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日本のレシピのシュトレン posted by (C)solar08またもクリスマスが近づいています。正直言って、ちょっと憂鬱。月日がたつのがはやすぎて。スーパーなどには早々とシュトレン(本当はクリストシュトレン、Christstollenというお菓子。シュトーレンというよりシュトレンとかシュトッレンと呼びたい)が並んでいます。元々、シュトレンはあんまり好きではないし、売られているのは全然好きではないのですが、何となく雰囲気に押されて、つい作ることになってしまいます。日本のブログやレシピ本を見ると、日本のシュトレンはドライフルーツやナッツがびっしり詰まっていて、ドイツのフルーツブレッドやアルザス菓子のベラベッカに近いような気がします。これはこれでおいしそうなので、作ってみました。でも、ナッツの量は減らして、クルミだけ入れて。シュトレンの発祥の地であるドイツのシュトレンにはこれほどドライフルーツは入らず、ナッツもアーモンドスライスぐらい、生地の割合が大きいです。そして、もっとも伝統的と言われる作り方では、バターだけでなくラードが入るそうで、娘の夫は毎年、クリスマスの一ヶ月前に大きなシュトレンをラード入りで焼きます。これはすぐには食べられるシロモノではなくて、一ヶ月ねかせてラードの味が落ちついた時点でやっとおいしくなるようです。ドイツのレシピのシュトレン posted by (C)solar08わたしが好きなドイツのレシピは、有名ベッカー(パン職人)のもので、バターの量も粉1キロに対して250gぐらいと少なく(ふつうは500gぐらい)、アーモンドクリーム(アーモンドパウダーとバターと砂糖を卵を合わせたクリーム、マロンクリームのような味)を中に包むのが特徴で、これが入るおかげで、わたしもシュトレンをちょっとは楽しめます。ドイツのレシピのシュトレン posted by (C)solar08ほら、日本のレシピのよりもドライフルーツが少ないでしょう?粉1キロに対して、レーズン300g、オレンジピール100g、レモンピール100g、クランベリー200g、炒ったスライスアーモンド100gで作りました。今回はアーモンドクリーム用のアーモンドパウダーを皮付きの粉にしたので、アーモンドクリームが茶色。でも、このクリームはこれだけで食べたくなるほどおいしかった。ドイツのレシピのシュトレン posted by (C)solar08とは呼べない一個。これは、ドライフルーツが特に少ない生地で、残ったアーモンドクリームを包んで焼いたもの。これは真ん中あたりはクリームいっぱい、フルーツなしで、シュトレンじゃなくて、アーモンドクリームケーキとでも呼びたいものになっていまいましたが、これが一番おいしかったかもしれません。日本のレシピ、ドイツのレシピ、どちらがおいしいかは好みの問題ね。ドイツのレシピだと、アーモンドクリームなしだとちょっと固いというか、パサパサした感じがするかもしれません。それで、シュトレンが好きになれなかったのですが、アーモンドクリームのおかげで少しは好きになりました。でもねえ、成形のときに、クリームがはみだすし、焼いたときにもクリームが吹き出すことがあって、1キロの粉から小型のシュトレン6個を完成させるのに、一日かかってしまいました。毎年、「もう絶対に作らない」と自分に愚痴るのに、毎年つくってしまうのはなぜなんだろう。
2013/11/23
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プラム(プルーン)で梅干し(干し上がり) posted by (C)solar08手前が生のプルーンプルーン(プラムの小さめのタイプ。濃い紺・紫色です)は7月後半あたりが出盛り。今もまだ売っている。去年に始めたことだが、今年もプルーンを青梅の代わりに使って、酸っぱさを補うためにクエン酸の粉末を加えて、梅干しを作った。梅干しがとりたてて好きでもないのに、ないとなると(というかアジアショップで買えるけれど、高いし、おいしくない)欲しくなるのと、地元産の新鮮なプラムやプルーンが安く(1キロ200円から300円)手に入るから。今日はス―パーで1キロ99セント(130円くらい?)で売ってた、ウー。プラムを塩漬けにする(クエン酸入り) posted by (C)solar08今年は2キロ漬けたった(上の写真)。この日のために、プランターで赤じそもたくさん育てておいて、塩漬けにしておいた。塩水をしぼった紫蘇と、プルーンの量の20%近くの塩と2%くらいのクエン酸をくわえて、倍ぐらいの重さの重しをして3週間漬けた。漬けて3日ぐらいで水が上がってきたので、あせって、重しを減らした。早く干したかったなあ。外は日がかんかん照っていたから。やっと3週間たった。ちょうど快晴でラッキーの二日間。プラム(プルーン)で梅干し作り posted by (C)solar08直射日光が当たるところは、お湯がわかせるくらい暑いから、これで煮沸の代わりの殺菌効果もありそう。紫蘇は別にとりのけて(手前左)、ミキサーで粉砕してゆかりにした。かんかん照りの二日間、干したら、去年とちがって皮が柔らかくなって、ところどころシワシワ、塩を吹いているのもある(一番上の写真の右奥)。塩っからすぎるかな。昔、母方の祖母が、豊島区にあった家の庭に育った梅で梅干しを作っていた。あるとき、干し上がったばかりの梅干しを見て、塩を吹いているので、びっくりしたのを今も覚えている。これとおんなじことが、わたしにも出来たなんて!プラム(プルーン)で梅干し posted by (C)solar08青空市のプルーンを見ると、つい買ってしまう。1キロのプルーンを乗せたケーキは二度作った。さらに1キロのプルーンはラム酒一本と500gの氷砂糖と漬けて、梅酒もどきにする。これも祖母が作っていたもの。子どもの頃にも薄めて飲ませてもらっていた。でも、漬ける期間は3ヶ月だって。待ちきれないなあ。
2015/08/05
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バートクロッツィンゲンの温泉プール posted by (C)solar08バーデン・バーデン、バーデンヴァイラーなどなど、フライブルクの周辺にはいくつもの温泉地があります。フライブルク自体にも、市営の温泉がありますといっても、日本の別府みたいに、町のあちこちに湯煙が立ち上り、熱い湯が地表に吹き出てくるようなところはなくて、地中深くからくみ上げた温泉を追い焚きして、29度から39度ぐらいまでにした温水プールがほとんど。それに、たいていは水着着用ですし(ただし、日本人にとーっても有名なバーデンバーデンのフリドリッヒ浴場は裸・混浴だそうです。私は経験ありませんが)、プールの中で泳いだり体操している人も多いので、裸になって、ゆったりと体を温める日本の温泉とは、かなり違った感覚、わたしはあまり好きにはなれません。以前には雪の降る夜などに、フライブルクの温泉の露天プールで、雪を見ながらの温泉を楽しんだこともあるのですが、もう数年、入ることもありませんでした。ところが久々に先週、フライブルクの南にあるバードクロッツィンゲンという温泉町にある、ヴィタ・クラシカという温泉施設に行きました。このリンクをクリックすると、私の写真よりも、ずっとよく施設の雰囲気がわかっていただけると思います。ここは大きな施設で、上のような大小さまざまな温泉プールというか浴場が屋内にも屋外にもたくさんあります。バートクロッツィンゲンの温泉プール posted by (C)solar08プールのほかにもサウナ施設やマッサージ、日本浴場と名づけられたサロンもあります。ただし日本浴場は予約が必要で値段も高いらしい(サイトにも書かれていないほど)ので見ることはできませんでした。さらにはレストランやホテルもあって、日帰りのプール客だけでなく、長期滞在の保養客も多いようです。さて、ここの温泉プールの湯の温度は30度ぐらい。「一番熱い」とされるプールでも、36度。プールにはお定まりのジャグジーがどこでもあって、強いジェット噴流で体がもみほぐされます。ところが、大きなプールはどれも、とーっても深いんです。私はつま先で立たないと、顔が水面下に沈んでしまうの。泳げない私には、これは辛かったです。だって、ジェット噴流に押されて倒れないように、いつもプールの手すりなどにつかまってなければならないのですから。恐ろしかったのは屋外のプール(大きなのが二つ)。バートクロッツィンゲンの屋外温泉プール posted by (C)solar08この写真では広さの感じがつまめないのですが、上のバードクロッツィンゲンのサイトをクリックすると、雰囲気がもっとよく想像できます。ここはもう、つま先で立っても顎が湯につかるほど深くて、おまけに手すりはなく、さらにはジェット噴流が極端に強いのです。タイル張りのプールの壁はつかまりにくいし。この写真の川みたいになっている部分は、川のような水流があって、押し流されてしまいます。これを逃れて、写真の左寄りの部分、肩の水流が落ちるようになっているところに行ったら、しばらくは静かだったのですが、突然、「ゴー」という轟音がひびくと同時に、格段に激しい水流としぶきが私を襲いました。あまりに強い水流に押されて、ふんばり持ちこたえることもできず、倒れそうになり、恥ずかしいけれど「連れ」にしがみつくほかありませんでした。他の人?他の人はみな、しれっとゆったりした顔してました。他の人はみなドイツ人(たぶんですが。つまりは白人。あ、服を着て頭を頭巾で隠したままお湯に入っていたトルコ人女性もいたっけ)だから、背の丈は私より少なくとも10センチは高いので、問題ないのでしょう。それに、みなさん泳げるようだし。家族連れで小さな子どももたくさん来ていましたが、子どもたちは平気ですいすい、水流にも負けずに泳いでいました。「キャーキャー、おぼれるー。助けて」などと、はしたなく叫ぶのは私だけだったのです。十年ぐらい前、沖縄の西表島の星の砂海岸でおぼれかかったことがあります。シュノーケルつけて、いい気になって浮かんでいて、息継ぎがうまくできず、立とうと思ったら、足の下は「空間」だったのです。もがき、沈み、水をたっぷりと飲み、もがき、この時も「もう死ぬ」と思いました(このときは、前回の話と違って元夫のことを思うゆとりもなく)。周囲の人たちは、シュノーケルに夢中で、おぼれかかっている私には気づいてくれません。絶望的にもがいていたら、ふと足が海底につき、助かったのです。星の砂海岸は、さんご礁で凸凹しているので、深かったり浅かったりの差が激しいのです。ああ、怖かった。というわけで、おぼれる心配しながら入る温泉では楽しめません。「日本人の中年女性、温泉で溺死」なんていうのはかっこ悪いもんね。「これはたまらん」と屋外プールからなんとか自力で脱出し、屋内に並ぶ寝椅子に寝そべったり、先の36度のプールにつま先立ちで入ったり。そして、「音楽プール」にも入ってみました。ここはジャクジーがなくて、人は発泡スチロールの長い棒に体をゆだねて、プカプカと浮かび、瞑想するプール。ここだけは、発泡スチロールの浮き輪ならぬ浮き棒のおかげでゆったりできました。でも、肝心の音楽は流れてきませんでした。それから、施設を歩き回って探索。床のタイルがすべるので、これにも注意しなくてはならず、ああ、疲れるう。サウナ施設のわきに、日本家屋が見えました。パートクロッツィンゲンの温泉プール脇にある日本家屋 posted by (C)solar08説明によると(ここクリックすると、もっと大きくてきれいな写真が見られます)、サウナ客がくつろぐためのお茶室だそうです。まさか裸でお茶室にころがるわけじゃあないだろうね。これの家を見たら、一瞬、日本にいるような気持ちになってしまいました。このお茶室は、バードクロッツィンゲンの姉妹都市である、大分県の直入町との交流から誕生したものらしいです。そういえば、この施設の玄関ホールに直入町のポスターが飾られていました。姉妹都市について読んでみたら(ドイツ側の情報)、直入町は姉妹都市になってから、温泉客が十倍に増えたなどと書かれていました。直入町にも、こんな深いおぼれそうなプールがあるんだろうか。ここ、ヴィタ・クラシカの入場料はフライブルクの温泉よりもずっと安くて、12ユーロ弱(1400円ぐらい?)で一日中、夜までいられます。いっしょに行った連れたちは、屋外プールで2時間も休まず泳いだり、水流に押されたりして入り続け、ふやけそうになってやっと出てきました。私はやっぱり日本の温泉の方がいいな。
2010/03/28
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フライブルク大学、一号館の入り口 posted by (C)solar08フライブルクはいわゆる学園都市です。当市には アルベルト・ルードヴィッヒ大学(通称フライブルク大学)をはじめ、音楽大学、教育大学(単科大学)(ここまではすべて国立大学)、キリスト教教会立の単科大学があり、市の20万人余りの人口のうち、3万人ぐらいが学生で占められています。学生2万人が通うフライブルク大学は医学部・大学病院を含めると職員数1万5千人以上と、市で最大の雇用提供者です。フライブルク大学は1457年に設立され、ドイツ最古の大学の一つです。町のど真ん中、フライブルク市立劇場の斜め向かい側にある1号館(KG1、写真上)は1911年に建てられ、ユーゲントシュティール(アール・ヌーボー)の建築物としては有名なのだそうです。入り口のアリストテレスとソクラテスが、いかにもかっこいいでしょう?その前に自転車がずらりと並んでいるところも(ほかの写真はWikipediaで見てね)。私が留学生として当市に住んでいたころには、この建物の中で外国人学生用のドイツ語講座が開かれていて、よく通いました。おもしろいのは、この大学は「キャンパス方式」(郊外の広い敷地に建物をまとめる)をとらないで、文学や法律などの文科系の研究室や講堂、大学図書館は町の真ん中にあり、自然科学系の建物はいくらか離れた敷地に、大学病院はまた別の広いキャンパス風の敷地に、、、とバラバラに散らばっている点。この1号館やとなりの2号館(劇場の真向かい)には昼間は誰もが出入りできますし、これらの建物にあるホールや教室では、一般向けの講演会や映画会などイベントがよく開かれます。1号館といえば、数年前までは、ここの廊下に自分が持参したコップでコーヒーがくめる自動販売機がありました。マイコップをもっていない人は、それを示すボタンを押すと、固いプラスチックのコップが出てきて、それにコーヒーがそそがれます。飲み終わったら、隣の返却装置の小さな窓口にコップを置いて窓口の降ろし戸を閉めると、コップ代(当時50ペニヒ)の内の40ペニヒが戻る仕組み。10ペニヒはコップの使用代というわけです。あるとき、日本の某民放ラジオ局の方がフライブルクの環境対策を取材にみえ、この自動販売機を「音で見せる」ことになりました。レポーターさんは、「私はこれからコーヒーを飲みます」とマイクに向かって話し、お金を入れる音、お金が落ちる音、コップがおりてきて、それにコーヒーがそそがれる音を録音。しばらくして、レポーター氏は「いま、飲み終わりました。これから右の返却装置にコップを置きます。戸を閉めます」と言いながら、そのとおりにしました。ところが、この装置、かなり鈍感で、なかなかお金を戻してくれません。「さて、もう一度」とレポーター氏は再度、コップを置きなおし、戸を閉める、を何回か繰り返して、やっと「チャリン、チャリン」と音が4回して、40ペニヒが戻ってきて、私もほっとしました。ラジオってむずかしいですね。状況を伝えるの。この自動販売機もいつしかなくなりました。そもそも、文学系にしろ自然科学系の建物にしろ、大学内にはほとんど飲料の自動販売機はありません。もちろん道路にもありませんが。あるのは会社の建物中とか駅ぐらいでしょうか。ところで、ドイツの大学のほとんどは国立です。私が正式に大学に通った頃は、授業料は当時は無料。学生健康保険に入り、保険料(月に49マルクですから、今の日本円ですと3000円余り)を払うだけでした。(2005年からは、たいていの州で大学の授業料を半年当たり約7万円払わなければなりません)。授業料がただでも、学生たちは生活がとても質素でした。親から仕送りを受けずに、アルバイトと奨学金で生活をしている友達も多くて、結局、暮らしていくのにせいいっぱいで学業を断念した友人もいます。私は、日本で見慣れていた「華やかなでおしゃれな」学生たちとの違いにびっくりしたものです。でも、あれは私立大学だからなのかな。今のドイツの大学生も、日本から見れば質素かもしれませんが、かなりおしゃれで贅沢になってきたような感じもします。ベルリンに長くお住まいのある日本人が「Solar08さん、税金が高い、なんて文句言えませんよ。考えてごらんなさい。あなたのお子さんも私の子どもたちも、ただで学校や大学に行かせてもらえ、塾にも行かないですんでいるし、学校でドイツ語のほかに英、仏、ラテン語の三カ国語も習わせてもらえるんですから。もし、これが日本だったら、x百万円もかかっているはずですよ。ありがたいと思いなさいよ」とおっしゃいました。そう、その通り。娘は幼稚園と小学校の一年生、ふたたび六年生からギムナジウムを卒業するまでドイツの学校に通い、ドイツの大学を出ましたが、学校や大学にはほとんどお金はかかりませんでした。その間、私が払った税金は合計しても、x百万円よりははるか下のはず。こういう国って、世界では珍しいのでしょうが、中にいると、どれだけ恩恵を受けているかが、見えにくいんですね。授業料無料に慣れてしまっているから、授業料の導入に対しては猛烈な反対があります。授業料のために、大学をあきらめた人が18000人もいる、というデータも見ました。でも、財政難で校舎が老朽化したり、講義によっては学生がすわれないほどいっぱいという悪状況を改善するには授業料が必要っと州の側は主張します。私に言わせれば、お金持ちからは授業料をバンバンとって、親の収入が一定以下の学生はただにすればいいのに、と思うのですが。これは児童手当にもいえて、子どもが学校や大学(職業学校も含め)に通っている限りは、子どもが26歳になるまで児童手当が誰にも支給されるのです。逆に、早期に学校を終えて働き、収入がある人は、たとえ26歳以下でも支給されません。娘が大学やら専門学校に通った私にはありがたいことでしたが、「もらちゃっていいんだろうか」と思いました。私はお金持ちではありませんが、どうしても児童手当が必要というほど困窮もしていないし。本当のお金持ちならなおさら、児童手当を支給しなくていいんじゃないの、って思います。こんなことを言うと、授業料や児童手当に差をつけるのは、憲法で保障されている「平等」の原則に反するといわれるのですが、これって悪平等じゃないの?「収入によって差をつけると、それをごまかす人が出てきて、それをまたチェックするという仕事が増えてむずかしい」という議論も出てきます。あれあれ、フライブルク名所紹介の話がとんだところまでそれました。本当は「ドイツは受験なし」みたいな話や学食の話も書きたかったのですが、あまりに話が飛ぶので、今日はこの辺で。そういう話にも興味がある、という方はコメントで一言お願いします。そう言われると、書く気になるかも・・・。
2008/12/06
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太陽に合わせて回転する家、ヘリオトロープ posted by (C)solar08フライブルクの建築家、ロルフ・ディッシュさんは「太陽建築家」「エコ建築家」として建築業界では有名な人物です。「環境を守りましょうと口で言うだけではだめ。未来にも機能する方法をさがすことがたいせつ」がモットーです。ディッシュさんは、太陽光発電や省エネ建築がさかんになるずっと前から、太陽エネルギーを建築に利用することを考え、実行してきました。それもそのはず、彼はソーラーカーのオートレースにドライバーとして出場して、チャンピオンの座に輝いた経験もある、筋金入りのソーラーファンだったのです。ディッシュさんの名を一躍全国・海外にも有名にしたのは、太陽に合わせて回転する家、「ヘリオトロープ」です。Heliotrope posted by (C)solar08「これからの家はエネルギーを消費するだけでなく、エネルギーを生み出すべき」という彼の建築哲学を実践にうつした家です。この家は円筒形三階建ての居住部分を、その中心を「幹」のように通る中空の柱がささえる構造でできています。急斜面にあって、しかも敷地が狭い土地に建てるには、ちょうどよい構造です。二番目の写真で左下に見える部分は、セミナールームと機械室がある地下室。この部分はもちろん回転しません。ここ をクリックしていただくと、外観のヴィデオが見られます。英語のページもあります。円筒形の片側半分の外面は、床から天井まで三重の断熱ガラスでできています。円筒形のもう片側は、窓はほとんどなくて、断熱性がすぐれた壁でできています。この円筒形の家を中心の柱(この中にらせん階段が通っています)ごと、モーターと歯車でゆっくりと回転させることができます。回転はコンピュータ制御で、自在にコントロールできます。たとえば、寒い日には、ガラス側の半分を太陽に向けて、窓から太陽の熱をとりこみます。反対に、暑い日には断熱効果のある壁側を太陽に向けて、熱い日差しをさえぎります。日本のテレビ局が取材に来たときには、カメラを部屋の一点に設置して窓の外に向けてから、家をゆっくり回転させて撮影しました。映像からは、外の景色がだんだんに変わっていくのがよくわかりました。このような構造だけでも、暖房エネルギーがドイツの平均の家の八分の一になるそうです。冷房はまった必要ありません。ベランダのフェンスのように見えるのは太陽熱コレクターで、パイプを通る水が温められ、温水供給や暖房に使われます。屋根の上の太陽電池パネルは、家の回転とは別に、独自に向きが調節できて、最適な形で太陽光を取り入れ、発電します。ほかにも工夫がいっぱい。雨水は洗濯と客用トイレへに利用され、生ゴミと家族用のトイレの排泄物は、庭の地中でコンポスト(たい肥)化されます。生活廃水は池の植物で汚水処理されます。この家、実は木造建築なんです。家の骨組みや天井、外壁、床の建材は、耐震性の強いフィンランド製の木材。ディッシュさんはドイツでは忘れられていた木造建築に注目した人のひとり。椋の厚い木材は、コンクリートや石よりも断熱性がよくて、冬の寒さやも夏の暑さから守るすぐれた建材だといいます。もちろん、外壁と内壁の間には分厚い断熱材がはさまれています。ヘリオトロープを見学したことは何回もあったのですが、一度、冬の晩にディナーに呼ばれたことがあります。外は零下だというのに、そして暖房パネルのスイッチは切られたままだというのに、部屋があまりに暖かくて、スーツのジャケットを脱がなければなりませんでした。昼間の太陽の熱を部屋がたっぷり受け取り、その熱が逃げなかったおかげで、こんなに暖かいのだそうです。「窓を開けましょうか」と奥様に聞かれて、あわてて「そんなもったいない、熱を逃がすなんて」と辞退しました。エコハウスのイメージとはちがって、この家のインテリアはどこもモダンで、すてきです。カラフルな椅子、最新のキッチン設備、船の形のバスタブ。エコロジーとおしゃれがマッチすることも、ヘリオトロープは実演しているようです。ところで、一本の幹に円筒形の重い居住部分がくっついたようなこの家は嵐で倒れないのでしょうか。ディッシュさんは「だいじょうぶ、家の片側に400人が立っても倒れない」とおっしゃいました。実際、数年前に日本の台風以上の強風をともなう嵐が来たのですが、無事でした。奥様は「かなり揺れて、あれーっと思ったけれど、何も起こらなかった」とおっしゃっていました。屋上の太陽電池がちょっと傾いただけだとか。ディッシュさんはソーラー団地」の「プラスエネルギー住宅」を設計しました。プラスエネルギー住宅は回転こそしませんが、南側の三重ガラスの戸から太陽熱を取り入れるとか、構造体を椋の木材+厚い断熱材にして、北側から熱を逃がさないとか、太陽電池の屋根など、ヘリオトロープの原理が生きています。ディッシュさんはこれらの建築で、数々の環境賞や建築家の賞を受賞しています。ディッシュさんの夢は、フライブルク全体をソーラーシティーにすること。太陽光や熱をもっともっと多くの市民や機関が利用する町づくりです。フライブルクはドイツの中では、太陽光発電や太陽熱の温水・暖房利用の率が、他にくらべて高いのですが、まだまだ十分に利用しきっているとはいえません。
2009/01/23
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クロワッサン posted by (C)solar08仕事のネタ探しでウロウロしているうちに、月日はどんどんたってしまいます。つまりは暇なんだね。暇だとついついパンのことを考えてしまいます。お若い方々(日本の女性たち、すごい)がバゲットでもクロワッサンでもどんどん上達しているというのに、いまだに同じところでとどまっている自分が情けない。とくにいまだにわからないのがクロワッサン。「失敗から学ぶレシピ」とか「おいしいクロワッサンができました」などというタイトルにひかれて、同じレシピで同じように焼いたつもりでも、うまくいきません。外見はそれなりのクロワッサンにはなっても、中を開ければ、つまりは切ってみれば、断面に現れるのは、期待していたような蜂の巣状の内層ではなくて、中心が詰まっていて、生っぽい層。ごまさばさんというブロガーさんがこれを「生八橋」のようと表現なさっています。この方のブログはユーモアいっぱいでとても面白いのですが、この表現にはほとほと感心しました。私もこの生焼けのような内層をどう言葉で表せるか、まごまごしていたんですが、生八橋とは言いえて妙!なぜレシピどおりにしているのにこうなってしまうのか。お裁縫だと、自分の不器用さがすぐに目の前に結果として出る(型紙どおりに布を切れない、印どおりにミシンで縫えない、編み物すればバケツみたいなソックスになるなどなど)から、納得できるのよね。料理なら、まあレシピに正確にしたがえば、それなりにできるでしょう?でも、パンという代物は酵母とかイーストという生き物が相手だから、温度や湿度、グルテンの調子などなど、うまくいくかいかないかを決める要因がたくさんありすぎて、どこが悪いのかを突き止めにくいんですね。つくれぼとかドイツの料理ブログを見ると、みなさん「おいしいクロワッサンが焼けた」と書いていますが、たいていは内層の写真がないので、本当にうまく焼けたのかとか、焼けない原因の突き止めにはあまり役にたちません。そりゃね、私の生八橋クロワッサンだって、焼けたてはフワフワしていておいしいわよ。バターが60パーセントも入ってるんだから、おいしくないわけがない。でも、時間がたってから、たとえば翌日にもおいしいかどうかで決定的になるのは、「生八橋」か「蜂の巣状」かの違いなのではないかと思うのです。色々なレシピで試してもうまく行かなかったので、生八橋になる原因は、バター折込の技術や温度でしかない、つまり折り込みのときにバターと生地がなじみすぎるに違いないとは思っています。ドイツのスーパーで売られている発酵バターの多くは、どういう加工がしてあるのかわかりませんが、冷蔵庫から取り出したてでも柔らかいので、知人が酪農農家から直接買っている、自家製のバターを使ってみました。混ぜ物ゼロです。農家の自家製バター posted by (C)solar08ほら、きれいでしょう?500gで3・50ユーロ、400円ぐらいです(市販のより20円ぐらい高いだけ)。今回は卵を入れず、粉300g、砂糖30g、牛乳+水160g、塩6g、粉イースト5g、混ぜ込みようバター14gをこねて(こねてはいけないと書いてあるレシピと、数分こねると書いてあるレシピがあって、ここでも迷います)、冷蔵庫で一晩ねかせて一次発酵しました。キッチンの暖房を前もって切って、涼しくしたつもりですが、室温は20度。石の家は冷えにくいんだ。200gのバターでシートを作って冷やしたものを生地に包み、伸ばしては三つ折りにしを三回くりかえします。まじめに、毎回、折り込みのたびに冷蔵庫で一時間ねかせました。折込では、Vivianさんのレシピどおりに、薄く延ばしましたよ。55cmx30cm成形前は55cmx20cm成形後のホイロももむずかしいです。暖かくしすぎると折込バターが融けるので、今度は暖房を入れて部屋全体をほんわり22度ぐらいにしようとしましたが、そうすぐに室温は反応しないですから。それに一回り大きくなるまでホイロ、といってもね。みきわめがむずかしいの。二時間近く発酵させて、我慢できなくなって焼きました。バターが流れ出ないようにオーヴンを300度に予熱して、生地を入れてから250度に下げて焼きましたが、やっぱり最初はバターが流れ出ました。ここでもう、今回も失敗とわかります。バターが流れ出ると、焼きあがったクロワッサンが油っぽくなって、おいしくないし、内層は「生八橋」のように固まるのです。温度を190度に下げて、全体として18分ぐらい焼いたクロワッサンの内層はクロワッサンの内層 posted by (C)solar08やっぱりなあ、の結果でした。なんで、どこがまちがっているのか、謎や疑問は消えません。これも職人仕事と同じく、数をこなして、いろいろ試すほかないと、心の内ではわかっているけれど、手っ取り早く原因を知りたいのよね。次は室温15度ぐらいにとどめてある居間(ふだん使わない)に移動して生地を伸ばそうかしら。でも、これでダメだったときの自分の落胆が怖い!いや、こんなことに悩んでないで、仕事のことで悩むべきなんですけど、これが解決しないことには、仕事に進めない。というのは自分への言い訳です。
2011/01/15
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今はもう秋。今日はドイツ連邦議会の選挙の日です。ちょうどお天気も最高です。この一週間は夏がもどってきたように暖かい日が続き、例のフランスの田舎家に収穫に出かけていました。Fresnes, 2009年9月 posted by (C)solar08庭は春に種をまいたコスモスの花が満開でした。ドイツではあまり見かけない花(鉢植えで売られているくらい)で、日本のコスモスが懐かしかったのですが、フランスの田舎ではよく見られます。こちらもすごい快晴つづき。Fresnes, バラの実 posted by (C)solar08庭では期待どおり、洋梨がやっと熟していました。洋梨 posted by (C)solar08二種類あって、その一つはウイリアム梨といって、日本のラフランスに似た姿と味をしているのですが、もう一つは上のように、皮が梨の長十郎とか幸水みたいなのです。でも、梨のように硬くはなくて(未熟な間は梨のように固いですが、この段階ではおいしくない)、風味もいかにも洋梨です。頑丈なので痛みにくいのも梨に似ています。ワイン用の葡萄(マスカットに似た味) posted by (C)solar08ブドウの実も甘く熟していました。このブドウ、元々はワイン用に栽培される品種のようです。フライブルク近くにカイザーシュテュールという山があって、ここではワイン用のブドウがたくさん栽培されています。この地方のワインは日本にも輸出されています(Badischer Wein)。「連れ」は十年以上前に、このブドウ畑で、ブドウの木の枝を一本失敬してきて、フランスの庭に挿し木にしてみたのだそうです。それ以後、肥料とか農薬などをやったことはなく、手入れといえば夏に伸びた枝を横木にとめるぐらいしかしないのに、毎年、たくさんの甘いブドウが実ります。ブドウの大きさはデラウエアの二倍くらい。種もあります。でも、皮が薄いので、種・皮ごと口に入れて、皮は食べてしまい、小さな種だけほきだします。種を食べてしまうこともあります。マスカットの祖先みたいな品種らしくて、ほんのりマスカットの香がします。Fresnes, キクイモ posted by (C)solar08庭のあちこちには、ヒマワリを小さくしたような花が咲いています。これはキクイモの花。これをずるっと引っこ抜くと、根元には小さな芋みたいなものが膨らんでいます。キクイモの茎塊 posted by (C)solar08これはキクイモの茎塊。茹でたり、スープに入れて食べるのだそうで、健康に感心のある人には人気の野菜。日本では昔は家畜飼料用に栽培されたのだとか。味がクワイに似ているので私はあまり好きにはなれません。それで、もう一つの珍味といっしょに茹でて、裏ごししてクリームスープにしました。もう一つの珍味とは、「連れ」が「野生カブ」という名前がついた種をまいたところ、出てきた野菜。野生ニンジン? posted by (C)solar08皮はビーツのような色ですが、中身の色、味、葉っぱはどうみてもニンジン。ニンジンのプロトタイプの一つなのかもしれません。おもしろいのは、前から気になっていた「雑草」。日本でもそこらじゅうにあったので、たぶんそうじゃないかなあと思っていたら、やっぱりそう、これはスイバ(スカンポ)でした。スイバ(スカンポ) posted by (C)solar08とても酸っぱい葉っぱです。姿も日本で知っていたものにそっくりです。「連れ」は幼少時代、戦後旧ポーランド地区(戦前はドイツ領)からドイツへと逃げてくるときに、母親や叔母さんとともにスイバを取っては、これを市場で売ってミルク代にしたり、自らも毎日、こればかりを食べていたのだそうです。そんな辛い思い出があるくせに、スイバのスープがなつかしいのだそうです。庭にはもう一つ、名前がわからなかった雑草があります。スイバの仲間rumex scutatus posted by (C)solar08表面がテラテラしていて、食べるとやっぱり酸っぱいのです。先日、フライブルク近郊のハーブ園で聞いてみたところ、この植物もスイバの仲間なのだそうです。ネットで調べてラテン語の学名(写真タイトル)はわかったのですが、和名はわかりませんでした。英語ではソレルと言うみたいです。ラテン名からすると、スイバと同じ属に属するので、とても近い仲間なのですね。そこで、これら二種類のスイバ(スカンポ)をさっと煮て(火が通ったとたんに茶色い、きたない色に変わるのが難点)、サワークリームやバター、茹でたジャガイモをつぶしてとろみつけにして、これもクリームスープにしました。「連れ」は「お袋の味」で満足らしかったですが、私は酸っぱくて、あまり食べられませんでした。見た目が悪いので、写真はなしです。「土手のスカンポ、ジャワ更紗」っていう小学生唄歌、ご存知ですか。祖父の時代の童謡らしいのですが。「なーつがきーたきた、ドレミファソ」っていうの。子どものとき、スカンポって何だろうと思っていたまま、誰にも聞かず、謎が解けないままだったのが、今頃になって、スカンポのスープを食べることになるとは、人生、何があるかわからないものです。庭には、このほかに、黄桃、リンゴなどもちらほら実っていました。洋梨はタルトもおいしいので、作りましたが、やはり風味を楽しむには、生が一番。それで、これらの果物を全部細かく切り、持参したオレンジも混ぜ、レモンリキュールを入れてフルーツサラダにしました。四晩つづけて、晩のデザートはこれにしましたが、飽きませんでした。フルーツサラダ posted by (C)solar08一日中、庭にいて、夕方はときには蚊に刺されながらもFresnes、初秋の景色 posted by (C)solar08周囲のこういう景色を見ながら食事。でも、悲しいかな秋分を過ぎ、これからは日本よりは暗い時間がぐーんと長くなります。気がついてみればもう、↑の最初の景色はこんなになっていました。Fresnes,夕焼 posted by (C)solar08
2009/09/27
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