕事が終ってから食事をしたくなる。彼女のその行動がまちまちだった頃は帰る途中で食べたり、コンビニで弁当を買ったりしていたが、最近では何もしないでいったんアパートに帰って、前のスペース、夜はフリーで停められることのできる駐車場に、彼女の車が停まっていないか確認してから、食事をどうするか決める。ほとんどいるので、電話して食事をどうするか聞く、外で食べるといえば、下で待っていて下りてくるのを待つ。面倒くさいと言えば、コンビニで何かを買ってきたりする。 もし僕が休みで彼女が仕事の場合、大抵の場合、一人の休日はパチンコをして過ごしていた。食事するのも忘れてるが、彼女が仕事終りそうな時間になったら注意しなければならなかった。食事がしたいという電話が入ってくるからだ。そうなると、連荘チャンしてようが何してようが、やめて迎えにいかなければならない。会社へは車で10分もかからない。彼女は会社の近くに駐車場を借りて停めているが、まず僕が迎えに行って、どこかで食事して、アパートで過ごして、駐車場まで送り届ける。彼女が休み以外はそんな感じ。どちらも仕事でも、基本は変わらない。 それが当たり前だった。 特に、嬉しくもなんともない。 時には「うざい」という感覚もあった。 電話もほぼ毎夜しゃべっていた。メールのやりとりはほとんどしていなかった。 どちらが拘束してたのかわからないが、今となってはどうでもよかった。 確実なことは、今晩から電話はかかってこない。 送ったりすることもない。 当たり前と思って、喜びも感謝もしなかった日々の過ごし方が変わった。 喉には胃液なのか悲しみの塊なのか、こみ上げてくる物がつっかえ棒のようになって、喉をこもらせる。 失恋で食事ができない、今まで何回か味わった感覚だ。 今日はどういう風に一日が過ぎてゆくだろう? そういえば、去年の冬は一緒に何回かスノーボードに行き、自分のあまりの下手くそさに、彼女に愛想をつかされたものだ。 今年はそんなことないように、雪が降ったら早めにこっそり行って、練習しようと思っていた。 12月は全く降らず、1月中旬からやっと降ってきた。 でもそんな努力ももう必要なくたった。 心がどんどん後ろ向きになってゆく。 夜まで、何も食べず、動く気力もおきず、ただベッドの上で、あの時こうすればよかったとか、どうしてこうなったんだろうとか考えるだけで、一日が終っていった。
2005.11.13
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題名、早くつけたほうがいいですね。今日は寒くて、雪が降るみたいです。前半はただの振られ話になっていますので、退屈かも。1月30日 いつ眠ったのか気付かなかったけれど、たしかに眠ったらしい。 アルコールも入っていないのに、がんがんする頭。頭皮と脳が分離しているような、不思議な感覚のまま朝を迎えた。閉めきったら完全に夜になってしまう遮光カーテン、表面には星やら月やらが散りばめられていて、蛍光灯の明かりを吸収して、明かりを消すと夜空が浮かび上がる群青のカーテン。そこには星座も散りばめられていたが、昨夜は完全には閉めなかったからか、隙間から冬らしい光がワンルームの男臭のする部屋に射し込んでいた。その色が、朝らしいことは感じとられたが、射しこみかたがおかしい。いつもよりもまぶしく、まるで反射しているような・・・ベッドに寝転がったまま、カーテンを少し開けた。案の定、ベランダには雪が積もっていた。引っ越してきた当時、捨てるのが面倒くさくてベランダに放ったらかしにしていた段ボールの山、しこたま飲んだ夜、その上に食べた物をすべてぶちまけたりしても掃除しないまま1年以上経っていた。だから、ベランダには出たこともなく、洗濯物を干すこともない。窓の外の景色もただ、同じようなアパートが見えるだけなので、しげしげと眺めたこともない。ただ、朝か、夕か、夜かを判断するだけのベランダの大窓。窓の左端には壁があり、ちょうどベッドの頭の幅くらいある。その部分にぴたりとはめ込まれたベッド。ベランダが南側なので、頭も南にして、僕は寝ていた。昨日の事が夢ならばいいのに。でも夢でないことはわかっている。現実的でない可能性を探るより、現実的な可能性を探った方が効率が良い。夢の可能性よりはまだ、思い直して彼女が戻ってきてくれることのほうが期待できる。本当にそうか?昨夜の内容は、「好きな人がいる」という内容とはちょっと意味が違っていた。気になる人がいて、メールのやりとりとか、いろいろ相談とかしているうちに、相手から好きだから付き合おうと言われて、付き合うことにした。そんな内容だった。比較されてのことだった。僕と付き合っていて損か得か?彼女はこうも付け加えた。とは言え、仕事ではずっと一緒だ。仕事のことでは上司なのでまだまだ相談したいことがあるので、友達に戻りたい。そういうことだった。連休明けての2月から、また顔を合せなければならない。振られた方よりも振った方が強いだろう。僕はもう、仕事にも行きたくなかった。社会人としての責任などを考えれば、まったく子供のような考えだ。20代の頃は女性と別れたのを理由によく、仕事も住みかも変えていた。離婚してここしばらく落着くように思えたが、また、自分に波がやってきた。「じゃあ、仕事やめる」朦朧とした、薄曇でどんよりとした思考の中で、かろうじて僕は携帯電話の話口に呟いたように思える。「そんなところが嫌なの」などと、皮が剥がれて剥き出しになった心をまた抉り取ろうとする。目が腫れぼったくなってるのが、分かるような感覚だった。久しぶりに泣いた夜だった。僕は身も起こさず、ただ天井の一点を見つめながら、昨日の別れ話をかみ締めていた。
2005.11.12
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「スズラン」もまだ終っていないのに・・・って感じですが、どうしても今も書いておかなければならないし・・・もちろん「スズラン」も書きますが、こっちのほうが短く終りそうなので。時代は3年近く前です。2003年の1月から始まります。「スズラン」はその時から記憶をさかのぼったお話で、これからのお話はその後の出来事のお話。題名はまだありません。「スズラン」の1から続く内容ですので、まずは「スズラン」の1をお読みください。それでは。 1月29日、今度こそ完全に振られた。 僕はだらしなく、ダブルベッドに寝そべっている。 頭の部分には食べかけのお菓子の袋が散乱していて、 空き缶や、ペットボトルが並んでいる。 明日、明後日と連休。 それも虚しく、何もすることなく過ぎてゆく。 何もしないだけならまだしも、きりきりと工具で締め付けられるような 胸の痛み。今まで、何度か失恋してきたからわかる、そこからの日々 を乗り越えてゆく辛さ。結局、また、別の好きな人が現れるか、現れないまま 長い時間を費やし、痛みを忘れるしかない。 幸か不幸か、離婚でもめていた時期以外は、すぐに好きな人ができてきたので、 悲しみの期間は結構短く済んだ。 さて、この痛みはどうだろう。今はまだ、振られたてなので、そんな冷静では ないが、何度味わっても辛い物だ。 ここ1年くらいで急速に太ってきていたので、また痩せることができる。 痛みの対価なのか、入院して保険がおりるようなものなのか、 どちらにしてもそんなに良い物ではない。 彼女との危機は夏頃にも一回あった。 もともと出会ったとき、自分もホテルの和食店の店長として、 雇われた時から一ヶ月後、彼女が面接にやってきた。 言われても気付かなかったのだが、元妻の友達だと 本人から申告があった。当時は家を追い出されたばかりだったので、 彼女も僕達の夫婦生活は普通におこなわれているのだろうと、 思っていただろうが、それはどうせ、面接が終ったら元妻に連絡するのだろうか ら先に言っておいた。別居している事を。 それほど驚かなかったのは、元妻から不満なりを聞いていたのだろうか、 どちらにしても、元妻には会社のどの部署か教えていなかったので、 彼女もそんな偶然、僕が店長をしている場所に就職するとは 思わなかっただろう。元妻よりも一つ下。ということは当時、二十六歳だった。 とても小さな女の子で、見た目からして臆病さが窺える。 姿勢も子供のように悪く、童顔なため、服装によっては高校生くらいに見られる だろう。 どちらにしても離婚問題でもめていたし、下手なこと彼女には言えないし、 まさか彼女と付き合うことになろうとは思わなかった。 しかしそれから半年後、付き合っていた。 きっかけは、その頃には元妻の影響も気持ち的には無く、 平気でどこかに遊びに行く仲にはなっていたのだが、 当時、獅子座流星群やらが、近くの山の展望台に行けば 見れるやら、何やらで、車で行った時にお互いロマンチックな 気分になったからだ。 しかし、そこからがしっくりいかない付き合いの始まりだった。 富山自体が世間体重視の土地柄なので、慣れてはいたが、 彼女もそういう環境の中で育った女性だと思い知らされた。 彼女の僕と付き合う上での負い目は「友人の元旦那と付き合っている」 という事実である。彼女にとっては永久に結婚対象にはならない相手と 付き合っている感覚だったと思う。 しかし、付き合う行為自体は楽しいのだ。 それでも、会社ではひた隠しにしなければならないし、 外食も時間帯や場所を選ばなければならない。 とにかく知っている人に二人でいるところを見られたくない。 そんな付き合いだった。 不倫も逆不倫も経験のある僕としては、まるで不倫しているみたいだった。 そういう不満が僕の心の中に這いつくばる虫の様に住み着いていたが それは血や肉と混じり、自分でもはっきりと意識しない感情となって いたので、表にでることはなかったし、彼女に不満を漏らすこともなかった。 しかし、そういう付き合いを不満に思っていたのは彼女も同じであった。 だったら、気にせずオープンにいけばいいじゃないか、というのは僕の意見。 彼女はそれが性格上できないと言う。性格を変える事もできない。 付き合ってる限りは、いつも負い目を背負ったまま生きていかなければならない そんな風に以前は別れたいという意向を告げられた。 夏至の日だったので、日ははっきり覚えている。 初めて「友達に戻りたい」なんて、泥臭くない台詞で告げられたような気がし た。僕はその時は少々冷静に対応することができ、「もう少し考えてみれば?」 と言ったのだが、実際に2,3日後にはなんとなく復活していたのだ。 しかし、今度ばかりは、そうもいかなかった。 付き合いの日数が伸びた分、情も移ってしまっていたから、そんなに冷静には 対処できなかった。嗚咽のような泣き声で、携帯電話の向こうの彼女に、 惨めったらしく、引きとめようとすればするほど心がどんどん離れてゆく、 今まで味わってきた別れ際の法則に陥っていただろう。 今度ばかりは・・・ どうやら、別に好きな人ができたらしい。 後頭部を氷の棒で突き刺され、そのままぐるぐるとかき回されるような感覚だっ た。 だめじゃん・・・ それを現実問題として理解している気持ちと、子供の様に、これから訪れる寂し さと苦しみから逃れようとする、稚拙で姑息な考えが、別れ話をこじらせる。 そもそも本当に愛していたのか? 僕は彼女を。 本当の愛もわからないまま三十歳を過ぎてしまった。 だから、こうなるんだろう。 恋愛の行き着く先は何故かいつも、泥水に頭から逆さに突っ込まれた ような苦しみ。 僕はもう、何回、それを繰り返してきただろう? これから何回繰り返すのだろう? わからない。わからない。 今わかっていることは、彼女のために空けていた、明日と明後日の連休が、空白 になってしまい、辛さと戦いながら過ごさなければならないことだった。
2005.11.10
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さて何から話そうか・・・スズランもいいかげん、書ききらないといけないし・・・一日中、パソコンでこうして文章を書いていれば良い仕事なら、もっと進んだろう。でも、あいにく他に仕事してるし、未だに進まない。でも、こっちに来て、切に思うようになりました。ただ、文章書いて、歌を作って、田舎にログハウス建てて、暮らしたいって。人生はみんなつながっているから、今、自分がなぜ北海道にいるか、という話をしようと思ったら、かなり昔から話さないといけない。そんな日記、読んでもおもしろくないと思うから、人生を小説にしてしまいたかった。ほんとうにドラマか映画でもできるような人生だったから。もちろんそれは今でも続いています。本当に、整理しなければ・・・ということで整理します。これからどういうことを書きたいか。年表にすると。1970年 大阪市浪速区に生まれる 物心ついたときは既に母親はいなくて、父親の片足が悪く、びっこをひいていた。 貧乏暮らしのまま、17歳まで。1988年 高校を中退して、大阪の家をでる。 北海道の新冠というところで、馬の世話をする・・・が師匠が馬に蹴られて、馬が怖くなり、やめて、富良野でホテルマンをする。1989年 記憶が正しければ、この年が平成元年。1991年 これくらいの間に、東京と北海道を行ったりきたりの生活。そうしてるうちにたまたま仕事で行った富山で当時の彼女と知り合う。1992年 このころ、本格的に富山に住み始める。彼女とは半同棲。免許も取る。彼女とは自分が生活をちゃんとしないので、よく別れ話を持ちかけられる。 だいたい、このへんまでが、そのあとおこる出来事の序章というか、根本と言える。それまでのことは小説にはならないが、そのあとの小説の中の、ところどころにエピソードとして、挟まれる。1995年 まだ、彼女とは続いていた。何ヶ月かに一回、危機があった が、特に決定的な別れはなく、ぬるま湯のまま過ぎ、僕が職場で一つ年上の人妻を好きになり、夢中になる。その前の彼女とは夢中になっている間に自然消滅。 1996年 冬にさしかかるころ人妻の彼女と破局。ここまでのどろどろとした、愛憎劇(そのときは純粋愛だと思っていた)が第一弾 題名「もし生まれ変わったら」失恋の痛手から逃れるために旅にでる。1997年 翌年1月に仕事の都合で富山に戻り、ばかな目標をたてる。 女なんて遊ぶもの。月一回、新しい女と遊ぶ。それは堅実に(笑)実行されていたが、2月に元妻と知り合い、彼女もその目標の一つに。着々と月一目標は達成されるが、一夜限りもあれば、元妻のように続く女もいた。6月に子供ができたことを聞き、8月には籍をいれる。出会ってから半年のスピード結婚。このあたりのエピソードは「スズラン」にでてくる。1998年 これが平成十年ならば、3月に子供が生まれる。この頃には、他に好きな人ができる。俗に言う、愛人、不倫・・・なんと言われても、そういう罪を犯した。この頃のエピソードが第2弾、題名 「7月3日」1999年 転職する。妻もいて、愛人もいて・・・また、新たな女性と知り合う。このエピソードが第3弾 題名 「スズラン」2000年 同じ頃に、愛人どちらにもふられる。いつもの癖で、結婚してるのに、旅にでる。新潟に行ったあと、東京で働く。元妻には適当に言う。2001年 こんなんじゃだめだな・・・と思い、自分の犯した罪も反省する。(今考えると、あまり反省してなかった)子供の誕生日前に富山に帰る準備を整え、元妻に3月には帰ることを伝える・・・が、元妻から離婚したい意向を伝えられる。まじめに家族のことを考え、家庭も仕事もちゃんとしようと考えていたのに・・・とがくぜんとする。無理やり、富山の家に帰ったら、置いていた車に、生活用品が積み込まれていて、家に入れてくれない。元妻にも好きな人がいることが判明。それから半年間は仕事しているが、家のない生活が続く。公園やサウナで寝る。秋にはアパートを見つけたのと、職場で知り合った女の子と付き合う。偶然にも彼女は元妻の友達だった。いろいろもめた末、きっちり4年後の結婚記念日に離婚届を提出。その時つきあってた彼女は元妻と友達という負い目があり、隠れた付き合いになる。2003年 1月それまでいくつか危機があったが、はっきりとお別れを告げられる。この部分が「スズラン」の冒頭部分である。そして「スズラン」はこの冒頭から記憶をさかのぼった話になるのと対象に、このあと、なぜ、自分の人生が変わったか?生き別れの母と出会えたか?亡くなった父の骨を探し出し、父と心の和解をしたか?そのあと、様々な奇跡に近い現象がおきたか?なぜ、今年になって、岡山にで暮らし、今、北海道にいるのか? 現在に続く道のりを忘れないうちに早めに書き記しておきたい。 題名はまだ決めていない。もちろん、スズランも書きますよ。それでは。
2005.11.08
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特に何もするわけではなく仕事は休みだったので、家でまったりとしていました。考えてみたら、18と19の誕生日は北海道でむかえて、その後15年、いろんなところに行ったけど、また再び、北海道で、誕生日をむかえるとは・・・ふと窓の外を見たら、海の向こうに大きな虹が出ていました。水平線から上る虹を見たのは初めてでした。うまく写真ではわからないかもしれませんね。
2005.11.07
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・・・になってしまいます。特に、だから?ってこともないですが、やっぱり、精神的にまだまだ大人になりきれていないような気がします。あと5年すれば40歳。じぶんはどんな大人になっているのだろうか?もう大人だって(笑)
2005.11.06
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北海道で暮らしてやっと二週間くらいです。まだまだ寒くはないのですが、今日なんてとても暖かい・・・でも前住んでた岡山とのギャップが激しくてちょっと風邪気味です。もうすぐ三十五歳になります。人生あと何年あるかわかりませんが、好きなことやって、夢と目標をもって生きて行こうと思います。
2005.11.05
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プロフィールとか画像とかほおっておいたやつ、変更しました。夜景を携帯で撮ったけど、わかりにくいですね。飼っていたちわわのちわおは富山においてきました。今は、ペット飼えないマンションなので。そうなったら、今の夢はペット飼える家を建てること。しかも露天風呂付きのログハウスを北海道で・・・
2005.11.04
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またまた生活が変わりました。11月今日から、北海道の小樽に住んでいます。仕事も変わり、生活も変わり、心機一転です。本当にやりたいことは・・・あります。いつも夢を持って生きてきました。北海道は人生の最後に過ごしたかった土地。今は仕事が大変だけど、少し、夢に近づいた気がします。やっとこのHPも更新できます。御期待を。
2005.11.01
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