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今日も一日が終わります。守られ祝福された長い一日でした。子どもたちのオペレッタの練習から始まり、愛する皆さんと共に神様を礼拝し、たくさんの方々とお話をすることができ、教団総会では夫の正教師任職式がありました。任職式で読まれた聖書のことばが特別に心に残りました。主人と共に奮闘したこの2年間を思い出し、様々な困難の中でも、私たちを確かに導き欠けの多い者を憐れんで用いてくださった神様に感謝が溢れました。そうなのです。苦難や困難がないとは聖書は言っていません。しかし、どんなことがあってもあなたは倒れることはない、と確かに約束されています。だから、明日を望むことができるのです。こんな土の器であっても。新しい1ページが、また今日から始まります。慰めと励ましに満ちたスタートのことばでした。 「『光が闇の中から輝き出よ』と言われた神は 私たちの心を照らし、・・神の栄光を知る知識を 輝かせてくださったのです。 私たちはこの宝を、土の器の中に入れているのです。 それは、この測り知れない力が神のものであって 私たちから出たものでないことが 明らかにされるためです。 私たちは四方八方から苦しめられますが、 窮することはありません。 途方にくれていますが、 行き詰まることはありません。 迫害されていますが、 見捨てられることはありません。 倒されるが、滅びません。・・ すべてのことは、あなたがたのためであり、 それは、恵みがますます多くの人に及んで 感謝が満ち溢れ、 神の栄光が現れるようになるためなのです。 2コリント4章より」
November 28, 2004
今日も素敵な言葉に出会いました♪こんな人生のあるき方をさせていただきたいなと思います。「進むにつれて、道にあかりをつけていこう 暗闇を進む船のように 明るい航跡を残しておこう」 エミー・カーマイケル以前タイ宣教師のM本先生が話して下さいました。ひとりの重い障害をもって生まれた子供がいました。そこにいるだけで不思議に周囲を温かくする子供でした。彼女のお母さんは言いました。「この子には障害があり、欠けたところがあります、 でもその欠けたところから、イエス様の愛が 外にこぼれ出してしまうのだと思うのです。」 道にあかりをつける、というのはこういうことなのかなと思うのです。私自身が素敵だから、あとに輝きが残る必要はありません。私の弱さや欠けを通してでも、イエス様の愛がこぼれるようでありたいなぁ・・と思うのです。
November 19, 2004
「たとい彼らが羊のおりの中に伏すとも あなたはその翼がしろがねをもって覆われ その羽がこがねをもって覆われた鳩のようになる」 (詩篇68:13 英欽定訳)出産前のホルモンバランスの変化とやらでしょうか、昨日あたりから気分が落ち込み気味です。普段はまったく気にもとめないようなことに、敏感に反応してはひとり悲しくなってしまいます。毎月ひどいPMSに襲われていたことを久々に思い出し、手ごわいのがまた来るぞ~と、覚悟を決めています。思えば妊娠中は、精神的にも、感情的にも波がなく、(実際は様々なことが起こったにもかかわらず)心穏やかな日々を過ごさせていただいたなぁ。としみじみ、お腹の赤ちゃんと神様に、そして動きの鈍くなった私をいたわってくれた夫に、心から感謝してしまいます。打ちひしがれるようなときには、神様の言葉が普段よりも心にしみます。「弱さのうちに完全に働いて」くださる神様を感じます。今日のデボーションは冒頭の聖句でした。まさに「羊のおり」に伏している私ですが、神様の恵みは、これを「しかし」に変えてくださるのです。恵みによって、飛び立たせてくださる神様がおられます。心にやさしく光がさしてきました。
November 18, 2004
私がこの言葉と出会ったのは、大学生の頃、渡辺和子さんのエッセイの中でした。直面している状況を、自分のものとして受け止めること、どんな状態の中でも精一杯歩むことを教えられて、それ以来大好きな言葉でした。今日は、この言葉をテーマにした講演を聴きました。何だか自分自身の原点に帰ってごらんと促されたような気持ちでした。濃い内容だったのですが、記録として、講演の内容のメモを記しておきたいと思います。「世界にひとつだけの花? ー逆境の中でも自分らしくいるための十か条ー」 講演者:クリステル・ホッテンバッハさん●「置かれた場所で咲く」 私たちが置かれている場所は、固い岩場のようであったり 枯れた砂漠や、朽ちた切り株のようであったり 鋭い小石の上のようであったりします。 でも、あきらめないで! 神様があなたの花をそこで咲かせてくださいます。●逆境の中でも自分らしく咲くための十か条 1)私は何者なのかを知る →神様に愛された尊い存在 2)自分の周りに与えられた人を受け止める →私に与えられた人なのだと信じてよいところを見出す 3)赦すことを知る →適当に逃げないで、怒りや悲しみと きちんと向き合う。赦された者として、相手を赦す。 4)人と比べるのをやめる →「自分の畑に水を!」 5)自己憐憫から抜け出す →「強くあれ」という言葉を信じ、意志の力で抵抗する 6)焦点を定める →目指す方向からそれないようにしるしを設ける 7)試練をも受け止める →神様は善意で剪定をされる方という信仰を持つ 8)自分自身の尊厳を失わない →「過去は赦されており現在には解決があり、 未来は開けている」という信仰 9)神様に信頼する →神の前で自分自身が変えられる体験の中で 10)与えられた望みを今生かす →逆境の裏に「しかし」という希望を見出す
November 13, 2004
「われわれは、次に歩みだすべき一歩と最後の目標だけを 知っているに過ぎないが、神は道全体を知っている。 足をひとたびこの道に降ろした者の人生は旅となる。」 ボンヘッファー昨日は、ドイツ人宣教師E先生ご夫妻のところを訪ねました。将来の夢(ビジョン)についての話が弾んで、ついつい夕方まで話し込んでしまいました。自分達が何を目指して働いているのか、どんな夢を描いてどこに向かって今ひとつひとつのことをしているのか、話していると、わくわくしてきます。地道な働きの積み重ねを、もっと大切にしたいと思えてきます。日常に追われていると、視野が目の前のことに狭まってしまいがちですね。臨月に入り、なんとか毎日をこなすのが精一杯、というような毎日になってはきましたが、目を上げて広い視野で展望することの大切さを、会話の中で改めて教えられたような気がします。日々の小さな一歩と、向うべきところ、ふたつの地点を行き来しながら地に足をつけて、しっかりと今の生活を送りたいと思います。
November 10, 2004
冗談半分で話すことが、人を深く傷つけることがあります。普段から気をつけているつもりですが、昨日またやってしまいました。日曜日だというのに;;結果的に人に不名誉をきせることになってしまいました。なんと軽率だったのかと反省しても、一度発した言葉は戻ってきません。愚かすぎた自分にとことんがっかりしながら、涙のうちに十字架を見上げた日曜日でした。 ほかの人を傷つけるような冗談を もし面白がるならば たとえどんなことであれ 人を軽んじる言い方をするならば いや、そういう考えが 少しでも心をよぎえるならば、 その時わたしは カルバリの愛をまったく知らない エミーカーマイケル 「カルバリの愛を知っていますか」
November 8, 2004
アメリカ大統領選挙の争点のひとつに中絶についての立場があったといいますが、アメリカの人々は中絶に対するどちらかの立場をはっきりと持っており、表明するのだそうです。生命と権利に対する問題意識の高さなのかなと思います。昨日、ちょうど集会でそんな話題になりました。「育てる責任が果たせないならば中絶するべき」という意見が出て、いろいろと考えさせられました。幼児虐待、ネグレクト、といった無責任で悲惨な状態を引き起こすよりは、むしろその前に責任を取るべきだというのがその方の意見でした。生む側の選択の権利よりも、生まれる側の生きる権利が勝っている、というのが私の意見です。自分の命でさえも、自分の所有ではない、ましてや自分の胎内の子の命はゆだねられている一個の命であり、それを断つことはある種の殺人だと考えています。10代の女の子たちの50人に一人が中絶を経験する。これが、私たちの国の心痛む現状です。喜んで中絶手術を受ける人など、どこにもいないでしょう。私は昨年、流産を経験し、除去手術を受けました。胎内に宿っていた命が死んでしまうということ、決して癒されないのではないかと思うほどの悲しみでした。ましてや自分がその命を断つという選択をする苦しみはいかばかりかと推察します。多くの方は様々の追い詰められた状況で、涙をのんで選択し、その悲しみと傷とを背負って今も生きておられるのだと思います。失われた命も、残された命も、傷ついているのです。命って何だろう、権利って何だろう、そんなことがもっと公の話題になったらいいなと思います。気がついたら問題の当事者になっていた、という前に与えられた命の重さを、その素晴らしさを、深く分かち合うそんな場を身の回りでもつくっていけたらと思っています。(参考)「ちいさないのちを守る会」[連絡先]〒101-0062 千代田区神田駿河台2-1 OCCビル TEL=03-3233-4988
November 5, 2004
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