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木曜日は朝4時出発で空港まで。別に空港が遠い訳ではないんです。地元の空港は会社から10分。でも、航空運賃が高いんです。理由は競争がないから?という事で隣の県の岡山空港へ。だって1万円以上の差があるんです!車で2時間…朝一番の飛行機で東京へ行きました。そのまま、埼玉の上尾へ商談です。昼ごはんを適当に食べて次は2時のアポ。東銀座です。そうです、銀座です。田舎者にはなんというか、響きがね…地下鉄から地上に上がり、すぐのビルで商談。無事商談が終わり、一人でビルを出てビルの角を曲がると、歌舞伎座がありました。近くのスタバでコーヒーを飲んでいると前のビルの前にかっこいい車が。新型GTRです!この前のGT選手権でも堂々の1,2フィニッシュ!!近寄って見ると、日産のビルでした。中に入ってレーシングカーとか往年の名車の数々。結構人がいましたね。ところで、ここまで来たら銀座に行って銀ブラ (←死語か?)一駅だけど方向感覚がないので地下鉄で東銀座から銀座へ向かい着いて地上に上がるけど全然方向がわからずうろうろしながらビルの角を曲がると、なんと!さっきまでいた歌舞伎座!!本当に田舎者丸出しです…さっきの地下鉄代が水の泡…ここまで来たら上等だ!てなもんで逆切れ!←自分に路線図を確認して新橋まで歩いてやる!絶対、地下鉄に乗ってやらない!方向を定めて歩きました。やっとの思いで新橋駅の看板が見えたのでその方向へ歩くとユリカモメの看板確か、その横にJRの駅があったはず。間違えないようにしてたんですが、間違えてユリカモメの駅の前に来てしまいました。JR駅の入り口がわからない…あった! 看板がJRはこっちとある。近くをうろうろしている4人組も迷っている様子で、ひそかに俺だけじゃないな ふふふ…でも、会話を聞いてみると、これは中国語じゃん!!日本人が間違えるんだから中国人は…当然でしょ…でも、新橋駅のあたりに行くと途端に新橋駅じゃなくて○○口になるんです。でもって、中国人も同じように迷ってる。入り口が新橋駅じゃない!中国語でわめいてる!中に入ればわかると思って入ったら要は入り口の名前でした。でもわかりづらい。それだったら、新橋駅(○○口)としてほしい。日本人なのに… 恥ずかしい…そんなこんなでビジベンさんお勧めの場所を散策することは出来ませんでした。年に数回の東京もトンボ帰りで散策をしたことがありません。4月にもう一度上京するのでチャンスがあればそのときにもう一度チャレンジします!上野動物園がいいかな?
2008.03.29
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今年になってまだ3ヶ月なんですが、なぜか仕事でお世話になった人や、知り合いの方が亡くなっています。昨日の土曜日もお世話になった方の葬儀があり福井県まで行って来ました。車で朝の3時半に出発しましたが、かなり疲れました。その方には仕事の上で大変お世話になった人で、昨年には中国上海で待ち合わせをしたのですが大連で体調を崩されて、大変な事もありました。ひょっとすると、その頃から何か兆候があったのかも昨日先方の会社関係者から聞くと大腸癌だったらしいです。年末から体調を崩して検査入院をしたらしいです。結果、横隔膜にも転移してて、手術が出来ないと言われたらしいです。今年に入ってからは午前中会社に出て昼から帰る生活だったらしいですが、10日ほど前から入院した矢先の急変のようです。会社に出ていても部下の人に「俺がおらんようになったらどうするんや!」というような言葉をかけていたようです。本人は覚悟していたんじゃないかという話ですが私ならどうだろうと考えてしまいました。あなたならどうでしょう。自分の最後の余命宣告をされたら…それを受け止めて残りの時間でやれることをするか、自暴自棄になるか、受け止められなくて落ち込んでしまうか、結論は出ないですね…客観的には最後の時までやりたい事をするとか残された時を大好きな人と過ごすとか、しかし、天は非情なもので突然に若くしてこの世を去らなければいけない人もいる。それも愛する人に別れを告げる時間も与えずに…主観的になれば目の前で起こった事を信じたくないしこの世に神も仏もいるもんか!と、思ってしまいます。時間が経ってくると死んでなんかいないと思えてくるのですがなんかこんな話ばかりでごめんなさい。でも、こういう話は日頃からは出来ないのでこの機会に考えて見る事も必要かもしれないと思います。春は新生活の季節でもありますが、別れの季節でもありますね。一年を通じてもこの季節は今生の別れが多いようです。命尽きるその日まで、精一杯悔いが残らないように一日一日生きて行きたいと思います。 合掌
2008.03.23
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8年前の2月3日、息子の誕生日を祝ってやろうと二人で待っていたんだけど、息子は遊びに出て帰ってこなかったんです。仕方がないから夫婦二人でケーキにろうそくを灯してお互いにおめでとうと言い合って、ケーキを食べました。夜の10時くらいに突然妻が激しい腹痛に襲われ、救急車を呼ぼうか?と声を掛けたのですが、じっとしてれば収まるからと、そのまま朝まで背中をさすっていました。翌日、確か平日ではなかったのですが病院に行き、救急で見てもらうと、「奥さん、即入院です! これは…」医者は言葉が続きませんでした。そうです、妻は5年前より癌の闘病生活をしていました。最初は初期の乳癌だと言っていました。外科手術をすれば大丈夫と医者は言っていました。「何で私なの?」妻はよくそう言っていました。突然、ババ抜きのババが回ってきたような不運を感じていました。でも彼女はとても強く、自分の運命を受け入れました。子供がまだ幼かったので、せめて子供が一人前になるまでは生きたい!そういう風に思っていたようです。外科手術が終わって抗がん剤の治療が始まると当然うつのような精神状態になります。それを耐えて退院するともう病気は治ったと思うほど明るく活発な以前の妻に戻りました。しかし、その半年後癌が再発したのです。彼女の母親も同じ乳癌を患いましたが、再発はしませんでした。彼女の場合はわずか半年で再発しました。リンパ腺と肝臓でした。またつらい闘病生活を送る生活になり、頭のどこかで死を意識するようになりました。妻が病気になるまでは努力すれば報われる、どんなことでも夢に向かって頑張れば夢は叶う。…そう思ってがむしゃらに生活していました。それが、私がこんなに無力だなんて初めて思いました。私は何も出来ないんです。妻が助けを求めているのに何も出来ないんです。激しい自己嫌悪に襲われ、円形脱毛症で後頭部半分くらいハゲになりました。でも、彼女の苦しみのほうが数万倍も苦しかったと思います。癌はその後もいろんな部位に転移をし、モグラ叩きのような治療を続けました。医者がそういうんです。もぐら叩きのようでとても治療できないと…脳以外は大半の所に転移した感じです。ちょうど息子が受験を控えていましたが、息子には「ごめんな、お父さんとお母さんはお前の事をかまってやれないんだ」そう言って頭を下げた記憶があります。でも、妻のおかげで娘も息子もグレずに自慢の子供に育ってくれました。本当に妻には感謝しています。医者からすぐに入院するように言われた妻は残りの時間が少ない事を悟ったようです。「先生、やらなきゃいけない事があるから入院は明日の夕方のします。」「何を言っているんだ! 自分の体をわかっているのか!」医者の言葉で二人は下を向くしかなかったです。妻とは結婚してから一緒に仕事をしてきました。一日中一緒にいました。だから、本当に戦友のような感じかも知れません。仕事の夢もよく話をしたし、家では子供の事とか本当に一緒に苦労した戦友かな…妻には経理を見てもらっていました。何で病人に仕事をさせるのか?っと思われるでしょうが私が結婚するまでは経理は私のお袋がしていたんです。結婚を機に妻にバトンタッチされました。そして妻が病気になってから、またお袋が経理をしてくれたのです。そのお袋も病魔に襲われました。私は頼るところがなく、妻に相談すると「私がやる!」っと言ってくれたんです。4年も闘病生活を続けた妻に仕事をさせるのは抵抗があったのですが、私は甘えてしまいました。妻はその仕事の残りを仕上げてから入院しました。2月の10日くらいに医者から妻の余命を聞かされました。「一ヶ月だと思ってください」ある程度予想はしていたものの、絶望感が体を突き抜けました。医者にはコバルトなどの治療をやめてもらい、体に負担の掛かる治療は中止しました。今の病院のシステムではどんなときでも治すための治療しか出来ないんです。人間らしく生きるための治療は出来ないんです。終末医療の病院もありますが、そこを選ぶということは妻の気持ちを思うとどうしても出来ませんでした。二人の子供にお母さんの余命を伝えてなるべくみんなで一緒に過ごす様にしようと話し合いました。私と息子は仕事が終わったら病院に行き、病院に寝泊りしている娘はその間家に帰ってシャワーを浴びる。面会時間いっぱいまで病院にいて4人で夜中にひそひそ話しをしたこともあります。そうして、最後の時が来る事を忘れようとしていました。その時の事はとてもつらいので書きません。でも、妻に余命を告知しなかったのは…自分の中でまだどちらが良かったのかわかりません。ただ、闘病中に2度、最初は再発したときに「一緒に死のうか?」と妻に言いました。その時は何も言ってくれませんでした。二度目は亡くなる前の年に同じ事を言いました。その時妻は、「そんなことをしたら、子供は誰が見てやるの?」そう言われて、私は自分の事しか考えてなかったんだと反省したことがあります。だから、子供が一人前になるまでは妻の分も子供達を見てあげようと思っています。彼女が実の母親に言った中に、「子供じゃなくて良かった、子供だったら気が狂ってる」「お父さんでなくて良かった…」この言葉をあとから聴きました。そうして、もうひとつ、「もっと、生きたかった!」「死にたくない!!」生きたくても生きられない人がいる事がとても悲しいです。だから、生かされている私達は自分の命と人の命を大切に最後まで精一杯生き抜かないといけないと思います。私は妻に聞けなかった事があります。私もいつかは妻のところに行きますが、なぜかそれが楽しみなんです。どうしても聞いてみたい事があるんです。それは「僕と結婚して良かったか?」私は彼女を幸せにしてやれたのかな…3月の8日が彼女の命日で、なんとなく、気持ちを書き綴って見ようと思いました。
2008.03.13
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明日の帰国を前に空港までの足を確保しないといけない。昨年に一度別のホテルからバスで空港まで帰った事があるので安心していたが、念の為再チェック。今泊まっているホテルで聞いてみるとバスセンターまで行かないとこの辺は無いと言う。仕方がないので以前泊まっていたホテルに夕方寄ってチケットを買おうとしたら、チケットセンターが無い!!フロントに聞くともうやってないと言う。じゃあ、200メートル離れた五つ星のホテルならあるかも歩いて行って見るが、香港行きはあるが空港行きは無い…バスセンターまでタクシーで大体40元掛かる。そこから空港に間に合うように出ているバスははたしてあるのか?そんな冒険を今しなくてもいいでしょ?飛行機乗らなきゃいけないし第一、数ヶ月で閉鎖するなんてあんまりだよ!香港行きがあって、何で空港行きが無いの?訳わかんない…まあ、そう言ってても始まんないので、空港まで行くことを考えよう。使っている白タクは400元だと言うからパス!あんたはもういいよ、高すぎる…ホテルにタクシーがいるからそれで行くよ。通訳さんにそういうと、ホテルのロビーで通訳さんとお別れ。その後、一人で夜の街に繰り出し…お酒ではありません何のことはない、フットマッサージです。一時間でいいよ、っと告げてマッサージに入ると「お客さん、足の爪が伸びてるよ、切るか?」「おお、そうか、じゃあ切ってもらおう!」そんな会話が成立し、王様のような充実感…そんなこんなで、マッサージのタイムロスをしてしまい、「お客さん、2時間にしないかい?」「そうだね、時間が足りないもんね」またまた、意思疎通バッチグー!(←江戸はるみ風)その後、背中は踏まれるわ、肩関節決められるわ、なかなか、ハードでした。今回はぼったくられませんでした!充実の時を過ごし店を出たあと、一軒の店に入って食事をする。この店はメニューがあったから、僕でも大丈夫。明日は早いので早々にホテルに帰りました。翌朝、6時にフロントでチェックアウトとしてふと見ると、待機のタクシーがいない!だって、6時って真っ暗だもん。でもフロントにタクシーが欲しい事と空港まで行きたい事を伝えると、小姐が300元掛かるよ、と言ったのでかまわないと答えると、ホテルの表に出てタクシーを止めて値段交渉をしてくれた。そのときの、運転手の対応からいやな予感がしたんですよ。「料金は280元だから」と小姐がいう「ありがとう、さようなら」そういうと、タクシーに荷物を載せて空港へと向かったのだが、不安で不安でゆっくり寝られない。何が不安って(こいつ道知らないんじゃないか…)値段交渉してたときに携帯電話を掛けてた。普通、そういう局面で電話をかける中国人は道を知らない奴…こいつ広州まで行けるのか?どこまで知ってるのか?タクシーの中は不気味な?無言の緊迫した空気が流れていた。案ずる事無く広州までたどり着き、空港線の高速に乗る。もう大丈夫かな?そう思った時、運転手が高速の看板を見ながらキョロキョロしかし、この高速は一本道。まっすぐ走っていれば空港に着く。普通はね。でもこの運ちゃん、途中のインターで降りようとするんだよ!!「違う! 左に行って!」「まっすぐ行って!」そういうと、とたんに今まで無口だった奴が一生懸命話し掛けてくる!わかったから。僕は中国語がわからないけど、必死に言い訳しているのはわかったから。来た事ないから道を知らないんだ!って言ってるのもなんとなくわかったから。頼むから前をむいて運転してくれ!無事に空港に着いたとき、俺って結構やるじゃん!って、思ってしまいました。
2008.03.11
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広州到着二日目、朝5時ごろ目覚めて、シャワーを浴びて、散歩に出ました。朝食もしようと思っていたので店を探しながらホテルの近辺を散策。小さな店が2件ほど確認出来ました。でもね、勇気が無いんですよ。中国語が出来ないのに、広東語なまりの中国語はさらにヒヤリング出来ないんです…よって、とぼとぼホテルに帰って日本から持ってきたチョコレートをかじって、散歩の途中に買った紅茶を飲んで二日目の朝食にしました。8時過ぎに白タク呼んで知り合いの工場へ。しかし、この運ちゃん、運転マナーが悪いんです。無理な追い越し、割り込み、信号無視ここ数ヶ月、中国は、交通マナーが良くなったかも?っと感じた時もあったのですが、やっぱり変わらないか…でも、順調に流れている交通の流れをかき回すように右に左に進路を変えながら、クラクションとパッシングで前の車を追い越そうと試み、だめなら路側帯を走り、信号待ちの列に追いつくと路側帯から先頭にもぐりこみ、見切り発車で一番加速。こいつ、市街地レースをしてるんじゃないかと思うくらい横の車に接近したり、前の車をあおったりしてました。出来ればもう使いたくない…疲れる…取引先と無事商談が終わり、昼からは広州の町へ。いつもの市場で買い物タイム。その前にお腹がすいたのでケンタッキーを食べました。くたくたになって佛山に帰り、取引先の社長と食事です。武漢料理(←合ってるか?)をご馳走になりました。魚が美味しかったです。ビールで乾杯をしながら、和気あいあいと食事が出来ました。翌日、7時から通訳さんとその彼氏が朝食をおごってくれると言うので、お腹が鳴るのを我慢して待ってると、7時ごろに電話が…芳芳「ごめんなさい!あと30分で行きます!」まあ、そんなもんですわ…でも、「食は広州に有り」という名言(迷言)があります。○将のCMでもお馴染みのセリフ。そして、朝は飲茶です…私はお粥を頼んで後は色々食べました。特に豚の内臓というものが以外に美味しかった!内臓と言ってもどこの部分かわかりませんが…ここで彼にと別れ、広州の取引先の会社にレッツラゴーです。続く
2008.03.10
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先週の土曜日に広州に旅立ち、空港を出たとたん、以前、利用していた運転手に遭遇!!お互いにびっくりしました!彼とはいい関係だったけど、私とどうしても気の合わない日本人とよく一緒にいるのでお互い敬遠していました。その日本人は、私が彼を雇う事が気に入らないようです。彼も私より、見入りのいい方を選んだようです。以後、連絡を取らなかったので、お互いびっくりしました。私「どうしたの?誰が来るの?」彼「qy5¥q46g!!!」私「○○さん?」彼「違う!」まあ、いいや、ともかく私の通訳と鉢合わせしなくて良かったと思っています。ともかく、新顔ドライバーと順徳の町へ。高速を乗ってくれればいいのに全部一般道…おかげで1時間半掛かってホテルに。その間、タクシーの料金について打ち合わせ。昨年、空港で会ったドライバーとは一日300元でした。この運ちゃんは4日で2000元を要求します。そして、いくらならいいかと聞いてきます。と言うことは、吹っかけているということです。確かに燃料がかなり上がっているようです。その辺は日本と一緒です。結局、折り合いが付かず、一日ずつ値段を決める事に。ホテルに荷物を置いて通訳さんと食事に。通訳さんの名前は芳芳。私 「日本の毒餃子事件を知ってる?」芳芳「もちろん、知っています。」芳芳「でもあれは、中国は悪くないって言ってた。」私 「誰が?」芳芳「テレビで中国の偉い人が。」それ以上、突っ込みませんでした。この子に突っ込んでもどうしようもないから。中国は都合の悪いことは全部人のせい。私達は100%悪くない、という回答が一般的ですから。そして、食事は話題の餃子と酢豚、牛肉のリブを頂きました。餃子は白菜と肉の餃子にしました。水餃子じゃなく、焼きでお願いしましたが、日本のように焦げ目がついていないので味もあんなものです。←(どんなもの?)酢豚リブいつものようにどんよりとスモッグが掛かったいつもの広州でした。私 「ところで、彼とはどうなってるの?」芳芳「別に、それに彼かっこ悪いし。」私 「一度、会いたいな」芳芳「彼、今日は友達と食事している。」私 「そうか、でも呼んでみたら?」そういう掛け合いがあって、私達が食事が終わった頃彼が登場!!私 「へぇ!意外とカッコいいじゃん!」芳芳「え~!カッコ悪いよ!」彼が日本語が出来ないと思って言いたい放題です。後日、食事をおごってくれると言うので楽しみにします。続く…
2008.03.08
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