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そういえば、子供の頃こんな夢をみていた。子供の頃の夢のうちのいくつかは、既に叶っている。小学校の頃から、どうしても欲しかった車は現在実家にあって父が乗ってるし(飽きたらいつのまにか売られてしまうのではないかとひやひやしている)その他の夢も、自分で生活をはじめてからひとつひとつのんびりとしたペースではあっても、手に入ってみた。振り返ってみても、我ながらなんて地味な夢を見ていた子供時代だったのだろうと思う。なんて、地味で堅実な夢をみる小学生だったんだ・・・。と自分のことながらに、不思議に思う。子供って、もっと極彩色の夢を見てるものじゃないのかなといって他の人の夢まではわからないから、自分が変わっている子供だったのかどうかもわからないんだけど。というのはさておき、若干の生活の余裕と資金と偶然があったおかげで叶えることができてしまった夢。ちっぽけかもしれないけど、”およめさん”とかいうありきたりな夢よりは具体性があったから叶えやすかったのかもしれないなあと思う。でも、叶ったからどうなんだろう?とも思う。手にいれてしまったものは、その瞬間から自分自身にとって当たり前のものになるんだからそれって幸せなのかな。その当たり前を幸せだと感じることこそがたぶん、次の夢につながっていくんだろうなとも思う。
2005.01.18
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子供の頃の夢について考えてみた。子供の頃、毎年転校していたもんでその一年を無事に生きていくというので精一杯だったような気がする。その一日一日を乗り切ること。毎日親の期待に応えることだったかも知れないし、習い事をこなしていく事だったかもしれないし。のんびり考え事とか遊んだりする暇ってなかったから、特に自分が将来何になりたいかって考える前に、親がダメだししてたし、自分で考えるより先に相手の顔色を見てしまうとこがあったように、今は思う。大人になって、自分が何をしたいかがわからず。相手の顔色を見ることばかり長けてしまっていたとこがありずいぶん自分が何をしたいのかがわかるまでに、相手にこれがやりたいんだと主張できるようになるまでにずいぶんと時間がかかってしまったものだなあと思う。まあ。おそらくこれがやりたいとあちこちに言い続けて形にするというようなことはないように思う。それがいえるようになるまでには、おそらくずいぶんかかる。ひっそりと、こつこつ自分で形にするほうが早そうだ。人には、人それぞれ夢の形がある。みんなに支えられてそれを形にしていく人もいるだろう。人に伝えるのが苦手で自分でやってしまう人もいるだろう。いろんな人がいて、いろいろな夢を叶える方法がある。まあ、損得はおいておいて、自分で自分がやりたいことになんとか20代のうちに気がついててよかったなって思う。
2005.01.17
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ランチの予定を変更して、麻布十番のお店へいってみました。 サウスアメリカ料理という不思議なメニューのお店で新しい お店のようだったけどお茶がすごくおいしかった。 料理に関してはちょっと・・・・費用対効果を考えるとね。 でも、あのバースデーサプライズはびっくりしました。 食べられないのが残念だけど!!ね。素敵。魔茶味ちゃんから、お誕生日プレゼントをいただく。 一子相伝の小鹿田焼という焼き物の飯椀をいただきました。 http://www.hitakusu.com/jibasan/ontayaki.htm 初めて聞いたんだけど、バーナードリーチも柳宗悦も大好きです。民藝運動って、栃木県の益子も影響うけてるんだよね。 子供の頃、浜田庄司とか良く見たもんです。 手に良くなじむし、見れば見るほど味わいの深い焼き物で素敵。一子相伝とかツボを知られている友達というのは素敵だ。ほんとに飽きることなく家で、茶碗をながめていました。私も、彼女にそういう贈り物ができるようになりたいなあ。
2005.01.16
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ご近所さんたちと焼肉を食べてきました。 数年前からよくお名前は聞いてたreikomさんとついに会ったよ。 お互い、よく名前は聞いてたのに初対面。 仕事とかでもお会いしたことないんですよっていうと、よく意外だと言われてたのですが、ほんとに4年ぐらいよく話を聞いているのであったことないくせにあなたのことをよく知ってたりします。 てきぱきしてて、でも天然なとても素敵な方でしたわ。 tさんとお互い落ち込んでるので、はげましあおうぜーとかいって花束を交換する約束(特に意味はないけど素敵かなって)を年末したのに、あっさり忘れて一方的にもらっちゃった。 ありがとー。なんか、心がしみじみ温かくなりました。 後から、IMで花屋さんで私は赤いイメージがまず浮かんだけど、ぱーっと明るい黄色の花を選んだという話を聞いてますます素敵な花束だなあとありがたみが増しました。 男性はありきたりに、赤い薔薇を選びがちだけどこういう心遣いができる人がもっとたくさん増えると素敵なのにな。 今週はMURAMASAの死亡で、いっぱいいっぱいだったのですが最後にきていいことがあったな~って。 今日はみんなに一斉にいじられ、そういうのあまり得意じゃないものですごく恥ずかしくて困りました。 人の注目を集めるのは、仕事柄慣れてはいるものの・・・ あまり得意じゃないんです。
2005.01.15
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要るべき場所にいるって、ことなのかもね。通勤途中、昔、仕事してた先の人にばったり出会う。後輩と職場結婚して、同じ路線にマンションを買ったとは聞いてたけど電車の中で会うとはね。混雑の中、肩はあたるし口説かれるしほんとに最悪だ。もう、何も喋る気がしない。気を使うのもうんざりだ。「まったく興味ないんです。鏡みてみたほうがいいですよ。 いかにもパパって感じの幸せそうな顔なのに。 そんなこと考えてちゃだめでしょう。」不倫とか、誰かと付き合ってる人を奪るとかなんだか穏やかじゃない話はいやなんだけど、それ以前にそれでどうして自分がもてると思ってるのかが謎だ。お世辞にもカッコいいとはいえん。そして、奥さんになった後輩はつりあわないぐらい美人ですごいいいやつだったのに。男の隅にもおいとけん。昔、先輩女子が、ぶさいくな男がかわいい彼女をゲットした場合に「光栄」とか「幸せ」じゃなくて思考が「オレさま、ほんとはカッコいい?」になるという話をしてたけどあれってほんとだったのかもなー。と思っていたら、次の駅でその先輩女子にばったり会う。ホームで後ろから抱きついたら、びびってた。あのタイミングで一番会いたい人だった。思い切り額によってた皺が、すっきり綺麗に伸びたよ。
2005.01.14
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初めて仕事をした女性から、言われた一言。「仕事をしている女性って、よっぽど男性的か女性的に 傾くんですけどね。中性的よね。」同じ日に、男らしいとも女らしいとも言われたのでちょっと面白いなーと思った。毎日、雰囲気が違うとか、人から言われる自分の印象は本当にいろいろなものがあって不思議。立場や関係や天気や先入観や、そのほかのいろいろなものが重なり合っておりなしてできていくのがきっと印象でその一片だけが、記憶に残っていくものなんだろうと思う。洋服も好きだけど、こういう風に見せたいというよりは全体的な好みと、あとは自分に似合うかどうかが大切で人からどう見えるかは、マナー違反にならない限りはあんまり重視してないからなあ。男らしくても、女らしくてもいいから、大切な友達とか家族の記憶に残れればいいと思う。それ以外は、自分に似合うか、それを着ててラクとか楽しいとかそういうことが大切なんだろうなあ。内面的にも同じことなんだと思う。男らしくても女らしくても、どちらでもいいから大切な人にとって必要とされる自分でありたいなあと。
2005.01.13
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大きな流れのようなものがあるのだということを。仕事を始めてから、負けず嫌いになったものだなと思う。子供の頃は、わりとさらっと物事ができてしまう方だったし他人のことを意識することなく、ただ自分の好きなことに対してのめりこんでいくような自分だけの世界というものと新しい環境の中で、人とあわせるための術とを持ち合わせている中でどちらかというと、人と自分が異なる感覚があってだから、勝負というものを思いつかなかった。負けず嫌いになったのではなく、勝ち負けというものを全く知らなかったというのが正しいのかも知れない。初めて、学生とはいえ社会人になった職場は男社会で学閥がはげしくあって年功序列で、19歳で女性でまだ在学中だったから今、思うと理不尽な扱いをうけてたもんだなあと思う。口紅を塗りなおしただけで、ちゃらちゃらしてると言われノーメークでいけば、たるんでると言われストレスと寝不足のあまり肌荒れすれば、だらしないと言われコンペで仕事を続けてとれば、女だから甘やかされてると言われ何に対して怒りを覚えていいかわからなかったので、仕事で黙々とやってたなあというのを覚えています。まあ、レアな存在ではあったから叩かれ度合いはひどかったとは思うんだけどね。叩かれたからこそ、今の自分があるというのも事実だと思うしその当時だって、叩くほどに注目をされていたというのもありまあ、良い事と悪い事は表裏一体なんですよね。その悔しさをぶつけていた仕事があってその頃はどこにいって何をすればいいのかがわからなくて、ただひたすらに目の前のことを、片っ端からやってみた気がする。その中に資格であったり転職であったり、さまざまな選択肢があったのは自分でも無意識のうちに選んだ生きる術なんだろうね。そうして、今。おぼろげながらに点と点だったものがつながり、うっすらと線が見え始めたような気がしている。そうするとね。今までは点をひとつひとつやっていたものに対して加減というものが見えてくるんですよ。その加減というものはいつも常にしていくものではなくて、矢張りここぞという時は集中して、点に力を注いでいくんです。でも、人間だからやっぱり波がある。その波を支える時にこそ、線を意識していくことが大切になる。年をとる。経験をする。どちらのせいなのかはわからないけど、そういう視点が身につきはじめたのはきっと、役割がかわりはじめる年代なんでしょうね。
2005.01.12
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男親として、複雑な気持ちらしい。父から、誕生日に何かほしいものはあるか?と聞かれたので・mac mini・iPod shufful・大型液晶モニターと書くと、まったく・・・とため息をつかれると思ったので・マンション・テーブル・壁一面の本棚と、書き加えて送ってみた。父から、勝手に女の子らしいプレゼントを選んであげます。というメールが返ってきたよ。しょぼーん。女の子らしいって、なんだろうね。見た目という意味でいけば、充分女の人だと思うのですよ。そして、年齢的にいえばもう女の子らしいっていうのは無理なんだから別にいいんじゃないかなあって。ひとつひとつ年をとって、自分の好みがでてきているわけ。それって、いまさら枠にはめられないとも思うのよね。とはいえ、父の親心もわかるわけです。ふふふ。複雑よねえ。
2005.01.11
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色っぽい話じゃなくて、ごめんなさい。寒いせいもあるけど、昨年末の体調不良のこともあってなるべく身体のことを気を使うようにしてます。もともと、そんなに丈夫なほうじゃないので、肉とか塩分が多い食事が続くときつかったりもする。24歳ぐらいまではすごーーーーい神経質になっていて高校生ぐらいからずっと当時はマイナーだったマクロビオティックとかやってましたが、最近はアバウト。その後、ベンチャーに転職してから本当に外食ばかりでどうも体調がな・・・っていうのもあったんだと思う。人と外でゴハンも食べる分、なんとかしないとね。足し算と引き算みたいにしてあげればいいのかなって。そうはいっても、今の食生活は確実に十年後の自分をつくっていくものだからちゃんと考えようかなって。生姜をお茶にいれて飲んだり、根菜を多くとったりとかまあ軽くできるところからやろうかなあって。まつゆうにすすめられた、レンジであたためるゆたんぽのコアラのカバーのやつを毎日抱えて寝ているんですが温かくて確かに朝、調子いいの。でも、身体そのものを良くしていかないといけないから少しずつ少しずつ頑張ろう。
2005.01.10
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落ち着く人たちや、落ち着くべき場所とかいろいろ。友達の家にピアノを弾きにいかせてもらう。子供の頃は、親にやらされていると思っていたピアノだったけど、おととしぐらいからたまに弾きたくなってお邪魔させてもらって弾いている。この日記のどこかに、その再会した日のことも書いたけど四谷でゴハンを食べていた時に、バイトの女の子がものすごく天然キャラでいじって遊んでいたらですね。珍しい苗字なのと、出身地が同じだったのでふと思いついてもしかして、○○ちゃん?と当時3歳だった友達の妹の名前をいってみたら、本人でびっくりしたことがあった。その時、私の住所と連絡先を書いて渡したら、友達は海外にいっていなかったけど、お母様からチョコレートが入ったお手紙をもらったのがきっかけでたまに遊びにいくようになった。家からそんなに遠くはない。近いというほどでもないんだけど。幼なじみがいなかった私は、子供の頃、毎年転校したりずっと自分が大きくなっていくのを、幼い頃を知っている友達がいないのは不幸なことだなって思っていた。すごく自分がかわいそうな子供だと思っていた。でも、回り道したし、形は変わってるかもしれないけど偶然出会うから、不思議なものだなって思う。思春期の頃、そういうみんなが当たり前に持っている地元とか幼馴染とか近所のおばちゃんとかそういうのがないまま大人になるんだろうなーと思っていたけどまあ、過程ではなかったけど結果的にはそういう人がいてくれて、たまに会えたりするのは嬉しいものだ。子供の頃、自分が大人になったら、自分の子供には転校させたくないとかいろいろ思っていたけど、あの頃思っていたことはある意味実現したような気がする。20代は、私にとってコンプレックスを癒して気持ちを前向きにするための10年間だったといつか思うことがあるのかもしれないと最近になってふと思う。感じ方が、少しずつ変わってきたような気がする。
2005.01.09
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傷ついたその分よりも多く、幸せになって欲しい。世の中には、いろいろな人間関係があるけど一番理不尽な関係って加害者と被害者の関係ではないかと思う。たとえば、痴漢とか。たとえば、泥棒とか。たとえば、誘拐犯とか。たとえば、スリとか。自分のワガママに、相手をまきこんでしまうというのはよくあることだけど、そのワガママが何年も相手を苦しめてしまうこともあるってことをたぶん、それをした人は知らないままで、ただその被害者だけが悲しんでるのかと思うとつらい。ものすごく、切ない。学生の頃からの友達が、苦しんでるんですよ。その子は、小学校の頃担任の先生に胸を触られたりずっと男性をこわがっていて、最近になってようやく普通に恋をしたりしてるなーって思っていたんだけど今、好きな人は小学校の先生をしているらしい。職業だけで考えるなっていいたいけど、どうしても怖かった記憶を思い出してしまうのは仕方がないと思う。自然に反応してしまうんだもの。私も子供の頃、うしろからひょこっとつかまれてさらわれかけたことがあって、それ以来、今でも後ろで足音が聞こえるとびくっとしてしまうもの。それは、人としてあたりまえの反応だと思う。そういう風に、ずっと心の内側に見えない傷を負ってしまうのは彼女のせいではないと思う。でも、自分でその傷をなんとか癒していかない限りずっと幸せになれないから。ずっと傷つき続けてしまうことだけは避けて欲しい。少しずつ、強くなって彼女には幸せになって欲しいものだと思う。そのために、できることがしてあげられることが私にあればいいのに。
2005.01.08
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あ、そういうことか!コートを買うのがすごく好きだ。たぶん、手元に10着以上はあるんじゃないかなって思う。毎年一着はいいものを買うようにしているんだけれどもマッキントッシュだけで数着、カシミアだといくつか見たいな感じになってきてて、なかなか楽しい。でも、今年は1着のコートしか着てないんですよ。8月に見た、2004年限定のマッキントッシュの紫のコート。着てみて格好よかったんだけどあまり紫が好きではないので迷っておいて帰ったのだけど、どうしても欲しくて翌週お店にいったら、既に売り切れていました。そこから、お店の方にお願いして各店舗やイギリスに問い合わせしてもらうこと4ヶ月。ようやく見つかった紫のコートは私の手元へとやってきたのでした。そんな思い入れたっぷりのコートなので、今年はこれだけ着て生活をしております。ゴム引きだから風は通さないけど、なんだか寒いような気持ちもします。でも、いいの。気に入っているから。(本当はカシミアのロングとかのほうがあったかいけどね)
2005.01.07
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そんなことをおっしゃられましても。友達の友達にあたる人の悩みの話をきいて驚いた。「転職をして仕事で目立ちたい」のだそうだ。うーん、仕事って自己実現のためだけにするものではなく利益追求が目的だと思うんだけどねえ。そのための販促とかPRで目立つことはあったとしても自分が目立つために働くって発想にびっくりした。なんとなく、目的と手段が逆じゃないかなって思った。目立つことが目的だったら、仕事じゃなくって駅で歌うたったりとか、パフォーマンスをする方が前向きじゃないかなって思うんですよ。仕事って、やっぱり自分が主役じゃなくって商品とかサービスとか物とお客様があって成り立つものだから。世の中っていろんな人がいるんだなーって思いました。まあ、できることなら目立たずにすむものならひきこもって暮らして売れるんだったらいいなって思うんですが、幸か不幸か、あまりスキルもなくってプレゼンが記憶に残りやすいことだけが特技かなって。仕事の上では、最大限人にわかりやすくアピールすることを目的にしてるけど、目立ちたいって思ってやってることはないなあとふと思いました。人それぞれ、得意なこと、やりたいことってちょっとずつ違うかもしれないけど、まあ。淡々と、日々ひたすらと仕事をしてくのも楽しいものですよ。逆に目立っても、それだけだと達成感てないと思うしなあ。決して否定とかするつもりではないんですけど。
2005.01.06
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人と人とは、縁があればどんな形でもつながるものだから。今月から、知人と友人間ぐらいの人が会社に入ることになりました。才能も知識もある人たちなので、ものすごーく嬉しい。すごい人たちがいるからって、そのスピードや知識について仕事ができるように頑張るのはもちろんだけど、まあ、単純に面白い事ができそうで嬉しいのよね。で、今月も毎月恒例のblogdinner@五反田カレー会に参加してきました。私自身も前職の時に、maskinさんに紹介してもらって参加したんだけど会社が変わっても、職が変わってもつながっていけるような何ていうか仕事そのものとか好奇心という意味ではアグレッシブなんだけど・・・人としてがつがつしてない感じが、いい感じな大人コドモの集いです。幹事をしている方の品性かも知れないけど。大手ポータルのプロデューサーの方が、異業種交流会って苦手ですがここはギラギラしてなくていいですっておっしゃってたけれど本当にオタクが好奇心で集まっているみたいな素敵な人たちばかり(というかそれしかいないともいうが)居心地がいいんですよね。カレーも美味しいしほんと楽しい。って、まったくもって同感です。6degrees、ていうか。それよりももっと狭いような気がするのは仕事でもプライベートも同じ。自分に仕事にメリットがあるから知り合うというのではなく、お互いに面白いことをやってメリットを出そうというスタイルがスマートでいいなあと思います。今年もぜひ仲良くしていただきたいものです。モダシンさんの泥酔ブログが、いまいちさえなかったのが残念。来月に期待をこめておりまする。
2005.01.05
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今年は、マイペースにがんばる。仕事始め、着物を着て出社しようと思ったんだけどちょっとスケジュールの入れ方違いで結局いつもどおりの出社をすることになってしまいました。初対面の方に、いきなり着物で仕事してたらひくもんな~。と思ったら、友達のIMステータスがピカチュウになっていてなんと某大企業にお勤めの彼女は、駅で着ぐるみに着替えて出社をされた模様です。ドンキホーテで3000円だったよ!っていや、そういうことではなく。駅から着てくあなたが素敵すぎ。類は友を呼ぶっていうか、なんていうか。エンターテイメントです。あなた、素敵すぎ。年明けから、負けてしまいましたが今年も皆さんと仲良く、楽しく。でも、とことんがんばりたいものです。いくぜ2005年!仕事始めの出遅れは、あとで挽回します。
2005.01.04
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姉として、どうかと思う。弟も、それから自分自身も。朝、目覚めたら手に1万円を持っていた。何だろうと思いながら、なんとなく夢の中で弟に話しかけられて誕生日とかお年玉とかいわれたような記憶があるので、おかしいなと思い、母にそんな話をしたら、夢じゃなくてそれ現実だから!と言われました。4歳違いの弟には、ずっといろいろ洋服を買ってあげたりいろいろ姉としてしているけど、たまーにちょっとしたおみやげとか買ってきてくれるだけで嬉しいものだ。でも、なあ・・・。弟としてはがんばったのかもしれない。その気持ちはすごく嬉しいし、ネタとしてもおいしい。でも、現金を人にむきだしで渡すような大人に育てたつもりはない。というのは少し残念だなあと思いました。贈り物は、相手のことを考えたその時間や気持ちまでが贈り物でそういう機微がわからない大人はつまらないものだと思う。1万円はあとで弟が傷つかないように返してあげようと思う。そして、そういうひと手間をかけられる人であって欲しいものだとそういう男性になって欲しいなって姉としては思うのですよ。
2005.01.03
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決意表明。今年の抱負をいろいろと考えてみた。中学生の時から、29歳で結婚すると思っていた。なんとなく20代のうち一生懸命いろいろ覚えたらいっぱしの大人になれるんじゃないかなって思ったりしていたのだけれども。たしかに、いろいろなことを覚えた。だけど、それが自分のオトナ性につながっているような気はしないんだよね。オトナだから結婚するわけでもないとも思うしたぶん、今すぐ結婚しろって言われてもな。クレジットカードとか銀行とか全部手続きするのなんか面倒だなって思ったりして。今年は何かを学ぶ一年であるより、のんびりと過ごす一年でありたい。そして、面白いことにだけくいついておきたい。今年はのんびりと羽を休めて来年からまた、三十代を頑張るのだ。
2005.01.02
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今年は、あたたかい一年でありますように。年末のさまざまな話を聞き、茶化してたうちの両親ですが顔みたらなんか急に心配された(タイミング遅すぎだが)私が生まれる前から戌の帯とか、お宮参りとかでずっとお世話になった日光の二社一寺と、名前をつけてもらった神社に初詣に連れてってくれました。こういう自分のルーツというか、家族が私が生まれる時にかけてくれた想いを知るのはなんだか嬉しいものです。真っ白く雪がつもる二社一寺の参堂の美しさといったら新年とかそういうことではなく、鮮やかな杉並木の緑と雪の色彩が本当に美しくて、これで自分の足で歩く冷たさなかったらほんとに幸せなんだけどな~。と思うぐらい美しかったわけですが、着物で草履でなんて悠長なことはいっていられなくて着物でスニーカーでぺたぺた歩くことになりました。草履手にもってるし!実は朝起きてすぐに浮かれて雪だるま作って遊んでたら思い切りコケたため、背に腹はかえられなかったの(涙)実家で新しく仕立ててもらった、サーモンピンクの無地(呉服屋の叔母や母が、桃色を着せたがるから)はすごく綺麗な色で、夏前に仕立てをお願いしていたものなんだけど初対面。すごく嬉しかったんだけど、叔母の余計な一言がかなり心につきささった。「嫁にいくなら、いくらでもつくってあげるのに。」今年のお正月も、親戚中のおせちを用意して頑張ったら「どうしてこれだけできて嫁にいけないのかしらねえ・・・」と親戚中に口を揃えて言われましたが、いいの。全然そういうの気にしないから。毎年恒例のいやがらせにもめげることなく今年もマイペースに頑張りたいと思います。
2005.01.01
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静かに終わる2004年。一年が終わるということは、特に何が変わるわけでもないけどなんとなくわくわくするものだし、なんとなく何かが起こりそうな気がしてしみじみしてみたりもする。年のはじまりにみた初夢は、自分の中にとどめておきたいものと大地宅配を取り寄せてるというのもふくめてひとおおり本当に叶ったなあ、というより力技でかなえてるというのも多いけど自分にとってプラスになったかどうかは今はわからないけどまあ、次につながるための何かを生み出す一年だった気がする。画期的になんかの変化があったわけではないかんじ。自分では淡々と暮らしてきた一年だったけど、恋愛においてはえーーーっていうような思いがけない経験が続いてしまった。どっちも、こわい思いをさんざんしたなあ。違う意味で。なんか、疲れたけどめったにないことだと思うからさまあ、元気になるまで静かにのんびり暮らしたいと思います。本当に年末は、友達みんなに支えてもらったというか気持ちの温かさに励まされた一ヶ月だったな。昨年末の日記を読み返してみたら、サービスのリリースもあって疲れてたのが手にとるようにわかる。その中で、ntさんがカニバリズムについて話している日記がちょっと久々に読んでまた自分でも新鮮だった。日記を書くということは、自分の中の記憶の片隅にあるような内なる言葉と必要なタイミングで再び出会うためのものでそれは続けてみてはじめてわかることなんだと思う今日この頃。1000日も日記を続けることができたというのは、自分なりに何か面白い変化とかあったような気がする。
2004.12.31
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必然て、そういうことなのかも。自分がいっぱいいっぱいで苦しい時にはわからないけど喉元を過ぎて熱さを忘れるぐらいの時にふと、気が付く。あの出来事はこういう意味があったんだ。あー、こういう風になってたからこうなったんだって。それがわからないままなのは、たぶんわかろうよしないからで、人はその流れを受け容れることができるかどうかでずいぶん生きていくことが楽になるもんだと思う。無駄なように見える出来事も単純で繰り返しになるような作業も今、一瞬だけみればものすごく無駄な時間に見えるかも知れないけどあとでふりかえった時に、その無駄をいかに楽しむか、効率よくクリアしてくかを工夫したりしてたらあー、あれも必要な時間だったんだなって思える。要は、あとでネタとして使えるとかなんか意味があったと思えるように、目をさらのようにしてみておくことが大切なんだろうな。すべての出来事はあとでつながる。それは、つなげようとする自分自身の意識からまずははじめてみるものなのかも知れない。
2004.12.30
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それでもあえて選ぶなら、子供の頃転校したくなかったな。ふと、思う。大人になったとか年をとったということに気が付くのは徹夜しすぎたあととか、飲みすぎたあととか、あとそうねえ白髪を発見したときぐらいなもんで、基本的には年齢とか属性とかあまり気にしないほうだとは思うんですけどね。親が結婚した年齢、子供を生んだ年齢(つまり24歳か)まで口うるさく言われてたからそれなりに気にしてた気はするけど。それでも、20年前の記憶がある!ということに気が付いた時は自分でも大人になったような気がした。自分自身で、記憶力はわりといい方なんじゃないかと思うけど毎年転校して、引越して生活環境が変わったことでほかの人に較べると覚えやすい、記憶に残りやすい環境というのはあったかのかも知れなくて子供の頃のこともいちいち覚えているというのでたまに、親とか友達から驚かれることはある。ディテイルが気になるのは、子供の頃からなんだろうな。さて、そういう記憶が積み重なり出来てきた今の自分を振り返り一度だけどこかに戻り軌道修正っていうか、自分の人生そのものを変えられるとしたらどこに戻りたいと思うのだろうか。失敗の方があきらかに多いし、後悔していることもたくさんある。だけど、今の自分があるのはその失敗を経ているからでそれはそれで悪くないんじゃないかとも思う。たまに思い出して、ちくっと胸が痛い思いをするぐらいならまあなんとか人は乗り越えていけるものだしね。
2004.12.29
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いちにちいちにち楽しくしていこう。私はよく座右の銘として、山本有三の路傍の石の一節を書く。たった一度しかない人生をたった一人しかいない自分を本当に生かさなかったら人間生まれてきた甲斐がないじゃないかという言葉で、地元栃木出身の作家にちなんで小学校の時の校長先生が贈ってくれた言葉だ。路傍の石なんて、小学生にはちょっと渋すぎる作品だと思うし、まだ20代の私にとっても分不相応かも知れない。それでも、その言葉の味わいは12歳の頃と今では違うから人生の面白さを教えてくれる言葉なんだなと思う。おそらく2年前と今でも違うし、半年前と今の自分にとってもこの言葉のニュアンスは若干違った受け止め方になっていて基本的なスタンスになっているような気がする。子供の頃から、絵を習っていた先生が4年前から週3回人工透析を受けているという話を聞いた。絵を描くために右手には針が刺せないため、左手は針でぼろぼろになっているということも聞いた。お洒落でダンディな先生からはとても想像すらできない。それなら、お酒と煙草をやめればいいのにとも思う。でも、彼が思う日常と離れた世界のために、50歳を過ぎた人がメルヘンを描き続ける為に、必要なものなのかも知れない。先生は、40歳を過ぎたばかりの頃何度も自分自身の絵に若い頃のような緻密さがなくなったといっていた。ゴッホやモネや有名な画家だってみんなそうなのだから、年をとるというものはそういうものなのだろうとも苦笑していた。生活やいろいろなものが、僕の絵の世界を変えていくのだとも。鮮やかな色彩がどんどん渋い色になっていくとも言っていた。それは、変化であり味でもあると思うんだけど。あと、20年後には身体が自由が利かなくなるのかも知れない周囲の人の死を身近に感じる年齢なのかも知れないと思うと、一日の大切さを思うな。そして、その積み重ねが楽しい人生でありますように。
2004.12.28
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最初に会った時は、そんな感じしなかったけどな。仕事帰り、もうすぐ赤坂を離れる友達と最後の晩御飯。時間が経って、仲良くなればなるほどなんか近いかも。外見が似てるわけでも、やってることがかぶってる訳でもないけど、親のしつけとか、相手に気を使うポイントとかそういうところがなんとなく似ている。仕事とか、恋愛とか、友達とか、そういうところで彼女が言ってることがなんかこう、なんで彼女がその言葉を選びそれはどういわれて育っているのかがわかってきた。それは、たぶん私自身がそういう育てられ方をしているからで同じようにそこに、見えない形で反抗をしてきたから。コンサバティブに育てられてるけど、なんか自分では違うって思っていて、それでも20歳過ぎまでそう育てられてきたから、それも自分自身だ。人の性格は、本来もっているものと、親がどう育てたかという後天的なものと、大人になって自分が選んだもの3つのものが絡み合ってできていくものだと思う。年上の友達で、経験もすでに十分違うと思うしね。たぶんこれからも彼女と私は若干違うけど、親の影響の部分が似てるから、どこか近い部分も持っててでも、これからも違う経験をしていくんだろうと思う。人って、みんなそれぞれ個性があるけど、こういう経験もそういう人の存在も面白いよね。
2004.12.27
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さて、今年は何を作ろうかな。2週間ぐらい前から、おせち計画をたてている。まとめて作る分、材料の買出しも大変だけど高校生の頃から作るのは習慣になっている為自然に考え始めてしまう自分がいる。冷凍できるものは冷凍して送りたいから、いつもストックしてるものをまず食べてから・・・とか考えると前々からやっとかないと何もできなくなってしまうから。なんで、一人暮らしの私がみんなに作ってるんだろう?と思うこともあるけど、好きでやってることで喜んでもらえると嬉しい。褒めてもらえると、もっと嬉しい。でも、結局。そういう人生のイベントをひとつひとつ、こだわって過ごしたい見てみたいって思ってるんだと思う。料亭のおせちを買ってしまえば済んでしまう一瞬のことで、その為に年末あわただしく過ごすのもどうかと思うけど、それでも料理って実験みたいで楽しいから。来年には飽きてしまうかも知れないと思うけど、今のところは何とか続いている。黒豆ひとつ煮るにしても、皺ができるのはこういう理由があってこういう材料を使うには、こういうげんかつぎがあってひとつひとつを知ることが、なんとなく楽しい。それに、市販のものよりこだわって作ったほうが身体にいいからというところもあるんだけどね。昔ながらの作り方で、手をかけて作る。一年に一度だからこそ、楽しいなって思うイベントなのだ。
2004.12.26
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ちょっと最近、宗教について考えたこと。私には、宗教アレルギーがどうもあるらしい。人それぞれの信仰を否定するつもりはないし、信仰そのものはとても大切なことだと思う。人は、家族だったり友達だったり恋人だったり。様々な出来事や大切な人を信じて生きていくものだから。それでも、子供の頃の経験からかな。転校するとだいたい、みんな好奇心で声をかけてくれるんだけどなんていうか、宇宙人待遇なんだよね。基本的に。そういう中でやさしい、ごくあたりまえに声をかけてくれる人の中にお家が宗教を信仰してる人というのが何人かいた。毎週教会にいったり、倫理について勉強していたり、躾とか人柄のあたたかい人が多いんだけど、夏休みの前になると突然豹変するの。合宿とかイベントの勧誘があって、興味ないって断ると泣かれたりなんか、なんだかなーってずっと思ってました。春休みになると、うちの父の仕事の都合で突然転校があったりもしてケンカしたまま泣かれたままで転校しちゃうこともあったしな。原因が自分にない場合、それから相手に責任がないこういう場合。怒りの矛先とか悲しさをどこにむけていいのかわからなくなることが世の中にはよくあります。子供だから、大人のいうことを聞いてしまうのは仕方がないことだしそれは親とか教会とかの大人の責任になるんだと思う。基本的に、宗教って「神(仏)様が見ている」ということで倫理的にはずれてないかどうかっていうのが基本的なことになるんだけど。自分自身の考えのほかに、誰かが見ている(守ってくれる)という客観性をもつことが必要なことなんじゃないだろうか。自分の身にふりかかることに対して、客観的な視点をもてていればある程度の物事はクリアできていけるんだと思う。それを宗教を信仰はじめた最初の人は、わかっていたのに違いなくて広がり続けていくうちに、目的が信じることに変わったのに違いない。そんなことを思う、クリスマスの夜。
2004.12.25
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持つべきものは、マニアな友達。おとといの夜、食事をしながら話をしてたkさんがアロマの先生に相談してみてくださったところ、その先生も今の私とまったく同じような経験があるとのこと。さっそくアロマとか対処方法をいろいろ教えてくださった。疲れ果てていたので、なんだかそのことが嬉しくて朝から幸せな気分で一日を過ごすことができた。誰かが、自分のことを気にかけてくれている。それも、会ったことがない友達の師匠が。すごく幸せなギフトだと思った。薬局にいけば、その先生が処方してくれたものと同じ(かなりレアだと思う)バスソルトが見つかったりなんだか、一日中いろんなものに応援されてる感じがして単純だからすっかり嬉しくなってしまった。仕事では、お客さんがさらに営業してくれてるみたいな状態になってるし、一陽来復かなってありがたく思う。今年も2年連続、cherieと映画をみてクリスマスイヴですがなんか最近元気ないcherieのために、サプライズギフトで花束を用意しようと花束にいったら、花屋さんが私の好きなミディアムローズが充実していてなんだか幸せな気分になる。cherieが自分にとってどういう友達なのか、どういう人なのか何色が似合うのかっていうことを聞かれていて・年上だけど、年上に見えない(という気がしない)・でも落ち込んでるときとかは頼りになるおねーさん・色でいうなら、オレンジと朱色のツートン・ラウンドなブーケにしたいというようなことを話をしていて、花束をつくるときに相手をどう思っているのかが反映されている花束って面白いな。でも、男性が花束をオーダーするときには何も話さずに赤い薔薇を買っていく人がおおいですよと言われて、確かに花束をもらうときって相手との関係もなにも関係がなく、赤い薔薇をもらうことが多いなーってしみじみ思う。自分に似合う花束、それが一番のギフトなのかもね。そう思ったあとに、cherieもかわいいブーケをくれた。クリスマスだけどお正月にも使えるようにって、和花のブーケ。ちょこんともって歩いてほしいのというリクエストになんだかすごく嬉しい気分になった。花と、友達の心遣いが何より嬉しかった。ありがとう。ありったけの感謝をこめて、ありがとう。(私はイオンのCMかなんかか?)
2004.12.24
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でも、まだ駄目だとは思ってないんですけどね。わけがわからない状態に身をおいて数ヶ月。ただでさえ、転職をして新しい環境と仕事になれるだけでいっぱいなのに本当にふりまわされている。夢枕とかいって怖くて眠れないし、友達は泣いて心配の電話かけてくれるけどどうしようもないしさ。肝心の当事者である元彼がどうかしてくれるわけでもない。状況がわからなくて、自分で何かできないことに対してすごく苛立つのは、たぶん悪循環なんだろうと思う。ただ、着々と自分にできることをこなしていくだけだ。整体にいったり、忘却する(→わりと苦手)ものすごく、疲れたな・・・と思う。心理学の本とか読みすぎてるので、いろいろ冷静に自分の状況を考えてみたのですが、もう駄目だ・・・と思ったことは一度もなくて、何とかしようとおもってるから大丈夫。友達に、「ねえ、豆腐娘、さらに白くなってない?」と言われて、確かにここ数週間の自分の顔色の白さを思う。目の色も若干違う感じがしてるんです。誰も、気にならないって言われるけど自分で見てて変。色素って、体調によって変わるものなのかなあ。なんだか、生き物感が薄れてる感がするのでここからなんとか脱却しようと思うわけです。がんばれ、私。
2004.12.23
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伝えるべき場所っていうのもあると思う。女友達との定期的なお食事会にいって、久々の近況報告と綺麗な肌とかみてこうパワーをもらってきた。年齢とか学年でもなく、仕事でもないつながりの友達って利害関係もなく、ただ好きかどうかでつながっているからなんとなくいろいろな相談事に対するアドバイスも聞きやすくて的確なことを言ってもらえるしね。大人になってからやってない、プレゼント交換をしたーいとか駄々こねて、一人2000円のプレゼント交換をしたら4人がそれぞれ自分では買わないかも知れないけど、面白いものを買ってきていて、その人らしさが何だか嬉しくなるような贈り物だったなって思う。私は、takaちゃんからフォションのクリスマスブレンドの紅茶とドラジェをいただきました。クリスマスもふくめて、これからミルクティーにして寒い冬の朝をのりきりたいと思います。ドラジェは、クリスマスのアレンジメントにも使われたり「幸福・健康・富・子孫繁栄・長寿」っていう意味があるものなんですよね。そんな由来なんかも話したりして。そんな幸せな気分を抱えて出かけた仕事関係の集まりで日ごろお世話になっている方の送別会もかねていたのでお伺いしたんだけど、ちょっぴりブルーな出来事が。友人夫婦がまさにその日、離婚をすることになっておりその事実をその場で本人から聞くことになった。それまでには、いろいろなことがあったと思うし二人で出した答えに対しては何も言うことはないと思う。これから、それぞれが今までより幸せになる努力をしてもらうしかないなーって思うんだけど。仕事がらみの席で、生々しい話を聞いてしまってかなりブルーになった。いろいろあって、つらいのはわかるけど奥さんと仲いいので、なんかこう複雑なのだよ。お互いに辛さを分かち合うのは友達として、やぶさかではないのだけど、それは個別に聞きたいよね・・・。
2004.12.22
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愛するということは・・・。人を愛するということは、相手そのものやそのまわりのことを受け容れるということなんだと思う。もちろん好きになる人には好きになるだけの理由とかきっかけがあって考え方とか、一緒にいて楽しいとか、守ってあげたいとか、いろいろな気持ちがあるわけだけど、前回今回と自分に合わない恋愛をしてしまった。たまたま、相手にずっとつきあってた人がいて、私を好きになってくれたから相手と別れてというのをつきあうことになってから知ったというのが二回続いたんだけど、それ自体はほんとに世の中によくある事だと思うしそれが自分で思っていた以上に、すごくつらかった。略奪したわけでもないけど、相手の女性こととか考えてしまう自分がいて冷凍庫の中の鳥ささみ肉とか、洗面所に置かれたままの化粧品とか私が絶対買わないような雑誌とかそういうのがあって、つらかった。片付けないのは、相手の人間性より私への気配りが欠けてたんだろうな。一度目で辛くて、二度目はつきあうのをやめておこうと断ったんだけど相手がきちんと別れてきてくれたので、頑張ってみよう、受け入れようって覚悟を決めたけど、駄目でした。私自身の器では無理でした。この数ヶ月間に不思議なことをたくさん経験しましたが、そういう不思議なものを今まで怖がって信じてみることもなかったけど、人間の気持ちは思っているよりも繊細で強いものだと思う。痛いほどそれを感じて、それに向き合うためにいろいろ調べたり教えてもらった時間と、自分自身も体調を崩して、失恋をして、ずいぶんと高い勉強代についたけど、なんか自分の苦手なものがひとつわかったかな。自分自身が人としてパーフェクトではないからこそ、お互いに補いあったり思いあったりすることで、一人でいるよりも二人でいる方が魅力的だったりなんか楽しいと思える関係でありたいと思っていたんですが。相手がいい人でも、タイミングとか縁とか。本当に恋愛っていうのは難しい。本当に、疲れました。
2004.12.21
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面白いけど、色気はないな。先週、気功整体でお願いしてやってもらった吸玉療法。なんだろう。身体がふっとラクになったのはいいのだけれども今朝鏡で背中をみたら、ほんとにぎゃーーーって感じ。真っ白い背中に、紫の水玉模様がついてるーーーーー。なんか、ショッカーみたい。基本的に、テキスタイルとかパターンでドットは好きなんですがさすがにこれはちょっと勘弁していただきたい。クリスマスシーズンなのに、肌の露出する服が着られないよ。でも、会社概要のフォルダとあまりに柄が似ているのでみんなに見せて、今背中がこんな感じになってるとかいったらウケがとれたので、ま、いっか。
2004.12.20
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人は必要な時に、必要なものと出会うのだと思う。wちゃんの日記を見ていて、ふと植物園に出かけたくなった。今まで、一度も行ったことがないのになんとなく不思議なんだけどなんとなく行きたくなって、wちゃんの日記にそうコメントして今日出かけることになったんだけど、不思議なものだなあと思う。夢の島の植物園は、ごみ処理の余熱を使って温室になっている 南国の植物ばかりあって、なんだか面白かった。 寒い、真冬の東京にきらきらと陽をうけて輝く温室。 大友さんのスチームボーイの中にでてくる英国博覧会の温室 となんとなく似てる建物でそこでもわかばちゃんと盛り上がる。 植物を見ながら、wちゃんが言った一言がすごく 印象的でドキっとした。 「南の植物って、どうしてこんなに淫靡なんだろうね。」 食べ物もあって寒さで凍えることもなく人も穏やかで そういうところでは身を守るすべがなくてもよくって 本能のまま生きていてもいいということなんだろうかと。おおらかな植物と一緒にいると、こちらまでなんていうのか心のささくれがとれてくるような気がする。1000円で体験できるフラワーアレンジメント教室も花材だけでこえてしまっているゴージャスさで、集中してレゴとかミニチュアを作るような緻密な作業がむちゃくちゃ楽しかった。私は、こういう手先を使う作業が好きなんだなーって。 感性が優れてる友達と過ごす時間ほど、なんだか心を豊かに してくれるものはないなーって嬉しくなった。 植物を見ると、なんだかやさしい気持ちになれます。
2004.12.19
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ごほうび、pls。人と人との縁というものは、すごく不思議なものだと思う。今日はある人の誕生日でした。その人の同僚が、0時を過ぎてすぐのタイミングで誕生日ですよ。なんかお祝いしてあげなよってIMで言ってくれた。18日だということは覚えてたんだけど、今日が18日だとは気づかずリマインドしてくれなかったら、危うく忘れるとこだった。でも、同僚からリマインドされるってのも不思議。特に、昔つきあってたからなあ。今は一番大切にしてる友達のうちの一人なのだけど。たくさん話をして、いいとこも悪いとこも知っているからこそ何をしててもどんなことをしても、幸せになってもらわないと困るし人間だから一瞬は失敗したり、凹んだりいろいろな時期があるけどなんか、常にこっそり味方でいたいなーと思っている。あきらかに間違ってたら、ばーかって止めるだけだと思うんですが。それ以上に何ができるわけでもないし、何かをするつもりもないけどね。でも、損得抜きで才能を一番信じてる友達っていう意味においてはまあ、わかってるとこも多くて信頼してるもんで味方したくなるな。私自身も、ものすごく影響をうけてる。例えば、私自身は転校が多かったのでなんとなく生活のサイクルを1年単位で考える癖が子供の頃から身についてたり、いろんなものを続ける意味を見出すことができなかったんだけど。うーん、今までで一番長く続いたのってピアノを17年とかそれぐらい。あと、恋愛でいうと一番長くても5年か。あ、意外と続いてるんじゃないですか。(と思いはじめる)とりあえず、今のところこの日記は1000日続いてる。自分のために、忘れないように書いてることが多いから人にとっては面白くもなんともないと思うけど、文章の書き方でその頃の自分の状態があとになるとわかるから、なんだか面白い。そして、忙しかったり遊び心がなくなってたり、日記の更新がないとか文章が面白くないとかでいろんな人に心配されるのも不思議。まあ、これを続けていたのもあって今の自分があるんだと思うよ。そういう意味では、つきあってた時はいろいろ具体的に手のかかる子でしたが、そのかわり人として広い範囲でみても、これほど強く影響をうけたひとっていないんだよね。まあ、いろいろ褒めてみようとも思うのですが君は、面白い生き物だと思う。だから、考えることは面白いし面白いから人が集まるの。その自分内企画のQCを落とさないように、これからもっと頑張ってね!
2004.12.18
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契約更新することにしました。来月で、自宅の契約が更新になるので引越しを考えてました。もう丸4年住んでいることになるし、オフィスへの乗り換えがあって終電とかだと辛いから一本で通勤できるところに引っ越そうかなって。でも、この数年(特に最近の3年)で近所に友達が増えてきていてプライベートを重視するなら圧倒的に今の近所にいるほうが便利。病気のときとか、なんかあったときのことを考えると頼れる友達がたくさん身の回りにいるのは安心。父の仕事で、毎年転勤をしてたので4年も住んでるのって人生初でその間に友達が近所に越してきたり、その友達と知り合ったり近くに住んでる人と知り合って、行きつけのお店を教えてもらったりよくいくお店の人と仲良くなったり、なんか実家とか引っ越さずに大きくなった人にとっては当たり前のことなのかも知れないけど変わらない生活があるっていうのは、何だかいいものだなあと思う。子供の頃、自分がものすごく欲していた生活だから。変わらない家、変わらない生活、変わらない人間関係。それは、私が今、自分で働いて生活しているから選べる自由でいて親に養ってもらっていた時には選べなかった人生だからかな。今の生活が、このまま続いていくと思っているわけではない。必要があれば変わるだろうし、そういうタイミングはいつかやってくるとは思う。変わることは悪いことではないしね。でも、子供の頃の転校生コンプレックスがここにいる4年で随分癒されたというか、なんだ!何でもないことなんじゃん!!と気がついたというか。まあ、自分の手に入らないもの。隣の芝生は青かっただけなんだなーと思ってみる今日この頃。当たり前のことだけど、自分の芝生こそ手をかけてるから一番いいと思える人生でありたいなあと思う。
2004.12.17
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気にすることなく、幸せな時間を積み上げたいですな。女友達と5人で鍋をしてる時に聞いたんだけど今まで実家にいた友達が、マンションを買おうかと思って探し始めたのだそうだ。 いくつか見ていく中で、あるマンションの営業がずいぶんおかしな人でね。「○○さん、あなたは負け犬です。 でも、こんな素敵なマンションを買えばあなたも立派な負け犬になれるんです。」 と、説得されたそうだ。 ・お客さんを負け犬呼ばわりしていいのか? ・言われて買う人がいるんだろうか? ・それをいえる君はえらいのか? ・だいだい、立派な負け犬ってなんだよ。 ひとことで、これだけの疑問をよぶ彼はすごいと思う。ていうか、単純に人としてアホなんじゃないの?とも思うが 怒らなかった友達は偉いと思う。でも、人の人生はひとつの価値観で決まるものなのかしら?仕事も考えも育ってきた環境も違うし。つきあう相手も違うから、別にひとつの価値観で負け犬って言わなくても。結局は、死ぬ時に自分が自分の人生に満足できるかどうかってことで今はその過程に過ぎないと思うから。
2004.12.16
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結局、楽天広場に書くのかよ!メガネマニアなライター、いしたにさんに誘われて恵比寿のらっきょというお店でこっそりひっそりおこなわれた忘年会の勝手にBlog of the year!に参加してきました。お店に入るとほぼ同時に、みやーんに「やっと知ってる人が来た!」と仔犬のような目で見上げられました。なんだ、このシチュエーション。そんな幕開けからはじまり、えーと、一言でいうなら濃すぎ。それぐらい、狭いお店に、20にんぐらいぎゅうぎゅうに詰め込まれててなんか見たことあるんだけど誰だかわからない・・・みたいな人が多くエピソードを聞くと!ああ、読みました!!みたいな有名なブロガーが多くてすごいことになってました。あれを、混沌といわずして何をそういうんだろうという感じ。ていうか、モダシンさんがかわいい女の子に囲まれててうらやましい。モダシン・すてき写真(shuirover)モダシン・すてき写真その2(モダシン。ver)モダシン的に素敵なオレ写真は、文豪なイメージだそうです。うーん、これ文豪?こんなモテ状況きっとブログがなかったら、ありえないんだろうなーとかこう失礼なことを思いながら、小鳥さん、平田さん、みやーん、まつゆう飛鳥くんというなんかいつもの顔ぶれで飲んでました。あたしたち、人見知りなんですねえ。うんうん。結局、大賞は「切込隊長×木村剛さん」によるブログコラボレーション企画におくられることになりました。21時にはじまり、終わったのが結局夜中の3時。小鳥兄さんは次の日有給をとってきたと、別れ際に高らかに宣言してくれましたがおうちにもどったあと、私は仕事しながらイエイリさんとIMしてましたとさ。イエイリさんと隊長は東京プリンに一人はいそうだな。そんなわけで、過ぎ行く2004年をかみしめながら来年はもっと面白いことをやろうと思う年の瀬の夜でした。転職してから、自分のMovable Typeを2.66からver.upできてなくてサイトをとじてましたが近々いろんな意味でTypePadに移行します。(急に、上司の目を意識してそわそわしだす感じ)どこに書くかを一日悩んでましたが、あきらめて一番長く続いてる楽天広場に書いてみた、shuiroなのでした(涙)
2004.12.15
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ひとつひとつ。週末から、整体にこまめに通うよう先生に言われた。あまりにも身体が緊張している状態で、このままだと本当に頚椎に影響がでてしまうから少しずつほぐしていこう。しばらくの間毎日、もしくは一日おきでもいいから整体に通いなさいって。そうやって少しずつ身体にいい癖をつけていって、頻度をあげることで整体そのものを受けるストレス(施術師の人に人見知りをするから・・・)とかそういうものをなくしていこうと。徐々に徐々に。身体は、訳がわからないストレスに対してものすごく身構えてて夢見つづけてたり、まあ、何日かに1回は知らない人に突然話しかけられたりするし、まだ、なんかこわいんだよね。ほんとなのかなーと疑う気持ちもまだある。でも、何とかするしかないと思う。自分にできるところから、ケアしていくしかないよなあ。今年の冬はボーナスつぎ込んで、身体をなおします。
2004.12.14
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一期一会よりも、二度目に会う偶然の方が縁を感じる。仕事で、4年ぶりに会う人がいて(お互いに)印象が随分変わったこととキャラもなんか変わってないか?ということに驚く。熱く語ってもらってて、その中でいくつか物事の印象とか捉え方がわりと近いんじゃないかなってことを思ってて、昔はそうでもなかったんだけど常に人間関係近いとこにあって、友達とかから状況聞いてるし、その人のお仕事も大好きだったので、不思議なものだなーと思う。縁とは一期一会ではなくて、本当は二度目に感じるものかも知れませんね。普段自分がいってることとか、友達と話してることとすごく近くて。感性とか似てるんだろね、たぶん。だから、人間関係も自然と近いところに落ち着くんだと思う。縁といえば、毎年恒例。秋になると徹夜悲しいメールがやってきて、年末ぐらいにいっぺん会っておちつくっていうntさんとの再会もついでに果たしてしまいました。帰り道にばったり会ったので、坊主頭をこっそりなでてきました。目上の方に失礼な話なのですが、一度触ってみてから楽しくてつい。長年アイドルなのだけれども、年々仕事での接点みたいなのが増えてきてまだ直接ではないけどそれもまたなんだか不思議ですね。ひとみしりをするから、ゆっくりと人と仲良くなってくことが多いんだけど細く長くこういうおつきあいができる人が、仕事でも増えていくのがとても嬉しいことだなと思う今日この頃。これもずっと働いてるから、実感できることなんでしょうね。
2004.12.13
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どうでもいいことで盛り上がる。昨日の夜、近所で自然薯豆腐というものを手に入れて食べてみた。もう4年も住んでるけど、こんなところにお豆腐屋さんがあるなんて。お豆腐屋さんにより近いとこに住んでた人にメールをしてみた。「自然薯豆腐っていうの買ったことある?」自然薯ってことは、芋でつくった豆腐なのか?とかそれはポタージュのように自然薯をにがりがわりにいれたものなのかとメールで盛り上がってみた。いや、たぶん豆腐と自然薯を混ぜたものなんだと思うんですがこれが美味。ご近所を脱出した彼に、ぜひ食べさせて脱出したことを悔しがらせてあげよう。女友達と、魔砂味ちゃんが働いてるマッサージにいってみる。途中、空手の話で盛り上がる。(空手をやってる友達なので)以前教わっていた講師は、女性が本気で空手をやるのは気に入らなくて試合とか出るのも気に入らなくて、昨日も早く結婚しろとか言われたそうだ。仕事で月謝をもらってるというのに、変わった人だなあと思う。確かに、師弟関係ではあるけど、今どき習い事もサービス業じゃないのかと。たぶん、その人(まだ30前後らしい)が彼女と結婚したいんだろうなでも綺麗だから声かけられないんだろうなーとか想像して、喜ぶあたし。人それぞれ、幸せになるにはタイミングってものがあるんだから彼女にはまったく気にせずに空手を続けて欲しいものだって思う。魔砂味ちゃんに、初めてマッサージをしてもらった。だいたいにおいて、私が疲れてないほうが珍しいとは思うんだけど今回は特別に疲れていたのでマッサージにいって、整体にいくというダブルシフトで。彼女が今のサロンの学校に行くかどうするかを決める時に、一緒についてったという縁もあって、なんか働いてる彼女を見るのって不思議な感じがする。案の定、めちゃくちゃ痛かったけどなんか、じわーっと涙が。彼女の優しい手にマッサージしてもらううちになんだか気持ちがリラックスしてきたのは、マッサージが上手なのもあるけど友達だからなんだろうな。普段、映画とかアホな話しかしてませんが彼女の心配りにすごく感謝しました。あたりまえのことをわかちあえるのが、一番の幸せ。
2004.12.12
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なんだか、心無いことをしたなあと反省した。最近、蓄積された寝不足のせいか身体が冷えている。ゆたぽん2個と毛布二枚と仲良く暮らしているけどついに・・・できるだけ日をあけずに毎日きてくれれば、今月中に直します。これ以上放置すると頚椎までいってしまいますよ。と、脅かされるまでに成長いたしました。いえーい。近所のおじさんがすすめてくれた中国人医師の整体にいくことにしました。基本的に、デリケートなもので。はじめてマッサージとかしてもらったあとに、寒気がとまらなくなったり気の合う合わないというのがあるので新しいところにいくのは冒険です。資料を見てたら、なんと友達の上海にいる母御用達の医師のお弟子さんでした。人間国宝みたいな資格を持っている気功と整体が出来る人で、治療は一年待ちと人気ある方だそうで。会食したあと少しみてもらえることになったのにその時、私は人見知りがひどくてまったく人に触られるのが苦手で断りました。そのかわり、虎のポーズとかいろいろ気功について教えてもらった。有名な方だということだから、お弟子さんもきっとたくさんいるんだろうけどずいぶんたって、受けてみるのは不思議な感じ。しかも、自宅の近くで。あたたかい指にほぐされていくうちに、8年前のことを思い出しました。(指が最初から温かいってすごくない?)一年も待つぐらい人気の方のご好意を無にしてしまった自分とか、あの時そのおじいさんは、どんな顔をなさっていたんだろうとか、しみじみ。資料を見ているともう故人になられたそうだから、もう二度とその方にお会いできることはないのだと思うと、ちょっと惜しいことをしたなあと。それにしても、気功の人間国宝って誰が審査するのかが気になるなあ。
2004.12.11
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うどんすきって、すきやきにいれる饂飩じゃないのね。同僚とその奥さん(新婚さんなのだ)と5人で美々卯へ。忘年会もやらないうちの会社なので、スタッフみんなに声をかけて食事会をすることになりました。会社がまだ小さいからなのかな、それともオタクばかりだからなのかはわからないけど、うちの人たちはいわゆる”おつきあい”というような社内の儀礼的な感じじゃなくて話やすい。人間的にあったかいし、話題がオタクで面白いのだ。引越ししたら、家のネットワークの配線をどうしようか、壁からつたわせようかを考えるという話で盛り上がっていた彼ら。(あたしは、インフラとか興味ないので)うちの人たちはともかく、奥さんもかよ、とつっこみたい。自宅に帰ってきて、ぼーっとテレビをみながら作業をしてたら気象予報士の真壁さんという方が、からすみの話題をしていた。日本酒の仕込みには、ある程度の寒さが必要だが今は温度管理がきちんとできるようになっているので暖冬が影響ないということ逆に、からすみには今年のように台風がいい影響を及ぼすらしく今年はからすみの出来がいいということをいっていた。なるほど・・・と思うのと同時に、天気のプロフェッショナルであるだけじゃなく、こういうレアな情報を調べるのも大変だよなと思っていたら、気象予報士のyoriちゃんのブログにある会食でからすみの話を聞いたのでネタに使えないかなーと書いてあるのを読んだ。なるほど、ネタ元はここでしたか。世の中は不思議と、縁でてきているものが多い。意識せずとも、なんとなく心に響くものというものがあるものだ。そういうネタを拾える人で私もありたいと思う。
2004.12.10
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あたりまえのことをあたりまえに。日常の中でよくインターフェースについて会話をしているのだけどこれもやっぱりどっぷりオタク社会に身をおいてるせいなんだろうか。例えば、土鍋。例えば、パソコン。例えば、部屋の電気のスイッチ。例えば、パスネットをいれる改札。例えば、電気炊飯器。暮らしの中のありとあらゆるものの使い勝手を、まともに考える時そのほとんどがあまり使い勝手を考えてないことにハッとする。作ることに夢中になるあまり、納期に夢中になるあまり??たぶん、その道具のほとんどは誰が使うのかをイメージされないまま作られているから、誰がきても違和感はないけど、誰にとってもまったくFitすることのないまま見過ごされているものも多い。使う人がまずありき。今はもうすでに、そういう消費の時代なんじゃないかと思う。きてくれた人全ての人がお客さんではなく、お客さんを選ぶプロダクトがあってその先に、そのプロダクトを選ぶお客さん同志のつながりがある。みんながひとつのものを流行を追うように消費するのではなくて自分に合ったものを選べるよう、せめて誰が使うのか誰に使って欲しいかイメージして物を作って欲しいものだと思う。どう、使わせるかではなく、どう、使われるかが興味の対象だ。
2004.12.09
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知りませんでした。ウェブログ関連の飲み会に久々に顔を出そうと思ったら、ユッコが同じくMLに参加してて一緒にいくことになった。近所の飲み友達のユッコが、仕事関連の人たちとつながってるのも非常に不思議だけど、まあ仕事柄を考えたらそんな不思議でもないのか。いやー。びっくりしたのは、ユッコがすっかり働く女性に見えたこと。スーツ着ててほんとにびびりました。こないだ彼氏といるユッコもかわいくてびびりましたが。ほんとに友達の意外な一面を見るっていうのは楽しいものですな。毎回このBlog Dinnerというイベントではプレゼンをするのですが短い時間で近況とか自分のOn・OffのBlogについて説明。プレゼンについてはいろいろと教えこまれているため、コンパニオン立ち、腹式呼吸、物をもつときのしぐさをまつゆうとユッコにつっこまれました。だって、仕事柄もあってすでに癖になってるんですもの。前にも書いたことがあるけど、広報とか投資の本当にプロフェッショナルなお姉さまってプライベートであっても本当に仕草が綺麗。それに、腹式呼吸で話すのは、ああいう大勢の場所でマイクもなくていかに人の記憶に残るかを考えたら、聞きやすい声で話すことなのよね。それだけでうまいか下手かどうかではなく、記憶に残るわけです。ああ、でもまつゆうとかユッコも意外な一面を見たとか思ってるんだろな。
2004.12.08
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だって、その方が楽しいじゃない。はじめることは、難しくても基本的になんだかワクワクする。終わるときには、訳もなく気持ちが沈んでしまう。それは人としてあたりまえの感情で、平気な顔をしてみせるのはたぶん強がり以外の何者でもないんだと思う。はじめるときのワクワクもクールに、終わる時のシクシクも冷静に。まあ、それは皮膚一枚の出来事できっと中身は誰だって同じ。今は、ゼロからはじめることがあまりにも多い。で、必然的にレスポンスがさがってしまいがちなんだけどメールを一日返さなかっただけで、具合が悪いんじゃないか。熱をだして家で寝込んでるんじゃないか?って心配してくれる友達夫婦がいることに心の底から驚きました。普段の私の反応が早いからっていうんだけど、そうなのかな。それにしても、ありがたいことです。本音をいえば、今やっている仕事は知名度がある程度あってそれを自分自身でも周りの人もすでに使っているもの。そのプロダクトではじめて資料をつくったり、いろいろな文言イメージ、デザイン、すべてにおいて、期待を裏切らないよう配慮しつつ、一目瞭然にプロダクトのメッセージが記憶に残るようにしたいなって思うと、すごく慎重になってしまう。個人的にもいろいろあって、精神的に落ち着くだけで精一杯というのもあるけど、そんな状況でもいいものが作れるよう地に足をつけて頑張っていきたい。
2004.12.07
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不思議なネットワークだなって、思う。ゆづぽんと私は、友達で、元同僚で。ゆづぽんとhase君も元同僚で。hase君と私は元ご近所で(最近、引越しちゃった)オーブンとか冷蔵庫の趣味がとても似てることが引越し話をしててなんとなくわかった。hase君とMさんは、hase君を学生の頃から知っていてチュロとhase君もその当時からの長い友達で。知り合ったきっかけになったMさんとCherieはお隣で。Mさんの授賞式にCherieと参加してチュロと出会って。Cherieと私は、同じ会社で働いてたのに辞めてから偶然出会って、上司とCherieは仕事してたらしくって。チュロとゆづぽんは、仕事したことがあって結婚式でばったり会って話してたら大学の同じ学部の出身で。ゆづぽんとチュロは、みんなでハウル観にいってて城が思ったより動いてた、DVDでいいかもっていうメールをゆづぽんからもらった私は、hase君とハウルを観にいったというわけだ。なんだか、世の中はめぐりめぐってるんだなあ。こうなるまでには、何年もかかっているわけですが偶然が紡ぎだした関係にしては、複雑に絡み合いすぎているんじゃないだろうか。この先、どういう友達の輪が広がっていくのかが実に楽しみなのだ。で、そんな関係を記念してチュロとhase君とゴハンにいった。うっかり話し込みすぎて、深夜に・・・。hase君の黄色いオープンカーは、今日もオープンにされた。一度冬はオープンを空けるのが醍醐味だといってるのを聞いて、しまってるたびにからかうとむきになって開けるので言わずにおいたのに・・・チュロ・・・。後部座席でひとり凍えておりましたとさ。はてさて、ここから先。我々はどこまで仲良くなるのかしら。なんだか、とても楽しみ。
2004.12.06
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ぼーっと、考え事をする週末。道理がわからないことって、あんまり好きじゃない。どうにかできない問題も、どうにかしたくなってしまう。という話をしていたら、友達に若いねえって言われた。例えば、占いを信じたり、宗教を信じたりとか。世の中には、不思議でどうにもならないことが多いからだから、そういうものを信じて救われようとするんだそうだ。でも、そういうものって本当に救われてるのかな。たぶん、心の支えというものなんだろうな。今回、自分ではどうしようもなくなるまで人に言えなかったのも自分で何とかできるのに、そのすべをもっているのに思い込みと思いださずにいたこともなんだか不思議だと思う。それでも、人に言ってみてはじめて物事が動きだしたんだけどなんとかするのは自分なのね。そのために、考える何かとか、安心させてくれたり、いろいろ考えてくれる友達とか家族がいるのはありがたいことだなって。相手に何とかしてって思ってたけど、何とかするのは自分なんだ。ということに、今日気がついた。今回は、彼氏の問題だから何とかしてよってずっと思ってたけどそういうことではないのかも知れない。求めるものがたぶん、あたし間違えてたんだな。あと、もうひとつ気がついたのは・・・大殺界とか、厄とか、0学地点とかなんか占いにはいろいろな周期があって大変なんですね。常に、自分がついていない人間に思えてしまいそうだ。とか、ひねくれものは、今日もいろいろ思うわけです。
2004.12.05
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今日、一緒にいてくれた人に。ありがとう。現実的ではない夢枕とかあまりの訳のわからなさに、殺されるんじゃないかと思い思わず彼と別れたが、なんとなく悲しい。昨日の夜は、ゆづぽむとcherieとBarで楽しく大人飲みをした。モヒートとコスモポリタンを飲んだ。急に夢を見なくなったのと、異常に痛かった肩の痛みがとれなんだか解放感でいっぱいだった。ゆづぽむが翌朝、boさんおすすめの岩盤浴に連れてってくれ身体があたたまってリラックスしてきた所為なのかな。急にいろいろ思い出して、悲しくなってきた。オフィスが近くなった時に、外食ばかりしてて顔色悪いからたまにおにぎり作ってあげようと、作ったおにぎりの写真が携帯にあって、それ見て半泣きしそうになった。どこに、自分で作ったおにぎりを見て泣く人がいるんだろう。してもらったことも、してあげたかったこともまだまだたくさんあったのにな。夕方、Yasとmiho夫妻のおうちに遊びにいく。本当は、Yasが彼と二人で招待してくれたんだけど、結婚式の予定があるからって一人でいくと答えてたもの。でも、ほんとに一人になっちゃったよ。3人でシチューを作って、ワインを飲みながらくつろいでるとなんか、ここのところ緊張してた毎日が嘘みたい。張り詰めて延びきった糸が、じわじわと柔らかくなってくるような感覚を覚えて、不思議な気持ちになる。ユッコと彼と友達、cherieも合流してみんなで大騒ぎをする。大雨の中をタクシーで帰りながら、みんながいてくれるから来週も一週間、何とか頑張れるなって思った。ありがとうっていうのは、こういう時にいう言葉なんだ。人は、痛みを知るたびに儀礼的に交わしてた言葉の意味を知るものなのだなって、ふと思った。
2004.12.04
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母にも似ていると思います。うちの両親はずっと過保護だと思っていたのですがどうやら過保護なのは母だけで、父はそれに踊らされていた部分も多いように最近になって思います。よくわからないけど、金縛りにあったり夢枕にたたれて毎日お祭りのようにいろいろあって大変だという話を親にしていたら、母が電話のむこうで大騒ぎ。・金縛りは若い頃にはよくあることだけど、28のあなたが 頻繁にかかるのはおかしいと思う。・榊でも塩でもお酒でも、大蒜でも、ひいらぎでも、唐辛子 でもなんでもいいからとにかく、魔除けになりそうなもの を買って身の回りにおいておきなさい。お母さん行こうか?自分の娘がもう若くないと冷静に判断している母。だがしかし、魔除けの中に自分が参加してていいのだろうか?そういうところがたまに、似ていると思う。
2004.12.03
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だって、欲しかったんだもん。昨今の野菜の高さといったらない。おまけに、どうしても外食が多くなる私の生活において白菜まるまる一個はもてあましてしまうのかも知れないけど白菜一個 120円。まるまるとつややかに光る真白な白菜の芯が呼んでました。仕事中なのに、ついうっかり白菜をまるごとお買い上げ。挽肉と葱とザーサイを刻んだものをあわせて白菜と重ね蒸しにしたり、白菜とベーコンのミルクスープを作ったり白菜だけで5品ぐらい作って大満足でした。主食を食べずに、白菜を3/4ぐらい食べたかな。まんぞくまんぞく。実家では、毎年柚子をしのばせた白菜漬けを作っていてなんとなく化学調味料を使っていないお漬物を食べていると心がほっとします。さすがに、今は一人暮らしで白菜漬けをつけるほどにはマニアックではありませんがなかなか楽しいものです。仕事柄おつきあいもありますから、毎日自炊とはいかないけど週に2日ぐらいは自炊ができるペースになれるように仕事とプライベートのバランスが作れるといいなと思う。
2004.12.02
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もうずいぶん長いこと、夢を見ていた。誰かに夢枕に立たれていると、古い知り合いから言われたのはかれこれ一ヶ月ほど前になると思う。榊と塩を自宅に持ってきてくれた彼女も充分ホラーだがそれよりこわかったのは、持ってきた榊が一晩で枯れた事だ。知らない人に恨まれてるなんて、そんな根拠もないことを信じるほどでもないけど、さすがにあれは怖かった。夢枕なんて、非現実的なことはあまり考えたくない。たぶん、いろいろなものが原因なんだろうとは思う。でも、解決方法が自分では見つからないのが難点だと思う。榊が枯れたあと、さすがにこわくて彼に相談をしたけど毎晩祈っていてはくれたみたいだけど。。。私の安心にはつながっていないようだ。月曜ぐらいから、ふくらはぎが張ってるから自律神経とかこわしたらやだなーと思って、体調管理をしております。が、やっぱり無理なんだよね。自分で我慢をするには、やっぱり限界があるんだって思う。今おつきあいしている彼の元彼女に夢枕に立たれているみたいなんだけど、自分の知らないことって否定のしようがないしいちいち相手に聞くのもどうかと思うし。相手を知らないから、説得するわけにもいかないしね。でも、我慢の容量を越えてしまったみたいだ。帰り道、地下鉄の駅で動けなくなって途方に暮れました。しばらくぼーっとして、そこから何とかつたって階段をあがっていってタクシーにのって帰りましたとさ。帰りながら、外を見ながら泣いてて思ったの。私は、子供の頃から人に甘えるのと泣くのが苦手だなーって。タクシーの運転手さんにばれないように、声をころして泣いて家に帰ってから音楽をがんがんにかけてわんわん泣きました。たぶん、目とかはれちゃうけどいいの。でも、もしかしたらその人は私のことを恨んでるかもしれないけどそしたら二人を均等にうらんどくべきじゃない?というか、むしろ彼氏の方を積極的に恨んだほうが前向きだ。私だけ一方的に恨まれてもどうしようもないしなー。何もしてあげられないしね。どうしようもないのよね。泣いたら、なんだかすごく気持ちが軽くなったよ。
2004.12.01
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あたりまえって、実はすごいことなんだと思う。同僚と一緒に酵素風呂にいった帰り、津つ井で豚肉の生姜焼きをいただいたんだけどその見た目の美しさとごはん、生姜焼き、お味噌汁、付け合せ、お漬物とひとつひとつが美味しいことになんか感激しました。あたりまえに美味しいんだもの。mちゃんに訴え、嬉しそうに女将さんとかお給仕をしてくれるおばさまに美味しいですとか言って一人でやたらニコニコしてしまった。こういうゴハンだったら、毎日外食でもいいなあと思う。外食をしていると塩がちょっと私にはきつすぎるなって思う事が多いんだけど。そういうのが体調を崩す原因にもなってるんだけど。毎日の食事で、あたりまえに美味しいものを食べてたらいいよなあーーってしみじみ。美味しいものって、身体にいいんだ!とかしみじみ。どうでもいいことなのですが、個人的に嬉しかったの。
2004.11.30
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