「007 スペクター」21世紀のボンドにスペクター
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第三十幕~
本作品は、
「るろうに剣心小説(連載1)設定」
をご覧になってからお読みいただくことをおすすめいたします。面倒とは思いますが、多少オリジナル要素が入りますので、目を通していただきますと話が分かりやすくなります。
『きみの未来』目次
『きみの未来』
第三十幕「一生の秘密」
――その一瞬の隙をつき、斉藤は剣心の喉元に剣を突きつけていた。斉藤はそのまま、突けたはず……剣心もまた、避けられたはず……。けれど二人は、そこで止まった。
「……斉藤?」
剣心の、とまどう声。ハッと、弥彦は顔をあげる。
「今日は止めだ……」
斉藤は、ため息混じりに息を吐く。
「何故……」
「野次馬が集まってきた」
斉藤は剣を鞘に収め、ちらりと原っぱの向こうに目をやる。そこは土手になっていて、上には十数名の警官がずらりと並んでいた。今駆けてきたばかりなのだろう。みな息を荒げている。その真ん中にいる人物を見て、弥彦と栄次は驚いた。なんと、由太郎である。由太郎がこちらを指さし、警官たちは向かってくる。そんな中で――
「……弥彦」
戦いから初めて、剣心は弥彦の存在に気付く。弥彦の体は反射的にビクッとし、けれど、ただじっと押し黙る。怖かった。ほっとした。うれしくて、悲しくて……いろんな想いがあふれて……けれどそんなことを決して剣心に気付かれないよう……剣心が自分を斬ろうとしたことなど絶対に気付かれないように……。ただ剣心を苦しめたくなかったから。かすかに震える体と、心の動揺を悟られないようにするのに、せいいっぱいで……。
「拙者はまた……」
そして、自分のにぎる逆刃刀が返されているのに気付いた剣心は、ハッとして弥彦と栄次に目をやる。
「弥彦! 栄次殿! 怪我は!?」
弥彦は自分を抑えるのにいっぱいいっぱいで、口を開くことさえ出来ない。斉藤の腕から降りていた栄次が、見かねて、代わりに答える。
「大丈夫だよ。俺も弥彦も。だって緋村は父さんとしか戦ってなかっただろ? 俺たちは、ただ見てただけだから……」
「……そうか」
剣心は、息を一つつき、逆刃刀を鞘に収める。
「弥彦……」
もう一度、剣心は呼びかける。けれど弥彦は、剣心と目を合わせることすら出来ない。弥彦は熱くて混乱する頭で、必死に考える。剣心の中には人斬り抜刀斎が棲んでいて、それは決して消えてくれることはなく……その事を知っても、一度も責めたりはしなかった。斉藤と戦うことは、幕末に立ち戻るということで、こうなる可能性は十分にあった。剣心自身、あらかじめ予想していたことだ。剣心は、自分と栄次を斬るところだった……けれどそれはそもそも、自分たちが戦いに割って入ったから――栄次を連れて逃げろと言われたのを守らなかったから――
自分や栄次が抜刀斎に斬られそうになったなんて一生の秘密だ――きっと剣心が知ればひどく苦しむから―― けれど――……
「そうやって……またお前は……」
かすれ声で、やっと出した言葉は……
「薫を泣かせるのかよ……」
重い、一言。言ってから、ぼんやり気付く。ああ……だから、薫には内緒にしたのだと……。そんなこと、言われなくても分かってるに決まってる。一番辛いのは剣心だ。誰よりも薫を泣かせたくないのも剣心だ。
うつむいて、地面を見つめる。剣心を苦しめたくないのに。何故そんな言葉が出てきたのだろう。頭の中がぐちゃぐちゃで……。訳が分からなくて……。様々な感情が渦巻いて……。
ザッと、足音がし、遠のいていく。あわてて顔をバッとあげると、目に入ったのは剣心の背中。複数の警官に囲まれ、去っていく。斉藤もまた、向こうに集う警官の輪に入っており、隣りに栄次がいる。
「弥彦!」
由太郎が、息を切らして駆けてきた。
「……あの警官たちは?」
「親父の力で、集めてもらった。そーいうの、ホントはすっごい嫌なんだけど」
「ったって、剣心大丈夫なのかよっ! 斉藤だって……!」
「大丈夫。あのスダレ頭のコトだ。上手くやるって」
「いえね、ちょうど元維新志士さんに会ったもので、軽く手合わせをしていたんですよ」
藤田五郎に戻った斉藤は、ニッコリと警察たちを騙す。
「あっ、もしかして、この子が最近養子にもらわれたという……」
一人の警官が栄次を見て笑う。斉藤も笑ってうなずくと、栄次に視線を落とす。
「大阪で、いい土産を買ってきてやる」
ニッと笑い。
「藤田警部補! もう出立しないと大阪行きの船が出航してしまいます!」
うっすらと空に明るみがさす中、斉藤と剣心は警官たちに急かされて去っていった。
「オイ! 剣心捕まっちまったじゃねーか!」
「……アレ?」
由太郎は、顔を引きつらせて笑う。
「アレ、じゃねぇよ! おい栄次!」
弥彦が残された栄次に駆け寄ると、栄次の肩は震えていた。弥彦は栄次の後ろで止まる。
「……緋村なら、父さんの出張に、ついていったんだよ……」
弥彦は、言葉を失った。それが何を意味するのか――あの時と同じだ。斉藤と戦い、抜刀斎に立ち戻り、東京を去ったあの時と……。けれど、一つだけ違う。
『薫を泣かせるのかよ……』
「俺の……せいだ……」
☆あとがき☆
弥彦は剣心は大好きでも、抜刀斎に対しては薫とは違うとらえ方をするようになるのだと思いますが……それはまた、先の話になると思います。
第三十一幕「横浜港にて」
薫はまた寝込んでしまった。あの日、その足で帰った弥彦は、昨晩のことは伏せた。ただ、剣心は今朝方急に斉藤が来て出張に付き合うことになった、と告げた。急いでいたので何も聞けなかったと、薫には説明した。薫は、当然心配する。京都の時のように、また何か危険な戦いに出向いたのだろうか、と。しばらく、という期間の分からない形容は、一番辛い。無事でいるのだろうか。帰ってくるのだろうか。出張の付き添いと言われれば、自分が大阪へ出向く訳にも行かず、また京都での反省から精一杯気を張った。それがかえって、心の負担を増幅させたのだろう。飯がのどを通らなくなり、張りつめていた心も限界に達し。静かに涙を流しながら寝込み続ける。
弥彦はというと、薫の世話を妙に任せ、毎日横浜湾に足を運んだ。港までは遠い。本当なら、新橋駅から鉄道で行く程の距離だ。毎日夜中から出かけ、夜中に帰る。薫を起こさないように、静かに粥を作る。それを薫の枕元に置くと、居間で倒れ込むように眠る。数時間もしないうちに起きだし、また暗い外へ出かけていく。子供の体でそんなことを繰り返すのは無茶だったが、弥彦は毎日それを続ける。薫の様子を見、夜道を歩き、日が昇り港に着けば一日中、積み上げられた煉瓦に座り海を眺める。そして、夢遊病のようにふらふらと道場へ帰る。
その日も弥彦は、ぼんやりと穏やかな波を見ていた。とてもうつろな目で。あの日以来、弥彦は、一度も笑わない。薫と妙に必要最低限の言葉を発した以外は、声すら出していない。
結局、薫を泣かせたのは自分だ、と思った。剣心に、非道いことを言い、結果道場から追い出すようなことをしてしまったことも。そうして、心がどうしようもなく悲しいのも、すべて自分のせいなのだと……。
剣心が初めて人斬り抜刀斎だと知ったとき、剣心は聞いてきた。驚いたか? と……。弥彦には、こう聞こえた。拙者の事が怖いでござるか? 嫌いになったでござるか?
あの時、まだまだ幼い上に素直じゃなかった自分は、それでも精一杯の言葉で剣心に伝えた。怖くなんかない、嫌いになってなんかない……と。本心だった。剣心も、喜んでくれた。
けれど今、正直言って怖い。とても、怖い。その狂気を、肌で感じてしまったから。それなら、嫌いか――? 薫は、抜刀斎ではなく、流浪人の剣心が好きなのだと――普段言葉にしなくても、態度がそう言っている。
俺は、少し違う……と、弥彦は思う。ただ、分からない。抜刀斎に立ち戻り人斬りに戻る剣心が嫌かどうかと問われれば、もちろん嫌だ。ただ、薫のように、人斬り抜刀斎と流浪人の剣心を切り離して考えることが何故か出来ない。だからか、剣心の全てを好きかと言われると、それは違うのかもしれないと思う。あの時、抜刀斎に立ち戻りそうになった剣心を、苦しませたくないと思いながらも、許せていなかったのだと思う。だから、薫を泣かせるのかと、剣心を責める言葉が口をついて出たのかもしれない。それでも――それでも強く思う。矛盾しているかもしれないけれど。剣心が大好きだ。だから帰ってきてほしい。前みたいに戻りたい。買い物帰りの剣心が、夕陽の中でにっこり笑う。帰ろう、と。駆けていく自分。何をして遊んだでござるか? と聞かれ、鬼ごっご…と照れながら答える。家に帰ると、薫が夕飯を作って待っててくれる。お膳を並べて、輪になって食べるんだ。薫が楽しそうに話し、剣心が優しくうなずき……。また、あんな風に……。
「弥彦……」
ふいに、空から降ってきた声。見上げた弥彦は、息を呑む。
「拙者を、迎えにきてくれたのでござるか?」
そう、優しく笑ってくれたのは、まぎれもなく剣心――
「けれど、拙者が帰るのが今日だと、何故分かったでござるか?」
数秒の間、弥彦は剣心を呆然と見つめていた。けれどやがて、弥彦は煉瓦を降りると、静かに剣心に抱き付いた。そのまま、声を殺して肩を震わせる。涙を、剣心の着物に染みこます。弥彦が、自分から誰かの背中に腕を回すことは、道場へ来てから初めてではないだろうか。
「弥彦……どうしたのでござるか?」
弥彦の背中に腕をまわした剣心は、不思議そうにたずねる。弥彦はバッと顔をあげる。涙を飛び散らせ、驚いた顔で。
「だっ……、もう……帰ってこないかと思っ……、俺が非道いこと……言ったから……」
言いながら、どうしようもなく悲しくなってしまった弥彦は、再び剣心のお腹に顔をうずめる。
「……薫殿を泣かせるのか、と……言ったことでござるか?」
「剣心俺は――」
剣心にしがみつく力が強くなる。
「剣心の中に、抜刀斎が住んでいても……」
言葉は、続かず……。大好きだ。大切だ。そばにいてほしいんだ―― どの言葉も間違ってはいないけれど。何も、言えずに……ただ涙が止まらない。ぎゅっと、抱き付いた体を強く押しつけるのは、無意識にした意思表示。
背中にまわされた、剣心の腕が、優しく引き寄せてくれる。
「済まぬ弥彦……。それから、ありがとうでござるよ」
その言葉は弥彦を落ち着かせるようで、けれど弥彦は激しく首をふる。剣心を謝らせてしまったことに、ひどく胸が痛む。
「帰ろう? 弥彦」
ふいに降ってきた言葉。あたたかくて、優しい……。それだけで弥彦の胸は、ほっとゆるむ。体の力が抜けて、膝から崩れぺたんとしゃがみ込む。
「弥彦! どこか具合でも悪いのでござるか!?」
かがんだ剣心に体を支えられながら、弥彦は力無く笑い首をふる。
「平気だよ……。ただ……毎日、道場から港が遠くって……。あと……飯とか食うの……忘れてた……」
涙を浮かべたまま、笑い、そして剣心の胸に倒れ込む。
「弥彦……!」
「……俺」
気がゆるんだのか、涙声。弥彦らしからぬ、十歳らしい、泣き声で……。
「俺……ホントはゆずりたく、なかった……。”剣心の弟子”も……”剣心の家族”も……誰にもゆずりたく、なかったよ……」
「……弥彦?」
剣心の体がわずかに揺らいだのを感じ、弥彦はハッとする。剣心から離れ、あわてて袖で涙をぬぐう。
「ごめん。ワケわかんねぇこと言って。何でもねぇんだ……」
いつもの調子に、務めて戻る。もう大丈夫だ、と言っても、剣心は弥彦を驚いたように見つめたまま――
「……へーきだって。帰ろう? 剣心」
剣心は弥彦を心配そうにのぞきこんだが、弥彦が懸命に立ち上がろうとするので腕を貸してやる。
「ああ。帰ろう。弥彦」
神谷道場に……家に、帰る。一緒に、帰る。同じ場所へ、帰る。
それがどんなに幸せで、幸せで、幸せで――
弥彦はこくりとうなずき……その目から大粒の涙がこぼれた。
☆あとがき☆
横浜港での一連の出来事は、ずっと前からの妄想でした(*^^*) 斉藤さんとの一件と繋がっていたかは忘れてしまいました^^; ただ、剣心がどこかへ行ってしまって(なんか簡単な用事だったと思いました…) 何らかの原因で弥彦は自分のせいだと思い込み、薫もまた落ち込む…という妄想だったと思います^^; 港で待ち続けて、やっと帰ってきた剣心に抱き付く弥彦は、考えただけでかわゆすぎですv
作中では、弥彦が、剣心と抜刀斎について深く考えていますね…。弥彦は薫さんとは立場が違うから、抜刀斎に対する考え方も違ってくると思うのですが、それはまた先の話になると思います(前回もこれでしめましたね^^;)
第三十二幕「信じるものを違えた者同士」
床に伏せっていた薫は、帰ってきた剣心を見るなり、思い切り抱き付いた。済まぬ、と薫を抱きしめる剣心に、人目もはばからず大泣きする薫。
弥彦は気を利かせて、庭に出る。
「弥彦!」
ふいに声をかけられ道場の門を見れば、駆け寄ってきたのは由太郎と栄次だった。
「お前なあっ! まいっにち探したんだぜ!?」
夕陽に包まれた、いつもの河原の土手。そこに仰向けに寝る弥彦に、隣りに座る由太郎は怒鳴る。
どうやら、由太郎と栄次は、道場にいない弥彦を毎日心配してくれていたらしい。薫は寝込んでいると言うし、妙も弥彦がほとんど帰らずどこに行っているともしれないので、心配していたらしい。
帰るか知れない剣心を待つために、毎日歩いて港まで行っていたことを話すと、由太郎はあきれ果てる。
「なんて無茶するんだバカ! それに一言ぐらい俺たちに言えよ!」
「由太郎……俺、腹減って……目が回るぜ……」
弥彦が見上げる夕空は、ぐらぐらしていた。けれど由太郎は弥彦の胸ぐらをつかむ。
「本当に心配したんだからな!!」
由太郎の怒鳴り声に、弥彦はハッとする。
「……悪ぃ」
ボソリと由太郎にあやまり、そして栄次を見る。隣りに座る栄次は、目をそらし押し黙ったままだ。けれど、何故か、泣きそうで……。
「栄次?」
弥彦が声をかけると、栄次は体を固くする。その腕の中に、なにか抱えている。
「それ……刀か!?」
弥彦は驚いて体を起こす――が、ふらりと後ろに倒れ込む。見かねた由太郎が、懐から小さな包みを出す。
「ほら。豆菓子だ。食えよ。あっ、水も……」
教科書等を包んだ風呂敷をほどき、竹筒を出す。どうやら由太郎は、学校が終わってその足で弥彦を探していたらしい。
「……ありがと」
食べることへの礼儀は、何故かかかさない弥彦は、ふらふらと起きあがる。いただきます、とボソリと言い、豆を噛み砕く。甘くて、ほっとする。水を飲む。飲み始めたら止まらなくなり、一気に飲み干す。体が水分を欲していたのだろう。弥彦は人心地つく。
「構わんさ……って、言ったんだ」
突然、栄次はボソリとつぶやいた。
「まだ、斉藤家に預けられていた頃。俺が、ここにいてもいいのかって、父さんに聞いたとき……」
弥彦と由太郎は、顔を見合わせる。
「お母さんは、それは大賛成ってコトなんだって、言ってくれた……」
背中を向けたまま、話す栄次。抑揚がなく、けれどどこか、辛そうな声で。
「栄――」
「もう……誰も死んでほしくなかったんだよ!」
弥彦の呼びかけを遮って、栄次は怒鳴った。涙まじりの、声だった。
「親父もおふくろも、兄貴も死んで――だからもう、誰も死んでほしくなかったんだよ! 父さんも、緋村も……弥彦…お前にもだ……!」
栄次はガバッと振り向き、弥彦をギッと睨み付ける。
「なのにお前は死のうとした! 簡単に死のうとするヤツなんて俺だいっきらいだ!」
うっすら涙を浮かべる栄次を、弥彦は驚いて見つめる。けれど栄次は、顔をそむける。
「栄次……」
由太郎は栄次の肩に手を置こうとしたが、栄次は体を丸くして膝を抱える。
「だけどそれ以上に、俺は自分がだいっきらいだ!」
くちびるをぎゅっと噛んで。それでも涙を、ぼろぼろこぼして。
「だって俺はっ、とっ、父さんが緋村を殺したら、弥彦が、おっ、俺のこと嫌いになるかもとか……そんなことばっか、考えて……なのに弥彦は、俺のために、すべて捨てて死ぬって……なっ、なんの躊躇もなく……」
「栄次……それはな……」
ひくっと肩を震わせる栄次を、弥彦はのぞきこむ。
「それは、俺が自分で決めたことなんだ。この目に映る泣いている人たちを守るって。その為なら、例え死ぬことになっても、剣を振るうって。栄次、お前は泣いただろ? 斉藤を失いたくないって、涙こぼしただろ?」
「――!」
栄次は、あわてて涙をぬぐう。乱暴に。そうして――
「……これ」
栄次が、抱えていたものをスッと掲げる。黒色の木刀だった。
「父さんの、大阪土産。これ持って、庭で牙突の鍛錬を見るのも、稽古するのも、勝手にしろって」
「それってつまり、斉藤サンが栄次に牙突を覚えるコトを許したってことだよね?」
由太郎もまた、栄次をのぞきこむ。栄次はうなずく。
「俺はこの剣で牙突を覚える。だって俺はいつも守りたい人を守れないから! 親父もお袋も兄貴も……こないだだって弥彦が死にそうなのになにも出来なかった……!」
栄次の目が赤い。再び涙をにじませて――
「父さんに聞かれたんだ。お前には揺るぎない正義があるのかって。俺やっと分かったんだ。俺の正義は、守りたい人を守ることだ。だから悪いヤツはすぐに倒す。新月村みたいな悲劇を繰り返さないために……。殺された家族の為にも……。そして今大切な人たちを守るためにも……。だから俺の剣は悪・即・倒だ」
栄次は木刀をグッと握った。
「じゃあお前の剣は活人剣なんだな!」
うれしそうな弥彦を、栄次は何故か見据える。
「……今のところは」
「は? なんだそれ」
「悪・即・斬。悪いヤツはさっさと斬る……それが父さんの正義。俺、それ、間違ってないと思うよ。だって斬らなかったらそいつは、また他の良い人を斬るかもしれねー」
弥彦と由太郎は……特に弥彦にとっては、その言葉は衝撃的だった。斉藤の背中を追いかけても怒らないと、確かに言った。けれど栄次に殺人剣は振るってほしくない。栄次には……だって栄次は……。
「たださ、今はまだ分からない。父さんは、悪即斬と言いながら、俺が家族の仇を討つのを止めたんだ。仇討ちは禁止されてるからとか、最もらしい理由並べてたけど、ホントのところどうだったのかなって思う……。俺に、手を汚してほしくなかったのかもとか、思う。実際、あの時のことは俺、感謝してるし……。けど……」
栄次は、木刀を握りしめる力を強くする。
「なぁ弥彦。俺が完全に父さんの正義を肯定したら……緋村の味方のお前は、俺を敵にするのか?」
「しねぇよ」
即答だった。
「俺は剣心の味方だ。だから敵の斉藤は嫌いだ。それだけだ。お前は剣心の敵じゃねぇ。俺のダチだ。斉藤と剣心が敵同士でも、俺たちには関係ねぇ。そーだろ?」
「……そっか」
斉藤が栄次に何度も言った。神谷のガキとどうなっても俺には関係ない、と。あれは、そういうことだったんだ。
「けど、やっぱり殺人剣はよくねぇと思うから、お前がそーなりそうだったら全力で止めるぜ?」
弥彦は真剣に栄次を睨む。
「そーしたら、闘うことになるかもな」
いつのまにか泣きやんでいた栄次は、弥彦の視線を受けとめ、返す。
「ああ。友達としてな」
弥彦の言葉に、栄次はうなずいた。
由太郎はそれを、その事実を、ただ受けとめた。
弥彦と由太郎と栄次。三人は友達で。例えば弥彦と由太郎が、親友であり好敵手なら。由太郎と栄次もまた同じで。けれど弥彦と栄次は、少しだけ違った。
二人は、信じるものが違ったから――
弥彦は剣心を、栄次は斉藤を、信じていたから――
だから二人闘うときあらば、それは、親友として好敵手として。
そして信じるものを違えた者同士として……。
道場へ帰った弥彦は、ちょうど家事で庭へ出ていた剣心に、開口一番に言った。
「俺、強くなる!」
色濃い夕陽ただよう中で。弥彦は剣心を強く見つめた。
弥彦の、強くなる、には、様々な意味と思いが込められていた。
剣心は、少し済まなそうに、微笑した。
☆あとがき☆
弥彦、由太郎、栄次。三人の友情は、思いっきり妄想ですが(いえこの小説自体ほとんど妄想ですが…)大好きですv それでも、弥彦と栄次、この二人に限っては小説内で書いたように複雑…というところにこだわっています。でも親友であることに変わりはないんですけれどね(*^_^*) 子供同士は仲がいいのに、その保護者兼師匠同士が敵対している…というところがなんかツボなのです。
第三十三幕「斉藤の信念 栄次の信念」
次の日、斉藤家の庭では、早朝から栄次が牙突の稽古をしていた。
「ほう。なかなか上手いじゃないか。転び方が……」
廊下を歩く斉藤の、皮肉たっぷりの言葉に、栄次はムッとする。けれど気を取り直し、再び突きを繰り出す。均衡を崩して転ぶ。けれどまた起きあがり、また突き、また転び……それを繰り返す。
「今日はやけに気合いが入っているな」
栄次は体を起こすと、牙突の構えをとりながら答える。
「強くなりたいんだ。こないだは、弥彦に助けられてばかりだった。俺、友達としてうれしかったけど、だけど同じくらい悔しかった! もうそーいうのは嫌だ。弥彦は友達だけど好敵手だ。だからちゃんと対等になりたい! いつか、俺の信念とあいつの信念がぶつかったとき、ちゃんと戦えるように……!」
「フン……」
斉藤は鼻で笑うと、庭へ下りてきた。
「何がおかしーんだよ!」
「ガキが一丁前の口をきくからな」
斉藤は栄次の背中にまわったかと思うと、後ろから栄次の両手をつかむ。
「なっ……」
「足をふんばってろ」
斉藤はそのまま牙突を繰り出す。目の前の空気が裂かれた。あまりの衝撃と速さに、栄次は声も出なかった。体が震える。最強の剣を体で感じた。なにより、信じられなかった。養父が、剣の指導をしてくれた――
「ま、せいぜい頑張れよ」
斉藤は、フンと笑い去っていく。栄次の胸は高鳴る。その言葉と態度の中に込められた温かいなにかを、確かに感じ取ったから。
栄次は気合いを込めると、再び稽古を開始した。が、ふと思うことがあり、斉藤を呼び止める。
「あのさ……緋村との勝負を邪魔したこと、怒ってる?」
「決まっている。実に不愉快だ」
即答だった。
「……ゴメンナサイ」
「フン……それでもまた同じコトが起きたらお前は、また俺に剣を向けるのだろう?」
「そーだけど……でも男と男の闘いに水をさしたのは、悪かったと思ってるから……」
「……」
斉藤は振り向き、栄次の方に戻ってきた。
「勘違いするな。俺が不愉快なのは、お前等が俺が負ける可能性があると思いこんだことだ。俺が抜刀斎に負けることは絶対にないというのにな」
「……すごい自信だね」
斉藤はニッと笑う。
「当然だ。信念を貫くとはそういうことだ。よく覚えておけ」
「ねえ父さんは、俺が悪即斬の信念を持つのは嫌なの?」
「何だ唐突に……」
栄次が目をそらさないので、斉藤はフウと一つ息を吐く。
「信念とは、誰に何を言われようとも、決して曲げないものだ。そしてそれは、誰でもない、自分で決めること……。たとえ親の俺でもお前の信念を決める資格はない。ただ……」
「ただ……?」
「人を斬ることは、お前にはまだ早すぎる。その返り血は、体の奥深くにまで染みこむ。洗っても洗っても落ちないんだよ。子供のお前には、それが毒となる。親が洗って落とすことができない汚れをつけられると……辛い」
栄次は驚いて斉藤を見上げる。斉藤はふいと背を向ける。
「抜刀斎とは早めに蹴りをつけておきたいと思っていたのだがな。だが、勝負はひとまずお預けだ。またお前等に邪魔をされてもかなわんしな。だが、いつか必ず――」
そうして斉藤は、今度こそ去っていった。
残された栄次は、しばらく斉藤の背中を見つめていた。
「そっか。父さんがカッコいいと感じるのは……」
揺るぎない信念を持っているからだ。そう確信し。
そうして、強く前を見据え、稽古を再開した。
☆あとがき☆
斉藤さんと栄次の親子関係好きですv 剣心と弥彦とは違い、こちらは本当に”父と子”であろうとするんですよね(もちろん剣心と弥彦の、家族愛師弟愛は大好きですv) 斉藤さんは皮肉たっぷり自信たっぷりだけれど、そんなところが斉藤さんらしくて好きです^^ その裏にきっとある、栄次を大切に思う気持ちがうれしいですv 栄次がとまどいながらも父を慕っていく様子がまた好きですv
第三十四幕「罪の意識」
「左之。いるでござるか?」
破落戸長屋の戸を、剣心は叩いた。しばらくしんとしていたが、やがて物音が聞こえはじめガラリと戸が開く。
「あーなんだこんな朝っぱらから……。確か今は弥彦との修業時間じゃなかったか?」
ぼさぼさ頭の左之助が顔を出す。寝起きのようだ。
「弥彦は少し体が弱っている故、今日は修業を休ませたでござるよ」
「なんだアイツ、病気でもしたのか!?」
「いや、大事無い。よく眠らせて、栄養のあるものを食べさせればすぐに良くなる。けれどお主、まだ寝ていたでござるか? もう十時でござるよ」
「いや、ダチがちょいといざこざに巻き込まれちまってよ。ここんところずっと、助っ人で久々喧嘩やってたからな。昨日やっと片が付いて、明け方やっと家に戻ってよぉ……」
左之助はふわぁとあくびをする。
「んで、なんでぇ。何かあったか?」
「少し……相談したいことがあってな……」
左之助は目を丸くした。けれどすぐにニッと笑う。
「何かおかしいでござるか?」
「……いや。まぁ中入れって」
左之助はうれしかったのだ。いつも一人で抱え込む剣心が、自分を頼ってくれたことが。
「俺のいない間に、そんなことがねぇ」
開け放たれた裏戸から狭い庭を眺め座る剣心を、左之助はちゃぶ台にひじをつき見る。
「抜刀斎に戻っていった拙者が、弥彦にどこまでしてしまったのだろう……。その目を向けたか、剣を向けたか……最悪、斬ろうとしたか……」
左之助の位置から、剣心の表情は分からない。庭に目を向けたままで……。けれど剣心が、至極辛そうなのは分かる。
「拙者が我に返ったとき、弥彦は明らかに動揺していた。けれど必死にそれを悟られまいとしていたでござるよ。きっと、拙者を苦しめたくないと……。栄次殿も弥彦の気持ちを察してか、何事もなかったような発言をした。斉藤も教えてくれぬしな。けれど……」
肩に立てた逆刃刀を、剣心は握る。
「弥彦が、泣いて……、失いたくなかったと言ったから……。だから多分、拙者がそれを奪おうとしてしまったのでござろう……」
「剣心……」
「けれど左之。弥彦は、強くなりたいと言ったでござる。それは自分のためでもあり、栄次殿や由太郎殿のためでもあり、泣かせたくないと思った薫殿のためでもあり、そして多分、拙者のためでもあり……なにより目に映る苦しんでいる人たちのためでもあり……」
そうして剣心は、初めて左之助を見る。それは、薫や弥彦たちには決して見せることのない、自責の念に駆られた笑顔で――
「だから拙者は、また明日から弥彦に修業をつけるでござるよ。少なくとも斉藤を殺しかけた拙者が、何もなかったふりをして……不殺の剣をと、容赦ない修業をつけるでござるよ。例えば弥彦が剣を握り違えて逆刃を返したなら、気を失うほど殴りつけるでござるよ。おかしいでござろう?」
「おい剣心――」
「けれど、それでも弥彦はそれを望んでいるし、拙者も弥彦にだけは間違えてほしくない……」
剣心は、再び庭に目を向ける。
「拙者の中に棲む人斬り抜刀斎は、もう一生、消えてはくれないでござるから……」
剣心の、他人より小さな肩が、押しつぶされてしまいそうで―― 左之助は息を呑む。
「弥彦がうらやましいでござる。弥彦はきっと、燕殿をそんな理由で泣かせたりしない。けれど拙者は、これからも薫殿を、たくさん泣かせるかもしれない……」
左之助は無言で立ち上がり、剣心の横に座り、その肩に片腕を回す。薫や弥彦にとってはたくましい肩で、それは左之助にとっても同じなのだけれど――たまに違う風に感じるときがある。
しばらく二人とも黙っていたが、やがて剣心が口を開いた。
「左之。拙者は多分、ただ左之に聞いてほしかったでござるよ。拙者がどれだけ罪深い人間であるか……。慰めの言葉なんかいらないから……ただ、左之にありのままの事実を、聞いてほしかったでござるよ……」
左之助は、まわした手を離さなかった。押し黙ったまま……ただ剣心の苦しみが、少しでも癒されるようにと……。
「ありがとうでござるよ……。左之……」
☆あとがき☆
剣心と左之助の友情もまた大好きです。剣心はもっと左之助に頼ってもいいと思います。言葉無くても理解し合える関係っていいですね^^
第三十五幕「愛情」
「さのすけー」
長屋の戸をガラリと開けて、弥彦は勝手に中へ入っていく。
「なんだお前、まだ寝てたのかよ。もう午後だぞ」
ごろ寝していた左之助に、弥彦は遠慮なく声をかける。左之助は、ガバッと起きあがる。
「オイお前! 体の具合が悪い――悪そうだぞ」
左之助はあわてて言い直す。剣心との話は、弥彦には内緒にしなければならない。
「大丈夫だって。けど剣心が来たら、かくまってくれよな。隙見て出てきたから、また連れ戻されちまう」
そう言いながらも、弥彦の体はまだ回復しきっていないらしく、ちゃぶ台につっぷすように頭と腕を預ける。我慢強い弥彦がそんな風にするなんて、よほど体に力が入らないのだろう。見かねた左之助は、饅頭を出してやる。例の舎弟に、お礼にともらったものだ。けれど弥彦はそれには口を付けず……。
「あのさ、今日は聞いてほしいことがあって来たんだ……」
そう言い、弥彦は左之助に目を向けた。
「……ったく今日の俺は相談屋かよ」
「は?」
いや、と言葉を濁す左之助に、弥彦は今回の件をだいたい話した。もっとも、自分が泣いたことと、何より剣心が自分を斬ろうとしたことは、省いたが……。しかし省いたことでかえって、抜刀斎になりかけた剣心が弥彦にしたことが、ある程度の段階まで行っていると言うことを、左之助は察してしまった。もちろん、左之助が剣心にそれを告げるつもりは毛頭ないが……。そして弥彦もまた、絶対に話してはくれないだろう。
左之助は、剣心からだいたいの話を聞いていたが、初めてのように弥彦の話を聞いてやった。
「俺さ」
ひとしきり説明を終えた弥彦は、力無い手で饅頭をつかみ、左之助に語りかける。
「初めは父上母上の誇りを守りたくて……だけど今はそれだけじゃなくて」
饅頭を何故か割り始める弥彦。
「この目に映る弱い人たちや、泣いている人たちを守りたい。苦しんでいる人たちを助けたい」
三つに分けられた饅頭。
「剣心が抜刀斎になりかけて、斉藤を殺そうとして……不殺の誓いを破りそうになったのは確かに剣心の問題だけど……けど俺が弱かったせいでもあって……」
饅頭のかけらを二つ、紙につつむ。
「その時剣心は、確かに苦しそうだったんだ。なぁ左之助。抜刀斎になりかけて苦しんでるのを助けたいと思うなんて……剣心を助けたいなんて……思い上がりかなぁ……」
そうして弥彦は、やっと残った饅頭を口に入れ、呑み込む。
「俺、強くなる」
淡々と、けれど内に強い意志をこめてつぶやき。
「悪ぃ左之助。俺はただ、左之助に聞いてほしかっただけなんだ……」
ずっと黙って神妙に聞いていた左之助は、プッと吹きだした。
「お前、剣心に少し似てきたか?」
「は? 俺と剣心じゃ全然性格違うだろ」
まともに返すから、ますますおかしかった。
「ところでお前、食欲ねぇのか? それ、持って帰って食うのか」
紙に包まれた饅頭を見る左之助に、弥彦は少々赤くなる。
「……上手そうだったから、剣心と薫の土産にと思って……」
「お前がそんな殊勝な性格だったとはねぇ」
「悪ぃかよ」
弥彦はふくれる。
「いーけど、それ持って帰ったら抜けてきたことバレちまうぞ」
弥彦はしまったという顔になる。
「ぶはは! お前バカだなぁ!」
左之助が大笑いすると、弥彦はますますふくれて左之助を睨んだ。
「まぁそう怒るなよ。饅頭はまだたくさんあるんだ。後で俺が道場に持ってってやるからよ。それは食っちまえ」
弥彦がふくれたままでいると、左之助は包み紙を開き、饅頭のかけらを無理矢理弥彦の口に押し込んだ。弥彦がもぐもぐ噛んでのみこむと、左之助はもう一つのかけらを、弥彦の口に放り込む。そして弥彦の頭に、ポンと手を置く。
「いつまでもむくれんなって。嘘だよ。馬鹿なんかじゃねぇ。お前はいい子だよ」
「――!!」
弥彦の顔がボッと赤くなる。左之助の口からそんな言葉が出てきたものだから驚いて、怒るより何より、まず純粋に照れてしまったのだ。
「……こっ、子供扱いすんなよっ!」
遅れて、やっといつもの反応が出る。
「お前は、剣心と嬢ちゃんのことが大好きなんだよな」
弥彦の頭を、優しくなでる左之助。そうしているうち弥彦が、頬を赤く染め、泣きそうなのに気付く。さみしいのか? ふと、そう聞こうと思ったが、やめた。こいつはいつも、さみしそうだ……そんな気がしたのだが、それを言ったら弥彦はまた、涙をぎゅっと呑み込むに違いない。それはどんなにか、苦しいだろうかと思うから……。代わりに、こんなことを言ってやる。
「それは思い上がりでなくて、愛情だ」
「えっ?」
「さっき聞いただろ? 剣心を助けたいと思うのは思い上がりかって。そうじゃねぇよ。お前は剣心のこと、家族としても師匠としても、大好きだから……だから助けたいと思うのは、愛情だよ」
左之助は、弥彦の頭をぽんぽんたたく。なだめるように。
「そっか……」
弥彦はやっと、ホッとした顔で、笑った。
☆あとがき☆
弥彦は剣心がらみで悩むとき、左之助か由太郎たちに相談するっていうのが好きですv 剣心と弥彦は親子とは思わないし、薫と弥彦も姉弟とはちょっと違うと思うけれど、左之助と弥彦には兄弟みたいな関係を望みますv 弥彦、左之助をめちゃめちゃ兄貴分として慕ってほしいです(*^_^*) もちろん左之助も、弥彦のことたくさんかまってあげてほしいですv
第三十六幕「切ない晩夏」
夕日に染まる河原の土手に並んで座る、弥彦と由太郎と栄次。
「お前家で寝てなくていいのか? 剣心さんに怒られるぞ?」
「どーせもう、出かけてから長いことたっちまったしな。今更同じだ」
由太郎に答え、草の上にぼふんと仰向けになる。元気のない体で、弥彦は懐から饅頭を二つ出す。左之助からもらったものだ。それを一つずつ、由太郎と栄次に渡す。
「美味しいなこの饅頭。あんこが格別だ。誰からもらってきたんだ?」
家が裕福な由太郎は、あんこの味も見極める。
「左之助だけど……」
「トリ頭!?」
由太郎は危うく、饅頭を落としそうになった。
「なんだお前、まだ左之助嫌いが直ってないのかよ」
「だってアイツ俺のこと木に縛り付けた……」
由太郎はぶすっとした顔になる。前に剣心が雷十太に呼ばれたとき、左之助が由太郎を邪魔扱いして木に縛ったことがあった。それを由太郎は、未だに根に持っているらしい。弥彦は当時を懐かしく思い出し、少し笑ったあと、ふいに言った。
「由太郎。ありがとな。あの時、警察呼んできてくれて……」
「あ? ああ。だって知らんぷりしてるワケにはいかないだろ」
少し怒ったように、照れて、それでも真っ直ぐに答える由太郎。
「栄次も、ありがとな。いろいろ……特にほら、剣心にあのこと言わないでくれて」
剣心が弥彦を斬ろうとしたこと。絶対知られたくないと思った気持ちを、栄次は察して協力してくれた。
「別にそんくらい……。うん、この饅頭ホント上手いな。ところで弥彦、緋村が無理矢理連れられてった出張の内容ってなんだったか知ってるか?」
そういえば、知らない。ただ、剣心は行ってしまったのだと、ずっとそう思っていたから。無理矢理連れられていった、ということさえ、今初めて知った。
「ただの野盗狩り。多発してたから、それを制圧する人手が必要だったんだ。たまたま千人力の緋村がいたから、父さんの部下が頼み込んで無理矢理連れてったんだよ」
「……」
弥彦は自分の馬鹿さ加減に呆れた。まさか剣心が、本当にただの出張に付き合っていただけだったとは……。
「……ダメだ。くらくらする……」
目を回す弥彦。由太郎と栄次は、饅頭の残りを無理矢理弥彦の口に詰め込むのだった。
案の定、剣心が探しにやってきた。無理をして出歩いたことを怒られた。
「ほら。おぶさるでござるよ」
剣心はかがむが、同い年の由太郎たちの前では恥ずかしいらしく、いい、と一人で歩こうとする。が、体がふらりと揺れる。
「弥彦」
剣心は弥彦に向き直ってかがみ、その耳元でボソリと言う。
「みんなの前でひっぱたかれたいでござるか?」
そう、鋭い目で言われると、弥彦はもう従うしかなかった。おとなしく、剣心の背におぶさり、由太郎たちと別れた。
家路をゆっくり歩く剣心と、おぶさる弥彦。赤とんぼがとんでいる。それを指さし、笑って弥彦に告げる剣心。もう、怒ってはいないらしい。剣心の背中に体重を預ける。温かい。ほっとする。
「薫殿が、夕飯の支度をして待っているでござるよ」
それは、どこかで聞いたような……。
「今日は何して遊んだでござるか?」
そうだ。これは心の中に思い描いた……。二人並んで歩いてはいないけれど。遊んだのは鬼ごっごではないけれど……。
泣きそうになる。なんでもないことなのに。最近、どうしてしまったのだろう。心が、弱くなってしまったのだろうか。それとも、なにかの病気なのだろうか。剣心や薫から幸せを一つずつもらうたび、さみしくてたまらなくなる。何故だろう。分からないまま、弥彦は剣心の肩にそっと顔を埋める。気付かれないくらい、本当にそっと。そうしてまた、泣くのを我慢する。
思い描いた帰り道が現実となる。それは確かに幸せで、けれどひどく切なかった。
☆あとがき☆
剣心vs斉藤編のお話は、二つの妄想をくっつけてしまったので、とても長くなりました。「剣心vs斉藤。剣心を慕う弥彦と斉藤を慕う栄次の関係は?」「弥彦のせいで出ていった剣心(勘違いなのですが…) 毎日港で待つ弥彦」 この二つを基本に話を作りました。弥彦がさみしそうな理由、抜刀斎としての剣心を弥彦はどう受けとめるか、弥彦と栄次の関係はどうなっていくのか……等々。これらは今後のお話になります。そろそろ蒼紫様や操ちゃんを出せそうな気がします(一応次回予定…違ったらスミマセン;;)
またお付き合い頂けましたら幸いです。
(第二十三幕~三十五幕:原稿執筆完成日:H19.7.15)
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